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モーツァルト ピアノ・ソナタ イ短調 K.310

2017 DEC 3 23:23:11 pm by 東 賢太郎

N響/デュトワでラヴェルを聴く。スペイン狂詩曲が圧倒的に良かった。ピエール・ロラン・エマール の左手も楽しんだ。ラヴェルにいま思うことは、42才でお母さんを亡くしておかしくなったことだ。作曲のペースは大幅に減衰して、それから20年生きるが小品を入れても計14曲しか完成できなかった。悲しみ、喪失感という言葉で片付けられることではない。ただ、彼の場合それが作品に現れることはなかった。

モーツァルトの母マリーア・アンナの死は旅先のパリで突然訪れた。「私もウォルフガングもおかげさまで元気です」と夫レオポルドに宛てた6月12日付けの手紙が我々の知る最後の声で、2週間病気と戦い、7月3日夜10時21分に世を去った。モーツァルトは平静を装う手紙で母の死を父に伝えるが、内実はどれだけの衝撃だったことか。名曲ぞろいであるK.310からK.333のピアノソナタ5曲が「パリ・ソナタ」と括られ、6月18日のコンセール・スピリチュエルの演奏会で初演されたパリ交響曲にその陰がないことも一因となって、長らく世間では「モーツァルトは絶望の悲しみから明るい作品を作った」と解釈され、そのような人物像が形成されてきた。しかしそれはちがう。アラン・タイソンのX線解析等により5曲のうちの4曲は1783年以降、ザルツブルグまたはウィーンでの作という説が有力になったが、イ短調ピアノ・ソナタ K.310は唯一その時の作品であり、モーツァルトの慟哭が刻印されているからである。

22才ともはや神童ではない彼がパリでピアノ・ソナタを委嘱されたり披露の場を与えられた形跡はない。あくまで大人の作曲家として、職を得るための商品としてパリの貴族の口に合う意匠の限りを尽くしたのがパリ交響曲であることを考えると、暗さ、恐怖、叫びに満ちた楽想を持つK.310はおよそ大衆の人気を博す商品とは言い難いのである。

「小オペラを書いてもわずかしかもらえません。もしそれが不運にもあの馬鹿なフランス人どもに気に入られなかったら、一巻の終わりです」(7月30日、父への書簡)

そんな作品がその街で書かれ、自筆譜にひっそりと「1778年、パリ」と記された。聴けば聴くほど衝撃を与える「音楽上の事件」が音符で書きこまれたこの作品が母へのレクイエムでなくて何だろう?

 

第1楽章 Allegro maestoso

冒頭に付された装飾音d#(根音aのトライトーン、いわゆる悪魔の音)がこのソナタに含まれる尋常ならぬ不穏さを予感させる(リリー・クラウスはこのd#を引き伸ばして強調しているのが意味深い)。第2小節のa-g#の長7度は秘匿された軋みだ。

彼がハ長調、変ホ長調で愛用する行進曲のリズムとマエストーソの表示が短調で現れることも異質に響く。いや、モーツァルトの楽曲群に深く馴染んだ耳にはむしろ異様で怖くすらある。展開部(3分6秒)はこれがハ長調になり、なるほどこれが元の着想だったのかと思うほど自然だが、そのリズムによる嵐の如きパッセージが襲いかかってきて唖然とする(3分21秒)。長7度を転回した短2度が軋み、地獄の様相を呈する。この怖さは何なんだろう?

浅草寺二天門の持国天

私事で恐縮だが、小さい頃、家族でお墓参りの帰りによく浅草寺に行った。雷門の両側に怖い神様が立っていて、「悪いことをすると地獄に連れていかれるよ」とでも言われたんだろう、夢に出てきてうなされた。後に雷神・風神だったと知るわけだが、あれが僕における怖いものの原型になっている。さらに後になって東側の馬道通りに出る二天門の神様を見て怖気づいた。それがこの持国天である。モーツァルトの音楽に不似合いと思われるだろうが、僕を怖がらせたのは掘った仏師の気迫と思われる。何かあったんだろうかと訝るがごときだ。作品は人間の真実を投影することがあって、ベートーベンの場合はエロイカがそれだ。仏師も音楽家もそうした作品に出合ってそれをまねようとするが、破格の才能があってもなかなかできない。成し遂げること自体がおおよそ難事であり、それを乗り越える膨大なエネルギーがいる。そしてそれが何に由来するかというと、人生における難事を克服したことではないだろうか。

モーツァルトだってそういうものは少ない。死ぬ直前になって、どんな難事に襲われたのか、何が起きたのかは知られていないが、魔笛とレクイエムという “そういうもの” がある作品を書いた。彼が意図して怖さを演じたと思われるドン・ジョヴァンニにそれは多少は感じるものの、見かけのおどろおどろしさの演技、演出は地獄落ちの場面で極点に達して一応の成功はみているものの、音楽そのものにぞっとさせるもの、夢に出る持国天の形相の如き畏敬の恐怖はない。もしあるなら彼はそれを序曲に使わなかったろう。つまり、彼とても音符をどう連ねてどう細工を施そうと出てこないものは出てこないものがあるのだ。これを形容する言葉を僕は知らないので、「形而上学的」と英語の「haunting」を足して2で割ったようなものとしか当面の所は言えない。そのどちらも、分解してさらに別な言葉に置き換えようとするとだんだん実体がなくなってしまうから、そんなものはないのだと反論されても仕方ない。でもあるんです、お化けや妖怪じゃないし見たことはないのだけれども。

ピアノ・ソナタ イ短調 K.310にそれはあって、あることだけは感知しているが、僕はなんとかそれが湧き出ている箇所だけでもつきとめて皆さんに開示しようと空しい試みをここでしている。でも結局、理性の弾は尽きてしまい、科学的思考や分子論では解明できない領域がこの世にはあるのだと匙を投げるしかなくなっている。ただ、そうした怖いものはシューベルトにもシューマンにもあるし、クラシックと呼ばれて何百年も生き残る作品には何かしらお化けが棲みついている。我々は楽しみ、娯楽というよりも、怖いもの見たさで何度も引き寄せられているかもしれないとさえ思う。モーツァルトにはシューベルトの梅毒やシューマンの狂気(これも梅毒由来と思われる)のような、やがて自分はそれで死ぬだろうという悪魔が日々近寄ってくるような恐怖というものはなかった。しかし一方で、パリでのどん底の半年で母を失うという強烈なトラウマがあった。

それ以上深入りはしないでおこう。そのトラウマが痛切に、明々白々に、刻印された唯一の作品がピアノ・ソナタ イ短調 K.310だったのであり、しかし、そこに噴出した黒いマグマのようなものは、母の死の原因は自分にあったのだという後悔しようもない自責の念となって心の奥底に固く封印されたのである。だから母の死を知らせる父への手紙にそれは微塵も出てこない。そのことは「父にショックを与えないように気遣いした」と後世に解釈され、それは確かにあったとは思う。しかし、あったにしてもそれは彼の驚嘆するほど強靭な理性の働きなのであって、その裏には彼が父にも自分の潜在意識にも隠しておきたかったもの、つまり、彼とて制御の効かない慟哭、感情の慄きとともに罪の意識というものがあった。人間だから当然ではないか。ショックを与えないように完全犯罪の如く細心の施しをしたのは、どうなってしまうかわからない自分の心に対してだったのだと僕は確信している(ちなみに、それに気がついたのは、僕自身が母を亡くした2017年、即ちこのブログを書いた年の5月だった)。

