Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______ベートーベン

新しい才能を発見(尾城杏奈さん)

2022 FEB 5 8:08:37 am by 東 賢太郎

きのう、ちょっと疲れていて、なんとなくベートーベンの27番のソナタをききたくなった。時は午前零時である。仕事部屋は3階、音楽室は地下だ。寒いだろう。youtubeでいいか・・。そんな偶然からこれを見つけた。

すぐアラウに切り替えるつもりだったが、やめた。いい。なんとも自然でしなやかにふくらんで包み込んでくれる感じがする。音楽のたたずまいに品格がある。もう一度聴いてしまった。知らない人だが、教わってできました的な生硬さが微塵もなく、これは人となりなんだろうなと思った。

なんといっても第2楽章だ。すばらしい。僕はどの大ピアニストも満足してない。シュナーベル、バックハウス、リヒテル、ポリーニ、だめだ。牛刀をもって鶏を割く観があり魂がこもってない、ルービンシュタインなど主題のくり返しが多いと文句を言ってる。そういう人にこのソナタが弾けると思わない。

関係ない世界の話で恐縮だが、一昨年のプロ野球キャンプのこと、オリックスの練習を見ていいピッチャーだなと思った新人がいた。あの感じを思い出す。2年後に19才で新人王になる宮城投手だった。剛球はないがああしたピッチングの勘は教わってもできない。現に何年もプロにいるベテランでもできてない。

こっちはさらに不思議なものがある。プロコフィエフの第8ソナタがこんなに「美しく」弾かれたのをきいた記憶がない。ギレリス、リヒテルの剛腕のイメージが強い音楽であれっという感じだ。

youtubeにユジャ・ワン、前々回のショパンコンクール以来僕が高く評価するケイト・リューの見事なライブがある(馬鹿者の着メロが鳴って気の毒)。尾城のは気迫は一歩譲るが、妙な言い方だが「頑張ってます感」がない。汗もかいてない感じだが弾かれるべきものに不足もないのだから、まだまだ破格のキャパ、伸びしろがありそうだ。第3楽章、僕の好きな所だが、短9度の下降音型のあと再現部までスクリャービンみたいな神秘的な感じになる。美しい。プロコフィエフはただばりばり弾いてうまいでしょという人が多いが、この人はそうでなく、バルトークを弾いても音楽が intellectual だ。ピアニストは指揮者と同じでそれが必須だと思う。

東大は天才がいて同じクラスだと分かる。何の苦労もなく勉強ができる人達だ。東京芸大にもそういう人がいるということだろう。youtubeにあるものは僕の好みの領域でもあり、全部聴いた。それだけでどうこう言うことはしないが、尾城杏奈さん、素晴らしい才能の持ち主だと思う。ぜひ欧州に留学し、西洋音楽を生んだ各国の文化、歴史、哲学、人間、そしていろんなアートやおいしい食べ物なんかを存分に楽しんで研鑽されれば明るい未来があると思う。

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ベートーベン ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2

2022 JAN 22 7:07:20 am by 東 賢太郎

ベートーベンのピアノソナタ第14番。実は子供のころから長らくこの曲には関心がわかなかった。まず、第1楽章がとてつもなく暗い。全編通してピアノソナタにあるまじき暗さで、ショパンのあれより葬式にふさわしいぐらいだ。ところが、そんなことを言おうものなら白い目で見られそうな雰囲気がクラシック界にはある。

「これは月光です。ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のイメージなんです。ねっ、目をつぶると浮かんできますよね?」

きませんね。ぜんぜん浮かんでこない。そういうNHKっぽいのが大嫌いな態度だったから僕の音楽の通信簿は2だったんだろう。ずっと後になって、実際に僕はルツェルン湖に行ってみた。月の浮かぶ夜の湖面を眺めたけど、まったくしっくりこなかった。

ベートーベン自身が1802年初版譜につけた名称は「Sonata quasi una fantasia」(幻想曲風のソナタ)である。こう文句を言ってるんじゃないか。

月光?なんだそれは?だいたい俺はルツェルン湖なんか行っとらんぞ。俺が死んで5年もたってからそんな名前を勝手につけた奴がいるって?そういえばゲーテも嘆いとった。「ギョーテとは  俺のことかと  ゲーテ言い」ってな。

僕がクラシック音楽界にそこはかとない違和感を懐くのはそういう所なのだ。赤の他人が妙なレッテルをはりたがる。ハイドンの熊やめんどりぐらいなら他愛もないが、詩心が入ると深層心理に響いてしまい迷惑極まりなしだ。「ヴェニスに死す」というホモっぽい映画、あれを観てしまって僕はマーラー嫌いになったかもしれない。これは音楽の責任ではない。

戦前の尋常小学校では、ベートーべンが月夜の街を散歩していると、ある家の中からピアノを弾く妙なる音が聞こえ、良く見てみるとそれは盲目の少女であった。それが月光の曲だということになっていた。誰が作った話かさえ不明で、ここまで嘘が堂々とまかり通ると、クラシック音楽界というのは月光仮面のおじさんも実在だぐらい言いかねない仮想現実の世界と断じるしかなくなってくる。

何の仮想か?高貴なクラシックの巨匠や名曲というものはそういうものであらまほしく、真実なんかどうあれ、それでいいし、そうでなくてはいけないのだ。Let it be. じゃなく It should be.なのである。それでまた、そういう浅はかな俗説を何も考えずに信じてる人が多い。「皇室アルバム」という番組、誠にあれに近い世界であり、申しわけないが、リアリストである僕には逆立ちしても耐えられないジャンルである。

そんなことで14番は疎遠になってしまっていたのは不幸だった。しかし改悛する日がついにやってきた。先日、ピアノの譜面台にあったベートーベン・ピアノソナタ集をぺらぺらめくると、たまたま第1楽章が開いた。これがご縁というものかな。弾いてみる。

嬰ハ短調。いきなりブルックナー7番第2楽章の響きがする。冬の夜だ。深い悲しみの霧の彼方から哀歌が聞こえてくる。しかし、わからない。運命の歯車の音が聞こえるのに、何だってこんなに青白く高貴なんだろう??背筋が伸びる。どうして?悲痛な煩悶が襲ってくるが、諦めと共にすぐ鎮まる。だんだん瞑想に入り、身体が重くなって沈みこんでいく。哀歌が低く呻くように何かを問いかけ、闇の彼方に消えてゆく・・・

最後のコードで金縛りみたいにすっかり動けなくなってる。なんでこんな素晴らしい音楽を放っておいたんだろう?

