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カテゴリー: ______海外出張記

百済旅行記(1)-奈良はナラである-

2013 SEP 25 1:01:48 am by 東 賢太郎

今回は韓国の扶余(ぷよ、韓国ではBuyeoと発音)に2泊し、忘れ難い印象を抱いて帰国しました。map_hanbando (1)

ソウルの南にある忠清南道から全羅道にいたる朝鮮半島西側は三国時代に百済の版図であり、東側の新羅と対立していたのは皆さん学校で習われたと思います。百済は漢城(現在のソウル)、熊津(ウンジン、現在の公州)、泗沘(シビ、現在の扶余)と2回遷都し、西暦660年に唐と新羅の連合軍に攻められて扶余で滅亡しました。その際に斉明天皇、中大兄皇子(天智天皇)の命で日本が5万の兵を百済援軍として送り、大敗を喫したのが有名な「白村江の戦い」です。

space (1)公州、扶余を経て郡山で海にそそぐ錦江という川があります。白村江とはその河口の郡山のあたりだったそうです。この川は扶余のあたり流域では白馬江と呼ばれます。13世紀の高麗の史書である三国遺事によると、連合軍に攻められた百済の義慈王が降服すると、宮女3000人が貞操を守るために白馬江に次々と身を投げて自ら命を絶ったと伝わります。高校時代に習ったこの哀話は長らく頭に残っていて、いつかはそこへ行ってみたいと思っていた地のひとつでありました。

korea_south_map僕が初めて韓国へ行ったのは1997年だから42歳と遅く、それまでは近くて遠い国でした。仕事で行き来するようになって近い国とはなりましたが、それでも訪問はソウルばかり。ハングルを勉強するわけでも韓流ドラマにハマるわけでもなく、近さは知れたものでした。しかし古代史好きとして書物を通じてだんだんと日韓両国のぬきさしならない関係が見えてくるにつけ、古代の重大事件である白村江の戦いが実は「百済再興戦争」であったという説に傾いていきました。これに関してはこれから書いていきます。

今回初めてソウルでも慶州でも釜山でもない、あの百済の王宮があった扶余への道を南下したのですが、高速が忠清南道に入ってしばらく行くと、窓外のなだらかな山々や田畑の景色に「これは奈良だ」という感じをふと抱きました。以前ある住宅メーカーの工場見学で行った斑鳩、飛鳥、平城京跡のあたりに雰囲気が似ているのです。そういう先入観があったのかもしれませんが、撮った扶余の写真をアットランダムに載せますのでご覧写真 (22)ください。慶州は新羅の都であり、これもなかなかいい所で2度行きました。こっちは交通の便もよく、それがネックである扶余とは好対照なのですが、その点もどこか京都と奈良の関係に似ています。古都といえばまず京都であって奈良は修学旅行だけという場合も多いのです。素晴らしい寺社仏閣が幾つもあるのに。それは、うまく説明できませんが、どうしてもそこ(平城京)が日本史の起点で写真 (23)あるという気分が、少なくとも僕の場合は希薄であるのが遠因かと思います。奈良への思いはイタリア人がローマに、フランス人がパリに、イングランド人がロンドンに抱く感情とやや異質であり、それはどちらかというと京都になる。僕は京都人でも奈良人でもないので、そういう風に日本史を教わってきたのだと思います。現代にいたるまで韓国の政治経済を牛耳るのは旧新羅地域系の政治家、会写真 (24)社、財界人であって、例えば旧百済地域出身の大統領は金大中だけです。桓武天皇の平安京遷都以来京都が日本の都であり、奈良は影が薄くなっているのと似た気がするのです。慶州は寺も仏様もどこか男性的、直線的、いかめしく威圧的な相貌を見せ、科学技術が発達して天文台までありました。対して扶余は女性的、曲線的、柔和で平和的であり、科学よりも美やアートへの嗜好や趣味性が強いと感じました。ガイドの黄(ファン)さんに「土地の人の特色は?」ときくと、「ゆっくりしゃべることです。山道で岩が落ちてきて、”危ない!”と言い終わるのは岩が行ってしまった後」というのがジョークなんですと笑う。彼女はソウル出身なのですが、その言葉にはどこか浮かばれなかった百済に同情的なトーンが感じられました。