彼の手紙の文章は(作文も英語でcompositionであるように)、彼の書き連ねた音符と同様、精神作用の産物に他ならない。表面はもちろんロジカルで理性的だが、それを選び取った心の深層にはもちろん感情がある。彼が母の死後にザルツブルグへ帰って書いた作品群も、母の死を理性で塗り固めて書いた父への手紙と同様に、死というものへの慟哭と慄きを封印して、それを書くに至ったTPOに応じてそれなりの “鎧(よろい)” を着せられている。ウィーンに定住してからの作品ではそうしたくびきを解いて体当たりでそれをぶつけるものさえ現れてくる。「フィガロの結婚」のリブレットの底流にはボーマルシェが封じ込めた血の匂いが漂っているが、もちろんそれをオペラに入れこむことはできない。だから、その黒いマグマは別の器に溜めこんでおいて、ピアノ協奏曲第20番、24番という異形の作品に結実していったのである。

ピアノ協奏曲という自分の名技を披露する場で「なぜ当時に類がない暗くて受けは良くないであろう短調の協奏曲を作ったのか?」という古典的な疑問はほとんどの解説書に披露され、しかも満足な解答が与えられていない。簡単なことだ。マグマは捌け口が必要だったのである。なぜなら、すべては母の死のトラウマから発していて、自分の心にショックを与えないように細心の施しが必要であり続けたからである。それは大嫌いなザルツブルグに負け犬同然で戻って悶々としていた2年半、すなわち、ウィーンに出てきて結婚する前の2年半にも、ぽつぽつとだが、どう考えても明るいハレの気分の作品であるディベルティメントやセレナーデのようなジャンルに短調楽章として顔をのぞかせていたことでもわかる。人気の問題ではなかったのだ。

第1楽章からかなり寄り道してしまったが、もう一ヶ所、そういうものをお示ししておく必要があるだろう。提示部ではハ長調だった第2主題(43秒~)が、再現部では反転してイ短調になるところである(第104小節、4分50秒)。ここに交響曲第40番終楽章が伴奏の左手に現れどきっとする。

ト短調交響曲も、源流がピアノ・ソナタ イ短調に発する流れの係累であって、大河ではないが深い地中の溝を流れる強く清冽な地下水であった。3年後に彼の命が尽きるまで消えないものであり、彼はそれを止めることはできないが、父への手紙を書いた日から心の奥底に固く封印してきたのだ。ピアノ協奏曲第24番と同じく最初から最後まで短調で通すこの交響曲の流れは、3年後にレクイエムへと漂りついて、ついにそこで永遠に途絶える。

 

第2楽章 Andante cantabile con espressione

K.332の第2楽章と近親関係にあるのは両者を弾いてみるとわかる。しかしK.332で深々と描かれる天国の情景は、K.310ではハ長調ーハ短調と推移する部分に続くこの恐るべき運命の鉄槌と叫び声で分断される(3分10秒~)。鬼の異界から冒頭の平安に回帰するp、ppの部分はパミーナのアリア(魔笛、 “Ach,ich fühl’s”)を予感させる。何というものがモーツァルトに降ってきたんだろう。

この衝撃的な部分なくしてベートーベンはエロイカ第2楽章のこの楽節を書けなかったのではないだろうか(下のビデオ、9分02秒~9分34秒)。

 

第3楽章 Presto

マエストーソのソナタ形式であった第1楽章とはあまりに非対称な楽章だ。ロンド形式であっという間に過ぎ去ってしまう悪魔のブルレスケはショパンの2番のソナタの終楽章さえ思わせる。熱にうかされて狂ったような短調、長調の逡巡ともつれ、これほど錯綜、分裂したモーツァルトは他に聴くことがない。ベートーベンの悲愴(やはり8番目のピアノソナタ)の第3楽章、熱病のようなショパンのソナタ3番の終楽章に正当な血脈を継いでいると感じられないだろうか。

私見だが、K.310は明朗で屈託ないK.309の続編としてマンハイムで第1,2楽章が構想されていたのではないか(書法が管弦楽的だ)。それもハ長調の曲としてだ。母の死に叩きのめされたモーツァルトに聞こえてきたのが短2度が支配する地獄の嵐と運命の鉄槌だった。全曲は短調に反転し、新たに書き加えた第3楽章は死神の音楽となった。

そこに、泥沼の蓮の花のように白く浮かぶ、心を優しく慰撫してくれるような中間部がやってくる(1分21秒)。しかし、ちらっと姿を見せる花の正体が何か僕にはしばらくわからなかった。やがて、そこにどこからともなくフルートの音が脳裏で重なってくると、ある瞬間、それが「フルートとハープのための協奏曲」(K.299)の第3楽章だと気がついたのだ。そして、涙がこぼれてきた。

 

「ヴォルフガングは仕事をたくさん抱えています…ある公爵の為に協奏曲を2つ書かなければなりません。フルートの為と、ハープの為にです。」(4月5日、パリ到着後、母アンナ・マリーア・モーツァルトがレオポルドに充てた書簡)

 

(ご参考)

モーツァルト ピアノ・ソナタイ短調の名演

(追記・2021年9月6日)

第1楽章の第3パラグラフ(私事で恐縮だが・・)以下を追加、改定した。第2楽章以下は原文のまま。

 

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J.S.バッハ モテット「主に向いて新しい歌を歌え」BWV225/1

2017 OCT 14 16:16:03 pm by 東 賢太郎

このモテットをライプツィヒの聖トーマス教会で初めて聴いたモーツァルトが驚嘆したという記録が残っている。1789年の5月、死の2年前で三大交響曲を書いた後である。残した輝かしい音楽に使われている技法はすべてマスターしていた年齢なのに「ここには学ぶことがある」と写譜した譜面が遺品の中に見つかっている。

モーツァルトはウィーンで庇護者スヴイーテンの蔵書にあったバッハ作品を知っており、平均律を四重奏に編曲もしていた。それでも未知なものがこの曲にはあった。カソリックの彼が見たプロテスタント音楽の側面もあったろうが、バッハの8声部対位法技法の凄みが耳をとらえたと考えるべきだろう。

この音楽は教会での残響と音響の空間放射なくして成り立たないだろう。ハリウッドボウルなど野外で映えるか想像すればわかる。キリスト教徒ならバッハを知らなくてもCDの音だけで教会をイメージするだろう。教会文化で育っていない僕が別なもの、それも奇想天外なものを想像してしまうのは経験論の帰結としてお許し頂くしかない。

むかし、アメリカ映画でミクロの決死隊というのがあったが、僕はこれを聴くとああやってミクロの小さな体になってバッハの脳の中を探検し、こんなものを見た感じがする。

見たのは脳みそではない、鍾乳洞の自然の驚異だ。なぜそこにそんなものがあるのか?知らない。神様に聞いてほしい。これをご覧いただきたい。

人間の中には宇宙があって、空を見てその彼方にあると感じている宇宙とそれとは実は同じものだ。それをバッハの脳が見つけて音に書きとった。前稿の「数学美とアートの美は同じもの」という感覚は僕流に表現するなら、そんなものだ。バッハの書いた音符に数学的秩序があるという人もいるが数学者にそんな人はいない。もちろん僕にはそれは証明できない。

