「リーダーズ」に見た日本人の誇り
2014 MAR 24 1:01:38 am by 東 賢太郎
TBSドラマ「リーダーズ」、じっくり見せてもらいました。感動しました。トヨタ自工の創業物語が、物づくりへの執念が、国産車を造るというプライドが、我々に勇気を与えてくれます。日本人に生まれてよかったと思いました。
22日から連続。トヨタ自動車全面協力ドラマ「LEADERS リーダーズ」の …
豊田喜一郎の発想の桁外れな大きさ。反対する役員。豊田に徐々に共鳴していく従業員。戦争。敗戦。GHQの命令と屈辱。80倍のインフレ。日銀の金融引き締めによる倒産危機。日銀の融資決断。従業員の解雇。辞任。朝鮮特需、そして再生。
トヨタなくして日本はどうだったかというほどの会社が、先代の役員から「道楽」と揶揄された一人の男の思い入れと執念から生まれました。常人の何歩も先を行くアイデアは理解されにくいものです。夢物語だと否定してかかった方が楽でもあります。しかしそれをやるべき宿命を負った人は、それをやってしまう。運命を分かち合う協力者が現れてできてしまう。そういう人が歴史を作る。とても考えさせられるものがありました。
これを見ることになったのは、先だってのブログ
に書かせていただいたこのドラマのロケ地である「絲原家」訪問がきっかけです。たたら製鉄という日本のこだわり技術の舞台でロケしたというのもいいですね。右の写真はその折に一般に入れない奥の応接室で、訪問者名簿に記帳させていただいているところです。ちなみにこの部屋はドラマでは豊田喜一郎の自宅の執務室という設定でした。
この奥出雲訪問がなかったら、TVを見ない僕がこのドラマを見ることは絶対になかったです。こういうのがご縁というものでしょう。
国民に勇気と豊かさを与えたいという大義に勝るものはありません。日本男児と生まれたからにはかくありたいと強く思わされるドラマでした。
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「バンクーバーの朝日」に感動(フェアであることの強さ)
2014 FEB 27 22:22:40 pm by 東 賢太郎
TVで戦前の日本人野球チーム「バンクーバー朝日軍」を知りました。
第2次大戦前の日系カナダ移民の話です。ある日、日系人に職を奪われて怒り狂ったカナダ人暴徒に襲われて被害を受け、それに反撃を加えたために暴動は国と国の憎しみあいにまで発展してしまいます。その後も徹底的に人種差別を受けた日系移民たちは、現地のスポーツ野球で白人を見返そうと立ち上がって野球チーム「朝日軍」を作ります。しかしカナダのナショナルリーグには入れてもらえず、何年かたってやっと一番下のインターナショナル・リーグでの参加を認められます。
徐々に力をつけた朝日軍は白人チームに勝ち始め、やがて連戦連勝の戦果を挙げるまでになります。するとカナダ人チームは徹底したラフプレーを仕掛けて汚い手段で勝に行きます。けが人が続出し試合は一触即発の事態となりました。それでも朝日軍を出場停止にしなかったのは「ジャップをやっつるカナダ軍」が興業として客寄せになるからでした。同じ目的で、今度は審判までもがカナダ軍に味方をして、明らかなえこひいきのジャッジでカナダを勝たせるようになります。
怒り心頭に発した朝日軍の選手たちは審判に体を張った抗議を試みます。それをなだめたのが朝日の監督でした。「みんな暴動を思い出せ。あの時に反撃して何が得られたんだ?判定がおかしくても抗議は一切するな。日本軍はフェアプレーに徹しよう、それをカナダ人にわからせよう。」と言ったのです。
ある日、6-3で朝日が勝っている試合の9回、満塁走者一掃のヒットでカナダは同点とし、打者走者がホームにつっこみました。誰が見てもアウトでしたがジャッジはセーフ。カナダの逆転勝ちとなりました。その時、怒った観衆たちがグラウンドになだれ込み審判に猛抗議しました。それはカナダ人の観衆だったのです。
