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カテゴリー: ______わが球歴

広島カープにマジック33が点灯

2017 AUG 9 1:01:44 am by 東 賢太郎

早いものです。もう出てしまいました。マジックナンバーそのものはいいです、単にカープの勢いの象徴ですから。負けないですね、それが勝負強いということでしょうね。2年前まで勝負弱さの見本みたいだったチームがどうしてこんなことになるのか、謎です。僕の想像できる域を超えてる。ハーバード・ビジネススクールの教材にしたらどうかとまじめに思います。

思えば2年前の黒田、マエケン、新井を擁しての弱さも想像を絶するもので、あそこで落っこちた謎の要因が今年はプラスのベクトルに転じて倍返ししたということかもしれません。いずれにせよ、どっちも謎であります。

強打線といいますが今日の中日戦、先発の22才、鈴木翔太に7回1死までノーヒット・ノーランでした。今年はキャンプ中継をこまめに見てこの聖隷クリストファー高の鈴木は嫌だなと思ってた一人で危なかった。1点取ったはよかったがゲームは1-1で延長になって結局引き分けでした。でも結果はいいのです。

凄いと思ったのは8回の中崎から1イニングずつ投げた今村、中田、一岡、ジャクソンで5回を1安打完封9奪三振だったことです。延長に入っての3人は2,2,3三振(9アウト中7個が三振)、この3人のストレートは強烈だった。これで中日は負けてないのに「フォール負け」した感じになったでしょう。

猛暑で打高投低が定番の時期です。それも大島のような絶対三振取れなさそうな打者から2つ、こういうのを目撃してしまうともうどうしようもないとプロでも相手はビビるんだろうなあ。それが積もり積もって相手はカープ戦というと心理的に引いてしまいミスするから勝てる、好循環ですね。

夏の甲子園も開幕しました。今年は6,7月と仕事が山場で、暑くなってからここまでやけに長く感じました。例年ここに至ると高校球児の姿に元気をもらって暑気をはらうのですが、もうカープに十分もらってしまってお釣りがきそうであります。

追記

この試合、中日森監督が前日に娘さんを亡くしての指揮とは知りませんでした。同じ62歳。言葉がありません。

 

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ピッチャーは自信過剰か

2016 NOV 16 18:18:54 pm by 東 賢太郎

「ピッチャーというのは概ね自信過剰じゃないと務まらない」

西室オーナーの2016プロ野球 3強チーム影のオーナー鼎談(極秘) でそう発言してしまっているが、僕ごときの球歴でほんとうはそんな偉そうなことが言えたもんじゃないから少しいいわけをする。それは僕は野球の球を放る以外の偏差値は何ひとつ高くない少年であったことだ。

運動神経はないので投手しかやったことがない。おそらく理解されないが、ゴルフの女王だった不動裕理は体育が2だったとどこかできいた。同じ動作を繰り返す投手はゴルフに似ている。だから硬式の投手経験者で僕ほどそれだけという純粋培養もきっと珍しく、ほかに取り柄がないのだから自信を持つならそこしかなくて(現にそうだった)だから過剰なんだというのがいいわけだ。

でも結論をさきにいうと、わけわかんなくなるけど、過剰じゃないんだ。むずかしいが説明してみたい。まず投手は頼るのは自分だけなので自信がないと務まらない部分はたしかにある。なければ18メートル先から打者が思いっきり打ち返してくるマウンドにいるだけで命が危険だしこわい。こわいとストライクが入らない。だから最初のうちは自信が10だとすると12~3ぐらいに突っ張っていくイメージもあった。

しかし、ピッチャーはそういうカラ元気が役に立たないことを打たれるたびに思い知らされ、自分にシビアになる。お山の大将というイメージがあるのは身体能力の高いでかい人が多いからで、むしろ変化球の握りをマニアックに研究するオタク部分もあって(ダルビッシュがそうらしい)、僕は球の伸びオタクだからブルペンで伸びが悪いと試合前から今日はいかんと結果がわかってしまった。結構繊細なのであって、自分は説得できないから自信過剰にはなりようがないんだ。

一応野球少年はみんなピッチャーをやりたい。みなタマが速いがそれは当たり前で球筋というのがある。直球の質だ。野手には投げられないし高目は素人はまずバットに当たらない。それは将棋や囲碁の差みたいなもんで、アメリカ人のチームメートが打撃練習で20球で1球も当たらなかったと言ったのはやってきた野球がそういうレベルならきっと当たらなかったんだろうと思う(覚えてないが)。

あの大会、第1試合で優勝候補に11-2で大勝し、翌週の三菱商事戦は初戦をみた相手にビビり感もあって10-0の5回コールド7奪三振でノーヒットノーランだった。ピッチャーはどっかでこんな感じのやったぜ体験してる。してないと1、2度の大失敗でめげてしまう。めげたらそこが終点だ。あの伊良部いわく、そうやって一寸先が見えない霧の中を山に登って行ってどこかでもう限界だとなる。その地点が高校か大学かプロかメジャーかなんだそうだ、その世界は深遠で実感できないが。

