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モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

2017 MAR 8 1:01:20 am by 東 賢太郎

モーツァルトが天才だというのは書いた音楽の質が誰にもそう思わせるからに他ならないが、では彼はどうやって作曲したか、心の内面のプロセスを示す資料はほとんどない。その希少な例として有名なのが1778年7月3日に父にパリから宛てた手紙の一節で、交響曲第31番ニ長調k.297(300a)(いわゆるパリ交響曲)の第1楽章について、以下のような興味深い記述がある。

最初のアレグロのちょうど真ん中に、うけるに違いないと思っていたパッセージがあり、すべての聴衆はそれに魅了されて、大拍手がありました。ぼくは、どのように書けばどのような効果が上がるかわかっていましたから、結局もう一度使うことにしました。それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです。(名曲解説全集  交響曲Ⅰ・音楽之友社)

この「パッセージ」がどれなのか?モーツァルト好きなら一度は考えてみるものの不思議なことに世界中の誰も確たる解答を示していない。僕も探してみたが、「もう一度使った(=2回出る)」「再現部より前」を満たす適当なものが見つからない。しかし本人は自信満々に「大うけした」と自慢してるわけだ。ないはずがない。

推理してみよう。

同じ手紙で第3楽章についてヒントになる記述があるのでそこから始める。

「当地(パリ)では最後のアレグロはすべて、第1楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていました」(モーツァルト書簡全集 Ⅳ・白水社)

彼はその情報を信用し、パリの晴れ舞台で、一発勝負で聴衆にインパクト与え、願わくばいい職にありつきたい一心で、第1楽章をこうユニゾンで始めたのだ。

ただここがモーツァルトだ、この主題は f の前半、p の後半で一対になっている。定石通り強く押しておいて、さっと引き技を見せるという定石破りを早くもやっている。このフェイントの効果について彼は書いていないが、きっとうまくいったと味をしめていたのだろう、ジュピターの開始で同じことをしている。

ロマン派の大音量、複雑な和声や対位法に親しんでしまった我々の耳は fと p の交代にまことに鈍感になっている。モーツァルトの当時の楽譜に fp(フォルテピアノ)の記号が頻繁に現れるのは、まだ作曲にそういう手管がなかった時代にそれが聴衆の耳にパンチがあったからだ。ハープシコードが強弱を弾きわけられるように進化したら「フォルテピアノ」という名前がついてしまったほどだ。その楽器の末裔をピアノと呼んでいる事実が我々の鈍感さを象徴している。

理屈だけではご納得いただけないかもしれない。しかし当時の聴衆はそれに敏感に反応したことは、モーツァルト自身が同じ手紙に書いている第3楽章の冒頭の「実況中継」が証明している。

2部のヴァイオリン(パート)だけで8小節を静かに続けたら、ぼくの期待した通りに客席から「シーッ!」がきこえ、続いて強奏になるのと拍手が起こるのと同時でした。

こんなことは現代のコンサートホールでは起こりえない。「シーッ!」がきこえ、ということは、第2楽章が終わって客席はざわざわしていたのだ。当時は棒をふる指揮者はいない。そこにp でこっそりとヴァイオリン奏者たちが第3楽章を始めた。全楽器でユニゾンでという定石を破っているのだから聴衆は気がつかない。だからシーッ!なのだ。計画通りだ。

そこで客席はさーっと水を打ったように静かになる。すると「つぎはフォルテだ!」という期待が高まったろう。そこでやってきたフォルテの全奏。「いよっ、待ってました!」の大拍手だ。ほれ見ろ、やっぱり思った通りだ、うまくいったぞ。すっかり嬉しくなって気分上々のモーツァルトは帰りにパレ・ロワイヤルでアイスクリームを食べ、演奏会成功の願かけをしたロザリオに感謝の祈りを捧げている。

7月3日の手紙は、この出来事があった演奏会の15日後に書いたものだ。心配性の父親に「うまくいってるよ」と知らせたい理由があった。この曲はパリで一流オケとされたコンセール・スピリチュエルの支配人ジャン・ ル・グロからの依頼によって作曲された交響曲である。これが檜舞台で当たらなければ何をしにきたかわからない。父は怒るしがっくりもくるに違いない。だから「一発勝負で聴衆にインパクトを与える仕掛け」を散りばめた、命運を託した曲だったのだ。

ところが、リハーサルを聴いて彼はあまりのひどさに愕然とするのである。指揮者で登場できるわけではない、客席で聴くだけだ。当日は演目がたくさんありオケは練習が足りていない。こりゃまずい、ぐしゃぐしゃだ、もう一回合わせられないか、いやもう時間がないじゃないか・・・あまりの不安で演奏会の前の日は寝つけなかったと書いている。だからロザリオに願掛けまでしたのである。しかしこの時点で不安を父に知らせてはいないことはもちろんだ。

うまくいった。よかった。7月3日の手紙に「だめだったらコンマスのヴァイオリンをひったくって代わりに弾いてやろうと思いました」と書いている。これは彼らしいレトリックだと僕は思っている。実は無為無策だった自分を大きく見せ、父を安心させるための。ところが父は「やめなさい、そんなことをしたら恨まれてろくなことがないぞ」と真面目にうけてたしなめている。なんというこの父子の機微!僕はこの父が大好きであり、かいがいしくその期待に人生をかけて頑張った息子に万感の思いを重ねざるを得ない。

うまくいった?本当にそうだろうか?

練習不足のまま突入した本番が一糸乱れぬ演奏であったとは到底思えないではないか。それが評判になって仕事のくちが見つかったわけでもない。彼はこの曲のスコアをル・グロに渡してしまい、でもまだ頭にあるからまた書けるさと強がりをいってパリを失意のなかで後にしている。また書くのが必要な場面はもう訪れなかったし、密かに期待してパリに置いてきたスコアがまた演奏されて評判をとることもなかった。

ここで本題に戻ろう。「第1楽章の問題のパッセージは?」の答えを見つけなくてはいけない。

演奏はぐしゃぐしゃではなかったかもしれないが、現代の我々の基準で、プロの指揮者の統率のもとで名演とされるような代物ではなかったことはどなたも異論がないだろう。しかも聴衆はその場で初めて耳にしているのだ。「パッセージ」は誰でもわかる、ロバの耳でもわかる、つまり和声やリズムのような複雑なものではない特徴によって「うけた」としか思えない。しかもそれはモーツァルトが「うける」と容易に想定していた特徴でなくてはならないだろう。

「アレグロをユニゾンで弾かせる。これがパリの聴衆の耳目をそばだてる」

という情報を信じていた彼は、そこに

「f と p の強弱の突然の交代」をもりこむ

という自分なりの手が効果絶大であるはずだと信じていた、だからそれを両端楽章の冒頭に書き込んだ。これは異論がないだろう。パリでは常套手段の前者が特に受けるとは思えない。したがって後者、つまり、誰でもわかるものでモーツァルトが「うける」と想定していた特徴は「f と p の強弱の突然の交代」であったと僕は考える。

この条件で該当箇所を指摘してみようというのが本稿だ。第1楽章で「ユニゾン(伴奏なし)」かつ「f と p が突然交代する」という2条件を満たすパッセージは2つしかない。そのひとつ目は冒頭の主題提示(上掲の楽譜)の後半であるが、最初のアレグロのちょうど真ん中と書いているからこれではない。

となるとこれが解答ということになる。

提示部のおしまいに第3主題のように出てくる副主題だ。この第1Vn譜で4小節めのピアノになるところから全管弦楽の f が突然に p にトーンダウンし、ヴァイオリンとヴィオラの3オクターヴのユニゾンでちょこちょこと、くすぐるみたいに動く、このパッセージである。

この録音で2分13秒からである。

これはコーダの前にまた現れる(5分46秒)。もう一度使うことにしましたという手紙の言葉通り。今度は cresc.(クレッシェンド)というあまり彼の譜面に現れない指示を伴ってよりインパクトが高まっており、ほぼ同じものを「これでもか」と直後にもう一度繰り返している(6分12秒)。一発勝負のインパクトを託した部分であった可能性が高い。

