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音楽人生に「足るを知る」

2014 JUL 1 11:11:48 am by 東 賢太郎

クラシック音楽とつきあって半世紀。ブログに書いているのは僕のそのつきあいの総集編みたいなものだ。音楽についてだけは僕は人生のまとめに入っている、と最近思うようになってきた。深い思い出があるのは100曲ぐらいのものだろうか。ちょっとつき合ったぐらいまで入れると200ぐらいか。あの時知り合って、あそこでああしてこうしてと、いずれそう遠くない将来にはすっかり忘れてしまっているに違いないことごとを、とにかく書いて記録しておきたい。

どうして「まとめ」と思うかというと、どうも最近新しい曲を覚えられなくなってきたからだ。新しい曲を知ろうという冒険心もちょっと薄れたような気がするが、覚えないのではなく覚えられない。昔は3回もレコードを聴けば1時間の曲がだいたいは頭に入った。音程が良く聞きとれない歌(オペラなど)は苦手だったが器楽曲は真綿にしみこませるがごとく、片っ端からものにした。そのかわり、最近は、もうこれで財産は充分、逆に、最高の音楽人生を歩ませていただいたという満足感にどっぷりと浸ることができるようになった。足るを知るとは、こういうことなのかなあと。

今なら、ベートーベン、シューマン、ブラームスの全交響曲、協奏曲の演奏間違い探しクイズをしたら僕はスコアを見ずにほぼ満点を取る自信がある。出題範囲にモーツァルトの主要オペラ、協奏曲、交響曲、室内楽を加えたっていい。それを覚える分、多くの時間を費やし、脳みそはきっと他のものをはじき出してきただろうから、単に生きていくということでいえば僕はずいぶんと無駄をしてきたものだ。そう、クラシック音楽を趣味とすることは、実は多大な犠牲を要するのだ。

そうやって僕がブラームスの第4交響曲をどんなに愛するようになり、どんなに身近に知っていても、それは他の人には関係がない。世の中に何の貢献も迷惑もない。では演奏したらどうだろうと考える。そうやって僕はシンセサイザーを買って勉強しピアノを練習し、自分で演奏した。しかし同じことだ。聴き手がいないからではない。仮に千人が褒めてくれたって、それはそれ。4番が僕のものになったという気持ちにはきっとならないだろう。音楽はつまり幻(まぼろし)か蜃気楼のようなものであって、近づけば近づくほど消えるか遠ざかるものなのだ。

音楽を聴いている脳で何が起きているのかは興味深い所だ。途中のある部分で鳴るハ長調の主和音は、それだけ切り取って鳴らせばただのドミソだ。曲の流れの中で鳴るからなにか意味があるのであって、どういうことかというと、その音楽の生々流転の脈絡の中でだけ湧き起る「ある感情」をもたらすから意味があるのだ。4番を聴くという事は、その部分部分で出会うある特定の感情、それを曲の進む順番に丁寧に陳列した展覧会に赴くようなものであって、曲が終わった瞬間に、胸に堆積していたそれの集大成がどっと押し寄せてくる。そういう顕著な効果をもたらすものだけを我々は名曲と認知していて、その効果のことを「感動」と呼んでいる。良かった演奏会で夢中で拍手している時、心を占めているのはそれだ。

それは映画や芝居を観た感動と似て非なるものだ。音楽には物語がない。映画館でみな一様に笑ったりため息をついたり、そういう、誰でもそう反応するだろうというものが明らかでない。ブラームスの第2交響曲で、第1楽章のあの平安とカタルシスに満ちた第2主題が鳴っている至福の時、隣の席の人がどう感じているのか知るすべはどこにもない。映画でデートはまず失敗がないが、クラシックコンサートはおすすめしかねる。いくら自分は感動していても、肝心の相手はさっぱりということがありえるからだ。

だからその感情の集大成とは、とてもプライベートなものだ。言葉や文字で伝えられるものではない。平安とカタルシスに満ちた、と形容を試みているそばから、ああやめとけやめとけという声がする。それでも勇気を出してブログにそれを打ちこんでみて、そして多くの方が読んでくださるのだということを知って、僕はなによりも安心していることを知る。そのために、僕は人生でそれが貴重な時間であろうことをうすうす知りながら、それを書いている。そういう行為が必要なほど、僕にとってブラームスの2番や4番の交響曲は人生で重たいものになっているのである。

