Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 映画

「舞妓はレディ」を観る

2015 OCT 21 23:23:34 pm by 東 賢太郎

某企業にのりこみ、親友の I にいま京都である案件を考えているから協力せいと腹案を話した。奴はふむふむと静かにきき、「なんやお前も京都まで出没して遊びよってに」だ。まじめに聞こえない話らしいがこっちは大まじめだ。

祇園の花見小路に一力亭という有名なお茶屋があって奴はそこに出入りしている。近藤勇、大久保利通、西郷隆盛が通ったところで、大石内蔵助はここで討ち入り前に豪遊してカムフラージュしたという。

お茶屋遊びが京文化であるのはもっともだが、受け手である客人のほうも文化をかついでいるんだぜ、と勝手に主張している。そうやって、奴のようにお前はしょうもないと言う者に何をぬかすといいかえしつつ命の洗濯もする。

客が外人ばかりになってみい、京舞は和風バレエだろ、都をどりだってパリのリドみたいなもんだ。それじゃあする側もだんだん手が抜けるさ。俺たち客が品質を保つんだ。まあそういうことにしておく。

お茶屋は酒宴の場ではない。仕出しの料理を楽しむが料理屋でもない。芸を観る側でカラオケでもなく、トラトラなどお遊びはできるがキャバクラでもない。銀座のクラブが多少近いが芸妓はともかく舞妓に気の利いた会話は似あわない。

東京人にはそういうわけのわからない場であるうえ、色の白いは七難隠すというが白粉で固めた女性は上も下も年齢がわからない。舞妓はティーンエイジャーであるが、すっぴんでそんなのにお酌をされても困る。話題がないのである。

ところが彼女ら諸事不詳なうえ発する京ことばのほわんとした響きは異空間を形成する。我々は相手との相対感で言葉づかいを無意識に選択する習慣がついているが、不祥な相手ゆえ思考回路が停止してしゃべる中味はどうでもよくなってしまう。

畏友、写真家Sのスタジオで東宝映画「舞妓はレディ」を上映してもらった。監督は「Shall we ダンス?」の周防正行。これは実に面白い。

さて、なにがどうなるか。

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大和、武蔵、五十六、慰安婦、そして戦争という愚

2015 JUL 21 18:18:57 pm by 東 賢太郎

「夏島」(トノワス島またはデュブロン島)は戦時中つけられた和名であり、前回は時間がなく上陸できませんでした。このブログに書いた春島の「ザビエル高等学校の高台から眺めた」写真の島です。

チューク島にて(その1) 

この島こそが、このブログで「お気の弱い方はご覧にならないことをおすすめします」と書いたビデオにある、米軍による真珠湾攻撃の報復とされる大空襲の標的となった夏島です。

チューク島にて(その3) 

1944年2月17、18日、戦死傷者は1万5千人、環礁内に沈められた日本軍船舶は100隻近く、撃墜された航空機(2百数十機)に至ってはその実数は不明のままです。連合艦隊は敵の無線を傍受してパラオに移動しており被害にあったのは基地と輸送船でした。

戦艦大和と武蔵が並んだ写真はこれ1枚しかないそうです(右が武蔵とみられる。「戦史叢書中部太平洋方面海軍作戦〈2〉、朝雲新聞社)1943年5月とあるので山本五十六長官の戦死直後の姿と思われます。

YamatoClassBattleships

 

 

 

 

 

これはそのあたりと思われる船上から後方の春島を撮ったもの。島の形はそのままです。

 

 

 

 

 

 

 

 

船の前方に見えるのが武蔵を係留していたブイです(後方は春島、ここまで流された)。

 

 

Yamamoto-Isoroku

 

 

写真下は夏島の水上艇飛行場です。ここから第27代連合艦隊司令長官・山本五十六(右)はラバウルに向けてトラックからの最後の離陸をし、ゼロ戦滑走路だった写真対岸の竹島からゼロ戦数機が護衛についた。そしてラバウルから前線視察のため向かった1943年4月18日にブーゲンビル島上空で撃墜され戦死しました。山本五十六の視察飛行は戦艦武蔵からの無防備な暗号電文が米軍に傍受され狙い撃ちにあった。海軍派遣でハーバード大学に留学しナショナルジオグラフィックまで定期購読していた山本五十六ですが、配下の軍はそのレベルになかった。敵将である太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツは山本を殺せばもっと優れた司令長官が現れるのではないかと暗殺命令を下すことを逡巡したが、太平洋艦隊情報参謀エドウィン・レイトンから「山本より優れた司令官が登場する恐れは無い」との回答を得て命令書を作成したそうです。敵ながらあっぱれの諜報力であり、傍受にとどまらずそこまでつかんでこそインテリジェンスを成すのです。そしてそれほどの将が戦死すれば日本の士気、モチベーションが大きく低下することを見越した狙い撃ちだった。これまで僕はブログでインテリジェンスとモチベーションの重要さを何度も指摘してきましたが、それをご理解いただけると思う。あの戦争は物量で負けたことになっているが僕はそうは思わない。智恵がなかったから負けたのです。「東さん、知ってるかい、今の子はやまもとごじゅうろくって読むんだよ」、そういう危機感から東映に役所 広司主演の映画制作を働きかけた僕のお客さんが言ってました。名前を覚えるのも大事だが彼の戦死から敵軍の意思決定の要諦を学ぶことが弔いになるのではないかと思うのです。

yamamoto

 