ここは初めて聞いた人でもわくわくし、興奮もそそられるかもしれない。みなさんどう思われるだろうか。おそらく、当日の演奏会でも、彼が父に書いた通りここで大拍手があり、彼をああよかったと安心させたことは想像にかたくない。

ところが困ったことがある。

冒頭に引用した名曲解説全集・音楽之友社をもう一度お読みいただきたい。ここが正解だとすると「それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです」がひっかかってしまうのだ。これはコーダだから、再現部はもう終わってしまっているのである。

どうも変だ。

僕が間違っているのか? そこでモーツァルトの書いた原文を当たってみた。

„… mitten im Ersten Allegro, war eine Pasage die ich wohl wuste daß sie gefallen müste, alle zuhörer wurden davon hingerissen – und war ein grosses applaudißement – weil ich aber wuste, wie ich sie schriebe, was das für einen Effect machen würde, so brachte ich sie auf die letzt noch einmahl an – da giengs nun Da capo.“

僕のドイツ語力だと自信がない。英訳を探してみた。これが最後の部分である。

there was a great outburst of applause. But, since I knew when I wrote it that it would make a sensation, I had brought it in again in the last — and then it came again, da capo!   (Greg Sandow, American music critic and composerのブログ)

ちなみに演奏が始まった記述の箇所に彼は Ecce ! と書きこんでいる。Ecce homo( エッケ・ホモー) はラテン語で「見よ、この人だ」の意味で磔になるキリストをさした言葉だ。そういう心境だったということだろう。そして今度はDa capo が書き込まれる

この英文訳が正しいなら青字の it は applause であろう。二度書きこんだパッセージが二度ともあたった喜びをイタリア語でしゃれてみた、つまり「大拍手がまた来たぞ!」ではないだろうか。

一方でこういう英訳も見つけた。

I had introduced the passage again at the close - when there were shouts of “Da Capo”!(New York Philharmonicのプログラム・ノート)

これを訳すと、

「ぼくはそのパッセージがセンセーションを起こすとわかっていたので曲の最後にもう一度書いておきました。そうしたら、そこに来ると客席から『ダ・カーポしてくれ!』(もう一回やってくれ)と叫び声があがったのです」

である。Sandow氏とは別な読み方のようでどちらも米国人のドイツ語解釈だ。正しいという根拠はないが、ドイツのネイティブはどう読むのだろう。

しかし、いずれにせよ、それからダ・カーポ(再現部)に入ったのですは賛同できない。再現部と da capo はぜんぜん別物であるし、そう比喩的に呼ぶ例も知らない。「そこから再現部に入った」という何でもない叙述をモーツァルトがわざわざ書く意味も思い浮かばない。この名曲解説全集・音楽之友社は友人のラーフが隣に「すわっていた」としているが「立っていた」が正しい。かような程度の訳であると知らずに展開部にこだわったゆえにこのパッセージは長いこと僕にとって謎であった。反証があれば訂正するが、完全な誤訳である。「そこでダ・カーポでした」としているモーツァルト書簡全集はそれよりはましだが意味不明であり五十歩百歩だ。

Sandow氏かニューヨーク・フィルか、僕は Ecce ! と並列で外国語を並べた遊びとして前者を採りたいが、いずれにしても、僕の解答と矛盾が生じない。もし異論、または異説をご存じの方がおられればご教示をお願いしたい。

 

PS1

交響曲の曲頭で、いきなりユニゾンのテーマを f でたたきつけて、すぐに p のフェイントのテーマが続き、両者セットで第1主題を形成する(「パリ型」と呼ぶことにする)のはモーツァルトの専売特許ではない。ハイドンに62、78、95番という例がある(95はモーツァルトより後の作だが)。モーツァルトとしては32番、34番、そしてハフナーが同様である。

32番はザルツブルグへ戻ったパリ土産、34番はイドメネオの仕上がり見るためミュンヘンへ土産にもっていった意欲作だ。交響曲第35番ハフナーは1783年、ウィーンでフリーとなり予約演奏会でお得意さんを集めようと意欲満々で用意した曲だ。実際に試されたパリ型の効用が頭にあっただろう。続くリンツ、プラハが古典的な序奏型に回帰したのは初演地が大都市ではなく、従って出世の命運をかけた勝負曲ではなく、保守的な聴衆を想定したからではないか。

最後にセットで書いた三大では39番が序奏型、40番は伴奏音形が裸で先導する前衛的な異形、そしてジュピターがパリ型だ。三大の計算され尽くしたコントラストには驚嘆するしかないがそれはクリエーター目線でのこと。都会でも田舎でもパリでもロンドンでもお使いいただけますよというプロモーターに対するマーケティング目線は音楽史研究において欠落している。

ハフナーもジュピターも終楽章アレグロを p でひっそり始めることまでパリ型を全面的に踏襲しているのは注目されてよい。古典型のリンツ、プラハが勝負曲ではなかったならジュピターは勝負をかけた一作だったという証左だ。ちなみにモーツァルトを意識したベートーベンは勝負曲だった第3番エロイカと第5番の運命にパリ型開始を採用しているが、後者の終楽章はブリッジ移行の新機軸で自己を刻印している。

最後に演奏に関して私見を述べる。パリ型の冒頭第1主題を形成する「p 部分」は極めて重要である。f 部分はハイドンの驚愕交響曲のびっくり部分に相当するが、これを男性とするならp 部分は女性だ。男が大声でがなったら、女がやさしくいさめる。このコントラストこそ演奏の第一印象を左右するのである。ジュピターだとここだ。

この女性がやさしくなかったり(p が mp である)、優美でなかったり(繊細なレガートに欠ける)、美人でなかったり(音程が合ってない)したらいきなりがっかりだ。

f と p の対比についての私見だが、対比の比率が小さすぎる。現代人は鈍感になっていると書いたが、その分だけdiscountして対比を強めに出さないとモーツァルトの意図は具現化できないはずだが古楽器演奏でもそれを修正している指揮者を見たことがない。「ff と p」または「f と pp」 というイメージが良いと思料する。ちなみにベートーベンは冒頭をこうしている。

モーツァルトが人生の命運をかけてインテリジェンスのすべてを盛り込んだパリ交響曲は音楽史に大きな足跡を残している。

 

PS2

本稿を書いてさらに文献をあたったところ、指揮者のニコラス・アーノンクールが問題のパッセージは第65~73小節と第220~227小節としている。長調から短調への変化が面白い部分だが、初めての聴衆がそれに喝采で反応したとは思えず、直前からすでに p であって強弱の変化はない。これには賛同しかねる。

一方で。スタンリー・セイディが(テオドール・ド・ヴィゼヴァとジョルジュ・サン=フォアに従って)、第84~92小節、第238~250小節、第257~269小節であるとしている。理由は不明だが、この説の結論は僕の指摘したものとまったく同じ部分である。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「ジュピター第1楽章」の解題

Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

 

 

 

 

 

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クラシック徒然草 《ルガノの名演奏家たち》

2017 JAN 10 1:01:07 am by 東 賢太郎

luganoルガノ(Lugano)はイタリア国境に近く、コモ湖の北、ルガノ湖のほとりに静かにたたずむスイスのイタリア語圏の中心都市である。チューリヒから車でルツェルンを経由して、長いゴッタルド・トンネルを抜けるとすぐだ。飛ばして1時間半で着いたこともある。

人口は5万かそこらしかない保養地だが、ミラノまで1時間ほどの距離だからスイスだけでなくリタイアしたイタリアの大金持ちの豪邸も建ちならび野村スイスの支店があった。本店のあるチューリヒも湖とアルプスの光景が絵のように美しいが、珠玉のようなジュネーヴ、ルガノも配下あったのだからスイスの2年半はいま思えば至福の時だった。

自分で言ってしまうのもあさましいがもう嫉妬されようが何だろうがどうでもいいので事実を書こう、当時の野村スイスの社長ポストは垂涎の的だった。日系ダントツの銀行であり1兆円近かったスイスフラン建て起債市場での王者野村の引受母店でありスイスでの販売力も他社とは比較にもならない。日本物シンジケートに入れて欲しいUBS、SBC、クレディスイスをアウエイのスイスで上から目線で見ている唯一の日本企業であった。なにより、大音楽家がこぞってスイスに来たほどの風景の中の一軒家に住めて、金持ちしかいない国だから治安、教育、文化、食、インフラはすべて一級品なうえに、観光立国だから生活は英語でOKで外人にフレンドリーときている。

