スコットランド独立住民投票
2014 SEP 18 22:22:16 pm by 東 賢太郎
このブログに書きました逸話で、いかにスコットランド人がイングランドを嫌いか、いやいやそれは言い過ぎだ、好きではないかがおわかりいただけるでしょうか。
ロンドン時代の最大手顧客といいますか、当時最大の日本株投資家であった某機関投資家のファンドマネージャーS氏がスコットランド人なのは有名でした。このアカウントを担当するのは当時の野村ロンドンでは代々エースの方ばかりで、いよいよ自分がその番になった時は武者震いがしたものです。
S氏に「担当になりました」とご挨拶に行くと、何か質問されましたが、ききとれません。ショックでした。ここからの売買注文は1回100億円単位にもなります。それを電話だけでやるわけですから聞き間違えたらえらいことです。スコットランド語は外国語の外国語で、Sさんとの商売は実に緊張しました。
ところが、今日たまたまあることでロンドンに電話したところ、オペレーターにつながりました。これが何を言っているかわからないのです。ゆっくりくり返してもらってもまだわからない。仕方ないのでスペルを言ってもらうのですが、例えばa for apple(アップルのa)と念押しの単語を言ってくれるのですが、その単語の方が聞き取れないという、僕にとっては衝撃的なことになったのです。
そこで詳しい友人に聞いてみると「ああ、最近はコールセンターはグラスゴーかインドですよ。それはグラスゴーにいっちゃいましたね」でした。Sさんのスコティッシュよりもっとすごい人に当たったわけでした。
スコットランド独立の是非を問う住民投票の結果ですが、明日にはいよいよわかりますね。ブックメーカーのオッズは今の所、賛成は4.33倍、反対1.22倍だそうで反対がかなり優勢のようです。スペインのカタルーニャと並んで2大イヴェントになりそうで、どちらの地も仕事やゴルフで何度も行ってますからおなじみ。とても他人事と思えません。
もし日本でもこういうことが起きたら?やるならどこだろう?考えてみるのも楽しいですね。賭け屋が出たら不謹慎と潰されそうですが。
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国家とは(朝日新聞とSTAP事件など)
2014 SEP 15 14:14:29 pm by 東 賢太郎
ペンシルヴァニア大学ウォートン・スクールで、何の授業かはもう忘れてしまいましたが、先生が「国と企業とは敵対的な関係にある」と指摘したのが新鮮でした。彼が使った hostile (敵対的な) という形容詞のニュアンスは非常に強いものです。
米国の政治家や兵士はGod(神)の御名で誓いを立てて合衆国のために職務遂行をします。僕もミクロネシアに会社を作るとき、当地は米国法ですから米国式のoath(宣誓)を致しました。だから、神の代理人としてやっている国と敵対するという表現は実に重いものなのです。米国民と連邦政府とが決裂した、民が神に決定的に逆らった初めての事例が、ベトナムの反戦運動ではなかったでしょうか。
前回、「孤独権」というものについて書きましたが、実は企業ほどそれを求める者はありません。企業が僕個人の様に哲学したり音楽を聞いたりするわけでないのでそれは経済的な面に限定した話ですが、国家が神であろうと人であろうと対立をいとわず、自分で自分の時間を支配し、干渉を避け、自己責任で最良の人生(企業の継続性)を希求する。少なくとも米国では企業とは本質的に、純粋に、そういう存在であり、特に株式会社制度というのは会社法によって当の国家がそれを法的に認めたものです。
企業とは利益にならないことに時間を使うことはありませんよという暗黙の了解のもとに資本家からお金を集めて成り立っている存在です。無益なセールスマンの売り込みをきいたり、利益の出ない研究などに1秒たりとも時間をさくことは許されないのと同じで、国に過剰な分量の報告書を書かされたり箸の上げ下げまで指導されるようなことがあれば利益が犠牲になり、資本家の認容を得られません。つまり「孤独権」が保障された国の住民であることは大前提で、それがないなら僕と一緒の理由で海外移住を考える存在なのです。
会社の存続は収益のみに依存します。収益は孤独のままでは得られません。それを好むと好まざるとに関わらず、孤独を捨てて他者との関連をもって初めて生じます。商機を得るためには他人の都合や時間に支配されたり、好まざる譲歩を迫られたり、理不尽なマージンを飲むことを覚悟することもあるでしょう。つまり利益とは孤独権の犠牲で生まれます。犠牲という代価を払って得た利益の一部を搾取されるなら、それは孤独権を一部拠出したということになるのです。それが、支払う側から見た場合の税金という物の本質です。
税率というのは、孤独権の少しの拠出で、その大きな侵害を防げるなら良しとするぎりぎりの所に設定されなくてはなりません。不測の侵害から守ってくれるのはありがたいのですが、いつ何時邪悪な心を発して権利を過剰に侵害するかもしれないのが権力だというのが西欧の考え方です。その権力を握る者の邪心を縛るためにあるのが憲法であり、それがやりにくいので改正手続きのバーを低くしましょうと国家が言いだすというのは本末転倒でありましょう。
国家は警察官としてはありがたいが、ちょっと間違うと強盗にもなる、だから性善説、性悪説でいうならば当然に性悪説でしょ、というのがウォートンの先生の言葉であって、そういう相手(国)とはhostile(敵対的)な関係であるのは当然と理解されるのです。ここが、税金を年貢とカン違いしている日本人と決定的にちがいます。日本人にとって国とはクニであり、言うことを忠実にきいていれば守ってくれ、泣きつけばお金をくれる慈母のような心のふるさとであって、いつも変わらぬ「性善説」なのです。
