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カテゴリー: SMCについて

是枝さんとの話(その2)-起業の大チャンス-

2015 FEB 27 1:01:14 am by 東 賢太郎

もういちど是枝さんとの会話です。彼女の住むNYではすごい日本食ブームだそうで、おいしいラーメンは20ドルでも繁盛です。前からあった健康食ブームとして寿司屋でカリフォルニア・ロールを食べるような人気とは内容がぜんぜん違ってきているそうです。

というのは、お寿司なら本物の味を知ってしまった人が銀座のクオリティの寿司を求めだしているのでそういう店がすごく増えている。もちろん値段はものすごく高いのですが、それでも繁盛しているようです。富裕層は良いものにはカネに糸目はつけません。

そこで、ここに行ったらアメリカで売れそうなものがいくらでもあったよという話題になりました。是枝さん、知ってたら絶対行ったのにと悔しがっておられましたが。

東京ビッグサイトにて

日本には日本人も知らないおいしいものがいくらでもあるし、売る方は広く売るつてがない。大きい会社なら商社が扱ってくれますが小さい会社はむずかしく、それでも試食すると光るものがごろごろあったのでもったいない話です。

売りたい人と買いたい人がいる。商売の基礎条件は完全に満たしています。ところがそういう商売はできていない。なぜかというと売る方は単品なんで限界があるからです。良い溜り醤油やノンアルコールのお屠蘇があってもそれだけじゃあ商売の規模になりません。ウチの醤油おかせてくださいっていうことで終わってしまう。

だからある程度の資本が多くの商材を集める必要がありますね。当然売れないリスクはあります。しかし長いこと証券を扱ってきて確信していることは「良い物は必ず値段がつく」ということです。売ろうと思わなくても、値段が見合えば必ず売れます。だから良い物を作ることに徹すればいいというのが商売の大原則です。ところが自分で作らなくたってビッグサイトには良い物はごろごろあったのです。

もうひとつ、食文化というのは味だけじゃない。食べる場所、作る人、雰囲気、マナーなどいろんなものが合わさってできる。女性、外国人の方にはお詫びしますが僕は寿司は日本人男性が握らないと食べません。どうしてってそういう文化を食べている。女性の板さんがいない(僕の知っているとこは少なくとも)のはそういうことです。

ということはオリンピックで東京に外国人が殺到して食文化ごと知るというのは本格的な日本食、つまりアボガドの寿司じゃないものが海外富裕層にさらに爆発的に伝播するきっかけになるに違いないんです。日本の文化で味わって、初めておいしいとわかる。京料理は日本人だって京都で食べてみないとおいしさは気がつかないのです。

以上、ヒントを書きましたが、ビッグサイトの名品をセレクトして欧米に売り込む会社を起業する大チャンスと思いますよ。ネットを使うんです。ファイナンスもクラウド・ファンディングでできる。僕自身は忙しくてできませんが、いいビジョンとアイデアを持った人がいれば出資したいしアドバイスもしてあげられます。

商社といっても生産者と海外リテールの間に入るわけだから両方に強い人脈を作ればいいのです。僕は欧米在住の日本人をたくさん知っているし紹介できるし、その人とパートナーシップを組んで起業するのですよ。若くてエネルギーのある人なら成功のチャンスは大いにありますね。

一例ではありますがそういうチャレンジ精神ある人はSMCへ連絡くださればお会いしますし応援します。

 

(追記、16年1月22日)

昼飯を時々たべる蕎麦屋にはいった。座ると目の前に小さな水槽がおいてあって、ちょっと大きめの金魚が一匹だけゆったりと泳いでる。よく見ると出目金なんでどこを見てるかわからない。目が合った気もするが、どうせわかってないだろう。こいつにとって人生は20センチ立方の空間だ。身をおきかえると、ぞっとした。

でも、水槽に敵はいないから気楽で平和だ。エサは死ぬまで、足りるだけ出てくるじゃないか。

何の不満があるんだ?

こいつはひょっとして日本人じゃないか。水槽の外から見ている俺には気がつかないで死ぬ。でも平和だし、エサも出るんだぜ。何の不満があるんだ?

 

 

 

 

 

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SMCと万葉集への思い

2015 FEB 8 15:15:07 pm by 東 賢太郎

ライヴ・イマジンの西村さん、吉田さんがメンバーになってくれてSMCのクラシック・ブログに厚みができてきました。とても心強いことです。設立趣旨は「平成の万葉集にするぞ!」なんで、同じ音楽のタイトルでいろんな人がいろんな立場からスクランブルで意見をおっしゃってくれるといいですね。僕は僕のスタイルがあるのでそうしますが、それだけじゃあ面白くない。クラシック好きの方がたくさんSMCを訪問して下さるようになってきて本当にうれしく思っておりますが、もっともっと多くの方が自由参加型で意見交換などできる場になればいいと思っています。

ちょっと無責任なようですが、西室も故人となった中村もSMCをどうしてもこうしようこうしたいというのはなくて、自由放任、なるようになるさなんです。10年後にどうなってるか?わかりませんね、そんなに生きてるのかなとも思いますし。でも参加してくれてる皆でなんとなく続いてくれたらいいな、そう思います。僕がどうなろうと、いつか途切れて終わっちゃっても、万葉集として残ってくれればいい。個人的にはもう900タイトルぐらい書いているみたいで、還暦までに書き残したかったことの7-8割は書いたような気がしているところです。

