モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)
2016 APR 26 0:00:09 am by 東 賢太郎
前回、パパゲーノのことを書きました。モーツァルトが彼にどれだけ愛情をそそいだか。魔笛の主人公はパパゲーノだといってもいいと思います。なんたってモーツァルトが自分自身の姿をそこに重ねているからです。
モーツァルトは父の強硬な反対をうけてコンスタンツェとなかなか結婚できなかった。父は手紙でこう諭しました。
愛する息子よ、やめときなさい、おまえの評判にかかわるぞ、私だって何を言われるかわからない、おまえはその女の計略にひっかかってだまされてるんだ、その女の母親はとんでもないワルで有名だぞ、おまえは目先のことにすぐ熱くなる性格なんだ、それを自覚しなさい、その女の家に下宿するなんてとんでもない、すぐにそこを出なさい
父の厳命で仕方なく下宿を出たモーツァルトが引っ越したのは、そこから歩いて3分もかからないアパートでした。こういう経緯があっても彼は父にないしょでコンスタンツェと逢引きをつづけ、ついに無断でシュテファン寺院で結婚式をあげてしまう。それは禁断の苦しみの末にやって来た人生最高の喜びの瞬間だったろう。
魔笛を考えるに重要なのが「後宮からの誘拐」というジングシュピール(ドイツ語歌劇)です。トルコの後宮(ハーレム)に囚われている女性を婚約者が救いだす話です。その女性の役名がコンスタンツェだった。これは偶然かもしれませんが、モーツァルトが母の囚われの身に見えていた本物のコンスタンツェを意識しなかったことはないでしょう。彼はこの曲を結婚式(1782年8月4日)直前の7月16日に初演したのです。ヨゼフ2世ご臨席のもとで。8年後にやってくる逆境に比べなんと順風満帆だったことだろう。思い出のこの曲が、そこで書くことになる魔笛の作曲に無縁でなかったと考えるには意味があります。
「女性の救出劇」というコンセプトといえば、魔笛の第1幕はまさにそれです。後宮ではザラストロのかわりに太守セリムという王がいます。コンスタンツェに愛情を寄せているのですが決して暴力的にコンスタンツェを我が物にしようとはしない、ある意味でありえないほど非現実的な王様で、逃走に失敗してつかまった二人を成敗するどころか帰国まで許すのです。粗暴で好色なトルコ人という当時のウィーン市民の常識とかけはなれた人物として、いわば偶像化されている(歌はまったく歌わない)。
それは「啓蒙君主のアイコン」としての偶像でしょう。マリア・テレジアが亡くなって、息子のヨゼフ2世(左)という正に啓蒙主義的な思想の皇帝が現れた、そればかりか、彼はイタリア物一辺倒だったオペラにドイツ語歌劇という新風を国策として吹き込んだのです。絵にかいたような啓蒙君主の登場です。ウィーンでサラリーマンをやめフリーランスとなったモーツァルトにとって救いの神のようなトップであり、人生初めてつかんだ出世のチャンスで全身全霊のおべっかをもりこんだ作品が「後宮」だったとも考えられます。
ところが、ヨゼフ2世は90年2月に逝去します。ダ・ポンテとの「フィガロ・コンビ」で書いた「コシ・ファン・トゥッテ」初演の1か月後のことです。後任のレオポルト2世(左、右がヨゼフ2世)は兄の啓蒙思想の反動政治を行いますが、注目すべきはダ・ポンテを国外追放したことです。僕はこれまで何度も「フィガロ事件」がモーツァルトの人生に落とした暗い影を書いてきましたが、このコンビはいわばレノン・マッカートニーであって、もし片方が英国王室を侮辱したか何かで国外追放されたりしたら相棒もどんな境遇になったか、想像に難くないでしょう。
90年10月にフランクフルトで行われたレオポルト2世の戴冠式でピアノ協奏曲(第19番と26番)を演奏したり涙ぐましいおべっかと就職活動を駆使したが成果はありませんでした。時はおりしもフランス革命戦争前夜だったことを忘れてはなりません。前年89年にバスティーユ襲撃があり妹のマリー・アントワネットは逃亡の計画を兄に伝えていました。彼女が後ろ手に縛られ肥料運搬車で市中を引き回された末にギロチンで首をはねられたのはその3年後のことです。