外交、軍事はともかく内政において政府性悪説寄りに立っている有権者が多いアメリカでは政府の税金の使い方に厳しいのは当たり前で、国民の権利保全をする役目の国家に権利侵害されても仕方ないかどうか、という観点から国家を見張っているわけです。これが市民革命で自由を勝ち取った国民の常識です。しかし我が国は明治政府がそれの形骸を輸入しただけで、国と国民の関係は江戸時代までの藩主と農民の関係とちっともかわりません。少なくとも潜在意識のうえでは。
例えば、きのうTVで安倍政権の女性登用をやっていて、「女性に優しい社会を」とアナウンサーが言ったところ、「それはいいことですが、機会均等をいうなら優しいかどうかより公平性が大事でしょう」と言う人がいる。そうしたらこの女性アナウンサーが、「安倍さんは家事で奥様を手伝うそうですよ、だからぜひ皆さまも」とくる。将軍さまを見習いなさいです。社会に出ている当の女性がこういう江戸時代か北朝鮮なみの精神構造のままだから女性が社会進出できないんだという説得力には富んだ番組でした。ちなみに公平が大事と言ったのは英国人の大学教授でした。
もっといえば、この家事を手伝うというのが小保方さんに割烹着を着せたのと同工異曲の臭いパフォーマンスで、こういうのに騙されやすい国民の民度の反映であるのです。アメリカは家庭の半分以上がCATV(ケーブルテレビ)契約をしていますから、番組を流す方も視聴者のレベルを選別できます。しかし国民の大多数が地上波の公共放送番組を見る日本では、視聴者のアベレージに合せるしかないでしょう。
それが小学校高学年レベルになってしまうというのはおそらく米国でも大差ないか、むしろもっと下でしょうが、知識人も小学生につき合わされているというのが我が国固有の問題であります。知識人ではあっても、TVの潜在意識下でのイメージ操作には引っかかります。それに新聞が加われば、我が国は非常に政治的な意図による大衆のオピニオン操作がやりやすい国ではないかと危惧します。
朝日新聞の従軍慰安婦誤報は各種興味深い展開を見せています。あんな報道を米国のプレスがすれば即刻抹殺です。まして嘘でしたなどとなれば責任者は国によって暗殺されるかもしれません。報道できたのも不思議だが今度は間違いでしたと国民に謝罪する。しかしこの事件は社長の言う「朝日新聞に対する読者の信頼を大きく傷つけた」というレベルではないでしょう。嘘を書いたなら信頼はもう残っていないだろうと思うのです。
ところがそれに対する批判を見ると、謝罪が遅いだの、掲載を断られただの、黒塗りになっただの、社長はいつ辞めるんだなどの騒ぎになる。そうではなく、朝日のやるべき唯一のこと、信用回復する唯一の道は、英文で、世界に向けて、真実はこうですと、社長名で発信することではないでしょうか。国民に謝罪するのは不買運動が怖いだけと思われてしまいます。いま大多数の国民にとっては、朝日の経営や信頼よりも、朝日を敵視する勢力のプロパガンダよりも、慰安婦の銅像まで建ってしまった外国での日本国、日本人の信頼回復の方がどう考えても大事ではないでしょうか。
こういうマスコミに洗脳されてきた国で、徴収された年貢の使い道を見張ろうなどという発想は期待できませんから、あの公衆の面前で泣きわめいた市議が税金泥棒問題を喚起してくれたのは実に健全です。彼自身は西宮市の不利益でしたが、彼の行為は国益になりました。僕がSTAP論文捏造事件は徹底究明すべき国家的問題であると思うのは、捏造とわかっていた行為に多額の税金が投入された形跡があるからです。私事であった偽ベートーベン事件とは次元がまるで違うのです。
大衆の洗脳、扇動という米国の手段、手法はそれ自体が非常に体系的、科学的であり、ほとんどの日本人には何のことか見抜けていない魔法のような「マーケティング」という学問にすらなっています。ウォートンで僕はそれを「仮想のケチャップ製造会社のCEO役」という想定でグループスタディとして学びました。そこで我が社のケチャップのプラスイメージを増幅する装置としてのCM、プレス報道の米国的な意味を知りました。ケチャップを候補者に置き換えれば、その手法はそのまま選挙活動です。
昭和20年に米国は日本を領土化しませんでしたが、異教徒を直接支配するという無用のリスクを冒さずに為政者を傀儡(かいらい)として間接支配する道をとったと思われます。防衛権と外交権がないことが国家と地方政府の違いの定義です。軍隊のない国に外交などありませんから、安保条約を結んだ瞬間に、明確に論理的に、日本は米国の州となったのです。
この間接統治とは英国がインドを支配した手法です。英国は我が国に対し「日英同盟を破棄しましょう」とは一度も言っていない。「日英二国間条約を解消して、米国を含む多国間条約にしましょう」と言っただけです。日米二国間関税協定では日本は納得しないからTPPにすり替えて押そうというのと同じ「ネコだまし」です。その時点では英米の国益は一体になっており、日本統治の手法も合体、統一されたと思います。
米国と殺し合いをして300万の尊い命を失った代償としては軽すぎますが、少なくともその犠牲に報い、平和に生きていけることへの感謝のためにも、日本人はもっと知り、学び、決断しなくてはいけないことがたくさんあるものと思料いたします。
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今年の甲子園
2014 AUG 26 17:17:08 pm by 東 賢太郎