4番において記憶にのこる演奏、フルトヴェングラーやクーベリックやジュリーニやヴァントの素晴らしい演奏は、最高の名画をそろえた展覧会のようなものである。それを1番目からお終いまでじっくり眺めれば望みうる、おそらくベストの4番体験が味わえる。僕はそれを知ってしまっているので、時間とコストの割にあまり確率の良くない、演奏会場で一期一会の名画にめぐり会おうという冒険を進んでしようと思わなくなっている。それよりもその4人の名演を、少々カネをかけてでもオーディオで理想的に再生した方がいいと思う。幸いクルマにとんと関心のない性分だから、そういうことで車1台分ぐらいはそっちに投資してしまっている。

フルトヴェングラーにしても、何度か録音した4番はどれもちがう。テンポも表情も。それは同じ人が同じコースを回っても同じゴルフにはならないのと同じだ。聴く方だってそうだ。その日その日で同じCDなのに聴こえ方が違うという事を経験している。こっちの脳みその状態は自分が思う以上に実は日々様々であって、それによって名画1枚1枚の喚起する感情は微妙に異なっているから最後の感動もちがってくる。年齢とともにそういうことがだんだんわかってくる。録音された音楽といえども、実は一期一会なのだ。おまけにこれから記憶力が減退を始めてくれる。いずれ僕の7千枚のCDは全部お初、おニューと等しくなる。老後に退屈する心配はなさそうだ。

音楽で新規開拓に関心がなくなってきたのは、だから、たぶんその他のことにもそうなってきていることへの穏やかな警鐘かもしれない。仕事はもう自分の事業を始めてしまっているから、これは出資していただいている株主のためにやめることはない。ぼける前の日までやるしかないしそれが本望だから始めたのだが、そういうことよりも、僕は信頼して下さった方を裏切ることが嫌なのだ。それは、社会正義に反することをした人間を断罪したいという、僕がたぶん人一倍強く持って生まれた心の動きと同じかもしれない。裏切り者の自分というものは蛇蝎のように嫌いだ。還暦とは節目としてちゃんとうまいタイミングに来るものだなあと感心する。仕事を採るならばその分ほかにしわ寄せがいくという事なのだ。

そうなれば音楽とのつき合いは現状維持がせいぜいだ。ということは自分にとって大事な曲と録音をもっと大事にしていくということだ。そこにはヨーロッパ生活での11年半の思い出以上の素晴らしいメモリーがある。それ以上にはもう望まないし、それを望まない方が今の僕には重要だ。第2の人生、まだ若い、もっと前進するぞというと威勢はいいのだが、虚勢でもあるように思う。そういう人生は歩みたくない。若いことと前進するかどうかは別だ。「足るを知る」ということばは含蓄が深い。お金でもなんでも、物的なものは結局は幸福をもたらさないのだろう。増やそうという欲は捨てて、在るものを大事にする。これだと思う。

 

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オールスターはカープが8人

2014 JUN 30 12:12:00 pm by 東 賢太郎

オールスターファン投票はカープが8人という大変なことになってしまいました。組織票でしょうが、それこそが人気のバロメーターとも言えます。他チームは計3人、巨人が阿部ひとりというのはちょっと気の毒ですが。かつては他球団は巨人のだしであり時代劇の切られ役でした。カープ女子の目には巨人がそれに映っているかもしれません。大竹が一岡の人的補償と思われてるでしょうね。

昨日はTV観戦でしたがDeNAに逆転勝ちしました。エルドレッドの2連発で先手を取ったのをひっくり返され5-4に。大谷からも2点取ったしDeNAの打線は強力になりましたね。1点ビハインドの8回に萬谷という新人投手が出てきました。

教育リーグ上がりの彼は先日の日ハム戦で球場で見ましたが、147kmぐらいの速球で三振を取り威力を感じました。去年までなら抑えられたと思います。しかし今年はちがうようで、丸がその速球をホームランして同点です。こういう場面でエルドレッド以外の人が本塁打で相手の「方程式」を崩すというのは大きいです。

そして9回。同点でもベイスターズはクローザーの三上を起用。今度は会澤が低めのスライダーをすくってレフトへホームラン。瞬間、レフトフライと思いましたから彼はパンチ力がありますね。石原の貧打には嫌気がさしていたのでこれは光明です。もうひとり白濱という捕手も出てきたので楽しみです。心配なのは久本です。チェンジアップを投げた瞬間、肘をやったようですが快復を祈るのみです。

4時過ぎから外がにわかに暗くなり豪雨が降りだしましたがTVの横浜はまだ晴れていました。それが試合終了間際になって「黒い雲が・・・」とアナウンサーが言い出したので、この雲は北東から南西へ向かったようです。普通は西からくるのですが。最近はいろいろと普通でないことが起こるものです。

