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カテゴリー: ______ブラームス

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77

2015 JUL 25 1:01:31 am by 東 賢太郎

JohannesBrahmsミクロネシアの見事な夕焼けに感じるクラシック音楽というとこれです。古今東西のヴァイオリン協奏曲の最高峰を争う、そして僕が最も愛するクラシックの最右翼にあるヨハネス・ブラームスのニ長調作品77であります。

ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83とこの曲は血肉と化していて僕に「レ(d)の音」といわれればこのコンチェルトの曲頭のヴィオラ、チェロ、ファゴットのユニゾンのレが自動的に出てくるのです。「知」でも「好」ではなく「楽」でもなく、「愛」であって、生きてきた証しであって、これなしで人生これから生きていけと言われても圧倒的に困る。

この天下の名曲にはイタリア旅行の影響で書かれたとか、ヨアヒムの助言を受けたとかベートーベンの影響があるとかないとか、ウンチク話がたくさんあります。ご興味がある方はWikipediaをご覧ください。僕個人は楽譜だけで充分、こんな素晴らしい音楽を前にして、それが南極で書かれようと誰の真似だろうと問題でありません。

そう書いてしまうとこれもどうでもいいことなんですが、僕が夕焼けを感じる部分。それは第1楽章カデンツァのあと、tranquillo(静かに)からヴァイオリンが曲頭の第1主題をpでひっそりと奏でるところです。ここはどうしてもオーケストラ譜で見て欲しい。Soloとある段がヴァイオリン独奏ですよ。

bra vc

伴奏は全楽器ppであってpの独奏だけ目立つようになってます。思えば当たり前のことですがマーラー同様に指揮者を信用してませんね(笑)。初めの6小節はヴァイオリンⅠ・Ⅱとヴィオラが対位法的にロマン的な和声を紡ぎますが、チェロがどっしりとdでバスを支えニ長調の引力圏内をふらふらしています。

すると7小節目でバスがcに下がります。荘厳な日暮れです。雲がオレンジ色に染まっていきます。まだ二長調。ここからです。Bm7→G→E7・9sus4→E7という天国の和声(これはメンデルスゾーンの協奏曲の第3楽章へのブリッジの部分の和声である)にのってソロが紅色の空をふんわりふんわり舞うような、この世のものと思えぬ恍惚とした歌を奏でるのです(第12小節まで)。

すると和声は夢の旅を終えてA7(ドミナント)というニ長調引力圏に戻りますが、ソロは恍惚の快感冷めやらずド、シ、ラ、ソとふわふわ、ゆっくりと降りてくる。ブラームスはすかさずここにespressivo(感情こめてね)と書きこんでいる。ニクイですねえ。和声の方もD(トニック)に落ち着くとみせかけてD7だ、えっ、また寄り道ですか?そこで感じきっているソロはいやいやするみたいにくねくね降りはじめます。

ここで凄いことがおきていて、下段の最後から3小節目、オーボエのドに対してくねくねのソロが短2度でぶつかるシに行っちゃいます。こんな高い音の短2度はかなり耳障りですが、もう聴いてる方もメロメロで誰も不協和音だなんて気がつかないんですね。なんて見事な音楽だろう!指揮者に任せ切らんという超細かいブラームスが筆の勢いでなんてあり得ません。みんなのメロメロ具合まで計算した確信犯、プロの技と思われます。

さて、これもどうでもいいんですが、この夕焼け、不謹慎ながらきれいな女性ヴァイオリニストが弾くとなんともはやエロティックであり、ここでの彼女たちの表情を見ているだけでこっちまで恍惚としてくるので困ります。たとえば庄司紗矢香さん。消されるかもしれませんがとりあえず。22分58秒からが楽譜の部分です。

あっぱれです。庄司さん、ここをあなたほど見事に弾いたの聴いたことありません。指揮者ギルバートに嫉妬すら覚えますな。これは日本人が世界に誇れる最高のブラームスです。作曲者が聴いたら喜んだのではないでしょうか。

第2楽章は息の長い魅力的な旋律をオーボエが奏でます。オーボエという楽器はハモリは同族内が多くてただでさえソロで出ると目立つのにこりゃないだろ、オーボエ協奏曲かこれはといったかどうか知りませんが、楽譜をもらったサラサーテはこの曲を弾かなかったそうです。

第3楽章のミーファファソミーはブルッフの協奏曲第1番の終楽章(ミーミファミー・・・)のパクリと取られかねないですね。そうであっても仕方ないほどブルッフの1番は名曲だと僕は肯定的に考えてます。ブルッフの第1楽章の冒頭主題再現手前のカッコよさはブラームスのこの楽章の主題再現の手前と、音は似てないが共通の造りを感じます。

おすすめの録音ですが、大名曲ですからいくらでも優れた演奏があります。i-tunesでBrahms violin concertoと入れるとたくさん出てきますので有名なヴァイオリニストのをどれでも気軽にお聴きになればと思います。ここではあまり知られてない僕のお気に入りをご紹介しておきましょう。

 

コンスタンティ・クルカ(Vn) / ヴィトルド・ロヴィツキ / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 (1976年、ライブ)

 

kulkaこの曲の最高の演奏の一つです。ポーランドの誇る名手クルカのヴァイオリンの松脂が飛んできそうな生命力、ロヴィツキのはらわたをえぐるような彫りが深く生々しいオケのドライブ。この気合の入りようは何なんだという一期一会のライブであり、第2楽章はクルカが歌いこむあまり音程やボウイングが一部怪しいなど決して技術的には完成度は高くないのですが、音楽ってそういうもんじゃないのよねという好例です。ロヴィツキは僕が敬愛する指揮者で、彼のブラームスは心にひびきます。こういう演奏がもう聴けなくなりましたね、ホールでも録音でもスーパーの形のそろった一見きれいなF1野菜ばっかりで。この野生の固定種野菜は格別な香りを放っています。i-tunesで買えます。

 

ブリギッテ・ラング(Vn) / ウエルナー・シュティーフェル/ バーデン・バーデン・フィルハーモニー管弦楽団  (2002年11月1日ライブ)

Cover_lionこれは知られていない録音でしょう。バーデン・バーデン・ライオンズクラブ主催第5回カールフレッシュ・コンクール優勝者の記念演奏会の録音です。バーデン・バーデン・クアハウスのヴァインブレナー・ザールでの当地オケの録音と聴いて涎が出るならブラームス通でしょう。僕はこの温泉街が大好きで、フランクフルト時代に家族で2回逗留しました。ホテルの展示会で買った2幅の油絵は家宝になってます。リヒテンタールのブラームス・ハウスは強く印象に残り、今の自宅はそれと似た立地に似た風情で建てました。さて、スイスのヴァイオリニスト、ラングの演奏ですが、実にいいんです。大家に聴き劣りすることはありません。とにかく肩に力が入らず自然体。ドイツのローカルな演奏会で当たり前にやっている正統派「ドイツ語のブラームス」です。フランクフルトに3年、チューリヒに2年半暮らして、英語のブラームスはいらんなという感じだから僕の感性にぴったりで、聴いていてこれほど疲れない演奏もありません。そしてオケです。もう最高のブラームスの音だ。ソロもオケもごりごり、びしびし弾きまくってブラヴォー!なんてみっともなくもはしたないことは一切おきず、ブラームスの書いたとおりに鳴って、満足感にあふれた人肌を感じる拍手が暖かく包む。ヨーロッパです。シモーネ・ヤンドルのヴィオラ・ソナタ1番もこれぞブラームスで、こういうのが広く評価されない音楽界はまったくおかしい。このCDは強くお薦めしたい。i-tunesで1500円で買えます。ブリギッテさん、がんばってね。

 

ダヴィッド・オイストラフ/ オットー・クレンペラー/フランス国立放送管弦楽団

61Q4DQLhyzL誰でも知ってる演奏からひとつとなると迷いますが今はこれに食指が動きます。オイストラフという人はとにかくヴァイオリンがうまい。こんなに弾かれたら他の人がかわいそうというほど。彼のCDは数種あってどれも同様にうまいからどれでもいいんですが、これにしたのは何といってもクレンペラー先生の大指揮によるものです。セルが伴奏したのもあり大変立派な合奏なんですが、はっきりいってつまらない。ピアノ的感性なんでピアノ協奏曲には合ったのですが、こちらにはカチッと来すぎて遊びがない。クレンペラーは大河のようなゆるぎない足取りで、これぞ横綱相撲の風格です。フランスのオケでヴァイオリンがまずい、というか下手くそであり、ブラームスになってないのがこの盤の最大の欠点なのですが、ソロもオケも巻き込んでがっちり統率し、聴いてるこっちも知らず知らず統率されてしまう。終わってみると、うーん、いいブラームスだったとうならせてくれる。万事きれいで完璧というカラヤンとは対極で、アラもあるが我が道を譲らない頑固親父の独壇場。今や絶滅した貴重な世界を味わって下さい。

 

(こちらへどうぞ)

ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15(原題・ブラームスはマザコンか)

 

 

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・フィルクシュニー)

2015 JUN 24 22:22:25 pm by 東 賢太郎

Firkusny

ルドルフ・フィルクシュニー (1912-94)はチェコを代表する名ピアニストです。日本ではフィルクスニー(ドイツ語)で知られますが、チェコ語はフィルクシュニーです。あまりご存じない方が多いでしょう。ぜひこれを機に知ってください。彼は、全ピアニストのうち僕が最も好きなひとりであります。

1978年、大学4年の夏休みに1か月ほどバッファロー大学のサマーコースに参加しました。いわゆる語学留学というやつで、本来こんなのは留学とはいいません、ただの遊びです。それでも2度目のアメリカ、初めての東海岸は刺激に満ちていました。

ボストンからサラトガスプリングズを経て、ボストン交響楽団がボストン・ポップスとしてサマーコンサートをやるタングル・ウッドへ。そこで幸いにも小澤征爾さんが振ってルドルフ・フィルクシュニーがソリストのコンサートを聴けました。

芝生にねころんで聴いたモーツァルトのピアノ協奏曲第24番。調律が悪いにもかかわらず、アメリカンなあけっぴろげムードにもかかわらず、きっちり覚えてます。オケだけのプログラム後半は何やったかも忘れてしまったのに。当時から24番は好きだったようでもあり、この演奏でそうなったかもしれません。これがこのブログに書いたコンサートでした。 クラシック徒然草-小澤征爾さんの思い出-

フィルクシュニーは有名なシンフォニエッタを書いたヤナーチェックの弟子というより子供のようにかわいがられた人です。ルドルフ・フィルクスニー – Wikipedia こうして彼のライブを聴けたというのは間接的にではあっても音楽史というものとすこし濃い時間を共有できたような、ありがたい気持ちがいたします。

ライブの24番がそうでしたが、彼のモーツァルトは短調と共振します。幻想曲ハ短調K.475をお聴き下さい。この曲にこれ以上のものを僕は探す気もありません。ここには魔笛とシューベルトの未完成が出てくるのにお気づきですか?

