Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______ブラームス

ブラームスという人生の悦楽

2019 SEP 9 20:20:56 pm by 東 賢太郎

僕にとってヨハネス・ブラームスの4つのシンフォニーが何かと言われれば人生そのものだと答えるしかない。二十歳の頃からこれなしに生きていたことはないし、どれのどこが好きかというものでもない、どの一音までもが血肉になっていて聴くたびに新たに感動し、出会えた喜びに包まれる。

16の楽章のどれもがピアノで弾くのはやさしくない。それでも諦めるわけにはいかない、余生をかけて勉強していくし、いちばん弾きやすい3番の第2楽章はなんとかしたし、弾くたびになんていいんだろう、この楽しみがあれば他の趣味なんていらないと得心するばかりだ。

昨日からヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮の4曲に浸って、心の芯から癒されて究極の満足を頂いている。ウィーン交響楽団との演奏だ。1960年代初頭の録音はオーケストラの魅力を見事にとらえ、倍音とホールトーンが好ましい。あらゆる再現装置でそうとはいえないだろうから音の印象を文章にするのは難儀だが、管の色彩があでやかでよく歌うのは誰もが聞き取れるだろう。

指揮は古典的できりっと引き締まったものだが、フルートをはじめ奏者たちが最高の音楽性をもって自発的な合奏をしている。管楽器の音程が最高でまさにブラームスの醍醐味だ。こういう何も足さず何も引かずを昭和の批評家は評価しなかったがいったいどういう趣味でそういうことになってしまったのだろう?本当に上質な京料理を知るかたなら分かるだろう、昆布、鰹節、椎茸に薄口醤油の絶妙のだしが、これまた素材のままに絶妙の滋味あるブレンドでからんだという風情のものだ。

例えば僕が音程と表現したもの。プロのオーケストラなんだから当たり前だろうと思われようが、とてつもなく違う。サヴァリッシュなのかウィーン交響楽団の奏者なのか、ともかく、聴き始め10秒で心を鷲づかみにされる蠱惑の楽音である。歌心からこぼれおちる華のある音程(ファとシ)の採り方で、それが平板だとロマン的で淡彩色の陰影がある転調の妙味が出ない。こういうものを知ってしまうと、こうでないブラームスは面白くもなんともなくなってしまう。

このセットには2つの序曲、運命の歌、アルトラプソディ、ドイツレクイエムも入っている。全てが見事な音楽であり、運命の歌は知るうちで最高の上質な演奏だ。テンポは総じて速めでサヴァリッシュ晩年の深みはないが、これからも何度も耳を傾けることになるだろう。

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youtubeのブラームスにいただいたコメント

2019 JUL 13 9:09:17 am by 東 賢太郎

去年3月にyoutubeにアップしたブラームスVn協にこのようなコメントが入っていて、なぜかコメント欄に載っていなかった。

Hisao Toriyama
古今東西のクラッシック音楽の中で最もこの音楽を愛するものとして、数々ある歴史的演奏の中でもカラヤン・ムターを超える演奏を探していましたが、今日ここにそれに匹敵する演奏が見つかった気がしました。アップありがとうございます。これはオーセンティックではありながらもその域を超えたものと感じます。

この演奏、僕が最も好きなもののひとつで、フランクフルトに住んでいたころ日常のようにいろんな街で普段着で楽しめた演奏会を彷彿とさせる。このCDについてはこのブログに書いた。

バーデンバーデンのブラームスという悦楽

バーデン=バーデン・フィルハーモニーなんて、僕のような者は名前を聞いただけでそそられてしまう。

しかも音響の素晴らしいクアハウス(上)の録音だ。このヴァインブレナーザール(Weinbrennersaal)で聴かれた方もおられようが、この写真をご覧になって、皆さまの心にはどんなオーケストラの音が響いてくるだろうか。

ここの無指向的な音響の広がり。ベートーベンやブラームスはそういう倍音と残響の混合を念頭にオーケストラスコアを書いていたのではないかと、これはあくまで僕のイメージではあるが、どうしてもそう思えてしまう。それはウィーンで国立図書館のプルンクザールを歩いた時に、天空まで拡散するかのような自分の靴音で感じたことだ。モーツァルトもベートーベンもブラームスもここを何度も歩いている。スヴィーテン主催の演奏会も聴いたろう。

Prunksaal(Österreichische Nationalbibliothek)

ここに滔々と満ちる、隅っこで針を落としても彼方まで音が明敏な輪郭をもって伝わりそうな大気に包まれて、たとえばブラームスを演奏する。奏者はどんな気持ちになろう?おそらくは、力んで気骨を示したり、大音声で激したり、無暗に感極まったり陶酔したりなどという浅はかな芸や手管を弄して大衆を唸らせようとはならないのではないだろうかと思う。

このCDが録音されたヴァインブレナーザール(Weinbrennersaal)も似たものだ。そこで、Toriyama様が「オーセンティックではありながらも」と書かれた、いとも自然だがブラームスの音楽に真摯に寄り添いその求めるもののみを紡ぎ出すことに最上の技術で奉仕することによって、そんじょそこらのルーティーンな演奏とは一線を画すものができあがったのではないか。

「今日ここにそれに匹敵する演奏が見つかった気がしました」というお言葉を頂戴して、人生の楽しみを見つけることにお役に立てたなら心から嬉しく、実はいま、ほとんどないことだがクラシックを通じてどなたかと繋がることができたという充実感で満ちている。長らく見落としていて申しわけございません、コメントを有難うございます。

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リヒテル/マゼールのブラームス2番について

2019 MAY 11 18:18:47 pm by 東 賢太郎

先日にご著書「物語として読む全訳論語」を送っていただいた弘前大学の山田教授から、

このところリヒテルのBOXを順に聴いてゐるのですが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番に至り、「さういへば東氏がお好きだと仰つてたな」とおもひだしてブログを拝見すると、リヒテル/マゼール盤には言及してをられません。「いまひとつ印象にのこらなかつたのかな」とおもつた次第です。

とお言葉をいただきました。ありがとうございます。以下に、推薦盤として言及していない理由につき、改めて言及させていただきます。

そのカセットテープ

リヒテル/マゼールは実はなつかしい演奏です。82年に留学でアメリカに行ったのですが大量のLPは持っていけないのでカセットで我慢してたのです。フィラデルフィアのサム・グッディというレコード屋に2番のカセットはそれしかストックがなく、だからこの演奏に一時期ずいぶんお世話になりました。それなのになぜ漏れてるかというと、先生がお好きであれば申しわけないのですが、好きになれずにほかに乗り換えたということです。だから後にLPもCDも買ってないというレアものになってます。

理由ですが、パリ管に尽きます。この管の音は僕のブラームスのイメージとかけ離れてまして、冒頭のホルンからしてどうにも耐えられません。マゼールがMov2で煽っているヒステリックな弦の音も、Mov3のすかすかの弦楽合奏も論外です。巧拙やモチベーションの問題(以下に述べます)以前の問題として、ウィーンPO、ベルリンPOの演奏を前にしてこの当時のフランスのオーケストラによるブラームス、シューマン、ブルックナーというのは何か特別な理由でもあれば聞いてみようかという類です。EMIさん、何でよりによってこのソリストなのにフランスのオケなのという失望にはデジャヴがあって、60年録音のオイストラフ/クレンペラーのVn協もそう(フランス国立放送管)です(オイストラフは後にジョージ・セルとクリーブランド管で録音しなおしてます)。

