クラシック徒然草-誰でもクラシック通になれる簡単な方法-
2014 MAY 8 12:12:15 pm by 東 賢太郎
斉藤さんは大変なクラシック通ですが、36年前に僕と知り合ったときバルトークやストラヴィンスキーは「???」だったとお書きになっています。僕だって始めはそうだったし、ああいう音楽を一度聴いてそうでない人はまずいないのでは。それでもめげずに何度も聴いてチャレンジするかどうか、クラシック通になれるかどうかのちがいはそれだけなんです。才能も特別な訓練もいりません。
それにはまず、それができる素直な自分をつくること、ご自分のことをポジティブにイメージすることです。これがとても大事です。イメージトレーニングしてください。「私はAKBも好きですけどモーツァルトも聴きますよ」というご自分をです。そういう自分になりたいと思うかどうか、それだけです。それさえできればもう80%はクラシック通が完成です。えっ、どうして私がクラシック?と自ら壁を作ってしまってはもったいない。こんな楽しいものを知らずに死んでしまうなんて、そういう人が一人でも減るといいなと心から願っております。
それでも突然おうちでベートーベンの運命が鳴ったらご家族はびっくりするかもしれませんね。であれば「今日から聴くよ!」「いくわよ!」と夕食の時にでも高らかに宣言してしまって下さい。きっと暖かく応援してくれるでしょう。ご一緒にコンサートに行けば家族の絆にもなりますね。いままで縁がなかった方ほど「クラシックを聴く自分のイメージ」というものは、誰でもないご自分にとって新鮮で刺激になるようです。周囲の目も変わりますがやがて自分も人生も変わったことに気づくと思います。老後の楽しみが確実に一つ増えます。お一人暮らしの方でも日々の大きな生き甲斐ができます。明日はあれを聴こうこれを聴こうとわくわくになります。保証します。そのぐらいクラシック音楽のもっているパワーは大きいのです。
よく考えて下さい。日本人に生まれたあなたはご飯、お寿司、ラーメン、カレー、すきやき、鍋物を食べ飽きますか?お茶漬けやサンマの塩焼きやお漬物、味噌汁はもう二度と食べなくていいやと思いますか?週2回でもOKでないですか?こういう「おいしい」だけではなく「永遠に飽きない」もの、「必須になってしまう」もの。まわりを見渡してもそうはないと思いますよ。でも音楽にはあるんです。音楽のうちで百年も二百年も世界中の人がそう思ってきているものをクラシックと呼びます。それをあなたが嫌いになるのは実はとてもむずかしいことなんです。
クラシックは懐メロやオールディーズとはちがいます。200年前のモーツァルトは「懐かしの」でも「オールド」でもない、永遠に新鮮で飽きないものなんです。おなかがすいて注文したラーメンが目の前に出てきて、「この食べ物は古代中国でできた老麺が起源で・・・」なんて考える人がいますか?いつどこでどうできようが、何国人が作ろうが、おいしければいいですよね。そんなものです、クラシックも。洋食と思わないでください。おいしさを一度覚えたら最後、病みつきになる「うまいもの」なんです。
僕は子供のころマグロのトロが大の苦手でした。だからいつも赤身専門で、トロをうまい!と思ったのはずっと後のことです。食べ続けてみると親がいってたことがわかる!と目から鱗でした。斉藤さんは???だったトロを僕を信じて食べ続けて下さったんでしょう。おせっかいで押しつけた?のに感謝をして下さっていますが、がんばってそうしてくださったご信頼に僕の方こそ感謝です。斉藤さんに36年ぶりにお会いして、あの出会いがなければ・・・と言っていただいて、それがうれしくてなりません。そういう人がもっともっと出てくることが僕の人生の願いなんです。
そういう気持ちでいま僕がブログに書いている音楽は、実は毎日聴いているものとはちょっと違います。新世界や未完成はもうたぶんこの10年で数回も聴いてないでしょう。飽きたのではありません。若い頃の思い出写真のような存在になってしまっているからそっと大事にしておきたいという気持ちがあるのです。それでもたくさんの感動をいただいた恩人ならぬ恩曲です。だからこれからの方にはどうしても聴いていただきたくて、そういう強い思いで選んでいます。
僕は入門用の曲なんかないと考えています。ピアノの練習用に作ったバッハやショパンの曲(しかし名曲!)はあっても、観賞用の入門曲はありません。プロコフィエフが「ピーターと狼」、ブリテンが「青少年のための管弦楽入門」という曲を書いていますが、「おかあさんといっしょ」とはちがって子供を意識はしていても立派な曲です。しかし「ピーターと狼が気に入りましたが次は何を聴いたらいいですか?」ときかれるとちょっとつらい。それがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なら自然に何曲かご紹介できるのです。
だから僕のブログのカテゴリー(アルヒーフ)にはそこそこの数の曲がたまっていますがほとんど重量級の曲が並んでいます。どうしてかというと、名曲だから。心から敬服しているからです。だから難しいか?そういうことはありません。カレーとラーメンと、どっちが食べやすいかなんてありませんね?お口に合うか合わないか、それだけなんです。初めて日本食を食べるといってお子様ランチから入る必要はありません。カレーがちょっと辛かったからといって去ってしまってはもったいないです。