山本五十六ら司令長官公邸があり帝国海軍司令本部を置く要塞と化していた夏島には2万人の日本人が住み、港の周辺に商店街、学校、病院、百貨店、映画館、野球場、芝居小屋、料亭、遊郭までありました。遊郭は女性が900人おり軍の職位で格式が決まっていたそうです。料亭、商店等と同様に経営側からはビジネスでもあり客側からは慰安婦と言わば言えぬこともない。

下の写真は商店街跡です。この道の両側に商店がびっしりと立ち並び、雨が降っても店先の軒を伝って濡れることがなかったそうです。今はただ灼熱のジャングルをぬう一本道であり、往時をしのぶものはかけらもありません。2万人の居留がうたかたの夢の如し、秀吉が朝鮮出兵の根城とした佐賀・松浦半島の名護屋城跡の光景を思い出しました。

狩り出され何か月も故国、家族と隔絶された幾万の男たちが明日死ぬかもしれないという環境におかれて管理される事態というのは南洋のジャングルのど真ん中に百貨店が出現するほど異常なことです。そういう状況において慰安がいいことだ悪いことだと言ってみても仕方なく、女性がかわいそうでもあるが意に反して徴兵され戦火で殺されていった男たちもかわいそうなのです。男女平等に全員が戦争遂行責任者である国に補償、賠償を求めたらいいのだろうが、戦争という行為においてそんな議論が出た国は聞いたことがありません。人間はそんなによくできた理性的な動物でもないしそうだからこそ戦争をした。まずどうしたら戦争が起きなくなるか、智恵を磨いて考えるべきではないでしょうか。

natu

 

(こちらへどうぞ)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

 

 

 

 

 

 

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クラシック徒然草-半沢直樹とモーツァルト-

2015 MAY 26 1:01:38 am by 東 賢太郎

先日ソウルへ飛ぶ機中で「半沢直樹」を初めて見た。第1話だけだが、食わず嫌いはいけないと思って見始めたら面白くて真剣に見てしまった。組織の論理と個人の幸福。証券会社だっておんなじだ。

もう同期は全員が外に出てしまったし、上司や部下だった人たちもそれぞれの人生を歩んでおられる。皆さん、サラリーマン人生はいろいろあったし、僕もあった。

25年いた会社で経営職(部長)として突然自分から「辞めます」と言ったことは僕の中で重い。日本的には決してほめられることではないし、そういうことは元来自分のするようなことではなく、心に何もなければしなかったと思う。

今でも時々夢を見る。海外のどこかの店に異動辞令が出て赴任する。良いポストだ。それがどこかわからないまま目が覚める。あまりに生々しく現実味があって、ひょっとしてああいう店に本当にいたことがあったんじゃないかと目覚めた刹那は錯覚している。

サラリーマンはそうやって異動、昇格に一喜一憂し命を削っている。嬉しかったのも落胆したのもある。ひとつひとつの辞令を受けた時の気持ちはすべて昨日のことのように覚えている。会社を辞めます、というのはついに辞令を自分で出したということだった。

そうして良かったかどうか、良かったと思いたいがどうだろうか。失ったものも大きいだろうが後の祭りだ。ふとした時に出てくるそんな後悔や傷心を、移籍した会社はおそらくよく理解され、修復し、新人で梅田支店にいた時のような自分に戻してくださった。

いま思っていることだが、あれがなかったら僕は完全にだめになっていただろう。辞めずに残っていてもたぶんそうだった。見栄、プライド、慢心のかたまりだったからだ。しかし新しい会社では、それを粉々にしないと次はなかった。

そこからまた数々の見込み違いと失敗に失敗を重ねて、そのご恩に十分報いることもなく僕は55才でサラリーマンの経歴を断つことになった。宮仕え完全失格である。大学卒業時に親父が言った。賢ちゃんはサラリーマンは向いてないよ。それは正しかった。

辞めてしまったら半沢直樹と違う。レースは負けだから何を書いても負け犬の遠吠えにすぎない。これも数々重ねてきた自分の大失敗のひとつかもしれないとも思うが、しかし精いっぱいの負け惜しみを放つならば、負けてよかったということもある。

後で忸怩たる思いになったとき、人間は無意識に似た境遇の人を探すものだ。偉人である方がいい。自分をより正当化できるからだ。そしてそれはまったくもって容易に見つかった。ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトである。

意に添わぬ命令(いじめ)で縛り付けるザルツブルグ大司教のコロレドとモーツァルトが決裂したのが1781年5月9日だ。コロレドの部下のアルコ伯爵に辞表を叩きつけたのは12日、そしてついに6月8日、尻にアルコの足蹴を食らってモーツァルトはザルツブルグの職を解かれるのである。