こうしてまたフェアな野球ができるようになると朝日軍は再び強豪チームとして返り咲き、カナダリーグで堂々たる戦績を挙げてカナダ人ファンの称賛を大いに浴びることとなったのです。そして日米開戦。すべての日系移民は資産を没収されて収容所に送られます。朝日軍は解散となり、終戦後ももはや復活することはありませんでした。
それ以来この話は忘れられていましたが、カナダプロ野球機構が朝日軍を異例中の異例として「殿堂入り」させることを決定し、日の目を見ることになったそうです。サムライとして称えられたのです。それを知った当時の選手の方がWe received spotaneous standing ovation. It was unexpected and will stay in my memory for the rest of my life. とおっしゃっていたのが焼きつきました。
世界ではサムライというのは人殺しなどではなく「フェアな人」であり「どんなに苦しくても正しいと信じることを粛々と行える強い人」だという意味に理解され始めているのかもしれません。それこそ日本人だけが誇ることのできる強さです。朝日軍へのカナダの方々のご評価はこれからの「世界の中の日本」を考える中でとても示唆に富む話ではないかと思いました。
この話は「バンクーバー朝日」というタイトルで今年映画化されるそうです。見てみようと思います。
映画『バンクーバーの朝日』公式サイト
オリンピックへの道 (1964年にできたもの)
2013 NOV 7 23:23:58 pm by 東 賢太郎
1964年の東京オリンピックに向けてできたもの
国立競技場、日本武道館、東海道新幹線、東京モノレール、羽田空港のターミナルビル増築・滑走路拡張、首都高速道路、名神高速道路、ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル
だそうだ。いや、それだけじゃないだろう。僕ら子供に初めて生の世界を感じさせてくれたことだ。TVで見る選手だけではない、東京には外人がおおぜい来た。大げさかもしれないが僕の中に「世界という感覚」の種みたいなものができたのはまさにあの時だ。
生まれて初めて会った外国人は、成城学園初等科の、おそらくかなり低学年の時に来た韓国の劇団だ。それはプロではなく、たぶん中学生ぐらいのお姉ちゃんたちだった。なにか歌ったり踊ったりしたのを物珍しげに鑑賞した記憶がおぼろげにある。あれは何だったのだろう?韓国人と思っているのは彼女たちが着ていた衣装がたぶんチョゴリだったろうと今になって思うからだ。その程度の記憶なのだが、ひとつだけ強烈に覚えていることがある。日本語が通じなかったことだ。
その記憶と1964年はきっとそんなに遠くはない。アメリカ、ソ連、イギリス、オランダ、エチオピア云々と聞くにつけ、そうか日本語が通じない人たちがそんなにいるのかと妙な感心をしたものだ。中でもベラ・チャスラフスカは子供ながらにきれいだと思っており、チェコスロバキアという国名とともに発音しにくい名前が頭に焼きついた。はるか後、共産時代末期のプラハに初めて行ったが、空港で頭をよぎった単語はドボルザークでもスメタナでもなく、チャスラフスカだった。
オリンピックが過ぎ去って僕が夢中になったのは今度はベンチャーズであり、そこから関心は西洋音楽へ行ってしまうのだから、ずいぶん和の心のないガキであった。それが長じて、会社へ入って16年海外で仕事するようになったのは偶然なのだろうが、そうではないのかもしれないとも思う。あらかじめ人生がそうなるようにセットされていたのではないか?という感じもするのである。
というのは、たまたまいま読んでいるジェイムズ・ヒルマンの「魂のコード」(こころのとびらをひらく)という本があって、これにそういうことが書いてあるからだ。ヒルマンは元型的心理学の祖といわれるアメリカの心理学者だ。「あなたの人生は心理学者が言うように遺伝子とトラウマが作るのではなく、あなたの守護霊が生前に選んだものだ」と主張する。際物にきこえるが、学術書ではないもののれっきとした知的な書物だ。これはプラトンに発した考えで東洋の運命論に近く、西洋人でこう考える人がいるという意味でもとても興味深く、ご一読をお薦めしたい(河出書房新社)。それを一言で表すと、
