ベートーベン交響曲第1番の名演
2013 JUL 8 0:00:08 am by 東 賢太郎
(改訂、3月6日)
アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団(51年12月21日、カーネギーホール)
僕はLPを持って行けなかった米国留学の2年間、トスカニーニのカセットを買って大好きなベートーベンの交響曲への渇きを癒した。だから僕のベートーベンの原像はトスカニーニの直截的な演奏で築き上げたものだ。それと同じ録音がロンドン勤務の86-7年に、当時まだ新フォーマットであったCD(右の写真)がRCAから出て狂喜したのを昨日のように覚えている。もちろん毎日のように聴きこんだから当時の我が家ではこの1番がテーマソングのように鳴っていたはずだ。そうして87年は僕のベートーベン・イヤーとなり他の作曲家はお留守とさえなってしまった。ベートーベンというのはそういう音楽を書いた作曲家なのだ。いま聴きかえしてもこの1番は熱い。そして僕の心にも熱いものを掻き立てる。当時、仕事は想像を絶する大変さであり、この1番が精神的支柱で、くじける寸前で救ってくれたものであったことは間違いない。この演奏の価値や評価がどうのということは問題ではなく、人生の糧として換えがたい恩のあるものであって、このCDは家宝となるべきものだ。
こちらは空襲で破壊されたスカラ座が再建され、その直後に管弦楽団を連れてルツェルンで演奏された1946年7月7日のライブ録音だ。コンセプトはNBC盤と何ら変わらない。
トスカニーニの強烈な洗礼を受けると他の演奏はもうどうでもよいが・・・。
フランツ・ブリュッヘン / 18世紀管弦楽団
ブリュッヘン盤はピッチがちょっと低いです。しかし演奏はアムステルダムの名ホール、コンセルトヘボウの音響がプラスに働いて古楽器演奏のプラス面だけが出ており、第1楽章はゆっくり目のテンポで重厚
感すらあります。ブリュッヘンはこの1番を3,5,7,9番へ連なる系譜に並べているのかもしれません。しかし第2楽章はハイドンの延長線上にあって古楽器流の表現が前面に出ます。これがモーツァルトの40番の緩徐楽章の血を引いていることがよくわかります。第3楽章、トリオの後で主部を繰り返すのはやや驚きますがテンポは素晴らしいですね。これぞメヌエットでなくスケルツォ。ヴィヴァ―チェだからこれでいいのです。運命動機もよく聞こえます。終楽章、いいテンポです。僕はこれを理想的とします。ライブでの気合いで加熱していく様はすばらしく、手に汗握る高揚感は実にエキサイティングです。彼が同じオケでやったモーツァルトの39番の実演を聴いたことがありますが、あの決して盛り上がるわけではないエンディングでも充分な終結感に至ったのはとても印象に残っていて、指揮者の綺麗ごとではない表現意欲の強靭さを感じました。ベートーベンのシンフォニーにはそれが不可欠なのです。それが作曲者の意図どおりのものかどうかはともかく、演奏家が強いステートメントをぶつけて曲と対峙するのがベートーベンを演奏するという行為であって、それがない綺麗ごとの演奏など僕は何の存在価値も感じません。例えばこの楽章ではホルン、ティンパニのffによる嵐のようなダイナミクスがさく裂しますが、この曲はこうでなくてはいけません。というのは、ウィーンのブルグ劇場でベートーベンが自費を投じて開いた演奏会での初演を聴いた聴衆は「ブラスバンドみたいだった」とコメントを残しているからです。作曲者自身が何かを曲にぶつけていたんです。そして最後は古風に念を押すように減速して停止。これは博物館の陳列品のような風情のひからびた古楽器演奏とは一線を画した、人のパッションとぬくもりのある見事なベートーベンです。
オイゲン・ヨッフム / バイエルン放送交響楽団
ヨッフムの1度目の録音です。第1楽章、息の長いアダージョの開始からどこかロマン的な雰囲気を漂わせます。遅めのアレグロで弾かれる主部は、腰の重い弦を土台にあ
でやかな木管が乗ってピラミッド型のマスの音響を構築する19世紀的ベートーベン演奏です。このスタイルというとベームが晩年にウィーンPOを振ったものがありますが、あれは何故かあまりにつまらない凡庸な演奏なのでこのCDを聴いてこの曲の(というよりベートーベンの)懐の深さをぜひ味わっていただきたい。第2楽章はフレーズごとに終止でテンポを緩め、レガート重視で一音一音念を押しながら進みます。第3楽章、リズムの前衛性は目立たずひたすら歌謡性で押し、その末にトリオではppまで音量を下げるというユニークさ。アタッカで入る終楽章の主部はやはり遅めのアレグロで繰り返しあり。ここでも木管(特にフルートがうまい)のあでやかさは絶品です。音楽の均一的な横の流れよりも、和声感、質量感に伴って速さや流れが副次的に決まるという、例えばラフマニノフのショパン演奏などに明確に現れている19世紀ロマン主義的スタイルの名演です。ではリズム感が鈍いかというと、終楽章のちょっとした合いの手での付点音符の扱いなど句読点へのこだわりも充分です。古老のおとぎ話を聞く感があり、管弦が混合して醸し出すトゥッティの濃厚な和声感はたまり醤油のような風味を感じます。59年4月の録音は年代にしては驚くほど良好で素晴らしいコクを味わえるのです。
(こちらへどうぞ)
ベートーベンの交響曲を語るということ
2013 JUL 7 21:21:57 pm by 東 賢太郎
花崎さんの面白い企画です。ベートーベンの交響曲9曲について一つづつイチオシCDを、指揮者の重複がないように選んでみようというものです。今回はまず、この大きな企画にのぞむ前に現時点で僕がベートーベンのシンフォニーにつきどう考えているのか、この9曲というものがどういう存在と見えているのかからご説明したいと思います。
クラシック好きとしては誰しも同じでしょうが、ベートーベンの交響曲というのははるか聳(そび)え立つ9つの霊峰のようなもの。すべてが8千メートル級の山々です。何度登っても風景は様相を違え、そのたびに別の偉容を感じるのです。僕は、このCDだけあれば他はいらないと言い切れる曲がいくつかありますが、ベートーベンの9曲がその仲間に入ることはありません。だから第九交響曲のイチオシCDは?と訊かれると、とても困る。富士山だって登山口は複数あるからです。
もっと困るのは、そういう状況ですから、例えば第九がどういう曲なのかいまだつかみかねていることです。ただ僕はどんな大指揮者であれ他人の演奏からその曲を知ることはしません。自分で楽譜から読み取る努力が優先です。演奏家とは僕にとってはそういう存在にすぎません。ところが、その肝心の楽譜を見ると良くわからないことが多い。例えばわざわざつけているメトロノーム記号ですが、その通りの速度でやると超高速になるなど、不可解な事が多いのです。彼の楽譜にはイタリア・オペラみたいに「演奏家の歌心におまかせ」のようないい加減な部分はありません。それは彼の明確な意図なのであり、だからこそ困るのです。
近年、楽譜研究が進んでいて、慣行版であるブライトコプフ・ウント・ヘルテル版に対してベーレンライター版なるスコアによる演奏が増えました。細部には立ち入りませんが、ベートーベンが楽器法にこだわったのはある程度事実であり、ベーレンライター版を使うかどうかが指揮者の試金石になっている観すらあります。しかし僕の立場はシンプルです。この9曲はリストによるピアノ版がありますが、ピアノソナタとして充分に成り立つものであり、ベートーベンもまずピアノで発想してから管弦楽化したと思われます。スコアの版の問題のうちこの変換の誤謬の部分は必要悪であり、忘れても音楽の本質には関わらないということです。従って僕は版の選択が演奏の是非を揺るがすことはないと思っています。単なる指揮者の趣味の範疇であり、そんなことで感動が倍加するようなことは起こりえません。
僕は第3番変ホ長調、いわゆるエロイカの第1楽章をMIDIで自己流に演奏、録音して、音楽のあまりの巨大さ、それは長さとか音符の数とか即物的な意味ではなく、その秘めているエネルギーの放射のようなものに圧倒されて第1楽章でやめてしまった記憶があります。音符をただなぞって音にする行為が不謹慎に思えたというか、彼が望んでいた音楽はそういう安易なものではないと諌める力、そういうベートーベンの「氣の力」が音符に封じ込められていて、それに「当たって」しまったという感じです。
それが楽譜のどこにあるのか?よくわかりません。今日投稿した「三十一文字の思い」、あそこに書いた91歳の被災地のおばあさんの短歌が、文字を超えて僕に強く訴えかけてきたようなものです。それはおそらく、難聴という音楽家にとって致命的な不幸と闘って、それでも乗り越えて生きて行こうと彼の内面を突き動かしたはずの何ものか、人間にとって最も強くて高貴な尊厳のようなものが音符や楽器の音を超えて溢れ出てくるのではないかと思っています。ベートーベンは機会音楽と最も遠いシンフォニーというもので、いやそれを最も深遠なものに自らの力で変容させてしまうことで、彼の尊厳を永遠に刻み込もうとしたに違いありません。
