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カテゴリー: ______世相に思う

舛添さんの辞職に思う

2016 JUN 15 18:18:51 pm by 東 賢太郎

ハインリッヒの法則というものがある。大きな労働災害が起こる前に29の小さな事故があり、その前には300の異常が見つかるというものだ。

この数字は労働災害での確率分布だから一般化はできないが参考にはなる。大事故には何かの予兆があるものだということだ。例えばこの考え方が敷衍されて保険料率表ができているそうなので、あながち無謀な考えでもないだろう。

組織の活動は「小さな人間関係」を潤滑油にして営まれている。ヒラ社員は会社生活の99%がそれに依存するが、位が上がると減ってくる。トップになればもう潤滑油はいらなくなり、権力がその代わりになる。

ところが、組織運営においてはハインリッヒ法則の「小さな事故」や「異常」は、その潤滑油の中に見つかるというのが僕の法則だ。これを舐めると大変なことになる。特に潤滑油とは縁遠くなって久しいトップこそ最も危ないのはお分かりいただけるだろう。外への説明は違っても実はこれが原因で裸の王様になって失脚したトップは多いのだ。

潤滑油である「小さな人間関係」にひびが入ると油の流れが悪くなる。油というのは情報のことだ。どこかで止まるとひびが広がって溝になる。こうなると修復は難しい。人事異動で知らない者同士になると油は一時停滞する。しかし人事が滞って派閥ができると深い溝ができやすく壊すのに時間がかかるから異動はこまめにやった方が良い。

社長室のようなものを持った者はわかるが、トップというのは意外と情報が入らない。悪いものほどそうだ。田中角栄は情報をくれた部下にはくまなく1万円札を渡したが、悪い話だと5万円にしたそうだ。そうやって努力して「異常」に耳を澄ましていたのはさすがと思うが、それでも逮捕されてしまうのだから政治の世界は恐ろしい。

舛添さんは頭が切れて押しも強い。今回の大事故にも300の予兆があったかと思うが、その程度のことは抑えこめるという有能なゆえの驕りがあったかもしれない。抑えるのではなく学ぶべきだった。それをマスコミがうまく突いて「悪代官」仕立てになってしまったが、そういう仕立てを狙ってるぞという予兆もたくさんあったろう。その情報を入れる側近がいないなら10万円払って集めても惜しくはなかった。

まあその10万円はきっと税金から出たろうから、何百円単位の私財の節約をせっせと図るご性格でよかった。これは他山の石だ。

 

 

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安心してトシヨリになりたいですか?

2016 APR 10 21:21:50 pm by 東 賢太郎

ソナー・アドバイザーズのHPにこういうブログを書いたのですが、このことは非常に気になっています。

「音楽なんて道楽だ」という人がいますが、それは一理あります。聞いても一銭のゼニにもならないですからね、余裕はないといけない。そして時間をくうからヒマ人でもないといけない。つまりゼニとヒマの両方がいるのです。

それとこのニュースと関係なさそうですが、実は大ありと思われます。

若者59%が車購入意向なし(日本自動車工業会)

というのは、この「若者」(車を保有していない10~20代)、「これから増やしていきたいもの」として最多の答えが「貯蓄」だったからです。ゼニ、ヒマなければ車に乗る気も音楽を聞く気もしないというのはわかります。

希望する就職先、1位は「地方公務員」

これも根っこは同じと思われます。安定志向ここに極まれりです。こういう世の中になってしまいました。

あれは90年代でしたか、100才ごえで人気者となった双子姉妹のきんさん・ぎんさんに「ご趣味は?」とたずねると「貯金」だったそうです。別に悪いことじゃないですが、もともと縮み志向の国民性です。ゼニに不安があれば安定志向、これは仕方ありません。

そういう空気を感じていたのでSMCにこういうブログを書いたのが3年前です。そこで懸念していたことがどんどん現実になっています。

  若者の欲望が日本を救う

そこで我々はこういうことも知らなくてはなりません。

60歳以上の高齢者支出が消費の半分を占めている(内閣府)

これ、年寄りが5割もか!というニュアンスで伝わってますが、日本の個人資産は65歳以上が6割を持っていますから60才以上なら消費も6割以上ないといけないんですね。「5割しか」と読まなくてはいけませんね。

そりゃあ年寄りは欲が減るからゼニ使わないです。これから高齢者の人口比はもっとふえますから国として消費はもっと停滞しますね。そして限られた若者のパイを「ディスカウンター」(値引き競争で利益を狙う業者)が奪い合うので、またデフレになります。こういう背景があるからマイナス金利でも貸し出しが増えないんです。

これを救うのは若者しかありません。ここで提唱したいのは、

ゼニ・ヒマがある年寄りは元気な若者にゼニをあげてしまおう

という仕組みが世の中にあっていいんじゃないかということです。もちろん税金をとって国家が配分するのがその仕組みの一つですが、自分の意思であげたい人にあげるのはいかがでしょうか、ふるさと納税の感覚で。

奨学金というのは日本の場合ほとんどが返済義務付きです。卒業しても思った就職ができず返せなくて結婚もできない人がいる。これじゃあ出世払いじゃなくサラ金です。返さなくていいですよ、そのかわり審査は厳しくしますよというほうがいいですね。

返さなくていいよとストレートにあげてしまうのが寄付、贈与ですが、そこまで他人を信用はできませんね。もらった若者がちゃんと働いて使っているか、管理の難しさのネックがあります。

そういう現実の諸事情を考えると、

若者に会社をつくってもらい、そこに投資してあげる

という手が一番いいのです。会社ならごまかしができにくく外部から管理ができます。それに寄付、贈与したお金は返ってきませんが投資なら若者ががんばって株式上場でもしてくれれば何十倍になって返ってきます。

それには若者の選別、管理、事業支援が大事になりますが、僕はそういう基盤をソナーで作りたいと思っています。

最後に、若者のみなさんは自分に投資してくれる大人が必要です。それには夢がないといけませんし、自分で手をあげてアピールしなくてはいけません。

「ゼニ・ヒマ・若さ」の3拍子は昔から羨望の対象です。だから若者がゼニを持つと嫌われたし、ゼニ・ヒマの象徴である朝寝・朝酒・朝湯好きの小原庄助さんは身上(しんしょう)つぶしてもらわんと困るし、やっとゼニ・ヒマのできた爺さんは回春を図るんです。

秦の始皇帝だって不老不死の薬を必死に探したんです。若さは特権ですよ。それとも、それは捨ててでも安心してトシヨリになりたいですか?

