東京ビッグサイトにて
2015 FEB 11 20:20:28 pm by 東 賢太郎
今日は機器メーカーのお客様のご招待で東京ビッグサイト(東京国際展示場)へ行ってきました。日本最大のコンベンションセンターで、総敷地面積24万平米(約7万3千坪)は東京ドーム5個分、総展示面積8万平米(約2万5千坪)は1.7個分というと大きさはご想像いただけるでしょうか。
もう始まっていたので外見はこうですが中は数万人でごったがえしています。初めてでしたが、とにかくでっかいです。
開催されていたのは「第49回スーパーマーケット・トレードショー2015」で、スーパー業界の巨大な見本市です。出展業界は店舗設備・資材、情報・サービス、生鮮食品、加工食品、ケアフーズ、菓子・スイーツ、飲料・酒類、地方・地域産品です。
面白いのはやっぱり食べ物、お酒ですね。こういう感じです。
出展者は売り込みで必死ですからいくらでも試食、試飲させてくれます。いくつかおいしいのがあってデパ地下のノリで買いたかったのですが即売会ではないので買えませんでした。
こいつはうまかったですね。イタリアのバラデン社の「チェドラータ」。ディアマンテ産の柑橘系フルーツ「チェドロ」の炭酸飲料です。
一般で行っても3日間5,000円で入れます。おいしい食材をあれこれつまみ食いしてお酒は地ビール、大吟醸酒、焼酎、お屠蘇、こだわりワインまで何でもありですから充分に元はとれますね。
こいつもなかなかでした。宮崎県の「ひでじビール」の「月のダークラガー」です。ダークビールのわりにすっきり感があります。
日本の食は奥が深い。つくづく思いました。3時間で足が棒になりましたがおすすめです。毎年1回あるそうです。
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60代の初日
2015 FEB 5 0:00:02 am by 東 賢太郎
今日は顧問を拝命している会社で4時間も有意義な会話をさせていただきました。同社開発の例の的中率最高の占いシステムによると僕は60から新しいことを始めると成功する星と出ており、いっぽう社長ご自身の星は今年は長いあくがぬけてここで勝負しなければいつするかという年です。ということで大変元気が出る結果となり、還暦祝いをたくさんいただいて帰りました。やりましょう。ありがとうございます。
会社と家には別々な方からお花が届いており、義弟からのお祝いもありこれまた感謝感激です。施設にいる父から電話があり母も元気とのことであり、また、メールのほうでは「何をおっしゃいますか・・・いままさに観覧車の2周目がはじまるのですよ」とご叱咤までいただき、嬉しい限りです。はい、頑張ります。
家では好きなステーキと大きなケーキで家族に祝ってもらい、去年からノイ(ねこ)も加わってるもんですから大変な賑わいでした。なんとなく来るとこ来ちゃったなという気持ちもあったのですが、皆様と家族のおかげで無事再スタートさせていただき、これ以上はない60代初日を迎えることができました。
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大経営者と占い
2015 JAN 15 17:17:34 pm by 東 賢太郎
昨日はさる大経営者を午後3時半にお訪ねし、ディナーまでご一緒して帰宅したら11時半だった。超ご多忙の中いつも恐縮することしきりであり、今日はこっちが元気の出る話をと思って行くのだがいつも逆にそれをいただいて帰ってくる。
世の中には原理主義の人がいる。テロリストみたいだから道理主義と呼ぼう。物事をつねに原理、道理からときおこして考える人だ。実は日本人としてはとても少数派であり、いたとしても大体が理屈っぽい「変わった人」だ。我ながら僕自身がそうだ。
道理を見る人はあれっと思うことに敏感だ。この方(社長と呼ぶ)も「どうしてみんなあれを見て驚かないんだろう、不思議でしょうがない」といつも言われている。実はそれと同じことを僕は家でニュースなんか見ながらいつも子供に言っている。
社長はだから尊敬する道理主義者であられる。ところが理屈っぽさや強引さを微塵も感じない。お人柄なりの自然体である。商売柄、僕は世界中で何千人もの経営者にお会いしてきたつもりだが、そういう人は一人もいない。
僕からすると社長とお会いするのは勉強に他ならない。オーナーとしてリスクをとって業態替えをして一代で東証一部上場まで果たしておられる方なのだから、どこかにその成功の秘密があるはずだ。いつもそう思って話を伺うが、それがわからないのは未熟を嘆くしかない。
