タイガー・ウッズの思い出
2015 MAR 17 21:21:07 pm by 東 賢太郎
久々にゴルフです。左の五十肩は一時よくなったのですが、今度は真上に上げると痛くなってきてどうもいけません。治ったらまた再開したいと思っていますがいつのことやら・・・。
僕らにはしょせん遊びだから、もうできなくっても仕方ないねで諦めればすんでしまう。でもプロが不調になったり故障したりする、それは選手生命の終わりかもしれず、人生をそれに賭けたのだから死を意味するようなものかと想像します。そういう境遇にいるかもしれないメジャーのタイトルホルダーであるデイビッド・デュバルとタイガー・ウッズが気になっています。
2001年の全英オープンはマンチェスターにある1886創立の名門ロイヤル・リザム・ セントアンズで行われました。当時はもう日本に帰国していたのですが米国の運用会社フィデリティ幹部のお招きで渡英し、コンファレンスへの参加ついでにこれを観戦させてもらいました。この大会はマスターズを勝った破竹の勢いのタイガー・ウッズと同2位のデイビッド・デュバルの、まさにその二人の対決と目されていたのです。
見たのは確か土曜日の3日目でしたが初日から走っていたのはコリン・モンゴメリーです。モンゴメリーはスイスで何度か見ていたので、この時ここぞとばかりに駆けつけたのはT・ウッズのラウンド前の練習でした。どうも微妙にひっかけ気味で、といっても300ヤード先で10ヤードぐらいの話なのですが。ラウンドも何ホールかついて回りましたが結局その球筋が災いしたようで彼は不振で25位ぐらいでのホールアウトでした。
しかしそれでも、スイングスピードの速さ、弾丸みたいに空気を切り裂くティーショットの音、2打目地点で他のプレーヤーを20-30ヤードおいていっている飛距離、もう並みいるトッププロのなかでも別格的な所でやっていてどこか孤高の人という感じすらありました。僕らのやってるゴルフはありゃあビリヤードみたいなもんだ、本当はアスリートの肉体の闘いなんだということがよくわかりました。
ただ僕がもっとも驚いたのはアスリートのしるしであるドライバーやロングアイアンのショットの初速や飛距離ではなく、ナイフのような切れ味でバックスピンがかかって信じられないほど高く舞い上がるバンカー越えの100ヤードちょっとのサンドウェッジ(たぶん)でした。それが少し先に着地して、コロコロと戻ってピンそば1,2ヤードに止まった、その結果に驚いたのではなくて、打ったショットの凄まじいエネルギーに仰天したのです。それは去年に屋久島で目撃した「はやぶさ2号」の打ち上げみたいでした。
それもフルショットではなく、あの距離をコントロールショットでサンドで高く上げて切れ味よく止めるというだけで、もう僕ら程度のゴルファーにはあり得ないショットになります。いえ、そもそもSWでフルに振っても届かないし。こういう異次元の光景を次々と目撃すると何か自分まで少しうまくなったような気がするものです。けっしてそういうことはないのですが・・・。
大会を制したのはサングラスであんちゃん風のデュバルでした。よくあれでコントロールできるなと思うほどの極端なフックグリップで強烈に飛ばしていました。その彼が翌2002年はスイングが滅茶苦茶になってランキング80位ぐらいまで一気に落ちた。最近少し盛り返したと聞きますが、あそこまで一旦落ちての話だから復活ではないでしょう。ああいう個性的なフォームだと維持するのも大変ということなんでしょう、思えばあの全英が彼の最初で最後の輝きだったわけですが、ゴルフというのは怖いゲームです。
たしかその前後で二人は日本に来て太平洋クラブ御殿場コースのマッチプレーで組み、デュバルはボロボロだったが18番でウッズが驚異のチップイン・イーグルを決めて勝ったのでした。あれはTVで見ていて唖然でした。彼が打ったあのグリーンサイドの箇所には記念のプレートが埋められています。そこに立って構えてみるとやや左下がりぎみの打ち上げ!で、100発打ってもまず入らんだろうなあと思うような所であります。
ウッズは父親がスパルタ英才教育で育てた天才です。ゲーム中にどんなアクシデントがあっても動じないようにと池に突き落とされたり、打つ瞬間に耳の後ろでパンと手をたたかれた。星 飛雄馬のゴルフ版という感じです。人間味のある顔つきと、精密機械のようなショットのアンバランスが面白かったですね。有色のマイノリティが伝統的白人世界の帝王となり、バラク・オバマの登場に道を開いたとさえ僕は思っています。