三重高校は強かったです。正直のところ大阪桐蔭が10点ぐらいとっての完勝かなと思っていましたが逆に三重が押してました。三重は勝ててましたね。失敗したスクイズや最終回の選手起用はよくわかりませんでしたが、監督さんは今年からの新任だそうです。アマ野球の監督というのはとくに外部の方の場合はいろいろ大変でしょう。短期間にチームをここまで引っ張りあげた人の判断なのだからあれはあれで良しです。
勝負にタラレバはないので大阪桐蔭が一枚上手だったということです。前回、野球留学の話を書きましたが、その最大の派遣元は大阪と思います。そこで地元に残った子たちなのだから強いだろうと思ってしまう。ダルビッシュもマー君も巨人の坂本も大阪から出て行った方なのだからと。
ところが大阪桐蔭のベンチ入り18人中11人(福岡4兵庫3 奈良2 愛知1 広島1)は留学生だったそうです。一方の三重高校は2人だけでそれも隣の愛知県からなのでほぼ地元のチームといってよさそうです。予選参加校数で見ると大阪は180校で三重は62校です。大阪が勝ったとはいえそれほどの差は感じませんでした。この世界、事情はそう単純なものではなさそうですね。
今大会、全部見たわけではないですが、プロですぐいけるような選手はいなかったような気がします。松井秀喜、松坂、藤波、田中、松井 裕樹みたいなですね。昔になりますが井出元、鵜久森などすごいと思いましたがプロへ入ってからは今一つ。名球会入りした投手の半分も甲子園に出ていないなど、あそこで勝つこととプロでトップクラスになることとは別な話なのだということがだんだん納得できてきます。今年、僕が見たうちで印象に残った投手は東海大相模の先発の子(3回までですが)だけでした。
高校野球というのはおそらく多くの人間が人生をかけて切磋琢磨している数多ある業界のひとつの縮図です。あらゆる技能、職能、職業において、その分野の甲子園クラスの人はいます。野球の甲子園に出る子はたしかに鍛えられていますが、一般高校球児の中での偏差値は60-65ぐらいではないでしょうか。それがプロで通用するとなると75-80でしょう。受験でのイメージですが50と60の差を1mとすると60と70の差は10mはあります。80となると100mでしょう。50の子でも努力で65ぐらいは届きますが 70以上はどうでしょう。
僕のもう一つの趣味である音楽でもそう思います。演奏家はショー、人気商売の側面があるので難しいですが、歴史の淘汰を受ける作曲家はまやかしがきかず、85ぐらいの人しか名が残りません。それ未満の人は調べると星の数ほどいて、後世の人は彼らのソナタをこまめに聴くほど人生に時間はありません。演奏家も80ぐらいでなければ当代の最も耳のこえた聴衆をうならせることはないと思います。それを耳のこえてない人向けのショーが補完しているという業界構造です。科学では85以上がノーベル賞候補にノミネートぐらいでしょうか。そういう人をひとり我が国が失うことになったSTAP論文事件は非常に罪深いと思います。
 
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シティ銀行の個人業務売却
2014 AUG 21 2:02:26 am by 東 賢太郎
シティ銀行の個人業務売却にはいろいろ思う所がある。国内の資金量3兆6千億円は地銀の30位ぐらいで決して小さくはないが、そこからの預貸業務収益がシティの株主の眼から充分に大きいとは思えない。低金利下で資金需要が伸びない現況から、グローバルの資本配分で日本が劣後したとして不思議ではない。
シティがリテール業務でターゲットにしたのはハイネットワース(HNWまたは富裕層)の取り込みと思われる。今回の決定は、長年にわたるそのターゲット追求を放棄したということであり、長期にわたるデフレがあったとはいえ個人の貯蓄が減少したわけではない日本市場にどうして見切りをつけたのか、非常に興味があるところだ。
日本のHNWビジネスは砂漠の蜃気楼だ。巨大な湖に見えるが、近づくと消える。シティに限らず世界の名だたる金融グローバルブランドがプライベート・バンク(PB)の看板を掲げて試みているが、成功したという話はただの一度も聞いたことがない。海外ブランドに弱い日本人なのにどうしてなのか皆が不思議に思っているが確たる正解はどの外資も見えていないようである。
いや正確には、見えていないのは外資系の本社幹部で、日本で執務に当たっている日本人幹部や社員の気の利いた人はわかっている。わかってはいても、せっかくいい給料をくれるのだからそれを教える必要もない。今回、シティ幹部や株主はやっと長年のレッスンを経て蜃気楼の真実に到達したということなのかもしれない。
スイス時代にクレディ・スイスのPB部門の幹部がこう教えてくれた。「PBとはね、お客様と一緒に遊んでプライベートを共有するビジネスなんです」。この原則に照らすと、日本がダメな理由がおぼろげだがわかる。それをご説明しよう。
日本のサラリーマンはお客のプライベートを自分の上司や会社と共有する。まずこれが論外である。信用して秘密を明かせる人のことをセクレタリー(secretary)という。会社でペラペラしゃべる人にシークレットを言う道理がない。コンプラ部門に報告義務でしばりつけられたサラリーマンには困難である。
しかしもっとダメなのは遊ぶ方だ。HNWと遊んで「プライベートをこの人と共有したい」と思うほど楽しませるのは、満員電車で通い500円の弁当を買っているサラリーマンには気が遠くなるほど無理だ。なぜかは説明できない。つまらないからだろう。
接待ゴルフや宴会が遊びだと思っているならHNWビジネスは永遠に無理である。それが通用するのは大企業のサラリーマン社長や経営者である。なぜ通用するかというと、彼ら個人はHNWの一員ではないからだ。
