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カテゴリー: 旅行

ロバート外務大臣と

2013 JUN 19 1:01:57 am by 東 賢太郎

今日は7:30からロリン・ロバート外務大臣とのブレックファスト・ミーティングで始まりました。戦前はここに日本人が15万人と現地人の3倍もいたこともあり、日本がこんなに存在感のある外国の地はほかにない。直行便を飛ばし、日本人の永住権取得、医療施設拡充、水産大学の現地校開設などのご提案を申し上げました。社長からは森大統領の曾祖父である森小弁氏の当国との関わりに共感を持ってきたこと、眼内レンズの手術のできる病院の設立、漁業権の有効利用など具体的なご提案もあり、それにわが社がファイナンスを付けるご提案もしました。大臣からは厚いお礼の言葉を頂戴し、11月1日に大統領と訪日するので東京での再会を約して終えました。わが社は2007年にミクロネシア連邦が外国企業誘致を始めて以来25番目の会社であると申し上げると、「今年は日本はミクロネシア連邦と外交関係開設25周年のお祝いの年です。25番を狙っていましたね」と冗談を言われました。この国には貢献したい気持ちにさせる何かがあります。

大臣

 

 

 

ミクロネシア連邦ポンペイ島の初日

2013 JUN 18 0:00:17 am by 東 賢太郎

昨日の夜中よりミクロネシア連邦のポンペイ島におります。成田発11:05のユナイテッド機でグァムに3:50着。ラウンジで待って7:45発で翌日0:50にポンペイ島に着陸しました。途中チューク島で降りる人もいるので一度着陸して30分ほどしてから離陸というのがなかなか厄介で、時差が2時間あるとはいえ結構疲れました。

北緯7度とほぼ赤道直下の南洋の島ですが一年を通して平均気温は27度で意外に猛暑ではありません。ただ降雨量は世界第2位で、今日も何度か豪雨がありました。ホテルはムカデが出るとおどされていましたが意外にきれいで虫も心配なく、期待値が低かった分だけ気持ちよく過ごしています。

今日は株主総会と取締役会を開催して、ここの時間帯と立地を生かした業務展開の議論を関係者と徹底的にいたしました。もと日本軍が駐屯した関係で島民は非常に親日的で海外にいる感じがあまりありません。しかし直行便がないため日本企業進出はほぼなく、同行されている某著名上場企業の社長さんと意気投合して一日中ここを利用した新規ビジネスの話に明け暮れました。

社長が近くの市場で10kgのマグロを一本買い(2000円!)され、ホテルで刺身と照り焼きにしてもらって食べましたが感動的なうまさでした。日本軍がいた頃と何も変わっていないのではないかと思うほど自然の宝庫で、ヤシ、バナナ(10種類もある)、マンゴーなどが野生のまま群生し、無一文であってもこの島で飢え死にするということは考えられません。すべての木々、植物が青々としてはちきれんばかりの生命力をたたえており、道を歩くだけでパワーが漲ってくる感じは都会では想像もつかないほどです。この島は確実に元気をくれそうです。

夕食は皆で海に近いオープンスペースのレストランでした。ハワイ風、メキシコ風いろいろですが十分においしかったです。猫も犬も寄ってきて実ににぎやかで憂さは全部晴れました。暗くなってもう10時ぐらいかなと時計を見るとまだ8時です。これは驚きました。どうも時間の流れが遅いようです。そこからホテルでまた延々と新規ビジネス論議となりました。写真はもう90枚も撮ったのですがうまくアップできないので後日やります。ものすごく内容の濃い一日でした。続報いたします。

 

ミクロネシア写真集(1)

はんなり、まったり、京都 (その5)

2013 APR 13 10:10:09 am by 東 賢太郎

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日曜日は妙心寺で例のテレビCMの桜を見てから朝食をいただきました。全国に7000ほどある禅寺のうち約半数がここを大本山としているそうです。天気図では雲は関東へ移動したようで朝方はくもりでした。

 

 

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昨夜から散りはじめたというCMの桜の花びらが玉砂利の庭につもって、まるで雪景色のような文様を造りだしておりました。

 

 

 

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朝食は7:30から40人ほど限定でいただきます。窓の外はやはり雪景色の風情でした。禅寺ですからすべてが簡素、質素で禁欲的なイメージなのにこんな目の保養が許されていいんだろうかと思うほどの美しさです。といっても今日だけなんでしょう。