あれからウッズは日の出の勢いで無敵街道を驀進します。彼に勝てる者はもう出ないのではと誰もが思った。だから先日その彼が82を叩いたというニュースを見てしまって、悲しいというか、信じたくないというか、ひとつの時代が終わったんだとため息が出るばかりです。82ははっきりいって当時の僕らですらあんまりうれしくない、79以下=うれしい、80=悔しい、81=今日はもういいや、82=あっそう、というスコアです。僕らが120を叩いたぐらいのショックと推察いたします。
できれば、頑張って復活してほしいと切に思います。世紀の天才があんなことで終わったなどというのはどうも・・・天才に何でも許されるわけではないですが、天才であり続けるコストも高いのだろう、気の毒だなという気持ちもあるのです。しかし、あの彼のショットを思い出すと、頑張ってああなれるという水準の話でないこともよくわかってしまいます。悲しいことです。
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秘書への御礼
2015 MAR 3 23:23:14 pm by 東 賢太郎
最近、懐かしい顔が何人か会社にたずねてきてくれて、聞いてみると昔の会社の同僚や部下がずいぶんブログを読んでくれていることがわかりました。どうして?ときいたら名前でググると履歴なんかがまだのっていて、そこからたぐれるようですね。
皆さんそれぞれ思い出深く、エピソードが山ほどありますがプライバシーだからこういう所に書くわけにはいかないのが残念です。
こっちはというと上場企業は有価証券報告書が出て役員のプライバシーなんかないのは仕方ないのですが、それはその時点での話であってむしろ消してもらいたいですね。今は違う人間なので過去は引きずりたくない。ネットは功罪があります。
ただ、つごう3つの大企業に勤めさせていただきましたが、そこでできた多くの知己には頑張ってもらいたいという気持ちが強いです。さらに、これは中でもごく大事なことなのですが、もし元秘書の方が読んでくださっていたらと思いこれを書くことにしました。
全部むなしい言い訳になりますが、飽きるとおもちゃはそのまま出しっぱなしという癖があり、毎回こっぴどく叱られてもついに治らずここまできてしまいました。「競馬の馬といっしょ。走り出すと他が目に入らない」と親にいわれたままでした。
社会人になって自分でそれをコントロールしなくてはならなくなって「片づけ癖」をつけようと一生懸命やったのですが独身寮の部屋すらままならず、片づけうんぬん以前に忘れ癖があって、出社してみたら髭を剃ってないネクタイやベルトをしてないが日常茶飯事でした。
これはいま思うと習性というか病気で、昔から傘は年に5-6本は忘れてくる、他人のコートを着て帰ってくる、高校時代は開校記念日を忘れて登校して校門で気がついたことがあるし、野球部の練習ネットを立てる2mの鉄柱を小田急線の車内に忘れてきて、学生運動と間違えられて大騒ぎになったこともあります。
入社して半年ぐらいして親父が心配になったんでしょう、独身寮に電話してきて、仕事は順調かじゃなくて、ひとことだけ「ちゃんとネクタイしめていってるか?」です。そういう人間が宮仕えしていることが変だし、慣れない片づけに精を出しても馬の起爆力もなくなってしまうんだと開き直って、更生の道は放棄してしまいました。
結局、海外を転勤したり会社を移ったりして今日に至るまで秘書に助けていただきました。さっき数えてみたら外人2人を含む14人がおられて、皆さん大変に優秀な方々だったことは人生最大の福音でした。こういうだらしない人間が会社生活をのりきれたのは彼女たちのおかげであるといって全く過言ではありません。
特に殺人的に忙しかったのはチューリヒと東京です。ランチ、ディナー、宴会、二次会で10件ぐらいのアポという日もざらにありました。本人不在の中でアポ依頼の電話がどんどん秘書にかかってきますが、全部うけたら体が参ってしまいます。そうでなくてもスイス時代の発行体テークケアで急増した体重と腹は今も変わってません。
だから重要度によって断るものは断り、外出・出張は行程をやりくりし、体調を見て会食やゴルフをとすべて仕切っていたのは秘書です。仕事内容、社内の力関係、義理や貸し借りをつかんでいないとできません。夕方会社に戻って「こうなりました」と見せられて初めて明日のスケジュールを知るということもしばしばでした。