だから自信過剰じゃないと務まらないかというとそうではなくて、基本的には成功体験だけ覚えてるアバウトさと、今日もそうなるさという楽観的なメンタルじゃないと剛球があってもピッチャーは苦しいと思う。どんなに自分を鼓舞しようと自分知ってるからまっさらなマウンドに登るのはいつも怖いし強そうな相手だとケンカと一緒でひるむ。いきなり四球だったり真芯で打たれると今日はダメかなとなってしまう。

米国の初戦、相手は優勝候補とはきいてたがよ~しやったろうじゃねえかと思ってた。ところが試合前のノック見てこりゃ凄いと思ってしまい、これがまずかった。先頭にストレートの四球、2番に初球を左中間二塁打と、5球で1点取られた。そこで「やばい、コロラドから飛行機でやってきて負けたらシャレにならん」と思った。あとは覚えてないが最終回に相手から「意地見せようぜ~」の声がでてやっと勝ったと思った。火事場の馬鹿力だ。普通は過剰な自信や気合ぐらいでそういうことは起きない。

日ハムの増井と吉川はプライドの問題よりもエヴェレスト登山してた人に、わるいな明日からアイガー北壁だみたいなもんだったろう。失敗したら誰が責任とってくれるの?もあったろう。プロのピッチャーは自営業者だからね。監督は人事権がないから店長みたいなものだけど栗山は選手実績ないからかえってコーディネーターに徹することができて日ハムの経営スタイルにうまくハマってる気がする。優秀なマネージャーだね。

西室オーナー、ピッチャーは偉そうなこと言うは人の話は聞かんわでいつも申しわけないが、実は小心ものなんだ。

ピッチャーの謎

 

 

 

剣道範士八段 湯野正憲先生のことば

 

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ガーシュイン 「ラプソディー・イン・ブルー」

2016 NOV 13 1:01:31 am by 東 賢太郎

大統領選はお祭りでもある。僕的にはヒラリーは裏表がありそうで好かない。負けてくれんかなあと思ってた。ウォール街、株式市場の住人なんだから彼女を応援すべきなのだが、僕の嘘つき政治家嫌いには理屈も損得もない。消去法のトランプ応援だったが、狡猾なインテリでも利権だけの職業政治家でもないのはいい。不動産や株のディールに嘘は通用しないし、口だけのインチキ野郎でなさそうなニオイのするところを有権者は見たと思う。

このお祭り、五輪やワールドカップといっしょで4年おきだ。そのたびにアメリカにいたころを思い出し、それが20代のはじめだったことに甘酸っぱい思いをはせる。僕にとって欧州やアジアは後でやって来た外国だ。分別が多少ついて、大人として味わった。米国はちがう。マックがご馳走に思え、ステーキの大きさに驚き、マンハッタンの摩天楼に感動し、英語がなんとかわかるようになり、という子供でおのぼりさんだった自分がまだそこに立っている。

そんな自分が61にもなったいまアメリカをどう思ってるかというと、なかなか一口には言えない。数えきれないほどのすばらしい思い出があってもはや抜き差しならないが、問答無用に好きなところ、ちょっとナメてるところもあるし、嫌うところもおおいにある。アメリカを去ってからの目で見れば複雑だが、しかし、甘酸っぱい思いに駆られてもはや美点凝視していたいと思うようになったのは年のせいだろうか。

思えば昭和30年生まれの僕は、原爆が落とされ東京が焦土となってわずか10年で生まれた子供なのだ。なのにアメリカは好きなんだって?70年たっても日本を恨んでる国があるのに、それって異常なことじゃないか。GHQの洗脳?そうかもしれないが、それだけじゃない何か、人種も何もなくどこの人でも惹きつけてしまう何かがアメリカにあったんじゃないか?そうだ。確かにそうだと僕は思っている。

海外初体験は大学3年のこれだ米国放浪記(1)。単なる観光旅行やホームステイなんかじゃない、脳髄に刻み込まれる強烈な衝撃で人生怖いものなんてなくなってしまった。この洗礼がなかったらひ弱だった僕が証券業界なんかでとても生きてこられなかったろうし男としての自信とハラがアメリカで完成したのは間違いない。人生来し方をふりかえるにつけ、ふる里という感じすらしてしまう。

大学4年で1か月語学留学したバッファロー大学、入社3年目でウォートンスクールの準備として1か月コースに通ったコロラド大学。修士課程の殺人的カリキュラムだったMBAの2年とちがってお気楽なもんで、素晴らしい環境のキャンパスライフは楽しくて夢みたいだった。まだ英語もままならずで周囲のすべてがカルチャーショックの連続であったが、だからこそ幼時の記憶みたいに今もみずみずしく、一番恋い焦がれるアメリカの思い出かもしれない。

ルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカーフィールド。3位決定戦で元巨人の人と投げあって4-2で負けたけどOutstanding Player賞をもらったのは人生のすべての経験のうちでダントツ1位の誇りだ。けがで野球を断念したけど、神様が人生最後の9イニングをアメリカで投げさせてくれた。30年ぶりに再会したチームメートが、「練習でお前が投げた20球な、1球もあたらなかったぜ、シット(くそ)!」と笑いながらぎゅっとハグしてきた。アメリカンだ!