本当はですね、発起人のわがままとしては僕の60年の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしいんです。詠み人知らずでいいからぜひ一首って。何人ぐらいでしょうか、100人よりずっと少ないですね、そんなに多いわけじゃありません。ブログをずっと読んでくださっている方々、それもご縁なんで何か形になると嬉しいですね。メンバーがみんなそうすれば気がついたら全部で何百人となって、1000年もたったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになりませんか。

それって面白いと思うんです。学校の卒業名簿はたまたま同じ年にそこにいたっていうだけで、同窓会で久しぶりに会っても話題はまず学校なんです。学校が太陽みたいなもので、その引力で集まった人たちだからです。でも「万葉集・歌人同窓会」があったらどうだろう?天智天皇と藤原鎌足なら「あの時はお前に蹴鞠で負けて悔しいのう」ってのがあるかもしれませんが、柿本人麻呂が防人と「おう、元気にやってる?」ってのはないでしょうねたぶん。つまり万葉集ってのは学校みたいに引力を持ったリアルな場所じゃなくて、バーチャルな場だったでしょう。だとするとSNSの元祖みたいなもんです。

不思議なことに、万葉集というSNSは誰が、何故、何のために、どうやって編纂したかわからないんです。古事記、日本書紀とちがいどろどろした政治目的があったわけではないし、一人の天皇の権威誇示や讃美のためでもない。歌のうまさを競って品評したものでもない。天皇、藤原氏、大伴家持、柿本人麻呂、額田王・・・そうそうたる名前が並ぶんですが、防人も平民もいて、誰が主役ということもなく歌の前では平等です。編纂者は家持のほか何人かが時間をかけて編んできたようですが、いってみれば彼らはサイトの管理人みたいなイメージで、自身もいちブロガーにすぎないということです。

だから空想ですが、万葉集はさっきの僕のわがままみたいに編者が「自分の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしい」っていうものかもしれないし、「これは僕の名前じゃまずいからキミが書いて」っていうのもあるかもしれないし「ウチの兵士が頑張ってるからのせてやってくれ」かもしれない。そうやって1000年たったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになっちゃったんじゃないか。だからなんとなく人間くさいのです。「人のぬくもりあるメンバーリスト」ですね。それに比べると卒業名簿や一般の会員名簿というのは社員名簿や航空機搭乗者名簿に似て無機質な感じがします。

僕は初めて万葉集を読んだとき、そうでもなければこの世に生きた証はいっさい残らなかった防人や一般庶民が、歌を通して自由に生き生きとメッセージを発信してわが姿を刻んでいることに強い感銘を受けました。世界の歴史で古代の庶民の生の声が残っているのはローマやポンペイの壁書きなどありますが、所詮はバカヤローとかあいつには投票するな!みたいな落書きなんですね。公衆便所にあるみたいな。和歌というアート形態でそれが残っている例は珍しいんじゃないでしょうか。防人や庶民が天皇や貴族と並んで遜色ない和歌が読めたというのは驚くべき文化度の国です。

そういう権威主義でなく自然体なところ。国家権力が関わっているのに詠み人としてみな平等であり、歌会始のような宮中行事ありきというイメージでもなく、庶民のものでもいったん和歌というフォーマットになれば全員が敬意を払っている感じがします。それが何ともすがすがしくて好きなのです。こういうバーチャルなSNS形式だけが持つような利点を偶然だったにせよ活かしたのは1000年も時代の先を行っていたと思いますし、誰の意志だったにせよ世界に誇るべき文化遺産を生み出した創意には敬意を表します。勅撰歌集が出てきて新古今和歌集ぐらいになると詠み人は貴族主体で歌は技巧的になり、メンバーは天皇の引力で集まる人々ですからそのリストはぐっと閣僚名簿か役員名簿みたいになります。

では万葉集の庶民の歌がお情けで入ったそれなりのものだったか?これがそうじゃないんですね。例えば、これが専門家の歌です。

東(ひむがし)の  野に炎(かぎろひ)の立つ見えて  かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂)

これは皆さんよくご存じと思います。非常に絵画的インパクトの強い壮大な歌で僕は好きなのですが、草壁皇子、軽皇子の暗喩がこもっているそうです。ところがこういうプロ中のプロの作品に混じって、ひっそりと、

わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず (防人歌)

というのがくるわけです。大化の改新のころの名もない兵士の歌です。この何のためらいもてらいもない素朴さが心にぐさっと突き刺さります。初めて出会って感動しました。古代も今も変わらぬ人の感情は時空も国境も越えます。この歌以外、彼についてのすべては歴史の闇の中です。愛する妻とはまた会えたのか、そしてそれからどうなったのか・・・。

1000年もたったら、僕らのブログもこんなものではないでしょうか。もう誰が誰かもわからなくなっているだろうし、すべては歴史の闇の中です。

 

「ねえねえ、この人、いろいろ書いてるけど、ここで終わってるわね、このあとどうなっちゃったんだろうね?」

 

(こちらへどうぞ)

SMCと9つの法則

 

 

 

 