一介のリスナーとしてでも、僕がそういう彼の真意を理解しているかと問われれば残念ながら自信はありません。第8番の、無駄がそぎ落とされて宝石のように輝く音譜たち。そこに透かし彫りのように浮き出る予想もしないアイロニーとユーモア。晩年の作品でショスタコーヴィチやバルトークが目指したかもしれない人間、人生というもののはかなさ、おかしさをシリアスな鋳型に埋め込もうという試みの原型をそこに見ます。しかしそれがさらに純化した後期カルテットに至る道のりの中でどうして第九のような作品が現れたのか?よくわかりません。
彼を過度に神格化するのも危険ですし、彼のシンフォニーをそんなに構えて聴く必要もありません。それは単に「良くできた音楽」としても楽しめますし、スポーティな快楽的側面だけ見せて終わってしまう演奏も多々あります。それでも聴けば必ず満足させられ、自分の心に潜む最も清らかでポジティブなものだけを見た気分にさせてくれるのです。どんなに落ち込んでいる時でも、僕はベートーベンのシンフォニーを聴き終えて演奏会場を去る時には必ず「前向きでエネルギッシュな正義感の強い男」に変身しているのです。彼の音楽が生きながらえてきた秘密の一端はおそらくこれであり、それは彼自身を生きながらえさせてきた衝動がもたらしている作用だからこそ、圧倒的なパワーと説得力を持つのです。
ということで、企画に入る前にまずお断りしなくてはならないのは、ベートーベンの交響曲という音楽そのものについて、他の音楽のように書く自信はまだないということ。それからイチオシCDはあくまで今時点で、良いと思って時々聴いているものにすぎないということです。さらにはこの数か月はこれらの交響曲を聴こうという心境にも程遠く、ほとんど耳にしていなかったということもご容赦願えれば幸いです。
クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-
2013 JUN 11 0:00:01 am by 東 賢太郎
「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」 (ユーディ・メニューイン)
と20世紀を代表する大ヴァイオリニストは言ったそうだ。 「ラインラント地方を見たことがない者にシューマンのライン交響曲は指揮できない」 と信じる僕ごときと似たような音楽観をお持ちだったのかどうか真意はわからないが、それを先日ある人からうかがった瞬間に記憶が脳裏によみがえった。メニューインについてはある思い出があって、強い印象が残っているからだ。
1997年2月、野村スイスの社長だった僕は本社からの指示でスイスのいわゆるダボ
ス会議(World Economic Forum)に3日間参加した。この会議がどういうものかご存知の方も多いだろう(今年は安倍首相も出席してアベノミクスが話題になった)。登録者のみが参加できるのだが、たしか当時ひとり2万ドルぐらいかかったようだ。登録が受理されると名簿(辞書風のディレクトリー)に顔写真とプロフィールが載るのはSMCのメンバーリストと似ている。登録者各人に割り当てられる「鳩の巣箱(pigeon box)」という丸い穴の開いた郵便ポストがあるが、アルファベット順になっていて、Azumaのお隣さんはArafat(PLOのアラファト議長)だった。毎日の進行はというと、朝一番のブレックファスト・ミーティングから夕方6時ぐらいまで6~7コマのセッション(時限)があり、会場には大中小の様々なホールや教室があって、各々の部屋で同時進行で行われる。どの時限にどの部屋に行こうが自由だが各部屋とも人数制限があるので事前にレジスターしないと入室できない。人気のあるコマはすぐ満員になってしまうのでこのマイ・スケジュール作りが結構大変だった。言語は基本的に全部英語だ。
ダボス会議と呼ばれるが一様に会議なのではなく、一方的講義形式、パネルディスカッション型式、視聴者参加型ディスカッション型式などいろいろある。5~6人座っている複数の丸テーブルを複数のパネラーが10分ごとに回遊してアドホックに議論する型式は大変面白かった。僕のテーブルには米国連銀(FRB)の局長がいて、パネラーのひとりがチェコのハヴェル大統領だった。大統領がやってきていきなりアメリカの悪口をいいだすと、FRBがすぐに応酬する。チェコ好きの僕はなんとなく大統領に組してFRBの通貨政策を批判する。結論はない。10分でベルが鳴り、次のパネラー(ぜんぜん違う立場の人)が来る、という塩梅だ。まるでボクシングみたいだった。
当時、世界最高のCEOと尊敬されたGEのジャック・ウェルチ会長のブレックファスト・ミーティングは迫力があった。演壇上から南部なまりの英語で彼のスピーチは始まったが、だんだん自分の話に興奮してくるとマイクを手に持って熱弁をふるいながら演壇を降り、僕の丸テーブルのすぐ脇まで来てしまった。こっちは朝食を食べているのだがツバキが飛んできて困ったものだ。しかしそんな超至近距離で天下のウェルチのオーラを浴びられたのは何か感ずるものがあった。あれ以来、僕は英語でスピーチするときは無意識に、あの時のウェルチをイメージするようになっている。
ビル・ゲイツ(マイクロソフト)とアンドリュー・グローブ(インテル)の「ネットワーク社会」の対談は今日をほぼ予見していたが、いま振り返ると隔世の感があるともいえる。グローブが何やら小さい箱型の機器をポケットから取り出して「皆さん。びっくりしないでください。これは電話機なんです。今からこれでちょっといたずらしてみましょう。当社のストックホルム現法の社長を呼び出してみます。彼は私から電話が来ることなんか知りません。」といって我々の前でそれをやって見せた。ストックホルムの社長も驚いたが、見ていた1000人の観衆も驚いた。今なら小学生でもできることだ。1997年、世界のケータイ事情はまだこんなものだった。
ダボス会議の1週間というのは、こういう人たちが一堂に会し、会場内を普通の人である我々と分けへだてなく闊歩している。びっくりしたのはユーディ・メニューインのセッションがあったことだ。いや、それが彼のセッションだったのか、誰かのゲストとして呼ばれていたのか、もう記憶が定かではない。しかし、ひな壇にあった顔はまさに、レコードのジャケットで見知ったあの大ヴァイオリニストだった。楽器を弾いたわけではない。何か訥々とスピーチをした。心の中にいる神、政治の凶暴さ、戦争と平和、芸術のできること・・・などといった内容のものだったように思うが、彼について知ってることといえばフルトヴェングラーと録音したいくつかの名演奏ぐらいという体たらくだった僕はいくら彼の英語に耳をすませてもよくわからなかった。そこにいた僕の周りの聞き手が知っていて、たぶん僕だけが知らなかった彼のパーソナル・ヒストリーはこんなものだ。
7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演した神童だったメニューインは、アメリカで経済的に困窮していたハンガリー人亡命者べラ・バルトークを助け、あの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを献呈された人だ。また一方では、ユダヤ系ながら第2次大戦後のドイツとの和解を訴え、ナチス協力者の烙印を押されていたフルトヴェングラーと共演して彼の無実を擁護した。それが米国ユダヤ人社会の逆鱗に触れ、米国で支配的だったユダヤ人音楽家社会から事実上排斥されて欧州へ移住する運命となった。第2次大戦は欧州から米国へ移り住む多くのユダヤ人音楽家を生んだが、その逆は彼ぐらいのものだ。
このフルトヴェングラー事件は彼の父君がアンチシオニストの哲学者だったという思想的影響があったかもしれないと思う。誰とて父祖の薫陶から完全に自由であるのは難しい。ダボス会議の主役はアメリカではない。欧州だ。舞台は戦争の血なまぐささとは縁の薄いスイスだ。米国を追われ、そのスイスに居住し、英国で貴族の称号であるロードを授与された音楽家。ちょうどその1997年に欧州金融界が米国流ビジネスであるインベストメントバンク化の道を選択し、スイスの銀行が米国の圧力でナチ・ゴールドで守秘義務の解除を余儀なくされたこと、翌年5月に欧州中央銀行が発足し、統一通貨ユーロが誕生したこと。今になって、メニューインの存在が重なる。
