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カテゴリー: ______地中海めぐり編

NHKハイビジョン マルタの猫 ~地中海・人とネコの不思議な物語~

2013 NOV 21 0:00:57 am by 東 賢太郎

地中海に浮かぶ小さな島・マルタ島は、世界中で最も猫が住みやすい場所といわれている。漁師町サンジュリアンで、捨て猫を拾って育てている女性や、ひたすら野良猫にエサを与え続ける独身男性など、猫を愛し猫とかかわっている人たちのさまざまな人生模様を描く。

こういう番組でした。100分間じっくり見せていただきました。僕はTVはほとんど見ませんが、ネコ科が出れば何時間でも見ます。ディスカバリー・チャネルのライオン特集みたいなものは丸一日でもOKです。猫と一緒に育ちましたので。

地中海のマルタ島は人口の約2倍、70万匹の猫がいます。昔から漁師が船荷を鼠から守るため猫を連れてきたのでこうなったそうです。とても大事にされていて「マルタ猫協会」という立派な団体まである。感動ものです。誰にもじゃまされず1か月ぐらいいてみたいものです。番組はその大勢の猫にかかわる幾人かの島民の人たちの生き様を描いたもので面白かったです。

協会長さんいわく「犬はエサをくれる飼い主を神と思っています。猫は飼い主がエサをくれるのは自分を神と思っているからだと思うのです」、まったくそのとおり。神と思っています、僕は。さすが猫の達人です。猫は飼い主を観察し、完全に見抜いています。だから猫をわからない人には寄り付きません。わかる人とは適当な距離感で共存できます。お互いそれが心地よいことを知っているのでいちいち尻尾を振るようなことはしないのです。この番組は猫を神と思う人たちが出てきます。

男性マニュエルさんは毎日スーパーでキャットフードを大量に買い、島を歩き回ってえさをやっています。彼の表情から猫が喜ぶことがうれしいという純真な気持ちが伝わります。誰でも彼を知っていてキャットマンとあだ名される。何をしている人かは不明で資金源は親の仕送りか。「結婚しないのですか」と聞かれ、しばらく考えて「そういう暇がありません」。島の子供が彼は頭がすこし変な人だという。とんでもない。聖人です。4度結婚したちょっとわけありの感じのフィリピン女性が彼に10ポンドあげてハグするシーンがぐっときました。

英国人のバーバラさんは離婚してマルタに移住した女性です。死にかけた子猫を洗ってお腹にびっしりとくっついた蚤を取ってあげる。5回流産して子供はとうとう授からなかったという話もされます。知的な感じの女性です。インタビュアーの「では今は猫が子供のかわりですか」はペットを何かと擬人化する日本流の質問。「子供とペットは同じにできません。猫は大事なパートナーよ」、大人の答えでした。しかし彼女の猫への聖母のような愛情も無条件なものです。

お金や名誉や保身で動いていない人たちがどんなに強くて美しく見えたことでしょう。人の幸せってなんだろうと考えました。僕は猫好きを通りこして「猫好きの人」好きでもあります。母も妹も捨て猫を次々と拾ってきて育てるなど、これは遺伝子でしょう。お二人のようにそれが人生をかけた献身にまでなるというのは尋常の好き加減ではありません。敬意を表するしかありません。この番組を作られた方もそこを描きたかったのかな。ありがたいことです。

番組とは関係ないですが、マルタの猫を撮られた動画があったのでお貸りします。大変すばらしいです。

猫たちの姿もいいですし、これを撮られた方も大好きです。

 

(追記、2月10日)

飼育数で猫が犬をぬきそうだという話、いいですねえ。別に犬がどうこうでなく、捨て猫に里親がたくさんできるじゃないですか。僕がいっしょに暮した5匹、そしていま家族のノイもぜんぶ捨て猫です。それがどうしたというんでしょう。たくさんのかけがえのない思い出をくれるんだから人生の大事な一部です。若い頃の人生、猫がいないなんてことは考えられなかったのです。

今だってそれぞれ撫でた頭の形や声やじゃれかたを忘れません。僕は猫と遊ぶプロだから、あの猫はこれじゃ喜ばない、これならのってくる、この距離だと捕まるみたいなことが全部わかる。それがまたそれぞれちがうのです。猫に貴賤なしです。僕は血統書なんかぜんぜんいらない、むしろ雑種の平凡な猫のほうがずっと好きです。

猫は一般に飼い主でも人間を下に見てます。しかし家族のうち僕だけには一目置いていて、おぬしやるな、只者ではないな、何者だ?と思っているのです。だからこっちもお前は何猫だ?といつも返してる。これはどういうわけか、なにか猫好きオーラでも出てるのか、初対面の野良猫でもそうです。あんまり逃げないし、寄って来るし、場合によっては遊んでやってもいいよという顔をしてる。

だから家で僕がヒモやらハタキやらカシャカシャぶんぶんなんかを手に取るや、さっと緊張感が走ります。そして武蔵と小次郎みたいな一騎打ち、真剣勝負の空気となる。猫はシロウトはすぐ見ぬいてなめるし、下手くそなのですぐ飽きます。しかし僕とやるとやがて息が切れて降参となるのです。

 

 

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 ネコと鏡とミステリー

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メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

2013 NOV 10 18:18:15 pm by 東 賢太郎

音楽による地中海めぐり、次はいよいよイタリア編に入りましょう。

ついこの前のことです。南イタリアはアマルフィの風景を描いた油絵を気にいって、何の気なく買いました。そうしたらさっきこの水彩画をネットで発見してびっくりしました。

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なんと同じ海ではないですか。これを描いた画家は22歳のフェリックス・メンデルスゾーンです。交響曲第4番「イタリア」は彼が22~24歳にかけて書いた傑作です。まさにこの水彩画を描くことになったイタリア旅行の直後であり、この曲の冒頭はこの景色から生まれたかもしれないと僕はいま想像をかきたてられているのです。

o0420042010150431900メンデルスゾーンに与えられた人生はたったの38年でした。モーツァルト36年、ビゼー37年と、僕が人類史上、早熟の3大奇跡とあおぐ3人はほぼ同じ年で亡くなっています。右は 13歳のフェリックス・メンデルスゾーンの肖像画で、このまま少女マンガの主人公ですね。このころ紹介された文豪ゲーテは彼の才能に驚嘆し、2週間毎日彼のピアノを聴き続けたそうです。17歳で書いた弦楽八重奏曲変ホ長調」と「序曲《真夏の夜の夢》」は現代のコンサートレパートリーの常連です。後者に続く「結婚行進曲」を聞いたことがないという人はまずいないでしょう。

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フェリックスにはファニー(右)というお姉ちゃんがいて(これもモーツァルトのナンネルと似る)、彼女も13歳で父の誕生日プレゼントにJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集・第一集」の24の前奏曲とフーガをすべて暗譜で演奏したとありますから、もう頭がくらくらするぐらいものすごい頭脳です。オペラ「ファウスト」で高名なフランスの作曲家シャルル・グノーがファニーの弾くバッハに感嘆し、彼女の足元にまろび伏してアダージョを弾いて欲しいと願ったというおそるべき逸話まで残しています。彼女の長男の名前はバッハ、ベートーベン、弟にちなんでゼバスティアン・ルートヴィヒ・フェリックスでした。

フェリックスは15歳のクリスマスプレゼントに母方の祖母からJ.S.バッハの「マタイ受難曲」の筆写スコアをもらいます。すごいおばあちゃんがいたものです。それもそのはず、2人がどういうお家の子かというと、父アブラハムは大金持ちの銀行オーナー、祖父モーゼスは高名な哲学者でした。父は「私はかつては父の息子として知られていたが、今では息子の父親として知られている」と有名な言葉を残しています。

