Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ソナーの仕事について

明けましておめでとうございます

2014 FEB 1 1:01:46 am by 東 賢太郎

今日は上海で今年二度目の元旦を迎えました。目出度いことに息子が今日二十歳の誕生日を迎え、奇しくも神山先生の誕生日でもありました。

昨日はお世話になっているM社様に一日ご案内いただき、最新の中国事情を教えていただきました。ご駐在20年を越えるT取締役のお話しはさすが現地で様々なご苦労をされた方の言葉だと感服しました。先生をご紹介しようということだったのですが、それにとどまらず大変面白い新規ビジネスのヒントまで頂戴し興奮してなかなか寝つけませんでした。心より感謝します。

それに加えて新年好、シンニェンハオを祝う爆竹と花火の音がものすごく、32階のホテルの部屋でも爆音が響きわたります。日本の花火大会でクライマックスに乱れ打ちがありますが、あれと同じくらいの連発が午前零時から30分はつづきましたからスケールがでかいですね。おまけに今日の夕食を予約していたレストランが自分の爆竹で玄関を燃やしてしまうというハプニングも。ところが爆竹は本来家の中でも鳴らすものでその煙をたくさん吸うと縁起がいいとのこと。むしろそれはいいじゃないかと先生は三名のご友人と何事もなかったように悠然と夕食をホストして下さったのです。大人、タイジンの風格とはこのことでありました。

息子の門出に号砲と祝宴、新規ビジネスの種、いただいた皆様に感謝申し上げます。

猫の手も・・・・・

2014 JAN 24 20:20:09 pm by 東 賢太郎

明日の土曜日は名古屋でまた別案件の会議が急遽入りました。日帰りではありますが・・・。本業以外に5つの案件が同時に動き出しており、僕の身は一つなのでかなりてんてこまい、猫の手も借りたい事態になってきています。社外の援軍に助けていただくことになりそうです。ソナーは昨年に50-50のジョイントベンチャー(LLP法人)を某会計事務所と設立していて1案件はそのパートナーと作業を住み分けできますが、その他4つは僕個人が動かないとどうしようもなく、ソナーが単独で負うしかありません。無責任にお引き受けするつもりはないので時間配分を慎重に決定する必要があり大変悩んでいます。来週あたりに僕が主導することになる一番大きな案件のための会社が資本金1億円以上で設立され、成り行き次第ではすぐにニューヨーク出張です。こんな有難い事態は人生何回もないでしょうし、5年後には体力的にもう無理だろうから全力でやろうとは思います。それでもSMCブログは必ず時間を作って懸命に書きますのでなにとぞよろしくお願い申し上げます。

 

今日の素晴らしい出会い

2014 JAN 21 23:23:23 pm by 東 賢太郎

たまたま昨日の今日になりましたが、僕の大変尊敬する某上場企業オーナー社長を神山先生にご紹介しました。その夕食の席で知ったのですが今日が20年来の天中殺を抜ける大事な日だったそうです。社長ご自身もそれほど星(運命)についてご造詣が深く、先生の診療所は天井を高くしたほうがいい等のアドヴァイスもあり、また先生の頸椎への鍼で効能を感じていただけたようです。社長もご本業で上海は昔から何度も行き来されていて中国についてははっきりしたご意見をお持ちです。僕の知識ではとても理解できない会話で4時間があっという間に過ぎました。

人と人のご縁とは本当に不思議なもので、社長とは昨年の出会いなのですがこうして輪が広がることでさらに大きなものができそうに思いました。先生の影響があって僕は現在は「医療」という分野に強い関心があります。その勉強をしています。これこそ人を助けることのできる、60歳からの大きな仕事になるかもしれないと感じるからです。僕は医者ではないのであくまで側面サポートですが、世界に通用する医療技術を持つ医師にスポットライトを当て、診療費は医療保険等でもっと広くカバーするやり方があるかもしれないと考えています。シンガポールは国を挙げてその方向に舵を切っていますし、個人がお金持ちのドバイは日本の名医をプライベートジェットでお迎えに来る時代になっているのです。そういう考え方をお金持ちだけでなく一般の患者さんが受益者になれる方法で実現したいと思います。高齢化社会は供給側ではなく需要(患者)側のニーズにもっと立脚した医療サービスを求める時代ですし、供給側にもっと適度な競争原理を導入すべきとも思います。