ポコノにスキーに行きすがら無人の雪道で脱輪して途方に暮れたときトラクターで牽引してくれたおじさん、家内の緊急手術を6時間かけて成功させカネがないので保険に後づけで入れてくれた大学病院の先生、試験のあとよ~し憂さばらしするぞ~とフラタニティ(学生寮)で大勢で朝まで飲んでちょっと書けないどんちゃん騒ぎをしたクラスメートたち・・・、ほんとうに我々はこのひとたちと戦争なんかしたんだろうか?あの美しいミクロネシアのチューク島を空爆して何千人も日本人を殺したのはこのひとたちなんだろうか?

僕が知っているのはプライドに満ち満ちた強いアメリカだった。我々はエスニック扱いだから不愉快なことも数知れずあったけども、野球なんかで力を見せつければケロッとあっけないほど素直に認めてくれるフェアな国でもあった。やればいくらでもリッチになれて、何にでもなれる気がした。あの無限の沸き立つような高揚感、まだ20代で無限の時間とエネルギーがあった自分。アメリカというのは日本にいたら見なかったかもしれない夢をくれて僕をかきたててくれた恩人ならぬ恩国であり、それそのものがもうノスタルジーになっている。トランプさん、中国に負けるながんばれ。

そんな想いがギュッと詰まって聞こえるのがラプソディー・イン・ブルーでなくて何だろう。高校時代にこのオーマンディ盤をきいてとりこになり、アメリカを夢想し、行ってみたい!!!となってしまった。そうなると僕はもう止まらない、それが「米国放浪記」のあれになる。そしてそれが人生を変える。何の理屈もない、音楽のパワーってなんてすごいんだろう。

こちらはフランス人のカティア&マリエル・ラベックのピアノデュオ。日本ではラベック姉妹と売り出したがピンカラ兄弟みたいで品がない。センスと切れ味が最高で、一発で気に入って買ったLP以来ずっと愛聴している。

これは必聴の自作自演で、2重録音したピアノロール。この曲のピアノソロは手がでっかくて重音の指回りが速くないと苦しい。この録音はガーシュインが名手だったことを示すが、技術が語法を生んで名曲となることがよくわかる。

この音楽に未知への冒険とその先の夢を聴いていたあの頃は遠く過ぎ去って、いまはマンハッタンの煽情的なネオンサインと埃っぽい喧騒と、夜のしじまのけだるい郷愁と慰撫と、初冬の朝の曇り空と冷たく乾いた空気なんかが次々と脈絡もなく脳裏を巡り巡っている。

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剣道範士八段 湯野正憲先生のことば

2016 OCT 1 13:13:00 pm by 東 賢太郎

ベイスターズの三浦大輔投手の引退試合。10点取られたが、先発して7回まで投げるなんてきいたことない。日ハムの武田勝投手は一人だったが、去年の山本昌もそうだったしそれが普通だ。お疲れさまでした。

武田が球速125km、三浦も135kmほど。最後はロッテ清田、ヤクルト雄平が「三振」して有終の美だ。このシーンはいつ見ても涙が出てくる。雄平の三振は見事でプロ野球ニュースで讃えられていて、僕はそれで二度泣きした。

ヤクルト選手会長森岡の引退試合。終了後にナインがハグするが、バレンティンが抱き上げて讃えているのを見て「いい奴だなあ」と。自分もリリースなのに男だね。打席では不遜な奴だが、男はこういうところをじっと見ているのである。

プロ野球ニュースでもうひとつ、カミソリシュートの平松さんが「指導者、子供たち、三浦のフォームを覚えておきなさい」と。「長くやるにはこれです」と。

「ねっ、バックスイングで腕が後ろ(背中側)に回ってないでしょ」

なるほどそうだったか。さっきダルビッシュを見たらやっぱりそうだ。6回で12奪三振。9三振以上の試合数43はあの火の玉投手ノーラン・ライアンに1差の2位。信じがたい曲がりのスライダーは、あのスピンをかけるとヒジに来るなとは思うが肩をやらないのはそれだったのか!

レンジャースの2番手はというとあのヤクルトのバーネットだ。メジャーのマウンドだと中継ぎで普通の投手に見えるが7勝もしている。これがまた、セットでグラブをあらかじめ右腰にもっていって右の肩甲骨を「入れて」バックスイングに入る。そうか、するとトップで腕が後ろに回らないのだ!