Felix_Mendelssohn-620x360フェリックス(右)はおばあちゃんにもらったバッハのマタイを20歳で蘇演し、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督に26歳で就任、発見されたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」を30歳で初演しました。また、指揮棒を使ってオーケストラの指揮を始めた創始者は彼です。

僕が音楽史、音楽界で最大級の悲劇と感じるひとつが、このメンデルスゾーンの業績のいわれのない低評価です。嘘だと思われたら書店や図書館へ行って彼やファニーの伝記や論文や研究書の類を探されたらいい。如何に少ないか分かるはずです。これは国際的な「いじめ」と言って何ら過言ではありません。ベートーベンとワーグナーをつなぐだけの、音楽史に貢献のない「中継ぎ」と見るなどがその例です。彼らはその驚異的な能力や業績に比して不当なほどに歴史から抹殺されていると言ってもいいのです

その背景には音楽創造の人類史というものが何らかの内在的な原理によって自律的に進化(evolve)するというとてもドイツ的、哲学的な史観が色濃く感じられます。その進化プロセスがアーリア人の頭脳によって駆動されるとまで音楽史は言わないが、その論理の存在そのものが音楽史の本家本元であるイタリア人への対抗軸の創設であり、従ってイタリア人が進化貢献の担い手リストから巧妙に排除される中、そこにユダヤ人メンデルスゾーンが入り込む余地は元来限られていたと思われます。このドイツ史観に洗脳された我が国の音楽教育が、バッハ-ヘンデル-ハイドン-モーツァルト-ベートーベンであるとして「evolutionの系譜」を暗記させるのを覚えておられますでしょうか。

ヒトラーがそこまで考えていたかどうかはともかく、彼はアンチ・セミティズム、アンチ・メンデルスゾーンのリヒャルト・ワーグナーをご贔屓にし、ナチスが政権を取ると不幸なことにそのアンチは全ドイツに拡散しました。国民的な抹殺の始まりです。その結果として、例えば1936年、英国人トマス・ビーチャムがロンドン・フィルの楽団員と共にライプツィヒのメンデルスゾーンの記念碑に花環を捧げようと訪れた時、彼らはそれが粉々に打ち砕かれ、銅像は無くなっているのを見たそうです。ユダヤ人演奏家が欧州から米国に大挙して亡命したのがよくわかります。

しかしメンデルスゾーンのケースはナチスのせいばかりではないでしょう。なぜならマーラーもユダヤ人ですがそんな目にはあっていません。 これは僕の推察ですが、富裕層の生まれで楽な人生を歩んだというイメージが「いじめ」のもう一つの源泉のような気がするのです。大作曲家伝説は王侯貴族や国家体制の権力、権威に才能だけで立ち向かう一介の騎士というスタイルでなければならないのです。銀のスプーンをくわえて生まれた少年が天才でもあったなど許さなかったのではないでしょうか。無視してあえなく死なせてしまった騎士が天才であったことにあとで気づいた支配階級が懺悔(ざんげ)として美化した要素がモーツァルト伝説にはたくさん含まれていると僕は考えますが、彼が貴族の子であってもそれが起きたかといわれれば、懐疑的です。

フランス革命、ナポレオンの登場から間もないヨーロッパにそういう下剋上美化のような精神風土があったのは容易に想像できます。しかしそれはユニバーサルなものではなく多分にキリスト教徒のものであり、一神教が異教徒を排除する原理と自然に融和するものだったのではないでしょうか。その原理は原爆投下で大勢の非戦闘員まで亡きものにする行為を平然と正当化できる、我々仏教徒の理解をはるかに超えるものなのです。キリスト教徒の平民に富裕層はいなかったろうから、銀のスプーンへの攻撃の矛先が貴族階級だけでなくフェリックスの父親が不幸にもその象徴でもある富裕なユダヤ人に向かいました。

フェリックスは運の悪い時期に生まれた といえばそれまででしょう。問題はそれが現在に至るまで歴史の評価として定着してしまっていることなのです。音楽に限りませんが、アートというものは人間の理性の産物です。食うこととセックスすることしか考えない動物と人間とを明確に区別できるのは理性の存在で、それこそが人間の尊厳の源です。フェリックスやファニーという人間に実際に接した、ゲーテやグノーら銅像が建つほどの芸術家が彼らをどう評価したかという史実をどうして重視しないのでしょう。ドイツの音楽学者やナチ党員の銅像は一体どこに建っているのでしょう。

音楽という芸術を差別という人間の最も後ろ暗く品性の卑しい行為で汚すことに僕は全面的な拒絶、Vetoを叩きつけたいのです。フェリックスの産み出した奇跡のような音楽にあえて耳を塞ぎ人為的な政治や宗教の相克の生贄に供そうというのは、人間が人間である所以である理性と尊厳の否定に他なりません。そういう行為を平然と行う者たちは自らがそれを欠く輩である、つまり人間未満の存在でしかないということを証明していると僕は思うのです。本稿を読まれる方々には、ぜひ虚心坦懐に彼の音楽に耳をかたむけ、人類の遺産と称される物の価値がいかに人間の浅知恵で操作されているものかを自らの理性によってご判断いただきたいと願ってやみません。

 

イタリア交響曲は彼自身の命名ではありませんが 、彼がアマルフィにも立ち寄ったイタリア旅行の印象に基づいて書かれたものであることは明らかです。誰もが一度でも聴いたら忘れない第1楽章の出だし!軽やかな木管のリズムに乗ってヴァイオリンが歌う、はじけるような歓喜に満ち満ちたあのメロディー(楽譜)。あなたは一瞬にして陽光降りそそぐアマルフィの海岸で青い空と紺碧の地中海を見るのです。もう一度冒頭の彼の水彩画をご覧ください。

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この「入り」のシンプルにして強烈なインパクトはモーツァルトの交響曲第40番ト短調を想起させる、僕の知る唯一の音楽です。この曲に革新的な部分があるとすると、イ長調で始まりますが終楽章はイ短調で終わることです。短調開始であっても長調終止が普通だった当時、短調→短調でもきわめて異例なことでした。それをわざわざ長調で始めて(しかも非常に明るく)というのは異例中の異例でありました。

彼はこの曲を自分ではあまり評価しておらず、改訂を重ねながら亡くなりました。だから最後の交響曲「スコットランド」が3番であり、出版順でこれが4番となったのです。第4楽章プレストはローマ付近の民衆に流行した舞曲サルタレロのこのような「タッタタタタ、タッタタタタ」というリズムを背景に書かれていますが、指揮者トスカニーニは「イタリア人としては異議がある」と語ったそうです。

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このリズムですが、これはリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」のやはり急速で進む第4楽章の伴奏にそっくりな形で現れます。 

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1分18秒からのリズムです。譜面は1分23秒からです。このシェラザード、第1楽章開始部での木管の和音も「真夏の夜の夢」そのものです。誰が彼の音楽をどう評価しようと、後世の作曲家がどれだけメンデルスゾーンを知り、研究し、影響を受けたかがこの一例からも分かります。

それは彼のインスピレーション、霊感というものがひときわ群を抜いていたからで、あの真夏の夜の夢の「スケルツォ」のもつ妖精の舞いを見るようなポエジーは、あとにも先にも彼以外の人間の手からは生れ出たことのない独創的なものです。また先の結婚行進曲。C、Am6、B7、Em、F、Gという奥ゆかしい和声進行にのって進む音楽が新郎新婦の晴れやかで心の浮き立つような、それでいて適度に厳粛な、まさに結婚式というシチュエーションにどれほどふさわしいか、言葉にするのも野暮ですね。

