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女性が野球を楽しむホンモノの方法

2016 SEP 21 13:13:39 pm by 東 賢太郎

おれの世代はまず野球だったんだぞ、オヤジに営業したいんなら野球見ろよ、稲村あみちゃん見てごらんみんなメロメロだろ、なんて娘に妙な指導したりする。

しかし妙ではない。

僕は女性と野球を見るのが苦手だ。ルールぐらいはちゃんと知っているのにどうもいけない。つまらないことに拍手したり、逆に感動しなくちゃいけないのに素通りだったり、まったくペースが合わないことおびただしい。大谷はイケメンよね、でも谷口もカワイイわよ、そんなことはオヤジはどうでもいいのである。

お前たちはどうして選手のデータを覚えないんだ、おんなじピッチャーから10回三振した奴が11回目にホームラン打ったらすごいと思わないか?なんて家で言って嫌われる。息子だけがわかってくれ、頼りである。

もちろん価値観はいろいろある。しかし我が持論としては野球はまずデータを楽しむものだ。これは無限に面白い。無敵のカープがDeNAの新人今永を打ててない。どうしてだろうと考える(実に不思議だ)。もしCS勝ち上がって今永と当たったらどうなるかなと心配する。

PL学園が消えるという信じたくない事態になったが、PL出身者はみな強い。そういうデータを見ていると出身校が気になってきて、だいたいの選手がどこの高校出で甲子園出たかどうかぐらいは暗記してしまっている。

プレーの質も観戦ポイントとしてはずせないが、メジャーのゲームはそれが高くてもデータを知らないからあんまり楽しくない。マエケンが三振取ってヤッタ~なんて意味もない喜びはない、だって相手がどんな奴か知らないんだから。

どんな奴か?それは一回の打席を見たってわからない。たくさん打席に入った結果のデータ、個人のスペックと呼んでもいいが、つまり安打数、本塁打数、打点等々が彼の能力を雄弁に語ってくれる。彼を知り、彼が打席に立てば統計的に何がおこるかを予測する唯一のよすがなのである。

僕は50年来のカープファンだ(だった)が、県民でもなく、球場で立ったり座ったりの応援をして勝てば結果オーライでヤッタ~と祝杯に酔うという者であったことは一度たりともない。

小学校2年生からデータ主義者だった(の片鱗があった)のだということになる。「データ上あり得ない番狂わせ」の魅力!それをおこす弱者の気迫と知恵を愛で、称賛するためにTVを見、球場へ足をはこんでいたのである。

僕が50年もファンだったというのは、とりもなおさず、広島カープは50年間はそういう球団だったということを証明している。広島はずーっと金欠球団でデータで劣る選手中心、それを育てて鍛え上げて必死に戦っていた。ここに判官びいきの僕が惹きつけられる唯一にして最大の原因があったのだ。

近年になるとせっかく育った選手はFAで金満球団の巨人や阪神に献上だ。ヤンキースなんて異国の献上先まで現れた。年貢と圧政に苦しむ農民が手塩にかけた娘を殿さまにもっていかれる時代劇のシーンまで重なり、これまた義憤の怒りを覚えることとなった。僕のカープファン魂はこういう資本と権力への抵抗という重層構造から成っていたのである。

ところが昨年、2015年、その50年の屈辱の歴史を覆す歴史的大事件が起こった。黒田が帰還し新井も戻り、前田がいてメジャーのエースが二人!これは参った。歴史的な図式を覆すあり得ない戦力を創業以来初めて広島は保有してしまったのである。これはミッドウエー海戦で艦隊の主力を殲滅された海軍が米軍から第7、第11艦隊をぶんどったみたいなものではないか。

ここで僕のデータ解析は「楽勝で優勝、最悪巨人に負けて2位」なる結果をはじき出す。ところが、あにはからんや、連合艦隊は連戦連敗を重ねる。空母も戦艦も迷走して轟沈。なんと、CS出場もままならぬ4位というあり得ない結果に終わるのである。司令長官は切腹しろという声が上がるのは当然のことである。僕はブログ上で少なくとも5回は切腹命令を発したのであった。

これは感情だけではない、データからして「逆あり得ない」が起きてしまったのである。金満球団にそうなれと期待したことがカープでおきる。そんなことは僕の50年の応援史のなかで隕石に当たって死ぬ以上に想定されたことはなく、僕は心の立ち位置を完全に失ってしまった。愛する人が隕石で死んでしまいました。データ主義を捨てろと言うのか?やり場のない喪失感とストレスとはこのことである。

マエケンはいなくなったが野村が成長して、今年は去年はじいたデータ通りのことがおきている。そういうことだ。データは正しく未来を予見する。ベルリン・フィルでも指揮者が下手だと瓦解する。今年は新井というコンマスが機能し、指揮者もよけいな迷走はなくなる程度には成長して本来の名演奏ができた。そういうことだ。こうしてやっと、僕のデータ主義は居場所が戻ったのである。

女性の皆さんにはどうでもいいストーリーだが、データというのは小学校2年の子供が還暦になっても信奉し、惹きつけられる魅力、魔力を持つものだということはおわかりいただけるだろうか。余談だが株式や債券もデータのかたまりであり、僕が証券業で40年も生き残ってこられたのも同じ理由だ。