このモテットを初めて聴いた時の驚きは忘れることがない。なんだこれはという思考停止に陥り、あっという間に終わってしまった。母の胎内で進化の歴史を超特急で経過しておぎゃあと生まれてくる、それがあっという間というなら、10分の音楽に呆然として1分に感じるのもあっという間だ。

音楽の聴き方は人それぞれだ。

 

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モーツァルト 「 キリエ  ハ長調 K.323」

2017 AUG 24 22:22:58 pm by 東 賢太郎

モーツァルトの最高傑作のジャンルが何かという問いはあまり意味がないだろう。彼が手を付けたが傑作は残さなかったというジャンルはないからだ。彼も人の子であり、創作のモチベーションが高い所に傑作が生まれるという法則から完全に自由だったわけではないが、やっつけ仕事ではあっても駄作を生んで済ますことのできる性格ではなかったとも思う。

我が国において宗教曲というジャンルは難儀だ。J.S.バッハのマタイ受難曲やロ短調ミサ曲が名曲であることは何人たりとも認めるしかないが、ではその根拠はと問われると説明に窮する。それらがキリスト教の葬儀や典礼の音楽だからだ。逆にキリスト教徒が仏教の典礼に参列して読経を聴き感動したと言って、我々がどこまでその人の言葉にシリアスに向き合うかということを考えればわかる。文化に国境はないだろうが、宗教が介在すると別な境界が出てくるのである。

その境界は西洋音楽の歴史にも内在している。音楽そのものが宗教とは別個に人間に与える生理的な快感として認知され、教会という宗教スペースから外界に出て独立し世俗化していく起点をかなり遅めのJ.S.バッハ(バロック期)としても、音楽が民衆のものとなる起点であるベートーベンの時代に至るまでは100余年を要しているからだ。

古来より民衆の間に娯楽として存在した歌、俗謡、シャンソンなどが権威づけを補完する道具として宗教に取り込まれ、当初は単旋律であった(例えばグレゴリオ聖歌)が教会という空間に放り込まれると物理現象としての和声、ポリフォニーが知覚され、理論化されていったのである。和声、ポリフォニーの喜びが民衆(といってもまずは貴族だが)に認知されて外界へ出たところに我々が呼ぶクラシック音楽というものが形成された、というのが我々の教わる音楽史である。

この考えが誤りであることは石井宏氏が著書「反音楽史(さらばベートーヴェン)」で鋭く看破されている。音楽後進国であったドイツはオペラ、声楽などでイタリア音楽を受容したが、イタリア音楽はギリシャ悲劇を再現して音楽を付けた劇(オペラ)とともに発展し、イタリアの教会音楽の音楽家はイタリア人でなく多くがフランドル、ブルゴーニュの出身者だった。バロック時代に教会が音楽理論化への「培養器」として機能したのはドイツであったが、それが音楽史の起点であるかのようにバッハを「音楽の父」と讃えてしまうのはルネッサンス以降のイタリアの歌の興隆を歴史から消そうと試みるものだ。バッハはプロテスタントの一派であるルター派の信者だが、あたかも音楽においてもプロテスタントがカソリックを否定しに行ったとさえ感じられる。

カソリックであったモーツァルトがバッハを知ったのはウィーンに出てからだったのはそんな時代背景があるからだ。ウィーンもザルツブルグもカソリック、イコール、イタリア音楽であり、モーツァルトが初めてウィーン訪問した時の宮廷楽長ジュゼッペ・ボンノの本名はヨーゼフ・ボンだった(上掲書)。オーストリア人のボンはイタリアに留学した。うだつのあがらないドイツ人を捨てるために名前をイタリア風にして「イタリア男」として戻ってきてポストを得ることに成功したのだ。そんなウィーンでオーストリア人のモーツァルトに地位を脅かされるとは考えてもいなかったろうサリエリがリスクを冒して暗殺を試みるというプロットは小説としても奇なり過ぎる。

ザルツブルグのモーツァルトの宗教音楽がいまひとつ評価の高くない地位にあるのは、田舎者のモーツァルトが大司教(地方都市のカソリック教会権威の代表)のサラリーマンとして不承不承に書かされたというイメージが定着しているせいもあるだろう。それが嫌でウィーンに飛びだしたのだからモチベーションが低かったのは事実だろうが、実はモーツァルトにおける宗教音楽は僕の最も好きなジャンルの一つなのだ。それもウィーン時代に書かれたハ短調ミサ、レクイエムといった有名曲だけでないザルツブルグ時代の10-20代の作品においてもだ。

声楽アンサンブルは無上の喜びであってオペラもアリアより合唱、重唱の部分が好きだ。もちろんJ.S.バッハやヘンデルのポリフォニックな声楽曲は何でも聴くが、モーツァルトのそれは対位法の精度は高くないものの後年の作品群に投影、結実されていく語法の萌芽が明確にあって興味が尽きない。むしろモーツァルト好きがこれを聴いて喜ばないならモグリだろうという音楽がぎっしり詰まっているのである。

私事だがこの趣味は、ビートルズから来たものだと思っている。若いころあれだけ聴いたものが残ってないはずはない。声楽(3声、4声)で生み出す純正調のハーモニーの快感は忘れがたく、カーペンターズを経て和製ポップス(荒井由実、ハイ・ファイ・セットetc)まで同じものを見出した。その好みがモーツァルトのミサ曲で「共鳴」したと書いたら奇異だろうか。自然にそう思えるのは、ロンドンやチューリッヒやウィーンで教会に入り浸ってみて、そこに生まれてれば讃美歌で入門してたと感じた、そのかわりがレノン・マッカートニーのハモリだったというだけだからだ。

宗教曲は少なくとも西洋音楽のドイツにおける進化のルーツとは言えるのであって、ドイツ音楽を楽しむ人間がここを鑑賞の本丸とすることはまったくもって正道である。仏教徒が聴いてわかるのかという疑念は、キリスト様の血と肉であるワインとパンを毎日おいしくいただいている我々には不要だろう。ましてロックから近寄ってしまった僕にとって、教会とは最高の残響とアコースティックを提供してくれるコンサートホールに思えないでもない。

余談だが西洋音楽のドイツにおける進化のルーツをJ.S.バッハの教会音楽に置いたのがシューマンとブラームスだ。だから彼らは保守本流意識があり、ワーグナー、ブルックナーと対立したのだ。ブラームスは4番のパッサカリアにバッハを引用した。

ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調「ハンマークラヴィール」 作品106

シューマンの3番は第4楽章が「教会の中」、第5楽章が「そこを出た喜び」という構図で解釈でき、その証拠に第4楽章にバッハの平均律第一巻ロ短調の引用がある。「ライン交響曲はルソーの自然回帰への賛歌という側面があり」と書いたが

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第4楽章)