それではイタリア交響曲の僕の好きな演奏を4つだけご紹介しましょう。

 

ロリン・マゼール/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

736(1)見事なテンポでさっそうと鳴るオケ。はじけるリズム。青い海と空を風がよぎるイタリアの風光を封じ込めたような第1楽章の理想的な姿です。終楽章の熱さ、緩徐楽章の絶妙の木管のニュアンス。弱冠30歳だったマゼールに共感したベルリンフィルが自発性と一糸乱れぬアンサンブルをもって応じているのに驚きます。弦の腰の重さはドイツ流ですが、色彩的な管楽器をスマートに配していて野暮ったくならないセンスは天性のものでしょう。録音も良好であり、中年以降のマゼールに偏見がある人(僕もその一人)も虚心に聴いていただきたい名演です。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団 (54年2月26-28日)

41PY9RX27DL._SL500_AA300_これでこの曲を覚えた人が多いのでは(僕もそうです)。第1楽章の陽光降りそそぐ乾いた空気。からりと晴れた突き抜けるような青空。これぞイタリアです。オケの強靭なリズム 、明瞭なアクセントとカンタービレが圧倒的。素晴らしい!言うことなしでございます。しかし速めの第2楽章はポルタメントまでかけて歌いまくるが音程がアバウトで、厳格なトスカニーニらしからぬ部分もあります。第3楽章も管楽器の表情と遠近感はいいが弦が雑ですね。終楽章はこの不世出のコンビしか成しえないパッションとインパクトに打ちのめされますが、トータルでの評価が難しい演奏です。彼は5番を買っていてこの曲はあまり評価しないコメントを残していますが最晩年のこの録音はどういうスタンスで録ったのか。ともあれこの曲のスタンダードとして不動の位置にある名録音としてご一聴されることをお薦めします。

(補遺・3月6日)

italia1トスカニーニは54年4月4日の公演中(タンホイザー序曲)記憶が飛んで指揮棒が止まり、その日を境に2度と舞台に現れず引退しました。この録音はその直前のものだったというストーリーがあります(レコードは引退後に発売)。上掲写真のCDは同じ音源のリマスター盤でロンドンで(おそらく)85年に買ったのは右の写真のものです。これは僕の1万枚のCD在庫の記念すべき最初の数枚の一つであり、トスカニーニにはおしまいのものが僕にとってはじまりになった。ジャケットを眺めるだけで懐かしさがあふれます。子孫に売られないように写真を載せておきます。

 

コリン・デービス / バイエルン放送交響楽団

デービスイタリアデービス 純ドイツ的なイタリア交響曲です。この重量感あるオケの音のまま立派なブラームスができます。この曲がドイツ人の音楽だということを感じるという意味で最右翼の演奏であり、オケの音楽性の素晴らしさ、指揮の安定感は抜群。コリン・デービスは今年亡くなった英国の名指揮者ですが、なぜか日本では中庸な指揮者という意味不明のイメージが定着しており、この録音も話題になったことはまったく記憶にありません。こういう奇をてらわず筋金の通った演奏こそ欧州トップランクオケのコンサートで日常的に聴かれるものであり、これは本当に音楽のわかる人に宝物になるCDと断言いたします。交響曲第5番も最高級の演奏であります。こういう本物の良さを広めない日本の評論家たちの価値基準がいったい何なのか、僕は疑うばかりです。

 

ジュゼッペ・シノ―ポリ / フィルハーモニア管弦楽団

519XT81ftoL._SL500_AA300_やや遅めの第1楽章。終結へのむけての翳りを含んだ夕映えのような情景など実に印象的です。やはり遅い第2楽章も祈りの感情をたたえ、どこかシューマンへのエコーが聞こえます。第3楽章はさらに遅く、さらに一歩ロマン派に近接し、ブラームスへ続く脈絡の解釈といえましょう(中間部のホルンの扱い方など)。こういう表現を聴くとメンデルスゾーンが単なる穏健なつなぎの存在という説が見当違いであることが分かるのです。終楽章はティンパニを強打して徐々に加熱してきますが能天気な狂乱に至ることはなく、天気はからりとは晴れない。ユニークなイタリアです。

(補遺、2月29日)

ベルナルト・ハイティンク /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

italiaトスカニーニの稿で「これで曲を覚えた」と書いたが、正確には大学時代たぶん80年に買ったこれとサヴァリッシュ/ウィーンSOの2枚のLPがこの曲の入門だった。ロンドンへ行ってトスカニーニにはまってしまい、いきおいイタリアも彼のが刷り込まれた結果だ。ところが今になってこれをきいてみるといい。何の変哲もない正攻法。しかし音楽の純粋な美しさだけを心に届けてくれる。それは漫然と表面を整えて演奏しているわけではないことは第1楽章で細心の神経が使われているヴァイオリンのpのフレージングひとつをとっても明白だ。B面の第1番も好演で、こういう演奏はいつまででも聴いていたい。ハイティンクの演奏はどれもそういう印象があるが、ACOという名オーケストラに全面的に依拠していたわけではなくLPOでもそういう音楽になる証明がこれだ。1番の見事な弦のアンサンブルは往時のDSKのそれを思わせ、ドイツの伝統の中で練磨された秘技がロンドンのオケによって具現化されているのは驚くばかりである。ハイティンクはその真正の後継者なのであり、それあってこそ若くしてACOがシェフに抜擢したことがうかがえる。

 

ペーター・マーク / マドリッド交響楽団

71IM9FV7iQL__SX425_2006年にJALのファイナンスのロードショーでニューヨークに行った際に買ってきたCDだ。マーク(1919-2001)というとメンデルスゾーンとモーツァルトというイメージが僕の世代にはあるのでは。プラハ交響曲、ぺイエとのクラリネット協奏曲で僕は曲になじんだし、スコットランドは87年ごろロンドンで買ったベルンSOのCDに魅かれた。この97年、最晩年のマドリッド響との4番は好きだ。ラテン的な透明感で歌いながら要所で木管を浮かび上がらせティンパニを強打する彫の深い表現は実に味わいがある。マークはスイス人だが出身地のザンクト・ガレンは僕の住んだチューリヒの東でオーストリアに近い完全なドイツ語圏だ。彼のしなやかな感性が独墺系の音楽に生きたのもむべなるかなだが、この晩年のメンデルスゾーンはドイツ語のメンデルスゾーンがラテン語圏のオーケストラの音で具現化されまことに良いものだ。いま聴きかえして強いインパクトを覚えた。

<参考 交響曲第3番イ短調「スコットランド」作品56>

ペーター・マーク / 東京都交響楽団

56093年、僕がフランクフルトに住んでいる時にこういう演奏会が東京で行われていたというのは残念と思うほど、この演奏は素晴らしい。彼が十八番としたのは4番よりドイツ音楽の骨格をもった3番であり、ザンクト・ガレンがアイルランドの修道士ガルスによる街だというと考えすぎかもしれないがまったく無縁とも言い切れない気がする。ロンドン響、ベルン響、マドリッド響と3種の名演奏を全部持っておりどれもそれぞれに良いが、この都響との演奏はライブでオケとの波長が合ったのだろう、どれよりも高揚と興奮を与えてくれる。都響の気迫もびりびり伝わり、まぎれもなくスコットランド交響曲の最高の名演のひとつ。これを会場で聴いた方は幸運だ。世界に広く聴かれて欲しい。

