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ベートーベン ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

2013 NOV 18 17:17:37 pm by 東 賢太郎

4番は1806年夏ごろに完成されました。5番の「皇帝」ではなくこちらをピアノ協奏曲の最高傑作とする人も多い名曲です。

同年9月の手紙でラズモフスキー四重奏曲、交響曲第4番、歌劇フィデリオ、オラトリオ「かんらん山上のキリスト」とまとめて出版交渉された記録があります。1807年の私的な初演を経て、1808年に例の交響曲5,6番を初演したアン・デア・ウィーン劇場で公開の場で演奏されました。その際弟子のツェルニーはピアニストをつとめたベートーベンが「とてもmutwilligに弾いた」と証言しています。

いたずらっぽく、悪乗りしてとでもいう意味のようです。楽譜にない音をたくさん散りばめて弾いたという意味に解釈されているようですが、「最高傑作派」の観点からはあの深遠な第2楽章をいたずらっぽく弾くなど想像がつかない気がします。深遠と書きましたが、この楽章は非常に謎めいていてわからない。短いですが大変なインパクトのある楽章です。存在自体天才のいたずらかもしれない?彼は3番では非常に美しい第2楽章ラルゴを書きました。次がこれです。

まず何かを諭すような f の弦のユニゾンに始まります。第9交響曲の終楽章の低弦のようにメッセージがあるかのように思われます。ピアノが答えます。弦とピアノの応答が続くとやがて弦は pp まで音量を落とし、ピアノがPC4mov2ひとしきり解き放たれて歌います。そして右手のトリルに左手の半音階下降という、説諭に対して何かを説きかえすような不思議な音楽となります(楽譜・右)。和声感は消え去り、何か世俗の楽しみを奪われ神の審判でも受けるかのような瞑想的、神秘的な雰囲気が漂います。そして最後のカデンツァはAm→B→Emの深い宗教的な感情の中に消えていきます。こんな音楽がそれまで地球上に響いたことはなかったでしょう。

終楽章はロンド(vivace)です。前楽章の霧の中から生命の喜びを感じる楽章への鮮やかな場面転換というコンセプトは第5交響曲に同様に直截的に出現し、田園ではストーリーを伴って婉曲に表れます。濃霧が晴れる感じはワルトシュタイン・ソナタも同じです。霧は深く嵐は苛烈なほど転換は印象的なのです。おそらくハイドンに起源を見出したこの手法はこの4番の緩徐楽章の深さで一つの到達点に達したかもしれません。

前後しますが第1楽章のピアノのモノローグによる開始、これも抜群にユニークです。この主題は交響曲第5番と同じ頃のスケッチ帳に書かれています。

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第1~2小節に運命動機が3つ繰り返されていることにお気づきでしょうか。第4協奏曲の第1楽章はこの運命動機で組み立てられたアナザー・バージョンと言ってもよさそうですが、ヴァイオリン協奏曲、熱情ソナタもそうですからこの主題が当時の彼の頭の中に通奏低音のように流れていたことがうかがえます。この楽章は優美な第1,2主題ともうひとつ短調の副主題をもった大規模なソナタであり、後者の展開の緊張感あるドラマと前者の対比が通常のソナタ形式を一歩前進させ、より多層的な構造となっている。ベートーベンの天才が開花したことを知る中期の傑作であります。

メンデルスゾーンが演奏会で弾いた記録のあるピアノ協奏曲にモーツァルトの20,24番があり、ベートーベンではこの4番を何度か弾いています。その3曲を特に好んでいたのがブラームスであることは非常に興味深いです。ブラームスは4番のカデンツァを残しており、自身のピアノ協奏曲第1番にこの4番の明確なエコーを聴くことができます。また、ハンス・フォン・ビューロー、クララ・シューマン、サン・サーンスもカデンツァを残しています。ブラームスとクララの名がここで重なる。そういう思いをもってこの名曲に耳を傾けるのも一興でしょう。

 

ヤン・パネンカ / ヴァ-ツラフ・スメタ-チェフ / プラハ交響楽団

770(1)パネンカは伴奏ピアニストと思われているがとんでもない。これだけ詩的で品格がありしかも自発性に富んだ4番はありません。例えは妙ですが、神社の清冽なご神水でお清めを受け身が引き締まったかのような気持ちにさせてくれる稀有の演奏であります。第1楽章、オケのあとにピアノが入るや漂う、あたりを支配する凛とした雰囲気を聴いていただきたい。第2主題のあと現れる副主題の展開部はなかなか満足な演奏がないですがパネンカの演奏は深く彫琢された大理石のように見事。スメターチェクの指揮も同様で、古典的な格調、やや速めのテンポによる陰影の意味深さ、生命力とも満点です。

 

クラウディオ・アラウ / オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

294(1)1957年のロンドンはロイヤル・フェスティバル・ホールでのライブです。アラウのベートーベンのタッチは余人にかえがたい滋味があり、僕は彼のソナタ集を敬聴しています。深い瞑想のような第2楽章を経てこれぞベートーベンという力のこもった協奏にいたる終楽章は立派の一言。クレンペラーのライブの凄さを実感できます。このチクルスでエロイカの終演後にカラヤンが楽屋に来て賛辞を述べたこと、9番を聴いたジョージ・セルが「残念ながら良すぎた」と言ったことは語り草ですが、オケの質量感にその片鱗を感じます。

 

ワルター・ギーゼキング/ アルチェオ・ガリエラ / フィルハーモニア管弦楽団

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ギーゼキングの音は決して濁りません。アラウとは全く違うがタッチは同じぐらい余人にかえがたい個性があります。宝石のように磨かれた粒立ちで弾かれた透明感のある4番はユニークな魅力があります。第2楽章の深い沈静からからりと乾いた空気感のある終楽章へのコントラストも見事で、ミラノ生まれのイタリア人ガリエラの指揮も音の鳴らし方がどこかラテン的で重くなりません。一聴に値する名演と思います。

 

(補遺)

マレイ・ペライア / セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

299272_1_f驚くべき名演である。ライブだが録音が素晴らしく、舞台に近い席でピアノを眼前にオケが広がる音場だ。ペライアの美音がボディをもって余すところなく堪能でき、重みとコクのあるオケが包みこみ、適度なホールトーンが心地良い。チェリビダッケのテンポでやや遅めだが、音楽は一切停滞したりもたれることなく4番の奥義を紡ぎ出し、ベートーベンを聴く最高の充実感を約束してくれる。ペライアがそれに完璧に感応して第2楽章など霊感に満ちた世界を生むのはスピリチャルなものさえある。こういう演奏ができたからチェリビダッケは一流たりえたという格好の証明でもある。

 

クララ・ハスキル / アンドレ・クリュイタンス / フランス国立管弦楽団
5f5cd262-ad3e-4cb1-99bd-f475af2232a91955年12月8日、ハスキル60才のライブ。モーツァルトの名手がモーツァルトにふさわしいタッチで弾いたと言って概ね間違いでない。録音は一般的な意味では良くないが、ピアノが非常にオンに録られておりハスキルの表現の綾の細部まで聞きとれるのが貴重。第2楽章の深い灰色の沈静は印象的。終楽章で指がもつれるがクリュイタンスが堂々たる伴奏でカバーするのもライブ感にあふれる。初心者にはおすすめしないが、4番を聴き込んだ人には一聴の価値あり。

 

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ベートーベン ピアノ協奏曲第5番作品73「皇帝」

 

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

2013 NOV 3 17:17:49 pm by 東 賢太郎

ベートーベンにとってハ短調は特別な調とされます。第5交響曲は言うにおよばず、悲愴ソナタ、32の変奏曲、ヴァイオリンソナタ第7番、コリオラン序曲そして最後のピアノソナタ作品111もハ短調ですね。

しかしハ短調はベートーベンより以前の18世紀後半以降の作曲家においてもすでに独特の意味があり、「ドラマとパトス(情念)」の両立という意味があった(チャールズ・ローゼン)という説もあります。ユニゾンのオクターヴでc-e♭と主題が開始され、直後のフレーズが弱音で対比するというパターンはハイドン、モーツァルトを経てベートーベンに遺伝しています。

ハイドンの交響曲第78番ハ短調の冒頭はこうです(作曲は1782年ごろ)。

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モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調冒頭と比べて下さい(作曲1786年)。

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ベートーベンはモーツァルトの24番に感嘆し、自分の曲の中で「二、三の貢物を捧げている」(アルフレート・アインシュタイン)。ベートーベン3番の冒頭はこうなります。

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この3番のピアノ協奏曲の着想は1796年のスケッチ帳に現れ、「カデンツァにティンパニを」という書き込みがあるため当初は軍楽的性格も念頭においていたことが分かる(西田紘子氏、Philharmony10月号)そうです。1803年に作曲者のピアノ独奏でアン・デア・ウィーン劇場で初演されましたが、その翌年から書かれる第5交響曲の終楽章の勇壮な第1テーマはc-e-g-f-e-d-c-d-c (ド-ミ-ソ-ファ-ミ-レ-ド-レ-ド)す。このe(ミ)を半音下げると上の譜面になります。軍楽的という側面から見ると両者は似た性格と出自を持った主題かもしれません。

作曲当時はまだ短調作品は最終楽章に至って長調になって終わる、つまり聴衆への耳触りの良いサービスをもって書かれるというのがスタンダードでした。上記のハイドン78番もそうですし、モーツァルトのP協20番もそこだけは妥協しています。ベートーベン3番は終楽章を短調で始めますが最後は妥協です。だから短調のまま一切のリップサービスなく終わるモーツァルトの24番は異彩を放つのですが、この神がかり的な名曲については別稿でじっくり述べたいと思います。

上記の楽譜の相似を見ても、アインシュタインの主張のように3番はその24番に触発された作品と考えられます。ベートーベンは「神がかり」になることはできない人でしたが、この作品でモーツァルトとは違う独自の語法でピアノ協奏曲の世界を築いたと言えるでしょう。例えば第2楽章はハ短調音階とは一つも音の重複のないホ長調という遠い調で書き、まったく別の幻想的な音響世界を目ざすなどベートーベン・ワールドの萌芽があるのです。

僕は1,2番といえどもモーツァルトの延長のような演奏は好みません。前回までに楽譜にて指摘したように先人の影響、残滓は各所に見られるのですが、それは作曲者がまさに「否定」「克服」しにかかっていたものであり、「引用」「回顧」ではないということがとても重要と思います。それを頭からのんきに肯定してかかる演奏が非常に多いのですが、それを聴く暇があるなら僕はモーツァルトの協奏曲を聴きます。

この3番は第1楽章のオケパートが1番と同じ編成にもかかわらず、その重みでベートーベン・ワールドに踏み込んだという点で1、2番と一線を画しており、交響曲のエロイカに相当するものです。だからそれを感じさせる魂をえぐるような重い表現を僕は求めます。モーツァルトではないものが指揮者に求められています。

ピアノのタッチも同様です。作曲当時の楽器はまだモーツァルトのものと同じで音域がせまく、膝でペダルを押し上げる仕組みの「フォルテピアノ」でした。ところが楽譜を出版する1804年になってさらに広い音域を誇るエラール社のピアノを入手すると、さらに高音域を書き加えた新バージョンを並行して印刷したのです。彼の向上心、挑戦意欲が分かります。おざなりにきれいで上手いピアノの出番などないのです。彼のパッションを満たし、彼が聴けばきっと満足するだろうというピアノを僕は求めます。

難聴の苦難を乗り越えるにあたって彼が友人たちに宛てた手紙に何度も現れる言葉が「neuer Weg(新しい道)」です。彼はそこに新しい道があればそこに進まないことはないという人でした。僕がベートーベンを好み、尊敬し、心の糧にしているのはそれに強く共感するからです。因習的なものに満足せず常に前へ進む衝動!彼はそれによって絶望を克服しました。まさに、この3番を書いていた頃のことです。この名曲を聴くにあたって、そのようなことを心にとめておかれてはいかがでしょうか。

 

スビャトスラフ・リヒテル / クルト・ザンデルリンク / ウィーン交響楽団

41WQPHJ0H7L._SL500_AA300_                                                        このザンデルリンクのずっしりした重みと意味深い表現は僕の知る中ではこの曲で最右翼のオーケストラ演奏でしょう。第1楽章はこういう表現でなくてはベートーベンにならないという強固な主張があります。そのオケにがっしりと支えられた全盛期のリヒテルのピアノの輝きは見事であり、エラールの先に作曲者が求めていたものを見る気がします。僕は今は亡きザンデルリンクを1度、リヒテルを3度ライブで聴きましたが、個性が異なる両者の組み合わせは夢のようです。

 

同系統の演奏ではなく、毛色の違うものをご紹介しましょう。

 

