人間のプライドについて(パクリ事件に学ぶ)
2015 SEP 6 13:13:28 pm by 東 賢太郎
芸術、アートの世界の模倣というのは昔からあります。J.S.バッハはヴィヴァルディを編曲して自作に用いたし、モーツァルトはC.バッハのピアノ協奏曲のスタイルをパクっています。録音されてあまねく知れわたる世でなかったし、著作権もない時代です。モーツァルトのレクイエムは田舎の貴族が「俺の曲だ」と自慢するために注文されました。ばれた所でお咎めがあるわけでもないのにこの貴族のようなエセ作曲家が横行しなかったのは、少なくとも本物の芸術家として後世に名を残した人はプライドを賭けた仕事をしたからでしょう。
人間、プライドは大事です。法律というものは社会規範であって、自分がどう思おうが順守しなくてはなりません。しかし、法律には書いてないが自己判断でどうすべきかという事柄が世の中にはたくさんあります。たとえば電車で老人に席を譲るかどうか。拾った百円玉を届けるかどうか。クラスのいじめられっ子と仲良くするかどうか。道に迷っている外人に声をかけてあげるかどうか。皆さん、いかがですか。
誰しもまず自分が可愛く、安全でいたい。それは生存本能だから自然なことです。動物園で自分の目の前に投げ込まれたエサを仲間に譲ってあげるサルはいません。母親だって自分が餓死してまで子を守ろうとはしません。利己的なのです。いや、我々はサルじゃないと思われるでしょうがそうではない。そうじゃないから宗教や道徳や修身というものがあるのです。利己主義はいけないと教えるのは、本来、人間は利己的なものであり、それを幾ばくかは修正しないと社会が円滑に回らないという智慧からです。
宗教家でも格別の道徳家でもない人に、困った人は助けなさい、他人や社会の為に良いことをしようと教えても社会的には限界があると思うのです。日本国は落とした財布がそのまま戻ってくる唯一の国と言われます。誇張はあるにせよたしかにそういうことがあったのかもしれないが、70億人のうち69億人がしていないことが永遠に行われるほど日本は世界で孤立していませんし、そうできるほど日本が経済的に余裕のある安全な国であり続ける保証もどこにもありません。
だから、人を助けたい、社会に良いことをしたいと思う気持の原動力は、結局は自分を大事にしたい心である、他己主義に転換するわけではなく利己主義なんだとあっさりと認めればそうする人がもっと増えるのではないかと思います。僕はそういう場面にであったとき、「そうしない自分でいいのか?それで自分のプライドは満足なのか?」と自問します。プライドを持って生きてる自分が好きであり、それだけは譲れないぞ、という意味では利己主義なのです。
それは自分で思いついたわけではなく、英国に6年住んでいてゴルフという遊びを覚えて、教わったことです。ゴルフはプライドで成り立っていると思ったのです。ボールが林に入ってしまって、悪いライで打とうとしたらボールが1センチ動いたとしましょう。周囲を見渡すと誰も見ていない。その1打を申告しなくても誰もわからない。こういうシチュエーションでどうするかです。ゴルファーなら誰しも一度は経験させられる場面でしょう。
英国で実際あったケースですが、ある名門クラブで同伴競技者に「球が動いたのに申告しなかった」と通告され、球は動いていない、名誉棄損だとして通告者を訴訟する事件がありました。ゴルフというゲームは正直申告しないと社会的にも名誉や信用を失うスポーツだということです。スコアをごまかしても法律違反ではない。しかしそんなことはプライドが許さない、沽券にかけてもできません、という人だけが集まってやる遊びということになっているのです。
ウソやごまかしはいけません、閻魔大王が見てますよ、と僕も母親に口酸っぱくいわれましたが、根っから無信心なものだから閻魔大王?いねえだろそんなのとつまらないことに反発してました。でもそういう母親が大王みたいもんで、そうやって自分を律して生きていかなくちゃいけない、そんなこともできない人間が成長はできないんだという気持になってきました。「スコアごまかすの?」「無理ですね」という。1センチならいいかと思った時分がありましたが、今なら1ミリでもだめです。それは自分で決める自分の考え方のルールであって、これを僕はプライドと思っています。
さて話は我が国のことです。昨今のコピペ、パクリ、模倣、捏造、偽造、なりすまし。これはいったい何なんでしょう?
「誰も見てなけりゃ何でもあり」。そういうことでしょう。林の中で空振りしようがチョロしようが、申告しない。バレなければいい。そういう精神構造の人が横行し始めているのが日本だということなのではないでしょうか?落した財布がそのまま戻ってくる?本当にそういう国なんでしょうか?
川崎市で神奈川県警のポスターを見て仰天しました。「見破れ!!オレオレ、電話でお金を要求する息子はサギ!?」とある。「暴力は犯罪」というポスターもあって、そう思ってない人がそんなに多いのかと驚いたのもつかの間です。「息子はサギ」までいくと、落とした財布をそのまま交番に持って行くのはオレオレにひっかかるお年寄りなのであってあと20年もすればみんないなくなって、日本は落とす前から財布を心配する国になると確信したものです。
その証拠に「誰も見てなけりゃ何でもありシリーズ」は去年から豊作でした。
第1話
僕は耳が聞こえません。そういう人、いたでしょ、ベートーベン。僕って、彼と一緒でね、部屋にこもるんです。そこで天から降りてくる音を楽譜に書きとってるんですよ。
第2話
論文はコピペでした。画像は捏造でした。だって、どうせ誰も見てないし気がつかないんですもん。みんなやってますし、いけないことって知りませんでした。
第3話
この海老、釣ったところなんか誰が見てるんだ?味がビミョウに違うけど素人なんかにわかるはずないだろ。いいんだよ、タイ産だけど「伊勢海老」って書いとけ。
第4話
誰に投票してもおんなじじゃないですか。高齢者問題は我が県のみならず日本人の問題じゃないですか。だから私は城崎温泉を106回も視察してるんです。106回もですよ、領収書はないけど。誰も見てなくったって、そんなに政治を一生懸命やってるんです。
ここにこれが加わろうとしています。
第5話
「おい、キミ、これ似すぎでないか?」「はあ、なるほど、これはまずいですね、やっちゃったな」「コンセプトで逃げられる?」「いえ、センセー、これはさすがにちょっと・・・」「まいったねえ」「どうでしょう、ひとつシューセーってことで整形して似てなくするっての」「原案はなかったことにって?」「まあそれしかないか、いまさら巻き戻せんもんな。僕は知らなかったってことにしとくよ」
密室のはかりごとも、ギョーカイの常識ごとも、誰も見てない、聞いてない。だから何でもありなんです。唯一ないのはプライドだけです。
バッハもモーツァルトも音楽界では田舎であったドイツに生まれました。そこでイタリア人や先輩の模倣、引用から入ってはいますが、それを見事に消化吸収して新たな自分の個性にしてます。他人と自分、異なるものが混じりあわずに対立して、どっちでもない新しいものに結実してゆく、そういうプロセスを弁証法的発展と呼びます。
モーツァルトが死ぬ1791年に「レクイエムを作ってくれ」と頼んだのはフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵というアマチュア音楽家で、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていた人物です。彼が弁証法的発展とは無縁の人物であったことだけは明白ですが、彼はちゃんと「匿名で」と依頼してるので、「パクリ」と言ってはいけません。「なりすまし」が正しい称号であり、第1話が近似した事例であるのです。