こんなに日付がわかっているのは彼が父親に手紙で事件を報告しているからだ。やむにやまれぬ決断だった。しかしまじめにサラリーマン道を歩んできた父にとって、自分の仕える社長に対して息子がした狼藉は許し難い。それを知る息子が冷静を装って書いている文章は、だから身に迫る。なぜなら僕も会社を辞めると親父に報告した時、モーツァルトと同じぐらいの冷静を繕った配慮に腐心したからだ。

そこから死ぬまでの10年半、ウィーンで自由の身となった彼は人類史に輝く大ヒット作を連発する。自由の喜びがそうさせたともいえるが、僕はそれだけでないと直感する。彼がザルツブルグにとどまっていたら?いじめや足蹴がなかったら?歴史にイフはないが、考えてしまう。半沢直樹に出てくる不遇の同僚、権力と運命に愚弄されていく可愛そうな男たちの怒りを感じる。モーツァルト君、会社辞めてよかったね、心の中でいつもつぶやく。

それがモーツァルトの起爆剤となり、最も大きな、そして危険な爆発となったのが「フィガロの結婚」だ。そこを頂点として彼の人気は落ち始め、順風満帆に見えたウィーンでの人生がどんどん翳っていく。なぜ彼が男盛り、働き盛りで急死したのか?11月20日まで指揮ができた35才の男が12月5日未明に絶命した。モーツァルト君、でも会社を辞めなければこんなことにならなかったかもしれないねとも。

彼は天才だが、映画アマデウスが描いたような「天衣無縫」の天才ではない。自分でこう書いている。

「長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです。」

いい言葉だ。僕はモーツァルトのこういうプラグマティックなところが好きだ。「天から楽想が舞い降りてくるんです」なんて言いそうなイメージを後世が創作したが大ウソだ。彼はそんな佐村河内みたいなことは言わない。要は「僕が成績がいいのはたくさん勉強したからですよ」と言ったのだ。実にストレートで小気味がいいではないか。

こういうことすべて、モーツァルトのあれこれが何でも好きになってしまった。これは一般のファンが天衣無縫の天才作曲家を神として愛で崇めるのとは一風異なる。僕にとって彼は会社を辞めた宮仕え完全失格のだめ男で、いわば自分と似た者同士なのだ。

同じ欠点がある、こんなに近しく感じる者がほかにあろうか。僕にとって彼が大作曲家であることは二義的な話であって、彼が靴屋だろうが染物屋だろうがよかった。ところがたまたま彼は作曲家だった。そしてその作品ときたら。

誰も信じてくれないだろうが、僕は彼の一部の曲に強い霊感を覚える。聴くという行為より、共振という方が近い。こんなことはほかでは一切ない。2005年12月にウィーンへ一人で行った時は、まさに驚愕の超常体験?をするに至った。もう他人と思えないのだ。

だからだろう、そういう魂の入っていないモーツァルト演奏は僕にとってはオルゴール未満の零点だ。表面だけ整っていて美音で隙なく固めたモーツァルト。dumb blonde(頭の空っぽな金髪美人)にほかならない。これはおいおい演奏を例にとってお示ししていこう。

半沢ストーリーの劣等生。そうかもしれないが、ものすごく愛すべき人間と思う。劣等だから判官びいきの僕に響く。ところが考えれば自分自身もそうなんだ。自愛にもなる。これも劣等性の広島カープもそうじゃないか。

猫も杓子ものモーツァルトや、女子と黒田で全国区のカープなんて好きじゃないかもしれない。自分もそうじゃないし。そうやってモーツァルトを愛し、彼の音楽を楽しんでる人は地球上にあんまりいないだろうなあと思いつつ本稿を閉じる。

 

(こちらへどうぞ)

「遊びのすすめ」(遊びは戦争のシミュレーション)

 モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503

 

 

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R・シュトラウス アルプス交響曲

2014 JUN 15 20:20:32 pm by 東 賢太郎

R・シュトラウスのアルプス交響曲は83年留学中にアンドレ・プレヴィン指揮フィラデルフィアO.で、次が97年スイス赴任中にハインツ・ワルベルグ指揮チューリッヒ・トーンハレO.を聴いた。後者は打楽器の横の座席で当時10歳の長女を連れて行ったが、目の前のウインドマシーンの風音とサンダーシート(雷の音を出す)のばりばりに驚いてしまった。スイスでの2年半を思い出す特別な曲である。

R・シュトラウスのオーケストラ曲は耳の美食である。とにかく空気が良く鳴るが、このゴージャスな贅沢さは広大な空間の「鳴り」だからどんな立派なオーディオ装置と部屋でも絶対にわからない。ベルリオーズ、R・コルサコフ、ラヴェルが古典的定義では「世界三大管弦楽法大家」だが、この3人の音楽の美質は装置さえ優秀なら家でも味わえるという性質のものだ。しかし、管、弦、打楽器という分別を忘れるほど音響がアマルガム(合金)と化して七変化を遂げる奇観、壮観という点で、シュトラウスの右に出るものはいない。