 
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そういえばピケティって誰だっけ

2015 DEC 12 11:11:47 am by 東 賢太郎

資産は持たずに借りた方がいいという時代だ。たとえば家など、固定資産税と建物の減価とローンの金利を考えれば借りた方が得かもしれずマイホームをもって一国一城の主だと喜ぶのは地価が永続的に上がるというあり得ない幻想に支えられた満足感にすぎないかもしれない。

不動産は占有すればいいのであって所有はいらないという考え方だ。買ったって固定資産税を取られるでしょ、それ、家賃と一緒じゃないの。要はキミは国から借りてるんだよ。登記簿に名前があったって所詮は小作人なの。一国一城の主なんて踊らされてるだけでバカだねえ。地価上昇がなければたしかにこういう理屈が勝ってしまうだろう。

上がらない土地は自分で使って満足するか、他人に貸しておカネを取るしかない。自分で使うと税金が丸々コストになるから、土地持ちでも自分は税金負担が少ない都心のマンションに住んで、土地は貸して収益を得ようという人が増える。合理的なことだ。そこで「収益物件」なるものがたくさん登場してくる。

それは土地を持てる者が持たざる者から家賃をピンハネしようというもの以外の何ものでもない。それを猫も杓子もやろうという時代になった。不動産所有権の証券化、流動化という背景が後押しして土地持ちが税金を払って値上がりを待つのでなく、税金は少なく払ってピンハネ所得に依存する国民的構造が形成されてきたのだ。

僕が毎日歩く駅前商店街がある。5~600メートルあるこの道でのお店の興亡ぶりは目まぐるしい。6年前に越してきたときの店や飲食店の7、8割はもうない。出ては潰れをくり返し同じ場所に3代目の店なんてのがざらだ。肉屋がケーキ屋になり洋品店が靴の修理屋になり弁当屋になったと思ったら不動産屋ができていたという塩梅だ。

これは持たざる者がピンハネに耐えられず、ひどいのは半年で撤退なんて気の毒な事態を引き起こしてるということだ。これを見て思い出すことがある。今年の初めに猫も杓子も読んだ(とされ)、全マスコミが天照大神みたいに崇め奉ったトマ・ピケティの新・資本論である。これを日本で真っ先にボロカスに貶したのは僕であり、1年後はみんな忘れてるだろうと予言したら、そっちはハズれて半年で忘れられてしまった。

ピケティの新・資本論について

ピケティは間違っている

このセンセイは世界の左寄り経済学者の常例として金融証券市場にほぼ無知でありブログに書いたことに尽きるのだが、ご説にはひとつだけ美点があって、r(資本収益率)を不動産収益率に置き換えるなら、他国は知らないが我が国においてはかなりr-g>0は正しいということが僕の目撃してきた「某駅商店街」の6年間の興亡によって証明されているかもしれないということだ。

江戸時代以降の日本人はもともと親方日の丸の権力たかり体質があり、アントレプレナー(起業)体質はきわめて貧困である。成功している新興企業に在日韓国系や中国系が多いのは彼らにはそれが旺盛にあるからであって、角界がモンゴル力士依存になってしまうのも、LPGA(日本女子ゴルフ)の賞金ランキング上位5人がぜんぶ韓国・台湾人になってしまうのも同じ現象なのである。

それは、日本はピンハネ所得に依存する国民的構造形成に非常に親和性のある国であることに原因がある。海賊が作った英国やゴールドラッシュで一攫千金を夢見る山師が作った米国とは根本的、決定的にちがう。ピケティがいみじくも指摘した階級の二層化が進み、固定化し、元から一攫千金的な上昇志向がない国民に上昇なんかしなくたって楽しい人生があるんだと洗脳が行なわれる。ピンハネされる側をふやすだけだ。

するとそこで不公平議論がでてきて所得再分配だと騒ぐ。あまりに知性も思考力もない。角界からモンゴルを追放しろ、韓国人は出ていけとやるのと変わりない。負けている日本人の方がだらしないのである。たかり体質がだめなのである。政治がそういう方向に持って行かないと、日本人はそのうち全部がピンハネされる側になるだろう。爆買いしてくれる中国人だけはスマイルで迎えましょう、それがおもてなしですなんて人のいいことやってると、土地ごと彼らに爆買いされてしまうに違いない。

不動産は占有すればいいのであって所有はいらない

なんとなく知的でカッコいいのだが、ちがう。ぜんぜんちがう。不動産は所有しなくてはならないのだ。企業は社長なんかにならなくてもいい、サラリーマン社長なんて賃借人にすぎない。議決権を持てば地主だ、つまり株を所有することだ。それとおんなじ。スマートで合理的な小作人?なんだそれは?

 

(追記)

人の噂も七十五日とはよくいったもので、ウワサはまあ2,3か月で消える。ピケティの本が売れなくなったのは実は本の中身のせいばかりでもなくて、それを読んだとか本棚に飾ってあるというのが自慢にならなくなったからだ。こういうのを賞味期限切れという。だから噂の賞味期限は二か月半が相場という意味なのだ、冒頭の言葉は。

では噂の真っ盛りはなんというか?旬(しゅん)だ。旬という英単語はなく、in seasonとかthe best seasonであって面白くもおかしくもない。つまり旬の語感は極めて日本的なのである。食べ物の旬が二か月半というのは何となく合点がいくだろう。

株式相場を長年みていると旬で動く要素があることを知る。食べられるわけでない株に旬もくそもないはずだが、時としてある。利食いという用語があるように食える時期という感覚がある。金融緩和とは旬感覚を市場に広く蔓延させる麻薬であると言っても過言ではないだろう。