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2015年の抱負

2015 JAN 2 21:21:00 pm by 東 賢太郎

正月から仕事の話もなんですが、今年の抱負をつらつら考えるとどうしてもそこからすべてが始まります。

本業の事を少しだけ書きますと、日経平均株価は昨年1年間で7.1%上昇したのに対して当社ソナー・アドバイザーズの助言するファンドは17.4%上昇と2年連続の圧勝で、おかげさまで海外の保険会社が日本株運用のアドバイザリー契約を結ぶ検討に入って下さっております。

当社のお客様はかように皆様ご自身が機関投資家であったり欧州の投資ファンドの経営者であるなど、正真正銘のプロフェッショナルです。だから僕らはプロに指南させていただくプロということになります。

プロ目線の評価ですからこうして成績さえ良ければ世界に需要はあるし相応の報酬はいただけますが、逆に成績不振ならば1年で解雇です。まさにプロ野球選手と一緒で日々これ戦いであり盆暮れ正月も休日もありません。

大変ですねといわれますが、僕のように株を推理ゲームと考える人間にとってはそうでもありません。ブラームスを聴いたり猫と遊んだりするのと同じで「これを楽しむ者」ですから、朝も昼も晩も仕事をしているという感覚はありません。

投資というのは2タイプあって、日々相場を見て売買を繰り返すトレーダー型と僕のような推理型です。これは天文ファンでいえば流星や月食を観測したいタイプとブラックホールなどを理屈で考えたいタイプに当たり、僕は明らかに後者です。

ただ、理屈だけで良い成績が残せるわけではなく、考える素材は会社として日々アップデートしています。だから毎日3社ほど、年間で約700社を訪問してヒアリングし、投資に値するかどうかの詳細な情報収集をしています。情報端末に頼らずこんなに足で情報を集める人は日本には現在2人しかいませんが、そのひとりです。

今年は運用助言だけでなく、もうすこし企業経営に関わる部分で助言をすることでその会社の企業価値を向上させることに取り組みたいと考えています。簡単にいえば株価が上がるようなご提案、サポートをするということです。これは法的にも配慮が必要ですし、僕の経験の集大成になる仕事になると思います。

SMCですが、去年の元旦に僕のブログアクセスが8万になったのが今年は25万を超えました。他のメンバーへのアクセスも徐々に増えており、おかげさまで順調です。なるべく広い層に楽しんでいただけるように努めてまいります。

僕の記事ですが、日経によるとご自分で株式投資をする人が増えているそうですし、もう少しその関連を増やそうと思います。それを参考に投資の実力を磨いていただければ本望です。グラウンドでプレーしている選手の生の声をお届けしますので、TVの経済評論家の机上の空論とは一味ちがうものになるでしょう。

 

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僕のSTAP論文事件ブログについて

2014 DEC 21 15:15:59 pm by 東 賢太郎

僕のブログは開始2年3か月たった今現在のべ25万人ほどお読みいただき、ざっくり7割ぐらいが音楽記事の訪問者という感じである。正直のところ、自分がプロの部分よりアマの部分のほうが関心を持たれているのは、どうしても居心地が悪い。ブログ題材は死んでも残る自分の鏡と思っている。正確に写したい。歪んでいるかもしれない専門外の鏡によってではなく。

証券業務経験者のアングルからSTAP論文問題について3月に書いたらそのブログを2万8千人ぐらいが読んで下さった。僕は最大の証券会社でエクイティ業務に従事しファイナンス業務で役員という地位も報酬も得ていた者だ。だから世間的な定義上はプロということになるだろう。その眼で見てあのファイナンスはおかしいので書いた、だからたくさん読まれた。これは自分の鏡として納得がいく。

しかしあの記事は引用はされたが反論も反証もない。それは仕方ない。あの本文部分に反論するのは普通の証券会社員でも無理だ。マスコミも含めて部外者には本質的なところはピンとこないと思う。その特定の業務経験のある限られた人しか通じないニオイであって、プロなら反論より同感でしょという逆にあまりにあたりまえのことだ。

ところが引用といっても、法的、実務的な理解が浅いか根本的にカン違いの脈絡でがほとんどである。僕はSMCで身分も経歴も開示しているが、僕が誰かも正確にわかっていないような人が同じくわかっていない人向けに引用したってネットトレーダーのポジショントーク並みの軽さだ。

一部良心的と思われる方からもっと易しく書いてくれというコメントや質問をいただいたが、易しく書いてもさらにカン違いの引用が増えるだけで何か生産的なことが期待できると思わないという結論に経験的に至った。僕は大衆週刊誌の記者ではないからたくさん読んでもらう意味はない。あれを読んでわかってほしいのは、読んですぐにピンと来て責任ある行動をすべき立場にある人達だけである。

そもそも小保方さんが美人だとか詐欺師だとかいう類の下世話なことに僕は何の興味もない。科学者の良心、子供の教育、そして法の正義、そのいずれもに日本国民として深い衝撃を覚えたから書いただけだ。行為を注視、検証すべきなのであって、行為者が誰かはいささかも問題ではないし、問題にすべきでもない。小保方さんの人格攻撃などもってのほかである。

隣りの国のナッツリターン事件を冷静に見ていると法治国家の法の正義という大きな問題があぶりだされてくる。正義が国や部族によって変わるのは認めても、財閥わがまま姫への国民感情が法律論に及ぶなら法治国家という建前はぎりぎり帳尻を合わせたとしても、国際社会での理解という法律ではない国家の品格のような判断基準では陰ひなたで裁かれてしまうだろう。