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高校で僕は硬式野球部のOBや先輩に投球フォームをいじられたことはないが、一度だけ注意されたことがある。当時九段高校には体育教師として剣道範士八 段湯野正憲先生という剣法の大家がおられた(左がご著書)。ある日、いつものように校庭のブルペンで投げていると湯野先生がつかつかと寄ってこられてこう言われた。「僕は野球のことはよくわからないが、キミは左足が着地で開いてる。それでは力が逃げるよ。地面に親指から着くようにしなさい」。これだけだ。

僕は意味するところがよくわからず、やってみたがうまくもいかない。結局教えは忘れてそれっきりになったが、先生と口をきいたことはなかったし突然のことだったのでよく覚えている。

平松さんのことばでこれを急に思い出したのだ。僕はワインドアップでバックで大きく腕を引くフォームで、非力ゆえにたぶんそれで肩を壊した。セットだとテークバックが小さくなり、親指着地にもなった。だったらぜんぶセットで行けばよかったのだ。湯野先生は平松さんと同じことを言われていたとわかった。たいへんに後の祭りだが。

「長くやるにはこれです」

達人はちょっとしたことで、凡人にはわからない、しかし決定的に大事なことを教えてくださる。もっと謙虚になっておけばよかった。子供たちは教えに従ってぜひ三浦投手のフォームをまねして、怪我しないように頑張ってください。

 

(PS)

ついさきほど阪神の福原投手も引退試合でした。143kmなんて後を継いだ安藤より速いじゃないか、どうしてやめちゃうのという見事なストレートで巨人の立岡を浅いレフトフライ。寂しいね。

阪神は若手が伸びそうです。おととしあたりのカープを思わせます。

(PSのPS)

カープ最終戦、広瀬の引退試合。いい角度で入ったと思ったが左飛。倉と広瀬のセレモニーはまた泣かせた。倉の肩は忘れないし石原より打った気がする。ご苦労さん。広瀬は菊池をかわいがったんだね、ライト守備でキャッチボールを買って出て最後もあの泣き方は。男だけが許される涙です。

そして、本当に悲しいが、楽天で引退発表した栗原。ここに彼がいたら、いるべきだと思ったファンがどれだけいたことか。弱かったカープを引っ張った強力な4番打者。いまでも僕のPCの待ち受け画面は神宮の彼の打席だ。栗原がんばれよ!!

 

 

鎮 勝也著「二人のエース」について

 

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クラシック徒然草ー 憧れの男はロッシーニであるー

2016 SEP 10 0:00:57 am by 東 賢太郎

うろ覚えだが、メジャーに行きたての頃のダルビッシュ有がこんなことを愚痴ってた気がする。

「みんなでっかいんすよ。筋トレでバーベルふーふーいってあげてると、なんにも考えてない奴が隣に来てひょいっと持ち上げて帰っちゃう。このやろーと思いましたね(笑)。」

ロッシーニのセヴィリアの理髪師をきいて「キミはブッフアに専念したほうがいいよ」とほめたベートーベンは、実はダルビッシュの心境だったのではないか。

「あんな何も考えてないお気楽な奴がどうしてこの俺より客が入るんだ、このやろー」。「ブッファで食ってくれよな、それだけは俺は書かねえからさ」。

rossini_01ロッシーニは自作をお気軽に使いまわしたり同じメロディーをコピペしたり。理系的細部執着型のベートーベンからすると信じ難いおおらかな文系ぶりだったに違いなく、敬意を表しつつもどこか、ダルビッシュいわゆる「何も考えてないでかい奴」に見えたんじゃないか。でも、くやしいがメジャーリーガーだ。くだらない曲だが湯水のように流れ出る凄い才能だ。なにせ当時のウイーンではベートーベンが嫉妬するほどの売れっ子ぶりだつたのだから。

彼のオペラは39もある。そのスコアを筆写するだけで何十年もかかりそうだ。ヒット作を連発し、それで一生食えるほど大金持ちになった。37才で最後の「ウィリアム・テル」を書いてキャリアの絶頂となったらさっさと作曲家を廃業し、パリで会員制レストラン「グルメのための天国」を作ってオーナー経営者となってしまったのだ。

実に痛快な話だ。それが彼の念願、天職であったということのように見える。そういう表面的な理解のなかでこのエピソードは、彼の音楽を詳しく知らない人、むしろグルメ系の人々のうんちく話としてつとに有名になっている。

しかし音楽をよく知っている人はそれを本気で信じていない。というよりも、彼の音楽を知れば知るほど、どうしても信じられなくなってくるのである。

彼はハイドンの「天地創造」、モーツァルトの「フィガロ」「魔笛」のスコアを借りてきて全部写譜したが、当時は楽譜が簡単には手に入らなかったからそれは珍しくはない。興味深いのは、彼は最初は歌のパートだけ写し、それにまず自分でオケの伴奏を書き、「正解」と見比べてからそれを書き込むというまるで受験勉強のような学習をしていることだ。