 

ヴィヴァルディ 「四季」

2014 JUN 29 23:23:48 pm by 東 賢太郎

僕はバロック音楽にコンプレックスがあります。

どうしてかというと、簡単です。まずFMで時折聞いてもちっとも面白いと思わなかった。ところがです。当時メッカであった石丸電気へ行くとそれなりのバロック・コーナーがあったのです。エラート(仏)、ハルモニア・ムンディ(仏)、オワゾ・リール(英)、アルヒーフ(独)など欧州レーベルの輸入盤LPがどっさりあった。手に取ると重厚な装丁でどっしりとした芸術品という感じです。このプレミア感には惹かれましたがなにせ金のない学生の身。ネットでいくらでも試し聞きできる今とちがい、聴いたことのない曲の高価なレコードを購入するのはリスクが高くて手が出なかったのです。

基本的に宗教音楽が主流であるバロックはディープなヨーロピアンの世界です。米国レーベルではCBSやRCAのバロック録音というとJSバッハですらストコフスキーの管弦楽編曲が思い浮かぶ程度で、当時の我が国のコアなクラシックファンはそういうものを心底、小馬鹿にしていたのです。さらにLPの盤質は欧州が優秀で音が良く、米国は安手で粗悪、音はドンシャリというのが常識でした。バロック・コーナーにはチープな米国盤がないというのがこれまたプレミア感があったんですね。

客層もどことなく知的で裕福そうな中年が多く、レジでそういう人が4-5枚の大人買いをしているわきから、「お次の方どうぞ」と呼ばれて1枚だけチャイコフスキーなんかをさし出すのは恥ずかしかったですね。ところがそうこうするうちに人間は困ったもので、買えない自分が悪いのにバロックを「酸っぱいぶどう」にしてしまう(認知的不協和の解消ですね)。ロマン派や近現代音楽の方が進んだ音楽なんだということにしてしまっていて聞かなくていい理由にしていた気がします。

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とくにヴィヴァルディの四季はくだらないお子様向けのデザートと思っていました。これを十八番にしているイ・ムジチというイタリアの楽団も、日本人だけがお得意さんの末期のベンチャーズみたいなものかと。しかしイ・ムジチの演奏力と音楽性は香港でこの曲のライブを聴いて確認しました。今の僕はこの曲を高く評価しています。赤毛の司祭ヴィヴァルディ(右)はただ者ではない。なにせあのJ.S.バッハがお手本にしてアレンジしているほどの人なのです。

 

四季(四季 (ヴィヴァルディ) – Wikipedia)はヴァイオリン協奏曲集『和声と創意の 試み』作品8の第1-4曲であり、その名のとおりそのコードプログレッションは当時としては創意に満ちています。我が国でいうと江戸時代中期、1725年頃の作品ですが現在のポップスの和声の基礎がほとんどここにあるといって過言でありません。増4度減5度はほとんどなく全音階的で対位法もなく旋律と伴奏和声という単純な構造なのですが、その和声が短2度でぶつかったりバスがセブンスに落ちたり決して陳腐ではなく今の耳にも刺激とウィットに富んでいます。

最近CMでよくかかっている冬の第1楽章の「寒さで歯がガチガチ」なんて、あのなだれ込むようにかき鳴らされる和音は本当にいい。実に格好いいですね。ドイツの一級品は重み、深み、フランスのは繊細さ華やかさを感じますが、イタリアの場合はスタイリッシュで格好いい、ダンディ。まさにそういう感じです。これのピアノソロ譜を買ってきてあそこを弾いてますが、病みつきです。簡単ですが気持ちがいい。それが名曲の証しですね。ピアノで面白いというのは構造がしっかりしているという事で、それがヴァイオリン協奏曲という形で弦の魅力に置き換えられています。

春ばかり有名ですが、全曲いろいろと面白い。夏が3楽章とも短調というのが現代人とは違和感がありますね。穀物の収穫は秋であり夏には食料は底をつきます。しかも冷蔵庫がない。エアコンもない。だから照りつける過酷な太陽はマイナーキーになるのでしょうか。夏がバカンスで楽しい季節となったのは比較的最近のことかもしれません。その分、秋の音楽は活気と喜びに満ちています。しかし僕が気に入っているのは断然、冬なんです。