フランスの同盟国オーストリアのアンシャン・レジーム側にとって、このような日増しに緊迫、不穏の度を加える空気の中で即位したレオポルト2世がフィガロを書いた危険分子を国外に追放したのは当然であり、残った片割れの楽師の就職活動など目もくれるはずがなかった、いやむしろどうやって潰そうか思案中であってもおかしくなかった。出来なかったのは彼がまだ人気、知名度があったからでしょう。海外に就職はできない。モーツァルトが最後の年1791年にやおらエキサイトして名曲を連発したのはその危機感と無縁でなく、人気こそが彼の命綱だったからでしょう。
革命においてフランス国民議会は「人権宣言」を発表し新憲法を作りましたが、それを採択した400名の議員の内300名以上はフリーメーソンだったことは特筆してもし切れることではありません。モーツァルトはパリに知人がおりフランス革命の動向をよく知っており、自分を袋小路の鼠のように追い込んでいる神聖ローマ帝国アンシャン・レジームの倒壊を密かに願ったとしても不思議ではなく、フリーメーソンを暗示するオペラを大衆に浸透させてヒットさせてしまいたいと考えたのではないか。
このことは彼と同じぐらい反アンシャン・レジームの啓蒙派ながら、まだ旧体制に依存して食っていかねばならなかったベートーベンがフランス革命の寵児ナポレオンの出現に熱狂し、期待を込め、あの巨大にして斬新なエロイカ交響曲を書いてしまった、その衝動とエネルギーの巨大さの実例を見ればさほど見当違いな空想とも言い切れないように思うのです。フィガロより、ドン・ジョバンニより、コシ・ファン・トゥッテより、明らかに支離滅裂な台本にそのどれよりも偉大な音楽を書いたモーツァルト。その台本への共感こそが実はエネルギーの源泉であったと解釈する方が腑に落ちると思います。
魔笛がそういうオペラだったとするならフリーメーソン内部で使う典礼音楽を書くのとは意味が違い、大衆扇動、プロパガンダです。フランスの三色旗につながる自由・平等・博愛の思想を巧妙にポピュリズムにまぶして拡散させようと考えたのではないか。しかしその行為はフィガロに続く第2の「自爆テロ」になりかねない、まことに危険なリスクを内包していることをモーツァルトが知らなかったとは思えません。しかし、袋小路の鼠に残された選択肢は限られていた。だから彼はその真意をオブラートに包もうと考えたはずです。
タミーノは原作では日本の狩りの装束で現れ、夜の女王は天空から登場し、ザラストロはゾロアスター教の始祖名であり、彼が崇めるオシリス-イシス神は古代エジプトの神です。当時誰も日本など知っていたはずもないので遠い異国であればなんでもよかった。古代エジプトが舞台だから登場人物はキリスト教徒ではない。この設定が回教世界(トルコ)の舞台設定である「後宮からの誘拐」と同じです。異教徒世界の寓話だよという偽装なのです。
トルコとは戦争はしたが相手がへばった。それ以来トルコへの憎悪は薄れてコーヒー、行進曲など好ましい異国情緒の対象となり、世論を喚起・説得する手段として「トルコでは・・・」という手が流行したそうです。太守セリムを偶像化し、しかし我が国もそれに匹敵する名君(ヨゼフ2世)を持ったではないかというオペラを書くことがなぜ皇帝への「おべっか」になったか、その意味はそれなのです。魔笛がそのレトリックを使って「古代エジプトでは・・・」と訴えたかったもの、それがメーソンを暗示する啓蒙思想だったと考えます。
ルイ16世とレオポルド2世はモーツァルトには重なって見えており、夜の女王のモデルがマリア・テレジアであったかもしれない。とても危険ですが、その願望を覆い隠すベールとして同じドイツ語オペラで大ヒットした旧作「後宮からの誘拐」の「女性救出ドラマ」というフレームワークはいかにも自然で、大衆に分かりやすいものでした。シカネーダーが書き始めたそれをモーツァルトが乗っ取って、メーソンの最高位で事務総長のイグナーツ・フォン・ボルンらがメーソン教義と儀式の核心部分を構成した。それが第2幕の変転の真相なのではないでしょうか。