 

ピアノ4手、芸大学生の演奏。たいへん素晴らしい。

 

 

(ご参考)

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

クルト・マズアの訃報

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

 

モンターニャの風景

2013 OCT 20 21:21:59 pm by 東 賢太郎

ある画廊でひと目で気に入りました。

モンターニャ

北イタリアのモンターニャはスイス、オーストリアに近い村です。昔こんな風景のなかで暮らしていました。空気まで伝わってきます。画家は無名の人です。

ここを絵にしようという彼の感性が素敵です。理屈ではありません。どんなに大家の作であっても画題に共感がなければこころは通じないです。人と人のつながりはふしぎなものですね。

即決で買ってしまい今は書斎の机の目の前に架けています。スイスのころ、毎日がこんな朝だったなあと思い出しています。

スイス流の「ヴィンテージになる生き方」

ビゼー「アルルの女」(Bizet: L’Arlésienne)

2013 OCT 20 17:17:51 pm by 東 賢太郎

音楽による地中海めぐり、フランス編の第2は有名なアルルの女です。

「アルルの女」(L’Arlésienne)はカルメンを書く前年にビゼー34歳で書いたドーデの「風車小屋便り」から取った戯曲への劇付随音楽です。後にオーケストラのための2つの組曲が編まれ、第1番はビゼー自身、第2番は友人のエルネスト・ギローによるもの。現在演奏されるのはほとんどこの組曲版の方です。アルルは下の地図の矢印の先、マルセイユの西、モンペリエの東に位置します。1983年、米国留学の夏休みにこの地図の西から東へドライブしましたがそれが初の南仏(プロヴァンス、コート・ダ・ジュール)体験で、アヴィニョン、アルル、エクサン・プロヴァンス、マルセイユと南下して地中海沿いをカンヌ、アンティーヴ、ニース、サン・ポール、モンテカルロ・・・と行きました。外国といえば米国しか知らなかった僕の眼にここの絶景、文化、気候、食事は衝撃であり、美意識の土台にどっしりと組込まれることとなり、地中海地方への変わらぬ愛着となってここに何度も足を運ぶこととなりました。

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「アルルの女」のあらすじはwikiからお借りしましょう。

「南フランス豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた女性に心を奪われてしまった。フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとする。それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。2人の結婚式の夜、牧童頭のミティフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝える。物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つ。」

イタリアの作曲家フランチェスコ・チレアにも同名のオペラがあり、そこではアルルの女は牧童頭の元恋人の尻軽女とされていますが、いずれのリブレットでも彼女は名前が不明なのです(まったく関係ないのですが、つい僕はこっちも名前は最後まで不明だったウイリアム・アイリッシュの名作「幻の女」を思い出してしまいます)。

398-4efdd6f345c1d-642x396-3ともあれ男が嫉妬に狂って自殺するというのは「若きウエルテルの悩み」のフランス版本歌取りかもしれませんね。そういうえばカルメンも男の嫉妬が主題でしたが、嫉妬の結末はやっぱり決闘が王道なんじゃないでしょうか。どうも女を殺したり自殺したりというのは女々しいような気がするんですが、そういう迷える男に共感する美学が18-19世紀のヨーロッパにはあったんでしょうか。何といっても、あのナポレオン・ボナパルトがウエルテルを戦地で7回も読んだというのが驚きです。写真はアルルの円形闘技場です。

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ところでアルルにはフィンセント・ファン・ゴッホが住んでいましたね。 ゴッホはプロヴァンス地方の景色と色彩に魅かれてここに移り1888年2月~1889年5月の期間をゴーギャンと過ごしたのですが、徐々に精神を病んで例の「耳きり事件」を起こしたのです。右はアルルの「アングロワのはね橋」(1888年)です。ゴッホに色覚異常があったという説は真偽不明ですが、以前書きましたように、色弱cafe_terrace[1]である僕の眼に彼の絵はひときわ鮮烈な色彩の像を結ぶのはまぎれもない事実です。その強烈なインパクトはうまく表現できませんが、普通にミレーが好き、ルノワールが好きというのとはたぶん違っていて、昆虫の眼が蜜のある花を選び出すように僕の眼はゴッホの色彩をあらゆる絵画で最も美しいものとして感知するのです。僕にとってこんな画家は2人とおりません。右の「夜のカフェテラス」(1888年)は「アルルのフォラン広場」でこのカフェは現存します。おそらく僕の眼は彼の濃いブルーに強く反応していて、それと黄色系(と僕には見える) の強い対比の心地よさなど何時間見ていても飽きません。ゴッホの色彩だけは一瞥にして僕gogh24の脳髄の奥の奥に達し、心の中の暗い風景を根底から吹き飛ばしてしまうぐらいの破壊力をもっているのです。右の「収穫」(1888年)のような青黄の対比は僕がラヴェルやファリャやレスピーギの管弦楽法、和声に聴き取っているものに非常に近いと思います。ゴッホを知る前からたぶんこういう感覚が好きであり、ヨーロッパに11年半住んでますます好きになり、50年クラシック音楽を聴いてやはりますます好きになったというのが自gogh30分史だったのだと思います。そして僕がビゼーのカルメン、アルルの女の特に和声に聴いているものも、それに極めて近いものです。それはいつ聴いても新鮮であり、音楽の秘宝に満ちている。この「糸杉のある麦畑」(1889年)のように謎めいた均衡と流動があって、見る者の心もざわつくようなもの。静止している風景画ではない「時間価」を内包した4次元時空絵画なのです。音楽は時間が加わっていますが、ビゼーの音楽は同じメロディーに付けられた和声や対旋律が時々刻々と微妙な色彩変化を遂げていくという形で他の音楽にない「時間価」を内包しています。変奏ではなく同じメロディーのリピートですが、この糸杉の後ろの雲のように色調だけはどんどん変わる。オーケストレーションもそうです。あのジョージ・セルがビゼーの楽器法を高く評価しています。僕にはこの4次元時空性に耳をそばだてずにビゼーを聴くことも演奏することも評価することも考えられません。

ひとつその代表例をお示ししましょう。下の楽譜(ピアノ譜)をご覧ください。第2組曲の第4曲「ファランドール」で、冒頭のメロディーに付随する和声が刻々と変容を遂げ、ついにオレンジ色の部分の驚くべき色彩に行き着くのです。

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何に驚くかというと、ここはロ短調のドミナント(嬰へ長調)で来ていて13小節目でアルトのc#がc♮になる。つまりF#の曲にいきなり最も遠隔調であるC(ハ長調)を突き付けられるからです。ところが11-12小節目でバスがc#、h、a#、a♮と順次下降して13小節でdにドスンと落っこち、これがCを支えるので和音はそれを土台にDを経てあっという間に元へ戻る。ここは四分音符=130~140ぐらいの高速で通り過ぎるので、そんなすごい転調が行われていることに気づく人はまずいないでしょう。「驚くべき色彩」と書きましたが、せいぜい色彩の変化と思うぐらいです。ビゼーの天才はなめられません。

それでは、「アルルの女」を全曲お聴きください。両組曲は以下のように4つの曲から成り立っています。

< 第1組曲>  前奏曲、メヌエット、アダージェット、カリヨン

< 第2組曲>  パストラール、間奏曲、メヌエット、ファランドール

第2の方の「メヌエット」だけはギローがビゼーの他の作品(美しきパースの娘)転用したものですが。僕は中学時代にいっときこの8曲が毎日頭の中で鳴るほど夢中になりましたが、今聴きかえしてみると「アダージェット」の美しさは壮絶なものであります。マーラー5番のアダージョにまで血脈を感じます。