第5話がどう歴史に刻まれていくのか、それは今後の展開が決めていくことです。バッハやモーツァルトがヴァルゼック伯爵にならなかったのはもちろん才能の問題でありますが、何よりプライドがあったからでしょう。自分が世界一であり、唯一無二であると。芸術、アートというのは自己表現です。自分の顔だからオンリーワンなのであり、唯一無二だから人は価値を認めるのです。そこに他人の顔を出すというのは根源的にナンセンスであり、整形美人をほめそやすようなものである。
やった瞬間にそれは芸術、アートではない、その人は芸術家、アーティストではないという消しえぬ烙印を押されるのです。ヴァルゼック伯爵は、はからずも恥ずかしい形で歴史上の人物のはしくれにはなったが、それでもいいから有名になりたいという御仁がいるなら僕はもう言葉がない。その人が親に教わったプライド次第ということでしょう。
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ネット民をなめたエンブレム問題(全面改訂済み)
2015 SEP 4 2:02:20 am by 東 賢太郎
武藤事務総長の会見をそのまま書き出してみよう(カッコ内)。
1等と発表した佐野氏の原案が、「IOCの通常の手続き」(世界中の商標登録のチェック)にかけられた結果、「似たようなロゴがある」となり、「このままでは適当ではない、何らかの対処をすべきである」となった。そこで修正案を作ることにし、それを組織委員会がチェックし、さらに最終案にした。
これが発生した事実である(「似たようなロゴ」とはヤン・チヒョルト氏の作品であった)。まとめて書くと、
①似た作品がある
②このままでは適当ではない
③何か対処すべきである
という3つの重要な判断を組織委員会が行った。そこで委員会が行った行為は、
④修正案を作る
⑤それを組織委員会がチェック
⑥最終案ができた
だったと述べておられる。
復習しよう。現在、リネージュ劇場のロゴ のデザイナーが訴訟すると問題になり、取り下げが決定されたのは⑥の最終案である。佐野氏のほかの作品がパクリ疑惑を持たれたり、事務所の行為とはいえ一部はそうだったと自ら認めたために、その最終案もリネージュのパクリだったのではないかという世論が沸騰し、ネットが大炎上し、佐野氏と両委員会はその疑惑を否定しているというものである。
しかし、まずご注目いただきたいのは、原案に対して組織委員会が下した②このままでは適当ではないという判断である。組織委員会はこの時点で③何か対処すべきであると行動を迫られるほど「適当ではないもの」を原案に見つけたという重大な事実があるのである。
それは何だろうか。武藤氏はこう言っている。
「リエージュのロゴとはコンセプトも違うし、まあもちろん仔細に見れば似ている所もあるんですけれども、似てない所もたくさんあり、全く違うものであるということもお話しし、この点については、わたくしはご理解を得たという風に思っております。」
非常に不思議なのだが、組織委員会はなぜこれと同じ説明を原案にはしなかったのだろうか?どうして原案がアウトで最終案はセーフになると判断したのか?という疑問が出てくるだろう。
推理してみよう。
武藤氏は、
A. 「コンセプトが違い」
かつ
B. 「似てない所もたくさんある」
なら 「全く違うものである」
という判定根拠を述べている。最終案はAとBを同時に満たすからセーフなのだと。ということは、ロジックを反転させれば、原案はAまたはBを欠いている、もしくは、AもBも欠いている、のでアウトとせざるを得なかったということになる。
組織委員会はチェックの結果、原案にはヤン・チヒョルト氏の作品という①似た作品があるとしてBを欠いていることを自ら認めているのである。似てない所はあまりないということだ。
しかし、「似た作品がある」と言われても「似てない所もたくさんある」と強弁することは可能だ。「たくさん」は主観であるからであり、現に、リネージュの「模倣だ(似ている)」という訴求に対して武藤氏はそう言っている。
であれば、原案のケースでもそれで押しきることはできたのではないだろうか?たまたま似てしまうこと(他人の空似)はこの世界では日常茶飯事だ。しかしよく見てください、違うところだってたくさんあるでしょ、でよかったのではないか?
そうできなかった理由は、最終案において、「コンセプトが違えば別な作品と見るのだ」と懸命に説明していることでわかる。コンセプトが一緒、ということは「他人の空似」ではなく、蓋然性では説明不能、すなわち、故意のある模倣と判定されるからである。
そして、原案においては、「コンセプトが違うでしょ」とは言い切れない、つまり「チヒョルト氏の作品のパクリだ」と指摘されたら逃げようがないと判断した、だから②このままでは適当ではない③何か対処すべきであるという火急の判断に至ったのだと考えると筋道がきれいに通るのである。
つまり、両委員会は、佐野氏の原案はパクリである(少なくとも、そう指摘されたら有効に抗弁はできない)と認めていたということになる。
そうなるとさらに不思議なことがある。④修正案を作るという指示を組織委員会が佐野氏にしたことだ。
カンニングしたかもしれない(少なくとも、しただろうと指摘されたら守りきれない)と試験官が思った受験生に追試など受けさせるだろうか?このコンペは形ばかりで最初からコネで佐野氏ありきだったという指摘があるとも聞いたが、それはこの不思議を解くひとつの仮説にはなりえそうである。
僕の見方はこうだ。
「組織委員会は専門家ではない」と武藤氏は弁明している。だから専門家集団であると思われる選定委員会に従った。そしてその判断を裏書きしたらババをつかんでしまった。
そこまでは、お役所仕事によくある話だ。
そこで事前チェックに不備がありましたと国民にお詫びして選考委員長の首を切り、佐野氏の1位を速やかに取り消して審査のやり直しを粛々とやれば、佐野氏の境遇は変わらなかったかもしれないが組織委員会がこんなに叩かれ、国家の不手際を世界に晒すことはまずなかった。
明記しよう。佐野氏は「原案」で1等賞を取ったのであって、我々が目にしている修正案(最終案)によってではない。選定委員は原案に投票した。そうしたら実は他人のそっくりさんだった。まずいので「キミ、すこし直して」と指示し、パクリとは言われようのない違うコンセプトの作品に仕上げた。だから、「コンセプトが違えばパクリでないのだ」と選定委員は主張しているのだ。
ということはどういうことか?原案とチヒョルト作品は同じコンセプトなのだ。最終案はチヒョルト作品とは違うコンセプトに生まれ変わったのだ。ということは最終案は原案ともコンセプトが違うはずである。つまり、佐野氏は「別な作品」(第2作)を新たに作ったのであり、それがまたまた偶然に1等を取ってしまったということになるのである。
ところがそれならば問題が2つある。その1。このコンテストの審査はブラインド(作者名を伏せて)行われたとされる。ところが佐野氏の第2作は審査委員が作者名を知っている状態で選んだということになるのである。これは他の100余名の応募者に不公平な手続きであり、機会不均等な審査を行った手続き論の瑕疵が問題にされるべきである。
