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カテゴリー: ______チャイコフスキー

モーツァルト「魔笛」断章 (私が最初のパミーナよ!)

2016 MAY 18 0:00:35 am by 東 賢太郎

 

「僕が無駄口をたたいたすべての女性と結婚しなければならないのだとしたら、僕は200人もの妻を持たなければならないでしょう」

(ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

 

すばらしい。孔子にきかせて論語に入れてほしかった。これは親父にお前は女に軽いだらしないと叱責され、彼一流の知的なレトリックで反論したことばで別に200人オンナがいたわけではないのですが、なんでもよかった数字が100でなく200になる豪快なところが実に大物でいいですねえ。舛添都知事は見習った方がいい。アウトプット・パワーがない普通の男はせいぜい20だろうなあ、それでも立派に同じ意味だし。

モーツァルトの女性関係は こんな本ができてしまうぐらいでした。

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「苦悩と困窮のなかで早世した薄幸の天才」なんて像は後世の狂信的なファンが「そうでなくっちゃこの私の偶像(アイドル)にふさわしくない」と祭り上げたもの、自分がかわいいための像です。彼は貴族を得意客としていた、つまりそういう自意識とプライドのかたまりみたいな種族の人間をこそ音楽でうならせる達人であり、彼らからカネを無心する営業の天才でもありました。

実の彼はというと、弟子は客である貴族の令嬢や奥方であって、浮名の連続。そういうセレブ女にとって、ダンナが称賛するオペラのヒットメーカーでピアノの超絶技巧的名手でカネばらいもよく、如才ないジョークを飛ばせてバクチ好きのちょいワル男は魅力があったのでしょう。風采はあがらないがカラオケとギターの並外れた腕前でモテてしまうプレイボーイに近かったと思います。

そんなモーツァルトの女性のうちで僕が特にかわいそうと思う人が二人います。

一人目はマグダレーナ・ホーフデーメルです。

モーツァルトが死んだ日から5日目のウィーンで猟奇的な事件がありました。最高裁書記官ホーフデーメルが(モーツァルトの子?を)妊娠中の妻を殺害しようと企て、剃刀で妻の顔と頸に切りつけ、そのあとで自殺したのです。死ななかった彼女は出産したが、「その子ヨーハン・アレクサンダー・フランツがヨーハン・ヴォルフガング・アマデーウスの名とフランツ・ホーフデーメルの名とを持っているのは、はなはだ意味深長である」(アインシュタイン『モーツァルトーその人間と作品』浅井真男訳、白水社、p.109)。

そして二人目が、今回の主役、アンナ・ゴットリープです。

魔笛のパミーナのアリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」  (Ach, ich fühl’s, es ist verschwunden)はアンナに書かれた曲でした。

350px-AnnaGottliebColorDetailまじめなタミーノに話しかけても口をきいてくれない。「しゃべるな」という試練の最中なので仕方ないのですがパミーナはそれを知らない。そこで愛想をつかされたと思い歌うのがこのアリアなのです。魔笛の中では唯一、シリアスで悲痛な感情のこもったト短調の音楽です。

パミーナ役を17才で初演したソプラノがアンナ・ゴットリープ(左、Anna Gottlieb、1774-1856)でした。フィガロのバルバリーナ役の初演も12才でしており、モーツァルトのお気に入りでカノジョだったともいわれます。本当にそうだったのか生涯独身で、彼の死後すぐにウィーンを去ってしまいました。

その後レオポルドシュタットの劇場で歌いますがナポレオン戦争で休場してからは声が衰え、最後は老け役となって舞台を去ります。年金がもらえず生活は困窮しますが、彼女が「最初のパミーナ」だと知った新聞がキャンペーンを張って資金を集め1842年にザルツブルグで行われたモーツァルト像の除幕式に参加しました。そこに現れた彼女は周囲に「私が最初のパミーナよ!」とまるで歌劇場の聴衆に告げるかのように、モーツァルトと同様の称賛を受けてしかるべきであるかのように叫んだと記録されています。82才でウィーンで亡くなった彼女は、モーツァルトと同じ墓地に埋葬されたのです。

このビデオは僕の好きなルチア・ポップです。彼女はパミーナがあってますね。夜の女王はどこかコロラトゥーラの軽さがないのであのテンポなんでしょう。ただピッチの正確さにあんなに微細な神経の通ったものはなく、だからクレンペラーが起用したのではないか。彼は軽快にすいすい歌うが音程があぶないという夜の女王は許し難かったのだろうと思います(そうならば全く同感)。

このアリアはト短調ですが、ロマン派に近接するほど豊かな和声がつけられているのにお気づきでしょうか。それが表す悲痛で繊細な感情の襞(ひだ)はこのオペラでは例外的なもので、至高の名アリアと思います。

パミーナという役の設定は、

夜の女王の娘でもザラストロの娘でもあり、タミーノの救出する相手であり許婚であり、モノスタトスが狙う女であり、パパゲーノと愛らしいデュエットがあり、剣で自殺しようとして童子に止められたり、タミーノと火と水の儀式をくぐり抜けたりするお姫様

というものです。夜の女王とザラストロがオペラ・セリア的、超人的であり、タミーノは優等生であまり生身を感じず、3人の侍女と童子は天界の非人間的存在である。女性で庶民派代表のパパゲーナは老婆姿と最後のパパパとやや出番が少なくパパゲーノの片割れ的存在。そうなるとパパゲーノとモノスタトスの人間くささが目立ちますが、女性で唯一生身の存在がパミーナと言ってよいでしょう。

モーツァルトはお気に入りだったアンナ・ゴットリープに大サービスでいい歌をたくさん書いているのであり、そういう流儀が彼のオペラ作法だった。体に合わせて服を仕立てるようにですね。おそらくこのト短調のアリアはその白眉だったし、気合を入れて書いた、そしてアンナも入魂の表情で歌ったに違いない。「私が最初のパミーナよ!」という叫びは、そうでなくては出なかったと思うのです。本当にかわいそうな女性です。

ただどうしてこれがト短調なのか?Gmは特別な調だったのだという説が根強くあります。僕はそうではなく、こういう質のリッチな和声の音楽を書くのにGmがよかった、それも絶対的なピッチがというより(当時、基本ピッチはいい加減だったでしょう)メカニックな「運指が」ということではないかと考えます。作曲過程の発想と運指の関係であり、転調へのいざないというか、白鍵ばかりのイ短調とまったく同じということもないように想像するのです。

どうしてそんなことを思うかというとこのアリアのピアノ伴奏パートを弾くと、う~んという和声が出てくるからなのです。イ短調だったらこれあったのかな、という指の動きで。それは楽譜のsein, so wird Ruh’…….のところ、左手がcis、d、esと動きますが(ビデオの3分55秒から)esのところのes-a-cis-gの和声が問題のそれです。

pamina

これはA7のコードのドミナントのeを半音下げたもの(第6小節にも一度現れています)。この和音は耳に残ります。どこかで聞いたことがあるぞ・・・・(こういう音の記憶を看過できない習性が僕にはございます)。

これです。みなさんよくご存じのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調の第1楽章、オーケストラによる第2主題を切々とこう奏でる、それの青枠の和音をご覧ください。

tchaikovskyPC1-2des-f-b-f-gですがD♭7のコードのドミナントのasを半音下げたもの。つまりパミーナのアリアの和音を短3度平行移動したものです。

このユジャ・ワンの演奏ビデオ(どうでもいいが、最も重要な出だしで関係ないトロンボーンがアップになって笑えます。ホルンなんですけどね)、6分43秒からが上の楽譜になります。よ~くお聴きください。

いや、しかし、まだあるぞ、もっとすごいのが・・・・。

ストラヴィンスキー「火の鳥」です!

fire

どこかおわかりでしょう。「子守歌」の直前のブリッジ部分です。青枠部分の音の構成要素はb-es-f-aの転回形なのです。B7のコードのドミナントのasを半音下げたもの、つまりパミーナのアリアの和音を長2度平行移動したものです。

このビデオの15分34秒からが青枠です。

何の話をしてるのかわからなくなってきました。そうかモーツァルトでした、魔笛でしたね・・・。このチャイコフスキーもストラヴィンスキーも、どこか暗めで切々とした情念、なにものかの呪縛、そしてあきらめきれない哀惜の念みたいなものを訴える場面で問題の和音が使われているように思うのです。

この悪魔の増4度をふくむ和音は今の僕らの耳にはなんでもないがハイドンまではなかったのかもしれないし、あっても希少だったでしょう。上記のsein, so wird Ruh’…….のところ、時が止まってしまうような、いったんナポリの6度(A♭)に行っておいてGm、DときてGmに収まるかと思いきやA#に!。そこから始まる「死だけが私を苦しみから救う」への和声のおそるべき混沌!!

アンナ・ゴットリープはモーツァルトに大変なものを書かせてしまった女性、人類の歴史に名を刻んだ女性であります。

モーツァルト「魔笛」断章(モノスタトスの連体止め)

 

 

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クルト・マズアの訃報

2015 DEC 21 1:01:46 am by 東 賢太郎

クルト・マズアさんが亡くなった。クラシックに熱中しはじめた高校時代におなじみの懐かしい名前だ。アズマの反対だけどスペルはMasuaで、ドイツ語ではSを濁ってズと読むことを初めて知った。クラスのクラシック仲間がふざけて僕をケント・マズアと呼んだが、さっき調べたら氏の息子さんはケン・マズアさんだった。

mazua1だからというわけじゃないが、彼のベートーベン交響曲第5番、9番(右)は僕が最初に買った記念すべき第九のレコードとなった。だからこれで第九を記憶したことになる。なぜこれにしたかは覚えてない。ひょっとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下LGO)に興味があったかもしれないが、2枚組で3600円と少し安かったのが真相という気もする。

mazur感想は記録がなく不明だが、音は気に入ったと思われる。というのは第九を買った75年12月22日の4日後に同じマズア・LGOのシューマン交響曲第4番を購入しているからだ(右)。大学に入った75年はドイツ音楽を貪欲に吸収していた。5月病を克服した6月に買ったジョージ・セルの1,3番のLPでシューマンを覚え、4番にチャレンジしようと7月に買った同じLGOのコンヴィチュニー盤があまりピンとこなかったのだ。それはフォンタナ・レーベルの詰めこみすぎた冴えない録音のせいだったのだが・・・。ということはシューマン4番もマズアにお世話になったのだろう。