僕は彼の実演を1度だけ聴いた。84年2月8日にフィラデルフィアのアカデミーでやったリサイタルだがほとんど記憶にない。84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らずだった。先週たまたまタワーレコードで10枚組で1,800円というメニューインのCD10枚組を見つけたので買った。
古い録音が多いので期待せずに聴きはじめるとこれが面白い。耳がくぎづけになって一気に10枚聴いてしまった。フルトヴェングラーがフィルハーモニア管を指揮したベートーベンの協奏曲。EMIの有名な録音だが改めて感動した。これだけオケが立派な演奏は少ない。全曲が泰然としたテンポで進み、第3楽章も急がない。第2楽章はロマン派ぎりぎりの夢見るような弦がソロをほのかに包みこむ。第1楽章はベートーベンの書いた中でもひときわ巨大な音楽でありいつ聴いても天才の発想に圧倒されるが、独奏がこれほど気品と風格にあふれ、古典派演奏の枠を超え人間味の限りをつくしたあたたかさが伝わるものはほかにない。ロマンスの2番。ベートーベンにモーツァルトの影響を最も顕著に感じる作品のひとつだ。この演奏も最高だ。
同じコンビでバルトークの協奏曲第2番!メニューインは自分が助けた2人の盟友を自らの新天地ロンドンで結びつけたのだ。4分音(半音の1/2)など音程はややア
バウトながら縁の深いバルトーク作品を格別の気迫で弾ききっており、フルトヴェングラーのほうも丁々発止オケを触発してそれに応えている。オケの反応も上々だ。前衛性はやや後退して古典に聞こえるものの、いい演奏なのだ。意外かもしれないが最も前衛性の強いピアノ協奏曲1番をバルトークの独奏でフランクフルトで初演したのはフルトヴェングラーである。録音は残っていないが彼は管弦楽のための協奏曲もやったらしい(聴いてみたかったなあ)。彼が同時代の音楽にも適性があったのは、自身が交響曲を3曲も書いた現代音楽作曲家でもあったのだから当然といえば当然なのだろう。
シューマン、ブルッフの協奏曲。独奏が文句なしに素晴らしい。全盛期のテクニックが冴えわたるが機械的でなく、いつも知性と人のぬくもりを感じる。前者はバルビローリとニューヨーク・フィルがこれまたいい。ナチスの妨害で初演できなかった因縁の曲だが、ヨアヒムが演奏不能とした第3楽章のめざましい表現は技巧を感じさせない。なんていい曲なんだろう。シューマンの最後のオーケストラ曲だ。いい曲に決まっているのだが、こういう水を得た魚のような演奏を聴かなくては曲の真価は見誤ってしまうのだ。
エルガーの協奏曲。これも地味だがいい音楽だ。32年録音の協奏曲はエルガー自身がロンドン
交響楽団を振って伴奏している歴史的遺産である。このツーショット、左の若きイケメンがメニューイン、右はそのエルガーだ。彼は英国に縁があったのだ。ドヴォルザークの協奏曲。師匠のエネスコの指揮するパリ音楽院管弦楽団がやや荒っぽいのが欠点だが、心に響くヴァイオリンが滔々と歌うとそれも忘れてしまう。メニューインは一時技術的に停滞があったのと、LPレコード時代の録音が薄っぺらい音に聴こえた(僕だけでないだろう)せいだろうか、日本での評価が欧米より低いと思う。この10枚組は音も意外に悪くないので彼の歌の真価がわかる。この歌、グリュミオー、ギトリス、フェラスといったエネスコ門下のヴァイオリニストにどこか共通するものがないだろうか?
ジョコンダ・デ・ヴィートとのバッハ。これも好きだ。2人の個性はそのままに、お互いぶつかり合うのではなく折り目正しく調和している。格調高いバッハになっていながら豊穣な歌心も感じる。ニールセンの協奏曲は特に印象に残った。指揮はウィーン・フィルとのハイドンでご紹介したデンマークのマエストロ、モーゲンス・ウエルディケである。デンマーク国立放送管弦楽団とのお国ものであり、オケの気迫が尋常でない。そしてメニューインがバルトークに委嘱し、献呈された無伴奏ヴァイオリン・ソナタは「直すところなんてない。これからずっと君の弾いたように演奏されていくだろう。」と作曲家に言わせた演奏だ。
10枚を聴き終えて、浮かんできたのはダボスでの彼のスピーチだ。ジョークを言うでもなく大声で主張するわけでもなく、訥々と淡々と人生を回顧するようなおだやかな語り口。当時は知識もなく意味も充分にわからなかった僕はなぜか感銘を受けていたのだ。そういうことは僕にはあまりない。彼が大ヴァイオリニストだからということは、僕に限ってはまったくない。そうではなく、どこか、彼の人格に由来する独特のたたずまいに包み込まれてしまったかのように思える。音楽やヴァイオリンの話はまったくなかったのに。
おそらく、すぐれたプレゼンテーターというのはすぐれた人格者だ。内容が金融であれ音楽であれ、それはあくまで題材であり、聴く者の心に深くこだまして納得感や感動という心の動きを作り出すのは題材にのって運ばれてくるその人の人間性のほうだと僕は思う。音楽は楽譜に書いてある通り正確に音を出せばいいというものではなく、解釈という、プレゼンテーターの心の作用のみがもたらすことのできる釉薬(うわぐすり) が加味されて初めて人の心に触れてくる。原稿を読みあげる政治家の答弁が、それがいかに文法的に正しく整った日本語であり、いかに正確に発音されていようとも、なかなか我々を説得するに至らないのと同じである。
メニューインの人道主義者、哲学者としての立派な側面は後で知ったことだから、あの時に僕を感動させたのは彼の人柄なのだろうと思う。すぐれたプレゼンをするなら、労苦を厭わずすぐれた経験を積み、人格を磨くことだ。プレゼンの小手先のテクニックなどは後回しでよい。僕は音程の甘い演奏は嫌いだ。好き嫌いだからどうしようもない。そして、メニューインの音程は僕の聴く限りやや甘い。だからあまり熱心な聴き手ではなかったのだ。しかし今回たまたま出会ったこれらのCDに1枚1枚じっくりと耳を傾けてみて、
「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」
という彼の言葉の真意がおぼろげながら憶測できるような気がしてきた。ユーディ・メニューインが世を去ったのは、あのダボス会議の2年後のことだった。
クラシック徒然草-僕の好きなウィーン・フィルのCD-
2013 MAY 18 9:09:04 am by 東 賢太郎
「僕の好きなウィーン・フィルCD」の番外編です。
リヒャルト・シュトラウス 「ばらの騎士」 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 (55年11月16日、ウィーン国立歌劇場こけら落とし公演)
僕が一番好きなオペラCDのひとつ。ばらの騎士はチューリヒ等で3回、そしてザルツブルグ音楽祭ではカラヤンとウィーン・フィルで聴きました。しかしこのCDのライニング、ギューデン、ユリナッチ3人の女声の蠱惑にまさるものではありません(特に僕はユリナッチが好きなので)。そしてクナです。練習嫌いで好き勝手な演奏をしていたイメージがありますが、シュトラッサーによるとすべて暗譜しており高度な指揮技術があって振り間違えたことは一度もないそうです。なぜスコアを置いて振るのかと尋ねられたら「僕は楽譜が読めるからね」と答えたのは有名です。「皆さんはこの曲をよく知っています、私も知っています。では何のために練習しますか」と言って帰ってしまった逸話も有名ですが、その時の公演がこれです。
練習場が響きの異なるアン・デア・ウィーン劇場だったので「諸君も私もここで練習することを望んでいない。ではゲネプロで会いましょう」だったという説もありますが、僕はこの説が事実で、面白おかしく尾ひれがついたのが通説と思います。R・シュトラウスを得意としたクナは56回も薔薇の騎士を振っていて、おそらく当時この曲を最も知り尽くした指揮者でした。オケと女性歌手3人は前年にエーリヒ・クライバーとこれを録音しています。だから合わせるのはゲネプロで充分で、むしろクナは本番では良い流れをつくって自発性、緊張感を重視したのだと思います。そして結果はまさにそうなっています。ライブなりのアンサンブルの甘さや声のうわずりはありますが、それこそクナが望んだものでしょう。スタジオできっちり整理された演奏よりよほど面白く、今そこでこの曲が無から生み出されているのに立ち会っているようです。録音も、とてもなまなましく、絶好調かつ貴族的なウィーン・フィルの音が聴こえます。オーケストラピットに近い特等席で聴くよう。なんという贅沢でしょう。この奇跡的な録音が残っていたことを天に感謝するのみです。