事業で事を成した方々に共通なのは「元気だ」ということだ。元気というのは健康のことではなく人間としての「出力」のことだ。電気でいえば電圧である。事業というのはゼロから何か生むことだ。だからアウトプットするパワーが強大でないと話にならない。
社長の場合読書のインプット量も半端でなく行くたびに机は新しい本が山積みだ。親ほど歳は離れているが全くそう感じず高電圧である。それで相手をびりびり感電させないというのは経営者として理想ではないかと思う。ぜひそうなりたいと思うが、僕には及ぶところでないと思ってしまう。生まれついたものでありこれは越えられない。
同社が世界の数種の占い原理を統合したオリジナルのシステムを開発し、それがITソフト化されていることは以前にも書いた。これは同社名をとった命名がされている。それによると僕は社長の「対極」に位置する正反対の人間に生まれついている。両親とも同じ星だから極めつけだ。そうであれば無理なものは無理だ。
占いというのは、ひとえにそうやって信じるかどうかにかかる。道理主義者である僕はおそらく最もそれを信じないタイプに属すると思う。しかし同じ主義の社長は本業ではないこういうものを多大なコストで開発し、本業に生かす道を知っておられる。
道理主義者に共通なのは「つきつけられた証拠に偏見を持たず忠実」ということだ。というより、事実を無視したり捏造する人間は完全に別の人種だ。だから、僕はこの占いシステムに隠された何らかの道理を否定することができない状態になっている。
なぜなら偏見のリスクを割り引いても「よく当たっている」と思うからだ。自分、両親はもちろん昨日は家内と娘のもいただいたが、やはり相当に当たっている。社長は本人たちに会っていない。それが誕生日だけでわかってしまうのはちょっと恐ろしくすらある。このシステムを世界に公表したら大変な反響になるかもしれない。
これは中国由来の部分が根幹にあるそうだが、こういうことがあるからだろうか、ちなみに共産党の幹部は生年月日を明かしていない。習近平の誕生日は本邦外務省のHPにも「1953年6月生」までしかのっていない。年月まで明かして日にちを見せないのは他に理由が考えられない。一日ちがえばまったく違う人という結果になるからだ。
「道理」を解明せずにそれで人間を見るのは科学じゃない宗教だという人もいるだろう。でも占いというのはその人の過去を論じない。未来だ。どうせ先のことは考えてもわからないのだから何らかの道理を比定してみようというポジティヴな態度はそもそも科学というものを生んだ思想だし、道理主義が許容するレンジの最もポジティブなサイドにはあっても矛盾はしていないと思う。
まあ、こういう学校では絶対に教えてくれないことをご紹介しようというのがSMCの趣旨でもある。本来であれば社長のような方は教壇に立って若者を教えていただきたい。昨日いただいた話のように世界史や日本史を教わっていたら全く人生変わっていたかもしれない。勉強というのは知識を得ることではない、影響を受けることだとつくづく思った次第。
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某企業グループ胎動
2015 JAN 8 0:00:41 am by 東 賢太郎
某企業グループ総裁と毎月定例でお会いしているが、年末にある重大なことをお聞きし年初に出るよと言われた。売上数兆円企業のインサイダー情報になるので家族にもいえず悶々としたがやっと出た。体に悪い。そういうときは何も考えずに音楽でも聴いてるしかない。
まだこれからいろいろ出るが、今年は胎動の年になりそうということだ。これは我々にも影響がある。とっても大げさな例えになってしまうがほかにいいものがない。脱藩浪人の身であり西郷、大久保、木戸、伊藤にはもうなれない、坂本龍馬はあまり好きでないがやるならそんな類のことかもしれない。
5日は会社恒例で赤坂日枝神社へ初詣に。去年より行列が3倍も長い。みんな少しいいことがあるともっとと願うようになるからね、これがいま株式市場でおきてることだよといいながら面白い年であることを祈った。
予約してあった永田町の四川飯店で食事。麻婆豆腐は逸品。屋久島で買ってきた杉の話になり、これはご神木なのでブログにできないがと写真をお見せした。年末に我が家ではいろんなことがありこれも胎動だ。還暦の身だしいっさい自分から動かず自然体あるのみと決めた。
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黒田のカープ復帰は歴史をぬり変える