「私は発達などしない。私は私である。」(パブロ・ピカソ)
ということだ。
1964年から、自分はれっきとした自分だったように思う。そしてオリンピックがそれを現す触媒になった。2020年、おもてなしのオリンピックは今度は誰のどんな触媒になるのか、とても興味がある。
遺伝子の記憶 Ⅲ
2013 OCT 3 20:20:13 pm by 東 賢太郎
数学はこう言います。
数学なんで仕方ない、これが正しいのです。34世代前よりさかのぼるといずれ地球の質量を人間の体重が超えます。あり得ないのでどこかがおかしい。
同じ先祖を皆が数えているからです。
つまり、それを「あり得る」ためにする唯一の数学的な解は、どっかの宗教がいう「人類みな兄弟」がおおよそ正しいと認めることです。厳密に言えば、始祖となったアダム-イヴのペアが2組以上あってお互い親族でなくても成立するので、「みな」兄弟ではないかもしれないが、限りなくそれに近くないと「あり得る」ようにはなりません。この事実は次の例でもわかります。
細胞にあるミトコンドリアは女性を通じてだけ塩基配列が遺伝するのは有名です。子が男だけだと切れるが女が生まれていれば無限に先祖をたどっていける。それによると12万-20万年前にアフリカにいた女性が今いる人類の最も近い共通の祖先とされています。彼女を「ミトコンドリア・イヴ」と呼びます。それが一人しかいなかったというのは俗説で、他にもいたはずだが「たどり得るもっとも最近の共通女系祖先」ということです。これをご参照ください。
「女系を絶やさないレース」の金メダリストが今日現在は彼女だということに過ぎないので、彼女が人類の始祖であるかどうかまではわかりません。ということはあなたが女性であれば、12万年後ぐらいにはあなたがミトコンドリア・イヴさんになっている可能性もあるということです。
こういう時間軸でとらえると、塩基配列(要はDNAです)の原材料はみんなほぼ同じです。少なくとも「人間の形を作れ!」と書いてある塩基配列部分は確実に同じだから、そこからのヴァリアンスに過ぎないという見方もできるかもしれません。老舗の蕎麦屋のタレみたいなもので、同じレシピで作るスープストックがあるが毎日出し入れするので味は毎日微妙に違う。100年たつとけっこう変わっている。我々の個々人の違いはそんなものじゃないかと僕は思っています。
オックスフォード大学遺伝学研究チームによるとジンギスカンの子孫は現在男だけで1600万人いるそうです(Y染色体がマーカーなので、今度は男しかわかりません)。現在のモンゴル族の男女合わせた人口は約1250万人。日本人の多くは蒙古斑が出ますからモンゴル遺伝子が最も色濃く入った外国であり、皆さんも僕もジンギスカンの末裔であってぜんぜん不思議ではありません。ちなみに孔子の末裔は400万人ですから、ご両人の遺伝子を持った文武両道の方が皆さんの中におられても不思議ではないのです。
こう考えると人間の可能性というのは、少なくとも持って生まれた遺伝子が秘めているパワーという意味では、自分で思っているよりもとても大きいかもしれません。ですからそれを発揮できるように日々努力するのが生きるということの大切な意味だろうと僕は常々考えております。持ち腐れで終わってしまえば、それはなかったのと同じことです。
遺伝子の記憶は科学的には証明できないのかもしれませんが、五感の知るところにおいて、僕はあると信じています。科学は進化しています。ニュートンがアインシュタインがマックスウェルが、その時々の最先端理論を覆して新しい宇宙の原理を提示してきたことを僕らは知っています。今の科学が何を証明できるか、僕らに何を教えてくれるかということに、だから、僕はあまり縛られたくありません。自分の五感の声をよく聞いてそれが導いてくれる方向に逆らわずに努力をすることで、人生大きくは間違わずに来たということの方が自分には余程重たいことです。それが正しい方向だったどうか。それはこれを読むであろう僕の1000年後の子孫が判断してくれるでしょう。