それには政治的背景が関係していて、すこしご説明します。EMIは英Deccaがライバルでした(ビートルズはDeccaが落としてFMIが獲得)が、フランスではパテ・マルコニを傘下に持ってパリ音楽院管、パリ管、フランス国立放送管を占有しているEMIが優位にありました。クリュイタンス、ミュンシュというフランス語を母国語とする独仏レパートリーの両刀使いを擁し、前者にはベルリン・フィルで57-60年にドイツ本丸のベートーベン交響曲全集を録音させた。これはフランス知識人にとって快哉ものの気持ち良いイヴェントだったに違いありません。前述のオイストラフ/クレンペラーのVn協もその同類項でした。

アンドレ・マルロー

フランスはまだナチのパリ占領への忌まわしい記憶と怒りと屈辱が消えていませんでした。文化相のアンドレ・マルローはフランス国民のトラウマを払拭しプライドの象徴とするべく67年に国家の威信をかけてパリ管弦楽団を創設し、アルザス出身のドイツ系、シャルル・ミュンシュを初代音楽監督に据えます。そこに覚え愛でたいEMIが接近し、そのコンビでドイツ音楽代表としてブラームス交響曲第1番、フランス音楽代表としてベルリオーズの幻想交響曲を録音し(68年)、両者ともあっぱれの高評価を得ます。フランス政府のアドバルーンは理想の高さに達し、EMIも商業的に成功し、上々のプロジェクト・スタートアップでした。ミュンシュは70年の訪日まで決まっていたそうなので、69年のリヒテルとのブラームス2番も当然彼が指揮するはずでした。

ところが最悪の事態が発生します。ミュンシュが68年11月にパリ管との米国楽旅中にリッチモンドで心臓発作をおこし客死してしまったのです。文化省が計画修正で大わらわになったことは想像に難くなく、そこでどういう経緯でナチ党員だったヘルベルト・フォン・カラヤンを呼んだかは不明ですが、パリ管は彼の指揮でラヴェル、ドビッシー、フランクの録音(EMI)を残しており、リヒテル/マゼール盤が録音された69年10‐11月もカラヤンが音楽顧問として在任中でありました。ということは物事の筋からしてもレパートリーからしても、それはリヒテル/カラヤン盤だったはずなのです。

以下は僕の想像になりますが、そうならなかったのは、その前月の69年9月15-17日にベルリンでBPOを使ってEMIが録音したベートーベン三重協奏曲でのカラヤンとリヒテルの軋轢によることは衆目の一致するところでしょう。リヒテルは、

この写真がそれだ

「カラヤンが”これでよし”と終わろうとするから、私がやり直しを頼むと”一番大事な仕事がある!”・・・・写真撮影さ。我々はバカみたいにヘラヘラ笑ってる。おぞましい写真だ。見るに耐えない。」(ドキュメンタリーフィルム「リヒテル<謎>」)

と憤っており、さもなければこの翌月にその流れのまま両巨匠がパリでブラームスP協2番録音となったのが、リヒテルが拒絶し、指揮は急遽マゼールに切り替える条件で承諾したのだと思われます。フランス国家と英国EMIの「連合国軍」がパリ管を目玉に敵国ドイツ物レパートリーを席巻しつつ、ベルリン・フィルを凌駕して目にもの見せようぞというノルマンディー大作戦はこうして空中分解し、マルローも69年に文化相を辞任して事実上終焉しました。パリ管のその後の音楽監督を見れば、反ナチスのドイツ人(ドホナーニ、エッシェンバッハ)、ユダヤ人(ショルティ、バレンボイム、ビシュコフ)、北欧・英国人(ヤルヴィ、ハーディング)と、カラヤンがいたなど夢か幻かという180度の大方針転換を経て今に至っています。

69年録音のリヒテル/マゼール盤にマルロー大臣はもう関心はなかったでしょう。EMIは大物との契約金を回収しようとマネジメントは気合が入っていたでしょうが、おそらく、現場(オーケストラ、録音スタッフ)は指揮者がミュンシュ、カラヤン、マゼールとたらい回しになって白けていたのではないでしょうか。パリ管というのはフランス史上初のフルタイム有給制(要はサラリーマン)の管弦楽団です。マゼールがミュンシュの後任首席指揮者か、カラヤンの後任音楽顧問になるなら服従したでしょうが、それもない(後任はショルティ)ワンポイントリリーフですから忠誠心もなく、そういう先入観が入ることを割り引いても、このオーケストラ演奏はお仕事っぽく、慣れもない割に懸命さも感じません。リヒテルもMov4で完全主義の彼の正規録音としては考えられない和音つかみそこねがあり、スタッフも録り直しをさせずそのまま放置。使命感、責任感も愛情もなしです。

リヒテルの2番はこんなはずはないだろうとラインスドルフ盤もコンドラシン盤もCDで買ってみましたが、我がコレクション・リストをチェックしてみるとどちらも「無印」としてました(要は買って損したという意味です)。リヒテルはロンドンで聴いたシューベルト、プロコフィエフは見事でしたが、ことブラームス2番に関する限り性が合わないのかなと思いました。もちろんプロだからそれなりに聞き映えのする立派な演奏ではあるのですが、ゼルキン/セルやアラウ/ハイティンクやR・ハーザー/カラヤンと比べてどうかということで落選とさせていただきました。

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(10)

2019 FEB 9 12:12:17 pm by 東 賢太郎

本シリーズは(9)でいったん終了しましたが、さらに書き加えるべき演奏がありますので追加いたします。

 

マリス・ヤンソンス / バイエルン放送交響楽団

ムラヴィンスキーの弟子であるこの指揮者の力量を知ったのはオスロPOとの春の祭典のCDとラフマニノフの交響曲だ。ソ連出身だがウィーンでスワロフスキーにも学び、BRSOとコンセルトヘボウ管のポストについており独欧系の指揮は正攻法だ。BRSOもブラームスに好適なオケだがクーベリック盤、カイルベルト盤しかなく貴重。この2番はミュンヘンで聴いたままのやや暖色系で馥郁とした音を歌に活かした王道の解釈。コーダは微妙に加速するが内側から白熱する感動に添ったと感じられ、それが最後の和音を大きめに溜めて完全終止感を出すクラシックな終結は納得できる(総合点:4.5)。

 

ジョン・エリオット・ガーディナー / オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティック

時代楽器による演奏らしいがオケの厚みがなく響きが薄い。時代考証による音色で変わった味をつけたいのはチャレンジとして結構だしブラームスの時代はこうだったのかもしれないが、我々はよりふさわしい充実した厚い響きを知ってしまっており作曲者も聴けばそっちを選んだろうと思う。Mov1第1主題のトゥッティなど変速などに意味不明のものが頻出しついていくのに一苦労だ。新味を解釈でも狙ったのかもしれないがなんら本質的なことではなく、説得力はかけらも感じない(総合点:1)

