ガーシュイン 「ラプソディー・イン・ブルー」
2016 NOV 13 1:01:31 am by 東 賢太郎
大統領選はお祭りでもある。僕的にはヒラリーは裏表がありそうで好かない。負けてくれんかなあと思ってた。ウォール街、株式市場の住人なんだから彼女を応援すべきなのだが、僕の嘘つき政治家嫌いには理屈も損得もない。消去法のトランプ応援だったが、狡猾なインテリでも利権だけの職業政治家でもないのはいい。不動産や株のディールに嘘は通用しないし、口だけのインチキ野郎でなさそうなニオイのするところを有権者は見たと思う。
このお祭り、五輪やワールドカップといっしょで4年おきだ。そのたびにアメリカにいたころを思い出し、それが20代のはじめだったことに甘酸っぱい思いをはせる。僕にとって欧州やアジアは後でやって来た外国だ。分別が多少ついて、大人として味わった。米国はちがう。マックがご馳走に思え、ステーキの大きさに驚き、マンハッタンの摩天楼に感動し、英語がなんとかわかるようになり、という子供でおのぼりさんだった自分がまだそこに立っている。
そんな自分が61にもなったいまアメリカをどう思ってるかというと、なかなか一口には言えない。数えきれないほどのすばらしい思い出があってもはや抜き差しならないが、問答無用に好きなところ、ちょっとナメてるところもあるし、嫌うところもおおいにある。アメリカを去ってからの目で見れば複雑だが、しかし、甘酸っぱい思いに駆られてもはや美点凝視していたいと思うようになったのは年のせいだろうか。
思えば昭和30年生まれの僕は、原爆が落とされ東京が焦土となってわずか10年で生まれた子供なのだ。なのにアメリカは好きなんだって?70年たっても日本を恨んでる国があるのに、それって異常なことじゃないか。GHQの洗脳?そうかもしれないが、それだけじゃない何か、人種も何もなくどこの人でも惹きつけてしまう何かがアメリカにあったんじゃないか?そうだ。確かにそうだと僕は思っている。
海外初体験は大学3年のこれだ米国放浪記(1)。単なる観光旅行やホームステイなんかじゃない、脳髄に刻み込まれる強烈な衝撃で人生怖いものなんてなくなってしまった。この洗礼がなかったらひ弱だった僕が証券業界なんかでとても生きてこられなかったろうし男としての自信とハラがアメリカで完成したのは間違いない。人生来し方をふりかえるにつけ、ふる里という感じすらしてしまう。
大学4年で1か月語学留学したバッファロー大学、入社3年目でウォートンスクールの準備として1か月コースに通ったコロラド大学。修士課程の殺人的カリキュラムだったMBAの2年とちがってお気楽なもんで、素晴らしい環境のキャンパスライフは楽しくて夢みたいだった。まだ英語もままならずで周囲のすべてがカルチャーショックの連続であったが、だからこそ幼時の記憶みたいに今もみずみずしく、一番恋い焦がれるアメリカの思い出かもしれない。
ルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカーフィールド。3位決定戦で元巨人の人と投げあって4-2で負けたけどOutstanding Player賞をもらったのは人生のすべての経験のうちでダントツ1位の誇りだ。けがで野球を断念したけど、神様が人生最後の9イニングをアメリカで投げさせてくれた。30年ぶりに再会したチームメートが、「練習でお前が投げた20球な、1球もあたらなかったぜ、シット(くそ)!」と笑いながらぎゅっとハグしてきた。アメリカンだ!
ポコノにスキーに行きすがら無人の雪道で脱輪して途方に暮れたときトラクターで牽引してくれたおじさん、家内の緊急手術を6時間かけて成功させカネがないので保険に後づけで入れてくれた大学病院の先生、試験のあとよ~し憂さばらしするぞ~とフラタニティ(学生寮)で大勢で朝まで飲んでちょっと書けないどんちゃん騒ぎをしたクラスメートたち・・・、ほんとうに我々はこのひとたちと戦争なんかしたんだろうか?あの美しいミクロネシアのチューク島を空爆して何千人も日本人を殺したのはこのひとたちなんだろうか?
僕が知っているのはプライドに満ち満ちた強いアメリカだった。我々はエスニック扱いだから不愉快なことも数知れずあったけども、野球なんかで力を見せつければケロッとあっけないほど素直に認めてくれるフェアな国でもあった。やればいくらでもリッチになれて、何にでもなれる気がした。あの無限の沸き立つような高揚感、まだ20代で無限の時間とエネルギーがあった自分。アメリカというのは日本にいたら見なかったかもしれない夢をくれて僕をかきたててくれた恩人ならぬ恩国であり、それそのものがもうノスタルジーになっている。トランプさん、中国に負けるながんばれ。
そんな想いがギュッと詰まって聞こえるのがラプソディー・イン・ブルーでなくて何だろう。高校時代にこのオーマンディ盤をきいてとりこになり、アメリカを夢想し、行ってみたい!!!となってしまった。そうなると僕はもう止まらない、それが「米国放浪記」のあれになる。そしてそれが人生を変える。何の理屈もない、音楽のパワーってなんてすごいんだろう。
こちらはフランス人のカティア&マリエル・ラベックのピアノデュオ。日本ではラベック姉妹と売り出したがピンカラ兄弟みたいで品がない。センスと切れ味が最高で、一発で気に入って買ったLP以来ずっと愛聴している。
これは必聴の自作自演で、2重録音したピアノロール。この曲のピアノソロは手がでっかくて重音の指回りが速くないと苦しい。この録音はガーシュインが名手だったことを示すが、技術が語法を生んで名曲となることがよくわかる。
この音楽に未知への冒険とその先の夢を聴いていたあの頃は遠く過ぎ去って、いまはマンハッタンの煽情的なネオンサインと埃っぽい喧騒と、夜のしじまのけだるい郷愁と慰撫と、初冬の朝の曇り空と冷たく乾いた空気なんかが次々と脈絡もなく脳裏を巡り巡っている。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
トランプは何をするか
2016 NOV 12 0:00:36 am by 東 賢太郎
まずは我が事から。急に出てきたディールがあって、険しかった山をやっと一つ越えて帰国しました。この数日が大詰めで悪いことに大統領選による株の暴落が重なって血の気が引きましたが、株価もさることながら一番苦労したのはセトルメント(決済)。証券会社が長くてもセトルは自分でやったことない。法律も実務的なことはよく知らない。銀行、弁護士に助けてもらいましたがアドミ部門は生命線ということがよくわかりました。今年はもうこれで終わりでいいかな、心身ともに疲れてしまいました。メールをたくさんいただいていて一つも返事を書けなくてすみませんでした。
トランプ勝利確定のニュースは某国にて移動中の車中で聞きました。べつにこれを予測していたわけではありません、あれだけヒラリー有利の報道がありましたからね、そう思ってました。これはやっちまったなという感じかな。彼はウォートンスクールだから先輩なんですが、ビジネスマンとしてあそこまで財を成す(米国で成功はそういうこと)のは大変にしたたかなはずです。放言癖のバカなわけない。マスコミ、政官界のインテリはビジネスの修羅場知らないからわかんないだろうね、そういう種族を馬鹿にしてるしね。だから彼らお得意の常識論でヒラリー有利という直前の予測が出たんだろうと思う。