STAP論文捏造事件、これは日本の頭脳クラスの自殺者まで出した事件(case)であり科学者の手をもはや離れている。「(科学なのだから)部外者には本質的なところはピンとこないと思う」というフェーズにはもうないし、あってはならない。

理研の幹部は国民に対して真摯に責任を持って事実を調査、報告すればいいのであって、下村文科大臣のいう次のステップに進める能力は彼らには誰も期待していないし彼らの責任領域でもない。税金で運営される機関なのだから、世界の常識として、次の国会で国民の前で議論されるべきである。

ブログに書いた通り、検証実験の不成功は初めから事件の本質にとって何の関係もない。小保方さんもそれで悩む必要はぜんぜんないということだ。

 

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吉田さんの10周年記念パーティに思う

2014 OCT 23 22:22:39 pm by 東 賢太郎

昨日はSMCメンバーの吉田さんがパートナーをつとめるブルーベイ・アセット・マネジメント・インターナショナル・リミテッドの東京オフィス開設10周年記念パーティに行ってきました。同社は運用預かり資産1兆6千億円を超える、英国を代表する運用会社です。

帝国ホテル孔雀の間は日本の運用業界の重鎮や前某国全権大使閣下をはじめ盛況でした。ブルーベイ社については、僕も小さいながら同業者としていろいろご一緒したい案件があり、ご社業については仔細に勉強させていただいております。

敬意を表したいのは、日本オフィス開設当初は400億円しかなかった運用預かり資産が10年で15倍の6000億円にまで拡大したことです。もちろん運用成績が良いことの当然の結果ですが、知名度がないところからそれを年金基金などに地道にお知らせしていった吉田さんたちの努力は大変なことです。運用成績が良ければ僕たちの将来の年金が支払われる原資ができるわけです。

ところがよく考えて下さい。年金基金運用は資金を日本国債に投資する比率が非常に高いのが現状です。国債は国の借金です。つまり、年金が国債に投資するということは、国が年金基金から当面の財政資金をお借りし、その元本は利息をつけて年金にお返ししましょうということです。しかし、どうしてその元本、利息が払えると保障されているのでしょう?

それは返せなければ税金を取りたてて返しますという保証、つまり国家の徴税権という担保があるからです。最悪の場合は、税金をとって利息を払い、その利息が年金運用収益として計上され、それが年金として税金をとりたてられた国民に帰ってくるという極めてあほらしいどうどうめぐりなのです。それも取りたてられるのは僕らの世代ではなく、子供や孫の世代でしょう。若者こそこれに怒るべきなのです。

じゃあどうすべきなのか?年金の国債買いというタコ足配当もどきはやめることです。運用者がプロじゃないから失敗を恐れて最も安全確実な国債を買い、財務省からすると必ず国債を買ってくれる上得意になる、こういうお手盛りをやめさせることなのです。つまりプロの運用者が運用する資金の比率を上げるべきである。それに尽きます。

英国のブルーベイは日本国債でなく欧米の債券に投資をして高利回りを安定的に達成しているプロ中のプロです。ここが10年で15倍の資産運用を任されたというのは、だから国民の利益という見地から実に健全なことです。一方で多くの年金基金がAIJのような詐欺まがいの運用者に騙されたという事実もあります。

自家運用していない年金はその任務を誰に委託するか、それは理事の責任であり、任せた相手が悪かったですむ問題ではありません。選別能力を鍛える必要があります。

 

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中島さんのライブに行く

2014 OCT 19 18:18:11 pm by 東 賢太郎

昨年に引き続き楽しんでまいりました。前回同様に碑文谷のライブハウス「アピア40」はぎっしりと満員。我々以外はみなさんお知り合いなので和気あいあいのくつろいだムードが最高です。これで2度目になりますがSMCからは西室、阿曾、早野と4人をお招きいただきましてありがとうございます。

うかがったところこのライブはもう会社関係で30年以上も続いているそうです。どんな結びつきであれ、これだけの人数がそこまで続くなんて素晴らしいことですね。そういう場に我々を入れて下さっていることに恐縮しながらも、楽しい演奏とお食事にお酒ですっかり一緒に盛り上がってしまいました。

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アルコールも適度にまわり、すっかりみなさんとくつろがせていただいてワイワイやりながら後ろの方でなんとなく撮らせていただいた記念写真です。とても気に入ってます。おなかだけ目立つのが小生です。

 

 

中島さんが拙ブログに書いたビリー・ジョエルのオネスティを歌っていただいたのは感激です。去年もアクロス・ザ・ユニバースをやってくださいました。

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なんとなくその場で話がまとまって、早野が飛び入り出演させていただくハプニングがありました。伴奏のかたは知らない曲なのに階段でちょっと音合わせしただけ、まったくそう聞こえない見事な腕前でびっくりでした。

10182早野はソナー・メンバーズ・クラブのメンバーズ・リストに写真がありますので、そちらをクリックされますとプロフィールが出てきます。ハムレットの九州公演では終演後に中島さんとハッピー・ライフ・カルテットの皆さんが一席設けて下さったそうで、そのご縁で今日も参加させていただきました。こうやって人の輪が広がっていくのって本当に楽しいですね。

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だいぶワインもまわり、いろいろな方とお話できました。まったく偶然ですが娘がお世話になっている会社の方が多くご縁ですね。拙ブログをずっと読んでいますとご挨拶をいただいた方々もおられ嬉しかったです。これからもよろしくおねがいします。