変転が聴衆の確信に変わるシーンがこれです。ザラストロの登場です。ライオンまで出てきてしまうとああこの人が王様なんだと。夜の女王のハイFに対抗する低音のfが聞こえます。
ボルンがモデルと比定されるザラストロのアリアはメーソン色が強いと感じます。
モーツァルトのフリーメーソン活動が「秘匿されるべき何ものか」を包含していたことは、妻のコンスタンツェと彼女の第2の夫ニッセンによって、そのほとんどの資料や手紙の文面が廃棄、削除されてしまっていることが証明しています。真相を政府に知られることを恐れたのです。夫の死後、コンスタンツェが政府から年金をもらうのに都合が悪かったとされていますが、それだけでなかった可能性は否定できません。
第2幕の大詰めにきてタミーノとパミーナ(メーソンの入信者)は表舞台から消え、自殺アリアからパパパ・・・まで、まったく非メーソン的であるパパゲーノが大変な存在感を持って舞台を独占する。これは第1幕の牧歌的世界と対を成して外郭を形成し、メーソン儀式をアンコとした入れ子構造でメーソンオペラの実体を隠ぺいするためではないでしょうか。筋書きがわけがわからないという我々の幻惑はひょっとして意図、計算された結果も知れません。
第1幕の冒頭で大蛇をやっつけたとウソをついて自慢するパパゲーノはこのオペラで終始一貫して舞台におり、入信儀式の試練の場にも立ち会って、 終始一貫してまぬけで人間くさく、火と水のシーンでいなくなったと思ったら自殺シーンですべて独占する。彼はメーソン臭さの中和剤であり、ほのぼの笑いを取る八つぁん熊さんであり、メーソンの殺気に光る刃を隠してしまう巧妙に配され、効果を計算され尽くした道化なのです。しかしその設計図の中で、モーツァルトの愛情がふんだんに盛り込まれた文字通りの主役になっている。オペラが終わるとハッピーにしてくれたのはパパゲーノだという印象になり、実はメーソンの教義が頭にこっそり刷りこまれたことは気づかないのです。
魔笛にフリーメーソンの影響があると主張する人はたくさんいますが、そんな程度ではない、これがモーツァルトを含むウィーンのメーソン幹部による革命陽動オペラなのだというのが僕の見方です。
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モーツァルト「魔笛」断章(パパゲーナ!パパゲーナ!)
2016 APR 24 3:03:36 am by 東 賢太郎
魔笛の筋書きというのはそのまま「ドラえもん」になりそうです。タミーノ王子と鳥撃ちのパパゲーノが王女パミーナを救出しようとザラストロの神殿に侵入しようとする。そこでドラえもんがポケットから「これ持ってってね」と王子に魔法の笛、パパゲーノに魔法の鈴を出してくれるのです。
ザラストロの手下のモノスタトスの一味に囲まれて危機一髪の事態となったパパゲーノ。さっそく鈴を取り出して鳴らします、するとあら不思議、悪党どもは酔っ払いみたいになって踊りだしてしまいます。
いや~ドラえもんがいてよかったなあ、鈴が無かったら危なかったよ・・・。この鈴は彼女のいないパパゲーノに可愛いフィアンセのパパゲーナを呼び出してもくれたりする。タミーノの方だって笛を吹いて火と水の試練をくぐりぬけてむずかしい入信の試験に合格し、助け出すはずのパミーナとカップルとなってしまうのです。
要は、このドラえもんの笛と鈴は影の主役であり、だからこのオペラの題名もちゃんと「魔笛」となっているでしょう?ところが、おかしなことがあるのです。パミーナ救出に行ったはずの二人は敵方ザラストロに懐柔されてしまい、ついにドラえもんは成敗されて、あれ~と地獄に落ちてしまうのです。
このドラえもんが「夜の女王」であります。笛と鈴は彼女がくれたわけです。
魔笛はわけのわからない筋書きで、ザラストロと夜の女王はどっちが善玉か悪玉かわかりません。第2幕でザラストロが善玉だった風に描かれ、万人がそう信じているが本当にそうだろうか?