 

ヘルベルト・ブロムシュテット / NDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団

この指揮者はドヴォルザーク8番のLP(DSK)で知って感動したが、以来レコードはシベリウスのSym全集以外はあまりぱっとした印象がなく、ライブもN響定期で何度か接したが一度もいいと思ったことがない。ところがこの2番のビデオを見てわけがわからなくなった。文句のつけようのないドイツ純正の堂々たる2番ではないか!オケとホールの音響というTPOで指揮者はこうも変わってしまうのか。緩徐楽章は雲間から弱い日差しが見え隠れするようなドイツの森そのもの、そこを歩く人の心の陰影。ブロムシュテットは完全を期する厳格な人だろう、N響の時はこうではなかったがオケを信頼してしまえばジュリーニと同じくキューを仕切るタイプでなく表情一つで雄弁にそれを伝える。終楽章コーダのほんの少しの加速は心臓の心拍数が僅少に上がる程度で生理的に自然で慎ましい興奮をそそる。ホルンのお姉さんがうまく、オケの各所からブラームスのエキスのような音が滴ってくるドイツ語の素晴らしいブラームスだ。残念ながらこういう音は日本のオケとホールからは絶対に出ない。これに毎週のように浸っていたフランクフルトの3年を思い出して幸せな気分になれた。ブロムシュテットさん、楽員たちのハートから自発的なブラームスへの敬意を引き出しましたね、それを心から愛する作曲者の地元ハンブルグの聴衆にまっすぐに伝わった。感動的な記録です。お元気なうちにこのコンビで全曲録音を残すべきだろうと切に思う(総合評価:5+)

 

ジョン・バルビローリ / バイエルン放送交響楽団

VPOとのEMIによる全集にも書いたことだが、この指揮者がブラームスに何を感じ何をやろうとしたのか僕には皆目理解不能だ。珍重するのはこれを滋味深いと評する日本人と英国のバルビローリマニアぐらいだろう。元から遅いMov2だけがなんとか耐えられたがMov4”Allegro con spirito“ をどう読むとこんなに遅くなるんだ。BRSOがもたれて再現部直前のObがつんのめっているがごもっともである。異星人のブラームスとしか思えない(総合点:0.5)

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(11)

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ブログ総閲覧数300万の御礼

2019 FEB 7 1:01:45 am by 東 賢太郎

そう人様をエンターテインできる人間ではなく、ブログの総閲覧数が300万というのは人生で最も想定外の出来事のひとつです。音楽を愛される方が多いのでしょうか、もしそうならちょっとうれしくおもいます。

子供のころブラームスの交響曲第4番がちっとも面白くなくて、「あれは大人の曲なんだ」と敬遠してました。ところがハタチを過ぎても渋すぎで、「そうか、あれはお爺ちゃんの曲なんだ」となりました。30ぐらいになると少しわかってきて、すると今度は「4番は子供にはわからんさ」なんてほざきだしました。

彼がそれを書いたのは52才です。気がついたらこっちは超えていて、一抹の焦りを覚えたものです。そして先日64才になって、いやな予感がして調べたんです。恐れていたとおりでした、なんとブラームスは63才と11か月で死んじゃってるではないですか。

 

CMで「今年で還暦です」「ええ?お若いですね」なんてやってて、このお爺ちゃん俺より4つも若いのか(がっくり)なんてことが日常茶飯事です。でも、このブラームス博士より年上なのかというショックに比べればかわいいもんです。

 

 

 

 

 

「お父さん、ピアノ弾いてるとブラームスみたいだね」と長女が言うのは、もちろんうまいという意味ではありません。壁に飾ってあるこの絵に似ているという意味なのです(体形が)。

 

 

 

ブラームスが消えてしまった。巨星墜つというか、人生の里程標を失ってしまったなあ、次は誰にしようかなあと調べると、一番長生きしたのはたぶんシベリウスなんですね、91才まで。しかし彼も7番を書いて隠遁しちゃってる、それって59才なんです・・・。次はストラヴィンスキーだ(89才)、でも彼も晩年は枯れてますね。

元気なのは80才でファルスタッフを書いたヴェルディ、77でカプリッチョを書いたR・シュトラウスだけどあんまり興味ないなあ・・・。ブルックナーが9番をまだ書いてないぐらいかな(でも未完でしたね)。一縷の望みをかけた敬愛するフランツ・ヨーゼフ・ハイドンさん、最後の交響曲第104番「ロンドン」が63才の作品なのでありました。

ということで、幕はおりました。もうどうあがいても無駄でございます。こんな出涸らしにおつきあいいただいている皆さまには感謝の念しかございません。ほんとうにありがとうございます。

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ブラームス交響曲第3番の聴き比べ(5)

2018 NOV 8 22:22:37 pm by 東 賢太郎

カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

このDGの全集が出たのは大学の頃で1976年10月に買ってワクワクして聴いた。前年3月、ちょうど合格発表の前後にこのコンビが来日して1番をやり、TVにかじりついて観ていたのも懐かしい。後にCDでも入手して散々聴いたがやがて取り出すのは2,4番ばかりになった。3番はどうも感興がいまひとつだ。VPOの美音は聴けるが安全運転であり自発性が薄い。ヴィースバーデンで老いらくの恋に落ちていた男の情念はあまり感じず、美しいだけの3番は何を主張したいのか焦点が定まらない(総合点:3)。

 

ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団 (1984、旧盤)

素晴らしい出だし。英語ならexpansive。なにかエネルギーが流れ出して広がり大きな希望を感知させる。それが微妙な和声の揺れでそこはかとない不安を織り交ぜてくる。この曲はこう始まらないといけない。第1楽章のテンポもこれだ。オケもベームのVPOとは大違いで楽興に乗り自発的(spontaneous)で筋肉質である。木管の質が高くOb.は特筆。第2楽章は誰より速いが全体のコンセプトの中では許容できてしまう。第3楽章はもう少し・・と感じるが耽溺しないのがこの頃のヴァントだ。終楽章のみがたっぷり目のテンポとなり内声の刻み、立体感ある金管のかぶせ方で堅固な骨格をかためる。大変立派な3番。(総合点:4.5)

 

フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団

エネルギッシュに開始するが第2主題で減速してロマンティックになる剛柔織り交ぜたアプローチ。剛毅な男の時に見せる翳りとやさしさがほろっとさせる高倉健モノの如きドラマがある。第2楽章、CSOの木管のとろけるようなうまさに感嘆。第3楽章は感傷を表には見せないニヒルさがいい。物足りない人はいるだろうが僕はブラームスにめろめろは似合わないと思っている。終楽章は鋼のようなリズムで剛毅が戻るが終結で深いロマンと安寧に包み込まれる。ライナーの強力な統率とCSOのアンサンブル力は人工的に聞こえるほどだがこれだけの水準の演奏は他で聴けない。まとまりのない演奏が多い難曲であり、あっさりし過ぎと感じる方が多いことも想像できるが、僕は3番のひとつの完成系と高く評価する(総合点:5)