 

 

 

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お膳はこういうものでした。僕は朝ぬきでもぜんぜん平気な人なのですが、こうして出されてしまうと今度はこれではもの足りないという煩悩がむくむくと生じ、おかゆをお替りしてしまいました。禅寺にはもっとも不似合な人間でございましょう。

 

 

 

k11次は清明神社へ。安倍清明は10世紀の陰陽師とあるが僕にはよく理解できません。奇跡を起こしたという伝説が多くあるようです。それより、鳥居にドーンと貼られた見事な星印が気になって仕方ありません。これはいったい何なんでしょうか?この辺から雨足が強ってきました。しかもセーターを着ずに来たので肌寒く、どこか屋根のあるところへということで二条城へ行くことに。

 

k12ここは中学の修学旅行で来たのを覚えています。徳川慶喜が大政奉還をした間など臨場感がありますね。しかし中も寒い。民家のように囲炉裏のようなものも見当たらず、当時は今朝の朝飯程度の低カロリー食でしょうから、冬などは侍も大変だったでしょう。将軍の居所は大きいが、それ以外はトップの老中の間でさえとても小ぶりで、オーナーとサラリーマン社長の関係ですね。

 

k7あまりに寒いのでみぞれでも降ってくるかと思いました。皆さん、心は観光よりあったかいうどんのほうへ。さっそく錦小路の冨美家さんで名物の鍋焼きうどんとなりました。東京の人間としてどうしてもお汁だけは譲れませんが、別な食べ物と思えばこれはこれで一級品です。これに3人でカレーうどんとラーメンをシェアしましたが、ここでもやはりカレーうどんがベストであり、結局おみやげでお持ち帰りまでしてしまいました。

 

k8腹ごなしに商店街をぶらぶらすると今度は熱燗が欲しくなります。うまい具合に「スタンド」という昭和レトロ風居酒屋を発見、入ってみるとそこはなつかしい昭和の世界でした。東京だと浅草仲見世通りから一本入ったあたりにありそうなムードでしょうか。左から中村さん、阿曽さん、梶浦さん、甘田さん、皆さん、なんともまったりといい感じでした。

 

このあと、本日のメインイベントであった「都をどり」でした。こっちのほうが京おどりより歴史もプライドの高さも知名度も舞台規模も歌舞練場の立派さも派手さもチケットの値段も上ですよ、とおききしておりました。たしかになるほどです。何といっても祇園です。こんなイメージのものでした。

 

似て非なると言いますか、 どっちも良さがある。広大な舞台と装置の金のかかり方、明暗(照明)のメリハリはこっちの方が上。音楽はよりポリフォニック(上のビデオの横笛!)でオケも上等。ヨーロッパには複数のオペラハウスを持つ都市がありますが、これと京おどりはベルリン国立歌劇場とベルリンドイツオペラというよりウィーン国立歌劇場とフォルクスオーパーの関係に近いと言ってもあまりお叱りは受けないのではないでしょうか。ただ、僕は「魔笛」や「こうもり」や「ヘンゼルとグレーテル」のような出し物はフォルクスオーパーの手作り感の方がずっと好きです。今回は知っている人が出たし、席の良さ、初めて見たインパクトが強烈ということで京おどりが印象に残りました。

 

はんなり、まったり京都2014

 

 

 

はんなり、まったり、京都 (その4)

2013 APR 11 21:21:27 pm by 東 賢太郎

京おどり、というのは上七軒祇園甲部祇園東先斗町、および宮川町の5つの花街(「かがい」と読む)のうち宮川町の芸妓さん、舞妓さんによる春の発表会みたいなものです。都をどりは祇園甲部、鴨川をどりは先斗町という具合に、花街ごとに名前が違いそれぞれ個性を競っているそうです。

前々回書きましたような偶然の成り行きで、雨の土曜日のお昼過ぎ、その京おどりなるものを見せていただくことにあいなりました。劇場の近くに梶浦氏おすすめの昔の食堂風うどん屋があります。腹ごしらえに食べたそこのカレーうどんが絶品で、加山雄三の色紙なんかもありましたが、京都の味文化はただものでないと直感しました。思わず、めちゃくちゃうまい!と言ったらおばちゃんがほんとに喜んでくれる。いい味でした。

kyoto14おどりは宮川町歌舞練場といういかめしい名前の劇場(右)で演じられます。まずお点前を頂戴したのですが、「しげ森」のおかあさんのご案内についていくと長い列をとばして一番前へ。いいのかなと思いましたがこういうのも京都なんでしょう。我々ごとき一見さんではありえぬことで、これは梶浦社長の力です。お茶を運ぶのが昨日のふく兆さんでしたが、初々しくてとてもよかった。