タミーノは悪人ザラストロに洗脳されて入信してしまいパミーナと結婚を許されるが、そこで夜の女王が現れてドカンと一発逆転・・・やっぱり女王様の笛と鈴は正義の味方だったんだ、よかったねなんて筋書もありだったように思うのです。
優等生のタミーノ君が試験に合格してバンザイとなる。聴衆はそこまで延々と「しゃべるな」「飲むな」「女に騙されるな」と堅苦しいタミーノの受験勉強につきあわされたわけで、それなら合格の胴上げでスカッとして「よかったね」で終わりですよね、ふつう。
ところが、そこに劣等生で放校処分のパパゲーノ君が現れます。そして「彼女がいないよ、さびしいよ!」と自殺まで試みると、女王の鈴の魔法でかわいいパパゲーナちゃんが現れ、なんのことない「たくさん子供を作ろうね」(パパパ・・・)なんて歌で大いにもりあがっちゃう。
おいおい、あの受験勉強はなんだったんだよ?
まあ、そうなるわけです。だからそこに夜の女王が出てきて「そうよ、楽しい家庭こそ人の道なの。あんたたちも帰っておいで」ってタミーノと娘を呼んでおいて、「この浮気者!滅んでおしまい!」なんて叫んでサリーちゃんの魔法の杖みたいなのでピカっとやると悪党ザラストロの神殿がドドーンとなくなっちゃう。
そこで一度音楽は静まっていよいよ大団円です。夜の女王、タミーノ、パミーナ、パパゲーノ、パパゲーナが舞台中央に寄ってきて魔法の笛と鈴を高くかかげて勝利を宣言し、「愛こそ人を救う」の 感動的な五重唱と合唱で幕を閉じる。これでしょう、これが筋のとおった魔笛じゃないでしょうか。
このオペラの台本作家シカネーダー(右)はそうするつもりで第1幕を書きだしたが、競争相手の劇場が似た筋の作品を先にやったので第2幕から方向転換したという説が昔からあります。ジャック・シャイエは否定してますが僕はそのつぎはぎ説に賛成です。オペラといってもイタリア歌劇でなくドイツ語上演の芝居小屋劇です。台本も作曲も急ごしらえで、客にうけてナンボのものだった。後世の学者があれこれ難しい理由を考えてますが、要は単純に何でもアリだったと思うのです。
シカネーダーの日和見な営業戦略にモーツァルトがつきあった理由はいくつか考えられて、
①フィガロの失敗でなくした自分の居場所を作るためにドイツ語オペラの人気を確立したかった。「賢者の石、または魔法の島」というオペラに合作者で入ったが、なんとしても一人で全部書いて歌劇場での名声を復活したかった。
②フィガロを書いてしまった権力への反骨心は消えず、それをフリーメーソンに託す気持ちが強くあった。だからフリーメーソンオペラを書きたかった。第2幕変更はその目的にはむしろ有難かったし、シカネーダーも劣等生ながらメーソンであり、交換条件でそういう合意になった。6月時点でまだ第2幕の始め(「女の奸計から身を守れ」)を書いていたことから方向転換は5月ごろとすると初演(9月)まで4か月の時間があった。
ではないでしょうか?