HNWの多くは日本における事業の成功者である。日本国内のなまじっかな話題や知識でサラリーマンが太刀打ちできる相手ではない。海外についても、仕事も遊びもよく知っている。付きあっている人のレベルが高いので情報はもとより諜報も知っている。
資産は自社株がほとんどで事業はうまくいっている。うまくいったからHNWなのだ。だからその配当利回りを上回らない事業や運用など興味をもつ理由がない。証券会社や銀行の店頭にチラシが置いてあるような金融商品を紹介してみればいい。二度とアポイントは取れなくなるだろう。自社商品だけ売ろうと意図するなら自殺行為だ。
最後に、これが一番大事だ。HNWは人を見抜く。見抜いてきたからHNWになったのだ。巧言令色などひとたまりもない。だから本音で体を張って付きあわなくてはならない。本音のないプレゼンやセールストークだけの人、体を張る胆力のない人とは毛頭無縁のビジネスである。
僕の経験から思いつくことをざっと書いてもこんなもので、シティが大志を抱いてHNWビジネスの看板を掲げたところで、それを現場でやるのは所詮は日本人だ。金融経験が必要だから全員が元はどこかのサラリーマンだ。
だから必然的に無理なのである。
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NHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」の感想
2014 JUL 31 18:18:21 pm by 東 賢太郎
NHKスペシャルを拝見した。まず、NHKが「不正」と題して気合いの入った番組を作ったのだからそこまでの証拠があるのだろうというのが第一印象だ。
ただその証拠は番組では明示されず、関係者、学者らのインタビューから理研、小保方氏、笹井氏が論文不正をしたようだという推察を生み出そうというトーンで描かれた印象でもある。
これは日本人に限ったわけではないが、悪い人がするのは何でも悪いことだという思い込み(前提A)は広くある。「悪いこと」の証拠はなくても、その人が悪い人だと思わすことができれば「悪いことをした」(結論B)ことになってしまう。
これを演繹法というが、前提Aが常に正しいならBは正しいと証明される。しかし、悪人だって善行をすることがあるから間違っている。だから結論Bは正しいとは言えない。
そうやって問題になるのが冤罪であり、大昔の魔女裁判もその一例だ。そこまでいくと「トンデモ演繹法」だ。きっと続編があるのだろうが番組がここで終わるとそういうものだったようにも見えてしまう。
僕は科学の素人だし情報源はプレスとネットしかない。それでもアームチェア・ディテクティブは可能で、僕がもっと知る分野での仮説をもっている。それは3月のブログにある。ところがそれに2万4千のアクセスをいただいたのはいいが、インサイダー取引の傍証として各所に引用されてしまったのは非常に困る。
第一に、インサイダー取引=悪人⇒悪事、というトンデモ演繹法に加担する気は毛頭ない。第二に、内部者取引を構成する重要事実はないか立証が難しい。それでもインサイダー取引だと言ってしまうのは法学部卒業生の良心から堪えがたい。
第三に、不正利得があった可能性があるとはブログに書いたことだが現行法の網にかからない、まさにインサイダー取引でない、そこに論点があるのであって、それをインサイダーだと騒いでしまったらなんのこっちゃなのだ。
米国ではかような経済犯をSEC、FBIが動いて逮捕しており法整備もされる。だからウブな日本を狙った可能性があるのであって、それが僕の仮説を構成している。論文不正があったのかということとその仮説は別の話だ(正確には、仮説の一部分の構成要素である)。
ただ僕の論法は「もしAならBがうまく説明できる」というものだ。それ以上はできない。これは帰納法(厳密にはアブダクション)といい前提が正しくても結論が絶対に正しいという証明力はない。
僕は「刑事コロンボ」が好きだが彼の方法はアブダクションだから物証がないと逮捕できない。それがない場合が面白い。アブダクションで得た結論Bを正しいと仮定して今度は華麗に演繹法に転じてみせ、犯人にカマをかけて尻尾をつかむ。だめを押すのは物証か演繹なのだ。
不正を立証するならコロンボみたいに「事実」と「論理」の組み立てによらなくてはならない。トンデモ演繹法はいけない。それで世論ごと追い込むのは政治手法であり、政治で人を裁くことは法治国家であってはならない。
僕個人的には小保方さんや笹井さんが悪い人という印象は別に持っていない、というよりも、どういう人かというプロフィールやご評判には関心がない。仮説に何の関係もないからだ。
少し前だが理学博士の竹内薫氏が「ES細胞との混合は超絶テクニックだ」として、「5年10年とずっと細胞培養をやった人じゃないと出来ないと思うんですよ」「小保方さんはそんなこと出来ないと思いますよ」とTVで指摘した。
だから彼女は「誤りによる混入の可能性は常に否定できません」と言っておいて「でもあるとしても過誤です。故意じゃありません。だってそもそも経験不足の私にそれはできないのになぜ私が疑われるのですか?」と言えば逃げられただろう。
ところが彼女は「コンタミ(混入)が起こらない状況が確保されていました」と言い、混入はない=STAP細胞なのだという路線でつっぱった。だから、論文撤回(=STAP細胞ではない)となると、混入があった、それは故意がないとできないと追いつめられている。「不正」とは故意があったと同義であることは言うまでもない。
一方、笹井さんは、「論文撤回でこれは仮説に戻った。しかし、STAP細胞が存在すると仮定しないと説明できないデータがある。検証する価値のある仮説だ。」とした。早稲田論文と同じで「草稿」段階でネイチャーに提出しました、勇み足でしたごめんなさいということだ。