本稿のコンテクストから述べるなら、「教会という培養器を出た音楽が人間の喜びを表す様を主題とした音楽」「ロマン派の開花に至る来歴を刻印した音楽」がライン交響曲だということもできよう。

モーツァルトの宗教曲には超ド級が多くあるが、まず衝撃を受けたのはこれだった。キリエ  ハ長調 K.323である。レネ・レイボヴィッツがウィーン国立歌劇場のオケと合唱を指揮した演奏に脳天を直撃され、何度聴いても耳がダンボ状態のまま釘づけになってしまう。そのCDを自分でアップしたので、ぜひ皆さんも味わっていただきたい。4曲入ってるが、第1曲がそのK.323だ。

この曲は出自が不明でスコアは未完であるためにK.Anh.15/323 とされ、死後に友人の音楽家マクシミリアン・シュタードラーが完成させている。このCDではRegina Coeli K.Ahn118 と誤ってクレジットされているがそんな曲はなく、1879年の Breitkopf & Härtelのスコアを見れば同一の曲であるのは明白である(ご興味ある方はPetrucciにあるのでご自身で確認していただきたい)。

ついでに第3曲 テ・デウム  K.141 の終結部の素晴らしいフーガもお聞きいただきたい。ジュピターのそれが素晴らしいだの奇跡だのと騒ぐのが的外れに思えてきて白けてしまう13歳の少年のこの腕前は何なのだろう?K.141はミヒャエル・ハイドンの作品をモデルに書いた譜面を父レオポルドが添削したと言われるが、そうではあってもこれが習作に聞こえることは一切ない。

キリエ  ハ長調 K.323は母を亡くしたパリ旅行からザルツブルグに戻ったころ(1779年)の作品と信じられてきた。そこには同じほど完成度の高い戴冠式ミサがあるのだから不思議ではないが、楽譜のX線による年代測定をしたA・タイソンの研究によるとK.323は1787年に使われた五線紙に書かれており、86年12月から89年にかけて書かれたことになる。となると、これをお読みいただいた方は「あの頃」の音楽であることがお分かりになると思う。

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

父に断られて念願のロンドン行きを断念し、持っていくつもりだった交響曲は「プラハ」になってしまったあのころだ。父が亡くなり、ドン・ジョバンニを書いた。そして翌88年に戦争となってオペラ需要は激減し、忽然と「三大交響曲」が出現するのである。そのあたりでモーツァルトの脳に降ってきたK.323が凡俗の脳天を直撃したとしても宜(むべ)なる哉だ。

彼がグルックの死で空席となったウィーン宮廷作曲家の職を得たのは1787年12月のことであるが、報酬はきわめて低く、そのうえ仕事は毎年冬期間の舞踏会用のつまらないダンス音楽の作曲だった。タイソン説が現れると「87年以降に教会での定職を得ようとして宗教音楽の作曲を試みていた」と考えられるようになったのはごく自然なことと思われるが、それにしてもウィーン宮廷はイタリアかぶればかりだったのか、彼をいじめたかったのか、嫉妬するなど人品骨柄レベルが低かったのか。

こういう細かい事実の検証が常にモーツァルトの人生は不幸であったというベクトルに収束してまう。彼に対するぞんざい極まる扱いと、音楽のクオリティの異常な高さのギャップは人間というものの不条理を後世が学ぶ良い題材だが、そこに数々の都市伝説が生まれてしまうのは別の意味でまた不条理を教えてくれる。

 

モーツァルト都市伝説

 

 

 

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「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

2017 AUG 15 23:23:29 pm by 東 賢太郎

去る5月7日、午後2時より豊洲シビックセンターにて行われたライヴ・イマジン祝祭管弦楽団第3回演奏会「さよなら モーツァルト君」のプログラム・ノートを公開させていただきます。あれから3か月あまりたち、当日来場できなかった友人にこれを差し上げてますが、クラシック好きとはいえ自称?でありまじめに読んでるかどうかあやしい。それならもっとお詳しいであろうブログ読者のお目にかけたほうがいいと思った次第です(クリック3回で拡大できます)。

本演奏会は評判が良かったようです。動画会社NEXUSのスタッフ3名が完全収録しておりますのでyoutubeへのアップロードも考えられましたが、奏者全員のご許可は得られなかったということで断念しました。僕のトークとピアノはこれが最初で最後なので動画は保存してもらいます(見ませんが)。

 

 

 

プログラム・ノート没の原稿

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

モーツァルトに関わると妙なことが起きる

クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-

モーツァルトの父親であるということ

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

クラシック徒然草―ジュピター第2楽章―

 

 

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モーツァルトに関わると妙なことが起きる

2017 MAY 14 1:01:53 am by 東 賢太郎

仕事柄スピーチというのは何十回もやりましたし、二十ぐらいの大学で金融・証券の90分講義もしています。僕はいかなる場合も原稿は書かない主義なので、今回も、音楽のレクチャーは初めてでしたがやっぱり流儀は変えずアドリブでした。同じのをもう一度やれと言われても無理ですし、話した中身も順番もすでにけっこう忘れてます。

ではどうやって話を進めるかというと、忘れてもいいようにテーマに添った話題を多めに用意しておいて、あとはその場でお客さんの反応を感じながらの即興です。客席のレスポンスというのは如実に肌で感じるのですが今回はお陰様でポジティブで素晴らしく、あれなら2時間でも3時間でも本当にいけたでしょう。

実はこれをお引き受けするにあたってはホールのピアノがファツィオリというのも効きました。されど本番で大ホールで自分で弾くなどという蛮勇は当初はなく、楽譜だけ用意してピアニストの吉田さんにお願いしようと思っていたのです。そうは問屋が卸さず自助努力でとなってしまい、やめときゃ良かったと後悔しましたがもう遅かったのです。

僕はモーツァルトに関わるとどうも妙なことが起きており、2005年のウィーンでの奇異な体験はコンサートの打ち上げディナーでオケの皆さんにはご披露しましたが、誰も信じない本当の話です(まだブログにはしてません)。今回も嫌な予感がしたのですが、やはり本番でハプニングが起きてしまいました。

ジュピターを弾いている最中です。譜面台にあったハイドンの楽譜が空調?の風で吹き飛んで、鍵盤の上に1枚だけはらはらと落ちてきました。それがなんと、弾いている両手の上に風圧でピタッと貼り付いてしまったのです。手が見えない!下に落ちる気配もない! パニックでした。

右手で振り払って床に落っことし、ジュピターは暗譜してたのでなんとかなりましたがもう完全に動揺してました。次のPC25番は暗譜しておらず、譜面が飛んだらアウトです。飛ぶなよ飛ぶなよと祈って弾いたら間違えました。子供の頃モーツァルトはハンカチで両手を隠して弾くのが十八番でした。どうも僕はモーツァルトに関わると妙なことが起きるのです。

譜面が落っこちてます

 

5月7日のコンサートのお知らせ

ファツィオリ体験記

 

 

 

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モーツァルトはポール・マッカートニーである

2017 APR 26 1:01:14 am by 東 賢太郎

某人気企業に内定したという人と話してたら、「モーツァルトはきいてみたいけどクラシックコンサートはちょっと・・・」といいます。「そんなこと言わないで、5月7日に豊洲でジュピターやるからどう?」とおさそいすると、「ジュピターなら知ってます」だ。「それならあなた、ちょっと努力すればザルツブルグ音楽祭で堂々とお姫様できるよ」と申し上げるとホントですかと目が輝く。