CDです。

 

イーゴリ・マルケヴィッチ /  コンセール・ラムルー管弦楽団

414GTJFN42L._SL500_AA300_マルケヴィッチ(1912-83)はバレエ・リュスのディアギレフに見いだされたロシア生まれの作曲家でストラヴィンスキー、プロコフィエフの同輩ということになり、バルトークは彼を「現代音楽では最も驚異的な人物」と評しています。ラムルーは決して一流のオケではありませんがマルケヴィッチが振ると黄金の輝きに変わる観があります。この演奏、録音は古いのですが昔のフランスオケの気品と色香が散りばめられて無類の説得力があり、例えばカルメン前奏曲は掃いて捨てるほどCDがありますがもうこれでなくてはというテンポ、間、音の張り、押し出しetcで文句なし。アルルの女も全部が名演です。うまいというよりも下衆な例えですが、カラオケにその曲の本物の歌手が現れて歌った感じで、ほかの人は霞んでしまう。オーセンティシティを感じされるオーラがあるとしか表現ができません。

 

アンドレ・クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団

61WeQm3cySL最も定評あるものでしょう。カルメンの組曲もスタンダードの名演といってよく、まずはこれを聴いておくのが王道。管楽器の独特の色香はラヴェルのコンチェルトでも絶対の魅力でしたが、ここでも前奏曲のクラリネット、バスーン、間奏曲のアルト・サクソフォーン、第2のメヌエットやのフルート、カリヨンの中間部の木管合奏、などふるいつきたくなるようなフランスの音色です。ただ残念なのは(このオケの弱点なのですが)弦がいまひとつ美しくなく、木管もピッチが時々怪しい。クリュイタンスという人は精緻な指揮をする人ではないということです。そういう減点はあるが、トータルに見れば魅力あるアルルの女といえるでしょう。

 

ビゼー 交響曲ハ長調

 

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カントルーブ 「オーヴェルニュの歌」

2013 OCT 17 22:22:24 pm by 東 賢太郎

なごり惜しいのですがスペインを後にしましょう。今回からいよいよ南欧シリーズ<フランス編>に入ります。

ほとんどのクラシック好きの方は知っていて一般の方には知名度がほとんどない曲をご紹介します。「これmapが好きです」と言って嫌味にもならず、あっけっこう通だなと思われる曲です。パリから約400キロ離れたオーベルニュ地方(右)の首府はクレルモン・フェラン、周辺の重要都市はリオン、ヴィシーなどです。世界有数のタイヤメーカーであるミシュランの本社はここにあります。高原地帯で土着の文化が濃厚にあり、言葉もオック語という固有言語を持っています。スイスの山岳地帯でロマニッシュ語を話すサンモリッツあたりのイメージに近いでしょう。東京から400kmというと盛岡市、神戸市あたりですが、そこの住民が外国語をしゃべっているというのは想像がつきにくいですね。

この曲集はそのオック語で書かれています。ほとんどの人は(ひょっとしてパリッ子も)何を言っているかはわかりません。オーヴェルニュ地方に伝わる民謡をカントルーブが採譜してソプラノにオーケストラ伴奏をつけた曲なのでそうなっているのでしょう。この音楽はオーヴェルニュ地方の清涼な空気そのものであり、僕にとっては疲れた時の最高のいやし、精神の漢方薬でもあります。オーベルニュ地方の田園風景はこんなもののようです。

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初夏の陽だまりの中、この風景の中にいる気分になってください。そして、全身がリラックスしたら、これにのんびりと耳をかたむけてみて下さい。何も考えずに。

歌はフランスのソプラノ、ヴェロニク・ジャンスでした。ただただ美しいですね。今の2曲目が「バイレロ」(Bailero)といって、この全5集(27曲)からなる曲集の中でダントツに有名な曲ですので覚えておいてください。

次にそのバイレロをポルトガルのソプラノ、マリア・バヨで聴きましょう。

指揮者とオケが繊細ですね。声はジャンスよりコシがあり感情の起伏も大きいですが、とても曲想にマッチしていると思います。

バイレロの最後です。これを聴きください。

歌はイスラエルのネタニア・ダヴラツ。何という懐かしさ、純朴さでしょう。「うさぎ追いしかの山・・・」か新日本紀行か。オーケストラの木管の鄙びた味!あまりうまくないのに、そのほうがどこか良かったりする。民謡を完璧な合奏でやっても、大事な何かを失ってしまうのです。都会で疲れている僕たちに、それが人間らしいということだよといつも気づかせてくれます。

世界はオーヴェルニュといえばダヴラツ、ダヴラツといえばオーヴェルニュなのです。

ピエール・ド・ラ・ローシュ / スタジオ・オーケストラ   ネタニア・ダヴラツ(sop)

CDはこれです。僕の永遠の愛聴盤です。そして世界中のどこへ行っても名盤中の名盤と評価されているのです。言葉はいりません。41GYD8ABKRL._SL500_AA300_

 

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ビゼー 歌劇「カルメン」(Bizet: Carmen)

2013 OCT 14 22:22:26 pm by 東 賢太郎

地中海音楽めぐり、スペイン編その3は泣く子も黙る名作「カルメン」でいきましょう。

georges-bizet-1838-1875-french-everett                             「カルメン」は1875年にフランス人のジョルジュ・ビゼーが書いたスペインを舞台とするオペラです。モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニは多くのヒット作を書いた強豪オペラ作曲家5人組です。そこにたった1本しかヒット作がなかったベートーベンを加えるのに異を唱えるクラシック音楽愛好家はいても、同じく1本だったビゼーの名を加えるのに反対の方は少ないのではないでしょうか。なぜならその1本はヒットでなく、逆転満塁サヨナラホームランなみに記憶に残るものだったからです。

ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)は1838年にパリで生まれました。モーツァルトは「魔笛」を初演した3か月後に36歳で急逝しましたが、ビゼーも「カルメン」初演の3か月後に37歳で急逝しています。どちらの作品もあまりスタンダードでない「セリフ入り」(ジングシュピールとオペラ・コミック)であったのも数奇なものです。カルメンは主役がメゾ・ソプラノであり、王女や姫でなく女工という下層階級の女であるのも当時の型破りでした。ヴェリズモ・オペラの先駆と言っても過言ではないでしょう。ビゼーとモーツァルトを比べる人はあまり見かけませんが、その2曲の運命の符合はともかく、彼らは才能においても双璧であったと僕は信じております。

ビゼーの他の作品といえばオペラが「真珠とり」、それから劇付随音楽「アルルの女」と交響曲ハ長調の3曲が多くの愛好家の知る所でしょう。僕が2-3歳ごろ聴かされていた(はずの)親父のSPレコードに「真珠とりのタンゴ」なるものがありました。三つ子の記憶に今も残るほどの名旋律であって、それなのにどうして海女さんがタンゴを踊るんだろうと「真珠とり( Les Pêcheurs de perles)」のアリアを聴くまで思っておりました。しかしそのオペラもレアものの部類です。カルメン以外は現代ではどうしても軽めのレパートリーとなってしまい、カルメン一発屋というイメージになっているのです。

しかし、彼が17歳(高校2年ですね)で書いた交響曲ハ長調は、私見ではモーツァルトがその年齢で書いたどの曲より魅力的です。「高校生作曲オリンピック」があったとしてビゼーは僕の中では金メダリストかつ世界記録保持者であり、人類史上彼の金を脅かしたのはモーツァルトとメンデルスゾーンだけと思っております。根拠は以下の通り。