シベリウス交響曲第4番、交響詩タピオラ ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルに春の祭典をやらせたのはショルティが最初かもしれませんが、録音したのはマゼールが初めてです。そのレコードが出た時は興奮しました。大学時代です。しかしワクワクしてレコードをかけてみると祭典フリークの僕としては極めてロースコアのマンガ的演奏。ねこが無理やりお手をさせられているのが面白いだけの二級品でがっくりきたのを覚えています。以来一度も聴いていません。最後の20世紀巨匠のひとりマゼールは昨年N響に来て法悦の詩(スクリャービン)をやりましたがオケが良く鳴るなあ(これは立派)というだけのものでした。しかし8歳でニューヨーク・フィルの指揮台に立ちモーツァルト以来の神童と言われたこのロシア・ユダヤ系アメリカ人指揮者は若い頃にすごい録音をいくつか残しています。1963年、彼が33歳のときに録音したこのシベリウス交響曲全集は今でもウィーン・フィルによる唯一の全集ですが、その中の4番とタピオラを初めて聴いたときの衝撃は一生忘れません。
このオケにとってシベリウスの4番は春の祭典以上に共感のない曲でしょう。しかしこの演奏は最高に素晴らしい。鳴りだした瞬間から得もいえぬ緊張感で金縛りにあい部屋は極北の雪原に様変わりします。氷が張りついたような冷厳なスコアなのですがこんなに人の息吹を感じさせない大自然に放り込まれたような寂寞感を音楽から感じた経験は一度もありません。しかし灰色一色の水墨画的風景かというとそうではなくウィーン・フィルの音彩がくっきりと浮き出た強いメリハリと自己主張のある構造的な演奏なのです。相容れないものが同居している。マゼールとウィーン・フィルという別々の個性がぶつかり合って非常に微妙な均衡のもとに一期一会で成り立った奇跡的な演奏です。交響詩であるタピオラはより明確に情景を喚起します。樹氷の森の中、突風に舞いあがった雪が粉のようにきらきらと陽光に輝きながら落ちてくる半音階フルート・パッセージ!世評の高いオーマンディーの演奏と聴き比べれば僕の言いたいことがお分かりいただけるでしょう。これは映画館かディズニーランドで見る霧氷の景色です。部屋は暖かいのです。ちなみにマゼールはピッツバーグ響とシベリウスを再録していますが、極北の風景と気温は消えています。
ブラームス交響曲第2番 フェレンツ・フリッチャイ指揮
48歳で白血病で亡くなったハンガリーの名指揮者フリッチャイは死の2年前にザルツブルグ音楽祭でイドメネオを振りましたがそれが好評でウィーン・フィルとの追加演奏会が開かれました。そのライブがこれです。第1楽章からフリッチャイの声(歌?)が聴こえ音楽に没入しているただならぬ雰囲気です。第2主題はテンポを落としてじっくり歌い抜きます。第2楽章中間部のチェロ主題の呼吸の深さ!音楽は止まりそうなほどに心がこもり、こんなにロマン的なこの楽章の味わいはめったにありません。第3楽章はオーボエソロを始めウィーン・フィルの魅惑的な木管がちりばめられ至福のひと時です。第4楽章のトゥッティの入りは全楽器が息をひそめて飛びかかる緊張感がすごく、フリッチャイの気合いを入れる声が聴こえます。
フリッチャイがウィーン・フィルを振った録音も珍しいのですが、さらにこの演奏、ほとんど練習していないぶっつけ本番という様子で、気合いが入りすぎ気味の棒にウィーン・フィルが必死に合わせているという意味でも珍しいものです。ということでこのオケとは思えないミスがあります。少々はいいのですがコーダの金管のミスだけはいただけなく、この曲をまだ覚えていない方にはおすすめできません。あくまで通のかたに第2,3楽章を聴いていただきたい。
ハイドン 交響曲第100番「軍隊」、101番「時計」、104番「ロンドン」 モーゲンス・ウエルディケ指揮
市場にはLPしかないようで恐縮ですが買う価値があると思います。ヴァンガード録音で契約上ウィーン国立歌劇場管弦楽団と書いてありますが、これがウィーン・フィルと同じものであることはもう拙稿でお分かりでしょう。ハイドンはこのオケにとってお国ものであり誇りでもあります。ハンブルグ生まれのブラームスは交響曲88番の第2楽章を聴いて自分の交響曲の緩徐楽章はこのように聴こえなくてはならないと言ったそうですが、ソナタ形式音楽の父としてだけではなくウィーン的な音楽情緒の範もそこに見出していたのではないでしょうか。そのようなチャーム、ウイット、ユーモアが堅固なソナタという宝石箱におさめられてきらきらと光り輝いているのがハイドンの音楽なのです。
ウェルディケ(1897-1988)は作曲家ニールセンに学んだデンマークの指揮者で、ハイドン学者を義理の息子に持つハイドン演奏の大家です。ウィーン流の優雅、流麗さなどどこ吹く風でティンパニを強打し、ベートーベン奇数番号につながる自己主張を見せる104番(ロンドン)が僕は好きで、こういう骨太で彫の深い演奏をウィーン・フィルにさせたウェルディケの手腕に拍手です。オケの方もバリリの頃の色合いを残したコクのある音が懐かしく、タテにそろわない合奏のバランスも古風です。アンサンブルが交通整理されてきれいではあるがどこか蒸留水のように味気ない現代オケのハイドンへのアンチテーゼです。
ベートーベン交響曲第3番「英雄」 カール・ベーム指揮
フルトヴェングラーは楽譜の背後に自分が読み取ったものを重視し、その表現のためには楽曲の構築美は従属的となる場面が多々ありました。ベームにそれはありません。あくまで音楽自体の持つ自然な美に忠実であろうとする意思を感じます。したがって、ドイツ音楽において構築美というものは美の重要な要素ですから、それを従属的に扱うという選択肢はないのです。それがもの足りない人には「ベームのスタジオ録音はつまらない」と評されましたが、それはない物ねだりというものです。先日TVで、宮大工の名匠が、弟子が一人前になるには「10年毎日鉋(かんな)の刃を研ぐことのみ」と言っていたのを見てベームを思い出しました。職人気質の頑固おやじだったベームは指揮者に肝要なのは「音楽の常識だ」と言い、
その常識に添うようオーケストラには厳しい練習を課してウィーン・フィルにも恐れられていました。しかし幸いなことにベームの持っていたドイツ系音楽演奏の常識というのは、私見ではフルトヴェングラーやカラヤンのそれよりずっと普遍的であり、また、現代の指揮者があえて構築美を前面に出そうとするような場合に感じる力こぶや作為もありません。今やろうとするとそうなってしまうものが「当たり前」という良い時代だったのであり、その時代の大らかさも感じる演奏で、練習が厳しいと言っても紡ぎだされる音楽は骨ばった北ドイツ風ではなくオーストリア風の流麗でチャーミングなものです。フルトヴェングラーには「恋人」だったウィーン・フィルはベームには「正妻」がふさわしいでしょう。これは最晩年にそのウィーン・フィルで録音したベートーベンの交響曲全集(上)のエロイカです。この全集、田園ばかりが名演とされ有名ですが、
このエロイカこそがムジークフェライン大ホールにおけるウィーン・フィルの音を見事にとらえ、その音響、残響、両者のブレンドが 「要求」 する最良のテンポとダイナミクスで演奏されている理想的な例としてぜひお聴きいただきたいものなのです。あの名ホールに聴衆を入れずに演奏するとこういう音だろうという絶妙の音です。このテンポが「遅い」のではありません、この音だとこのテンポになるというのがベームのいう「音楽の常識」なのです。ホームグラウンドでのウィーン・フィルを知り尽くした指揮者のもと、オケは盤石な演奏で応えています。百花咲き誇るあでやかな木管、コクのあるウィンナホルン、深い森のような弦、もしこれが良い音で聴こえないようなら再生装置がクラシック音楽と合わないと思われた方がいいでしょう。録音技術がベームに間に合ったのを感謝したいと思います。一つだけ、オタクレベルの話を記しておきます(一般には無視して結構です)。非常に微細な差ではありますが、右のKarl Bohm Edition(日本プレス盤)はドイツプレス盤と比べると音のバランスが良くありません。同様のことは高音質を謳ったブルーノ・ワルターのソニー・リミックス盤でもあり、かなり古い録音に許容度を持った設定になっている僕の装置でも高音のぎすぎすしたものでした。これを初めて聴いたらワルターを嫌いになる人もいるでしょう。それほどではありませんが、この日本盤もできれば避け、中古でもいいのでドイツ盤を探された方がいいでしょう。
PS
ベームは1977年6月にFM放送があったシューベルトの8番、9番のムジークフェラインでのライブが素晴らしく感動的で、天国からの響きのようで、いつまででもひたっていたい名演でした。これはカセットに録音したものをCDRにして今も愛聴しています。人為的ないやな刺激音や指揮者の体臭など一切なく、音楽はシューベルトが書いたままの自然な姿を紡ぎ出して神々しい高貴さをたたえながらコーダへ向けて高揚していきます。こういう音楽空間は何千回の演奏会に一度というものでしょう。僕はベームのこういうところに宮大工の棟梁を思い出すのです。ベルリン・フィル、ドレスデンskとのCDも良い演奏であり世評も名演との誉れ高いものですが、法隆寺、東大寺のようなこれに接してしまうともう別物です。