唯一の短所は夜の遊び場がカラオケぐらいしかないことだが、ルガノはさすがで対岸イタリア側に立派なカジノはあるは崖の上にはパラディソという高級ナイトクラブもあってイタリア、ロシア系のきれいな女性がたくさんいた。妙な場所ではない。客が客だからばかはおらずそれなりに賢いわけで、ここは珍しく会話になるから行った。私ウクライナよ、いいとこよ行ったことある?とたどたどしい英語でいうので、ないよ、キエフの大門しか知らん、ポルタマジョーレとかいい加減なイタリア語?でピアノの仕草をしたら、彼女はなんと弾いたことあるわよとあれを歌ったのだ。

こういう人がいて面白いのだが、でもどうして君みたいな若い美人でムソルグスキー弾ける人がここにいるのなんて驚いてはいけない。人生いろいろある。本でみたんだぐらいでお茶を濁した。男はこういう所でしたたかな女にシビアに値踏みされているのである。彼女の存在は不思議でも何でもない。007のシーンを思い出してもらえばいい、カネがあるところ万物の一級品が集まるのは人間の悲しいさがの故なのだ。世界のいつでもどこでも働く一般原理なのだと思えばいい。社会主義者が何をほざこうが彼女たちには関係ない、原理の前には無力ということなのである。

名前は失念したがルガノ湖畔に支店長行きつけのパスタ屋があってペンネアラビアータが絶品であった。店主がシシリーのいいおやじでそれとワインの好みを覚えていつも勝手にそれがでてきた。初めてのときだったか、タバスコはないかというと旦那あれは人の食うもんじゃねえと辛めのオーリオ・ピカンテがどかんときた。あとで知ったがもっと許せないのはケチャップだそうであれはイタリア人にとって神聖なトマトの冒涜であるうえにパスタを甘くするなど犯罪だそうだ。そうだよなアメリカに食文化ねえよなと意気投合しながら、好物であるナポリタンは味も命名も二重の犯罪と知って笑えなくなった。香港に転勤が決まって最後に行ったら、店を閉めるんだこれもってけよとあのアラビアータソースをでっかい瓶ごと持たせてくれたのにはほろっときた。

apollo上記のカジノのなかにテアトロ・アポロがあり、1935年の風景はこうであった。1804年に作られテアトロ・クアザールと呼ばれた。ドイツ語のKurは自然や温泉によって体調を整えることである。ケーニヒシュタインの我が家の隣だったクアバートはクレンペラーが湯治していたし、フルトヴェングラーやシューリヒトが愛したヴィースバーデンのそれは巨大、ブラームスで有名なバーデンバーデンは街ごとKurhausみたいなものだ。バーデンは温泉の意味だが、金持ちの保養地として娯楽も大事であって、カジノと歌劇場はほぼあるといってよい。カジノはパチンコの同類に思われているが実はオペラハウスとワンセットなんで、東京は世界一流の文化都市だ、歌舞伎とオペラがあるのにおかしいだろうと自民党はいえばいいのだ。

moz20ルガノのクアであるアポロ劇場での録音で最も有名なのはイヴォンヌ・ルフェビュールがフルトヴェングラー/ベルリンフィルと1954年5月15日に行ったモーツァルトの K.466 だろう(   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466)。彼のモーツァルトはあまり好まないがこれとドン・ジョバンニ(ザルツブルグ音楽祭の53年盤でほぼ同じ時期だ)だけは別格で、暗く重いものを引き出すことに傾注していて、何が彼をそこまで駆り立てたのかと思う。聴覚の変調かもしれないと思うと悲痛だ。彼はこの年11月30日に亡くなったがそれはバーデンバーデンだった。

 

lugano1もうひとつ面白いCDが、チェリビダッケが1963年6月14日にここでスイスイタリア放送響を振ったシューベルト未完成とチャイコフスキーのくるみ割り組曲だ。オケは弱いがピアニッシモの発する磁力が凄く、彼一流の濃い未完成である。くるみ割りも一発勝負の客演と思えぬ精気と活力が漲り、ホールトーンに包まれるコクのある音も臨場感があり、この手のCDに珍しくまた聴こうと思う。彼はイタリアの放送オケを渡り歩いて悲愴とシェラザードの稿に書いたように非常にユニークなライブ演奏を残しており全部聴いてみたいと思わせる何かがある。そういうオーラの人だった。

lugano3最後にミラノ出張のおりにスカラ座前のリコルディで買ったCDで、この録音はほとんど出回っておらず入手困難のようだからメーカーは復刻してほしい。バックハウスがシューリヒト/スイスイタリア放送響と1958年5月23日にやったブラームスの第2協奏曲で、これが大層な名演なのである。僕はどっちのベーム盤より、VPOのシューリヒト盤よりもピアノだけは74才のこっちをとる。ミスなどものともせぬ絶対王者の風格は圧倒的で、こういう千両役者の芸がはまる様を知ってしまうとほかのは小姓の芸だ。大家は生きてるうちに聴いておかないと一生後悔するのだが、はて今は誰なんだっけとさびしい。ついでだが、ルガノと関係ないがシューリヒトの正規盤がないウィーンフィルとのブルックナー5番もこれを買った昔から気にいっている。テンポは変幻自在でついていけない人もいようが、この融通無碍こそシューリヒトの醸し出す味のエッセンスである。

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クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-

 

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モーツァルト ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 k.482

2016 DEC 3 1:01:54 am by 東 賢太郎

モーツァルトのピアノ協奏曲(以下P協)で人気のある21番ハ長調、23番イ長調の狭間にある22番は不遇な扱いを受けているが、僕は変ホ長調のキーで書かれたこの曲を愛好しており21番を上回り23番に匹敵する名曲と思っている。

モーツァルトの変ホ長調作品は祝典的、祝祭的な「ハレ」の雰囲気を持った一群のものがある。パーンパーンパパーンとはずむリズムで開始する交響曲第26番、39番、セレナード第11番K.375、ホルン四重奏曲K.407などだ(息子のフランツ・クサヴァ―・モーツァルトもP協第2番変ホ長調でそれを踏襲している)。1785年作曲のP協第22番はその系譜に属する音形で幕を開ける。

ところが音楽はすぐに木管が交差してシンフォニー・コンチェルタンテK.297Bの柔和な雰囲気を漂わせる。K.297Bは偽作とされる作品だが、22番のここを聴くとあの蠱惑的な世界には偽りないモーツァルトの遺伝子が幾ばくでも関与しているという期待を捨てがたくする。真作が下敷きにあった(と思いたい)とするなら、パリの聴衆に向けて映えるプレゼンテーションをしようと意欲満々だった「あの頃」の心理がどこか働いた曲なのかもしれない。

そして現れるまぎれもないモーツァルト遺伝子の刻印、ミ♭、ド、ラ♭、シ♭のバス進行!多くの作品で至る所に顔を出すそれはいずれも愉悦感そのものであるのだが、ここまで明示的なのはエクスルターテ・ユビラーテK.165以来で あって純度の高さに嬉しくなってしまう。K.165も若者が腕の限りを尽くしてミラノの聴衆を魅了しようと意欲をたぎらせた作品である。

そう考えて22番の冒頭を聴くと、もうひとつ面白いことに気づく。ユニゾンで聴衆にぶつけるメッセージに続けてすぐに静かになって、ホルンの長く伸ばした和声楽句が全体を支配する。これは少年が気張ってロンドン楽界にぶつけようとものした交響曲第1番K. 16(やはり変ホ長調だ)とそっくりなのである。

意欲満々だった「あの頃」の心理!