アルトゥーロ・ルービンシュタイン / ヨゼフ・クリップス/ シンフォニー・オブ・ジ・エア

71Z7XA9NoaL._SL500_AA300_この録音のLPをロンドンで買った時には狂喜しました。オケの何という自発性のあるレスポンス! リヒテル盤とは対極的な軽妙さながら音楽性満点であり、ツボを知り尽くしたクリップスの指揮はトスカニーニが振っているのではと思うほどのメリハリを見せます。ルービンシュタインのピアノは深みには欠けますが変幻自在のラプソディックな味わいはベートーベンでは聴いたことのない新鮮さであり、それが全盛期の冴えまくった技巧で堪能できます。終楽章は速めのテンポでライブのような愉悦感をふりまき、とにかく明るい3番なのです。これにブーを飛ばす人はいるだろうけど、音楽を楽しめるということでは抜群の演奏であり、僕の愛聴盤となっています。

 

エミール・ギレリス / クルト・マズア / ソビエト国立交響楽団

これは全集で僕の大学時代に(おそらく76年12月)にライブ録音されたもの。なにか異常な熱気に満たされたオケの前奏が残響の多いホールに響きわたり、ギレリスのピアノがこれまた鋼鉄のタッチといわれた硬質の響きを聴かせます。僕は最晩年の彼をロンドンで聴きましたし、ベートーベンのピアノソナタ録音を愛聴しますが、この協奏曲の全集も特別の位置を占めるものです。最も男性的なアプローチとして広く聴かれる価値があると信じます。

 

ダニエル・バレンボイム / ラースロー・ショモジ/ ウィーン国立歌劇場管弦楽団

978名前を伏せて聞かされたら、まず誰も21才の若手の演奏とは思わないだろう。バレンボイムはすでに一級のアーティストであった。素晴らしい指回りと軽めで粒立ちの良いタッチが抜群に心地よいばかりか緩徐楽章の深みもある。バック(ウィーンPOと実体は同じオケ)がまた良く、指揮に特色はないが全く過不足ない魅力的なサポートだ。後のクレンペラー盤の重みはなく、あっさり系の3番だがこのうまいピアノに何の文句があろう。しかも古い割に録音が良く、僕が愛好しているCDだ。

 

アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ  /  カルロ・マリア・ジュリーニ  /  ウィーン交響楽団

71ArBE8JV3L__SX425_1番と同じくジュリーニのウィーン響が腰の重みあるドイツ流の音で支えながら、ミケランジェリの硬質で透明なソロがラテン的な味を添えており、一風バランスの違った高貴な3番になっている。第1楽章のテンポはじっくり構えて遅めに設定され、緩徐楽章も遅くてソロはラプソディックなモノローグという風情すらある。終楽章は普通の速さになるが、力むことなく歌うように流れ、ピアノの澄んだタッチが生き、深刻さや悲痛さより詩的な印象が残る。このなにか気高いものに触れたという感じはとても好きだ。

 

(補遺3Oct 17)

ルドルフ・ゼルキン / レナード・バーンスタイン / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

僕は保有LP、CD等のリストを詳細に手書きで作っていて、この演奏のカセットを米国で持っていた記憶があるのだが記載がない。当時は記憶力には自信があったがどうしてないか不明だ。米国からロンドンの転勤のどさくさで紛失したのか?ともあれこれは筋肉質で聴きごたえある演奏だ。明快な録音でゼルキンの絶頂期が聞けるし第2楽章の薄暮の世界は一聴の価値がある。バーンスタインの伴奏もテンポが良くてだれない。もはや歴史的名盤の仲間入りだが、このご両人をライブで聴いている僕も62歳なんだ。

 

 

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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ベートーベン ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

 

ノリントンとN響のベートーベンを聴く

2013 OCT 27 2:02:32 am by 東 賢太郎

レオノーレ3番、ピアノ協奏曲第3番、交響曲第5番というオール・ベートーベン・プログラム、ピアノはラルス・フォークトであった。3曲とも主音がハで、ハ長調で始めてハ長調で終わる。

ノリントン東日本大震災の1か月後、原発事故に恐れをなして外人はおろか一部日本人も関東から逃げ出していた4月16日のことだ。ノリントンさんは予定通りに来日して、NHKホールでN響のAプロ、ベートーベンの交響曲第1番とエルガーの同1番を指揮した。思えばそれがこのベートーベンシリーズの幕開けだった。外国のオペラハウスやタレントが次々と苦しい言い訳をして東京公演をキャンセルしていた中でのことだった。あの日の指揮台からの震災犠牲者への追悼の言葉と、そうして演奏された誇りに満ちたすばらしいエルガーを僕は一生忘れないだろう。

若いころ6年イギリスで生活した僕はいろんな英国人とつきあい、たくさんのことを彼らに習った。知識はアメリカで教わったかもしれないが、紳士たること、そして大人の男のダンディズムとユーモアみたいなものを教わったのは断然イギリスなのだ。ノリントンさんにはそれを強く感じる。大人なのにある稚気、子どもみたいな好奇心やいたずら心にも魅かれるものを感じる。ああいうお客さんがいたなあ、一緒にゴルフしたなあ、東京や京都なんかを企業調査トリップしたなあ・・・もう無性に懐かしい。

例えば、レオノーレは舞台裏でトランペットが鳴るが、普通は奏者は演奏後も舞台に登場しない。しかし彼はカーテンコールでその奏者をソデからひっぱって連れ出してきて万雷の拍手をうけさせた。これがイギリス人だ。上手く吹いた彼の名誉のためでもあるが、舞台裏の仕掛けまで明かして楽しませる、これは彼一流のユーモアでもある。マジシャンが前座ネタで見せた手品のタネをわざと明かして笑いを取ったような。会場の気持ち一つにしようという試みのようであり彼は一見、和気あいあい型の指揮者であるかのように見える。

レオノーレから弦はいい音で鳴っていた。前回とほぼ同じ席だったが音がまるでちがう。まずは古楽器流ノンヴィヴラートである。その効果は音の純度を高めるだけでない。和音が美しい。音取りは一発勝負でごまかしがきかないから奏者の集中力も高めただろう。これに耳が慣れるとヴィヴラートが汚らしく感じてくるな、と今後の身の危険すら覚える音だ。ノリントンはコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターであるヴェスコ・エシュケナージを連れてきて弦をリードさせた。リーダーを入れ替えないとできない。そこまで徹底してやるぞという意志を見る。和気あいあい型?とんでもない。彼は一流の支配者である。これがイギリス人だ。

P協3番には驚いた。蓋をはずしたピアノが完全に向こうむきでピアニストは客席に背中を向けて座る。オケはピアノを中心に半円形に並んでいてオーム(Ω)のような形に座っている。Ωの開口部からピアノが見えていて、開口部両わきの第1、2ヴァイオリンも円形に添って半分は客席に背を向けている。指揮者はピアノの奥、やや左から客席を向いてピアニストと向き合って棒を振るというあんばいだ。大きな室内楽空間という感じになり、貴族の大きな館でやっている演奏会をバルコニーからでも見ている感じだが、面白かった。その空間あってのインティメートな音楽は3番として異例であり、月明かりのように幻想的なppの支配したホ長調の第2楽章は、聴衆に向けているというよりもスコアにある内省的な感情を掘り下げるようで大変ユニークであった。

ラルス・フォークトはたしかP協1番をドイツかどこかで聴いた。今回はその時のイメージとはちがっていた。徹底したレガート主体、弱音重視であり、弦の柔らかいノンヴィヴラートに融和する音色を出していたのが印象的だ。シューベルトよりのベートーベンといったところだ。第3楽章展開部で各声部がフガート風に入っていくところの弦のテクスチャーなど聴いたことがない精妙なものだった。思わず耳をそばだてたが、ピアノもそのデリケートな透明感と一体になっていて、指揮者とのアイコンタクトによって、触れれば電気が走るような絶妙の間合いとインスピレーションにあふれる音楽を生んだ。コーダのユニゾン下降ですらffで弾かないのは驚いたが、それがノリントンのコンセプトなのだ。アンコールのショパン夜想曲20番嬰ハ短調もデリカシ―の極致であり、美しかった。

第5交響曲。冒頭は物々しさとは無縁だ。あくまで主題の提示であり、あくまで「管弦楽のためのソナタ」として快速で進み、あちこちで鳴る運命主題はスタッカート気味に自己主張する。実に刺激的で面白い。テンポはほとんどルバートせず、大家然とした手垢のついた解釈をあざ笑うかのように快速テンポで疾走。楽譜にないユニークな強弱設定があると思えば、第2主題を導くホルンは2度目はファゴットと楽譜通り。これがどういうわけか余りに自然であり、むしろファゴットでなくてはならないと納得した次第。こんなことは人生初体験だ。「楽譜にない」とつい書いたが、作曲家の本音はそうだったとして不思議でないとまで思った。大家然の手垢のほうがおかしいのではないか?僕らは妙な5番を刷りこまれてきたのでは?

第1楽章の最後の和音が重々しく鳴り終わるやいなや、彼は客席を振り返り、おどけた顔で額の汗をぬぐって「ふう~」とため息をついて見せる。「あ~力いっぱいやってみんなちょっと疲れちゃいました、一休み」とでもいう感じだ。客席から笑いと拍手がこぼれる。運命は扉をこうたたくなどと学校でくそ真面目に教わっている我々はここでまた「妙な刷りこみ」の呪縛を解かれる。そしてそっと鳴りだした第2楽章。好対照である柔らかい音色。あれはそこへの巧みなブリッジ、お口直しだった。

この楽章から第3楽章のピッチカート部分のアクセントにいたるまで、細部では凝りまくったことが行われた。弱音部では弦5部とも最後尾のプルトを弾かせないのも驚いた。全員がpp で弾けばいいだろう?いやそれとは違う効果を狙ったものだ。これぞ楽譜にはない。ヴァイオリンが12人もいる大オーケストラなら作曲者はこうしただろうという主張を見る。和気あいあいとは程遠い強靭な意志の徹底だ。管のほうではこの日のN響はクラリネットとファゴットがいい音のブレンドとなり、中間楽章でオケ全体に暖かい質感を与えていたのが印象に残る。

第4楽章ではト長調第2主題に、第2ヴァイオリンがfpで嬰二音を入れるが、彼はこれを闖入者みたいに強調して弾かせ、それどころか客席に「これを聴いて!」とばかり目くばせまでするのだ。彼は「サプライズとユーモアがなければベートーベンではない」と持論を語るが、僕も同感だ。あの音の強調を高邁な「解釈」として押し付けるのではなく、「サプライズを一緒に味わって!」と客席まで巻き込むのだ。どう、ベートーベンって楽しいでしょ?というスタンスだ。大賛成である。

彼は他人をインスパイアできる人だ。5番が「できたてほやほやの音楽」だった息吹を聴衆に体感させ、クラシック音楽が博物館の干からびた聖遺物みたいになるのを救っている。僕は音楽をショーマンシップのだしに使う演奏家は徹底して嫌いだが、「嬰二音」を強調して見せても何のショーにもならない。彼はあれにいつも「サプライズ」を感じるのではないかと推察する。それを皆さんにも味わわせたい。それがベートーベンを聴くということだからだ。料理人が良い食材を手にしたときと同じで、それはプロとしてまったく自然な動機ではないか。

そういうことをうるさくて嫌う人がいるだろう。第4楽章のコーダでテンポがにわかに速くなって終結へ向かうなど、不自然だ、恣意的解釈だという人もいたに違いない。正統派ベートーベン好きからすれば許し難い冒涜かもしれない。おそらくそういうことでブーも飛んでいた。これはノリントンにとって名誉なことだ。個性は賛否両論を呼ぶのが常である。いつも全員賛成で不感症にちかい日本のコンサートホールに個性を叩きつけて、認められたということだ。僕はといえば、非常に楽しんで、涙が出るほど感動した。過去の大指揮者たちの気ままな恣意とショーによる手垢がきれいに剥げ落ち、まるで積年の埃を洗い流したモナリザを見たような、ベートーベンの原画が秘めていたパワーに触れたような思いだった。

さっき5番のスコアを見返していて、残っている楽譜って何なのだろうと改めて考えた。 P協3番の初演のピアノをベートーベンは即興で弾いたのだ。弟子が弾く時に、ある意味レファレンスとして譜面にしたのが元になって今の出版譜になっている。これは現代ならジャズにきわめて近いだろう。例えばモーツァルトの26番のピアノパート譜はレファレンスどころか自分のための備忘録程度の部分もあり、音からして「まったく不完全」なものだ。それをくそ真面目に音にしているクラシックオンガクとは何なのか? だいぶ前だが、女の子が運転する車が古いカーナビの指示するままスーパーマーケットに突入してしまうCMがあったが、それを思い出して滑稽ですらある。

そう書いてあるから絶対ということではないのだろう。スコアを初演前後のパート譜からおこした場合、その時の演奏会の奏者や楽器やホールなどの様々な特殊事情でたまたまそうなった部分が印刷されてしまったかもしれない。ノリントンが譜面からベートーベンの「サプライズとユーモア」を読み取ろうとするのは、だからとても刺激的な試みだ。それは音符にはならない。音符から感得するしかない。音楽家の知性、感性、常識、教養、好奇心はだからこそ重要なのだ。日本人の演奏はどうも「カーナビの言うとおり」という感じがしてならず、N響もそういう性向がある。それを啓蒙専制君主のごとくぶち壊しにかかったノリントンさん、賛否両論の域までもっていって見事であったし、それを高い集中力で具現したN響も好演であった。