マズアはドイツ人にしてはモーツァルト、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、R・シュトラウス、マーラーのイメージがないのが不思議だ。モーツァルトはシュミットとのP協全集はまあまあ、ブルックナーは4番を持っているがいまひとつだ。東独のオケ事情、レコード会社との契約事情があったかと思われる。

mazurそこで期待したのがブラームスだ。76年録音。ロンドンで盤質の最高に良い79年プレスの蘭フィリップス盤で全集(右)を入手できたのはよかったが、演奏がさっぱりでがっくりきたことだけをよく覚えている。4曲とも目録に記しているレーティングは「無印」だ。当時はまだ耳が子どもで激情型、劇場型のブラームスにくびったけだったからこの反応は仕方ない。とくに音質については当時持っていた安物のオーディオ装置の限界だったのだろうと思う。今年の4月現在の装置で聴きかえしてこう書いているからだ。

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

mazua2ところでここに「フランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった」と書いたが記憶違いだった。プログラム(左)を探したところ、1988年10月3日にロイヤル・フェスティバルホールであり、しかもオケはロンドン・フィルであったので訂正したい。ケント公エドワードご来臨コンサートで英国国歌が演奏されたようだが記憶にない。当時のロンドンでドイツ人指揮者というとテンシュテット、ヨッフム、サバリッシュぐらいでカラヤンが来たのが事件だった。そこに登場したマズアはきっと神々しく見えたんだろう、響きも重くドイツ流ですっかりドイツのファイルにメモリーが飛んでしまっていたようだ。この4年後に言葉もできないのに憧れのドイツに住めたのが今となっては信じ難い。

この記憶はこっちと混線したようだ。

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

94年8月28日、フランクフルトのアルテ・オーパー。これがマズア/LGOの生の音だったがこれよりもフィデリオの方がインパクトがあった。

マズアの録音で良いのはメンデルスゾーンとシューマンのSym全集だ。これはLGOというゆかりのオケに負うところもあるが低重心の重厚なサウンドで楽しめる。ブラームスもそうだが、細かいこと抜きにドイツの音に浸ろうという向きにはいい。ベートーベンSym全集はマズアの楽譜バージョン選択の是非と解釈の出来不出来があるが現代にこういうアプローチと音響はもう望めない。一聴の価値がある。

なにせLGOはモーツァルトやベートーベンの存命中からあるオーケストラなのであり、メンデルスゾーンは楽長だったのだ。61才までシェフとして君臨したコンヴィチュニーに比べ70年に43才で就任したマズアはメンゲルベルクと比較されたハイティンクと同じ境遇だったろうと推察する。若僧の「カブキ者」の解釈などオケが素直にのむはずもないのであって、正攻法でのぞむ。それが伝統だという唯一の許されたマーケティング。だからそこには当時のドイツ古典もの演奏の良識が詰まっているのである。

意外にいいのがチャイコフスキーSym全集で、カラヤン盤よりドイツ色濃厚のオケでやるとこうなるのかと目からうろこの名演だ。悲愴はすばらしく1-3番がちゃんと交響曲になっているのも括目だ。ドイツで買ったCDだがとびきり満足度が高い。そしてもうひとつ強力おすすめなのがブルッフSym全集で、シューマン2番の第1楽章などその例なのだが、LGOの内声部にわたって素朴で滋味あふれる音響が完璧に音楽にマッチして、特に最高である3番はこれでないと聴く気がしない。

エミール・ギレリス、ソビエト国立響のベートーベンP協全集は1番の稿に書いたとおりギレリスを聴く演奏ではあるが時々かけてしまう。お好きな方も多いだろう、不思議な磁力のある演奏だ。76年ごろのライブでこれがリアルタイムでFMで流れ、それをカセットに録って擦り切れるほど聴いていた自分がなつかしい。以上。ニューヨークに移ってからの録音が出てこないのは怠慢で聞いていないだけだ。

こうして振り返ると僕のドイツものレパートリー・ビルディングはLGO時代のマズアさんの演奏に大きく依存していたことがわかる。師のひとりといえる。初めて買った第九は、彼との出会いでもあった。75年12月22日のことだったが、それって明日じゃないか。40年も前のだけど。

心からご冥福をお祈りしたい。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

(こちらをどうぞ)

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

 

 

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チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より「花のワルツ」

2015 DEC 20 1:01:41 am by 東 賢太郎

APTOPIX Germany Christmas Market320px-Nussknackerドイツの冬は寒くて長い。それがクリスマスに近づいてくると、街がにわかに活気づき始める。お店のショーウィンドウはかわいい人形で子供用のエンターテインメント一色になり、ぬいぐるみやキラキラ眩しいクリスマスの飾りが出店に所せましと並ぶ。上の写真は我が家が3年住んだフランクフルトのレーマー広場のクリスマス市である。今年はどんなプレゼントで子供を驚かそうかと愉しみだったのを思い出す。

そういう年齢だったのでドイツは感慨深い。我々親も30代で若かったからいっしょに童心に帰ってもいる。ドイツは強く心に焼きついているが、その思い出が大きな部分を占めている。そしてそのクリスマスが舞台となるバレエ「くるみ割り人形」をマインツのオペラハウスで娘たちと観た思い出が。

全曲の数ある名ナンバーの中でも「花のワルツ」は驚異的な名曲と思う。このバレエ音楽の華であり、作曲家チャイコフスキーの代名詞であるばかりか全クラシック音楽中でも最も有名なものの一つだろう。ほどなくしてあの悲愴交響曲で慟哭の響きを奏でることになる作曲家が、奥儀の限りを尽くして聞く者を愉悦と華やぎに充ち満ちた気分にしてくれる。

このワルツの主部(楽譜)が弦の合奏で鳴りだした時のワクワク感はなんだろう?音楽を聞く喜びが胸いっぱいに広がり、なんて良い音楽なんだろうと我を忘れて夢中になり、作曲家への感謝以外に心を占める物はなくなってしまう。

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このピアノ譜は作曲家自らの物だが、フルートの5連符が3連符になっている。悲愴の第3楽章ではヴァイオリンに似たように装飾的な7連符が書いてある。打楽器的に響くピアノより軽いアジリタに適した楽器の場合は音を増やしてより華やかさを演出しているのだろう。チャイコフスキーのオーケストレーションの職人技と思う。

和声は第1小節からd-c#がぶつかるなど創意に満ちているが、このワルツはそんな浅はかな分析を寄せ付けない人智を超越した絶対的尊厳がある。猫好きの僕は彼らのシェイプを見ていて時に問答無用の美を観ることがあるが、これはそんなものだ。高貴さとも違う、それは人間界のささやかな序列であって、この音楽は何か神様の喜びのほとばしりが作曲家の頭脳を通って音符に刻みこまれたかのようだ。

youtubeにある演奏を片っ端から聴き比べた。そんなことをしたためしはない。ところがやってみて驚いたことには、満足な演奏がきわめて少ないのである。まず、ほとんどでオーケストラが、弦の合奏が、ホルンの合奏が、クラリネットのソロが、へたくそだ。合奏がだらしない。これが田舎のオケならわかるがベルリンフィルでもそうなのだ。

僕は自分で弾いたりシンセでも録音して確信あるテンポができている。6分40秒前後だと思う。ところが多くの演奏は7分を超えており、特にバレエが付くと踊りに合わせるのでますます遅い。そんなテンポで合奏が合わないだらしないとなると全く耐えられない代物というしかない。

こういうことは主観、好みだから押しつける気は毛頭ないが、ライトミュージックとして軽めのアプローチでいこうというのか、手を抜いているとまでは言わないが悲愴交響曲をやる気構えよりはテンションが低いのばかりだ。たしかに「組曲」に入っている音楽が全曲の中で質の高いものばかりかというとそうでもなく、漏れている部分にもっと高いものがあったりする。ムラヴィンスキーのようにオレ流組曲を編んでしまう人もいるのだ。

ということで、数少ない「許せるもの」だけをピックアップしておこう。まずテンポだが、これが僕のイメージに最も近い(6分36秒)。リチャード・ボニング指揮ナショナル・フィルである。

この速さで踊れるか?大変だろうが踊ってもらわにゃ困るということだ。音楽はダンスの奴隷ではない。

この演奏、技術水準は何の問題もなく不可ではないのだが優良可の良の下という所だ。ちょっと美感には欠け、指揮のセンスと勢いだけでもっていってる。それもクリアしている演奏がひとつだけあった。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団である。

テンポはボニングより遅いが耐えられるぎりぎりには入っている(6分54秒)。ワルツ主部のフレージングの切り方が独特だが慣れれば気にならない。そして、なによりオケがうまく、合奏のブレンドがいい味に仕上がっている。これでなくては花のワルツの浮き浮き感は出てこないのだ。

 

(こちらへどうぞ)

 

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」

 

ルロイ・アンダーソン 「そりすべり」 (Sleigh Ride)

チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」

 

 

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女の上司についていけるか?(ナタリーとユリアの場合)

2015 JUL 30 22:22:48 pm by 東 賢太郎

「察しない男 説明しない女」(五百田達成 著)は面白い本です。

僕は若者に「遊べ!」といってるのですが、べつに遊び人になれということではなく、なんでもいいから真剣勝負しなさい、負けたら立ち直れないぐらいすべてをかけてやりなさい、そして、許されるうちになるべくたくさん負けておきなさいといっています。

ところがこれは女の子にもあてはまるのかどうか、はたと考えているところです。男も女も同じ人間だからと思っていたのですが、この本によると実はぜんぜんちがう気もしてきます。

同書には、「男は野球で育つ・女はままごとで育つ」とある。まさしく野球で育った僕はままごとをやったことがありませんし、ということは僕のいうことは女の子には共感されないのかもしれません。

野球にパワハラなどという言葉はありません。パワーに蹂躙されるならそれはされる方が弱いのであって、だったら練習して強くなれよ、でおしまい。負けた方も頑張ったんだからほめてあげようなんてこともなし。負けは問答無用で負け、10点差負けでも1点差負けでもおんなじです。

ところが運動会で子供がビリで泣いて帰ってきた、けしからん、かけっこで順位をつけるのはやめろという親が出てくる。ほとんど母親だそうです。野球で育った男親はそういうことは言わないように思いますが、ままごとで順位はつかないわけですね。

体を張って遊べですって?なるべくたくさん負けろですって?それでウチの子が人生はかなんだり自信喪失になったりしたらどうしてくれるの?言われてそうだ。そういう風潮のせいでしょうかサンデーモーニング『週刊御意見番』に登場する張本勲 氏が「喝!」を出しにくくなってしまったそうです。