よし、すぐ本稿を書こうと文献にあたると、モーツァルト弾きとして我が尊敬するピアニスト、エドウィン・フィッシャーがこう書き記しているのを見つけた。

第1楽章はモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」で騎士長が殺された場面の “Ah Soccorso! Son Tradito”(第 1幕 ああ、助けてくれ ! 裏切られた・・・)に由来している。私はムジークフェラインのアルヒーフで、ベートーベンのスケッチ帳にそれが嬰ハ短調で書き取られているのを見つけた。この楽章はロマンチックな月光なんかではない。厳かな葬送歌なのである。

まったくその通りと思う。その部分をお聴きいただきたい(ピアノ譜に注目)。

ワーグナーの死を予感しながら7番の第2楽章を嬰ハ短調で書いたブルックナー。彼もこれを弾いてフィッシャーと同じことを思ったんじゃないか。

14番を献呈した12才年下の伯爵令嬢、ユリーちゃん(ジュリエッタ・グイチャルディ)はベートーベンのピアノの弟子で、ウィーンで評判の美女だった(左)。大好きになってしまったベートーベンは友人への書簡で「彼女は私を愛し、私も彼女を愛している。結婚したいが、手が届かない高嶺の花なんだ」とつらい気持ちを吐露している。貴族である父親が許すはずがないのだ。しかし、なんでその彼女に曲を献呈したのか?しかもなんで葬送曲を?ここは想像をたくましくするしかない。

フィッシャーがドン・ジョヴァンニと指摘してくれたことに注目だ。このオペラをベートーベンは「不道徳だ」と批判していた。なぜわざわざそこから主題と右手の三連符をもってきたのだろう?オープニングの筋書きを思い出していただきたい。ドンナ・アンナはドン・オッターヴィオと婚約した身だったが、プレイボーイのドン・ジョヴァンニに口説かれて夜這いをかけられている。あわやというところで彼女の父親である騎士長に見つかってしまう。もはやこれまで。彼は決闘に持ちこみ騎士長を刺し殺してしまうのだ。

愛しのユリーと婚約したのはガレンベルク伯爵だ。ベートーベンと同じ師に学んだ作曲家である。13才年下の同業者に彼女を奪われて憤慨しない男はいないだろう。ベートーベンが彼女に14番を献呈したのは1802年。これを弾いて俺の怒りと絶望に気がついてくれ!しかしユリーは翌年にガレンベルクに嫁いでしまい、そいつはロイヤル・パワーであっさり出世して1806年にナポリ王立劇場の音楽監督になってしまう。あんな雑魚の作曲家が!悲憤いかばかりだったろう。まだ小娘の彼女がそう見越して嫁いだとは思えない。ロイヤルの父親がやったのである。実力だけでは出世できない矛盾と悲哀と怒り。ベートーベンはその一点において正統なモーツァルトの後継者だった。

男性の皆さん、血気盛んだった30才の頃を思い出していただきたい。平民が貴族にくってかかるわけにはいかない。そこで自分の化身としてドン・ジョヴァンニに復讐してもらっても不思議でないのではないか?何が貴族だ。俺をソデにした鼻持ちならないユリーの親父。あいつがいなけりゃ彼女は俺のものだったんだ。ビデオの三重唱は騎士長が “Ah Soccorso! Son Tradito”(第 1幕 ああ、助けてくれ ! 裏切られた・・・)と歌いながら死んでいく場面だが、エドウィン・フィッシャーの指摘によればまさにそこが14番の第1楽章、俗称「月光の曲」に化けたのである。

それほど怒りのマグマがたまっていたことは第3楽章の激情の爆発で包み隠さずエンジン全開で現れる。突き上げるような左手、アルペジオで駆け巡り分散和音をぶっ叩く右手。ピアノとスフォルツァンドの強烈な対比。これが怒りでなくてなんだ。長調の安らぎはやってこない。第二主題まで短調のままテンポも変えず、長大なコーダはいったん減七の和音が小休止を作るが第二主題の再現からまた突っ走って嵐のような短調のまま終わる。第8番のハ短調ソナタの終楽章と比べてどちらが「悲愴」に思われるだろうか。

フランツ・リストは第二楽章を「2つの深淵の間の一輪の花」と讃えた。これは2つの意味で至言と思う。まず両端楽章に深淵(casms、深くて暗い溝)を見たこと(彼も「月光」なんか歯牙にもかけていない)。そして第二楽章を可憐な花に喩えたことだ。レガートとスタッカートが交代する変ニ長調の主題が始まると、暗く重苦しい葬送の場面にぱっと光が差してスクリーンのカットが変わる。現れるのは微笑みいっぱいのユリーだ。このエレガントでコケティッシュな三拍子がユリーだったのではないかと僕は思っている。そしてアクセントをずらした重々しいトリオがベートーベン自身だ。ふたりの戯れは、しかし長く続かない。楽譜はたった1頁だ。

ベートーベンのピアノ・ソナタと協奏曲の全部にバックハウスが良い音で録音を残してくれたのは人類の福音としか考えられない。どれを聴いてもオーセンティックと感じさせられるのだから文句のつけようがなく、千疋屋のメロン、とらやの羊羹、加島屋のいくら醤油漬みたいなものである。ピアニストはこの通り弾ければそれだけで評価されるがオリジナリティはないという困ったものだ。

 

クラウディオ・アラウのこのライブは現代ピアノで14番の真髄を再現したものと思う。一聴するとロマンティックに傾斜したように聞こえるが、フォルテピアノを想定した作曲家の指示を体現しようとすると第一楽章はこのテンポになるのではという意味で古典的である。ベートーベンがこの機能のピアノを持っていれば許容したのではないかという表現を見事にリアライズした演奏ということでお聴きいただきたい。すべてのフレーズが脈打って呼吸し、触れればはじけるかのような繊細なピアニシモから地響きのように強靭なスフォルツァンドまで感情の機微が伝わっていない無機的な音が一音たりともない。

 

もうひとつ挙げておく。作曲されたころの1795年製のフォルテピアノで14番がどう響くかを体験していただきたい(ヘッドフォン推奨)。ベートーベンの意図が生々しく伝わってくる。ペダルはなくモーツァルトが弾いた時代からのヒザ操作であり、第1楽章のsenza sordiniは何の指示かわかっていないが、ここではダンパーをはずして幻想的な音響を得ている(だからSonata quasi una fantasiaなのだ)。現代のピアノではこれは不可能であり、解釈は面倒になる(見事にクリアしているのがクラウディオ・アラウである)。第2楽章のスタッカートも、どんな名人であれピアノでは絶対にこうはいかない。小股の切れ上がったこれでこそ意味が知れる(ユリーと確信だ)。そして第3楽章の音色の嵐である。凄い。尋常でないことが起きている。ピアノではスタッカート気味に弾かないと(ホロヴィッツがそうしている)音が混濁するが、それだとピアニスティックではあるが角が取れて怒りに聞こえない。フォルテピアノのこのガシャガシャした強烈な音の奔流をベートーベンが求めたのはこれを聞くと明らかではないだろうか。

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ベームのベートーベン7番を聴く

2022 JAN 10 23:23:30 pm by 東 賢太郎

僕はカール・ベームを聴いていない。1975年3月のウィーン・フィルとの来日公演は3月20日の東大合格発表前後だから気もそぞろであり、FMで聴いた気もするがあまり覚えていない。とにかく年輩ファンの熱狂がものすごいと話題になり、絶叫大ブラボーの嵐が巻き起こり、カーテンコールでベームの足にすがりつく人、手を差し伸べて高級腕時計をプレゼントする人も現れたらしい。

ベームは77年も他のオファーを蹴って来日した。招聘元はカラヤン、チェリビダッケも引っぱり出して話題になった。ビートルズが女の子を失神させた、これはわかる。しかし、いいおじさん方がドイツのお爺ちゃんにキャンディーズみたいに熱狂するなんて尋常じゃない。でもあの人たち、もしかして安保反対で旗振ってたかもしれない、日本はやっぱり敗戦国なんだなあと思ったりした。

77年ごろの自分はというと大学3年、音楽はブーレーズの “一神教” 状態で、レパートリーは近現代に偏っていた。弦チェレやル・マルト・サン・メートルやピエロ・リュネールは知っていたが田園交響曲はあくびせずに第1楽章を聞き通すのに難儀していた。同様に退屈だったショパン、マーラー、ヴェルディは今に至るまでそのままだが、バッハ、モーツァルト、ベートーベンは留学へ行ってロンドン赴任するあたりで一気に目覚めの時が来る。