写真 (25)宮女3000人が貞操を守るために錦江(白馬江)に次々と身を投げて自ら命を絶った崖は落花岩と呼ばれます。その姿が岩場から落ちる花のようだったからです。その場所には船に乗って行きますが、右が船から横に見た落花岩の遠望です。船着場から石段を登っていくとやがて皐蘭寺があり、高麗時代に宮女たちの霊を慰めるために建てられました(その写真が一つ上のものです)。寺の裏には薬水が沸いて写真 (30)おり、1杯飲むと3年若返るといわれ、2杯飲みました。しかし、一息ついてさらに登ると、その効能も空しくもう息が切れましたが。高所恐怖症ゆえ恐る恐る見ると水面ははるか50-60mは眼下になっています。すると、右のような標識が現れます。3000人というと飛び込むのに1人1秒として50分かかります。とすると900mの行列にはなるからここの写真 (29)地形では無理でしょう。この話は数の誇張があるのでしょうが、仮に100人であっても悲痛な話であることに変わりはありません。標識にある百花亭というのが右の東屋で、落花岩の真上に建っています。ここに立って眺める白馬江は広々とゆっくりと蛇行して流れ、平和そのものの風情なのがいっそう悲しく感じます。下の写真が船上から見た落花岩ですが、右中腹にその名が書かれているのが見えますでしょうか。写真 (26)

写真 (28)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの岩のてっぺん、飛び込んだあたりから水面を見下ろすとこうなります。

 

南無阿弥陀仏

 

 

 

写真 (27)宮女たちはよほど唐軍に追い詰められ、よほど思い詰めていたのでしょう。右の写真、百花亭から彼女たちが飛び込んだスポットを見おろしながら黄さんがしみじみとつぶやかれた言葉、

「 戦争に負けると男性は全員殺されました。でも女性は強姦されて奴隷に売られたんです。だから・・・・」

 

戦争とはいつの世もそういうものですよ。忠誠と貞操を命を懸けて守ったのは立派なことです。僕らは皆でそう返しました。すると、

黄さん  「百済はここで終わりました。でもそのすばらしい文明と文化はここから日本        へ行ったんです。そして、日本で花開いたんです。」

そういう方向へ行きました。誰も返す言葉がなくなってちょっとしんみりムードになりましたが、そうしたら

先輩   「いやーウチのカミサンなら後ろから俺を押しますな」

人生の先達による奥義を極められたひとことで一気に笑いがこぼれ、会話が軌道に戻ったのでした。

それにしても、百済はここで終わりました。でもそのすばらしい文明と文化はここから日本へ行ったんです。そして、日本で花開いたんです。とは黄さんのいう通りではないでしょうか。そしてちょっと違うのは、男性でも女性でも、殺されずに日本に逃げのびた王族がたくさんいたことでしょう。その人たちがすでに奈良の大和朝廷となっていた親戚縁者に援軍を頼んだのが白村江の戦いであり、それは唐・新羅連合の前に風前のともしびだった同胞を助ける「百済再興戦争」だったという説がありますが、それが整合性があるように思うのです。

今上天皇ご自身が2001年に「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と、サッカーワールドカップ共催に関する「おことば」で述べられたことをご記憶の方も多いでしょう。天皇の生母がハーフであった?それは尋常ではないことだ!と考えるよりも、両国が「同じ国」だったからこそ尋常だったのだと考える方が自然ではないでしょうか?

扶余の車窓の風景に僕は「これは奈良だ」と感じたのですが、奈良に来た古代百済人は「これは扶余だ」と感じたのではないかと思います。そしてその地をウリナラと呼んだ。ナラ(韓国語で国の意味)に万葉仮名で奈と良をあてて奈良になったのではないでしょうか。ちなみに扶余は古代満州に存在した国の名であり、現在でも中華人民共和国吉林省松原に扶余県として名を残しています。高句麗に滅ぼされたそこの王族が朝鮮半島に移動し、その地を扶余と呼んだのでした。奈良がナラであるのはそれと同じことではないでしょうか。そしてそのナラは百済である。証拠や根拠はありませんが、そう考えてみるのも面白いものです。

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

 

(こちらへどうぞ)

百済旅行記(2)-倭国に来たもの-

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり飛行機はきらい

2013 AUG 8 23:23:34 pm by 東 賢太郎

さきほどソウル出張から戻りました。今回は日本の某1部上場企業オーナー様を現地財閥トップにご紹介する目的でした。両社オーナー様と3名でのディナーはいつもながら大変勉強になりました。米ロのスパイ疑惑の話では、どこで情報を盗むのか質問すると「ホテル」とのこと。社長は英国のジョン・メジャー元首相から「朝ごはんで部屋を出るときが一番危ない。必ずめんどうでも携帯とパソコンは持っていけ」と指南されたそうです。スパイ映画さながらです。