僕が「ストラヴィン好きー」だったのはたまたまウマが合ったからです。友達の相性と同じですね。そういう「親友」を見つけると、彼がクラシックの世界に引っぱっていってくれます。これが速いのです。彼は僕にバルトークというちょっと気難しいけどいい奴を紹介してくれ、そうやってどんどん輪が広がりました。それが誰から始まっても構いません。同じ人でも合う作品と合わないのがあります。僕も今でもあります。有名曲が合わないことだってたくさん。ぜんぜん構いません。そういうのはどんどん飛ばして、親友のベスト作品にめぐり会ってください。
だから僕が取り上げている曲は僕の親友のベスト作品集です。もう50年もやっていると親友だらけですから、それらはクラシック入門曲でもなければ卒業曲でもなくて、世のクラシック通という人たちがほとんど聴いているのはこれ!というベスト曲集にだんだんなっていきます。順番は意味がなく、なるべくその曲に愛情が高まっているときに書こうと思っているだけです。だからどうしても初恋の方からになっていますがそれは重要なことではありません。そこには通の方が読まれてもいいということも書いています。いろいろな方に楽しんでいただきたいからです。だから楽譜が出てきても何のことやら・・・という方も多いでしょう。わからなければそういうことはぜんぶ無視してください。
ただご紹介した曲はぜひ一度、必ず最後までご自分の耳でお聴きにはなってみてください。それが大事なのです。誰の演奏か?というのは親友ができてからでいいです。プライオリティーはずっと下です。どの店のラーメンがおいしいか?どうでもいいです。どこでもいいからまずラーメンがおいしいということを知る方が先です。だからCDだって僕が挙げたものでなくても、i-tuneには安いものがいくらもあるし、youtubeならタダで聴けます。お金はいかようにも倹約できます。それでつまらないと思う曲はどんどんスキップして下さい。それでぜんぜん構わないのです。もしも、あっいいな、ちょっとステキだなジーンときたな、という曲にめぐり会ったら、それはラッキー、それがあなたの親友、恋人候補ですから何回も何回も聴いて下さい。
登山と一緒です。どの道から頂上をめざしてもOK。ルートはたくさんあります。お好きな曲がそのルートを教えてくれているのです。それさえ見つかればしめたものです。それが1合目なら、2合目は何を聴いたらいいか?5合目は?それは人それぞれだから答えはひとつでありませんが、もしコメント欄にでもご自由にご質問いただければ必ず回答しますしできるかぎりそれをお示しできると思います。それをご自分で手探りで発見するのも楽しいものです。僕は先生がいませんでしたからかなりの出費を重ねて遠回りの無駄骨を折りましたが、いまになるとそれもいい思い出です。
誰でもクラシック通になれる簡単な方法、それは以上のことを1年ぐらい続けていただくことに尽きます。継続は力なり。あとはご自分でどんどん登っていけるでしょうし、登りたい、頂上を見てみたいという気持ちになっているご自分を発見されることでしょう。そうなっていただけるよう少しでもどんなことでもお手伝いができるなら幸いです。きっとそれは僕の生きがいにもなりますので。
クラシック徒然草-音楽のマクドナルド化-
2014 MAY 7 12:12:15 pm by 東 賢太郎
斉藤さんからいただいたコメントをなつかしく拝見しました。ズビン・メータの「春の祭典」が我々が親しくなるきっかけだったというのは面白い。当時はクラシックでもポップスでも「新譜」の発売というものにイヴェント性があったんですね。メータがCBSに移籍して初録音は何になるかファンはやきもきして待っていた時代です。歌謡曲(死語になりましたが)にしてもビートルズやキャンディーズにしても次の新曲はアルバムは?というのでわくわくした経験のあるシニアは多いでしょう。クラシックにもそれがあったのです。
ネット時代になってyoutube等で音楽が電子情報としてばらまかれています。それを従来のオーディオ・フォーマットに落とそうとすればお金はかかりますが、パソコンのスピーカーやスマホのイヤホーンで満足なら全部無料です。タダは無敵です。音質ぐらい目をつぶってもいいやという人が増え、音楽の録音技術やオーディオ再生のマニアックな部分は売れずにどんどん淘汰されます。悪貨が良貨を駆逐して世の中悪貨だらけになる。マックが街のハンバーガー屋を淘汰したのと同じ。音楽のマクドナルド化です。ポップスはいいかもしれないが、クラシックでのそれは由々しき聴衆の劣化を招くと危惧しています。そういうことにこだわらないならクラシックを聴いても面白さ半減だからクラシックは死へ向かうといってもいいでしょう。ビッグマックモーツァルト風、ないんですそんなものは。
クラシックのマック化はライブ録音の増加という形に現れています。コストがかからないからです。たしかに一部の演奏家はライブの方が面白いということもあり、ライブを好む聴衆もいます。しかしそれはスタジオ録音というレファレンスがドンと真ん中にあったからでしょう。それと比べてどうかという楽しみがあったのです。それが昨今はスタジオ録音の新譜というと、オペラやオーケストラのように録音にお金がかかるものはほとんど見なくなりソロや室内楽ばかりで寂しいと感じるのは僕ばかりではないでしょう。
録音は写真のようなものだと思います。スタジオ録音というのは、成人式や結婚式で一生残すために着飾っておすましして撮るあれ。かたやライブ録音とはスナップ写真です。だから昔のアーティストは嫌う人もいました。カラヤンはライブの正規録音はほとんどありません。スタジオで撮影するというのは永遠の記録に残すのだから気合いの入り方も違います。写真がお遊びのプリクラにも芸術にもなり得るように、録音そのものが芸術であるということが稀にですがあります。