僕がこう考えるようになった契機は社長にいただいたこの本です。興味ある方は是非お読みください。アメリカについての本ですが、医療、ヘルスケア、保険などの制度についての問題はわが国も共通するものがあり、大手薬品メーカーであるファイザーの社長が中立的な視点でしている構造改革の提案はとても説得力に富んでいます。

「未来との約束」-ファイザーCEOが語る-(ハンク・マッキンネル著)ダイヤモンド社

未来との約束

 

 

 

芸能界裏話

2014 JAN 16 2:02:01 am by 東 賢太郎

今日はある仕事で芸能関係のトップのかたとメーク・ヘアスタイリストの女性お二人と会いました。そういう世界とはとんとご縁のない人間なので僕の自己紹介は「すいませんね、TVはニュースしか見ませんが」から入ります。

話し出すと面白い。彼は有名らしい「奇跡の一枚」なるTV番組(僕は知らんが)の関係者と言っておきましょう。1万人以上の芸能人と会った裏話は、僕でも知っている範囲内のタレントの話題ですが、ちょっと名は明かせないぐらい生々しい。

たとえば

-AKBは48人にメークさんは7、8人だけで上の10人以外は化粧は自分で手塗り  -120番目以下の子は目の前を歩いても誰も気づかないしずっとそのまま。。最初100番の子は頑張れば50番ぐらいにはなるが絶対にトップ10にはなれない。        -某大女優様のCM料は1億円から交渉、一日拘束料は別途1400~1600万円    -映画に数億円出資したスポンサーでもツーショット不可(付人が怖くて頼めない)  -某大物女優は大物財界人の彼女で怖くて誰も近寄れない               -飛行機はファーストで前後左右の席は必ず空席にさせる                 -高倉健さんの礼儀正しさは有名(年寄りにも20代の若僧にも変わらないから誰でもファンになってしまう)                                        -大物俳優になると付け人の費用は意外に自腹(払わせるのは小物扱いされる)   -映画受賞で世界的に有名になった俳優某はまだエラそうで小物とされる       -大物Wはジャガー3台で乗り付けイケメンだけの付人が10人いて全員役目がちがう

なんて感じでいくらでも。バブル期の証券界もそれなりでしたが、やっぱり人種が違う。大物になる人は若い時でも10m先から歩いてきても存在感が違うそうで、時代劇で殺陣の名手だった上記Wさんは付人だけでなく彼らにも財布からマン札をわしづかみにして、みんなで食事でもしなさいとポンとくれたそうです。青山の日本一高い服屋も後学のため行きました。革ジャンが200万円ですね。芸能人と野球選手などが客筋だそうです。巨人のしょうゆ顔の某が買ってハワイに行ったらしいが、似合わんと思うけどなあ。

 

 

新プロジェクトに挑戦する

2014 JAN 9 21:21:50 pm by 東 賢太郎

「自分史の書き方」を読んで面白いと思ったが、足腰がたたない老人になってから回顧録を書くというスタイルは僕には合わない。現在進行形にしたい。半生記の継ぎ足しでライブ中継し、人生ゲームオーバーになったらそれが全生記になってるというのがいい。SMCは西室の邪魔をしないように、そういう場にもさせていただければと思う。

2010年に独立するまでの人生で、社長ポスト2回と副社長ポスト1回のお誘いを受け、やらなかった。社長は1度、副社長は1度、取締役2度、執行役員2度、拠点長3度、業務部門長2度はやった。しかし経営者としてのトータルの自己評価は30~40点ぐらいだ。

やらなかった3つの理由は簡単で、自信がなかった。負けそうなケンカは僕はしない。その一つは今ならやりたい、恐らく誰でもやりたいすごく魅力的なポストだが、当時は弱冠49歳であり、やってもきっと失敗しただろう。他の2つは受けなくて正解だった。ではやったものはどうかというと、成功より失敗のほうがずっと多い。

失敗の原因は今となると明白だ。僕の性格の独裁制、完全主義、短気、なめる、飽きっぽい、詰めが甘い、わきが甘いなどだ。これは生まれつきの部分と証券業界でついたクセの部分と両方ある。後者の方はおおきい。拙文を多くの野村の元同僚、先輩後輩がよむことを承知で書くが、僕は証券営業分野でプレーヤーとして他人に負けたと思ったことも負けると思ったこともない。だから、やりゃあいいんだろという基本スタンスになった。それが通用しなくなったのはそれを卒業してマネジメントになってからだ。