韓国は朴大統領が「経済民主化」を掲げて当選したため財閥たたき(いじめに近い)が横行しているそうです。財閥が国の大半の雇用を生みだしているのに逆に中小企業を圧迫していると非難され、例えば多くの従業員を雇って税金もたくさん払っているキャノンがそう言われてたたかれ、国内に基盤がないゼロックスはお目こぼしになるという意味不明の事態が起きているようです。財閥のグループ内取引は厳しく制限され、競争入札が義務付けられて安かろう悪かろうの商品に負けてしまう。それでは長期的には国の生産性を下げて国際競争力が落ち、結局逆に失業を増やすと思うのですが。そういう理屈は通らないようで、政府の人気取りであるという声も根強くありました。

ぜんぜん関係ないですが、高所閉所恐怖症の僕として今回の航空会社えらびはちょっとだけ考えました。例のアシアナのサンフランシスコでの事故。そうしたら今度は大韓航空がどこかでオーバーラン。先方様でチケットは買っていただけるのですが「JALでもANAでもどこでもいいですよ」と言っていただいたにもかかわらず、結局大韓航空にしました。理屈が先に立つ僕として、こう考えます。

まず世界をきれいに2つに分ける。①不可抗力で墜落②不可抗力以外で墜落。①は離陸で鳥がエンジンに飛び込んだり着陸で突風が吹いたり、4社どこでも同じ確率です。だから②だけで決められる。一度事故った会社は運輸安全委員会から厳重に注意なんかが出る。2度もやったら会社を潰す。だから実はより安全だ。相当いい加減な説であります。われながら。そう納得しながら「いや実は機内食は大韓のビビンバがいちばんうまい」「スチュワーデスも美人である」というのが本当の理由だったりします。何でもいいのですが、要は、そういうことを考えないと飛行機がこわいのであります。困ったもんです。

 

 

南洋の釣り船に悠久の時を思う

2013 JUN 24 22:22:25 pm by 東 賢太郎

最後の日です。これでミクロネシア・レポートも最終回です。

朝5:15起き。全員で釣りに出かけました。これは6:00ごろ、出航前のボートです。潮の香りがいいですね。

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夜明け前なのに気温は20度ぐらいでしょうか。このまま海に飛び込んでもいいぐらいのあたたかさです。この島では、お金は一銭もなくても凍死はしない餓死もしない。これがパラダイスでなくて何でしょう?我々は文明国に生まれて良かったと思いこんでいますが、ここの島の人は東京のような都会に住みたいとは誰も思っていないでしょう。凍死しないように大枚はたいて家を買い、餓死しないように毎日あくせく働き、欲望と見栄のために勉強したりお金を貯めたり・・・・

我々の人生、お金や地位を得る無意味な競争のために時間を空費して死ぬだけなんじゃないか? だとしたら文明なんて何の足しになるのか? ここの悠然とした大自然の大きさの前では文明人のはずの僕らなどお釈迦様の手のひらの孫悟空みたいなもんです。ベートーベンの交響曲がどうしたやらベースボールがどうしたやら株式市場がどうしたやら、そんなのはもうどうでもいいなという満腹感に似た感情といいますか、潮の満ち干みたいな大自然の摂理にこころがぴたっと共鳴しているのが自分でわかるのです。こういうことは人生で初めてです。

そんな気持ちをぼーっと一人味わっていると、皆さん、早々とボートに乗り込みました。

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いよいよ出航です。MRAの紅一点日本人社員、石原嬢も釣りは今日が初めてだそうで少し緊張の面持ちです。まぐろ用と小型魚用の2つのボックス。でっかいですね。ぜったい大物を釣るぞという心意気がみなぎっております。

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海はどこまでもおだやかです。船酔いの薬を飲んだ人もいましたが、いらないんじゃないかなあ。僕は酔わないので遠慮しました。ダダダダダ、エンジン音も軽快に。ぐーんとスピードが出てくると風が肌にここちいい。右側からいよいよご来光の時間が迫っています。

 

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皆さん、とくとご覧ください。下がミクロネシアで僕が撮った最後の一枚です。

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遭難者のカメラにはきっとこういうのが残るんでしょうね。何があったかって?

 

ここから船長は猛スピードで沖をめざして一直線に舟を進めました。やがて珊瑚の環礁から外に出たんでしょう、舟はすごい高波に木の葉のようにもまれだします。いや、甘くみていました。全員、頭のてっぺんから波をぶちまけられて、まるで泳いできたかのようにびしょびしょです。よし、このシーンを撮ってやろう。今回この旅行のために買ってきた最新式のキャノンのデジカメを取り出します。

あれっ、動かない!