同じく1977年の8月、やはりNHK FMで放送したムジークフェラインでのライブでゲルト・アルブレヒト指揮のシューマン交響曲第2番。度肝を抜かれる大名演でした。これもカセットに収めたのですが、度重なる海外での引っ越しに紛れて紛失してしまいました。もし可能なら何としてでも手に入れたいです。
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勝手流ウィーン・フィル考(3)
2013 MAY 5 11:11:10 am by 東 賢太郎
最初にウィーン・フィルの実演を聴いたのがいつどこで何だったか、どうも記憶にありません。
オペラとしては83年夏にウィーン国立歌劇場でホルスト・シュタイン指揮の「パルシファル」でした。当時、曲を知らなくてあまり感動はありません。85年にロンドンでマゼールのブラームス1番と火の鳥、オケとしてはこれが最初だったかもしれません。僕は80年代以降のマゼールはあんまり好きじゃなく、これもつまらなかったですね。94年フランクフルトでのマゼールのメンデルスゾーン4番も印象が残っていません。92年にはシノーポリと来日してマーラー1番とドン・ファン。NHKホールの音もさえず、ドン・ファンのオーボエ部分の異様な遅さなどオケのいじめにでもあってるんじゃないかと思うほど生気がなく、誰がやってもブラボーであるマーラーも珍しい冷めた演奏でした。この1番、2年後にフランクフルトでマゼール指揮でも聴きましたが、これもだめ。このオケ、巨人が嫌いなんじゃないかと本気で思いました。
真価を感じたのは、ニューイヤーコンサート以外では以前書いたロンドンでのプレヴィンのハイドン。それから94年にフランクフルトでのムーティのベートーベン8番とチャイコフスキー5番。83年のザルツブルグ音楽祭でのカラヤンのばらの騎士、やはり96年ザルツブルグ音楽祭でのマゼールのダフニスとクロエとベートーベンのヴァイオリン協奏曲、というところでしょうか。確かハイドンのアンコールで、打楽器の人が嬉しそうに小太鼓を運び込んでやったJ・シュトラウスのワルツ、何だったかは忘れましたが、これが自家薬篭中という風情でノリまくり大変良かったのも印象にあります。
以上のようなものですから、どうもこのオケの実演ということでは僕は割とハズレが多く、ネコが真剣にならないイメージの方が強いのです。ただ、ハズレの時でもこのオケの音色美はいつも堪能していますから因果なものです。それだけで普通の客は満足だろうと高をくくられても仕方ないぐらい魅力的な音なのですから、ネコ型にもなろうというものです。
このオケを味わうならウィーンへ行って、ムジークフェラインで聴かないとというのが僕の今の結論です。ネコが遊びを選ぶように彼らはハコを選ぶのです。NHKホールやサントリーホールの音響で彼らが本気になるとは到底思えません。ベームの時(75年)は聴衆の安保闘争なみの異常な熱気で目覚めましたがあれは例外でしょう。ニューヨークでも、格段にひどい音のリンカーン・センター(エイブリー・フィッシャーホール)じゃあだめです。あそこでこのオケが弾いている姿を想像さえしたくありません。ワシントンDCのJFKセンター、あのホールでもチェコ・フィルは懸命にいい音を出しましたがウィーン・フィルは無理でしょう。フランクフルトのアルテ・オーパー、あそこは一見音がよさそうに見えるホールなのですが、大したことありません。ドレスデン・シュターツカペレの弦ですらしょぼい音でした。だからウィーン・フィルはやはりあまり真価は出してくれませんでした。それでいいんです。超美人ですから顔を出すだけで普通の客は喝采するのです。
ということで、他のオーケストラはともかく、ウィーン・フィルが来日しても、僕は絶対に聴きません。金の無駄です。いいオーディオ装置で、ムジーク・フェラインかゾフィエン・ザールでの録音を聴いた方がよっぽどいい音がするからです。
それでは次回、僕が好きなウィーン・フィルのレコード、CDをご紹介しましょう。
勝手流ウィーン・フィル考(1)
2013 MAY 4 19:19:34 pm by 東 賢太郎
彼らが望むのは、死んだ指揮者や死にかけた指揮者ばかりで、他の指揮者には関心を払わなかった (「レコードはまっすぐに」ジョン・カルーショー著)
デッカの大物プロデューサーだったカルーショーのこの本は実に面白いです。レコード会社のサイドから見たウィーン・フィルの生態が生き生きと描かれているからです。ビジネス書としても示唆に富み、このオーケストラに関心のあるかたにおすすめします。
こんな感激を味わって、その上になお報酬をもらえるとは・・・・ウィーン・フィルのクラリネット奏者レオポルト・ウラッハがフルトヴェングラー指揮の或るコンサートの後で(「栄光のウィーン・フィル」オットー・シュトラッサー著)
シュトラッサーはウィーン・フィルのヴァイオリン奏者を45年つとめ、58-67年は楽団長の地位にあった人。この本はオーケストラの中から見た指揮者像、経営の内部事情、政治などが生々しく書かれています。以上の2冊でこの名門オーケストラがどういうものか、彼らが残した録音がどういう背景でできたかおおよその輪郭は知ることができるでしょう。
このシュトラッサーが第2ヴァイオリンとして活躍したバリリ弦楽四重奏団はこのような名録音を残しています。ウィーン・フィル団員がこのように室内楽団をつくる伝統はベートーベンの弦楽四重奏曲のほとんどを初演したイグナーツ・シュパンツィヒまでさかのぼり、ウィーン・フィルが作曲家のオリジナル演奏の遺伝子を脈々と継いでいることがよくわかります。
フルトヴェングラーに感激したウラッハのクラリネットが聴けます。モーツァルトとブラームスの2大クラリネット五重奏曲です。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団とのアンサンブルはミニ・ウィーンフィル と言っていいでしょう。全楽器がタテに合わせるよりヨコの歌を重視。誰が主役ともつかない自己主張、微妙に流動的なテンポと間、華と艶(あで)やかさのある音程の取り方、クリーミーで暖かい音色の肌触り。これらの独特のねっとりした甘さは五感を刺激してやみません。これがそのままウィーン・フィルの魅力になっているのです。
こちらはより新しい録音でウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団によるハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブラームス。これとは違った流儀の名演はたくさんありますが、これは最高の美音で弾かれたもののひとつであり、何の違和感も抱かせません。のびやかに自然体で奏でられたウィーン流の演奏はやはり作曲家の出自にかなったものと思わされてしまいます。無言の説得力があるのです。
ウィーン・フィルはネコ型だ書きましたが、何が彼らを誇り高いネコ属にしているか、大きな理由はここにあると言っていいでしょう。
この人たちは土地っ子です。こうしてウィーン生まれの音楽を自分たちの流儀で毎日のように演奏しています。ウィーン・フィルというのは、こういう人たちの集団なのです。だからこの人たちの前に立ちはだかって、ベートーベンのカルテットの楽譜を出してよそ者があーせいこーせいと言ったところで「キミ、ところで誰?」と一蹴されるのが落ちでしょう。ウィーン古典派の大作曲家を千利休とすれば、ウィーン・フィルは表千家の家元と許状をもった弟子たちの集団と言ってそうはずれていないと思います。
この人たちは夜はウィーン国立歌劇場のオーケストラピットでオペラの伴奏を弾いています。国立ということは国家公務員ですから、給料はアメリカの一流オケより低い。そこで、アルバイトをしようじゃないかと組織したのがウィーン・フィルです。自主運営団体だから常任指揮者は置かず、団員の意見で誰を呼ぶか決めます。もちろん芸術的な相性を考慮するのですが、「死んだ指揮者」は呼べないし、相性は良くても客が入らず印税が稼げない指揮者では困るのです(なんといってもバイトですから)。
「和音は少しずれたほうがまろやかな音になる」と伝統的に考えているこのオーケストラに対し「私はそうは思わない」と真っ向から立ち向かったゲオルグ・ショルティは、最も好かれなかった指揮者のひとりでしょう。しかしウィーン・フィルは彼とワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲をデッカに録音してレコード史上に残る売り上げを記録しました。その制作上の裏話は前掲書に詳しく書いてあります。