彼がコンチェルトの20番、24番はもちろん、ブログに既述のような深いものを孕んだ25番を愛奏したのはいわば当然の嗜好と思われます。20,24,25!もうこれだけで何が要りましょう。いま書いた6つの傑作。フィルクシュニーは全音楽の座標軸でこの6曲がある「そこ」に位置している音楽家なのです。そうして「そこ」こそが僕が最も共振する場所でもある。このピアニストを尊敬し、彼の録音を愛好するのは鳴っている音ではなく、人間としての相性だと感じます。

そして冬の澄んだ空のような透明なタッチが叙情と完璧にマッチしたブラームスの協奏曲第1番!名手並み居るこの曲の最高の名演の一つであります。

フィルクシュニーのタッチがフランス物に好適でもあるのはピアノ好きには自明でしょう。僕なりに長らくピアノと格闘していまだ自嘲気味の結果しか得ていないドビッシーの「ベルガマスク組曲」。フランス的ではなく東ヨーロッパの感性です。この「メヌエット」の音の綾のほぐし方、オーケストラのような聴感!技巧でどうだとうならせる現代の演奏とは一線を画した格調!「パスピエ」の節度あるペダル、そして感じ切った和声の出し方!チッコリーニとは対極ですが、どちらも多くのことを教えてくれます。

そして最後にこれをご紹介しないわけには参りません。師であるヤナーチェックの「草かげの小径」です。この録音は、音楽を長年かけて内面化しきった人でなければ聴かせようのない至福の時間を約束する演奏の典型です。夭折した娘を送る曲なのですが悲哀はあまり表に立たず、かえってやさしさがあふれることで純化した哀悼の精神をたたえています。美しい和声とヤナーチェック一流の語法で彩られた傑作中の傑作です。フィルクシュニーの表現はスタンダード、珠玉の名品などという月並みな美辞麗句を超越した美としてどこを聴いても耳をそばだてるしかないもの。価値が色褪せることは永遠にないでしょう。

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

2015 APR 23 23:23:38 pm by 東 賢太郎

ブラームス2番の聴き比べ、これで9稿目、最終回になります。

 

エドリアン・ボールト /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

MI000105685987年ごろロンドンでLP全集を買ったが、あんまり印象はよろしくなかった。その理由はこうしてハイティンクの後にきいてみるとわかる。ACOに比べてしまうとオケに全然魅力がない。いま聴き直すとボールトの曲への愛情とオケへのグリップがわかるし、速めのテンポですいすい行く枯淡の境地は男らしくて好ましいのだがヴァイオリン、チェロのパート音程の不揃いがどうしても気になる。第3楽章の中間部のアンサンブルも雑だ。要はLPOの弦が下手くそであって、それではいいブラームスになりようもない。ボールトにはウイーン・フィルを指揮して欲しかった。バルビローリよりずっといい全集になっていただろう。(総合点 : 3)

 

クラウディオ・アバド /  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

51GTk5DBhXL95年3月10日、フランクフルトのアルテ・オーパーでドイツ銀行の創立125年記念式典が行われノムラ・ドイツ社長として招かれた。もうあれから20年になるのか・・・。昨日のように覚えているが、コール首相と頭取がスピーチし、式の掉尾を飾るべく舞台に現れたのがアバドとベルリン・フィルであったから究極の贅沢だった。ドイツ赴任の幸運をかみしめたがその2か月後にチューリッヒに異動になりこれがドイツへのお別れにもなってしまった。その演目がブラームスの2番であった。選んだのがアバドなのかドイツ銀行の企画室なのか、なんとも素敵な選曲ではないか。それはうららかな春の息吹のように始まり、堂々たる巨人の歩みのコーダで閉じた。アッチェレランドせず最後の和音を長く響かせたのもこのCDと同じだ。この演奏、どうしても私情が入ってしまう。内容をあれこれするのは控えたい。

 

エドゥアルド・べイヌム /  アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 

697べイヌムは後輩ハイティンクより筋肉質で曲の核心に切り込む指揮をした。それがよくわかるのはブルックナーだがこのブラームス全集も例外でない。1番が有名だが2番も一切無駄のない見事なものでこれがベートーベンにつながる音楽だということを明確にしている。第1楽章の展開部の起伏は本当に素晴らしい。その分中間楽章のロマン性はやや後退するがACOの管楽器の純音楽的な美は捨てがたい。終楽章はやや弦のアンサンブルが弱いが主張は強い。(総合点 : 3)

エルネスト・アンセルメ /  スイス・ロマンド管弦楽団

4109041128怖いもの見たさ?で買ったCDだ(06年、写真とは違うジャケット)。ところが冒頭のテンポは普通で木管もホルンも違和感なく、オーボエが「おふらんす」な以外はマリ盤のように絶句するものはひとつもない。弦はLPOといい勝負。アンセルメが連れて来日したSROはレコードより下手だったという説が流れたが、この2番をきく限りレコードでも下手だ。トロンボーンの和音は危なく、第2楽章は今の日本の大学オケ未満だ。ハイドン変奏曲の木管のユニゾンの音程などプロとは信じられないほどひどいもので、チェリビダッケやセルのような指揮者だったらその場で奏者を解雇したんじゃないかというレベルだ。アンセルメがそういうのを許容する人だったのか部下がかわいかったのかその程度のスタンスで制作された録音だったのか。終楽章はそこそこ速めで入るがコーダはトロンボーンがとちらない安全なテンポに抑えたのかなという感じもある。アンセルメは同じDeccaにも起用されたモントゥーを強くライバル視していたそうだが、ドイツものを振るのはその意味でも大事だったのだろう。(総合点 : 1.5)

 

ネーメ・ヤルヴィ /  モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(22Apr1966、ライブ)

jarvi父ヤルヴィの若かりし頃のモスクワ音楽院での録音。98年ごろ香港で買ったCDだ。共産時代にソ連でブラームスがどう鳴っていたかを知る興味深い音源だが、ホルンの音色を除けば下記のオイストラフ盤ほど違和感はなく、ティンパニを強打してメリハリをつけるなど若さを感じる部分はあるが、 オケのコントロールは万全で辣腕であったことがわかる。MPOの弦は独特の光沢があって優秀だが管のピッチは第3楽章など不安定である。かなり硬派だが中間楽章のロマンも欠いていない。(総合点 : 3)

 

ユージン・オーマンディ /  フィラデルフィア管弦楽団

ormandyこのコンビのブラームスというとのっけから馬鹿にしてる人もおられるだろう。僕のCD(写真)は97年にスイスで買ったオランダプレスで悪くなく、2年間このオケを眼前できいて耳に焼きついている特徴がよく確認できる。特に松脂が飛ぶ強靭な弓使いによる弦の驚異的合奏力だ。このオケは管の華麗さばかりが著名だが、当時の弦は巨大な室内楽という印象だった。ブルックナー8番を振り終えたスクロヴァチェフスキーを楽屋に訪ねたらやはり弦の強さと優秀さを強調していて意外に思ったのを覚えている。第1楽章第2主題や第2楽章チェロセクションの大きなうねりの歌、第3楽章のフレージングはブラームスの節度を超える観もあるが大方の聴き手の先入観を覆すだろう。オーマンディーが2番に何を見ていたかを雄弁に物語る。終楽章のテンポもやや遅めの部類で弦合奏優位であり、ブラームス演奏においてまったく正攻法である。トランペットの音色がやや明るいものの管楽器全体の技術的安定度は盤石で、ラストの第1トロンボーンの上手さなど敬服するしかない。コーダまでほぼインテンポであり、安っぽいアッチェレランドの誘惑など一顧だにしていないまことに堂々たる立派なブラームスである。(総合点 : 4.5)

 

ユージン・オーマンディ /  サンフランシスコ交響楽団

こちらは僕が米国留学中にフィラデルフィアのFM放送を1984年4月11日にカセット録音したもの。オーマンディーはこの翌年3月に亡くなったから最晩年の貴重な音源となってしまった。このコンサートは前半にドビッシーの「牧神」と「海」が演奏され、それらも名演でyoutubeにアップロードしてあるのでお聴きいただきたい。これをフィラデルフィアでやってほしかったが、アカデミー・オブ・ミュージックの音響では演奏はこうはならなかっただろう。SFSOの本拠Davies Symphony Hallのほうがずっとましであり、そこでこの録音が残ったのは僕を含め後世のクラシックファンには福音になったのではないだろうか。悠揚迫らざる大河のようなテンポが揺るぎなく、オーマンディーの人柄がにじみ出るような優しく温かいブラームスだ。それにふさわしい2番を選んだのも彼らしく、枯れてはいない幸福な老境を思わせる。コーダについても上記正規盤のコメントそのままが当てはまる、世俗の甘さやチープな興奮などまったく目もくれぬ骨太の堂々たる終結だ。CBSのキンキンドンシャリの録音で日本では彼は色モノ、ショーマンのようにイメージづくりされてしまったがとんでもない、スコアの本質を最高のバランスで提示する本格派のシェフ、マエストロであった。

 

エドゥアルド・リンデンバーグ /  北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団

809274987969僕の記憶違いでなければこの演奏は70年代に廉価盤(テイチクのLP?)で銀色のジャケットで市場に出ていた。食指が動いたがカネがない時で逡巡していたら廃盤になってしまい悔しかった思い出がある。03年にCDを見つけ勇躍して聴いてみるといかにもドイツの地方都市のホールで日常にやっている雰囲気の演奏だ。個人的にはノスタルジックな気持ちにひたれるが、こういうのがいいかどうか言葉がみつからない。オケははっきりいって二流であり、指揮も垢抜けず大まか。アンサンブルの細部に神経が行ったなと思う瞬間はほぼ皆無であり鳴りっぱなしの声部も多い。千円廉価盤には後になってどうしてという名演があったものだが、これは見事にそれなりだ。しかし食べ物もB級、時にはC級グルメである僕はこういうのが嫌いでない。ベトナムの屋台でおばちゃんに具は全部入れてねと注文して出てくるアバウトなフォーを食べてる感じだ。(総合点 :  1)

 

クルト・マズア /  ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

mazurロンドン時代に買ったオランダ・フィリップス盤(LP)で、弦楽器の音が格別に素晴らしい。CDは知らないがヴァイオリンのG線、ヴィオラ、チェロのハイトーンが織りなす中声部のくすんだ響きの魅力はあらゆる2番録音でも最高クラスである。このコンビでフランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった。これぞブラームスの音であり、ひたるともうそれだけで他に何がいるかと思ってしまう。マズアの解釈は凡庸で前回のノイマン同様一般の評判を取り得るものではないが、僕は逆に何もしていないのでオケの魅力だけを堪能できることに感謝だ。終楽章も遅めのテンポで進みながら最後だけあおる、こういうのは全く余計だがそこまでに十分楽しんでいるので無視しよう。(総合点 :  3)

 

ゲルト・アルブレヒト /  ハンブルグ国立フィルハーモニー管弦楽団 (Jan97、ライブ)

albrechtアルブレヒトがVPOを振ったシューマン2番のライブが78年ごろFMで放送され、これが大変な名演で衝撃を受けた。カセットに録音して何度も聴き、同曲にのめりこんでしまった。05年3月13日には彼が読響を振ったブラームス2番を芸劇で聴いたがそれも筋肉質でメリハリがあり、あのシューマンの質感をそなえた名演であった。このCDはスイスで97年に買ったもの。ハンブルグのライブ音源で録音のせいか弦がやや薄いが低音を若干補強すればブラームスにふさわしい音が聴ける。演奏の勢いはアルブレヒトのものだ。コーダの安直な興奮を誘うテンポの問題もなく、ストレートで硬派のブラームスが堪能できる。(総合点:  4)

 

ダヴィッド・オイストラフ  /  ソビエト国立交響楽団 (20Dec68、ライブ)

oistrakh大ヴァイオリニストの指揮。ホルン、オーボエ、トランペット、トロンボーンがロシア丸出しの音色で異色であり、特にホルンは第1楽章の最後のソロなどこれでブラームスといわれると厳しい領域にある。第2楽章のヴァイオリンのヴィヴラートは妖艶なほど過激だ。彼の作品への愛情はよくわかったが、お国によって愛情表現というものは甚だしく違うものだ。同じロシアのオケでやったヤルヴィと比べるとオケはばらばらで素人の指揮であり、まったく楽しめないが終楽章のテンポ設定はまともで面目躍如という所だ。(総合点 : 1)

 

トーヴェ・レンスコウ、ロドルフォ・ラムビアス (ピアノ)