「ホントだよ。そういうのはね、やったもん勝ちなの、どうしてワタシが ? なんて言ってると一生そういうワタシで終わります。敷居が高いなんて思ったら損。だってモーツァルトは当時の売れっ子シンガーソングライターで、言ってみればポール・マッカートニーなんだ。ポップスに敷居ないでしょ」。

かように「クラシック=お堅い、音学、音が苦」のイメージは日本人の間に根強いのです。僕自身、音楽の教科書で面白いと思った曲は一つもなく、そんなのをさも「美しげ」に全員で歌わなくてはいけないあれはファシズムでした。「美しい」ってのは個人的な繊細な感情であって、ぜんぜんそう思わないものを賛美されてもカルト教団にしか見えなかったのです。

いっぽうで音大生の子と話すともう見事に自分の楽器のことしか知らない。政治経済など世事に関わる知識の欠如は百歩譲るとして、他の楽器のコンチェルトや交響曲もほとんど興味ない。パソコン教室の生徒とはいわないがそっちもカルト教団化してますね。カルト同志でやってればクラシック人口なんて増えるはずもないのです。

「モーツァルトを聞くとIQが高くなる」「牛の乳が出たり植物が育ったりもする」なんて真面目に信じられるのはカルトの秘儀で誰もわかってないからこそ。そういえば小学校のころビートルズは「不良の曲で聞くと頭が悪くなる」なんて声があったしどっちもどっちだ。僕には「朝だ元気で」より「Good Morning,Good Morning」のほうがいい曲でしたが。

「父はビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を毎晩聴き、ポール・マッカートニーさんにファンレターを書いていました」と語ったのはお堅いクラシックで我が国を代表する作曲家であられる武満徹の娘、真樹さんです。

すごいことですね、僕もポールの大ファンですがさすがにファンレターは負けます。その代りジュピターの第2楽章をピアノで弾いて、ここのところですね、

(譜例1)

A7、D7、G7、C7、F なんてコード進行、セブンスが4つも続いちゃってすごい! ぶっ飛んでる。それも A から F なんてサージェント・ペパーズとかルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンドじゃないかなんてひとり悦にいってます。

この直前の和音は C ですから、のちにベートーベンのトレードマークとされる3度の転調が直感であっけなく書かれてるし3拍子を3+3でなく2+2+2のへミオラにしてる。だからお堅いクラシック正統派路線でも「和声とリズムの迷宮に誘い込む」なんて真面目な人が書いててもよさそうなんですが、こういうことでモーツァルトが天才だという論評は見たことがありません。

我々はいろんな音楽を(それこそビートルズを)聞いてるのでそのプログレッションに不感症になってますが、当時は聞きなれなかったでしょう。だからこそハイドンは交響曲第98番で追悼としてここの目立つコード進行をコピーしたのだと思います。

しかし、それに続くここですね、2小節目までフルートも忠実にコピーしてますが3小節目(f のところ)になるともう絶句ものだったのか、してません。

(譜例2)

ハイドンの辞書にこういう音はのってないのであって、彼はぎょっとしたと思います。それもそこでクレッシェンドして聞かせどころにしちゃってるぞ、物凄いやつが出てきちまったなと。嫉妬したのは彼であってサリエリではなかったかもしれません。

楽譜の部分をぜひ聴いてみてください。上のほうが2分24秒から、下が2分37秒からです。

えっ、なんでもない、普通に聞こえる?

そうなんです。その通りなんです。だからビートルズとおんなじなんです。

 

 

(ご参考)

譜例2のクレッシェンドの部分のオーケストラスコアです。最初の8分音符、フルートの入る f の8分音符の2か所で第1オーボエと第1ヴァイオリンが短2度でぶつかっており、後者ではさらに第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、および、バスとヴィオラ・第2オーボエが(別々の)長7度でぶつかっています。

後者が昔から変な音に聞こえていて、ひょっとして間違いじゃないかと気になってモーツァルトの自筆譜ファクシミリを見たのです。

間違いなわけはなかったですね。ごらんの通りで、crescendo を思いっきり書いてるわけだし。フルートだけが先に f で入ってメロディーっぽく聞かせ、裏の不協和を巧みに「隠し味」にしてるわけで、しかしながらその割にヴィオラの縦線がバスとそろってなくて、彼の音の思考回路はまことに不可思議であります。

 

(補遺、22 june17)

ライヴ・イマジン演奏会(5月8日)のレクチャーで僕がファツィオリで弾いたのが、ジュピター第2楽章の楽節(上掲、「譜例1」の前後)とハイドンによる98番第2楽章の引用部分でした。そこの和声進行と同じのがルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンドにあるんです。そっちも弾いて話はビートルズに飛ぶ予定だったのですが、舞台の袖からマネージャーさんの「お時間です」のサインが出て断念。モーツァルトとビートルズは魅力あるテーマと思います。

 

(こちらへどうぞ)

Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

 

 

 

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モーツァルト「ジュピター第1楽章」の解題

2017 APR 24 1:01:23 am by 東 賢太郎

5月7日のプログラム・ノート(ライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会)ですが、ジュピターのことを書くスペースがなくなりましたので私見をこちらに書いておきます。

モーツァルトの交響曲第41番ハ長調をジュピターと呼んだのはザロモンといわれます。太陽系で一番大きい惑星で、夜空で一番明るく輝いて見えるのが木星(ジュピター)でありザロモンは交響曲の中でそう位置づけたわけです。

今になっても僕はこの曲をそう呼ぶことに違和感はありません。聴き終わるといつも、何か偉大なものに包みこまれた満ち足りた気分になっています。天体の運行の如く目には見えない力、宇宙の調和のようなものを感じるのです。

宇宙の調和にジュピターの名はなんともふさしいと思います。では、それが何によってもたらされるのか?もちろん楽譜に書いてあるわけですから調べてみればいい。本稿はジュピター第1楽章を俯瞰して皆さんとその秘密をご一緒に考えてみようというものです。

 

 

提示部

冒頭、いきなり提示される第1主題は強と弱のコントラストを持った2つの部分から成ります。フォルテ(以下 f )で「ド」が3回奏されます(1)。

一瞬の空白(休符)を置いて、アリアのような旋律がピアノ(以下 p)でつづきます(2)。

(1)はリズム要素、(2)は旋律要素として曲全体を形成します。(2)のすぐ後に続くこの楽節(第1ヴァイオリン)(1’)は、

(1)の長前打音(ここは3連符)を第2ヴァイオリン、ヴィオラが担当し、以後様々なパターンに分化はするものの、曲のリズムの骨格が(1)より派生していることを示します。この部分は管楽器によるリズム動機(3)、