論文不正?とんでもない。あれは単なるフライングです。まだ「存在すると仮定しないと説明できないデータ」解析のプロセスのさなかですよ。プロセスはまだ終了していないんです。だから検証実験をやるのです、というはこびになったと思われる。
この笹井さんの論法もアブダクションである。このロジックはホシを推理する手掛かりにはなるが、最後にはしかし、「コロンボくん、証拠はどこにあるんだね?」とうそぶくホシを観念させる「物証」がないと意味がないのは前述のとおりだ。
時効成立までに物証が出なかった、あるいは、そのデータも捏造だった、別な理由で説明できたということが「検証」される可能性もあるが、もしそうであれば、そのいずれにしても、STAP細胞は暗い闇の中に戻ったということを意味する。
NHKの論法がトンデモ演繹法ではないことを祈るが、不正を証明するならSTAP細胞とされたあの物体が何だったのか、伝聞ではなく即物的な事実を究明することだろう。
万一これが暗闇の幻、誘蛾灯だったとするなら、何かの理由で誘い出された日本の科学者の方々はむしろお気の毒に思う。本件はさらに大きい構図があると思うが、これもアブダクションゆえ物証がいるのだ。あの世からピーター・フォークを呼んでこないといけないだろうか。
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キャッチボールと挨拶
2014 JUL 26 21:21:00 pm by 東 賢太郎
人を知りたければ友達を見よ、といわれる。目は口ほどにものを言いともいう。しかし僕の場合、その人を知りたければキャッチボールをしようというのが最も信頼度が高い。
もちろん野球ができない人やほとんどの女性には使えない。でも、ちょっとやった人なら、うまいへたではなくもっと鋭い本質的なことを見出すことができるのである。これにごまかしは一切きかないことは野球経験者ならば納得して下さるだろう。
僕は球場に入ると試合前のキャッチボールを必ず見る。何万人の客の誰よりも真剣に見ているに違いない。プロは例外なくうまい。当たり前と思われだろうがキャッチボールは実は難しい。相手の胸にピシッと「礼儀正しい球」を投げなくてはいけない。この「礼儀」という感覚を説明するのはむずかしい。スピードではない。ただ胸に来ればいいわけではない。不思議と投げた人の人格や気持が球質となって見えるのである。良い球を受けると、ああ良い野球をしなくちゃと思う。監督や先輩に言われなくたって勝手にそう思う。だから僕はそれにはうるさくて、礼儀のない、だらしない球を投げる奴は二度と相手に選ばなかった。
これは何か古くさい精神論を振り回しているように聞こえるかもしれないが、実践的なことである。たとえば投球が必ずシュート回転している人がいる。たまたまでなく全部。内野投げの人に多いのだが、実は内野が一番だめだ。ファーストが捕りにくいから内野ゴロの捕殺率が落ちる。しかしいけないのはシュート回転ではない。それに一向に気がつかない自己修正能力のなさ、神経の目の粗さこそ癌なのだ。自分がゴロを追ってどういう姿勢になろうと相手が捕りやすい所に捕りやすい球質で投げてあげる、それが捕殺率の高い内野手だ。そういう心の姿勢こそが「礼儀」なのであり、だからこれは精神論ではなく戦術論である。
自分が礼儀ある球を投げると、ちゃんとした受け手はそれがわかる。無言でグラブを固定して、ピシッと威儀を正して捕球してくれる。パーンといい音がする。これが上級者同志のキャッチボールである。お主やるなの世界だ。いいボールにはおのずと威厳があるのであり、いい選手はそれに必ず畏怖の念を覚え、例外なく敬意を表してくれる。これができないのにいくら練習してもいい野球は無理だ。硬式野球部でも全員がうまいとは限らないし、だめだと例外なく野球も下手だ。だから5球もやれば、相手の実力というのはわかってしまう。
球場に行ってこれを見るだけでも金を払う価値がある。先日もカープの丸、赤松、菊池、木村、田中の球を見ていた。本気で投げてないが捕球した感じはリアルに想像できてしまう。丸は素直だ。人柄もたぶんそうだろうから投手向きでなかったかもしれない(甲子園で投げた投手だが)。田中が一番重い。彼はああいうストレートな人だろう。才人である赤松のはちょっと癖がある。結局、投げた球には人が出ている。でも誰もが相手をリスペクトした礼儀正しい球を投げている。良い野球をしようといつも心がけている。だからその結果として、プロなのだ。
キャッチボールはそうした奥深い、投球というものの小宇宙である。人間、生きていくには挨拶や会話やメールのやり取りをしているが、これもキャッチボールと同じだとつくづく思う。うちのノイ(ねこ)は名前を呼ぶと返事でちゃんと挨拶してくれる。礼儀がある。ネコだってきっとなにかしらのキャッチボール的な意味をこめて返事している。これが阿吽の呼吸ですっといくと、人ともネコともうまくいく。会社や世の中で「コミュニケーションを大事に」と言っている。それは挨拶しましょうと同じだ。キャッチボール・野球の関係と同じで、挨拶できない人はコミュニケーションも下手だ。
ネット社会はメールで意思疎通する。一度もお世話してない人から「お世話になっております」と来る。ということは、こっちはそう思わなくても、これが挨拶であるということらしい。挨拶が定型化して、意味も感情もネコの挨拶ほどもこもっていない無機的な「記号」になっている。記号はないと変だからついているだけだ。キャッチボールは記号化して「やったことにしましょう」という世の中ということだ。ということは確実に野球は下手になっている。コミュニケーション能力は劣化している。まして礼儀など育つ土壌はないということだ。