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遺伝子の記憶
2013 OCT 2 23:23:08 pm by 東 賢太郎
扶余出張で一緒だったY氏が僕の手首の上腕部内側にある、骨と直角にできる筋を見つけました。「これが出る人はジンギスカンの子孫ですよ」。これはにわかに信じられませんが、確実なこととしてはお酒に弱い(いわゆる下戸)もモンゴルの特徴で、下戸遺伝子は世界中でモンゴル人にしかないそうです。ということは下戸である僕は確実にモンゴル遺伝子を持っています。ところがモンゴルには二重瞼がなかったそうで、二重である僕は確実に非モンゴル遺伝子を持っています。
わが東家は父方も母方も純日本人ということになっております。しかし純日本人はそもそも縄文人です。我が相貌からしてそれはなさそうで、先祖は(ジンギスカンはともかく)大陸系ということは納得のいくところです。母方系図はずっと先の方に信玄の武田氏、江戸末期には堂々と「京都 御公卿」という看過せざる父祖も登場し、そういう血がもしかして大陸系なのかもしれません。
遺伝子の記憶という言葉があります。先祖が経験したことが子孫に先天的に伝わるというものです。それがあるとすればDNAか細胞組織に「記憶のマーカー」があるはずですが見つかっていないそうです。したがって、それは疑似科学、俗説とされています。しかし、我々の自我(自分のことを「私」と思っている自分)が脳のどの細胞にいるのか(自我のマーカー)だって同じくわかっていないのに、皆さんも僕も「私」は今もちゃんといるのです。だから、自分の「私」と先祖の「私」が似た人である根拠はないということを分子論だけ用いて「証明した」と言ってしまうと、これまた非科学的です。似た者同士がたまたま似た知覚や判断や行動をして、先祖も一緒だったと驚き、その記憶が遺伝子にあったんだとなる。それが遺伝子の記憶と言われるものかもしれません。
遺伝しているものは「記憶」ではなく、「嗜好」や「習性」や「癖」ではないでしょうか。これらは情報インプットに対する脳の反応特性が「何らかの偏向」を示すということです。飛んできたサッカーボールを蹴るという動作は、ボールの球筋情報を光学的にとらえる視神経、それを脳内で電気情報で伝えるシナプス、それに対する反応を決定する回路、その決定を筋肉に伝える電気系統などが一つのシステムとなって作動した結末です。それが毎回正確にゴールに入るというのは、その各行程がそれに適した反応特性(偏向)をもって作動する必要があり、そういう偏向をもたらす固有の「スペック」というものが脳や神経や筋肉にあるはずです。これは分子論的に追い込めるのではないでしょうか。スペック(例えばシナプスの数やつながり具合とか定量化できるもの)は遺伝でしょうから、そういう理屈でサッカーのうまい親の子はやはりうまい確率が高いのではないでしょうか。
脳にプリセットされたスペックが何に適しているかで、何が好きになるかは決まるかもしれません。視神経がとらえた光学的情報が「方程式を解け」でも「カラオケを歌え」であっても、そこから先に起こる原理はサッカーとまったく同じことです。脳科学の本によると、脳が気持ちがいいと感じると脳内にエンドルフィンという快感物質が分泌されます。「自分がうまい」と思うことは快感なのでそれを脳は好きになって繰り返しその快感を求める傾向があるそうです。元々うまいことを繰り返せばもっとうまくなります。それで趣味がサッカーですカラオケです数学ですと個性が分化していくのだと思います。このことを別々の角度から表現したのが「嗜好」や「習性」や「癖」という言葉です。だからこれらは遺伝するのだと僕は思っています。