モーツァルトになくベートーベンにあるのはバッハの平均律の痕跡だ。フーガを含む四声体の対位法において旋律が、次いでリズムが小節線を超える。それがベートベンのへミオラに至る。ブラームスもバッハの起源まで見通して先達のそれをより控えめに使ったが、ストラヴィンスキーは起源を断ち切って原初的に使った。僕がエロイカに聴くのはリズム変異と短2度の軋みだが、それを最も先鋭に聞き取ったのはストラヴィンスキーだった。

ベートーベンには20世紀の前衛に進化する因子があった。トスカニーニ、レイボヴィッツの演奏には因子が裸で見える。フルトヴェングラー、カラヤンは大河の流れに埋没させて丸めてしまう。ベームの演奏はどちらでもなく、かといって折衷的でもない。昔の古臭い劇場型をより堅固な合奏力でモダンにしたものだ。本来がオペラ指揮者である彼がウィーン・フィルを振るというのは自然な流れだが、歌なしの交響楽だけで観るなら愛想ない頑固寿司の親父だったのが職人技の評価で最高級店の大将になっちまったみたいなもので、握りに洗練はないが味は保守本流、間違いないねというところだ。

この交響曲第7番はバイエルン放送交響楽団と「店」がちがう。しかし握るのはいつも同じ寿司だ。Mov1序奏部、流れの良さなど歯牙にもかけぬティンパニの打ち込み、腰の重さをしかとお聴きいただきたい。職人一同を自分のスタイルに染め上げた頑固一徹!誠に素晴らしい。喜々として陽光が差し込むようなフルートの第1主題が最高。BRSOの木管はうまく表情豊かで旋律を減速し歌うべきところは歌わせる。Mov2は祈るようなppから徐々に浮かんでくる対旋律を絶妙に活かしトゥッティのピークに持っていく膨らみが劇場的だが、山の裏側で伴奏のキザミは常に冷めて克明という職人技が隠れている。Mov3は曲が個人的に好きでないが、ミュンヘンのヘルクレスザールの残響が大変美しい。Mov4は速すぎぬいいテンポ、これがアレグロだ。7番は3番のようなインヴェンションは皆無であり、ベートーベンが意識して書いた最も大衆向けの曲である。それを更にあおってミーハー向けの演奏となると安手の二乗で聞くに堪えず、僕は知らない指揮者の演奏会で7番は金輪際聞かない。まあどこがどうというということは書かないが、今どき希少な気骨ある立派な交響曲を聴いたというずっしりした手ごたえが残る。カール・ベーム79才の成せる業である。

 

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我がチャレンジ「エロイカを全曲弾く」

2021 DEC 7 12:12:12 pm by 東 賢太郎

野球を見ていると、ときどきファウルチップしたバットのにおいを嗅いでる打者がいる。外人に多い。きくところによると摩擦でボールの牛皮が焦げたいい匂いがするらしい。といって別に衆人環視の打席で嗅がなくてもよさそうなものだが、この匂いはバットとボールが150キロの高速で擦り合わないと出ないから僕の野球のレベルの選手は知らないし、プロ選手でも普段は嗅げない希少性がある。もし戦闘モードにある男をさらに猛々しく燃えさせる何かがあるのだとすれば、とても動物的本能に近い行動だろう。そういえば悪童だった頃、僕は電車の線路に侵入して、火花となって溶けて飛び散ったブレーキの鉄片を拾って匂いを嗅いでいた。危ないという気持も多少はあったが、それを振り払って余りある魅力だったのだ。それを嗅ぎたい衝動も本能だったと思うしかないから生物学的に何か意味があるんだろう。牛は太古の昔から食物でありわかる気もするが、鉄は食えないし、なんだって僕の遺伝子は「溶かさないと常温では嗅げない鉄の匂い」なんてめんどうくさいものをわざわざ好ましく感じさせようとしているんだろう?ひょっとして遠い遠い先祖が鉄の生産に関わっていて、もっと嗅ぎたいから働こうというインセンティブのある者がダーウィンの法則で勝ち残ってきたかもしれないなどと想像する。

きのうベートーベンのエロイカを聴いているうち、ふとその事を思い出した。この曲のある部分は、僕にとって、あの鉄片と同じいい匂いがするのだ。その「いい」という感じは文字にはしにくい。でも、あの溶けた鉄の匂いがまた嗅ぎたくなって僕は線路に入っていた(やばい話だ)。エロイカもおんなじだ、また聴きたくなる「常習性」があるのだ。これは僕だけだろうか。ベートーベンが脳内でいい匂いの音を見つけ、それを書き留めてふくらませていったらこうなった。人類の本能に訴えるから常習的に魅かれてしまう人が時代を超えてたくさん出てきて、それが積もり積もってこの曲は「クラシック」になったのだという説明は、シャネルの5番はそうやって香水の女王になったのだという現実のケース・スタディも伴っていて、ベートーベンが天才だとかナポレオンがどうしたなんて文学的な説明よりずっと説得力がある。

「エロイカの常習性」を唯物論的に探究する試みは、これまた魅力的だ。シャネルの5番には「ジャコウネコの肛門から取れる分泌物」が使われているが、音楽もそうやって組成を分解していくと非常にユニークな発見があって面白いのである。分解するとスカスカで何も見るべきもののない音楽は言うまでもなく安物である。よくできたもので、人々はそこまで見てないが、結果として安物は市場から淘汰され記憶からも消える。逆にエロイカはあらゆるクラシック音楽の中でも異例なほど新奇な成分が絶妙に配合され、人々はそこまで見てないが、結果として人類が滅びるまで地球に永遠に残るのである。シャネル5番は年間で250億円も売れるほど人間に常習性を植えつけることに成功したが、エロイカだってもしベートーベンに著作権があればお城が買えるぐらいは売れただろう。

その「新奇な成分が絶妙に配合された」一例をお示しする。下のピアノ・スコア(Edition Peters, Otto SingerⅡ版)でいうと右ページの2段目の終わりの小節から始まる弦のスリリングな下降が上昇に切りかわる4段目の最初の2小節だ。

ソソーソラレ|シシーシラファという単純なメロディ。実に何でもない2小節だ。その直前の6小節は、突然背後から敵軍に斬り込まれ、剣を振り上げて応戦する英雄のピンチである。ところが、半音階上昇するバスが加わって和声が Cm – C7 – F – D7 – Gm – E♭7 – A♭- F7と息もつかせぬ早業で突き進むこの2小節で(たった2,3秒だ)、駿馬にまたがる英雄は一気に形勢を逆転し、怒涛の勢いで突進して敵をなぎ倒すのである。う~ん、カッコいい。この和声連結は、連結法としては古典的でジャコウネコの分泌物ほど新奇ではないが、バスの半ば強引な(つまり旋律ではない)対位法によって機関銃の如く転調して人間の保守的な和声感覚を破壊してしまう凄まじい効果は、やってる中身に何もインテリジェンスはないが人智を超えた1秒に数百万回の高速売買という一点によって株式市場を根底から変えたアルゴリズム取引さながらである。こんな例はハイドンにもモーツァルトにもなく、ベートーベンの大発明である。彼は「和声感覚、リズム感覚の破壊」という新奇な成分を香水に配合したのだ。