 

エドゥアルド・ファン・ベイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

56年のモノラルだがあのホールの素晴らしいアコースティックは感じられる。それあってのブラームスがいかに映えるか。僕はそれが欲しくて今の部屋と装置をしつらえた。筋肉質なベイヌムのブラームスはどれも逸品である(問題はこれをどう再生するかだけ、できればLPが欲しいのだが)。これもライナーと同様女々しさがかけらもない純正の男節であり、終楽章の血管の浮き出るような金管の鳴らしっぷりは剛毅であり、それが何物かに鎮められて沈着な心持ちに落ちていく虚無的終結は僕の思う3番に誠にふさわしい。好きな演奏の一つだ(総合点:4.5)。

ブラームス交響曲第3番の聴き比べ(1)

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調 作品90

 

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ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調作品8

2018 OCT 3 0:00:33 am by 東 賢太郎

シューベルトが若書きの第5交響曲で見せた早熟の才について書きましたが、それを天才と言ってしまってはどうも思考停止で居心地が悪い。僕のイメージは「凄まじいインプット能力」です。モーツァルト然り、メンデルスゾーン、ビゼー然り。そういう異能者は現に東大やウォートンで見ました。彼らは我々凡人が太刀打ちできる域にありません。

5才でピアノが自由に操れるなら作曲ができるかどうかは僕には分かりませんが、楽器を弾く身体能力だけで交響曲が書けるとは思えません。大人っぽい言葉を驚くほどしゃべる子はいますが、その子に小説が書けるかというと別でしょう。それをするには言葉だけでなく人間や人生の機微に関わるまでの膨大な情報のインプットが必要であって、常人離れしたメモリー容量が必要です。これは音楽の特訓で育つわけではありません。

つまり僕ら大人が19才のシューベルトの5番に心を動かされるのは、彼がサリエリ先生の特訓で得た音楽力以前に持って生まれた資質として、ティーンエイジの短期間に先人の(同曲の場合はモーツァルトの)楽曲を覚えてしまう能力、つまりクジラが幾千の小魚を丸呑みしてしまうほどの強大な記憶力の持ち主であったという前提ぬきには理解し難いという結論に至るのです。モーツァルトはバチカンでの有名な逸話がありますが、シューベルトに逸話はなくとも作品は雄弁にそれを物語ると思います。

ではブラームスはどうでしょうか。彼は早熟の天才ではなく晩成の苦労人みたいにいわれるのが常で、青年期は貧困でバーでピアノを弾いていた、第1交響曲を書くのに20何年かかったという例がいつも引き合いに出されます。歴史というのは書く人がどう書きたいかでどうにもなるもので、あの人生の枯淡が滲み出た第4交響曲は幼少でコンチェルトをさらさら書いたような人間の行く末ではないだろうとは僕も思いたい。ブラームスは天才ではなく刻苦勉励型の秀才だったのだろうと。

しかし我々の前には、彼が20才で書いたピアノ三重奏曲第1番がある。歴史はどうあって欲しいかではなく、物証主義で書かれるべきです。僕はこのロ長調のピアノが流れ出した途端に「あっ、ブラームスだ」という喜びに包まれてしまう。そんな情緒的でプライベートな感情をいきなり書いたとしても、なるほどと共感して下さる方は多いのでは?それほどこの主題は(こんな言葉が許されるならば)「ブラームス的」であって、彼の音楽を聞いたことがない人に「ブラームスってどんな感じですか」と尋ねられたなら、僕はまずこの主題を聴かせるでしょう。彼は、20才のモーツァルトがもう十分に「モーツァルト的」だったのと同じほど、そういう存在だったと思います。

同じ若年の作品ですが、こんな音楽がシューベルトの5番よりも大人を説得できないと思う人はいるのでしょうか?オブリガート的に入って主役に座るチェロが高揚してゆく場面の和声展開のすばらしさ!何度聴いても魂を吸い寄せられ、彼がチェロ協奏曲を書かなかった渇望をしばし満たしてくれます。そこにヴァイオリンが加わって主旋律を歌うともうオーケストラだ。

このメロディーはソドーレミソーファーミーレドレーとド~ソの5音だけで出来た素朴な、童謡みたいにシンプルな音列でしかありません。しかし、なんとなく似ている第九の「歓喜の歌」も実はそうなのであって、ドレファミのジュピター音型まで入っている(太字)のを、意図的かどうかはともかく、僕は唯ひとつ一度だけ出てくるファーのところではっきりと感じます。先人たちの遺産、伝統に心地良く寄り添った名旋律と書いてあまり異論は出ないでしょう。まずその部分だけのビデオをご賞味ください。

いかがでしょう?この音楽がいかに魅力的か!全曲聴きたくなりませんか?覚えてしまえば一生の楽しみになること間違いありません。

以下、このトリオについて少々のコメントをします。

第2楽章の主題は敬愛した先人シューベルト5番の第3楽章、そして一番身近な先人であるシューマンの第1交響曲「春」のスケルツォを僕は連想します。モーツァルトk.550のメヌエット、k.421の終楽章もきこえる。第3楽章の霧の中のような雰囲気はハンマークラヴィールソナタの緩徐楽章を想起させないでしょうか。この楽章からブラームスは第4交響曲の冒頭主題を引いており(誰も主張してないが僕は確信がある)、彼は若年からそれに多大の関心を寄せていたのではないでしょうか。というのは当時このソナタを弾けたのはフランツ・リストとクララ・シューマンだけと言われており、クララの演奏を聴いたはずのブラームスが無関心でいられたことは考え難いからです。そして終楽章は、前楽章の霧を受け継いでクロマティックで減七が支配し和声感がやや希薄になる嵐のような世界を提示したまま異例の同主調(ロ短調)で終結させますが、これも20年前に書かれていたメンデルスゾーンのイタリア交響曲を前例とします。

いま我々が通常耳にするのは晩年の改訂版(1889)ですがオリジナル版(1853-4)も聴くことができます。というのはブラームスとしては小品を除いて例のない新旧バージョンとも出版された事例だからで、オリジナルを廃棄しなかったのは愛着があったからなのか出版社との事情なのかは知りませんが、少なくとも彼は20才の作を残すことを認めたまま、それを素材として老境の知見を盛り込もうという衝動を抱いたわけです。いや、ひょっとすると上掲楽譜の冒頭主題があまりに素晴らしく、それを素材に楽章ごと別な作品を書きたくなったかもしれない。さほどに第1楽章の展開部、再現部のフーガなど両者はまったく別の音楽でありますから、僕は1889年版は第4番と思っています。

大きな改訂部分はというと、まず第1,4楽章のおよそ4割を捨てて第2主題を完全な別物に置き換え、第3楽章は中間部のアレグロを捨てておよそ3分の2になったことですが、本稿の趣意から注目すべきは第1楽章ではフーガを捨て、第4楽章ではベートーベン、シューベルトの歌曲の引用を消したことです。20才の時点ではそれらは偉大な先人を継いでいるぞという意味があったのです。しかし、第4交響曲を書き終え、あの主題回帰が強いインパクトを与える回顧的な情緒に満ち満ちたクラリネット五重奏を書いていた58才のブラームスにとって、それらはもはや音楽的なコンテクストでは不要だったのでしょう。

