クラシック徒然草-オーケストラMIDI録音は人生の悦楽です-
2013 JAN 26 15:15:08 pm by 東 賢太郎
僕は1991年にマックのパソコン(右)を買いました。米国Proteus製のシンセサイザーとYamahaのDOM30という2種類のオーケストラ音源を電子ピアノで演奏し、MIDIソフトで多重録音して好きな音楽を自分で鳴らしてみるためです。PCに触れたこともなかったからセットアップは大変でした。好きこそものの・・・とはこのことですね。
現代オーケストラから発する可能性のあるほぼすべての音(約130種類)を約50トラックは多重録音できますから、歌以外の管弦楽作品はまず何でも録音可能です。まず音色設定をフルート、オーボエ、クラリネット・・・と切り替えて個別にスコアのパート譜を電子ピアノで弾いて個別にMIDI録音します(高速のパッセージなどは録音時の速度は遅くできます)。相当大変なのですが、全楽器入れ終わったらセーノで鳴らすと立派なオーケストラになっているということです。
弦楽器の音色が今一歩ではありますが、イコライザーなどの音色合成の仕方でかなり「いい線」まではいきます。買ってから21年間に僕が「弾き終わった」曲は以下のものです(順不同)。
モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」(全曲)、同クラリネット協奏曲(第1楽章)、同弦楽四重奏曲K.465「不協和音」(第1楽章)、同「魔笛」序曲、同「フィガロの結婚」序曲」、ハイドン交響曲第104番「ロンドン」(全曲)、チャイコフスキー交響曲第4番(全曲)、同第6番「悲愴」(全曲)、同「くるみ割り人形」(組曲)、同「白鳥の湖」(情景)、ドヴォルザーク交響曲8番(全曲)、同第9番「新世界」(第1,4楽章)、同チェロ協奏曲ロ短調(第1,3楽章)、ブラームス交響曲第1番(第1楽章)、同第4番(第1楽章)、ベートーベン交響曲第3番「英雄」(第1楽章)、同第5番「運命」(第1楽章)、シューマン交響曲第3番「ライン」(第1楽章)、ラヴェル「ボレロ」、同「ダフニスとクロエ第2組曲」、同「クープランの墓」(オケ版、プレリュード、メヌエット)、同「マ・メール・ロワ」(オケ版、終曲)、ドビッシー交響詩「海」(第1楽章)、同「牧神の午後への前奏曲」、シベリウス「カレリア組曲」(全曲)、リムスキー・コルサコフ交響組曲「シェラザード」(全曲)、バルトーク「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」(第1、2楽章)、同「管弦楽のための協奏曲」(第5楽章)、ストラヴィンスキー「火の鳥」(ホロヴォード、子守唄以降)、同「春の祭典」(第1部)、ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕前奏曲、同「ジークフリートのラインへの旅立ち」、J.S.バッハ「フーガの技法」、同「イタリア協奏曲」(第3楽章)、ヘンデル「水上の音楽」(組曲)、ヤナーチェク「シンフォニエッタ」(第1楽章)、コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」(歌、間奏曲)、ハチャトリアン「剣の舞」、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」(第1楽章)、ベルリオーズ幻想交響曲(第4楽章)、ビゼー「カルメン」(前奏曲)
こういうところです。これ以外に、やりかけて途中で放り出したままのも多く あります。成功作はチャイコフスキー4番、バルトーク「オケコン」、シベリウス「カレリア」、ブラームス4番、ドヴォルザークチェロ協、ドビッシー「海」、マイスタージンガーでしょうか。録音はオケ全員の仕事を一人でやるので長時間集中力のいる作業です。生半可な覚悟では取り組めません。ですから以上は僕の本当に好きな曲が正直に出てしまっているリストなのだと思います。弦の音色の限界で、好きなのですがやる気の起きない曲(特にドイツ系の)も多いのですが、総じてやっていない作曲家、マーラー、ショパン、リスト、Rシュトラウスなどは興味がない、僕にはなくても困らない作曲家だと言えます。
もう少し時間ができたらシベリウス交響曲第5番、バルトーク弦楽四重奏曲第4番、ラヴェル「夜のガスパール」にチャレンジしたいです。この悦楽には抗い難く、この気持ち、子供のころプラモデルで「次は戦艦武蔵を作るぞ!」というときと全く同じ感じで、これをやっていればボケないかなあという気も致します。骨董品のアップルに感謝です。
(追記)
これらは全部フロッピーディスクに記録していますがハードディスクに移しかえたいと思います。やりかたがわからないので、どなたかご教示いただけるとすごく助かります。
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クラシック徒然草-ファイラデルフィアO.のチャイコフスキー4番-
2013 JAN 14 13:13:56 pm by 東 賢太郎
朝起きると、東京は昨日のゴルフ日和がなんだったのかという雪景色です。
これで思い出してさっき家内と話したのが、フィラデルフィアの春の大雪です。あれはもう半袖を着ている4月のことでした。朝起きるとなんとなく窓のカーテンが明るく、普通でありません。開けてみると外は一面の銀世界。一夜のうちに2メートルの雪がつもっていました。ペン大のキャンパス内はスキーで教室に向かう学生がいたぐらいで、もちろん交通機関は完全にマヒしていたのです。
金曜だったのでビジネススクールは休み。午後からは毎週コンサートでした。どうやってダウンタウンまで行ったのか記憶がないのですが、とにかく雪まみれになり、寒さに凍えながらなんとかアカデミー・オブ・ミュージックまでたどり着きました。定期会員はお年寄りが多かったせいか、定刻2時にリッカルド・ムーティーが指揮台に立ったとき客席はまばら。オーケストラと同じぐらいで、100人いたかどうか。
「皆さん、こんなお天気の中、来てくださってありがとうございます」
と指揮者の心のこもったあいさつがあり、何事もなかったかのようにコンサートは始まりました。前半がなんだったか忘れてしまいましたが、後半の鬼気迫る ”壮絶な” チャイコフスキー4番は一生忘れません。「消化試合」になるどころか、来てくれたほんのわずかの人のために天下のフィラデルフィア管弦楽団が2度とないぐらいの迫真の演奏をしてくれたのです。圧倒された客席がブラボーの嵐と足ぶみと全員のスタンディングオベーションで熱狂して応えたのは言うまでもありません。僕も声がかれました。人のぬくもり、誠意、そして本物のプロフェッショナリズム。
窓の雪景色に、人生で一番感動した演奏会のことをふと思い出してしまいました。
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カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出
2012 NOV 24 12:12:13 pm by 東 賢太郎
1994年6月28日にカルロス・クライバーがベルリン・フィルハーモニーを振るらしいと聞いたのはその半年ほど前だった。そんなものが買えるはずがないと思い、チケットを4枚申し込んだらなんと4枚当たった。強運だった。

クライバーは当時から生きる伝説だった。何年に1度指揮台に立つかどうか。それを世界中が常に注視していた。あの帝王カラヤンが「あいつは冷蔵庫が空になった時だけ出てくる」とやっかんだ。ギャラと練習時間は御意のままという帝王の上を行くローマ皇帝状態だったのだ。親父はこれも大指揮者のエーリヒ・クライバー。ということになっているが、容貌があまり(あまりに)似てない。そう思っていたところ、ドイツの業界の人から「実は・・・・」という衝撃的な話を聞いてしまった。これは書かない。まあ親父が偉いからといって息子がそれだけで楽な人生を送れるというのは日本の政治家をのぞくとあまり聞かない。皇帝の地位は彼のたぐいまれな能力のたまものだったことは疑いがないということを僕はこの演奏会で確信した。
「クライバーがどこかのオーケストラを指揮するというだけで大ニュースになり、首尾良く演奏会のチケットを入手しても当日、本当に彼が指揮台に立つまでは確かに聴くことができるか保証の限りではなかったが、多くのファンが彼の演奏会を待ち望んでいた」(ウイキペディアより)。ことにベルリンフィルを振ったことは1回しかなく、これが2回目、そして結局は永遠に2回ということになってしまった。この演奏会は「ボスニア救済のため連邦大統領の主催による特別演奏会」兼「リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー連邦大統領告別演奏会」というものものしい政治的なオケージョンでもあった。
この日の午後、フランクフルト空港からベルリンへ飛んだのは僕とお二人。そのお一人が実はSMC運営管理委員長であられるドイツ明治生命社長(当時)甘田豊隆さんだった。そして残りの1枚のチケットだが、予定していた友人が急な用事で来られなくなったためそれを当日に会場で売ることになった。カラヤンサーカスとあだ名されたフィルハーモニーザールに到着すると、入り口は「Ich suche Karte!(チケット売ってくれ!)」のプラカードを掲げた群衆で、まるでディズニーランドの入り口みたいにごったがえしていた。聞くところチケットはダフ屋で凄い値段になっていて、こっちが誰に売ってあげようか迷って立ち往生してしまった。
そこに響いた「どうせなら日本人の女性に」という甘田大兄の愛国心あふれる鶴の一声。そりゃあこのチケットは隣の席だからむさ苦しいおっさんはかなわんなと僕も思っていた。そこで近くにいた日本人と思しきうら若き女性に声をかけた。「本当によろしいんですか!?」 お譲りした時(もちろん定価で)の彼女の驚きに、なにかすごく特別なことをしたようでかえってこっちが恐縮した。下の写真が当日のプログラム。ベートーベンのコリオラン序曲、モーツァルトの交響曲第33番K.319、そしてブラームスの交響曲第4番だ。
前半が終わって、隣の席の彼女に「ベルリンにお住まいですか?」ときくと、「ベルリン芸術大学にピアノ留学中です」とのこと。ああ、音大の学生さんかと納得。ところがいろいろ話してみると、来週はプロコフィエフの3番を弾くだのCDを何枚も録音しているだので、どうもただ者でない。ピアニストの田部京子さんということがわかった。
我々4人の席はクライバーを左側上方から見おろす席(写真の左上方)だったが、このホールは
舞台を360度ぐるりと聴衆が囲むため音の志向性が全方位型で、どこで聴いても特に良くもないが外れの角度もないようだ。見た目は似ているが死角が多いサントリーホールとは全く違うのである。ここではポリーニのベートーベンのソナタ(ハンマークラヴィール他)、ブーレーズ指揮でダフニスとクロエ他も聴いたが、巷で言われるほど音響にネガティブな印象はない。むしろ割と好きな部類である。
開演時間を待つ周囲のガヤガヤは当たり前だが全部ドイツ語だ。これから鳴るのもドイツ音楽の濃縮スープみたいなプログラム。それをザ・ドイツであるベルリンフィルが弾き皇帝クライバーが振る。ドイツに駐在していた幸運を音楽の神様に感謝した(会社にもか)。大統領の演説(これは早く終わらんかというもの)があり、オケがチューニング。ホールが指揮者登場を今か今かと待ちわびる静寂に包まれた。
お断りしなくてはいけないが、なにせ18年前のことだからクライバーの指揮のディテールまで全部覚えているわけではない。しかしもはや伝説であり歴史上の出来事と化してしまっているこの「ベルリンコンサート」の証人として、記憶しているだけのことはここに書き残しておきたいと思う。
まずコリオラン序曲の出だしから尋常でない熱気をはらんだ音圧。こんなことは普通の演奏会ではまずない。ベルリンフィルがいきなり本気になっているのがばしっと伝わってきた。腰は重いドイツ流だがゴツゴツせず、流れがいい印象だった。指揮姿はダンスを踊るよう。彼は手だけでなく目や表情で指揮をする人だ。このベートーベンは彼が何をやりたいか、なぜこの曲なのかがオケに良く伝わっていると感じた。
なぜこの曲なのか、オケはともかくこちらはよくわからなかったのがモーツァルトだ。この曲は僕も好きだ。でもなぜ33番なのか。ドレファミのジュピター音型かななどと考えながら聴いていた。だから集中できなかった。因果なことだ。弦のレガートが強弱緩急で流動的、自由自在でスマートかつエレガントだったぐらい。今でも不思議なのだがなぜ彼はモーツァルトは33番と36番しか振らなかったのだろう?