その果実が彼の異例のアウトプット速度になったが、実はモーツァルトの学習プロセスもそれと似たものだと思われる。そこまで過程が明示されていないのは親父という有能な家庭教師が常に隣にいたからだが、成人してからのバッハ、ヘンデルのスコアの学習はそれに近かったと考えられる。

受験勉強もおんなじだが、学習は誰もがする。差がつくのは試験会場での正確なアウトプット速度と言って過言ではない。ドン・ジョバンニの序曲を一晩で書いたといわれるモーツァルトの作曲の速度は異例であったが、ロッシーニも負けていないことはとても重要である。

モーツァルトの音楽は、性格的にまったく異質の人間であるベートーベンをもひれ伏させるものを持っていたが、おそらく性格はずっと近かったロッシーニが魅了されたのはまったく不思議ではない。

僕が彼を評価するのは、ベートーベンの同時代人であった彼が、作曲家のプロの眼で、ベートーベンを含む誰よりもモーツァルトを畏敬し、音楽の真実を見事に聴き取り、「フィガロ」の前編(セヴィリアの理髪師)まで書こうとしたことだ。モーツァルト・ファンの大先輩であることだ。

イタリア人の彼がまだ音楽では田舎だったドイツの声楽曲を筆写までして学ぶのは僕には奇異だ。イタリア人のサリエリが殺人犯に仕立て上げられてしまったのも、ウィーンではドイツ人は出世できずモーツァルトは差別されていたという見立てがあるからだ。

その作品をサリエリと同じイタリア人が参考書にして懸命に学んだというのはどうだろうか?そこに学ぶべき真実を見て取ったということと僕は解釈している。ドイツの音楽に憧れたわけではないだろう。もしそうならモーツァルトの後継者でまだ存命中だったベートーベンを筆写したか、うまくいけば弟子入りでもできただろう。

しかし彼はそうしなかった。会ってみて心が乱れたのはベートーベンの方だった。ノーベル物理学賞の学者が最年少で数学オリンピック金メダルの子に恐怖を感じ、キミは数学で行った方がいいよと言ったかのようなちょっと寂しい感じがしないだろうか。ロッシーニにそんな気はさらさらなく心配ご無用だったのだが、彼の才能はそのぐらい図抜けた水準だったということだ。

ロッシーニは晩年に革命後のパリに住んだ。彼の住居はオペラ座から最初の角を左折した次のブロックの左角の、今はカフェになっている建物の4階だ(わかりにくいがプレートが張ってある)。旧体制で人気者だった彼に新政府は冷たく、年金を切られて訴訟までしている。彼は幕藩体制の功労者に明治政府がしたような仕打ちを受けていたと思われる。

ナポレオンを支持し政治犯でつかまった男の息子である彼が政治に鈍感であったはずがない。多くの音楽愛好家もグルメ道の大家も、お金や政治には比較的疎い人が多いからそういう視点で見る人は少ない。だからモーツァルトのフィガロ事件は僕があれだけ書いても反論も反応もないし、ここでロッシーニの「お隠れ事件」の真相が革命後の政治環境に起因したと書いても同様のことになろう。

私見では、彼はアンシャン・レジームのスターが生きていく環境の限界点を知ったのだと思う。市民階級の音楽趣味がやがて変わることも。その新しい世で人気取りをしながら憧れのモーツァルトを希求することは矛盾なのだ。とすると今の人気がピークになろう。やめるなら今だ、ということだったのではないか。

二人のちがいは、モーツァルトが死ぬまで本業で闘争したのに対し、ロッシーニはそこから本業にしたっていいもう一つの道を持っていたということだ。まあ第一の人生は捨てちゃってもいいや、どうせ怠け者のオレなんだし、第二の人生はグルメ道で行っちまおう。

勝ち組だった男にはなかなかできるものではない。何というカッコいい人生だろう!

先日のブログにRookさんからいただいたコメントにこうあった。

「ビジネスに邁進してきた後、自己実現をどのようにするかは難題ですね」

これは宮仕えをしてきてそろそろ定年という僕らの世代は避けて通れない、まさしく難題である。どうやってプライドを保つのか(少なくとも女房の手前ぐらいは)、そしてもっと切実には、どうやって余生を楽しむかだ。

ロッシーニは見事だ。

彼は稀代のワイン通でもあり、ロスチャイルド家からシャンペンの目利きを依頼された。創作料理はフレンチの「**ロッシーニ風」として名を残している。トリュフとフォアグラを使った牛のフィレ肉料理がその名を冠す条件である。トリュフへのこだわりは掘り当てる豚を飼育していたほどだが、彼のこの名言でもわかる。