 

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さてお茶と和菓子をいただいてホールへ向かいます。ここまではどこか蔵前国技館でも感じた「国技」という雰囲気を感じておりましたがホールへ入ると、これはオーケストラピットがないだけで、ほぼ小ぶりのオペラハウスであります。

 

 

幕が開いて驚いたのですが、地方さんと呼ばれる唄、三味線、横笛、大小の鼓(つつみ)、太鼓、鐘から成るオーケストラ部隊は客席を挟むように舞台の両側に一列に並んで配置されています。撮影禁止だったのでお借りしましたがこの写真のようなもです。

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このステレオフォニックな音響効果は実に刺激的で、西洋だと「バンダ」という舞台の上、袖、裏にある第2オーケストラはありますが近現代音楽でしか記憶にはなく、江戸時代の日本人の音感覚は高度なものがあったと思いました。三味線はほとんどハモることはなく、ユニゾンで合奏するとどこかバルトーク・ピッチカートのような打楽器的感触があります。そこに本当の打楽器である大小の鼓(つつみ)、中小の太鼓、鐘、そして舞台袖から鳴る大太鼓が交差する音響空間は非常にユニークであり、曲調はほぼのどかなのですが時に耳をつんざく横笛と拍子木が瞬時の緊張を吹き込みます。こういう非連続的でドラマティックでない展開というのは西洋音楽的にはとても現代的な響きです。しかしこれは我々には日本古来の懐かしい音なのです。

唯一、音が減衰しない唄がそこに乗るとそれが際立つという見事なオーケストレーションが施されていることにも気づきました。宮川音頭というご当地テーマソングのような唄がフィナーレに出てきますが、唄に横笛がユニゾンで加わって、なんとも耳に残ってまとわりつく、短調で悲しげなのにどこか楽天的でもある不思議なメロディーを全員で奏で、全員で舞います。そして鐘が入りだんだんアッチェレランドで大団円。これは圧巻であります。ちなみにべラ・バルトークは自国ハンガリーの農村を回って古老の歌う民謡を多く採譜し、そこから抽出、抽象化したイディオムを素材としてあれだけの名作を書き上げました。この宮川音頭にはそういう素材がつまっている感じがいたしました。ともあれ、この公演は邦楽の面白さを初めて味わった忘れられないものとなりました。

おどりの方は無粋者ゆえまったくコメントできませんが、前から2列目の中央という格別のお席で拝見したこともあり、ただただ呆然と見とれるばかりで a2dbabb4言葉もありません。イメージに似た写真をお借りしましたが、着物というものが女性を美しく見せる(いや、本当に美しいのでしょうが)効果は絶大なもので、静止していても綺麗なのですが、ゆるやかで曲線的なおどりの動きが加わるとさらに映えるのです。日本の美ですね。バラではなく、まさに桜です。江戸、明治の男の気持ちがよくわかりました。

近頃見聴きしたどんな西洋クラシック音楽のコンサートよりも感動しました。これは世界に堂々と誇るべき音楽とビジュアルの総合芸術であることを確信いたします。京都だけでなく日本人はこれを世界に発信しなくてはいけません。

 

最後に、これを見せていただいた梶浦君、しげ森さんに感謝いたします。

 

(追記: 昨日たまたま友人のお誘いで東京は赤坂の「しょう山」という料亭に行きました。玄関を入ると芸妓さんのうちわが壁に飾ってあり「小ふく」などとあってびっくりしました。おかみさんが「しげ森」のおかあさんと知り合いだそうで、世の中狭いといいますか、それにしてもあまりの偶然ではございました 。)

 

はんなり、まったり、京都 (その5)

はんなり、まったり、京都 (その3)