押しても引いても何をやってもご機嫌をとっても、ダメでした。海水が入ったんでしょうか。こういうわけで写真はおしまいになってしまったのです。

それでもボートはどんどん進みます。来た距離は例のダイヤモンドヘッドが後ろで遠くに霞んで見えなくなるぐらいで、ひょっとしてこのままチューク島でも行くんじゃないかと冗談も出ました。船長さんたちはぜんぜんしゃべらず、どうしようとしているのか誰もわかりません。ここはサメがいるらしいし、転覆でもしたらまずいなあ、皆さんちょっと不安なのか無口に・・・・。N さんはやっぱり船酔いになってしまいました。と、そうこうするうち、船長さんは無言のままやおら船首を180度旋回して、来た方角に向けて引き返しだしました。糸を垂らしてみたわけでもなく、どういう都合かぜんぜんわからないのですが、なにか残念なようなほっとしたような・・・・。

まぐろはどうもいなかったようです。残念です。きのう子供が小舟で釣っていたのにね。すると赤銅色の肌をした老練な船長は 「マヒマヒを釣るぞ」 とけっこう上手な英語で高らかに宣言するではないですか。おお、さすがだ。臨機応変な判断だ。目だけでそれがわかるんだからすごいよね、一同より称賛の声が上がります。すると2人いる船員が、黄色いプラスチックのロールになんだか無神経な太めの糸が巻きつけてある道具を箱から2つ取り出しました。これを舟の両側から海に垂らして、舟を加速するとマヒマヒが疑似餌に食いつくのだそうです。そこでやおら登場した疑似餌!これの写真が撮れなかったのは痛恨です。七夕さまの笹にぶらさげるボンボリみたいで間抜けな顔をした、たぶんイカのつもりなんだろうがその割には足が銀色でやたらに多い、いかにも釣れそうにないマンガ的物体が堂々と針に装着されたのです。

午後1時のフライトなので、それを海に垂らす残り時間は30分。皆が交代で今か今かと糸を持ちます。マヒマヒってどんな顔つきなんだろう、たしかハワイで食べたけどおいしかったよ、疑似餌のサイズからして大きそうだから引きは強そうだね・・・・。こんな会話がなされること約15分。しかし引きはおろか、糸はピクリともせず。そうこうするうちに、皆さんだんだんあの間抜けなイカの顔が目に浮かんできたのか、でもあれに食いつくのはよっぽどバカな魚だよね、スピードでごまかさないと無理だよね・・・・皆さん会話のトーンが一気に変わってきます。

わかった。これは釣りの疑似体験つきクルーズだったんじゃない?

そうか!あのでかいボックスにおみやげのまぐろが2匹ぐらい入ってるんだよ。

もう皆さんやけくそです。誰からともなく、おなかすきましたねということで石原嬢お手製のおにぎりをいただきましたが、それのおいしかったこと!釣糸のことはもう皆わすれておにぎりに集中。それをするどく見ぬいてかどうか、「今日はおしまい!」、船長の毅然とした号令一下、舟はダダダダダとエンジン音も軽快に港に午前9時の予定通りに帰還したのでありました。予定通りだったのはそれだけですね。おみやげのまぐろは出ませんでした。下船したあと、温厚で大人物であられる T 社長より、

ちょっとコミュニケーションが不足しておりましたな

と締めのご講評。まさに言いえて妙でした。ホテルへ帰ると迅速かつ的確に定価通りの125ドルの請求書が我々を出迎えてくれたのです。この3日半、初めての南洋でのすばらしい体験の連続でした。まあ人生、万事うまくいくことはありませんしね。最後にちゃんと帳尻があってご愛嬌で終わるのもまた次回の楽しみが残ったと考えることにいたしました。また来たい、いや必ず来るつもりです。

長々とお読みいただきましてありがとうございました。僕だけはここからグアムに3泊しましたが、写真の都合で順番が分かりにくくなってしまったことをお詫び申し上げます。

 

世の雑事が頭から完全に消えた日

2013 JUN 24 18:18:43 pm by 東 賢太郎

ナンマドールとケプロイの滝を見た後は胡椒(こしょう)農家を訪問しました。東インド会社のころ、アジアからヨーロッパへもちこむとダイヤモンドと交換できたという胡椒ですが、どんな植物でどういう風に栽培されているのか見たこともありませんでした。これがその農園です。 097

立てられた杭にツルのように巻きついていて、ブドウの房のように実がついているのです。

101実を噛んでみると、ラズベリーか固めのサクランボみたいな歯ざわりなのですが、出てくるジュースはまぎれもない胡椒の味なのです。乾燥してああいう辛い味になると思っていましたが元々だったんですね。2~3個で舌がしびれてきます。

ところで下の写真の右上にある濃い緑の葉っぱの木が何かご存知でしょうか?