例えば食べ物の好み(嗜好)は遺伝するというのは皆さんのご経験にもあるのではないでしょうか。日本人がなぜ醤油が好きか。それをおいしいと思う遺伝情報を持った人が多いのか、食べているうちにそう思う人が増えたのか。ダーウィンに従えば醤油を嗜好する人が列島での生息には適していて個体数が増えたということですから、生まれつき特殊な形の嘴をもった鳥(フィンチ)が繁栄したように、親が教えなくても子は醤油好きになるのかもしれません。そこを断定する自信はありませんが、長い海外生活の結論として僕は醤油のない国に住む自信もないことがわかったので、日本に住むしか手はありません。
こういうことをなぜ考えるかというと、先日行った百済の扶余は五感でいいと思ったからです。何とはなしに、理屈抜きに、そう体感したわけです。そういう五感の働くことは経験があって、例えば横浜に行きますと自分の先祖由来のある場所があります。それは桜木町の駅の近くの川辺で富貴楼という料亭があった所で、彼が晩年にまあいわゆる彼女に買ってあげたもので、伊藤博文、大久保利通ら明治の元勲たちの定宿でした。今はビルになっているのですが僕にとって大事な場所で、そこに行くと何となくあったかい霊気みたいのものを感じ、声が聞こえるような気がします。自分を守ってくれ鼓舞してくれるような感じがするのです。だから仕事がつらかったとき何度かそこへ一人で行って、長いこと耳を澄ましてじっと声を聞きました。
ところが、それはまだ国内だからいいとして、自分の西洋音楽好き、地中海好きなんかはいったい何だろうと思います。ローマでもそういう感じがするからフォロ・ロマーノにわざわざ3回も行ったのです。それに関する本を読みまくってもう徹底的に調査しないと気が済まないというところにいます。横浜ももちろんそうだし、何の知識もなく行ってみたら扶余もそうなってきた。同じ韓国でもソウル、慶州ではそういうことは全くありません。これは何なんだろう?さっき書いたことと大きく矛盾するのですが、こういうものが遺伝子の記憶だよと誰か言ってくれれば、世の中ずいぶん楽に生きていけるのですが。
バッハみたいな音楽を嗜好して生み出す特性の脳をもった人がヨーロッパでの繁殖には適していたんでしょう。しかしそれが日本での生存繁殖に必要かというと、ぜんぜんいらないでしょう。だから現在でも日本のクラシック人口は国民の1%です。古代の日本にもそういう人がごく稀にいたかもしれないが、むしろ正倉院のメソポタミア起源の御物と一緒に遺伝子も大陸から流入してきたと思う方が自然です。でも醤油好きでないと日本での生存には適していないからその遺伝子を獲得していった。つまり何万年の人類の歴史の中でその両方の遺伝子プールに縁者がいたから僕はこうなってるんじゃないか。遺伝子に記憶があるわけではなく、単に同じ脳のスペックを持った遠い先祖がそのスペックであるゆえにそこに住むしか手がなくて、その辺にいたんだと思うわけです。
そうであるなら、皆さんもご自分が特別にお好きなものごとが栄えていた場所に遠いルーツがあるということを考えていいかもしれません。ラーメン好きなら中国、ボルシチ好きならロシア、カレー好きならインド、ワイン好きならメソポタミア、トマト好きなら南アメリカ・・・・僕はそれが全部好きなんで困りますが。我が日本は移民国家アメリカがこの200年でやっていることを2000年前にやってしまった人種のるつぼということなのかもしれません。
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「都をどり」とストラヴィンスキー(Kyoto-Sado-Russia)
2013 APR 14 20:20:06 pm by 東 賢太郎
「都をどり」のフィナーレの合奏です。横笛のピャーという超高音での終止、打楽器群の複雑なリズムの乱舞をじっくりお聴き下さい。