その2。⑤それを組織委員会がチェックしたと武藤氏は言っているが、このチェックは、「IOCの通常の手続き」(世界中の商標登録のチェック)のことだ。ところが今度はリネージュ劇場のロゴ のデザイナーにパクリだと訴えられてしまった。そんな杜撰なチェックなどやってないに等しいのであって、⑤の責任者は世が世なら即刻打ち首である。こういう問題が起きた時、証券会社なら真っ先にコンプライアンス担当役員の首が飛ぶのであるが、そんなのは下賤の民間の話でお上ではお目こぼしになるのだろうか。
「1位と2位は大差があったんです」と武藤氏は言うが、そんな問題ではないのは自明のことだ。彼の頭は大丈夫なんだろうか?驚くべきことに作品の出来ばえとコンプライアンスリスクを完全に混同しており、トップがその程度の意識だからこういう惨事がおきるのだということを露呈してしまっている。選考委員を任命した者の責任も大いにあるということだ。
選ぶ前に商標登録のチェックを行うことは普通しないとも言っている。誰がそんなことを決めたのか?普通がどうかはしらないが、それがこの事件の発端となったのだから手落ち以外の何ものでもない。それを認めたくないので修正させたのだろうか。それならそれで、リスクを回避しようと修正をしたら今度は別な作品に「似ている所もあるんですけれども・・・」という代物ができてしまいさらに墓穴を掘ってしまったという、日本国として世界に恥ずかしい間抜けな事例ということだ。
ネットの誹謗中傷に耐えられないという佐野氏もご家族もとんだ災難だが、いくらアーティストとはいえこの人はコンプラ意識もワキも甘すぎで、グローバルなビジネス常識もセンスも大きく欠落していると思われる。ネットに何かを発信するということは、有益なこともたくさんあるが、常にリスクにさらされもする。いまどき、それを知りませんでしたはないだろう。サファリパークにはライオンがいるのだ。自分で車から降りてライオンに襲われたからといって、ライオンを批判してもあまり同情はされないだろう。
今の世の中、ネット民の検索力、ネットの集合知のパワーをなめてはいけない。STAP論文のコピペ問題で天下に知れわたったことだ。パクリはすべからく、すぐバレるのである。ネット上の私刑だなんだと被害者ぶって騒いだところで憲法の保障する言論の自由である。いやなら中国みたいに国がGoogleを締め出せばいい。それができないなら、ライオンは否が応でも生息する時代になったという前提で生きるしかない。
「天網恢恢疎にして漏らさず」は改めた方がいい。「密にして漏れえず」なのである。
日本の公官庁、役人、政治家のITリテラシーは、はっきり言うが堂々の世界最低レベルである。英語ができないことと高い相関性があり、GDP100位以下の後進国なみだ。従ってITを駆使した事象のリスク耐性もかように極めて低い。それどころか、危機を想定すらしていなかったというお粗末さは福島原発における東電と同じ責任があると言える。こういう問題で政治家だってライオンに食い殺されるリスクは常にあるという事実を指摘しておきたい。
それを見て「自由な発想がしにくくなる」だなど言うアート界の方も見当違いが甚だしい。先人の作品を乗り越えるところにのみアートの発展は在る。ネット社会という新しい環境になれば、その環境を所与の条件として発展は続く。それに乗れない人は、単にアーティストとして脱落者になって消えていくだけのことである。
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五輪エンブレム撤回について
2015 SEP 3 1:01:07 am by 東 賢太郎
この問題の論点はデザインが盗用だったか否かではない。似ている似ていない、まねしたしていないは、はなからどうでもいいのである。リネージュのロゴのデザイナーの訴えが正当かどうかは必要なら民事裁判で争えばいい。しかし仮に勝訴しても、事は終わりではない。
まずかったのは、こういう問題が起きたことそのことにある。
撤回は東京五輪のブランドイメージを下げる。実費の損失額ではとどまらない無形の損失を国家に与えたといえる。8人のエンブレム審査委員会がこういうリスクを想定し、調査をしていなかったことの過失こそ重大である。
盗作訴訟される可能性有無のチェックは民間企業なら当然のコンプラチェックであり、こんないい加減なことが起きれば担当責任者は即刻クビである。その任命責任も問われる。五輪という世界が注目する場でどう責任問題を処理するのかも日本国のブランドイメージに関わるだろう。
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ドラえもんはいるの?(安保問題のベーシックな解題)
2015 JUL 28 12:12:15 pm by 東 賢太郎
いまや世界を席巻する米国の人気歌手であるテイラー・スイフトは子どものころいじめにあっていて、
「いじめという逆境に負けず頑張れたし、試練にもなった。私が世界に負けないよう強くなれたのも彼女達のおかげだと思う」
とコメントしているそうです。これはいじめに耐えている子供に力となるかもしれないメッセージであると同時に、この問題が万国共通なものであり、日本人だけでなく人間の悲しい本性に根差したものかもしれないと考えさせられてしまうコメントでもあります。
ところで僕はアニメ・ドラえもんが好きなのですが、ドラえもんの人気といじめは深い関係があると思っています。なるほどと思える夢の道具の楽しさ、そこが人気の「表」の部分とするならば「裏」にあたるのは「子供社会のヒエラルキーの力学」であって、いじめられっ子である「のび太」が窮地に陥った緊張の一瞬に現れる小道具だからこそ「すばらしい!」と思わせるのです。
これは古くはおとぎ話から西部劇やスーパーマンに至る「窮地の救世主物語」と見ることができましょう。救世主が求められるのは万国共通なのです。ドラえもんがポケットから取り出してきてジャイアンをやっつける道具がピストルや凶器ではなく、ほほえましいが未来を予見もしていて、大人の僕らは「表」のほうについ気をとられるのですが、世界37か国で放映され人気になったのは大人ではなく子どもが「ドラえもん欲しい!」と共感した、つまり「子供社会のヒエラルキーの力学」のほうもグローバルだという根っこがあるからではないでしょうか。
それはとりもなおさず、いじめは世界中にあるということです。テイラー・スイフトみたいに3代にわたる銀行総裁の家系のお嬢さんでも(あるいはそれゆえに)、それに鍛えられて強くなってしまうほどいじめられた。そこに法律もパワハラも出番はないし、大人や先生は必ずしも気がつかないし、腕力で闘う力がないいじめられっ子は自衛し、自力救済するしかないのです。ドラえもんはキティちゃんのようなかわいいキャラクターとしてではなく、実在感と願望をもって愛されているのだと思います。
さらに日本人について見れば、精神構造のなかに「憎まれっ子世にはばかる」はある程度しかたないという刷りこみだってあるのかもしれません。だから大人が先生が、あるときは警察ですらが子供の悲痛なサインを見逃がしてしまう。大津や川崎の事件もそういうことがあったようだし最近も岩手で中2のお子さんの自殺という傷ましい事件が起きましたが、サインは出ていたとのことです。学校や先生に抑止力はなかったのか、仕方ないという意識が少しでもなかったか、大変やるせなく思います。
さて、このことをさらに国のレベルで敷衍して考えるべきなのが安保法案ではないかと僕は思念しているところです。残念ながら最後の大戦で敗戦国となり、完膚なきまでに打ちのめされて非武装化されてしまった我が国が「のび太」であることは認めざるを得ません。
では日本国にドラえもんはいるのだろうか?