まず9歳でパリ音楽院に入学。ピアノ、オルガン、ソルフェージュ、フーガで一等賞を取っている。これは小学校3年生の少年がウルトラ飛び級でジュリアード音楽院に入り4科目で首席になったようなもの。19歳でローマ大賞を獲得。フランツ・リストが新作として書いて「これを弾けるのは私とハンス・フォン・ビューローしかいない」と豪語したピアノ曲を23歳のビゼーは一度聴いただけで演奏し、楽譜を渡されると完璧に演奏。リストに「私は間違っていた」と言わしめた。リスト自身がグリーグのピアノ協奏曲を初見で弾いた男。その彼の初見能力を上回っていたということになると、歴史上浮かぶ名はモーツァルトしかないでしょう。「カルメン」はドビッシー、サンサーンス、チャイコフスキーに絶賛され、ニーチェは20回も見たそうです。20回!わかりますね。一度憑りつかれるともう離れられない麻薬のような音楽です。

 

あらすじ

irpq6isUL7_carmen_couv                            第1幕

時は1820年頃、舞台はスペインのセヴィリャ。煙草工場の女工カルメンは喧嘩騒ぎを起こし牢に送られることになった。しかし護送を命じられた伍長ドン・ホセは、カルメンに誘惑されて彼女を逃がす。パスティアの酒場で落ち合おうといい残してカルメンは去る。

第2幕

1356881カルメンの色香に狂ったドン・ホセは、婚約者ミカエラを振り切ってカルメンと会うが、上司とのいさかいのためジプシーの密輸団に身を投じる。しかし、そのときすでにカルメンの心は闘牛士エスカミーリョに移っていた。

第3幕

ジプシー女たちがカードで占いをする。カルメンがやると不吉な暗示が出る。 密輸の見張りをするドン・ホセをミカエラが説得に来る。やってきた闘牛士エスカミーリとドン・ホセが決闘になる。カルメンの心を繋ぎとめようとすCarmen-Roberto-Alagna-and-Elina-Garanca-photo-by-Ken-Howard-4るドン・ホセだが、ミカエラから母の危篤を聞きカルメンに心を残しつつ密輸団を去る。

第4幕

闘牛場の前にエスカミーリョとその恋人になっているカルメンが現れる。エスカミーリョが闘牛場に入った後、1人でいるカルメンの前にドン・ホセが現れ、復縁を迫る。復縁しなければ殺すと脅すドン・ホセに対して、カルメンはそれならば殺すがいいと言い放ち、逆上したドン・ホセがカルメンを刺し殺す。

 

 

まずは前奏曲です。これを知らない人は少ないのではないでしょうか。

次にエスカミーリオの「闘牛士の歌」。これも人類史に残る名曲中の名曲であります。

エスカミーリオ役はカルメンが惚れるぐらいの男でなくてはいけません。この映像はいい感じです。そしていよいよカルメンの「ハバネラ」。真打ちマリア・カラスです。

この人、そのままカルメンであってもいい感じですね。そしてアンサンブルを一つ。第3幕の「カルタの3重唱」(カルメン、メルセデス、フラスキータ)です。

女性のトリオというと魔笛の3人の侍女を思い出します。こうして名場面をご紹介していると結局は全曲になってしまうぐらいこのオペラはすばらしい。もうひとつだけ、僕が大好きな場面をあげさせていただきましょう。

「お母さんのいる故郷へ一緒に帰りましょう」と必死にドン・ホセを説得する純情なミカエラは、メリメの原作には出てきません。原作はあまりに血なまぐさく、カルメンを含めたワルたちが凄惨にワルであり、劇場にそぐわないということで改作したそうです。そうしなければ第1幕、僕が大好きな「手紙のデュエット」(ミカエラ、ドン・ホセ)はなかった。僕はカルメンにあまり関心はないがミカエラは大好きなのです。ビゼーがこの役に書いた音楽の素晴らしいこと!お聴きください。

高松宮殿下記念 世界文化賞の音楽部門受賞で来日したプラシド・ドミンゴはもうすっかりお爺さんだったが、このドン・ホセは全盛期の姿で凛々しい。しかし、ブキャナンのミカエラはかわいいですね。僕だったら迷うことなく故郷に帰ってますが・・・。

この曲は初めの音符から最後の音符まで、奇跡の連続です。ビゼーの天才の宝石箱からこぼれ出た音符についてどんなに言葉を尽くしてもむなしいものがある。ひとたびあの前奏曲が始まってしまえば、アリアを立ち止まって味わうどころか次々に眼前をよぎる絶美妖艶を極める音楽の奔流に飲みこまれるしかなく、はっと気がつくとオペラは終わっている。そんな曲です。

 

ジョルジュ・プレートル / パリ・オペラ座管弦楽団      カルメン:マリア・カラス

51wGOUS1fuL._SL500_AA300_ドン・ホセ:ニコライ・ゲッダ
ミカエラ:アンドレア・ギオー
エスカミーリョ:ロベール・マサール
フラスキータ:ナディーヌ・ソートロー
メルセデス:ジャーヌ・ベルビエ
ダンカイロ:ジャン=ポール・ヴォーケラン
レメンダード:ジャック・プリュヴォス/モーリス・メヴスキ
モラレス:クロード・カル
スニガ:ジャック・マル
ルネ・デュクロ合唱団(コーラス・マスター:ジャン・ラフォルジュ)
ジャン・ぺノー児童合唱団

僕にとってのカルメンは実演ではアグネス・バルツァ、録音ではこのマリア・カラスです。カラスはこれを舞台で一度も歌っていません。フランコ・ゼッフィレッリ監督の映画「永遠のマリア・カラス」はフィクションですが、それをカルメンに設定したのはわかる気がしま5337033_e4e16355eb_mす。それほどこの役はカラスに合っており、このCDを聴くにつけなぜ歌わなかったのか不思議です。彼女の声質からしてメゾのこれは物足りなかったのでしょうか。もうひとつこのCDの魅力は、フランス人ソプラノであるアンドレア・ギオー(右・写真)のミカエラです。決して有名な歌手ではなく録音も多くないのですが、僕は彼女の声質が大好きです。それがこれまた大好きなミカエラにぴったりでありたまりません。ニコライ・ゲッタの人のよさそうなドン・ホセもいいですね。ロベール・マサールのエスカミーリョはやや軽い。いかにも性悪そうで存在感が抜群のカラスのカルメンが惚れこむほどの男には聞こえないですね。第3幕「カルタの三重唱」で不吉な運命を知ったカラスが歌う暗い情念は歌手というより役者の迫力です。こんなカルメンは聴いたことがない。にもかかわらず他の歌手はみんな軽めの声というのは対照的であり、この録音はオペラ「カルメン」を聴かせるよりマリア・カラスを浮き彫りにする意図があったと思わざるを得ません。全曲です。

 

もうひとつ挙げておきましょう。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン交響楽団

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カルメン:ジュリエッタ・シミオナート
ドン・ホセ:ニコライ・ゲッダ
エスカミーリオ:ミシェル・ルー
ミカエラ:ヒルデ・ギューデン
フラスキータ:グラツィエッラ・シュティ
他                     ウィーン国立歌劇場合唱団

(1954年10月8日、ウィーン、ムジーク・フェラインでのライブ)

 