次にこれをどうぞ。最後の方の鐘と大太鼓のシンコペーションのリズムをじっくりと耳に焼きつけてください。
この2つから僕が真っ先に思い浮かべる西洋音楽です。
いかがですか? これはストラヴィンスキーの「春の祭典」からエンディングの「生贄の踊り」です。
僕の頭の中で
京都-佐渡-ロシア
と、何かがピーンと一直線に繋がった気がいたします。
夜桜
2013 MAR 28 22:22:25 pm by 東 賢太郎
うちの近くの夜桜です。名もない桜ですがいま満開です。すごくきれいです。来週には散っていると思うと、1150年もの時空を超えて、在原業平(825年 – 880年)の心境がふとわが心に浮かんできました。
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
陰陽五行は大変なものかもしれない
2013 JAN 24 17:17:06 pm by 東 賢太郎
陰陽五行は道教に発した思想です。現代でも東洋人の日々の生活や考え方に大きな影響を与えています。暦(こよみ)、易、四柱推命、気功、鬼門、干支(えと)、八卦(はっけ)などです。60歳の「還暦」や「土用のうなぎ」もそう。神道の起源という説もあり、相撲の土俵は方位も形も五行そのものだそうです。
東洋思想も西洋思想も「宇宙」から生命の生生流転を説くものですが、東洋はそこに起源や終焉というものを求めず、絶対普遍の真理も求めません。何を言っているかわかりにくいと思いますが、昨日内藤氏から何度も「東、それはお前の頭が西洋なんだ」と諭され、なんとなく気がついてきた、ひょっとすると実に大変なことかもしれません。
西洋は「絶対真理」を認める(存在を信じる)ので世の中の事象をそこからの「かい離」ととらえます。かい離は真理に収束すればいずれ消えます。東洋は「変化」ととらえますから収束しなくてもいい、それが普遍と考えます。真理=神なので西洋では神は一人です。道教では神はいくらでも認めます。八百万(やおよろず)の神のいる日本もそうです。
「宗教」というとなにか色のある言葉に聞こえてしまうのですが、悟りを開くなどして何か宇宙の深奥の原理のようなものを理屈ではなく体得した超人がいたとして、それを他人に伝えようとしたらどうするでしょうか。「四の五の言わんでまずやってみい、そのうちわかるから」と言うでしょう。それでも四の五の言う人には「わかりやすいお話」を作るでしょう。仏法の修行や説話、干支を十二の動物に例えるなど、そういう理由でできたのかもしれません。
数千年前の東洋の超人たちの体得した宇宙真理は普遍性があったかもしれない
これが「ひょっとすると実に大変なことかもしれません」と書いた意味です。仏教での悟り、そこまでいかなくても座禅の瞑想の境地、これにはるか後世のフロイトが気がついて「無意識」と名づけたのかもしれません。ワトソン-クリックがノーベル賞をとった遺伝子のATCG(DNAの塩基配列)の螺旋構造を真上から見ると五行の形に見える?科学的には荒唐無稽なのですが、科学というのは「頭が西洋」な学問体系にすぎません。最先端科学だった一般相対性理論より量子力学が説明力をもつ事象があるなど、科学はまだ宇宙を説明できていません。東洋は「人間も宇宙の一部で同じ構造をもつ」とし、天と人が合一できると考えます。理屈でなく体感したものが宇宙の真理でそこに流れるのが「気」だと。
「気」というのは「意識」で、宇宙のどこでも瞬時に移動できます。何光年かなたでも。気持ち、雰囲気、天気、気力、短気、正気、人気、気合、気心、気色・・・・どれだけ我々は気を介して生きているか。最後に。昨日ですが神山先生がある邪気をはらうために「気を入れた」木製の仏像が机の上にありました。内藤氏も僕も、仏像から30センチぐらいのところに手をかざすとほのかな「熱」を感じました。あったかいのです。NHKが番組に出演した彼の手から出る熱源を分析したが、結局不明だったそうです。
陰陽五行思想が少しわかった気になった日
2013 JAN 23 18:18:05 pm by 東 賢太郎