この質問に答えるには歴史をふりかえらないといけません。1945年2月、日本が無条件降伏をする半年も前に戦後の戦利品のぶんどり合いの素案が米英ソによる密談で合意されました。その場所が今を時めくクリミア半島のヤルタ近郊であったのもきな臭いのですが、この通称「ヤルタ会談」によってソ連は対日参戦を秘密裏に決め、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州を攻撃、千島列島等を占領して今に至るのです。宣戦布告は日本大使館から本土に向けての電話回線が全て切断されていたため、完全な奇襲攻撃となったのであります。
1951年のサンフランシスコ講和条約とは本質的に戦勝国である連合国の戦利品ぶんどり合いの最終取り決めであって、日本国はそれによって主権復活を認められはしたわけですが連合国と対等の立場で調印したわけではぜんぜんなく、日本語版すらない契約書に「これでいいな」とめくら判を押させられたのが実態にすぎません。戦利品に交渉権などあるはずがないのであり、それが戦争というものであり、日本はこうなる予定であったのです。
ドイツはもちろんこうなったし、戦利品ではなかった朝鮮半島やベトナムすらこうなった。しかし本命の日本はならなかった。元寇のカミカゼ以上の僥倖があったと考えざるを得ません。理由は諸説ありますが、ヤルタ会談が撒いたもう一つの種である東西冷戦の米国から見た防波堤として、たまたま日本列島が地理的に重要な位置にあったというのが幸運だったということでしょう。講和条約で日本を完全非武装化した米国が有事のドラえもん役を買ってくれた。同じく51年に調印された日米安保条約をシンプルに理解するならそういうことです。
非武装化は日本国に主権を復活させることとあたかも見返りのようになされましたが、独立主権国家でありながら他国軍に武力を依存し内地で基地を提供する国など世界史上ひとつもありません。古代ローマに属州というものがあり、第1次ポエニ戦争の戦利品だったシチリアがそうですが、被支配地として税をむしりとられますが兵役義務はなくローマ市民兵が守ってくれた。軍備と外交が剥奪された自作農に限りなく近い奴隷であり、帝国主義時代の植民地もこれに近い。日本は米国の属州であり、軍備に関する限り敗戦国フォーメーションを引きずったままであり、第2次ポエニ戦争で負けたカルタゴの状態に非常に近い。
ローマ帝国が地中海に平和を提供し、貢献すればローマ市民権をもらえるインセンティブも用意する。それがパックス・ロマーナという体制ですが、20世紀後半の西側世界はパックス・アメリカーナであったわけです。ローマの世界統治がゲルマンなど辺境のまつろわない民族の台頭で崩れたのと同様、パックス・アメリカーナは米国システム化できる国がもうなくなり、金融という収奪システムが変調をきたし、中国が最大のまつろわない辺境となったという3つの理由で崩れ始めています。
安倍政権はその米国の意向で誕生し、その意向通りに進もうとしています。それは普天間だけではなくTPPだけでもなく、もっと大きな意向でありましょう。僕がミクロネシアで見てきた米国のスタンス(それはそのブログに書きました)はかなり日本列島にも当てはまるのであって、もうドラえもんはいなくなるよ、属州なんだからもっと貢献しろということでしょう。税の収奪(経済貢献)もなく平和が70年も与えられたのは、これは僕の想像ですが、米国に何らかの原罪意識があったかもしれない。例えばソ連は批判されなかった奇襲攻撃(真珠湾)を口実とした民間人の大量虐殺(東京大空襲、広島、長崎、沖縄)に対してです。広島にベースボールの球団ができたのも何らかのそういう配慮があったかもしれない。
つまり、パックス・アメリカーナは310万の英霊の命の重みとして何の引き換えもなく享受できてきたものであって、日米安保条約という「国際法の法的担保力」によって保持されてきたのではないかもしれません。そもそもソ連の日ソ中立条約の一方的破棄に国際司法にもとづいた何の制裁もないという前例があるわけです。ソ連はけしからん、だから北方領土は不法占拠であると叫んだところで救済はないのが戦後生まれの我々の見てきた現実です。世界統治のルールは大国が決めるのであり、国際法は大国同士が相手を縛るものであり、いじめられっ子を守ってあげるためにあるのではないと考えるしかないのです。
二国間条約に恒久平和への担保力があると信じるのは日本の未来にとって危険だと僕は思います。「近隣の国に攻められても勝手に戦争はするな。ローマ軍が守ってやる。」という実質的な非武装条約を飲まされたカルタゴが隣のヌミディアの国境侵害に反攻したところ、ローマの承諾のない軍事行動は条約違反だとして当のローマ軍に滅ぼされてしまった(第3次ポエニ戦争)。パックス・ロマーナの支配者側の精神構造はこうであったわけで、それが2千年の時を経たパックス・アメリカーナではもっとオトナになってるだろうと期待するのはコドモだけです。
非武装化、共産化阻止という事態に即して起草された日本国憲法は重要でしたが、朝鮮動乱の有事において自衛隊という制限つきの武装が行われることに米国はむしろ協力的であったし、現在の米国議会にはおそらく「薬が効きすぎた」という見解があって、日本に国連憲章の敵国条項を突き付けておける限り「普通の国」に近づけることへの危機感はもはや希薄でありましょう。
残念ながら、そうであるならば我が国はマッカーサーの当初の目論見以上に見事に「のび太」化してしまったのであり、のび太はのび太なりの幸せがあるのであって、それだけ求めて生きていきましょう、非武装のままおんぶにだっこで引っ張りましょうというのは戦略としての選択肢ではありましょう。しかし、コストを担って下さっている英霊に参拝もしないような輩がそれを主張するのは非常に違和感がある。それは日本人としての僕がそう感じるというよりも、16年外国人の中で暮らした経験から、自国を当たり前のように愛する世界の全ての国の国民にとってそれは異様なことであり、いずれ理解されなくなるリスクが高いと直感しているからです。
米国に引きずられて戦争に巻き込まれるかもしれないのはNATO諸国もカナダ、メキシコ、オーストラリア、韓国も同じです。そうするかどうかは自分で決められるのが主権国家なのであり、いやそうではあっても米国は信用できない、安保という特別な条約がある、大国の論理で日本を巻きこんで犠牲を強いるかもしれないというならまったくそのとおりでありましょうが、そんなに信用できない米国さんにドラえもんとして永遠に頑張ってもらいましょうというのは論理破綻でしかない。
憲法が政治権力を縛るために存在するのは自明ですが、憲法を改正できるのは国民なのであり、政治権力の行使者を選択できるのも国民なのであり、それを明記している法律こそが憲法なのです。憲法学者が反対したらいいとかだめだとか次元の低いマスコミ裁定をするのではなく、ギリシャだってしている、主権国家ですらないスコットランドやカタロニアですらしているように、満を持して憲法というプロセスにのっとって国民投票による民意を問えばいいのであって、それが主権国家としてするべき唯一のデュー・プロセスだと僕は思う。
それができないのは政治権力に国民の信頼がない、それでも国民は行政を誰かに付託するしかないという民主主義の機能不全があるからであって、国政選挙の定数不均衡に一方の国家権力の最終判定である最高裁違憲判決が出ても強制執行できない、すなわち三権分立の健全な機能の実態にすら国民は不信感を抱かざるを得ないという現実があるからです。安倍政権はやるべきことを強行したから失格するのではなく、国家的重大問題に対するデュー・プロセス・オブ・ロー(法に基づく適正手続の保障)の執行力欠如によって賢者の信を失うリスクの方が大きいことを肝に銘じた方がいい。