ウォールストリートのワルから見れば株式市場なんて何も知らなくてカネには目がない弁護士あがりのヒラリーのほうがチョロいんです。ゴールドマン・サックスなんてプライドくすぐって公演させて何千万円やって利用しまくってましたからね。中国の江沢民マネーもそこにつけこんだね。甘いということです、だからFBIに急所を突かれた。トランプはそうはいかないですね、彼はくだらんカネで使われる不利益を知ってるし手金ありますしね、彼と交渉したらとてつもなくタフな感じがします。
当たったとかはずれたとか、勝利の背景は何かとかどうしてヒラリーは負けたとか、そんなのは災害の後講釈であってどうでもいいんですね、それを知ったって生きてく知恵にはなりません。台風や地震が予知できなきゃニュースや解説者や専門家の後講釈なんて意味ないでしょう。僕の関心事は「どうしてインテリを納得させる常識論の予測がこんなに外れるようになったんだろう」ということに尽きます。天気予報だって毎回外れれば何か天変地異が起きてるかもしれない。世界の政治シーンでそういうことが起きてるに違いない。
それは何度も書きましたが、WTOに加盟した中国のビッグバンで何億人の貧民が一気に富豪になって世界中で爆買いしてる。そういうことです。欧米の白人が貧民にならないと、ゼロサムゲームですからね、そういうことは起きないんです。あまりに当たり前のことでしょう。そういう白人がトランプの隠れ支持者になったし、移民は出てけ!でBrexitしちゃった英国の田舎の白人もそう。ギリシャ危機はいうまでもなし。全部おんなじ現象であります。インテリはそこの感度が低い、だから外れるんでしょう。
20世紀の先進国が大貧民ゲームで負けて、しわ寄せは各国の下層に行きますからどこの国でもどんどん二極化が進んで「一揆」が起きてる。トランプは世界最大の一揆をうまく扇動したんです。しかし富豪の彼は下層よりの政策、どっかの国の子供手当みたいなことはメキシコの壁作りぐらいやらないだろう。ビジネス感覚でなんの意味もないですからね。だからEU、ロシア、中国、日本と「ディール」に入るだろう。国を富ませてやがて下層まで潤うという方法で。強いアメリカを作る、そういってるのは本当でしょう。
口だけの政治家はいらん!と言ってるのは「やる」ということ。やらんビジネスマンは無能ですからね。オバマはほんとうに口だけだったしやったことはろくでもない、ダメな方向のチェンジだけでした。8年もやってるうちに大貧民ゲームで負け組に入りだした。ではここからトランプが何をやるのか?誰もまだ知らないわけですが、勝ち組に回る策を練るでしょう。彼が吹いていた荒唐無稽な策は、その眼で見れば一貫してます。どういうゲームなのか、彼がわかっているとすれば面白い。確実に何も変えなかったはずのヒラリーよりよっぽどいいですね。最大のリスクはそれが凶と出ることでしょう。でも彼はリスクのあるディールはやらないような気がする。それをやる者はあそこまで経済的成功者になれないからです。それは法則です。もう少し先が見えてきたらまた書きます。
(ソナー・アドバイザイーズのブログ)
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
不穏になってきた世界の政治
2016 NOV 5 13:13:21 pm by 東 賢太郎
米国の選挙は誹謗中傷のしあいでbadとworseのドロ試合みたいな感じがしてこないでもありません。トランプは元から口撃がひどいが、ヒラリーは私用メール問題、情報管理という政治家の本質的な事を相手の下ネタで切り返してもねという印象はありました。たぬき蕎麦ときつねうどん?おいこの店はそんなメニューしかねえのかよ?って感じですが、日本にとってはトランプの方が結果的には組みしやすいのかもしれません。
そういう中で訪日したフィリピンのドゥテルテ大統領、その米国に引導を渡して脅しておいて(あれは米国は一種の愛情表現と取ってますから)、そのポーズをダシに中国に近寄って煙に巻いてカネを巻き上げておいて、挙句に技術をもらいたい日本には秋波送ってきてわけがわからんのですが、ワルなのか狸オヤジなのかいっぱいケンカして鍛えた悪ガキだったんだろうなあ、とにかく見事なもんですね。
チャーチルがそうだったらしいし田中角栄もそうですが、何考えてるか最後まで分からない、女性ではサッチャーやメルケルみたいに化学や物理の理系頭で言葉が重く口が軽くない、どこかそういうもんがないと海千山千相手の国家元首外交はおろかビッグビジネスの商談だってのっけから務まりませんわ。出てくるなり「ワタシは反対です!」が額に貼ってあるみたいなチンケなのは話にもならんのです。
お国の利益のために外で使う二枚舌三枚舌は一向に構わんですし、相手もそういう奴ばっかりですからね、それができない元首というのは会社でいえば営業力のない創業家のお飾り社長のようなものです。我が国にそんなのを選ぶ余裕などなく、二枚舌三枚舌で国民をだまし外国にへこへこするようなのは打ち首にすべきですが。
そうしたら隣でこういうのが出てきて仰天いたしました。
韓国には友人もおり何度も行って個人的には親近感もありますが、どういうわけか国家となるといろいろ難しい。心配してます。この局面、霊媒師から元ホストのご友人まで登場してきて、聞くところによると「貴女のお母さんは貴女に道を譲るために亡くなったのです、天命なんです」なんてそそのかされたらしい。それで意を決してなっちゃって、天命のままに操られて行き着いた先が史上最低の支持率4.8%だった。
韓国には「国民情緒法」とされるものすごいものがあります。そんな法律はないのですが、マスコミが騒いで国民の情緒を乱したら法律なんか関係ねえ~、お前は極悪人だ~何でもありだ~という風潮から憲法より上位のお化けみたいに姿の見えない法律があるんですという意味です。真面目にそう仮定しないと理解できない判決が現実に出るからあながち揶揄とも皮肉ともいえないですね。情緒は為政者のご都合で検察やマスコミを使っていかようにも変転するから判例法でもなく、世界オンリーワンを誇れる法概念でしょう。
それを知らない日本人が「おい、約束したじゃないか」と怒ってもだめなんです、必殺の「国民情緒法」出されちゃえば。「ウソつき~」なんて罵倒しても屁のカッパですよ、法律だから。そこはお師匠さんである中国と同じなんですね。地元紙をコピペしたら自分だけつかまっちゃた産経新聞事件がそうだったでしょ、しかもこの朴槿恵事件で彼女が消えれば、去年ホラホラ10億円あげたじゃないのってのもそうなるリスクがあります。週刊文春の書きぶりと売れ行きで判決が決まるに近いでしょう。四権分立なんですね。
朴槿恵氏は孤独だったんだろうと気の毒な気すらしますが、そういう国で逮捕でもされればもうどういう決末に落ち着いても仕方ないなと思うしかありません。あらぬ人に国家権力を与えて取り返しのつかぬことがありえるのが民主主義の欠陥、独裁者を生んでしまうのが最大のリスクと習いましたが、学校の先生もびっくりのこんなリスクもあった。弓削道鏡やラスプーチン級の千年に一度ぐらいの事件をも防げない欠陥制度なのだと教科書を改めないといけません。正しい歴史認識は大事ですからね。
防衛、外交の国家最高機密。それを盗み出すのに何人も撃ち殺されたり毒殺されたりするんじゃなかったでしたっけ、TVや映画や小説で育った僕らの常識では?それがもう古いというならエシュロンみたいな最新鋭通信傍受システムやスーパーコンピュータでしか解けない暗号なんかでね。意味不明のおばさんにコピーを渡してましたなんて、インターネットですらない牧歌的風景はシュールですらあります。スパイ映画のストーリーに革命が起きそうだ。