人間は老境に至れば何がしかの進歩をするのものだと言いたいのではありません。彼がオリジナルも完成品として認知して残したというのは、バッハからシューマンまで先人の遺産がぎっしり詰まっている姿をそのまま自己の軌跡を回顧して慈しみ、しかもそこにはまぎれもない現在の自分も見え隠れしているではないかという満足感があったからではないかと考えるのです。明らかなことは、20歳時点で彼は先人の成果を消化吸収しており、丸呑み能力においてブラームスはシューベルトに劣らぬ早熟の天才だったろうという結論になりそうです。

以上、資料がないことですからどうしたって想像ゲームの域は出ないのでありますが、こうしながら僕は歴史学者が遺跡を発掘して邪馬台国の場所を推理するような歴史ロマンを楽しんでいるということになりましょうか。酔狂な事ですがたまに面白いと言ってくださる方もいるので救われます。音楽(楽譜)が遺跡に当たるので言葉のハンディはありません、音楽さえたくさん頭に入っていれば誰でもアームチェアでできる冒険でもあります。遊びにすぎませんが、僕にとって大事なのはそうやってできたブラームス像という自分なりの座標軸をもって彼の作品を味わえることでしょうか。

 

最後に録音を挙げておきます。

ジュリアス・カッチェン(pf)/ ヨゼフ・スーク(vn)/ ヤーノシュ・シュタルケル(vc)

1889年版です。ブラームス弾きとして名をはせたカッチェン最晩年の録音。冒頭の滋味あふれるシュタルケルとの合奏!技術的に綻びが皆無ではないものの何という大人の風格だろう。ニュアンスとテンポ、ふくよかで暖色系の音色でこれ以上のピアノを知りません。スークはやや控えめで趣味の問題ですが僕はこの曲の場合Vcがリードするのが好みでこの貞淑さはむしろ高く評価します。第3楽章の深みも申し分なく両端楽章の高揚感はいささかも欠けるものなし。永く聴き継がれる名演奏でしょう。

 

エマニュエル・アックス(pf)/ レオニダス・カヴァコス(vn)/ ヨーヨー・マ(vc)

本文中に掲げた録音です。これも宜しいですね。名手3人がショーマンシップは捨てて内省的なものを表現しようという誠実な合奏で、ブラームスに誠にふさわしい響きを紡いでいく様には無上の喜びを感じます。いつまでも聴いていたい。アックスのブラームスは知られていないがいいのです。カヴァコスもマも実演を何度か聴きましたが本物の音楽家ですね。今更ながら、何ていい音楽なんだろう!

 

マーク・アンドレ・アムラン(pf)/ ヨッシャ・ベル(vn)/ スティーブン・イッサーリス(vc)

youtubeで聴きました。表記がないがこれがオリジナル版であります。1889年版といかに違うか聴き比べてください。ライブですが演奏の質は高くアムランのうまさが冴えてます。

 

ユージン・イストミン(pf)/ アイザック・スターン(vn)/ レナード・ローズ(vc)

超大物3人のトリオ。すいません、こんな重量級の曲でないでしょが第一印象。スターン様のあんまり音程が良くない出過ぎも好かないのですが、しかし、この横綱の弦二人の張り合いだとイストミンのピアノが従者に回り、ドッペル・コンチェルトに聞こえてくるというのが新発見でした。室内楽って面白いですね。

クラシック徒然草-ブラームスを聴こう-

 

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日曜日のブラームス(交響曲第2番)

2018 AUG 26 16:16:16 pm by 東 賢太郎

猛暑たけだけしい今年でしたが皆さま健やかにお過ごしでしょうか。誰と会っても今年の甲子園はという話になり、そちらも熱かった格別の夏でしたが、いよいよですね、蝉時雨もそろそろという頃になってきました。

ここから年末にかけて、僕にとっては秋ではなくブラームスの季節がやってまいります。

秋深き 隣りは何を する人ぞ (芭蕉)

ブラームス 周りは何を する人ぞ (詠み人知らず)

日本人にとって秋は徐々に深まっていく、味わい深い季節であります。かたや、北米、北ヨーロッパで14年をすごした僕にとって、秋は夏との惜別であり、長い冬への序曲となる季節でもあります。

日本は北緯20~45度の国です。僕にとって、その14年を過ごしたフィラデルフィア(北緯40度)は岩手県の八幡平あたりですが、ロンドン(北緯51度)フランクフルト(北緯50度)、チューリヒ(北緯47度)はみな樺太(サハリン)になってしまいます。

気温で考えると「いや、そんなに日本と変わらないよ」となりますが、「日の出から日の入りまでの時間」の幅ではロンドンはおよそ8~17時間、東京は10~14時間です。日本人にとって昼間の長さは夏と冬で4時間ちがうのが、英国人にとっては9時間ちがうということです。

夏に旅行でぽんと行ってみても日が長いねと驚くわけですが、住んでいると日々の変化ですからそれが体感になっていて、昼間の時間は夏どころか7月からぐんぐん短くなっていく、あの感じは日本では理解できません。それを14年やっていた僕だって日本に18年もどっぷりつかって、文章であれを伝えるのはちょっと難しくなってます。

それ、人間に実に影響大なのです。昔の日本人は日の出で起きて日没で寝る。これオッケーなんです、4時間の差ですから。英国人?夏冬で睡眠時間9時間も変えられますか?あり得ません。だからサマータイムがあるし、冬に16時間もベッドにおれないから起きている。だから蝋燭、電灯ができて、闇夜の暇つぶしで思索したり学問したりバクチしたり芝居やコンサートの需要が出ました。

英国では昼型の人だって暗い中で通勤して仕事して食事して読書して音楽をきく。基本、お天道様と生活を共にする日本人とは真逆の生活なんです。人間の知覚する情報の8割は視覚いわれます。外に出て、明るい、暗い。それが「世の中」なわけですから、それをお互い千年もやってれば日英同盟ぐらいで国民的に気心知れるなんてことはないわけで、ということは緯度が1度しか違わないドイツ人だって同じだろうぐらいはわかるわけです。

僕はドイツでドイツ人の気持ちをつかむのに苦労して半年もかかりましたが、英国での6年の経験がありました。ある時、それを敷衍すればそんなに遠くないかもしれないと気がつき、日々の作業の中で遠くないということがついに腑に落ちました。それは「お天道様と生活を共にする人たちではない」ということだったのです。「次はイタリアぬきで」などというのは論外の牧歌ですが、農耕民族だからというのも、それを言うならフランス人の多くも内陸部の米国人もそうであってまったくの誤解だと気がついたのです。