つまり、筋は変になるのですがむしろモーツァルトにはOKであって、第2幕の始めにそこまでのお気楽な喜劇とはそぐわしくないレチタティーヴォによる弁者の説教が長々と入る。ここは聴き初めのころ僕にとってこのオペラの唯一退屈な部分だったのです。ここです。
ところがモーツァルトは1791年10月8日の妻への手紙で、「この厳粛な場面の台本のセリフを全く理解してない」と劇場で隣で聴いていた友人(ロイトゲープ)を罵倒し、「パパゲーノめ、と言って僕は席を立ったが、あの馬鹿はその意味も理解しなかっただろう」と書いています。アリアとか管弦楽法とか、音楽についてじゃないのです、台本、セリフですよ。つまり、ここはモーツァルトにとって、怒るほど大事な部分だったのです。
ここがどうして長いか?①「木に竹を接ぐ」接点部分だからストーリー転換を正当化するだけ頑強でないといけなかった②モーツァルトが大事と考えるフリーメーソンのメッセージが聴衆にプロパガンダとして刷りこまれるべきだ③だから言葉にこだわりがあった(ひょっとして彼自身が書いた)、僕は彼の性格がなんとなく似ていて感じるのですが、そういう強調したいところは異常に細かい、言葉は一言一句吟味していて誰でもわかるようにくどい、だからそれをわからないのは馬鹿だという反応になったと確信するのです。
パパゲーノは彼の潜在意識の中で馬鹿の代名詞だったこともその手紙からわかります。左が初演のときのその姿で、これを舞台で演じたのはシカネーダー本人でした。彼は上の階級に昇格できない不真面目なメイソンでした。メイソンで短期間に飛び級出世して、父親やハイドンまでひきこみ、典礼のためのテーマソングの作曲までまかされていたエリートのモーツァルトからすると同期入社のダメなやつという感じだったでしょう。だからオペラの中では、優等生タミーノのわきで泣き叫ぶ姿にその投影があったのではないでしょうか。ところが、モーツァルトが野人パパゲーノを愛すべき人物と思っていたことがオペラの最後になってわかるのです。自殺シーンのアリア。そして童子が救い、鈴を鳴らしてパパゲーナが現れる。そしてパパパ・・・。不意にばったり顔を合わせてびっくりというのは第1幕でパパゲーノとモノスタトスがありました。しかしパパパにいたるこの部分にモーツァルトがつけた音楽は奇跡のような人類の至宝であって、彼自身こういう音楽は他に書いてないと思われます。
落語には愛すべき熊さん八つぁんがでてきますがパパゲーノはあれと似てます。メーソンを持ち上げたモーツァルトですが、それはフランスみたいな革命が起きて貴族階級の倒壊がおき、実力社会になって欲しい願望を託したと僕は考えてます。しかし彼は方便としてメーソンの階級は欲したかもしれないが、その世界の住人ではなかったしなる気もなかった。貴族は客であったが友人はシカネーダーやロイトゲープのような腕一本で世を渡るやくざっぽい連中だった。やっぱりメーソンじゃねえさ、俺もおまえらが好きだよと、タミーノとパミーナの上流階級のハッピーエンドを吹き飛ばすパパパ・・・。まるでハードロック並みの威力あるぶちかましです。ここにいたってモーツァルトの階級社会への反骨は他力本願から自力救済になる。
これも計画したのではなく、自殺アリアを書いてパパゲーナ、パパゲーナと歌っているうちにだんだんパパゲーノに自己投影がはじまってどんどん音楽に天才のエキスが注ぎ込まれてしまったのではないか。そしてパパゲーノの調であるト長調がいざ死ぬぞの場面でト短調になる。そこで不意に彼の首つりを止める童子のコーラスが入る。ここで涙腺がゆるまずにすむことはほとんど困難です。そしてG⇒Cの「サブドミナント希望コード」、そしてG、Em、C、D7の「アマデウス・コード」がこれでもかと鳴らされ、「パパゲーノよ、生きろ!」と鼓舞する。そしてとうとうカノジョ、パパゲーナが出現するに至る、これはもう階級なんか関係のない人間賛歌であって、冒頭動画のモノスタトスといっしょに踊りだしてもいいなという気持ちになってしまう。たぶんどんな気むずかしい人でも。これが音楽の魔法でなくてなんだろう?
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モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)
2016 APR 17 4:04:27 am by 東 賢太郎
モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」の第3楽章「ハレルヤ」をご記憶でしょうか?
モーツァルト モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」(K.165)
この冒頭部分の音はこうなってます。
青色部分(バス)、これをご自分で歌ってよく覚えておいてください。ハ長調に読むとド・ラ・ファ・ソ・ド(コードでC/Am/F/G/C)です。これはモーツァルトのシグナチャー・コード進行(僕の造語ですが「アマデウス・コード」と呼びましょう)であって、生涯にわたって使い続けたお気に入りなのです(「ハレルヤ」は17才の作品です)。覚えておけば彼の曲あちこちで、例えばリンツ交響曲で、ピアノ協奏曲第25番で、あっ、ここにもと発見があるでしょう。そうか、コ・シ・ファン・トゥ~~ッテ!これ、そのものですねって。モーツァルト鑑賞がますます楽しくなるでしょう?