北朝鮮がそれを入手していたら、作戦内容までつつぬけだったリスクにはぞっとしますが、何も起きてないのは官僚が賢くて大統領にはその程度のしか渡してなかったんじゃないのという気すらしますね。でも申しわけないが韓国は思いっきりナメられて、いけてねえなって馬鹿にされてるでしょうね、核ミサイルを保有してただでさえ何をするか読めない悪ガキにですね。ひいてはそれは日本の安全保障にだって大きく関わる。他人事ではないです。
朴槿恵氏、さはさりながら、お血筋もあることだ、けなげに国益を思って慰安婦像をあちこち立ててましたからね、韓国にとってはまぎれもない立派な愛国者でしょう。やってることの是非や品位や程度問題はともかく自国を愛することはどこの国民だって当たり前のことだし、そういう元首が選ばれてるのは自然であって僕は何ら違和感はありません。それでもこういうことが起きるということですね、民主主義という仕組みは。そうクールに考えねばなりません。
デモクラシーを「主義」なんて呼ぶからわけわからんのですが、いわゆる民主主義は「法制度」に他なりません。ちなみに日本国の現行法制度では、外国の旅券も持ってる日本国の国会議員が渡航先の国からその旅券で秘密裏に中国に行こうが北朝鮮に行こうが、そこで何をバラそうが誰と密談しようが、日本の出入国さえ日本旅券で済ませば日本ではバレないそうです、法務省によると。げに恐ろしきかな。
これから起きること
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
二重国籍問題について(追記あり、11月2日)
2016 OCT 6 20:20:11 pm by 東 賢太郎
(1)二つのアウエー感
国籍というものをちゃんと意識したのは海外に住んでからです。それまでは空気みたいにあって当たり前のもので、日本人なんだと強く意識するのは旅行先の空港の入国審査でパスポートを見せるときぐらい、おそらく多くの日本人の皆さんにとってもそんなものではないでしょうか。
海外に行って、そこに住んでしまうと、しかし様相は変わってきます。僕はこれを「二つのアウエー感」と呼んでいます。第一に、母国や家族や日本語がなくなってさびしい(喪失感)。第二に、有無を言わせぬ周囲の自分に向けられた冷徹な目線と態度(孤立感)、です。僕は5つの外国でこれを味わいましたが、5者5様のちがいはあるものの基本は同じです。
第一と第二の間には大きな差があって、ハワイに旅行で1週間いたって喪失感は出てきます。ああWifi弱いなあ、あの番組見たいなあ、ネコ元気してるかなあ、おいしいお寿司つまみたいなあなどですね。いっぽう、孤立感はその国の社会に入らないと出ません。そこでは「あんた誰?」という冷たい目線にさらされますが、旅行者はある意味「お客さん」だからそれは飛んでこないんです。
「あんた誰?」とくれば必要なのは、まずアイデンティティー(ID)です。そこでマイ・ネーム・イズ***なんてやったってそんなのはIDにならない、ジス・イズ・ア・ペンって言うようなもの、ハア??ってなもんです。何より先にくるべきはアイ・アム・ジャパニーズなのです。名前がIDなのはもちろんですが、それより前に国というIDがくる。日本ではありえないそんな経験をしてみると、「日本人」のありがたみがじわっと身にしみてきます。
(2)日本はすでに超一流国である
それは「日本」という国のイメージのおかげです。それが決して悪くない、というより、僕は40か国以上で仕事ですからアイ・アム・ジャパニーズをやりましたが、その経験からして日本のイメージは世界でも最上級のランクにあるといえます。国内ではなかなか実感がわかないのは「強い円」の恩恵が海外で買い物でもしないと実感できないのと似ています。外国から見ると日本はあこがれの国であり、できれば日本人になりたいという人はいくらでもいるのです。
でもワタシ海外なんて行かないし関係ないわという人もおられるでしょうが、日本製品が高く評価されて世界中に輸出でき、日本に爆買いにまで来てくれる。その経済的恩恵は莫大で、日本に住んでいても気がつきませんが、めぐりめぐって誰もが享受しているのです。中国人が自国の茅台酒(マオタイ)を成田空港でお土産に買って帰るので不思議に思って聞いたら「我々中国人は中国人を信用しないんです。ここにある品物の取り扱いは間に日本人しか入ってません、だから絶対にニセモノがないんです」といわれびっくりしました。
このエピソードは、日本製品が品質で売れているばかりではないという点で注目されます。日本製、日本人が作った(メード・イン・ジャパン、メード・バイ・ジャパン)ですらない、「ボート(bought)・イン・ジャパン」(日本で買いました)に価値があるというのです。もはや品質の問題でなく、中国製品でも日本人から買えばウソがない、騙されないと中国人が考えているということです。これは凄いことだ。僕が海外にいた頃からその兆候はありましたが、まだ品質への信頼が主で日本人への信頼は従だった。しかし昨今は「日本人」は信頼のブランドになった気がします。格段に一流国、一流国民へとグレードアップしていると感じます。
(3)どうやってここまで来たか?
そんなイメージが一朝一夕にできるものではありません。江戸末期の開国、明治の近代化以来、150年もかけて先祖代々営々と築いてきたものです。10年やそこらの猿まねで追いつけるなどおこがましいも甚だしい。思えば僕がロンドンで株式営業をしていた1980年代、日本も猿まね(コピー・キャット)と蔑まれたものです。しかし日本がまねを乗り越えたのは古来日本だけにある物づくりへの執念、匠のこだわり、誇り、技の伝承といった「根っこ」があったからです。それがない国がうわべの「なりすまし」をいくら巧みに作ったところで、即刻お里は知れてしまうのです。
日本が中国、ロシアと戦争して勝利し、最後は米国と無謀な大戦に挑み敗戦国、被爆国となったぐらいは世界は知ってます。しかし凶暴、危険な暴徒と思ってる人はもはやなく、まじめに働いて経済一流国として復興し、トヨタやソニーをつくり、ドラえもんを楽しむ平和な国だというのが平均像でしょう。日本人が永遠に凶暴、危険な暴徒であってもらいたい国は困ってそこに慰安婦像をぶつけてみたりしますが、そんなことでびくともしないほどこの平均像はもう立派に確立されています。
(4)とんでもない自虐史観
僕は日本の近代史の教え方、文科省はもちろん司馬遼太郎らの腰抜けの史観に大反対で、「明治の日本は素晴らしかった、大正で曲がり、昭和で滅んだ」という見方はおかしいと思います。ましてGHQのおしつけた自虐史観プログラムによる洗脳計画など論外も甚だしい。教室でほぼ無視され入試にも出ない昭和史は細部から見るとたしかに内政がひどいのですが、国民国家になってたかが半世紀後の揺籃期の出来事と思えばいい。二・二六事件など千年後の日本人が教科書で読めば大化の改新よりはよっぽどわかりやすい、普通のことでしょう。
国民国家の日本は単に2勝1敗なのであり、最後の負けは多くの血を流した大敗、無謀な大失敗であったのですが、その犠牲があってより一層強くなりつつある、そう思えてなりません。誤解のないように申しておくと、それは軍事においてではありませんし僕は軍国主義者でも右翼でもありません。正規軍すらない丸腰状態なのに強い、こういう強さを有した国家は世界史上いまだかつて存在したことはないという事実に驚き、日本人はそれに自信と誇りを持ち、そのパワーをどんどん使うべきだと考えているのです。
(5)国籍を持つとはどういうことか?