71Y3SV-giZL__SY450_ブラームスによる2台ピアノ版とあるが終楽章に弾かれていない3連符があり、正確なところはよくわからない。スコアを見ながらじっくり聴いた。住みなれた我が家の建築時の精密な図面を見るようだ。これをさらに自分で弾いてみた二手版と比べてみる(これはさすがに録音がない)。家の梁など骨格ができ、基礎工事が済んだ状態が二手版。それにガラス窓や内外壁やフローリングが施され家らしくなったのがこれだ。そしてこれに家具や壁紙や空調などが完備し、オシャレなシャンデリアが入ったものが管弦楽の完成版というところだ。2台ピアノ版で充分「住める」という印象で、ブラームスの図面は実にmeticulousに書かれているものだから、彼がどこに重点を置いて「基礎工事」を「住宅」に、「住居」を「邸宅」に仕上げたかがよくわかる。ベートーベンの交響曲は基礎工事で充分に住め、そこから一気に邸宅に仕上がった観があるが、ブラームスは「住宅」にしたこと自体で大きな付加価値が加わっており、その段階で豪邸として売りにだしていいぐらい完成度も高い。このことは彼の作曲プロセスと楽器編成の選択の関係という重要なテーマの解明にヒントを与えるものだ。このCDは演奏として特にどうということはないが、スコアをプロフェッショナルに音化しているということで充分に聴く価値があると思う。マニア向け。(総合点 :  3)

 

エピローグ

以上、いかがでしたでしょう?フリッチャイ/VPO盤とカルロス・クライバー/BPO盤についてはすでに別稿に書いておりますので、それを含めてブラームス交響曲第2番について僕の想いや思い出をまじえ64種類のCDにつき拙文を陳列させていただきました。これで僕が持ってる2番の半分強というところですが最近の若い指揮者のはあんまりもってません。

埃にまみれた40年来のLPやCDを眺めてみると、我ながらずいぶんと酔狂なものでカネにもならんことを長年やってきたものだと思います。でもカネにまつわる商売をしてますとカネにならんことをどれだけマジメにやれたかが人生大事な気がしていまして、ますますこういう無価値なことを思いっきりやってやろうとむくむくとファイトがわいて来ます。

64回たてつづけに聴いたおかげで2番という曲がちょっとはわかりかけてきました。でも今回なにより驚いているのは、聞けば聞くほどますますこの曲をいとおしく感じている自分がいるということでした。よくわかりました。自分がいかにブラームスが好きかということ、そして、本物というものは飽きるということがないのだということをです。ブラームスの2番にブラヴォー!

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(10)

 

(本シリーズのスタートはこちらです)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

ブラームス交響曲第2番に挑戦

(関係ブログです)

ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

クルト・マズアの訃報

 

(同じことをやっています)

シューマン交響曲第3番の聴き比べ(1)

 

 

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)

2015 APR 14 3:03:58 am by 東 賢太郎

ブラームス2番の聴き比べ、これで8稿目になります。

今回は趣向を変えましょう。ブラームスの2番について述べるのにこのレコードについてふれなければ自分史という観点で背任になってしまう、そのぐらい僕に決定的な影響を与えたのがこのベルナルド・ハイティンク /  アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のLPでした。haitink

大学に入った年75年にこれが新譜で出たさいに音楽評論家の大木正興さんが激賞したのがこれとチャイコフスキー5番だったのをよく覚えています。当時僕はレコード芸術誌の大木さんの文章を熟読していて、ドイツ的なるもの、本質的、精神的(形而上)なるものへの肯定とショーマンシップ、表層的、商業的なるものへの蔑視という価値観に深く共鳴していました。

どうしてこのレコードに興味を持ったかといいますと、単に大木さんが誉めたからではありません。それまで大木さんはハイティンクをぼろかすに貶(けな)していた急先鋒だったからなのです。その君子豹変ぶりが意外で、一体どうしたんだという興味から聴いてみようとなり、これとチャイコフスキー5番をすぐ買いました。

果たして、スピーカーから流れ出た音楽はそんな経緯はどうあれ僕の耳に問答無用で心地よく、それまで聴いていたワルター/コロンビアSOよりも良く、これこそが俺の好みなんだと確信しました。そうしてハイティンクを聴きこんだ結果、僕にとってブラームスの2番とはまぎれもなくこれとなったのです。

これがそうして刷り込まれた演奏だということは、それから40年の歳月を経てもう自分の中で自覚できなくなっています。しかし、今回のきき比べをするうちに「終楽章コーダのアッチェレランド」の問題がどうしてもひっかかってきます。僕はどうもそこでの加速が蛇蝎のように嫌いなのです。それがこのハイティンク盤と深くかかわっていることは後述しましょう。

スコアにaccelerandoと書いてないという原典主義的な理由ではなく、とにかく蛇蝎より蜘蛛より嫌いである、これはもう生理的なものです。困ったことにこれが曲全体のフィナーレなものですから、これをやられてしまうといくらそこまでいいぞと思っていても感動が台無しになるのです。9回裏ツーアウトから逆転サヨナラホームランを食らうようなものですね。

今回書いてきたものでそれがいかに多いかお分かりいただけますでしょうか。だから僕は2番のコンサートは敬遠しています。サヨナラ負けの可能性多いですし指揮者に先に「かけます?」なんてきけませんしね。アバドとアルブレヒトだけでした、良かったの。

それがコーダのどこのことか?加速できる可能性のある個所は4つあります。第1ヴァイオリンのパートで見てみましょう。

まずここです・・・①(pからsfまで)

bra2 4

次にここです・・・②(cresc .からffの前まで)

bra2 5

ここでトロンボーンの下降が入ります。そして次にここ・・・③

bra2 2

ちなみにこれが最後に来るトランペットのパートです・・・④

bra2 3

①のフレーズは4-5小節の3つの二分音符でテンポにブレーキがかかることがほとんどです。だから6小節目のpの「入り」は遅く、そして最後の最後である④はほとんどの場合、①の入りよりは速いのです。

ということは①②③④のどれかで加速しなくてはなりません

まず①です。4-5小節の3つの二分音符にアクセント記号(> )がついていて各音を重く強い音で弾く指示なのでテンポを落して行われるのは自然です。最後のsfに向けて今度は増音(クレッシェンド)していく過程で漸強、漸弱(< >)の呼吸を3回はさんで興奮が高まり、それはVnの音高がオクターヴ高くなる最後の4小節で最高潮に達します。

この過程で落としたテンポを速くしていく、これは弦を重く弾く奏法の物理的原則によって速度が落ちたものを①の1-3小節までの速いテンポに復元する行為であって、ここにaccelerando(アッチェレランド)と書いてなくても加速が行われることは、二分音符に rallentando (徐々に遅く)と書いてないのに遅くなったことの裏返しです。

ちなみにハイティンクは二分音符でやや多めに減速していますから、インテンポ派の指揮者のなかでは①の加速も必然として多めで、それは最後の4小節で来ます。しかしそれが最高潮に達する音楽の摂理とあいまって外面的には感じられずに興奮を高める効果を上げているのが見事です。

そして問題の②です。ここで加速するとなるとそれはテンポの回復ではなく本当のアッチェレランドであり、スコアにそう書いてないことは意味を持つと思います。それに対して、cresc.とあるので①と同じだから音量増加イコール速度増加でいいだろうということか、ここで加速する人がいます。

マックス・フィードラーもフリッツ・ブッシュもハイティンクと同じ①のみ(やや振幅は小さい)であり、②の加速は僕は間違った解釈であると思っています。ベーム、トスカニーニ、ショルティ、ヴァント、アバド、ミュンシュ、ケルテスも①のみです。ムーティも①のみで、スカラ座Oとのビデオを見ると②で弦が興奮して走らないように手で制止してます。見識ですね。

クナッパーツブッシュ(ドレスデン・シュターツカペレ盤)は楽章冒頭から4つ振りで遅く異例ですが、①を準備するトゥッティ部分で加速するというのがまた異例で、他の演奏の記憶からここから終結に向けてさらに速くなる予測がよぎりますが、そうならない。その加速は①の二分音符での減速で完全に打ち消され、そこの停止感が強調されるのです。そして最後の4小節への音高上昇の興奮とともにほんの少しの加速をしますが、最後のa音に伴うsuspended 4th→A7をカデンツとしてまた減速。そしてトランペットを強奏して②の最初の4小節のフォルテの意味を際立たせ、②のクレッシェンドで微小な加速がありますがほぼ無しに等しく、つまり堂々たるインテンポでティンパニを強打して終わります。実に深い読みであり、ブラームスの直伝の解釈をうかがわせる可能性のある演奏として注目します。

一方、フルトヴェングラーは二分音符の減速がほとんどなくスタート地点のpから速い上に、まず①で加速、そして②でさらに加速、③まで二分休符で前のめって④になだれこむという3段ロケット方式で、とうてい僕には耐えられませんしブラームスも認容しなかったろうと信じます。

バーンスタインは奇妙で旧盤(NYPO)もVPO盤も①は最後に減速!し、②で加速しますが僅少でそのままゴールインします。これをVPOにさせられるのは彼ぐらいでしょう。ケンペは①がなくて②だけであり、これは全く賛同できません。③だけというのはクレンペラーです。①④もほんの少しありますが②でやってないのは見識です。

珍しい派としては④というのがあって朝比奈/大フィルは①がなく②でやって③がなくさらに④の前でやる。ミュンシュは①-③はなく④だけという希少派です。べイヌムが①と④であり、先輩の影響かオケの伝統かハイティンクもほんの微妙ですが④でかけています。

ティーレマンは①だけですが一気に超快速に持っていってしまうので②③④がいらないという作戦です。①は二分音符前のテンポに回復するのが音楽の摂理であり人工的というしかありません。カルロス・クライバーは①+②派ですが減速が少なかった分だけ加速も少なく済んでます。ワルター/NYPO、ムラヴィンスキー東京ライブは明確に①+②です。後者はオケがとても下手で高いカネを払った人が気の毒です。

カラヤン/BPOは減速が少なく、そのぶん①②の加速もほとんどないインテンポ派であり、堂々たる王者の風格といえましょう。カラヤンを表面的と評する人が多かったですが、そういう人がだいたい信奉するフルトヴェングラーの方がよほど表面的と思います。カラヤンをさらに遅くしたのがチェリビダッケです(スコアどおり減速なし)。それで終わりまで持っていくのは凄味すらあります。

以上まとめますと、このシリーズで僕が終楽章のコーダにいちゃもんをつけているのは②の加速だということです。なぜなら②の背景ではオーボエ、クラリネット、トロンボーン、チューバによる素晴らしい劇的な和声のドラマが展開しているのです。それなのに加速で興奮をあおってその効果を減殺するなどもってのほか。ここのインテンポはマストです。

書いている時にその判断基準はなかったのですが、「①のみ派」のベーム、トスカニーニ、ショルティ、ヴァント、アバド、ミュンシュ、ケルテスに概ね好意的なことを記しているのはいま思うとその大減点がないからと思われます(こういうことは自分でもあとから分析してわかるというものです)。

そして、冒頭に戻りますが、その趣味ができたのはハイティンク盤を聴きこんだからです。それにより曲だけでなくコンセルトヘボウというオケとホールの音響の魅力まで覚えたので、僕のクラシック音楽のテーストに甚大な影響があったはずです。こういうことも自分ではわからない。あとになってこうやって検証して、傍証を得て、初めて推察ができるという性質のものです。

だから初心者の方に申し上げたいのは、もし真剣にクラシックと一生つき合っていこうという志をお立てならば「最初に曲を覚える演奏は大事だよ」ということです。それが無意識のうちに「おふくろの味」になってしまうからです。僕はこのハイティンクの2番でブラームス入門、コンセルトヘボウ入門を果たしましたが、演奏のクオリティの高さ、品格、音質、どれをとっても今もってまぎれもなくベストの選択でした。それは大木正興さんというその道をきわめた達人がおられ、何も考えずに彼に従った、まあ僕にしては例外的に素直だったこと、それが人生でラッキーだったと思います。