それの最たるものが、ピエール・ブーレーズがCBSに録音した春の祭典です。これがライブで収録できる可能性は確実にゼロです。写真芸術であり録音芸術なのです。それによって被写体に興味を持ち、クラシック探訪の道に入りこんだ方は数知れないと思いますし、僕本人がその一人です。そういう出会いがあるから、当時のクラシックリスナーは全神経を集中して音を聴き、新譜を待ち焦がれていたのでしょう。こういうことがプリクラやスナップ写真でおこるというのはちょっと想像しがたいのです。
僕のブログ「アビイロードB面の解題」は、ビートルズの後期のアルバムは写真芸術、録音芸術の領域の産物ではないかという僕なりの仮説であることをご理解いただけるでしょうか。ライブでそれができないからスタジオにこもった、そしてそれは最近書いたグレン・グールドの晩年の方向性とも合致していると思うのです。アーティストにこういう芸術領域が与えられないなら、音楽のマック化現象はやがて音楽芸術を滅ぼします。ライブの方が感動的だ云々の皮相的な話ではないのです。
僕は音楽ブログは演奏の観点ではなく作品の観点から書いております。それは被写体が良くないものをスナップ写真の加減で良く見せるのはそもそも芸術でないと思っているからです。そういうものは消費の対象にはなるかもしれませんが鑑賞するものではない。ポップスは普通は消費する物ですが、アビイロードみたいに鑑賞できるものもある。そういう例としてあれを書きました。だから逆にクラシックにおいて消費する物ばかりが市場にあふれるのはどうかという気がしてなりません。気合いを入れて造ったものを気合いを入れて味わう。その両方があって初めてアートはなりたつんですね。
斉藤さんと、あのころにお会いしてよかった。今だったらメータの春の祭典のライブ録音はどうですかなんてご質問はなかったろうし、僕はそんなものをまじめに聞いてもいなかっただろうからお友達になるきっかけもなかったですね。
ファンファーレは鳴り地震は気づかず
2014 MAY 6 22:22:39 pm by 東 賢太郎
みずほ証券にお世話になっていたころです。ある案件検討会議で「証券マンはファンファーレから入るけど我々銀行員は葬送行進曲から入るんですよ」と言われ、これは至言であると納得したものです。ファンファーレとは「これが成功したらこんなにすごいぞ」ということで、葬送行進曲とは「これが失敗したらこんなにひどいぞ」ということです。
さて自分は証券マンですから基本的にはファンファーレ派であることはいうまでもありません。ただほとんどの証券マンとは違うことがあります。成功⇒利益は当たり前のことですから宣言するまでもありません。本当に成功するか?あらゆる悪いことまでじっくり考えて、それでも腑に落ちるなら行くぞと全軍にトランペットを吹くというところでしょう。
サラリーマンの身分だとそんなにゆっくりはできませんし即決を迫られたことも多々あります。しかし今はそれができます。それも、僕しかできない案件しか引受けないので競争がありません。では腑に落ちるというのはどういうことか?100%自分が理解して自分で実行できるということです。1%でも他人の理解まかせの部分があるとだめです。そこまで自信を持てなければやらないほうがいいということです。
これは完全主義とはちがいます。それがビジネスの長として当たり前であり、いわばオーケストラの指揮者なのだからスコアに1音でも理解できないところがあるなど論外なのです。現在は、某社よりお引受けした仕事の構想を毎日具体化している状態です。理解だけでなく自分でスコアを書いて作曲しているということです。これは自分が書きたかった曲であり、自信作になりつつあるという手ごたえも感じています。
そうなのですが、今回だけは腑に落とすのに半年以上もかかりました。というのは、相手が上場企業だから株主責任もあるという側面、来年60という自分の年齢、体力、意欲など、そして現在走っている業務への責任をどう果たすのか、それをソナー出資者(株主)へどう説明するかなど、すでにかなりの仕事をいただいている立場として、これらは非常に重い判断を要します。僕がソナーの事業主で過半数株主である以上、決めるのは僕一人であり、誰に相談しても仕方ありません。
そういう中で、5月4日、お休みの日でしたがご本社にて先方様の社長、副社長に「できる」という具体的プランをご説明申し上げました。それが書いた全曲のスコアです。葬送行進曲から入る人には絶対に書けない明るい曲です。それは半年練ってファンファーレが高らかに鳴っているものです。できると思わなければ鳴らないし、そうでなければやってもうまくいかないのです。このスコアは他の会社でも演奏できるでしょうが、当社ほど一緒にファンファーレを鳴らして下さる会社はないでしょう。だから当社だけがうまくいくはずです。
ということで今年は結局GW連休もなく、ストレスだけは立派にたまっています。疲れ果てて熟睡しており、先日の震度4の地震は家族に言われるまで知りませんでした。そんな具合なのですが、それでも僕はこういう前向きの生産的な苦労が大好きです。終わってしまった大成功より、どうなるかわからない大仕事を前に緊張している方がいいですね。この緊張を長くキープして、気持ちよくスタートしたいという思いでいっぱいです。
道元先生の「鬼谷子の帝王学」を読んで
2014 APR 28 13:13:26 pm by 東 賢太郎