国籍というのは、そうした国家の歴史や遺産を背負ったものです。アイ・アム・ジャパニーズと名乗ることは、相手の外国人からすれば「あの日本人か」ということなのです。それを背負う覚悟があれば外国の方が帰化して日本人を名乗ってもまったく構わないでしょうし、政治家でない方々が二重国籍であることは日本国だけが排除できるものではない方向でより明確な法整備がなされるのでしょう。しかし僕自身は16年間に5か国に住んでみて、そこの国民になりたいと思ったことは一度もありません。どこの国も好きになったし多少の税金もお支払いしましたが、だからといって参政権を得たり国籍を取得したいとは思いませんでした。
なぜなら、僕はアメリカやイギリスやドイツやスイスや香港の生活や文化遺産は大いに楽しませてもらったが、歴史は背負えません。それを外国から守る兵隊になろうとも思いません。国籍取得とはそこに住んで仕事をして税金を納めることだけじゃない、その国を愛してるかどうかなどでもない、そういう重たい権利・義務がくっついているんです。特に国や国益を守るという義務ですね、僕自身が戦後生まれだから兵役という観点に実感が薄く、永世中立国のスイスの政治家が国を守るという強い意識で結ばれているのを見てその意識においては「我々は特別な国の国民なんだ」と痛感しました。
だから、他人事ではなく、日本人にはそもそも国籍というものの重み、実感、意識が薄いということを我々は良く自覚しておかないと行く末を間違うのです。兵役がない特別な国だからこそ、国を守るのは政治家に委ねられた重たい仕事になってくるのです。国家にあって地方自治体にないのは外務省と防衛省です。その二つだけは国家でしかできない、国家であることの証しであります。薩摩や長州が勝手に英国と戦争したり、こっそり留学生を派遣して外交、貿易もしていた、そうなったらもはや国家は骨抜きであって、その通りに徳川幕府は倒されました。
その外務、防衛を司る総理大臣が二重国籍者であっていい。現状の日本国の法体系がそうであるなら、それはそもそも国というものを否定した奇想天外な骨組みです。違法でないからいいでしょと許すべきものではない、即刻に法改正をすべきです。中途入社の社員が優秀だからと社長にしてみたら実はライバル会社の社員でした?そんなものはジョークにもならない、世界中のどこであれ、あり得るはずもないのです。
僕は二つの祖国を持つ方々の気持ちはある程度はわかっているつもりです。16年も海外で生活しましたし、ハーフの友人や部下もおり、子供時代の苦労も気持ちも、ある時は涙も、いろいろありましたし察することぐらいはできていると思います。そういう個人的な思いは、しかし国という共同体、法律という国のフレームワークの議論とは別の物です。愛があれば、かわいそうであれば、何でも許されるという韓流ドラマみたいなものではないのです。
(6)日本人はいい人だから危険
ほんとうにそう思います。涙が出るくらい。旅先で出会う若者もご老人も、お店や食堂のおばちゃんも、駅員さんも、いや自分の両親や親せきだって、16年たってすっかり浦島太郎で日本に帰ってきて、ああなんてやさしくていい人たちなんだろう、こんな人たちは世界中どこにもいない、このままでいてほしいと思ったのをありありと覚えています。カルチャーショックでした。
東日本大震災での必死の救出、助け合い、おもいやり、心の絆のやさしさといった、我が身をも省みない美談の数々は世界の、隣の韓国の人々をさえ驚かせ、その外国の反応がひるがえって日本人を驚かせました。それが日本なのです。どうして被災地のそこらじゅうで犯罪がおきないんだ、が世界の通常の反応でしょう、それがいい悪いではなく、世界はそんなものなのです。こんないい国はふたつとありません。
こんないい国を守りたい。あたりまえのことです。僕は怖くて仕方ないのです。こんな警戒心のない、いい人だけの国!田舎は鍵もかけないし、落とした財布はそのまま返って来るし、借りたお金は必ず返すし、いい人同士だからすぐ信用するし、ガイジンが日本語をしゃべればすぐ「いい人仲間」にいれちゃうし。めちゃくちゃ危ない。オレオレ詐欺はそこにつけこみましたが、あれは日本語がうまくないとできない、「日本語」、これがポイントです。それさえうまければ、容貌はともかく、いくらでもダマすことができるだろう。
今の日本人が凶暴、危険な暴徒などとんでもない話で、我々は大戦まではそうだったかもしれないという歴史は負う必要がありますが、だからこそ二度と戦争をしない国でありたいし、矛盾するようですが、このままの日本であってほしいと願うのです。矛盾というのは、このままだと安全保障はほんとうに大丈夫かという懸念を僕は持つ者だからです。いい人がいい人のまま生きられるユートピアでは世界はない、それを見てきてしまったのでそう思うのです。
ライバル会社に籍があるまま役員やってた者が「社長を狙います」だ。二重だったんでしょと追及されると、いえあの会社はもう潰れましたんでだ。もう笑ってしまうしかないが、この人は国籍をどう思っているんだろう?歴史をどう思っているんだろう?これからのご発言はお笑い番組として楽しめる。この政党が政権に在った3年3か月があっても日本国の屋台骨は大丈夫だったというのは実に有益なストレステストでした。日本はもう充分に強いのであるという。昭和で、敗戦で、だめになってしまった日本史ではなく、それがあって繁栄した国という新たな、類例のない歴史を築く入り口に我々は立っていると思います。
(追記)「極めて個人的な件」なので戸籍は開示しない(蓮舫議員)
ははあ、蓮舫さんは日本語が巧みですね。中国語もネイティブ並みと聞きましたが。いつも感心しますが日本語力、なかなかいけてますよ。なるほど「個人的な件」には「極めて」と「そうじゃないの」があるんですね?ということは、そんなに「物凄く」まずいことでも書いてあるんですね、戸籍に?首相になろうという公人が国民に開示できない「物凄く」まずいことが履歴として公文書に書いてあっちゃあ、それこそ物凄くまずいでしょ? いえ、「個人的な件」ですからね、蓮舫さん個人のこととしてはいいんですよ、ぜんぜん興味ありませんし。でも民進党は党の存否を争う大問題じゃないですか、こういう人を首相候補にしているシャドウ・キャビネットじゃあ党ごと不適格ということになります、自動的に。しかし自民の独走、一人勝ちは、これまた健全でないのは東京都政を見ての通りで、強くしっかりしたリベラルは民主主義国家には絶対に必要です。
(追記、10月17日)
「台湾籍離脱手続き不受理なので相談したら、強く選択の宣言をするよう行政指導された」(蓮舫議員)
ははあ、「強く」指導されたんですね、弱くじゃなくってね。なるほど、「行政手続きに則ってやりました」って風に聞こえますよね、本当に日本語がお上手ですね。
そんなことはどうでもいいでしょう?「受けつけてくださいませんでした」なんてことはぜんぜんあなたの事件には関係ないのです。あなたは「戸籍法104条で国籍選択宣言したのが今年10月7日でした」、要するに、「今月初めて日本国籍を選択しました」って白状したんです。「国籍法違反」はどうでもいい、こっちの犯罪が問題なんです。この意見に抗議するなら戸籍を示せば済みます。
示さないならこういうことになります。つまりあなたは1985年に国籍を取得してから31年9ヶ月間、日本国籍を選択しない「二重国籍」のまま、参議院議員に3回当選したというのが事実なんです。2004年の選挙公報で「1985年 台湾籍から帰化」と大ウソをついて、国民を騙して国会議員になった罪がこれで発覚したわけです。
公職選挙法(虚偽事項の公表罪)
国会は立法府で、議員は法律を作る人です。「私は作るだけです、自分では守りませんけど」なんてのは申しわけないが日本では通用しないんです。経歴詐称をしたショーンKとかいう人がいましたが、ことは芸能界ではない、日本国の将来の命運を決める国政の場にホラッチョがいてはならないんです。こんなのを見逃し、なあなあで済ませたら「蓮舫はOKでなんで私はだめなんですか?」という輩が無限に出ます。未来の日本国民に重大な禍根を残すことになります。我が国は法治国家です。政府与党および司法に対し厳正な法の適用を要求いたします。