僕は幸い女性の上司に仕えたことがありません。そういう時代だったし男社会の業界だったし。だから男原理で問題なく生きてきました。しかしこれからの世の中、ままごと原理で世の中が動くかもしれないし、女性の大臣は出るし、ひょっとして近い将来には女性大統領や首相も出るのではと思います。

そこで生きなくちゃいけない男は大変ですが、ではたくさんいた女性の部下たちを「部下」と思っていたかというとこれも微妙なんですね、実は。男原理が通用しないので同じように叱るわけにいかないし、一発ホームラン打ってみろなんて指示しても正確に思いが通じないでしょう。

「男は理屈で動く 女は感情で動く」、反論の余地なし。「男はナンバーワンになりたい 女はオンリーワンになりたい」これもしかりです。オンリーワンでも負けたら意味ないのです僕は。「男はロマンが好き 女はロマンチックなものが好き」、まったくそのとおり。ドイツのロマンチック街道(ローマの道なんでしょうが)はこの日本語名では行く気を削がれます。

「男は使えないものを集める 女は使えそうなものを捨てられない」、これはどうかな、捨てられる女もいるだろうが他人にはわけのわからん物を集めるのは男ですね。「男は謝れない 女は忘れない」、なるほど。

要はこれだから議論にならないんです。もし女性が上司だったら、僕は何を言われてるか、何をめざしたらいいのか、たぶんわからないと思うのです。

ただ、部下だと思わなかったというのは悪い意味ではなくて、そもそも僕らは子供時代は母親に支配されてたわけです。問答無用で理屈じゃなく。だからビシッと言われると弱いかもしれないという意味で男の部下とは違ったという意味です。とくに仕事の核心の部分はともかく、専門外のこと、ドメスティックなことでは。

ところが、自分にとって核心的なことにもかかわらず、この女性なら部下でもいいかなと思う人がいるものです。アルト歌手のナタリー・シュトゥッツマン(Nathalie Stutzmann)です。去年聴いたN響とデュトワの「ペレアスとメリザンド」でジュヌヴィエーヴを歌いましたが出番が短い役で残念でした。

歌手で指揮をする人はいますがいいと思ったためしはほとんどありません。ところが彼女は指揮の能力が高いと思います。モーツァルトのハフナー交響曲をお聴きください。

きれいに整えようという気はなし。「モーツァルトはこういう人よ!」とつかんじゃってます。女だからわかる直感か?彼が振ったらこんな感じだったのではと思わせるものがあります。楽員を興にのせ、多少アンサンブルがごちゃごちゃしてもいい、アンバランスもまた良し、ティンパニはひっぱたき、ホルンもいたずらっぽく強く吹かせる。とにかくテンポの変化や強弱やフレージングの主張が強いのですが身勝手に聞こえず、なるほどこれってそういう曲だったかと思わせるものがあるのです。

もし僕がオーケストラ奏者なら?彼女の指揮には真剣について行くと思います。やっている音楽に説得力があっておもしろい。男は理屈で動くのですが、感性であれ何であれ女性がいったん男をなるほどと思わせたらむしろ強いかもしれませんね。どんな強い男だって子供のころはそういうもんだったし、強い女性のいうことをきいていたほうが楽という気すらします。

もうひとり、僕のご贔屓のヴァイオリニストもそうです。このチャイコフスキー、自信に満ちあふれ、細部までピッチと技巧のコントロールがすばらしく、抜群の運動神経とものすごく良い耳を実感させ、汗ひとつかかずに強い主張で弾ききっていて、心拍数はまったく上がってないんじゃないかと思わせる堂に入り方。とくにアンコールをお聴きいただきたのですが、この求心力、場の支配力は半端じゃありません。ヴァイオリンの人たち、唖然ですね。舞台上のオケまで完全に彼女の聴衆になってしまっていて、弦の人はああ2曲目も聴けるんだよかったという表情です。プロが認める超人ですね。ぜひ指揮もやってほしい。オケを心服させるカリスマ能力、間違いなしですね。

このユリア・フィッシャーが上司だったら?一も二も四の五のもなく、絶対服従でしょう。何をやってもかなわない能力を感じます。

 

 

(こちらへどうぞ)

「女性はブラームスを弾けない」という迷信

男の子のカン違いの効用 (4)

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

 

 

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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 作品23

2014 DEC 11 18:18:37 pm by 東 賢太郎

 

この曲の出だしはクラシックに縁がなかった人でもきっとどこかで耳にしたことがあるでしょう。テレビCMで最も使われるクラシックのひとつですね。

この冒頭のメロディー、すごく魅力的なんですが二度と出てこないのですね。最初のころはここが大事で後の方はどうでもよかった僕としては、吉永小百合が最初の5分だけ出てあとは端役ばっかり出てきておしまいの映画みたいで、おい、金返せとまではいわなくてもこりゃなんなんだという食い足りなさは甚大でした。

だんだん物を覚えてきて、あの部分は「序奏」だったんだということを学びます。序奏部というのは落語の「つかみ」みたいなもんです。お笑い芸人が観客を引きつけるために最初に放つ軽いギャグもそうです。本ネタじゃないですからね、だから二度と出てこないのです。

ところがこの協奏曲の「つかみ」はいきなり本ネタかと思うパンチ力です。プレゼンでいうなら、いきなりスクリーンにどっかーんとポルシェの写真が出て「これ新車です!」なんてかまして「おお、いいね」と聴衆をうならせたところで、「ところで、当社のラーメン大魔王ですが・・・」なんてきて、おい、ポルシェはどうなったんだ?そういう感じですね。

そのせいでしょうか、この作品、初演を依頼して献呈しようとした大ピアニストのニコライ・ルビンシュタインに「不細工で演奏不可能だ」とボロかすに言われてしまいます。不細工はそういう意味ですね、形が悪い、たぶん。しかし演奏不可能とは・・・。

ただ、楽譜を見るとそれもわかるような。序奏に続く飛び跳ねるような快速の旋律が第1主題です。それから序奏部のカデンツァ(中間部にそんなものがあるんです)、このへんは素人はもうお手上げです。アクロバットのようでプロでも曲に負けてる人は大勢います。要は弾けるか弾けないかですね、「体育会的」な要素が演奏の印象をほぼ決めてしまいます。

僕はこれを7回演奏会できいています。ギレリスの最後の演奏はブログに書きました。しかしそこそこ良かったのは05年の小菅優ぐらい。やっぱり運動神経とパワーで図抜けてないと楽しめないのです。このことは最後に書きますが、ロシアのピアノ・コンチェルトというのはラフマニノフもプロコフィエフもそうですが、とにかく音が大きくてffで鋼鉄みたいな強いタッチの音が出ないとだめです。小菅さんは大健闘でした。

これは思い当たる話があって、先日ある方が「ロシア人と握手するとね、痛いんだよ。熊みたいにゴツくてでっかい手で思いっきりギュッとくるからね」といっていました。「プーチンはどうでした?」ときくと「熊だった」そうで「メドベージェフだけ例外で、小さくてふにゃっとしてて女みたいだった。あれは珍しい」とのこと。

ラフマニノフもギレリスもリヒテルも、見るからに熊でしょうね。それがパワーだけでなく抜群の運動神経でコントロールされる。だからああいう強くて巨大なエネルギーがあって、それでいて軽いところは羽毛のように軽い音が出せる。この協奏曲はまさにそういう剛柔重軽のタッチを各種取りそろえていないと弾けないように思います。

そうしてだんだん大人になってくると、この曲はあそこより後の方が実はいいんだということに気がついてきます。僕は第1楽章の第2主題が大好きです。ロシアは行ったことがありませんが、冬の平原の雪景色が浮かびます。この協奏曲が作曲されたのは11月から2月の間。なんとなく冬の音楽のように感じます。

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哀感のある絶妙の和声がついていてチャイコフスキーだなあと感じますが、ストラヴィンスキーの「火の鳥」につながる和声でもある。やってみる派なのでもちろんこれを弾いてみてそういうことを発見するわけです。しかし、これシンプルに見えますが、ピアノ的にどうも弾きやすくないんですね。g.b.es.bなんて、アルペジオとはいえ手は熊でないとなあという感じがします。

この第2主題の副主題でこういうメロディーがヴァイオリンに出てきます。

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民謡風ですがなんともあったかい。as-esの空虚5度のドローン風バスがのどかで、でもどこかなつかしい郷愁があって、どういうわけか僕は可愛がってもらった祖母を思い出すのです。

第1楽章で僕が最も素晴らしい瞬間と思うのは展開部の第388小節でsfのティンパニのh音でホ長調に転じる部分です。そのhのオスティナート・バスにのってオケとピアノが三連符のかけあいをしながらぐんぐんと高潮していく様はこれも天才的である交響曲第4番の第1楽章展開部、そして悲愴の第3楽章(マーチ主題の前)の先駆けです。

ちなみにこの協奏曲のモスクワ初演でピアノを弾いたのは作曲家タネーエフですが、彼はこのホ長調の入りで管弦楽がsfからすぐにpに音量を落すのに次の小節でピアノがfffで入る原典譜のバランスを校訂者が勝手にmfにしたりpppで入るピアニストがいることを厳しく批判しています。ここを原典どおりいくのが下記のオグドンです。

第2楽章は民謡そのものの鄙びた主題で始まりますが、中間部(第59小節)で突然にPrestissimoになるやピアノの目もくらむスケルツォ風のアクロバットになる。ここを見ると、チャイコフスキーのピアノ語法が楽器を自在に軽々と弾けることを前提としていることがわかります。やがてヴィオラで民謡風の旋律が出るがこれは弟と一緒によく歌ったフランスの古いシャンソン「俺たちゃ楽しまなきゃ、踊りと笑い」からとったそうです。

第3楽章はロンド形式。どことなく7年前に作曲されていたグリーグの協奏曲の終楽章を思わせる激しいリズムの旋律はウクライナのベスニヤンカという踊りの歌。実に元気がいいです。さて、大変重要な第2主題です。どことなく民謡調です。ファがひとつだけ出ますが5音音階的な旋律であり、おしまいの2小節のミソレーレミドーラドソーは完全に5音音階です。

tchaiko2

そこで第1楽章の冒頭のあの「つかみ」のテーマをもう一度見てみます。同じ3拍子であることにご注目ください。

tchaiko1

第3小節に出てくるファとシが耳に残り、特に繰り返し部分で3小節目のバスfに対して旋律のg♭(これがファに相当)の不協和(そうきこえないか)が強烈にアピールするのでイメージしにくいのですが、終わりの方はソーレーミソーレレミソーミラソレーと完全な5音音階なのです。ベースは東洋的な五音音階なのにそのファの不協和が非常に西洋的に響くことがこのメロディーのえもいえぬ魅力の源泉といっていいかもしれません。