野球は現在のところ米国文化圏のスポーツにとどまっているが、サッカーのようにイスラム圏やアフリカまで伝播してないのは道具が高いというのもあるが、細かいデータ収集が可能だというというその長所あるが故でもあるのだ。その意味を理解していただくにはまず、野球の元祖であるクリケットのご説明をしなくてはならない。

クリケットは英国の貴族のスポーツである。貴族だからヒマなのか丸一日かかる試合を4日もかけてやるからたまったもんじゃない。なんでそんなに長いか?一人のバッターがアウトになるまで何度でも何時間でも打っていられるのだ。360度フェアゾーンでどこに飛んでもいい。現に僕が観た試合では「強打者」が3時間ぐらい打ち続けていた。

あきあきしてよそ見してたら常に割とお上品で静かであるスタジアムが怒涛のように沸き返った。何だ??しばらくしてやっとわかった。奴がミスショットのフライを打ち上げてとうとうアウトになったのだ。名前は忘れたが彼の球歴を見ると打点、打率、得点など超ど級、王、長嶋級の人だった。クリケットの観衆はホームランでは特に沸かない。彼のような強打者がアウトになった瞬間にボルテージが上がるのである。

それは全観衆が、彼のスペックを知っている、彼がいかに10分やそこらで打ちそこなってアウトにならない強打者か(それが強打者だ)というデータを知っているからおこる歓声だということだ。いや、もし知らなければこの競技を丸一日観ることは絶望的な退屈との闘いであり、4日間もスタジアムに通いたいと思う者は断じて一人もいなくなるであろう。

このデータ主義の楽しみ方は、海をわたって米国人が「一日で終わるバージョン」のクリケットを工夫して野球というゲームを創りだしても、そのままに遺伝して残ったのである。彼らはフェアゾーンを4分の1の90度にして、投手は走り投げをやめ、ヒットでもアウトでもその打者はおしまいというルールにした。走者は3人まで溜まり、一発出ると4点というショーの要素も入った。

こうして米国の合理主義とパワー信仰と派手好きがクリケットを我々の知ってる野球というエキサイティングなゲームに進化させ、野球をサッカー風に楽しむ要素を封入したと考えてもいいだろう。データを知らなくても楽しめる競技になったのだ。その結果、クリケット場にはいない種族の観衆が野球場を占めるようになったというのが僕の説である。

サッカーもアーセナルやらACミランやら見たが、これはルールぐらいしか知らない僕でも十分に楽しめ、興奮もした。しかしデータ主義者には難しい。グーグルアース上の座標軸で北緯何度東経何度の地点からメッシがシュートを放った場合の得点確率なんてデータは取りようもないしあっても誰も見ないだろう。

僕の野球観戦は「クリケット型」だったのだ。そして大半の野球ファンは「サッカー型」である。データ型でなく応援団型だ。大雑把に括るなら、前者は理系型、後者は文系型なのである。文系の人や女性に数字を見なさい覚えないさいといっても嫌われるだけ、これはよくわかる。

しかしあえて言おう。データ型をお試しください。野球にあってほかのスポーツにない最大の美質はそこにあるのであり、ステーキ屋に行ってバラ肉で腹だけふくらまして帰るか、極上のフィレ肉を400グラム食べて帰るかぐらい満足感が違うのだということを。

きわめてやさしく解説したい。

そもそもデータは統計だから数字だ。ここが重要なポイントだ。数字というのは何かを数えた数だが実はその「質感」というのがある。英語の方が正確に言えるが、つまり数字をqualitative(定性的、質的)に見るということができるのだ。

高校生で100m11秒台はまあまあ速いが、10秒台ならすご~いというレベルだろう。このすご~いが「質感」(qualitativeness)である。100m走においては「10」と「11」は「質感が大いに違う」のである。これがわかってれば短距離走は五輪だろうが国体だろうが見て楽しめるし、興奮も味わえるだろう。

これが男しかわからないということは絶対にない。スーパーの買い物を思い出してほしい。1パック200円のモヤシが190円なら安いねぐらいだが、特売で150円ならすご~いとなるだろう。それが200と190と150の数字の「質感」というものだ。

野球のすばらしいのは、「100m10秒台」は100m競争という競技にしかないワクワクだが、野球はそこかしこにラップや数値を測れる小さな競争種目が山積していることだ。そのどれもが独自のワクワクになる贅沢な競技なのだ。

たとえば野球の3割打者というのは僕の質感だと100mを10秒台の選手である。3割3分だと10秒を切るかもしれない。投手だとスピードガンで160km、防御率1点台、200奪三振が9秒台レベルの感じだ。

だから、そういう投手からたとえば高卒の新人打者がホームランでも打てば、ものすごくすご~いなのだ、いや、そこでは、はばかることなく立ち上がって声を大にしてチョーすご~いを叫ばなくてはならないのである。

これができるようになると貴女にとって野球観戦はいままで想像もできないほど楽しくなることを保証しよう。それにはデータに関心を持つことだ。簡単だ。「何が10秒台か」を片っ端から覚えればいいのである。

近くにいる野球オヤジにそれを質問してみればいい。おっ、キミ、すごいね、なんて喜々として教えてくれるだろう。このホームラン、あり得ないですよね、この対戦成績で!・・・なんて言ってみよう。キミがトップセールスなんて、あり得ないことがおきるかもしれない。

 
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Categories:若者に教えたいこと, 野球

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