さて、魔笛です。第1幕、第2幕、素晴らしいふたつのフィナーレの合唱をお聴きください。まず第1幕。
ハ長調で、絵にかいたようなド・ラ・ファ・ソ・ドが出てきたのお分かりですか(22秒からです)?
第2幕は主調の変ホ長調で、最後の最後に堂々と2回鳴り響きオペラを閉じるのです。
お分かりですね、2分21秒からです。17才の作品と同じコード進行が最晩年まで一本の芯として通っていたのです。ついでながらこれら両方とも曲尾のリズムはジュピター交響曲のおしまいと一緒じゃないですか。
(注1)「アマデウス・コード」を律儀に使っているのはベートーベンで、第3ピアノ協奏曲の終楽章コーダは魔笛よろしくこれを3回もくり返しています。第4交響曲の終楽章提示部にも3回くり返しがあります。そして、ハイドンは以前書いたように交響曲第98番第2楽章冒頭の英国国歌の引用のバスにわざわざアマデウス・コードをつけている!何と意味深長なことでしょう。
ハイドン交響曲第98番変ロ長調(さよならモーツァルト君)
(注2)モーツァルトのオペラはすべからく合唱で終わりますが、そこにアマデウス・コードが現れるのはドン・ジョヴァンニ(2回)、非常に印象的なのは「地獄落ちの場面」で化け物(彫像)の用事を「Parla, parla, ascoltando ti sto.(話せ、聞いてやろうじゃないか)」と一瞬だけ寛容をしめすセリフについている。モーツァルトの深層心理においてどういう気分のコードかを暗示する例です。「後宮」は序曲にでてきます。「羊飼いの王様」(k.208)のフィナーレ、劇的セレナータ 「シピオーネの夢」 (K.126)のフィナーレにも出てきます。
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モーツァルト「魔笛」断章(女の奸計に気をつけよ)
2016 APR 16 21:21:46 pm by 東 賢太郎
「もう7時15分前だから、急がなくては。馬車は7時に出るのだ。・・・ここにこうしていないで、お前と一緒にバーデンに居るのだったら、何を投げだしたって構わないくらいだ。きょう、まったくの退屈しのぎにオペラのアリアを一つ作った。」(ウィーン、1791年6月11日)
モーツァルトが急いでコンスタンツェへの手紙に書いたこの「アリア」は、魔笛の第2幕の二人の僧のデュエット(第11曲「女の奸計に気をつけよ」、Bewahret euch vor Weibertücken)であると考えるには十分理由がある(「魔笛-秘教オペラ-」ジャック・シャイエ著、白水社)。
これを、男ならわかる衝動で4時半に目覚めたと思われるモーツァルトは早朝の退屈まぎれに書いたのである。たった1分で終わってしまうこれは、しかし、僕が最も聞き耳を立てるアリアの一つであり、魔笛の稿をこれで始めることにしようという気になった。
ピアノスコアにするとこれだけのことである。

(女の奸計には気をつけろ・それが友愛の最初の責務である・多くの賢い男が女に欺かれ・迷い思いがけぬことになった・ついには見捨てられ・誠意は嘲笑を持って報いられ・身もだえすることになろう・死と絶望がその運命だ)
魔笛を語るにこのハ長調の平明な曲からどうこう言う人はまずいない。これに興奮している僕はおかしいのかなと思っていたら上掲書を読んで安心した。パリ生まれの作曲家でブーランジェの弟子のジャック・シャイエ(1910-99)はVergebens~(楽譜の第16,17小節のフォルテのところ)のホ長調に触れ、「感動的な転調」と書いている。まったく同感だ。
魔笛は秘教オペラかもしれないが、僕にとってはそういう考えても解明できないことよりも自分の耳と頭で理解できること、つまりこういう音、音楽の造りのほうがよほど面白い。シャイエは1885年に書かれた「和声学」教科書のこの種の「偽りの転調」への説明を引用し、「この種の現象に無知な古典的解釈では、ここに長三度への乱暴で規則を無視した転調を見るだろう」(同書より)としている。