2014 DEC 27 14:14:40 pm by 東 賢太郎
今年の最後の最後に凄いニュースが飛び込んできました。パドレスが21億円を提示した黒田争奪戦、なんと4億円の広島カープが勝ったようです。
これはハナからお金の話ではなく、黒田という男の人生観の話と思います。僕はそう考えたい。
アスリートが上のステージでプレーしたいのは当然でしょう。そのために彼は広島を去った。そしてヤンキースでエース格になった。だから金と名誉もついてきた。
でもそれで彼は「あがり」じゃなかった。育ててくれた広島カープへの恩返しという、もっと重たいものが先にあった。そこがずっしりと重いですね。日本人として、人間として。
田中やダルビッシュもいい投手と思います。いずれ彼らも40歳になる。そこでこういうことができるかな。松井秀喜は日本なら軽く30本塁打できたと思いますが、復帰せず引退した。彼の人生観ですね。それと比べて評価すべき話と思うのです。
だから、メジャーへ行って全然だめでしたとかマイナーに落ちましたとかいうような人たちが仕方なく日本球界に帰ってきて、それでも何億円もらえましたなんていう品格のかけらも感じない金満話と一緒にして欲しくないですね、絶対に。
そもそも黒田は日本球界に帰ったのではない、カープという球団に自分の意志で移籍したのです。他の者とは月とスッポンの差である。日本の組織というのはわがまま言って出ていった者が帰ってきにくいものです。会社だって一度辞めた者が舞い戻るなんてことはまずありません。
だからほとんどの選手が違う球団に戻っています。それを引き戻した広島カープという球団を僕は見直しました。懐が深い。こういう球団だから黒田は戻ったんでしょう。思えば阪神に出ていった新井もそうです。カープのスタンスにとても日本的なものを感じます。お金だけのアメリカンでないものを。
お金といえばパドレスの提示した単年契約で21億7千万円はメジャー全球団でエース級の報酬です。40歳ですがまだメジャーリーガーの頂点にあるという評価であり、日本球界に帰る必要なんかさらさらない。
もうひとつ僕が感心したのは来期はあと1勝で全30球団から勝利という名誉がかかる年だったこと。そしてパドレスのオファー金額は40歳の選手としてメジャー最高記録だったということです。だからそれを受ければ歴史に名を刻む名誉でもあった。
アメリカというのは報酬金額=能力の証明、であっけらかんと皆が納得するわかりやすい国です。金持ちはきっと裏で何かやってるんだろうと疑う日本とはわけが違う。だからそれは堂々たる名誉だったのです。
黒田はもうカネはたんまりあるんでしょと穿って考える人もいると思うので書きますが、そういう人こそ次に欲しくなるのが名誉です。勲章をもらうのが生きがいの人、いくらでもいます。それも彼は蹴ったわけです。これも重い。
「恩がえし」という英単語を僕は知りません。復讐(リベンジ)はありますが・・・。辞書を見たらrequitalとありますが、これは返礼という意味でちょっとニュアンスがずれる。それにやっぱり復讐という意味もあるんです(笑)。
単語がない、ということは欧米人はそういうことはしないということです。存在しないものに名前はつけないのです。
希望的観測をこめて、これは以下の3つの大変化を生むと思っています。
①黒田は男の言葉の重みを変える
これは腐りきったニュースの続いた日本に強烈なインパクトになるでしょう。
黒田が言っていたといわれる「カープに恩義があるから活躍できるうちに帰る」という言葉は17億円より重かった。うわべだけのリップサービスじゃなかった。これに僕は涙が出るほどいま感動しているのです。
コピペ、STAP論文捏造、偽ベートーベン、おれおれ詐欺、食品偽装、やらせ、なりすまし・・・・こういう国辱ものの大嘘つきどもが吐いたり書いたり貼ったりした軽~い言葉、それを報じるマスコミや評論家やネット民の軽~い言葉。私利私欲や小遣いかせぎで議員になったような唾棄すべき連中の軽~い選挙演説や泣きわめき。
比べてみてください。けっして男だ女だいうつもりはない。でもね、「武士に二言なし」なんです、我が国は昔から。サムライは男です。なにより男の言葉が軽くなっちゃあいけません。
野球選手の話ですが野球の話じゃないです。高倉健亡き後、最高の日本男児が現れました。今年一年、はらわたが煮えくり返り、何度も何度も僕はブログにしてきましたが、黒田が百万倍の力でそれをぶっ飛ばしてくれました。
②黒田は世界の日本人評価を変える
これを聞いて、誰より仰天しているのはアメリカ国民です。確実に。
オー、ノー、ホワット イズ ヒロシマカープ?