野村に入社して配属された梅田支店で、当時あこがれのスターだったT次長という人がおられた。公私にわたりご指導を受けた恩人である。後に某証券会社の社長になられたそのTさんが、新人の僕にこういわれた。「東、他人の2倍ならやるな。やっかまれるだけだ。10倍やれ。誰も何もいわなくなる。」 これは後になって実際に正しいことがよく分かった。以来、証券マンとして僕の不動のモットーとなった。

しかし、これはワンマンショーのプレーヤーとしてならワークしたが組織の長になるとむずかしい。どうしても落伍者が出る。本人は懸命なのだが目標が高いとそもそも無理という人が増える。サラリーマンは部下を選べない。人事部が全社的事情で送り込んできた、それに向いていない人でも使うしかない。彼らも夢や希望があるが、それは僕の10倍ビジョンの一部ではない。だから幸せになれない。

となると、9割が普通のサラリーマンから成る組織では僕も幸せにならない。業界がデフレで赤字続きになると、会社にしがみつく人は9割どころか99%になる。僕には彼らと一緒に生き残るために毎朝会社に来て意味もない会議をくりかえす忍耐力はない。すると結局全員が不幸になる。だから僕はそこにいない方がウィンウィンという当然の結論になる。

つい昨日と今日、年明け早々に、非常に面白いプロジェクトをやらせていただく有難いお話が立ち上がった。これは金融だが証券ではなく、僕の未体験分野である。しかし背景となる分野はもともとが理系である僕にとって大変興味深い。そして世のため人のためになる。そして何より、スケールが莫大に大きい。いままではいただいた話ばかりだったが、今回は人生で初めて自分からやらせて下さいと申し出た。

ここで思い起こすことは、ささやかな体験だ。もっとさかのぼる。ゴルフや野球は欲がなくてひょうひょうとやったら意外に良かった。完全試合やるぞ、70台出すぞと力んでいつもだめだった。結果オーライだったのはそうでないときだ。今回はそういうスタンスで行けそうな気がしている。知らない分野だから勉強は大いに必要である。それについても、大学受験のときなみにやってやろうと決めた。当然ひとりでできる話ではない。社員と知己に助けていただくことになるだろう。本日は決意表明まで。

 

 

 

 

 

来年の日本株を予想する (My thoughts on Equity Market in 2014)

2013 DEC 25 1:01:55 am by 東 賢太郎

安倍政権の発足から1年たちます。誕生した12月26日の日経平均引け値は10,230.36円だったので、昨日(同15,889.33円)までで55.3%の上昇です。10万円で株を買った人は5万5300円の利益を得たということですね。

これは凄いことです。

どう凄いか? 現在の金利水準ですと円ベースで年間5%で回せばプロとして合格でしょう。55.3%の運用益はその年5%を9年連続したものに相当します。例えれば、「年5%で運用します!」と宣言しながら8年連続収益ゼロで「ドアホ!」とド突かれていたファンド・マネージャーが、9年目に一気に公約を果たしたという満塁ホームラン利回りです。道行く人の誰もがそんなことができてしまった。ちょっと品格を欠く例えで恐縮ですがパチンコのチューリップが開きっぱなしだった(古いか)、とにかく奇跡のような年でしたね。

今年の5月17日にブログにこう書きました。

 これから日本株はどうなるか?

結果はこうでした。

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ごらんのとおり、直後の3か月(6-8月)は経済環境の様子見で横ばいでした。最後の3か月(9-12月)にはまた18.7%上昇しました。

 

以下、上記ブログの文章をベースに解説します。

 

「コイツら本気みたいだぜという凄味があるからたまたま経済学どおりに事が運んでいるのです。円安がどこまで行くか、日本株がどこまで上がるかは、このドスがどこまで効き続けるかということを最大の決定要因としています。」

⇒ この前言はまったく覆す必要はありません。

「これはアベノミクスを受けて個人消費が意外に早めに好転している兆候と考えられなくもありません。ということは物価も意外に早めに上がってしまい・・・」

⇒ これは米国経済が予想より堅調なことと消費増税効果で相殺です。ですから円安は続きます。120円まで行ってもおかしくありません。

 「経済成長が鈍い、お金の需要が低いほうが株が上がるという「妙な上げ方」をしているのがこれまでの株式市場だと言って大きくははずれていません」

⇒  この前言も当面の所まったく覆す必要はありませんが、4月以降にその転換点が来ると予想します。素人がどの株を買っても儲かるのはそこまでです。

「私見では参院選を契機として7-8月ごろに前述のドスの効用がチェックされ、4-6のGDP次第で本当の勝ち組企業にマネーがシフトするはずです。とすると9-12でまた株価は上がります。」