(追記、10月30日)
上記の罪状で市民団体が蓮舫議員を刑事告発しました。まったくもって正当なことですね。
台湾籍は抜いたと思っていました、父の言葉がわからなかったので、それで22才での国籍選択をせず20数年放置しましたが「故意」はなかったんです、だから「帰化」と選挙公報に書いたんです。
近々にパスポート使用歴が出れば即死ですね。故意が証明されますから。これは法治国家の法律問題です。逃がしてはいかんのです。
次に、法律違反ではありませんが、ウソはいかんですねウソは。二重国籍も台湾籍も僕は一般論としては全くかまわないが、公の場でこれだけ大嘘を軽々とついて平気な人は性根からのほら吹きなのであって、芸能人ならともかく人の上に立つ仕事が務まる道理などあるわけないだろう。党代表どころか議員資格剥奪に至る問題である。日本国民をなめるのもいい加減にしていただきたい。
(追記、11月1日)
公職選挙法違反は時効ですなどという記事が出ている。こんなものが出ること自体、事実であった証拠がこれから出てしまうことを前提としていよう。しかし、ウソをついても相手を長くだませば罪が消えるとは初耳だ。どうせつくなら大ウソをつきましょうキャンペーンだろうか。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
トランプ・安倍会談
2016 AUG 28 20:20:16 pm by 東 賢太郎
ゴルフは1ラウンド・ハーフだったようですね。気に入らないと2人で9ホールはなかったろうから首相の営業力はたいしたもの。しかし取り入られないようにしないといけません。こちらに書きました。
いいタイミングでミサイルを撃ってくれました、ごくろうさんですね、これは日米連携強化にプラス効果でした。
小池都知事誕生
2016 AUG 4 0:00:22 am by 東 賢太郎
去年のちょうど今頃このブログを書いて、1年後にこういうことがおころうとは想像もしませんでした。
もちろんそれは小池都知事誕生のことですね。女性が有利に働いたのは多少あるでしょうが、この雑感に書きましたように新しい選択でもあったでしょう。
選挙前にこういうのも書いていて(バックナンバーばかりで恐縮ですが)、
終わってみて、今回は都民がばかどころか理性的な判断をしたことに安心感を持ってます。ショーにしようという姑息な魂胆にことごとくお灸をすえた。見事でした。そこに書いたことに切り込もうという意欲のありそうな人に票が入ったのは、やはり舛添問題に怒り、同様のことを考えられた有権者が多かったのかなと思ってます。
その人が女性かどうかではなく政策ひとつひとつに是々非々で対処していただくのが大切ですが、そうはいっても男ムラの旧態依然をぶちこわすのは男にはなかなかできないでしょう。海外でもまれてるのもプラスと思います。48億円もかけてなったからには、思いっきり力をふるっていただくのがよろしいと思います。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
第九交響曲- like(好き)とlove(愛してる)
2015 DEC 27 17:17:48 pm by 東 賢太郎
きのうチョン・ミュンフンが言っていたのだが、like(好き)とlove(愛してる)は違う。一目で好きになることはできても、愛するようになるには時間をかけてよく相手を知らなくてはならない。東京フィルハーモニーもソウル・フィルハーモニーも、自分はそうしてどちらも等しく愛するようになったのだと。そして、そうして、自分も両オーケストラの楽員も、その音楽を知れば知るほど全員がみなベートーベンを深く愛しているのだと。
1989年11月9日にベルリンの壁が崩れて「新しいドイツ」ができた。いま自分史を振り返ると、フランクフルトに赴任したのはそれから2年かそこらのことだった。ヨーロッパ史に残る激動の時に歴史の証人の端くれになったような気がしないでもない。企業の合併程度の話ではない。同じ民族とはいえ法律も思想も国家の屋台骨そのものを異にして長年を経てしまった東西ドイツという別の国がひとつになった。ドイツには殺伐とした緊張と不安と、その裏腹の期待に満ちた特別な時間が流れていたように思う。
それを待っていたかのように、1989年12月25日に東ベルリン シャウシュピールハウスでユダヤ系米国人のレナード・バーンスタインが東西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の6ヶ国からなる混成オーケストラを臨時編成してベートーベンの第九を演奏した。終楽章は、本来の「Freude(歓喜)」を、「Freiheit(自由)」に変更して歌われた。後述するが、その変更はオーセンティックな背景がある。第九は作曲家がそう意図したかどうかはともかく、そういう場にふさわしい祝典的な色彩をもった音楽である。演奏する者も聞く者も一つにする特別の力があるように思う。
きのう日韓合同オーケストラの見事な第九を聴きながら、ふと、ここに中国と北朝鮮のオーケストラや歌手も加えてしまったらどうなるんだろうと考えていた。モランボン楽団はともかく第九を演奏できる水準の楽人たちは、ベートーベンをよく知り、愛することができる人たちだろう。そこには曲の「特別な力」が作用でき、舞台でひとつの強いオーラとなり、聴く者を包み込むことができるのではないか。
音楽に政治が関与することを好ましいとは思わないが、音楽が政治のシンボルとして機能することはあり得るのだ。イスラエルは長年ワーグナー演奏を許さなかった。2001年7月にユダヤ人のダニエル・バレンボイムがエルサレムでベルリン国立管弦楽団を指揮してワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の一部を初めて演奏したが、大きな物議をかもした。
10年の歳月が過ぎた2011年7月26日、バイロイト音楽祭にイスラエル室内管弦楽団が招かれ「ジークフリート牧歌」を演奏した。国内ではホロコーストを生き延びた人たちから怒りの声が上がったし与党議員から楽団への予算支出差し止め要求も出た。しかし2001年時点で自国の楽団が敵地の祝典で敵性音楽を奏でるなどということは夢想だにされなかったであろう。時は日々確実に流れていることを我々他国人はシンボルによって知るのだ。
といって音楽によって日、中、韓、北朝鮮が一つになれるなどと青くさいことを思っているわけではない。バーンスタインの試みで6つの国が一つになったわけでもない。ただ、音楽がアジテーションや国威発揚の道具ではなく、その本源的な価値である「特別な力」の作用で、それを感じ取ることができる多くの人たちを一つにすることはできると信じる。それが国家が道を誤ることに対する歯止めになれればいいのではないか。
ベートーベンが第九交響曲においてあの有名なメロディーをつける欲求を抑えられなかったシラーの詩の当初の題は「自由に寄す」だった。官憲の弾圧を避けて「歓喜に寄す」となったが、底流にあるのは人間解放であり、快楽大好きのエピキュリアンの「よろこびのうた」ではない。星の彼方にいる父(神)のもとでは平等(兄弟)だと歌っているのであって、人類愛といわれるのは新興宗教のお題目ではなく支配の抑圧からの解放というコンテクストでの意味である。
僕がベートーベンはせっかく思いついた「あの有名なメロディー」で、しかも一旦は合唱と全管弦楽でそれを高らかに感動的に歌い上げておきながら、それで曲を終えなかったのはなぜだろうと思ったのは、チョン・ミュンフンがアンコールで第4楽章コーダのprestossimoをくり返したからだ。そこには歓喜、快楽、勝利、英雄という「歓喜に寄す」の部分にあった単語はもう出てこない。合唱は、
創造主(の存在)を感じるか? 世界よ。
星空の彼方に求めよ!