この音階はファ(第4音)とシ(第7音)を抜いたヨナ抜き音階といわれ、童謡、民謡、演歌などに多いものです。たとえば「赤とんぼ」「象さん」「上を向いて歩こう」「北国の春」「昴すばる)」「木綿のハンカチーフ」などです。「君が代」もシが一度だけ出ますがそうです。西洋でもスコットランド民謡の「蛍の光」がそうだし、ドヴォルザークの新世界の「家路」もそうです。人なつっこくて耳に残る、特に日本人のハートにはぐっと迫るものがあります。

この協奏曲のエンディングは第3楽章第2主題を全管弦楽とピアノが一体となってfffで高らかに歌い上げますが、ミソレーレミドーラドソーの土くさい5音音階が冒頭のあの「つかみ旋律」の5音音階にコラボして聞こえるように思うのです。つまり、確かにあれは二度と出てこないのですが、最後の最後にその「影武者」が登場してブックエンドのように全曲をきちっと挟んでいます。

この曲を聴いて、ああよかったと満足できるのはそういうことだと僕は解釈しています。ソナタ形式にとらわれるから「序奏部が異常に大きい」と見えるのであって、これを「ブックエンド形式」と命名したいぐらいです。この元祖はベートーベンの交響曲第3番「エロイカ」です。バン、バンとEs-durが2発。あの曲は終楽章が変奏曲であり、もしエンディングが5番のように長々としていたら均整感を損なったでしょう。そしてチャイコフスキーは自らの遺書となった悲愴交響曲で、ロ短調の静寂の暗闇で全曲をバインドしています。

さて、演奏です。

まずこの曲に興奮し、打ちのめされてみたいという方。そういう入り方が普通でしょう、よろしいと思います。となると、抜群の運動神経の人のライブということになります。定評があるのはこのおふたりでしょう。

マルタ・アルゲリッチ/ キリル・コンドラシン / バイエルン放送交響楽団

587マルタさんの手が熊なみかどうかは知りません。たぶん違うと思うのですが、熊の手の男どもをなぎ倒す壮絶な演奏であり、ライブですから終楽章の入りなどミスタッチはあってもそれを補って余りある満足感を約束してくれます。本稿で難しいと書いた部分はすべからく煌めくような強いタッチで弾かれ、きき惚れるのみ。彼女のプロコフィエフの3番をカーネギーホールで聴きましたが、恐山の巫女もかくやの神憑り状態(失礼)はその場にいないと感じにくいです。本盤はマイクを通してそれがそこそこ体感でき、デリケートな部分も美しく、コンドラシンの伴奏も大変レベルが高い。総合点で優勝を争うものであることはだれも異論がないのではないでしょうか。

 

ヴラディミール・ホロヴィッツ / ジョージ・セル / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

019演奏技術というのはこのぐらいになるとマイクに入る入らないの問題を超越します。トスカニーニとの録音も有名ですが、さすがの暴れ馬も義父は怖かったのかこれに比べると借りてきた猫。どうせならやりたい放題、セルとの殴り合い風情のこれでしょう。細かい音型はオレ流で弾き崩しでもなんでもあり、デリカシーなどどこ吹く風。第1楽章第1主題、軽々飛ばすピアノに木管がついていくのにやっと。第2楽章中間部のあ然とするうまさ!超快速の重音のパッセージなのにピアノが悲鳴をあげるほど鳴りきっている。素人でも誰でもわかる。簡単です。ピアノがうまいんです。こんな人は人類史上あとはフランツ・リストぐらいだったのではと僕は想像しています。

ただこのタイプの演奏というのはここまで弾けてナンボのもの。捨てるものも多く、成功すればセンセーションですが未達だとただの安物に終わります。だから終始安全運転路線の人がたくさん出てきますが、それだとなんでわざわざこれを弾くの?ということになる。指揮者、オケにとっては客が呼べていい曲ですが、ピアニストにとっては有名な割に難しい、リスクが高い曲と思います。

僕がこの曲で大切にしたいのは第1楽章第2主題と第2楽章に若いチャイコフスキーがこめた抒情の表現です。特に前者。ここでなにも感じていないともう家に帰ろうかと思ってしまう。そういうのに限って第3楽章は快速で飛ばし、オケは軍楽隊みたいになります。そこまでのヘボの免罪符になるだろうとばかり。そして最後は演歌みたいに五音音階を安っぽく泥臭く歌い上げ全員が汗をぬぐう。

そんなものにブラヴォーなんかが飛び交うのは僕には到底堪えがたく、だからこのコンチェルトの実演はよほどの期待がない限り行きません。しかし残念なのは、そういうチープな演奏が跋扈するので「曲が安物なんだろう」というイメージが出来ている気がすることです。そうではないということを知っていただくために、もう2種類の録音について書いておきます。

 

ジョン・オグドン / ジョン・バルビローリ/ フィルハーモニア管弦楽団

984オグドンは1962年チャイコフスキー・コンクールでアシュケナージと優勝を分けた名手。昨今はこの曲で技術的問題を一切感じさせないピアニストも多いですが第1楽章第1主題を重戦車みたいにばりばり弾いてしまう人が多い。オグドンを聴いて下さい。そして肝心の抒情的な部分。同第2主題の止まりそうになるデリカシー、高音のきらめき、そしてバルビローリの葦笛のようなオーボエの愛らしさ、木管から紡ぎだすマジカルな響き! 終楽章は決然としたティンパニの一撃で入りますが決してあわてず騒がずスコアのポエジーを引出し、コーダの入りでフルートとチェロの対旋律をきっちり浮き出させてぐんぐん盛り上がる様は至芸。本当に良い音楽を聴いたという満足感で満たしてくれる大人の演奏です。こういう路線に満足しない人はアルゲリッチに、そしてその方向の極点に位置するホロヴィッツにいくしかない。この曲においてはその価値は認めつつも、僕は当盤に代表される方向において曲の真価が認知されるのではないかと考えております。

 

ユージン・イストーミン/ ユージン・オーマンディー/ フィラデルフィア管弦楽団

最後に本命です。まずお断りしますが、この録音は廃盤です。ディスクは手に入らないでしょう。音の冴えないネット配信でしか聴けません。しかしながら、これはスタジオ録音の完成度をもちながら何度聴いてもくめども尽きぬ喜びと最高の満足度のある真に驚くべき名演です。

欠点は2つあって、先に指摘した「第1楽章展開部の第388小節でsfのティンパニのh音でホ長調に転じる部分」の入りがやや速めであるうえオケの p が強すぎで憧れが不足するのと、なくもがなである第2主題の弦のレガートとポルタメントですが、どちらも指揮者の問題です。ピアノは一貫して最高であり、オケもそれ以外は全曲文句のつけようなし。その第2主題前後や第2楽章のピアノの詩情の素晴らしさは、あのリパッティのグリーグに匹敵すると言ってもいい。

速い部分、例えば第1楽章カデンツァ、第2楽章中間部の羽毛のような軽いタッチは一切曲芸にならず、天使が空にまいた金粉のよう。終楽章ロンド主題の2拍目を強調した跳ねるようなリズム、これが舞曲だという本質!ffの鳴りきった強靭なタッチ、第1楽章の難しい第1主題まで歌える技術!ホロヴィッツのようにピアニストのメカニックを感じさせない、まさに天衣無縫とはこのことでこっちのほうがもっと上であります。

それは近年のコンクール優勝者の演奏につきまとう、flawlessness(傷がない完璧さ)に第一義的目的があると感じる技術とは決定的に違う何ものかです。この演奏のピアノはあえてクリティカルに細かく聴けば微細な傷があります。しかし、そういうものを問題にする次元には決して成立することのない何か、チャイコフスキーやブラームスはきっと自分でこういうピアノを弾き、耳にしていたのだろうと思われる性質のものがある。

この曲のピアノ譜の難しさ(ブラームスの2番もそう)はそう書かないと出ない音を作曲家が欲したからそうなっているわけで、どうだ間違うなよ、完璧に弾けよなんてことは彼らはいっさい要求してないと思うのです。だからflawlessnessを大事と考える音楽教育は、ビジネスをやろうというのにいきなりコンプライアンスからはいるのと同じぐらい馬鹿げていて、本質を外した、はっきりいって間違った教育だと思います。

イストーミンはツアーに専属の調律師を連れていたそうですがこのピッチの良さは顕微鏡レベルでの調律の妙があるに違いなく、フィラデルフィアO.の管楽器奏者がそれに微妙に反応して最高級のピッチと美音で同化しているという魔法のような瞬間が続出、おそらく指揮者でもどうにもならないようなもの、音を出している音楽家同志の化学反応がこの演奏のファンダメンタルズをつくっていると感じます。演奏家の本能と音楽家魂を刺激するソリスト。僕がユリア・フィッシャーのメンデルスゾーンにきいたものと近い。こういう記録は稀有なものです。

それは優れた室内楽演奏と同様、リスナーに「くめども尽きぬ」音楽の喜びを与えます。アルゲリッチ盤、ホロヴィッツ盤は一期一会の記録として永遠の価値がありますが、録音として何度も賞味されるに足るかは疑問です。冒頭に「スタジオ録音の完成度をもちながら何度聴いてもくめども尽きぬ喜びと最高の満足度のある真に驚くべき名演」と書かせていただいたのはそういう意味です。どんな曲であれ、そんなレコードは世の中にそう多く存在するものではありません。

2年間フィラデルフィア管の定期会員だった30年前にオーマンディー指揮でこの協奏曲を聴きました。ピアニストがこの水準にはなくオケからこんな音は聴けませんでしたが、当時はこのオーケストラは良い時はたしかにこういう音でした。最近はもう別な楽団になっているようです。本稿のためにこれを聴き、あまりの素晴らしさにたて続けに3回聴きました。そんなことも、もうあまりないのですが・・・。これはピアニストの方にこそぜひ聴いていただきたい。こういうピアノを弾けば(コンクールで評価されるかどうかなど委細関わりなく)、世界は間違いなく感動します。

なぜなら、どういうわけか、こんなピアノはもう世界のどこでも聴けなくなってしまったからです。何が違うのか?教育なのか技術的なことなのかは知りません。でも決定的に異なり、もう聴けなくなった何かが存在するのです。こう文字にすると言いたいことが無機質になります。先週、屋久島で食べた生命力ある島野菜の強い味と、東京のコンビニに並んでいる色と形だけきれいに整った野菜の味の違いといった方が適確でしょう。僕ら音楽を聴きこんでいる聴衆はそんな野菜には食傷気味なのです。