ネット社会は便利だが、恐ろしいこともある。こうして誰も気づかぬところで人間と社会を変質させているからだ。それが恋愛や友情や人間関係も犯罪も変質させている。だから引きこもりで妄想にふけった挙句の犯罪者が出たり、なりすましや捏造で世間を平気で騙しておきながら、悪いと思っていませんでしたなどとしゃあしゃあと答える不気味な人間が出てくる。ここまで病が進むと「キャッチボールをしっかりやろう」では無理だ。それが下手なのは問答無用で落とす、それを社会に認識させる、そして努力する者には手をさしのべる、努力した者だけが栄冠を得る、そういう当たり前の順回転のプロセスを社会にもう一度確立するしかない。
なりすましや捏造で悪いことをした者は「それが悪いことなのだ」ということを厳罰に処して性根に叩き込み、青少年にそう教育することが社会全体のため、日本国の健全な発展のために必要である。特別なことは必要ないし、逆回転に振れることは危険でもある。しかし別に難しいことではない。罪刑法定主義を順守して、当たり前のことを司法当局がやればいいだけである。
ねこだまし
2014 JUL 25 17:17:48 pm by 東 賢太郎
ねこだまし(猫騙し)
相撲で,立ち合いに相手の目の前で手を叩き,相手がひるんだすきに組み付いたり,技を掛けたりすること (三省堂 大辞林 第三版)
ウチの「のい」は手を叩いたぐらいではひるまない(手は止まるが)。
一度見据えた獲物はのがさない。
もう忘れてかけていたSTAP問題。パチンパチンとねこだましの音でかえって思い出した。ねこと国民と、どっちが騙しやすいか。
地方議員問題。あまりにくだらぬゆえ「ねこまたぎ」したが、3万人もいればああいうのが通ってしまう。
税金を使う側への監視を制度的に強めるしかない。オンブズマン制度である。行政の悪事は国民が摘発する。ネットの眼は天網恢恢、欺けない。そしてネット選挙につなげる。大臣にも国会議員にも審判を下し、だめなのは落とす。2つの問題が示唆しているのはそれである。
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脱法ハーブと証券犯罪
2014 JUL 5 20:20:13 pm by 東 賢太郎
脱法ハーブが問題になっている。英語ではsynthetic cannabis(合成大麻)であり、大麻の薬理成分であるテトラヒドロカンナビノール (THC) の効果を模倣する合成カンナビノイドを含むハーブ製品である(Wikipediaなど複数のソースによる)。
渋谷でこれを禁止するデモが起きているのを知って不思議に思ったのは、「脱法」であるなら「違法」とすべく法改正すればいいではないかと疑問を持ったからだ。しかし、調べてみると、それができないから問題なのだということがわかった。
自然科学が関わる領域での法律制定というものには限界がありそうだ。素人考えではあるが、例えばグルタミン酸は「コンブ、チーズ、緑茶などに大量に含まれるほか、シイタケ、トマト、魚介類などにも比較的多く含まれていることが知られている。」が「致死量はLD50=20g/kgである。」(以上、出典Wikipedia)。これはうまみ成分なのか毒なのかはともかく、それを知ったとてコンブやお茶を販売禁止にできるわけでもないだろう。
また法律というのは禁止する対象をしっかり定義しないといけない。さもないと冤罪や医療目的利用の阻害など問題を呼ぶ。大麻取締法、覚せい剤取締法にある定義がそれだから、大麻の薬理成分に模擬した新薬は取り締まれない。だから脱法となる。厚生労働省は「合成カンナビノイド類」を指定薬物として包括指定(772物質)する省令を公布し、3月22日から施行されたが化学式に改変を加えた合法な新物質を作る(出典Wikipedia)という「いたちごっこ」になっているようだ。
「いたちごっこ」は証券犯罪の領域でも長年にわたって存在する。特にその代表的なものであるインサイダー取引規制がそうだ。インサイダー取引とは金融商品取引法(法166②)に列挙される「重要事実」なるものを公表前に知ってその株式を売買することである。だから「重要事実」にないものでその株式が上がる(下がる)という情報を知って売買してもそれには当たらない。では「重要事実」とは?ここで上記の脱法ハーブと同じ問題が発生するのである。
もうひとつに「風説の流布」というものがある。相場の変動を図る目的をもつて風説(虚偽の情報)を流すことである。明白に虚偽とは言えなくとも、合理的な根拠のない情報であれば罰せられるおそれが ある。包括規定であるため抵触する行為の範囲は広い。そのため必ずしも個々の案件で検察が捜査を行うとは限らないが、東京地検は企業買収に絡む株取り引きで風説の流布の疑いでインターネット関連企業ライブドアの堀江貴文前社長らを逮捕(ライブドア事件)した(出典Wikipedia)。
これからも「重要事実」「風説認定」の外し方で続々と新手が開発されるだろう。元ネタが海外で作られると日本の当局には手が出しにくいという盲点をついたものが増えるのではないかというのが私見だ。アメリカから入ってくるのは脱法ハーブと同じだ。
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文武両道の人たち
2014 JUL 4 11:11:45 am by 東 賢太郎
2010年に日本代表の監督としてワールドカップベスト16となった岡田 武史氏は学年は僕の2つ下である。天王寺高校-早大であり、早稲田は政経学部と当時の入試事情を考えると大変な文武両道であられると思う。wikipediaによると彼は野球少年で岡田彰布が1学年下にいたホークス子供会のファーストだったというのも面白い。