星々の彼方に彼の御方(神)がおられるはずだ
とラストメッセージを投げかけ、全曲の幕を閉じるのである。
僕はこれがシラーの詩を借りたベートーベンのメッセージだろうと思う。そしてそれに心からの理解と共感を覚えるし、そのためにキリスト教徒である必要は感じない。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」と述べたのと同じコンテクストでの神の存在を信じているからだ。そのもとで全人類は相互にloveを持つべきだし、そのためには指揮者の言うように「時間をかけてよく相手を知らなくてはならない」のだ。
(参考)
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
そういえばピケティって誰だっけ
2015 DEC 12 11:11:47 am by 東 賢太郎
資産は持たずに借りた方がいいという時代だ。たとえば家など、固定資産税と建物の減価とローンの金利を考えれば借りた方が得かもしれずマイホームをもって一国一城の主だと喜ぶのは地価が永続的に上がるというあり得ない幻想に支えられた満足感にすぎないかもしれない。
不動産は占有すればいいのであって所有はいらないという考え方だ。買ったって固定資産税を取られるでしょ、それ、家賃と一緒じゃないの。要はキミは国から借りてるんだよ。登記簿に名前があったって所詮は小作人なの。一国一城の主なんて踊らされてるだけでバカだねえ。地価上昇がなければたしかにこういう理屈が勝ってしまうだろう。
上がらない土地は自分で使って満足するか、他人に貸しておカネを取るしかない。自分で使うと税金が丸々コストになるから、土地持ちでも自分は税金負担が少ない都心のマンションに住んで、土地は貸して収益を得ようという人が増える。合理的なことだ。そこで「収益物件」なるものがたくさん登場してくる。
それは土地を持てる者が持たざる者から家賃をピンハネしようというもの以外の何ものでもない。それを猫も杓子もやろうという時代になった。不動産所有権の証券化、流動化という背景が後押しして土地持ちが税金を払って値上がりを待つのでなく、税金は少なく払ってピンハネ所得に依存する国民的構造が形成されてきたのだ。
僕が毎日歩く駅前商店街がある。5~600メートルあるこの道でのお店の興亡ぶりは目まぐるしい。6年前に越してきたときの店や飲食店の7、8割はもうない。出ては潰れをくり返し同じ場所に3代目の店なんてのがざらだ。肉屋がケーキ屋になり洋品店が靴の修理屋になり弁当屋になったと思ったら不動産屋ができていたという塩梅だ。
これは持たざる者がピンハネに耐えられず、ひどいのは半年で撤退なんて気の毒な事態を引き起こしてるということだ。これを見て思い出すことがある。今年の初めに猫も杓子も読んだ(とされ)、全マスコミが天照大神みたいに崇め奉ったトマ・ピケティの新・資本論である。これを日本で真っ先にボロカスに貶したのは僕であり、1年後はみんな忘れてるだろうと予言したら、そっちはハズれて半年で忘れられてしまった。
このセンセイは世界の左寄り経済学者の常例として金融証券市場にほぼ無知でありブログに書いたことに尽きるのだが、ご説にはひとつだけ美点があって、r(資本収益率)を不動産収益率に置き換えるなら、他国は知らないが我が国においてはかなりr-g>0は正しいということが僕の目撃してきた「某駅商店街」の6年間の興亡によって証明されているかもしれないということだ。
江戸時代以降の日本人はもともと親方日の丸の権力たかり体質があり、アントレプレナー(起業)体質はきわめて貧困である。成功している新興企業に在日韓国系や中国系が多いのは彼らにはそれが旺盛にあるからであって、角界がモンゴル力士依存になってしまうのも、LPGA(日本女子ゴルフ)の賞金ランキング上位5人がぜんぶ韓国・台湾人になってしまうのも同じ現象なのである。
それは、日本はピンハネ所得に依存する国民的構造形成に非常に親和性のある国であることに原因がある。海賊が作った英国やゴールドラッシュで一攫千金を夢見る山師が作った米国とは根本的、決定的にちがう。ピケティがいみじくも指摘した階級の二層化が進み、固定化し、元から一攫千金的な上昇志向がない国民に上昇なんかしなくたって楽しい人生があるんだと洗脳が行なわれる。ピンハネされる側をふやすだけだ。
するとそこで不公平議論がでてきて所得再分配だと騒ぐ。あまりに知性も思考力もない。角界からモンゴルを追放しろ、韓国人は出ていけとやるのと変わりない。負けている日本人の方がだらしないのである。たかり体質がだめなのである。政治がそういう方向に持って行かないと、日本人はそのうち全部がピンハネされる側になるだろう。爆買いしてくれる中国人だけはスマイルで迎えましょう、それがおもてなしですなんて人のいいことやってると、土地ごと彼らに爆買いされてしまうに違いない。
不動産は占有すればいいのであって所有はいらない
なんとなく知的でカッコいいのだが、ちがう。ぜんぜんちがう。不動産は所有しなくてはならないのだ。企業は社長なんかにならなくてもいい、サラリーマン社長なんて賃借人にすぎない。議決権を持てば地主だ、つまり株を所有することだ。それとおんなじ。スマートで合理的な小作人?なんだそれは?
(追記)
人の噂も七十五日とはよくいったもので、ウワサはまあ2,3か月で消える。ピケティの本が売れなくなったのは実は本の中身のせいばかりでもなくて、それを読んだとか本棚に飾ってあるというのが自慢にならなくなったからだ。こういうのを賞味期限切れという。だから噂の賞味期限は二か月半が相場という意味なのだ、冒頭の言葉は。
では噂の真っ盛りはなんというか?旬(しゅん)だ。旬という英単語はなく、in seasonとかthe best seasonであって面白くもおかしくもない。つまり旬の語感は極めて日本的なのである。食べ物の旬が二か月半というのは何となく合点がいくだろう。
株式相場を長年みていると旬で動く要素があることを知る。食べられるわけでない株に旬もくそもないはずだが、時としてある。利食いという用語があるように食える時期という感覚がある。金融緩和とは旬感覚を市場に広く蔓延させる麻薬であると言っても過言ではないだろう。
だからやりすぎると定義矛盾になる。旬のタケノコが2年も3年も旬の味のまま出回るなら、それは旬ではなく巧妙なビニール栽培なのだ。それを鋭く見抜いているイエレンは、だから金利を上げると主張したのである。ピケティ現象もそうだったが、そういうのにころっとだまされるようなら株はやめておいたほうがいいだろう。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
ラグビー日本代表と日本の国会議員
2015 SEP 22 15:15:43 pm by 東 賢太郎
ラグビー日本代表がワールドカップで南アフリカを倒すというのがどれぐらい大変なことか僕にはわからないが、ワールドカップでは2度の優勝を飾り過去4敗しかしていない強豪を、1991年大会でジンバブエから奪った1勝のみという世界ラグビー弱小国が倒したのは事実だ。すばらしい快挙と思う。
小よく大を制す、柔よく剛を制す、牛若丸と弁慶、桶狭間、ゼロ戦、小兵力士、小さな大投手・・・日本人はこれが好きだ。奇襲、俊敏性、一点突破、視点の転換、柔軟性、地の利・時の利・人の利、攻めの姿勢、小に利あり、諦めない、こういう言葉をちりばめれば中小企業セミナーでは満足して帰ってもらえるそうだ。