このところ、探していた要件にぴったりの新しい人を紹介されたり、しばらく滞っていた仕事が急に動いたり、新しい役職をいただいたり、古い知り合いとお会いできたりして、啓蟄などとっくに過ぎているのに冬眠から何かが目覚めるような春のうごめきを感じます。これから本厄に入るのになぁと思っていたら先日、やはり55年2月生まれの某経営者に「韓国では数えなので我々はもう本厄は過ぎてるよ」と言われました。なるほどそれは去年だったわけか、じゃあそういうことにしとこうかと自力でどうにもできないことは悩まない主義なので忘れることに。
ただ星のめぐり合わせということは一概に看過できないものも感じていて、幼稚園のお絵かきでは金色のクレヨンだけ減り、風水のラッキーカラーはゴールド(金)で、ゴルフでは本間の金色ヘッドのウッド3本で荒稼ぎして仲間からそのクラブは見たくないと白い目で見られ、ソナーとは図らずもヒンディー語でゴールドの意味でした。そして今、そのゴールドに関わる仕事をいただいて日々作戦を練っている。麻雀でピンズばかりツモったりとかございますが、単なるこじつけと言えばそうかもしれませんがそうとばかり思えないほど僕にはこういうことがよく起こるのです。
だから「そういう星の元に・・・」という考え方はある程度信じていて、両親も自分もポルックス星ということは確率が12分の1の3乗だから1728人に1人しかいない人間なのだと思っています。良いところばかりではなく悪い所も煮詰まって出るのだからダメな部分も群を抜いて悪いのだと諦めもつきます。「星の元」が運命を支配するなら人種、国籍、性別、宗教はもちろん血のつながりよりもそっちの方が本質ということでもあり、その人がどういう人かという根っこの部分の個性は教育や徳育や指導ではもう直しようがないということにもなります。これは元々の僕の考え方に近いのですが、だからそれを本質とまで考えるか否かは非常に重いことです。
**は死ななきゃ治らないなどといいますが、それも人の根っこは変えられないという意味に取れますし、そうであるならば人と人との相性というものは、もし合わなければどっちかが死なないと合わせようがないということでしょう。たしかに、そういうことは何度も思い当たります。いや、経験的には合う方が珍しいのです。男と女もそうです。だから、合う人は貴重であり、大事にしないといけない。そういうことを色々と考えていたところで拝読した道元先生のご投稿「鬼谷子の帝王学」は理解しやすく、何かの指針になると感じました。特に、施しを受ける人と領袖という人間の区分けは、万世一系の統治者を置かず血縁のない者が天子になって統治する中国らしい思想と思います。
僕自身は施しができるならしたいと願望する側の人間ではありますが、それは単なる希望、性格から出たワガママであって、領袖であるには力不足であることは自分でよく知っております。そもそもリーダーやエリートでありたいと思ったこともありません。先日もSMCは東さんが頂点で、とある方がいいかけたので、とんでもない、それは全く違うし最初から僕が望んだところでもないと申し上げたところです。なぜなら自分がそういうことができる性格ではないからです。学生時代も生徒会長のようなものになりたいと思ったことは一瞬たりともなく、どうもそういうものには僕は適任ではないのです。
新しい物事や知らない人にはまず疑うこと、つまりネガティブ目なところから入ってしまうのも性格なので仕方なく、自分の理性が納得するまで何も信用しません。だから学校の授業も腹からは納得せず、家で自分で問題を解いて初めて納得するというパターンでした。こういう理解、納得というものは一度できてしまえば強度が高くてそうそう崩れないのは利点ですが、相手の人からすれば信用されていないというのは不快でしょうし、上司としては包容力に欠けると見られているだろうといつも感じていました。
会社人としては人事発令で長と名のつくポストを幾つもやりましたが、監督より選手でいたいのが本音でした。それが仕方がなく監督という役を演じる役者になってしまって、それなりに演じてしまうと、またそういう人事発令になってしまう。それはもう負の連鎖です。一兵卒というといい過ぎですが、まあ軍曹ぐらい、あのコンバットのサンダースの役ぐらいがちょうどいいですね。なぜなら射撃も作戦も普通よりうまい、敵兵に負けない、これには自信があるし、反対にそういう現場感覚を失って、大本営の将校執務室で作らされた自分の作戦には自信が持てないからです。
現場を知らない人間が作った作戦など、これは歴史的にもだいたいが失敗なのです。野球なら親会社のサラリーマンでしかない球団社長がベンチで監督ができるでしょうか?ナポレオンは自分が現場を知る軍人でした。日本でいえば義経がサンダースですね、現場感覚にあふれた戦さの天才です。彼は僕の理想のリーダーです。かたや、明智光秀は本能寺の軍略は頭で練った奇策が大成功でしたがその後が全然ダメ。彼はやっぱりエリートの将校ですね。太平洋戦争の大本営参謀クラスは頭だけのエリートのオンパレードです。
作戦失敗して兵が死んでも失敗を認めない、自分の名誉だけは守りたい。そういう人は軍のランクは上位でも人間のランクは下の下であり、そういうものには死んでもなりたくありません。軍曹は自分の作戦が失敗すれば兵とともに死ぬ位置なのです。階級などどうでもいい僕にとって、確実に失敗する軍の将校よりも、たぶん成功する軍曹の方がいいというのは合理的でもあると思っています。そういう性格に生んでもらった親に感謝です。
ワガママであることの功罪