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僕のブラームス入門に追い打ちをかけて決定的な影響があったのはフルトヴェングラー指揮の交響曲第1番だったのですが、その神と仰いだ指揮者が2番ではご覧のとおりぼろかすに書くしかないというのも不思議なところです。しかし大木さんのような専門家でも、ハイティンクの評価は180度変わりました。自分の耳に正直であるという虚飾のない姿勢は立派ですし、音楽鑑賞に限らず万事そうあるべきと勉強になったものです。ちなみに1,3,4番では僕はハイティンク盤をここまで信奉しているわけではありません。

ハイティンクの2番を今聴くとシューマンの3番の稿に書いたことがそのまま当てはまります。彼はこの後に別なオケ(BSO、LSO)でも同曲を録音しましたが、ブラームスに最もふさわしいPhilips録音があの名ホールでACOの真髄をとらえたこれ以上にいいとはどうしても思えず未だに浮気する気も起きません。僕にはこれとカイルベルト盤とが双璧であります。(総合点 : 5+)

 

ちなみに、ライブのエアチェックなので本文ではご紹介しませんでしたが以上書いたことをほぼ完ぺきに満たすアポロ的均整をもったマックス・ルドルフ指揮ナショナル交響楽団の演奏をご紹介します。この演奏は僕がウォートンスクールに留学中にフィラデルフィアのWFLNで放送されたもので、そこでしか聴けなかった超レアものです。ルドルフは4番は商業録音がありますが2番はありません。このライブのオンエアは1984年ですが演奏がこの年だった保証はありません。当時なけなしの金で買った安物のカセットで録音したもので音は良くないし、30年も倉庫で眠っていたテープなので固有の音揺れがありますが、僕にとっては値千金で隅々まで記憶している思い出深い演奏です(ちなみにMov4コーダにフルートの残念なミスがあります)。

 

P.S.

「バーンスタインの①の終結での減速」について

僕の推測ですが、最後の二分音符(a)についているA7sus4というコードに対する反応なのではないかと考えています。Ddurのドミナントのsuspended 4th→A7というカデンツと彼は解釈しているのではないかということです。だからここは減速したわけではなく、和声構造からくる帰結としての「終結」なのかなと(追記:後に分かったが、上記のとおり、これはブラームス直伝のクナッパーツブッシュに前例があります)。

たしかにそう見るとブラームスがここにフルート、オーボエ、第4ホルン、ヴィオラでd→ cisを書きこんだのは、そこでsfで鳴っているaの音価のなかでドミナントへの解決を強調し、次のトニックへのD→Tのカデンツの安定感、回帰感を際立たせるためと見ることも可能なように思います。ここに加速してつっこんでくるとaの音価が短くてそれは得られにくいと僕も思います。

このことはバーンスタインと話してみたかったですね。彼はエモーショナルな感性が勝った音楽家のように思われていますし、実際に話してみてそういう側面が見えたのは事実ですが、僕は彼の指揮を聴くといつも作曲家としての目線と理性のほうを強く感じます。

この部分はその一例で、感性による思いつきでそうしているのではなく、ロジカルにスコアを読んでるなと感じます。そしてブラームスのような微細に緻密に細部にこだわる人が意味なくサスペンディッドのコードを書きこんだはずはないとも感じるのです。

ちなみにトスカニーニは①を多少の加速をしながらa音に突入しますが、4拍目のトランペットのa音をタメを作って強く長めに吹かせることで「疑似終結感」を出すという高等技術でブラームスの書いたサスペンディッド・コードへの義理を果たしています。なんとなく罪悪感があったんでしょうか(笑)とても面白い。

そこで終結感を出すと②の加速でそれを取り戻したくなるでしょう。②の加速はそういう誘惑に負けた人の妥協策にきこえる場合もあります。しかし、トスカニーニはそれを全くしませんしバーンスタインもほんのわずかです。

それは上述のように大事な転調の場面で(だからコーダで鳴り続けのD、Tをたたくティンパニがここだけは沈黙する)テンポ変化という非常に劇薬的効果のある余計なことを同時にしたくないという、いちいち言わなくても了解される演奏家の良心みたいなものではないでしょうか。こういう人たちはプロ中のプロだなと思います。

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

ブラームス博士は語る(交響曲第2番終楽章のテンポ)

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)

2015 APR 12 14:14:33 pm by 東 賢太郎

フリッツ・ブッシュ /  デンマーク国立放送交響楽団

31EEA5VE93L1690年創立のマイニンゲン宮廷楽団の指揮者には1880年にハンス・フォン・ビューロー,85年にリヒャルト・シュトラウス、86年にフリッツ・シュタインバッハが就く。そして85年10月にこのオケが初演した曲がある。それがブラームスの交響曲第4番であり、そこでオケに入ってトライアングルをたたいたのがリヒャルト・シュトラウスだった。シュタインバッハはブラームスと親交が深く彼をマイニンゲンに招き、彼の作品によるザクセン=マイニンゲン地方音楽祭を立ち上げた名高いブラームス指揮者であった。後年そのシュタインバッハがケルン音楽院で指揮法の教授になった時の生徒がハンス・クナッパーツブッシュとフリッツ・ブッシュである。この二人のブラームス2番が聴けるというのは幸運なことだが、両者は違う。クナは自分のブラームスは先生のまねだと言ったらしいがバイロイトに行ってワーグナー指揮者として名を成した芸風の人であり一概には信じ難い。両者はテンポからして異なり、ブッシュの終楽章は7分55秒と最速クラスだ。モーツァルトを得意とした彼のフィガロやドン・ジョバンニの芸風を持ってきた2番と言えそうだが、はて、こっちもこれが直伝かというと迷う。かたや4番を聴くと両者には通じ合うものがあるのだが・・・。そこに関してはやはりブラームスと親しく、演奏会で自分の代わりに第2協奏曲を弾かないかと誘われ(断った)、この交響曲2番の作曲者指揮によるライプチヒ初演を聴き、どれかはわからないがブラームス臨席の演奏会で彼の交響曲を指揮し少なくとも解釈にクレームはつかなかったという逸話を持つマックス・フィードラーの終楽章を信頼すべきだろう。これは驚いたことに四つ振りのやや遅めのテンポで始まり、全奏で速くなる。以後もテンポはよく動きとても流動的だ。ピアノ協奏曲2番をブラームスはとても情熱的に激しく弾きテンポはよく動いたという証言をどこかで読んだ記憶もあり、ほぼ同時期の44歳の作品である第2交響曲も同様の解釈が正解なのかもしれない。フィードラーの演奏を聴いていて僕はふとこれは蒸気機関車から見た光景か?と思ってしまった。彼はエジソンの蓄音機に録音を試みたように機械やニューテクノロジーに並々ならぬ関心を示しており、イタリアやペルチャッハへもSLで行った筈なのである。このブッシュ盤はSLどころか快速電車だが。このCD、モーツァルトの「リンツ」はやはり快速、メンデルスゾーンの「イタリア」冒頭主題は歌いまくる。ドイツ語圏音楽の解釈を考古学的に探ってみたい僕には非常に貴重な音源である。(総合点 : 4)

 

リボール・ペシェク / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 

pesekぺシェックはチェコPOの常任も務めた同国の名指揮者である。右のCDは89年ごろロンドンで買ってもう忘れていたもの。今回のきき比べの試みがなければもう聴くことはなかったかもしれないが、このクオリティの高さは新発見だった。冒頭より実に細やかな神経の通った音がする。木管の音程の良さも一級品だ。指揮者の耳の良さがすぐわかる。オケの各声部のテクスチャーも透明感があり第1楽章は文句なしだ。第2楽章のチェロも秀逸で、それに重なる絶妙のピッチのフルートなどそれだけで耳がくぎづけになるし第3楽章の木管アンサンブルは音楽性のかたまり。欲を言えば弦の質が木管の域にはないがこれだけ良い音がすると弦も含めて全員が耳を澄ましてお互いを聴き合うしかないのだろう、上質の室内楽を聴くようだ。こういうところが指揮者の腕前なのである。終楽章は常識的なテンポで始まり再現部のまえで落とす。第2主題の歌ごころも素晴らしく、コーダへの道のりでティンパニをはっきりと鳴らし強いインパクトを与えながら熱していく。個性はどこといってないかもしれないが少しも小手先の感じがない立派なブラームスだ。i-tunesで900円の廉価盤となっており経済的にもファーストチョイスに推したい。(総合点 : 5)

 

小林研一郎 /  ハンガリー国立管弦楽団

kobaken1996年5月19日にアムステルダムで小林先生と仲間でゴルフをやった。接待でなく遊びであり真剣勝負させていただいたが大変にお強く完敗した。終わったホールの僕のスコアから2打目に使ったアイアンの番手までよくご覧になっていて完璧にいい当てられるのは驚いた。頭脳も身体能力も人心掌握力も常人ではない。100余人のプロ集団を指揮台で率いる人kobaken1はこうなのだと思い知った。このCDはその時にいただいたもので、僕の好きな4番の冒頭をサインと一緒に書いて下さった宝物だ。第1楽章はゆったりした歩みで第2主題の入りには一瞬の間をとる。第2楽章のドイツの暗い森を思わせる雰囲気やチェロの表情はブラームスそのものであり、重めのホルンの音色がぴったりで木管のピッチも非常に良い。ヴァイオリンの入りをそっと息をひそめるなどデリケートな味わいにあふれるが後半の激する部分では低弦を強調しており、このロマンに満ちながらも尋常ならざる緊張感も秘める表現は幻想交響曲の第3楽章に通じるものを感じる。この楽章の解釈は秀逸だと思う。第3楽章の田園風景は管弦のまろやかなブレンドが見事である。終楽章は一転速めのテンポをとりオケは深みある音で見事に棒に反応している。いいオケだ。第2主題への減速は自然でありこういう呼吸の上手さを聴くとついあのゴルフ場での卓越した距離感の寄せを思い出してしまう。再現部の第2主題も同様だがコーダ前の減速から例のトロンボーン下降に向けてやや加速し、コーダにさらに加速する部分、僕の趣味として合わないのはここだけだ。今の先生はさらに円熟されているだろう、是非実演で聴いてみたい。(総合点 : 4.5)

 

ヴァ-ツラフ・ノイマン /  フィルハーモニア管弦楽団

CL-12031900499年に香港で買い、ダルでつまらないという印象しかなく2度と聴かなかったCD。これがなかなかいいじゃないかと思うようになっているというのはトシを取ったということだろうか。とにかく牛歩のごとく遅い。コバケンさんのように何か起きる予感を秘めた遅さではなく、老人が道端の草花を愛でながらゆっくり散歩するようでそれに44歳の僕は辟易してしまった。2番に何を見るか?当時はロマンとパッションだったし、やはりこれを書いた時に44歳だったブラームス自身もそうだったかもしれないとフィードラーの演奏から思う。今はこれいい曲なんでじっくり味わわせてよねという要求の方が勝っている。そして69歳のノイマンの目に共感している。老成した指揮者がやりたがるのはむしろ4番だろうが、もう70の声をきけば2番のブラームスも4番のブラームスもないのかもしれない。64歳までしか生きなかった作曲者自身の知らない世界だろうか。そういう男がやった2番は、終楽章コーダで加速しないのだ。当時の僕はそれがないのでダメだった。青かったなあと思う。(総合点: 4)

 

ニコラス・アーノンクール /  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (96年、ライブ)