だからやりすぎると定義矛盾になる。旬のタケノコが2年も3年も旬の味のまま出回るなら、それは旬ではなく巧妙なビニール栽培なのだ。それを鋭く見抜いているイエレンは、だから金利を上げると主張したのである。ピケティ現象もそうだったが、そういうのにころっとだまされるようなら株はやめておいたほうがいいだろう。

 

 

 

 
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9-3÷1/3+1

2015 DEC 10 1:01:18 am by 東 賢太郎

9-3÷1/3+1の正答率が低いと話題らしいが、正解はこうだ。

①/=÷である場合  9-3÷1/3+1=9-3÷1÷3+1=9-1+1=9

/=÷でない場合(1/3を3分の1と読む場合)  9-9+1=1

よって、本題は択一において解が2つあり作題ミスである。

「ひとつだけ答えろ」となれば、どっちが正解であれ正答率は50%ぐらいだろう。企業の技術者の正答率が低いので日本人はだめになっているという趣旨の報道のようだがそうもいえない。

と、ここまで書いてどなたかの投稿を読んだ。そうしたら、この出題の原文では「/」でなく「―」であり、要は明確に「3分の1」であったことが発覚した。そう書いてあれば9-3÷(1/3)+1ということであり、②と読まなくてはいけない。

とするとその正答率が一流企業の技術者で4割というのはちょっと意外というか、かなりまずい。しかし「―」を「/」に置き換えてこれが冒頭のように「解答不能問題」になったことを気づかない新聞記者もかなりやばい。

記者の算数能力の欠如はいたしかたないが、複数の目が論拠を仔細に検討せずに「日本人はだめになっている」という結論に飛びついたという事実が危い。技術者がだめになっているのは事実なのかもしれないが、そうであったとしてもそれとは別な次元で、これはこれで報道として危険だと思う。

 
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ラグビー日本代表と日本の国会議員

2015 SEP 22 15:15:43 pm by 東 賢太郎

 

ラグビー日本代表がワールドカップで南アフリカを倒すというのがどれぐらい大変なことか僕にはわからないが、ワールドカップでは2度の優勝を飾り過去4敗しかしていない強豪を、1991年大会でジンバブエから奪った1勝のみという世界ラグビー弱小国が倒したのは事実だ。すばらしい快挙と思う。

小よく大を制す、柔よく剛を制す、牛若丸と弁慶、桶狭間、ゼロ戦、小兵力士、小さな大投手・・・日本人はこれが好きだ。奇襲、俊敏性、一点突破、視点の転換、柔軟性、地の利・時の利・人の利、攻めの姿勢、小に利あり、諦めない、こういう言葉をちりばめれば中小企業セミナーでは満足して帰ってもらえるそうだ。

ジャイアントキリングという英語があるぐらい、スポーツの世界ではどこでも、そういうもので「小」が「大」に勝てるケースは実はほとんどない。それほどフィジカルというのは厚い壁であると信じていたので記事を読んでみると、「今回の大会では31名の代表メンバーのうち、外国出身の選手が約3分の1を占めました」とあった。

ラグビーW杯では出生地や国籍の別に拘らず、日本に3年以上居住している選手には、日本代表としてプレーする資格が与えられるそうだ。このルールだとオリンピックやサッカーは世界地図が変わるかもしれない。

ちなみにプロサッカー界では欧州を中心に外国人枠の議論が続いていて、「6+5制度」(スタメンで外人は5人まで)、EU加盟国の国籍はOK、EFTA加盟国はOK、自国人が最低12人など国によりまちまちだ。純血主義だけでなく就労ビザの発給という労働問題や移民問題もからんでいると思われる。

米国のプロ野球に外国人枠はないと言われているが、外国人はマイナーも入れた総数の10%まででメジャーに何人という縛りはなく、ハードルは米国籍の取得であって二重国籍でもよく、従って、実質ないに近いということだ。プロとW杯を同一には語れないが、プロの興業という側面を割り引いてもラグビーW杯の国籍基準はかなり開かれているといえるだろう。「国内」の定義が7つの海であったグローバリズムの元祖、大英帝国主義の競争原理の粋を見る思いがする。

かたや我が国だが、競技人口の減少から背に腹は代えられぬ大相撲は部屋 に1人の外国人が認められ、部屋数(54)の外人力士が幕内上位の大半という事態になった。純血よりレベル維持を図ったわけだがそれで入場観客数は維持できているから興業的には少なくとも成功だったし、「3年住めば国籍不問で日本人」というラグビーW杯基準に近い。野球、サッカーよりグローバルの最先端基準に近いとすらいえる。

「背に腹は代えられぬ」という事態こそ人も組織も国も進化させる。崖っぷちに立ってこそ人は悩み、策を練り、火事場の馬鹿力が出る。それをしなくても生きていける者は、それをした者に負けるのだ。これを「競争原理」という。それをしなくても生きていける者が支配する組織や国は、やがて亡びるか強国の属国になり下がる。なぜなら、日本国民がどう考えどういう道を選択しようと勝手だが、そんなこととは関係なく世界は競争原理で動いているからである。

「どうして2番じゃダメなんですか」と言った馬鹿がいる。はっきり書くが、この言葉を公人が吐いたのは大罪でありこんな者を永遠に許すべきではない。鎖国を辞め、資源がなく、人口が減り、周辺国が強大化する日本国は背に腹は代えられぬ崖っぷちにあるのであり、不断のクオリティー向上、つまり「1番を目ざすこと」でのみアイデンティティーが維持できるのである。市井の人の話をしているのではない、リーダーである国会議員の話だ。属国の負け犬精神をゆとり、やさしいと諭すのは属国になった方が居場所が増える連中自身のアイデンティティー維持以外の何物でもない。

ラグビー日本代表を率いるエディー・ジョーンズHCはW杯終了後の退任が発表されている。にもかかわらず自身も選手も関係なく「1番を目ざすこと」に邁進している。ジョーンズはオーストラリア代表になったことはない。1番のプレーヤではなかったが、1番を狙えという精神を持ち続け、リーダとしてやるべき仕事をしている。2番でいいやと思ったら相手ゴール前でPKを得ても同点のPGを狙わず、逆転を求めて攻めるという判断はなかった。「ワールドカップには勝ちに来たので、同点のPGを狙うという頭はなかった」というリーチ マイケル主将の言葉もなかったのである。

国会というのは法律を作るところだ。2番でいいでしょという連中が作った法律はジョーンズHCやリーチ マイケルをやがて殺すだろう。先般の世にもおぞましく恥ずかしい「国会戦術」の数々は涙ぐましいパフォーマンスと知ってはいても、彼らのアイデンティティーそのものがばっくりと露呈してしまいむしろ逆効果を心配してあげたくなるほどだ。昨今、スポーツ界においてすら「オリンピックを楽しみました」などというのが許され、結果でなくプロセスを評価しようなどという声もある。ゆとり、やさしさは大切だが、それができるのは1番になってこそであり、自分も弱くなって弱者を救いましょうという秘策は世界のどこにも存在しないのである。

ラグビー日本代表に乾杯!