なんだそれは?メジャーリーガーの誇りよりも、17億円よりもヴァリューがあるものなのか?日本ってなんなんだ?
でもね、これは僕の予測ですが、アメリカ人はきっと黒田をたたえると思いますよ。こいつはリアル マン(男の中の男)だ、サムライだって。
そりゃあ世界のどこへ行ったってこれはすごい、男として格好いい。17万円でいいから俺も言ってみたい。彼はスーパーマンになったのです。中国人、韓国人にできますか?
日本人って、カッコいい!
③黒田は近代経済学の歴史を変える
僕はまじめに言ってます。ウォートン・スクールで僕はノーベル経済学賞のクライン博士がこう言ったのをはっきり覚えているからです。
「人間は経済人である。経済的に必ず合理的な行動をとるのです」。
博士はまじめにそう言っている。だから僕もまじめに言ってます。
これから「ただし、目の前に落ちている17億円を拾わないサムライはその限りではない」というリマークが入ることになるだろう。
黒田君、ほんとうに凄い決断です。ありがとう。50年もカープを応援してきたことをささやかながら誇りに思います。
いかん、それで思い出しました。あまりに凄すぎて4つ目を忘れてました。
④黒田はカープの歴史を変える
これで来年は黒田、マエケン、大瀬良と三枚看板がそろい、優勝は完全に射程圏に入りました。
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忘年会は台風一過である(「吉田栄作Acoustic Night Vol.V」をきく)
2014 DEC 20 16:16:06 pm by 東 賢太郎
忘年会とは不思議なシステムである。ぱあっと食べて飲んで騒いでというなら西洋のクリスマスも似たところがある。だが、あちらはお正月は何もしないのにこちらは3日も休んで新年を祝うのだから、忘年会はその名のとおり終わった年を忘れるものなのだ。
西洋に住んでいて思ったのは、クリスマスもそうだがイースター(謝肉祭)やサンクスギヴィングデイ(感謝祭)のような宗教色のある行事が国民的に大事であり、ニューイヤーズデイ(元旦)というのは扱いがずいぶん軽いということだ。我が国では宗教行事でのお盆と並ぶ最大行事であるお正月なのに西洋ではカウントダウンで盛り上がる程度の単なる天文現象といった感じであり、夏至や冬至なみの軽さしかない。
では、そんなに大事なお正月の前哨戦である忘年会とは何なんだろう?wikipediaには「宗教的意味付けや特定行事様式の無い日本の風俗の一種である」とある。風俗?とすると民族的俗習ということか。しかし「一種」なのだそうだ。とするとフーゾクなんかとも親類関係になるのだろうか?さっぱり意味が分からない。
これも西洋にいて思ったことだが、和辻哲郎の「風土」流にいえば、我が国には「台風一過気質」とでもいうものがある。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」メンタリティーでもいいが、なんといっても「台風一過」だ。最近は「台風一家」と書く子もいるらしいがそうではない。「台風が去った後の雲一つないすがすがしい青空」のことだ。「after a sorm」のたったひとことで一律に「晴天」の意味になってしまうことは、西洋語ではない。
北海道を除けば、我々台風に何日か堪えることを余儀なくされる民族だ。強い風雨の恐怖に震え、時には家に閉じこもり、ひたすら耐える。数日たつと必ずそれは去り、うそのような青空に恵まれる。これを2千年もくりかえして出来たことばが台風一過だ。「誰だって耐えれば天のご褒美がもらえる」という万民共通の法則化していると思われる。
まあともかく、今年もみんな1年我慢して耐えてきたんだから終わりの時ぐらいはお互いに忘れっこ許しっこしようよ、「としわすれ」はそういうことことだろう。そうやって酒宴をやってみそぎをしてから神事である元旦を迎える。そう考えると我が国なりに筋の通った風俗には違いない。「まあまあ、ご両人、これでさっぱりと水に流して・・・」の水に流すという表現も大雨で水が流れる「台風一過気質」の一部であると解釈している。
僕は「としわすれ」したいと思ったことはない。忘れたいことはたくさんあったが、何も年末にまとめて忘れることもない。それでもサラリーマン身分だったから忘年会はたくさんやって、ある意味プロである。組織の長になるとそれは一種の神事でもある。飲むのは嫌いでないから楽しんでもいた。だからいざ始まってしまうと年を忘れる以前にその飲み会がなんであったか忘れることになる。