既述のようにこの録音が驚くべきことに廃盤であり、バナナのたたき売りみたいにオンラインで300円で売られている。それをテクノロジーの恩恵だと喜ぶべきなのかどうか。お蔵入りするよりはましですが、どこか寂しいと感じるリスナーは僕だけでしょうか。音楽のネット配信普及が進み、日本は音楽産業の売り上げに占めるCDの比率がダントツ世界一だそうです。

音楽が「コンテンツ」としてお手軽な商品化する。するとそれを書いた人、演奏した人の才能や努力への敬意など軽々と吹き飛んでしまいます。我が国でCDがまだ売れるのは、その風潮に組みしない、本当に良いものはモノとして大事に所有していたいというリスナーが多いからではないか、という一抹の期待はもっています。

演奏というのは瞬時に音として消え去ります。しかしそれを録音したものは人間の高度で知的な営みを刻んだ記録として残りますし、なかでも本当に優れたものは作品自体がそうであるように「文化」として永く伝わるものなのではないでしょうか。しょせん音は音だ、モノじゃない。でもそれをモノとして大事にしたいという気持ちが文化を支えるのじゃないかと思います。

「いまさら名前も忘れられたようなピアニストの演奏なんか売れないよ、それなら少々へたでも若いイケメンか美人でしょ」というなら、それはもう本質はセックス産業にも通じるもののある芸能界の軽薄な消費文化とかわりがない。そうやって音楽作品がゲイノーのだしに使われることに僕は大きな抵抗があることは何度も書いてきたとおりです。しかし作品と真摯に向き合った記録として永遠の輝きを持つもの、それはまぎれもなく文化だと確信しております。

文化は皆が守らないと継承されません。この録音が300円で手に入ることは経済的にはまことに結構なことですが、300円の価値しかないとみなされてそうなっているのだとするなら、演奏の記録が文化だという概念はすでに腐蝕しつつあるのではないかと懸念を抱く次第です。世界中が、売る方も買う方も、クラシック音楽の真贋を見極める力が著しく落ちているということかもしれません。コンビニの野菜ばかりで育てばそういう舌になってしまうのです。

野菜のおいしさを次世代に伝える意味でも、供給者である演奏家の方々に大いに期待したいものです。

 

(補遺、2月11日)

ヴァレンティナ・カメニコヴァ /  ジリ・ピンカス /  ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団

59270年スプラフォンの録音。チェコの田舎で普通にやっている演奏会の風情が好きです。カメニコヴァ(1930-89)はウクライナはオデッサ生まれ。第2次大戦でシベリアに逃げているのでユダヤ系でしょうか。ネイガウスの弟子で結婚後の後半生はチェコに移民しました。僕は彼女のショパン、モーツァルト、ベートーベンが好きで愛聴しています。地味だが素晴らしいピアノ。著名ピアニストの派手派手しい演奏、空しい完全なだけの演奏が茶番に聞こえます。こういう滋養あるピアノこそ伝統に根ざした本物であります。オケも地味、録音も地味でなんらスターダムに登る要素なしですが、耳の肥えた人にはわかるものがあるでしょう。

 

 

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クラシック徒然草-冬に聴きたいクラシック-

2014 NOV 16 23:23:26 pm by 東 賢太郎

冬の音楽を考えながら、子供のころの真冬の景色を思い出していた。あの頃はずいぶん寒かった。泥道の水たまりはかちかちに凍ってつるつる滑った。それを石で割って遊ぶと手がしもやけでかゆくなった。団地の敷地に多摩川の土手から下りてきて、もうすっかり忘れていたが、そこがあたり一面の銀世界になっていて足がずぶずぶと雪に埋もれて歩けない。目をつぶっていたら、なんの前ぶれもなく突然に、そんな情景がありありとよみがえった。

ヨーロッパの冬は暗くて寒い。それをじっと耐えて春の喜びを待つ、その歓喜が名曲を生む。夏は日本みたいにむし暑くはなく、台風も来ない。楽しいヴァケイションの季節だ。そして収穫の秋がすぎてどんどん日が短くなる頃の寂しさは、それも芸術を生む。 ドイツでオクトーバー・フェストがありフランスでボジョレ・ヌーボーが出てくる。10-11月をこえるともう一気にクリスマス・モードだ。アメリカのクリスマスはそこらじゅうからL・アンダーソンの「そりすべり」がきこえてくるが、欧州は少しムードが違う。

思い出すのは家族を連れて出かけたにニュルンベルグだ。大変なにぎわいの巨大なクリスマス市場が有名で、ツリーの飾りをたくさん買ってソーセージ片手に熱々のグリューワインを一杯やり、地球儀なんかを子供たちに隠れて買った。当時はまだサンタさんが来ていたのだ。そこで観たわけではないのだがその思い出が強くてワーグナーの「ニュルンベルグの名歌手」は冬、バイロイト音楽祭で聴いたタンホイザーは夏、ヴィースバーデンのチクルスで聴いたリングは初夏という感覚になってしまった。

クリスマスの音楽で有名なのはヘンデルのオラトリオ「メサイア」だ。この曲はしかし、受難週に演奏しようと作曲され実際にダブリンで初演されたのは4月だ。クリスマスの曲ではなかった。内容がキリストの生誕、受難、復活だから時代を経てクリスマスものになったわけだが、そういうえばキリストの誕生日はわかっておらず、後から12月25日となったらしい。どうせなら一年で一番寒くて暗い頃にしておいてパーッと明るく祝おうという意図だったともきく。メサイアの明るさはそれにもってこいだ。となると、ドカンと騒いで一年をリセットする忘年会のノリで第九をきく我が国の風習も捨てたものではない。メサイアの成功を意識して書かれた、ハイドンのオラトリオ「天地創造」も冬の定番だ。

チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」はどちらも年末のオペラハウスで子供連れの定番で、フランクフルトでは毎年2人の娘を連れてヴィースバーデンまで聴きに行った懐かしの曲でもある。2005年末のウィーンでも両方きいたが、家族連れに混じっておじさん一人というのはもの悲しさがあった。ウイーンというと大晦日の国立歌劇場のJ・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」から翌日元旦のューイヤー・コンサートになだれこむのが最高の贅沢だ。1996-7年、零下20度の厳寒の冬に経験させていただいたが、音楽と美食が一脈通ずるものがあると気づいたのはその時だ。

さて、音楽そのものが冬であるものというとそんなにはない。まず何よりシベリウスの交響詩「タピオラ」作品112だ。氷原に粉吹雪が舞う凍てつくような音楽である。同じくシベリウスの交響曲第3、4、5、6、7番はどれもいい。これぞ冬の音楽だ。僕はあんまり詩心がないので共感は薄いがシューベルトの歌曲「冬の旅」は男の心の冬である。チャイコフスキーの交響曲第1番ト短調作品13「冬の日の幻想」、26歳の若書きだが僕は好きで時々きいている。

次に、特に理由はないがなぜかこの時期になるとよくきく曲ということでご紹介したい。バルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番」プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」がある。どちらも音の肌触りが冬だ。ラヴェルの「マ・メール・ロワ」も初めてブーレーズ盤LPを買ったのが12月で寒い中よくきいたせいかもしれないが音の冷んやり感がこの時期だ。そしてモーツァルトのレクイエムを筆頭とする宗教曲の数々はこの時期の僕の定番だ。いまはある理由があってそれをやめているが。

そうして最後に、昔に両親が好きで家の中でよくかかっていたダークダックスの歌う山田耕筰「ペチカ」と中田喜直「雪の降る町を」が僕の冬の音楽の掉尾を飾るにふさわしい。寒い寒い日でも家の中はいつもあったかかった。実はさっき、これをきいていて子供のころの雪の日の情景がよみがえっだのだ。

 

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ブロムシュテットの悲愴交響曲

2014 OCT 21 18:18:49 pm by 東 賢太郎

悲愴交響曲は僕にとって想いの深い音楽であり、早い時期にこのブログに書かせていただきました。  チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」

相手が永久不滅の音楽ですから、こちらが変わらない限りもう一回何か書くとしても同じものになってしまいます。悲愴を聴くにはもう40何年もかけてできてしまった自分の心の姿勢、構えのようなものがあって困ります。それは4番や5番の場合とはちがったものですし、音を耳で聴くだけではなくブログに書いたような事柄を考えることを通して出来たものですからそちらの方も永久(?)不滅化してしまっています。

そこにムラヴィンスキーの演奏を挙げましたし、何種類かあるカラヤンのものもよく聴きました。しかし書きましたことを教わったのはチェリビダッケです。言葉ではなく音によってですが、そういう演奏は僕の不滅の構えを変容させてくれます。名演奏というのはそういうもののことを云うのだと思います。

そうしたらTVでブロムシュテットがN響との稽古で終楽章の対抗配置、トロンボーン、銅鑼の意味を語っていました。それはよくきく話ですしコーダの旋律がヘンデルのラールゴを短調にしたものというのは初耳でしたがそれも大したことではありません。とても印象に残ったのはコーダの入りで弱音器付ヴァイオリンがG線を強く弾いたあの「慟哭の音」について彼が歌いながら力説していたことです。

それは僕にとっても何よりも重たいことです。もう最近はあそこが大事で悲愴をきくようなもので、シンセで演奏した時も気に入らなくて何十回あそこを録音し直したかわかりません。ですがG線の音色はないしハイポジション特有の音色もないのでヴィオラとチェロの合奏と独奏を微妙に調合したりあれこれ試行錯誤しましたがやっぱり無理でした。本物のオケの音は奥が深いのです。

そしてそれをあえてあそこで使ったチャイコフスキーは本当に凄いと思います。どの楽器が死や葬式を暗示するなどということは単なる符帳にすぎません。非キリスト教徒にとっては知らなければ思いつきもしないトリビアみたいなものです。ところがあのG線のむせび泣くような旋律はそんなことを飛び越えて、一直線に悲しみの嵐を巻きおこします。頭ではなく心を直撃するのです。音としてはピアノで誰でもならせるシンプルなものなのに!聴く者はそれが何か、何が悲しいのかわからぬまま、謎を残したまま曲は幕を閉じます。

作曲者はこの曲にはプログラムがあると明言したようです。だから悲しみの対象はあった、ただそれが何かは書きませんでした。ですからこの曲は「プログラム交響曲」と名付けられる可能性がありましたがそうならなくて幸いでした。パテティーク(Pathétique)、悲愴、なんていい名前でしょう。僕はシンフォニーのニックネームというものは本人がつけたものであってもあまり好かないのですが、これとエロイカだけはあまりにふさわしく、進んでそう呼ばせていただいております