 

 

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

2013 OCT 23 23:23:06 pm by 東 賢太郎

大学時代にこれを聴き始めた頃、僕は第1楽章のこの部分に非常に驚いていた。クラシックに慣れていない当時の僕の耳には現代音楽のように響いていたのである。作曲当時の聴衆も似た衝撃を感じていたのではないかと推察する。

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作曲は1794-5年。あの第2番変ロ長調協奏曲にとりかかってから8年後だ。長足の進歩である。主題の処理の手際、展開など前作の比ではない。その前作もこの時期に改訂したので、この時点の進歩の衣装をまとったものなのだが。後に初演される野心的な第1交響曲とは調性も楽器編成(クラリネット2、トランペット2、ティンパニが加わった)もまったく同じだ。第2楽章の調性が前作では常套的な4度上だったのが1番では3度下の変イ長調という新機軸も入ってくる。

しかし一方で、第1楽章のピアノ登場の直前のオケパートの和音連結にモーツァルトがはっきり現れるなど、前作と全く同じ面も残している(違うコード・プログレッションであるが、こっちもやはり魔笛のトレードマークだ)。第3楽章はいきなりピアノが第1主題を弾きはじめるが、これもモーツァルトの第9番変ホ長調「ジュノーム」の第3楽章の入りとそっくりだ。この楽章はティンパニが活躍するなど先輩にはない新機軸もあるが、まだ折衷的なものであり個性の開花とは至っていない曲である。

 

エミール・ギレリス  /  クルト・マズア /  ソビエト国立交響楽団

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大学時代にFM放送で聴き衝撃を受けた演奏をあげさせていただく。ギレリスの快刀乱麻の腕が冴えわたったライブで、オーケストラがやや落ちるがそれはすぐ忘れてしまう。それほどすごいピアノである。第1楽章、ミスタッチもいとわぬ打鍵の強靭さに圧倒される。この気迫は何なんだろう。オケも押されていてマズアが懸命にあおっている感じだ。第2楽章は一転して遅いテンポで深い情緒を表出し、緩急自在のフレージングよる変イ長調のロマン的世界になるのが印象的だ。そしていきなりピアノが疾走する第3楽章!ベートーベン自身もこのぐらい弾いたのだろうと思わせるほどギレリスの明快なタッチはこの楽章に合っている。他の演奏が物足りなくなること請け合いだ。

 

ペーター・レーゼル / クラウス・ペーター・フロール / ベルリン交響楽団

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ドイツ人によるドイツ語のベートーベンというイメージの演奏である。レーゼルはブラームスの2番のライブでも感じたが音楽の構築観と音のバランスを大切にした揺るぎのないピアノを弾く人だ。浅薄な部分は一切なく、和音は美しく、一音一音を音楽に奉仕する姿勢で弾き、あるべきところにあるべき音がある。だから過度な表情づけがなく汚い音はまったく出ない。この1番も芳醇なあたたかい、しかし芯のある音で見事に弾きこまれる。ベルリン・イエスキリスト教会の空間を感じさせる音響が包み込むオーケストラも最高だ。第3楽章はティンパニのf も実在感をもって鳴っており、音楽は熱してきれいごとに終わらない。これだけ無心に安心してこの曲にひたれる演奏もそうあるものではない。何も変わったことはしていないが最高に音楽性の高い名演である。

 

(補遺、3月9日)

アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ  /  カルロ・マリア・ジュリーニ  /  ウィーン交響楽団

71ArBE8JV3L__SX425_まことに格調の高いエレガントなオーケストラで開始する。ジュリーニの指揮の品の良さというのは抗いがたいもので、遅めのテンポで腰の重いトゥッティのアクセントはベートーベンにふさわしい。そこにミケランジェリのひんやりと硬質なタッチのピアノがからむ対照の妙はこのコンビの魅力だ。3番、5番もあり、こればかり聴いていた時期がある。終始、テンポやダイナミクスを煽るような安手の仕掛けは登場せず、それで十分な感動と興奮を与えてくれる「大人の1番」だ。

(補遺、9June 17)

米国留学時代にフィラデルフィアのFM放送からエアチェックした、ルドルフ・ゼルキン / ラファエル・クーベリック / ニューヨーク・フィルのライブ(1983年9月)です。

 

(補遺、19 June17)

グレン・グールド /  ヴラディーミル・ゴルシュマン / コロンビア交響楽団

1958年4月29、30日にニューヨークのコロムビア30番街スタジオでの録音。トスカニーニの死とともに解散したNBC SOに代わって登場したこのオケはワルターに振らせるCBS SOとでも呼ぶべきものだが、そのステレオ最初期の記録であるこのLPは幸いなことに高度な分解能、分離度が細密にとらえているオケが非常にうまい(ゴルシュマンを僕は高く評価する)。グールドのタッチの輝きも自然に収まっており、これまた一級品のうまさである。第1楽章のグールドによるカデンツァはマックス・レーガーの和声イディオムによると自身が語っているがユニークだ。この録音を受け取ったグールドは「2日間も歓喜に浸りました。最初から最後まで、真の生きる喜びにあふれています」とゴルシュマンに手紙を書いています。まったくそのとおりと思う。

 

 

 

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ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

ベートーベンピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19

2013 OCT 19 22:22:51 pm by 東 賢太郎

なぜ2番からか。これが最初のピアノ協奏曲、つまり1番だからである。後に作曲した1番より先に出版された、だから2番となっているだけだ。

ベートーベンはモーツァルトに会う前の年1786年ごろ、まだボン時代の16歳でこの作品に着手した。モーツァルトはピアノ協奏曲27番に1788年に着手したことがアラン・タイソンの五線譜紙分析により判明しているから、それを着手時の彼はまだ知らない。変ロ長調。ベートーベンが万一88年ごろに何かのつてでその曲がB♭の曲だと知ったとしても、自分の変ロ長調の初稿が完成したのは1790年だ。先輩の変ロ長調が最後のピアノ協奏曲になることは知らない。この一致は奇縁なのだ。

ベートーベンはこの初稿を3回も改訂していて、我々が知っているバージョンは1798年の第3版である。モーツァルトの死後7年目に完成したものだ。管弦楽はフルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦5部であり、これはモーツァルトの27番と全く同じ編成なのである。Wikiに「楽器編成が小さい理由は、はじめ貴族の私邸で演奏することを想定して作曲したからではないかといわれている。」とある。

ここはコメントしておいた方がいいだろう。この頃モーツァルトはもうすっかり貴族の人気がなくなっており、予約演奏会は開けなかったので27番の初演は宮廷料理人だったイグナーツ・ヤーンの私邸で行われた。その家は大作曲家がその9か月後に急逝の時をむかえたRauhenstein通りの家の目の前で、現在はこの写真のようなカフェになっている。ヤーンの住居はこの2階だ。このカフェで僕はひとりでコーヒーを飲みながら感無量の思いにひたり、今はデパートになっている彼の最後の家をこの窓からじっと見つめながら、ふと気がつくと27番が頭の中で鳴っていたことがある。初演27番

27番の楽器編成はこの広さの演奏会場用ならしっくりくる。20-26番の内トランペットとティンパニを欠くのは23番とこれだけだ。しかし、これから世に出てコンサートホールでこのデビュー曲をバリバリ弾こうというベートーベンがなぜそんな小さな楽器編成を選んだのだろう?そこでWikiのような答えが出てくるわけだ。

ベートーベンは先輩の27番を知ってしまい、どうしようもないレベルの落差から第3楽章ロンドを書き直して3回も改訂した(93-95年)のではないだろうか。奇しくも同じ調性であり、楽器法まで意図的にそろえたのではないだろうか。彼はこの曲でウィーンデビューを飾り、これをウィーンの宮廷顧問官に献呈までしている。皇帝や宮廷の貴族にではない、役人にである。まだ20歳代の意気軒昂な野心を見て取れないか。そしてピアノ協奏曲をシグナチャーピースとして自作自演することでウィーン楽壇の一世を風靡した大先輩の後を襲い、凌駕して見せることこそ彼は出世の糸口と考えたと思う。

彼の変ロ長調にはそれ以外にも明確なモーツァルトの刻印がある。オペラ「魔笛」の序曲のこの部分の引用だ(この連弾譜の赤枠部分)。

zauberfluteここは変ロ長調でソプラノはB♭、B♮、C、Aを繰り返す。これがベートーベン2番ではこうなる。第1楽章のピアノの登場の少し前だ。調性も音列も魔笛とまったく同じである。beeth pc2

しかし、この音列に彼がつけた和声はB♭-G-Cm-Fであり魔笛と違う。そして2番はその和声連結をそのままに今度はソプラノ音列の方を変えたものを pp でピアノが奏し、それをオケが pp で受け取り、一気にff の全奏になだれこんで全曲を閉じるのだ。

beethPC2ending

つまり2番は魔笛を知っている人にそのエコーが聞こえるように書かれている。良く考えてほしい。魔笛が作曲されたのはモーツァルト死の年である1791年だ。第3楽章が改訂によって別のものに入れ替えられたのは1793年からだからいい。問題は91年より前に書かれていた第1楽章にこの魔笛音列が出てくることだ。ベートーベンの創作だったのか?確かめられなかったが第1楽章にも94年から改定が加えられたそうで、もしもこの部分も改訂されたものなら仮説は信憑性が出てくる。グールドの聴衆だった貴婦人はグールドも喜ばせたのだが、ベートーベンもそれを聞いたら狂喜したに違いない。

これから俺の時代だよウィーンの皆さん、という風に僕には聞こえる。同じ変ロ長調である交響曲第4番の第4楽章にもこの魔笛和音列を登場させるのも意味深だ。こういう発見はへたな推理小説より面白い。ちょっと脱線するが、こういうのは現在のところ聴き手の脳の中に蓄積した「音楽ビッグデータ」からしか見つからないものだ。グーグルで検索とはいかない。地上の全楽譜がオンライン化すれば可能になるだろうが、ベートーベンが何故そんなことをしたかまでコンピューターが考える時代が来るまでには時間を要するだろう。人間の脳ミソのやることはまだあるのだ。

さて2番である。第1、2楽章は青年がモーツァルトの衣鉢を継いだ作曲家兼ピアニストであることを証明するレベルにあると思う。しかし残念ながらさんざん推敲した第3楽章は落ちる。交響曲第4番のスケルツォを思わせる元気のよい主題が充分に展開されずオケとのベートーベンらしい緊密な拮抗もない。オーケストレーションも大味である。はっきり言って習作の水準を出ない。並み居る大ピアニスト達もそれを補おうとテンポルバートを試みたりするなど苦労している人が多く、演奏の問題というよりも僕はやはりそれなりの曲なのだと思う。

 

フリードリヒ・グルダ / ホルスト・シュタイン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

zaP2_G5726044Wウィーン・フィルが魅力全開だ。第1楽章のホルンの合いの手や弦の弾み方などちょっとしたリズムの愉悦がすばらしい。宝石のように煌めくグルダのピアノもウィーン調だ。第1楽章、カデンツァはベートーベン自作。バッハのフーガのように展開するがグルダの手にかかるとなんと音楽が生き生きと脈動することか。ちなみに彼の平均律は僕が好きなものの一つだが、無味乾燥に陥いること皆無である。第2楽章は即興的な味もあって楽しい。問題の第3楽章は強めのタッチ、デリケートなタッチ、レガートなタッチ、リズムを際立たせるクリアなタッチを使いわけ、オケもそれにうまく付けている。曲の弱さを補って飽きさせない。

 

エミール・ギレリス / ジョージ・セル / クリーヴランド管弦楽団

zaP2_G1675186Wギレリスはクルト・マズアとのライブもあり、彼の鋼鉄のタッチが聴けるのはそちらの方だ。ここでは楷書体のセルに合わせたのか大人しめである。しかしそれでもギレリス一流のタッチの冴えは終始ものを言っていて弱音は非常に美しい。ピアノは鳴りきっており、 この若書きが立派に聞こえることに関しては群を抜く。カデンツァの豪壮さはそのままハンマークラヴィールソナタだ。セルの指揮はソリストに合わせるだけでなく速い部分はテンポの主導権を取っているように聞こえる。第3楽章が軽薄に流れず、コーダのピアニッシモがこれほど納得性を持っていて感動的な演奏はない。

 

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ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

 

 

 

 

ベートーベン交響曲第9番の名演

2013 SEP 30 0:00:58 am by 東 賢太郎

 