私見では、日本人が抽象思考に弱いのはそのためです。お天道様が照らさないと見えない、見えないものは信じない。これが日本人。欧州人は冬は16時間も暗闇で見えない。だから見えなくても理が通れば信じる。それだけのことです。神様がそうでしょう。日本人は偶像崇拝、欧州人はそれ禁止です。どっちがいい悪いではなくシンプルにdifferent。そんなに根本的に違う人たちが農業を通じてひとつになれるということは考えにくく、夏冬時間差のほうがずっと影響がある。ということは英独はほぼ同じだし、僕なりの英国式で野村ドイツを指揮すればまとまるんじゃないか?そう「抽象思考」いたしました。

それで事なきを得たのですが、敵国語である英語しかしゃべらない者がドイツの社長になったのは初めて、他社はドイツ留学・ドイッチェシューレの方ばかり、それでも従ってくれて立派な仕事をしてくれた80余人のドイツ人たちには感謝あるのみです。だから僕は英国人のサイモン・ラトルが2002年にベルリン・フィル(BPO)の音楽監督に初めての英語圏指揮者として就任というニュースをきいて興味がありました。やや乱暴な喩えをすれば、N響の首席指揮者に中国人か韓国人がつくようなものです。

それが杞憂であったのはその後の両者の関係が示しています。ラトルは今年から母国のロンドン交響楽団に錦を飾りましたが期待してます。80年代にロンドンで彼がバーミンガム響を振るのを何度か聴きましたがオケと協調型で、独裁型好きとしては物足りない印象でした。しかしBPOに乗り込むのにそれが奏功しただろうという想像がつきますし、アバドもそうでしたが、だから楽員の選挙で選ばれたのだろうと。フルトヴェングラーもカラヤンもいない時代の選択肢かもしれません。

就任2年後のビデオがありますがその想像がそう外れてはいないということを示しているように思います。このブラームス2番、ほんとうに素晴らしい。北ドイツの9時間差の緯度の人であったブラームスが、陽光を求めてイタリアへ行ってインスピレーションを得た曲は日曜日の朝に聴きたくなるのです。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

 

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ブラームス博士は語る(交響曲第2番終楽章のテンポ)

2018 APR 1 20:20:33 pm by 東 賢太郎

クラシックは語られる音楽だ。後世が積み上げた言語の集積で規定される音楽であり、だからクラシックと呼ばれる。古いだけの民謡との差はそこにある。ブラームスにとってJSバッハは古典だったが当時広くは認知されておらず、さしたる集積はなかったから現代の語感でのクラシックではなかったろう。

言語が集合知となって、19世紀の作曲家の自作演奏の様式は不完全だが知ることができる場合がある。ブラームスにおいてはそれに加えて彼の同時代人の演奏が聴けるが、それが本人の意に添ったものかは不明でやはり文献の補遺は必要だ。現代の指揮者の演奏を僕は常にそういう背景と照らして聴いている。

作曲家が書いた楽譜は演奏されることで作曲家の手を離れるが、だからといって編曲に近いほど我流に陥ったものを楽しめるかどうかは聴き手の趣味の問題だ。能や歌舞伎同様、古典芸能に時流で新風を吹き込むことは不可ではないが、新風と我流の間には確たる一線があると僕は思う。

なぜならば、繰り返すが、クラシックは語られる音楽だからだ。本来語られるものは音楽であって演奏ではない。古典派までの演奏会は自作自演の発表の場でもあり、聴衆の主たる関心の対象は新曲だった。演奏会でモーツァルトは即興を弾いたが、楽譜に残されなかったその新曲は作品とはならずに虚空に消えた。彼が楽譜に書き残した新曲だけが作品として、はるか後にケッヘル氏が整理番号をふったモーツァルトの音楽として、21世紀の我々に残された。

彼の死後ほどなくして、19世紀の多くの演奏家たちもそれを弾いた。20番目のピアノ協奏曲ニ短調はベートーベン、ブラームス、クララ・シューマンも愛奏したと文献は語る。もちろんモーツァルトらしさを損なわないような流儀においてだったろうことはベートーベンの書き残したカデンツァによって推測される。当時の聴衆はブラームスのそれをクララのそれと比べる機会は少なく、仮にそれがあったとしても両者の演奏解釈の違いを論じる場はほとんど形成されていなかったと思われる。

ロベルト・シューマンは同時代の他人の作品をあまねく論じたという意味において最初期の音楽評論家でもあったが、対象となる作曲家、作品が集合知として共有されていたのは楽譜が印刷術の発展とともに流布し、それを自分で演奏したり読んで吟味したりできる限定的なコミュニティにおいてであった。JSバッハやモーツァルトの音楽が一般学校教育によって「大衆の共有知」になるのはそこから100年後だ。シューマンもブラームスも自分の作品が後世に残ることは知っていたし、そうでなくては困るとしてベートーベンの作品と比べて見劣りのないものの創作につとめたことは文献が記す。

しかし彼らは自分の作品がJSバッハ、モーツァルトのそれと同列に並び称される目的は達成したものの、それらを万民の教育の対象にしようという価値観が東洋の果ての国にまで現れることは想定していなかったろう。その価値観は、エジソンによるシリンダー録音という技術の発明が、あたかも19世紀にグーテンベルグの印刷術が楽譜の流布に果たしたと同様の役割をその何倍もの速度とマグニチュードにおいて果たしたことによって新たに生成されたものだ。そうして彼らの作品は楽譜を読んだり弾いたりできない大衆までを包含した共有知となり、その価値観が「別格なもの」として祭り上げる神棚(class)に鎮座する作品はその形容詞で classical である、となった。ここにいよいよクラシック音楽が誕生する。

ブラームスはシリンダーに声とピアノ演奏を録音した人類最初の作曲家となったが、自分の作品がクラシック音楽と呼ばれるようになることは知らなかった。クラシック音楽という概念の発生とエジソン蓄音機の発明・進化・普及は無縁でない。蓄音機の記録音板が音楽の缶詰のように大量に商業的に売りさばかれるようになり、極東の我々にとってそれはレコードと呼ばれる黒い音盤を意味するところとなった。だが英語の record は無機的な記録の意味である。

1889年のブラームスの声とピアノがここに聞ける。

1877年にエジソンが発明した蓄音機が電話機、無線機、白熱電球、映写機とともに人類の生活を変える。その進化・商業化が自国に市場を持つ米国発であったことと電話(telephone)、映画(movie)が英語であることは無縁ではない。クラシック音楽(classical music)しかりである。ハードウエアの進化が市場を作り、文化を作る。この波は19世紀末から20世紀初頭の米国で起こり、英国発の産業革命の大きな波と融合し、英語の国際化とともに世界に伝播した。

1889年にエジソンがエポックメーキングな「音源」として、すでにレジェンドであったブラームスを「録音(record)」しようと目論んだ着想は、その記録された音を比較対照して論じる文化の萌芽である。「レコード」の誕生である。音楽演奏を比較し、同曲異演を味わうことを楽しみとする文化は、それゆえに、英米起源である。このことは英国に良いワインはできないが、有力なワインマーチャントが英国人でWine tastingが英語であることと近似した現象である。