この「オケの存在を忘れる」という特徴は描写音楽に好適である。音が風景や画像を邪魔しないからである。映画「2001年宇宙の旅」に使われた「ツァラトゥストラかく語りき」。あのドーソードー(5度+4度)にある宇宙的盤石と長調短調が揺れ動く光と影。あれは宇宙というもの体感させる音楽(本来はそうではないが)としてぴったりであった。いわば大人向けディズニーアニメの劇伴音楽になろうと思えばなるのである。だからだろう、ハリウッドの作曲家に大きな影響を与えたと言われる。どうして彼がサンダーシートまで発明して管弦楽団に必要としたかはその衒いのない写実精神によるだろう。

アルプス交響曲はドイツ語でEine Alpensynfonieだが古典的定義の交響曲ではない。アルプス登山の一日を活写した大絵巻であり登山者の遭遇する景色や天候を、心象風景というよりもリアルに描写した観が強いという意味でベートーベンの田園交響曲よりもムソルグスキーの展覧会の絵に近い。しかし一方で、夜から夜に帰る連続的な時間の連鎖と、日の出-山頂にて-日没というピラミッド型の左右対称形という型式とを持っている点、景色の無秩序な羅列ではなく、ドビッシーが自作「海」を交響詩と位置付けた感じに近いように思う。決して銭湯の富士山のペンキ絵のような軽薄な音楽ではない。

R・シュトラウスは、強者をおとしめ弱者を救おうというキリスト教(畜群思想と呼ぶ)を否定した無神論者のニーチェに傾倒した。その思想は向上心を奪い本来の人間本性に背くからである。しかしその人間も自然の上に立つことはできない。「ツァラトゥストラ」でハ長調を「自然」、半音下のロ長調を「人間」と見立てているのがそれである。そしてさらに、このアルプス交響曲はそのさらに半音下の変ロ短調が開始と終止の登山家の立脚点になっている。

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このピアノ譜の右手は弱音器付の弦5部を10パートに分割した20の音から成るシ♭とシ♭の間の変ロ短調音階の全ての音が鳴る「トーンクラスター」となっている。そして全曲の頂点である「山頂にて」では、ツァラトゥストラと同じあの「自然」の象徴であるハ長調が世界を制圧したファンファーレを轟かせるのに当曲の思想性を見る。終結のヴァイオリンが上昇してラ♮、ドとシ♭を避けたまま不安定に終わる。畜群ではない人とはいえ、自然には太刀打ちがかなわないのである。シュトラウスは一見お気楽ディズニー風の風景画を装いつつ、「アンチ・キリスト」という重たい画題を封じ込めたのだと思う。

私事になるが先頃書いたようにチューリッヒに住んで顧客を毎週のようにスイスアルプスへお連れし、自宅からもその遠望を眺めるような環境に2年半もいるとこの曲はそれまでと親近感が変わってしまう。R・シュトラウスはスイスではなくミュンヘンの南、バイエルン州とスイスの境であるガルミッシュ・パルテンキルヘンからツークシュピッツェ山に登った印象を描いたのだが、書こうというその気持ちがよくわかるし「虹(幻影)」からカウベルの鳴る「山の牧場で」にかけては懐かしさに心が動くのを感じる。家族を連れてインターラーケンからグリンデルワルドへ登る道すがら、踏切を渡った右手の丘に雄大な放牧地がある。草の緑があまりに美しいので車を止めて娘たちを遊ばせた。乳牛がそこらじゅうにいた。

スイスに住んでいるとカウベルの音は慣れっこになるが、一頭ということはまずないからあちこちからカランカランと来る。「山の牧場で」では複数のベルが鳴る。楽器なのだから一つでいいようなものだがそれではカウベルに聞こえない。N響では左端の打楽器奏者と右のティンパニ奏者でステレオ効果を出していた。面白いのはカウベルはスコアにHeldengeläuteと指定されていることだ。直訳すると「(獣の)群れの鳴り物」でマーラーの7番のカウベルもHerdenglockenなのだが、いわゆる「群衆心理」はHerdengeistであり、前述の「畜群的人間」こそがHerdenmenschなるニーチェの造語なのである。僕はシュトラウスが嫌った畜群、つまり強者を妬み貶める群衆と牛をひっかけたような気がしてならない。

N響Cプロに移ろう。こう書いては失礼なのだが、アシュケナージとバレンボイムはすっかり指揮者になった。僕らの世代には彼らは若手ピアニストであったのだ。ところがだんだん20世紀のマエストロが亡くなっていって、彼らはもう巨匠指揮者の仲間入りしている。今回の座席はC14の左寄りだったがコンマスが伊藤 亮太郎だったせいなのだろうか、弦はいつもより粘度が高く良かったように思う。管もブレンドされ浮き出ることがなく、アシュケナージはピアノでは出せない音響の調合具合にこだわりがあるのかもしれないということは虹(幻影)の部分でかつてない高音部合奏の色彩を耳にしてそう思った。この曲はそういう方向性がよく活きるし、そういう音を練りだしたというのは指揮者の実力以外の何ものでもないだろう。

以下、僕の愛聴盤である。

ルドルフ・ケンペ/ ドレスデン国立管弦楽団

61LLIJysrCL__SL500_AA280_ この曲を初演し献呈されたのはこのDSKである。他のオケはもちろんDSKそのものも今やこういう音はせず、地球上から絶滅した東独産生物の化石のようなもの。R・シュトラウスということを度外視してもDSKの最高のフォームが記録されている世界文化遺産もののCDである。これを地味という人もいるがこの曲を派手に演奏すべきという考えはどこから出てくるのだろう?