しかしサラリーマンを卒業してからというもの、それは神事の域を超越してきている。この木曜日は恒例のSMC忘年会だったが、毎日会っている同僚とはわけが違うから新鮮である。今年は新顔のSさんのご参加もあった。このクラブがどうなっていくか、誰もわからないがそれはメンバー次第だし時の為すがままだ。忘れたいものはみなさんまちまちだったようだがそれなりに盛り上がり、7名のうちお酒が最弱であるゆえしゃぶしゃぶが出てくるころ以降のことをむしろ忘れる事態になっていた。
昨日金曜日はさらに大変であった。知己Mさんの忘年会で、まず、そういうものをきこうとは夢にも思っていなかった「吉田栄作Acoustic Night Vol.V」を観に表参道GROUNDに行く。これは渡辺エンターテインメントの地下にある小ホールだ。ちなみに、あえてMさんを知己と書くには理由がある。友人はおこがましいし、お客様ならこっちが接待するのが筋なのになぜか僕が招待されているからだ。今年はそんなに仕事でお役にたったという自覚もないしちょっと申しわけなかった。
Mさんが俳優吉田栄作ご贔屓筋なのは映画「山本五十六」収録以来だ。昨日はこっちが途中で出てきてしまったがよく銀座へ連れだして飲んでおられる。しかし健さん世代の僕はそんな新しいのは知らなくて顔ぐらい見とこうと劇場前でネットで調べたぐらい。でも前座の2人から歌はうまかったしライブは面白かった。
150人ぐらいのスペースは満員で立ち見もいっぱいだった。生の歌をきくのはなかなかいい。アコースティックギターの音もいい、あれは弾いてみたいとさえ思った。まわりはほぼ娘ぐらいの若い女の子ばかりだ。異次元世界である。ここから午前様になるまでもったいなくもずっとそういう状態だったが、なんとなく気持ちが元気になるのは不思議なものだ。そんなのはほかには屋久杉とネコぐらいのもんだ。
そこから六本木で本チャンがはじまり忘年会の宴はたけなわになる。吉田栄作は歌も歌うんだね、なんてクラブの子にきいたら吉田栄作って誰ですかときた。そうか、そっちは若すぎて知らないのかと多方面の勉強になったりもする。やがて終電がなくなる。これは想定内だ。ところがなんとタクシーもなくなっていた。そうか、この木金は忘年会のピークなのか。昔は銀座で2時まで飲むとこうなった。タクの戻り待ちで3時4時というのが何度もあったっけ。でもこんなことは最近とんとない。
そこで当然のごとくもう一軒となる。たぶん、もう一軒だけだった、今回は。既に意識はほぼない。よって記憶はない。帰りのタクシーで空がうっすらと白んできて、早朝のジョギングのおじさんを見て「こういうの、私らも何年ぶりですかね・・・」と運ちゃんがなつかしそうにつぶやいたぐらいだ覚えてるのは。アベノミクスはまだ道半ばなのか・・・。
忘年会というのは僕の場合いつも忘宴会になる。
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男の子のカン違いの効用 (5)
2014 NOV 14 19:19:46 pm by 東 賢太郎
もしヒラリー・クリントン大統領の治政になるとすると、それにならって世界中が「女王蜂」の時代に突入します。
それは自然界の法則にかなったことですから容易には逆行しません。生物としても実は相手の方が強い。ところが「か弱い」ということになっていて攻撃もされにくい上に、女王蜂がそれを逆手にとって男にとって逆差別的な制度がどんどんできてくる。そこいらじゅうが「女性専用車」状態になるぐらいの覚悟が必要でしょう。
肉体的なパワーが統治の要件ではない時代、つまり戦争がない時代ではそれが社会の進化のひとつの到達点でしょう。いや戦争はあっても核のボタンを押すのに肉体的パワーは必要ありません。核の抑止力こそが第2次大戦後60年を経て社会を変質させ、女性でも序列の上位に君臨できるようになってきた。高崎のサル山でおきているのと根本的には同質の現象が人間界でもおきていると僕は理解しています。