愛憎とビジネスは相反することもあるのです。
ショルティはハンガリー系ユダヤ人でありレナード・バーンスタインはロシア系ユダヤ人です。何より、指揮者としてこのオケに君臨した作曲家グスタフ・マーラーはチェコ系ユダヤ人です。ブルーノ・ワルターはドイツ系ユダヤ人ですが、相思相愛だった彼の遺産はこのオーケストラに相続されています。前掲書には「ユダヤ系指揮者は好きでなかった」とあるのですが、それが愛憎の直因であるほど事は簡単ではないということでしょう。こうした書物も著者の主観があり、一部の奏者に聞いただけの話かもしれず、流布している噂話も尾ひれがついていると思います。
どうせ主観なのですから、自分の耳で聴いたものだけを信じて、これから独断と偏見にもとづいて大好きなウィーン・フィルのことを書いてみようと思います。
クラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-
2013 APR 29 23:23:21 pm by 東 賢太郎
むかし飼っていたチビ(ねこ)とやった遊びです。僕が隣りの草ぼうぼうの空地に向けて石を思い切り投げる。石はススキの草むらにバサバサっと音を立てて突入する。僕の足元にいたチビは勢いよく草むらの音のした箇所めがけて全力疾走で突っ込んでいく、というのがありました。この鳥がたてるようなバサバサの音に本能的に体が反応するのでしょう。これをたいてい20回ぐらいは飽きずに繰り返します。チビがバテてもう降参となるまでやります。
すすきの草むらをひとわたり ”調査” すると、”おっかしいな~、鳥かと思ったのに、いなかったな~” という神妙な顔つきでチビはまた僕の足元へトコトコ戻ってきます。実はもう一回やりたいのですが、ねこは犬と違ってプライドが物凄く高い。また投げてとせがんだりは決してしません。まあ、どっちでもいいんだけどサ、という顔をします。すごい勢いで飛んで行っちゃってちょっと恥ずかしかったわね、でもアタシ見たのよ、あれは確かに鳥だったのよね、あんたとは関係ないけどサ、という顔をするのです。
そう、これは「狩猟ごっこ」なんです。鳥なんていないことはチビも承知の上なのですが、そういうことにしておかないと彼女のプライドからしてこういうアホなことを何回も繰り返すメンツが立たないのです。ねこの持つ本能と知性の葛藤がこの遊びを「ごっこ」に昇格させています。ごっこはいわば劇です。お互いが何かになりきったりして、現実を無視した仮想状態を暗黙の前提とする遊びですから犬のフリスビー投げとはちょっと次元が違うんです。犬もカラスもイルカも賢いのですが、劇を演じるのはねこだけでは?
しかし、僕が再度投げる構えをすると、急遽さっきのはなかったことにして、獲物に飛びかかるハンティング姿勢になって待ち受けます。バサバサッという音は遊びにリアリティーを加える小道具にすぎません。何度も繰り返してだんだん興奮してくるとプライドもメンツも吹っ飛んでしまい、ついには石は持たずに、投げたふりだけでススキに突進していくようになります。こうなると犬のフリスビーと同じです。こうして、「劇」だったことがバレてしまうのです。
僕は投げる構えをして、ねこは突進する構えをする。この一瞬の緊張感はデジャブがありました。そう、ピッチャーと、盗塁をねらう一塁ランナーのあの緊迫した一瞬です。そして、これは想像ですが、ベートーベンの運命の開始、タクトを構えた指揮者とオケもこんな感じじゃないでしょうか。
音楽(楽器)を演奏することをドイツ語でシュピーレン(spielen)と言いますが、これは「遊ぶ、戯れる」という意味でもあります。音楽家の合奏というのは、指揮棒の一閃やコンサートマスターの合図、第1ヴァイオリン奏者のアイコンタクトひとつなどで全員が一斉に出ます。これはどこでも同じ。しかし、いいオケやカルテットですと、その初動にむけてのエネルギーの蓄積がすごい。これは物質的なエネルギーではなく、精神的なもの。全員の集中力でスピリットが高まり、巨大なマグマの噴出みたいにドッと出る。
ウィーン・フィルというオーケストラがのっている時がまさにそうです。強烈なfffを待ちかまえる奏者たちの姿、速いパッセージを合奏で一糸乱れず疾走する姿、それに僕はネコ科の動物をイメージします。以前書きましたが、ベートーベンはウィーンのオケを想定して5番の交響曲を書いたはずですが、その始めの音の前に「休符」を書いたのはこのネコ科のハンティング姿勢のような「タメ」が欲しかったのだと思っています。
そのオケのDNAをひくウィーン・フィルは犬のように「お手」をしてくれるオケではありません。ダメな指揮者だと「演奏ごっこ」で終わってしまうプライドの高さも、まさにネコ科であります。日本のオケは、本場の指揮者が来るとすぐお手をしてくれる感じがします。イヌ科だと思われます。言われたことはまじめに従順にやりますが、ネコ科特有のハンティングの瞬発力がありません。ウィーン・フィルが、これもネコ科の音楽家であるバーンスタインの指揮で録音したベートーベンの交響曲は双方の波長が合ったと思われ、このオケのネコ的側面が良く出た秀演となっています。きのう投稿したユリア・フィッシャーもネコ科、メンデルスゾーンのオケの人たちもネコになって反応していますね。日本でこういう演奏が聴けるのはいつのことなんだろう。
(こちらへそうぞ)
ネコと鏡とミステリー
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クラシック徒然草-ヴァイオリン・コンチェルトの魅惑-
2013 APR 27 0:00:53 am by 東 賢太郎
僕は幼稚園のころヴァイオリンを習ったらしい。らしい、というのは、さっぱり覚えていないのだ。母によると「泣いて嫌がった」ようで、これは思い当たる節がある。音の好き嫌いというのがあって、電車の車輪のガタンガタンは好き、ガラスを引っ掻いたキーは嫌い。まあ後者を好きな人はいないだろうが嫌い方は尋常ではなかった。耳元でキーキーいうヴァイオリンが嫌だったのはそれだと思う。
ヴァイオリン協奏曲、なんて魅力的なんだろう。我慢してやっておけばよかった。ピアノ協奏曲には、嫌いなもの、興味のないものがけっこうある。しかし、ヴァイオリンのほうは、ほぼない。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、メンデルスゾーン、パガニーニ、シューマン、ブルッフ、ブラームス、ヴュータン、チャイコフスキー、シベリウス、サンサーンス、ラロ、R・シュトラウス、グラズノフ、ヴィエニャフスキー、ハチャトリアン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー、バルトーク、シマノフスキー、マルティヌー、エルガー、ウォルトン、ベルク、コルンゴルド、バーバーなど、綺羅星のような名曲たち、全部好きだ。
しかしいつでも聴きたいものはベートーベン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスの5大名曲だろうか。この各々についてはいずれ書こうと思う。LP時代はメンデルスゾーンとチャイコフスキー表裏で俗に「メンチャイ」と呼ばれていた。僕もアイザック・スターン/オーマンディー/フィラデルフィア0.のメンチャイ(右はそのSACD)で初めてヴァイオリン・コンチェルトの世界へ入った。スターンのヴァイオリンの素晴らしさ、オーマンディーの伴奏のうまさは天下一品であり、これを永遠の名盤と評してもどこからも文句は出ないだろう。この2曲の最右翼の名演でもあり、ヴァイオリン協奏曲というジャンルがいかに魅力的かわかる。
アイザック・スターン(1920-2001)は84年4月にデイビッド・ジンマン/ニューヨーク・フィルとフィラデルフィアに来てブラームスをやった。忘れもしないが、第2楽章に入ろうとしたときだ。ちょっと客席がざわついていると首をこちらに向けぎょろ目で睨みつけ、客席は凍って静まった。マフィアの親分並みの迫力だった。しかしその音色はこのメンチャイそのものの美音で、すごい集中力で通した迫真のブラームスだった。
ベートーベンは94年にミュンヘンで聴いたチョン・キョン・ファの壮絶な演奏が忘れられない。右のテンシュテットとのCDはあの実演の青白い炎こそないが89年のライブであり、これもこれで充分にすごい。
また、ベートーベンはこれも84年2月17日にスターンで聴いたがこっちはムーティーの指揮が軽くて感興はいまひとつだった。名人がいつも感動させてくれるとは限らないのだ。