ホルスト・シュタイン / バンベルグ交響楽団

655そういう人にはもっと地味に聴こえるはずだ。だがこのローカルな耳当たりと朴訥な味わいは地酒のようで何とも芳醇である。僕の知るアルプスの鄙びた風土にベルリン・フィルやシカゴシンフォニーの洗練はどうも似合わない気がする。ホルスト・シュタインのワーグナーの延長にある豪壮なオケのドライブ、しかし細かな部分の彫琢もおろそかになっていない。練達の指揮でないとこうはいかないと思う。

 

ゴルフの謎 (Thank you, but not for me.)

マーラー交響曲第6番イ短調(ついに聴く・読響定期)

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「バンクーバーの朝日」に感動(フェアであることの強さ)

2014 FEB 27 22:22:40 pm by 東 賢太郎

TVで戦前の日本人野球チーム「バンクーバー朝日軍」を知りました。

第2次大戦前の日系カナダ移民の話です。ある日、日系人に職を奪われて怒り狂ったカナダ人暴徒に襲われて被害を受け、それに反撃を加えたために暴動は国と国の憎しみあいにまで発展してしまいます。その後も徹底的に人種差別を受けた日系移民たちは、現地のスポーツ野球で白人を見返そうと立ち上がって野球チーム「朝日軍」を作ります。しかしカナダのナショナルリーグには入れてもらえず、何年かたってやっと一番下のインターナショナル・リーグでの参加を認められます。

徐々に力をつけた朝日軍は白人チームに勝ち始め、やがて連戦連勝の戦果を挙げるまでになります。するとカナダ人チームは徹底したラフプレーを仕掛けて汚い手段で勝に行きます。けが人が続出し試合は一触即発の事態となりました。それでも朝日軍を出場停止にしなかったのは「ジャップをやっつるカナダ軍」が興業として客寄せになるからでした。同じ目的で、今度は審判までもがカナダ軍に味方をして、明らかなえこひいきのジャッジでカナダを勝たせるようになります。

怒り心頭に発した朝日軍の選手たちは審判に体を張った抗議を試みます。それをなだめたのが朝日の監督でした。「みんな暴動を思い出せ。あの時に反撃して何が得られたんだ?判定がおかしくても抗議は一切するな。日本軍はフェアプレーに徹しよう、それをカナダ人にわからせよう。」と言ったのです。

ある日、6-3で朝日が勝っている試合の9回、満塁走者一掃のヒットでカナダは同点とし、打者走者がホームにつっこみました。誰が見てもアウトでしたがジャッジはセーフ。カナダの逆転勝ちとなりました。その時、怒った観衆たちがグラウンドになだれ込み審判に猛抗議しました。それはカナダ人の観衆だったのです。

こうしてまたフェアな野球ができるようになると朝日軍は再び強豪チームとして返り咲き、カナダリーグで堂々たる戦績を挙げてカナダ人ファンの称賛を大いに浴びることとなったのです。そして日米開戦。すべての日系移民は資産を没収されて収容所に送られます。朝日軍は解散となり、終戦後ももはや復活することはありませんでした。

それ以来この話は忘れられていましたが、カナダプロ野球機構が朝日軍を異例中の異例として「殿堂入り」させることを決定し、日の目を見ることになったそうです。サムライとして称えられたのです。それを知った当時の選手の方がWe received spotaneous standing ovation. It was unexpected and will stay in my memory for the rest of my life. とおっしゃっていたのが焼きつきました。

世界ではサムライというのは人殺しなどではなく「フェアな人」であり「どんなに苦しくても正しいと信じることを粛々と行える強い人」だという意味に理解され始めているのかもしれません。それこそ日本人だけが誇ることのできる強さです。朝日軍へのカナダの方々のご評価はこれからの「世界の中の日本」を考える中でとても示唆に富む話ではないかと思いました。

この話は「バンクーバー朝日」というタイトルで今年映画化されるそうです。見てみようと思います。

映画『バンクーバーの朝日』公式サイト

 

 

鳥取テルマエ・ロマエ

2013 SEP 4 22:22:03 pm by 東 賢太郎

先日、メンバーの中村兄がブログで77のスコアを出したというのがあった。自分のべスグロは75だがこれは15年前だから弱冠?43歳だった。まだ飛距離もあったし寄せなどの小技もさえわたっていて、あの頃の自分に戻れる気は到底しない。だから大変な偉業と思う。

一昨日、お客様のM社長に税理士のN先生と一緒にご招待されて鳥取で久々のゴルフとなった。朝6:40羽田発の全日空に乗ると8:56スタートでゆうゆうと鳥取でゴルフができてしまうのだからびっくりだ。先週買ったばかりのおニューのドライバーとアイアンは一度も振らずに宅急便で送った。なんともレイジーなゴルファーだ。鳥取カントリー倶楽部吉岡温泉コースは海を見おろす絶景の1番からスタートである。雨は上がっていて晴れ男ぶりを誇ったのもつかの間、やはり天気予報どおりにぱらついてきた。