秘書というと日本的にはお茶だしの女性みたいなイメージがありますがとんでもない。マネジメントチームの一員であり、経営に関する情報にどうしてもふれてしまいますから最もしっかりした忠誠心の高い人でなければ勤まりません。会社によっては社長秘書に男性社員を充てますが、エリートコースです。
秘書の適性は営業や企画や総務のそれとは全く違うように思います。そういう仕事のトップは、その仕事なりに優秀であれば誰でも勤まります。ボーナスが安いとか仕事が合わないとかですぐやめてしまうような人でも。しかしそういう人は秘書は絶対に無理です。
米国でsecretaryというと大臣や次官をも意味するのは、知識や経験も大事だがシークレットを共有するだけ信頼できるか裏切らないかのほうが百倍も大事ということだと僕は思っています。それは努力ではなかなか難しく、人柄というか、せんじ詰めれば性格ということに行きつきます。
付いていただいた14人の皆さんには例外なく大変なご面倒をおかけしてお世話になったのですが、ボスがあまりにいい加減だといって退社された方はなく、逆に異動の時に張り合いがありましたと送り出していただいたこともありました。
昔の同僚と話していて、なぜか当時のオフィスの光景と一緒にまっさきに思い出すのは秘書の皆さんです。いつか何かでお会いして罪滅ぼしのお礼でもしたいものです。本当にありがとうございました。
脳は寝ない
2015 FEB 26 0:00:14 am by 東 賢太郎
NY在住のメンバー是枝理絵さんが来日されていてお会いしました。NYでお元気にご活躍のこと、とてもうれしく思いました。久しぶりにいろんなお話ができて楽しかったです。そこでたまたま受験勉強の話が出ました。
僕はそのころ毎日数学の問題をひとつ解いて寝るのが習慣でした。それも難問集や通信添削の手ごわいやつで、自分に課した制限時間は1時間。たいていは解けずに時間切れで寝ることになります。
ここまではいい。ここからが信じてもらえませんでした。
朝起きて、もう一度考えると、それがすっと解けることがあるんです。えーっ、うそでしょ?いえ、本当なんですよ。ただし、「解けていた」わけではなく、もう一回考えると、解けるんです。それも何回もあります。
それ以来僕は「脳は寝ない」と信じることになります。寝ているというのは意識の部分がオフになって飛んでるだけで、回路は作動しているんだと固く信じてます。いまでも、ビジネスのアイデアは目覚めてから30分以内に考えるようにしてます。そこが勝負タイムです。
5W1Hといいますが、僕は1Wだけの子でした。Why です。それ以外興味なし。その答えが見つからないと寝られない。だから星のことを考えていつも睡眠不足になってました。その癖があったので、寝る前1問は「寝られないかも」という恐怖がはじめはあって、1時間で解かなくちゃという絶好の訓練になったわけです。
ところが、時間切れで寝ても頭が勝手に考えてくれて、結局は解けて同じトレーニング効果がある、こりゃ楽でいいやということに気がついてしまった。寝ながら脳の筋トレです。そこから安心してよく眠れるようになってしまいましたが。
むかし睡眠学習というのが確かありました。寝ている間にテープで流して単語や年号などを記憶する。しかし「記憶」については僕は懐疑的で効果があるのは「回路」を使う作業です。だから英単語を覚えたりではなく、リスニングに耳を慣らして意味を理解するほうには使えるかもしれません。お試しになる価値はあるように思います。眠れないなら寝る前1時間きくというのはどうでしょう。
たとえば、これも昔、下宿でカセットをループで流しっぱなしで寝てしまって、そうしたら何回も無意識にきいた知らなかった交響曲をすぐ覚えたというのもあります。音楽も時間と共に進むので個々の音の記憶でなく回路なんだろうと思います。覚えたい難しい曲を1時間聞いてから寝る。いいと思いますよ。
最近は「寝る前ブログ書き」になっていて、これもなんかしらの解けない問題を残して寝ることになってます。ずっと日記を書いてきたので、それがブログになっただけですが。これがまた、その日に考えたり発見したことを文章にするので頭が整理できます。そこで睡眠となると回路の中でそれが朝には消化吸収されている感じです。
僕は見聞きしたこととか、今日はどうしたとかの事実を書くことはあまりないのは、そういうことにすると毎日書くほどのコンテンツはないからです。だから、考えたこと、つまり「回路」の言っていることをそのまま書き写しています。回路は毎日間断なくしゃべるので、毎日苦もなくブログが書けます。これは長年の習慣からそうなったと思います。