によって和声付けがなされており、これはセレナータ・ノットゥルナ(K.239)、交響曲第36番「リンツ」に使用されたリズムです。

フェルマータでいったん停止すると(1)(2)が p で再現(確保)され、木管が別の動機を重ねます(4)。

これは交響曲第38番「プラハ」の第1楽章第1主題です。

そこにホルンがハ長調のトニックを重ねます(5)。

次に3回目の(1)が堂々とト長調の f で出て(4)(5)が華やかに伴奏します。(2)は10小節に拡張され、(3)を従え、チェロ、ファゴットの対旋律を得て旋律的展開をします(6)。オペラの重唱を想起させます。

次いで(1’)と(3)が締めくくった所で第1主題提示が終わります。

第2主題は第1,2ヴァイオリンの重奏で p で始まります(7)。この半音階移行による主題の前半は第3楽章に逆行形で使われます。後半は(3)のリズム動機の派生です。これも第1主題同様に2部仕立てになっていますが静、動と順番は逆です。

(6)の後半が展開してバスに(2)が現れると第1ヴァイオリンがこの動機を弾きます(8)。

これは第4楽章の冒頭で c-d-f-e のいわゆるジュピター主題が出た直後に、それを引き取る動機の素材として使われます。

終止して全休符をはさみ、嵐のようなハ短調のトゥッティが鳴り、ハ長調からト長調に転じて(6)を変形したさらに華麗な重唱に至ります(9)。これも第1主題の(2)から派生したものです。

音量は sf に至りヴァイオリンのシンコペーションと相まって提示部で最も興奮の高まる部分でしょう。

不思議なのは第2主題として現れた(7)がここでは全く使われないことです。むしろ下降音型に替えて同じト長調の第3楽章の冒頭に使われ、終楽章冒頭のジュピター動機の提示部分を暗示します。(8)と同じく、この第2主題部分は終楽章へのブリッジとなって全曲の統一感を形成する結果となっています。

(9)が p で静まるとチェロのアルペジオを伴奏にブッファ風の第3主題がト長調で出ます(10)。

この主題の後半に重要な動機が現れます(11)。これもまた(2)の派生動機です。

第3主題の展開はなく、これが G-Em-C-D# という魔笛に頻出する和声進行を伴って最後は堂々たるトニックとドミナント交代を3度繰り返して提示部が終わります。

(1)は交響曲第38番「プラハ」の第1楽章冒頭にも(音価は違うが)使われ、ユニゾンで開始というパリ聴衆の好みを斟酌した第31番の作法に倣います。38番も41番もウィーン以外での披露を念頭に置いたのかもしれません。
(1)という旋律的要素がない主題を交響曲の冒頭に置く手法をベートーベンはエロイカと運命で使いました。前者はジュピターと同じく楔を打ちこむ如きリズムの骨格要素として、後者は一歩進めて全曲構築のピース(基礎素材)として。

 

展開部

木管のユニゾンによる g – f – b♭- e♭のブリッジで平行移動して変ホ長調になった第3主題(10)で開始します。

変奏は(11)によって始まり(3)が伴奏します。ここからト短調、ヘ短調、ハ短調を経てイ短調と転調を繰り返し、ヘ長調で(1)が(4)の「プラハ主題」を伴って登場します。これはハイドン流の「偽の再現部」でニ長調、ホ長調を通って ff で(1)がヴァイオリンで10小節にわたり変奏されます。

この間、バスは a から半音ずつ下がって e に至り、ナポリ6度を経てト長調に落ち着きます。そして(11)の後半の音形によるオーボエとファゴットの二重奏から(4)の下降音型の導きでハ長調の再現部になります。

ジュピターの約1か月まえに完成した「初心者のための小さなソナタ」(ピアノソナタ第16番ハ長調 K.545 )の第1楽章は展開部の入りが第1,2主題の結尾部動機の繰り返しであり、やがて現れる再現部はサブドミナントのヘ長調であり、ジュピター第1楽章はそれを入れ子構造としています。

再現部

フェルマータまでは完全な提示部の再現です。2度目の確保で(5)がハ短調となってからは調性が変わり、3度目の確保はやはりト長調ですが、第2主題(7)はここではハ長調で現れます。そして嵐のトゥッティはここではサブドミナントの同名調であるヘ短調となりD♭、D♭m、E♭7、Gsus7、G7と転調をしてハ長調に回帰、(9)の重唱となります。第3主題(10)はハ長調で、提示部とは旋律の一部をより華やかに変えながらコーダになだれ込み、ホルン、トランペットの(5)が鳴り響いてトニックとドミナントの連呼による盤石の終結感をもって楽章を閉じます。

 

総括

以上のように、第1楽章は主題が3つ現れ、それらが出るたびに展開されます。第1主題は f 部分(1)と p 部分(2)から成り、従来は第1,2主題の性格対比(男性的、女性的と比喩される)を第1主題の中で行ってしまっていることで両素材を用いた展開が可能となり、主題ごとの「疑似展開部」がすぐ続くという構造となっています。そして各展開が終止すると休符を置いて次の主題提示まで間が空くため聴衆は提示ー展開、休符、提示ー展開という構造を無意識に認識するのです。

つまり、第1、第2主題はすでに直後に展開されているため、本来の展開部は必然的に第3主題の素材を主体に展開することとなり(あるいは第3疑似展開部の拡張が本来の展開部として機能しているとも考えられ)、疑似再現部としてヘ長調で久しぶりに現れた第1主題はその「再現感」が増してトリック効果を増幅するという凝った作りになっています。

上記のようにこの楽章には計11個の動機素材が用いられており、第31番(パリ交響曲)の第1楽章に匹敵する「饒舌」さであります。しかし31番では動機が平面的に羅列されているだけなのに対し、ここでは3つの主題ごとにパウゼで括られた提示部と展開部という有機的なミクロ構造があり、(6)(9)(11)が(2)から派生した近親性の横糸で結ばれているため(それはマクロ的に俯瞰しても気づきませんが)饒舌感は払しょくされて無意識のうちに「密度の濃い統一感」「凝集性」を感知させるという効果が上がっているものと思われます。

さて、第1楽章を分解はしてみたものの、しかしそれだけで冒頭に書いた秘密が解けるわけではありません。ブーレーズが自作に埋め込んで明かさなかった数理的な秩序の如く、聴く者に不可知ながら音楽として神の均衡を感知させるようなものがジュピターのスコアに隠れているのかもしれません。モーツァルトの意識にそれがあったのでなければ、天から降ってきた音を書いたということになるのですが。

武満徹は「作曲は人間と音との共同作業」と著作に書いています。自然界の中に身を置いてじっと耳を傾け、自然の存在である音と自分とが共振して初めて音楽が書けるという趣旨のようです。モーツァルトの耳には常に音が降り注いでいて、それを書きとったものに「宇宙の調和」が包含されており、それが聞き手に伝わって天と共振する。そんなものかもしれません。美というものが原子論で解明はできないように、モーツァルトの美の法則は我々には永遠にわからないものなのでしょうか。

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

モーツァルト交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 「プラハ」K.504

 

 

 

 

 

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モーツァルト、俳優座、忠臣蔵の芳醇な一日

2017 APR 23 3:03:21 am by 東 賢太郎

きのうは午前9時からライヴ・イマジン祝祭管弦楽団の本番会場での練習(豊洲シビックセンターホール)、皆さまと昼食、そして2時から劇団俳優座の観劇(両国、シアターX)でした。オケは息子、劇は長女を連れて行きましたが楽しんだようです。