22番を書くモーツァルトをふりかえれば、彼はハイドンセットを完成し技術も人気も絶頂。いよいよ貴族社会への挑戦であるフィガロに着手しようという時だった。少年時代の稀有壮大な挑戦であるロンドン、ミラノ、パリでの心理が投影された、ウィーンでの満を持したチャレンジ。それは深層心理的なものだったかもしれないが、クラシック音楽の演奏解釈とは楽譜だけではなくそのような作曲家の人生や心理まで読むべきものだと僕は確信する(22番がどうあるべきは後述する)。

ピアノ協奏曲でクラリネットを使用した最初の作品である22番は代わりにオーボエがない。これは23、24番、交響曲第39番と同じだ。第2楽章に弦と金管が沈黙して木管だけ(フルート、クラリネット2本、ファゴット2本、ホルン)の合奏が27小節も延々と続くのはまさに異例。ウィーン貴族に人気だったハルモ二ー(木管合奏)を意識したのかもしれないが、クラリネットという新機軸の楽器を加えた木管合奏体の幽玄な音色(オーボエは遊離してしまう)がモーツァルトの意図するアピールポイントだったことは間違いないだろう。

この第2楽章こそ22番の白眉であって、変ホ長調の影の調であるハ短調でヴァイオリンが弱音器を付けて鳴る冒頭はエロイカの葬送行進曲に聞こえてどきっとする。音楽は連綿と感情を吐露し、一時の愉悦を与える木管合奏を経て長調の光の間をうつろいながら最後は仄かにハ短調で消えていく。祝典的でありアンサンブル・オペラさえも想起させる「ハレ」の第1楽章に続くこの(後世風に言えば)ロマン的な濃密な楽章。この落差は当時の聴衆を驚かせただろう。

20番では逆に短調の両端楽章に長調をはさみ効果をあげたが、21番ではハ長調の両端楽章にヘ長調の楽章を挟んだ。この第2楽章は映画音楽にこそ使われたものの、僕には著しく霊感に欠けて聴こえる。21番は精緻な対位法によるハイドンセットを苦労して完成した直後の作品である。第2楽章は非ハイドン的な、モーツァルトしか発想できない世界ではあったが、彼はその先に来るものを見つけられなかったのではないか。

だから彼は次の22番で、濃厚な、これもすぐれて非ハイドン的である「メランコリーの支配するハ短調楽章への落差」という新手を仕掛けたのではないかと僕は考えている。それは当時の耳には甚大なインパクトがあり、難聴を克服し己を世に問わんと挑戦するベートーベンにエロイカで同じ調性関係で踏襲せしめたのだと思料する。

これは新奇なアイデアで聴衆を唸らせる達人ハイドンへのモーツァルト俺流の挑戦であり、ロンドン、パリ市場を席巻するライバルに対しウィーン市場では得意とするP協、オペラで顧客である貴族を渡さないぞという必死のマーケティングだったという視点を僕は提唱したい。

ハイドンとモーツァルトが敵対したという記録はないがビジネスは常に戦場なのであり、それで飯を食っている人間同士、いつの世もどこの世界もあまりに当たり前のことである。こういう「俗」な視点を排除して天才を美化するのは、反戦運動で地球が平和になると信じるぐらいに現実的な意味はない。

ご注目いただきたいのは、初演のおりに聴衆がアンコールを求めたのはその意匠を尽くした第2楽章だったという記録だ。たまたまの結果だが、このことがモーツァルトに大きな自信を与えたと想像するのは的外れではないと思う。

モーツァルトの人気凋落の原因が、この頃より作風が聴衆の先を行ってしまい理解を得られなくなったことだとする説が根強いが、それが誤りである証拠がこれだ。原因は「フィガロ事件」にあるのであって、聴衆は充分に耳が肥えていたということがわかる。だから彼は23番でもう一度同じ手を使い(こちらも見事に決まっている)、22番の第2楽章が予見するムードをもった音楽を両端楽章に置いて全曲を短調のまま閉じる24番という意欲作を自信を持って発表することができたのである。

あのフィガロを書きながら、対極的な24番が降ってきた謎がこれで解けた。マーケティングという俗な視点なしにそれを説明するのは困難であろう。

22番に人気が出ないのはその落差をうまく表現するピアニストが少ないからだ。第1楽章をフィガロのように賑やかに流麗に、第3楽章をギャランㇳに陽気で軽妙に、そして第2楽章を重く深く、である。そして伴奏は各楽章の性格を3つのアリアのように弾き分けなければならない。これは至難の業であり、22番は指揮者にもピアニストにも格別に難しい曲なのだ。

第2楽章の世界に同期させて両端楽章のアレグロまで遅くするロマン的な解釈だと22番はたちまち意味がさっぱり分からない音楽になってしまう。例えばウィルヘルム・ケンプの第3楽章がそれだ。内田光子もそちら寄りで解せない。ファンには申しわけないがこれは違う。そうではないからこそモーツァルトはコーダにちゃんと第2楽章のロマンを回顧して勝負の要を印象づける小節をあえて加えているのだ。

1540794186fc6bc5b86e67a711ac91f5僕が意味するところをご理解いただくにはエドウィン・フィッシャー(写真左、Edwin Fischer、1886-1960)の演奏を聴いていただくしかない。彼はフランツ・リストの高弟だったマルティン・クラウゼに師事した。リストはカール・ツェルニー、アントニオ・サリエリの弟子であり、その演奏会を晩年のベートーベンに称賛されている人だ。つまり、リストの孫弟子であるフィッシャーのモーツァルト、ベートーベンは作曲家直伝の系譜に属するものだ。

 

エドウィン・フィッシャー / ジョン・バルビローリ / バルビローリ室内管弦楽団

edwin_fischer_6294992フィッシャー の技巧をもって初めてなし得るテンポとフレージングの妙!モーツァルトの楽譜は簡単に見えるが、これほど高度な技術がないと実は弾けるものではないことを如実に示すドキュメントだ。伝説的名手であるツェルニーやリストが弾けばこうなるだろうという天衣無縫のピアニズム。そんな評価ができる演奏家がいまいるのだろうか?第3楽章はそこかしこが愉悦の即興演奏となるが、楽譜を見ずに聴けばモーツァルトがそう書いたと誰も疑わないだろう(バレンボイムは第3楽章のカデンツァでフィッシャー版を弾いている)。作曲家の書いた楽譜(不完全だ)から、彼の人生を意図を投影させた表現を紡ぎ出す。解釈とはそういうことを意味している。バルビローリはその解釈に最大の敬意を払ったと思われる見事に生き生きとした伴奏で花を添えている。

 

エドウィン・フィッシャー(pf&cond.) / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

51x7q9vhasl-_sy355_1946年のザルツブルグ音楽祭ライブ。フィッシャーは20世紀には廃れていた協奏曲の弾き振りをリバイバルさせた元祖的存在で、ここでそれが聴ける。オケの統率が甘く、VPOは上記盤より感度が落ちるし録音もいまひとつだが、これを推挙する理由は第2楽章にある。まるで葬送行進曲のような鎮静と祈り。『そうだ、「こころで感じとる」・・・これこそ モーツァルトの音楽世界の核心に通ずるかくれた扉をひらく合言葉だ』(エドウィン・フィッシャー著『音楽観想』・みすずライブ ラリーより)。終結部のlegato。ここから始まるピアノのモノローグ・・。言葉もない。この世界こそP協24番にエコーする黄泉の国への扉なのだ。

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

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クラシック徒然草―ジュピター第2楽章―

2016 NOV 27 0:00:29 am by 東 賢太郎

何が嫌かといって自分で理解もコントロールもできないものに振り回されることだ。普段は気にもしないがビジネスの場でそうはいかない。相手に理があるなら我慢もするが3分でクビにするような人に差配などされたら心の奥底から耐えがたいのは誰も同じだろう。

こういうストレスが続くと癌みたいな硬い病巣が心にできてしまい、時間が経っても根治し難く、さしものクラシック音楽といえども効能は期待できない。帰りの機内でいろいろ聴いてみたが、やはり入ってこなかった。ところがさっき偶然にジュピターの第二楽章をネットで耳にして我に返った。これが耳に突き刺さってきたのである。写真は僕のピアノ譜の「その」部分だ。ここに抜き差しならない絶対普遍の音が書いてある!

jupiter-mov2

何度も述べた部分だ。2段目最初の音(a)!そして3拍目のビックリマークを書いた血の出るような音(b)!この二つは音程関係が似ているが違う。(a)を長3度下げると(b)のラは半音下がるが、弾いてみるとそれじゃだめだ。(a)のドを半音上げてもだめ。彼はどうやってこんな音を選びとったのだろう?彼はいったい何者だったんだろう??