2013 APR 11 13:13:47 pm by 東 賢太郎

index_01金曜日、「しげ森」さんのお茶屋遊びの後、仕事で遅れて参加された中村氏も加わり夜桜見物とあいなりました。あまりに綺麗なので3~4キロは歩いたでしょうか。写真は甘田さんのブログをご覧ください。翌日土曜日に合流された女性軍には大変申し訳なかったのですが、金曜日の桜は満開でしたがその夜中の風でかなり散ってしまいました。それでもしだれ桜はまだまだ大丈夫で、日曜日の朝食をいただいた妙心寺退蔵院では女性の皆様も全員が「そうだ京都、行こう」のテレビCMで有名なあのしだれ桜(上)、これが散りかけの直前の見事なすがたであり、一部の散ったばかりの花びらがじゅうたんのように敷き詰められているのを踏みしめながら庭を拝見するという一年でこの日だけのぜいたくを味わえました。やはり京の桜というのは古来日本の公家、寺社に愛でられてきた、それ自身が文化ともいうべき美と風格を持っています。一見の価値ありです。

kyoto11                                       さて一夜明けて土曜日です。台風並みの暴風雨という予報だった割には朝は小雨程度。男ばかりでしたので史跡を見ようということになり、まず坂本龍馬が暗殺された地、近江屋(右)をたずねました。この下手人が誰かは日本史最大のミステリーの一つです。生きていたら歴史を変えたかもしれない男の死に場所が今はコンビニというのもいかにも当世風というということでしょうか。

kyoto13しかし、そんなものはかわいいものだというのがすぐわかりました。池田屋事件のあった池田屋跡(右)です。商魂たくましいというか、まあ地主様の勝手ですから仕方ないのですが・・・・。新撰組が尊攘派志士を襲い何十人もが命を落とした場所でもあるわけで、ここで襲われた(死にませんでしたが)者の末端の一族として申し上げさせていただくと、何とかならなかったのかなと思います。昭和初めまでは家屋が残っていたそうで、日本史の教科書に載っているほどの事件ですから外国であれば文化財として政府が保存し、説明書きを記した金属プレートなどを壁に貼っていたでしょう(ロンドンなどいくらでもあります)。歴史kyoto12好きの外国人(結構います)には見ないでいただきたいと願うしかありません。司馬遼太郎は、「池田屋事件がなかったら薩長土肥主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と言っているくらいですからここは新政府にもう少し大事にされてもよかったのかなとも思いますし、昭和初期にはすでに明治は遠くなりにけりということだったのかとも思います。ともあれ、日本という国のなりわいはとても複雑なものだというのが僕の印象です。

 

はんなり、まったり、京都 (その4)

 

はんなり、まったり、京都 (その2)

2013 APR 11 0:00:56 am by 東 賢太郎

今回は梶浦社長の粋な計らいで京都文化体験ツアーでもありました。金曜日の夜は宮川町のお茶屋さん「しげ森」で芸妓(げいこ)さん、舞妓(まいこ)さんをあげ、おじさん衆5人で大いに盛り上がりました。食事も酒も美味でありましたが、「おにいさん」と呼んでくれるのが良いねということで、まず甘田社長の高評価が得られました。

kyoto7ここのお茶屋さんはNHK「美の壺」に登場した名店で、その時の番組ビデオを上映してまず「予習」をさせてくれます。舞妓さんの作法、着物、着付け、髪型、化粧、だらりの帯、おぼこ等々について知っているとお座敷をもっと楽しめるという寸法です。右は舞妓ふく兆さん。16歳だそうですがその落着ぶりや物腰から10歳は上に感じます。伝統の礼儀作法を身につけるというのはこういうことなんですね。

kyoto8                                          こちらは芸妓小ふくさん。面白いのは彼女らはお座敷に上がるとまず「おかあさん」にお礼を言います。次に「おねえさん」。お客へのお礼は最後なのです。厳しいタテ社会なんですね。お客を芸で楽しませるプロとして背筋の通った伝統を感じます。ちなみに最近のお茶屋遊びはおじさん独占ではなく、女性客の進出が著しいそうです。昔の花街、花柳界というイメージとはずいぶん変わったようですね。

 

さて、この日に一番盛り上がったのはお座敷芸「とらとら」でした。近松 門左衛門の浄瑠璃「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」から誕生した拳遊びだそうです。とすると1715年にできたわけですから幕末には定着していたのでしょう。坂本龍馬や西郷隆盛もやっていたと考えただけで愉快になります。日本文化の奥深さです。

さて、この宴席で「明日は台風並みの天気らしい」という話が出ると、おかあさんが「それならウチらの京おどり見はったらいかがどす?」ときました。日曜日に祇園芸妓の「都をどり」を買っていたのですが、皆さん一気にファンになってしまった小ふくさんが舞いますよ、ふく兆さんがお茶をたてますよということで皆さん二つ返事でOKとなりました。