そのうち5番あたりで雨足が強まり、7番あたりでバケツをひっくり返したような大雨になった。日本でこんな豪雨でゴルフをやるのは初めてであり、それでも雷の気配はないので結局18番までやった。もちろんゴルフ場貸し切り状態であり、スコアは堂々の103であった。ゴルフというのは天気や風のせいにしてはいけないのだ。最近、晴れていても平気で100行くことがありそれでも何の悔しさもなくなっていたが、この日は楽しかったがちょっと悔しくもあった。同輩のおかげと思おう。

今日も同じコースで10:00スタートの予定だったが、豪雨で緊急避難命令が3回もスマホを鳴らした。さすがにやめようということになり、昨日やった「勉強会」の続きになったからそれはそれでよかった。お昼は大変おいしい但馬牛のステーキをいただき、せっかくだから銭湯どう?とM社長に薦められ、社用車をお借りして先生と2人で行った。市内のど真ん中である。いやあ、銭湯なんて何年ぶりだろう。わくわくしながらのれんをくぐるとそこは昭和だった。いるのはおじいちゃんばかりだ。この真っ昼間から我々ごとき”若僧”の来る場じゃないんかなという目線もある。

入湯料350円、貸タオル20円、石鹸20円。この値段だってなんとも昭和の匂いがするではないか。番台のおばちゃんにシャンプーもある?といったら、これも20円だ。ちょうどあがってきたおじいちゃんが「半分残ってるよ」とくれた。銭湯といってもれっきとした温泉で、43度ぐらいの熱めの源泉がかけ流しの立派なものだ。10分ももたずに汗だくになってふーふー言ってあがった。ふと壁を見ると、麗々しく貼ってあるのは『テルマエ・ロマエ』のポスターだ。あの映画は飛行機の中でけっこう笑ったっけ。うん、このレトロな風景はあれにちょっと似合うかもしれない。そこに黒塗りのベンツで乗り付けた僕らもローマ人なみに浮いていたのだが。

 

アンタッチャブルのテーマ(1959)The Untouchables Theme 1959

2013 JUL 2 23:23:24 pm by 東 賢太郎

物心ついたかつかぬかの頃、この音楽に完全に憑りつかれていました。アメリカのTV映画「ザ・アンタッチャブル」のオープニングテーマです。放映時期を調べると僕は4-9歳だったのでベンチャーズより先です。たぶん初めて諳(そら)んじた西洋音楽だったと思います。I have been absolutely obsessed with this music  ever since I could remember. It is the opening theme of US  film ‘The Untouchables’ which has been televised in Japan while I was between 4 and 9 years old.  It is presumably the first western music which I memorized note by note.

いや、今聴いても血が騒ぎます。作曲はネルソン・リドル。舞台は1930年代のシカゴで、アル・カポネ率いるギャング団とエリオット・ネスらの血みどろの抗争のドラマです。たぶんこれと戦争映画コンバットで物心ついた影響でしょう、ゴッド・ファーザーも好きだし日本のヤクザ映画も大好きです。音楽ですが上と下でだいぶオーケストレーションが違います。上の方が音がいいのでのせましたが、僕が覚えたのは 下の方でした。この悪党顔の面々をご覧ください。面構えにいかにこの音楽がマッチしているか!This music, written by  Nelson Riddle, still gets me excited even now. This story of battle between Al Capone’s mafia and Eliot Ness’s  special agent team,  as well as a war movie Combat, might have built my taste for gang movies such as The Godfather or Yakuzas. Interestingly the same music is differently scored from above to below. I chose above only for its better sound quality but what I remembered then is below. Look at these villainous faces and listen how this music matches them!

主部のバックで半音ずつ不気味に上下する不協和音、ホルンの合いの手、 中間部(サビ)のコード進行(特に3度目に半音下がるところ)がたまらなく大好きで小学校の登下校時はいつも歩きながらこれを歌っていました。すぐ終わってしまうので何十回も。          I had a special affection for dissonances caused by haunted accompanyment sliding on chromatic scale, catchy horn bridges and the striking chord progression at the middle section.  Everyday I walked to my elementary school and back with loudly singing this tune hundred times as each is too short.

こういう変な子供もあまりいなかったろうと思いきや、you tubeでこんなものを見つけ狂喜いたしました。I have thought for ages that I was a quite unusual kid but the video below I found in you-tube gave me a great joy.

オルガンでこれを弾いてしまっているこのおじさん、彼も若い頃この曲を歌って歩いていたに違いない!これのピアノ譜、是非入手しておじさんと連弾したいものです。それにしてもオルガンの音色まで必死にいじったりして涙ぐましい没入ぶり。気持ちわかります。ネットというものはこういう超マニアックな人と人のつながりを生み出す可能性があることが学べました。This old man, playing it with the organ, might have sung this tune while walking in his youth like me!  I wish to play its four handed piano score with him. His affection to this score is unmistakable if one sees not only his motive to record and show his playing publicly but also his devotion to control  subtle tone colors. I recognized a great potential of internet which may connect people worldwide even with such a maniac linkage.