だからどうしてもパテティークに演奏していただきたい。それをなよなよ、どろどろとするのは勘違いであって、作曲者のプログラム(メッセージ)を心得たうえで、彼のレクイエムであるあのG線のコーダにむけてどう流れを作るかというところが指揮者の力量になると思います。その意味でムラヴィンスキーは特筆すべき成果をあげています。71年録音のEMI盤のカラヤンも素晴らしい。しかしプログラムを完璧に読み解いているのはチェリビダッケ(下)だろう、僕はそう聴いております。

 

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ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15(原題・ブラームスはマザコンか)

2014 OCT 8 21:21:47 pm by 東 賢太郎

本稿は原題が

クラシック徒然草-ブラームスはマザコンか-

であり、自分で好きなブログの一つです。原文には手は加えず、「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」の部分を書き加えます(2016年1月31日~)。

・・・・

ブラームスの音楽がどういうものか、それを知るには伝記や評論を読むことも大事だが、なによりその音楽にどっぷりとつかってみることだ。もちろんそれはモーツァルトでもベートーベンでも言えることだが、彼らの音楽は伝記で知った生き様や性格からくる印象とそうずれることはない。モーツァルトは恐らくあの音楽どおりの男だったろうし、ベートーベンの生きるための信条、ステートメントは9曲のシンフォニーにだけでも雄弁に語られていると思う。

ブラームスの人となりはどうもつかみにくい。彼の生涯についてはガイリンガー著『ブラームス 生涯 と芸術』など多くの著作があるが、書かれているような人だったかどうかはわからなくなることがある。それが、音楽を聴くことを通してなのだからいよいよややこしい。どこか優柔不断であり、寡黙な節度と奔放な振幅、繊細でいて無頓着、情熱的でいてシャイ、頑迷なのに優しく、神のように高貴でいてジプシーの様に粗野という本質的矛盾をたくさん秘めている。どっぷりつかると五里霧中になるという迷彩のようなものがブラームス・ワールドの入り口だ。

僕は彼はアレグロやプレストを書くのがへただと思っている。音楽が軽やかに滑らかに一直線に走らない。主題がハイドンやモーツァルトのように細身でしなやかでなく、紆余曲折をたどって快速で走りだすと機関車の疾走みたいにモメンタムがつく。ソナタ形式の外形としてのアレグロは書いても本音は遅い部分に聞こえる。宗教曲以外で神や自然をストレートに暗示、賛美、模倣することもない。ドラマティック(劇的)であからさまな感情の吐露を忌避しているのも顕著だ。だから合唱曲はたくさんあって声楽の作曲に非常に長けているのに、劇的そのものであるオペラがない。

それはマーラーがオペラを書いていない(未完に終わった)のとはわけが違う。マーラーという人はプロのオペラ指揮者だ。オペラをメディアとして知り尽くしており、人生を劇的に理解する性向があり、恐らくそれが故にストーリーのあるオペラは自己を投影し感情を吐露することに向かないことを知っていた。白いキャンバスである交響曲こそ彼の「私の履歴書」に好適のメディアであったのだと思う。最晩年のベートーベンがそれを弦楽四重奏曲に見いだしたのと同じ意味で。交響曲を4つ書いたブラームスは、しかし、どうだったのだろうか。

彼はロマン派の時代に生まれながら古典の枠組みに本質的な音楽美を見出そうとしたように見えるし、多くの伝記や著作がそういう意味のことを書いている。たしかにソナタ、変奏、シャコンヌなど鋳型に執拗にこだわっており、その作りが堅牢巧緻きわまりないことは譜面から理解できる。一方、先輩のシューマンは反対に自由でファンスティックな発想に長け、ピアノ協奏曲が元々は幻想曲であり後から第1楽章の鋳型に入れられたことが象徴するように、彼の交響曲や室内楽にあるのはソナタ形式であるための必要条件としての鋳型であって、それ自体がブラームスの場合のごとく絶対無比の意味合いを持って我々を説得するとはいいがたい。

そうしたブラームスが頑強に形式論理が情緒に流されることを拒否する姿勢は新古典主義と呼ばれ、ストイックであることを是とする人々にポジティブに評される場合もあるが、それをもって彼の主義とするほど自己の吐露を全面的にそれに依存したものだとは僕は思わない。それは彼のいわば鎧(よろい)のようなもので、同時代の他人にも後世にも開示したくない何物かを覆い隠すすべだったのではないかと思っている。この点は本稿でもっとも強調しておきたいことだ。

彼の4つの交響曲、それが彼の押しも押されぬ代表作であり、彼自身もそう考えており、現に僕自身もっとも聴きこんだクラシック音楽がどれかといえばその4曲であるわけだが、マーラーの場合の様に彼の「私の履歴書」がその4つの交響曲かというと、どうも違うという気がしてならない。「名刺」ではあってもそうではないかもしれないと思ってしまう。ここのところこそが、ブラームスという作曲家を知れば知るほど五里霧中となってしまう要諦なのである。なにか僕は彼の二重三重にはりめぐらされた用意周到な煙幕にまかれているような感覚を禁じ得ないのだ。

鎧を纏っているブラームスの生身、その本質はロマンティックどころか非常にセンティメンタルである。27歳で書いた弦楽六重奏曲第1番変ロ長調の第2楽章がその例だ。

これはなんだったか映画にも使われていた。音楽の方から映画ができてしまいそうなほど耳にまとわりつく感傷的なメロディーだ。

彼がシューマンの奥さんであるクララに好意を寄せていたことはすべての伝記作家が慎ましくあるいは積極的に肯定しているが、この曲やピアノ協奏曲第1番の第2楽章は、彼の好意というものがそんな淡くて生やさしいものではなかったことを物語っているように思う。この曲の最後の方、チェロが沈黙して高弦だけでひっそりとハーモニックスのような音を奏でる部分は、恋人たちが死んで魂が浄化されるかのようなイメージを僕は持つ。晩年のクラリネット五重奏曲にもそれを見るが、ワーグナーの作り物だけの愛の死などよりずっと危険なにおいがする。

そのブラームスが20歳で書いてシューマンに意見を求めたピアノソナタ第3番ヘ短調は、はじけんばかりの情熱と挑戦意欲に満ちた5楽章の大作である。アレグロ・マエストーソで開始するこのパッションは、しかし若者の雄叫びのようなどこか外形的なものだ。僕にはそう聞こえる。そして第2楽章Andante espressivo には「若き恋」という詩が冒頭に置かれている彼の本質はここにひっそりと姿を見せている。彼が本音をソナタ形式の鎧で包むという、それこそ本音の人間性を構造的に見せてしまっているという意味で、この曲はまさに若書きである。

そういう本質を見抜かれたくなく、あえて隠すための古典主義の鎧だったのかもしれない。そうだとするとなぜだろう。何を隠したかったのだろう?シューマンが亡くなってからのクララとの関係にそれを解く鍵があるのかもしれないとの指摘は多いだろう。彼の両親が結婚したとき、父親は24歳、母親は41歳だった。17歳上の姉さん女房である。思うに、彼自身がその24歳前後になったころの理想の恋人像がクララ・シューマンという14歳年上の現実の女性に一気に収斂していったということはここで指摘するまでもなく多くの人の想像や下世話な憶測をも呼んでいる。

以下、法学者、ピアニスト、音楽評論家であられた藤田晴子氏の著作を参考にさせていただいたことをお断りする。

クララの長女マリーが記したところによると、ブラームスとクララは1886年にお互いに相手からもらった手紙を返しっこしたそうだ。クララはそれを廃棄し始め、マリーが子供たちのためにそれを残してほしいと懇願して全部の廃棄は免れた。そうして残っているのだけでも約800通もある。チャイコフスキーのフォン・メック夫人のように手紙だけのつき合いとは違い、一緒に過ごした時間に交わされた生の会話はもっと重要だったろう。なにせ1853年から96年までの44年分だ。それはクララにとっては35歳から77歳までの後半生だがブラームスにとってはシューマンの尽力で楽団に登場した20歳から死ぬ前年の63歳まで、つまり作曲家としての全ての期間をカヴァーしてしまう。

ここからは私見になるが、17歳年上の女性と結婚した彼の父親は女性依存の強い人、今でいわゆるマザーコンプレックスだったのではないだろうか。そしてその家で育った息子の方も。彼はクララからお金持ちのお嫁さんを早くもらいなさいと母親のように言われており、間にすきま風が吹いていた期間も何度かある。クララの娘に恋情をいだいたこともある。それでも彼は生涯にわたって新作をクララに送って意見、批判を仰ぐことをやめていない。「作曲家ブラームス」は精神的にクララに依存していたといって間違いではないだろう。彼が同時代の他人に、後世に、決して知らしめたくなかったことはそれに関わることではないかと思うのだ。

晩年のクララが音楽的に頑固な保守主義者となり、ワーグナーやリストに背を向けたという事実は注目に値する。それはブラームスという後継者が現れたことを心から喜び、それを広く紹介してから世を去っていった夫ロベルト・シューマンの音楽の敷いた路線でもある。その夫の音楽を各地で演奏して広めていくという献身的な活動は、クララの生涯にわたることになる。そのことをブラームスが内面においてどう受け止めていたかは大変に興味深い。その女性の精神的支配下にブラームスがあったから、彼の音楽性がロマン主義的であるにもかかわらず常に古典主義の衣装を纏い続けたという説明はもっともらしいが皮相的だろう。事はもっと深層心理的なものだ。

マザコンという言葉が奇矯に響くかもしれないが、誰しも子供時分は母親の強力な影響下にあるのが一般的だろう。それがどう残るかということであって、それは程度の問題ではないだろうか。僕の母は「男子厨房に入らず」を頑として貫徹して育ててくれた。家事能力はなしで今も家庭においては全面的に女性依存となったが、そのおかげで好きなことばかりを伸び伸びとできていっぱしに食えるようになったのだから感謝以外の言葉もない。しかし、もしそれが仕事でも女性依存となれば僕はもたない。男としての精神的基盤が崩壊してしまうだろう。

th6いくらクララが当代きっての名ピアニストではあってもシューマン未亡人ではあっても、彼女がブラームス以上の作曲家であの4つの交響曲以上のシンフォニーを書く能力があったわけではない。自己を存立させる基盤である仕事、人生をかけている作曲というものにおいてそれが女性依存に支えられたものだったかもしれないというのは僕にはとうてい信じられないが、ブラームスにおいてはそうだったのかもしれない。彼はチャイコフスキーやショパンがフォン・メック夫人やジョルジュ・サンドにもらっていたものとは違う何かかけがえのないものをクララから得ていたのだと思う。1896年、77歳で彼女が亡くなった翌年、ブラームスも後を追うように世を去った。63歳だった。