さて休憩後はいよいよブラームスの4番。僕の音源コレクション数で第1位、つまり結果的に一番好きだったという曲だ。まず肝心の出だし。無用に「泣き」がない。テンポももたれがなくサラサラと流れる。しかし展開部あたりからコクのあるドイツ保守本流の重心の低い音が奔流のようにうねりだし、こちらの心拍数も上昇してきた。ティンパニの打ち込みの効いていること!オケに信じ難いほどの生命力とパッションが吹き込まれ、コーダは(あの猛烈なアッチェレランドこそないが)同じオケを振ったフルトヴェングラー48年盤のすさまじい追い込みと甲乙つけがたい高揚感に達した。フルトヴェングラーのは練習したものではなくライブの一発勝負だったと思うが、ここで目撃したのもそれだろう。あれを会場で聴いた人がうらやましいとずっと嫉妬していたが、自分もこんなものをライブで聴いてしまうなんて!
第2楽章。耳のほうは艶やかなクラリネット、音を割るホルンぐらいしか覚えていないが、視覚のほうではクライバーが(おそらく)顔で細かい表情づけを指示していたのだろうということを記憶している。ただ座席の距離がやや遠く、オケ(特に弦)がそれにどう反応したのかはよく聴き取れなかった。そして第3楽章。CDを含めてどの演奏よりインパクトがある空前の、まさしく壮絶な演奏であった。ここの速いトゥッティの縦線の合い方、音響のブレンド具合でオケの合奏力が如実に出てしまうが、世界に冠たるベルリンフィルの底力を知ってしまったのはこの時だ。本気の天才指揮者に本気の名人オーケストラ!一期一会の火花散る真剣勝負とはこのことだった。
第4楽章。オケのメンバーから前楽章のテンションと熱が消えていないのがわかる。出だしから異様な緊張感がホールを支配。地獄の鉄槌でもこんなに激しくないだろうと思うほどの強烈、苛烈なff、怒涛のようなトゥッティの嵐!テンポは自在に伸縮し、金管、ティンパニの最強奏の凄まじさはオケからこんな音がするのも知らなかったしこの曲にこんな演奏があり得たのも知らなかった。雪崩が滑り落ちるような速いテンポに引きずり回され、打ちのめされ、あっという間にあの光明も救いもない峻厳なコーダの崖っぷちに立ってしまっていた。もう言葉などなし。あれ以上のブラームス4番を聴くことはもう僕の人生でないだろう。
クライバーは舞台のマイクを全部はずさせたのでこの演奏会の良い録音は存在しない。だからこの演奏の海賊版CD(誰かのかくし録り、下の写真)を秋葉原の石丸電気で見つけた時にはまさに狂喜した。今久しぶりに聴いてみたが、残念ながらあのオケの熱いうねりと高揚感は聴き取れない。しかしそれでもこのブラームスがいかに空前の名演であったかはわかってもらえるだろう。現在、世界が宝物にしているフルトヴェングラーの録音がどういうものなのか、僕はこの経験で肌でよく理解した。会心の出来だったのだろう、クライバー自身もこのCDを自宅でよく聴いていたらしい。
終演後、田部京子さんは「クライバーを聴けるなんて思ってもみませんでした。まるで夢みたいです。」とおっしゃり、後にお礼ですという手紙を添えてご自身のCDをフランクフルトの僕の自宅に送ってくださった。あれから18年、日本を代表するピアニストに成長された田部さんが最近ブラームス(右)を出されたので聴いてみた。後期のピアノ作品集だ。とてもいい。すこしうれしい気がした。
これが当日の録音。
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ドビッシー 交響詩 「海」
2012 NOV 1 15:15:07 pm by 東 賢太郎
1905年にドビッシーが作曲した交響詩「海」(La Mer)は20世紀音楽史上、最高峰のひとつとなる名品である。そしてこのピエール・ブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏は、同曲の演奏史に燦然と輝く不滅の金字塔である。

ドビッシーが葛飾北斎の冨嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」(右)にインスピレーションを得てこの曲を作曲したことは有名である。
これが初版スコアの表紙である。そのエピソードが真実であることを証明している。よく見ると富士山と小舟が省かれており、ドビッシーがこの音楽で描きたかったものがこの「波」であったことが推察できる。
この曲は、「海の夜明けから真昼まで」「波の戯れ」「風と海との対話」というタイトルの付いた3つの楽章からなる。この音楽は一般に印象派の代表作とされ、第2楽章がこの「波」を髣髴とさせるとよく言われるが、事はそう単純ではない。版画から得た印象をベタに絵画的、アニメ的に音楽化したという意味なら全く稚拙な誤解である。
ドビッシーは版画から複数の短いフレーズ(ほぼ1-3小節の)を着想している。それを要素として、いわば物質の構成要素である分子として全曲が有機的に緻密に組み立てられている点は、印象派よりもベートーベンの交響曲にずっと近い(拙稿「ベートーベン交響曲第5番ハ短調」参照)。さらに、この曲の特筆すべき点は、「各要素そのもの」が「あたかも時計が進むように」楽章を追って微細に変化、変形されていくことにある。そんな音楽を書いた人は、彼以前に一人も存在しない。
つまりこれはオーケストラの中に「生々流転」する「4次元空間」が展開するという驚くべき試みであり、ブーレーズの作曲の先生であるメシアンなど後世に大きな影響を与えた。その「空間」を時間という変数で微分したのが北斎の版画だという着想こそ、僕はドビッシーが得たインスピレーションに違いないと思う。初演を聴いたエリック・サティは「11時45分ごろが一番良かった」と揶揄している。描写的側面を皮肉ったものと思われるが、時間という要素を指摘した点においては、逆に彼にとって皮肉なことに、正しい。
ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールという決して上等ではない音響の演奏会場でパーヴォ・イエルビがロンドン交響楽団を振った「牧神の午後への前奏曲」を聴いたとき、音響が点描のようにオケの中を移動する不思議な様を体験した。オケが3次元空間になっていた。それに「ニンフを眺めて欲情する牧神」という時間軸が加って「4次元空間」とする実験がすでになされている。ここからバレエと言うストーリー性を除却して、純音楽的に構造的にそれを達成させた、宝石のような結晶が「海」である。
僕はこの音楽が3度の飯より好きである。上記のタイトルのような詩的なも
のにはぜんぜん関心はなく(ドビッシーさんすみません)、物理的な音響をシンフォニーとして愛好している。好きが昂じて第1楽章をシンセでMIDI録音した「アズケン指揮」盤が存在し、自分ではカラヤン盤よりいい演奏だと思っている。演奏はキーボード(ヤマハのクラビノーバ、写真)で全楽器の全パートを弾く。減速してゆっくりのテンポで録音できるが、それでもこの曲は非常に難しく、第2,3楽章にチャレンジする勇気と時間は、まだない。余生の楽しみとしたい。
さて、冒頭のレコードに戻る。これを買ったのは、かたや朝・昼・晩と野球に明け暮れていた高校2年の時。野球とクラシック音楽にここまで没入していたので、勉強などもちろん2の次、3の次。3年生になってもサイン、コサインが良くわかっていない冷や汗もの状態だったのを思い出す。
この演奏、「春の祭典」の稿に書いたブーレーズさんのレントゲン写真的、高精度解析的アプローチ全開で、ロマン主義的、詩的な方向性への志向はかけらもない。「春の祭典」より「海」のほうがそういうアプローチを許容するので、それをやらない指揮者の冷徹さがさらに際立つ結果となっている。両曲においてそれがピタリとはまっていることから、ストラビンスキーの初期の曲に「海」の投影があることが炙り出されるという発見すらある(併録の「牧神の午後への前奏曲」ではピタリ感が今一つである)。
何十回この演奏を聴いたかわからないが、「海」という音楽にとどまらず僕の根本的な音楽嗜好を決定的にした、つまり「耳を作った」のはまさにこのレコードである。まず楽器のピッチは完璧に合っていないといけない。リズムもフレージングも、楽器の遠近感や倍音ブレンドが最適解に至るまで磨き上げなければいけない。フランス語のClarté(クラルテ、明晰さ)こそ、この種の曲においてはもっとも美しい音楽を作るという哲学である。
写真が僕にとって神に等しいピエール・ブーレーズさん。指揮者というより作曲家がご本業である。現代における世界最高の知性。ドビッシーの「海」は38種類の音源を所有しているが、もはや彼以外のものは聴く気にもならないし、聴いても漫画か銭湯にある富士山のペンキ絵みたいにしか聴こえない。
ちなみに何か難しい問題を考えるときに僕はこのブーレーズの「海」を必ず聴きたくなる。ながら聴きなど許さないこれに耳を澄ますと、バラバラだった脳ミソの細胞が整然と直列に並ぶ気がする。のちに受験勉強で数学が強くなったのはこれとバルトークのおかげと固く信じている。
(補遺・2月16日)
永井幸枝 / ダグ・アシャツ(pf)
この曲をよく知りたい方は2台ピアノ版をお薦めする。第1楽章のポリリズムに近いリズムの複合はシンセ録音で弾くときに細心の注意を強いられたし、驚嘆するしかない独創的な和声のケミストリーや第2楽章のミニマル的エレメントは管弦楽の色彩を除去してピュアなピアノの音響で確認した方がよくわかる。このCDは録音も良く、スコアにあるすべての要素、特にオケだと聴こえない伴奏音型の形まで見事なテクニックで再現されている。ぜひ一度、科学的な眼と耳で解析してみていただきたい。
ポール・パレー / デトロイト交響楽団
第1楽章はやけに暗い。いや、出だしはどれも暗いが暗いままだ。しかし考えれば陽光が煌めくのはコーダに至ってからだ。音楽に光がさすのはチェロの分奏の部分から。時間で微分された光の増量。なるほどそういう解釈があるのか。第2楽章の精密なリズムの縁取り!波と風の乾いた肌ざわりだ。終楽章、風雨ではなく見通しが良い。管弦楽は野放図に鳴る音は皆無でコントロールされるが自発性は尊重されている。知的だが香りがある。米国の当時メジャーでもないオケからこれだけのアンサンブルを引出し、ラテン的な感性で描ききった演奏のレベルの高さは並みではない。こういう芸の重みというのは僕がブーレーズに見出す価値観とは違う、いってみれば、玉三郎の演じた阿古屋に近い。
フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団
このスコアが描いたのがそれかどうかはわからない。しかし僕が時折ここから欲しくなるのは、数千年の神話時代まで見通すようなぱりっと乾いた空気、そして水色の淡い光が透過する澄んだ海だ。PM2.5が舞う世界なんてまっぴら御免。エーゲ海クルーズで出会った真昼のクレタ島やミコノス島の世界だ。SACDで買い直したライナー盤。そんなものだ。一皮むけた音がなんとも、いい。素晴らしいピッチ!完璧なフレージング!濁りのないピュアな音響は奇跡的な均衡でスコアに秘められた音楽を純化し聴き手を陶酔させる。
ロジェ・デゾルミエール / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
音楽にはなんと多様な作用があるんだろう。ライナーの明晰、そしてデゾルミエールのアトモスフィア!これは音のケミストリーが生む奇跡のような演奏だ。ブーレーズやライナーにはない香りがここにある。音が我々の目に映るなにかのものでなく、エーテルのように漂って、すこし灰色がかった青の地中海の雰囲気を伝えてくる。これを聴くのはブーレーズとは別の海を眺めるということだ。第2楽章の後半には参る。こういう霊感をオーケストラにどうやって伝えたんだろう?