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これです。

108これ、マンゴーの木なんです。高さは20メートルぐらいの堂々たる巨木です。バナナの木みたいなのを想像してましたが・・・。マンゴー様が偉大に思えてきました。

だいたいどこの農家も豚を飼っているようです。子豚の色分けが面白いですね。

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死んでるのかと思いました。究極のリラクセーションですね。見ているだけで肩こりが治りそうです。

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これがウワサのマンゴーです。もぎたてです。あの木から獲れたのでしょうか。ワイルドに皮をむいてかぶりつきます。こんな甘くてジューシーなのは食べたことがありません。止まらなくなって3つもいただきました。

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農園のご主人から胡椒をおみやげにいただきました。けっこうたくさんあります。ステーキにかけたり野菜炒めに入れたりは定石ですが、通の食べ方として醤油、みりん、砂糖で煮て佃煮にすると絶品と教わりました。世が世ならダイヤモンドです。深謝です。

コロニアに戻ると6時過ぎ。そろそろディナーです。最初に行った海辺のアメリカンレストラン「マリーナ・クラブ」に行ってみることになりました。そこからしばらくのんびりと海を見ていると、ボートからまぐろを釣った子供が降りてきました。明日は釣り船に乗るので期待が高まります。あんなボートで子供でも釣れるんですね、などと話していました。

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これがここのメニューです。これも悪くないでしょう?  お味もヴォリュームもgoodです。SASHIMIもあります。

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ココナッツ・ジュースを注文しました。するとウエーターがOKといって店のわきの椰子の木にするすると登るではありませんか! これに穴をあけてストローを入れて、お待たせしました! となるんです。冷蔵庫に牛が入っている牛乳のCMがありました。あのノリですね。東京だったらいくらとられるだろう? 贅沢です。120

食事がサーブされるとどこからともなく、またあいつが現れました。たくさん人がいるのに、迷うことなくまっすぐに僕の横に来て見上げます。どうしてわかるんでしょうか? 122

さんざんおいしい料理とワインをいただき大満足。帰りはホテルまで腹ごなしに歩き。屋台をひやかしながら帰りました。これは鰹でしょうか。明日は朝5:45に集合で釣りに出ます。なんとなく皆さん頭はそっちの方に。

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いや、ものすごく濃い一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

ケプロイの滝

2013 JUN 24 16:16:25 pm by 東 賢太郎

降雨量世界第2位のポンペイは滝が多いようですが、ここにご紹介するのは「ケプロイの滝」といいます。ナンマドールのあと、お昼ごろに茂田さんにご案内していただきました。まず、こういう川沿いのけもの道のような小路をどんどん上流に向かって歩きます。 082

ゆるい傾斜のある道ですが、2~30分ほど行けば水しぶきの音がだんだん大きくなってきます。

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着きました! 気温もやや涼しくなってくると、熱帯にいることを忘れてしまい、いつのまにか日本にいるような錯覚に陥ってくるのが不思議です。088

高さ、幅とも2~30メートルぐらいでしょうか。轟音で声はほとんど聞こえません。ここで皆さんじっと黙ったまま滝のパワーを感じつつ、茂田夫人お手製のお弁当とおにぎりをおいしくいただきました。デザートはバナナです。これは甘いうえに少し酸味がかっていて最高においしく、初めての味でした。そして仕上げは椰子の実のジュース。もちろん実ごと丸ごとです。重たいのを運んでいただいてありがとうございます。

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企業秘密ゆえ皆さんのお顔入りの写真を公開できないのが残念ですが、全員が満面の笑顔なのをご想像ください。男性5人、女性1人でしたがこの日は遺跡に滝と、島のパワースポットを訪ねるまるで大人の遠足でした。僕だけ初対面でしたが、この3日半は「数奇な」体験の連続で、こういうものを共有させていただいたのは何かのご縁と思います。

 

 