冒頭、2発の号砲とともにチェロで現れる英雄のテーマは何とも生ぬるい。音量も力ない p (ピアノ)で、まるで寝起きであくびしてるみたいだ。それが減七の和音でいっそうのくぐもりを見せ、「ああ仕事したくねえなあ」という感じになるから最悪の出だしである。「どこが英雄だ」と初めて聴いた時に拍子抜けしたのをはっきり覚えているが、それこそベートーベンの周到な戦略だ。テーマをもう一度、木管とホルンが出しつつ変ロ長調に転調するとだんだん目が覚めてくる。そこで楽譜の左ページの4段目だ、3拍子なのに2拍子でガン、ガンと土俵に上がる力士が紅潮した顔を叩くみたいなぶちかまし(スフォルツァンドの衝撃、これぞリズム感覚の破壊だ)が入り、英雄はしかと目覚め、フル・オーケストラでテーマが堂々たる本来の威容を現すのである。

周到だ。この寝起きの人間くさいプロセスを見せるから、カッコいい2小節が俄然輝きを増すのである。いきなり冒頭からスーパーマンが現れて英雄だ!とやってもマンガである。リアリティがない。ではハイドン流に「序奏」をつけるか?いやいや、古臭いね。そこでこうなる。英雄主題はいわばライト・モチーフで、不意に幕が開いて準備中の主役にスポットライトが当たってしまう「現代劇」なのだ。これはほぼ同時期(前年)に書いたピアノソナタ第18番で使った手であることを指摘しておく(どちらも変ホ長調だ)。

ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31-3

エロイカ第1楽章の提示部をピアノで弾くことは僕にとって人生最大の喜びの一つである。たびたびブログでいろいろな曲の楽譜をお示ししているのはそういう「部分」であって、なぜそうするかというと、そこに「匂いの秘密」が封じ込められているという確信があるからだ。音楽は物理現象である。だから採譜できる。それを分解すれば秘密は解き明かせるはずだという強い思いが僕にはある。このモチベーションは、恐らく、天文学者が137億光年かなたの星雲のスペクトルを解析したり、物理学者が素粒子をさらに分解したら何が出てくるだろうと全周26.7 kmの陽子ビームの加速器を作ってしまう好奇心に近いかと自分では思っている。

しかし、ソソーソラレ|シシーシラファという音列と、Cm – C7 – F – D7 – Gm – E♭7 – A♭- F7 の和声連結は単に「そうである」という以上のものをもたらさない。何か数学に置き換えられる原理や規則性はない。とすると、なぜそれが「いい匂い」を発するのかの答えは受容する人間の脳の側にある(しかない)ことになる。こういう「ある」は哲学における「存在する」に他ならず、明日から地球が猿の惑星になればエロイカはこの世から消える。楽譜は残っても存在はしない。「明日から人間だけの惑星になればこの色は消えるよね」と小鳥たちは森でささやき合っているだろう。人間は色に見えないから「紫外線」と呼んでいるその色は鳥には「存在」している。

つまり、音楽は採譜はできてもメタ・フィジカルな「存在」なのだ。だから、音楽を演奏し聴くという行為は、「発色させた人間」(作曲家)と、それを受容する人間(聴き手)の脳の交信に他ならない。味覚は「甘味は食べろ、酸味、苦みは危険だから食べるな」のようにセンサーの意味があるが、音列、和声連結で子供が育ったり、腹をくだしたりすることはない。ならばなぜ「いい匂い」と感じさせられているのか?それはまさに「鉄の匂い」に僕が引き寄せられていたのと同じ謎なのだ。仮にそれが「甘味」だとすれば、ベートーベンは人間が甘味に感じる音の組み合わせを発見したことになる。エロイカに限らず人気作品にそれは散りばめられているが、それをそういうものだと「わかる」人が多くないのでまとめて「**味」のように呼ぶ言葉がないということだ。

音楽に限らない話だが、人が何かを「わかる」というのはどういうことかという点について含蓄ある論考がある。哲学者・國分功一郎氏の興味深い著書『暇と退屈の倫理学』に「人は何かをわかった時、自分にとってわかるとはどういうことかを理解する」とあるのがそれだ。哲学者スピノザの言葉だが、まさにそれだと思う。同書はこうも言う。「数学の公式の内容や背景を理解せず、これに数値を当てはめればいいと思っていたら、その人はその公式の奴隷である。そうなると『わかった』という感覚をいつまでたっても獲得できない」。そういう人は間違いなく数学ができない。よってこの論考は正しいと実感できる。何事につけ、「わかる」ための自分なりの方法を見つけることはより良く生きるための実習である。

僕の場合、「ある音楽をわかる」ということは、それが発する匂いを嗅ぎ、その匂いは作曲家も好んで音楽に封じ込めたものだと実感(=交信)することだ。理屈でなく、それこそ嗅覚や味覚のような「本能」の次元の結びつきだから強固であり、その状態をもって「エロイカがわかった」と宣言してもまったくおかしくない。僕はその瞬間にその作品は自分のものになったという感じがする。レパートリーというものは演奏家だけでなく聴き手にもある。それを得るには自分で弾くに限るというのが僕の方法だ。僕の腕で人前で演奏できるわけではない。つっかえても止まっても、自分の眼と指で音を解きほぐし、匂いの元を探り当てる。弾くというより解明する。万人にお薦めはしないが、ピアノを習ってない僕ができることは誰でもできるだろうし、ポップスでビートルズのコピーバンドをやるのは全く同じことだ。どんな苦労をしても「あの音を出してみたい」という情熱、衝動、要はそれがあるかないかだ。エロイカを全曲弾く。これは僕にとってはアイガー北壁を登覇するぐらいの壮大なチャレンジだが、挑んでみたい。

学校で学んだことでなお残っているもの (2)

 

 

 

 

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クラシック徒然草《ベートーベン生誕250年記念演奏会》

2020 DEC 27 19:19:51 pm by 東 賢太郎

作曲家の「生誕(没後)**年」と聞くと、レコード会社のキャンペーンで、チョコレート会社のバレンタイン・デーみたいなもんだろうと反応してしまいます。職業病ですね、必ず裏に「カネ」のにおいを嗅いでしまう。「歴史はカネで見るとわかる」と言う人がいますが、我々証券マンは歴史どころか日々そう考えており、話はすべて「ポジショントーク」に変換して聴くのです。だからその集大成の歴史がそうなのは必然です。

嫌な考え方と思う人がおられるでしょうが、そういう人の比率が非常(異常)に高いのが日本であって、日本人らしさの重要な定義の一つと言っても過言でありません。いいことなので変わって欲しくはないですが、世界はそうでないという「自己の相対化」は必要でしょう。日本を一歩でも出れば「人間は損得で動かない」と仮定することは童話の世界においてすら困難であり、ベンサムの功利主義もすべての近代経済学理論も成り立たなくなるのです。

だから「モーツァルト没後200年」(1991年)も冷ややかに見ており、書物が増えたのでたくさん読みましたがチョコレート買ったり映画見たりはしませんでした。ところが世の中は盛り上がったのです。あれが今は昔。今年のベートーベン生誕250年は、さすがにこの疫病には誰も勝てないことを楽聖が証明するという残念な形になってしまいました。西部ドイツ放送のこの番組は、ドイツ人が誇りをこめて彼の誕生年を祝いたいというものでしょう。

感想ですが、まず、この演奏会はもともと第九の予定だったことで、ドイツでは第九が演奏できないんだなあということです。それからヴァイオリニストのダニエル・ホープは司会もうまくドイツ語もききやすい、多才な人だなあということ。そして、何よりバレンボイムですね、彼はフィラデルフィアにやってきてリストのソナタを弾きましたが、衝撃的な名演でいまでもはっきり覚えてます。当時41才、今年は78才。オペラ指揮者としても東京、ミラノでのトリスタン、ドン・ジョバンニ、ベルリンでニュルンベルグ名歌手、ワルキューレなど、シカゴ響とのコンサートを何度か聴きました。