トリュフはきのこのモーツァルトである

なんとすばらしい。合点がいく。そしてこの言葉も最高だ。

私は今までに二度泣いたことがある。最初はパガニーニを聴いた時。二度目は船遊びの折にピエモント産のトリュフが詰まった七面鳥が船から落っこちてしまった時だ

このユーモアのセンスは日本人的ではないが、僕はこういう笑いのテーストが大好きだ。ベートーベンの口から出ることはおよそ想像もできないが、モーツァルトは少なくともこれを笑える男だった気がする。

「セビリアの理髪師」や「ウィリアム・テル」をどう言おうと勝手だが、マカロニ料理の調理法について私に意見できる者はいない

すごい。圧巻である。座布団10枚級の至言としか評しようもない。その辺の料理自慢のオヤジの戯言(ざれごと)ではない。自分の考案したマカロニ調理を皇帝ナポレオン3世に食べさせるようテュイルリー宮殿の給仕長に命じた男の言葉だ、う~ん参りました。

しかし、彼のプライドと愛情の注ぎ方がマカロニ以下であった可哀想なオペラ作品たちは、なんとあのワーグナーの憧れのまとだったのだ。なんということだ。

家にやって来たワーグナーが楽劇における歌劇場のありかたについて熱弁をふるうと、ロッシーニがちょっとごめんとしばし席を立ってしまう。また熱弁。またちょっとごめん・・・「先生どちらへ行かれてるんですか?」「うん、なに、隣の部屋で鹿肉を焼いていてね、ときどきタレをかけんとうまく焼けんのだよ。ところでキミ、どこまで聞いたっけ?」

こんな奴に本業の作曲で負けたら末代の恥だ。おいキミ、わかってる?おれ、ベートーベンだよ。交響曲とかカルテットなんか間違っても書くなよ。キミには向いてないからな。ブッファだブッファ。それこそ君が輝くジャンルだぞ。

そうだ。まったくもって正しい。彼のブッファは本当に輝かしい。ジュネーヴ歌劇場で見た「アルジェのイタリア女」、21才の時に18日(!)で書き上げたオペラ・ブッファは笑いころげる面白さだった。しかしこの曲の合唱などにはコシ・ファン・トゥッテが聴こえたりするのだ。

この動画は私事ながら僕が家内と2年間通ったフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでの演奏。ここがフィラデルフィア管弦楽団の定期演奏会の本拠地だった。このピットはオペラ・カンパニーのオケで、首席チェリストのお姉さんに1年習ったっけ。お世話になりました。

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

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2位じゃダメなんでしょうか?

2016 SEP 7 12:12:29 pm by 東 賢太郎

どうした巨人軍。広島カープにマジックがでたら2位ねらいか?

きのう勝った菅野くん、CSがありますからだって?まだおわってねえだろこのボケが、すこしは悔しそうな顔しろや(他球団ファンまで怒る)。

天下の読売ジャイアンツ。つぶすのはかんたんだ。

シ・ア・ワ・セのあ・い・こ・と・ば

一番じゃなきゃダメですか?

みんながんばってるよね、お母さんみたいなやさしい目でみまもるよ。

 
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イチローもいいがサブローも好き

2016 SEP 3 21:21:49 pm by 東 賢太郎

自分が少年時代に何をやって育ったかというと、音楽ではぜんぜんなくて勉強ではもっとありません。やっぱり野球です。いま何が一番好きですかとなれば、やっぱり、何の問題もなく野球です。

僕は早生まれのせいか、中1まで身長はクラスで前から2,3番目のちびのやせっぽちでした。その頃の1才の差は大きかったのでしょうか、みんな体がでっかく見えたし、ケンカも弱かったし体育もダメ、女の子にも相手にされないコンプレックスのかたまりでした。

何か別なことで見返そうというガッツもなかったのですが、中2で少し背が伸びてから河原の草野球で、どうしてピッチャーをさせてもらったか覚えてませんが、多摩川で石投げをして手首が強かったんでしょう、そこから人生かわったのです。

高1で硬式のエースというと早生まれが飛び級したわけで、もし自分にちょこっとでも才能みたいなものがあったとすればタマを投げることだけです。だめオトコには大金星でした。どこかに「学校へは野球をしに行ってた」と書きましたが、こういう事態でしたから本当のことだったのです。

高校まで勉強で誇らしい思いをした記憶は皆無です。野球こそ「捨てたもんじゃないぞ」と勇気をくれた恩人であり、今でも、何か苦境に立ったときに右手で直球のニギリのイメージを持つと、不思議と自信がどこからともなく湧いてくるのです。

肩を壊してからの転落人生も厳しいものでした。17才で「降格」「左遷」の屈辱を味わったということです。その悔しさが人生のバネになったとはいえますが、できればそんなのはない方が良かった。それで得たものすべてを捨てたら甲子園に出してやると神様がいったら僕はそっちをとります。

野手をしたことがないのであこがれがあります。というよりできないコンプレックスですね、攻走守そろった野手というのは。僕なりのポイントがあって攻走守に「美」が入らないといけない。イチローは好きですが、あの投げ方は投手です。だからタイプとしてあこがれるかというと近親性があってちょっと違う。