バスはA・D・G・C・F・B♭と完全4度上昇の神のバランスだが、その上に軋みと悲しみを内包した、何と豊穣でエロティックで人間くさいドラマを矛盾もなくのせていることか。しかも何の苦も無く。これを何度も心で反芻しているうちに、真の天才の凄みに射すくめられたのだろう、僕のストレスの病巣ごときは粉みじんに砕け散った。つまらん人間界の澱が人類史上最高の知性にふれて浄化された気がする。

ハイドンが98番にここを引用したと僕は固く信じている。彼も天才だが、真に畏敬すべきものは神だということを知っていた。この霊的な箇所に反応しなかったはずがないのではないか?モーツァルトが神である証拠は彼の626曲の楽譜に幾つもあるが、僕が気づいているものは全部書き残して死にたい。

さっき聴いたというのは故・山田一雄のものだ。棒はほとんど振らない。顔の表情と大きな所作で体ごと欲しい音をN響からえぐり出している。それが出ているということが見ていてわかる。こじんまり綺麗に整ったモーツァルトなどくそくらえだ。

指揮とはこういうものであり、巨魁な精神作用なのであり、奏者をインスパイアし鼓舞するオーラの賜物であると心より納得する。天才の音魂と最晩年の山田の霊感が共振しただごとでない感動的な名演になっている。誰がN響からこんなモーツァルトを聴かせただろう。

第二楽章である。

このサントリーホールのライブ(youtube)はぜひ全曲聴いていただきたい。

 

モーツァルト交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

 

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モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 「プラハ」K.504

2016 OCT 10 1:01:44 am by 東 賢太郎

モーツァルトの後期の交響曲というのはあまりに絶品であり有名でもあるものだから、ベートーベンの9曲のように用意周到に作られたように思ってしまう。しかし35番ハフナーはセレナーデの転用だし、36番リンツは貴族のお屋敷にお呼ばれした御礼に4日で書いたものだという。最後の3つだけは正体不明だが、ハイドンセットなみに細部までの彫琢にこだわりを感じ、その正体はこうだったと考えている(  クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-)。

さて、ではそのはざまにある38番プラハはどうか。フィガロのウィーン初演(1786年5月1日、ブルグ劇場)以来、一抹の不穏な空気がただようなか同年12月にフィガロはエステート劇場にかかって大喝采を受けた(彼が自作を指揮した唯一現存する劇場である、右)。熱狂する地元のファンが作曲家を指揮者に招き、モーツァルトは翌87年1月11日にプラハ着、19日に当劇場に登場し2月の第2週まで滞在した。その前座で38番は演奏されたのである。作曲は86年12月6日と記録があり、ウィーンの冬季演奏会用であったという説もある。

38番にはメヌエットがない。これがなぜかはわかっていない。アラン・タイソンの五線譜X線リサーチによると第3楽章を書いたのは86年はじめであり、フィガロ完成より前だから年末になって第1,2楽章を書き足したことがわかる。それがウィーン用かプラハ用かは知る由がないが、書き足しは短期に行われメヌエットは手が回らなかったか、オペラの前座という性格からあえて省いたかもしれない。ドン・ジョヴァンニ序曲を一夜で書く人だから前者よりは後者かとも思えるが、僕は以下のように考えている。

ピアノ協奏曲第25番ハ長調は38番の完成の2日前である86年12月4日に完成され、初演は翌日の5日だったと推察されている。ということは38番の第1,2楽章はPC第25番の仕上げとほぼ同時期に書かれたが、初演はどうだったのだろう?12月6日という日付は手直しをした最終稿の脱稿日であって、38番はとりあえずのパート譜で5日に一緒に初演されたのかもしれない。間に合わせだったのでメヌエットがなく、翌年にプラハへの土産で前座の演奏をして用は足りてしまいそのまま「メヌエットなし」になったというのが僕の推察だ。

そして38番の第3楽章が書かれたころ、PC第24番ハ短調が3月24日に作曲され初演は同年4月7日、フィガロ初演の1か月前であった。38番がフィガロの分身であることを考えると、24番の異様さは目を引く。これがPC25番と共にフリーメーソンのカラーを帯びた音楽であることは前述したが、これだけ性格の異なる音楽を同時に書けるモーツァルトの精神構造と職人性は興味深い。彼はその後に深刻さのない38番世界のコシと24番の暗く重い世界をまとったドン・ジョバンニを書くが、その両者が魔笛で融合していくのである。

第1楽章は第1,2ヴァイオリンの交差が驚くほど精妙にスコアリングされており、バスは当時の慣行として全曲一貫してVc、Cbが同じパートに記譜されているもののチェロの高音域は時に独立して声部をになう。オーケストラにおいてこれほど精妙な、カルテットのようなアンサンブルが息もつかせぬ疾走をみせるのは稀であり、これぞプラハを聴く喜びだ。これはヴァイオリンが対抗配置であることが必須であり、チャイコフスキーの悲愴と同様、現代流の配置は作曲家の意図が消えてしまうのだから論外である。

転調の妙はいたるところにあり語るに尽きないが、第2楽章のコーダに近いここは初めて聴いたころとても衝撃を受けた。

praha

d・g・f#・c・b・e・d(ト長調)が2回目にはbが半音下がり急に変ホ長調になってしまう。ふっと心に寂しさの影がさしたようなここは痛切だ。

第3楽章は主題がタタタターの運命リズムで開始し、楽章を通してそれが鳴り続ける。ピアノ協奏曲第25番の稿にベートーベンがそれをそこから採った可能性について書いたが、25番と同時期に書かれたプラハにも明確に運命リズムが刻印されているのは注目されていい( モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503)。

カール・シューリヒト / パリ・オペラ座管弦楽団

38番にこの演奏が残されたことは世界のモーツァルト・ファンにとって僥倖だ。モーツァルトをあんまり聞いたことのない人はこのCDをぜひ何度もお聴きください。必ずや彼の音楽の素晴らしさがわかるだろう。小川の清水のように流れる音楽は清冽であり、内声部にいたるまですべてのフレーズがからみあって音楽と共に呼吸している様は驚くしかない。対抗配置がこれほど活きた例もなく、クリアに立体的にポリフォニーがみえるのがごちそうだ。即興的にきこえるが、ヴァイオリンの高音の伸ばしにクレッシェンドがかっていたり、その立体感は周到に作られていることがわかるが一聴ではまことに自然で作為がない名人芸だ。最高の色どりで明滅する木管群、テュッテイに重みをそえるティンパニ、第1楽章の展開部とコーダで楽興が頂点に至る素晴らしさはもう神品と形容するしかない。アンダンテのひそやかな短調への転調の陰り、終楽章の快活なテンポも最高。決して一流とは言えないオーケストラにこんなにパッションのこもった自発的なアンサンブルをさせる、こりゃあ指揮の魔術、シューリヒトの最高の演奏の一つに数えられると思う。ただ、一緒に入っている36,40,41番は僕の趣味からはそうでもない。オケの弱みが出てしまいシューリヒトの融通無碍な良さが出きっていない。どうして38番だけああなるのか、これまた音楽の不思議である。

 

ブルーノ・ワルター / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1936年12月)

949戦前のSP録音であり音は宜しくない。しかしこの第1楽章の天衣無縫の速さに慣れてしまうともう他のは物足りなくなる、そのぐらいインパクトのある演奏であり音がどうのと言ってられない。38番はフィガロの姉妹だ、僕はアレグロを快速で飛ばしてほしい。それをやっている唯一の演奏がこれで、それなのにコクを失わない、まさにモーツァルト!と音楽を満喫させてくれるから最高である。ワルターはこの後もVPO、NYPO、コロンビアSOなど数種の録音を残すが、そのどれもやはり物足りない(最後のは特に)。これがそれだ。

 