皆さんの知る「第九」の正体

9番の自筆スコアはベルリン国立図書館(プロイセン文化財)にあり2001年に世界遺産に登録された。同図書館のHPで全ページを見ることができる。

http://beethoven.staatsbibliothek-berlin.de/404/

しかし、これを演奏すれば皆さんご存知の「第九」が鳴るわけではない。皆さんの第九は、①この自筆譜を写譜屋が筆写したスコア②ロンドン初演スコア③アーヘン初演スコア④プロイセン王への献呈スコア⑤ベートーベンがそれぞれに加えた訂正・パート譜・ピアノ譜など、の5種をタネ本として、⑥ブライトコプフ&ヘルテル社が「独自改訂」を加えたものである。それが1864年に出版されたブライトコプフ版であり、皆さんお手元のスコアがオイレンブルグ版、ペータース版、フィルハルモニア版のどれであるに関わらずこのブライトコプフ版を母体としたものである。それが皆さんの第九の正体である。

ベートーベンは各地の初演にあわせてスコアを売らなくてはならなかった。1826年にショット社から初版を出すべく①の筆写を急いでいたら、お抱えコピストが死んでしまった。そこで統括責任者不在のまま同時並行で筆写が各地で行われ、各地で各人の主観によるコピーミスが混入するという不適切な事態となった。それを洗いなおしたのがブライトコプフ版であったがその洗い直しにもこれまた出版社の別の主観が入ってしまった。今回それらをベートーベンの自筆の原典に立ち返って洗いなおしたのがベーレンライター版というわけだ。イメージでいえば、モナリザのダ・ヴィンチ制作時への復元作業だ。背景は青かったというが、第九の原画の色彩も少し違うものであった。

ベーレンライター版の意義

その違いの詳細を書くのは本稿の趣旨ではないが、第1楽章第2主題の2小節目(第81小節)のフルートとオーボエ(変ロ音が二音になる)はびっくりする。終楽章のピッコロの活躍もそうだ。すべての異同を検証したわけではないが、しかし、ベーレンライター版が決定稿であるというのはいささか問題を感ずる。一例をあげると、終楽章のVor Gott! は ff で長く伸ばす。その間にティンパニだけ音量をpまで漸減しろとブライトコプフ版には書いてある。これは初演で合唱が聞こえなくなったことへの現場での暫定措置だったとしてベーレンライター版は無視している。自筆スコアにそれはないからということだろうか。しかし、ロンドン版(②)ではヴァイオリンとヴィオラにベートーベンの手で漸減(デクレッシェンド)が書かれているのをどう説明するのだろう?

ベーレンライター版を作ったジョナサン・デル・マーの業績には、専門家が聴かないとわからないレベルの異同も多くある。しかし、ベーレンライター版以前からスコア通りに演奏されていなかった箇所で、もしスコア通りやれば初心者でもよくわかる非常にインパクトの大きい箇所がある。前回、ベートーベンの9番ほど作曲家の意図と違う楽譜が堂々と印刷され、しかもその印刷ともまた違う音楽が世界で演奏され、記憶されてきたものはないと書いたがその「意図と違う楽譜」とはブライトコプフ版のことであることは上述した。しかし、その「ブライトコプフ版の印刷譜」がそのまま演奏されていない、したがって、「皆さんの第九」でもないという大事な部分を書こう。

まずは第4楽章で、低弦のユニゾンで始まった歓喜の歌をヴィオラとチェロのユニゾンが奏でる所のファゴットのオブリガードだ。ここに第2ファゴットを重ねる演奏がだいぶ前からある(ワインガルトナーもやっている)。しかし第2は初演時の自筆スコアにはなく、ブライトコプフ版にも書いてないのだ。これがベーレンライター版には書き込まれているので、ベートーベンが後から改定したと推察される(こういうところにVor Gott!の処理との一貫性を感じないのだが)。ジョージ・セル盤で初めてこれを聴いた時はびっくりした。ここは断然ソロ(1番だけ)の方がいいと思う。コントラバスとのハーモニーこそが神の調和であり、そのバスがハ音(ド)に降りたあの素晴らしい瞬間は、それがファゴットだと高貴な感じが雲散霧消してしまうと思う。

次に終楽章のおしまいのところ。テンポ表示はPrestissimo→Maestoso→Prestissimoで終わる。まず最初のPrestissimoだがメトロノーム表示は二分音符=132だ。「皆さんの第九」はたいがいこれより少し速い。次に、Mastosoのところが「Gotterfunken!(ゴーッタフンケン!)」だが、ここのメトロノーム表示は四分音符=60だからゴーッタ・フンケン・ゴーッタを各1秒(計3秒)でやれと書いてある。「皆さんの第九」はこれよりずっと遅いのだ。2倍も遅い演奏がたくさんある。ブライトコプフ版時代から楽譜はぜんぜん無視なのだ。そして最後のPrestissimoは表示がないからやり放題で、フルトヴェングラーはオケが弾けないぐらい速い。ベーレンライター版の意義はいろいろあるが、そのものの変更点のみならず、こういう因習と化していた部分も見直す機縁になったことが大きいと考える。

因習的なテンポの起源 

終結テンポの因習の起源は不明だが僕なりに推論がある。前稿に書いたようにアブネックの研究の成果それだったのか、ワーグナー、ハンス・フォン・ビューローのロマン的解釈なのかもしれないが、そのアンチであったワインガルトナーもスコア通りではないから一筋縄ではない。ベーレンライター版は最初のPrestissimoをPrestoに変更した(少し遅くなった)から問題の最後のPrestissimoは相対的に速い。だからここを速い-遅い-もっと速いとするのが因習なら本来は、やや速い-やや遅い-速いでなくてはいけない。この解釈は演奏全体の感動を大きく左右する、というよりほぼ決定するといっても過言ではないから重要だ。ベートーベンのメトロノームは壊れていたのだという人もいるが、壊れていたら逆に理に合わない部分もある。

スコアははっきりしたのだから、問題はその通りやるかどうかだ。ここでの僕の立場は、スコアに反した演奏を棄てるかどうかだ。結論から言おう。それはできない。以前、ストラヴィンスキーの自作自演とブーレーズ盤を論じて後者を採った。作品解釈はそれ自体が進化することがある。僕が演奏側なら前述の「ファゴット重ね」は絶対にやらない。当時のオケの力量やホールの音響事情からベートーベンは楽器の低音増強に余念がなかった。7,8番まで初演でコントラファゴットを加えている。しかし、今の事情でそれは不要であることは自明だ。ファゴット重ねはそれと同じと解釈するからであり、芸術的観点からはまったくいらないと判断するからである。

テンポは残響に影響される、と僕は思う。残響の少ないフィラデルフィアのアカデミーでは誰もが演奏は速くなりがちだった。ベートーベンは9番の初演を500人しか入らないホールでやろうとしたそうだ(それは却下されたが)。それなら残響は極めて短い。だからこそのメトロノームのテンポなのではないか。それを残響たっぷりの2000人ホールでやるうちに固まってきたのが因習テンポなのではないか。それを500人ホールのテンポに戻す必要があるのか。それは博物館の楽器で演奏することだけをレゾン・デトルとする古楽器演奏のようなものではないのかと考えている。

声楽ソリストの重要性について

この曲はいくらオケが良くても声楽が下手だと印象を著しく損なう。特に4人のソロ、ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの出来が雌雄を決する。昔ミュンシュの来日時のライブがバリトンの不調で発売できなかったようなことすらある。各パートともアリアと違い完全に「楽器」として書かれており、最後はソロだけの四重奏という難所がある。声の合奏だけでロ長調からロ短調、ニ長調へと転調する神々しい瞬間である。4人で全宇宙を支配するようなここの音程が悪いともう興ざめである。

出だしにいきなり高音をはりあげるバリトンは大変で、ずっと手に汗を握って待ち構えているそうだ。高い嬰へ音が出ない歌手のため後世に多くの妥協版がある。主旋律を歌うソプラノはステージにいる2百人を圧して響きわたる。信じていただけないかもしれないが、楽器として完璧な音程で歌われたのを僕はほとんど聴いたことがない。逆にアリアと勘違いしてる著名な歌手がとんでもなく下手だったことは何度もある。そういう態度を放置している指揮者の能力のなさだ。皆さん頑張っているのに申し訳ないのだが、しかし、一気に興が冷めてしまうのも事実なので仕方ない。難しい曲だ。合唱は素人でも歌えるのにこの落差は何なのだろう。

9番とモーツァルト

9番はニ短調(♭ひとつ)だがベートーベンにこの調の曲は意外に少ない。すぐ浮かぶのはピアノソナタ17番ぐらいだ。交響曲は9曲中6曲がフラット系でシャープ系は2番と7番しかない。6番、8番とヘ長調(♭ひとつ)と来ており、8番と9番にはf-fのオクターヴのティンパニが出てくる。楽器の都合で調が決まることは当時は普通だったし管楽器はフラット系が吹きやすいことを考えると、ニ短調の少なさは不思議である。

ところが先輩のモーツァルトを見るとけっこうある。ドン・ジョバンニ、レクイエム、ピアノ協奏曲20番、弦楽四重奏曲15番、幻想曲など重たい曲がめじろ押しだ。第九の第4楽章はニ短調の嵐のようなパッセージで幕を開けるが、そこの和声連結は、ベートーベンの愛奏曲だったモーツァルトのピアノ協奏曲20番の第1楽章、ピアノの入りを導くオーケストラのそれを僕に強く想起させる。

そしてその後だ。1-3楽章の旋律が鳴ると低弦のレチタチィーヴォが次々と「それではない!」と否定していく。この禅問答のような押し引きは、モーツァルトの魔笛第1幕の最後でタミーノが3つの扉をあけようとして、Zurueck ! と押し戻されるのを思い出す。ベートーベンは魔笛の変奏曲によるチェロ曲を作るほどこのオペラが好きだった。魔笛では3つ目の扉が開くとパミーナに会える。そして9番では歓喜の歌がそっと響いてくるのである。

 

アルトトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

413VCSJAN3L管弦楽も歌も合唱も圧倒的に輝かしく素晴らしい。鬼気迫るほどたたみかける第1楽章のリズム。9番はこうでなくては始まらないのだ。第2楽章は速いが、繰り返しをしているため1,3楽章に埋没するスケルツォでなくなっている。オケのうまさに絶句である。第3楽章もすいすい行くが歌うべきところは歌う。終楽章。ソロ4人のアンサンブルを聴いて欲しい。弦楽四重奏のような完成度である。メットのソプラノであったアイリーン・ファレルは重めの声だが高音も見事に決まっている。トスカニーニはオペラでもそうだが声も楽器と同じで暴れることを一切許さない専制君主である。やっている方は大変だったろうがお陰様でこんな名演を聴くことができるのだ。

 

オトマール・スイトナー / ベルリン国立歌劇場管弦楽団

非常に魅力的な9番である。何がいいかどこがいいかと言われても難しい。とにかく聴いてください。この演奏で51DcD7abaUL._SL500_AA300_唯一僕の趣味に合わないのは歓喜の歌のレチタチーヴォの「ファゴット重ね」ぐらいだ。しかしその部分ですら、あまりの高貴な歌の流れにそんな些末なことはすぐ忘れてしまう。ソプラノはモーツァルト歌い(マグダレーナ・ハヨーショヴァー)を起用している。これぞスイトナーだ!そして彼女も概ね成功している(90点はつけよう)。合唱はソリスト級のレベル。ソロも合唱も、ほとんどの演奏に大なり小なり感じる、高音が上がりきらずぶら下がってしまうような不愉快な音は一切出ない。この指揮者の耳の良さと声楽をまとめる力量は天下一品である(だから彼のシュターツ・カペレ・ドレスデンとの魔笛は永遠の名盤なのだ)。その魔笛もそうだったが、ここでもオケ、歌手に「タレント」はいない。しかしルービンシュタインやロストロポーヴィッチが入った3重奏や5重奏がいつも名演になるかというと、そういうわけではないから音楽は面白い。この9番は室内楽に例えればスメタナ四重奏団のベートーベンやアマデウス四重奏団のブラームスに近いだろう。名人芸とは違う練達の芸だ。それが音楽の持っている本質に寄与した時の感銘は実に深い。このオケの練り絹のように美しい弦。あでやかな木管。浮き出ない金管。腰の重いドイツのオケそのものである。僕はこのオケをベルリン・シュターツ・オーパー(国立歌劇場)のオーケストラ・ピットで何度も耳にしたが、このデンオンのPCM録音は見事にそれをとらえている。指揮者もオケも録音も何も尖がったことはしていない。しかし始まるともう耳をそばだてて聴くしかない。最高に上質の9番である。千円ちょっとであなたが世の中で買える最も価値のあるもののひとつであることは固い。

 

サイモン・ラトル / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

これはウィーンフィルがベーレンライター版で演奏した非常に意欲的な名演である。テン4988006813915_1Lポはやや折衷的であるなど完全ではないが新版がどういうものか、ひいてはベートーベンの発想したオリジナルがどういうものか知ることができる。初めて聴くと驚く。しかしそれは新教に改宗するための通過儀礼と思っていただくしかない。僕はウィーンへ行って大作曲家の史跡を自分の眼で見て歩くのと同じぐらいこの演奏には関心を持った。そして改めてベートーベンの音楽の偉大さに打たれた。ラトルはスコアのみならずこのオケの伝統的奏法も変更している。音も美しさを求めていない。手垢を落とそうとしているかのようだ。終楽章の合唱のアクセントは鳥肌が立つほど鮮烈である。そして独唱4人が素晴らしい。特にソプラノのバーバラ・ボニーは最後のロ音がほんの少しだけ(まったく少しなのだが)フラットなのをのぞけば、ほぼ完ぺきだ。最高である。