野球界では日本ハム監督の栗山 英樹氏が東京学芸大学、NHKニュースウォッチ9のキャスター大越 健介氏が東大の投手歴代5位の8勝で史上初の日米大学野球日本代表メンバーというのもそうだ。結局どっちも大したことなかった僕にはこういう方々は仰ぎ見る憧れのアイドルだ。お三方にはますますご活躍していただきたい。
サッカーの全日本監督の語録というのがどういうわけか野球の監督のよりぐっとくるのが多いのはなぜか。イビチャ・オシム氏が選手の自己管理の甘さに呈した苦言、「ライオンに追われたウサギが肉離れになるかね?」。貧困家庭で靴下を丸めたボールを蹴っていた少年は多いだろうが、この一言で彼はずばぬけた知性のリーダーでもあることを知る。
ザッケローニ氏の敗戦の弁、「このチームの監督でいられてうれしかった。もう一度、選べたとしても同じメンバーでいく」。あそこでこの一言が出る。日本の選手たちに金言を残して下さった。プレーヤーとして実績はないがイタリアの「ビッグ4」の3チームの監督をやった男だと改めて知る。
運動歴のない僕がどうしてスポーツが好きかというと、こういうすぐれた人たちがいるからだ。結果は結果であり、全力でフェアに戦ったらもうあとは人の問題ではない。彼らの言葉に、その全力、フェアのあり方はどういうものかを教わる。アンフェアでケツをまくって逃る達人の多い昨今、スポーツって本当にいいなあと思う。
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権力は金なりである国家の品格
2014 JUL 2 1:01:11 am by 東 賢太郎
すごく若いころ、メキシコのテオティワカンという古代遺跡に行った。入り口の通路は10mぐらいのトンネル状のものが2本並んでいる。どっちが進入路、退出路ということもなく人が行き来していて何の気なく左側へ入って歩いて行った。すると急に真ん中あたりにいた警備員風の男がピピーと笛を吹いて通せんぼをし、何か不明の言葉でここはだめだあっち側へ回れ(たぶん)と指をさした。仕方なく入り口まで戻って、右側のトンネルを抜けて外に出た。ふりかえると、だめといわれた左側を人が平然と歩いてくる。
「おい、なんだ、あの野郎、日本人だと思ってなめてんじゃねえか」 「東、ちがうんだ。あいつな、要はやることないんだ。仕事のふりだよ。」 「うそつけ、やけに偉そうじゃないか」 「あのな、こういう国はな、わけもなく権力をふるいたいんだよ。賄賂もらえるから。」
なるほど。そういえばインドネシアやベトナムでも同じようなことをいわれた。何事も賄賂次第だ。ODAなんかも半分は軍や役人の懐に入ってしまうんだと。公権力、イコール、お金なんだ。権力を持つと賄賂を取って財力がつく、するとその金で権力を買えるようになってますます財力がつく。中国の高官が何兆円(!)も貯めるのは、そういう加速度的な増殖原理でも利用しないと物理的に一代でできる金額ではない。あの警備員もそのうちトンネル通行税でも取って太ろうとしていたのかもしれない。メキシコの名誉のため、これは四半世紀も前の話だということは記しておかねばならないが。
先進法治国家では賄賂は収賄、贈賄として法によって処罰される。だから口利き料、キックバックなどに形を変える。裏金になってしまうが表に出す方法はある。マカオのカジノはそういう連中を客にするためジャンケットと呼ばれる営業マンを置いている。負けた金の4割ほどをスイス口座等に振り込むサービスがあるらしい。裏の10より表の4の方が価値があるという所で料率の相場が決まってくる。宝飾品で渡すという手もあるが指輪等は税関でひっかかるから時計を使う。ダイヤのついた5千万円のロレックスなんかを誰が買うのかと思ったら、賄賂でもらっておいてそれを何気なくはめて海外で6-7掛けで業者に売ると表になるそうだ。パチンコの景品交換みたいなものだ。
権力者がいちいち「場代」を取っては著しい不公平と非効率を生む。この場代と税金がどう違うかは非常に深い問題である。もちろん役人の懐に入るか国庫に入るかは決定的に違う。しかし国庫に入ったところで自分のして欲しいサービスにそれが使われる保証なんてない。そもそも歴史的には払う側にとっては、それがどっちであれ身と生活の安全が保障されるなら同じという時代も長くあった。公共サービスが身の安全保障だけではなくなった現代になって、サービスを行う行政府が配分を予算化して国会で国民の承認を得るというシステムは、それでも一応は民主的であり合理的でもあろう。
しかし最近いろいろな事件を見るにつけて、行政府に対する国民の目というのが予算承認までしか届かないのはどうかと思うようになってきた。予算さえ通ってしまえば役所のやり放題ということにならないかどうかだ。国家安全保障と外交。これは国家にしかできない専管事項だから政権のジャッジに従うしかない。民主党の事業仕分けのように予算の入口から断とうとしても何が不要不急かの判断は難しい。それよりも予算執行にあたっての監視機能を強化する方が現実的だと思う。例えば私見だが東アジア情勢からしてこれから防衛予算が増えるならそれはそれで仕方がないだろう。だからそれを監視する機能も必要だ。集団的自衛権は安保条約あっての概念で、独立国家に当然存在するものをなぜ容認するのか先日イギリス人に説明するのに苦労した。そういう性質のものであり、安倍政権には毀誉褒貶あることは承知の上で僕は現在のところまで特に大きな違和感を抱いていない。逆にあのまま野田政権が続いていたらと思うと、消去法的にではあるが是とする部分も多い。