ピアノ協奏曲第1番 ニ短調作品15はシューマンが亡くなった翌年、ブラームス24歳の大作だ。父親が結婚した年齢である。ブラームスはクララへの手紙でその第2楽章アダージョについて、「あなたの穏やかな肖像画を描きたいと思って書いた」 と綴っている。これは音楽のラヴレターにほかならない。秋の夜長、じっくりとお聴きいただきたい。

・・・・

ピアノ協奏曲第1番ニ短調ニ短調作品15

ブラームスが24才で書いた最初のピアノ協奏曲である。ご参考までに、大作曲家たちが最初のピアノ協奏曲を書いた年齢はおおよそこのようになる。

モーツァルト11、メンデルスゾーン13、ラフマニノフ18、ショパン20、プロコフィエフ21、サンサーンス23、グリーグ24、リスト24、ウエーバー24、ベートーベン25、ショスタコーヴィチ27、ガーシュイン27、シューマン31(完成稿)、フンメル33、ハチャトリアン33、チャイコフスキー35、ドヴォルザーク35、バルトーク45、ラヴェル55

ブラームスは比較的若くに随分重い曲を書いたものだと思う。交響曲を書こうとしてベートーベンの壁に当たり、2台のピアノのソナタが発展してこの協奏曲になったとするのが通説だ。壁の存在は第1交響曲を書くまでの年数が明らかにしているわけで事実だが、それとともに影響したのはクララの存在の重みではないか。

そう思いあたったのはロンドンに赴任して間もないころ、ロイヤルフェスティバルホールでのことだった。スティーヴン・ビショップ・コヴァセヴィッチのピアノが何かを訴えかけ、アンタール・ドラティの伴奏に何かを見た。そういうことというのは音楽鑑賞においてそうあるわけではないが、そのとき僕は1番を初めて知った。

その前か後にやった交響曲第1番は残念ながらちっとも覚えがなくて、これだけが残っている。ドラティという大指揮者を聴いたのはその一度だけなのだけれど、あの演奏は不思議な律動があって、それが自分の奥底に響き、記憶に焼きついている。ひょっとして1番には若いブラームスの恋の熱でも封じ込められていて、やる方も聴く方もそれに共振できるかどうかなんじゃないかと思ったりもした。

これが第2楽章のピアノの入りだ。第1楽章の入りも憂いと慕情に満ちているが、これは自分で弾いたらわかる。恋してない男が書けるものではない(第1ピアノのほう)。

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もうひとつ、非常に印象的なシーンがこれだ。終楽章のコーダの入り、ホルンが期待と憧れに満ちた上昇音型をppで吹く。それが木管に広がり、最後はフルートが受け取って感動的な至福の場面をつくる。

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交響曲第1番の第4楽章に出てくるアルペンホルンを模したホルンの主題は、クララの誕生日を祝う手紙の中で「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」という歌詞が付けられている。ラブレターなのだ。そして読者はその場面で、ホルン主題をフルートが受け取ることをご存じのはずだ。

 

名曲ゆえおすすめCDは数多あるが、①意外に女性が弾いてない②名手でもミスタッチのまま録音をOKしているケースが多い、ことで不思議な曲だ。要は技術的に難しいのだろうが、もっとそうである2番は女性がけっこう弾いている。テンペラメントの問題なのだろうか。

 

アルトゥール・ルービンシュタイン / ズビン・メータ / イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

941ルービンシュタイン(1887-1982)の1976年の録音だ。24才の恋の曲と書きながらなぜ89才のピアニストの演奏なのか?聴いていただくしかない。僕の父も91で達者至極だが、記憶力はともかくこの指の回りはイメージできない。終楽章コーダはさすがに苦しいが、だからこそメータもオケも深い敬意をもって老ピアニストを支えているのがわかる。ルービンシュタインというと何とかの一つ覚えでショパンとなるが、彼自身は好きな作曲家はときかれ、ブラームスと答えている。

 

ジュリアス・カッチェン /  ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団

41DNVH0H64Lピアノの素晴らしさでは僕はこれがいちばんと思う。どこがどうではなく、こういうものだという感じを最も受ける。モントゥー(1875-1964)84才の録音だ。モントゥーによると、ブラームスはウィーンで彼がヴァイオリンを弾く自作の弦楽四重奏を聴き、「私の音楽をうまく弾くのはフランス人なんだね。ドイツ人はみんな重すぎてだめだ。」と言ったそうだ。モントゥーというとこれまたフランス物となっているが、彼自身は最も敬愛する作曲家はときかれ、ブラームスと答えている。

 

ウイルヘルム・ケンプ / フランツ・コンヴィチュニー / シュターツカペレ・ドレスデン

POCG-90123ゆっくりと始まる。ピアノを導くオケの律動は誠に見事。上記2盤にない古色蒼然たるドイツの味わいをコンヴィチュニーが存分に聴かせて魅力が尽きない。ホルンや木管を聴いてほしい。このオケはもはやこういう音はしないが、法隆寺を近代建築法で改装するような愚をなぜ犯したのか理解に苦しむ。ケンプのピアノは時にメカニックの弱さを感じることがあるがここでは立派で、第2楽章は誠に滋味あふれる名演だ。良い1番を聴いたという充足感がずっしりと残る。

 

ラドゥ・ルプー  /  エド・デ・ワールト / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

uccd-4561_rPH_extralarge出だしのオケの序奏部から彫が深く引き込まれる。理想的なテンションとテンポ、こくのあるティンパニ、この著名な録音、ピアノニストばかり誉められるが指揮の方もこのまま交響曲をやって欲しいほどで全録音中でもトップクラス。僕はこれが一番好きだ。そこにそっと寄り添ってくるルプーのデリケートなピアノ、この剛毅と抒情の対照は実に捨てがたく、この曲の本質を見事についている。ルプーはモーツァルトの17番k.453をフィラデルフィアで聴いたが、第2楽章のppなどライブでもこういう音がしたのを思い出す。

 

ルドルフ・ゼルキン / ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団

71fhCaNeR7L__SL1077_入試合格直前の74年11月末に1、2番の入ったLP(右のジャケットだった)を買って熱中していたが、これで落ちたら馬鹿の余裕だったからいい度胸だった。久しぶりに聴きかえし、各所でああなるほどこれだったとひざを打つ。2番で書いた通り、オケが楷書的で2台ピアノ版を想起させるほど競奏の味わいに満つ。オン気味に録られたゼルキンの技は切れているが上記②のミスタッチはあってなぜかそのままだ(終楽章冒頭など)。セルの指揮はアンサンブルの精度に絶句。こんなに研ぎ澄まされたオケの音はもうどこからも聞けない。襟を正して聴くしかない、立派の極致。

 

伊藤恵 / 朝比奈隆 / 新日本フィルハーモニー交響楽団

asahinaなにやら指揮者の気迫のこもったものものしい開始。どっしりした重心の低いオケがたっぷりしたテンポでロマンティックに歌いこむ。大変にブラームスにふさわしく絶賛したい。そしてひそやかに入ってくる伊藤のピアノがやがて高揚し、オケに添ってバスを効かせつつもロマンの味をたっぷり湛える。朝比奈が「伊藤君は男ですから」と冗談めかして誉めたピアノは心のひだをとらえて本当に素晴らしい。男と並べても当曲ナンバーワンクラスの名演であり、ライブの熱さもあり、僕はこのCDが大好きである。

 

ヤコブ・ギンペル/ ルドルフ・ケンペ / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ginpel昼休みだった。会社の裏通りをなにくれとなく歩いて鄙びた雑貨屋にふらっと入った。そこにこれが、捨てられたようにあった。17.95マルクの安売り。その時の喜びったらない、今でもはっきり覚えてるぐらいなんだから。94年あたり、フランクフルトでのことだ。欲しいと思っていたディスクだった。聴いてみるとなんとも硬派だ。これがドイツのブラームスでなくてなんだろう。ケンペとBPOのごつごつ角ばった音作り、ホルンの重い音。白眉の第2楽章は遅めのテンポでロマンを語りぬく。昔の恋の述懐のようだがギンペルのピアノは媚のかけらもなく硬質で辛口。それゆえに上記楽譜のホルンの上昇音型がなんと感動的に響くものか!男のブラームス。音楽は弾く者の人生を語るのだ。ごつごつした木目もあらわな千年杉の一刀彫のような風情。僕はこのCDに浸るのが無上の喜びだ。きれいに表面の整ったつるつるのプラスチックみたいな現代の演奏。テクニックがどうの、ミスなく弾くことがどうのなどくそくらえである。

 

 

 

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クラシック徒然草-秋に聴きたいクラシック-

2014 OCT 5 12:12:43 pm by 東 賢太郎

以前、春はラヴェル、秋にはブラームスと書きました。音楽のイメージというのは人により様々ですから一概には言えませんが、清少納言の「春はあけぼの」流独断で行くなら僕の場合やっぱり 「秋はブラームス」 となるのです。

ブラームスが本格的に好きになったのは6年住んだロンドン時代です。留学以前、日本にいた頃、本当にわかっていたのは交響曲の1番とピアノ協奏曲の2番ぐらいで、あとはそこまでつかめていませんでした。ところが英国に行って、一日一日どんどん暗くなってくるあの秋を知ると、とにかくぴたっと合うんですね、ブラームスが・・・。それからもう一気でした。

いちばん聴いていたのが交響曲の4番で毎日のようにかけており、2歳の長女が覚えてしまって第1楽章をピアノで弾くときゃっきゃいって喜んでくれました。当時は休日の午後は「4番+ボルドーの赤+ブルースティルトン」というのが定番でありました。加えてパイプ、葉巻もありました。男の至福の時が約束されます、この組み合わせ。今はちなみに新潟県立大学の青木先生に送っていただいた「呼友」大吟醸になっていますが、これも合いますね、最高です。ブラームスは室内楽が名曲ぞろいで、どれも秋の夜長にぴったりです。これからぼちぼちご紹介して参ります。