2014 APR 26 15:15:20 pm by 東 賢太郎
先日、畏友の写真家齋藤清貴氏の弟子、中條未来(ちゅうじょう みく)さんの個展に行って、気に入った一枚を買わせてもらいました。一見なにげないバルセロナ市街の光景なのですが、そこにはヨーロッパの雑踏の空気とざわめきが在ってとてもいいのですね。あえて白黒というセンスがまた気に入って、音が聞こえてくるように感じたのです。
僕が撮るといえばスマホ写真がせいぜいですが、ここだと思ってシャッターを押して出来が良かったことは一度もありません。けっこうたくさん撮っていて、それも自分がいいと思って撮っているんだからそれはないだろうと思うのですが、プロの写真を見てしまうとダメです。3日もたつとどうしてこんなつまらないものを撮ったのかと不思議に思い、 1か月もたつと情けないことに被写体がなんだったか忘れていたりもします。写真は正直者で、シロウトの自己流がそのまま出てしまうのでしょう。自分のワガママがいかに世間では通用しないかを映す鏡のように見えてきました。
こういう経験をすると、ひょっとして、ここだと思ってしゃべったり書いたりしていることもそんなものじゃないかという気持ちになってきます。3日たつとどうしてあんなことをと思い、1か月もたつと・・・ということかもしれません。仕事上の発言に衝動的ということはあり得ませんが、私生活ではわかりませんし、こうして公開してブログを書くようになって、書いたものは写真のように残りますからだんだん不安になってきます。最初の方のブログはそれが全然なく、今読んであまりのワガママぶりにこれはひどい消したいというのがいくつかありますが、それも今となっては我が歴史の一コマであり残しております。
幸か不幸かあるいは人がいいのか、僕は嫌いな人というのが思い当たりません。仕事で対立してこの野郎となったのは何度もありますがそれはその人の言ったことやとった行動が嫌いなのであって、その原因は良く考えると当方にあったりするので、その人物まで嫌いというのはまずありません。罪?を憎んで人を憎まずを地でいっています。ただ言葉が下手で直球のみなので相手を傷つけていることがたぶん多く、それを言っちゃあ終しまいよというのを何度も言っています。かなり後でそういう人にバッタリ会って、こっちはそれを忘れていて、というのはそれがなければ君はいい奴なんだけどなあということで投げた一球だけのビーンボールなんでよりが戻ったということも多々あります。
だから基本的に去る者追わず来る者拒まずで生きてきています。それでも一応一線で生き残っているのは、妙な話ですがずいぶんとワガママをしてきたからで、自分の争えない性格上結果的にそれが成果を出す鍵でした。ワガママであるというのは僕が仕事上も含めておつき合いしたことのある方、特に女性ほぼ全員に言われたことでありますが、言い訳になりますが同じワガママでも僕はあまり利己的ではなく基本的に利他的なのです。利己的な人は権力欲や独占欲が強く権利意識が強いと思われますが、僕はそのどれも関心がありません。会社時代にいやいや権力をたくさん持たされたからもうたくさんです。とにかく人に笑顔になってもらうことや助けたりものを教えたりが好きであり、そうありたい願望からワガママになっているのは誠に勝手ながら事実です。利他は自分が満足した状態にあって、なにより自分が強くないとできないのです。
ネコ型の人間ですから他人から支配されるのが最も嫌いなのはいつか書きました。だからサラリーマンはのっけから無理であり、自分を支配できる人間は自分だけなので自分のルールで結果を出すのが唯一の成功パターンです。悪戯(いたずら)も野球も受験も証券業もささやかながらそれで結果を出して来ました。ただあまりにささやかなので満足していない自分がいて、その自分がそうでないものを求めてやまないので起業しています。だからこれからそれをやるつもりです。自分の実像はブログでもう世に晒していますし、それをお読みいただきワガママも飲んでいただいての挑戦ということになると、これは僕には逃げ道がなく沽券に関わる問題なので失敗は自分が許しません。去っていない人たちはひょっとすると僕より賢くて、そういう人には気がつかずに支配される運命にあるのかもしれませんが。
今日の感動の再会
2014 APR 23 22:22:18 pm by 東 賢太郎
今日は僕が大学時代(4年の本郷の時)に半年ほどお付き合いさせていただいた斉藤さんがわざわざ弊社まで来てくださいました。ほんとうにありがとう。36年ぶりなのでわからないかと思いましたが、お顔を見て一気にタイムスリップしました。
斉藤さんとはアテネ・フランセという語学学校で一緒で、当時は英語はそんなに誰もがやる時代でなかったと思いますがお互いに関心があって通っていました。僕は小澤征爾さんにお会いしたエピソードの時のバッファローの語学留学のために行ったと思います。たしかそこのクラスでグループ学習か何かでお話ししたのが最初だったと記憶しています。
なぜ話が合ったかというと彼もクラシック音楽が大好きで、駿河台の「バンビ」や本郷の「うさぎ」で夜遅くまで音楽談義をしていたのです。下宿に泊まっていかれたこともありましたっけ。今日うかがったところによると僕は「春の祭典」の話ばかりしていたそうです。僕が就職してお会いできなくなりましたが、彼が大阪に来て83年に僕がいた豊中の寮まで訪ねてきてくださったそうです。そうしたら寮のおばちゃんに「アメリカに行った」と言われたそうです。