昭和のころは当たり前のようにあった「水はタダ」という概念がいつのまにか消えたように、平和もそうなるでしょう。キリスト教とイスラム教の戦いが中東だけで起きる時代ではなくテロはますます国際化し日本列島が無縁のままいられることはまずないでしょう。憲法9条があるから日本人を殺してはいけないなどという国際法も条約も抑止力も、そんなものは世界のどこにも無い。世界を支配するのは人間の悲しい本性以外の何ものでもないのです。
ケンカは弱いが金持ちの子で勉強はできる。それでほんとうにいじめられないか?親は心配して空手を習えという。
いや小学校の先生はケンカはいけないっていったから空手はやらないよ、今はもう大人だけどね。それにうちにはドラえもんがいるんだもん。
しかし、ドラえもんはのび太を無視してジャイアンと遊んだりしている。
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同じ阿呆なら借りなきゃ損損(伝ヘロドトス)
2015 JUL 14 12:12:47 pm by 東 賢太郎
船は輸送ではなく観光を目的とするようになった。いま我々が使用する神殿や住居等は2000年もすれば遺跡(アポミナリア)と呼ばれるようになり、この船の客人を楽しませるのだ。船は700名の旅客、300名の乗員(クルー)の合計1000名によって構成される。
旅客はほとんどが外国人、すなわち富裕なペルシャ人やローマ人である。船内では貨幣が通用せず、乗船時に購入した石貨が貨幣の代わりとなる(食券である)。石貨は名称を「ドラネコ」という。始めはワイン一杯が3ドラネコであったが、やがて船が人気化すると増発されてワインは100ドラネコになり、食券は石ころ同然だと苦情が殺到することになった。
しかし一方で、船に乗ると富裕な外国人にたくさん物を売れるということに気がつく者がでてきた。クルーは生活が安定する上に富裕にもなれる人気の職業となり若者の憧れの的となる。やがて300名の乗員枠は誰によるともなく撤廃されることになり、クルーの数は400、そして500と増加していったのである。
ある船でついにクルーが950名に達した時のことだった。乗客名簿を閲覧した船長が、客が50名しか乗っていないことに気がついたのだ。950名のクルーには高給とともに終身年金が支払われ、ワインは「無料飲み放題お楽しみタイムあり」というクルー特権まで与えられていることもわかった。船は大赤字であったのだ。
やがてさらなる悲劇が襲った。この船がクレタ島沖で難破したのである。ほとんど借金で建造した船である。債権者は決死の救済と救助を試み、沈没だけは免れた。そして事故調査委員会が難破原因をつきとめた。お楽しみタイムを知らなかった船長が損を取り返そうとワインを酒樽一本開けてしまい泥酔状態であったのだ。
タカ派の委員は即時債権回収を訴えたが、ないものはとれないことが発覚した。船を差し押さえても鉄くずの値段にしかならないこともわかった。散々議論激論が重ねられ、やがて委員会は結論を出した。クルー全員が酒に酔っていたのだからそれは古来の伝統文化であるとされ、おとがめなし。クルーは禁酒とする条件はついたものの、カネを返してもらうために船もう一隻分のカネを貸しますからこれで稼いで返してねとなった。
ところが・・・・
ここでやはり怒り狂った委員が石盤をたたき割ったと思われ、先の記述は途切れている。
この難破船の残骸とみられる遺構から「オイロ」と書かれた銅貨が出土したことは有名だろう。オイロは船の国籍にかかわらず使える「共通食券」として重宝され船内で使われていたことが判明している。難破した客船も収入がオイロで入るなら安心だろうと各国が金を貸していたのだが、実はクルーの飲み食いに消えていたわけだ。
オイロは使うのに便利だが借金にも便利だった。石ころになると心配されたドラネコでは到底できないような金額の借金がオイロならできた。なぜなら銅貨だから鋳造に限りがある。石ころを拾ってきて返済されることはない。しかしもっと大きな理由があった。オイロで借金できる船は「オイロ事業船組合」に所属していたからだ。
見過ごされていた大きな問題は、誰がカネを借りるかだ。借りるのは組合ではない、船だ。人気のない船の食券は、その船だけで通用するならば価値は暴落する。そうなれば乗船料も安くなって、安かろう悪かろうを認容する客は乗ってくるのだ。しかしオイロだと乗船料はそのままだ。客よりクルーが多い船は見捨てられ閑古鳥がないた。
しかし、債権者には幻想があった。船は難破したって、組合がなんとかするだろう。助けないならばそんな組合って一体何の意味がある?
船長たちは抜け目がなかった。ドラネコは廃止し、オイロで借金をしまくった。難破船のスーベニア・ショップで売られていたとされる土産品がオイロ建ての正札のついた質流れ品として他国の質屋の店頭にあふれかえっていたという。ヘロドトスはドラネコ復活派であったとされるが確かな資料は見つかっていない。なお、石盤Bの裏面には同時代の何者かによる落書きが彫られており、考古学者が著書にこう英訳している。
Too big to fail.
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「自分だけは特別」の効用と危険
2015 JUL 7 2:02:52 am by 東 賢太郎
著名人ゆえお名前は控えますが、日本を代表する某大経営者がカジノ好きで、どうしてですかとつまらないことをきいたことがあります。そしたら「闘争心を絶やさないためです」と含蓄のあるお答えをいただきました。
常に勝つと思っていないと、確率で負けるとわかっているルーレットなどできないのです。「自分だけは特別だ」と思えるかどうか、それが闘争心の根っこにあって、それは絶やさない努力がないと消えるのだそうです。質問はしてみるもんです。
先日、TVで広島カープの大瀬良投手が先輩の前田健太投手に「打たれる怖さから逃れる方法はありますか?」ときいたところ、「ない」と答えが返ってきて驚いたと見た友人が教えてくれました。自分だけは特別がないんですね、これは発見です。
おれはいい性格に生まれたなあと親に感謝しました。平均以下であるのにいつでも打たれないと思い込んでましたから。生態系の頂点に立つ彼らは人としては意外に普通でそれであれなんだから技術の方が普通じゃない、そういうバランスでしょうか。
両親はそこまで楽天的でも闘争心があるわけでもなくむしろない方で、どうしてこうなったのか。いま、仕事でそのことを噛みしめる日々ですが、野球とちがい自分がプロであるこの世界でこの性格はいたって都合よしです。
「打たれる」なんてのっけから考えることなし。その気になると方法はいくらでも出てくる。がんばった強気でなく性格だからちっとも疲れないし、失敗しても次は打たれないと思うのでダメージなしです。
弱点は時々闘争心をかき立てる勝負どころがやってこないと退屈することです。日々黙々と草を食べる羊型はだめです。羊は生活が安定して楽だとはライオンは考えないでしょうが、羊もライオンになりたくはないんだと気がついたのはつい最近です。
日本人の99%は羊型です。いったい何が楽しいんだろうと思うことがあります。積極的だやり手だと評判の人も会ってみるとほぼ羊ですが15年前会ったホリエモンはまだ無名経営者で、正直書きますが生意気な小僧だと思ってそれっきりになった。ただ羊じゃないなとは思いました。