この曲のライブというと目がありません。誰のであれそそられるものがあります。これは珍しいオーマンディーが最晩年にとサンフランシスコ響を振ったもので希少品です。
クラシック徒然草-ユージン・オーマンディーの右手-
2012 OCT 20 0:00:33 am by 東 賢太郎
「チャイコフスキーの交響曲第5番、バルトークの管弦楽のための協奏曲、ガーシュインのパリのアメリカ人とラプソディー・イン・ブルー、コダーイのハーリヤーノシュ、シベリウスの交響曲第2番、サンサーンスの交響曲第3番、メンデルスゾーン・チャイコフスキーのバイオリン協奏曲」
以上の名曲を僕はオーマンディー/フィラデルフィア管弦楽団のレコードによって初めて聴き、耳に刻み込みました。高校時代のことです。10年のちにそのフィラデルフィアに留学し、2年間この名門オケを定期会員として聴くということになり、不思議なご縁を感じざるをえません。そのオケに42年君臨したのが、ユージン・オーマンディーさんです。
はじめは名前も知らず、誰のユージンだ?ぐらいに思っていました。あとになって、友人だったかどうかはともかく、シベリウス、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、バルトークなど大作曲家との交流があったことを知りました。また、「ファンタジア」や「オーケストラの少女」で有名な大指揮者ストコフスキーの後任であり、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ゼルキン、アラウ、ロストロポーヴィチ、スターン、オイストラフなど音楽史を飾るソリストと競演した、20世紀を代表する大指揮者のひとりです (写真はSony Classical Originalsより、左・オーマンディー、右・ショスタコーヴィチ)。
僕がフィラデルフィア管弦楽団の定期会員だった1982-84年はリッカルド・ムーティーに常任指揮者のポストを譲ったあとで、すでにご高齢だったオーマンディーさんは定期に数度しか現れませんでした。もう一回指揮予定があったのですが、たしかベートーベンの田園とシベリウスの5番だったか、ドタキャンになりました。残念でなりませんでした。しかし、その理由は、その1回だけ実現した演奏会の終演後に知ることとなりました。
その演奏会、プログラムは前半がチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、後半が交響曲第5番。あいだにインターミッション(休憩)が入ります。前半も後半もオケが鳴りきった立派な演奏で、このコンビがチャイコフスキーを長年オハコにしてきた様子がよくわかりました。ただ、休憩が終わっても後半がなかなか始まらず、30分以上遅れてしまったことがどこか気になっていました。
証券マンの図々しさで、僕はいろいろな演奏会で終演後の楽屋に侵入しています。この時ももちろんです。係員の女性に止められましたが、
「どうしてもマエストロに会いたいのです。日本で彼のレコードで5番を覚えたので。」
などと随分身勝手なことをいうと、そこはアメリカ人の懐の深さで 「そうですか、それはいい機会ですね。ではどうぞ (OK,come in ! ) 」 となりました。このとき、歩きながら彼女が開演が遅れた理由をこっそり教えてくれました。
「でも先生も困ったもんですわ。今日はコンチェルトが終わると、それで終わりと勘違いして家に帰っちゃうんですもの」
なるほどそうだったんですか。でも先生、後半の5番の指揮は完ぺきでしたね。すべてのフレージングやポルタメントが、そうこれこれ、とうなずくほど僕の耳にこびりついている、まさにあなたのものでした。チェロの前の最前列から見させていただいたかくしゃくとした指揮姿、忘れることはありません。
おそらくこれが最後からン回目ぐらいの指揮だったでしょう。先生が亡くなったのはその2年後の1985年でした。

楽屋で先生は奥さんとご一緒で、突然の闖入者も意に介さず上機嫌。オー、よく来たなという感じでした。「僕は日本が大好きなんだよ。みんな優しいし、ごはんもおいしいしね。」 とお茶目で元気いっぱい。僕と握手した時間の5倍は僕の家内の手をしっかり握っていました。そのかたわらから僕は「先生のレコードで・・・・」、 これはあまり聞こえておられなかったようです。サインをもらって満足してしまいました。ああ、もっと話を聞いておけばよかった・・・・。
先生の右手はコロッとしていて肉厚で、西洋人としては小さめでした。今でも感触をはっきりと覚えています。
この写真を見ると、すごい、俺はシベリウスやラフマニノフと握手したんだ!
いや、AKB握手会になってしまいました。
(こちらをどうぞ)
チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」
2012 OCT 13 11:11:05 am by 東 賢太郎
だいぶ前ですが、英国の自動車関連の調査・プロモーション機関であるRAC Foundationから、自動車の運転に危険な曲リストと安全な曲リストが発表されました。
危険な曲はワーグナーのワルキューレの騎行、安全な曲はビートルズのヒア・カムズ・ザ・サンだそうです。ちょっと「猫に聴かせる音楽」に近い感じもしますが、音楽が人間に何らかの生理的影響を与えるのは確かでしょう。
僕にとって運転中に最も危険な曲はこれ、チャイコフスキーの悲愴交響曲です。この音楽は何度聴いても僕には強烈なインパクトがあり、最後のコーダ(結尾部)が鳴り出すと、もう手も足も出ず、涙があふれて動けなくなります。正面衝突は必至と思われます。
「今度の交響曲にはプログラムはあるが、それは謎であるべきもので、想像する人に任せよう。このプログラムは全く主観的なものだ。私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた。」
ピョートル・イリイッチ・チャイコフスキー (1840-1893)
チャイコフスキーはこう謎めいた言葉を残し、この曲の初演を指揮したわずか9日後にぽっくり死んでしましました。だからその死因について憶測が飛び交っているのはモーツァルトのケースと似ています。川の生水を飲んでコレラに意図的になったという説、毒殺説が初めは主流でしたが、わりあい最近になってヒ素服毒による自殺説が発表されました。
彼はサンクトペテルブルグ法律学校(超エリート校)卒の法務省キャリア官僚という秀才ですが、ホモでした。貴族の甥と関係を結んだため、秘密法廷(法律学校同窓生の裁判官、弁護士、法律学者等が列席)なるものが開かれ、そこで学校と彼の名誉を慮ってヒ素服毒による自殺が決定・強要されたという説です。
真相は闇の中です。モーツアルトと違うのは、遺体が消されてしまったわけではない点です。そもそも、なぜ司法解剖しなかったのでしょうか。死因が当時の周囲の人にはわかっていたか、少なくとも不審なものではなかったからでしょう。それなら毒殺など他殺説は消えます。
彼が14歳の時に母親がコレラで亡くなっており、彼自身が川につかって自殺を図った前科がありますからコレラ説かなとも思いますが物証に欠けています。仮にそうであっても、なぜ自殺したのかという謎は残ります。
確実なのは、
「 私は旅行中に頭の中でこれを作曲しながら幾度となく泣いた」
と彼が言っている点です。悲しい、泣きたいという感情は、ふつうなにか具体的な、現実世界の出来事がもたらします。誰かと永遠にお別れするとか、大事な何かがなくなるとか・・・・。その「なくなる何か」がこの曲と不可分に結びついているということです。
彼は名誉もお金もあり、鬱病気味ではありましたが死に至る難病に侵されていたという事実は記録がありません。シューマンの晩年のように精神錯乱状態にあったとか、ベートーベン、スメタナ、エルガーのように聴覚に問題があったという記録もありません。現に、この曲を作曲するほど理性は冴えわたっていました。
まったくの私見、憶測ですが、「何か」は彼の性的嗜好と関係がある気がします。女性と結婚して逃げ出して自殺まで図った人です。関係したと推察されている男性は甥まで入れて多数であり、彼との関係ができた直後にピストル自殺した人までいます。若いころ亡くした最愛の「恋人」がこの世にいないのは信じられないと、晩年になっても書いています。ホモでない僕にはわかりませんが、その世界の人しかわからない何かがあったのかもしれないと考えています。
僕は、
「悲愴交響曲はダイイングメッセージだった」
と考えています。何が原因だったのかは史実を探らないとわかりません。ただ、それが何であれ、我々には楽譜という証拠物件が残されています。
僕はこの曲をシンセサイザーとキーボードで全曲MIDI録音しました。その作業中に、この曲の楽譜には、種々のメロディーを構成する音型が実に巧妙に全楽章に配置されていることに気づきました。あたかも何かの暗示かメッセージのように。第4楽章は、丸ごとそのものがメッセージです。
第4楽章の最後で死の暗示であるドラがなります。すると教会で葬式の暗示であるトロンボーン(チューバ)の4重奏が徐々にテンポをおそくしながら、徐々に音を弱くして響きます。最後はpppppというこの曲で2番目に弱い音まで達します。
一瞬の沈黙の後、コントラバスが心臓の脈動のような音型を鳴らします。ここの速度記号ですが、非常に意味深です。Tempo giusto とは1分間に四分音符=80で「心拍数」をあらわすとされています。チャイコフスキーはここに Andante giusto と書き込み四分音符=76としています。このコントラバスが心臓の音でなくて何でしょうか。
それにのって弱音器つきバイオリンがG線(一番低い音の弦)のハイポジションで世にも悲痛な旋律を歌います。これはG線で弾かないと絶対に出ない音色で、僕には女性の悲嘆に満ちた泣き声に聞こえます。並尋常でない悲しみが一気に全身にまとわりついてくるようで、鳥肌が立ちます。
これは第2楽章の中間部で5度上に現れた旋律の変形です。
また、トロンボーンの和音も2+3のリズムで、4分の5拍子だった第2楽章を暗示しています。第2楽章は人生の夢、あこがれを表したものと思われ、人生の最期に至って、それが脳裏に走馬灯のように回想されるのです。
だんだんと楽器が減っていき、泣き声の旋律はチェロに移ります。それも止み、チェロが2回、息を吸って大きなため息をつきます。心拍はだんだん弱くなり、最期はコントラバスのピッチカートが5回そーっと鳴って心臓が止まり、曲を閉じます。ご臨終です。
映画のようです。人間の死にざまをこんなにリアルに活写した音楽はありません。最後まで短調のまま。そして聴き手はそこからは無音という深い闇に包まれるのです。
どうしてこんなものを書いたのでしょう?