マゾっぽいですが投手としてどうしようもなく打たれそうな感じがいい。しかし、でかいだけとか筋肉マンみたいなのは芸も美もないですね。かたや小兵の曲者はマウンドでモグラに見える。打席の構えがスッと自然で美しく、やさ男気味で、誰もわかんないでしょうが伊賀の影丸の左近丸みたいなのがいい。

では誰かというと、ほとんど皆無なのですが一人だけいて、それは千葉ロッテマリーンズのサブロー(大村 三郎)選手なのです。僕は彼の大ファンです。彼の構え、打撃は見るからに美しく、すべてがバランスしていて格好いい。

もう、どうしようもなく野球がうまいやつというのがいて、どうしようもなくかなわないのですが、彼はそれです。内野も外野も何でもできて、野球アタマが良くて、肩も足もあって、ホームランが打てて、ものすごく勝負強い。

誰も手も足もでないピッチャーから苦も無くパコーンと2塁打を打ってしまうイメージですね。4番だったしホームラン20本ぐらいは打ってましたが、大砲という感じではなくステルス戦闘機かな、武士というより忍者っぽいですね。

そのサブローが引退します。2005年の劇的優勝、2010年の下剋上優勝。忘れません。里崎、今江、福浦、ほんとうに強かった。謎の巨人トレード事件もあって、僕は真相を知ってますが、それは書けません。

これは去年6月15日の神宮球場、ヤクルト・ロッテ戦です。これがサブロー最後のホームランになってしまうとは。でも往年を思わせる一球必殺の見事なスイングです。

この試合、去年ブログにしましたが、この動画のネット裏のかなり前の方にいるんです。最後の一発、たまたま目撃できてすばらしい思い出になりました。サブロー君、あなたは天才です。楽しませてくれてありがとう、ロッテでぜひいい指導者になってください。

 

ロッテのサブローと会食

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大成仏のゴルフ、煩悩の野球

2016 JUL 19 12:12:19 pm by 東 賢太郎

ミクロネシアへの中継点であるグァムで先週にゴルフをやり(レオパレス・グアムでのゴルフ )、この連休も河口湖の鳴沢ゴルフ倶楽部でやることになりました。さあやるぞ!というのではなく予定が重なっただけの偶然です。ことし初のラウンドで、しかもこれが最後かなというぐらいご無沙汰です。

ゴルフは一生分やった感があります。英国、ヨーロッパ大陸で有名なコースはそこそこ、香港時代はホームコースで年80ラウンドで寝るまえ布団にはいって目をつぶってもボールが見えました。そのころ公認ハンディは8で、どこでやってもグロスは80前後であがれベストは39・36の75でした。82までは許容範囲で、83たたくと不満という感じでした。

サラリーマンでシングルは出来すぎですが、ニギりで散々に負けたのが悔しくて完全自己流で固めただけ。格好は悪く、野球打ちのあがってナンボゴルフです。ニギりは強くなりあまり負けた記憶はなく、会社ではあいつと勝負するのはカネをどぶに捨てるようなものといわれました。

だからゆるいゴルフは苦手で、簡単に100行きます。モチベーションが必要なのです。それはプライドです、あいつには負けたくないというですね。いい勝負の4人がいたのが幸運でヨーロッパでは熱中してやりました。トーナメントの優勝トロフィーは6個ありますし、ゴルフというゲームには良い思い出が数えきれぬほどあり、敬意と愛情が人一倍あります。

こういう人は普通はメンバー倶楽部のクラチャンなんか出てエージ・シューターなんか狙ったりするものです。そこが僕が自分自身をよくわからないところなのですが、そういうのは面倒くさくてぜんぜん関心がわかないのです。もっとやりたいことがあるし、五十肩ショックで完全にお留守になってしまいました。

かたや野球はというと、練習は地獄だったし硬式になってからはほとんど良い思い出がありません。それだのにものすごく気になる。やってる夢を見ますし、やれるものなら何をおいてもまたやりたい(フィジカルに無理)。ゴルフ観戦はさっぱり興味なしなのに、野球なら子供のすら見たい。いいピッチャーがいると草野球でも1時間でも見ますし教えてあげたくもなります。

これは2つ理由があって、まず、野球に成仏できていない。僕にとっては野球ほど面白いスポーツは世の中に存在しないのであって、故障でできなくなった喪失感は40年たっても埋まっていません。プロ野球を見ていてものすごく細かい部分の感覚まで実感できてしまい、ちくしょうやりたいなあ、と渇望がうずく。この煩悩って苦しいんです。誰にもわかってもらえないでしょうが。

つぎに、僕のゴルフ技術は付け焼刃のインチキだということです。野球ならリトルの二軍未満。自己流が体にしみついただけなので限界が見え、磨いてもこれ以上うまくならないのがわかってます。理にかなってないので毎日メンテしないとどんどん忘れます。自転車に乗るみたいにどこでもどんな道具でもそこそこできてしまいますが、もうそこまで。成仏する時が来ています。