ああいう人はアメリカや中国にはいますが日本では見ません。それで国は潰れてないからいいんですが、彼に日本が住みやすいかというとたぶんノーでしょう。パリーグみたいなもんで客も入るのに弱い相手から交流戦やめときましょうなんていわれちゃう。
ただでさえ多数の互助会が多数決で決めるのだから政治も変わりません。企業もいくら悪くても変わらずに瀬戸際まで行ってシャープみたいになる。自分も不幸になるのはわかってるのに誰も何もせず、事が起きると資本金を5億にするなど抜本的、革命的なことをする。それならもっと早く革命すればいいのに。
それで思い出しますが学生のころ麻雀で負けるとやめられなくなる。千円の沈みだしついてないんだからやめればいいのに徹マンして1万円負ける。まことに馬鹿ですが千円の重み云々じゃなく事の成り行きで感情が入るんです。ここまできたんだやるっきゃないだろ、です。
出世競争してるサラリーマンもいっしょ、やるっきゃない論理です。合理性は消し飛んで、自爆テロする犯人の最期の自己救済と僕は想像している一種のナルシスト的快感物質が出て恐怖が失せるのではないか。みんな苦労してるんだ、止められない、死ぬならみんな一緒だ怖くない。
日本が怖いのはその快感物質が国中支配して俺も死ぬからお前も死ねみたいに集団ナルシストになる、現に戦前の昭和史はその傾向がマスコミをドライブした。羊は自分の価値観や相場観で動かないから犬と羊飼いが3000年前から失業しないんです。
いまのギリシャは受難ですが試練でもある。歴史と遺跡だけで先進国の一員でいられるならメソポタミアだったイラクも苦労ないだろうとは考えないところに「自分だけは特別」の意識がある。これは実は冒頭の大経営者といっしょなんですね。
ただ彼はそれを闘争心の火だねとしてカジノで消えないように燃やす。ギリシャは昼寝する。そこですね。公共交通機関無料に釣られてしまうのは羊が多いということです。羊は相場観はないが「自分だけは特別」にはなり得る、これは日本は他山の石と思って観るべきではないでしょうか。
いまの国民を責めてもいけないでしょう。彼らは先祖が残した遺伝子と教育やプライドで生きてますから。性格や幼時に受ける教育など自分でどうしようもない。それが人生を決めるなら残酷なことです。
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借金は するなら大きく することだ(伝ヘロドトス)
2015 JUL 3 23:23:30 pm by 東 賢太郎
表題は古代ギリシャの石盤に刻まれたとされるヘロドトスのアポローグ(教訓)であるが、実際に見た者はいない。後世の大ぼら吹きによる真っ赤な嘘であるとする説が有力だが、その真偽はどちらでもよいだろう。なぜなら、あまりにそのとおりであるからだ。
それを例示する神話も記されているので以下に翻訳しておこう。石盤の放射性炭素年代測定によるとペルシャ戦争のころBC450年前後と推定されている。神様の名前、地名、風俗等は現代日本風に変えて理解の一助としたことをお断りしておく。
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奥州(おうしゅう)市が威信をかけて創立した学問の府である「養老学院」(YouRo Institute)は当初から難題をかかえていた。設立資金を多めに拠出したのは実力市議の土井常子(どいつねこ)女史である。しかし経済力にものをいわせる頑固者で新興派閥の土井ツネ派には反感をいだく市議が多く、養老学院の運営は求心力を欠いていたのだ。
そこで土井が目をつけたのが暮田(くれた)家である。隣国との領海に位置する孤島である暮田島にその名を残すなど往時は権勢を誇り、奥州市の祖とも慕われる名家だ。現在は没落の危機にこそ瀕しているものの、その威光が学院の精神的支柱としてワークすることが期待されたのである。
暮田家には一人娘があった。親譲りの浪費癖があり、ゲーセンに入り浸ってグレてしまったこの娘は街の人々によってひそかに「グレ子」とあだ名されていた。それにもかかわらず、市議と有力者の子弟を集め奥州の威信をかけた養老学院は、その名誉と信用の確立のために暮田グレ子の入学をどうしても必要としていたのである。
正規の入試はAO入試で代用され、英数国理社は免除される代わりにゲーセンの「UFOキャッチャー」の一芸が評価されたようだ。グレ子入学のニュースは学院理事一同がかつて一度だけ手を取り合って歓喜した希少なものとして長く記憶されることとなった。裏口入学ではないことを示さんとばかりに、法外ともいえる額の奨学金支給が学院理事会によりザルのように承認された。
名家の血筋でなんでも許されると自認するグレ子が「学院生」の肩書きを持ったことは学院周辺の飲食店から六本木のホストクラブに至るまで、すべての消費と遊興をツケで済ませることを意味していた。彼女の触れた物は金にかわるのだ。奥州市の誰もが返済を疑わずにツケに応じ、つまりは彼女の借金証文を受け入れた。
グレ子の卒業論文「コピー&ペーストの効用と哲学的有意性について」は大半が盗用とコピペであると指摘されながらも学院理事会をパスすることとなった。晴れて卒業となったのだ。
そして、ついにこの問題が発覚した。
「卒業払いの奨学金は貸与であり返済すべし」なる理事会の請求に対し、暮田家は「もらったもの」として返済を拒否する内容証明を送りつけたのだ。
強気には出たものの困ったのは土井ツネ派だ。「アンタに頼まれて大事な娘を貸してやったんや」「そなアホいうなら暮田島の2000年分の賃借料22兆円、耳そろえてはらわんかい!」と暮田にすごまれてビビってしまった。
「なんやて、娘の小遣い削れ?ええか、奨学金30兆円あんねんで。ウチかてドロボーちゃうんや、そんなことせーへんでも3000年猶予してくれたら返したるがな。ウチつぶしてもうたらアンタらも腹くくらなあかへんやろ?」
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怒った理事がしたことだろうか、石盤はここで真っ二つに割れており、残念ながら物語がこの先にどう展開したかは闇の中である。
このギリシャ神話が 「クレタの王 イドメネオ」 と関連があるのではとはしばしば指摘されることだが、いまだ解明されていない。
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IOTはネコを救うかもしれない
2015 JUN 27 2:02:44 am by 東 賢太郎
昨日は世界のCPUシェアの3割を持つ英国のI社N副社長とパーティーでだいぶ長いこと話しました。話題はIOT(モノのインターネット、Internet of Things )です。
IOTとはパソコン類以外のモノをインターネットに接続することですね。スマホは既にそれだしテレビ、デジカメ、DVDプレーヤなどデジタル情報家電はもちろん、家具や自動車など身の回りのあらゆるモノに埋め込まれたセンサーがインターネットに繋がり、相互で通信が可能になる技術や仕組み、状態のことです。
先日、家内はゴルフで不在。僕が出勤して家は留守になりました。電車に乗ってからです。まずい、居間のドアを閉め忘れた!居間にはノイが寝てましたが、起きて廊下に出るとセコムが・・・。時すでに遅しです。ネコの背丈なら大丈夫ではと思ったが甘く、ガンガン鳴ってしまったようで、かけつけていただいたセコムのかたにご迷惑をかけてしまいました。「原因はネコちゃんでした」とやさしく報告書を書き置いてくれて救われました。しかしかわいそうにそのネコちゃんは警報に驚いたうえに知らない人が入ってきてまた驚き、すっかりびびってしまいました。