60歳になりましたが、ひょっとして脳はまだまだ進化するかもと思ってます。これは誰でもありえること。そう考えた方が夢があって楽しくありませんか?ただし、好きなことは早く覚えられるように脳は勝手にプライオリティーをつけますから、「脳は眠らない」とか「死ぬまで進化する」とか、本気で信じないと効果は薄いでしょう。信じる者は救われる、そういうことだと思っています。
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SMCと万葉集への思い
2015 FEB 8 15:15:07 pm by 東 賢太郎
ライヴ・イマジンの西村さん、吉田さんがメンバーになってくれてSMCのクラシック・ブログに厚みができてきました。とても心強いことです。設立趣旨は「平成の万葉集にするぞ!」なんで、同じ音楽のタイトルでいろんな人がいろんな立場からスクランブルで意見をおっしゃってくれるといいですね。僕は僕のスタイルがあるのでそうしますが、それだけじゃあ面白くない。クラシック好きの方がたくさんSMCを訪問して下さるようになってきて本当にうれしく思っておりますが、もっともっと多くの方が自由参加型で意見交換などできる場になればいいと思っています。
ちょっと無責任なようですが、西室も故人となった中村もSMCをどうしてもこうしようこうしたいというのはなくて、自由放任、なるようになるさなんです。10年後にどうなってるか?わかりませんね、そんなに生きてるのかなとも思いますし。でも参加してくれてる皆でなんとなく続いてくれたらいいな、そう思います。僕がどうなろうと、いつか途切れて終わっちゃっても、万葉集として残ってくれればいい。個人的にはもう900タイトルぐらい書いているみたいで、還暦までに書き残したかったことの7-8割は書いたような気がしているところです。
本当はですね、発起人のわがままとしては僕の60年の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしいんです。詠み人知らずでいいからぜひ一首って。何人ぐらいでしょうか、100人よりずっと少ないですね、そんなに多いわけじゃありません。ブログをずっと読んでくださっている方々、それもご縁なんで何か形になると嬉しいですね。メンバーがみんなそうすれば気がついたら全部で何百人となって、1000年もたったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになりませんか。
それって面白いと思うんです。学校の卒業名簿はたまたま同じ年にそこにいたっていうだけで、同窓会で久しぶりに会っても話題はまず学校なんです。学校が太陽みたいなもので、その引力で集まった人たちだからです。でも「万葉集・歌人同窓会」があったらどうだろう?天智天皇と藤原鎌足なら「あの時はお前に蹴鞠で負けて悔しいのう」ってのがあるかもしれませんが、柿本人麻呂が防人と「おう、元気にやってる?」ってのはないでしょうねたぶん。つまり万葉集ってのは学校みたいに引力を持ったリアルな場所じゃなくて、バーチャルな場だったでしょう。だとするとSNSの元祖みたいなもんです。
不思議なことに、万葉集というSNSは誰が、何故、何のために、どうやって編纂したかわからないんです。古事記、日本書紀とちがいどろどろした政治目的があったわけではないし、一人の天皇の権威誇示や讃美のためでもない。歌のうまさを競って品評したものでもない。天皇、藤原氏、大伴家持、柿本人麻呂、額田王・・・そうそうたる名前が並ぶんですが、防人も平民もいて、誰が主役ということもなく歌の前では平等です。編纂者は家持のほか何人かが時間をかけて編んできたようですが、いってみれば彼らはサイトの管理人みたいなイメージで、自身もいちブロガーにすぎないということです。
だから空想ですが、万葉集はさっきの僕のわがままみたいに編者が「自分の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしい」っていうものかもしれないし、「これは僕の名前じゃまずいからキミが書いて」っていうのもあるかもしれないし「ウチの兵士が頑張ってるからのせてやってくれ」かもしれない。そうやって1000年たったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになっちゃったんじゃないか。だからなんとなく人間くさいのです。「人のぬくもりあるメンバーリスト」ですね。それに比べると卒業名簿や一般の会員名簿というのは社員名簿や航空機搭乗者名簿に似て無機質な感じがします。