 

カール・シューリヒト / パリ音楽院管弦楽団

829(1)アブネックが創設したこのオケでシューリヒトが残した名演である。テンポは一貫して速い。しかし曲を知り尽くした名人芸の連続でずっしり手ごたえとコクのある表現だ。オーケストラも気迫で応えている。所々でフランスの管が独特の色香を発するが僕は一興と思う。ただ、第3楽章でホルンにヴィヴラートがかかるのはさすがに違和感がある人もいるかもしれない。終楽章のスピード感はむしろ現代的であり、じわじわと熱していく様には手に汗を握らされる。合唱の手綱さばきもうまい。ソプラノのウイルマ・リップは夜の女王で有名だがここではまずまずというところである。何がすごいということはないが、熟達した大人のしかも若さとエネルギーに満ちた演奏であり、9番を聴くスリルと喜びを心から味わわせてくれる名盤である。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 

1207964カラヤン60年代、手兵ベルリン・フィルとの最初の全集にある9番である。この頃のカラヤンはトスカニーニばりの快速で引き締まった剛直な演奏をしており、後年のポルタメント、レガート気味のふやけた感じはない。僕はこのSACD全集を買ってみたが音はとても良い。ベルリン・フィルが気合の入ったベスト・フォームで鳴っており、やはり世界最高級のオーケストラだということを再認識した。そういうオケによる9番という曲は、理屈を超えて音楽を聴く醍醐味に満ちているのだ。しかしこれを紹介したのはそれだけの理由ではない。ソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツである。実にうまい。僕が聞いた中では文句なく最高ランクのひとりである。一聴をお薦めしたい。

 

ウィルヘルム・フルトヴェングラー / バイロイト祝祭管弦楽団(1951年7月29日)

日本で最も有名な9番、すなわち「第九」である。ほぼ神棚に祭られた御物に等しく、人類の宝と崇める人もいる。一言でいうなら、まさしく素晴らしい演奏である。第1楽章と第3楽章は誰かにキミこれが第九だよと言われるなら、はいそうですねと頭を垂れるしかない。第2楽章などオケの底力と気合は空恐ろしいほどだ。全曲にわたって、鮮度の乏しい録音なのに一期一会の緊張感とパワーがビシビシと伝わって圧倒されるばかり。第3楽章はホルンがミスするが、これだけ魂のこもった神々しい演奏というのはそういうものを消し飛ばしてしまうのだ。ソプラノの名手エリザベート・シュヴァルツコップの声の高貴なこと。本当にうまい。全録音でベストのひとりである。この演奏は指揮者ばかりが言及されるが、4人のソロ・アンサンブルでも最右翼級の名演なのだ。それほどの存在であるからして、これが「皆さんの第九」になっている方がおられる可能性はかなり高いだろう。困ったことにこれで曲を覚えてしまうと(僕もそうだ)他が物足りなくなる。しかしこれほど楽譜と(ブライトコプフとすら)ちがう演奏もない。もうフルヴェン節である。歓喜の歌の出だしの低弦がゆっくりと、霧の彼方からかすかにピアニッシモで立ちのぼってくる効果は一度聴いたら忘れない。しかしスコアはAllegro assaiで音量はピアノなのだ。そのテンポが全奏にいたって徐々にアップするが、そんなことは楽譜のどこにも書いてない。前稿で書いた終結のテンポはロックの興奮に近い。楽譜を踏み外しているが抗しがたい魅力がある。もう最後はそういうのが好きかどうかである。好きであれば楽譜なんかどうでもいい、フルトヴェングラーの信者になるしかない。クラシックにはそういう聴き方があってもいいのだ。彼が伝道師となってベートーベンの音楽が世に広まればそれでいいではないか。youtubeから音源をお借りしたのでぜひじっくりとご神体を拝んでみてほしい。今回のベートーベン企画にお付き合いいただいた皆さんには心より感謝の意を表したい。同時に、本稿を閉じるにあたって、世界に一人でもベートーベン好きが増えることを心より願ってやまない。素晴らしい音楽を残してくれた天才にどうしても、一寸ばかりのご恩返しをしたく、しかし、僕にはそうするしか方法がないのだから。

 

(補遺、3月17日)

ヨゼフ・クリップス / ロンドン交響楽団

08_1104_01 (1)クリップスはJ・シュトラウス、ハイドン、チャイコフスキーなどに記憶に残るレコードがある。この第九は、一言でいうなら、僕の世代が昔懐かしい、ああ年の瀬のダイクはこういうものだったなあとほっとさせてくれる雰囲気がある。アンサンブルは甚だ雑駁だが何となくまとまっており、ほっこりとおいしい不思議な演奏だ。それはテンポによるところが大きく、とにかく全楽章やっぱりこれでしょという当たり前に快適なもの。管楽器、ティンパニがオン気味だがどぎつさはなく、歌は合唱の近くにマイクがあってまるで自分も合唱団で歌ってるみたいだ。そのうえソロ4人がこんなに一人一人聞きとれる録音は珍しいがこれが音楽的に満足感が高く、なんとはなしにオケ、合唱と混ざっていい感じになるのも実にいい。ぜんぜん知らないソプラノだが音程はしっかりして僕の基準を満たす。5番の稿にも書いたがベーレンライター全盛の世でこのCDを耳にすると、1週間ぐらい海外出張して戻った居酒屋のおふくろの味みたいだ。練習で締め挙げた風情や、うまい、一流だ、すごい、という部分はどこにもないが、本物のプロたちがあんまり気張らずに自然に和合して図らずもうまくいっちゃったねという感じ。しかし全楽器の音程がよろしく、フレージングの隈取りも納得感が高く、耳を凝らして聴くと音楽のファンダメンタルズの水準は大変高い。指揮のワザだろう。こういうのを名演と讃えたい。

 

 

 

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ベートーベン第9初演の謎を解く

ベートーベンピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19

 

 

 

 

ベートーベン第9初演の謎を解く

2013 SEP 17 0:00:18 am by 東 賢太郎

序 

マーラーの交響曲第8番、いわゆる千人の交響曲という曲は、実際には千人はいなくてもその半分程度はオケと独唱、合唱を必要とするので滅多にライブを聴く機会がない。僕は2度だけ聴いたが1度は合唱団員の招待であり、もう一度はN響のAプロにたまたま入っていただけだ。自分から選んで行ったことがないのはマーラーに興味がないからだが、しかしその僕でもこの8番の両ライブは感動したものだ。やはり大勢の生の人間の声は聴く者に強いインパクトを与えると思う。クラシックを一度も聴いたことのない人でもマーラーが誰か全く知らない人でも、コンサートホールでこれを「体験」すれば何か心に熱いものを覚えないということはないのではないだろうか。

ベートーベンの交響曲第9番、いわゆる第九という曲も20世紀初頭まではマーラーの8番のような存在だった。現在でも欧米ではキャストの大掛かりなこの曲はそう多くは聴くことはできない。ちなみに僕は16年海外にいてあまり好きではない7番をコンサート会場で計7回聴いているが、比較的好きである第九は5回しか聴けていない。フィラデルフィア管の定期公演では2年間で1度もやらなかったし、メジャーオケが5つあるロンドンでも年に2~3回やればやった方というところだった。マーラー8番よりはましだが、そうそう実演を聞ける曲ではなかったというイメージが強い。

ダイク大国ニッポン

ところが武川寛海氏の著書によると日本では昭和51年に12月だけで71回も演奏されたとある。収容人数2千人として1か月に約14万人もの人が第九を聞きに押しかけているというのは街を歩くドイツ人には想像もできないだろう。東京ドーム満員御礼の3回分だからその年優勝した読売巨人軍の日本シリーズなみの動員数を誇っているわけだが、ベートーベンが巨人より人気があると聞いたことは寡聞にしてまだない。たぶんこの現象は暑中見舞い、年賀状、お中元、お歳暮のような和式の季節行事である。そのうちアクティブ参加型としては夏物の盆踊りに対して冬物が欠けていた。その穴埋めがクリスマスと忘年会では厳粛さとお清め好きの国民性からしてもの足りない。そこにダイクが恰好の居場所を見つけたと僕は解釈している。

日本ではこの曲はよく「交響曲第9番・合唱付き」などと呼ばれる。すごい呼称だ。合唱ぬきの9番もあるんだろうか。これを見ると「グリコのおまけ」を思い出して困る。しかしおまけ目当てでキャラメルを買った記憶もある。とすると第4楽章だけ聞く人も多いと見越した深遠な命名かもしれない。確かにこの第4楽章が立派に演奏された時のインパクトは強烈だ。パウル・ベッカーによるとベートーベンが作ったのは音楽ではなく「聴衆」だ。フランス革命に発し、自由、平等、博愛を求める群衆だ。これを聴くと自分もその群衆の一員になった気がするではないか。これがベートーベンを聴くという体験なのだ。フランス革命には縁もゆかりもない極東でもそういう感じをいだいてしまう。だから彼の音楽は名曲であり200年たっても世界中で聴き継がれているのだ。

終わり良ければ・・・・

その第4楽章は一種のカンタータでありソナタの終楽章とは程遠い。ソリスト4人の出番はそう多くはないが器楽的に書かれた音符を正確に歌うのは大変難しいと思われ、満足な演奏は非常に少ないのが実情だ。しかしこの曲は非常によくできていて、最後のプレスティッシモの興奮がそれまでのすべての苦難も失敗もかき消してくれる。おお友よ、このような旋律でなく・・・と何度も何度も過去を否定されてきている。だから最後の歓喜の爆発こそ俺の求めたものだ!と感じるように出来ている。ソナタ形式をも凌ぐ独創的な発明だ。そして肝心のその最後を締めくくる数ページの音符は最高に素晴らしいものだ。そこには音痴の四重唱など忘れて心が浄化された自分がいる。終わり良ければすべて良しの曲なのである。

それを見抜いて「狂乱の場」としか表現できないエンディングを作った名人がフルトヴェングラーであった。彼の演奏が神格化されたのは彼が神だったからではない。音楽の方がそう出来ているからである。フルトヴェングラー盤は数種あるが、どれも終結で脱兎のごとく大疾走する。もうあまりに速くて楽器が何をやっているのかわからない。これをいきなりやると唐突、滑稽だが、彼の演奏はそこに至るまでの長い道のりにおいて強弱、凹凸、漸強漸弱、漸緩漸速、はっきりしない句読点など、ありとあらゆる指揮芸術の秘儀を尽くしてそれを納得させる準備がなされている。

この曲が人を感動させるメカニズムを完璧にとらえているのは私見では理屈などではなく、ご不快な方がおられるのを覚悟であえて書くが、男性側から見たセックスに近い。彼はそういう性質の曲のツボをおさえた表現においては余人をもって替え難い天才であった。しかし近年無視できなくなったベートーベン自身の改定を基にしたベーレンライター版では、彼が疾走を仕掛けるプレストの直前の「ゴッタフンケン」が随分と速くなってしまった。だからジャンプの前のかがみが浅くなってしまい疾走の効果が出ない。だからだろうか逆に遅めのエンディングが多くなった(ノリントン、ガ―ディナー、ラトルなど)。

初演伝説

この曲には有名な伝説がある。1824年5月7日にウィーンのケルントナートール劇場で行われた初演は成功であったとされる。第2楽章が喝采を博して2回もアンコールされ、3回目は兵隊に止められたという。その大拍手が聞こえず聴衆に背を向けたままスコアに見入っていたベートーベンの肩をアルト歌手のウンガーがおさえて聴衆の方に向きを変えさせたというのだ。それが第2楽章終わりだったという説もありそれをしたのはソプラノのゾンタークだったという別の証言もある。そのぐらい伝説はあやふやな記憶に基づいているが、とにかくそれらしいことはおそらくあったのであり、熱狂した聴衆はハンカチを振って作曲家を讃えたというのも本当なのだろう。

だとすると、ベートーベンは舞台でオーケストラに向かっていた。何をしていたんだろう?各楽章の正確な拍子を示すと本人が言い張ったからとされる。しかし指揮者にはウムラウフという人がちゃんといたのだ。まさか楽章の入りの拍子ぐらいは指揮者も覚えただろう。では途中の拍子変更ができなかったのか?それでは指揮者の意味がない。Wikiによると合奏の脱落、崩壊を防ぐためピアノも参加してリードしていたという。ピアノに向かっていたのだろうか?しかしかれは耳が聞こえないのだ!どうも釈然としない。もう一つ不可解なことがある。そんな大喝采と感動的な逸話にもかかわらず、16日後の再演では会場は半分も埋まらなかったことだ。ぜんぜん人気が出なかったのである。