日本人は企業も若者もミクロネシアに進出すべし

2013 JUN 24 13:13:34 pm by 東 賢太郎

ポンペイ島の2日目。ミクロネシア連邦法務省登記官のサマリ・スタさんとです。

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ここがMRAの本社で我がレイゾン・キャピタル株式会社もこのビルの一室に入りました。後ろの壁には両国の国旗しかないのにご注目ください。MRAは日本企業だけにサービスする目的で設立されたミクロネシア連邦専属のエージェントなのです。中国や韓国の誘致はいっさい視野にありません。米国信託統治領から独立した現在もまだ米国から教育、医療などの財政補助を受けていますがそれは2023年に期限が切れます。ですから当然のこととして海外企業の誘致が10年後を見据えた国家戦略なのですが、その相手に日本を選んでくださったということなのです。嬉しいではありませんか!ちなみに後ろの写真、中央がモリ大統領、左が「亀井さん」似の副大統領です。

下はポンペイ島北部に位置する連邦首都パリキールにある国会です。屋根もソーラーパネルはODAで日本が作ったものです。連邦裁判所もこの隣ですが、殺人など凶悪犯はまったくないそうで、あってもコソ泥ぐらい。いったい何を裁くんだろうと皆の話題になったほど治安はよろしいようです。ちなみにダンナの浮気で奥さんが逃げたというのが新聞ネタになるそうです。平和ですね。

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だれがこの光景を見て一国の永田町、霞が関と思うでしょう。金額では米国の援助の次に日本国のODAが大きく、島の火力発電所は三井物産が、道路舗装は前田建設が受け持ちました。ここの敷地の風力発電機も日本製です。一位の米国がお金を出さなくなるわけですから日本が頼られるのも道理です。それには政府よりもむしろ民間が応えてあげることで両国の関係はより緊密になるはずです。

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僕がここに会社を作ろうと思ったのは節税などのしみったれた話ではなく、小さくてもいいので国家を相手とした事業をやってみたいという昔からの強い願望があったからです。坂本龍馬はそれが英国だったし、僕の先祖も開港直後の横浜に信州伊奈から出てきて英米相手に生糸貿易と金銀両替商をやっていました(後者は銀座の田中貴金属として残っています)。血が騒ぐとはこういうことだとつくづく感じています。

この日のディナーはMRAのホストで、日系人のご夫婦が経営する海辺のレストランでミタ元駐日大使とスタ登記官にごちそうになりました(下)。右はスタさんです。外でいただく予定でしたが突然というか想定どおりというかバケツをひっくり返したような集中豪雨に見舞われまして屋内のテーブルになりました。

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お店の棚にあるご主人のトロフィー。ゴルフ場はないので何かなと思いきや釣りのトーナメントの優勝カップでした。まぐろの刺身がうまいわけですね。

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メニューは日本語が書いてあります。通貨は米ドルですよ。

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さしみ定食1100円、やきそば、ラーメンが900円、日本そば800円、海老フライ定食2300円、親子丼900円、そうめんといなり寿司1000円、ステーキライス2000円・・・・

いかがですか?ぜんぜん問題ないでしょう。味ですか? 断言しますが香港の妙ちくりんな「日式」などとは比べ物にもなりません。あんなものを日本料理だといって、知らない中国の人が勘違いするのも困る。香港に住んだ2年半、あれは一度でこりて2度と食べませんでしたが、ポンペイの日本食は毎日でもOKですね。ということで皆さん、安心してポンペイ、ミクロネシアへお出かけください!

 

異次元の飲み物「サカウ」

2013 JUN 23 21:21:36 pm by 東 賢太郎

ポンペイの夜、マーク・ヒースが案内してくれたバーで地元の人に妙な飲み物をすすめられた。バーといってもホテルから5分ぐらい車で離れた海辺にある木造の丸い平屋で、まん中にディスコがあって入口の隣にビリヤードが一台置いてあるだけ。ロックががんがん響いていて5~6人の若い男女が何をするともなくたむろしている。若い頃なら好奇心もわいたが、このトシこいてちょっと場違いな感じの場所だ。

コップにそそがれたその飲み物はすこしねっとりとしているように見える。マークがあんまりたくさんは飲むなと言うので軽くひとくち含むと、とてつもなくまずくて吐き出してしまった。泥水をバリウムで溶いたような苦味といえば近いだろうか。みんな僕のしかめっつらを見て笑う。それでもその飲料はなにか大切なものらしいという雰囲気であったので、ありがとうと日本語で一礼してすぐコップを持ち主に返した。

これは何だとたずねると、「サカウ」ときこえる。音楽がうるさくて良く聞こえなかったが、ポンペイで昔からお祝いやら冠婚葬祭やら、大事な日に飲む特別の飲み物らしい。飲むとしばらくして気持ちがおだやかになってケンカがおさまるとも。あとで分かったことだが、植物の根をつぶしてとったエキスで神経を鎮静させる薬理作用がある。多用すると害もある。しかしこの島では公式の場で飲む神聖な飲料なのだ。翌日に訪問したコショウ農家に、まさにこのサカウの根っこをたたいて砕く大きな石臼のようなものがあった。叩くのはこぶしより少し大きめの石で、博物館で見る石器時代の農具を思い出した。