カレル・アンチェル  / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

4571426310050終楽章のテンポの素晴らしさ!オルガン的なバランスと有機的なアンサンブルで疾走するプレストの音楽はまさしくDSKだ。第1楽章は上記2点より遅め(まあ普通のテンポだ)だが古雅な木目の音色で滋味に満ちた音楽がぎっしりつまっている。第2楽章、くすんだ弦、鳩笛のような質感のファゴット、青空に突き抜けるようなフルートがまことに素晴らしく純正調のハーモニーが癒してくれる。こういう演奏が看過されているのはもったいないというしかない。録音は1959年6月(エテルナ)でモノラルだが聴きやすい。

 

ペーター・マーク / ロンドン交響楽団

750第1楽章アレグロは速めのアンダンテぐらいで対抗配置でもないのがマイナスだが、ヴィオラを右に置き弦の各パートのフレージング、アーティキュレーションを磨き上げて、じっくりと歌わせつつ独特の立体感を出している。木管をくっきり浮き出させ要所でのトランペットのアクセント、ティンパニの強奏も効いており、この彫の深さは見事。第2楽章も遅い、アダージョぐらいだ。これは僕にはややもたれる。終楽章はプレスト、アンサンブルはやや粗いがこの活気はとても良い。これは僕が2番目に買った演奏(LP)で38番を覚えるのにお世話になった。

 

イルジー・ビエロフラーヴェク /  プラハ・フィルハーモニア

51edyrxcnkl-_sx355_あまり知られていないがいい演奏で一聴をお薦めしたい。ビエロフラーヴェク(1946~)は90年にノイマンの後任としてチェコ・フィルの常任指揮者になったが、西側に入り民主化の流れで行われたCPOの自主投票でゲルト・アルブレヒトに替わられた。僕はその前、84年に米国はワシントンDCで彼とCPOでドヴォルザークの8番を聴いたがあの音は忘れられない。たいへん有能な指揮者と思う。このプラハはコクのようなものはないが快速で両端楽章は室内オケの軽みが活きている。リズムにキレがあり対位法の綾も素晴らしい。フィガロの愉悦感をそのまま封じ込めた名演。

 

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

 

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N響 ブルックナー交響曲第2番をきく

2016 SEP 25 1:01:23 am by 東 賢太郎

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ    ピアノ:ラルス・フォークト

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595

ブルックナー/交響曲 第2番 ハ短調

 

今日つくづく思ったのは27番は難しいということ。ここに書いたように、私見ではこのコンチェルトは1788年、「コシ・ファン・トゥッテ」の姉妹作だ。

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595

しかし、第2楽章の第2ヴァイオリンのあの胸につまされる音階パッセージは何だ?フォークトはドイツ時代に何度か聞いたピアニストだが、モーツァルト、しかも最も難しい27番であえて何を言いたかったのか。音階パッセージをピアノが模す場面はなにかが違う。

僕はウィーンへ行くと必ずモーツァルトが昇天した家に詣でる。そしてそのすぐ前にある宮廷料理人イグナーツ・ヤーン邸の地上階にあるカフェで1時間ほど過ごすのだ。ここに詳しく書いた。

ベートーベンピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19

27番はこのヤーン邸で、モーツァルト自身のピアノで初演されたのだ。そして、それは彼が公の場で演奏した最後の機会となった。第2楽章、彼の魂が天に登るような変ホ長調。あのカフェで脳裏に聞こえたような演奏はまだない。モーツァルトは本当に難しいのだ。

今日の収穫はブルックナーの2番だ。ヤルヴィになってこういう曲をプログラムに組んでくれる、これはいよいよ日本のクラシック・シーンが欧米水準になるということだろうか。これを覚えたのはハイティンク盤、ショルティ盤、スクロヴァチェフスキー盤だが、細かくは知らないが、今日の版は改訂版とは違うかもしれない。

しかし演奏は期待以上で、レコードでは味わえなかった独特の楽器法の木管アンサンブル、対向配置のヴァイオリンの意味深い対位法、インパクト充分の金管とティンパニなどについてヤルヴィは確信をもって振っており、後期の交響曲とは一味違うむしろ古典的な性格の残る部分をメリハリをもって描いた。この解釈で5番をやったら素晴らしいだろう。

 
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二期会のドン・ジョバンニを聴く

2016 JUL 5 1:01:05 am by 東 賢太郎

昨日はサントリーホールにて、ドンジョバンニを。小ホールで聞くのもピアノ伴奏というのも(そこまでオペラに通じているわけではないので)初めてでした。

たまたまご縁あっての鑑賞でしたが、ホールの声の通りがよくオケの音量に消されることもなく、とてもよかったです。唯一、地獄落ちの場面だけはオケがほしいなと感じましたが。

歌手の皆さん、意気込みが感じられて楽しみました。個人的なモーツァルトの歌劇ランキングでは①魔笛②ドン・ジョバンニ③フィガロ④コシ・・・という具合。②は思い入れがありますが指揮と歌手のマッチングが難しいオペラで演奏にもより、②③④は僅差です。

ドン・ジョバンニは2065人の女性を手にかけた放蕩者ですが下衆のスケベ野郎ではない。貴族です。このオペラが発表されたのは1787年、まさしくフランス革命前夜なのです。つまり②も③と同じく貴族糾弾・反体制オペラというのが私見です。

お上の悪事を暴く。それも効果的に嫉妬をあおれるセックススキャンダルです。しかも「悪代官が村娘に手を出す」、これはわが時代劇でも定番なほど万国共通、実にわかりやすい勧善懲悪の構図じゃないですか。週刊文春にはなれないのでダ・ポンテとつるんで「ほのめかし」作戦で行ったものと解釈しております。

一発目の③はウィーンでは貴族に警戒されたが辺境都市のプラハでは大喝采となりました。二発目の②はその2匹目のドジョウとしてプラハの劇場に依頼された作品なのだから同じ路線と解釈するのは自然でしょう。③で懲悪するのは奥方でしたが、それでも危なかった。そこで②では石像です。神仏だから仕方ないでしょ?天罰ですよとほのめかして逃げたのでは。

モーツァルトは同作をドラマ・ジョコーソと呼んでおります。まじめなドラマ(悲劇)+喜劇(ジョコーソ)です。復讐に燃えるドンナ・アンナ、騎士長がメインラインで悲劇を構成するわけですが、まじめ一点張りでは「ほのめかし」作戦にはなりません。

だからこの曲のキャスティングは喜劇、遊びの側面、つまり人間くささという面で「思いっきりワルっぽい」が「女が靡くのは仕方ない納得の男ぶり」のジョバンニ、捨てられたのに一途に純真で改悛までせまるドンナ・エルヴィーラ、自分の結婚式の最中にドン・ジョヴァンニに口説かれてその気になるお色気村娘ツェルリーナが緩衝材となっていなす。ここははずせないと考えてます。

そのなかでも難しいのはジョヴァンニの従者レポレッロで、親方の放蕩に愛想がつきているのにカネと女のおこぼれをエサにずるずる使われてしまい、狂言回しかと思えば身代わり役にもなってはらはらさせて笑わせる。すごく人間くさいのです。だから性格俳優的な役かというと、大事なアリアが3つもあります。

まずジョバンニの宮本益光さん、お見事、良かったです。そしてレポレッロの池田直樹さん、声も演技も存在感抜群。要の役を堪能させていただきました。それからモーツァルトのオペラというのはアンサンブルが命で皆さん良かったです(ドンナ・アンナの針生美智子さんの高音は声質、ピッチが記憶に残りました)。

とくに第一幕の終結のアンサンブルは感動!完全にモーツァルト界に引きこまれ打ちのめされました。ピアノもよろしかったです(お疲れさま)。皆さん、ありがとうございました。

 
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クラシック徒然草ーカサドシュとセルのモーツァルトの愉悦ー

2016 JUN 13 1:01:59 am by 東 賢太郎

これを5月1日に書いて以来、一度も電源を落としていません。

オーディオ電源は落とすなかれ

効果は顕著で、音がまろやかで深みが出ています。CDが全部SACDになったようなイメージであります。

昨日、ロンドン時代に買った箱モノセットが危険なことになっているのを知って、これだけは勘弁というのをいくつか取り出しました。そのひとつがこれ、ロベール・カサドシュがジョージ・セルをバックに演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲集です。無事でほっとしました。なにせここに入っている26番ニ長調K.537は同曲最高の名演であり、これを凌駕する演奏が現れることはまずありえないというものだからです。

casadesusこれを買ったのはブックレットに「2May88 at Home leave、石丸」とあります。ロンドン駐在4年目のGWに家族を連れて帰国したとき、東京銀行で「お留守番口座」から送金した帰りに秋葉原へ寄ったようです。前年10月に生まれた長女を親に見せたんでしょう。石丸電気は帰国すると必ず寄って、日本プレスのCDは英国で買えないのでわくわくして買っていたのが懐かしい。

この箱モノは4枚組で、15,17,21,22,23,24,26,27番が入っています。あんまり音が良いイメージはなかったのですが、今回1か月半バーニング(火入れ)して聴いた音は驚愕ものでした。

初めてわかりました、このセル指揮コロンビアSOによる26番ニ長調K.537のオーケストラパートがこんなに素晴らしいとは!筆舌に尽くし難い。そしてカサドシュのピアノの見事さと言ったら、第3楽章、このテンポでこんなにレガートでチェンバロのような触感で!