 

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お話しできた方みなさま紳士淑女で素晴らしく、楽しませていただきました。本当にありがとうございます。中島兄の音楽への愛情とあくなき探究心そして皆様へのあたたかい心配りに敬服です。

 

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SMCと9つの法則

2014 OCT 1 18:18:49 pm by 東 賢太郎

 

1.「時間は速くなる」の法則

早や今年も10月を迎えてしまいました。

子供のころは1日、1年が長かったですね。泥んこ道をゆっくり進む車みたいに、景色がゆっくりすすみ、道路の穴ぼこひとつひとつがガタンガタンとお尻にひびき、道端の雑草の一本一本まで目がいったものです。

それが今はどうでしょう。滑るように何ごともなく疾走する新幹線の窓から、後ろにものすごい勢いでふっとぶ街並みを眺めるようです。あっ富士山だと思っても、うかうかするともう見えなくなっている。そこでうたた寝して、10分もたったかなと思ったら、もう名古屋に着いているという感じです。

これが10年後、20年後は、もっともっと速い乗り物になって、いよいよ宇宙ロケットみたいになってしまい、景色など微塵も見えなくなって、気がついたらそのまま魂が宇宙へ飛び立っていたなんていうことになってしまうのでしょうか。

2.「未来は軽くなる」の法則

今59歳だからあと20年ぐらいあるかな、なんて思ってますがとんでもない。そこで「ある」と思っている「20年」は昔のゆっくりだった20年のつもりでいますが、実は超高速の20年なんて経験もありません。吹けば飛ぶように軽いものかもしれないのです。

SMCを始めて2年になり、その間に720本のブログを投稿させていただきました。昔からずっと続けている日記の延長、拡大バージョンみたいな感覚です。あとほんとうに20年生きるとすると、もう7200書いておしまい。でもたったの7200なんですね。

1本書くのに1時間としますと7200時間ですから300日、つまり、丸々1年近くをそれに費やすことになります。20分の1です。これをもったいないと考えるかどうかでしょう。僕はそう思わないことに決めました。残りの人生の5%はブログを書くことにしたのです。

だいたい明日の朝ちゃんと目が覚めるか、本当に生きているかどうか、誰もわからないのですから、日々の思いを記録することは意味があると思っています。いつそのXデーを迎えても、僕には遺言状が残っているからです。

3.「過去は残る」の法則

2年やってみて、わかったことがあります。SMCをのせているwordpressにはcount per dayというデータ集があって、どのブログが読まれたかリアルタイムでわかるのですが、いまでも、2年前に書いたブログが時々ですが世界のどこかで読まれていることです。

ということは、サーバーさえメンテされていれば、僕が7920本に書きしたためた物事は1000年後も2000年後も残り、あいもかわらず世界のどこかで読んでいただける可能性があるということです。本は絶版になりますがブログは消えません。

過ぎ去った時間は取り戻せませんが、今を少々犠牲にすることで残すことはできるのです。それを日記と呼ぶか私の履歴書と呼ぶか自叙伝と呼ぶかはともかく、れっきとした自分の存在証明であることに変わりはありません。

音楽家が曲を書いたり作家が小説を書いたり、それは書き残したいコンテンツもあるのでしょうが、同時に自分の生きた証しでもある、それを残したいという衝動の産物でもあったのではないかと思います。それはブロガーでも同じことです。

4.「著作は民主化する」の法則

誰でもブログを書ける、これは大げさにいえば「著作の民主化」です。素人がネットで人気小説を書けるし、何十万人に読まれる記事が書けたりするのです。これはグーテンベルグの印刷術の発明という大革命が産んだ著作物という世界に新たな大革命が起きていることを意味しています。

どういうことかというと、小説や記事というものには中味の良し悪し以前に「何人の眼にふれるか」という大問題があるのです。それをクリアするために芥川賞や直木賞をとったり大新聞や有名雑誌に掲載されなくてはならないという高い障壁があります。

5.「書いたのが有名人」の法則

つまり、そのために、まず筆者が時の有名人である必要があるのです。文学賞はにわか有名人を即製する方便なのです。有名人であれば著作が読まれることは昔から道理です。

今流にいえば論語は弟子のブログ集ですし、ガリア戦記は海外出張ブログです。まずは孔子やカエサルが執筆当時から有名人だったからそれも有名になり、中味も面白いから広く長く読まれるようになったのでしょう。

しかし清少納言や紫式部はどうでしょう。武将でも官僚でも学者でもない、実名も生年月日も没年も墓所も不明の官女が国民的に有名になったのはこの2人しかありません。有名になったのは逆に枕草子と源氏物語という著作物の方で、その著者として名を残しました。ここでは「書いたのが有名人」という法則はあてはまらないのです。

6.「面白いから読まれてしまいました」の法則

僕は源氏物語は趣味でありませんが枕草子は大好きです。これは現代人にも本当に面白いのです。何回も現代語版を読みました。すると、何も記録の残っていない清少納言(これもペンネームですが)という女性の実像まで想像がついてきます。宮中もろもろの事物を鏡に、彼女は見事な自画像を残すことに成功したのです。

彼女がそうできたのは、「文字と紙」という当時の文明の利器が現れた恩恵でした。それがグーテンベルグの発明を経て著作が印刷された「著作物」という新たな利器を生み、さらにインターネットという発明が「ブログ」という利器を生むに至っています。