難しいことはぬきにしましょう。まずフルオーケストラ版です。香港時代(99年)にシトコヴェスキー / アルスター管弦楽団が来てやったのがとても良かったので、それと同系統の演奏を。カルロ・マリア・ジュリーニがフィルハーモニア管弦楽団を振ったものです。これも名演です。

もうひとつは全然違うモダンなタイプの合奏です。ユリア・フィッシャーの見事なソロ、アカデミー室内管弦楽団のスタイリッシュな伴奏も爽快です。ユリアはインタビューで四季の好きな楽章はと聞かれ「なんったって冬の第二楽章よ」と答えてます。

 

家で聴くのはこれが好きです。

オットー・ビュヒナー(Vn) /  クルト・レーデル / ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団

sikiLPです。なぜ買ったかというと安いから(¥1200)。大学時代に一枚ぐらいは持っていようかという事で何の気なく買いました。ドイツ人らしいきっちりした生真面目な演奏で、なんら過激な試みも時代考証の跡もなし。秋の第2楽章にソロが一般と違う装飾的なメロディーを奏でるなど精一杯の努力はしているが今となってはレゾンデートルに欠けるきらいはあります。しかし、なんといっても音楽として心地よいのだから仕方ありません。僕の装置で聴くとエラート・レーベル独特の中音につやのある弦の音が素晴らしく、アナログ録音の最も魅力的な音が聴ける掘り出し物という意味でLPコレクションの中でも大事なもののひとつになりました。こちらがそのLPからの録音です。

 

(こちらをどうぞ)

 J.S.バッハ ブランデンブルグ協奏曲全曲

 J.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲」BWV1046-1051

 J.S.バッハ 「ゴールドベルク変奏曲」

 

 

 

 

 

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シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44

2014 JUN 28 10:10:21 am by 東 賢太郎

ある人に室内楽で初心者にわかりやすい名曲はと聞かれました。さて、そういうふうに考えたことがないものですからちょっと困った。わかりやすいというのは覚えやすいという事だろうと勝手に解釈・・・。

『そうですね、モーツァルトのクラリネット五重奏曲、ベートーベンのヴァイオリン・ソナタ「春」、シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲、ブラームスの弦楽六重奏曲第1番、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」・・・・』ときて、いけませんね、大事なのを忘れてた。

ロベルト・シューマンのピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44

これで決まりでしょう、覚えやすいのは。とにかく複雑難解なところがありません。元気溌剌と始まる第1楽章、いきなり出るのが第1主題です。たおやかな第2主題は楽器のかけあいで(以上が「提示部」)。ちょっと緊張感のある「展開部」が続いて、またまた元気溌剌の第1主題が再登場(これが「再現部」)。展開部と同じ出だしで「終結部」(コーダ)へ。もう絵にかいたようなソナタ形式ですね。

第2楽章はハ短調の葬送行進曲。覚えやすいメロディーです。中間部はとてもシューマンらしい(気取って「シューマネスク」なんていう人もいます)ロマン的な緩徐部が激しい楽想をはさみこむ形式になります。第3楽章はスケルツォで、音階を上がったり下がったりでこれもすぐ印象に残ると思います。そして終楽章、またまたいきなり第1主題が。解説いりませんね。最後はこの主題が第1楽章の主題と組み合わされて二重フガートになり、堂々と全曲を結びます。

どことなくモーツァルトのジュピターとベートーベンの英雄をミックスした小型版という感じのコンセプトでしょうか。弦楽四重奏にピアノを加えた編成はそれまであまりなく、この曲が有名になった第1号です。シューマンがクララと結婚して2年目の32歳の秋にわずか1か月強で一気に書かれました。彼はあるジャンルにのめりこむとそればかり集中して作る傾向のある人で、作品1から23はピアノ曲ばかり、1840年は歌曲の年、41年は交響曲の年、そしてこれを作曲した42年が室内楽の年と呼ばれます。

youtubeからお借りしてさっそく。

これはイェルク・デムス(ピアノ)とバリリ四重奏団の演奏で、1956年発売ながら音は温かみがあって良好であり、この曲の代表的録音として知られる名盤であります。バリリ四重奏団はウィーン・フィルの稿でご紹介した小型ウィーン・フィルともいえる名カルテットであります。ピアニストのデムスはナット、ギーゼキング、ケンプ、ミケランジェリ、フィッシャー410の弟子でパドゥラ・スコダ、グルダとともにウィーン三羽烏のひとりといわれた名手です。この若い頃のタッチとフレージングは瑞々しく格調がありほんとうにすばらしい。この曲の出来はピアノが大きく左右します。僕は迷うことなくこれをファースト・チョイスにお薦めいたします(CDは右)。ここにもう一つはいっている作品47のピアノ四重奏曲の方はさらに深みのある名曲の名演であり、ぜひ両方とも聴いていただきたいものです。