 

はんなり、まったり、京都 (その3)

はんなり、まったり、京都 (その1)

2013 APR 9 13:13:27 pm by 東 賢太郎

40年ぶりの修学旅行に行ってまいりました。

今回は大学のクラスメートで、株式会社「庵(いおり)」を経営される梶浦氏のお誘いに甘えてSMCメンバーとお邪魔しました。京都はいつも接待(する側)だったのでいつも気忙しく、お客として気楽に「はんなり、まったり」できたということでは、まさに修学旅行以来の楽しい経験でした。SMCのために梶浦社長自ら全行程同行していただき、一見(いちげん)さんでは到底味わえないような経験をたくさんさせてもらい、感謝感激です。数回に分けて、そのレポートをさせていただきます。

kyoto1                                                          まず初回は宿です。高瀬川ぞいの木屋町通り(右写真)にそれはありました。旅装を解いた金曜日時点ではお天気も良く、桜は東京とは違って満開でした。この写真は翌日撮ったので、もうかなり散っていますね。桜についてはとてもラッキーでした。

 

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隣りの家屋と家屋の間をにある目立たない入口(右)をくぐって暗い路地を奥へ10メートル進まないと建物の姿はぜんぜん見えません。表札もないし、わかっていなければこの路地に入りこむ勇気はなかなか出ないでしょうね。京都ですね! この奥に、昔ながらの町屋風の建物があります。まさにうなぎの寝床です。何度も出入りして慣れてくると、完全に自分の家に帰ってきた感覚になります。

 

 

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玄関を上がって奥の居間へ入ると、もうそこは別世界。「えっ、こっち側は川だったの!?」まばゆい光にみなさんおそらく歓声をあげることになるでしょう。巨大な大広間の向こうにドーンと広がる鴨川のビューは壮観で、右の写真は2階ですが、1回にはベランダもあって外で会食もできます。この部屋は大きく、4人が泊まれます。

 

 

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1階リビングからの左右のレークビューはこんな感じ(上)です。対岸は花街の一つ宮川町で、後ろの山が東山です。左の橋は牛若丸が八艘飛びをした橋だそうです。宿から清水寺、高台寺、祇園、kyoto2八坂神社、円山公園、南座などは歩ける距離です。写真では雰囲気が出ませんが、このリビング(右)でまったりして酒をちびちび、外をぼんやり眺めるのは最高の贅沢でした。晴れた初日より雨模様だった土曜日の方が僕は好きでした。何といっても鴨川です。日本史に残る1200年もの様々な出来事、大事件の舞台なのです。いままで何度も京都へ来ましたが、こういうホットスポットを今回ほどリラックスして楽しめたのは初めてです。

 

京都の不思議

 

 

私の忘れられない旅(2)

2013 FEB 19 0:00:12 am by 東 賢太郎

PA231401ルーツ探し第2弾、石川県は能登です。穴水の近く、鹿波という半農半漁の海辺の村でした。のと鉄道能登線の鹿波駅は「秘境駅」として有名でしたが、これも廃線になってしまいました。東(あずま)さんが多く、曽祖父の代までここにいたそうです。こっちは父がどうしても行きたい、親類に会ってみたいということになったのです。

20101003090208とはいえ、父も小学生の時に一度行ったきりで、「お寺の崖下の家」、「いとこの女の子と泳いだ」、しか覚えていないのですから実はこりゃー無理だろうと思ってました。しかし行ってみると彼は思い出したのか、ああここだ、いやこっちだとぐんぐん歩きだし、なんとついに「崖」を発見。麓の家をやおらピンポンしてみると、現れたおばあさんにどことなく祖父の面影が。こうして、「女の子」と父は何かに引き寄せられるように70余年ぶりのご対面、涙のハグに至ったのです。いや~これも来てよかった。感動しました。一生忘れません。

53380011000091806                      泊まりは九十九湾の「百楽荘」へ。親子ですばらしい時間を過ごしました。この旅館は景色も食事も風呂も最高です。釣りもできてメバルを釣りました。帰る田舎がないのが寂しかったのですが、これ以来「能登」と言わせていただいております。53380011000091815

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本国旅券の重みー国境を考えるー

私の忘れられない旅(1)