交響曲というものは、仮に短調で始まっても最後は長調でハッピーエンドとなるのが通例です。最後は盛り上がってジャンと終る。短調のまま終わるメンデルスゾーンのイタリア(4番)だってリズムは飛び跳ねて熱狂していますし、静かにおだやかに終わるベートーベンの田園(6番)やブラームスの3番だって短調ではありません。マーラーは悲愴交響曲を指揮者として何度か演奏しています。やはり消えるように終わる彼の第9交響曲のエンディングは悲愴の影響で書かれたと思います。
ジャンと終らない交響曲といえば、ハイドンに告別というニックネームの交響曲(第45番)があります。オケの楽員がひとりずつ立ち去って減っていき、最後は2人だけ。これは早く家に帰りたい楽員の気持ちをハイドンが代弁して王様にわかってもらおうと暗示したもので、王様はそのメッセージをちゃんと理解しました。
チャイコフスキーがスコアの最後の3ページに込めた聴衆へのメッセージは、「来たるべき自分の死」であったと思います。そして、死んだあとにはこれをレクイエムにしてくれという遺言だったと思います。
ちなみに悲愴の第1楽章はコントラバスのミとシ(空虚5度)でうつろに開始します。序奏は深い闇の中から始まるのです。低音のミのほうが半音ずつ下がっていきます。第4楽章コーダと同じです。ファゴットのうめくような旋律が弱拍で息を吸い強拍で吐くパターンも同じ。sf(スフォルツァンド)の大きなため息もちゃんと2回出てきます。悲愴を何回も聴くとこの序奏が臨終シーンのフラッシュバックになります。なんという巧妙な造りでしょうか。
この第1楽章に、すでに第2,3,4楽章の素材となる断片が萌芽のように各所に見つけられます。途中まで、たとえば第3楽章まで書いてから「何か」が起きて、尋常でない第4楽章をレクイエムとして付け足したのではないことがわかります。まさに第4楽章が付け足しであったベートーベンの第9交響曲では、それを隠ぺいするために前楽章までのテーマの引用と否定というわざとらしい(涙ぐましい)努力があり、かえってそれで真相がばれていますが、悲愴では逆に、171小節と最も短い第4楽章のためにそこまでの道のりがあったことがわかります。全曲があらかじめ入念に、理性的に、緻密にプログラムされたもので、チャイコフスキーの頭脳が冴えわたっている様には驚嘆するばかりです。
第1楽章でファゴットにppppppという異常な弱音を低音部で要求しています。ファゴット奏者にはイジメに等しいそうです。「こりゃ無理だ」と断念してバスクラリネットで代用する指揮者がほとんどです。
ストラビンスキーの春の祭典の冒頭ハ音のようにある特別な音色効果を狙ったものかどうかはわかりません。前に吹いていたクラリネットにpppをつけたので、だんだん弱くなって必然的にp6つになってしまったようにも見えますが、それなら長めのデクレッシェンド記号を書いておけば済んだのではないでしょうか。
また、第4楽章冒頭の旋律は1音づつを第1,2バイオリンに交互に振り分けて弾かせています。これもとても異常です。
当時は第1、第2バイオリンが左右に分かれた両翼配置でした。だからこの旋律は1音づつ右左右左・・・と聞こえました。そういうステレオ効果を狙った可能性は否定できませんが音楽的に本質的なこととは思えず、むしろ絶対にレガートに弾かせたくないという断固とした意思を示すためだと思います。
以上の2つの例は異常なオーケストレーションとして昔から有名な個所です。彼は管弦楽法を熟知した大家です。その彼がなぜそんな妙な指示をしたかです。自分が指揮するならオケにそう命令してやらせればいいことです。「もっと小さく!」とか「もっと音を切れ!」とか。これはどんなアバウトな性格の指揮者やファゴット奏者でも無視できないように、がんじがらめに縛りつけたとしか思えません。
別な例ですが、マーラーはトランペット奏者を楽章の途中で舞台裏に回らせるときに「ただし足音を立てるな」と楽譜に書いて奏者から「バカにするな、そんなこと当たり前だろう」と不興を買っています。部下をとことん信用しない上司だったのです。しかし、わかっていても、後世に世界で一人ぐらいデリカシーのないトランペット吹きがいて、どたどたと靴音をさせて楽章を台無しにされてはかなわない。その可能性を封じておきたい。完全主義者なのです。
チャイコフスキーの他の楽譜で彼がそこまで指揮者不信だった形跡はありません。ということはこれは何を意味するか?彼は「もうこの作品を自分が指揮することはない」「楽譜に語らせるしかない」と知っていたのではないでしょうか。病気でもないのに。だから、他人に間違った解釈をされ、辞世の大作が意図と違う形で後世に残ることを確実に回避するために、異常な指示を書き込まざるをえなかったのではないでしょうか。僕はそう考えています。
セルジュ・チェリビダッケ / ミラノ・イタリア放送交響楽団 (22nd Jan 1960 ライブ)
僕は悲愴の最高の名演にこれを推挙する。チェリビダッケの鬼才を示す録音としてこれ以上のものもない。これほどのオーケストラの技術的限界とマーチ主題の減速のある演奏を僕が許容することは99.99%ないが、それを相殺して余りある決定的な指揮の意志力と楽曲解釈の凄味は音楽鑑賞をする僕の根源的な領域に触れる問答無用のチョイスだ。一音符たりとも無為に鳴ることを許容しない、真実の指揮とはかくなるものだ。眼光紙背に徹すスコアの読みはMPO盤より鋭く、放送局のオケでさらに直截に音化され、第1楽章展開部では激した叫び声が上がる。リハーサルで目撃した驚異の専制からしか生まれえぬ音楽が聴こえる。運命の鼓動をきざむ終楽章コーダに衝撃を受けない人があろうか。これぞレクイエムとしての悲愴であり、ここを冒頭序奏部、第2楽章中間部と見えない糸で結んだチャイコフスキーの人生交響曲の設計意図が解明される。チェリビダッケ恐るべしだ。
これが当初書いた2種(原文のまま)。
エヴゲニ・ムラヴィンスキー / レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 (ドイツ・グラモフォン、ウイーン録音)
泣く子も黙る天下の名盤です。必ずしも楽譜にこだわってない主観的な演奏ですが、カラヤン盤はけなしても、これをけなした人を見たことがありません。そんな勇気はおそらく誰にもありません。これを耳に刻み込むことで、ほかの名演奏と比較するベンチマークとされることはリーゾナブルであります。
セルジュ・チェリビダッケ/ ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
テンポが常軌を逸しています。だからファーストチョイスにはおすすめできません。ムラヴィンスキー盤を聴かれてから比較してください。しかし強烈なインパクトです。チャイコフスキーは優雅で甘美などというイメージは粉々に砕け散るでしょう。第4楽章コーダに楽譜にはないティンパニを加え、ここが(ティンパニが入っている)第2楽章中間部のリフレーンだという主張をしています。僕には葬送にきこえます。
さらに追加していきましょう(2016年1月11日~)
イーゴリ・マルケヴィッチ / ロンドン交響楽団
暗い思索の沼にひきこまれる冒頭から只者でない気配が支配。第2主題は細心の計算と彫琢で合意した弦5部の息をひそめたフレージングでムラヴィンスキーと双璧。上記の2枚同様、指揮者の圧倒的なオーラと支配力のもとでないとこういう音はしない。第2楽章中間部は弦主体で音色に変化なく繰り返しもせず、チェリビダッケに劣る。第3楽章、付点音符のはね方が沈着な歩みに秘めたエネルギーを示唆するが特に何もなく終わる。終楽章もドラ(あまり品がない)までは特筆することはなく筋肉質のタッチで進む。そしてコーダ。ここで冒頭の暗い思索の沼が再び現れ、死の淵に立つ。
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
7種類あるカラヤンの悲愴、僕はこの曲を64年盤で覚えたが第3楽章にシンバルの意味不明の改変があり初心者にお勧めしない。世評高い84年盤はVPOを手なずけきれない感じが残り代償として作りすぎに陥ったように思う。1971年のEMI盤は第1楽章第2主題、第2楽章のポルタメントが象徴する角の取れた流線型のアプローチが良くも悪くも明確(僕はいやらしいと思うが)。後者中間部のテンポ減速、ティンパニなど重要箇所の処理がおおむねagreeableで、第1楽章展開部はアンサンブルが乱れるほどぐいぐい推進力にまかせて押す。手兵BPOを意のままに動員してやりたい放題やったこれの価値は高い。ここまで飛ばすかというほど快速の第3楽章は、そういう曲なのか?などと考える間を与えぬ高性能オケ演奏の快感放射になぎ倒される。そんなことは悲愴交響曲にはなしなのである、常識では。そして、そこまで暴れても71年盤が意味を持つのは終楽章が素晴らしいからだ。ここまでああだこうだと書いた俗事が終結に至って一点に凝結して浄化され、それもオケの名技も実はこのコーダのためにあったのだという全面的な納得が体を包む。僕はここの意味をこれで知った。人生ってきっとこうじゃないかと。SACD(写真)を買ってみたがこれでその感動が特に増幅するわけでもない。CD、LPで充分と思う。
ヴラディミール・ゴルシュマン / ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ゴルシュマン(1893-1972)はパリ生まれでアメリカに帰化したユダヤ系の指揮者である。この録音はヴァンガードなる米系資本レーベルのためのウィーン・フィルを名のることもある母集団のメンバーによるオケによると思われる。録音年は50年代末らしく、カラヤン旧盤、マルティノン盤の直後か。アンサンブルは洗練されず第1楽章の最後のティンパニの音程など不備がある。指揮者の声が聞こえるほど気合いが入っているわりに明晰なアプローチでべたべたしない(ゴルシュマンはフランス人だ)。注目は第2楽章中間部のティンパニの扱いと、終楽章のコーダ(チェリビダッケの項参照)。鋭いリーディングと思う。後者をこんな遅いテンポで綿々とやった例はフリッチャイもそうだがあまりない。ダイイング・メッセージと強く意識させる解釈で異色である。
ゴルシュマンはこのブログに特筆したグレン・グールドとの素晴らしいベートーベン協奏曲第1番を録音している、非常に不当に評価されている指揮者である。
カルロス・パイタ / ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