これからの男子諸君は、したがって、女王蜂さま、つまり女の上司のもとでいかにタンパク源として食われずに生きていくかという術を身につけなくてはなりません。僕のように男にしか通用しないのはもう役立たずなのです。そのためには男はテキを冷徹に観察して行動原理を分析しなくてはなりません。つまり母親の支配下にあって女をカン違いして始まる人生の旅路において、どこかで、なるべく早めに、厳しい現実に目覚めることが大事なのです。
しかし、僕はカン違いを排除しなさい、とくに男の子を持つ世のお母様方にそう教育しましょうと申し上げているわけではありません。第1話に書きました通り、男のカン違いはどんな世になろうと生きていく強い原動力になることは変わりはなく、それがツボにはまった時の破壊力において男しか成しえないパワーを秘めているからです。クラーク博士がどうしてBoys and girlsにしなかったかは知りませんが、世界景気が停滞期に入るかもしれない今こそBoys, be ambitious.であるべき時代なのです。
ところで、フラれた相手のことをいつまでもうじうじと覚えているのは圧倒的に男なんだそうです。女はバイバイと別れればスパッと忘れてしまう。相手が浮気するとだいたいの男は相手を責めますが、女は往々にして浮気相手を攻撃するというのはそれと関係あるかもしれません。
ところがショーペンハウエルが別な側面から面白いことを書いています。女は嫉妬で相手の女を責めるばかりではない、男を縛りつける結婚という制度を脅かす不届き者に女性共同体として制裁を加えているのだというのです。さすが大哲学者、なるほどとうならされます。
女は化粧して着飾ってみてそれで寄ってくる男を大事にしますが、来なくなればポイです。平安時代の通い婚はそれそのものです。いっぽう男はけなげなのもので気に入った女は自分のイメージの中でアイドル(偶像)化しています。相手にポイされても忘れないのは、現実に恋が実ろうと実るまいとそのイメージだけは残像としてのこるためでしょう。やっぱり、女王蜂さまに気に入られようと頑張る雄蜂に見立てるべきは、男です。
大作曲家の伝記を読むと名曲の陰に女ありというのがあまりにたくさんあって、尊敬するマエストロが雄蜂に見えてきて困ります。
ベートーベンにインスピレーションを与えたカノジョはたくさんいました。それにベルリオーズのハリエット・スミッソン、ワーグナーのマティルデ・ヴェーゼンドンク、シューマンとブラームスのクララ・シューマン、ストラヴィンスキーのココ・シャネル、もう数えきれないほどの女が男を迷わせ、「名曲」を書かせたと思われます。
モーツァルトなんか可愛そうに妻のお姉さんアロイジアにつれなくポイされ、熱愛したナンシー・ストレースにはあっけなくロンドンに帰られてしまいました。それぞれのアイドルに愛に満ちたソプラノの名曲を捧げましたが、捧げ物のでっかさではなんといっても妻になったコンスタンツェでしょう。彼女が書いてもらったハ短調ミサ曲k.427の素晴らしさ!これひとつだけでも彼女の人類史への功績をたたえて銅像を建ててあげたいぐらいです。
ところが、逆にそういうことが女性の側から起きた、つまり、男を想うあまりに女が人類史に残る何かを創ってしまったという話はきいたことがないのは僕の勉強不足でしょうか。モーツァルトの姉、メンデルスゾーンの姉、シューマンの妻、みんな弟や夫に劣らない並々ならぬ楽才があったのはきちっと記録にある事実ですが、誰もそれに値する作品を書いていません。それは才能の問題ではなく「女王蜂と雄蜂」だからなのでしょうか。
これは示唆に富むところです。作曲家、画家、科学者、哲学者、教祖がほとんど男ばかりなのは「脳差」であり男と女の脳は構造的に違うのだとするか、前回に書いたように脳の構造、性能ではなく「男女の気質の違い」に帰着させるべきなのか。今回こう書いてきて、どうも「女王蜂はオスを使い捨てる」というのが正解かもしれんぞと思いだしています。
弱いオスが女王に気に入られようと必死に働かせる脳、そういう脳じゃないとできないのが芸術や科学技術なのかもしれません。子供はメスしか産めませんが、オスしか産めないものもあるかもしれません。
たぶん女性には信じられないでしょうが、その昔、アイドルの権化のように輝いていたころの吉永小百合はトイレに行かないと心の中で信じているサユリストがたくさんいました。そう思ってたよという男を僕は何人も知っています。生身の人間を偶像化するというのはカン違いの最たるものですがそれは男のお家芸のような所があります。