これで思い出したが、創業時のコカコーラには麻薬コカインを含む「コカの葉」(多くの国で麻薬とされる)の成分が少量含まれていたらしい(Wiki)。成分を発表しないので今はわからない。しかし南米ボリビアではコカの葉をお茶として日常一般的に飲まれているのだから、麻薬と見るか薬理作用のある植物と見るか線引きが難しいのかもしれない。ポンペイの「サカウ」もそれに似たものなのだろう。

何という物か名前を忘れたが、同じ人から大き目のピーナッツのような形の木の実に石灰の粉をまぶしたものもすすめられた。絶対に噛むなよ、しゃぶるだけだよと言われて口に入れると今度はこれがピリリと辛い。予想外のお味にやはりすぐ吐き出すことに。ここでは政治家までがこれをチューインガムのように日常的にくちゃくちゃやっているようだ。僕は40か国でいろんなものを食べたから少々のものでは驚かない。食文化というのは実に奥が深いが、しかし、ここまでくるともう異次元体験だ。こういうのは、このトシこいた身ではなく20代の若者のころに味わいたかった。サカコーラの創業者ぐらいになれたかもしれないなあ。

 

ポンペイ島ナンマダール遺跡を見る

2013 JUN 23 20:20:04 pm by 東 賢太郎

ポンペイ島に20年居住してホテルやガイドをされている茂田さんの案内で、この島の最大のツーリスト・スポットであるナンマダール遺跡へ。場所は島の南南東。ホテルは最北端なので一時間以上かかります。道路は日米のODAでほとんどは舗装されていますが、遺跡に近づくとそこは未開のジャングル。道もデコボコです。車は密林の中をゆっくりと進みます。031

この地域はある部族の支配地で、遺跡見物は酋長への支払と許可がいります。顔見知りのガイドなくして入ることは無理のようです。下が酋長のお宅です。昔よりここに来ると神が雨で出迎えるそうですが、そのとおり降られました。茂田さんが交渉しましたが、今日は潮が高いのでボートは出せない、歩いてくれと言われました。030

歩く道には別な地主(下の家)がいて、そっちに料金を払いました。関所みたいなものです。満潮でないと儲からない地主ですね。皆さん雨合羽姿で黙々と歩きます。

 

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ナンマドール遺跡は5世紀ごろから王の墓として海上に石を積んで造られ、その後は祭祀の場となったようですが、ポンペイはスペインが征服するまで文字がなかったそうです。米西戦争の賠償金捻出のためドイツに売られましたが、発掘した遺物を持ち帰ろうとしたドイツ船が難破したためここの歴史をたどる道筋はとぎれてしまいました。

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熱帯には何度か行きましたが、こんなジャングルを歩くのは初めてです。木々や植物の霊気を感じます。虫除けスプレーのせいかもしれませんが、蚊やアブはぜんぜん現れませんでした。千年?はたっていようかという巨木の前で。

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海辺になると森はマングローブになってきます。お顔が見えるのが茂田さんです。木の橋を渡っています。

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お待たせしました、これが遺跡です。こういう小島のようなものが16あり、これが代表的なもののようです。石が雨で滑って歩くのがとても大変でした。

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目の前の浅瀬を全員が歩いて渡りました。深さはひざの少し上まで。海水はまったく冷たくなくて、そのまますぐ泳いでもいい程度の温度でした。

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副葬者の墳墓は破壊されたように見えますが、何百年の間に木の根が石を動かしたそうです。

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下は島民の主食であるパンの実です。どこの家の庭にもあるそうです。これと椰子の実が生活を支えています。椰子の呼び名は成長に応じて10種類ほどあるようです。出世魚でもそんなにありませんから、いかに島民が椰子の実を大事に関心をもって扱っているかわかりますね。

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遺跡の壁面の高さは5~6メートルはありました。大きな石は4トンもあるそうです。5世紀の人がこんな巨石をどうやって積み上げたのか、エジプトのピラミッドもそうですが謎です。下の写真のアングルだとどこか日本のお城を思わせます。

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人っ子一人いない中を闊歩するのは気持ちよかったです。

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これは何かおわかりですか?バナナの花です。野性でいくらでもあります。上の方にバナナが見えますね。