彼のレコードで最初にいいと思ったのはここにご紹介した21才の時のものです(ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37)。それが今年演奏された。彼にとっても思い入れある曲なのでしょう。指回りは多少翳りがありますが、タッチは意味深いですね(特に和音の奏し方)。思えば僕が聞き始めのころ彼と小澤とメータは駆け出しのお兄ちゃんだったのです。フルトヴェングラーに師事したといっても、朝比奈隆も会ったらしいしそんなものだろうと思ってました。

彼は5番を師匠みたいにやらないし、ピアノは常時300曲のレパートリーがあるし、まったく違う道を歩んでドイツ音楽の巨匠になりました。ユダヤ人としてマーラーよりブルックナーに熱心という所も自分を持ってる。その印象は37年まえに堅固な建築の如きリストに聴いたあのイメージと微塵も相異がなく、敬意を覚えます。今や残った数少ない巨匠であり、お元気でいつまでもご活躍いただきたいと願うのみです。

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クラシック徒然草《エロイカ録音史とクレンペラー》

2020 NOV 28 17:17:18 pm by 東 賢太郎

年をとることの最大の利点は、年をとらないと分からないことが分かるようになることだ。

僕にとってベートーベンの交響曲第3番エロイカが大切な音楽のひとつであることは知っていた。10年前にサラリーマン生活を終えて独立する苦しみのさなかで、孤独だった魂を救ってくれたのはこの曲だ。めぐりあっていた幸運にどれほど感謝したことか。言うまでもなく、これを作曲していたころベートーベンも死を意識して遺言を書くほどのどん底にあった。ひとりの人間が奈落の淵から立ち上がり、這い上がり、運命に打ち勝っていく際に放射するエネルギーには何か人類に共通なものがあるのだろうか、彼がそれをする過程で心に去来した音を書きしるしたエロイカという楽曲はあらゆる名曲の内でも異例なものを宿しているように感じられてならない。僕を鼓舞して立ち直らせたのは、音を超越したいわば名文に籠められた言霊のごときものであり、無尽蔵の生命力を秘めた霊気のようなものでもあったと思う。

オットー・クレンペラーがフィラデルフィア管弦楽団に客演したライブ録音を聴いた。彼は正規盤としてEMIにモノラル盤(1955年)、ステレオ盤(1959年)を残している。どちらも第1楽章のテンポが理解できなかったのはおそらくエロイカをトスカニーニで覚えたからであり、Allegro con brio 、付点2分音符=60と楽譜にあるからでもあったろう。とするとクレンペラーは遅すぎて論外であり、SMC最初期の7年前に書いたこブログに推挙していない(ベートーベン交響曲第3番の名演)。若かった。たかが7年、されど7年だ。1962年、クレンペラー77才のこのライブは正規盤のどちらよりもさらに遅いのに、それをたったいま聴き終えて筆をとらずにいられない自分がいる。

音は貧弱でオケも精度を欠くためこの録音に近寄るすべはなかったのが、いまはアンサンブルの中からいろんなものが聞こえてくる。それは決して指揮者の独断ではなく、ベートーベンの心の声であると思えるのだからじっと耳を傾けることになる。

この経験はどこかでした。そうだ、彼のフィガロの結婚だった。あまりの遅さに絶句し、こんなものはモーツァルトでないと断じて長らくご無沙汰になった。それを傾聴している今があるのだから、この爺さん只者じゃないと推して知るべしだったのだ。エロイカを完全無欠なアンサンブルで聞かせたものにジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団の盤がある。僕はトスカニーニ、レイボヴィッツを聴きこんできたのでテンポも納得いくセル盤は当初から好みだったし、交響曲を聴いたという充実感でコンテストをするならこれに満点を与えても誰も文句をつけないのではないか。

しかし、ベートーベンがこう望んでいたろうか?という疑問が湧きおこるのも事実だ。当時こんな力量のオーケストラは存在しなかったから彼は聴いたこともなく想像もできなかったであろう。室内楽の如き完璧なアンサンブルで管弦のバランス、アインザッツまで精緻に造形したトゥッティをスタッカート気味に強打するなど “シンフォニック” の一言だが、それはあくまでも20世紀の管弦楽演奏の概念なのだ。この驚異的な演奏を1957年に録音したセルの凄みは筆舌に尽くし難いが、これがアメリカのヴィルトゥオーゾ・オーケストラを得て成し遂げられたことも時代の一側面だ。

録音史という標題にしたので書くなら、第2次大戦後の米国のレコード会社は自国のオーケストラの音楽監督に欧州の著名指揮者をすえてクラシック・レパートリーのアイコン的録音を自社コンテンツ化するマーケティング戦略を採った。マーラーに始まりクーセヴィツキー、ストコフスキーときた成功体験の系譜の戦後版であり、ユダヤ系音楽家の亡命も追い風だった。それがトスカニーニ、モントゥー、ワルター、オーマンディー、セル、ライナー、ショルティ、ラインスドルフ、スタインバーグ、ドラティ、ミュンシュ、コミッショーナ、アブラヴァネルなどだ。誘致案があったがナチス関与のかどで潰されたのがフルトヴェングラー、カラヤンであり、来てみたがうまくいかず短命政権に終わったのがクレンペラー、クーベリック、マルティノンである。その流れで自国の指揮者バーンスタインの売り出しに成功し、非白人のメータ、小澤もポストを得ている。

その指揮者輸入戦略からトスカニーニのレスピーギ、ライナーのバルトーク、ショルティのマーラーなど本家を凌ぐどころか永遠に凌駕もされないだろう名録音が幾つか生まれたが、セルのベートーベン全集はそこに位置づけられる偉業だろう。永久不滅の録音が名人オーケストラなしにできることはないが、ライナー、ショルティのシカゴ響と並び立つクリーブランド管の機能的優位性はセルの薫陶の賜物として際立っており、その末裔として1969年に生まれたのがやはり永久不滅となったブーレーズの春の祭典だったと考えれば筋が通る。中でもセルのエロイカは米国の楽団が残した録音という条件を外しても白眉であろう。

セルに先立ってベートーベンの9曲を英国のフィルハーモニア管でEMIに録音したのがヘルベルト・フォン・カラヤンであった。1952年のエロイカは、いまでも仮にサントリーホールで鳴り響けば名演として記憶されただろう。しかし、これとてセルを知れば霞んでしまうのだ。モノラルということもあったからだろう、カラヤンとグラモフォンがご本家ドイツの威信をかけて1962年にイエス・キリスト教会でステレオ録音したのがベルリン・フィルとの第1回目の全集ということになる。

僕はカラヤンのベートーベンを選ぶならこのベルリンPOとの第1回目を選ぶ。本当かどうか当時の彼はトスカニーニを信奉していたとされるが、指揮界はカラヤンが後を襲ったフルトヴェングラーがトスカニーニと人気を二分しており、彼が後者側の流儀に立つ政治的理由もあったろう。スピード感と力感に溢れ、磨きこまれたしなやかさも見せるこのエロイカは作曲家の悲劇と慟哭には踏み込みが浅いが、後のカラヤンのトレードマークとなる特徴の原点をすべて揃えた一級品だ。しかし、このレコードとて、恐るべきレベルまで研ぎ澄まされたセル盤を凌駕したとは思えない。