 

 

(こちらもどうぞ)

ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない

 

 

 
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僕がなぜコピペに厳しいか(追記あり)

2015 SEP 11 0:00:03 am by 東 賢太郎

急に朝晩が涼しくなってきたと思ったら急に東京も大雨に見舞われました。多摩川が異例の増水となっていて、二子玉川駅のたもとにある兵庫島がほぼ水没したようです。株式市場は乱高下するし、安保法案は波乱がありそうだし世情も安定しません。

我が社は3月より取り組んできた案件が今日ついに第一関門を通過し安堵しております。当節、注目を浴びるインバウンドに関わるビジネスであり、サイズもこれまで手掛けた中では最大で社業へのインパクトは絶大です。明日も本件で名古屋に日帰りします。

ということで大変に気分は良いわけですが、昔よりディール執行中、特に大詰めに入った時期というのは寝ても覚めても全神経がそれに集中していて人当たりが良くないというアラがございます。人間がネコ型にできてるゆえか、ハンティング中は遊ばない嫌な奴です。

案件を終結させること(一般には契約調印してお金がふりこまれる)をクロージングといいます。それは9月末予定ですからそれまでは一番テンパってるはずで、無事クローズできたらゆっくり遊びます。この仕事はこれのくり返しであります。

案件を作りだすことはオリジネーションと呼びます。オリジネーション⇒クロージングですね、これがワンサイクル、「ひと仕事」です。一年に二つ三つできたら充分。オリジネートは僕の人脈でやりますがここは鼻の良さと運が左右します。ひとたび手にすれば、あとは迅速にぬかりなく、クローズする。ここは勘と速攻力です。

タンザニアの大平原の雄ライオンの話をナショナル・ジオグラフィックで見ていて、ああオレもこれだよなあ、お互い大変だよなあと共感してしまう(といってもどなたもわかって下さらないでしょうが)。ハントが失敗すれば餓死ですからストレスは大きい、でもそれが性分にあっていて幸せなのです。

つくづく思いますが、こういうことは野村證券で鍛えられなかったら絶対に無理でした。当時、証券業に飛び込むなんて学校で異端児の部類でしたが遊んでてなんにも勉強してないんだから仕方ない。ところが、その遊びまくったなかで鼻の良さと勘と速攻力が身についていたもんですから、結果論ですが一番それが活きる業界に入っていたと思います。

オリジネーション⇒クロージングと書きましたが、証券会社で周りの人を見ていて、これが基本の基本だというのに下手なんです、ほとんどが。特別なことじゃなく、「与えられた仕事を最後まで責任もってちゃんとやる」という社会人として当たり前のことなんですが、実はこれがいつも完璧にできてる人は100人に2,3人でしょう。

そう思うのは僕が仕事の完成度に人一倍(いや二倍ぐらい)厳しいからですが、自分のクロージングはその基準で妥協したことは一度もありません。それが甘い人と競って、1,2回ならともかく10回やれば仕事の質の差は誰の目にも明らかですからミスも少ないしお客さんも信頼してくれます。つまりビジネスとして競争力があるわけです。

コピペや盗作などする人に僕はとても厳しいわけですが、それは別にその人をたたきたいわけではなく、だって全然知らない人なんだからどうでもよく、そういう風潮、世の中の傾向というものが反吐が出るほど大嫌いなのです。それが日本人の美徳を台無しにしてしまうと思うからであり、それをなくした日本というのは世界の誰からも尊敬されない国になる、そういう危惧を16年海外に住んだ実感から確信しているからです。

若い方の個人としての将来にウォーニングするなら、コピペや盗作や情報お漏らしなどする人間は仕事の完成度が甘いどころか完成という意味すら理解してないわけで、基本的に何の仕事をしても確実にだめです。必ずぼろが出て仕事の出来以前に三流の人間という評価になります。世の中の目というのはそんなに甘くないということです。

他人が見てるかバレルかなんて基準で人生を生きてるから魔がさしてそういうことをしてしまい、誰かに気づかれると即死するんです。いつも厳しい基準を自己に課して、自分を律して、そこを超えるまでは何日徹夜してもこつこつとやる。そういう覚悟がないならそんな仕事はやめてしまったほうがいい。

どんな小さな仕事でも、仕事でなくたって自分がやると決めたこと、やりますと引受けたことは、最後」まで、「責任もって「ちゃんとやるのは簡単そうですごく大変なことだと身をもって思えたら、あなたは大丈夫ですよ。

 

(追記、3月18日)

ついにショーンとかいう意味不明の男の学歴詐称事件までおきました。記事によると人生、丸ごとコピペでしたっていうから気の毒だ。上記、くり返しますが、「コピペや盗作や情報お漏らしなどする人間は仕事の完成度が甘いどころか完成という意味すら理解してないわけで、基本的に何の仕事をしても確実にだめです。必ずぼろが出て仕事の出来以前に三流の人間という評価になります」

何を言いわけしようが、コピペをしようと思っただけで人間の性根が露呈してしまう。ウソがバレただけじゃなく人品骨柄の卑しさが出てしまった。これは致命的です。

このくだらない事件、感想ですが、やっとMBAという単語が日本に広がったかということに尽きますね。詐欺に使えるぐらい。僕のころは誰も知らなかったですからね、ついにマスコミが覚えてカッコいいじゃんとなったんですね。