アー世の中俺だけじゃなかった・・・ちょっと安心です。 I was not alone. It was a console for me.

 

クラシック徒然草-僕は和声フェチである-

Thundercat 「Drunk」の衝撃!

 

アメリカに勝った国

2013 MAY 27 21:21:35 pm by 東 賢太郎

 

ベトナムはアメリカと戦争して勝った唯一の国です。

 

oM11aYz7_P5RmqhUl6iRleuTHSXb5kf65AUg7X8qtmLHARLEi70Zyn7-lQTKA_0GeKxqLfTMrrsKRZN0lEkIl6FoVnrMue3pou6IpT4m0LHQc59BXauPYnKHhA71fuXiJP-3iCA73uWoDbMQDXjs9k0oZ0行くたびに不思議なのは、どうしてこんなに大人しくでやさしげな人たちがそんなことができたのかということです。女性はしっかり者でよく働きそうですが、男性はというと、駐車上のバイクを見張るだけの人、デパートのドアの開け閉めだけで一日を送る人もいる。しかしです。そうして働く彼らの表情があまりに自然で板についているので、別に彼らがなまけものというのではなく、こっちの世界観がおかしいのかなと一瞬思ってしまうほどです。これで食えるんだからいいじゃないか、キミはなんでそんなにあくせく働くの、人生もったいなくないの?ドアボーイの笑顔には、そう書いてある感じすらします。

僕の知っているアメリカ軍のイメージは、子供の頃に熱中して見ていた「コンバット」というTV映画のイメージです。同世代の多くの方はこのテーマ曲とナレーションをご記憶ではないでしょうか。

TBSが1962年から水曜日午後8時に放映していたようです。とすると僕は7歳から見ていたわけです。 強烈な刷り込みでした。ヴィック・モロー扮するサンダース軍曹が勇気があって男くさくて人情派で、僕ら男の子の憧れの的でしたね。戦場シーンもドキドキして大好きでした。ただ一つだけ不満があって、サンダースの部隊は下っ端まで名前がわかるのに、とても強い敵方のドイツ兵は将校でもわからない。同じ頃にやはり熱中していた伊賀の影丸は敵方忍者も全員わかるのにこれは不公平だ、片手落ちだと思っていました。

パックス・アメリカーナの米国映画では敵はみんなエイリアンです。無国籍で無個性。いや、そうでなくてはならない。インディアンはインド人でないとわかっても、ずっとインディアンなのです。正義とはなにかとハーバードのサンデルが問いかけようが何しようが、米国人の正義とは米国が強くて正しくて勝つこと。それだけです。ドイツのカール・シュミット伍長が実はめちゃくちゃいい奴で、瀕死の米兵のペンダントを彼の母親に送ってやったなんていう美談は絶対にあってはいけないのです。そうとは知らなかった僕は、ドイツ人というのはみんな仮面のように無表情で人殺ししか頭にない極悪人だと長いこと思いこんでいました。

そうではないと知る年齢になって、その反動でしょう、今度はこのアメリカ人の単細胞さ、強くてでっかいものが好きという能天気を心からバカにするようになっていました。のめりこんだクラシック音楽の世界でも、プロ・ドイツ、中欧の東大美学系大御所である大木正興氏らの影響を強く受け、米国の指揮者やオーケストラは軽薄浮標で奴らのやるベートーベンなど笑止であると長年思い込んでいました。その振れ過ぎた振り子が適度な位置に戻ったのはその米国に留学してからです。あの単純さは、ある意味希少な美徳でもあり、いざシンクロするととてつもない威力を発揮することを知ったのです。

その威力が武力、破壊力によって発揮され我が国は降伏を強いられましたが、シンクロを妨げる巧妙な戦略によって発揮されないままベトナムは米軍撤退という勝利を得ました。自然界では必ずしも「強くてでっかいもの」ばかりが生き残ってきたわけではありません。巨大な恐竜に食われ、その姿に脅えて生きていた哺乳類がいま地球を席巻しています。そう考えていると、ふと、ドアボーイの笑顔がちらつきました。

 

ベトナム戦争という歴史について思う

 

クラシック徒然草-永遠のマリアカラス-

2013 JAN 19 21:21:14 pm by 東 賢太郎

たまたまです。今TVで見ました。カラスと同い年だったゲイのフランコ・ゼフィレッリ。彼のメットのボエーム。カラスのカルメン。ビゼーってどんな奴だったのか。

私は、あの声の裏に隠れた人物が本当はどんな人間であったかを、あれほどの美しさを我々に与えるために彼女がどれだけの代償を払ったのかをいまの人々に知ってほしかった。彼女は天才だった。20世紀最高の歌を持っていた。でもなぜ?何が彼女を特別な存在にしたのか?私は、この映画を通して、マリア・カラスをマリア・カラスたらしめているものを探求したかったのだ
———フランコ・ゼフィレッリ(監督)