今日は上場企業パラカの創業社長である畏友、内藤氏を神山先生にご紹介しました。彼は陰陽五行思想に詳しく、先生と実に深い会話がなされました。そういうものに疎い僕は蚊帳の外でしたが、今まで何度も先生に伺った話が今日、内藤氏の解説でかなり理解できました。
木・火・土・金・水は有名ですが、1年は春から始まるので、春をあらわす「木」が最初にきます。同じ流れで攻・習・守・伝・引があります。どういうことかというと、新しいことをやる時はまず攻めから入らなくてはいけない、理屈は後でいいということです。会社でいえば新人は四の五の言わずに現場に出る(攻め)。それから研修して知識を習い、身や会社を守ることを知り、人に経験を伝えることができる。そういう人は「引」つまり人を引き付ける力を得て役職も得る。次に一段スケールアップした所でまた攻めから入る。この回転が多ければ多いほど、人は上に登ります。
ところが今の多くの会社は攻めでなく習うから入るので、すぐ守りにいく姿勢の人が増える。もちろん今の時代、知識なくして仕事はできない業務環境が増えていますが、攻めを省略してしまうと習だけの人がたくさん昇格してしまい、会社ごと脆弱になる。このことは、他業界は知りませんがこの10年の証券業界では実に正鵠を得た結果となっています。僕らの入社時は、四の五の言わずにやれ、やっているうちにわかる、という教育でした。確かによくわかりましたし、そうやってわかった人だけが「引」を手に入れるということも、まさに手に取るように実感できます。これはこの歳になれば言われればわかります。しかし若い時分ではなかなか理解するのも難しいかもしれません。だからこそ研修というものの重みが増してくるのではないでしょうか。研修をご専門とされる花崎さんにぜひ教えていただきたいと思います。
最後に、遠い外国でそのような攻めを立派に務められていたであろう日揮の社員の方々が卑劣なテロの犠牲になられたこと、海外勤務の長かった身として悲痛な思いを禁じえません。心よりご冥福をお祈りいたします。
ベトナム戦争という歴史について思う
2012 DEC 4 0:00:08 am by 東 賢太郎
ベンタン市場です。ディストリクト1という市街地のど真ん中で、このあたりは売り物がないので売買がないそうですが、買いにいけば坪300万円ぐらいのようです。
果物はとても新鮮でおいしい。あのくさいドリアンも見えますね。かんきつ類はナイフで切ると驚くほど水分があふれ出てきて、食べるというよりもジュースを飲むという感じになってしまいます。
醤油が魚醤になるぐらいなので見たことのない魚も多いです。日本食では魚は醤油と合わせることが多いですが、あの醤油は日本しかないので、実は日本食流の食べ方の方が少数派かもしれません。
この市場が象徴するようにベトナムの人は多くが仏教徒で穏やかで優しく、けっして好戦的な国民ではありません。しかし、平和主義のいい人達であることから欧米植民地主義に侵略され、米ソ代理戦争に蹂躙され、罪もない農民 まで大量に犠牲になったという歴史から人類は目をそむけてはいけないと思います。そして多くの民族の血を流して勝ち取った独立というものが、冷戦後のグローバリズムの中でどういう価値を有するのか? まったく同じ疑問符がたえず日本国にも向けられています。
これが戦争証跡博物館です。ここで3時間ほど過ごし、涙を流しました。2Fに陳列される多くの写真は、人間の尊厳にかけて、いかなる言葉にも置き換えられるべきものではないと信じます。
われわれは平和を切望し妥協を重ねてきたが、妥協を重ねれば重ねるほどフランスはわが国を征服しようとしている。われわれは犠牲を辞さない。われわれは奴隷とはならない。すべての老若男女に訴える。主義主張、政治性向、民族を問わず、立ち上がり、フランス植民地主義と戦い、国を救おう。
(ホー・チミン抗戦声明)
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