もはや宗教みたいなもので本気で信じられてしまえば誰も何も言えず、たぶんその勢いで舞台上のハリエット・スミッソンに見とれていたベルリオーズは一気に幻想交響曲を書いてしまったのです。そしてそれを傍の人間は「才能」と名づけているのです。
女の時代になっても、男の子のカン違いの効用は永遠です。
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女の上司についていけるか?(ナタリーとユリアの場合)
「女性はソクラテスより強いかもしれない」という一考察
赤坂「まめ多」での会食
2014 NOV 13 19:19:12 pm by 東 賢太郎
久しぶりに西室、中村、舟橋と会食、赤坂のおまかせ割烹「まめ多」のカウンターに陣どらせていただきました。誰ももう最初の職場にはいないがみなご多忙で内外で大活躍とのこと、大変喜ばしく思います。
このうちふたりはもう還暦、残りふたりももうすぐということで、要するに4人は同学年。好きなことを言いあえるのは日々の憂さ晴らしに格好であります。だたいかんせん昨日は声がでかすぎた。
学校も二手にKとTで、みな存分に酒がまわってKのふたりがTの奴は嫌いだ馬鹿だとはじまり、うんおれもそう思うと言ったらお前がそれを言っちゃいかんとはじまり、アメリカとロシアの話が政治に飛び火して某お役所批判がワイワイはじまりと、大変ご迷惑をおかけしました。
そうしたら帰り際に女将が、あちらのお部屋にそのお役所がいらして楽しんで笑っておいででしたとやわらかく。参りました。まあいま下界ではそういう話になっているんだということでご容赦のほどを。
まめ多は女将があのポーランドの大ピアニストであるクリスチャン・ツィマーマン氏と懇意で、来日するとふらっと食事に寄られるのです。それだけのものがあります。こんなご著書もいただきました。
赤坂「まめ多」女将のおつまみレシピ春夏秋冬( 著者:降旗壽眞子、集英社)
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男の子のカン違いの効用 (3)
2014 NOV 12 0:00:49 am by 東 賢太郎
親父が怒るのは理屈とパターンがあって読める。まあこういうことをしておけば喜ぶだろうということも。
つまり、だいたいの男は法則性があるのです。しかしお袋はというと、喜ばそうと思って釣って帰ったザリガニやサヤエンドウ豆の小ぶりなやつは「それは食べられないのよ」とにべもなく捨てられる。同じエビでしょといっても「それは汚いの」で説明なしなのは駄菓子と同じ。それやこれやで女は突然爆発したり何をすれば喜ぶかよくわからんという不可解な存在になっていくのです。
いま思うと母にはもうしわけない限りなのですが、男の子というのは理屈で納得しますし単純ですからちょっとしたことで大きくカン違いしてしまうのです。しかしこの単純というのが財産でもあって、現実主義でないからできるということが男には多々あります。同じ親から生まれて脳は変わりないのに男のほうが業績を上げている科学、哲学、作曲、絵画等はそういう男女の気質の違いの結果かもしれません。
気質といえば、演歌で「どうせ私は・・・」いうのは必ず女であって男はありません。いやそういう男もたくさんいるんですが歌にはならない。サマにならないんですね。この「どうせ」というのはうまく英語にならないんです。「どうせ私はそんな女よ」は I’m such a girl at best. とか I may be such a girl if you say so, but what’s wrong? という感じでしょうか。でもどこか変ですね。西洋の女はそもそもそんなことは言わないでしょう。
つまり「どうせ」や「所詮」は西洋語というロジカルな言葉にならないコンセプトなのです。それが女の口から出た瞬間に男の論理思考回路は停止を命じられ、白旗を上げるしか道はなくなります。そこでむやみに反論して戦ったりすると女を泣かせるひどい奴なんてことになって、電車の痴漢の冤罪事件みたいになりかねません。
政府が少子化担当大臣だの女性閣僚だのと無理して持ち上げなくても、これからは女の子は強くなります。親父クライシスがある男が相対的に弱くなるからです。女がだんだん世の中のディファクト・スタンダードを作りだします。それは当然、女の社会進出を有利にするバイアスがかかり、通勤電車の女性専用車両と同じく男は泣き寝入りを強いられるかもしれません。