レコードなる媒体が無尽蔵に「コピペ」され、商品として売りこまれることで、記録されたコンテンツはブラームス博士の肉声とはどんどん遊離していくことになる。我々が聞き知るブラームスの作品は、上掲ビデオに記録されたハンガリー舞曲第1番を唯一の例外として、他人が演奏したものだ。交響曲第2番を初見でスコアから読み起こすことはできない地球上ほぼ全員の聴衆にとってこの現象は福音であったが、2番とはブラームスの作品としてではなく、代理人としてカラヤンやベームなど後世の指揮者が演奏したものに変換されていく。

このことはプラトンのイデア論に行き着く。ブラームスの同時代人ではない指揮者の2番が作曲家の賛同を得られたものかどうかは誰も判断できないが、だからといって、自作を録音した、したがって100%オーセンティックであるストラヴィンスキーやラフマニノフの演奏をしのぐことのできる他人はいないということを意味はしていない。作曲家と異なる解釈で我々を納得させた演奏はスコアに秘められた別種の価値を具現化したのだから、書かれたスコアは作曲家の手を離れて成長するという概念を生み出すだろう。

僕はイデアのみを崇めそれを否定する者ではない。理由は以下のとおりだ。作曲家が用いた旋法やコードは何らかの物理的、生理的現象を人間の心に生起させる「画材」だ。画家は画材である絵の具を発明したのではなくある色を「選別」しただけで、絵の具そのものが美しい色と光を放つ現象に依存していないと言い張ることはできない。カンヴァスに描かれたそれ自体が美しい絵の具のその選別の是非を鑑賞者は愛でているのだ。

まったく同じことで、作曲家は「音材」を選別する。しかし絵の具が美しいように、教会旋法もド・ミ・ソの三和音も美しいのだ。音楽の演奏はスコアという暗闇の状態では目に見えない絵画に光を当てる行為だ。光線の具合によって、例えば昼か夜かで印象が変わることはその作品の価値をそこねるものではない。旋法や三和音の奏し方を変化させて音材の本来持つ美しさがスコアの意図以上に光輝を放つ可能性だってあるだろう。この絵は北緯何度の何月何日何時何分に快晴の太陽光のもとで見ろと指示した画家はいないように、唯一無二のテンポやフレージングやダイナミクスを数学的に厳密に指示した作曲家もいない。

演奏家が光を当てて掘り起こす秘められた価値はたしかに存在するが、その作業は作曲以来の解釈の歴史の文脈の中で聴き手の過去の記憶と比較する関心をトリガーする形で形成されるだろう。真の聴き手は文脈を学んで知っている。演奏家の個人的趣味による読みのユニークさや大向こうを張る大団円の壮大な盛り上げは演奏会場での当座のブラヴォーや喝采を獲得するかもしれないが、新しい文脈の一部になることはない。今日のテンポが速かったのは指揮者が出かける前に夫婦喧嘩したか、それとも早く空腹を満たしたかったからかどうかを語りたい方がいても結構だが、それが集合知の一角をなすことはないだろう。

少し前に新幹線でブラームスの第2交響曲のスコアを見ていたら、第4楽章のテンポはクナッパーツブッシュの解釈が正しいんじゃないかと思えてきた。

現代の演奏を聴き慣れた耳にはずいぶん遅く感じるのだが、Allegro con spiritoは四分音符4つに振るとせいぜいその速さじゃないかと。お聴きいただきたい。

ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)とフリッツ・ブッシュ(1890-1951)は、ブラームス(1833-97)と親交が深かったフリッツ・シュタインバッハ(1855-1916)の弟子なのだが、ブッシュの第4楽章は2つ振りで2分音符をアレグロにしている(およそクナの2倍の速度)。お聴きいただきたい。

しかし上掲のスコア冒頭を冷静に眺めると、2つ振りならああいう風には書かないのではと思うのだ。あれを現代の多くの指揮者のテンポになるように表示を書くとすると Presto だが、ブラームスの交響曲にあんまり似つかわしい速度表示ではないように感じる。とすれば、やはりクナッパーツブッシュになるだろう。

これはどういうことか?そこで、ブラームスの2番の自演をほぼ確実にライプツィヒで聴き、彼の前で指揮をして(それが2番かどうかは不明だが)作曲者により批判はされなかった

(Brahms) does not appear to have complained of Fiedler’s interpretations (Jan Swaffordによる)

とされるマックス・フィードラー(1859 – 1939)の第4楽章を聴いてみよう。

ブッシュに近い。これが理由でどうしても僕はクナをあまり高く買うことはできていなかったのだ。しかし、テンポ変化が全く書き込まれていないスコアを改めて見ていて、本当にそうだろうかと疑いを持ったのだ。

それは第2主題の頭にあるlargamenteだ。largoの派生語だが、メロディを弾く第1VnとVaにだけ書かれていて、速度ではなく 幅広く、豊かにという表情の指示ではないだろうか(英語ならlarge、寛大にだ)。仮に速度であるとすると、フィードラー、ブッシュの第1主題のテンポで来るならば数小節前にリタルダンドが必要で、第2主題冒頭から急に遅くするのは明らかに曲想に合わない。クナの4つ振りテンポだとそのまま減速せずに(つまり楽譜通りに)つながる。幅広く、豊かな表情でたっぷり弾かせるためほんの少し減速はしているが、これがブラームスの意図したlargamenteかもしれないと思えてきたのだ。

クナッパーツブッシュは練習嫌いであったとされ、ぶっつけ本番の即興性の高い、アバウトだが霊感に富んだ指揮者のように言われるのが常だが、そうではなく周到にスコアを読む人だ。この2番やシューベルトの9番はユニークな表現に聞こえるが、アバウトに振って早く帰りたい人はそんな妙な事をする必要がない。まして思い付きで面白いことをやって、素人の聴衆はともかく、オラが作曲家と思っているプライドの高いウィーン・フィルやミュンヘン・フィルが心服してついてくるほど甘い世界ではないだろう。

楽員は彼の解釈に敬意を持ち充分な忖度があったから「この曲は私も諸君も良く知っている」という状況にあり、アンサンブルの縦ぞろえが重要なレパートリーは彼はあまり振らなかったせいもあったかもしれないが、むしろ楽団との関係をうまくマネージするために練習を切り上げて早く帰したのではないかと思う。

 

クナはコーダでこのページの真ん中の3つの2分音符に強めのアクセントを置き速度を大きく落とす。ここに至るまでの全奏部分でやや加速するのは2分音符のブレーキ効果を際立たせるためだが、これだけは僕は不要と思う。そこからはトランペットとティンパニをffで強奏しVnのボウイングも際立たせながら実に彫の深いコクのある表現で終結に向かう。安っぽいアッチェレランドでいかさまの興奮をそそるような稚拙な真似はしない。

 

 

何が正しいかは不明だが、フィードラーの解釈については、

his performances, because of their constant shifts of tempo and mannered phrasing—for instance the frequent introduction of unwritten luftpausen—reflected an interpretative model that owed far more to von Bülow than to Brahms.(Christopher Dymen)