どのぐらいMBA取るのが大変か知らないから気軽に詐称しちゃう。テレビ局も知らないからだまされちゃう。このお気軽感がカワイイです。草野球で腕自慢のオニイちゃんが「ヤンキースで投げてました」って言うようなものですよ。ちょっとでも野球かじったら怖くて言えませんわ。要はこの人は野球すらやってなかったことがばれたわけです。

彼の芸能事務所はビジネスネームといってるらしいが芸名は英語でstage nameです。芸名でできるビジネスなんてないからね、ホストぐらいでしょうね。だったら源氏名ですな。しかし源氏名でニュースのコメンテーターっていうのもすごい時代になったものだ。テレビ局はホストクラブってことだからね。

最近CMで素人たくさん出して「もう手放せません!」なんて言わせておいて「個人の感想です」って逃げるの多いですね。これ、演技ですから、ウソですからって言ってるわけですよ。公共放送が堂々と嘘、ホラを垂れ流してる。これ見て育った子供は嘘の何が悪いとならないでしょうか。

僕は子供には、テレビで流れてる情報は99%ウソだと教えてます。

 

 

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ここまできたか・・・(司法試験漏えい事件)(追記あり)

 

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Yahoo,Googleのコメント欄はおもしろい

2015 SEP 9 21:21:30 pm by 東 賢太郎

僕は関心があるニュース記事をYahoo、Googleで見つけると、かならずコメント欄も読みます。何千あっても、全部読みます。そのことに意味があるからです。

例えばですが、アクセスランキング1位

司法試験漏洩 明大院教授、「女性びいき…やっぱりという感じ」

という産経新聞の記事に、いま現在で2221件のコメントが出ていて件数は時々刻々うなぎのぼりに増えてます。事情通の方でしょうかなるほどと教わるものがあるし、中身はともあれ同じ意見が何百もあればそれはそれで世論です。

もちろん投稿者に偏りや特定の層の色メガネがあるかもしれないし、匿名だから下卑たことも書けるという形の偏向もあるかもしれません。しかし、もっとマクロ的視点に立ってしまえば、そういう傾向も含めて「世論」だということです。

どういうことかというと、世論が形成されるプロセスは南国のミクロネシアあたりの海で海面温度が上昇してできた水蒸気が熱帯性低気圧となり、さらに台風となり、スーパータイフーンに育っていく、それと似た生成過程であると僕は思っているからです。

例えば上記の記事です。それを読んだ多くの人がコメント欄に投稿します。するとそのコメントを読んだ、特に強い意見のなかった人がそこから得た「総合的な印象」で意見を言いだします。そうやって新たな世論形成のプロセスに入ります。

この憲法学者は女子学生に「恋愛感情があった」と言っているらしいがそれ以上は確たる情報がありません。しかし「コメント欄」がすでに勝手にそれを想像して作ってしまっています。

すると、この事件は司法試験の公正性という本質からどんどん離れていき、面白おかしい記事として新たな読者を獲得します(熱帯性低気圧ステージ。つまり司法試験に関心はないが三面記事やバラエティ番組は好きな膨大な数の読者を呼び込みます。

すると、その膨大さゆえに「売れる商品」になると見てマスコミが根掘り葉掘り調べだします(台風ステージ)。すると時に新しい事実や醜聞が出てきて、一大スキャンダルになったりする(スーパータイフーン発生)。STAP事件がそうでした。

マスコミの友人によると、この「新しい事実や醜聞が出る」のは意外にも外部の調査よりも内部告発が多いそうです。そして、匿名で書けるネットのコメント欄にそういうのがまじってくる傾向が出ているとも。それが流布してまた別な熱帯性低気圧ができる。するとまた別な台風が発生するのです。

それが「ネット私刑(リンチ)」だとする声もあるし、事実でない醜聞をさらせば名誉棄損で告訴されるのは当然です。しかしそれは書く側の個々のリスクであって、ミクロの話です。事実に近い、少なくともうそではないことを多数の人が意見として書いているものを法的に取り締まるのはそれこそ憲法違反でしょう。

僕は私刑を認める者ではないが、憲法違反をしろと唱える根拠もない。であれば、新たな世論形成のプロセスができたと観念するしかありません。そして、Yahoo、Googleのコメント欄はますます書き込みが増え、なまじの弱小野党などよりずっと与党の政策に影響力を有する存在になっていくと思います。

ブログを書いていて自分の意見を公的に表明するのは楽しいと思いますし、お年寄りはいいボケ防止になるし、若者は情報の発信者として社会とコミュニケートするいい訓練になります。実名でやるのはどうもという人にはブログの代わりになるでしょう。

 
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ここまできたか・・・(司法試験漏えい事件)(追記あり)

2015 SEP 8 22:22:32 pm by 東 賢太郎

日本国の「法の番人」を選定する司法試験の考査委員が法を犯していた?事実関係は未だ明確ではないが、もし報道が事実ならショッキングだ。

つい先日これを書いた。人間のプライドについて(パクリ事件に学ぶ)

コピペ、パクリ、模倣、捏造、偽造、なりすましは現象としての外見は異なって見えるが、根底に共通して横たわるのは「誰も見てなけりゃ何でもあり」という精神の腐蝕である。ここに「漏えい」が加わるとは、見落としていた。上記ブログを追補しよう。

第6話

こっそり教えちゃうよ、キミだけに。ごらん、誰も見てないだろう・・・。

一行で充分だ。

明治大学は「司法試験制度の根幹を揺るがしかねない」とコメントしているが、「三権分立という国家の骨組みの一角を」と修正すべきだろう。同大学の学生および真面目に勉強して合格したすべての学生の名誉も毀損されただろう。大学と社会をお騒がせした程度の問題ではない。国や個人の利益を著しく侵害しており厳罰に値すると思料。

国家公務員法第 100 条
職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。

刑事罰(1年以下の懲役又は50万円以下の罰金)

 

(追記)

女性が見返りに与えたもの次第で贈収賄罪成立か?三面記事的関心でなくそこが非常に重要である。もう少し頭が良ければ発覚しなかったわけであって、この女性から情報が拡散し、丸写ししない知恵があって合格した者はないのかも徹底調査が必要である。

これは法律論ではないが、精神は「誰も見てなけりゃ・・・」以外の何ものでもなく、インサイダー情報で儲けた者、カンニングした者と何ら変わらない腐敗ぶりである。僕は心情的にそういう人間は一切許したくない。5年のペナルティなど甘すぎも甚だしい。

 

(こちらもどうぞ)

STAP細胞はできたの?