こういう時、IOTは便利でしょう。経産省もこれに注目しているそうで、日本は一大市場になるだろうとのこと、副社長は毎月英国から来日しているそうです。良いことばかりでなく、ハッキングによる個人情報流出の危険がありますからセキュリティ対応が肝要とのことでした
ネット社会化で我々の日常はどんどん進化しています。自動車の正確な位置情報と自動操縦プログラムで人間による車の運転はいらなくなるでしょう。車は走る「スマート・コネクティッド・プロダクツ」となり2025年には500億個の世界のモノとクラウドでつながります。企業が売るのはハードではなくソフトとサービスになりますが、その先駆けがスマホ業界と思えばわかりやすいでしょう。
これは生活を変え、人間も変えます。定型的なソフトは「コンテンツ」という名で呼ばれ、聞こえはいいが、企業から見れば売れればなんでもいい十把一絡げの商品になります。バナナのたたき売りです。バナナ(コンテンツ)をまじめに丹念に作る費用対効果は低減しますから、文化は劣化するのではと危惧されています。
電子書籍と紙の本、中身に違いはないですが製造コストは電子化でほぼゼロだから単価は下がります。版権が切れればただで読めてしまう。ユーザーには福音といえますが、「ただ=客寄せ効果」によって広告料収入を得るというビジネスモデルは文化を犠牲にする危険があると僕は思うのです。書店数は毎年着実に減っており、よく行った渋谷の2大店は両方消えました。
人間にも家ネコにも便利な世になるのでしょうが、やがて来るIOT時代に生まれた子供はどんな大人に育つんでしょうか。
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MERS騒ぎ真っ最中のソウルへ行く
2015 JUN 20 13:13:32 pm by 東 賢太郎
急に大事な仕事が2つもでてきてソウルに行く流れになったのが先週。そうしたらMERSのニュースが日増しに幅をきかせてくるではないですか。いやだなあと思っていたらどんぴしゃのタイミングでアポイントメントが入ってしまい、抜き差しならず水曜から二泊三日で出張しました。海外業務が長くSERS、鳥インフルエンザ、狂牛病、口蹄疫など大流行の国々に住んだり出張したりしてきましたから、今さら何だという感じではありましたが・・・。
ソウルは観光したことはありませんが仕事ではもう何十回も行ってます。18時着のJALは特にすいているということはありませんでしたが機中ずっとマスクの人は多く、僕も大量に買い込んで着用しました。金浦国際空港の待合ターミナルはいつになく人気が少なく、タクシー乗り場はガラガラでした。右は定宿のロッテホテル29階の客室からの展望。荷物を解いてすぐ明洞にビジネスディナーに出ましたが、普段なら若者でごった返すこの時間のこの繁華街で人出がこんなにまばらなのは初めてでした。ここまでは予想通りという光景でした。
韓国ではMERSはメルスと呼び大統領が訪米を見送る非常事態です。観光はツアーのキャンセルで中国人が10万人減るなど大打撃で、地元の人の方も百貨店、スーパーなど人ごみは避け、野球場までも客足が半減するなど影響が出ているようです。しかし感染はほとんどが病院関係ということで街を歩く人も計8件のアボイントメントでお会いした多くのビジネスマンの方々もマスクはしておらず、粛粛と台風が過ぎるのを待つというところなのは意外でした。「ウィルスはマスクを透過するから意味ないそうなので」という声もあり達観ムードも混じるのは4年前に放射能騒ぎで銀座や赤坂が閑散となったころの東京を思い出します。
今回は韓国を代表するグローバル企業の電機メーカーとアドバイザー契約の調印があり、ソナー・アドバイザーズ起業5年目にしてありがたい栄誉となりました。調印式、写真撮影は同社研究所のあるソウル大学(左)で行われました。キャンパスの敷地は広々とした丘の上で見晴らしもよろしく、韓国の受験戦争は激烈で有名ですがそんな空気とは無縁で静寂です。ランチは教職員専用食堂でいただきましたが、魚介類のチゲ定食が美味でございました。
もうひとつそれとは別案件ですが、プライベートエクィティファンドの設立に関わる関係者と協議がありました。国民年金など政府レベルで海外投資の必要性に目が向きつつあります。日韓は投資というフィールドでは組める部分がありますが先例はあまりないようです。法律、行政、金融など基本的なインフラは日本がモデルで比較的理解しやすく、言葉のハンディを埋めてくれる有能な社員さえいれば壁は高くないという実感です。
この国とは政府間はいろいろありますし、両国ともそういうものに反応しやすい一定の世論のマネジメントという側面もあるため今後も変わらずあり続けると思います。ビジネスというものは、個々人レベルでは多様な感情があるにせよそれを百も承知のうえで、語弊があるかもしれませんが、お互い酒の肴にするぐらいの冷めた視線で成り立っていると言っていいでしょう。だから歴史に無知ではいけないわけで、わかっているがあえて口にしない理解と節度が望ましい。
僕はやや親しくなった人にですが閔妃暗殺事件への私見を述べたことが何度もあります。これは乙未事変とも呼ばれ韓国では明成皇后弑害事件と呼ばれる。日清、日露戦争と密接に関わるものであるにもかかわらず日本国の関与も実行犯も不明で日韓の学者の見解も裁判所判例も合致しないまま、日本人のほとんどは知らず韓国人は誰もが知っているというものです。
この事変の真相を知る手立てはなさそうですが、韓国人の大多数は日本国の関与ありと信じている、それが嫌日の一因であり朴大統領が従軍慰安婦問題でああいう形になってしまうことの遠因の可能性もある。そのことを知らずして腹を割った会話もビジネスも成り立ちません。まして事変そのものを知らないのでは話にも何にもなりません。我々だって日本が被爆国であることすら知らない外国人と真面目につきあいたいとは思わないでしょう。
米国で広島カープファンだと言うと相手がほんの微妙に引いたスタンスになることがあって、ああヒロシマと響いたんだなと合点しましたが、そういう人には理性と親近感を感じたものです。彼が投下したわけでもない、ただその国民として一人の人間としてまともな感情があって、それは同じ人間であるこちらと変わらない。そこから話はスタートするのです。
今回の出張は自由時間が皆無で昼食も落ち着いてとれずに忙しい3日間となりましたがビジネスとはbusiness(=busyなこと)ですから仕方ありません。帰りにガラガラの空港免税店で土産のノリを買ったら、そんなに買ったわけでもないのに店員さんに感謝されておまけをたくさんくれました。ありがたいがそれもビジネスマンとしてはどこか寂しいことです。早く騒ぎが収まることを願っております。
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株式道場-大塚家具の経営権争奪戦-
2015 MAR 29 15:15:05 pm by 東 賢太郎
大塚家具の経営権争奪戦は株主総会でとりあえず娘さんの勝ちで落ち着いた。日本人の好きなお家騒動としてマスコミの格好のネタになったのだが、この出来事の本質は何だったのか述べてみたい。
この劇のあらすじは何か?マスコミ目線では親子喧嘩劇だが、資本市場目線ではそれは関係ない。株価倍増劇である。40円だった配当が80円になって1000円の株が一時2500円と2.5倍になったことこそこの騒動の帰結である。