⇒ たまたまですがそうなりました。まだ上がります。

 

株式市場ド素人の経済評論家、政治評論家と称する人たちがテレビや新聞で「日経ダウ1万6千円だ」と騒いでいます。口をそろえて、

アベノミクスの「第3の矢」が今後の相場のカギだ

などと言っていますね。こういう連中に騙されないことです。彼らはべつに騙す気はないでしょうが「もっともらしいことをテレビでしゃべる」ことだけの専門家であって、要は毒にも薬にもなりません。「もうかなり上がったのでこういう点は要注意ですね」などとリスクへの配慮を見せた方がどこか知的な人に見えるのでほとんどがそのトーンを装います。実はそういう人こそまったく知的でないのです。株式市場の原理など誰一人として知らないし興味もない。株を売買した経験すらほとんどの者がないでしょう。そういうのを日本語では耳年増と呼びます。

第3の矢である成長戦略などそもそも政府が考えるものではありません。名前からして「おためごかし」です。できるのは規制緩和だけですが、既得権益をつぶすようなやり方で自民党がやることはありません。なぜならその最大の所有者が官僚であり、アベノミクスは官僚、日銀の暗黙の支持を前提としています。既得権益者に睨まれてデフレに戻ったら自爆テロです。そんなことやるわけないでしょう。

第3の矢がなかったと騒いで安倍政権の足を引っ張りたい左派の連中と、原理的なことを考える能力の欠落している野党がそう言っているのです。それほど引っ張るところがありません。でも来年は国政選挙はありませんし、野党は「みんな」がコケてすべて瓦解しました。2大政党制であるなら強力な与党が出現すると国民に必要とされて形成されるのが強い野党です。それが瓦解ですから野党形成力すらない。そんなのが与党になれるはずもないのです。

安倍さんは歯牙にもかけていないでしょう。ドスのきいた眼はしばらくは曇らないのではないでしょうか

つまり日本株はまだまだ上がるでしょう。私見では東京オリンピックまで続きます日本国そのものが経済金融の20年の中期転換点を昨年に超えたことこそがその真の原因だからです。アベノミクスが成功したからではなく、それはその結果にすぎません。彼は成功すべくして成功したにすぎません。つまり、安倍さんを首相にした空気もその結果であり、まして第3の矢など何の関係もありません。来年に中国などの不測のファクターで世界株安のような場面があれば、買い場になると思料いたします。

 

 

SMC忘年会に思う

2013 DEC 21 0:00:15 am by 東 賢太郎

お陰様で12名でとことん盛り上がりました。皆様、ご多忙の中ありがとうございます。とくに遠方新潟からご出席の青木先生、韓国からの三田さんには感動です。新メンバー江崎さんもすぐうちとけられました。想定外?の本数の酒、ワインの空瓶が並んだように記憶しており、僕以上に記憶をなくされたと見える方もおられ、皆様の無事のご帰還だけがいささか心配ではありましたが・・・。

皆様とは古くは30余年、最近ではわずか1か月のおつきあいですが、その長短にはかかわらずおひとりおひとりに出会いの物語があり、すべてがかけがえのない宝物です。それが僕だけの宝ではなく、やがてみなさん同志の宝物になることこそ僕の夢です。西室の名幹事でそういう一歩がふみだせました。

人の出会いはほんとうに不思議なもので、ソナーという会社は英国人Sさんが僕に出資してくださったことで産声を上げました。必ず波長が合うからロンドンまで会いに行ってみろといってくれたのはNYの安岡さんです。僕はSさんは初対面でしたが安岡さんを良く知っています。安岡さんは僕もSさんも両方を良く知っています。一か八かでしたが僕は安岡さんを信用しています。即決でロンドン行きの英国航空のチケットを買いました。

こうやってひとつの出会いが波紋のように広がるのは世の常ですが、実は目に見えず広がっているのはこの「信用」なのではないかと常々思っております。僕が安岡さんを信用し、安岡さんも僕を信用し、Sさんが飛び込みで来た僕を信用してくださった。両氏にいただいた信用に努力で応えるのは当然のことであり、それが信用をもっと強くします。