 

メナヘム・プレスラー(ピアノ)/ ボザール・トリオ

4988011143403ボザール・トリオは1955年にプレスラーによって編成された米国のピアノトリオ(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)です。惜しくも解散しましたが名演を多く残しました。ピアニストが大事と書きましたが室内楽の場合はヴィルトゥオーゾならいいというわけにはいきません。プレスラーは合わせが上手で弦楽器奏者とフレージング(例えばトリル)がぴたりと合っており、スケルツォにその好例を聴くことができます。そのようなアンサンブルの妙こそ室内楽の醍醐味であり、この演奏は各人が特に名手でも個性豊かでもありませんが合奏力でハイレベルな音楽になってしまうというもの。バリリ盤と比べてぜひ耳を肥やしていただければ室内楽の豊穣な世界への第一歩となるはずです。

 

シューマン弦楽四重奏曲第3番イ長調作品41-3

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「小保方氏実験なら厳格監視」報道について

2014 JUN 27 15:15:58 pm by 東 賢太郎

あくまで一井の庶民感覚ではあるが、どうもよくわからないことがある。

僕はアメリカ航空宇宙局(NASA)の地球外知的生命体探査(SETI project)に多大の関心を寄せる人間である。宇宙人を探してどうするんだ、税金の無駄使いだという批判は米国民に常にあるだろう。それでも研究を続けるのはアメリカ人のフロンティア精神の象徴として敬意を払う。

それと同じ理屈で、STAP再現実験は必要なら生命科学の発展のために何年でもかけてやればいいし、iPS細胞もそうして発見されたのだからSTAPだけやるなという理由などどこにもない。理化学研究所とはそのための専門家集団であり、国民がそれを是とするから公金で存在しているのである。

だから、「小保方さんが(実験を)やらないと、決着がつかない」(野依理事長)から実験が必要なのだという理屈が理解できない。「決着」とはいったい何のことだろう?「小保方氏実験なら厳格監視」(理研竹市雅俊センター長)、この奇怪なコメントはいったい何だろう?監視があろうがなかろうが、厳格であろうがなかろうが、それは実験の責任者である理研のご随意であって国民にお断りする必要はない。お断りすべきは「生命科学の発展のため」ではない実験をやっていいかということだ。

もっと本質的なことがある。その実験よりSTAP論文不正犯人捜査が先に必要ということだ。若山発表以来これが未だなされていないのは非常に不可解であり、小保方研究室の細胞の徹底的な第三者立入調査が絶対に必要である。どうでもいい再実験の監視などより小保方研究室が本当に封鎖されているかすぐに監視すべきである。

論文不正問題とSTAP細胞有無解明とは全く別の問題である。事の本質を曲げることはありえない。STAP細胞はES細胞(胚性幹細胞)ではないかという指摘が客観的事実に基づいてなされている、つまり公金を使った不正事件という重大な疑義が公に指摘されているにもかかわらず、なぜ事件発生現場の長が調査を行わないのか。

調査権がないのか。ないなら不正抑止力なしだからCDB解体は必然である。そうではないがやりたくないなら理由を国民に明示すべきである。それでいて調査委員会の解体勧告は行き過ぎなのだと主張して組織を守りたいといっている。犯人を特定しないでどうやって正しい人たちを守れるのだろう。組織の長の言行に納得性も論理的一貫性もない。だから調査委員会に解体せよと言われるのである。

理研に当事者能力がないなら誰が動くべきかは自明である。それが発動されないか、証拠隠滅を疑われる期間をおいて発動したとされることは、我が国の犯罪捜査の不備として世界に指摘される恐れがある。STAP細胞有無解明は科学者の仕事だが、これは公権力の仕事である。

 

 

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憧れの日ハム・大谷を見る(横浜球場)

2014 JUN 26 0:00:50 am by 東 賢太郎

昨日はお客様と日本ハムの大谷を見てきました。

横浜中華街駅を出るとあいにくの雨がぱらついておりました(球場に入るとやみました)。ドームではないので大谷の先発でなければ来てません。

dena1下のようなラインアップでした。山口の球は最速148kmでしたが剛球ですね。ズドンと重くて低めも浮いてくる感じ。良い投手の球は見ているだけで幸せになれます。 それでもハム打線につかまって試合は4-2でハムの勝ち。バルディリスが一塁上で大谷の牽制球を顔面にもろに受けて騒然としたり(珍事ですね)、大谷が金城のピッチャー返しをもろに食らったりで試合が2度も中断、さらには本塁に突入した走者と接触した主審がグラウンドにひっくり返ってしまい(これも大珍事)、その体勢からセーフを宣告したものだから中畑監督が飛び出してきて猛抗議でまた中断になったりと、波乱万丈のゲームでありました。dena3