思えば僕にとって勉強も音楽やピアノも、ゴルフとおんなじ道を来た気がします。付け焼刃のインチキ。だから煩悩がないのはありがたいことですが。

 

高めのストレートは投手のプライドである

 

(こちらどうぞ)

僕のゴルフ修得法

 

 

 

 

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経営における正念場とは

2016 JUN 28 22:22:49 pm by 東 賢太郎

会社を経営するにはいろいろな判断をしなくてはなりません。毎日というわけではないですが、社員や家族の生活を背負って何かの決断をする覚悟はつねに必要です。

我々はささやかな会社ではありますが、大きな判断という局面もございます。そこで迷いをなくすために今の運勢は気になります。そこである方に四柱推命を見ていただいたところ、1,2月は好調、4月から落ちてきて5,6,7月は大凶といわれました。

大凶とは判断をするなということだそうです。自分からは動かず、周囲を慎重に見ながら大過なくすごすことのようです。

昔を思い出すのですが、野球の試合中、打たれたときに野手がマウンドに集まることがありました。そこでいろんな声をかけられますが、実はそれが嫌なんです。野手はたぶん良かれと思ってるのですが、自分はありがたくない。そういうことがありました。

それは、自分なりに全力で打者と戦ってますんで黙って見守ってほしいという気持ちだったかもしれません。すごく覚えているのは、6回か7回に味方の攻撃が終わってマウンドに登ると、プレートの穴にボールが置いてある。それを拾い上げるのが重荷だなという気持ちのことがありました。

試合がその辺になると、大体相手は3巡目なので手の内はさらしてます。こっちはというと握力が落ちていてここが正念場だ頑張るぞという感じになってます。だから自分との戦いになってます。そこには誰も入ってきてほしくない、僕の場合はそういう気持ちでいました。

今はビジネスでそういう状況にありそうです。

 
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アシュケナージ/N響のエルガーを聴く

2016 JUN 24 0:00:29 am by 東 賢太郎

 

指揮:ウラディーミル・アシュケナージ

シューマン/交響曲 第2番 ハ長調 作品61

エルガー/交響曲 第2番 変ホ長調 作品63

(サントリーホール)

このドイツで始まりイギリスが締めるプログラムは英国のEU離脱派にエールでも送るつもりかと思わせる。ジョークならタイムリーだ。

シューマンの曲には精神病の跡を感じるものがあって、2番はそのひとつ。第3楽章に多いが第1楽章にもある。バーンスタインやシノーポリがその軋みをえぐってつらい音をオケから引き出したが、アシュケナージにそれはない。平穏に通り過ぎて、音楽に語ってくれだ。といってドイツ的な堅牢さを追求するわけでもない。アレグロのテンポは中庸で沸き立つアンサンブルを聴かせるでもない。何がしたかったかよくわからないまま終わった。

これは前座なのさということか。

ドイツ語圏で生まれ育った「交響曲」なるフォーマット。フランス人、ベルギー人、チェコ人、ポーランド人、フィンランド人、エストニア人、スエーデン人、デンマーク人、イタリア人、ハンガリー人、英国人などが参加して作ったが、どれもマイナーでドイツ人のひとり天下。交響曲ワールドはまるでEUそのものである。

エルガーはそのワールドでの英国代表選手だろう。ヴォーン・ウイリアムズ、ウォルトンという好敵手もいるが、たった2曲だけで存在感を出している。その2番をN響はうまく演じたと思う。なんでも弾ける優秀な放送オケだ。

英国に6年間居住した者としてエルガーの音楽は機微に触れるものを感じるが、しかしEUチームのレギュラーポジションを取れるかという微妙かなとも思う。僕はお世話になった英国が好きだが、遠い先祖までたどってもDNAは共有してないなという感じがする。風土も食事も酒も国民性も女性も、そして音楽もだ。

エルガーは調性を捨てなかったがとても非論理的、非機能和声的、非ドイツ音楽的方向に進んだ。しかし、にもかかわらず、捨てなかったわけだ。どうも煮え切らず、曖昧模糊、メッセージがドカンと出ない。ドグマティックでない、理屈っぽくない良さを愛でるのは日本人に好かれる要素だが、僕のような理屈っぽい人間はそれならソナタ形式で書く必要ないんじゃないのと思ってしまう。

ロシア人でありユダヤ人であるアシュケナージはすべての挙動が謙虚でいい人だ。ピアノだって、ものすごい腕の良さだがメカニックにならず、何を弾いてもおっとり人間的で温和な気遣いが根っこに感じられる。技の鋭利なキレ味や豪放な盛り上げや神経質なピリピリとは無縁だ。指揮なんだからもっと大家然としていいと思うがしない。いまの時代のリーダーには向いているのかもしれないが。

 
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