と、「ブラームスよりもハンス・フォン・ビューロをモデルにしている」とする文献もある。2つ振りはビューロー(1830-94)起源だった可能性もあるのではないか。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)

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バーデンバーデンのブラームスという悦楽

2018 MAR 20 0:00:03 am by 東 賢太郎

バーデン・バーデン(Baden-Baden)はドイツ南西部、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の北部に位置するヨーロッパ有数の保養地だ。都市で言うとポルシェの本社があるシュトゥットガルトに近い。クララ・シューマンの居所でブラームスゆかりの地でありウィルヘルム・フルトヴェングラー、ピエール・ブーレーズが亡くなった地でもある。Bad(バート)とはドイツ語で温泉を意味し、その名のとおり数多くの音楽家が保養に湯治にそして演奏に訪れている美しい田舎の温泉町だ。田舎という日本語をあてはめるしかないロケーションなのだが語弊があって、ドイツは森に囲まれた田舎の方がリッチで洗練されていて美しい。だから富裕層が住むのである。ツアーで都会の観光コースとまずい食事だけであれがドイツと思ってはいけない。

ちなみに我が家が最初にフランクフルト赴任で借りた家はケー二ヒシュタインという高台にある田舎で、翌年に拠点長になったのでフランクフルト市内にあるアパートに社命で移ったが、どっちがいいかといえばダントツにケーニヒである。ここと隣町のクローンベルクはバーデンバーデンより小ぶりだが似た雰囲気を持つ温泉保養地であり、あそこに住んだ1年間は63年の人生で最高に幸せだった。そして、もしもう一度ドイツに住めるなら、今度はバーデンバーデンを選ぶだろう。どうしてかといって、それはクララ、ブラームス、フルトヴェングラーにブーレーズといった人々が住みたいと思ったものすべてが理由であって、なんとも言葉にはしにくい。

ロンドンにいた後半からブラームスの音楽に完全にはまりきっていて、寝ても覚めてもブラームスだった。2年日本に戻ってからのドイツ赴任の人事発令は業務的には本流を外された思いがあって歓迎ではなかったが、しかし来てみるとこの辞令はクラシック命だった僕にとって運命的なものであり、きっとがんばって仕事してきたことへの神様のご褒美であって、これぞ桃源郷ではないかという気分になってきた。周囲にドイツ語しか聞こえないホールや教会で何度も何度もじっくりとブラームスを聴く。この日本では体感しようのない経験というものは音楽の受容のしかたという意味で僕の耳に決定的な変化をもたらし、それ以来の音楽鑑賞の楽しみを格段に深化させてくれた

バーデンバーデンは家族を連れて2度滞在している。そこで買ったイタリアのベタリーニの船とロシアのヴォロディンの馬の2幅の油絵は家宝になった。1865年から1874年までの夏の数ヶ月をブラームスが過ごしたリヒテンタール8番地にあるブラームスハウスで入った青い部屋(左)は感動ものであった。ここで「交響曲第2番ニ長調」が完成されたからだ。当地で2番をやるとプログラムには「リヒテンタール交響曲」(Lichtentaler Sinfonie)と記される。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は1877年9月にこの地でブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番をサラサーテが演奏するのを聴いたことが作曲動機であるとされている。真偽は不明だがブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調がモデルになったという説もあるのは、ブルッフは同曲をクララ・シューマンを通してヨゼフ・ヨアヒムに紹介されたことを契機として書いたことからも可能性は否定できないだろう。

バーデンバーデンのクアハウス

バーデンバーデンに滞在中、ずっと頭で鳴っていたのはもちろんブラームス、とりわけヴァイオリン協奏曲とここ(クララの家)で試演されたドッペルであった。もう骨の髄までしみついたヴァイオリン協奏曲をあの美しいクアハウスのヴァインブレナーザールで聴くことはかなわなかったが、この曲はあの音響で聴くのが望ましい。あれこそブラームスが心に描いていたアコースティックに違いないという思いは確信に変わっていた。

ずっと後に見つけたこのCDはそうした満たされぬ渇望を癒す天の恵みだった。Weinbrennersaal, Kurhaus Baden-Badenで2002年11月1日にライブ録音されたブラームスのヴァイオリン協奏曲である。当地カール・フレッシュ・アカデミー主催のコンクール優勝者記念コンサートで、Brigitte Lang のヴァイオリン、Simone Jandl 指揮バーデンバーデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。Lang女史は現在NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(NDR Elbphilharmonie Orchester、もとNDR交響楽団)の副コンサートマスターのポストにある。

まったくマイナーリーグの観を免れない演奏家たちだが、僕はこの曲を聴きたいときにこの録音をCD棚から取り出すかどうか必ず迷う。オイストラフやスターンやシェリングの名演があるのにだ。こういう演奏が田舎町でさくっと聴けてしまうのがドイツであって、わが国で言えば大相撲や歌舞伎のように、ブラームスは空気のごとく当たり前のようにユビキタスな存在であって世界的な大家による名人芸など別に必要としていない。そこでドイツ人と3年ブラームスを日常的に聴いていた僕もまったく必要としない。そういうことだ。

このCDが評論家の絶賛を浴びたりベストセラーになったりすることは絶対にないだろう。音楽産業はギャラの高いメジャーリーガー演奏家をグローバルに売らなくてはいけないし、そういう意図で書かれた評論やキャッチコピーに騙された消費者は「名手」「大家」でないと耳を貸さないように洗脳されてしまっているからだ。多くの方はそれに気づいていない(というより、日本にいれば気づくチャンスもない)。そういう方々のために僕はこのCDをアップしたし、曲をまだ知らない方々にブラームスのヴァイオリン協奏曲がいかに素晴らしいか知っていただく意味でこの演奏は過不足ない。ぜひ、こういう地元の本物の演奏をじっくり何度もお聴きいただきたい。

ラング女史のソロは無用に力瘤を入れて弾くところが皆無で緩徐楽章は祈りのようだ、これほど誠実にブラームスの音符を純真、純潔路線でリアライズできるものかと心が洗われる。技術はなんら劣るものではないが、ソリスティックでない。こういうのは往々にして「堅実」とあたかも褒めたかのように切り捨てられる。マイナーリーガーという刻印だ。とんでもない。それを前面に押し出して自己顕示のすべとするのでははなく、ひたすら音楽へ奉仕するという、僕のように楽曲の混じりけのない醍醐味だけを繰り返し味わいたいリスナーにとっては最高級の音楽家だ。こういうものは大衆に広く売れることはもともとあり得ないという資本家には困った性質のものであって、だから、こういうのが良い演奏というコンセプトが広まっては困るのである。皆さんは純粋に良い音楽を楽しまれればよく、資本家の利益に貢献する必要はない。

オーケストラもなんら尖ったところはなくWeinbrennersaalの最高にふくよかなアコースティックに自然に寄り添って、これぞブラームスという芳醇な響きでソロを包み込む。これぞブラームスの音。終わった時に、いつも同じものなのに、いつもありがとうという言葉しか出てこない、まさに稀有のありがたい演奏である。そして僕にとってはバーデンバーデンの代えがたいお土産の意味もあるが。

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