2013 FEB 17 22:22:32 pm by 東 賢太郎

2002年3月に、両親と息子でルーツを訪ねた長崎です。物産の商社マンだった母方の祖父が、上海出張の折に定宿にしていた旅館の娘と知り合ったのが当地でした。船で26時間もかかった時代です。旅館はグラバー邸の隣だったそうで、「一度行ってみたい」といつも言っていた母の願いを叶えました。祖母の実家は諫早でしたが、東京へ駆け落ちしてしまったので、明治時代のことですから勘当もので戸籍が残っていません。たまたま真崎という珍しい姓だったので、昔の住所近辺まで行ってタクシーで同姓の家を数件訪ねました。飛び込みなのにとても温かく迎えていただいたのが印象に残っています。

 

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グラバー亭の庭で撮ったこの写真の裏を見たら「母は10分間も動くことなく、港をじっと見ていた。来てよかった。」と書いてありました。脳裏にあったのは、きっとこんな風景だったに違いないと思っております。

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(続きはこちら)

エリザベス女王の酒壺

 

箱根駅伝に見た体育会精神なるもの

2013 JAN 4 1:01:51 am by 東 賢太郎

毎年、箱根駅伝を見ます。一度だけ温泉に泊まって箱根湯本の沿道で見ましたが、それがものすごく寒かったのと生来のものぐさなのとで、以来ずっとTV観戦ですが。

箱根はお正月というのもあり、陸上競技にあるまじき山登りなんていうスペクタクルもあり、箱根に行って大手町に帰ってきたらああ明日から仕事だと自然に心のスイッチを入れてくれるところもいいですね。白バイの警察官の郷里の紹介までしてくれてとてもNHK的なのに日テレ、というミスマッチ感も何ともいえません。

駅伝という競技はメード・イン・ジャパンのようです。学校の順位や個々人のタイムだけでなく、襷(たすき)を切らさないということに大きな価値観があるという点が日本的ですね。アナウンサーは「伝統の重圧」「汗のしみこんだ襷」「最後の箱根」「走れなかった仲間」など駅伝ならではのキーワードを連呼しますが、「途切れた襷」ほどエモーションのこもった言葉はないのではないでしょうか。

何であれ体育会でチームプレーというものを経験された方は、そのエモーションの根っこがよくわかるでしょう。野球では「痛恨のXX」というやつがそれに匹敵します。一球、落球、三振などいろいろですが、特にたいがいの投手は一球でサヨナラ負けという怖い経験があります。いまだに夢まで見ます。怖いのは負けることではなく、先輩同輩への自分の気持ちなのです。みんな仕方ないよと言ってくれる。だから逆に、自分を責めるしか逃げ場がなくなってしまうのです。

海外暮らしが長かったので高校のクラス会に30年ぶりに出ました。その時のこと、正二塁手だった岡崎氏が「東、あのゲッツーごめんな」などと突然真顔でいいだします。彼の落球でゲッツーが取れず、そこから僕が崩れて負けたんだそうです。本人は完全に忘れているのですが、ガックリした僕の後姿を彼はずっと覚えていて責任を感じていたらしく、30年たって謝ってくるのです。これが体育会なんです。

去年、襷が途切れた日体大の痛恨はいかばかりだったでしょう。外部の者の想像を超えるプレッシャーがあったと思います。それをはねのけて勝ち取った今年の優勝は称えてあげたいです。駅伝でタイムや区間順位を第1目標と言うものはいません。チームへの貢献がすべてです。とても非欧米的、非個人主義的いや全体主義的ですね。チームが勝つためには被災者であれキャプテンであれ非情に犠牲とします。それが好きか嫌いかはともかく、日本という国の精神構造にがっしりと組み込まれているものだと思います。そしてそれが強い日本というものを支えたバックボーンでもあったのです。

忠臣蔵は江戸時代から歌舞伎になるほど民衆に人気がありましたが、あの事件は元禄時代に起きています。武士道なるものが形骸化しつつあった江戸で起きた珍重すべき「武士らしい行為」として称えられた側面もあり、本物の武士を自認していた長州、薩摩藩士は小ばかにしていたそうです。箱根駅伝の人気というものを見ると、死語化しつつある日本的全体主義、たとえばお家の一大事とか滅私奉公などというものがやっぱり日本人の中に脈々と生きており、体育会以外の人たちに「体育会らしいスポーツ」として珍重されているような気もいたします。今年の日体大優勝は歌舞伎になるかもしれません。

 

 

 

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