 

 

 

 

 

 

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人間のプライドについて(パクリ事件に学ぶ)

2015 SEP 6 13:13:28 pm by 東 賢太郎

芸術、アートの世界の模倣というのは昔からあります。J.S.バッハはヴィヴァルディを編曲して自作に用いたし、モーツァルトはC.バッハのピアノ協奏曲のスタイルをパクっています。録音されてあまねく知れわたる世でなかったし、著作権もない時代です。モーツァルトのレクイエムは田舎の貴族が「俺の曲だ」と自慢するために注文されました。ばれた所でお咎めがあるわけでもないのにこの貴族のようなエセ作曲家が横行しなかったのは、少なくとも本物の芸術家として後世に名を残した人はプライドを賭けた仕事をしたからでしょう。

人間、プライドは大事です。法律というものは社会規範であって、自分がどう思おうが順守しなくてはなりません。しかし、法律には書いてないが自己判断でどうすべきかという事柄が世の中にはたくさんあります。たとえば電車で老人に席を譲るかどうか。拾った百円玉を届けるかどうか。クラスのいじめられっ子と仲良くするかどうか。道に迷っている外人に声をかけてあげるかどうか。皆さん、いかがですか。

誰しもまず自分が可愛く、安全でいたい。それは生存本能だから自然なことです。動物園で自分の目の前に投げ込まれたエサを仲間に譲ってあげるサルはいません。母親だって自分が餓死してまで子を守ろうとはしません。利己的なのです。いや、我々はサルじゃないと思われるでしょうがそうではない。そうじゃないから宗教や道徳や修身というものがあるのです。利己主義はいけないと教えるのは、本来、人間は利己的なものであり、それを幾ばくかは修正しないと社会が円滑に回らないという智慧からです。

宗教家でも格別の道徳家でもない人に、困った人は助けなさい、他人や社会の為に良いことをしようと教えても社会的には限界があると思うのです。日本国は落とした財布がそのまま戻ってくる唯一の国と言われます。誇張はあるにせよたしかにそういうことがあったのかもしれないが、70億人のうち69億人がしていないことが永遠に行われるほど日本は世界で孤立していませんし、そうできるほど日本が経済的に余裕のある安全な国であり続ける保証もどこにもありません。

だから、人を助けたい、社会に良いことをしたいと思う気持の原動力は、結局は自分を大事にしたい心である、他己主義に転換するわけではなく利己主義なんだとあっさりと認めればそうする人がもっと増えるのではないかと思います。僕はそういう場面にであったとき、「そうしない自分でいいのか?それで自分のプライドは満足なのか?」と自問します。プライドを持って生きてる自分が好きであり、それだけは譲れないぞ、という意味では利己主義なのです。

それは自分で思いついたわけではなく、英国に6年住んでいてゴルフという遊びを覚えて、教わったことです。ゴルフはプライドで成り立っていると思ったのです。ボールが林に入ってしまって、悪いライで打とうとしたらボールが1センチ動いたとしましょう。周囲を見渡すと誰も見ていない。その1打を申告しなくても誰もわからない。こういうシチュエーションでどうするかです。ゴルファーなら誰しも一度は経験させられる場面でしょう。

英国で実際あったケースですが、ある名門クラブで同伴競技者に「球が動いたのに申告しなかった」と通告され、球は動いていない、名誉棄損だとして通告者を訴訟する事件がありました。ゴルフというゲームは正直申告しないと社会的にも名誉や信用を失うスポーツだということです。スコアをごまかしても法律違反ではない。しかしそんなことはプライドが許さない、沽券にかけてもできません、という人だけが集まってやる遊びということになっているのです。

ウソやごまかしはいけません、閻魔大王が見てますよ、と僕も母親に口酸っぱくいわれましたが、根っから無信心なものだから閻魔大王?いねえだろそんなのとつまらないことに反発してました。でもそういう母親が大王みたいもんで、そうやって自分を律して生きていかなくちゃいけない、そんなこともできない人間が成長はできないんだという気持になってきました。「スコアごまかすの?」「無理ですね」という。1センチならいいかと思った時分がありましたが、今なら1ミリでもだめです。それは自分で決める自分の考え方のルールであって、これを僕はプライドと思っています。

さて話は我が国のことです。昨今のコピペ、パクリ、模倣、捏造、偽造、なりすまし。これはいったい何なんでしょう?

「誰も見てなけりゃ何でもあり」。そういうことでしょう。林の中で空振りしようがチョロしようが、申告しない。バレなければいい。そういう精神構造の人が横行し始めているのが日本だということなのではないでしょうか?落した財布がそのまま戻ってくる?本当にそういう国なんでしょうか?

川崎市で神奈川県警のポスターを見て仰天しました。「見破れ!!オレオレ、電話でお金を要求する息子はサギ!?」とある。「暴力は犯罪」というポスターもあって、そう思ってない人がそんなに多いのかと驚いたのもつかの間です。「息子はサギ」までいくと、落とした財布をそのまま交番に持って行くのはオレオレにひっかかるお年寄りなのであってあと20年もすればみんないなくなって、日本は落とす前から財布を心配する国になると確信したものです。

その証拠に「誰も見てなけりゃ何でもありシリーズ」は去年から豊作でした。

第1話

僕は耳が聞こえません。そういう人、いたでしょ、ベートーベン。僕って、彼と一緒でね、部屋にこもるんです。そこで天から降りてくる音を楽譜に書きとってるんですよ。

第2話

論文はコピペでした。画像は捏造でした。だって、どうせ誰も見てないし気がつかないんですもん。みんなやってますし、いけないことって知りませんでした。

第3話

この海老、釣ったところなんか誰が見てるんだ?味がビミョウに違うけど素人なんかにわかるはずないだろ。いいんだよ、タイ産だけど「伊勢海老」って書いとけ。

第4話

誰に投票してもおんなじじゃないですか。高齢者問題は我が県のみならず日本人の問題じゃないですか。だから私は城崎温泉を106回も視察してるんです。106回もですよ、領収書はないけど。誰も見てなくったって、そんなに政治を一生懸命やってるんです。