僕は初めて万葉集を読んだとき、そうでもなければこの世に生きた証はいっさい残らなかった防人や一般庶民が、歌を通して自由に生き生きとメッセージを発信してわが姿を刻んでいることに強い感銘を受けました。世界の歴史で古代の庶民の生の声が残っているのはローマやポンペイの壁書きなどありますが、所詮はバカヤローとかあいつには投票するな!みたいな落書きなんですね。公衆便所にあるみたいな。和歌というアート形態でそれが残っている例は珍しいんじゃないでしょうか。防人や庶民が天皇や貴族と並んで遜色ない和歌が読めたというのは驚くべき文化度の国です。
そういう権威主義でなく自然体なところ。国家権力が関わっているのに詠み人としてみな平等であり、歌会始のような宮中行事ありきというイメージでもなく、庶民のものでもいったん和歌というフォーマットになれば全員が敬意を払っている感じがします。それが何ともすがすがしくて好きなのです。こういうバーチャルなSNS形式だけが持つような利点を偶然だったにせよ活かしたのは1000年も時代の先を行っていたと思いますし、誰の意志だったにせよ世界に誇るべき文化遺産を生み出した創意には敬意を表します。勅撰歌集が出てきて新古今和歌集ぐらいになると詠み人は貴族主体で歌は技巧的になり、メンバーは天皇の引力で集まる人々ですからそのリストはぐっと閣僚名簿か役員名簿みたいになります。
では万葉集の庶民の歌がお情けで入ったそれなりのものだったか?これがそうじゃないんですね。例えば、これが専門家の歌です。
東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂)
これは皆さんよくご存じと思います。非常に絵画的インパクトの強い壮大な歌で僕は好きなのですが、草壁皇子、軽皇子の暗喩がこもっているそうです。ところがこういうプロ中のプロの作品に混じって、ひっそりと、
わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず (防人歌)
というのがくるわけです。大化の改新のころの名もない兵士の歌です。この何のためらいもてらいもない素朴さが心にぐさっと突き刺さります。初めて出会って感動しました。古代も今も変わらぬ人の感情は時空も国境も越えます。この歌以外、彼についてのすべては歴史の闇の中です。愛する妻とはまた会えたのか、そしてそれからどうなったのか・・・。
1000年もたったら、僕らのブログもこんなものではないでしょうか。もう誰が誰かもわからなくなっているだろうし、すべては歴史の闇の中です。
「ねえねえ、この人、いろいろ書いてるけど、ここで終わってるわね、このあとどうなっちゃったんだろうね?」
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ここからどう生きるかについて
2015 FEB 6 0:00:44 am by 東 賢太郎
今日はドイツ時代の友人Tさんと野村時代の後輩Kさんと飲んだ。まあこっちはもう還暦の身だし、次の人生に入ったということでこれからはこんなことをやりたいという話になった。
それは我々資本主義の権化のような業界に生きてきて、何か国のため人のためになったか?困っている人から有難うと何回心から言っていただいたことがあるか?という話だ。僕など悲しいかな2回しかない。だったらここからは死ぬまでにそれを何回言っていただけるか、そのために全力を尽くすべきじゃないかということになった。
言うは易しで、それをするにはいろいろな方のご協力もいる。どうせここからの余生?年をかけるなら、思い切って大きくやった方がいい。おふたりともそれをわかってくれて、一緒にやりたいと言ってくれて本当に良かった。僕は個人的にミクロネシア連邦に思い入れがあって、この国も信託統治をしていた米国も、もちろん日本国も三方一両得の方策をすでに考えている。