アメリカには季節は2つしかない

2012 NOV 4 20:20:20 pm by 東 賢太郎

昔、アメリカ人の野球ファンに聞いた話です。

 

日本には季節が4つある。春、夏、秋、冬。

シンガポールには3つ。Hot、Hotter、Hottest

アメリカは2つしかない。野球があるとき、ないとき。

 

ついに日本に「ないとき」が来てしまった。今日が一年で一番つまらない。人生で大切なものをとりあげられたような気分です。野球に関する限り僕はアメリカ人なみ(以上?)にアメリカンで、じいちゃんも慶応でやっていてDNAとしか説明がつきません。長いことヨーロッパで「ないとき」だった反動かもしれませんが・・・。

現SMCメンバーにそういうキチガイはおられないようですが、ふつうの野球ファンと何が違うか一言で申し上げると「見るなら野球だけ」ということです。「やる」のは別です。ゴルフは下手ではありません。でも見ません。01年全英オープンや89年ウインブルドンのファイナルを特等席で見せてもらいましたが退屈で早く終わらんかなと思っていました。まさしく豚に真珠でしたが見るだけなら僕は多摩川の河原で草野球見た方が楽しいのです。こういう人間は孤独です。

日本の野球場に来ている観衆が野球キチガイかというと99%はちがうでしょう。オリンピックで日の丸をふって応援する人と同じです。競技の細かいことは何でもいいし勝てばいい。僕もカープ戦のときはちょっとそれかもしれません。廣瀬にホームランが出て前の席のユニフォーム着た男の子がハイタッチしてくれると嬉しかったし。でも彼らの輪に入ってメガホンふって立ったり座ったりはしません。やはり見ているのは野球なので。

津坂さんがシネマ・ベスト3にあげられている「Field of dreams」は僕のような人間があの国にはたくさんいる、孤独じゃないんだと勇気づけられる映画でした。

その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。  

この映画を作った人たちの野球というスポーツへの深い愛情、理解、敬意。それを共有した選手たちへの愛情、理解、敬意。それと同じものがメジャーにいる日本人選手にも注がれているのを見るにつけ、アメリカ人のフェアネス精神に敬意を表します。それが誰か、男か女か、何国人かなどに関わらず、いいものはいい、悪いものは悪いとジャッジする。「空気読む」ではなく、「長いものにまかれる」でもなく、友達が、親が、先生が、マスコミがどう言ったかでもなく、自分の頭で判断する。そして思うだけでなくそれを堂々と意思表示する。反対意見も許容する。フェアネス精神というのはそういう土壌があってこそ生まれる「文明」です。動物界には存在しない人間の英知です。子供にそういう頭をつくってやることこそ教育なのではないでしょうか。

アメリカも長年の黒人差別というダーティな歴史を経てついに肌が白くない大統領を持つ国になりました。そのアメリカだって政治や実業がフェアに行われているとは思いませんし、そのはずもありません。みなそれがわかっているからこそ、スポーツというある意味で純粋培養の世界を作って自分たちの「心の美しい部分」を確認し合っている。スポーツマンシップというのはその素材であり基軸です。そういう大人のバランス感覚がスポーツを支えているのだと思います。

僕は16年かけて40か国ほど訪問しました。日本を入れて6か国に住みました。誤解を恐れずズバリ言います。フェアネス精神という文明を感じた国は2つしかありません。アメリカとイギリスだけです。日本はもちろんドイツ、スイス、香港に素晴らしい方々はたくさんおられ、素晴らしい出会いをたくさんいただきました。しかし社会という広範なレベルで言えば僕はどうしてもそういう結論になります。民主主義と呼ばれるものに結実するイデオロギーはフランスに発しましたがこの2つの国で発展しました。それはフェアネス精神という文明を生む土壌があったことと無縁とは思いません。

たかがスポーツと思われるでしょうか。素行の問題はあったとはいえ歴史に残る大横綱でもあった朝青龍をああいう形ですげなく追い出してしまった日本相撲協会。同じく清原を追い出した巨人軍。スポーツが大事なのか組織が大事なのか?型破りの天才児を管理できない無能力のほうが社会的にはるかに問題、損失だと思うのですが。相撲、野球というスポーツへの愛情、理解、敬意においては横綱審議会や読売の社主なんかより朝青龍、清原のほうがはるかに上でしょう。反対に組織のために貢献すればスポーツマンとして万死に値する「死球なりすまし事件」を起こしても不問に付してしまう。それをフェアネス精神という眼から問題だと判断し糾弾しない社会に僕はいささかの「文明」も感じません。

まったく同じ意味で、明治維新があり敗戦を経たから日本が民主主義国家だなどと一概に言えるとも思いません。毛沢東が統治の道具として持ち出した共産主義と大して変わりはないように思う場面があまりに多いからです。日本は民主主義に関しては発展途上国です。民主党に託してみたらだめだったという人が増えていますが問題の所在はそこではないと思います。同じようなレベルの政治家の間で首のすげ替えを何度やっても学習にならないばかりか、学習しているうちに国がなくなるかもしれないということを、まず有権者こそが学ばねばならないと思います。

日本で野球キチガイであることは本当に孤独です。

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