さてこのチョン・キョン・ファだが、84年2月3日に フィラへ来てムーティとチャイコフスキーをやった。ベートーベンはだめなオケもチャイコはオハコだ。この演奏の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、彼女の発する強烈なオーラを真近に受けて圧倒され、しばらく席を立てなかった。右のCDも彼女のベストフォームに近い。この曲、一般に甘ったるいだけと思われているが、とんでもない。この作曲家特有の熱病にかかって精神が飛んだような妖気をはらんでいるのだ。そういう部分を抉り出すこの演奏は実におそろしい。出産を境に弟ばかり活躍が目立つようになってしまったが、ぜひ輝きを取り戻してほしい。
さてチャイコフスキーだが、どうしても書かざるをえない物凄い演奏がある。ヤッシャ・ハイフェッツ/ライナー/シカゴso.盤(右)である。トスカニーニが最高のヴァイオリニストと評したオイストラフその人が、「世の中にはハイフェッツとその他のヴァイオリニストがいるだけだ」と言ったのは有名だ。ブラームスはいまひとつだがチャイコフスキーはここまで弾かれるとぐうの音も出ない。超人的技巧だが鬼神が乗り移ったという風でもなく、サラサラと進んで演奏が難しそうにすら聞こえない。これでは「その他のヴァイオリニスト」たちに同情を覚えるしかない。
ブラームスは名演がたくさんあって困る。ピアノ協奏曲2番とともに僕が心の底から愛している音楽だから仕方ない。まずはダビッド・オイストラフの名技を。クレンペラー盤(右)とセル盤があって、どっちも聴くべきである。前者はオケがフランスで腰が軽いのが実に惜しい。それでもクレンペラーのタメのある指揮に乗って絶妙なヴァイオリンを堪能することができる。
シベリウスは一聴するとちょっととっつきにくい。僕も最初はそうだった。しかし耳になじむと他の4曲に劣らない名曲ということがだんだんわかるだろう。ダビッド・オイストラフはオーマンディー盤(右)、ロジェストヴェンスキー盤とあるが、どちらも素晴らしい。シベリウスを得意としたオーマンディーはスターンとも録音していて、これも甲乙つけがたい名演である。
最後にメンデルスゾーンをもうひとつ。レオニード・コーガンがマゼール/ベルリン放送so.とやったものだ。この頃のマゼールは良かった。この曲の伴奏として最高のひとつだ。コーガンはやや細身の音で丹念に歌い、この曲のロマン的な側面をじっくりと味わわせてくれる。終わると胸にジーンと感動が残り、演奏の巧拙ではなく曲の良さだけが残る。本当に良い演奏というのは本来こういうものではないか。
以上、この5曲は、ヴァイオリン協奏曲のいわば必修科目であり、クラシック好きを自認する人が知らないということは想定できないという英数国なみの枢軸的存在だ。ぜひじっくりと向き合ってこれらのCDを何度も聴き、心で味わっていただきたい。一生に余りあるほどの喜びと充実した時間を返してくれること、確実である。
(補遺、2月15日)
チャイコフスキーでひとつご紹介しておきたいのがある。
藤川真弓 / エド・デ・ワールト / ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
いまもって最高に抒情的に弾かれたチャイコフスキーと思う。じっくりと慈しむような遅いテンポは極めて異例で、一音一音丹精をこめ、人のぬくもりのある音で歌う。第1楽章の高音の3連符は興奮、耽溺して崩れる人が大家にも散見されるがそういうこととは無縁の姿勢だ。感じられるのは作曲家への敬意と自己の美意識への忠誠。チャイコフスキー・コンクール2位入賞の経歴をひっさげてこういう演奏をしようという人が今いるだろうか。
(曲目補遺)
ボフスラフ・マルティヌー ヴァイオリン協奏曲第2番
1943年の作だがミッシャ・エルマンのために書いたロマン派の香りを残す素晴らしい曲。近代的な音はするが何度も聴けば充分にハマれ、食わず嫌いはもったいない。第2楽章などメルヘンのように美しい。
(こちらもどうぞ)
ウォルフガング・サヴァリッシュの訃報
2013 FEB 25 23:23:14 pm by 東 賢太郎
強いていえば、何かアブストラクトな高貴なものに触れた心の衝動だ。それはブラームスが産んだものであり、ナヌートが目の前で再現したものだ。久しぶりにそこで音楽が産みだされ、生成されているのを感じることができた。こういう音楽を、僕たちの時代人はいつまで聴くことができるのだろう。
つい一昨日、こう書いた。そうしたら今日、そういう音楽を聴かせてくれたドイツの巨匠の訃報を知った。
1984年にフィラデルフィア管弦楽団とハイドンの104番、ヒンデミット「画家マティス」、ドヴォルザークの8番、エルガーVc協(ポール・トルトゥリエ)、ブルックナー交響曲第2番、85年にロンドンでフィルハーモニア管弦楽団とカルミナ・ブラーナ、2004年にN響とベートーベンの7番。これが僕がサヴァリッシュを生で聴いたすべてだったと思う。
カール・ベーム亡き後、ドイツの保守本流をいった人だが、ベームよりさらにレパートリーはドイツ中心だったように思う。奇をてらわず常に正攻法であり、風貌もまじめな銀行員というお堅そうな印象のためだろうか、壮年期の日本での評判はいまひとつだった。しかし大学時代の当時LPで買ったシューベルトの交響曲やメンデルスゾーンのイタリアやモーツァルトの魔笛を僕は愛聴したし、何といっても、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を振ったシューマンの交響曲全集こそは、今になっても凌駕するもののない逸品として僕のLPレコード棚に君臨し続けているのである。
このシューマンでサヴァリッシュが産みだしている造形は信じがたいほど堅固であり、ドレスデンのいぶし銀の光彩を放つ弦、蠱惑的な木管が生み出す歌、朗々たるホルン、ヴァイオリンにユニゾンで重なるフルートの極上の愉悦感、ティンパニのはじけるようなリズム感と古雅な音色、どれをとっても「最高級のオーケストラ演奏」であると言ってまったく過言ではない。僕はこの演奏によって、ドレスデン・シュターツカペッレという天下の名器とでも表現するしかない老舗オーケストラに、永遠に魅惑される運命に陥った。演奏の細部がどうのという次元の楽しみではなく、シューマンの音楽そのものにひたっている幸福感がひたひたと心に満ち溢れ、それこそそれが永遠に続いてほしいと願うしかないような喜びを与えてくれる。
これはシューマンのシンフォニーのような音楽の演奏としてはあまりない体験であり、優れたバッハの演奏でしかおそらく経験のない、要は演奏者の個性はあまり印象にない、しかし聴いた後にずっしりとした音楽的充足感が残るという稀有の性質ものだ。何かドイツ音楽というものだけが醸成している固有の完結した世界、一つの有機体とでもいうべきロジカルな存在、それに明快で簡潔な数学的な解を与えられたような印象がある。こういうことはベームでもカラヤンでもないことであり、僕はそういう印象を、こともあろうにロンドンで聴いた彼のカルミナ・ブラーナでも抱いたのである。
CDになっている彼のブラームスとベートーベンの交響曲全集もそれに近い成果を上げている。特に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団という、これもドレスデンSKと性格は違うが同じほど素晴らしい個性を持つ名門オーケストラを振ったベートーベンは、演奏としては何一つとして変哲ないが、僕が世界で最も愛するコンセルへボウという音楽堂のそれ自体が芸術品である音響を見事に活かした演奏であるという点において、特筆すべき価値を有している。
こういう本道の演奏が、妙な変哲を売り物にした奇演に駆逐されていくとすればクラシック音楽はいずれグレシャムの法則にのっとって質的に衰退していくだろう。僕が世界第1号機を買った米国ホヴランド社製のパワーアンプ「ストラトス」は、某オーディオ評論家が誉めながらも「音楽的で本格派だから売れないだろう」と書いていた。まったくその通りだろうが、そこで「だから」となってしまうのが日本の悲しい所だ。このアンプで鳴らしたサヴァリッシュのベートーベンは、まったく皮肉なことに、最上級の意味において音楽的で本格派なのである。
2004年11月、最後の来日となったN響とのベートーベン7番は忘れられない名演で、もう耳にタコができてしまっているこの曲にもかかわらず、まさにそこで音楽が生成されているという現場に立ち会う幸福感にひたらせていただいた。余分なことは何もしないということのぎりぎりの美しさを教えていただいた。ほんとうに、これからは世界のどこの誰が、あんな風な立派なベートーベンを聴かせてくれるのだろう?