モーツァルトの音楽というのは宇宙空間の耳に聞こえない元素の振動に共振したようなものを含んでいます。セルとカサドシュはそれを感じ取って強い「気」を発していて、それがこの26番からびしびし出ています。それをこういう音響で聞くと僕の身体もその気に共鳴しはじめ、それを通じて宇宙と合体しているような気分になるのです。

こういう音楽は耳の悦楽を超えて、全身の細胞に響きます。自分の魂ごと26番に入りきり、口笛で合奏に参加し(何という快感!)バスを歌いました(何という満足感!)。音楽が、モーツァルトが、いかに僕にとってなくてはならないものか。

先週以来かなり疲れていたのですが、全部ふっとびました。こういう思いを一人でも多くの方に味わえるようになっていただくことを願ってやみません。

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モーツァルト「魔笛」断章 (私が最初のパミーナよ!)

2016 MAY 18 0:00:35 am by 東 賢太郎

 

「僕が無駄口をたたいたすべての女性と結婚しなければならないのだとしたら、僕は200人もの妻を持たなければならないでしょう」

(ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

 

すばらしい。孔子にきかせて論語に入れてほしかった。これは親父にお前は女に軽いだらしないと叱責され、彼一流の知的なレトリックで反論したことばで別に200人オンナがいたわけではないのですが、なんでもよかった数字が100でなく200になる豪快なところが実に大物でいいですねえ。舛添都知事は見習った方がいい。アウトプット・パワーがない普通の男はせいぜい20だろうなあ、それでも立派に同じ意味だし。

モーツァルトの女性関係は こんな本ができてしまうぐらいでした。

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「苦悩と困窮のなかで早世した薄幸の天才」なんて像は後世の狂信的なファンが「そうでなくっちゃこの私の偶像(アイドル)にふさわしくない」と祭り上げたもの、自分がかわいいための像です。彼は貴族を得意客としていた、つまりそういう自意識とプライドのかたまりみたいな種族の人間をこそ音楽でうならせる達人であり、彼らからカネを無心する営業の天才でもありました。

実の彼はというと、弟子は客である貴族の令嬢や奥方であって、浮名の連続。そういうセレブ女にとって、ダンナが称賛するオペラのヒットメーカーでピアノの超絶技巧的名手でカネばらいもよく、如才ないジョークを飛ばせてバクチ好きのちょいワル男は魅力があったのでしょう。風采はあがらないがカラオケとギターの並外れた腕前でモテてしまうプレイボーイに近かったと思います。

そんなモーツァルトの女性のうちで僕が特にかわいそうと思う人が二人います。

一人目はマグダレーナ・ホーフデーメルです。

モーツァルトが死んだ日から5日目のウィーンで猟奇的な事件がありました。最高裁書記官ホーフデーメルが(モーツァルトの子?を)妊娠中の妻を殺害しようと企て、剃刀で妻の顔と頸に切りつけ、そのあとで自殺したのです。死ななかった彼女は出産したが、「その子ヨーハン・アレクサンダー・フランツがヨーハン・ヴォルフガング・アマデーウスの名とフランツ・ホーフデーメルの名とを持っているのは、はなはだ意味深長である」(アインシュタイン『モーツァルトーその人間と作品』浅井真男訳、白水社、p.109)。

そして二人目が、今回の主役、アンナ・ゴットリープです。

魔笛のパミーナのアリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」  (Ach, ich fühl’s, es ist verschwunden)はアンナに書かれた曲でした。

350px-AnnaGottliebColorDetailまじめなタミーノに話しかけても口をきいてくれない。「しゃべるな」という試練の最中なので仕方ないのですがパミーナはそれを知らない。そこで愛想をつかされたと思い歌うのがこのアリアなのです。魔笛の中では唯一、シリアスで悲痛な感情のこもったト短調の音楽です。

パミーナ役を17才で初演したソプラノがアンナ・ゴットリープ(左、Anna Gottlieb、1774-1856)でした。フィガロのバルバリーナ役の初演も12才でしており、モーツァルトのお気に入りでカノジョだったともいわれます。本当にそうだったのか生涯独身で、彼の死後すぐにウィーンを去ってしまいました。

その後レオポルドシュタットの劇場で歌いますがナポレオン戦争で休場してからは声が衰え、最後は老け役となって舞台を去ります。年金がもらえず生活は困窮しますが、彼女が「最初のパミーナ」だと知った新聞がキャンペーンを張って資金を集め1842年にザルツブルグで行われたモーツァルト像の除幕式に参加しました。そこに現れた彼女は周囲に「私が最初のパミーナよ!」とまるで歌劇場の聴衆に告げるかのように、モーツァルトと同様の称賛を受けてしかるべきであるかのように叫んだと記録されています。82才でウィーンで亡くなった彼女は、モーツァルトと同じ墓地に埋葬されたのです。

このビデオは僕の好きなルチア・ポップです。彼女はパミーナがあってますね。夜の女王はどこかコロラトゥーラの軽さがないのであのテンポなんでしょう。ただピッチの正確さにあんなに微細な神経の通ったものはなく、だからクレンペラーが起用したのではないか。彼は軽快にすいすい歌うが音程があぶないという夜の女王は許し難かったのだろうと思います(そうならば全く同感)。

このアリアはト短調ですが、ロマン派に近接するほど豊かな和声がつけられているのにお気づきでしょうか。それが表す悲痛で繊細な感情の襞(ひだ)はこのオペラでは例外的なもので、至高の名アリアと思います。

パミーナという役の設定は、

夜の女王の娘でもザラストロの娘でもあり、タミーノの救出する相手であり許婚であり、モノスタトスが狙う女であり、パパゲーノと愛らしいデュエットがあり、剣で自殺しようとして童子に止められたり、タミーノと火と水の儀式をくぐり抜けたりするお姫様

というものです。夜の女王とザラストロがオペラ・セリア的、超人的であり、タミーノは優等生であまり生身を感じず、3人の侍女と童子は天界の非人間的存在である。女性で庶民派代表のパパゲーナは老婆姿と最後のパパパとやや出番が少なくパパゲーノの片割れ的存在。そうなるとパパゲーノとモノスタトスの人間くささが目立ちますが、女性で唯一生身の存在がパミーナと言ってよいでしょう。

モーツァルトはお気に入りだったアンナ・ゴットリープに大サービスでいい歌をたくさん書いているのであり、そういう流儀が彼のオペラ作法だった。体に合わせて服を仕立てるようにですね。おそらくこのト短調のアリアはその白眉だったし、気合を入れて書いた、そしてアンナも入魂の表情で歌ったに違いない。「私が最初のパミーナよ!」という叫びは、そうでなくては出なかったと思うのです。本当にかわいそうな女性です。

ただどうしてこれがト短調なのか?Gmは特別な調だったのだという説が根強くあります。僕はそうではなく、こういう質のリッチな和声の音楽を書くのにGmがよかった、それも絶対的なピッチがというより(当時、基本ピッチはいい加減だったでしょう)メカニックな「運指が」ということではないかと考えます。作曲過程の発想と運指の関係であり、転調へのいざないというか、白鍵ばかりのイ短調とまったく同じということもないように想像するのです。