39997年7月にアーノンクールはヨーロッパ室内Oとチューリッヒ・トーンハレでブラームス全曲をやった。僕は1,2番を聴いた。1番はノリが良かったが2番はあまり共感しなかった記憶がある。当時はすでに古楽器の泰斗がヴェルディをやってしまう時代だったがブラームス界への進出も意外だった。このBPOとの2番、弦やオーボエソロのフレージング等にクリティカルにスコアを読んだ痕跡があるのはイメージ通りだが、とにかくハートが熱い。なるほどけっこうであり、ライブもそうだったしそういう気質でないと椿姫など振らないだろうが、それが部分部分でショートテンパー気味に感じられてしまう。ブラームスというのはそういう小手先のミクロの熱の集積で暖まっていく音楽ではなく、あくまで大河のごとき流れが底流にあって徐々に聴き手の内面にある情をかきたてながら気がついたら体の芯から暖まっていて2~3時間は冷めないというものだと僕は思う。元気に爆発する劇的な終楽章など3分で冷めてしまう。H先生、とても見事ですが気が合いませんねと言うしかない。(総合点 :  2)

 

エヴゲニ・ムラヴィンスキー /  レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 (13June 1978、ウィーンでのライブ)

muraこのLPはオケの音像が遠目で録音レベルも低く冴えない。しかし高音を上げ低音は絞り、最大音量に近づけるとムジークフェラインの中央よりやや後ろの席あたりの音に近づく。これが実際にどんな音だったかはこのホールの音の記憶から推察するしかないが、第1楽章の終結へ向かう部分の弱音などさぞインパクトがあっただろう。このコンビの音量の振幅というのはエネルギー、カロリーの増減を伴うことで物理的なものを超越しており、他の演奏とは一線を画する印象的なものと思う。ここもppに近い静寂と緊張感から終楽章の解放に至るまでのドラマを演じるが細部が良くわからないのが惜しい。コーダは少しくアッチェレランドがかかるが音楽の情動が許容するぎりぎり範囲内のものであり、会場で聴いたらさぞ感動しただろう。ホルン、トロンボーン、オーボエの音色にやや違和感を感じることを置けば傾聴に値する2番と思う。(総合点 :  3)

 

マレク・ヤノフスキ /  ロイヤル・リバプールフィルハーモニー管弦楽団 

janowski87年ごろロンドン時代に買ったLP。第1楽章はゆったりした大河の様な流れで提示部の繰り返しもあり、ブラームスにたっぷりとひたることができる。LPの音は木質で大変すばらしい。第2楽章も同様で弦のやや湿度を帯びた音が好ましい。第3楽章はさらに同曲で最も遅い部類であり、精神をいやすヒーリング効果すら感じる。そして終楽章だが、常識的なテンポであったのがコーダに至ってものすごいアクセルが踏まれ脱兎のごとくゴールへ飛び込むことになる。それさえなければ大人のブラームスであったろうに惜しい。(総合点 :  3)

 

(補遺、3月23日)

フリッツ・ライナー / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

71GEq7yT-ML._SL1442_1960年3月12日のライブ(放送録音か)。楽器の生音をよく拾ったモノラル録音であり鑑賞には耐える。強奏するホルンの音が重め、オーボエなど木管の色気がないなどNYPOがドイツ系の音だったことがうかがえる。解釈は至極まっとうで文句なし。ただ第3楽章の弦のアンサンブルなどライナーのCSOとの演奏の水準にはなく荒い。ロマンの息吹もやや不満だ。このディスクの白眉は終楽章。ティンパニを強打したエネルギー満点の主部は見事で、コーダに至る前からすでに加速(こういう手があったんだ、脱帽!)、コーダは①で加速、②で常識の範囲内でやや加速で納得感あり。ところが③の前半で(編集のミスか?)1小節落ちていて大変ずっこける。ということで好事家向けであることは否めまないが僕には感心するものがある演奏。ちなみにこのCD、余禄のピッツバーグSOとのハンガリー舞曲がすばらしい。(総合点:2)

 

(補遺、11 June17)

ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団 (5 Jan1967、ライブ)

クロアチアのVIRTUOSOレーベルから出たセル&クリーヴランド管弦楽団~1967-69未発表ライヴ集Vol.1の3枚組CDでゼルキンのPC1番と交響曲4番と組まれている。セヴェランスホールでのステレオ録音で放送用だろうか、悪くはないがややドライだ。第1楽章提示部を繰り返すのは珍しい。ライブにおいてもセルらしくコントロールされるが金管にミスがありこのオケも万能ではないことがわかる。正規録音のほうにも書いたが、僕はロマン派楽曲でのセルのホルンの扱い方が苦手であり、ここでも大いにそれがあるため引いてしまう。中間楽章は僕の欲しいロマンはあまりない。終楽章は巨大な室内楽の如き立派なアンサンブルであるが、だから何だというところ。彼のベートーベンは最高の敬意を払うがブラームスはだめだ。(総合点:2)

 

(補遺、2018年8月25日)

アンタール・ドラティ / ミネアポリス交響楽団

Mercury Living Presence (The Collector’s Edition-3)より。シリーズ共通の近接したマイクで弦の内声部が聞こえすぎる感なきにしもあらず。アンサンブルの細部にごく微細なアラはあるが、この演奏の風格は抗いがたい。19世紀から脈々と受け継がれた伝統を一切外すことなく、ドラティ一流の筋肉質なアンサンブルでまとめた2番。各楽章のテンポやディナーミクで違和感を覚える部分は一箇所もなく、小細工なしの堂々たる正攻法で曲本来の感動を伝えきる本物の演奏だ。僕は1986年にロンドンでドラティがロイヤル・フィルを振った交響曲1番とPC1番を聴いたが同質のものだった。終楽章コーダはどうかと思って聴いたが、ドラティがチープなアッチェレランドなどするはずもなく、杞憂であった(総合点:4.5)。

 

 

 

 

 

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)

2015 APR 10 2:02:31 am by 東 賢太郎

 

オトマール・スイトナー / ベルリン国立歌劇場管弦楽団

suitnerベルリンはブランデンブルグ門を少し入ったウンター・デン・リンデンにシュターツ・オーパー(国立歌劇場)がある。ドイツ赴任中ここでワーグナーをよく聴いたが、まことにドイツ風情の古風な味わい、つまり東独時代の音色が残っているオケであり至福の時を味わった。この2番はそのオケの美質が良く出ている。繰り返しのある第1楽章は指揮者の曲への愛情に満ちている。ベルリン・イエスキリスト教会の残響の中、木管が浮き出ず古雅なホルンが茫洋と弦と溶け合って薄明の中をまどろむような第2楽章の風情がすばらしく、第3楽章のオーボエのチャーミングなこと、クラリネットの木質の響きなど何物にも代えがたい。残念でならないのは終楽章で、開始部と主部のテンポの落差はどういう譜読みなのか意味不明でひっかかる。僕が住んでいたころのドイツのオケの日常的なコンサートはこんなものだったとはいえアンサンブルの質もやや落ちる。コーダのアッチェレランドはまったく賛同しがたい。(総合点 : 3、1-3楽章のみ5)

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン /  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

karajan21983年、カラヤン最後の全集の2番。右は87年にロンドンで買ったCDで「made in West Germany」とある今や歴史的一品だ。ロンドンはロイヤル・フェスティバルホールで聴いた彼の第1交響曲はBPOの低弦の威力に度肝を抜かれたが、この2番は中声部(ヴィオラ、チェロ)に力点を置いている風に聞こえる。しかしやはりホルン、トロンボーンのfは威圧的に響きティンパニも雄弁で、音楽の劇性に訴えるアプローチだ。中声部の力点もオケの自然な美質の発露というよりも、計算して作られた素材としてカラヤンの信じる劇性表現のための素材として組み込まれているという性質の印象をどうしてもうける。第3楽章の木管のうまさ、アンサンブルのピッチの良さなど超がつく一級品で、このコンビの実力が伊達でなかったことが証明される側面もある。終楽章はトゥッティで木管が聞こえ過ぎるなどミキシングもどことなく人工的。コーダの第1トロンボーンはBPOと思えぬ恥ずかしい出来だ。パリで当時ピカイチの3つ星だったアラン・デュカスで食した?万円のフレンチ、たしかに美味しいんだけど「美味しいフレンチ」というコンセプトで煙に巻かれた感なきにしもあらずの食後感と似たものを覚える演奏だ。(総合点 : 3)

 

イゲン・ヨッフム /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

R-4321125-1384029374-3577_jpeg第1楽章、第2主題に持っていくやや速めのテンポが自然で実に良い。この「自然で」という風情がなかなか出るものではない。展開部も速めで重みや巨匠的風格は後退するが交響曲としての骨格を明示した表現で僕は好きだ。彼の指揮はフィラデルフィアとロンドンでベートーベンの7番を2回聴いたが、正に同じアプローチで素晴らしかった。第2楽章は一転、森のような深い音色と情感のこもった歌だ。テンポは刻々と微妙に動くが音楽の脈絡と遊離せず、コーダは止まりそうなまでに沈静する。これがツボにはまっていて良いのだ。第3楽章は普通だ。アンサンブルはあまり整っておらず、ぎちぎちとリハーサルで詰めた感じではない大らかさがあるが、実演でもそういう奏者の音楽性まかせの遊びの余地ある指揮だったように思う。終楽章もやや速めのテンポで開始。カラヤンと対照的に低音をゴリゴリ出さないので風通しが良く、軽量級に聞こえるが曲のエッセンスは語り尽くしているという真打の芸だ。76年録音でBPOやVPOは使えないEMIはLPOを使ったわけだが、オケが棒に納得してヨッフム晩年の記録を刻もうという意欲を感じる。最後の加速だけ余計だが全体のライブ的な流れの中では許容しよう。(総合点 : 4.5)

 

ヨーゼフ・カイルベルト /  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

083無人島に持っていくブラームスの2番をどうしても1枚だけ選べといわれれば僕はこれにとどめをさすことになる。理想的なテンポ、堅固な造形、いぶし銀の音色、絶品のフレージング、飾りのない表情、精緻な楽器のバランス、どれをとっても最高であり、安手なポーズや虚飾など目もくれない。人工調味料の味つけなど微塵もない老舗の名品、渋めの名優の大石内蔵助みたいなもの。どこをとっても押しても引いても揺るぎのない確固たる信念に満ちた表現であり、場当たり的でオケ任せな部分は皆無。第2楽章の絶妙な間、呼吸の深さなどこれをしのぐものは考えられない。終楽章の鋼鉄のような重みと質感のあるトゥッティのアレグロのアンサンブルと第2主題の仄かで柔和な光をたたえたレガートの歌の対比など、これぞブラームスであると特筆大書したい。この録音がバンベルグSOやハンブルグPOではなくBPOで行われたことを音楽の神様に感謝したい。コーダのテンポはこうでなくてはいけないという決定的なものだ。本当に素晴らしい!何度聴いても心からの感動をいただける最高のブラームス2番である。(総合点 : 5+)

 

ダニエル・ ライスキン /  ライン州立フィルハーモニー管弦楽団

209サンクトペテルブルク生まれの全く知らない若手指揮者だがなかなか正統派のブラームスだ。アバドやプレヴィンがデビューしたての頃、我が国の評論家は若僧あつかいしてブラームスなんかやろうものなら10年早いぐらいの勢いでこきおろしていた印象がある。こっちがそういうトシになって1970年生まれの指揮をきいている。ねばらないブラームスで、ライブでもあり弦など目が粗いしオケも一流とは言い難い。第2、3楽章は僕には速いしコクに欠ける。終楽章はやや速めの部類でリズムと強弱にメリハリをつけるのが小気味良く快調で、こういう表現が好きな人はいるだろう。(総合点 : 3)

 