パイタ(1932-2015)が昨年12月19日に亡くなったのは知らなかった。アルゼンチン生まれでブエノスアイレスのテアトロ・コロンでフルトヴェングラーを聴いてめざめ、指揮はロジンスキーに弟子入りした。曲の大局のつかみ方に才を感じる。ワーグナーのリング抜粋など名演だ。この悲愴も山あり谷ありの曲想をライブのごとく面白く聴かせる力は凡俗の指揮者ではない。Lodiaという消滅したレーベルでしか存在が見えず僕も一芸指揮者と思っていたが評価されるべきだろう。amazon、i-tunesで右のジャケットのものが買える。ご一聴をお薦めしたい。
フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団
フリッチャイ(1914~1963)は白血病の闘病生活から復帰して59年にこれを録音した。大変に主情的な演奏で基調は全曲にわたってスローテンポだが、第1楽章第2主題の前でトランペットが入ってからの加速が唐突だったり気になる。彼の死という文脈もあってか非常に人気の高い録音だが、発売許可しなかった彼の芸術家魂のほうが理解できる気がする。第3楽章2度目のマーチ主題の意味不明の減速はフルトヴェングラーもやっているが聴くに堪えず、スコアに指示がないものでおよそあり得ない。この演奏の唯一の価値は終楽章にあるだろう。コーダ、G線のヴァイオリンが幽界の音を奏でるのは秀逸。翌年のライブ録音(バイエルン放送SO)のここは遅すぎ、これがぎりぎりの悲しみの音楽であろう。
ベルナルト・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
5番、ブラームス2番に書いたことがほぼ当てはまる。アンサンブルの良さ、フレージングの高潔な趣味の良さは出色であり、この楽譜がどうしてこうなるのという疑念が皆無なほど深いリスペクトを持ってスコアを音化している。マーチの減速のような身勝手はなく、お涙頂戴のためなら何をしても良しのような姿勢は微塵もない。本稿記載のようにチャイコフスキーは遺書としてmeticulousに指示を書きこんでいるのであり、ハイティンクのアプローチが正道と思う。
セミョン・ビシュコフ / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ビシュコフはフランクフルトでパリ管とラフマニノフをやったが失念して聴きのがし地団太を踏んだ記憶がある。何を振っても面白い人で、深い呼吸のフレージングが特色。この悲愴も、冒頭の深い静寂からたちのぼる緊張が一流の予感をただよわせる。アレグロは明瞭なリズムが楽器をかけめぐり、第2主題への緩急も実に自然。第3楽章の主題を吹く2本のクラリネットの8分音符の音価を短めにとらせるなど34歳の若手にしてやりたいことをやっており、アンサンブルはやや粗い部分もあるが、名門オケを引き回しているという意味ではケルテス、シャイーのウィーンフィル録音の痛快さに通じる。87年、まだ駆け出しの頃ACOでPhilipsへのメジャーデビューの録音と思われるが実に初々しく僕は好きだ。
それにしても、なにを今さらだが、終楽章のコーダはなんという凄まじい音楽なのだろう。昨日はエロイカの第2楽章の「あの部分」を書いたが、あれもそうなのだが、こういうものはもう楽器の音というものを遥かに超えていて、血しぶきを上げて五臓六腑をえぐりだすほど心の深奥に響き渡る音魂(おとだま)のようなものだ。並みいる天才の中でもモーツァルト、ベートーベンと、ほんの限られた人しかそういうものは書いていないのであって、チャイコフスキーがここに名を連ねてくるのは意外に受け取られる方も多いだろうがこの曲がそういう音を奏でることはまぎれもない。悲愴交響曲は人類史最高峰の音楽と言ってはばかることはない(ビシュコフ稿、3月9日)。
第4楽章
パウル・ファン・ケンペン / アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
個人的ノスタルジーになるが悲愴は僕が初めて熱中した交響曲であり、耳に甘酸っぱい。ティーンエイジャーの熱病みたいなものでもあったと思う。高校2年の17才。まずカラヤンのLPを買い(3月)、3年生になってムラヴィンスキー(7月)、そしてこのケンペン(8月)と立て続けに3枚買ってむさぼるように聴いた。
7、8月の盛夏、それは僕の人生では野球を意味した。今日たまたま七分咲きの桜の間をぬって四谷からニュー・オータニへ向けてぶらぶら歩いた。右側の眼下、真田堀に上智大学の野球場がある。当時、九段高校硬式野球部の監督さんは上智の方だったものだからそこでよく練習があった。16才、2年生の大会直前、たぶん7月初めだ。
僕は練習試合で右ひじに異常をきたしていた。投球はできず、一塁コーチャーズボックスのあたりでひとりバットを振っていたら、「おい東、やめとけ、打つのはいい。お前が投げれんのが一番痛いんだ」と遠くで先輩がどなった。それが、あそこだ。しばしぼうっとして柵にもたれ、大学生の練習を眺めていた。しばらくしてヒジが治ったら、こんどは秋に肩をこわした。そして翌年にはとうとう野球を断念する。
17才、その翌年の盛夏。校庭に響く球音に平静でいられなかった。飯より好きで毎日熱中していたものを、身体の故障で突然に、永遠に、失う。スポーツ多しといっても野球の投手をやった人特有の修羅場と思う。この「ロス」の衝撃は失恋なんか比べ物にもならない。心にぽっかりほら穴が開いたようなもので、プライドはずたずたになり、学校に行く意味もわからなくなった(勉強する場という頭は?なかった)。
その7、8月に買った悲愴交響曲は、野球へのお別れ、レクイエムになっていたかもしれない。一緒に泣いてもらったわけではない。なぜなら僕が熱中したのは第4楽章ではなく、第3楽章だったから。この行進曲がくれるエネルギーは快かった。のちにもっと強力なものを僕はベートーベンの交響曲にもらうことになるが、この熱気と推進力が、やがて僕を勉強しようという決意に振り向けてくれた。
それがカラヤン盤であり、ムラヴィンスキー盤であったが、前者はシンバルが妙なところで鳴らされていることを知って疎遠になっていく。そこで耳に入ったのがこのケンペン盤だ。買ったのは千円で安かったからというのも情けないが。いま、本当に久しぶり、まさに何十年ぶりに聴きかえして、このレコードの演奏のニュアンスに至るまで自分の体の一部となっているのに驚いた。同窓会で旧友と話す心もちがする。
なにせホルンの微妙なミスまで記憶しているのだからベンチャーズのレコード並みだ。オケはまぎれもない、ACOだ。あのホールの音がする。こうやって刷りこまれて、自分の音楽趣味が営々と積み上げられていったのか・・・。指揮はなんとも骨太、武骨で、泣けるドラマを演じようなどさらさらない。高校の漢文の先生の音読みたいに、洗練とは遠く、ドイツのチャイコフスキー演奏の系譜で、低音を土台にまじめに誠実に語る。
しかし、だからこそ、終楽章のコーダが凄いのだ。これは知らなかった、いや、聞き知ってはいたのだろうが、その後の人生で上記の数々の録音を知り感動した心の、その海の底にはこのケンペンがあったんだとびっくりした。心臓の脈動がきこえるではないか。これは第2楽章の中間部のロ短調(ケンペンはぐっとテンポを落とす)のリフレーンだという解釈であり(なんという順当な)、弔いのようなティンパニがトントンと鳴る。
それを底流にした終楽章コーダだ。これはティンパニだろうか?なんとチェリビダッケより前これがあったのか!そしてこのテンポである、これぞ圧倒的に素晴らしい。ここに至る3つの楽章の訥々とした道のりがあって、だからこそどんなドラマよりここが悲しいのだが、それは絶対にこのテンポでなくてはならない!この悲しさ、凌駕する演奏を僕は他に見つけることはできない。
17才の僕にそれを聴き分けるのは出来ない相談だった。それが44年たった今はわかる。ケンペン(1893-1955)がこれを録音したのは58才のことだ。書いたチャイコフスキーは53才だった。悲愴交響曲は遺書だったのだよ、そういうケンペンのメッセージにきこえる。これはあらためて書くが、大変な演奏だ。これから何度も、じっくりと時間をかけて聴くことになるだろう。
ラファエル・クーベリック / バイエルン放送交響楽団(1972.12.4ライブ)
第4楽章コーダにティンパニを追加していると思われる希少な演奏をもうひとつ。僕はクーベリックを聴けなかったが、安手の芝居は打たない人で古典的教養に裏打ちされた解釈はいつも王道に聴こえた。その彼がチェリビダッケと同じ改変をしているのはとても興味深い。このヘルクレス・ザールでのライブ、第1楽章11分43秒に欠落があるのと展開部のアンサンブルが雑で、スケルツォはマーチの2度目からテンポが前のめりになるなど初心者には到底お薦めできないが曲を知る人には一聴の価値はあると思う。
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クラシック徒然草-ファイラデルフィアO.のチャイコフスキー4番-
チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より「花のワルツ」
お知らせ
Yahoo、Googleからお入りの皆様。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/
をクリックして下さい。
クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-
2012 OCT 4 15:15:09 pm by 東 賢太郎
アメリカの2大音楽学校にジュリアードとカーチスがあります。
僕がウォートンでフィラデルフィアにいたころ、今は大御所であられるバイオリニストの古澤巌さんがそのカーチス音楽院に文部省国費留学生として学ばれていました。僕は27歳、彼は20歳ぐらい。こっちは音楽がメシより好き、彼は日本メシが食べたい(たぶん?)で拙宅に名誉家族待遇でご自由に出入りされてました。よくバイオリンも弾いてもらいました。リクエストしてモーツァルトの3番とかイザイのソナタとか。