昨日のように思い起こすかなりご高齢だったお姿と、生気に満ちあふれたその日の7番の感動の記憶が、どうもひとつの点においてうまく交差いたしません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます
ベートーベン 「クロイツェル・ソナタ」(ヴァイオリン・ソナタ第9番作品47)
2013 FEB 11 0:00:51 am by 東 賢太郎
トルストイの小説名にもなった「クロイツェル・ソナタ」は実はクロイツェルのために書かれたのではありません。この曲を献呈された主は黒人の混血ヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワー(1780-1860)で、タイトルはなんと「気分屋の混血のためのソナタ(Sonata per uno mulaticco lunatico)」という奇妙なものでした。
ブリッジタワー(右)は幼時からモーツァルトに比肩された天才ヴァイオリニストで、ヨーロッパ中で知られていたそうです。1803年5月24日にウイーンのアウガルテンで催されたブリッジタワーとベートーベンによる演奏会は、朝8時に開始したにもかかわらず、カール・リヒノフスキー侯爵(ベートーベンの後援者、交響曲第2番を献呈された)らの貴族や英国大使がつめかけ盛況でした。そこで2人によって初演されたのがこの曲だったのです。しかし、ベートーベンが急ごしらえで楽譜を作った(第3楽章はヴァイオリン・ソナタ第6番の第3楽章だったものを転用)せいかリハーサルの時間がなく、当日の朝4時半に弟子のフェルディナント・リースをたたき起こしてヴァイオリンパートを清書させたほどです。結局ブリッジタワーは初見で全曲を演奏し(!)、しかも第2楽章はパート譜すらなく、ピアノを弾くベートーベンの肩越しにピアノ譜を見ながらヴァイオリンを弾いたのです(凄い能力です)。
ベートーベンが10歳下のブリッジタワーになぜそこまでしたのかはわかりません。パトロンのリヒノフスキー侯爵の家で紹介されて才能に関心を持ったのでしょう。彼のlunatico(ころころ気分が変わりやすい、感情の起伏が激しい)な気質に合わせてこのソナタの曲想が編み出されたと考えていいのではないでしょうか。これは私見ですが、当時ブリッジタワーが英国王太子(後のジョージ4世)に才能を認められて仕えていたことも関係あるのではないかと思います。当時の金持ち国イギリスにハイドンは行きましたが、モーツァルトもベートーベンもおそらく行きたかったと僕は思っています。
ところがこの2人はすぐ仲たがいしてしまいます。ブリッジタワーが、ベートーベンの気に入っていた女性の悪口を言ったのが原因とされています。そこで献呈は取り消しになり、パリで有名だったヴァイオリニストのルドルフ・クロイツェルに改めて献呈され、現在の名となったのです。彼を選んだのは自分もパリに行き人気を博したいからでした。ベートーベンの人間臭さが出ていますね。さてこんな名曲をもらったクロイツェルですが、もともとあまりベートーベンを買っておらず、一度他人が初演しているソナタでもあり、「難しすぎて弾けん」と投げ出してついに一度も演奏しなかったのです。「クロイツェル・ソナタ」ほど見当はずれの名前で有名になってしまった曲も珍しいといえましょう。
僕にはまだこの曲の充分に満足できる録音がありません。「ヴァイオリン付のピアノソナタ」でしかなかったこの合奏形式を、両者が対等に渡り合う協奏曲のようなものに高めた歴史的ソナタなのですが、それはヴァイオリンパートが難しくなったということです。しかしそれに対峙するピアノパートも一段と充実していて一筋縄ではいきません。
アルゲリッチの宝石のようなタッチと若鮎のようなリズム感は他の誰とも違います。1984年にカーネギーホールで、もと夫のシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団でプロコフィエフの第3ピアノ協奏曲を聴きましたが、音楽に没入して髪を振り乱し鬼神が乗りうつったような様の凄まじい演奏にはのけぞるほど圧倒されました。ベートーベンでそれはありませんがやはり強い推進力と挑みかかるような差し込みは健在。名手クレメールでもややたじたじ感があるところがこれの唯一の欠点かもしれません。しかし第5番「春」の第1楽章はこのクレメール以上に美しい演奏を知りません。
ヘンリック・シェリング(Vn)イングリット・ヘブラー(Pf)
ヘブラーのピアノはまるでモーツァルトを奏でるよう。堅物、こわもてのベートーベンを期待すると肩透かしを食います。この曲にもっと激しさの欲しい人はいると思いますが、僕はヘブラーの素晴らしい間合いとタッチの際立ったこれが好きです。彼女はグリュミオーとも同曲を録音しましたが、ピンと背筋の通ったシェリングとの方がベートーベンには合っていると思います。並録の第5番「春」もいいのです。第1楽章の美しい第1主題をヴァイオリンが提示し、今度はピアノが受け取る直前のバス!ふっとテンポと音量を落とす間合いは彼女のモーツァルトのソナタ演奏に通じる名人芸です。何度聴いても飽きのこない絶妙のアンサンブルとしてお薦めします。
作曲家バルトークは1905年にパリのルビンシュタイン・音楽コンクールのピアノ部門で2位になっている(1位はウイルヘルム・バックハウスだった)名ピアニストでもありました。しかし、同コンクールには作曲部門もあり、そちらにも出場しましたがなんと入賞せず、「奨励賞の第2席」だったのは笑うしかありません(こっちの1位はその後どうなったんだろう)。人生、1回の試験程度では何もわからないという見本のような例ですね。さてバルトークは米国に亡命して管弦楽の協奏曲などを書くのですが、これは1940年にワシントン国会図書館での演奏のライブ録音です。シゲティのヴァイオリンはやや音程が甘いですが、直線的に突き進む迫力に富み緊張感の高いアンサンブルを展開しています。大作曲家のピアノのうまさをご堪能ください。
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