このメディアの進化によって、「書いたのが有名人」の法則は崩れつつあり、「面白いから読まれてしまいました」の時代が幕を開けようとしていると思われます。有名人でない誰にでも可能性は開かれています。

7.「大海の藻屑」の法則

ただ高い壁がひとつあって、「検索」される必要があります。ネットは大海ですから、漂流した小舟はそれがどんなに貴重なものであれ、発見されなければ藻屑のままです。ブログにチャレンジする「有名ではない人」が挫折するのはそれなのです。

ある事柄、何でもいいですが例えば「私のねこ」という題名のブログを書いて、それがGoogleなど検索エンジンの「ねこ」のページの上位に来るのを期待するなら、その前に芥川賞をとるか芸能界でもデビューして有名人になっておくしかないでしょう。

しかし、目につかないほど下位にいては検索されませんから、大海の藻屑になってしまう。これが現実であり、高い壁なのです。

8.「護送船団はレーダーにかかる」の法則

だからたとえ小舟でも「船団」にすればレーダーにかかるかもしれない、そう思ってスタートしたのがSMCです。

今のシニア層は日本国の未曾有の黄金期を築いた世代です。しかしそれは戦争で亡くなっていかれた世代の犠牲と礎の上に築かれたものです。だから我々シニア世代はそれを後世の日本人に伝えられなくてはならない宿命を負っていると思うのです。

そう思うきっかけは鹿児島の知覧で特攻隊の青年たちの末期の手紙を読んだことであり、先月に訪問したチューク島(トラック群島)ではその思いをさらに強くして帰って参りました。

僕は今の日本のシニア層には時間も余裕もあって、残りの人生を有意義に過ごしたい、世の中と何かを共有したい、何かの役に立ちたい、あるいは後世に何かを残したいという方がたくさんおられると思っています。

サラリーマン時代やりたくても出来なかった最大のこと、それはそうやってご自分の思うことや好きなことを自由に発言することではないでしょうか?我々の人生は会社や仕事だけのためにあったのでしょうか。

それはSMCで全部できます。多少のITに関わる作業は必要ですが、僕で出来たのだから大したことでありません。もちろん丁寧にお手伝いご指導申し上げます。

SMCの検索数は現在20万を超えています。週刊朝日の発行部数が19万ですから、2年かかりはしましたが「高い壁」の問題はそこそこクリアできています。船団はレーダーにかかるようになっています。

9.SMCとは

護送船団といっても、全部が同じような舟である必要はありません。レーダーにかかることが目的なのですから、むしろ船種は違った方がいいのです。

僕には僕のやり方使い方があってそうやっていますが、それは船の一つにすぎません。メンバーが何をどうやろうが、政治勧誘、布教、商売の3つのタブーさえ守っていただければ船種は問わないのですから何を書こうと一向に構いません。

イギリスのThe Daily Mirror、ドイツのDer Spiegel(鏡の意味)、我が国にも「大鏡」、「吾妻鏡」が歴史や世相を映し出す「鏡」だと名乗っているように、僕にとってのブログは自分を映し出す鏡です。

僕がいちいち書くまでもなくベートーベンのエロイカは不動の名曲です。しかしどうして名曲と認めるかは実は各人各様と思います。だからそれを記すことは僕の自画像になると考えております。

それは清少納言が「春は」と不動の物事をきり出しておいて「あけぼの」とズバリの結論を述べ、「をかし」、「わろし」と自説を決然と明快に述べている、あれに習っているだけです。

俺はそう思わんという者は切り捨て御免。悪くいえば大阪のおばちゃん的傍若無人ですが、あの小気味の良さと高度な批評精神は痛快であり、「ねこは背中が黒くてあとは白がいい」と断言する彼女にウチの猫を見せてみたいと思わせる何かがあります。

彼女がそう意図したかどうかはともかく、そういう自説の集合体が清少納言の自画像になっています。ネットも印刷機もない時代に女の身で自画像をここまで広めたのだから優れた方法だったに違いありません。それに学ばせていただきました。

しかしそれはいちブロガーとしての僕の個人的な話であり、SMCの主義でも方針でもなんでもありません。そういうことを気にしていただくことも敷居が高いと思っていただく必要もまったくないことを強調しておきたいと存じます。

自画像でも自伝でも半生記でも、エッセイでも小説でも、世相の批判でも賛辞でも、ご自分の文体と方法論で書けばいいし、そういう多様な人が集まることで護送船団はますますレーダーにかかりやすくなり、船団にいる船の一艘一艘がますます読まれるようになります。SMCはそれが欲しいブロガーたちのメディアになればいいのです。

最後に.「案ずるより産むが易し」の法則

だからSMCは日々が未体験の新しい航海であり、こっちに行けばいいこうすればいいという海図のようなものはありません。入る人も出る人もあり、それでいいのです。メンバーとして書いていただければ、HPから読者はそれなりに来てくれ、ブログは永年保存されます。

年会費1万円はサーバー維持費と管理費です。マンションでいえば共益費であり、永年存続のための最低の必要経費ですからこれはメンバーで分割してもっていただきたい。収益目的ではないのでもし数が増えて余剰分が出れば値下げすることになります。