マリン・オルソップ /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

MI0001110199女が指揮したブラームス?そんなもん聞けるか!とは僕のオヤジ世代のドイツ硬派の反応(想像だが)で女性の皆さん申しわけございません。そういう時代でした。昔はオケは男の牙城、まして指揮者が女性となると陸軍大将に女性が就任したようなもの(ちょっと大袈裟か・・・)。米国人オルソップは史上初めてブラームス交響曲全集を録音した女性である。それは壮挙だがしかし音楽にジェンダーはない。鳴る音楽以外にそれを生みだす人のパーソナルデータなど僕にはどうでもいいのである。第1楽章はよく統率され整った演奏で最も好感を覚えるがテンポやフレージングはやや常套的だ。中間の2楽章は特に何もなし。きれいではあるが夢幻や隠避の滓は含まれていない。終楽章第2主題の減速は人工的でブラームスの陰のある憧れがきこえず、内的な熱さを伴わないコーダへ向けての加速は何度も書くが賛同はできない。(総合点 : 3)

 

イシュトヴァン・ケルテス /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

uccd7207-m-01-dl73年にケルテスはテルアヴィヴにて遊泳中に高波にさらわれ溺死した。43歳。20世紀クラシック界の最大の損失の一つと思う。この2番は64年に35歳の彼がVPOを振ったもの。67年にLSOとの録音もあり(新世界と同じパターンだ)、亡くなる直前にブラームス全集をVPOと録音中で2番は再録音予定だったが果たされなかった。未完で残ったハイドン変奏曲の最後の変奏はVPOの総意で指揮者なしで録音された。やや弦の音が固いが第1楽章の陰影が濃い。VPOはオーストリアのオケだがウィーンという都市は東欧のコスモポリタンでハンガリー、チェコの影響も強い。VPOに愛されたハンガリー人の彼は名門オケからドイツの四角四面に縛られないエスニックな喜びを解き放つことができる人材だったように思う。逆にそれができるから愛されたのかもしれない。2番には1,4番と違いそれが活きる要素があるのは終楽章の若々しい爆発、音を割るホルン、立体感のある音楽のうねりをきけばわかる。すばらしく熱してelectrifyingなコーダ!30代にしてVPOとそんな蜜月関係を築けた者はカラヤン、ベームらを含めても誰もいない。彼が2番を再録していたら?そしてもし今生きていれば86才、さらにVPOを振ってこれを聴かせてくれたらどんなすごい音楽になったろう?返す返すも20世紀クラシック界の最大の損失の一つである。(総合点 :  4)

(補遺、2月15日)

オイゲン・ヨッフム /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

17581年、カール・ベームが急逝した後の定期演奏会でのライブ(ムジークフェライン)。ヨッフムはVPOを4回しか指揮していないが、この2番は素晴らしい。第1楽章はオーケストラに自由に弾かせながら知情意のバランス良くまとめ上げ、テンポにはうねりを与え、追悼演奏ということもあったのか、第2楽章コーダ、第3楽章の緩徐部で深い情念を語っている。終楽章は合奏に乱れやティンパニの先走りがあるが棒がオケにまかせて勢いを引き出す風だったかもしれない。コーダのテンポは納得いく。(総合点:4)

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

zaP2_G5378398W1963年録音。第1楽章、さすがBPOという音だ。このオーケストラのドライブ力は見事。 第2楽章は室内楽のようで弦を深い呼吸で歌わせるがヴァイオリン高音部がやや美感に欠ける。第3楽章は平凡。終楽章は大層な勢いとパワーで開始、コーダは二分音符の減速は浅く、ヴァイオリンの高音の頂点でややブレーキを踏み、②の前半と④でほんの微妙に加速と芸が細かいが、ほぼ王道を行っていると評することができる。若いころからカラヤンは大物の証明を刻んでいる。(総合点:3.5)

(補遺、3月29日)

ヨゼフ・カイルベルト /  バイエルン放送交響楽団

41QC791D6HL66年12月8日、ミュンヘンのヘルクレス・ザールでのライブ。上記BPO盤と同様に、心の底から僕を説きふせる何かのある解釈。2番はこうなんですよと言われれば降参するしかない。カイルベルトとハイティンクが無意識にベンチマークになっているかもしれず辛口評価になった演奏はそれから距離があるということか。オケは一流感には乏しいがツボにはまった音が鳴っていて、最低限の技術と正確な音程さえあればそれ以上の何がいるかとさえ思わせる。終楽章はコーダに向けて音楽が熱してくるのがライブで、微妙だが一貫してアッチェレランドがかかる。ここは禁欲的に行って欲しかった。(総合点:4)

 

(補遺、21 July 17)

クルト/ザンデルリンク / ベルリン交響楽団

1971-72年の第1回に続く2回目の全集。1990年にベルリン・イエス・キリスト教会での録音である。第1楽章のスローテンポはちょっとつらい。コーダの夕陽は心にしみてくるが。中間2楽章も黄昏の表情を湛える。終楽章すら遅く始まり、第2主題はもちろんさらに減速するし展開部の最後は止まりそうになる。コーダは入りでやや加速して(それでも異例に遅い)そのままインテンポで終わる。それはいいが、全体に僕にはよくわからない。非常に特異な2番である。80才になったらいいと思うかもしれないが。(総合点 : 2.5)

 

 

 

 

 

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)

 

 

 

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クラシック徒然草-ブラームスの「ペルチャッハの二音」-

2015 APR 6 0:00:53 am by 東 賢太郎

 

2番聴き比べシリーズ、これまでに38種類のCDについて勝手意見を述べてまいりました。もう飽きただろう?いえ、ぜんぜん。この曲、溺愛してますから。

どうしても耳にこびりついてきたのは冒頭のチェロとコントラバスによる二音(d、レ)です。これが今、頭の中でいつでも鳴っています。これ、ヴァイオリン協奏曲の開始の音でもあって、どちらもオーストリアのペルチャッハで書かれている。

ペルチャッハはこんなところのようです。行ったことはないです。

2060

そういえばチューリッヒ時代、家の庭のすぐむこうがちょうどこんな感じの所でした。ブラームス氏のお心持ち、なんとなく察するものがあります。

Vn協と交響曲第2番は、出社の時に車の中でよくかけていて、今もさあ聴くぞってなるとこういう当時の景色が条件反射で浮かんでくるんですが、僕には二音にオレンジ色がついています

ブルーじゃなくオレンジです。チューリッヒ湖に日が昇ってくる、その朝の色です。レという単音なんですが、ほのかにあったかくて、希望の光に満ちた。

Vn協のレーファ#レシラー、あのオレンジ色がパーッと眼前に広がって、スイスの朝の幸福な気分がよみがえります。2番のレード#ーレー、そして続くホルンの和音、これはブラームスが早朝にペルチャッハのヴァルター湖畔で見た朝日かなと思っています。

 

ブラームスは交響曲第2番(作品73)を1877年に書いてからヴァイオリン協奏曲(作品77)を同じニ長調で、ヴァイオリン・ソナタ第1番(作品78)をト長調で書き、ピアノ協奏曲第2番(作品83)を変ロ長調で書きました。

二音はト長調のソ、変ロ長調のミにあたります。つまり主和音(トニック)に二音を含む調性で書いています。しかも、ピアノ協奏曲2番の第2楽章はニ短調、そのすぐ前に書いた作品81の「悲劇的序曲」もニ短調です。

想像ですが、ペルチャッハの二音はそのころの彼を支配していたかもしれません。寝ても覚めても頭で鳴ったかもしれない。

ブラームスは交響曲を書く前後に器楽曲をまとめ書きする傾向がありました。交響曲が太陽で、周りを回る惑星のイメージですね。以上の曲はみな第2交響曲の惑星たちで、みな二音に関連しているのですね。

それが1883年の交響曲第3番(作品90)になると調性はヘ長調になります。その惑星であるピアノ三重奏曲第2番(作品87)はハ長調、弦楽五重奏曲第1番(作品88)はヘ長調です。いずれも主和音(トニック)に二音を含まない調です。

そして1885年の交響曲第4番(作品98)がホ短調で書かれます。惑星たちは、チェロ・ソナタ第2番がヘ長調、ヴァイオリン・ソナタ第2番がイ長調、ピアノ三重奏曲第3番がハ短調、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲がイ短調。やはり、どれも主和音に二音は含まないのです。

 

「ペルチャッハの二音」は、ブラームスにとって人生の飛翔を象徴する音だったんでしょうか?それも、なにか忘れがたい美しいもの、そして、もう戻っては来ないものだったのかもしれません。

 

4つの交響曲の主音、ハ-二-へ-ホ はモーツァルトのジュピター音型です。これ、人生になぞらえると、ハで幕を開け、二で飛躍して、へで頂点をきわめ、ホで終息をむかえる、そんな風に聞こえます。

ブラームスの人生は、それにあてはめると、

第1番(ハ短調)・ 先人との闘い、20余年の苦行、そして勝利

第2番(ニ長調)・ 安息、平穏、ロマン、そして頂点への飛翔

第3番(ヘ長調)・ 名声、かなわない老いらくの恋、夢、そして平静

第4番(ホ短調)・ 枯淡、悲しみ、回想、そして先人への回帰

というイメージを僕はもっています。まるで全体が4楽章の人生交響曲です。

 

そして、もはや交響曲の筆を折った最晩年になって、彼はヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調(作品108)、弦楽五重奏曲第2番ト長調(作品111)、そうして最後の器楽曲となったクラリネット五重奏曲ロ短調(作品115)を書きました。すべて、二音が入った調なのですね。最後の最後に、人生絶頂期に回帰したかったのかもしれません。

だからでしょう、あの暗くて悲しい作品115が暖かいオレンジ色に感じられる、そのことはこのブログに書きました( ブラームス クラリネット五重奏曲ロ短調作品115)。この音楽が強い過去への郷愁をかきたてるのは、人生の頂点に登るオレンジ色の二音に塗られているからだと感じています。

 

僕にとっても、二音は幸福への登り坂、スイス時代の音であり、とっても特別なものです。でも、あれはもう帰って来なくて、もうヘ長調の時代も越えて、いまやホ短調になってしまいました。

交響曲第2番をききながら、自分の中にペルチャッハの二音を希求するとても強い衝動を感じます。まだ枯れちゃいられん、そういう声が聞こえます。

 

(こちらもどうぞ)

ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

ブラームス ヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」

ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15(原題・ブラームスはマザコンか)

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(5)

2015 APR 5 5:05:29 am by 東 賢太郎

セルジュ・チェリビダッケ /  シュトゥットガルト放送交響楽団

celi今は亡き石丸電気クラシック売り場。大学時代まで僕のLPはほとんどそこで買った。海外で16年過ごす間も帰国の度に秋葉原へ嬉々として足を向けた。今やアキバは別世界でもう行くこともないだろう。帰国して2000-03年あたりに石丸にはAUDIORというレーベルの海賊版と思しきチェリビダッケがたくさんあり、ぜんぶ買ってしまった。その一枚がこれだ。このシリーズ、録音がややフォーカスに欠けてエッジが甘いのだがそれが不思議なものでドイツものにはおいしい効果をもたらしてくれ、けっこう僕の宝物になってしまっている。この2番は1975年4月11日ライヴと思われる(確証なし)がただ者ではない。第1楽章、弦のフレージングに聴き慣れない読みがあったりするが、彼としてはオーソドックスな解釈。ただコーダ前の弦の合奏部分はロマン的な耽溺をみせる。第2楽章は後半、第1ヴァイオリンが1拍を6分割する旋律以後の遅さは類例なく、8分の12以降、ブラームスがマニアックな書法で書きこんだリズムを解析するように解きほぐす。それが音楽的に必要かどうかは異論もあるが、丸めて言ってしまうと理系的、科学者的な眼を感じる。彼のリハーサルを見ていて感じたことでもある。彼はルーマニア人だが隣りのハンガリー、旧ユーゴにもこういう乾いた原理主義的な眼力と熱くて男っぽいエネルギーを併せ持った感じの人がいる。ショルティがそうだし、違う業界だがサッカー全日本代表監督をしたイビチャ・オシムがそうだ。オシムは名門サラエヴォ大学理数学部数学科で大学に残らないかと言われた秀才で、それでも中退してプロサッカー選手になってしまった熱い男だ。僕は彼の原理主義的で明晰なサッカー語録の大ファンだ。終楽章でチェリビダッケの男っぽい熱さが前面に出てきて、オケは全力で弾き、最後は加速して加熱する。この譜読みは僕は頭では反対なのだがなにせこのエネルギッシュで内から湧き上がる推進力には抗しがたいものがある。ブラヴォー!彼の指揮はなんとなくパルスというか気質が合うのだ。このCDはもう手に入らないだろうが異盤があるかもしれない。ベートーベン8番も非常に面白く、両曲をよくご存じの方には一聴をお薦めしたい。今回聴きなおして印象に残った一枚だ。(総合点 : 4)