ライヴ・イマジンは5月7日のここでのコンサートに向けて練習は順調とお見受けしました。とても楽しみです。このホールは音が良く、300ある座席の最後部まで確かめましたが良好でムラがありません。奏者の皆さんから「届いてないのでは」という声がありましたが、充分届いてます。

このピアノ(ファツィオーリ)は日本に数台しかなく、僕もチッコリーニのリサイタル以来実音を聴くのは2度目ですが素晴らしいものでした。吉田さんのピアノ協奏曲第25番(K.503)はオケにブレンドしてまろやかなホールトーンに包まれ、誠にモーツァルトにふさわしい。ご自作のカデンツァも趣味が良く聞きものです。ジュピターとハイドン98番も指揮の田崎先生のボウイングが徹底し整ってきました。本番当日は開演前に僕が15分ほどお話をさせていただくことになっております。ハイドンがジュピターのどこをどう引用したかファツィオーリをお借りしてお耳に入れようと思います。5月7日は多くの皆さまとお会いできれば幸いです。


午後は早野さんが出演する劇団俳優座公演を阿曾さんと娘で。3-11を題材とした重めで幻想的な話を楽しませていただきました。演劇は何もわかりませんが、人物がみな亡くなった人(おばけ?)でシックス・センスという映画を思い出しながら観てました。役者の技量が問われる設定ですが、さすが俳優座ですね。早野さんは軽めの浮気な女房というかつてない役どころでしたが大女優となると守備範囲広いですね。大変満足。千秋楽お疲れさまでした。

 


両国駅からの道すがらたまたま見つけて、これがここ(本所松坂町)にあったのかと立ち寄ったのが吉良上野介邸跡でした。元禄15年(1702年)「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士四十七士が討ち入りした現場で、この像のすぐ左に「御首級(みしるし)洗い井戸」があります。泉岳寺から戻った吉良の首はこの井戸で清められ、医師「栗崎道有」により胴と縫合、そのあと埋葬されたとのことです。享年62。同い年になってしまいましたね。八重桜が満開でした。合掌。

 


せっかくなので、昭和12年創業のちゃんこ鍋の老舗「川崎」へ。鶏ガラと醤油のシンプルな味はすばらしい。これまた飾らない味わいの樽酒とは相性抜群であり、江戸からの伝統料理はほんとうにうまい。東京の食の奥深さも捨てたもんじゃないと再確認しましたが、京の天皇、公家に対し江戸も将軍がおり世界最大にしてパリの倍の人口があった。100万都市の食文化が貧しいはずはないと思えば納得であります。

 

(こちらへどうぞ)

高輪泉岳寺にて思う

ファツィオリ体験記

 

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モーツァルト都市伝説

2017 APR 13 13:13:09 pm by 東 賢太郎

モーツァルトが三大交響曲を生前に演奏した確実な記録はなく、しかしされなかったと断定する根拠もない。一般に、なかったという不存在証明は困難とされ、だから犯罪の立件は被疑者が自らやってないと証明するのでなく、やったという客観的証拠を必要とするのである。彼の音楽は人を惹きつける、ゆえに、存在証明がないが不存在証明もないという理由で多くの「都市伝説」を生んでいる。サリエリによる暗殺説が、絶対になかったと証明できない安全地帯において大輪の花を咲かせてしまうのである。

モーツァルトは父との手紙の頻繁なやり取りで作品の作曲時期、動機、演奏時期などに信頼性の高い存在証明が豊富な作曲家であり、そのためウィーンに出てきてから1787年までは種々の推論が比較的容易といえる。ところがその年に父が亡くなって手紙は途絶え、存在証明が一気に枯渇するのである。そこから死ぬまでの4年間にまつわるモーツァルト・ストーリーは、論拠が状況証拠という脆弱さから完全に自由なものはひとつもない。

彼の人生はシンプルに言えば「フィガロ」を初演した1786年までが上り坂、それ以降が下り坂である。幸福度と作品の質をY軸としX軸を年次とする二本のグラフを作れば、そこまでの順相関が急に逆相関になる。そして質のグラフが頂点となる「魔笛」の直後に若死にして幸福度のグラフはゼロに着地するさまは異様ですらある。ところがその原因を探る論拠である存在証明はほぼ幸福度のピークから激減するのであり、そこまできれいに見えていた映画に急にモザイクを入れられた様相を呈するのである。

このパラドックスは、簡単に見える難しい代数の問題の如しだ。最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している。例えば88年から始まるプフベルク書簡で借金を嘆願しているから彼は貧乏だったと推論するわけだ。

しかしその年に始まったトルコ戦争の戦費調達でハプスブルグが乱発したグルデンという紙幣は金や外貨との交換価値が大幅に下落した。グルデンは1785年の紙幣発行許可で発行された7種類の札があるウィーン市銀行券である。銀兌換券であったが銀の金への交換比率は銀の生産量増加とメキシコ銀貨の流入で下がっていた。それを輪転機で刷りまくったのだからインフレになるのは自明であり、その通貨で借金するのはむしろ賢明である。

彼はフィガロハウスに住んだ幸福度ピーク時の消費生活は終生変えられなかったが出費は多額でも多くはグルデン紙幣建てだ。それをグルデンの借入れで回せばインフレ禍は避けられ、資産は現物(動産)で持てば紙幣建ての価値は暴騰する。共産時代のソ連ではマルボロのほうが紙幣より信用があった。僕が訪問したインフレ300%時代のブラジルでは小金持ちは小型トラックをインフレヘッジのため争って買っていた。これと似た「二重経済」状態が当時のウィーンでは発生していたのである。

彼が高級家具、銀器、高級な衣装、馬車、ビリヤード台などを所有していたのはハプスブルグ域外で交換価値があり、従ってローカルな戦時インフレへの耐性がある動産に換えて資産保有するという二重経済下での合理的な行動である。15回も借金に応じたプフベルクはフリーメーソンの「兄弟」でロッジの会計係をしていた富裕な織物商で、貿易用のハードカレンシー(マリア・テレジア銀貨=タラー銀貨)の銀含有率に対し国内決済用のクロイツァー貨(=1/60グルデン)のそれが戦費調達で着々と減っているのを当然知っていた。

父の遺産の競売で相続した千グルデンは姉のナンネルにプフベルクに送れと指示しており、彼によって一任勘定で運用されていたとすると辻褄が合う。プフベルクは預託資産を担保に金を貸すことができる。しかも借金の礼としてピアノ三重奏曲K542、ディベルティメントK563(下に音のサンプルあり)を書いてもらっており、持っていても大幅減価が確定のグルデンを高いうちに貸して恩を売り、仮に返済されなくても価値ある楽曲という動産に替えた(買った)ことになるという計算が成り立っ。プフベルクはモーツァルトの音楽を愛したメーソンの「兄弟」ではあったが、特別に寛大ないい人であったと解釈するいわれはない。