私的仮説

私見だがこれをうまく説明する仮説はこれだ。初演の演奏がめちゃくちゃだったのではないかということである。どこかで楽器や合唱が落っこちたり合奏が錯綜して止まったりしたかもしれない。演奏が年中行事と化した現代ですらこの曲の演奏は難しいので有名なのだ。それでも「終わり良ければ効果」によって聴衆は一応は喝采した。しかし、・・・・どんな曲を聴いたのかは誰もわからなかった。家にかえってみれば、ベートーベンは元気でよかったね、合唱の何子ちゃん頑張ったね、でも曲はつまらなかったなあ、というところだったのではないか。そういう噂が回ってしまい、リピーターはおろか2回目初めての人もあまり来なかったのではないか。

そう考える根拠がある。初演したオーケストラはアマチュアを加えた寄せ集めで、全員がそろったのは前日だった。指揮者は4日ほどスコアに目を通しただけ、総練習は2回しかやっていない。男性ソロは直前に変更となり、バリトンが楽譜を受け取ったのは3日前だ。しかもプログラムには同じく新曲で同じぐらい難しいミサ・ソレムニスの3曲もあったのだ。実際に、1809年の「合唱幻想曲」の初演では合奏が崩壊し、最初から演奏し直すという事故もおきている。それにもかかわらずこの難曲の演奏が上出来であったなら、歴史上のすべての音楽家は失業しなくてはならないだろう。

駄作の烙印

そういう不安な状況であったこと、そして聴覚疾患をのりこえてこれだけの曲が書けて総監督もできることをウィーンの上流階級に示そうという意図でベートーベンは舞台上にいたのではないか。彼はロンドンのフィルハーモニック協会の依頼でこの曲を書き始めた可能性がある(注)。献呈者も候補が数名あった。精魂傾けた力作であり、稼げるはずの機会であり、相応の利益と名誉を得なければならないという意識はいつになく強かったのではないか。現に、この逸話の信憑性は100%ではないが、初演がはねたあとに計算した収益があまりに少ないことを知ったベートーベンは卒倒し、翌朝も同じ服を着たままだったそうだ。

(注)フィルハーモニック協会の創立者のひとりに、ヨゼフ・ハイドンをロンドンに招聘して12の交響曲を書かせたたヨハン・ペーター・ザロモン(1745-1815)がいた。ボン生まれのザロモンが生まれた家は奇しくもベートーベンの生家でもあり、両者は旧知の仲であった。ザロモンは協会を通じ生計が困窮していたベートーベンに100ポンドを贈った。第九はその見返りに書かれたわけではないが作曲の何らかの契機になったことは確実である。

 

当時の批評家たちは終楽章に声楽曲を持ってきたことを問題にした。今の我々はそれが問題だとは思っていない。しかし、弟子のチェルニーによるとベートーベン自身も終楽章で失敗したことを認めており、あれを棄てて新しく器楽のものを作ろうと考えていると語ったという。本当に「9番・合唱なし」になったかもしれなかったのだ。結局、それは実行されなかったが、この曲はウィーンで彼の存命中にはもう2度と演奏されなかったのである。その後、ヨーロッパ各地で何回か演奏が試みられたものの、結果はことごとく失敗に終わった。そして「駄作」「演奏不能」という評価が定着してしまうのである。我々はこれが駄作でも演奏不能でもないことを知っている。正解は一つしかない。

真相を推理する

難曲すぎて当時の指揮者の譜読み力もオーケストラの演奏技術も足りていなかったのだという有力な説がある。それはそうかもしれない。しかしそれでは3番はどうだったのだろう。7番、8番が好評だったのはつい数年前だ。声楽が入っただけで演奏不能になってしまうのだろうか?そうではないだろう。僕はこう思う。①まず聴衆が1時間もかかるオペラではない曲に慣れていなかった。今でも第3楽章で舟をこぐ人はあとをたたない②8番までの路線に添っている唯一の楽章は第2楽章だ。これは大喝采だった。聴衆はこういう曲を予想し期待していた。③第4楽章の練習不足はカオス状態を引き起こした。誰も曲を知らないからカオスとは思われなかったが、そのかわりに駄作と思われた。

③について補足すると、ソリストと合唱がいつ入って来たのかという問題がある。今でも指揮者によって、曲頭から、第2楽章後、第3楽章後の3パターンがある(第1楽章後は僕は見たことがない)。初演の証言はなさそうだが、指揮者ワインガルトナーの「ベートーベンの交響曲の演奏に対する助言」(1906年)に「曲頭が望ましい。やむなければ第2楽章後。しかし第3楽章後はだめだ」という趣旨のことが書いてある。執筆当時は第3楽章後が慣例だったのだ。理由はわからないが、電燈(電球)というものが普及し始めたのが1880年頃だったことを忘れるわけにはいかない。初演時は暗闇の中、ロウソクの明かりで演奏したのである。

60-80人もの合唱隊に高価なロウソクを40分間も無駄に燃やさせる決断をしたなら、ベートーベンは収益不足で卒倒はしなかったろう。それとも彼らは暗闇の中に不気味に並んでいて第4楽章で一斉にロウソクに点灯したのだろうか。あまり現実的な空想ではないように思う。おそらく第3楽章終了後に手に手に楽譜とロウソクを持って入場したのだと僕は思う。これは今のホールでも起こる光景なのだが、この入場行進はけっこう時間がかかり、美人やイケメンを探す好奇の目線が飛び交い、せっかくの第3楽章の高貴な雰囲気など消し飛んでしまう。まして初演時にそれは誰も予期していない。客席はざわめき、どよめき、おしゃべりが始まっただろう。作曲家お気に入りの若いソプラノとアルトは人目を惹いたろうし客席のご贔屓筋に目くばせもしただろう。そして、それまでの音楽ドラマは皆が忘れ、仕切り直しで始まった第4楽章はカオスだった。そしてそれは曲のせいになり、駄作だという評価ができてしまったのではないか。

至宝を見つけた功労者たち

駄作はいつ人類の至宝になったのか。そのきっかけ作りという偉業は1831年になされる。やったのはベートーベンに傾倒し9番のパリ初演を指揮したフランソワ・アントアヌ・アブネックである。彼はそれにいたるまで3年間にわたって徹底的にスコアを研究し、彼の進言で創立されたパリ音楽院管弦楽団との練習を入念に重ねた。「我々の耳に第九らしく響く9番」が史上初めて演奏されたということだったのではないだろうか。運命というのは不思議なもので、ロシアでの前職をクビになり、ロンドンへの海路で難破で死にかかり、それでもパリで一旗揚げようと流れ着いた26歳のワーグナーがアブネックの9番のコンサートを聴いていた。ワーグナーは17歳の時に9番のスコアを筆写し、それを二手のピアノ用に編曲したフリークだったのである。演奏に感激したワーグナーはこう書いている。

「ここで私は演奏についてまとわりついていた迷いが目からうろこが落ちたように晴れ、ただちにここで、宿題となっていたものをとうとう解く秘密を発見することができたことを知ったのである」

アブネックの演奏が素晴らしかったことは、やはりそれを聴いたベルリオーズが感銘を受けたことを記し、後日ロンドンで自分も指揮していることからもわかる。しかしベルリオーズはこうも書いている。

第四楽章は大半の人の理解力におえなかったようである

そして

この驚くべき楽章の分析をあえて試みるほど細目の秘密に通じえる自信はまだない

としめくくっている。4年前に斬新きわまりないあの幻想交響曲を作曲していた人の言葉である。実に重たい。

後にザクセンの宮廷指揮者になったワーグナーは1846年、33才の時にそこで9番を指揮した。シラーの歌詞を重視して自身の楽劇なみに文学性を盛り込んだワーグナーの解釈は、しかし大変にロマン的なものだったと思われる。なぜそう思うことが許されるかというと、そのザクセンの9番演奏会を聴いて指揮者になろうと決心した16歳の少年こそハンス・フォン・ビューローであり、彼はワーグナーの熱烈な崇拝者となるからだ。彼が書き込みをした9番のスコアはワーグナーの解釈をもとにしたものであったという。そしてそのビューローの解釈に真っ向から反旗を翻して敵視されてしまったワインガルトナーの演奏を我々は幸いにもCDで聴くことができるからである。

それは市販されているので興味ある方はご一聴をお薦めする。今の耳にも古臭いものではなく、恣意的なテンポルバートや強弱を排したいわば現代的なものだ。それが「反旗」だったのだから、ビューローの、そしてワーグナーの9番がどんな傾向のものだったか想像がつくのだ。ビューローの名声は指揮者としてだけではない。シューマン夫人クララの父ヴィークにピアノを習い、ベートーベンの愛弟子チェルニー(あの教則本の)の弟子フランツ・リストにも習った。こちらも演奏不能とされたチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を独奏者として初演もしている。音楽界の大御所である。そういう人の奥さん(リストの娘コジマ)を寝取っておいてなお崇拝させたワーグナーも凄いが、そういう大御所の9番解釈にアンチテーゼを思い切りぶつけたワインガルトナーの蛮勇も快哉である。

1863年に生まれたパウル・フェリックス・フォン・ミュンツベルク・ワインガルトナーには2人の指揮のライバルがいた。3歳年上のマーラーと1歳年下のリヒャルト・シュトラウスである。3人は作曲家としても競っていたが、結局ワインガルトナーだけがレースから脱落した。しかしただ負けたわけではない。貴重な録音と多くの著書を残した。今回の企画で彼の9番を聞き直し、実に多くの発見があった。それは武川寛海氏の名著「第九のすべて」(日本放送出版協会、昭和52年)にあるワインガルトナー盤の詳細な解説とスコアを見比べてのことであり、今回の拙文も多くを同書に依っていることを明記しておきたい。

そして最終的に、最新の9番楽譜資料文献の研究状況も調べてみた結果、こういう結論に至った。この曲の初演後約半世紀にわたるスコア研究と理解の不具合は、①定本になるべきスコアが完成するまでにベートーベン自身が各地で演奏するパート譜に多くの改定をバラバラに加えたこと(つまり初演時点では曲は未完成だった)、②それが統合されることのないまま作曲家も写譜屋のマイスターも世を去ってしまった、という2点に起因していた。そして結局そういう状況の中で生まれた出版スコア(現行のもの、これをブライトコプフ版という)が多くの不幸と不注意によって多くのミステークを含んでしまうに至ったということである。つまりこういうことが言えるのである。

ベートーベンの9番ほど作曲家の意図と違う楽譜が堂々と印刷され、しかもその印刷ともまた違う音楽が世界で演奏され、記憶されてきたものはない。

まるで9番のように文が長くなってしまった。次回にベーレンライター版という新しい楽譜のことを少しだけ書き、僕が好きなCDをご紹介したい。

 

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ベートーベン交響曲第9番の名演

 

 

クラシック徒然草-愛器アウグスト・フェァシュター社ピアノを調律してもらう-

2013 SEP 8 0:00:14 am by 東 賢太郎

写真 (19)今日は1時からピアノの調律をお願いしました。ご近所にお住いの本邦調律界の大御所U先生にうかがったところ、ウチのアップライト(右)は旧東独のAugust Förster社製のものなのですが、日本にはあまりないとのこと。ぜひ見てみたいと初回は大御所本人が来てくださいました。その時に「将来を嘱望する若手のポープなので勉強させてやって下さい」と同伴されたのが白田先生でした。

写真 (17)今日は先生の2回目でした。これともう一台ヤマハのグランドをお願いし、いろいろうるさい僕のわがままを聞いていただいて終わったのは6時すぎでした。このアップライトは確か85年にロンドンのマークソン・ピアノで購入したものです。何台か弾いてみて、ひと目惚れで即決したのがこれでした。長女がロンドンで生まれたのが87年だからはるか先輩格に当たりますね。別に高級品ではないのですが、それ以来、我が家と一緒にロンドン→東京→フランクフルト→チューリッヒ→香港→東京と長旅を共にした家族としての絆を強く感じています。

調律は時間とともに少しづつ狂ってきます。それが耐えられなくて僕は調律用のハンマーをスイスで買って、自分で微調整などしてきました。しかし調律はピッチだけの問題でないのです。それが最近わかってきました。そこで今日は先生が「どんな風にしますか?」と聞くので「ラヴェルの音でお願いします!」とわけのわからんことを依頼しました。まるで床屋の会話です。「うーん、ラヴェルですか、クープランの墓?そうですね・・・・」だいぶお悩みの様子。「やってみましょう、でもこのアウグストのせっかくの音をいじるのはやりたくないですね。ヤマハの方でやりましょう」ということになりました。

写真 (18)そこから休みなしで3時間半。隣の部屋のヤマハは見事にベーゼンドルファー寄りの音に生まれ変わりました。それに感動し、先生に感謝の意をこめてこのブログを書くことになったのです。クープランの墓の一部、ショパンのワルツ、グリーグのコンチェルトのさわりなどを弾いて聴いてもらい、ほぼ音は問題なしとなって残り時間でアウグストを仕上げてもらいました。そっちではシェラザードの第1楽章を全曲、ダフニスとクロエの夜明けのところ、ドヴォルザークの8番などを。ミスタッチだらけでとても人様に聴いていただく水準には遠いのだけど本人だけは指揮者気分で満足。これがあるから僕は生きていけるのです。