その横綱セル盤を僕が熱愛しないのには訳がある。聴覚の喪失という音楽家に致命的な症状が現れ始め、覚醒している限りその自覚に苛まれ続け、治療の望みは日々断たれて音はどんどん消えていき、その地獄の責め苦が一生続く恐怖から逃れる唯一の手段は死ぬことであるというところまで追いつめられて書いたのがハイリゲンシュタットの遺書だ。虚構に擬する人もいるが、彼が死を選択肢としつつ書いたのは真実と考える。ただし、書きながら親族の難しい現実に意識を移ろわすうちに、自分が生きる必要があり、どんなに苦しく孤独でも必要とされるのだというドグマのエネルギーがドライブして彼は活きる望みと力を取り戻していった、だから書き終わるころには脳裏に浮かんだ死はもはやフィクションになっていたのだと思う。

そうでなければエロイカのような音楽は降ってこないだろうし来たとしても死ぬ人間が書き留めようとは思わないだろう。エロイカは生きようと思った彼が遺書を断ち切る情動を自らを鼓舞するために書きとった音楽ではないだろうか。第2楽章の葬送行進曲は誰の葬送でもない、彼が遺書の紙を手にした時に脳裏をよぎった死の形であり、その奈落の深い闇から脱却したところに彼が世に問いたかったステートメントの核心があるように感じられてならない。そうだとすると、葬送行進曲までが整然と名技の披歴の舞台となっていて、人間のどろどろしたリアリティーをあまり感じないセル盤のコンセプトは物足りない。第2楽章をアレグロの両端楽章に対する緩徐楽章としてロジカルに俯瞰し、そこに封じ込められた地獄の阿鼻叫喚を音符通りダイナミックに鳴らしはするが一個のリアルなドラマとして描くアプローチは採っていないからだ(カラヤンも同様だ)。

つまり、そうなると復活後の快哉ばかりがアレグロの快感を伴って全曲を支配する印象を残すことになり、それはそれで力をくれるし演奏会でブラヴォーの嵐を呼ぶことはできるのだけれど、僕はこの年齢になってそれは何か違うのではないかという思いを懐くようになってしまった。管弦楽演奏としてこれ以上不可能だろうという非の打ちどころない演奏を記録した音楽家たちに最高の敬意を払いたいし、こういうことを書くのは心苦しさを伴うが、スコアのメトロノームに従って火の出るような演奏をしたトスカニーニに対しセルは熱量はあまりなくクールに軽々とF難度の演技をこなすメカを感じるところが異なる。

そして、セル盤と対極的な位置にあるのがフィラデルフィアのクレンペラー盤なのだ。それは奈落の底に焦点をあてたアプローチであり、セルのフォーカスが陽ならクレンペラーは陰だ。アインザッツをそろえてパンチを利かせたり流麗なレガートで泣かせようなどという細工がない。死を意識する混沌から立ち返ったベートーベンの強靭な精神への敬意と共感に満ち、それを表象して資するような音を裏の裏まで執拗に拾い、克明に聴き手の耳に届ける。第2楽章のホルンソロ以降の阿鼻叫喚は、セル盤では優秀な役者をそろえた立派な悲劇だがクレンペラー盤には血が流れるのが見える。スケルツォも遊戯的では一切なく、終楽章も暗さが支配して希望回帰の安堵や享楽はやって来ずに終わる。

終楽章がそういう筋立てであるなら、同じアレグロの第1楽章も付点2分音符=60にはならないのが道理だろう。むしろその遅さでなければベートーベンの闇と復活は描き切れなかったと思う。最晩年、1970年のこのライブでは第1楽章はテンポが遅いを超えて止まりそうになる。初心者の方はこれがセル盤と同じ曲と思えないかもしれない。あのスコアをこう読む想像力を僕は持ち合わせていないけれど、メンデルスゾーンの例でみた通り、彼にはそれがあり得るのだ。

7年前の自分なら、これは真っ向から切り捨てていたろう。それが今は許容どころか好んでいる。若かった僕が間違っていたかもしれないし、音楽の方が両方を包含しているのかもしれない。ポップスをそれほど違うテンポでやれば違和感があるだろうがベートーベンのこの音楽は多層的であって、JSバッハの音楽がそうであるように異なったテンポを許容するのではないだろうか。それはメトロノームをこまめに書き込んだ作曲家にとって不本意な結論かもしれないが、彼がエロイカの譜面に図らずも書きこんだのは音符でなく言霊、霊気だ。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、24番にたちこめる何やら恐ろしい物、それがここでは落ちこんだ人を蘇生させる向精神薬のように働いている。

僕はクレンペラーのように第2楽章の奈落に焦点をあてるアプローチにだんだん賛同するようになっており、セルやカラヤンには音楽演奏としての快感では納得だがエロイカの莫大な霊力は半分も描き切れていないと感じるようになってきている。付点2分音符=60との矛盾はあくまでイロジカルなままであるが、ベートーベン自身、エロイカ作曲の時点で鬱状態から完全には回帰しておらず、内面に矛盾を抱えた状態で躁状態に突入しつつあったと思う。耳疾への恐怖に打ち勝って吹っ切れるのは運命、田園を書いた頃からだ。だからエロイカは多層的なものを含んだ作品となっているのであり、自身がまだ多層的だったベートーベンはそれに気づかなかったというのが私見だ。

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ポアロの主題曲はどこから来たか?

2020 AUG 27 23:23:28 pm by 東 賢太郎

高校のころ、アガサ・クリスティーの探偵エルキュール・ポアロに僕はモーリス・ラヴェルの風貌をダブらせて読んでいた。灰色の脳細胞、ベルギー人の小男というというとなぜかそうなってしまった(ラヴェルはフランス人だが)。ミス・マープルのイメージがなかったのは、イギリス人のおばあさんを見たことがなかったからだろう。ということでTVドラマのデヴィッド・スーシェのポアロに慣れるまでしばらくかかった。

このドラマのテーマ音楽は英国のシンフォニストであるエドマンド・ラッブラの弟子で、やはり交響曲を12曲書いた英国人クリストファー・ガニングが書いた。皮肉屋で洒落物のポアロに良くマッチしていると思うが、この節はどこかで聞いた覚えがある。

こうやってメロディーを頭の中で検索するのは何の役にも立たないがけっこう楽しい。曲を聴いて何かに似ているという直感は急に天からやってきて、たいていなかなか正解が見つからない。そのくせ似ている相手のメロディを絶対に知っているという確信と共に来るのでたちが悪く、見つかるまで意地?になって他の事はみな上の空になってしまう。

ポアロのそっくりさんは簡単だった。シューベルトのアレグレットD.915の冒頭である。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏で。

シューベルトは、死の直前のベートーベンに一度だけ会っている。そして楽聖の死の1か月後、友人のフェルディナント・ヴァルヒャーがヴェニスに旅立つ際に書いたのがD.915だ。この曲、最晩年の作品でシューベルトは病気であり、今生の別れであるように寂しい。スビャトスラフ・リヒテルは黄泉の国を見るように弾いていて尋常でない音楽とわかる。ガニングがこれをひっぱったかどうかは知らないが、調の違いこそあれど(ハ短調とト短調)冒頭の音の並びは同じだ。

そして、そのシューベルトはこのメロディーを、ひと月前に黄泉の国に旅立ったベートーベンのここからひっぱったと思われる。交響曲第5番「運命」の第3楽章冒頭だ。

そして、ベートーベンはこのメロディーをウィーンの先達モーツァルトのここからひっぱった(スケッチブックに痕跡がある)。交響曲第40番第4楽章冒頭である。

他人の空似は気にならないが、音楽の空似は気になる。

 