2年後にヒラリーが米国大統領になれば、それは一気にグローバル・スタンダード化の端緒につきます。そのことはここに書きました。
6年後に東京でオリンピックがあります。何万人という外国人がやってきます。前回、1964年のときもそうでした。しかし大きな違いがあります。前回の日本国は新幹線や高速道路などインフラを懸命に整備し、世界に誇示しました。それはいわば男性原理というかマッチョといいますか、我が国は戦争に負けはしたけれどこんなに国力が回復した強い国だぞという男の主張だったわけです。
ところが今回はどうでしょう。「おもてなし」です。いかつい男の出番じゃない、女性原理がものをいう時代に入っています。
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男の子のカン違いの効用 (2)
2014 NOV 11 0:00:46 am by 東 賢太郎
この人は絶対に俺の球を打てないという天下無敵なカン違いの効用。そのおかげで証券界という魑魅魍魎の世界でともあれクビにはならずに生きてきました。
ところが僕のその術は弱みがあります。女性に通用しないのです。
なぜといって、相手は野球をしませんからどうしようもない。これは思い出すことがあって、一部のおじさんしかわからないでしょうが、横山光輝のマンガ「伊賀の影丸」に左近丸という忍者が出てきます。幻心入道という敵の強豪の忍者が得意の幻術をかけますが左近丸は盲目でそれに気づかず、術がききません。幻心入道は為すすべもなくたおされてしまう。まさに女性とは左近丸なのです。
そう思ったのはドイツでのこと。現地法人の社長になるため銀行監督局でドイツ語の口頭試問があったときです。ただでさえ一夜漬けのいいかげんなドイツ語、それが運悪く試験官は厳しそうな高級官僚の女性だったのです。出てきて目が合った瞬間もう気おくれして冷や汗がにじみ、びしびし質問されてしどろもどろになってしまいました。丸暗記していた文を同じところからくり返して失笑をかう始末。落第寸前でした。相手が男だったらこういう事はなかったと思います。
男の子というのは小学生ぐらいまでは母親の支配下にあるのが普通でしょう。しかし僕の場合は野球はもちろんのことですが、ザリガニを釣って池に落ちたりガケに水を流して滑り降りる遊びで髪の毛まで泥まみれになって帰っても何も文句はいわれず「はなし飼い」状態でした。今も遊ぶことへの意欲と創意工夫は並々ならぬものがあるのはそのおかげです。勉強しなさいと母にいわれたことは一度もありません。
小学校のころ帰りに駅前の駄菓子屋でよく買い食いをしてました。もちろん学校にも親にも隠れてです。ある日、5円玉しかもってなかったのですがそれでも店のやさしいおばあちゃんがいいよと炭酸煎餅と水あめでウサギを作ってくれました。「ボク、こんどは10円はもっておいでね」といわれたので、そうか最低は10円なのか、悪かったなと思い、こんどはお小遣いをためて意気揚々と50円もっていきました。
これがまずかった。おばあちゃんはいっぱいお菓子をくれます。定番である梅シロップで赤い目のウサギ、お米の粒の入った安っぽくていかがわしいチョコレートなど子供心をくすぐるのがいろいろ出てきます。しかも普段はクッピーラムネという小粒なのしかおいてないのが、最後にでっかいオレンジのラムネを「おみやげね」とくれました。
さすがに50円は威力があるなと嬉しくなり、これを思いっきりほおばりながら帰りました。みつからないように玄関の前で呑み込む作戦でしたが、運悪くお袋が玄関から出てきたところでばったり。「あんた、何食べてるの!」とすごい剣幕で口をこじ開けられ吐き出させられます。どんな悪さをしでかしても叱らなかったお袋にあんなに怒られたことはありません。
別にラムネ食っても死なないじゃないかと思ったのですが、理屈はなし。問答無用で駄菓子はだめなのです。この事件いらいおばあちゃんの店には出入り厳禁。なついていたおばあちゃんがきっと良かれと思ってくれたものがお袋は頑としてNOであり、なんとなく女の戦いというか何を信じていいのかよくわからないということになりました。遊びは放し飼いでも食べ物に関する母親の支配は絶対王政に近いものがあったのです。
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