おそらく戦中派の方々はミクロネシアにいろいろな思いをお持ちと思うし、森元首相のお父上はそこで終戦を迎えられ特別な地であられるともきいている。日本軍がドイツ軍を追い出し、だから日本軍が米軍に徹底空爆されてミクロネシアの人がまきぞえで何万人も命を落とされた、それにもかかわらず日本人を恨むことなく歓待してくれる。こういうご縁を反故にする人も国も世界では尊敬されないと思っている。
テロとの闘いもあるが、最後は人間は何国人であっても「徳」がある人を大事にする。理屈でも地位でも学問でも資産でも武力でもなく、最後は徳のあるなしで勝負がつく。人もそうだし国もそうだ。そうやって日本は堂々たる国になって欲しい。ささやかながら、その一助になれれば生まれた甲斐があるかなと思っている。ふたりは今年行くときにいっしょにミクロネシアに行ってもらうことにした。
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60代の初日
2015 FEB 5 0:00:02 am by 東 賢太郎
今日は顧問を拝命している会社で4時間も有意義な会話をさせていただきました。同社開発の例の的中率最高の占いシステムによると僕は60から新しいことを始めると成功する星と出ており、いっぽう社長ご自身の星は今年は長いあくがぬけてここで勝負しなければいつするかという年です。ということで大変元気が出る結果となり、還暦祝いをたくさんいただいて帰りました。やりましょう。ありがとうございます。
会社と家には別々な方からお花が届いており、義弟からのお祝いもありこれまた感謝感激です。施設にいる父から電話があり母も元気とのことであり、また、メールのほうでは「何をおっしゃいますか・・・いままさに観覧車の2周目がはじまるのですよ」とご叱咤までいただき、嬉しい限りです。はい、頑張ります。
家では好きなステーキと大きなケーキで家族に祝ってもらい、去年からノイ(ねこ)も加わってるもんですから大変な賑わいでした。なんとなく来るとこ来ちゃったなという気持ちもあったのですが、皆様と家族のおかげで無事再スタートさせていただき、これ以上はない60代初日を迎えることができました。
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両親に感謝(還暦の辞)
2015 FEB 4 1:01:14 am by 東 賢太郎
ある方からおととい還暦おめでとうメールをいただいて、そうか、いよいよ来たかとちょっと酔っぱらってこう返事してました。
「子供のころ遊園地の観覧車に乗って、一番高いとこまで行くとここで止まってくれないかなと思うんだけど、着実に一刻の狂いもなく下まで戻ってきてしまう。あの感じですね、還暦って。あれはもう一回お金払って乗れますけどね。」
自分の一番高いとこはどこだったかわかりませんが、今日こうして生きているだけで満足です。ここまでの人生、関わったかたすべてにお礼を申し上げると同時に、この場をお借りして、産み育ててくれた両親への謝辞を書かせていただきたいと思います。
父へ 人生万事、おかげさまです。観覧車はこれ一回で充分です。
母へ
ありがとう。すべての感謝をこめて。
昭和30年2月4日午前1時55分、体重3,185g、母の氏名・東 園子、子の氏名・東 賢太郎
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クラシック徒然草-Harry Saitoさんのこと-
2015 JAN 16 22:22:34 pm by 東 賢太郎
驚きました。Harry Saitoさんがメンバーになられたのは知ってましたが、早や今日に投稿されるとは。それも読んでみると、大学時代に御茶ノ水のdisk union(レコード屋)に寄ってよくいっしょに輸入盤を見たと書いてあります。
実は、まったくの偶然ですが、さっき帰りにCDが欲しくなってまさにそのお茶の水のdisk union(今もある)で何枚か買ったんです。そんなによく行くわけじゃない、2か月に1回ぐらいだから奇遇です。Harryさんのブログを読んだのは帰る電車の中だったのです。なんとも深いご縁ですねえ。
そうですかフィンランディアでしたか。バルビローリのね。あれはすごくいいんですよ。昔のことはすぐ忘れちゃう性質で、だいたい都合が悪いことからなんですが、時々こういういい話も忘れちゃう。困ったもんです。
去年の忘年会で、僕の下宿へ来た時のこととか、どこで何して僕がどう言ったというようなことを見事に覚えておられるのに感服しました。タイムマシンに乗った気持ちでした。そういう方がいらしたことに本当に感謝しています。