ソナーがなければSMCもありませんでした。そこでメンバー全員の皆さんと、そして皆さん同志でも、新しい信用の和が築かれつつあります。それを感じました。信用というものからは、誰だってにわかには信用しないほど大きなものが生まれます。1+1が5にも 10にもなります。僕は何度もそれを体験しております。そして、それが単なるお知り合い関係、お仕事関係からは絶対に生まれないものであることも体験しております。いつかメンバーの皆様にはそれがお分かりいただける日が来ることを願っております。

最後に、盛況にみちびいてくれた畏友西室に深謝です。

 

 

 

 

 

百済旅行記(2)-倭国に来たもの-

2013 SEP 26 0:00:39 am by 東 賢太郎

今回泊まったロッテ・扶余リゾートホテルの10階の部屋からは、このように8番ホールが目の前に見えます。こういう風に部屋から見ているギャラリーがそこそこいて、池の右横から画面左方向へのティーショットは緊張しました。

写真 (31)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう古都で遺跡を見ながらゴルフに興じるというのは乙なもので、2番ホールからははるかあの落花岩を望むこともできる。下の写真の奥の山がそれです。キャディーさんが観光案内役でもあって、それを教えてくれました。写真 (32)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりはおそらく古戦場であり、ここであの合戦が繰り広げられていたと思うと感無量なのですが、こちらもグリーン上の合戦の真っ最中であり感傷はご無用でした。

終了後、宮南池(クンナムジ)に案内されました。武王の庭園で王宮の南に位置するのでこう呼ばれます。この大きな池の周囲は小さな池が点在します。入り口にはこれが。写真 (33)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名前はなんだか知りませんがいわゆるここの「ゆるキャラ」ですね。後方にはたくさんの蓮(はす)の葉っぱが見えます。池ごとに50種類もの蓮(はす)が集められているそうです。こういう美へのこだわりは百済の特徴と感じます。こんなのもありました。25kgまで載せても沈まないそうです。写真 (34)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮南池には東屋まで橋が架かっています。ガイドの黄さんによるとわが国の飛鳥時代の庭園造形の技術に影響があるそうです。写真 (35)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこか中国風でもありますが、たしかに日本庭園に通じる風情があり、ここを経由して日本に伝わったもののひとつかもしれません。仲たがいした男女がこの池を一周すると仲直りできるという言い伝えがあるそうで、そのせいかカップルが目につきました。

このあと訪問した国立扶余博物館では館長さん(女性)御自ら蓮の葉のお茶と茶菓子をふるまって下さり、棒振り合戦でこちらも棒のようになった足を休めさせて下さいました。松の花粉で作った菓子は韓国でも貴重だそうで、美味でありました。

そこで拝見したのがこれです。百済博に備えて別室で公開していない実物を特別に見せていただきました。今や扶余のトレードマークとも言ってよい有名な「百済金銅大香炉」であります。

大香炉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この見事に均整のとれた曲線美に僕は音楽を感じます。自然界に直線はありません。この香炉にもありません。曲線が造形する調和というものは宇宙の調和です。何も置かれていない広々した棚にこれがポツンとあって、館長さんがスイッチを入れて光を当てました。すると、この香炉ではなくて、周囲の空間の方がこれに吸いよせられているような、そうして光っているような、不思議な光景が現れました。

この香炉にはわが国の飛鳥文化に深く投影されている何ものかを感じます。

しかし僕にとってさらに興味深かったのは、この6-7世紀に造られた香炉が制作時は金箔が施されて金色に輝いていたことです。「金箔を貼ったのですか?」と伺うと館長は「いいえ。金と水銀を混ぜていったん塗り、後で熱して水銀を蒸発させました」 とのこと。それは水銀アマルガム法といいます。「奈良の大仏がそれで塗られましたね」と指摘すると目を丸くされて、ひときわ大きな声で、「その通りです。当時の最先端技術なんです。」 なにか日韓の小さな絆が一つできた気がしました。

黄さんはそれを聞いて何も言いませんでしたが、

「百済はここで終わりました。でもそのすばらしい文明と文化はここから日本へ行ったんです。そして、日本で花開いたんです。」

と顔に書いてありました。

 

(こちらへどうぞ)

嬉野温泉スパイ事件の謎

 

 

 

