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カテゴリー: ______ミクロネシア

ミクロネシア写真集(2)

2013 JUN 21 16:16:27 pm by 東 賢太郎

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ソケースロックといわれポンペイ島のシンボルです。よくハワイのダイヤモンドヘッドと比較されます。最終日に舟で沖まで出ましたが海上からもよく見えます。日本軍はこの上から見張りをしていたそうです。

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これが例の双眼鏡を買った木工所です。ここの正面は建築中の教会で、島民はほとんどがクリスチャンです。

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木工所で飼っていた子豚です。犬のようにつながれています。豚は野性なのか飼っているのか知りませんが車で走るとそこいら中にいました。母親が数匹の子供を連れているケースが多く、警戒心がないのかのんびりしていて車が轢いてしまわないかひやひやしました。同じように犬もとてもゆったりしていて車から逃げません。ほとんど吠えませんが、中には車に吠えついて向かってくるのもいました。

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この日はここで夕食となりました。海辺の茅葺きにヤシの木。赤ワインにアメリカン風のお料理もおいしかったですが、何よりご一緒させていただいたT社長ご一行様がみなさんすばらしく楽しい方ばかりで最高にエンジョイしました。南国らしいこの写真は気に入っています。

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このレストランのねこです。最後の日にもう一度行きましたが6匹いることがわかりました。ここでもどういうわけか、大勢いるのに僕のところだけ4匹集まります。これは良く撮れていませんがどれも小型で可愛く、ねだられると肉をあげざるを得ません。

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夜はMRAのアメリカ人幹部マーク・ヒースさんとバーで飲みながらビリヤードを。

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同行の西村先生とホテルに着いたのは夜中でした。

 

日本人は企業も若者もミクロネシアに進出すべし

 

 

 

 

ミクロネシア写真集(1)

2013 JUN 21 15:15:26 pm by 東 賢太郎

グアムへ来ました。シェラトンホテルです。やっとLANがつながり写真のアップもできるようになりました。いやこの程度でも文明のありがたさを実感するすばらしいポンペイ島の3日半でした。写真でふり返ってみます。

 

ポンペイ空港へ着いたのは6月17日の早朝(16日夜中)です。バゲッジクレームはというとこんな感じです。のどかなものですね。

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ホテル・セブンスターインは内装は最新とのことですが外見はそこそこ古めです。15号室のカギをもらい部屋に直行しました。大都市のホテルとは比べられませんがまあきれいと言っていい部屋でした。窓を開けて寝るとムカデが入るとの情報があり、まず窓に虫除けマットを置き、窓は完全密閉しました。僕は虫は基本的に好きではありませんが、特にクモだけは天敵であり、どんな小さいのでもいれば寝ることができません。すみずみまでいないことを確認してベッドに入りましたがどうも落ち着かない一夜でした。

さて翌朝めざめると、朝もやに霞む景色はこういう具合でした。

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早朝でも20℃ぐらいある感じで寒さは全く感じません。やはりここは南国なのです。さっそく散歩に出かけました。

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バナナの種類の多さに驚きました。味もぜんぜん違います。レモンをかけたようにほんのりと酸味があるものから、マンゴーと焼いもを足して二で割ったような濃厚なものまであり、食べながら栄養の宝庫だなあと感じます。都会で食べているものとは別物で、大地と生命の力のようなものをいただいているようです。「いただきます」とは食べものの生命をいただくということだそうですが、バナナひとつとってもそういう実感が得られてしまうほど彼我の差がありました。

 

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南国のトレードマーク、ヤシの実です。割ってすぐジュースで飲めます。

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サトウキビです。これも食べられるそうです。

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これぞ、獲れたてのマグロ!1.2メートルぐらいあったでしょうか。

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一尾を丸ごと買ってしまおうというゴーカイな判断に相成りました。22ポンド(約10kg)あり20ドル也でございました。箱から出てるしっぽにご注目ください。

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それがお昼にお刺身で出てきます。お味は絶品でした。ここのマグロ(たぶんキハダか)は油が少なくいわゆる赤身ですが、マグロの本当においしいところは赤身なのです。トロは江戸時代は鳥の餌でした。

 

ミクロネシア写真集(2)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亀井さんでしょ?

2013 JUN 21 13:13:43 pm by 東 賢太郎

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激似です。ミクロネシア・レジストレーション・アドバイザーズ(MRA)社のオフィスに飾られているこの写真。全員がてっきり亀井さんの若い頃と思い、しばらく全員がそう信じてました。モリ大統領→森元首相という連想で亀井さんがいてもおかしくないような。違いました。こちらの副大統領だそうです。昔、キルギスタンの大統領の写真を見て日本人みたいだと思ったことがありますが、こちらはまさに日本人の子孫ですからもうそのもの。国民の4割が日本人みたいなのです。ミクロネシア連邦にぐっと親しみがわいた瞬間でした。

冒険ダン吉になった男

2013 JUN 21 11:11:02 am by 東 賢太郎

今回のミクロネシア出張は偶然に同じ行程となった某社T社長ご一行があると書きました。社名は伏せますが、日本人なら誰もが知っている著名企業です。82歳になられる社長が取締役であるご子息をともなってここに来られた意味にはとても心を動かされました。