でもバンビによく行ったのは覚えてますね。ランチもなんとなく。そこでずいぶん話しましたね。クラシックに興味ありそうだな熱心だなと思ったからだと思いますよ。そうじゃなければ僕はそんなに話ししませんから。
札幌のバーの方もそうかもしれませんがフィンランディアから入るというのはおすすめなんです。一回聴いたら覚えるし、二度と忘れないメロディでわかりやすいし、クラシックの基本である教会音楽っぽさ、そして暗さから明るさに転じて歓喜の爆発っていう定食メニューが満載だからです。そこからバッハへ行ってもベートーベンへ行ってもいいしシベリウス2番へ行ってもいい。だからこのブログにもそう書いてますクラシック入門にいいCD。
そこから今日あるのは貴君の関心と努力のたまものですね、さすがです。大学時代、いろいろな方にお会いしましたが、そういうご縁がSMCのおかげでこうして復活するのは素晴らしく、嬉しいことです。大切にしましょう。これからのブログ、楽しみに読ませていただきます。
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大経営者と占い
2015 JAN 15 17:17:34 pm by 東 賢太郎
昨日はさる大経営者を午後3時半にお訪ねし、ディナーまでご一緒して帰宅したら11時半だった。超ご多忙の中いつも恐縮することしきりであり、今日はこっちが元気の出る話をと思って行くのだがいつも逆にそれをいただいて帰ってくる。
世の中には原理主義の人がいる。テロリストみたいだから道理主義と呼ぼう。物事をつねに原理、道理からときおこして考える人だ。実は日本人としてはとても少数派であり、いたとしても大体が理屈っぽい「変わった人」だ。我ながら僕自身がそうだ。
道理を見る人はあれっと思うことに敏感だ。この方(社長と呼ぶ)も「どうしてみんなあれを見て驚かないんだろう、不思議でしょうがない」といつも言われている。実はそれと同じことを僕は家でニュースなんか見ながらいつも子供に言っている。
社長はだから尊敬する道理主義者であられる。ところが理屈っぽさや強引さを微塵も感じない。お人柄なりの自然体である。商売柄、僕は世界中で何千人もの経営者にお会いしてきたつもりだが、そういう人は一人もいない。
僕からすると社長とお会いするのは勉強に他ならない。オーナーとしてリスクをとって業態替えをして一代で東証一部上場まで果たしておられる方なのだから、どこかにその成功の秘密があるはずだ。いつもそう思って話を伺うが、それがわからないのは未熟を嘆くしかない。
事業で事を成した方々に共通なのは「元気だ」ということだ。元気というのは健康のことではなく人間としての「出力」のことだ。電気でいえば電圧である。事業というのはゼロから何か生むことだ。だからアウトプットするパワーが強大でないと話にならない。
社長の場合読書のインプット量も半端でなく行くたびに机は新しい本が山積みだ。親ほど歳は離れているが全くそう感じず高電圧である。それで相手をびりびり感電させないというのは経営者として理想ではないかと思う。ぜひそうなりたいと思うが、僕には及ぶところでないと思ってしまう。生まれついたものでありこれは越えられない。
同社が世界の数種の占い原理を統合したオリジナルのシステムを開発し、それがITソフト化されていることは以前にも書いた。これは同社名をとった命名がされている。それによると僕は社長の「対極」に位置する正反対の人間に生まれついている。両親とも同じ星だから極めつけだ。そうであれば無理なものは無理だ。
占いというのは、ひとえにそうやって信じるかどうかにかかる。道理主義者である僕はおそらく最もそれを信じないタイプに属すると思う。しかし同じ主義の社長は本業ではないこういうものを多大なコストで開発し、本業に生かす道を知っておられる。
道理主義者に共通なのは「つきつけられた証拠に偏見を持たず忠実」ということだ。というより、事実を無視したり捏造する人間は完全に別の人種だ。だから、僕はこの占いシステムに隠された何らかの道理を否定することができない状態になっている。
なぜなら偏見のリスクを割り引いても「よく当たっている」と思うからだ。自分、両親はもちろん昨日は家内と娘のもいただいたが、やはり相当に当たっている。社長は本人たちに会っていない。それが誕生日だけでわかってしまうのはちょっと恐ろしくすらある。このシステムを世界に公表したら大変な反響になるかもしれない。