百済旅行記(1)-奈良はナラである-

2013 SEP 25 1:01:48 am by 東 賢太郎

今回は韓国の扶余(ぷよ、韓国ではBuyeoと発音)に2泊し、忘れ難い印象を抱いて帰国しました。map_hanbando (1)

ソウルの南にある忠清南道から全羅道にいたる朝鮮半島西側は三国時代に百済の版図であり、東側の新羅と対立していたのは皆さん学校で習われたと思います。百済は漢城(現在のソウル)、熊津(ウンジン、現在の公州)、泗沘(シビ、現在の扶余)と2回遷都し、西暦660年に唐と新羅の連合軍に攻められて扶余で滅亡しました。その際に斉明天皇、中大兄皇子(天智天皇)の命で日本が5万の兵を百済援軍として送り、大敗を喫したのが有名な「白村江の戦い」です。

space (1)公州、扶余を経て郡山で海にそそぐ錦江という川があります。白村江とはその河口の郡山のあたりだったそうです。この川は扶余のあたり流域では白馬江と呼ばれます。13世紀の高麗の史書である三国遺事によると、連合軍に攻められた百済の義慈王が降服すると、宮女3000人が貞操を守るために白馬江に次々と身を投げて自ら命を絶ったと伝わります。高校時代に習ったこの哀話は長らく頭に残っていて、いつかはそこへ行ってみたいと思っていた地のひとつでありました。

korea_south_map僕が初めて韓国へ行ったのは1997年だから42歳と遅く、それまでは近くて遠い国でした。仕事で行き来するようになって近い国とはなりましたが、それでも訪問はソウルばかり。ハングルを勉強するわけでも韓流ドラマにハマるわけでもなく、近さは知れたものでした。しかし古代史好きとして書物を通じてだんだんと日韓両国のぬきさしならない関係が見えてくるにつけ、古代の重大事件である白村江の戦いが実は「百済再興戦争」であったという説に傾いていきました。これに関してはこれから書いていきます。

今回初めてソウルでも慶州でも釜山でもない、あの百済の王宮があった扶余への道を南下したのですが、高速が忠清南道に入ってしばらく行くと、窓外のなだらかな山々や田畑の景色に「これは奈良だ」という感じをふと抱きました。以前ある住宅メーカーの工場見学で行った斑鳩、飛鳥、平城京跡のあたりに雰囲気が似ているのです。そういう先入観があったのかもしれませんが、撮った扶余の写真をアットランダムに載せますのでご覧写真 (22)ください。慶州は新羅の都であり、これもなかなかいい所で2度行きました。こっちは交通の便もよく、それがネックである扶余とは好対照なのですが、その点もどこか京都と奈良の関係に似ています。古都といえばまず京都であって奈良は修学旅行だけという場合も多いのです。素晴らしい寺社仏閣が幾つもあるのに。それは、うまく説明できませんが、どうしてもそこ(平城京)が日本史の起点で写真 (23)あるという気分が、少なくとも僕の場合は希薄であるのが遠因かと思います。奈良への思いはイタリア人がローマに、フランス人がパリに、イングランド人がロンドンに抱く感情とやや異質であり、それはどちらかというと京都になる。僕は京都人でも奈良人でもないので、そういう風に日本史を教わってきたのだと思います。現代にいたるまで韓国の政治経済を牛耳るのは旧新羅地域系の政治家、会写真 (24)社、財界人であって、例えば旧百済地域出身の大統領は金大中だけです。桓武天皇の平安京遷都以来京都が日本の都であり、奈良は影が薄くなっているのと似た気がするのです。慶州は寺も仏様もどこか男性的、直線的、いかめしく威圧的な相貌を見せ、科学技術が発達して天文台までありました。対して扶余は女性的、曲線的、柔和で平和的であり、科学よりも美やアートへの嗜好や趣味性が強いと感じました。ガイドの黄(ファン)さんに「土地の人の特色は?」ときくと、「ゆっくりしゃべることです。山道で岩が落ちてきて、”危ない!”と言い終わるのは岩が行ってしまった後」というのがジョークなんですと笑う。彼女はソウル出身なのですが、その言葉にはどこか浮かばれなかった百済に同情的なトーンが感じられました。