ジャイアントキリングという英語があるぐらい、スポーツの世界ではどこでも、そういうもので「小」が「大」に勝てるケースは実はほとんどない。それほどフィジカルというのは厚い壁であると信じていたので記事を読んでみると、「今回の大会では31名の代表メンバーのうち、外国出身の選手が約3分の1を占めました」とあった。
ラグビーW杯では出生地や国籍の別に拘らず、日本に3年以上居住している選手には、日本代表としてプレーする資格が与えられるそうだ。このルールだとオリンピックやサッカーは世界地図が変わるかもしれない。
ちなみにプロサッカー界では欧州を中心に外国人枠の議論が続いていて、「6+5制度」(スタメンで外人は5人まで)、EU加盟国の国籍はOK、EFTA加盟国はOK、自国人が最低12人など国によりまちまちだ。純血主義だけでなく就労ビザの発給という労働問題や移民問題もからんでいると思われる。
米国のプロ野球に外国人枠はないと言われているが、外国人はマイナーも入れた総数の10%まででメジャーに何人という縛りはなく、ハードルは米国籍の取得であって二重国籍でもよく、従って、実質ないに近いということだ。プロとW杯を同一には語れないが、プロの興業という側面を割り引いてもラグビーW杯の国籍基準はかなり開かれているといえるだろう。「国内」の定義が7つの海であったグローバリズムの元祖、大英帝国主義の競争原理の粋を見る思いがする。
かたや我が国だが、競技人口の減少から背に腹は代えられぬ大相撲は部屋 に1人の外国人が認められ、部屋数(54)の外人力士が幕内上位の大半という事態になった。純血よりレベル維持を図ったわけだがそれで入場観客数は維持できているから興業的には少なくとも成功だったし、「3年住めば国籍不問で日本人」というラグビーW杯基準に近い。野球、サッカーよりグローバルの最先端基準に近いとすらいえる。
「背に腹は代えられぬ」という事態こそ人も組織も国も進化させる。崖っぷちに立ってこそ人は悩み、策を練り、火事場の馬鹿力が出る。それをしなくても生きていける者は、それをした者に負けるのだ。これを「競争原理」という。それをしなくても生きていける者が支配する組織や国は、やがて亡びるか強国の属国になり下がる。なぜなら、日本国民がどう考えどういう道を選択しようと勝手だが、そんなこととは関係なく世界は競争原理で動いているからである。
「どうして2番じゃダメなんですか」と言った馬鹿がいる。はっきり書くが、この言葉を公人が吐いたのは大罪でありこんな者を永遠に許すべきではない。鎖国を辞め、資源がなく、人口が減り、周辺国が強大化する日本国は背に腹は代えられぬ崖っぷちにあるのであり、不断のクオリティー向上、つまり「1番を目ざすこと」でのみアイデンティティーが維持できるのである。市井の人の話をしているのではない、リーダーである国会議員の話だ。属国の負け犬精神をゆとり、やさしいと諭すのは属国になった方が居場所が増える連中自身のアイデンティティー維持以外の何物でもない。
ラグビー日本代表を率いるエディー・ジョーンズHCはW杯終了後の退任が発表されている。にもかかわらず自身も選手も関係なく「1番を目ざすこと」に邁進している。ジョーンズはオーストラリア代表になったことはない。1番のプレーヤではなかったが、1番を狙えという精神を持ち続け、リーダとしてやるべき仕事をしている。2番でいいやと思ったら相手ゴール前でPKを得ても同点のPGを狙わず、逆転を求めて攻めるという判断はなかった。「ワールドカップには勝ちに来たので、同点のPGを狙うという頭はなかった」というリーチ マイケル主将の言葉もなかったのである。
国会というのは法律を作るところだ。2番でいいでしょという連中が作った法律はジョーンズHCやリーチ マイケルをやがて殺すだろう。先般の世にもおぞましく恥ずかしい「国会戦術」の数々は涙ぐましいパフォーマンスと知ってはいても、彼らのアイデンティティーそのものがばっくりと露呈してしまいむしろ逆効果を心配してあげたくなるほどだ。昨今、スポーツ界においてすら「オリンピックを楽しみました」などというのが許され、結果でなくプロセスを評価しようなどという声もある。ゆとり、やさしさは大切だが、それができるのは1番になってこそであり、自分も弱くなって弱者を救いましょうという秘策は世界のどこにも存在しないのである。
ラグビー日本代表に乾杯!
(こちらもどうぞ)
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
ドラえもんはいるの?(安保問題のベーシックな解題)
2015 JUL 28 12:12:15 pm by 東 賢太郎
いまや世界を席巻する米国の人気歌手であるテイラー・スイフトは子どものころいじめにあっていて、
「いじめという逆境に負けず頑張れたし、試練にもなった。私が世界に負けないよう強くなれたのも彼女達のおかげだと思う」
とコメントしているそうです。これはいじめに耐えている子供に力となるかもしれないメッセージであると同時に、この問題が万国共通なものであり、日本人だけでなく人間の悲しい本性に根差したものかもしれないと考えさせられてしまうコメントでもあります。
ところで僕はアニメ・ドラえもんが好きなのですが、ドラえもんの人気といじめは深い関係があると思っています。なるほどと思える夢の道具の楽しさ、そこが人気の「表」の部分とするならば「裏」にあたるのは「子供社会のヒエラルキーの力学」であって、いじめられっ子である「のび太」が窮地に陥った緊張の一瞬に現れる小道具だからこそ「すばらしい!」と思わせるのです。
これは古くはおとぎ話から西部劇やスーパーマンに至る「窮地の救世主物語」と見ることができましょう。救世主が求められるのは万国共通なのです。ドラえもんがポケットから取り出してきてジャイアンをやっつける道具がピストルや凶器ではなく、ほほえましいが未来を予見もしていて、大人の僕らは「表」のほうについ気をとられるのですが、世界37か国で放映され人気になったのは大人ではなく子どもが「ドラえもん欲しい!」と共感した、つまり「子供社会のヒエラルキーの力学」のほうもグローバルだという根っこがあるからではないでしょうか。
それはとりもなおさず、いじめは世界中にあるということです。テイラー・スイフトみたいに3代にわたる銀行総裁の家系のお嬢さんでも(あるいはそれゆえに)、それに鍛えられて強くなってしまうほどいじめられた。そこに法律もパワハラも出番はないし、大人や先生は必ずしも気がつかないし、腕力で闘う力がないいじめられっ子は自衛し、自力救済するしかないのです。ドラえもんはキティちゃんのようなかわいいキャラクターとしてではなく、実在感と願望をもって愛されているのだと思います。
さらに日本人について見れば、精神構造のなかに「憎まれっ子世にはばかる」はある程度しかたないという刷りこみだってあるのかもしれません。だから大人が先生が、あるときは警察ですらが子供の悲痛なサインを見逃がしてしまう。大津や川崎の事件もそういうことがあったようだし最近も岩手で中2のお子さんの自殺という傷ましい事件が起きましたが、サインは出ていたとのことです。学校や先生に抑止力はなかったのか、仕方ないという意識が少しでもなかったか、大変やるせなく思います。
さて、このことをさらに国のレベルで敷衍して考えるべきなのが安保法案ではないかと僕は思念しているところです。残念ながら最後の大戦で敗戦国となり、完膚なきまでに打ちのめされて非武装化されてしまった我が国が「のび太」であることは認めざるを得ません。
では日本国にドラえもんはいるのだろうか?