この音楽が書かれてから94年も後世の学者が理解できず「無知で古典的」といわれてしまう革命的な転調を「退屈しのぎに」書いていた男、モーツァルト。200年にわたって世界のわけのわかってない多くの人たちが天才だといってきたから彼は天才なのではない。こうやってこつこつと微細だが本質的な事実(ファクト)を積み上げていって、その厖大な山を遠めに眺めてその巨大さに恐れおののいて、やっぱり天才だと感服するという感じの人である。そして魔笛というオペラはその山そのものだ。
「魔笛」を知らずに死ぬなら、それは人生の損失というものだろう。
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クルト・マズアの訃報
2015 DEC 21 1:01:46 am by 東 賢太郎
クルト・マズアさんが亡くなった。クラシックに熱中しはじめた高校時代におなじみの懐かしい名前だ。アズマの反対だけどスペルはMasuaで、ドイツ語ではSを濁ってズと読むことを初めて知った。クラスのクラシック仲間がふざけて僕をケント・マズアと呼んだが、さっき調べたら氏の息子さんはケン・マズアさんだった。
だからというわけじゃないが、彼のベートーベン交響曲第5番、9番(右)は僕が最初に買った記念すべき第九のレコードとなった。だからこれで第九を記憶したことになる。なぜこれにしたかは覚えてない。ひょっとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下LGO)に興味があったかもしれないが、2枚組で3600円と少し安かったのが真相という気もする。
感想は記録がなく不明だが、音は気に入ったと思われる。というのは第九を買った75年12月22日の4日後に同じマズア・LGOのシューマン交響曲第4番を購入しているからだ(右)。大学に入った75年はドイツ音楽を貪欲に吸収していた。5月病を克服した6月に買ったジョージ・セルの1,3番のLPでシューマンを覚え、4番にチャレンジしようと7月に買った同じLGOのコンヴィチュニー盤があまりピンとこなかったのだ。それはフォンタナ・レーベルの詰めこみすぎた冴えない録音のせいだったのだが・・・。ということはシューマン4番もマズアにお世話になったのだろう。
マズアはドイツ人にしてはモーツァルト、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、R・シュトラウス、マーラーのイメージがないのが不思議だ。モーツァルトはシュミットとのP協全集はまあまあ、ブルックナーは4番を持っているがいまひとつだ。東独のオケ事情、レコード会社との契約事情があったかと思われる。
そこで期待したのがブラームスだ。76年録音。ロンドンで盤質の最高に良い79年プレスの蘭フィリップス盤で全集(右)を入手できたのはよかったが、演奏がさっぱりでがっくりきたことだけをよく覚えている。4曲とも目録に記しているレーティングは「無印」だ。当時はまだ耳が子どもで激情型、劇場型のブラームスにくびったけだったからこの反応は仕方ない。とくに音質については当時持っていた安物のオーディオ装置の限界だったのだろうと思う。今年の4月現在の装置で聴きかえしてこう書いているからだ。
ところでここに「フランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった」と書いたが記憶違いだった。プログラム(左)を探したところ、1988年10月3日にロイヤル・フェスティバルホールであり、しかもオケはロンドン・フィルであったので訂正したい。ケント公エドワードご来臨コンサートで英国国歌が演奏されたようだが記憶にない。当時のロンドンでドイツ人指揮者というとテンシュテット、ヨッフム、サバリッシュぐらいでカラヤンが来たのが事件だった。そこに登場したマズアはきっと神々しく見えたんだろう、響きも重くドイツ流ですっかりドイツのファイルにメモリーが飛んでしまっていたようだ。この4年後に言葉もできないのに憧れのドイツに住めたのが今となっては信じ難い。
この記憶はこっちと混線したようだ。
94年8月28日、フランクフルトのアルテ・オーパー。これがマズア/LGOの生の音だったがこれよりもフィデリオの方がインパクトがあった。