さてお目当ての大谷です。ステップの広さに注目。とにかく日本人離れして大きくて手足が長いです。球を放る円弧が大きくて重心の移動距離も大きい。速いわけです(物理法則ですね)。どこかダルビッシュを思わせます。変化球から入る投球パターンでしたが、2点取られるとスイッチが入りついに160kmが一球だけ出ました。それを目撃しただけで来た甲斐がありました。

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ただ残念ながらバルディリスが打ってしまった(セカンドゴロ)のでミットに収まった感じや音がわからなかったです。

彼のフォームはセットアップからキャッチボールの延長のようなスムーズな流れで力が入ってません。非常にいいですね。それと球持ちが長いのであの身長だと打者は近くまで来て投げられる感じであり、肘の使い方が柔らくて腕のしなりが良いからスナップが効いておそらく回転が良い球質ではないでしょうか。それで直球はほとんど150kmごえだから、まあそうは打たれませんですね。凄味でいえば山口の140km代後半の直球の方が上ですが、大谷のは差し込まれて前へ飛ばないという感じです。自然なフォームで威圧感や一生懸命さが希薄だからすごく速くは見えないのですが、打者の空振りを見て速さを実感するという感じ。梶谷を空振り三振させた156kmのストレートはちょっと普通のピッチャーではありえない快速球でした。それに変化球、あれは何か僕の位置からは不明ですが、145kmぐらい出ていて空振りを結構とっていました。ワンバウンドするフォーク、外角へ逃げるいやらしいスライダーはあまりなかったように見えました。つまり、大変古典的な速球投手ですね。好みのタイプです。

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外野手のレーザービームに苦言

2014 JUN 25 12:12:52 pm by 東 賢太郎

野球中継を見ているとアナウンサーの言葉が気になる。わが家では頻繁にこういうことになる。

TV    「いやあ、松田は全力疾走でしたね」

家族   「えらい!」

僕   「あたりまえだろ、そんなの」

TV    「いやあ、ライト糸井のレーザービーム、ストライクでしたね」

家族   「すごかったね」

僕      「あたりまえだろ、そんなの」

僕         「そんなもんいちいち褒めるなよ子供が勘違いするから」

(TVに説教)

一時BSで女性アナウンサーが登場して、「いや~**選手、ファイトあふれるプレーでしたね~」なんてのがあってブチ切れてすぐ消していたが、さすがに不評だったのか最近なくなって安心している。しかし男も中身はおんなじような、シロウト色満載のひどいもんだ。

中日の英智(ひでのり)選手が引退試合のパフォーマンスで、ホームから100mぐらい遠投してライトポールに一発で当てた(映像をyoutubeでお借りする)。

元投手である彼の遠投力は123mであり、イチローや糸井もそのぐらいだろう。70ー80mでノーバウンドの糸を引くストライクなど当たり前なのである。レーザービームなんて言葉は外野手の辞書にはない。

こんなことができる運動の天才がレギュラーになれず引退になってしまうプロ野球。恐ろしい。

 

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八芳園にて

2014 JUN 24 22:22:50 pm by 東 賢太郎

白金台の八芳園にて。大久保彦左衛門の屋敷を明治になって渋沢喜作(1838-1912)が買ったもので、以前より来てみたいと思っておりました。ある会合にてご縁あって来園させていただき、感謝しております。喜作は彰義隊の頭取だった人です。

 

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夢庵(茶室)を拝見しました。

 

 

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予約でお点前がいただけます。

 

 

 

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夢庵は田中平八(1834-1884)が造った茶室です。渋沢家とは縁があったと母から聞いています。先祖がここで誰と何の密談をしたのか・・・明治のロマンです。

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金(ゴールド)のでっかい鯉を発見。まだ今年のカープはいけるという神のご宣託だ!と、シャッターを押しましたがうまく映ってません。やっぱりだめですね。

 

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フィラデルフィア管弦楽団を見て思う

2014 JUN 24 0:00:06 am by 東 賢太郎

フィラデルフィア管弦楽団(PHO)を久しぶりに見た。見たといってもTVだ。昔のCDはよく取り出して聴いているが、楽団を目にするのは本当に久しぶりでずいぶん驚いた。