ここにこれが加わろうとしています。

第5話

「おい、キミ、これ似すぎでないか?」「はあ、なるほど、これはまずいですね、やっちゃったな」「コンセプトで逃げられる?」「いえ、センセー、これはさすがにちょっと・・・」「まいったねえ」「どうでしょう、ひとつシューセーってことで整形して似てなくするっての」「原案はなかったことにって?」「まあそれしかないか、いまさら巻き戻せんもんな。僕は知らなかったってことにしとくよ」

密室のはかりごとも、ギョーカイの常識ごとも、誰も見てない、聞いてない。だから何でもありなんです。唯一ないのはプライドだけです。

バッハもモーツァルトも音楽界では田舎であったドイツに生まれました。そこでイタリア人や先輩の模倣、引用から入ってはいますが、それを見事に消化吸収して新たな自分の個性にしてます。他人と自分、異なるものが混じりあわずに対立して、どっちでもない新しいものに結実してゆく、そういうプロセスを弁証法的発展と呼びます。

モーツァルトが死ぬ1791年に「レクイエムを作ってくれ」と頼んだのはフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵というアマチュア音楽家で、当時の有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表するという行為を行っていた人物です。彼が弁証法的発展とは無縁の人物であったことだけは明白ですが、彼はちゃんと「匿名で」と依頼してるので、「パクリ」と言ってはいけません。「なりすまし」が正しい称号であり、第1話が近似した事例であるのです。

第5話がどう歴史に刻まれていくのか、それは今後の展開が決めていくことです。バッハやモーツァルトがヴァルゼック伯爵にならなかったのはもちろん才能の問題でありますが、何よりプライドがあったからでしょう。自分が世界一であり、唯一無二であると。芸術、アートというのは自己表現です。自分の顔だからオンリーワンなのであり、唯一無二だから人は価値を認めるのです。そこに他人の顔を出すというのは根源的にナンセンスであり、整形美人をほめそやすようなものである。

やった瞬間にそれは芸術、アートではない、その人は芸術家、アーティストではないという消しえぬ烙印を押されるのです。ヴァルゼック伯爵は、はからずも恥ずかしい形で歴史上の人物のはしくれにはなったが、それでもいいから有名になりたいという御仁がいるなら僕はもう言葉がない。その人が親に教わったプライド次第ということでしょう。

 

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僕がなぜコピペに厳しいか(追記あり)

 

 

 

 

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ネット民をなめたエンブレム問題(全面改訂済み)

2015 SEP 4 2:02:20 am by 東 賢太郎

武藤事務総長の会見をそのまま書き出してみよう(カッコ内)。

1等と発表した佐野氏の原案が、「IOCの通常の手続き」(世界中の商標登録のチェック)にかけられた結果、「似たようなロゴがある」となり、「このままでは適当ではない、何らかの対処をすべきである」となった。そこで修正案を作ることにし、それを組織委員会がチェックし、さらに最終案にした。

これが発生した事実である(「似たようなロゴ」とはヤン・チヒョルト氏の作品であった)。まとめて書くと、

似た作品がある

②このままでは適当ではない

③何か対処すべきである

という3つの重要な判断を組織委員会が行った。そこで委員会が行った行為は、

④修正案を作る

⑤それを組織委員会がチェック

⑥最終案ができた

だったと述べておられる。

復習しよう。現在、リネージュ劇場のロゴ のデザイナーが訴訟すると問題になり、取り下げが決定されたのは⑥の最終案である。佐野氏のほかの作品がパクリ疑惑を持たれたり、事務所の行為とはいえ一部はそうだったと自ら認めたために、その最終案もリネージュのパクリだったのではないかという世論が沸騰し、ネットが大炎上し、佐野氏と両委員会はその疑惑を否定しているというものである。

しかし、まずご注目いただきたいのは、原案に対して組織委員会が下した②このままでは適当ではないという判断である。組織委員会はこの時点で何か対処すべきである行動を迫られるほど「適当ではないもの」を原案に見つけたという重大な事実があるのである。

それは何だろうか。武藤氏はこう言っている。

「リエージュのロゴとはコンセプトも違うし、まあもちろん仔細に見れば似ている所もあるんですけれども、似てない所もたくさんあり、全く違うものであるということもお話しし、この点については、わたくしはご理解を得たという風に思っております。」

非常に不思議なのだが、組織委員会はなぜこれと同じ説明を原案にはしなかったのだろうか?どうして原案がアウト最終案はセーフになると判断したのか?という疑問が出てくるだろう。

推理してみよう。

武藤氏は、

A. 「コンセプトが違い」

かつ

B. 「似てない所もたくさんある」

なら 「全く違うものである」

という判定根拠を述べている。最終案はAとBを同時に満たすからセーフなのだと。ということは、ロジックを反転させれば、原案はAまたはBを欠いている、もしくは、AもBも欠いている、のでアウトとせざるを得なかったということになる。

組織委員会はチェックの結果、原案にはヤン・チヒョルト氏の作品という似た作品があるとしてBを欠いていることを自ら認めているのである。似てない所はあまりないということだ。

しかし、「似た作品がある」と言われても「似てない所もたくさんある」と強弁することは可能だ。「たくさん」は主観であるからであり、現に、リネージュの「模倣だ(似ている)」という訴求に対して武藤氏はそう言っている。

であれば、原案のケースでもそれで押しきることはできたのではないだろうか?たまたま似てしまうこと(他人の空似)はこの世界では日常茶飯事だ。しかしよく見てください、違うところだってたくさんあるでしょ、でよかったのではないか?