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ルフェビュールと大坂のおばちゃん

2020 FEB 3 21:21:17 pm by 東 賢太郎

大坂のおばちゃんみたいと言ったら失礼だろうか?僕にとって大阪は仕事の故郷であり、おばちゃんにたくさん助けてもらって、親しみの気持ちでもあるんだけど・・・。

フランスのイヴォンヌ・ルフェビュール(Yvonne Lefébure, 1898 – 1986)さんのことである。大好きなピアニストだ。

まずはこのベートーベンの31番のレッスンをご覧いただきたい。

凄すぎだ。最後のアリオーソの前のところである。アルゲリッチの鬼神が乗り移った様を思い出すが、ちょっと違う。怒った猫が鍵盤をパンチでひっかいてるようで、それでいて弾きながら眼鏡を直せる。やっていることを言葉にも出せる。完全に右脳型に見えるが左脳もぴったりシンクロしているということで、実はとてもコントロールされている。

ビデオでstage fight(舞台でのケンカ)の話がある。そりゃあこれは指揮者ともめるだろう。メンゲルベルグを激怒させたらしいが、これだけの腕前のピアニストなのに、メジャーレーベル録音というとフルトヴェングラーのK466だけというのはそこに理由があるのだろうか。クレンペラーとやりあったツワモノのヘビー・スモーカー、アニー・フィッシャー女史も有名だが。

さて次はラヴェルだ。彼女はフォーレにも会ったらしいが、まだ幼少で、演奏を聴いてもらったのはラヴェルだと言っている。3分10秒からト長調協奏曲の終楽章があるが、実に面白いので実況中継してみよう。

まず4分8秒で、鞭(ムチ)が鳴らない。打楽器奏者2人はボーっと立ちすくんでおり、事故というより完全な不勉強である。これで凍ったのだろうか直後のホルンとトランペットの掛け合いはもっさりしたテンポになってしまい、彼女は4分23秒からのパッセージをお構いなしに速めに戻す。しかしまだ遅いのだ、それはオーボエがガチョウみたいな間抜けな伴奏をつける4分58秒で、次のパッセージの開始を待たずテンポアップしてしまうことで明らかになる。そこからいきなりピアノは疾走し、やばい、このテンポだとバスーンが崩壊かと手に汗握る。ぎりぎり誤魔化してほっとするが、続くトランペットが速さのせいかへたくそだ。そして、その次の変ホ調クラリネットがついにトチってしまう。その瞬間、彼女は電光石火の早業で指揮者にキッと目をやるが(5分49秒)、怒っているというより「あんた大丈夫?」という感じだ。そしていよいよクライマックスに至る直前、「さあ行くわよ!」と指揮者を鼓舞するが、6分15秒あたりからオーケストラはピアノにおいていかれ(というよりピアノが先走って)しばしアンサンブルはぐしゃぐしゃになる。振り回された指揮者(JMコシュロー)がお気の毒。おばちゃん、寄り切り勝ちだ。

東洋人(日本人?)の弟子が弾くアルボラダのエンディングのコードに一瞬の間を置けとか、ビデオはないがCDのシューマンの子供の情景で、トロイメライの最後のGm-D-Gmの和音になる2度目のレミファラをほんの少しゆっくり弾くとか(コルトーもそうしている)、そんなことは楽譜にない、自家薬籠中の味付けである。ここ、シューマンの天才的な和声感覚でF(ヘ長調)の主調にG7が現れ、この音はけっこうびっくりなので「のばしなさい」とペダル記号とフェルマータがついてる。

それが終わって1回目のレミファラでC7(+9)でぼかしながら、2度目のレミファラに付されたGm-D-Gm(ト短調)が、これ、僕には脳天の中枢におよぶほど衝撃的で、1回目のびっくり(Gのセブンス)が2回目はGのマイナーになっているだけなのだけれど、こういう音を書いた人は他に一人もいない。ここを音符どおりに素通りするなんて考えられない。シューマンはリタルダンドと書いて「だんだんゆっくりね」とは言ってるが、子供が夢の中で何かにはっとしているのがGm-D-Gmだとするなら、それを母のような愛情で慈しむなら、音価よりゆっくり弾きたいと思う。

僕はシューマンが、自然に、音楽の心としてそうなるだろうと記譜していないのだと思う。音価を変えていないのも、決めつけるのではなく、弾き手の心で敏感に感じてやってくれと。最後でまたC7(+9)で夢うつつのようにぼかしながら、オクターヴ下がってラシドのたった3つの音で主調に回帰して深い安息感をもって曲は終わるのだ、ト短調のびっくりから1小節もたたないうちに・・・。

ルフェビュールはそういう風に弾いてくれている。そういう味わい深いもの、心のひだに触れる精神の産物は楽譜に書けない。書いてあったとしても、物理的な速度の増減という無機的なものではない。妙なたとえだが、学生の頃よく行った頑固なおばちゃんがやってた渋谷のんべい横町の焼き鳥屋のタレだ。継ぎ足しで年月をかけて舌の肥えた人が熟成させてきたものが料理本のレシピで一朝一夕にできることはない。

ルフェビュールおばさんはラヴェルの水の戯れを上手に弾いた男性に「とってもいいわ。でもあなたの音はリストなの。ラヴェルが見つけた新しい音は違うの、ヴェルサイユみたいにやってよ」とコーチしている。宮殿の庭の噴水は何度か見たが僕にはわからない、この意味はパリジャンがヴェルサイユと形容した時に感じるものを含んでいる。永く住まないとという性質のもので、ラヴェルの生の音を聴いた人の証言でもある。そして、彼女が奏でる水の戯れの冒頭のパッセージは、言葉もないほどにエレガントだ。

最後に、ドビッシーの版画から雨の庭。腕を高くあげての猫パンチのひっかきが威力を発揮、そこから出る単音のメロディーが蓮の花のようにくっきり浮かび上がるのはマジックさながらだ。圧倒的な説得力。まいりました。

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朝比奈隆のエロイカ

2019 OCT 30 18:18:38 pm by 東 賢太郎

 

はるか昔に買って忘れていたLPレコードを棚から引っぱり出して、片っ端から聞いている。千枚以上あるから時間がかかる。きのうは朝比奈隆のベートーベンがでてきた。中身の記憶はさっぱりないが、なぜこのレコードを買ったかは推察できる。このひと、80年ぐらいに神戸でエロイカをきいて面白くも何ともなかった。大フィルも二流と思った。しかし当時は大阪に住んでいて、世間の評判は高いしこっちの耳がおかしいかもしれない、また聴く機会もあるかと思い、確認する意味で買ったと思う。それでどう思ったかはこれまた覚えてないが、記憶がないのだからやっぱり感心しなかったのだろう。

ところがだ、きのうエロイカをお終いまでじっくりきいてしまったのである。このLP、1977年10月6日のライブで、オケはやっぱりうまくない。冒頭から遅いテンポでバランスも音程も甘い弦、なんだこりゃと立ち上がって止めかかったが、なにか予感があってMov1だけ聴こうと思いとどまった。熱が入ってきて、これならばとMov2に行く。さらに良い、この楽章の後半は非常に良い。そこから最後まで、出だしと同じ演奏と思えないコクと熱量が横溢してきて耳はくぎ付けだ。まぎれもなく、優れたオーケストラでないと出ない性質の音が出ている。