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これはテレビでよく見るマングローブです。マングローブという植物があるのではなく、海上に群生する木を総称してそう呼びます。日本のテレビ局がときどきロケに来るそうで、元読売の記者だった茂田さんが解説されるのがお決まりだそうです。

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同じ道を戻ってふたたび酋長の家の庭です。あひる、にわとり、犬、ねこ、ぶた、うなぎ・・・いろいろいます。世のうさを忘れるのどかさでした。島一周が車で約4時間。我々が宿をとっているポンペイの州都コロニアもミクロネシア連邦の首都パリキールも島の最北端で、商店も病院もそこにかたまってありますから2時間近くかかります。ここは文明とほぼ隔絶された場所といっていいでしょう。

 

078 大うなぎです。神聖な生き物とされ、食べることはありません。といっても、なまずのようであまりおいしそうにも見えませんが・・・。

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これでおしまい。なかなか強烈な体験でした。こういうものを見てしまうと我々が普段に観光、見学といっているのはディズニーランドのなんとかアドベンチャーと変わらないなと思います。電気と車があるぐらいで、あとはたぶん何百年まえとそうちがわない生活をしている人たち。そして彼らを取り巻く、たぶん何万年まえと同じ景色であろうジャングルの木々。地球という星のいとなみが永久不変であり、我々人間はそのわずかな一部分でしかなく、我々の人生はほんの一瞬の出来事でしかありません。産業革命以来、人間は文明という名のもとに世界中の自然を破壊してきましたが、結局それは天に唾するものであるをここの空気を吸って身にしみて味わうことになりました。

 

アメリカ米「白菊」は結構おいしい

2013 JUN 22 22:22:17 pm by 東 賢太郎

1週間も外国にいるとやはりお米が恋しくなります。ミクロネシアではあまりのエキゾチックな雰囲気に圧倒されて日本食を忘れていましたが、グアムまで来ると贅沢がいいたくなります。ということで、ホテルにある「日本」というレストランで3回もお世話になることになりました。

いただいたお米の食感になんとなく覚えがあるので店の人に銘柄をたずねると、カリフォルニア米の「白菊」というそうです。思い出しました。フィラデルフィア時代に食べていた「国宝ローズ」というカリフォルニア米にちょっと似ているのです。魚沼コシヒカリのようなもちっとした歯触りも洗練された甘みや粘り気もなく、どことなく飾り気ないのですがコメ(イネ)という植物の味がしっかり出ています。ここが好きずきの分かれ目でしょう。色白ぽっちゃりの和風美人と、化粧っ気のない南方風美人の違いといった感じでしょうか。形はというと、インディカ米ほどではありませんが日本米ほど短く丸っこくはなく、少しだけ細長い感じです。

ちょっと粗野なお味なので一流のお寿司屋はまず使わないでしょうが回転ずしならOKのレベルです。長いこと食べたせいか僕はこの多少ぱさっとした食感は好きで、チャーハン、カレーでは固めに炊いたこれをあえて指定したいぐらいです。おそらく大規模農業で栽培できてしまうので値段はずっと安いはず。これが大量に入ってきても日本のブランド米が売れなくなることはないでしょうが、久々にカリフォルニア米を食べると、TPPのお米戦略は慎重にしたたかにやったほうがいいなあと思ってしまいました。

 

 

グアムの岩場にて

2013 JUN 22 21:21:20 pm by 東 賢太郎

 

ホテルから海に降りました。実にきれいで青さに息をのみます。

写真[1] (2)

ビーチはなくてこのようなサンゴ礁の岩場です。生きている珊瑚の環礁が島をぐるりと取り囲んでいるのはミクロネシア諸島も同じで、島と環礁の間の海はラグーンと呼ばれ、遠浅で高い波はありません。岩の表面はこんな風になっています。

写真[1] (3)

海に入って浅瀬を50メートルほど沖まで歩いてみました。

写真[1] (4)

岩の上にはなんやら得体のしれない生物が。魚にも見えますが動きが素早く、近づくと瞬時に岩から岩へ移動します。ご存知の方、ぜひ教えてください。

写真[2]

これまた何か知りませんが不思議な植物の花?がたくさん落ちています。

写真[1] (5) 熱帯の植物は僕の眼にも色鮮やかです。あまり見かけないものがあり面白いですね。

写真[1] (6)

シェラトンの青いラグーンは好きです。ここはちょっとせまいですが、例えばオーストラリアはケアンズの北にあるポートダグラスのシェラトン・ミラージュのは広大で、僕が行った世界のリゾートホテルの中でも好きなものの一つです。おすすめします。

写真[1] (7)

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