クラシック徒然草-ブラームスを聴こう-

英国の大作曲家エドワード・エルガーを忘れるわけにはいきません。「威風堂々」や「愛の挨拶」しかご存じない方はチェロ協奏曲ホ短調作品85をぜひ聴いてみて下さい。ブラームスが書いてくれなかった溜飲を下げる名曲中の名曲です。エニグマ変奏曲、2曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ちょっと渋いですがこれも大人の男の音楽ですね。秋の昼下がり、こっちはハイランドのスコッチが合うんです。英国音楽はマイナーですが、それはそれで実に奥の深い広がりがあります。気候の近い北欧、それもシベリウスの世界に接近した辛口のものもあり、スコッチならブローラを思わせます。ブラームスに近いエルガーが最も渋くない方です。

シューマンにもチェロ協奏曲イ短調作品129があります。最晩年で精神を病んだ1850年の作曲であり生前に演奏されなかったと思われるため不完全な作品の印象を持たれますが、第3番のライン交響曲だって同じ50年の作なのです。僕はこれが大好きで、やっぱり10-11月になるとどうしても取り出す曲ですね。これはラインヘッセンのトロッケン・ベーレンアウスレーゼがぴったりです。

リヒャルト・ワーグナーにはジークフリート牧歌があります。これは妻コジマへのクリスマスプレゼントとして作曲され、ルツェルンのトリープシェンの自宅の階段で演奏されました。滋味あふれる名曲であります。スイス駐在時代にルツェルンは仕事や休暇で何回も訪れ、ワーグナーの家も行きましたし教会で後輩の結婚式の仲人をしたりもしました。秋の頃は湖に映える紅葉が絶景でこの曲を聴くとそれが目に浮かびます。これはスイスの名ワインであるデザレーでいきたいですね。

フランスではガブリエル・フォーレピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115でしょう。晩秋の午後の陽だまりの空気を思わせる第1楽章、枯葉が舞い散るような第2楽章、夢のなかで人生の秋を想うようなアンダンテ、北風が夢をさまし覚醒がおとずれる終楽章、何とも素晴らしい音楽です。これは辛口のバーガンディの白しかないですね。ドビッシーフルートとビオラとハープのためのソナタ、この幻想的な音楽にも僕は晩秋の夕暮れやおぼろ月夜を想います。これはきりっと冷えたシェリーなんか実によろしいですねえ。

どうしてなかなかヴィヴァルディの四季が出てこないの?忘れているわけではありませんが、あの「秋」は穀物を収穫する喜びの秋なんですね、だから春夏秋冬のなかでも音楽が飛び切り明るくてリズミックで元気が良い。僕の秋のイメージとは違うんです。いやいや、日本でも目黒のサンマや松茸狩りのニュースは元気でますし寿司ネタも充実しますしね、おかしくはないんですが、音楽が食べ物中心になってしまうというのがバラエティ番組みたいで・・・。

そう、こういうのが秋には望ましいというのが僕の感覚なんですね。ロシア人チャイコフスキーの「四季」から「10月」です。

しかし同じロシア人でもこういう人もいます。アレクサンダー・グラズノフの「四季」から「秋」です。これはヴィヴァルディ派ですね。この部分は有名なので聴いたことのある方も多いのでは。

けっきょく、人間にはいろいろあって、「いよいよ秋」と思うか「もう秋」と思うかですね。グラズノフをのぞけばやっぱり北緯の高い方の作曲家は「もう秋」派が多いように思うのです。

シューマンのライン、地中海音楽めぐりなどの稿にて音楽は気候風土を反映していると書きましたがここでもそれを感じます。ですから演奏する方もそれを感じながらやらなくてはいけない、これは絶対ですね。夏のノリでばりばり弾いたブラームスの弦楽五重奏曲なんて、どんなにうまかろうが聴く気にもなりません。

ドビッシーがフランス人しか弾けないかというと、そんなことはありません。国籍や育ちが問題なのではなく、演奏家の人となりがその曲のもっている「気質」(テンペラメント)に合うかどうかということ、それに尽きます。人間同士の相性が4大元素の配合具合によっているというあの感覚がまさにそれです。

フランス音楽が持っている気質に合うドイツ人演奏家が多いことは独仏文化圏を別個にイメージしている日本人にはわかりにくいのですが、気候風土のそう変わらないお隣の国ですから不思議でないというのはそこに住めばわかります。しかし白夜圏まで北上して英国や北欧の音楽となるとちょっと勝手が違う。シベリウスの音楽はまず英国ですんなりと評価されましたがドイツやイタリアでは時間がかかりました。

日本では札幌のオケがシベリウスを好んでやっている、あれは自然なことです。北欧と北海道は気候が共通するものがあるでしょうから理にかなってます。言語を介しない音楽では西洋人、東洋人のちがいよりその方が大きいですから、僕はシベリウスならナポリのサンタ・チェチーリア国立管弦楽団よりは札幌交響楽団で聴きたいですね。

九州のオケに出来ないということではありません。南の人でも北のテンペラメントの人はいます。合うか合わないかという「理」はあっても、どこの誰がそうかという理屈はありません。たとえば中井正子さんのラヴェルを聴いてみましたが、そんじょそこらのフランス人よりいいですね。クラシック音楽を聴く楽しみというのは実に奥が深いものです。

 

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指揮者アルパッド・ヨー(Arpad Joo)の訃報

2014 SEP 27 3:03:24 am by 東 賢太郎

この人を知っている方はかなりのクラシック通でしょう。訃報といっても3か月近く前の7月4日、66歳の若さでシンガポールで亡くなったようです。本当に惜しい。生まれはハンガリーで後に米国に帰化しています。父方がハンガリー貴族、母方は英国王室ウィンザー家という血筋でした。

あのゾルタン・コダーイが6歳のヨーの才能に感嘆し、自分の音楽院に入学させ、13年後に亡くなるまで教え続けたというから異例なことです。20歳の時にピアニストとしてボストンのリスト国際コンクールで優勝しましたが、のちにマルケヴィッチ、ジュリー二の教えを受け指揮者としてのキャリアを積みました。メットのオーケストラの史上最年少音楽監督にもなっています。

彼の演奏会を聴いたわけではないですが、80年代にロンドンでSefelというレーベルから出ていた彼のブラームス4番、同ドッペル、マーラー1番のLPを買い、とても印象に残っていたのです。ただ、それは当時売出しのデジタル録音が珍しく、盤質が別格的に良いレコードで、音質の好印象が大きかったという気がします。

jooさきほど、ブラームス4番(下の写真の人物がヨー氏)を30年ぶりに聴いてみました。これがなかなか宜しいのです。一切奇をてらわずの正攻法でロンドン交響楽団をどっしりと鳴らしていますが、木管、特にこの曲で要であるフルートが雄弁に語っていて聴かせます。第2楽章のロマンは渋めで深々としたもの。第1楽章コーダは加速がなく、第3楽章も安定したやや遅めのテンポをとり、終楽章は古典的なたたずまいでjoo2ほとんど見栄を切らずに堂々たる終結に至ります。80年録音だから32歳、それでこの4番は立派なものです。録音は格別で、オケの立体感、弦の質感、木管・金管の定位と実在感はホールの2階席最前列でライブを聴くがごとしの素晴らしさ。音響面では僕のライブラリーにあるすべてのブラームス4番の最上位にあるもの一つといってよろしいと思います。

次に聴いたのが、昨日も書いたチャイコフスキー5番でした。

joo3これはフィルハーモニア管弦楽団とのCDで、ドイツで買ったもの。ケンペと同じく「チャイコ5番」の稿にはご紹介していない理由は演奏のせいではなく、ARTSというレーベルなのですが製造がいい加減で左右チャンネルが逆に入っているからです。こんなひどいクラシックのCDは珍しい。ところが演奏はというと、これが名演なので困ったものです。94年録音でヨーは46歳。オケがいきなり初めから気合いが入っていて、指揮者がやる気にしている気配をひしひし感じます。ケンペよりずっとロマンティックで一般のリスナーがこの曲に求める要素はほぼ過不足なく、非常に高いレベルで盛り込まれていてオケも素晴らしくうまい。とにかく良く鳴っています。金管のレベルの高さは感涙ものであり、終楽章のテーマをフルート、オーボエ、クラリネットのユニゾンでffで吹く大事な部分は9割のオケは僕には音程が不満なのですが、このオケは合っていて満点です。音響はやや残響が多めですがエッジも充分で、自分の部屋でこれを大音量で聴くのは最高の快感です。

しかし、さらにこのCDのうれしいのは付録で入っている幻想序曲「ロメオとジュリエット」です。これはロンドン交響楽団との演奏ですが、こっちもオケが良く鳴っているばかりか、ホールトーンとのブレンド、楽器の定位・実在感と質感、演奏のクオリティ、どれもが最高で5番よりさらに一枚上手。これは僕の持っているロメジュリの中で文句なく最高位のディスクであり、オケの音響という面でもレファレンス級。これだけの素晴らしいオケの音はなかなか聴けるものではありません。お客さんに装置を聴いていただくならまずこれからというレベルで、これを耳にすれば東京のホールなんかにカネを払って聞きに出かけるのはアホらしいというのはご理解いただけると思います。

音の話になってしまいましたが、いくら高級な装置で録音したり再生したりしても、鳴っている元の音が美しくなければ意味がありません。ロンドンのオケからこれだけの音を紡ぎだしたヨーの実力のなせる業に他ならず、当たり前のことをやってこれだけ高水準の仕事をできる人というのはいそうでそうはいないでしょう。何があったかは知りませんが、コダーイの高弟でコンクール優勝というこれだけの実力者がポスト面でも録音面でも日陰に置かれたというのはリスナーにとっては不幸というしかありません。ぜひ一度実演を聞いてみたかった指揮者がまたひとり逝ってしまいました。

 

(補遺、25 June17)

ブラームスのドッペルも大変に素晴らしい。エミー・ヴェルヘイのヴァイオリン、ヤーノシュ・シュタルケルのチェロ、アルパッド・ヨー指揮アムステルダム・フィルハーモニック管弦楽団。オランダの女流ヴァイオリニスト、ヴェルヘイはチャイコフスキー・コンクール大会始まって以来の最年少17才でファイナリストになった神童でオイストラフの弟子。やや線は細いがシュタルケルの向こうを張って室内楽のような味のある合奏を繰り広げる。オケも堂々たる正攻法のブラームスであり、コンセルトヘボウの空気感までとらえた録音はあらゆるオケをこの音で聞きたいと思わせる。ロンドンで30年も前に買ったLPだが、一聴して以来長く心に残り愛してきた逸品だ。

 

 

 

 

(こちらへどうぞ)

チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調 作品64 

 

 

 

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