写真 (25)宮女3000人が貞操を守るために錦江(白馬江)に次々と身を投げて自ら命を絶った崖は落花岩と呼ばれます。その姿が岩場から落ちる花のようだったからです。その場所には船に乗って行きますが、右が船から横に見た落花岩の遠望です。船着場から石段を登っていくとやがて皐蘭寺があり、高麗時代に宮女たちの霊を慰めるために建てられました(その写真が一つ上のものです)。寺の裏には薬水が沸いて写真 (30)おり、1杯飲むと3年若返るといわれ、2杯飲みました。しかし、一息ついてさらに登ると、その効能も空しくもう息が切れましたが。高所恐怖症ゆえ恐る恐る見ると水面ははるか50-60mは眼下になっています。すると、右のような標識が現れます。3000人というと飛び込むのに1人1秒として50分かかります。とすると900mの行列にはなるからここの写真 (29)地形では無理でしょう。この話は数の誇張があるのでしょうが、仮に100人であっても悲痛な話であることに変わりはありません。標識にある百花亭というのが右の東屋で、落花岩の真上に建っています。ここに立って眺める白馬江は広々とゆっくりと蛇行して流れ、平和そのものの風情なのがいっそう悲しく感じます。下の写真が船上から見た落花岩ですが、右中腹にその名が書かれているのが見えますでしょうか。写真 (26)

写真 (28)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこの岩のてっぺん、飛び込んだあたりから水面を見下ろすとこうなります。

 

南無阿弥陀仏

 

 

 

写真 (27)宮女たちはよほど唐軍に追い詰められ、よほど思い詰めていたのでしょう。右の写真、百花亭から彼女たちが飛び込んだスポットを見おろしながら黄さんがしみじみとつぶやかれた言葉、

「 戦争に負けると男性は全員殺されました。でも女性は強姦されて奴隷に売られたんです。だから・・・・」

 

戦争とはいつの世もそういうものですよ。忠誠と貞操を命を懸けて守ったのは立派なことです。僕らは皆でそう返しました。すると、

黄さん  「百済はここで終わりました。でもそのすばらしい文明と文化はここから日本        へ行ったんです。そして、日本で花開いたんです。」

そういう方向へ行きました。誰も返す言葉がなくなってちょっとしんみりムードになりましたが、そうしたら

先輩   「いやーウチのカミサンなら後ろから俺を押しますな」

人生の先達による奥義を極められたひとことで一気に笑いがこぼれ、会話が軌道に戻ったのでした。

それにしても、百済はここで終わりました。でもそのすばらしい文明と文化はここから日本へ行ったんです。そして、日本で花開いたんです。とは黄さんのいう通りではないでしょうか。そしてちょっと違うのは、男性でも女性でも、殺されずに日本に逃げのびた王族がたくさんいたことでしょう。その人たちがすでに奈良の大和朝廷となっていた親戚縁者に援軍を頼んだのが白村江の戦いであり、それは唐・新羅連合の前に風前のともしびだった同胞を助ける「百済再興戦争」だったという説がありますが、それが整合性があるように思うのです。

今上天皇ご自身が2001年に「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と、サッカーワールドカップ共催に関する「おことば」で述べられたことをご記憶の方も多いでしょう。天皇の生母がハーフであった?それは尋常ではないことだ!と考えるよりも、両国が「同じ国」だったからこそ尋常だったのだと考える方が自然ではないでしょうか?

扶余の車窓の風景に僕は「これは奈良だ」と感じたのですが、奈良に来た古代百済人は「これは扶余だ」と感じたのではないかと思います。そしてその地をウリナラと呼んだ。ナラ(韓国語で国の意味)に万葉仮名で奈と良をあてて奈良になったのではないでしょうか。ちなみに扶余は古代満州に存在した国の名であり、現在でも中華人民共和国吉林省松原に扶余県として名を残しています。高句麗に滅ぼされたそこの王族が朝鮮半島に移動し、その地を扶余と呼んだのでした。奈良がナラであるのはそれと同じことではないでしょうか。そしてそのナラは百済である。証拠や根拠はありませんが、そう考えてみるのも面白いものです。

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

 

(こちらへどうぞ)

百済旅行記(2)-倭国に来たもの-

 

 

 

 

 

 

 

百済の首都にて

2013 SEP 22 1:01:59 am by 東 賢太郎

いま韓国の扶余に来ています。仕事ではありますが、たまたま日本古代史の本をまた読み出した矢先であり、グッドタイミングでありました。非常に関心をもっている白村江の戦いの現場に行かれるのが楽しみであります。明日はゴルフですが、追って詳しくレポートしたいと思います。

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