どうしてそんなことを思うかというとこのアリアのピアノ伴奏パートを弾くと、う~んという和声が出てくるからなのです。イ短調だったらこれあったのかな、という指の動きで。それは楽譜のsein, so wird Ruh’…….のところ、左手がcis、d、esと動きますが(ビデオの3分55秒から)esのところのes-a-cis-gの和声が問題のそれです。

pamina

これはA7のコードのドミナントのeを半音下げたもの(第6小節にも一度現れています)。この和音は耳に残ります。どこかで聞いたことがあるぞ・・・・(こういう音の記憶を看過できない習性が僕にはございます)。

これです。みなさんよくご存じのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調の第1楽章、オーケストラによる第2主題を切々とこう奏でる、それの青枠の和音をご覧ください。

tchaikovskyPC1-2des-f-b-f-gですがD♭7のコードのドミナントのasを半音下げたもの。つまりパミーナのアリアの和音を短3度平行移動したものです。

このユジャ・ワンの演奏ビデオ(どうでもいいが、最も重要な出だしで関係ないトロンボーンがアップになって笑えます。ホルンなんですけどね)、6分43秒からが上の楽譜になります。よ~くお聴きください。

いや、しかし、まだあるぞ、もっとすごいのが・・・・。

ストラヴィンスキー「火の鳥」です!

fire

どこかおわかりでしょう。「子守歌」の直前のブリッジ部分です。青枠部分の音の構成要素はb-es-f-aの転回形なのです。B7のコードのドミナントのasを半音下げたもの、つまりパミーナのアリアの和音を長2度平行移動したものです。

このビデオの15分34秒からが青枠です。

何の話をしてるのかわからなくなってきました。そうかモーツァルトでした、魔笛でしたね・・・。このチャイコフスキーもストラヴィンスキーも、どこか暗めで切々とした情念、なにものかの呪縛、そしてあきらめきれない哀惜の念みたいなものを訴える場面で問題の和音が使われているように思うのです。

この悪魔の増4度をふくむ和音は今の僕らの耳にはなんでもないがハイドンまではなかったのかもしれないし、あっても希少だったでしょう。上記のsein, so wird Ruh’…….のところ、時が止まってしまうような、いったんナポリの6度(A♭)に行っておいてGm、DときてGmに収まるかと思いきやA#に!。そこから始まる「死だけが私を苦しみから救う」への和声のおそるべき混沌!!

アンナ・ゴットリープはモーツァルトに大変なものを書かせてしまった女性、人類の歴史に名を刻んだ女性であります。

モーツァルト「魔笛」断章(モノスタトスの連体止め)

 

 

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モーツァルト「魔笛」断章(モノスタトスの連体止め)

2016 APR 27 22:22:01 pm by 東 賢太郎

パパゲーノが主役なら表のわき役とでもいう存在がモノスタトスです。

夜の女王からザラストロに寝返るのがタミーノ、寝返ったようで靡(なび)かず中立なのがパパゲーノ、ザラストロから女王に唯一寝返るのがモノスタトスであって、アリアは二つしかないがなかなか強いインパクトのある役です。

ムーア人という設定だからイスラム教徒で色は黒い。オテロのタイトルロールもそうですが、前回書いたように魔笛には後宮からの誘拐という伏線があるのであって、オスミンに原型があると考えてよいのではないでしょうか。僕はモノスタトスにパパゲーノと同じほどの人間味を見てしまい、主人のザラストロから77発のむち打ち刑を食らったあげくに寝返った先の女王と一緒に滅ぼされてしまう哀れな運命には同情さえしてしまうのです。

肌の色が黒いというだけで、身も心も無く、血も通っていないというのか?醜いので恋をあきらめ、女なしに暮さねばならないのか?

といい、眠っているパミーナに「白いってきれいだなあ!この娘にキスしてやれ」と劣情をたぎらせる。このアリア「誰でも恋の喜びを知っている」はピッコロが旋律を吹くなどトルコ音楽の風情があり、「音楽が遠くから聞こえてくるように静かに演奏され歌われる必要がある」とト書きに指示があります。そりゃそうだ、獲物をねらう猫みたいにそ~と近寄って、パミーナが起きてしまったらこまる。この歌は狼藉をはたらこうとするモノスタトスの内面で鳴っている音であって、音量だけでその息をひそめた感じが聴衆にわかる。それがアレグロである。彼の心臓の鼓動が伝わってくる。こういう風に音楽が書けるからモーツァルトのオペラは200年も聴衆のハートをつかんでいるのです。

この短いアリアには驚嘆してやまない和音が一つあります。ピアノ譜の青色部分です。

monosta

ハ長調の急速平明なクープレ、話すように軽い声で歌う、その流れの中にそっと置かれたEm!!モーツァルトは何度も何度も各所で僕をノックアウトしているが、これはその最たるもの、瞬間に通り過ぎてしまうのでお気づきになりにくいかもしれませんが、この曲の色合いをさっと変え、どきっとさせ、モノスタトスの人物像まで変えてしまう最も高貴で繊細なやさしさに満ち満ちたもののひとつです。

醜いので恋をあきらめ、女なしに暮さねばならないのか?

モノスタトスの悲しさがこの和音ひとつに滲み出ている。粗暴で野獣のような男でないぞという、パパゲーノを見つめる彼の人間賛歌の目がモノスタトスにも注がれているのです。

これは偽終止というやつで、ハ長調CだとドミナントGからトニックのCに戻らずAm等にいく。これは「アマデウスの連体止め」と僕が勝手に名付けているモーツァルト必殺の得意技で、みなさん国語で習われた和歌や俳句の連体止め、あの効果によく似ているのです。これは別に彼の発明ではないですが、彼はAm(6の和音)に行くのがお好みで、作品の随所に出てきます。

下のK.581だと青色部分でバスがc#に行けばトニック(A)なのにf#に上がってF#mの和音になってます。のちに繰り返しの場面ではAになるので、このF#mという6の和音は明らかに代用で偽終止、これぞ連体止めです。

(例) クラリネット五重奏曲イ長調 K.581 第1楽章冒頭

clarinet

ところがモノスタトスのアリアはDsus4、Dと来てG(ト長調)に収まると思わせつつ(偽転調だ!)、なんとそこに6の和音であるEmの偽終止を置くという驚くべきダブルの騙しで完全に僕の脳髄を狂わせる。もう凄すぎて語る言葉もなし。魔笛という言葉を聞いて僕にまずひらめくのがこのEmであって、今回、少し気が変わってブログを書いて、とくに、どうしても書かなくてはいけない魔笛にしようと思い立ったのは、このEmのことを残しておかなくてはと思ったからなのです。僕がモーツァルトの信者であるのはこういうことです。細部に宿る神の証し!細部が証明しているのです。なぜといって、こんなメガトン級の威力で耳を直撃する音を書いた人はいない。少なくとも僕にとってはです。

200年近くにわたって、モーツァルトを天才と呼び、賛美する人が世界中にいました。今もきっとたくさんおられます。ケッヘル何番のあそこがいい、ここが天上の調べだという類の書物も手当たり次第に読みました。どれを読んでもピンと来ないのは、僕にはたぶんそういうレセプターがないのであって、それは色覚とおんなじように人それぞれの受容器が脳についていて、僕のはこういう部分に反応してしまうということだと思います。このEmに感動している人はいまだかつて見たことないという一抹の寂しさはございますが、唯一救いに思っているのはそういう人がかつて一人だけは確実に存在した、すなわち、それがこのEmを数多ある音の中から選び取ったモーツァルトだったということです。

このアリアが布石になったかどうか、あんまり興味がないので知りませんが、ロッシーニのセヴィリアの理髪師にフィガロのこういうアリアがあるのですね。

モノスタトスに似てる気がするが、和声的に何の事件も起きないお気楽さ・・・まあ、これがフツーの天才の音楽です。

 

クラシックは「する」ものである(4) -モーツァルト「クラリネット五重奏曲」-

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

 

 

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