その昔、村上ファンドが東京スタイル株式を大量に買って1000億円近くあった現預金を配当することを株主総会で求めて成功した。増配となれば当然株価も大幅に上がる。彼はその後別な案件のインサイダー容疑で逮捕されてしまうが、この要求は株主として至極真っ当であって、それをハゲタカと忌避するのはする方が間違っている。
株式上場の目的はいくつかあるが最も本質的なのは株式による資金調達が容易になる事だ。業績好調で株価が高ければ高いほど資金調達コストは下がり、さらに成長にドライブをかけることが可能になる。
一方で、創業者利益を手にできる、知名度が増す、社員が採りやすいなどの利点もある。経営者が上場を名誉と信じそれをゴールに置く場合も多い。しかし経営は常に外部の目によって監視されて創業者の意思決定の自由度が制限され、株価が不当に低いと未知の第三者に買収されるリスクも発生する。
日本は古来より株式持ち合い制度によってそれらの「足かせ」や「リスク」を排除する排他的持ち株構造をとってきたが、それは第三者が自由に市場で買える浮動株の割合を減らすということを意味する。ところが浮動株の少ない銘柄は必然的に出来高も少ないために新株発行できる株数も制限されてしまう。つまり、上場の最も本質的な目的であるエクイティ・ファイナンスの可能性まで足かせをつけてしまうわけで、何のための上場かわからないというケースが非常に多いというのが日本の株式市場の特徴だ。
大塚家具は利益剰余金が250億円、現預金も100億円近くあり、PBR(株価純資産倍率)は騒動後でも0.8倍だから以前は0.5倍程度だった。これは株価が純資産(株主資本)の半分しかない割安状態だったということだ。どうしてかというとROE(自己資本利益率)がたったの1.3%しかない、つまりこの株に投資しても投資額の1.3%しか利益が期待できない。それならより安全な国債を買ってもほぼ変わらないのだからそっちを買うだろう。つまり需要が少なく、従って万年1000円前後に放置されていたということだ。
ではどうして1000円だったのか?配当が40円だったからである。つまり投資家はこの株に値上がりはあまり期待せず、買うなら日本株としてはかなり高い4%もの配当利回りを要求していたということを意味している。利益が成長している企業は利益を社外流出(配当)するより社内留保すべきであり、株主もそれを求める。無配でも(むしろ無配の方が)株は上がるのだ。留保金では資金が足りないからエクイティ・ファイナンスするのであって、だから上場の意味があるのは上述のとおりである。
久美子氏が今後の経営の方向として名前を出していたニトリの配当利回りは0.6%しかない。60億円しか配当を払っていないのに時価総額は9600億円もありしかも年々増えている。ニトリのROEは16.8%もあるのだからここから4%払うのは苦もないことだがそんな必要はない。株主は配当をもらうより内部留保して事業に再投資してもらってリターンは株価で返してもらった方がいいのだ。そう考える人がどんどん株を買ってくれるから、年々時価総額が増えて株価が上がっているのである。株価が上がるという原理原則的メカニズムはこれだということを肝に銘じておいていただきたい。
一方で大塚家具は8億円配当して時価総額はずっと200億円のままだった。ROE1%の企業が時価総額の4%の配当を払うというのは内部留保を取り崩すことに他ならない。これは村上ファンドが現預金を配当させて東京スタイルの株価が上がったのと同じことを自らの意志でやっているに過ぎない。いや、株が上がるほどは配当せず、上りも下がりもしない均衡点である配当利回り4%を自ら探し出したと言った方が正確だ。その証拠に自分が社長になれば配当は8%にしますと宣言すればちゃんと株価も2倍になったのである。
不思議なのは、その株価維持策は株主にとって当座は有難いが、企業価値の成長(少なくとも維持)という本来株主が求めるべき目的にとってはマイナスであるのにもかかわらず株主総会でその論点が議論された形跡はないことだ。久美子氏に軍配を上げることがそれだったという理解だったとしか見えないが、氏は配当80円、すなわち今期の会社が予想する当期利益9千万円に対して配当性向1700%という天文学的数字を公約している。
分かりにくいと思うのでそれのイメージを述べれば、09年に民主党がマニフェストと称して公約し、財源不足で腰くだけとなった子供手当を連想する。私が当選すればそれを2倍にします、財源は税収ではまかなえないが埋蔵金でなんとかしますというようなものだ。そうではないならROEが最低8%を上回るビジネスプランが必須であることは自明だ。父親を追い出せは自然にそうなるというほどこの会社のおかれた立場は甘くないが、いまだその納得性のある説明は聞こえてこない。
ブランデスという米国の投資ファンドは総発行株数の10%あった持ち株を今回の株価急騰で売って5%まで減らしている。同社は娘社長に支持票を入れており、それが増配とのディールだったかどうかはわからないから憶測ではあるが、取得価格の2倍で売っていると仮定すれば残した5%のコストはゼロになるから非常においしいディールである。その計算をした上で紳士面で「総会で貴女を支持しますよ」と持ちかけてみる程度の事など、このワルの業界ではあまりに常識だ。
結論を書こう。埋蔵金吐きだしの高配当はやめ自社株買いをすることだ。配当利回りが減れば株価が下がるのはこの会社の場合ほぼ確実であるから下落が止まるまで自分で買う。それも「おためごかし」ではなく、下がり続けるなら全株でも買う覚悟でやる。その自己資金=埋蔵金はあるのだ。そこまでいくとMBO(マネージメント・バイアウト)ということに結果としてなり、上場は廃止する。既述のように、エクイティ・ファイナンスの不要な会社は上場する意味がないからそれはロジカルな帰結である。
同社が80円配当(15億5千万円)を払い続けるならば、世の中の平均的な配当性向である25%になる60億円の当期利益を恒常的にたたき出さねば健全ではない。それは過去5年の平均当期利益の16倍にもなるわけで、野球なら5年間もホームラン1本のバッターに今年から16本打てというようなものだ。社長が交替すればできますなどという簡単な話ではないのである。いや、秘策があるのだというならそれで良いが、それならその話を10%の大株主であったブランデスにはしたはずである。それが実現しそうならブランデスはむしろ15%に持ち株を増やしたであろう。
久美子氏がROE10%越えをコミットした構造改革なしに80円の配当をキープしますというなら、申し訳ないが同社は埋蔵金をたかり屋に吸い取られることを対価にしばらくは1500-2000円の株価を維持するだけで社業に未来はない。ニトリのような路線に転換して高収益企業への構造改革をするというなら数年は赤字も覚悟で買収も含む大なたを振るう必要があるだろう。外部株主に単年ごとの収益、配当を求められて説明責任を果たしつつそれを行うのは至難の業と思う。
親を追い出した娘というのはいかにも現代的で、個人的にはナッツ姫よりもシェークスピア流のドラマとして面白いと思うが、数年も利益低迷すれば儒教社会で足を引っ張られることは目に見えている。つまり上場したままでは、生き残りに必須の「構造改革」に要する「大なたを振るう時間」が確保できない可能性があると考える。選択肢はそうたくさんはないように見える。武運長久をお祈りしたい。
PS
お断り: 弊社ソナー・アドバイザーズ株式会社は(株)大塚家具の株主ではなく、同社株式を現時点では売買の対象としてアドバイスした事実はございません。
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