こういう演奏はもはや世界的に絶滅しているのである。

僕は1982年から16年欧米語圏に住んで、20世紀終盤のカラヤン、バーンスタイン、ショルティ時代の世界のオーケストラを現地のホールで聴きまくった。人間のやることだから、トリプルAランクのオーケストラがいつも良いわけではない。シカゴ響はロンドンでショルティ、ドホナーニで何度か、フランクフルトでもバレンボイムで聴いたが、ショルティのマーラーのレコードみたいな超弩級のものはなかった。ベルリン・フィルは何度も色んなホールで聴いて、カラヤン最後のブラームス1番はたしかに凄かったが、心底震撼したのはブーレーズのダフニスとカルロス・クライバーのブラームス4番だけである。2年間定期会員だったムーティのフィラデルフィア管だって信じられないほどさえない日もあった。彼らがアウエーでやる日本公演は、ホールのプアな音響の問題もあるが「頑張って帳尻合わせたね」という以上の記憶はない。

しかしここで書きたいのはそういう事ではない。朝比奈は練習を見るに旋盤の微細な角度にうるさい中小企業メーカーの社長のような人であり、クライバーのような「テレーゼ、テレーゼと恋焦がれて弾けとか」と直観にささる指示より即物的な弾き方の指示をするタイプだ。エロイカの出だしのテンポはベートーベンの付点二分音符=60の指示に対し朝比奈は48でありとても遅いわけで、だから伴奏のヴィオラのタタタタの伸ばしに微細な指示をしているのがyoutubeのビデオで分かるが、緊張感が出ない。そうやってMov1が開始するものだからいきなり背筋が伸びるカラヤンのエロイカのようなインパクトが全く希薄である。

これで思い出したのはクナッパーツブッシュだ。彼のも46~48で超低速でごわごわもっさり始まり、イメージが良く似ている。

今どきこんな田舎くさいエロイカをやる指揮者はいないが、明らかに彼らは全曲の焦点をMov2に置いているのであって、ベートーベンがそう意図したかどうかは別として、強いインパクトのある解釈と思う。

最晩年のショルティのをチューリヒで体験したが、ここまでではないがやはり極点はMov2に置かれており、エロイカを見る視点が変わった。しかしあれはショルティという超大物だからオーケストラ(トーンハレ管)を乗せられた観もあり、若いお兄ちゃんが気軽にできるものでもない、楽員が心から納得してついてこないと浮いてしまうリスクのある解釈だ。朝比奈がそこまで意識して48のテンポにしていたか知る由もないが、若いお兄ちゃんであった僕には良さがさっぱりわからなかったのを恥じ入るしかない。蛇足ながら朝比奈の1977年10月6日ライブはクナッパーツブッシュよりずっとすぐれている。

朝比奈・大フィルのエロイカ(6年後のもの)

 

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ベートーべン 歌劇「フィデリオ」

2019 SEP 8 21:21:35 pm by 東 賢太郎

ベートーベン/オペラ 『フィデリオ』 (演奏会形式)

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
レオノーレ(フィデリオ):アドリアンヌ・ピエチョンカ
フロレスタン:ミヒャエル・シャーデ
ロッコ:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリッヒ
ドン・ピツァロ:ヴォルフガング・コッホ
マルツェリーネ:モイツァ・エルトマン
ジャキーノ:鈴木 准
ドン・フェルナンド:大西宇宙
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:冨平恭平
管弦楽:NHK交響楽団

9月1日・オーチャードホール

幕開けが「フィデリオ序曲」で第2幕の頭に「レオノーレ3番」であった。これを聴くのはクルト・マズアのやはり演奏会形式を聴いて以来。LvBはドン・ジョヴァンニ、コシ・ファン・トゥッテの台本を不道徳だと嫌ったが、モーツァルトにそんな倫理観はなかったし、オペラを書くにあたって筋への主義主張としてのこだわりはフィガロへの政治的関心を除くとそんなになかっただろう。

モーツァルトの主要オペラの舞台はこうだ。

イドメネオ(クレタ島)、後宮からの誘拐(地中海の国)、フィガロの結婚(スペイン)、ドン・ジョヴァンニ(スペイン)、コシ・ファン・トゥッテ(ナポリ)、皇帝ティートの慈悲(ローマ)、魔笛(エジプト)

かように彼のオペラの舞台が地中海世界であるのは、ハプスブルグが地位を継いだ神聖ローマ帝国の歴代の皇帝がその名の通りイタリアへの憧れと関心を強く持ち、イタリア政策と称して介入を続けた歴史と無縁ではない。ウィーンにおいてオペラはそのイタリアの輸入品、舶来品であった。

これは敗戦国日本でロックが憧れの英米の輸入品であるのと似る。モーツァルトがイタリア語でオペラを書き、楽譜にアレグロやアンダンテとイタリア語を書き込んだのは、僕ら世代の日本人がビートルズを英語で歌いたがったのと同じことだ。その文化の中でモーツァルトが後宮と魔笛をドイツ語で書いた。当時ドイツという国はないがドイツ語を話すハプスブルク帝国のプライドはヨゼフ2世にはあったろう。

しかし幼時から旅に次ぐ旅で育ったコスモポリタンのモーツァルトは何語だろうと自在に音楽をつけられる。彼のドイツ語オペラは民族意識というより皇帝に忖度してサリエリらイタリア人を追い出してポストを得ようという方便だったし、魔笛はシカネーダーの芝居小屋で庶民にわかる言葉で売ろうという方便でもあった。動機はともかくそれがウェーバー、ワーグナーに連なる大河の源流になったという意味でモーツァルトは日本語ロックのサザンオールスターズの役割を果たした。

では、やはりドイツ語オペラであるフィディオはどうだろう。1804年、レオノーレの台本を見い出したLvBはエロイカを書き運命を構想中という中期傑作の森にある。彼がモーツァルトの後継者のみならず凌駕した存在になるにはオペラが必要だった。意識したのはやはり救出劇であり、やはりドイツ語(ジングシュピール)である魔笛だった。しかも時代はまさにナポレオン軍がウィーンを占拠し、1806年に神聖ローマ帝国が消滅する前夜だ。

ローマが消えてオーストリア帝国に。LvBが演奏記号までドイツ語に代えていく意識はそのことと無縁ではない。フィデリオの初演の客席はフランス兵が占め、独語が理解できず不評だったとは皮肉なことだが、政治犯の投獄という設定は作曲当時にウィーンが砲撃の轟音と火薬のにおいに満ちていた空気を反映している。大臣到着を告げるラッパも進軍のトランペットとして聞こえていただろう。

LvBが4回も改定した自信作であり、彼は哲学、天文学まで習得したインテリ、教養人だ。国際政治についても先人モーツァルトよりは客観的、汎欧州的な視座があった。そして、二人とも、イタリア人より良い音楽が書ける自信に満ちていた。オペラが意識の中で先進国の舶来品でなくなったという意味で、LvBにおいてドイツ音楽は今に続く地位を初めて得たのである。

ひとつだけ付記しておくとすれば、モデルにした曲が魔笛というのが限界だった。皆さま魔笛をどう評価しておられるか存じないが、この曲は永遠に誰にも凌駕されない。フィデリオが到底その域に達していないことをもってLvBのオペラでの才能やチャレンジ精神を貶めてはならないし、第九やミサ・ソレムニスと違う領域での声楽が聴けることに感謝の気持ちが絶えない。

左様なことをつらつら考えながら聴いたが、歌手陣が重量級で久々にヨーロッパの日々を思い出した。レオノーレのアドリアンヌ・ピエチョンカはややヴィヴラートが大きいが適役だ。マルツェリーネのモイツァ・エルトマンはこの公演でぞっこん気に入っており、ここでも変わらぬ美声を堪能した。

モイツァ・エルトマンさん、まいった

 

オーチャードホールの音響については繰り返さない。席は1回中央で申し分ないが、それなりのもので音が来ない。

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