もうひとつあります。僕らはいずれ死にますから死なない法人にしました。経営、管理は僕と西室、中村が生きているうちはやり、いなくなったら子孫が勤めます。この法人は僕と数名が株主で法人にSMCのHPの所有権、版権がありますから方針が曲がることは絶対にありません。

比較的大きかった設立費、監査費用は言い出しっぺの自腹です。メンバーには一銭も負担していただく気はありませんし、これで小金をためようなどという気も必要も毛頭ないことはご理解いただけるかと存じます。SMCはメンバーの方の共益のためだけに存在します。

共益があると思っていただける方こそこれからご一緒にSMCを発展させていただける方です。積極的なご参加を募りたいと思います。我々のご面識のない方、海外在住の方、ウェルカムです。いずれどこかで実際にお目にかかることになると思います。

すでにブロガーの方、これから書いてみたいと思われる方、住所、国籍、性別、宗教、信条、経験、経歴、内容は問いません。年齢はシニア=50としていますが、ご相談ください。

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案ずるより産むが易しです。お待ちしております。

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急遽ソウル出張となるの巻

2014 SEP 25 1:01:05 am by 東 賢太郎

ミーティングしたいから来いというということで急遽ソウルまで飛びました。片道2時間とはいえ、最近は一泊で海外というのはちょっと体がしんどいですね。飛行機が嫌だし。帰りは台風でフライトがキャンセルかもしれないとおどかされましたが、基本晴れ男なので無事帰ってきました。2時間のプレゼンテーションはにわか作り資料でアドリブになりましたが・・・。

政府レベルではもめていても民間レベルでは関係ありません。僕は韓国料理は何でもOKですが、昨晩はSMC三田君と明洞(ミョンドン)のブデチゲ(部隊鍋)のうまい店へくりだしました。朝鮮戦争で米韓の兵士がお国の材料を出し合ってできた友情の鍋料理というふれこみで、C級メシですが僕はこれが好物なのです。特にインスタントラーメンが入る庶民性がいいですね。あと脂のしたたる豚ロースの焼き肉を野菜で包む料理。辛みそとネギと生ニンニクをあえていただきますが、牛より美味。元気も出ます。

5年前までであればここから2次会、3次会にくりだすのが定番でしたが、さすがにもうぜんぜん気力なし。長年僕を知り、昨年あたりまではそんなはずないでしょと引っぱっていってくれた三田君も最近は老体を気遣ってくれて大人しくホテルへ戻ります。けっきょく部屋で差し入れワインなど3人でいただいて酔っぱらって終り。慎ましいものです。それでも弱いもんで酒は今日まで残りましたが・・・。

前にも書きましたが、僕は韓国では完全に韓国人だと見られるのでスチュワーデス、ホテルのレセプションのお姉さん、食堂のおばちゃんを問わず、100%韓国語で話しかけられます。例外これまでになし(すごい)。そうでないのは僕が知られている某社の中だけです。最近はもう開き直っていて、ハングルで話しかけてきたホテルのラウンジの女性に「韓国人にみえるでしょ?」(えっという顔)「は、はい、そうですね(日本語)」(はにかんだ笑顔)というソフィスティケートされた会話を楽しむレベルに至っております。

台風が去ったのは良かったのですが帰りの飛行機はいつもながら気が重く、ヒッチコック・サスペンスの「ダイヤルMを廻せ」で気を紛らわすことに。ところがこれが大変に面白く、110分ものなのでいい所で羽田に着いてしまいました。残念!と思いましたが、何事もなく着いたのでこれはラッキー。しかも停止するまでずいぶんかかり、ねばって見ていたら映画もめでたく終わってますますラッキー。いい一日でした。

 

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クラシックは「する」ものである(3)ーボロディン弦楽四重奏曲第2番ー

2014 AUG 3 12:12:14 pm by 東 賢太郎

 

サン・サーンスの白鳥と言えば思い出があります。

94年ごろでしょうか、フランクフルトにいた頃、SMCメンバーである二木君が野村ドイツの同僚で、拙宅にお招きして食事をしました。さんざんワインが回ったところで彼がピアノが弾けるとわかり、それはいいすぐやろうと地下に引っぱっていっていきなり伴奏頼むとその「白鳥」の譜面を渡しました。二木は覚えてないかもしれないが、あんまり知らないんですが・・・といいながらも初見でそれなりに弾いて(すごいね)、僕はというともちろんチェロを気持ちよく弾かせてもらいました。

でも歌うんでもいいんですよ。声よりチェロの方がちょっといい音が出るんで楽器を持つだけでなんですから。もちろん速いパッセージは歌は限界があります。だけど歌うことのできるチェロの名旋律はたくさんあるんです。たとえば、これも歌えますよ。裏声になるがこれが美しく歌えたら最高の気分になれます。ボロディンの弦楽四重奏曲第2番第3楽章「ノクターン」です(これも有名曲ですね)。

伴奏に回るところの低音部もしっかり楽譜を見て歌ってください。要はこのカルテットのチェリストになりきることです。

譜面が読めない?大丈夫です。音が取れなくても一番下のチェロパートを目で追えますよね。この曲はゆっくりだしそれがものすごくわかりやすいんです。チェロを聴き分けてそのメロディーを耳で覚えちゃってください。チェロだけ聴くんです。

目が不自由な音楽家の方は普通は点字の譜面で覚えるそうですがピアニストの辻井 伸行さんは右手と左手を別々に耳で聴いて覚えてしまう。楽譜は使わないそうです。そんな記憶力は普通の人にはないですが、この曲ぐらいなら誰でもできますね。