先生から「ピアニストのどこで演奏を評価してますか?」というご質問。「指の回りではなく①フレージング②和音のバランスです」と答えました。「意外に好きな人が少ない。アラウだけ別格です。ミケランジェリはいいですがポリーニもアルゲリッチもリヒテルも今は聞く気がしない」とも。「ラヴェルはフランソワはどうですか?」ときたのですが、「録音がひどい。EMIの音にボディがない」ということで意見が一致しました。先生のイメージではラヴェルはベーゼン。楽器の音色のイメージをきくと「カワイは円筒、ヤマハはその円筒の中に円錐が入っていて2重、スタインウェイはさらにその円錐が2重になっているイメージを持っているんです。だからベーゼン。」と素人にはまったく理解不能の答えが返ってきました。「チッコリーニがファッツィオーリでベートーベンを弾いたのがなかなか良かった」という感想で、かなりお好みのイメージがわかってきましたとのことでした。

写真 (16)最後に先生に、「だんだんこういう音にして欲しい」と言って、ラヴェルを2つ、①アンヌ・ケフェレックの「水の戯れ」と②イヴォンヌ・ルフェビュールのト長調協奏曲の第2,3楽章をリスニングルーム(右)で僕の装置でじっくりと聴いていただきました。両者の音色の比較をああだこうだとプロの視点から詳しく教えていただき、大変勉強になりました。それなのに、「これはたぶんベーゼンだろうなあ・・・・ただ調律が特別ですね・・・・こういう音が出せるんですね。勉強になりました」と謙虚に語ってお帰りになりました。いやピアノひとつとっても音楽は奥が深いものです。この装置は1人で聴いていてももったいないし、先生のような方にお役にたてるのであればうれしい限りと思いました。楽器の方もヘタの横好きにばかり弾かれていてもかわいそうです。プロをお招きしてミニコンサートをやっていただくこともSMCで考えようと思っています。

 

ファツィオリ体験記

ベートーベン交響曲第8番の名演

2013 SEP 2 1:01:00 am by 東 賢太郎

8番は大交響曲である

8番というのは非常にオーラの強い曲である。演奏時間は9曲中最短で30分かからないのに、僕はこれをじっくり聴くとぐったりと疲れる。まずテンポが遅い楽章がない。そして半端でない強弱のコントラスト、アクロバティックな音の跳躍、リズムの錯綜、突飛な転調が耳を刺激しつづける。終わってみると、3番や5番の勝利感、6番の充足感、9番の高揚感のようなものはない。7番が人間の原始の本能を刺激する曲なら、それと同じぐらい、いやむしろもっと強いマグニチュードで、8番は理性をかきまわして刺激する曲だ。理屈っぽくて弁の立つ人と英語で丁々発止ディベートしたような感じだ。爽やかな疲労ではあるが、さあ寝ようという時にCDを取り出す曲のリストでは最下位を争う一曲だろう。

8番はボヘミアの温泉地テプリッツで着想されリンツで完成された。テプリッツでは尊敬するゲーテと会った。2人が連れだって散歩しているとオーストリア皇后・大公の一行と遭遇し、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。下衆のつっぱりだったようにも思えるが、ともあれ彼なりには貴族を上から目線で見るほど自由人としての誇りで意気軒昂だった。そういう時期に、誰からの依頼もなく書き上げたのがこの8番なのだ。

型破りなリズム、人を食った哄笑、間の抜けたオクターヴ音型、不意の3度転調・・・聴く者を煙に巻いて楽しんでいるとしか思えない。貴族がどうした?こんな音楽が作れるか?悔しかったらやってみーや。僕にはドヤ顔のベートーベンが見える。ウエリントンの勝利、7番、8番のベートーベンは明らかにハイ(躁状態)にある。劇場では大うけだ。おかげでもうかっている。意中の彼女も振り向いてくれるかもしれない。見たかい?皇后陛下が俺に道を譲るんだ。あのゲーテだって俺を認めている。だからといってああいう曲で俺が人気が出たなんて言われるのも不本意だ。俺の技がいかに切れてるか、見せつけておかんとよくないな。そう彼が思ったかどうかは知らない。でも、僕はそうだったように感じる。技が切れているという意味で、この曲は未曽有の領域に達している。30分足らずの曲だからこそ、その小宇宙のように美しく磨き抜かれた精緻な姿はどこか凄味さえ帯びている。小さな大交響曲なのだ。

注文のない寿司ネタ

誰からの依頼もなく書き上げた8番。注文してないのに出てくる寿司ネタを思い浮かべるのは不遜だろうか?最近行ってないが、前の家で僕が行きつけだった鮨屋のおやじは8席しかないカウンターで鮪(まぐろ)とウニばかり食うシロウトの客はもう来なくていいと思っていた。そんなのはどこで食ってもいっしょだ。高い金払ってウチに来ることないよと。だから「お客さん、ちょっとこれもつまんでみて下さい」、そうやって出した、江戸前のちょっとした仕事をしたネタやら穴子の雉焼きや小肌やギョクやらの味がわからなければもう結構という感じになる。商売なのに、自信とプライドがそうさせているのだろう。

ベートーベンにとって交響曲とは基本的には鮪やウニの系統のネタだったと思う。それがないとさすがに妙な鮨屋で客が来ないだろう。しかし、「あそこの握りは具が大きいね、ご飯がみえないよ」なんていう素人筋の恥ずかしい評判で繁盛するのも困る。さて何を握ろうか・・・?そこで登場した自信のネタが8番だ。僕はそう確信している。「この曲には1番にあったメヌエットが復活している。だから大作の7番を完成したベートーベンがひととき古典の精神に復帰したのだ。」とだいたいの解説書に書いてある。文科省お墨付きの模範答案だ。とんでもない。ベートーベンはお口直しにと沢庵を切って出すようなそんじょそこらの寿司屋ではない。

どうして「メヌエット」が復活したのか?

楽譜とじっくり向き合えばそういう解答は出てこない。読むこと自体が非常に難しい。リズムがピョンピョン拍節をまたいでいる。音型がゴツゴツ、ギクシャクしている。たちまち転調して調性がフラフラする。こっちの頭もクラクラする。第2楽章に「スケルツァンド」とあるが、メトロノームを模したといわれるこの楽章は特にお遊び精神が突出した軽い曲で本来のスケルツォではない。たぶんこれはハイドンの「時計」のパロディであって、あれを知っている聴衆はどっとわいたのではないか。それでは何故スケルツォがないのだろう?そして何故メヌエットが復活しているのだろう?

「スケルツォ」というものは諧謔曲(おふざけ音楽)という原意のイタリア語だ。Wikiによるとその主部は「舞踏的な性質」「歌謡的性質の排除」」「強拍と弱拍の位置の交代」「同一音型の執拗な繰り返し」「激しい感情表現」などが目立つそうだ。そしてそれらは頭から終わりまで8番という曲の個性、特徴そのものといえるではないか。僕はこういう仮説を持っている。

8番は全曲がスケルツォである!

そんなことを言った人は知る限り一人もいない。しかし、以下のように説明力がある。

①この曲の文科省お墨付きキャッチコピーその2は「横溢するユーモア精神」である。

この仮説によれば、それは当たり前ということになる。

②どうして「スケルツォ楽章」がないのか?

みかんの山にみかんを置いても意味がないからだ。

③どうしてメヌエットが復活したのか?

第3楽章に「メヌエット」とは書いてない。Tempo di Menuetto(メヌエットのテンポで)だ。全部がおふざけもまずい。ひとつぐらいはメヌエットの「ふり」をしろということだ。

その楽譜は普通でない場面に満ちあふれている。第1楽章提示部2番カッコのあと、ヴィオラが主音のドをオクターヴで繰り返す上にドミナントの和音が乗っかってしまう(CのうえにG7が乗る。長7度の不協和音が発生する)。再現部では全楽器が fff で鳴り渡る中、低弦とバスーンだけで主旋律を弾かされる。聞こえないのでワインガルトナーのように他の楽器の音量を落とすという不自然な操作をする指揮者が出てくる。第3楽章トリオでのどかで楽しげなホルンにクラリネットがからむ牧歌調の部分で、何の因果かチェロだけが2オクターヴにわたる難しい分散和音をひたすら弾かされ続ける。ハイキングでお弁当食べている親子の横で汗だくで腕立て伏せ百回もやっている人がいるようで、異様な風景だ。実演ではまるで「いじめ」である。

コケティッシュに変身する第3楽章

へミオラは書ききれない。3拍子のリズム分割はあらゆる順列組合せまで探求されるかのようで、何拍子なのか、強拍がどこにあるのか、よほど真剣に楽譜を追わないとまずわからないだろう。例えば第3楽章の出だしは下のように書かれている。最初がfで後はsfだから弱起とわかるが、素直に強起でタラタラタラ|タラタラで3拍目で旋律を開始すればよさそうなものを、何故こんな風に書いたのだろう?赤丸のところ、ここは僕が大好きなところなのだが、赤丸に至るフレーズは3小節がスラーで一括りになっておりヴァイオリンがひと弓で弾く。もっと正確に言おう。赤丸の前までの八分音符17個が一括り、18個目の赤丸の音符は弓を返す。17個のなかでの音符のくくりは3・3・4・2・2・3と不規則である。

beethoven sym8

この赤丸の弾き方が非常に重要であると僕は思っている。タララララ・・タータである。の直前のラをスタッカート気味に切り詰めて・タータをティンパニと一緒にアクセントをつけて歯切れよく弾ませるのがいい。この主題、始まりからして洗練されておらずけっして優美なものではない。ところがこの・タータをうまくやると不思議なことに、コケティッシュで可愛らしい女の子というかきりりとした粋な女性というか、一気に魅力を感じる旋律に生まれ変わる。こういう旋律を作るなど円熟と言わずしてなんだろう。

尋常でない第4楽章

第4楽章はなかでも別格的にすごい音楽である。コーダは第九の音がしている。楽章の約半分がコーダという異常なものであり、冒頭主題と第2主題が見事に展開し5番の「運命リズム」が支配する。和声の展開の尋常でなさは特筆もので、ここでの息つく間もない転調の嵐はベートーベンの全音楽中でも最高峰と言って過言でないと信じる。練習番号Hの嬰へ短調がティンパニを伴ってヘ長調になる様はいつ聴いても鳥肌が立つほどのインパクトだ。この楽章、姿かたちは似ていないが、5番の凝縮力を連想させるものがある。コーダの長大さ、終結の和音連打のしつこさもよく似ている。違うのは、5番が昔のスポコンものの主人公みたいにまじめで一途に一直線に盛り上がって勝利の凱歌をあげることだ。聴衆もブラヴォーでそれに加わってビールで乾杯というムードにひたれる。

ところが8番の方は、コーダで盛り上がると見せかけたsfの後に弦が突然pになって、木管とホルンの間で和音のキャッチボールなんかが始まってしまう。何がおきたんだ?聴衆はエアポケットに放り出されて宙に浮いた感じになる。そこから再度だんだんクレッシェンドしていって、f-fとオクターヴに調律されたよく響くティンパニが大暴れし、最後は5番なみにトニックの和音をこれでもかこれでもかと何度もたたきつけて曲を結ぶのだ。この時の気持ちはなんとも形容しがたい独特のものだ。タヌキに化かされたというか、引きずり回されて翻弄されたというか・・・・。ギーレン、ムーティ、アシュケナージ、ラザレフなどの指揮で実演を聴いたが、いい音楽を聴いたというジーンとする感動は不思議となかったように思う。

8番を好きか嫌いかといえば、だんぜん好きな部類だ。しかし感動しない。こんな曲はベートーベンに限らず2つとない。大交響曲というよりも謎の交響曲かもしれない。

 

ラファエル・クーベリック / クリーブランド管弦楽団

冒頭の主題提示からベートーベンを演奏するぞという気概に満ち満ちた素晴らしいエネルギーと緊張感に圧倒される。8番にクリーブランド管を選んだのは大正解だった。実はこのオケのシェフであったセルの演奏が磨きぬかれた名演であり、どちらを採るか相当悩んだ。セルにしなかったのは第1楽章再現部の低弦を目立たせるため減音すること、第3楽章が遅すぎること、ヴァイオリンが両翼配置でないこと、それだけの理由だ。それを気にしなければ非常に高度なオーケストラ演奏である。クーベリックはセルのトレーニングがあったからこの名演ができたはずだ。弦がすべてのプルトで鳴りきっている感じで、右から聴こえる第2ヴァイオリンが実に効いている。第1楽章再現部は無意識程度だがほんのわずかに減音がある。セルのパート譜の影響が残っていたのだろうか。ティンパニが見事にアクセントを入れているのもセルと同じ。結局なにかセルをほめてしまっているが、クーベリックならではの盤石なテンポと小粋な木管のセンスなど、9つのオケでの全集に一貫して流れる大河のような個性は非常にヨーロッパ的なものだ。セルが時として用いるホルンのやや過度な強調もなく、ドイツ保守本流にバックボーンのある立派なベートーベンを心ゆくまで味わうことのできる名盤である。これは僕のLPからのテイク。