驚いたのはその音楽にではない、顔ぶれだ。隔世の感どころか、もうこれは僕の聴いていたあのオーケストラとは別物である。とにかく東洋人が多い。TVをつけたらマーラーを途中からやっていて、弦楽セクションが映って初めは海外オケとN響あたりが混成でやっているのかと思った。コンマスは韓国系アメリカ人だそうだ。女性の数も昔と違う。弦楽器はもちろんのこと、金管(ほとんど白人だ)もホルンはともかくチューバまで女性というのは驚いた。このオケは体格の良い男がラッパをばりばり吹くという印象があったからだ。

これはこのオーケストラが2011年に倒産(日本でいう民事再生法適用申請)したことの影響があるのかもしれないし、そしてもうひとつは、オバマが大統領になるような米国社会全体の変化の縮図となっているという側面があるかと考えてしまう。こっちの頭が古いだけかもしれないが僕のいた80年代のフィラデルフィアで東洋人というとまだ根強い人種差別と偏見があって、一般の白人にはチャイナタウンかブルース・リーのカンフー映画のイメージぐらいしか持たれていなかったろう。バーなどでお前はチャイニーズかときかれ、ジャパニーズだ、ウォートンの学生だというと失敬したとビールをおごってくれるみたいなこともあった。

だから、あれ以来そんなには米国に足を踏み入れていない僕にとって、全米メジャー級のPHOにあんなに東洋人がいるということ自体が驚異である。ヤンキースやフィリーズの一軍ベンチ半分がそうなったぐらいのインパクトだ。僕らは東洋人の西欧進出の旧世代だったと思うし、新世代がそこまで社会の上層部を占めるようにまでなったことを誇りに思う。ただ、よく知らないがあのうち日本人はどのぐらいいるのだろう?中韓とくらべて日系人の進出はどうなのか不安もある。小澤征爾さんのボストンSO音楽監督、ベルリンフィルコンマスなどで日本が先行していたが中韓の追い上げが目立つ。従軍慰安婦問題のロビイングで押しまくられてしまうわけだ。今はチャイニーズだというとビールをおごってくれるんじゃないかと心配だ。

ヤニック・ネゼ=セガンは39歳のカナダ人の指揮者だそうだ。ノン・ヨーロピアンのPHO主席就任は史上初めてである。外人(欧州人)コンプレックスがあったという意味でN響みたいなものだった。地元のファンは保守的でイタリア系が多く、アメリカ人のシェフというだけで偏見があったろう。ましてカナダ人のシェフというと、ちょっとイメージがわかない。セガンがものすごく優秀かそれとも聴衆の好みも変わったということが背景と思うが、もっと大きいかもしれないのは、倒産という背に腹が代えがたい危機に直面して演奏のネット配信など脱地元路線に転換したのではないかということだ。ここは労組が強く人件費問題があったが人を入れ替えて大幅コストカットし、PHOというブランドでオンライン世界市場に打って出る戦略に転換したかもしれない。新経営陣によるMBO、潰れた老舗旅館の買収みたいなものだったのだろうか。

マーラーの一部だけなので演奏については良くはわからなかったけれど終楽章のホルンなど当オケと思えない不始末な音もしており、本当に違うオケになってしまっているかもしれない。弦はホールで聴けば良い音だったのだろうか知りたいところだ。演奏は熱演であったと思うが、正直のところあの1番という曲はどこがやっても熱演になる。あのぐらいなら世界にいくらもある一流オケの一つというところでどうということもない。今や学生オケでもマーラー9番や春の祭典を古典のように平然とやってしまう時代だ。プロの一流どころの評価は厳しくならざるを得ない。AAAだったのがAAになっている印象である。

PHOに限らずオーケストラの伝統というのは、楽員は必然として入れ替わるのだから、楽譜や楽器や奏法の伝承ということに尽きるのだろう。ウィーンフィルは当地の音楽院教授と出身者で固めて奏法の伝承をしっかりと図っているが、PHOのコンマスは当地のカーチスでなくジュリアード出身者だそうだ。そういうことになるとこの改革は本当にMBOだったのではないかとにわかに不安になる。香港には「そごう」があるが西武Gはとうの昔に資本を引き揚げていて経営は完全に中国人による。まさかそんなことはないと思うが、いや万一仮にそうであったとしても、オーケストラは出てくる音だけが命だ。それで判断するしかない。それが良ければ文句を言う筋合いはない。