そうできなかった理由は、最終案において、「コンセプトが違えば別な作品と見るのだ」と懸命に説明していることでわかる。コンセプトが一緒、ということは「他人の空似」ではなく、蓋然性では説明不能、すなわち、故意のある模倣と判定されるからである。

そして、原案においては、「コンセプトが違うでしょ」とは言い切れない、つまり「チヒョルト氏の作品のパクリだ」と指摘されたら逃げようがないと判断した、だから②このままでは適当ではない③何か対処すべきであるという火急の判断に至ったのだと考えると筋道がきれいに通るのである。

つまり、両委員会は、佐野氏の原案はパクリである(少なくとも、そう指摘されたら有効に抗弁はできない)と認めていたということになる

そうなるとさらに不思議なことがある。④修正案を作るという指示を組織委員会が佐野氏にしたことだ。

カンニングしたかもしれない(少なくとも、しただろうと指摘されたら守りきれない)と試験官が思った受験生に追試など受けさせるだろうか?このコンペは形ばかりで最初からコネで佐野氏ありきだったという指摘があるとも聞いたが、それはこの不思議を解くひとつの仮説にはなりえそうである。

僕の見方はこうだ。

「組織委員会は専門家ではない」と武藤氏は弁明している。だから専門家集団であると思われる選定委員会に従った。そしてその判断を裏書きしたらババをつかんでしまった。

そこまでは、お役所仕事によくある話だ。

そこで事前チェックに不備がありましたと国民にお詫びして選考委員長の首を切り、佐野氏の1位を速やかに取り消して審査のやり直しを粛々とやれば、佐野氏の境遇は変わらなかったかもしれないが組織委員会がこんなに叩かれ、国家の不手際を世界に晒すことはまずなかった。

明記しよう。佐野氏は「原案」で1等賞を取ったのであって、我々が目にしている修正案(最終案)によってではない。選定委員は原案に投票した。そうしたら実は他人のそっくりさんだった。まずいので「キミ、すこし直して」と指示し、パクリとは言われようのない違うコンセプトの作品に仕上げた。だから、「コンセプトが違えばパクリでないのだ」と選定委員は主張しているのだ

ということはどういうことか?原案とチヒョルト作品は同じコンセプトなのだ。最終案はチヒョルト作品とは違うコンセプトに生まれ変わったのだ。ということは最終案は原案ともコンセプトが違うはずである。つまり、佐野氏は「別な作品」(第2作)を新たに作ったのであり、それがまたまた偶然に1等を取ってしまったということになるのである。

ところがそれならば問題が2つある。その1。このコンテストの審査はブラインド(作者名を伏せて)行われたとされる。ところが佐野氏の第2作は審査委員が作者名を知っている状態で選んだということになるのである。これは他の100余名の応募者に不公平な手続きであり、機会不均等な審査を行った手続き論の瑕疵が問題にされるべきである。

その2。⑤それを組織委員会がチェックしたと武藤氏は言っているが、このチェックは、「IOCの通常の手続き」(世界中の商標登録のチェック)のことだ。ところが今度はリネージュ劇場のロゴ のデザイナーにパクリだと訴えられてしまった。そんな杜撰なチェックなどやってないに等しいのであって、⑤の責任者は世が世なら即刻打ち首である。こういう問題が起きた時、証券会社なら真っ先にコンプライアンス担当役員の首が飛ぶのであるが、そんなのは下賤の民間の話でお上ではお目こぼしになるのだろうか。

「1位と2位は大差があったんです」と武藤氏は言うが、そんな問題ではないのは自明のことだ。彼の頭は大丈夫なんだろうか?驚くべきことに作品の出来ばえとコンプライアンスリスクを完全に混同しており、トップがその程度の意識だからこういう惨事がおきるのだということを露呈してしまっている。選考委員を任命した者の責任も大いにあるということだ。

選ぶ前に商標登録のチェックを行うことは普通しないとも言っている。誰がそんなことを決めたのか?普通がどうかはしらないが、それがこの事件の発端となったのだから手落ち以外の何ものでもない。それを認めたくないので修正させたのだろうか。それならそれで、リスクを回避しようと修正をしたら今度は別な作品に「似ている所もあるんですけれども・・・」という代物ができてしまいさらに墓穴を掘ってしまったという、日本国として世界に恥ずかしい間抜けな事例ということだ。

ネットの誹謗中傷に耐えられないという佐野氏もご家族もとんだ災難だが、いくらアーティストとはいえこの人はコンプラ意識もワキも甘すぎで、グローバルなビジネス常識もセンスも大きく欠落していると思われる。ネットに何かを発信するということは、有益なこともたくさんあるが、常にリスクにさらされもする。いまどき、それを知りませんでしたはないだろう。サファリパークにはライオンがいるのだ。自分で車から降りてライオンに襲われたからといって、ライオンを批判してもあまり同情はされないだろう。

今の世の中、ネット民の検索力、ネットの集合知のパワーをなめてはいけない。STAP論文のコピペ問題で天下に知れわたったことだ。パクリはすべからく、すぐバレるのである。ネット上の私刑だなんだと被害者ぶって騒いだところで憲法の保障する言論の自由である。いやなら中国みたいに国がGoogleを締め出せばいい。それができないなら、ライオンは否が応でも生息する時代になったという前提で生きるしかない。

「天網恢恢疎にして漏らさず」は改めた方がいい。「密にして漏れえず」なのである。

日本の公官庁、役人、政治家のITリテラシーは、はっきり言うが堂々の世界最低レベルである。英語ができないことと高い相関性があり、GDP100位以下の後進国なみだ。従ってITを駆使した事象のリスク耐性もかように極めて低い。それどころか、危機を想定すらしていなかったというお粗末さは福島原発における東電と同じ責任があると言える。こういう問題で政治家だってライオンに食い殺されるリスクは常にあるという事実を指摘しておきたい。

それを見て「自由な発想がしにくくなる」だなど言うアート界の方も見当違いが甚だしい。先人の作品を乗り越えるところにのみアートの発展は在る。ネット社会という新しい環境になれば、その環境を所与の条件として発展は続く。それに乗れない人は、単にアーティストとして脱落者になって消えていくだけのことである。

 

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コピペという文化

 

 

 

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