 

 

ランツ・コンヴィチュニー / ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

586(1)堂々たる出だしである。小さな交響曲でなく大交響曲の風格だ。重心の低い弦、くすんだ金管、そして古風に艶やかな木管の魅力的なこと。ゲヴァントハウス管はマズアの指揮でドイツで聴いたが、こういう傾向の音ではあったがこの録音での味わいが格別である気がする。特にクラリネットの芳醇な果実のような音色は絶品である。第1楽章はこの重量感あってこのテンポと思わせる。それは鈍重なものではなくベンツやジャガーのような2トン以上の車でアウトバーンを150kmぐらいで走っている快適さに近い。やや速いのだが、200km出る車の性能と重量からするとやや遅くて余裕があり、ちょうどいいスピードに感じるという性質のものだ。第3楽章のテンポは最高で例の・タータのセンスの良さはお見事である。コケティッシュと表現するしか術を知らない。トリオのチェロ、コントラバスも雄弁に目立っている。第4楽章はやや遅めだがすばらしいマッシブな響きでオケが良く弾けている。この難しい楽章はいい加減な部分がある演奏が多いのだ。人のぬくもりを感じさせる木管の何という素晴らしい音程!どこといって変わった部分はないのだが最高の満足感を与えてくれる演奏であり、8番を聴きたいときに取り出すことの多い1枚である。コンヴィチュニーの全集は現代にもはや求めることのできない古風な音色のドイツのオケが、非常に高い演奏水準で達成した金字塔であり、SACD化を強く求めたいものの最右翼である。

パブロ・カザルス/ マールボロ音楽祭管弦楽団

 

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この第1楽章の速さは忘れ難い。付点音符の生き生きとしたはずみも最高だ。第2主題はテンポを落とすが緊張感は一切弛緩せず、運命動機を刻むオクターヴ音型の強靭さはこの演奏をしのぐものはない。まさに「こうでなくては!」とうならされる。第2楽章も速めであり、この楽章の生命線であるスタッカートとレガートの対比が鮮やかに決まっている。第3楽章はフレージングがレガートなのはいいがティンパニが抑え目でやや僕の好みではない。トリオの弦の内声部がきれいに鳴るなど、さすがカザルスという部分もあるのだが。第4楽章は中庸のテンポで入念に彫琢した音楽になっており、第2主題の優美な歌わせ方が印象的である。展開部の立体感のある彫りの深さもすばらしい。コーダはなぜかややテンポが落ちてそのまま終わる。このライブらしい即興性も魅力だろう。

 

 

エーリヒ・ラインスドルフ / ボストン交響楽団

51euq3TpQqL._SL500_AA300_ボストン・シンフォニーホールの素晴らしい音響に包まれて鳴る出だしを一聴した瞬間にこれはいい演奏だという予感が走る。はたして、最後までそれは裏切られることがない。ラインスドルフは3、4回アメリカで聴いた。日本では堅実な中堅というわけのわからない評価で終わってしまったが、20世紀を代表する名指揮者というのが欧米の評価だ。独特なギクシャクした身振りで春の祭典を振ったのをよく覚えているが、棒とオケの一体感が(そういうと当たり前に聞こえてしまうが)ある非常にプロフェッショナルな指揮ぶりだった。これは8番を聴くときに最も取り出す回数の多いCDのひとつである。第1楽章は立派の一言。再現部の減音はなくスコアのままだ。ベートーベン演奏に余計な浅知恵は論外だと思う。展開部の立体感とディナーミクの見事な対比もスコアが行間まで読み込まれた結果であり、この部分は最高の演奏だ。第2楽章はクラリネットのうまさが出色だ。第3楽章がやや落ちるのでこの順位になるが終楽章は盛り返す。トランペット、ティンパニの強打は表現主義的とすら感じるが、8番の骨格をこれだけ、えぐりだす指揮は迫力満点、速めのテンポは快適でオーケストラのうまさも拍手だ。コーダは加速して終わる。ラインスドルフの全集はすべてが非常に水準の高い名演であり、世界最高級のホールトーンに包まれたオケの音響は一級品である。

 

(補遺、3月19日)

ギュンター・ヴァント / NDR交響楽団

77793年にフランクフルトのアルテ・オーパーできいたこのコンビ、無駄のない筋肉質、質実剛健の音造りが際立った。聴衆に媚びること一切なく、スコアの奥底にある音楽を真摯に読み取ろうとすると感じたヴァントと楽員たちの姿勢は好感を持った。8番に演奏家の浅はかな解釈などどこに必要だろう?これを満足に音にするのは至難の業だ。そんなこと以前に指揮者の耳を含めて音符をちゃんと楽譜通り弾けているのかを心配すべき演奏がほとんどなのである。これは傾聴すべき数少ない例だ。

 

(補遺、3月29日)

パウル・クレツキ / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

51Qng0cbonLレガートな柔らかいフレージングでやや遅めの第1楽章。ワインガルトナー流に優美に聞こえるが、低弦のキザミなど強めの音圧でアンサンブルの土台を固めており、聴こえにくい中音域のヴィオラ、第2ヴァイオリンの細かい音型の息使いが生気を与えている。実に奥深い。それが体感できるのはプラハの芸術家の家という名ホールの音響が大きいのだが。素晴らしいのは第3楽章。テンポもフレージングも優美で、貴族的という言葉しか浮かばないほど。上掲楽譜の赤丸音符など、こうやらねば意味がない。余談だが、日本にあるプライベートバンクはみなナンチャッテだ。富裕層へのサービスは日本のサラリーマンじゃできない。だからシティもUBSも失敗だ。当たり前だ、カンバンが何であれサービスするのは彼らなんだから。この8番、そんなことを思い起こさせる。クレツキみたいな指揮はその辺の指揮者にはできない。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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ベートーベン第9初演の謎を解く

ベートーベン交響曲第9番の名演

 

 

 

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ベートーベン交響曲第7番の名演

2013 AUG 17 9:09:45 am by 東 賢太郎

この曲について記すところは特にありませんが、僕がこの曲で印象に残っているのは83年にオイゲン・ヨッフムがバンベルグ響とフィラデルフィアでやったもの。第4楽章の第1主題でヴァイオリンのボウイングを各プルトでスラーが「あり」と「なし」で弾きわけさせてフレーズをくっきりと描き出すなど、頑固なすし屋の親父がコハダの酢具合にこだわるみたいな仕事ぶりが通好みで感心したのです。これは86年にロンドンでマゼールのピンチヒッターで登場してフィルハーモニアを振った時も踏襲されていて、頑固親父ぶりは健在でした。しかし何種類かあるのですが録音で聴く限りそういう各所での絶妙な「仕事」があまりマイクに入っていない。残念です。

もうひとつは86年に山田一雄が東京交響楽団と文化会館でやったもの。僕は熱演、演歌型のベートーベンは好きでありませんが、これはそれを超越した大熱演で、あそこまでやられると立派というしかありません。英国人のお客さんと聴いたのですが、かなりうるさ型の彼が感動していてちょっと鼻が高かった。故ヤマカズさんの実演はこれしか知りませんが、もっと聴くべきでした。この曲はどういうものが名演なのか自分でもスタンスが固まっていないので、聴き終わってみてその時に感動したかどうかという刹那的な判断しかありませんが以下のようになります。

(補遺、12June 17)

これは米国留学中にFM放送を1984年4月20日にエアチェックしたもの。ギュンター・ヘルビッヒ(またはヘルビヒ, Günther Herbig, 1931年11月30日 – )は録音に恵まれず日本ではメジャーと思われていないがチェコ生まれでへルマン・アーベントロートに師事し、ワイマール歌劇場でデビューし、1957年、同劇場の楽長、1972年からドレスデン・フィルの音楽監督、1977年ベルリン交響楽団首席指揮者・音楽監督を歴任しました。1983年まで君臨したベルリン交響楽団は西のベルリン・フィルに対抗する東のトップですから彼は旧東ドイツ楽界の王道を歩いた人です。

その彼が1984年にドイツを離れ渡米した理由は「東独統一党の政策に嫌気がさした」という情報しかありませんが89年までいたらどうなっていたか。東独指揮界で西側に出て出世したのはクルト・マズアぐらいで、ヘルベルト・ケーゲルはピストル自殺したしオトマール・スイトナーも実力のわりにはポストに恵まれなかった。国が消滅するというのはそういうことなのです。エリートだった人ほど厳しい。岡目八目でそう書くのではなく、僕自身、ベルリンの壁崩壊直後の92年からの激動の3年間をドイツで過ごし、業界こそ違うが金融の世界でたくさんの悲劇を目撃しています。

ヘルビッヒはそれを待たず5年も前にドイツを飛び出し渡米したのだから幸運でした。1984年からデトロイト交響楽団の音楽監督に就任、FM放送のアナウンスによるとこの7番は1983年9月に、翌シーズン(4月から)第10代音楽監督に就任すると発表されたヘルビッヒの披露目演奏会のオール・ベートーベン・プログラムのトリでした。オーケストラも聴衆も期待に満ちた「ハレ」の雰囲気に満ちているではないですか。そして、そういう場にこそ7番という交響曲はふさわしいと感じるのです。今となるとこの記念すべき一期一会の演奏がたまたま録音できたのは奇跡の気がします。

 

ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団

このコンビはカラヤン/ベルリンフィルと並んで20世紀の演奏史に刻まれるでしょう。そう思ったのは85年2月2日に聴いたモーツァルトの39番とチャイコフスキーの4番です。ロ611VU9MoWvL._SL500_AA300_ンドンで1日だけロイヤル・フェスティバルホールで開いたこの演奏会は最近DVDになって発売され、懐かしいかぎりです。特に後者のアインザッツ、音程、音量、音色・・・すべてに圧倒され、オーケストラというのはこんな凄いものなのかと思い知りました。ショルティはその後もチューリヒで壮絶なエロイカや亡くなる前の最後の登場となったマーラーの5番を聴くなど忘れられない指揮者の一人です。この7番はシカゴとの旧録音全集で、彼の良さがストレートに出た演奏です。猪突猛進というイメージとは違い、両端楽章はたっぷりしたテンポで入念に彫琢されてオーソドックスながら強い説得力があるのです。快速でぶっとばして興奮を誘うという軽薄さは全くなく、スコアを信頼してそれを十全に鳴らすということでしょう。それでも聴く者を熱くしてしまう。世界をうならせたこのコンビの絶頂の姿をぜひ味わっていただきたいと思います。

 

ウォルフガング・サヴァリッシュ / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

レナード/バーンスタイン/ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

カルロ・マリア・ジュリーニ / スカラ座管弦楽団

パブロ・カザルス / マールボロ祝祭管弦楽団

ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団(60年6月4日ウィーンでのライブ)

カール・ベーム / バイエルン放送交響楽団(73年5月3日ライブ)

カルロス・クライバー / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

以上が所有リスト54枚のうちで、初めて聴いた時に「2つ星」をつけたCDです(3つ星はなし)。その時どうしてそう思ったのか理由は記憶にないので今回はコメントは割愛させていただきます。

 

(補遺、2月7日)

カール・ベーム  /  バイエルン放送交響楽団  (73年5月3日ライブ)

71Yhjy9bDmL__SL1400_もし7番をいまどうしても聴くならまずこれだ。70年代のベームは最晩年の輝きを見せており、ライブ録音に素晴らしい遺産を残した。別稿のシューベルト9番などその例だ。この7番は音楽が鋼のように剛毅でテンポがゆるぎなく、巨匠の棒にオケの全奏者が渾身の力でついていっている情景が眼前に浮かぶ。といって力任せの音は一切なく、指揮者の体現するベートーベン像に渾身の共感を持って奉仕するオケの磁力のようなものに巻きこまれて聴く者も熱くならざるを得ないという稀有な名盤だ。録音もライブとしては非常に良い。

 

フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団

41MFRWMP00L高校3年の5月に買ったLP(右のジャケットはCD)で、この演奏で曲を覚えた。当時ピアノもチェロも弾けなかったくせに、「なんだこんなのギターで弾けるコード進行じゃないか」と下に見てしまった。「舞踏の聖化」だリズムの祭典なんだと言われたって、もうそのころ僕は春の祭典を全曲暗記していたのだ。そういう出会いだったからだろうか、後々この曲にエロイカや5番や8番ほどの敬意を持てていない。僕は48種の7番の録音を持っており、そしていま本当に久しぶりにこれを聴きかえしてライナーの指揮は懐かしくも立派であり、オーケストラ演奏の極致の領域に立ち入る名演であると思う。しかし、大変な暴言とは思うが自分に正直に書かなくてはならないので書くが、ベートーベンの名誉になる曲ではないという思いを新たにする。

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ベートーベン交響曲第8番の名演

 

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