ある日の朝、彼から電話。「東さん、今日チェリビダッケが来ます。来れますか?」「何!」 行かないわけありません。講義は急きょ全部すっぽかし。彼の手引きで校長(元フィラデルフィア管弦楽団のオーボイスト)のデ・ランシ-先生にご挨拶。お許しを得てカーチス音楽院に出席となりました。チェリ先生の講義を一日聴講しました。これが本当に講義だけで楽器なし。音楽というより哲学。ピアノをポーンと1音鳴らしてWhat is the differnce between tone and music? なんて聞く。10代の学生たちはぽかーんとしています。やばい、俺があてられたらどうしようと身構えてしまうほど緊張感がただよいました。
翌日は楽器あり。オケは舞台にスタンバイ。僕は誰もいないホールの特等席で世界のチェリビダッケを独り占め。夢見心地とはこのことです。ところが、現れた先生とあろうことかばっちり目が合ってしまった。「なんやお前は、出ていかんかい!」一喝されそうな空気。心臓がばくばくになりました。しかしスコアを持っていたのが幸いしたのか関係者かなにかと勘違いされたのか、何事もなく先生は指揮台へ。よかった。
ドビッシーのイベリアでした。学生たちはピリピリ。こわもてオヤジ
の圧倒的な威圧感で笑顔もジョークも一切なし。ちょっと流してすぐ止まる。トロンボーン三重奏が気に食わなくて何度も何度も繰り返し。まだ駄目。3人立って吹け!まだ駄目。どうしてできないんだ(怒り)!3人楽器を置いて口で歌え!OK、できるじゃないか。それを楽器でやるんだ。こういう練習風景でした(その時の写真、ウイキペディア)。
実演はカーネギーホール。これは聴けませんでしたが、幻の大指揮者チェリ先生のこの公演は全米で有名になり、そのときの様子はウイキペディアにも載っています。古澤さん、ありがとう。
(以下、「チェリビダッケ」より引用)
「アメリカには、1984年に、フィラデルフィアのカーティス音楽学校の校長だったジョン・デ・ランシーの要請で、当校で指揮を教えた。そして、当校学生オーケストラを連れてカーネギーホールで開いたコンサートは、あまりにも素晴らしく、ニューヨークの音楽界に衝撃を与えた。ニューヨーク著名の音楽評論家ジョン・ロックウェルは「いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!」とのコラムを掲載した[2]。」
(こちらもどうぞ)
ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」
2012 SEP 29 23:23:53 pm by 東 賢太郎
ピエール・ブーレーズ指揮クリーブランド管弦楽団のLPレコードである。1969年録音。この曲だけにかかわらず、クラシック音楽の演奏史に永遠に名を刻まれる名盤中の名盤である。
この曲は1913年パリのシャンゼリゼ劇場で初演のおり、その前衛性に反対派などから怒号や口笛が飛びかって会場が大騒ぎとなり、20世紀音楽史上のスキャンダルとして記録されている。
この演奏はそういう人間界の俗臭さとは完璧に無縁である。不細工かつ膨大な計算量を伴う解き方しかなかった数学の難問を、わずか数行で美しく解いてしまった答案用紙を見る気分だ。E=mc²のように。ブーレーズ自身、本当に数学を学んでいたが。この美しいジャケットも見事に曲の雰囲気を描写している。
ブージー・アンド・ホークスのスコア(右)は表紙がボロボロになってしまった。 アルトフルート、ピッコロクラリネット、ピッコロトランペット、バストランペット、ピッコロティンパ二など耳慣れない楽器が出てくる。僕はそれらを耳を凝らしてマニアックに聴いていたが、この演奏はそれがちゃんと聴こえる。聴こえるように演奏され、録音されている感じだ。そんなニッチな所に焦点を当てて商売になるだろうかなどという下世話な頭は微塵もない指揮者にオケも録音技師も全身全霊で奉仕している奇跡的な録音なのである。
「いけにえの踊り」のティンパニでこんなに短3度音程が明確にわかる演奏はない。ティンパニと大太鼓の音色をこれほど差別化した例もない。第1部冒頭部分での木管楽器の倍音までとらえた録音センスの良さは本当に本当にすごい。第2部冒頭(序奏)練習番号80でp(ピアノ)で入る大太鼓(皮はゆるめに張られている感じ)の意味深さは筆舌に尽くしがたい。音楽的にどうでもいいと言われそうだが、このスコアにストラヴィンスキーが封じ込めた信じがたい美の一部であることは誰も否定できまい。
テンポはやや遅めであり、すべての音は完璧に磨かれた、正確極まりないピッチの楽器音でじっくりと丹念に刻み込まれていく。スコアが30段ある室内楽と言って過言ではない(1か所だけトランペットがミスしているが)。では生気に欠けるかというとそうではない。第2部の最後に向けて鉄の塊が徐々に熱していくようにじわじわと過熱してくる。そう演奏しているのではなく、スコアがそう書かれており、それを忠実に抉り出してそうなっているという絶対の説得力を感じる唯一の演奏である。
リズムに関しては鉄槌を打ち込むかのような強靭な理性によるコントロールを知覚する。音や和音の鳴り始めと終結(つまり音価)が厳格な意志で統率され、いい加減に放置された音は最初から最後まで皆無といっていい。練習番号139、pで22発打ち鳴らされるシンバルの最後から4発目がやや野放図に鳴りすぎたのが玉に傷で耳に残ってしまうほど全曲にわたって精密なのであって驚くばかりだ。だからこそ「生贄の踊り」同144の直前の16分の3拍子が16分の2に近いのが昔から気になっていて、生前にお尋ねしたかったことの一つだった。
録音は楽器に近接したマイクの多重録音と思われ練習番号38のドとシのティンパニは位置が左と中央に離れて聞こえる。同22-23ではイングリッシュホルンの裏でティンパニストがシ♭の音合わせをしているのが聞こえる。それをマイクが拾っているのを放置しておりミキシングが徹底した精度であるとはいえない。ティンパニの音程と皮の質感をここまで拾う録音が木管の倍音までも拾うのは納得であり、こういうことは指揮者と録音技師のセンスが合致した幸福な結果だろう。最後の方でブーレーズのオケを追い込むような声が聞こえる部分がありびっくりするが、そこはリハーサルの方を採用したかもしれない。
発売当時「スコアにレントゲンをかけたような」という形容があった。実演では聴こえない音まで聴こえることの比喩だ。そう、これはレコード芸術そのものだ。全音符をこれで刷り込まれた僕には、実演はすべて「いい加減」な演奏に聴こえるので困る。必ず欲求不満になる。だからなるべく聴かない。聴くならティンパニの後ろの席で「ピッコロTim」の高いB(シ)が聴き分けられるかどうか実験の目的だ。何故かこれだけはブーレーズ盤でもわからない。他盤もだめだ。入りにくいのか僕の耳の問題なのか。だから近くで実物を聴きたいのだ。
これは1970年に買った、まさに僕にとって神であるLPから録音したもの。そのあとに出たフォーマットもすべて聴いてみたが、この初出のヴィニールレコードが最も倍音が豊富でありベストで、再発を重ねるほどそれが消えて行っている。SACDになれば音がいいという単純なものでは全くない。第1部の春のロンドまでの木管合奏など、この倍音が演奏の特性を決しているのである。
(レファレンス )
ブーレーズの春の祭典は実演を2度聴いた。最初は1974年9月5日にNHKホールでニューヨーク・フィルハーモニーと。次は1993年にフランクフルトのアルテ・オーパーでロンドン交響楽団と。当たり前だがレコードと同じ音楽、同じフレージングだったが情報量はプア。前者はベートーベンの2番が前半プロだったが意外に普通だった。面白かったのはむしろエーリヒ・ラインスドルフが1984年にファイラデルフィア管弦楽団を振ったもの。ぎくしゃくした棒でいがらっぽかったが、骨太の演奏で説得力があった。香港で聴いたフェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団はティンパニが間違えて一瞬オケがバラバラになりこっちも心臓に悪かったが香港の聴衆は気がついてない感じだった。
この曲は一般にハルサイと呼ばれる。春祭だ。夏祭りみたいなので僕は絶対に使わない。ブーレーズの前衛性などどこ吹く風で、最近は若手指揮者が暗譜で振るとカッコいい「のだめ」流ミーハー曲に堕落してしまった観がある。若い子はラプソディ・イン・ブルーの姉妹曲ぐらいに思っているのだろうか。オジサンたちは若い頃こういうのを大真面目にピリピリ緊張してやっていたんだ。
当時クラスメートと「ブーレーズがブルックナーなんかやったら世も末だね」とジョークを言っていた。そしたら10年ぐらい前に本当にやられてしまった。DGの商売にのせられたのか。ともあれ、これはカラヤンが越後獅子を振ったのと同じぐらいのマグニチュードがある事件だ。センセイどうしちゃったんですか?いや、これも堕落と言ったら失礼だ。世も末ということにしておこう。
最後に、僕の69種類ある春の祭典音源集から:
マイケル・ティルソン・トーマス/ボストン交響楽団
とにかく音がいい。僕はオーディオチェックに使っている。ボストン・シンフォニーホールのいい席はまさにこの音と残響のブレンドである。演奏も凛々しい。若々しい。管楽器がうまい。ティンパニも健闘している。MTトーマスはピアノ連弾でも録音している(これも悪くない)。好きなんだろう。新録音もあるが断然これ。見つけたら即買いです。
小沢征爾/シカゴ交響楽団
リズム感の良さとオケのやる気満々なノリが素晴らしい。ロック、ジャズの感覚。若造の分際で大シカゴSOをここまでドライブしたオザワの青春譜。やっぱり只者じゃなかったんだ。ただし第2部は定番のブージー67年版ではなくアンセルメ盤と同じ部分があり、初めてこれを覚える人には薦められない。通におススメ。
アンタール・ドラティ/ミネアポリス交響楽団
速い。とにかく速い。疾風のごとし。軽い。とにかく軽い。このお茶漬け風味は捨て難い。ハイドン風ストラヴィンスキーの逸品である。買い。デトロイト交響楽団との新盤はフツーのテンポになっている。初めての人はこっちのほうがいい。
イーゴル・マルケヴィッチ/フィルハーモニア管弦楽団
セラフィム盤。一つのスタンダードを作った演奏。もしブーレーズ盤がなければ似たような位置づけに鎮座しただろう。おっかない切れ者指揮者のドライブ力は圧倒的。聴くと疲れるが曲の本質をワシづかみにしている。音もまあまあ。おススメできる。
コリン・デービス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