棒の振り方を目で見る限りセガンは特に僕の好きなタイプの指揮者というわけではなさそうなので、僕が昔のよしみというだけの理由でPHOのファンであり続けることは残念ながらないと思う。冷たいようだが、人が変わっても勝てばうれしい広島カープ応援のようにはいかない。出てくる音がすべてだからだ。シェフの影響は大きい。オーマンディはアメリカンの趣味と教養のレベルに合わせて、それもラジオ放送やLP録音の国内マーケティング事情も勘案してああいう音作りをしたが、本質は欧州の音楽的教養にあふれる指揮者だった。

西洋音楽史のなかでは遥かに外様であるアメリカのオケは楽譜を記号として高精度で再現する方向で存在感を作ってきた。PHOは米国で初のベートーベン交響曲全集をCD録音したオケだそうだが、それはその実力からして不当に遅い1988年のことだ。全米の他のメジャーオーケストラにとってはさらに不当なことだが、それはメード・イン・USAのベートーベンはビジネスとしてペイしない(要は、世界で売れない)と資本家が判断したからだ。外様はアジア人も同じだ。PHOで両者が合体するのは21世紀のクラシック演奏の潮流を予言しているかもしれない。

20世紀の欧州の演奏家にとっては未開地の米国がいいお客さんだった。21世紀は中国がお客さんなのかもしれない。ユジャ・ワンやランランという肉体的、精神的パワーで米国人に負けない演奏家も中国から出ている。ドイツグラモフォンがセガンのPHOと長期契約するらしいが、それはチョン・ミュンフンのソウル・フィルハーモニーと同じパターンのように僕には見える。欧州音楽産業はもはや欧米ではなく21世紀のニューリッチであるアジア市場を見ているのだ。その潮流に乗ろうという演奏家が出てこない日本。中途半端に大きい国内市場のパイを食いあって内弁慶で終わるのはケータイもゴルフも一緒だ。

ひとつわかったことは、僕が聴いて育った20世紀の録音は、PHOのものに限らずだが、もうそれそのものがかけがえのない文化遺産になっているということだ。モントゥーやアンセルメが生きていても、ああいう音を出してくれるオケはもうこの世にない。トスカニーニみたいなリハーサルをしようものならパワハラで即刻解任されるだろう。だから、そうしてできた録音はもうリプロデュースのきかない文化財だと思う。お前は保守的だといわれるかもしれないが、彼らが残してくれた音は格段にハイエンドなのだから、どうしようもないことだ。

 

(こちらもどうぞ)

クラシック徒然草-ユージン・オーマンディーの右手-

 

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リケンスタップス、PKに持ち込む

2014 JUN 22 23:23:32 pm by 東 賢太郎

Wカップで数少ないシュートを外したO選手が「もったいないです、情けないです」「次は頑張ります」と答えていた。悪いがもったいなくも情けなくもない。世の中、「そこ」で決められるかどうかだけだ。決められなかった人にどんな事情があろうと、歴史は冷徹にその人を普通の人と判定する。歴史は決めた人にだけ「一流」の称号を与えるが、説明はもとめない。

政府が保有するクラブチームであるリケンスタップスは主将でエースストライカーのO選手がPK狙いと思われる派手なシミュレーションでレッドカードをもらってしまった。あまりにひどいというので監督も退場、チームも解散の瀬戸際にある。ところが女子サッカー振興に熱心な大会委員長が出てきて、キミ、それはそれとしてだね、O君はアメリカ帰りの大事な選手なんだろ?ロスタイムを追加してPKを蹴らせてみたらどうだというサッカー界を震撼させる異例の事態になっている。

O選手には「そこ」がやってきている。チャンスだ。

人生、ピッチではもう2度と願えない「そこ」だろう。今こそだ。ここではずしたら普通の人だ。世間では彼女の蹴るPKは誰も見た者はないがすごいらしい、一度見てみたいという声も多い。無回転シュートかはたまた魔球か。昔、野球界には大リーグボールというのがあった。土煙を巻き上げて視界から消えたりする。こっちはハーバードボールだ。タマが視界から消えるばかりか冷蔵庫から出てきたりもするという噂もある。

なんであれ、O選手が衆人環視の中でPKを決められれば勝ちだ。歴史は決めた人にだけ「一流」の称号を与えるが、説明はもとめない。しかし、「もったいないです、情けないです」「次は頑張ります」という事態はもう永遠に訪れることはない。それは大会委員長が決めることではなく、歴史が決めることだからだ。

 

 

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