これは中国由来の部分が根幹にあるそうだが、こういうことがあるからだろうか、ちなみに共産党の幹部は生年月日を明かしていない。習近平の誕生日は本邦外務省のHPにも「1953年6月生」までしかのっていない。年月まで明かして日にちを見せないのは他に理由が考えられない。一日ちがえばまったく違う人という結果になるからだ。
「道理」を解明せずにそれで人間を見るのは科学じゃない宗教だという人もいるだろう。でも占いというのはその人の過去を論じない。未来だ。どうせ先のことは考えてもわからないのだから何らかの道理を比定してみようというポジティヴな態度はそもそも科学というものを生んだ思想だし、道理主義が許容するレンジの最もポジティブなサイドにはあっても矛盾はしていないと思う。
まあ、こういう学校では絶対に教えてくれないことをご紹介しようというのがSMCの趣旨でもある。本来であれば社長のような方は教壇に立って若者を教えていただきたい。昨日いただいた話のように世界史や日本史を教わっていたら全く人生変わっていたかもしれない。勉強というのは知識を得ることではない、影響を受けることだとつくづく思った次第。
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どうして証券会社に入ったの?(その9)
2015 JAN 4 0:00:53 am by 東 賢太郎
<正月の大チョンボ>
この時期になると思いだすことがあります。当時、親父からもらったおんぼろのマークⅡに乗っていて、それで正月に八方尾根にスキーに行ったのです。まだ結婚前だった家内とその友人と僕の友人(別会社)の4人でした。八方尾根は入社前にろっ骨を折った鬼門ですが、それでもあの急斜面が気に入って懲りてませんでした。
1月4日は大発会といって証券取引所の初日であり、支店は営業を午前中で終わって午後は梅田のお初天神に全員で初詣というしきたりになっています。ですから1月3日の午前中には現地を出発する手はずでした。ところが、その3日は大雪の予報であり、朝に車を見るとすでに雪にうずもれた状態だったのです。
一応早めにと思って小ぶりの中をたしか昼前ごろ出発したと思います。でもかなり甘く見ていましたね。県道からもう相当に渋滞でしたし、さらに悪いことに関ヶ原あたりでいよいよ本降りとなり、チェーンを巻きましたがそれでもどんどん雪がつもったのと氷結とで走行はかなり危ない事態になってしまったのです。当然街道は上下線ともメチャクチャの大混乱で大阪方面はピクリとも進まず、あっという間に底冷えのする夜がやってきました。
結局、思いもよらぬ最悪の事態になり、徹夜運転でした。なんとか大阪にたどり着いたらもう明るくなってきて、1月4日朝の7時前です。屋根にスキーを積んだ車で独身寮のゲートにすべりこむと、初出勤のタクシー待ちで寮の玄関前にスーツ姿でずらっと並んだ先輩方の目の前にドンと駐車する間抜けなことになったわけです。
そこからやおら着替えて寮を飛び出しましたが、もちろん会社は初日から大遅刻であり気は焦るばかり。疲労と睡魔で意識はほぼなくて、どうやって会社にたどり着いたかはぜんぜん覚えてません。
よれよれになって支店にそっと入ると、しーんと張りつめた空気の中で支店長の新年の祝辞の真っ最中でした。皆さんの目つきから僕のチョンボはもう有名になっている様子であり、これはヤバい、支店長はこういうの厳しいしとその場で怒鳴られて大目玉をくらうことを覚悟しました。
そうしたら前回のヤクザ事件で救って下さったO次長が僕を見るなり小声で「おい、東こっちこい」と手招きします。「支店長はまだ知らんからな。お前はいいからここで寝てろ」と裏のほうのソファーに連れて行かれたのです。
ほっとしたのでしょう、そこで僕の意識は完全に途切れます。後で聞くとソファーに行きつく前にもう倒れていたそうで、人生ただ一度だけの気絶状態、それからお初天神やら食事やらはどうなったのかまったく記憶がありません。
はっと目が覚めたら、どういうことかそこはOさんのご自宅でした。ご夫妻でげらげら笑っていて、おなかすいたでしょと食事まで作って下さっていたのです。奥様いわく「ウチの人なんか、朝帰りして玄関はいったとこでバタッと倒れてね、そこでスーツのまま寝かしたんですよ」。そういういい会社だったのでお咎めはなしでした。
(つづく)
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