コンセルトヘボウの正面特等席の音響がする。うれしい。そのまま理想的なベートーベンができる音による春の祭典というバリューは絶大。オケは非常にうまい。デービスにしては意外なほど燃えてもいる。出た時に「いけにえの踊りで」妙な繰り返しがありのけぞったが修正された。誰でも安心して聴ける。
クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団
76年大学時代にLP新譜発表プロモーション会場で抽選に当たりもらった。懐かしい。しかし演奏も録音も平板で実につまらない。アバドの名前にだまされて買わないこと。
ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団
ウサイン・ボルトが予選でテキトーに流して10秒09という感じのお仕事。大味で細部はええ加減である。ショルティの名前にだまされて買わないこと。
ズビン・メータ/ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
インドの星だった若きメータ。春の兆しのスピード感に「ほほう、これは速い」と柴田南雄さんがラジオでつぶやいたのを覚えている。最期まで勢いがありオケがのっている。打楽器のリズム感、とてもいい。おじさんも若返る快感あり。おススメ。
ピエール・ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団
63年録音。音が古い。 オケの精度は高くない。勢いで押す部分があり熱さもあるのはまだ若い感じ。69年盤があれば不要。
ピエール・ブーレーズ/クリーブランド管弦楽団
DGの91年録音盤。これだけ聴けば名演。音は69年盤よりまったりして角が取れている。しかしあれを知ってしまうと指揮は好々爺にしか聞こえない。ブルックナー路線はこの辺から引かれていたかもしれない。69年盤があれば不要。
エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団
ストラビンスキーの1歳下だったアンセルメは1883年生まれ。ローザンヌ大学数学科の教授から転身した。彼らが生まれた頃に亡くなったボロディンは有機窒素の定量法を発見した化学者で、作曲は余技だった。この時代の音楽家は音大卒の専門家ではない。そういう時代の息吹を感じるオケ。とても下手である。アンセルメの録音は2種類あるが、どちらもトモダチだった作曲家に意見してスコアを直させたものが聴ける。作曲家はそれをまた直して現行版になった。火の鳥組曲1919年版のように著作権料狙いだったかどうかは知らない。これはフォロ・ロマーノだ。遺跡として訪問価値がある。
ストラヴィンスキー / コロンビア交響楽団
60年録音。先ほどじっくり聴いて、ブーレーズ69年盤はこれを下敷きにしたと聴こえた。ほぼ間違いないと思う。当たり前だが秀でたスコアリーディングであり、このスコアを音にすればこうなり、ブーレーズのようになるのだ(練習番号144の直前の16分の3拍子が16分の2に近い!)。違いはオケの運動神経ということになるが、アマチュアの指揮なのだから仕方ない。大変耳をそばだてるものを含む演奏であり、なるほどそうなのかと目から鱗の部分が続出するが、それらを圧倒的高みで洗練させ厚みを増しストリームラインしたのがブーレーズ/ クリーブランド盤の実体であるといっていい。これをつまらないと思う人は要するにこの曲がよくわかっていないのであり、よりわかりやすいブーレーズ盤をじっくり聴くことをお薦めする。
ヴァレリー・ゲルギエフ / ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
96年録音。この曲がポップ化し始めた頃を象徴する演奏で、指揮者は人口に膾炙する部分の誇張、拡大解釈につとめ、それがあたかも何か新時代の息吹を革新的な感性で表現したかのようにふるまう。その感性がじっとりとロマン的なものだから曲の神秘的な本質を逸脱していくばかりなのは悲劇的ですらある。聴きとおすのに苦労した。
エヴゲニ・スヴェトラーノフ/ ソビエト国立交響楽団
66年録音。録音はクラリティが高く木管の色気は好感が持てる。「ブーレーズ以前」にしてこのスコアリーディングはレベルが高く、オケの運動能力もすぐれている。ただ金管の咆哮があまりにうるさい。ロシアを去りパリで初演を目論んだ時点で作曲家の頭にこのロシアの下品極まる金管があったとは思わない。練習番号84のミュート・トランペットはまるでジャズの音色で笑ってしまう。第2部前半の神秘感はまるでないが生贄の踊りのリズムは録音当時としては見事である。
ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団
55年モノラル録音。最も早い時期であり、オーマンディーの読譜力の凄さを見る。作曲家は貶したらしいがディズニーが使ったストコフスキー盤の印税はどうだったのだろう。彼は火の鳥1919年盤をそれで作ったくらいカネにうるさかった。まあ「春のロンド」はなんぼなんでも速すぎるし純粋に解釈が気に食わなかった可能性もある。味もそっけもないがこの演奏能力は文句なし。こんな国と戦争してはいけない。
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
77年録音(2回目)。冒頭のファゴットとホルンのリズムからいい加減。バスが効き木管は歌いまくり、総じて和声的、歌謡的要素に感応度が高い。速い部分のメカニックは高度ながらBPOのホルンが音を外す珍しい場面も。第2部序奏は異様にロマン的だ。87-88は和音が異質に聞こえ気持ちが悪く、11連打の減速はマゼールに近い。生贄の踊りの固めのティンパニはなかなか良い。174以降でピッコロ・ティンパニのパートをこれほど強く叩くのも珍しい。僕の耳にはレア物として面白いが一般には色モノの部類だろう。
(補遺)
この音楽は1909年に作曲され1912年9月3日(春の祭典の初演前年)にロンドンで初演された。アーノルド・シェーンベルクの「管弦楽のための5つの小品」(作品16)である。ストラヴィンスキーがこれを聴いていた可能性はないだろうか。
第3曲「色彩」を特徴づける要素を祭典のスコアから引き出したのがブーレーズだ。
(演奏・補遺 2月15日~)
ウィリアム・ファン・オッテルロー / シドニー交響楽団
youtubeで一聴して惹きつけられた。オケの性能はA+クラスだが何よりオッテルローのスコアリーディングが深い。指揮者の耳の良さは音楽に聴き捨てならぬオーラを与えるのである。この曲の野性的側面を充足する運動神経の良さと多彩な楽器の倍音を含むカラリングがうまく調合された魅力的な演奏だ。ティンパニひとつとってもそれが明確。78年録音。彼は同年にメルボルンで事故死したが、シドニーオペラで振った最後の作品が春の祭典だった。
ハンス・シュミット・イッセルシュテット / 北ドイツ放送交響楽団
69年ハンブルグでのライブ(ステレオ)。ブーレーズ前の演奏だが、ティンパニ11連打が遅いぐらいでほとんど全曲違和感がない。ドイツもののイメージのイッセルシュテットだがストラヴィンスキーとは友人で得意としていたらしい。生贄の踊りで一ヵ所バスドラにミスか覚え違いがあるが、これだけできれば当時としては立派としかいえない。彼の手によると三楽章の交響曲(名演だ)が春の祭典と同質の音楽に聞こえるのが面白い。
ネーメ・ヤルヴィ / スイス・ロマンド管弦楽団
SROの管による第1部序奏の木管の協奏は良し。春の兆し、なんぼなんでも遅すぎ減点。ロンドのクラの装飾音符が全音低い。バスドラは全然聞こえず減点。第2部の序奏は速めであっさり進行、クラリネットの上昇アルペジオにフルート和音が乗る部分は印象派風で美しい。11連打になんとアッチェレランドがかかり唖然とすると選ばれた乙女は快速でぶっ飛ばす。いけにえはティンパニがいきなり妙な所に鳴り驚くが、大いに暴れまくり大迫力だ。バスドラが欠落したりするが追い込みは盛り上がる。このCDはこれより次のカンティクム・サクルムがききものだ。第2曲はストラヴィンスキーが初めて音列作法で作った楽章で抜群に面白い。ヤルヴィの強烈なオケの統率力がわかる。
ズデニェック・コシュラー / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
これは僕の知る音源でトップ5入に入る名演である。まずCPOがCPOの音で鳴っている。冒頭のファゴットをはじめ歌う木管、金管は強力だがブラッシーにすぎず節度があり弦はくすんで木質であり、プラハの芸術家の家であたかもベートーベンをやるかのような美しいマストーンと残響で録音されている。そうかと思えば、細部に耳を凝らすとティンパニの音程にこんなに神経を使ったのはブーレーズCBSと双璧であり、春のロンドと第2部序奏のグランカッサの扱いもブーレーズCBSのコンセプトに似る。演奏は概して速めでドラティ旧盤に近く、慣れてない金管がやや危ない(第1部終結)が、この胃にもたれないアレグロの軽さは好ましい。練習番号114のティンパニがこんなに聞こえるのはなく、生贄の踊りの明瞭な短3度などもはや感涙ものだ。繰り返しで半音下がるが、明らかに違う太鼓を叩いておりもちろん音質も違うわけで、eの太鼓の皮の質感が微妙にやわらかいところなどマニア垂涎のご馳走である。この演奏の唯一のリザベーションは練習番号121が遅いことだが良しとしたい。生贄の踊りのリズムが最近の物に比べると弦楽器奏者一人ひとりレベルでまだぎこちないが、1979年時点のチェコ・フィルでここまでの整然としたアンサンブルを構築したコシュラーの指揮技術は高い。これをヘッドホンでじっと聴くのは最高の楽しみだ。
(補遺、10 June17)
エーリヒ・ラインスドルフ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ラインスドルフがフィラデルフィア管弦楽団を振ったのは1983年だった。音楽よりも彼の両肘を張ったぎくしゃくしたロボットのような指揮姿の方が印象に残っている。LPOとのレコードは「20chマルチ録音を4トラックに収録するフェイズ4ステレオ録音」というふれこみであり、期待して買ったが音としては別に大したことはなかった。それがこれだ。