36年は長い時の流れかもしれませんが、お会いすれば瞬時のことだと思いました。僕のことはSMCのブログでたまたま知っていただいたそうです。始めて良かったです。
結果責任とストックオプション
2014 APR 19 0:00:42 am by 東 賢太郎
前回に評価を下げる5つの法則(Five rules to lose your job)を書きました。その中でも最も致命的にだめなのが「逃げる」です。逃げれば結果は出ません。上司が求めるのは結果ですから、できない理由がどんなに立派でも意味はありません。だから、自分が「やる」と言った以上は何があろうが結果を出す責任があるのだと考える人にしか大事な仕事はまかされません。
野村ではお客様から頂いた注文を書く伝票を「ぺロ」と呼んでいました。支店で投資信託などを1か月単位で募集するときに、課長さんに「今日時点の自分の募集見込み金額は**円です」と毎日申告します。これを毎日増やしていきます。課長は全員の申告数字をベースに課の目標をどう達成するか管理します。これはノルマだからショートすることはありえません。万一、誰かの申告数字が虚偽だったり未達成になったりすると課全体の計画が崩れますから全員に怒られます。
この「申告したけどできませんでした」というのを「空(から)ぺロをきる」といいました。これをやってしまうと当時の野村では問答無用で大罰点がつきました。2度もやろうものなら回復不能なほど信用失墜して「あいつはダメ」といわれ、3度やれば左遷という感じでした。課単位で達成率を競争してますから人事部の評価以前に仲間から失格の烙印を押されて二軍落ちしてしまうのです。
この「空ぺロ」=人でなしという恐ろしい掟が今も生きているのかどうか知りませんが、そこで鍛えられた僕はビジネスにおける信用とはそういうものだとたたきこまれました。企業は手形が不渡りになると潰れますが、まさに空ぺロはそれと同じで、野村は企業経営のプレッシャーをいきなり教えてくれたようなものでした。この修羅場を新人時代にくぐり抜けているから僕はサラリーマンを辞めて起業する自信があったと思います。
この掟は野村に限らずビジネスでは非常に大事です。僕はこれを「スナイパー能力」と呼んでいます。ゴルゴ13やジェームズ・ボンドが「すいません、ダメでした」と頭を掻くシーンはないのです。たとえば小保方さんには美点が一つあって、もし彼女が上司にネイチャーへの論文掲載を何らかの理由で期待されていたとすると、彼女はそれをやり遂げてしまいました。やり方はともかく「空ぺロをきらなかった」わけです。やった行為は理由は何であれ僕は絶対認めませんが、ともあれやりきってしまう気質は言いわけを探して逃げる人よりはビジネスマンとしては数段上であります。
ということは「やる」と言うか否かが決断です。できないと思ったら事前にできないとはっきり言うことが大切です。ここで上司との間で「ボタンの掛け違え」があるとお互いが不幸になります。「やる」と宣言するためには準備が必要で、客観的な目でその仕事と自分の能力を見比べることです。どんなに魅力的な仕事でも、自分の力を超えると思うなら断るか、「ここまでならできます」と正直に申告しておくべきでしょう。
できるとやるは同じではありません。できてもやりきれないこともあります。大きな仕事ほど「心のエネルギー」が必要で、それをチャージして始めることが重要です。インセンティブがそれに当たります。ストック・オプションは成果報酬で、成果に比例してチャージされる電力も増えますから有効とされ、多くの日本企業が活用しています。ただしこれには経営側で留意すべき点があります。
97年のダボス会議で僕は当時GEの大経営者として世界的に有名であったジャック・ウエルチ会長のブレックファースト・ミーティングに出ました。そこで彼が力説したのは「組織プレーができる人にインセンティブを与える」ことです。この組織プレーとは日本的な意味と少し違っていて、学ぶ組織(learning organization)というものです。知恵は現場にあるというのが彼の哲学ですが、そこから得た知恵を独り占めして稼ぐスタントプレーヤーには彼はストック・オプションを与えません。知恵を組織で共有して「学ぶ組織」にする者にだけ与えると言ったのです。
これは目から鱗でした。もちろんオプションは役職や年次で一様に与えるものではありません。また、いくら与えても株価が上がらなければ、つまり与えた成果(=業績)が経営者の見込み通りに出なければオプションはただの紙切れになって誰も幸せになりません。したがって、ストックオプションは「業績連動報酬が欲しくない人(現金が欲しい人)」、「与えても業績に影響度の少ない人」に与えるのは効果を最初から放棄するようなもので、「我こそは株価をあげられる」と挙手する者のうち「学ぶ組織」にできる者に集中して与えよ、そうすれば全員が幸せになるとウエルチは説いたのです。
業績を出す=株価が上がる、ということですから、まずそれを「やる」と宣言する者から真の「スナイパー」を選別しなくてはなりません。そしてその中から組織を大切にしてノウハウを出し惜しみなく共有できる度量のある人をさらに選別します。その人を中心に、官僚主義を排し、「学習する文化」を作れと彼は言いました。当時僕は42歳の若僧でしたがこの考え方にはとても感心し、以来「空ぺロなし」と同じくビジネス成功の基本原理だと信じています。このことは「ウェルチ、GEを最強企業に変えた伝説のCEO」(ロバート・スレーター著、日経BP)に詳しく書かれています。
評価をダウンできる5つの法則
2014 APR 15 1:01:16 am by 東 賢太郎