T社長は「冒険ダン吉」になった男・森小弁という本を読み、「自分もそういうことをや4819111388りたいと思いました」といわれるのです。小弁は11人の子をもうけ、孫の数94人、トラック島にいる直系だけで1000人を超す子孫が政治、経済、教育のあらゆる分野に進出しモリ・ファミリーとして国をけん引しています。その頂点が第7代大統領となったエマニュエル・モリだそうです。冒険ダン吉というのは昭和初期のマンガで僕も父から聞いただけで読んだことはありません。釣り船で眠るうちに流されて南洋の島に漂着したダン吉少年が長じて酋長の娘と結婚し、知恵を絞って敵を倒し立派な酋長となった話だそうです。面白いですね。男のロマンといいますか、僕にもどこか共感するものがあって、T社長とはすっかり楽しい時間を過ごさせていただきました。

チューク島(トラック島)には日本軍の沈没船が多数そのままになっています。97年にヒットした映画タイタニックのロケに使われたのがここに沈む輸送船富士川丸だということをご存知でしょうか。いまはダイビングスポットとなっていて特に欧米人に人気だそうですがどこか複雑な気持ちがいたします。ポンペイ島における我々のホテルセブンスターの前は日本軍の農業試験場でした。食料にできる植物の耕作試験をしていたそうで前線の兵士の死因の多くが餓死だったことを思いだします。「ここをきっと山本五十六が歩いたでしょうな」というT社長のつぶやきが耳に残ります。

島民がみやげものにする木彫り細工があります。その工作場へ行ってみますとたくさんの魚、亀、カニなどの彫り物が並んでいて、裁判官の使うハンマーとおぼしきものまでありました。ふと見ると、古びて壊れかけた黒く重々しい双眼鏡がテーブルの上に置いてあります。これは何だと聞くと日本軍の遺品だがそれは売らないよとのこと。ところが、ひとしきり見終わって「なにか買ってやらんといけませんな」とおっしゃった社長がこれをと指差したのはその双眼鏡でした。売り子が棟梁と思しき無愛想な老人に相談すると、今度はしばらくして「10ドルだ」という返事が返ってきました。

「右側が吹っ飛んでいます。直撃でしたでしょう。将校クラスのものですな。」

左側のレンズは今でも立派に景色が見えました。しばらくそれで遠くにある丘の上の空を眺めました。鳥が見えました。ずっしりと手ごたえのある双眼鏡の中央部に

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とありました。

 

 

英霊の眠る地

2013 JUN 20 22:22:37 pm by 東 賢太郎

大臣との朝食は元駐日大使のカシオ・E・ミダさんも同席されました。天皇陛下に4回も謁見されたことを誇りにしておられ、帰国されて今はミクロネシア・レジストレーション・アドバイザーズ(MRA)社のシニア・エグゼクティブをされています。日本語は話されませんが風貌は完全にわが同胞で、ミダという名前は三田だそうです。11万人の人口の約40%が日系人なので政府要職にも多く、大統領のモリさんも森さんです。こういう国は大事にしたいものです。

午後は社会保険局へ行き、労働保険、健康保険につき説明を受けました。外国に会社を作ると現地の制度を学ばなくてはならず大変です。銀行(Bank of Guam)にも寄って口座開設の準備をしました。法務省登記官のサマリ・スタさんにもお世話になりました。スタは須田ではないですかと聞きましたがもうわからないとのこと。この国の人同志は現地語(ポンペイ語)で会話しますが、米国信託統治が長く、教育費援助は米国がしているためほとんどの人が英語をしゃべります。

言葉といえば、ミクロネシア連邦は600余の島からなる広大な海洋国家で、海域は米国とほぼ同じ、日本の約半分です。チューク、ヤップ、ポンペイ(ポナペ)、コスラエの4つの大きな島に人口のほとんどが住んでいます。ここは日本と似ていますが、各島でまったく違う言語を話しているのは意外です(北海道と九州で言葉が通じないなんて信じられますか)。日本からの飛行時間はこの地図をご覧ください。首都はポンペイ(ポナペ)です。ヤップ島は巨大な石のお金で有名ですね。

MicronesiaMapチューク島というのは聞きなれませんが、第2次大戦では「トラック諸島」と呼ばれていた島といえばお分かりになる方も多いでしょう。日米の激戦地でした。山本五十六連合艦隊司令長官はラバウルを飛び立ってブーゲンビル島上空で米軍機の銃撃により戦死されましたが、遺骨はこのトラック諸島に一旦運ばれて、その後内地に帰還する戦艦「武蔵」によって日本本土に運ばれたのです。ちなみにラバウルは現在英領パプアニューギニアにあるニューブリテン島の都市で大日本帝国海軍基地のあったところ。トラック諸島の南方約1500kmに位置しています。

big_mapいまベストセラーの「永遠のゼロ」をお読みになった方は多いと思います。僕はこれを読んで涙が止まらず、もっと当時を知りたくなってゼロ戦の勇士、撃墜王坂井三郎さんの「大空のサムライ」を読みました。日本人でこれを読んで胸が熱くならない方はいないのではないでしょうか。戦争が良い悪いという問題ではなく、日本人であることの魂のもつ崇高さには感動するしかありません。この本は我が国では軍記物として扱われ広く知られているとは思えませんが、彼が死闘を繰り広げ、彼に64機も撃墜されたアメリカでは著名でサカイの勇気は賞賛されているのです。