カラヤンはRCA(63年、ウィーン・フィル)とDG(82年、ベルリン・フィル)の2種のスタジオ録音を残していますが、何といってもこのライブが最高です。カラスを聴いてしまうとシミオナートのカルメンは奔放、蓮っ葉という感じが薄く聴こえますが、こういう色気のほうがまともでしょうか。ゲッタはここでも健闘しています。ギューデンのミカエラはまあまあというところ。エスカミーリオのルーはちょっとスマートなフランス男という感じもするが音楽的には聴かせます。この演奏の白眉は歌手よりもカラヤンの指揮でしょう。脂の乗り切った46歳。若々しいテンポでぐいぐいとオーケストラをドライブし、歌手も含めた大きな一つのアンサンブルとしてまとめ上げる手腕は素晴らしいの一言です。それはトスカニーニのオペラ指揮にしか感じられないほどの求心力で、カラヤンがそのスタイルを目指していた頃の傑作といえるでしょう。オケも非常に気合が入っており、カラヤンとは信じられないアッチェレランドがかかったりしますが鋭敏に反応しています。録音はモノラルですが良好で、オーケストラピットがのぞけるぐらい舞台に近い席で聴いているようなライブ感にあふれています。カルメンが好きな方には一聴をお薦めいたします。

 

ビゼー「アルルの女」(Bizet: L’Arlésienne)

 

 

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ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」(Rodrigo、Concierto de Aranjuez)

2013 OCT 12 21:21:02 pm by 東 賢太郎

スペイン編の第2弾はこれにしよう。ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ(Joaquín Rodrigo Vidre、1901-99)は3歳で視覚を失ったが、それをのりこえこの素晴らしいギター協奏曲を書いた。

ギターの歴史については調べてみたがよくわからなかった。おおよそは以下のようなものだ。まず、ギターの語源は古代ギリシャの楽器「キタラ」(竪琴)とされるが、弦楽器の起源は中央アジアとされており、インドの弦楽器シタールと同語源である。これがイスラム世界を経由してイベリア半島に持ち込まれてアラビア語でقيثارة(qitara、キターラ)と呼ばれた。16世紀ごろのイベリVihuelaplayerア半島にはヴィウエラ(vihuela)なる楽器が存在し楽譜も多く残っている。ヴィウエラがヴィオラ(viola)の語源になったことは間違いないようだが、ギターの直系の先祖かどうかは3丁しか現存しないので不明だそうだ。ところがだ。右の絵をご覧いただきたい。この楽器はどう見ても「ギター」である。しかし絵の題名は「 ヴィウエラを弾くオルフェウス(1536年)」なのだ。オルフェウスはギリシア神話に登場する吟遊詩人であり、ここでは何故かヴィウエラの発明者として讃えられている。そんな楽器はギリシャにはない。つまりアラブからギリシャの知識が伝わるまでの暗黒時代に、そういうことになってしまったのだろう。そしてそれはギリシャ神話なのだからキタラだったことになり、ヴィウエラ=キタラとなる。そしてそれが訛ってギターになったのではないだろうか。察するに、ヴィウエラは広義の弦楽器群の総称のようなもので、擦弦楽器(弓でこする)となったものはビオラ族(ビオラ・ダ・ガンバなど)としてカソリック教会音楽の楽器として取り込まれていく。しかし絵の楽器は民衆の撥弦楽器(つまびく)としてとどまり、キタラとして別の進化を遂げたのではないか。弓を使わないのにあるギターの「胴のくびれ」は、この進化の過程の名残りなのではないかと僕は考えている。

スペインという国はローマ、西ゴート王国(ゲルマン)、ウマイヤ朝(イスラム)、レコンキスタ(カソリック)と支配者が変わっている。グラナダやコルドバへ行くと絢爛たるイスラム文化が残っていてどこか哀調を感ずるのは百済の扶余など滅んだ都と似る。ギターというどこかカソリック化、神聖化を拒んできたような楽器の音色は、レコンキスタによって滅んだアル・アンダルス文明の幻影をしのぶようにも聞こえるのだ。タレガ作曲の有名な「アルハンブラの思い出」はそんな味わいを最も感じさせてくれる。お聴きいただきたい。

 

さて本題の「アランフェス協奏曲」に移ろう。この曲は1939年の作曲としてはなんとも古風でロマンティックであり、クラシック音楽のメインストリームとは無縁の世界で生まれた音楽といえる。だが、この第2楽章アダージョよりも有名なクラシックのメロディーはそうたくさんあるとはいえないのだから、20世紀も半ばになるとストリームの正当性は論じても意味のないことになっていたのかもしれない。ギターという楽器が教会音楽にもオーケストラにも取り込まれず民衆とともにあったように、ギター曲というものも、民衆のそばにあってロックやポップスに進化していく。愛を歌う、自由を謳う、人生を命をいおとしむ、そして、体制に取り込まれない。そういうスピリットを表現するのにギターが適していたというのは、どこか歴史の宿命のようなものを感じる。

美しい画像があったのでお借りする。これはもうNHK名曲アルバムの世界だ。

イングリッシュ・ホルンにぴったりということではこの調べはドヴォルザーク「新世界」と双璧だ。そしてジャズだとこうなる。

アランフェスは首都マドリッドから南に48kmと近い。王宮が有名で、行ったはずだが忘れてしまった。僕はこの協奏曲の熱心な聴き手ではないが、チョリソーにドメックのあまり高くないシェリーでもちびちび飲んでスペイン気分に浸りたくなると、この曲はやはり欠かせない。そういう時に僕が引っぱり出すCDだが、下のものだ。これを見つけて以来、ほかのCDは一切いらなくなった。

 

ナルシソ・イエペス(Guitar) /  アタウルフォ・アルヘンタ / スペイン国立管弦楽団

これを買った時の喜びはなかなかだった。大ギタリストであったナルシソ・イエペス(1927-97)はルネ・クレマン監督Argenta-Portadaの映画「禁じられた遊び」のギターでも有名であり、この協奏曲でデビューした。指揮者は初演者のアタウルフォ・アルヘンタ(1913-58)であり、オーケストラともにそのスペイン劇場でのデビュー演奏会のキャストである。どこか乾燥した南欧の空気を感じさせる演奏、録音であり、過度にロマンティックでないのがとても良い。甘ったるいメロドラマみたいな第2楽章はごめんだ。そして僕がこのCDでぞっこんなのは、実は一緒に入っているファリャの「スペインの庭の夜」の方なP10101041のだ。こちらのソリストであるゴンサロ・ソリアーノ(1913-72)はファリャの愛弟子で、スペインを代表するピアニストである。その第1曲は「へネラリーフェにて」であり、へネラリーフェとはアルハンブラ宮殿から少し行った離宮である。王宮は忘れたが30年前なのにここはよく覚えている。右の噴水は非常に印象に残る。この美しい幾何学的な構図は誰もが一度見たら忘れないだろう。この曲はピアノ協奏曲ではないが、そう聴くこともできる名品である。そしてこのソリアーノとアルヘンタによる演奏、印象派風の淡い色彩とやはり乾いた南欧の空気がブレンドした独特の味わいが絶品としか言いようがない。つまりこのCDは一粒で2度おいしいお宝ものなのである。両曲がお好きな方は探し出されて損はないと信じる。

ファリャ バレエ音楽「三角帽子」(Falla, El sombrero de tres picos)

2013 OCT 10 22:22:59 pm by 東 賢太郎

ラヴェルについて書いていると無性にラテン系の音、食事、酒が恋しくなってきた。だんだん寒々とした季節になってくるし、これからしばし、僕の好きな南欧の音楽をご紹介して皆さんのお気持ちを地中海の風景と空気で少し明るくしてみよう。