先日のこと、友人と飲んでいて人材の使い方の話題となった。僕は最大で約500人の部下がいたことがある。そうなると直接の人事評価はおろか名前を覚えるのも記憶力が及ばず、評価は大部分を部長職にゆだねて自分は部長以上の評価をすることになる。直属の部下として自分が直接に人事評価を書いたのは120人ぐらいが最大で、それ以上はちょっと難しいというのが実感だ。
120人の評価を書くということは、書かれる側としては120分の1しか見てもらえないということでもある。だから、そういうことに敏感な部下はあれこれ手を打ってくる。しかし自分ではそういうことを上司にしなかった人間なので思うところもあり、そういう部下を見て人間というものを良く学ばせてもらった。結論としてわかったのは「良い人材」とは定義がないが「ダメな人材」はそれがあるということだ。
もっとわかりやすく言おう。就活などで「当社の求める人材」というのを目にすると思うが、あれは嘘だ。婚活に置きかえればわかる。「私の理想の相手」の条件を10個書いてみたらいい。そんな男性や女性がいますか?そうではなく、ほとんどの人は「これだけはダメだ」というのがあって、それが少ない相手を選んでいるだろう。ゴルフならOBラインがあって、フェアウエーならラッキー、その内側ならラフでもまあいいやというのが現実ではないか。
つまり「当社の求める人材」とは「当社が採用したくない人材」の裏返しなのだ。それが特定の会社の個性や好みではなく、どの会社でもだめだというところぐらいまでは最大公約数として定義ができるように思う。もしあなたが自分の世間での信用を下げたいと思うなら簡単だ。パンツ一丁で道を歩けばいい。会社という場にはそれと同じぐらい明確に「評価をダウンできる5つの法則」がある。若い方へのささやかな教訓としてそれを書いておきたい。
評価をダウンできる5つの法則
1. 逃げる(Dodge, evade)
2. いきなりNOと言う (Instantly say NO to any request)
3. 言い訳を探す (Find pausible reasons for your failure)
4. 窮地で相手を批判する (Criticize your partner in a predicament)
5. お世辞を言う(Flatter)
1、は最も効果的な方法だ。「やります」と言っておいて結局やらない。3日で「できませんでした」と言う。試みてみるができそうもないとああだこうだ言って逃げる。こうすれば上司から大事な仕事を任されてしまう心労を確実に回避することが可能である。この逆は簡単だ。やると言ったことは何があろうと最後までやりぬくことである。
2、上司やお客さんに何かを「できませんか?」と言われて「無理です」、「私の担当ではありません」と答えることだ。3回もやれば仕事が来なくなることに成功するだろう。いい答えは「やってみます」である。「やります」と言うと1.が問われる。全力でやってみて不首尾でも構わない。ただし「全力」が問われる。ふりだけだと1.と同じことになる。
3.「やりたくない」、「できそうもない」、「失敗した」という場合にあれこれ口実を探して言い訳することだ。友人によるとこれがうまい若手が増えているらしい。これに上達すればサラリーマンの達人にはなれるが、あなたの会社がまともならそれに正比例して仕事は減っていくだろう。
4.一般に逆切れとも呼ばれる。めったにないことだが緊迫した会議の場において散見される。自分が窮地にあると無用に知らしめた上に相手を怒らせるという2重の効果があるから必殺技でもある。うまくいけば仕事だけでなく失職にも成功するだろう。
5.これはちょっと判断が難しい。上司のタイプを見極める必要があるがその簡単な方法がある。その上司が自分の上司にそうしているかどうかを観察すればいい。ヨイショマンだった場合はヨイショしないこと。そうでない場合は歯の浮くようなお世辞を言うのが最も効果的だ。
上司というものになった人間で「1-5があれば是非その部下を登用したい」という人がいれば、その人がさらに登用される可能性は限りなく少ないので上司と思う必要はない。もしその上司が長く上司級のポストにいるなら、「評価をダウンできる5つの法則」が正しくあてはまる上司と考えてほぼ間違いない。従って、1-5のどれにも当てはまらないようなサラリーマンになれば、あなたは非常に高い確率で登用されるはずである。
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感動を仕事のモットーにする
2014 MAR 26 11:11:51 am by 東 賢太郎
人生において経験を積んでいくのは大事なことだが、そうしているうちに失っていくものもある。感動である。
若年のころ、当然だが多くのことが未経験であり、そのいちいちについて新鮮だったことはどなたも同じだろう。しかし慣れてしまうと結末がある程度予測できるようになってくるせいか驚きという感情が失せ、意外感のない物事に感動することはだんだん難しくなってしまうものだ。
僕の場合、仕事というものは人生でもっとも長いことやってきたもののひとつである。だから何が起きてももうほとんど驚くことはなく、ああそれはこうやってああやってとだいたいがすぐに解決への絵図面が描けてしまう。それがいわゆる経験というもので、それを他人さまからご信頼いただいているから仕事ができている。