いま僕のいるこの海域がまさにその舞台だったわけです。この熱帯のジャングルを行軍した陸軍兵士の気持ちもわかるようになりました。トラック諸島の日本軍はほぼ全滅でしたが一部生き残った兵士の一人が森元首相のお父様で、島民に助けられたご恩ということで首相は何度もミクロネシアを訪問しておられます。靖国神社への政治家の参拝に文句がつけられますが、米国大統領がアーリントン墓地へ行くのと何が違うのか理解できません。国が自国を守った英霊を祭るのは古今東西当たり前のことであります。僕は鹿児島の知覧に息子を連れて行きました。こういうことがけしからんなら、それは国をやめろ、国家を捨てろと言われるに等しいでしょう。主権国家がそんなことを他国に言われる筋合いなど世界のどこにも存在しないのです。

 

(こちらへどうぞ)

ベトナム戦争という歴史について思う

 

 

 

 

 

 

ロバート外務大臣と

2013 JUN 19 1:01:57 am by 東 賢太郎

今日は7:30からロリン・ロバート外務大臣とのブレックファスト・ミーティングで始まりました。戦前はここに日本人が15万人と現地人の3倍もいたこともあり、日本がこんなに存在感のある外国の地はほかにない。直行便を飛ばし、日本人の永住権取得、医療施設拡充、水産大学の現地校開設などのご提案を申し上げました。社長からは森大統領の曾祖父である森小弁氏の当国との関わりに共感を持ってきたこと、眼内レンズの手術のできる病院の設立、漁業権の有効利用など具体的なご提案もあり、それにわが社がファイナンスを付けるご提案もしました。大臣からは厚いお礼の言葉を頂戴し、11月1日に大統領と訪日するので東京での再会を約して終えました。わが社は2007年にミクロネシア連邦が外国企業誘致を始めて以来25番目の会社であると申し上げると、「今年は日本はミクロネシア連邦と外交関係開設25周年のお祝いの年です。25番を狙っていましたね」と冗談を言われました。この国には貢献したい気持ちにさせる何かがあります。

大臣

 

 

 

ミクロネシア連邦ポンペイ島の初日

2013 JUN 18 0:00:17 am by 東 賢太郎

昨日の夜中よりミクロネシア連邦のポンペイ島におります。成田発11:05のユナイテッド機でグァムに3:50着。ラウンジで待って7:45発で翌日0:50にポンペイ島に着陸しました。途中チューク島で降りる人もいるので一度着陸して30分ほどしてから離陸というのがなかなか厄介で、時差が2時間あるとはいえ結構疲れました。

北緯7度とほぼ赤道直下の南洋の島ですが一年を通して平均気温は27度で意外に猛暑ではありません。ただ降雨量は世界第2位で、今日も何度か豪雨がありました。ホテルはムカデが出るとおどされていましたが意外にきれいで虫も心配なく、期待値が低かった分だけ気持ちよく過ごしています。

今日は株主総会と取締役会を開催して、ここの時間帯と立地を生かした業務展開の議論を関係者と徹底的にいたしました。もと日本軍が駐屯した関係で島民は非常に親日的で海外にいる感じがあまりありません。しかし直行便がないため日本企業進出はほぼなく、同行されている某著名上場企業の社長さんと意気投合して一日中ここを利用した新規ビジネスの話に明け暮れました。

社長が近くの市場で10kgのマグロを一本買い(2000円!)され、ホテルで刺身と照り焼きにしてもらって食べましたが感動的なうまさでした。日本軍がいた頃と何も変わっていないのではないかと思うほど自然の宝庫で、ヤシ、バナナ(10種類もある)、マンゴーなどが野生のまま群生し、無一文であってもこの島で飢え死にするということは考えられません。すべての木々、植物が青々としてはちきれんばかりの生命力をたたえており、道を歩くだけでパワーが漲ってくる感じは都会では想像もつかないほどです。この島は確実に元気をくれそうです。

夕食は皆で海に近いオープンスペースのレストランでした。ハワイ風、メキシコ風いろいろですが十分においしかったです。猫も犬も寄ってきて実ににぎやかで憂さは全部晴れました。暗くなってもう10時ぐらいかなと時計を見るとまだ8時です。これは驚きました。どうも時間の流れが遅いようです。そこからホテルでまた延々と新規ビジネス論議となりました。写真はもう90枚も撮ったのですがうまくアップできないので後日やります。ものすごく内容の濃い一日でした。続報いたします。

 

ミクロネシア写真集(1)

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