安倍政権が信任を得たのはアベノミクスの第一の矢が成功を収めたからだ。アベノミクスというのは金融政策で始まった。それは自殺行為だという指摘は、それが財政均衡と経済成長に帰着しなければ通貨価値を犠牲にするだけだという意味においてなら正しいが、金融政策は所詮問題の先送りで無意味だという批判は理論的には一理あるが政策論としてはそう言い切れるものではないと思う。しかしその僕でもやや危険と感じるのは、政権(日銀ではなく)の量的緩和政策(QE)へのこだわりである。これはサブプライム問題を発端とする米国の金融危機への対症療法の劇薬であって(だから米国だって終焉させようとしている)、その傷が相対的に浅かった日本で別な目的で利用して副作用のない療法かどうか歴史的に検証を経たものではない。基軸通貨特権で通貨価値をマニピュレートできる米国だから許されるものであって、そうでない円がそれに耐えられるかどうか、米国のご指導で危険な実験をさせられているようにも見える。株式市場でも似たことをする目の粗い神経の人たちが本当にリスクをわかっているのかどうか不安になってきていることを指摘したい。
安倍政権の政策が米国型バイアスのあるものであることはQE以外にも散見される。生命科学、高度先端医療など科学技術イノベーション戦略へ予算投下して知的財産を輸出財としてゆく、またそこに女性登用を図るというのも米国的だ。第三の矢を従来型産業が牽引する時代でない以上そちらは法人減税で対処して、新成長分野に重点的に予算配分すること自体は正論だと思う。しかしそれが米国のようにうまくいくというのは文科省の予算取りのペーパー上の話だ。米国では産学共同研究等に資本投下するエンジェル投資家やベンチャーキャピタリストの資金が潤沢という土壌があるが我が国のそれは比較にもならないほど貧弱である。問題はお金の有無ではない。投資家は自分の出した資金の使途を厳しく監視するということが重要なポイントだ。一方、我が国は中小企業基盤整備機構が税金を赤字のバイオベンチャーに救済投資したりしている。間にファンドを噛ませているが、監視が米国並みに厳しいかどうか、それを監視するのは役人である。
和田秀樹氏の著書「医学部の大罪」によると、大学医学部は3つの機能である臨床、研究、教育のどれにおいても二流であり、それどころか、医学・医療の進歩の最大の抵抗勢力となっていることが書かれている。それは医局のボスである教授に権力と金が集まるシステムが原因だそうである。権力イコール金。何のことはない開発途上国なみの不公平と非効率がまかり通っているように見える。STAP問題は論文捏造問題と理研特定国立研究開発法人指定問題が合成された複合事件だと思っている。国家的やらせである。医局のボスの役割を理研で誰が占めるか、それに文科省の天下りポストをどうかぶせるか。CDB解体はそのプロセスの一環に吸収されれば痛くもかゆくもなく、国民にはいい目くらましだろう。ボス候補に都合のいい笹井氏が失脚すれば専門家でない天下りの居場所もなくなるから小保方再現実験が11月まで必要になる。彼女が望んでいるかどうかなどの問題ではない。秋の臨時国会まで彼を逃がす時間稼ぎとあわよくばの国民の同情票による目くらましのためである。安倍内閣はSTAP問題幕引きを間違うと政権ごとリスクを負うと指摘する外国の友人がいる。
同じ友人はこういうことが平気で行われてしまう国で米国型の外形を取った一見もっともらしい政策を導入するのは危険であるとも指摘する。ハーバードのバカンティのように日本人にリスクだけ取らせてゼロ・コスト・オプションをせしめようとする者も出てくる。米国のヘッジファンドは獲物を狙うワニのように冷静に日本国債の空売りタイミングを待っている。QEの度が過ぎて円が売られ国債が下がったら国民は大変な国難に巻き込まれるリスクがあるとも指摘している。こういうことをウォッチするのが国会だがだめだ。レンホーのSTAP問題追及などまったく見当はずれで彼女は汚名挽回を逸機した。国債のリスクを正確に理解、察知できるほど証券市場に精通した国会議員はほとんどいないだろう。
日本国民が総体としてこういうことを見過ごすほど鈍感だとは思わない。権力イコール金という図式を温存して利権取得を図る者は古代から世界のどこにでもいるのであって、今の日本だけが腐っているわけでもない。大事なのは、予算が通れば役所のやり放題という状態をチェックするのが役所であり、公務員は性善説なのか犯罪は贈収賄以外は想定されていないようにも見える現状である。しかし国民が市民オンブズマンを組織すれば済むかというと、その機能はあったほうが無難であるとは思うもののそれをまた悪用する者が出ることもある。つまるところ制度を制度で繕うパッチワークには限界があるということだろう。
最後によりどころになるのは国民の常識だと思う。世界40か国を訪問し5か国に赴任歴のある僕として、我が国は、少なくともある一定数の国民はそれができる国であると信じる。開発国並みの権力と金の構図や不届きな論文詐欺のようなものは、構図の利害関係者である行政府やマスコミがどうこうする前に国民が世論として断罪すべきなのであって、古代からのどの時代とも違って、ネット社会の住人である我々は行政でも司法でもなく何の権力もないにもかかわらずそれができるという強力な武器が与えられている。僕の投稿したあるタイトルのブログは今現在22,669人が読んでいる。これは権力ではないから金に結びつくこともない。結びつきたいのはただ一つ、品格だ。実名投稿だから間違えば自分も断罪される。そういう緊張感の中で微力でも国の品格に資するようなこと。ネット発信者に求められるのも品格なのだと思う。
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