この1956年、パリのサレ・ワグラムで行われた録音を聴きなおして、やはりブーレーズCBS盤のコンセプトに非常に近似していることに気づいた。全曲の演奏時間は50秒しか違わない。アルベルトはフランクフルト生まれのドイツ人だがイヴォンヌ・ロリオ、ドメーヌ・ムジークと録音を多くしておりメシアン、ブーレーズのフレンチ・スクールと近かった。チェント・ソリ管はパリ音楽院管あるいはラムルー管のメンバーが主となりパリ・オペラ座等、他の楽団員が加わった臨時編成のオーケストラであり、バレエ・ルッスの本拠地でストラヴィンスキーも交えて直伝の解釈をベースに共有された当曲の楽曲解釈が1956年には既に整えられており、そこから現れたのが上掲のレイボヴィッツ盤であり、集大成としてのブーレーズCBS盤であったと推測する。当曲のフランスの管による色彩は異色で興味深く、演奏のインパクトも強烈だ。アルベルトは古典派、ロマン派と録音を残したがどれも一聴に値する解釈であり、当盤も春の祭典マニアたる者必携であろう。
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「都をどり」とストラヴィンスキー(Kyoto-Sado-Russia)
クラシック徒然草-カラヤンとプレヴィン-
2012 SEP 16 19:19:49 pm by 東 賢太郎
きのうN響のAプロでアンドレ・プレヴィンさんのマーラー9番を聴きました。マーラーは僕の守備範囲ではないので演奏コメントは控えます。
1984-1990年のロンドンでいろいろな演奏家を聴きました。大陸から空路入ってすぐロイヤル・フェスティバル・ホールで演奏会というケースがままあり、交通事情で開演が遅れることがあります。カラヤンとプレヴィンがそうでした。
カラヤンは1時間ぐらい。じっと待たされました。プログラムはシェーンベルグの浄夜とブラームスの交響曲第1番。これはCDとなって市販されていて、そのジャケットには若き日の僕と家内がカラヤンの後ろの客席に写っています。
一言のお詫びも挨拶もなくそれは始まり、圧倒的な迫力で終わりました。
さてプレヴィンです。オケはウイーンフィルで曲はハイドンの交響曲など。30分ぐらい遅れて団員が出てくると、なんと、みんな私服ではないですか。ジーパンのバイオリニストもいます。もちろん指揮者のプレヴィンも。
Ladies and gentlemen!後ろを向いた指揮者の声に、会場がしーんとします。
「お待たせしました。飛行機が欠航になり、船で急いで来ました。しかしあいにくスペースがなくて一部の荷物は次の船になってしまいました。そっちの船に燕尾服を乗せるか楽器を乗せるかで我々は喧々諤々の議論をし、皆様には不幸なことに、燕尾服を乗せるという結論になってしまいました。」
会場、爆笑と大拍手。いいハイドンでした。
クラシック徒然草-僕の音楽史-
2012 SEP 14 14:14:33 pm by 東 賢太郎
僕の一番古い記憶は、親父のSPレコードを庭石に落として割ってしまったことです。2歳だったようです。中から新聞紙 ? が出てきたのを覚えています。ぐるぐる回るレコードが大好きでした。溝の中に小さな人がはいっていて音を出していると思っていました。
これが昂じたのか、僕はクラシック音楽にハマった人生を歩むこととなりました。作曲や演奏の才がないことは後で悟りましたから聴くだけです。就職した証券会社では、大阪の社員寮に送ったはずの1000枚以上のLPレコードが誤って支店に配送されてしまい、入社早々大騒ぎになったこともありました。
転勤族だったので国内外で24回も引っ越しをしました。そのたびにLP、テープと5000枚以上あるCD、オーディオ、ピアノ、チェロ、楽譜がいつも我が家の荷物の半分以上でした。この分量はクラシックが僕の57年の人生に占めてきた重みの分量も示しているようです。
僕がお世話になった証券業界では僕は変り種でしょう。この業界は オペラのスポンサーはしても社員オーケストラをもつような風土とはもっとも遠い世界の一つです。それでも僕が楽しくやってこれたのはひとえに海外族だったからです。アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスに駐在した13年半に、僕はもう2度と考えられないほどの濃くて深い音楽体験をさせてもらいました。
そういうとやれ「カラヤンを聴いた」「バイロイトへ行った」という手の話に思われそうですが、そうではありません。僕はそういうことにあまり関心がなく、書かれた音符のほうに関心がある人間です。たとえば、同じ夜空の月を見て「美しい」とめでるタイプの人と「あれは物体だ」と見るタイプの人がいます。僕は完全に後者のほうです。文学でなく数学のほうが好き。文系なのに古文漢文チンプンカンプンというタイプでした。
高校時代はストラビンスキーの春の祭典、バルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(通称、弦チェレ)みたいなものにはまっていました。特に春の祭典は高2のころ1万円の大枚をはたいてスコア(オーケストラ総譜)を買い、穴のあくほど眺めました。この曲は実に不思議な呪術的な音響に満ちていて、それがどういう和音なのか楽器の重ね方なのかリズムなのか、全部を自分で解析しないと気がすまなかったのです。
弦チェレの方は、第3楽章です。ちょっとお化けでも出そうなムードですね。フリッツ・ライナーの指揮するレコードで、チェレスタが入ってくる部分。この世のものとは思えない玄妙かつ宇宙的な音響。なぜかこの演奏だけなんですが。敬愛するピエール・ブーレーズも含めてほかのは全部だめです。これもスコアの解析対象となります。
時が流れて、僕はフランクフルトに住みました。その家はメンデルスゾーンのお姉さん(ファニー)の家の隣り村にありました。そう知っていたわけではなく、たまたま住んだらそうだったのですが。彼はそこでホ短調のバイオリン協奏曲を書きました。あの丘陵地の空気、特に彼がそれを書いた夏の空気をすって生きていると、どうしてああいう第2楽章ができたのかわかる感じがします。あそこを避暑地に選んだ彼と、その場所が何となく気に入った僕の魂が深いところで交感して体にジーンと沁みてくるような感覚。うまく言えませんが、かつてそんなことを味わったことはなかったのです。
こういう感覚は、大好きで毎週末行っていたヴイ―スバーデンという町でもありました。ブラームスの交響曲第3番です。もういいおっさんだった彼はここに住んでいた若い女性歌手に恋してしまい、ここでこの曲を書きました。彼としては異例に甘めの第3楽章はその賜物でしょうが、むしろそれ以外の部分でもこの町の雰囲気と曲調が不思議と同じ霊感を感じさせるのです。この交響曲はこのヴイ―スバーデンとマインツの間を流れるライン川にも深く関係しています。
シューマンの交響曲第3番とワーグナーのニュルンベルグの名歌手第1幕への前奏曲。この2曲はそのライン川そのものです。すみません。どういう意味かというのは行って見て感じてもらうしかありません。このシューマンの名作は後世にライン交響曲と呼ばれるようになりました。シンフォニーのあだ名ピッタリ賞コンテストがあったらダントツ1位がこれです。
名歌手は全部ライン川で書かれたわけではありません。でもあのハ長調の輝かしい前奏曲はヴイ―スバーデン・ビープリヒというライン川べりで書かれたのです。ワーグナーの家は水面にちかく、滔々と悠々と流れるラインが自分の庭になったような錯覚すらあります。太陽がまぶしい秋の朝、目覚めて窓を開けると眼前に滔々と流れるライン川、そこにバスの効いたあの曲が流れる。僕の理想の光景です。
こういう経験をして、僕はだんだんとお月様を見て「美しい」と思う感性も身についてきました。物体だ、という感性が消えたわけではなく、少しはバランスのとれた大人のリスナーに成長できたということでしょうか。基本的にはロマンチストなので、ボエームやカルメンを涙なしに聴き終えたことはないし、ラフマニノフの第2交響曲を甘ったるい駄作だなどとは全く思いません。
しかしメンデルスゾーンのジーンとした感じは、涙が出るとか甘いとかそういう次元の話ではありません。泣くというのは作曲家が仕掛けた作戦にまんまとはまっているということです。そうではなく、作曲家がそういう作戦を練る前の舞台裏で、一緒に昼飯を食ったというイメージなのです。どうも話が霊媒師みたいになってきました。
ところで今、心を奪われているのがラヴェルです。音楽を書く手管、仕掛けのうまさという意味でこの人は最右翼です。もちろん、どの作曲家も聴き手を感動させようと苦労し、手練手管を尽くしています。そうでないように思われているモーツァルトの手管はパリ交響曲について書いた彼の手紙に残っています。しかしラヴェルはその中でも別格。うまいというより、彼は手管だけでできたみたいなボレロという曲も書いています。もうマジシャンですね。ドビッシーと比べて、そういう側面を低く見る人もいます。
僕も、そうかもしれないと思いながら、聴くたびに手管にはまっているわけです。ダフニスとクロエ。このバレエ音楽の一番有名な「夜明け」を聴いて下さい。僕は2度ほどギリシャを旅行してます。あのコバルトブルーの海に日が昇るような情景をこれほど見事に喚起する例はありません。音楽による情景描写というのはよくあります。しかしこれを聴いてしまうと他の作品は風呂屋のペンキ絵みたいに思えてしまいます。そのぐらいすごい。手管だろうがペテンだろうが、この域に達すると文句のつけようもないのです。
僕のラヴェル好きは高校時代にはじまります。春の祭典と同じ感覚で。両手の方のコンチェルトの第2楽章、ピアノのモノローグを弾くのは今でも人生の最大の喜びの一つです。もう和音が最高。ダフニスと同じコード連結が出てくる夜のガスパール第1曲も(これは弾けません)。バルビゾンの小路に似合う弦楽四重奏の第1楽章。僕にとって、ヨーロッパの最高度の洗練とはラヴェルの音楽なのです。
あれもいいこれもいい。 50年も聴いてくるとこうなってしまうのです。しかし50年たっても良さがわからない有名曲もたくさんあります。最後は好みです。もう今さらですから、ご縁がなかったとあきらめることにします。好きな曲は何曲あるか知りませんが100はないと思います。50-60ぐらいでしょうか。
これから、時間はかかりますが、1曲1曲、愛情をこめて、なぜ好きか、どこが好きかを書いていきます。これは僕という人間のIDであり、作曲家たちへの心からの尊敬と感謝のしるしです。読んで聴いて、その曲を好きになる方が1人でもいれば、僕は宣教師の役目を果たしたことになります。聴かずして死んだらもったいないよという曲ばかりです。必ずみなさんの人生豊かにしてみせます。ぜひお読みください!