出世欲や物欲で仕事をしていた時代も長くあった。ところが前者はサラリーマンを辞めると決めたらきれいに消え、後者は歳とともに衰退中だ。そうするとなぜ仕事をする必要があるんだろう。最後に残るのは感動欲しかないのかなと最近思うようになっている。それは何かが衰えたということかもしれないが、一つ人間が脱皮できるような感じもないことはない。
ちなみに、これも長年つきあっているクラシック音楽というものは感動欲をとても満たしてくれる。だから長年続いている。好きな曲は何百回もきいているから結末が予測できるどころか完全に知っている。それでもまた何百回きいても感動できるのは世の中で価値のあるものではないだろうか。そう思う人が多い音楽をクラシックと呼んでいるといってそう不公平ではないだろう。
そういう音楽を長年愛してきたということは、自分は人一倍感動ということに重きをおいて生きてきた人間なのではないかと思いだしている。結局我々は死ぬまでにどれだけ感動の喜びを味わえたかで人生が決まるのではないか。個人的に感動することは誰でも公平にできるし、いくらしても他人に迷惑にならないからそれに目標をおいても構わないだろう。
ここから10年の仕事のモットーは感動でありたいと思う。それが親からいただいた自分の性質に近く、いかにも僕らしく自然であり、そういう無理のないものは長続きすると思うからだ。何に感動するか?それが今後の人生のかじ取りになるだろう。それも流れの中で無理なく決まっていく気がするし、無理して頑張ってももう無理な年齢である。
サラリーマンは勝手なことをブログに書いたり人生を揺るがす仕事上の大勝負をかけたりはできない。僕は49歳にして最初の会社を辞めて精神的にサラリーマンを辞め、55歳で物理的にも辞め、心身衰えぬ状態で今日まで4年間の自由を得たからそういうチャンスを天からもらえた。家族の理解に助けられ運にも恵まれた。
ここからというものは、一緒にいる人たちを豊かにするための物欲はビジネスマンを続ける以上捨てることはできないが、自分の心のうちにおいては感動したいというモチベーション以外はいらないと考えている。感動のない仕事は精神のエネルギーを空費するからしたくない。エネルギーは本当に感動できる一点に集中投下したく、それが最大の結果をよぶことこそ僕の持って生まれた天命と個性という結論に至っている。
卒業 そして 『あいつのこと』
2014 MAR 14 2:02:03 am by 東 賢太郎
卒業といっても遠い昔の話だし、どうもあまり目ぼしい記憶がない。入学の方はというと、さあここであれをやるぞという期待感があって比較的覚えているが。終わったことには一向に頓着がない性格のせいかもしれない。
そもそも自習独学タイプなので、学校に学業面でお世話になったという実感があまりない。要は勉強しなかっただけでこっちのせいだが。だから、別に左翼ではないが、仰げば尊しを歌ってもそれでという感じだ。特に目立つ子でもなかったしクラブはもう終わっていたし特に好きな女の子がいたわけでもなし。大学だけは一夜漬けタイプの僕には最後の数単位が体力的にけっこう地獄となり、2日連続徹夜などで冷や汗をかいて切り抜けた。だからやれやれという感銘はあったが。
しいていえば千代田区立一ツ橋中学校の卒業式はなんとなく友達と別れるのが寂しかった。だから帽子のバッジを交換したりしたような気がするが、よく覚えていない。入学時はまだ身長155cmぐらいのガキだったのがそのころは今と同じ171cmでひげも生えてたからクラスメートは一緒に育った兄弟みたいなもんだった。クラブは野球がなかったからやってなかったし、クラスの子とよく遊んでいたせいもある。
その中で面白い奴がひとりいた。何をやっても結構うまくて、一人コントの天才で、いろんな意味でライバルでなんでもかんでも競争相手で、それでいて一番気が合ってお互い認めていて、授業中は2人で冗談を言いまくって笑いをかみ殺して一緒に苦しんでた奴だ。丸山鉄男といって、こいつは早稲田の高等学院に行った。こっちは野球に走ってしまって浪人もして会う時間もなくて、やっと大学生になっておいまた遊ぼうぜなんて誰かを通じていってたら、伊豆の下田でサーフィンやってて死んでしまった。
これのショックは文字でどうしても書けない。とにかく人前で何もはばからずに思いっきり泣いた。こいつがいたから、中学は楽しかった。ひょっとして証券界なんかに来ていたら、ディールの奪い合いして負けて、東ざま~みろ、なんてやってたのが目に浮かぶ。何になっていようが、東賢太郎の一生ずっとの、人生最大のライバルだったことは疑う余地もない。こんな男にあの齢で会えて、なんて幸運だったんだろう。
丸山のお父さんが結婚式に来てくださって、スピーチに立たれて「鉄男が美術の時間に造った東君の像です」といって高々と掲げられた。お前そんなの造ってたのかよ。よく見ると細長い顔の粘土の立像だ、うん、たしかにおれにちがいない。「これは息子のお気に入りで、『希望』という題だといつも自慢していたんです」と大きな声で締めくくられ、新郎席まで来て渡して下さった。ざわざわしていた会場がひとときシーンと静まって、それから大拍手にかわった。あとで先輩があんなジーンときた結婚式は初めてだといった。
中学を卒業したあの日が最後の日になったけれど、あの時そんなことどこの誰が考えたもんか。だからなんにも覚えていないし、最後とも思っていない。そんな才はないからあいつの立像は作らなかったけれど、顔も姿も声もすぐそこにいるみたいにありありと覚えている。でも、いつも詰襟の学生服を着て、ふさふさの黒髪にぴかぴかの15歳の顔つきで出てくるのがちょっとにくたらしい。