ちなみに、そうやってパートを聴き分ける練習をすれば必ず耳が良くなります。同時に鳴っている音の仕分け能力がつくんです。それに強くなれば交響曲のような複雑な曲を聴いても楽器の聴き分けができるようになります。

そうすると曲からの情報量がぐっと増えるから、いいことがあります。その曲がもっと楽しめる?そうですね、それもありますがそれだけではありません。増えた情報がマーカーとなって曲を早く覚えられるようになります。これが実はクラシックのレパートリーをどんどん増やしてくれる、つまり通になる近道なのです。

ワインだって日本酒の利き酒だって、飲んだものを覚えてないと次のと比べられませんね。覚えるには特徴をなるべくたくさん見つけておくのがいいですね。それと同じことです。カルテットのような、音の少ない曲から練習して、だんだんと編成を増やしていかれるとコツをつかむのに効果があるでしょう。

楽譜にアレルギーのある方もきっとおられると思います。でも所詮は記号だからパソコンの文字とキーボードの関係と同じです。恐れることはありません。楽譜を見ながら聴くと、情報量はますます増えますから、ますます早くますますたくさんの曲を覚えられるのです。そんなにご利益があるんです。チャレンジし甲斐があるではないですか。

次回は天下の大名曲、モーツァルトのクラリネット五重奏曲を使って、和声についてもう少しご説明をしましょう。

 

クラシックは「する」ものである(4) -モーツァルト「クラリネット五重奏曲」-

 

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世界のうまいもの(その9)-スコッチのブローラ21年と竹鶴35年-

2014 JUL 17 12:12:29 pm by 東 賢太郎

僕は酒の味について文章を書く資格がある人間ではありません。アルコールは弱くて、ビール一杯で赤くなります。よく経済的ですねといわれますが、赤くなっても人並み程度の量はいけますから、悲しいかな実はそうでもありません。

ボルドーでワインテースティングを初めてしたとき、どうしていちいち吐き出すのかな汚いなと思いました。酔うと味覚、嗅覚の感度、記憶が薄れるためだそうです。僕の場合、吐き出してるのにもう5種類目ぐらいで気持ち良くなってましたからソムリエは無理であります。テーブルで白が終わって赤にさしかかるころにはだいたいの場合もう終わってます。だから、機会が多かった割には経験値が少ない、要は酒の味はまだよくわかっていないのではないかと思うのです。

そんな程度でも、ロンドンに6年住んでいてシングルモルトを嗜んでいましたなどと書くといかにもわかった風にきこえてしまいますね。そういうことはまったくなく、生ぬるいビールはまずいし当時の安月給ではいいワインなんか高嶺の花だったので、消去法で地元のスコッチになっていただけであります。

broraここからの拙文は何卒お許しいただき、通の方にはそういう前提でご笑納いただきたいのですが、そんな僕のちょっと記憶に残っている酒がブローラ(Brora)なのです。酒精を愛でる語彙は小学生なみでお味はうまく書けませんが、ハイランド独特の枯草風くさみが強めで、鼻につんと広がって、とにかく個性のボルテージが高い・・・さっぱりわかりませんね、みっともないのでやめときましょう。僕は発酵食品好きで納豆から鮒ずしまで全部OKで、スコッチもこういう臭み(というのかどうか?)やアクが強い個性派が好みです。もう一つこれが気に入ったのが、当時吸っていた葉巻と臭いもん同志で合うんです。

この酒は北ハイランドにある醸造所が83年に閉鎖されていてもう市場在庫しかありません。2005年に投資家訪問でエジンバラに行ったおり、どうしても懐かしくて欲しくなって、店にあるだけくれといったら1982年の21年物が3本出てきたので全部買いました。これは証券マンの本能ではなく、思い出の酒を純粋に飲みたかっただけです。

ところが今年、ジョニーウォーカーを有する世界最大のウイスキーメーカー、ディアジオ社が出した「ブローラ40」(40年物)の売値を見たら1本6,995ポンド(約122万円)で仰天してます。最も高いウイスキーだそうです。これは21年ですがそれでも調べると買値の10倍ぐらいになっていて、株よりいい投資でした。もちろん売る気など毛頭なく、飲みます(2本ある)。ただ、いずれ世から消えてなくなる味かと思うと切なくてどうも飲めません(貧乏性です)。一人じゃもったいないので、いずれ何かの機会にSMCメンバーで開けましょう。

nikka
もうひとつ、これは国産。お客様からいただいたニッカ・ウィスキー「竹鶴35年」です。なかなかよろしくて、ちびちびやってました。ところが先日、最後の一献をかたむけようとふとラベルに目をやると、「ボトルナンバー0229」 とあって、なにやらただ者でない風情が・・・。調べると1000本限定リリースで、ウィスキー評論家の土屋守さん曰く 『これぞ僕が「もう一度飲みたい」と切に願うウィスキー』なるものだったという恥ずかしい事実が判明。お値段も仰天もので、最後の一献はやめて安物の方に変更・・・。猫に小判とは猫に失礼であり、下さった方には不明をお詫びするしかありません。これとブローラと、どっちが先になくなるんだろう?

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世界のうまいもの(その8)-アスパラとラインガウのワイン-

 

 

 

 

 

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