 

ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団 (9,10,11 July 1996、ライブ)

414HG72XJ1Lヴァントはクナッパーツブッシュ、H・シュタインと同郷(ヴッパータール)の出身。彼が晩年に来日した時の称賛の受け方はベームと似ており、ドイツ好き親父のAKB後継者といった存在だった。しかし彼の指揮は音楽の構造的、建築的な特性を明らかにする傾向が強い。「正しいテンポの決定は指揮者の仕事の基本」と語った彼の信条はベームとは違う。ましてフルトヴェングラーやクナや朝比奈とは全く別物であり、ヴェーベルンを振っても互換性のあるアプローチであった。これらを「ドイツ的」と、ドイツ語に訳しようのない日本語でくくってしまうアバウトな文系的精神には僕は到底ついていけない。この2番は非常に立派な演奏であり、どこをとっても違和感なく模範的なスコアの読み方と思う。初めて聴く人にはいいかもしれない。ヴァントは直球とカーブしか投げずフォークは邪道と切り捨てたマサカリ投法の村田 兆治に通ずる。そこは好きだがこの2番は僕にとってはインテンポで入る終楽章コーダ(これは正しい)がちっとも熱くならないなどロマンの香りや情熱などブラームスの人間くささにわき目もふらないのがもどかしい。村田は晩年フォークで鳴らす大転身をしたがヴァントは死ぬまでそのままの頑固寿司の親父だった。彼はベートーベンの方が向いていると思う。(総合点 : 4)

 

ヴィトルド・ロヴィツキ /  ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

ロヴィツキポーランドの地場オケ、地場オペラは音楽的レベルが高い。2006年に上野で国立ワルシャワ室内オペラのモーツァルト(ドン・ジョバンニ、フィガロ、魔笛、レクイエム)を片っ端から聴いたが生き生きとした音楽が実に楽しかった。WPOというオケはショパンコンクールの伴奏オケみたいに思ってる人もいるが、その国でトップのオケだ。これを97年にルツェルン音楽祭でカジミエシュ・コルトの指揮で聴いたが、はっきりいってうまくはないのだが中欧の田舎くさい音色と奏者各人の自発性に感心した。この2番もそういう音だ。初めから指揮は熱を帯びており、ごつごつと武骨でワンフレーズごとにヨイショという感じのフレージングセンスはあんまり好きではないが主張は強い。弦のアンサンブルはどこか雑然としてトゥッティがなんとなく暑苦しいが自然に合って音楽になってしまうという塩梅だ。62年の録音はマイクがオンであり、1、4番にはいいが2、3番には適性がない。(総合点 :  2)

 

リッカルド・ムーティ /  フィラデルフィア管弦楽団

phcp-1686_jNj_extralarge88年録音。僕のいた82-4年にはやらなかった。ロンドンで買ったこのCDはそれが悔しいほどの名演だった。このオケの管のうまさはここでも絶品ですばらしいピッチだ。弦のアーティキュレーションも見事に統一されアンサンブルに透明感と気品があることでは最上位の演奏である。音楽の起伏と生気もまったく理想的と言え、フォルテのメリハリも至極納得である。中間楽章のロマンの息吹も入念に描かれ、テンポが落ちても人工的な感じがない。アレグロの部分の縦線の合い方はオケ演奏の規範というべきレベルなのに、それをひけらかして終楽章コーダを安っぽくアッチェレランドなどしない。難しい第1トロンボーンは余裕すら漂わせる。上質の音楽を上質の演奏家がやれば自然に感動がやってくるというもの。イタリア人がアメリカのオケを振ったブラームスなんてという偏見をお持ちの方にぜひ聴いてほしい。ファーストチョイスにも自信を持ってお薦めできる。(総合点 : 5)

 

カレル・アンチェル /  チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

640チェコフィルはワシントンDCでドヴォルザークの8番を聴いたが、ヴィオラ、チェロのセクションがまったく特別なビロードの手触りのまろやかな音がしていたのは今も記憶に生々しく残っている。8番の冒頭はそれを念頭に書いた音だろう。それはブラームスにも向いているが、67年プラハ芸術家の家での録音はやや硬いのが残念。当時のホルンの音も個性的でドイツよりもソ連に近いのはあまり好まない。マッチョで筋肉質のブラームスはセルを思わせる直截的なもので、ロマン的なふくらみは薄く僕の趣味とは相いれない。彼は1番の方が向いていたと思う。(総合点 : 3)

 

ウォルフガング・サヴァリッシュ /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

サヴァリッシュ ブラームスヨッフムと同様にEMIが大指揮者の晩年のブラームス全集を振らせたのはLPOだった。マーラーのテンシュテットもそうだった。このオケは便利屋っぽいがそういう仕事でもそれなりに本気で燃えた演奏を残している。第1楽章はティンパニを強く打ちこみ弦は歌い、ウィーン風の表現意欲が見える。第2楽章、弦の旋律を支える木管とホルンの暗めの和声のブレンド。これこそブラームスだ。ここも弦が歌う。第3楽章も英語のオケにドイツ語を喋らせる感じだがLPOがちゃんとついていく。終楽章はちょっと指揮者の意図より重量感に欠け燃焼不足ではないか。良い演奏だが、良いだけにこれがベートーベン全集と同じくACOとであったらと思ってしまう。(総合点 : 4)

 

ウォルフガング・サヴァリッシュ / ウィーン交響楽団

1959年録音。古き良きウィーンの音に何も足さず何も引かずだが、かような飾り気のないサバリッシュの音楽に当時の日本の評論家は冷淡だった。今回25枚組のDeccaの名盤集を買ってこれを聴いたが、第2楽章コーダの暗雲のようなティンパニには主張があり、感興こめて歌う木管は耳を捉えるではないか。終楽章のテンポも王道のゆるぎなさであり見事。僕が違和感を覚えるものは一切なかった。良いブラームスというしかないが、こういうものを個性がないと評するなら個性を売らんかなのビジネスに毒されているだろう。2番が好きな人でこれがつまらないというのは鑑賞環境が良くないのかどうか、ともあれ僕は想定できない。(総合点 : 4.5)

 

エマニュエル・クリヴィヌ /  バンベルグ交響楽団

1526825フランス人がドイツのオケを指揮した異色の全集。93年のデンオンの制作。このオケはフランクフルト時代にH・シュタインで聴いたが弦が東欧風の古風な音色を持っており、彼が録音したシューベルトの交響曲の初期(1,2番)に最良の音が刻まれている。この2番は曲のロマンティックな側面を掘り起こした非常にユニークな演奏で、第1楽章からオケの音が柔らかく湿度を含み音楽の作り方も常に鋭角、唐突を避け丸みを帯びる。第2楽章のチェロの旋律が異例なほど情緒をこめて朗々と歌われ、粘り気のあるホルンと弦がこってりと絡まって後期ロマン派風のエロティックですらある世界を作る様は他では体験できないオンリーワン。第3楽章は一転軽やかで木管が実に美しい。やや速めの終楽章は冒頭トゥッティでヴァイオリンが脱兎のごとく出てしまいアンサンブルに乱れが生じてハッとするがやがてこのオケの本来のコクのある合奏力が発揮され音楽は見事に走る。第2主題を経てテンポは微妙に動き、けっしてあっけらかんとゴールに向けて駆け込む単調な棒ではなく再現部前はロマンの森に再び彷徨いこむ。再現部第2主題の歌い方、続くアレグロの目の立った合奏と金管の立体感あるからみなどオトナの耳をそばだてさせる味付けであり、最後のトロンボーン一音一音まで指揮者の神経が回っているのがわかる。これは通しかわからない京料理の隠れ家の名店みたいなもので、クリヴィヌがドイツでも特にしっとりと古雅な音色を残しているバンベルグ響を得てこれをやったのは非常に意味があると思う。(総合点 : 4.5)

 

(補遺、2月29日)

ロジャー・ノリントン /  ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ

img_0古楽器演奏のブラームスである。第1・4楽章ホルン主題と第2主題の「歌わなさ」、管楽器のテヌートのなさ、第2楽章主題を奏するチェロの室内楽のような佇まい、対位法の見通しの良さ(管に比して弦が少ない、これはブラームス時代のオケの標準)、第3楽章の速度と管のフレージング(非ロマン的、古典的)、速めの終楽章は①での加速に加えて②の後半でさらに加速(私見では誤り)が特徴。1877年のハンス・リヒターの演奏時間(最初の繰り返しを含めて43分)に近い(42分)この演奏は示唆に富む試みと評価するが、演奏としての感銘度は特に高くはない。(総合点: 3)

 

フェリックス・ワインガルトナー / ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

ウィーンフィルの指揮者でありヨーゼフ・クリップスの師匠だったワインガルトナーはブラームス交響曲全集を録音した史上二人目の人だ(初はストコフスキー)。最晩年の1940年に録音した2番はスコアに指示のない恣意は一切排除した速めのテンポで、フルトヴェングラーとは実に対極的だ。終楽章などこの快速であればコーダでアッチェレランドなどかけようもない。現代の耳にはもう少し感情の起伏が欲しいが、作曲家でもあった彼の読みは今の演奏ルーティーンであるところも多々あり流石と思う。(総合点: 3)

 

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)

 

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(4)

2015 APR 2 22:22:57 pm by 東 賢太郎

クリストフ・フォン・ドホナーニ / クリーヴランド管弦楽団

51raZ580e4L__SX425_ドホナーニの祖父でハンガリーの作曲家エルンスト・フォン・ドホナーニはバルトークの同窓生で、自作をブラームスに称賛された人だ。また兄のクラウスはSPD(ドイツ社会民主党)の政治家で、ブラームスの生地ハンブルグの市長だ。彼のブラームスが筋金入り正統派であることに何の不思議もない。ロンドンでこのコンビのマーラー5番を聴いたが、音のクリスタルな透明度では同じ頃に同じロイヤル・フェスティバルホールで聴いたショルティとシカゴ響を上回る気がした。この2番のピュアトーンも格別だ。遅い部分もまったくもたれずすがすがしいほど。速い部分のきびきびした弦のアーティキュレーションと管のタンギングの縦線の合い方も名人級だ。速めでエネルギッシュな終楽章が一切安っぽくならず上質感を保ったまま最高の興奮を与えてくれる。こういうのを高級品という。(総合点 : 5)

 

ジャン・バプティスト・マリ / コンセール・ラムルー管弦楽団

mariフランス人にブラームスがどう聞こえているか?このCDはその回答として最高に面白い珍品だ。60年にパリのサレ・プレイエルにて録音。冒頭のホルンが薄く軽めのフランス管で期待が高まるが、コーダのソロはここまでいくと何が始まったのかと唖然とするしかない音で鳴る。トロンボーンは実に音程がいい加減で日本の学生オケでも低レベルな部類。金管アンサンブルは各楽器ばらばらに聞こえ、ティンパニのリズムは垢抜けない。弦は多少ましだが終楽章でトランペットが入れる合いの手が浮き出て祭りのお囃子(はやし)みたいになって吹きだしてしまう。第2主題も何ともいえず奇妙だ。大真面目にやってるだけに実に興味深い。並録のアルト・ラプソディのエレーヌ・ブーヴィエ(メッツォ)もどうも違う。大学祝典序曲の金管のコラール風の部分はエキゾティズムに溢れる。しかし、どうしてどうしてこのオケはドビッシーの「夜想曲」「海」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」「ピアノ協奏曲ト長調」を初演した由緒ある団体なのだ。まあフランス人にシュバイン・ハクセ(ドイツ料理、豚のすね肉ロースト)食べろといってもきっと無理なんだろう。曲をよく知っている利点は、それをプリズムとしていろんなものの微妙な差異を投影して分析できることだ。それにしても文化の違いというのはどうしようもない。これを聴くと独仏が混じりあうなんて千年たってもないだろうし、やっぱりユーロは破たんするしかないんだろうと思ってしまう。(総合点 :  0.5)