まずはスペイン編だ。

スペインには米国留学中の夏休みに1回、ロンドン~スイス時代に4回は行った。もっと行った気もするが正確に覚えていない。一緒に欧州にいた野村の同期がスペイン留学で、当家は彼の家族と一緒に旅行してずいぶん助かった。マドリッド、バルセロナはもちろん、マジョルカ島、トレド、コルドバ、グラナダ、マラガ、セビリア、カディス、rosunaranhosuネルハなど、それからジブラルタル(英国領)から地中海を渡ってセウタも行った。いつもゴルフバッグを積んでのドライブだ。ゴルフ場はあまりにあちこちでやって全然覚えていないが、ひとつだけロス・ナランホス(右)というのが記憶にある。スコアが良かったからではない。ナランホス(オレンジだ)の木がそこいら中にあったのだが、強い陽射しでのどの渇きに耐えられずマーシャルの眼を盗んで実を捥(も)いでかじった。それがあまりにうまかったのをよく覚えているからだ。食い物は怖い。

スペインの音楽というとついフラメンコを思い浮かべるが、あれはスペイン人というよりジプシーの踊りである。例えばあのカルメンはカスタネットを持ってホセの前で妖艶に舞い歌うが、彼女はまさにジプシーという設定である。しかしフラメンコダンサーは見た目きれいだが、掛け声が男みたいに野太くずいぶん興ざめであった。それではスペイン音楽とはどういうものかというとよく知らない。フリオ・イグレシアスみたいなものだろうか。彼の歌は地中海世界だ。父親はスペインで高名な医師、母親は上流階級出身で、自身はレアル・マドリード・ユースのゴールキーパーでケンブリッジ卒で弁護士という、それだけでもうスーパーマンだ。それでいてシンガーソングライターとしてレコード売上げ3億枚はギネスブック第1位となると、もうウルトラマンである。

クラシック音楽の領域なら、まず僕の頭に浮かぶのはエマヌエル・デ・ファリャだ。その代表作であるバレエ「三角帽子」の音楽である。ファリャはもともと パントマイム『代官と粉屋の女房』という小編成の曲としてこれを作っていたが、ロシアバレエ団(バレエ・リュス)のディアギレフが大編成オケに改作を薦めてできたのがこれだからストラヴィンスキーの3大バレエ、ラヴェルのダフニスとクロエなどとは遠縁にあたる音楽なのだ。初演は1919年にロンドンのアルハンブラ劇場で、パブロ・ピカソの舞台・衣装デザイン、エルネスト・アンセルメの指揮で行われた。

筋書きはいたってシンプルで、好色のお代官様が権力にあかせて粉屋の女房を狙う。夫の粉屋を逮捕して家に忍び込むが美貌の女房の機智にもあってコテンパンにやられてしまう。その代官の権力の象徴が三角帽子だ。このプロットはフィガロの結婚のお手軽版ともいえ、権力者の間抜けな奸計を正義が暴いて権威をはぎ取る勧善懲悪ものだ。日本では「おぬしも悪よのう」とほざく悪代官を成敗するのは黄門様や暴れん坊将軍のような権力側だが、欧州ではそれを庶民がやってしまって喝采される。これがフランス革命の土壌なのだろう。

この音楽、不思議とストラヴィンスキー(ペトルーシュカ)みたいな部分、フンパーディンクのオペラ(ヘンゼルとグレーテル)みたいな部分といろいろ残像が浮かんできては消える。ファリャの和声感覚、それはとてもラテン的だがフランスともイタリアとも違う。それがスペイン風なのかどうかはともかく、この音楽を諳んじている僕にはこれがスペインという刷り込みになってしまっている。音から入ったので「ブドウの踊り」「粉屋の踊り」「隣人の踊り」等々なんのことやら想像の域を出なかったが、この画像を見て目からうろこが落ちた。初演時のブロ・ピカソの衣装でトップクラスのフラメンコダンサーが踊ったバレエ(マドリッド王立劇場)のすばらしいパフォーマンスだ。バレエ・リュスの香りがある。この名作をこれから覚えられる方は、むしろこの画像で場面と一緒に音楽を記憶された方がいいと思うほどだ。

僕が好きなのは、第1幕の頭でティンパニの一撃で全員が去り夫婦だけになる部分の音楽による見事な場面転換。一気にけだるい空気に引きずり込まれる。代官が女房を誘惑に来る前の女房のカスタネットの踊り。ここの涙が出るほどすばらしい和声!これがスペインでなくてなんだろう。そして女房が代官をあしらう。そこで鳴らされる最高に美しい弦楽合奏!こういうちょっとした部分にシンプルな素材でこんなに魅力的な音楽が書けるファリャの天才を感じる。それから第2部幕開け、春の窓から差し込む柔らかな陽光みたいな「隣人の踊り」。こんな幸福感を味わってしまうともう病みつきになるしかない。全曲にわたって原色の粉をふりまく極上のオーケストレーション。最高の耳のごちそうと表現するしかない。それにこんな美しい舞台があるなんて。すぐにでもマドリッドへ飛びたくなる。

この曲を「聴く」。幸い最高級の名演がある。

 

エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団

初演者の演奏が必ずしもベストではないが、これは例外である。数学者アンセルメはニ41SNH1RKEKL._SL500_AA300_ュー・フィルハーモニア管とのストラヴィンスキー「火の鳥」の練習風景を残している。それを聞くと数学的緻密さよりも意外に音楽の表情、流れ、バランスを重視してオケに弾かせていることがわかる。「シェラザード」の稿で書いたが、タテの線をきれいに合わせることを第一義とするような小手先の美品作りなどかけらも念頭にない。アンセルメは作曲家との交流からここはこう鳴るべしという音とテンポと表情を身体で知っている。その「べし」こそ第一義なのである。しかも彼は一点の曇りもないクリアな音と音程を聴き分ける究極の耳を持っている。だから出てくる音は秋空のように透明である。そうしてデッサンが良くて絵の具も極上の絵画が生まれるのだ。それに加えてこの演奏、Deccaの技術の粋が集結して録音も超ド級と来ている。Deccaだって演奏家はこのコンビだけではない。技術の粋を用いたくなる優れた音がするという事実の方が先だったろう。スコアに敬意を持ち、作曲家の真意をハイエンドのクオリティで再現しようという、演奏家として僕が最も敬意を払う姿勢の結実がこうして残されたのは幸運なことだと思う。どこがどうと書くのも野暮だ。世界文化遺産クラスのこの歴史的名演奏をぜひ一度耳にしてみていただきたい。

 

(補遺、16年2月7日)

 

ローレンス・フォスター /  バルセロナ交響楽団

youtubeでこのオケの首席ファゴットSilvia Coricelliさんの同曲アップを見つけたのでどうぞ。フォスターはルーマニア系米国人で欧州で活躍、マルセイユ管弦楽団とこれまた地中海のオケのシェフを務めている。地中海!ご当地オーケストラの音でごちそうが味わえる。

 

(補遺、2018年9月11日)

エンリケ・ホルダ / ロンドン交響楽団

LPで昔なつかしい(1960年録音)。批評家がローカル色満点などと持ち上げていたが、別にそうでもない。バーバラ・ヒューイットのセクシーな歌がそう聞こえたのだろうがこの人はイギリス人だ。高音質で売り込みをかけたアメリカのEverestレーベルがスペイン系のホルダをもってきてロンドンのオケでスペインっぽさを演出しようと試みたものだろう。当時としてはたしかに音質が鮮明でそれだけでうれしくなったりした、いい時代だった。

 

 

 

 

 

 

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