モーツァルトはケチで細かく金に厳しいウルトラ現実派の父親との長年にわたる演奏旅行で、そこに為替差益と金融収益が生まれることを少年時代から実学で学んでいた人だ。貴族や出版社からグルデン紙幣で代金前借りや低利の借金を重ねて負債によりバランスシートを膨らませ、海外に演奏旅行してハードカレンシーを稼ぎそれを動産に替えて資産形成するメカニズムは完璧に理解していた。作品目録を作ったのは自作の盗用に対抗するという著作権なき時代の資産防衛という側面もあろう。財産形成と管理に関して非常に執着のあるしっかり者であった。

プフベルク書簡の借金嘆願の文面はたしかに痛々しいが、担保金融とはいえ借金には違いない。それはグルデン建ての生活資金(運転資金)を回すのに動産やハードカレンシーを取り崩さないための短期負債でインフレ防衛策でもあり、その利得を熟知していながら飲んでくれる(貸し手は損)プフベルクに頭を下げるのは当然のことだ。1790年のフランクフルト旅行費用を「5%の金利」で富豪ラッケンバッヒャーからの千グルデン(約1千万円)の借金でまかなっているが、これがタラー銀貨建てであった記録が残っているのは注目だ。

グルデン(クロイツァー)は外国である当地で通用しないか交換レートの大幅割引になったからそれは当然に必要だった。しかし当時のウィーンの市中金利は預金4%、貸出5%である。年収を25%も上回る額のタラー建て借入がその5%で得られたのは銀食器の担保力だけでなくプフベルクの信用供与があった可能性を示唆する。預託資産という絶対の担保力がありながら書いた「痛々しい手紙」はプフベルクが融資斡旋をする場面で債務者の窮状を説明するプレゼンの道具立てだったと考える。

彼はプフベルクから受けた1415フローリン(=グルデン)の借金を返済せずに死んだが、父の遺産千帝国グルデンは紙幣でなく銀貨であり利子を入れてほぼ同額だからプフベルクに損はなく、だから未亡人コンスタンツェを助ける融資までできたのである。しかもモーツァルトはクラリネット奏者のシュタードラーに500グルデンの債権が未回収で残っていた。借金嘆願は彼に資産がなく貧乏だったからでも何でもないのである。

「モーツァルトの最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している」と書いたが、経済や為替の市場原理に疎い人が「不存在の論拠」を誤った所に見出し「彼は貧乏だった」と推論する。そしてそれが面白おかしいモーツァルト都市伝説の巨大なジャングルを育ててしまうのである。そのほとんどは腑に落ちない。音楽の天才だからお金に疎かったというならブラジルで小型トラックを買った賢明な主婦を浪費家と呼ばなくてはならないだろう。

金融で生きてきた僕の目で見てモーツァルトの金銭感覚は鋭敏で合理的だった。彼が唯一見誤ったのは、ロンドンへ楽旅をしてポンドという最強のハードカレンシーを得ることの甚大な経済的マグニチュードだ。ロンドンでハイドンは宮仕え30年分を上回る報酬をもらい、帰国して大邸宅を建てた。彼の対抗馬で弟子でもあったプレイエルはストラスブールに帰るとお城を買い、パリに出て後にショパンが愛用することになるプレイエルピアノ製造会社を起業するのである。

 

(ご参考)プフベルクが書いてもらった2曲

ピアノ三重奏曲ホ長調K542

弦楽三重奏(ディベルティメント)変ホ長調K563

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

モーツァルトの父親であるということ

 

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プログラム・ノート没の原稿

2017 APR 8 16:16:15 pm by 東 賢太郎

いま5月7日のライヴ・イマジン演奏会のプログラム・ノートを書き終わりました。僕のルーティーンとして、内容が決まるととりあえず一気に書き、しばらく置いて忘れたころ読みかえして直します。ブログもそうです。ところが今回は読みかえしで全面的に気に入らなくなって最初からやり直しました。あんまりないことです。

さっきジュピターの自筆譜ファクシミリを見ていると流れを直したのは2か所ぐらいしかない。凡人は文章すらこんなに直すのになんてこった。頭にテープレコーダー(古いかな)がありますね彼は。ここはピアノがないとむりだよねという所はありますが、試し弾きしながら書いたらこれやめたという部分が出てきてああいうきれいなスコアにならないと思うのです。やっぱりテープが流れてる。すると、えっ、あんな音が頭で鳴っちゃうの?となって、ぞっとするんです。

彼は楽譜の一番うえ3つにヴァイオリン2部とヴィオラを書いてチェロとコントラバスは一番下に書く。これは今的にはヘンですよね。それでサンドイッチの具のところにフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニと降りてくる。ここは今流だ。未完の曲を見ると、弦だけまず書いて、それもソプラノとバスから書いて、後でその他を加えてます。内声部は和音の、木管金管はカラーリングのグラデーションをつけるという感じで、クラリネットを入れる入れないもそういう作業の一環だから気軽にできたんでしょう。

ということはテープはスコアの最上段と最下段、第1ヴァイオリンとバスか。これはシンプルな2声、バッハのインヴェンションの右手左手ですね、アルベルティ・バスというより。それが2-30分まるごと収録されたテープを流しておいて、つぎにささっと書きとる。僕らもジュピターは覚えてますが見ないで書けますかとなったらお手上げです。第2楽章のb♭、d♭、a、cなんて怖い音がテープで一瞬だけ鳴って聞き取って書くソルフェージュ能力。作曲家の方々にはあたりまえでしょうが、凡人には不可知の領域ですね。

彼は歌い手や聞き手の能力をぱっと見ぬいて、喜ぶようにかいてやるんです。パリの聴衆はこんなもんさ、ここでこう書けば絶対拍手もらえるよ、最後はこう盛り上げれば一丁上がりさみたいなところがあって、前にTVで欽ちゃんことコント55号の萩本欽一さんがかけだしのころ浅草のフランス座というストリップ劇場の幕間のコントを受け持っていて、客はそんなもん見に来てないからぜんぜんうけなくてあみ出したという策がそんなのだったことを思い出しました。

それをサービス精神という人もいるけれど、営業マンもおんなじで、お客が喜ばないと何だって売れないからそれは一種の芸であって、では何をしたらいいか相手の顔から瞬時に見ぬけるかというとできる人はできるしできない人はできない、そういう性質のものです。サービス精神があれば何でも売れるわけじゃない。マーケティングセンスです。モーツァルトはそれがものすごかったわけですが、引き出しにたくさんネタがあって自由自在に出し入れできた、そういう感じがします。

こうやってモーツァルトの話をしていていきなりストリップ劇場だ欽ちゃんだとやるとほとんどの人は目が点になってしまって、なんだヘンな人だな頭おかしいのなんて顔をされます。こっちはまじめにそう思ってる。かみあわないんです。こういうのも、わかる人にはわかるんでわからない人にはわからないんですね。だから、あっ、お呼びでない、こりゃまた失礼しましたってんで終わりです。

プログラム・ノートだからストリップ劇場の話なんて書けないし、そういう不親切な態度じゃまずいだろうと、そういう気分にだんだんなってきて、とうとう書き直しになったのです。それでこっちに書いちゃいました。いいのになったかどうかあんまり自信はないですが自分では気にいってます、それは仁義でブログにはしませんからどうぞ会場にお越しください。

 

5月7日のコンサートのお知らせ

 

 

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