 

カール・ベーム /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

IMG_9557a1975年、ベーム80歳のスタジオ録音で、この全集が出てLPで聴いた時の興奮はよく覚えている。ちょうどVPOと来日して話題でもあった。1番は名盤の誉れ高いBPO盤があるが、こちらは「VPOでやるブラームス」という意識を感じた。BPOのハガネのように硬質で緊張感が支配する世界ではなく、アルペンホルンが響くザルツ・カンマーグートの自然ののどかさを包含したアプローチだ。そしてこの2番は後者の路線でVPOの美質を最も活かした演奏と思う。第2楽章のゆったりした深い情感、第3楽章の絶妙なリタルダンド、ハンス・フォン・ビューローが「ブラームスの田園交響曲」と呼んだ意味が分かる気がするがこのテンポと歌はVPOでなくてはもたないだろう。終楽章もあわてず急がず4分音符4つ振りのテンポで、僕はこれがしっくりとくる。この速度のままコーダで音楽を加熱させられるかどうか?それが指揮者の腕であり、オケを野放図に走らせてもそうなるわけではない。再現部の前でテンポはかなり落ち、そこからコーダまでの高め方は実にうまい。奏者が真っ赤になって熱くなっている感じはないが、音楽の方はちゃんと高まっていく。VPOの音を活かす、それは奏者がウィーン流の自然の摂理で出す音を引き出すことであって奏者たちも求める音楽になる。ベームでなければ退屈で凡庸と言われかねないアプローチがかえってオケをのせている。このオケをドライブするには腕力でねじ伏せるかこれしかないと思うが、晩年のベームにして為せる熟練の業であったと思う。2番鑑賞のマストアイテムだ。(総合点 : 5)

 

 

レナード・バーンスタイン /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

41KH1BPB9WL97年のニューイヤー・コンサートの後にウィーンフィルのヴィオラ・セクションの人たちと同じテーブルで食事したが、バーンスタインを異口同音にほめていた。それはマーラーだけの話であったが、この2番はブラームスでもそうだったんじゃないかと思わせる好演だ。ベーム盤ではやや弾かされているような部分にも自発性を感じる。バーンスタインのリハーサルに立ち会ってみて、オケを乗せるのがうまいのに感心したがそれは学生オケでもVPOでも等しく効果を発揮したと思われ、ベームやカラヤンとは違う要求にオケが嬉々として付いていったのかなと思う場面もある。ややアンサンブルに精度を欠く部分があり、終楽章コーダへの持ち込みはベームの方が一枚上だ。(総合点 : 4 )

 

朝比奈隆 / 大阪フィルハーモニー交響楽団

zaP2_J2025041Wオーケストラ、それは我なり」(中丸 美繪著)によると朝比奈はフルトヴェングラーに会って「スコアは原典版を使いなさい」と薫陶をうけたと語ったそうだが、それはAKBに握手してもらったファンみたいなものだったろうと推察する。京大卒で阪急電鉄のサラリーマンだった彼はドイツの巨匠に憧れる偉大なるアマチュアだった。誤解を恐れずいえば朝比奈の指揮は芝居であり、音大で教育されたら恥ずかしくてできないような「ドイツ巨匠風」の演技ができた。ちなみにドイツ人でもそんな人はおらず、朝比奈の演奏がドイツで懐かしがられたという話も僕はドイツに3年住んで聞いたことがない。ところが今はティーレマンという若手が出てきてドイツで高く評価されているではないか。彼がウィーンフィルでベートーベンを振ったライブを聴いたがあれは復古調路線であって、それなら朝比奈の方が先輩だったといってもいい。「ブラームスはセンチメンタルで多情多感」、「大衆小説、メロドラマ的な要素がある」と語った朝比奈に僕は賛成だ。彼もそういう資質の人だったかもしれず、ブラームスに向いていたと思う。同じメロドラマでもこれは老いらくの恋であり、渡辺淳一の世界だ。ブラームスという人にはそういう面があり、交響曲の2番、3番はそれが色濃く出た曲だ。僕は朝比奈のおっかけではないからこのポニーキャニオン盤しか知らないが第1楽章は名演で、彼の憧れの人フルトヴェングラーよりいい。クラリネットが上質でない、弦のアンサンブルはアバウトなど欠点も多いが、そういうこととは違う次元に価値観をおいた演奏様式だからそれも美質とすら思わされてしまう。作曲家と気質の合ったアマチュアが演奏したものは気質の合わないプロの演奏よりしっくりくるということはあるのだということを教えてくれる。彼の「ドイツ巨匠風」はここまでやれば立派な芸であり、ブラームスが欧州でロマンティックに解釈されていた時代の空気を伝え、そういう演奏を聴いて育った僕より上の日本のクラシックファンの琴線に触れる。僕は彼の「オヤジを泣かせるブラームス」を高く評価している。(総合点 : 4.5)

 

ルドルフ・ケンペ /  ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

kempe2ケンペは好きな指揮者でありこれが大学時代76年3月に出てきたときは大いに期待して1番(LP)を買ったが、がっかりだったという印象が残ってしまっている。演奏はMPOのアンサンブルが特に上質ではないが、それよりなにより録音のせいだ。弦が薄いのは致命的であり、トゥッティは各セクションのブレンドが不満、ホールトーンもいまひとつ。ブラームス録音において必要なものをこれほど外してしまうセンスのなさは残念。1番で戦意喪失してしまったので2-4番を買ったのは89年、ロンドンからの一時帰国時になった。ところがこのCD(テイチク)がまただめなのだ。この全集とは不幸な出会いになってしまったが、ケンペが2番を録音したのは1975年12月12、13,15日で1976年5月12日に彼は亡くなったからラストメッセージなのだ。3番など大変な名演と思われ(不味い録音から推察するしかないのだ)、損失である。点数は録音を考慮。(総合点 : 3)

 

ョージ・セル /  クリーヴランド管弦楽団

szell brahms右は1985年に買った全集CD。ロンドンでCDが出始めのころでデンオンのプレーヤーを購入して新しいフォーマットの音にワクワクしていたころを思い出す。前年までいた米国ではアパート住まいで大きな音が出せずに欲求不満が貯まっていたものだからロンドンのタウンハウスでこれらを聴くのは楽しかった。セルの指揮はオケを自由に走らせたという感じの部分が皆無でピアノ演奏を想起させる。ピアノはそうでなければ弾けないようにすべてはアンダー・コントロールでありそこが好悪の分かれ目だろう。朝比奈と完全に対極にあるプロ中のプロの芸であり、アンサンブルの精妙さは格別である。しかしホルンの鳴らし方が時としてあざとく人工的に感じられることがあり、そのために僕は彼のドヴォルザークは好きでない。この2番にもややそれを感じ、第3楽章などのテンポの緩急にあまり同意できない。(総合点 : 2)

 

(補遺、2月28日)

小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ

329このコンビのLDで聴いた4番にはたいそう感動した。小澤さんは僕がアメリカにいた82~84年頃よくBSOでブラームスの交響曲をやっていて、FM放送をカセットに録音してある。ただそれらは彼の良さが充分出ているとは思わなかった。この2番はSKOの透明感のある管と棒に反応の良い弦セクションがプラスになり、オランダのホールトーンがブレンドした名演となっている。第1楽章は文句なし。緩徐楽章も高雅な室内楽のようだ。終楽章のティンパニも効いている。問題のコーダだが小澤さんは「①のみ派」だ。②③④のアッチェレランドは微塵もない(参照:  ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8))。指揮者の譜読みの見識と品格であり、安っぽい興奮を煽る輩とは一線を画している。伊達に米国でトップに登りつめたわけではないのはしかるべき理由があったのだろうと思う。(総合点:4.5)

 

(補遺、3月27日)

ルドルフ・ケンぺ / バンベルグ交響楽団

91a015e4d36f7ddda9c99ce7aff212ec鄙びたホルン、くすんだ弦。バンベルグSOの素朴で古色蒼然の味が効いていて第1楽章は格別の暖かみがある。木管の音色もピッチも素晴らしいのである。僕はこれのLPを77年6月、大学3年の時に買い魅せられてしまい、のちに右のCDも買った。こういうオーケストラの音色を愛でる文化は世界的にほぼ消滅したように思う。いわば猫も杓子も食事はマクドナルドでOKの時代だ。ストラヴィンスキーを古楽器でやりました?コカコーラが「クラシック」と銘打ったのとおんなじだ。あほらしい。人類の耳がどんどん子供になってる。終楽章、アレグロに入るや指揮がほんの少しテンポを上げるとアンサンブルががさつになるなど高性能オケではないのが如実だ。しかしブラームスにそんなものが必要だろうか?この手作りの惣菜のような味は捨てがたい。コーダの加速の扱いもきわめて穏当で大人の演奏である。トロンボーンも危なげない。録音もまずまずで、ケンぺを聴くならこっちだろう。(総合点:4)

 

 

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(5)

 

 

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ブラームス交響曲第2番に挑戦

2015 MAR 30 11:11:56 am by 東 賢太郎

現在ブログのためにブラームス交響曲第2番の聴き比べをしていますが、記憶に頼って書いているわけではなく、書こうと思ったものは全曲いちいち聴きかえしています。いまやっと31種類の演奏についてコメントを書き終えたところなので、全曲を31回聴いたということです。

どんな音楽でも短期間に立て続けに31回聴けば飽きると思うのですが、やってみて驚くのはそういうことが全然ありません。それは僕が2番が大好きだということがあるのでしょうが、やっぱり曲が良くできているということに尽きるのではないでしょうか。

所有している2番は86 種類あり、LP、カセット、CD、SACDと異なるフォーマットで重複して持っている19枚を入れると105枚あります。実演はこれまで7回聴いており、重要な指揮者の解釈はほとんど耳にしたように思います。

この週末はピアノリダクションの楽譜で第1、2楽章を初めて通して弾いてみました。左手は和音だけにしたり難しい所は右手だけにする等いい加減ではありますが、耳だけではわかっていなかったことを発見でき勉強になりました。この曲は構造的にも和声的にも対位法的にも、本当に名曲なんですね。

趣向を変えてラヴェルのト長調ピアノ協奏曲の第2楽章も。一人ピアノだと中間の所は音が抜けますが最初と最後は一人でも充分で、これを弾くのは無上の喜びです。中間の複調的な所はバイオリン・ソナタにそっくりだなと、これも弾いてみて初めて気がついたことです。

あとひとつ、ベートーベンの悲愴ソナタの第2楽章。弾いているとベートーベンのバスや目立たない中声部の音の選び方のセンスの良さに気づきます。巨匠とか楽聖とかではなく、耳がいい、センスがいい人というイメージができます。

ブラームスの譜面は難しくていままで敬遠気味でしたが、2番を機にすこしチャレンジしてみようかなと思います。

 

指揮者は演奏する曲のスコアをまずピアノで弾かなくてはいけません。次に、それを科学的な眼で研究するのです。それを人生の中で時間をかけてすることで、解釈はおのずと、地面から泉がわくようにしみ出てくるのです。

リッカルド・ムーティ

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

 

 

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