この質問に答えるには歴史をふりかえらないといけません。1945年2月、日本が無条件降伏をする半年も前に戦後の戦利品のぶんどり合いの素案が米英ソによる密談で合意されました。その場所が今を時めくクリミア半島のヤルタ近郊であったのもきな臭いのですが、この通称「ヤルタ会談」によってソ連は対日参戦を秘密裏に決め、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州を攻撃、千島列島等を占領して今に至るのです。宣戦布告は日本大使館から本土に向けての電話回線が全て切断されていたため、完全な奇襲攻撃となったのであります。
1951年のサンフランシスコ講和条約とは本質的に戦勝国である連合国の戦利品ぶんどり合いの最終取り決めであって、日本国はそれによって主権復活を認められはしたわけですが連合国と対等の立場で調印したわけではぜんぜんなく、日本語版すらない契約書に「これでいいな」とめくら判を押させられたのが実態にすぎません。戦利品に交渉権などあるはずがないのであり、それが戦争というものであり、日本はこうなる予定であったのです。
ドイツはもちろんこうなったし、戦利品ではなかった朝鮮半島やベトナムすらこうなった。しかし本命の日本はならなかった。元寇のカミカゼ以上の僥倖があったと考えざるを得ません。理由は諸説ありますが、ヤルタ会談が撒いたもう一つの種である東西冷戦の米国から見た防波堤として、たまたま日本列島が地理的に重要な位置にあったというのが幸運だったということでしょう。講和条約で日本を完全非武装化した米国が有事のドラえもん役を買ってくれた。同じく51年に調印された日米安保条約をシンプルに理解するならそういうことです。
非武装化は日本国に主権を復活させることとあたかも見返りのようになされましたが、独立主権国家でありながら他国軍に武力を依存し内地で基地を提供する国など世界史上ひとつもありません。古代ローマに属州というものがあり、第1次ポエニ戦争の戦利品だったシチリアがそうですが、被支配地として税をむしりとられますが兵役義務はなくローマ市民兵が守ってくれた。軍備と外交が剥奪された自作農に限りなく近い奴隷であり、帝国主義時代の植民地もこれに近い。日本は米国の属州であり、軍備に関する限り敗戦国フォーメーションを引きずったままであり、第2次ポエニ戦争で負けたカルタゴの状態に非常に近い。
ローマ帝国が地中海に平和を提供し、貢献すればローマ市民権をもらえるインセンティブも用意する。それがパックス・ロマーナという体制ですが、20世紀後半の西側世界はパックス・アメリカーナであったわけです。ローマの世界統治がゲルマンなど辺境のまつろわない民族の台頭で崩れたのと同様、パックス・アメリカーナは米国システム化できる国がもうなくなり、金融という収奪システムが変調をきたし、中国が最大のまつろわない辺境となったという3つの理由で崩れ始めています。
安倍政権はその米国の意向で誕生し、その意向通りに進もうとしています。それは普天間だけではなくTPPだけでもなく、もっと大きな意向でありましょう。僕がミクロネシアで見てきた米国のスタンス(それはそのブログに書きました)はかなり日本列島にも当てはまるのであって、もうドラえもんはいなくなるよ、属州なんだからもっと貢献しろということでしょう。税の収奪(経済貢献)もなく平和が70年も与えられたのは、これは僕の想像ですが、米国に何らかの原罪意識があったかもしれない。例えばソ連は批判されなかった奇襲攻撃(真珠湾)を口実とした民間人の大量虐殺(東京大空襲、広島、長崎、沖縄)に対してです。広島にベースボールの球団ができたのも何らかのそういう配慮があったかもしれない。
つまり、パックス・アメリカーナは310万の英霊の命の重みとして何の引き換えもなく享受できてきたものであって、日米安保条約という「国際法の法的担保力」によって保持されてきたのではないかもしれません。そもそもソ連の日ソ中立条約の一方的破棄に国際司法にもとづいた何の制裁もないという前例があるわけです。ソ連はけしからん、だから北方領土は不法占拠であると叫んだところで救済はないのが戦後生まれの我々の見てきた現実です。世界統治のルールは大国が決めるのであり、国際法は大国同士が相手を縛るものであり、いじめられっ子を守ってあげるためにあるのではないと考えるしかないのです。
二国間条約に恒久平和への担保力があると信じるのは日本の未来にとって危険だと僕は思います。「近隣の国に攻められても勝手に戦争はするな。ローマ軍が守ってやる。」という実質的な非武装条約を飲まされたカルタゴが隣のヌミディアの国境侵害に反攻したところ、ローマの承諾のない軍事行動は条約違反だとして当のローマ軍に滅ぼされてしまった(第3次ポエニ戦争)。パックス・ロマーナの支配者側の精神構造はこうであったわけで、それが2千年の時を経たパックス・アメリカーナではもっとオトナになってるだろうと期待するのはコドモだけです。
非武装化、共産化阻止という事態に即して起草された日本国憲法は重要でしたが、朝鮮動乱の有事において自衛隊という制限つきの武装が行われることに米国はむしろ協力的であったし、現在の米国議会にはおそらく「薬が効きすぎた」という見解があって、日本に国連憲章の敵国条項を突き付けておける限り「普通の国」に近づけることへの危機感はもはや希薄でありましょう。
残念ながら、そうであるならば我が国はマッカーサーの当初の目論見以上に見事に「のび太」化してしまったのであり、のび太はのび太なりの幸せがあるのであって、それだけ求めて生きていきましょう、非武装のままおんぶにだっこで引っ張りましょうというのは戦略としての選択肢ではありましょう。しかし、コストを担って下さっている英霊に参拝もしないような輩がそれを主張するのは非常に違和感がある。それは日本人としての僕がそう感じるというよりも、16年外国人の中で暮らした経験から、自国を当たり前のように愛する世界の全ての国の国民にとってそれは異様なことであり、いずれ理解されなくなるリスクが高いと直感しているからです。
米国に引きずられて戦争に巻き込まれるかもしれないのはNATO諸国もカナダ、メキシコ、オーストラリア、韓国も同じです。そうするかどうかは自分で決められるのが主権国家なのであり、いやそうではあっても米国は信用できない、安保という特別な条約がある、大国の論理で日本を巻きこんで犠牲を強いるかもしれないというならまったくそのとおりでありましょうが、そんなに信用できない米国さんにドラえもんとして永遠に頑張ってもらいましょうというのは論理破綻でしかない。
憲法が政治権力を縛るために存在するのは自明ですが、憲法を改正できるのは国民なのであり、政治権力の行使者を選択できるのも国民なのであり、それを明記している法律こそが憲法なのです。憲法学者が反対したらいいとかだめだとか次元の低いマスコミ裁定をするのではなく、ギリシャだってしている、主権国家ですらないスコットランドやカタロニアですらしているように、満を持して憲法というプロセスにのっとって国民投票による民意を問えばいいのであって、それが主権国家としてするべき唯一のデュー・プロセスだと僕は思う。
それができないのは政治権力に国民の信頼がない、それでも国民は行政を誰かに付託するしかないという民主主義の機能不全があるからであって、国政選挙の定数不均衡に一方の国家権力の最終判定である最高裁違憲判決が出ても強制執行できない、すなわち三権分立の健全な機能の実態にすら国民は不信感を抱かざるを得ないという現実があるからです。安倍政権はやるべきことを強行したから失格するのではなく、国家的重大問題に対するデュー・プロセス・オブ・ロー(法に基づく適正手続の保障)の執行力欠如によって賢者の信を失うリスクの方が大きいことを肝に銘じた方がいい。
昭和のころは当たり前のようにあった「水はタダ」という概念がいつのまにか消えたように、平和もそうなるでしょう。キリスト教とイスラム教の戦いが中東だけで起きる時代ではなくテロはますます国際化し日本列島が無縁のままいられることはまずないでしょう。憲法9条があるから日本人を殺してはいけないなどという国際法も条約も抑止力も、そんなものは世界のどこにも無い。世界を支配するのは人間の悲しい本性以外の何ものでもないのです。
ケンカは弱いが金持ちの子で勉強はできる。それでほんとうにいじめられないか?親は心配して空手を習えという。
いや小学校の先生はケンカはいけないっていったから空手はやらないよ、今はもう大人だけどね。それにうちにはドラえもんがいるんだもん。
しかし、ドラえもんはのび太を無視してジャイアンと遊んだりしている。
(これをご覧ください)
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。