マズアの録音で良いのはメンデルスゾーンとシューマンのSym全集だ。これはLGOというゆかりのオケに負うところもあるが低重心の重厚なサウンドで楽しめる。ブラームスもそうだが、細かいこと抜きにドイツの音に浸ろうという向きにはいい。ベートーベンSym全集はマズアの楽譜バージョン選択の是非と解釈の出来不出来があるが現代にこういうアプローチと音響はもう望めない。一聴の価値がある。
なにせLGOはモーツァルトやベートーベンの存命中からあるオーケストラなのであり、メンデルスゾーンは楽長だったのだ。61才までシェフとして君臨したコンヴィチュニーに比べ70年に43才で就任したマズアはメンゲルベルクと比較されたハイティンクと同じ境遇だったろうと推察する。若僧の「カブキ者」の解釈などオケが素直にのむはずもないのであって、正攻法でのぞむ。それが伝統だという唯一の許されたマーケティング。だからそこには当時のドイツ古典もの演奏の良識が詰まっているのである。
意外にいいのがチャイコフスキーSym全集で、カラヤン盤よりドイツ色濃厚のオケでやるとこうなるのかと目からうろこの名演だ。悲愴はすばらしく1-3番がちゃんと交響曲になっているのも括目だ。ドイツで買ったCDだがとびきり満足度が高い。そしてもうひとつ強力おすすめなのがブルッフSym全集で、シューマン2番の第1楽章などその例なのだが、LGOの内声部にわたって素朴で滋味あふれる音響が完璧に音楽にマッチして、特に最高である3番はこれでないと聴く気がしない。
エミール・ギレリス、ソビエト国立響のベートーベンP協全集は1番の稿に書いたとおりギレリスを聴く演奏ではあるが時々かけてしまう。お好きな方も多いだろう、不思議な磁力のある演奏だ。76年ごろのライブでこれがリアルタイムでFMで流れ、それをカセットに録って擦り切れるほど聴いていた自分がなつかしい。以上。ニューヨークに移ってからの録音が出てこないのは怠慢で聞いていないだけだ。
こうして振り返ると僕のドイツものレパートリー・ビルディングはLGO時代のマズアさんの演奏に大きく依存していたことがわかる。師のひとりといえる。初めて買った第九は、彼との出会いでもあった。75年12月22日のことだったが、それって明日じゃないか。40年も前のだけど。
心からご冥福をお祈りしたい。
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シベリウス 「アンダンテ・フェスティーヴォ」とフリーメイソン
2015 DEC 6 2:02:23 am by 東 賢太郎
この作品番号のない小曲をご存知の方は多いでしょう。シベリウス・プログラムのアンコールピースとしてフィンランディアと共に定番のひとつですね。
1922年に自宅近郊の製材所(Säynätsalo sawmills)の25周年記念祝賀会のために祝祭カンタータを委嘱されましたがシベリウスは Andante festivo という数ページの弦楽四重奏を書きました。この時まだ56才の彼はその後35年も生きるのですが、以前から書いてきた交響曲第6,7番を完成し、タピオラを書いたほかは抑うつ状態とアルコール依存で作曲ができなくなったのです。
まずはその弦楽四重奏版です。
この曲の素材はポヒョラの娘、第3交響曲を書いていたころ構想していたオラトリオ(Marjatta)に由来するという説もあり、1929年に姪の結婚式で2つの弦楽四重奏団の合同で演奏されており、そこで編曲された可能性も指摘されています。30年ごろから彼は重要な作品を作っていませんが、ラジオで自作の演奏を熱心に聴いていました。しかし当時のスピーカーの音の限界を察しており、ラジオ用には異なる作曲法が必要と考えていたようです。
そこにニューヨーク万博(1939年4月開幕)のための祝賀作品の委嘱が来ました。それは世界にラジオで放送されるため、彼はAndante festivo をラジオ用に異なる作曲法で編曲しました。それが現在広く流布している弦楽オーケストラにティンパニを付加したバージョンなのです。最後だけ使われるティンパニに、当時の乏しい音しか出なかった「ラジオ用」という意図が感じられるように思います。これがその版です。
どなたも容易に気づかれることと思いますがこのト長調の冒頭の旋律はドヴォルザークの新世界第4楽章そのものです(長調にしたもの)。
第2主題にはどこか郷愁を感じる長7度の和声(g-f#)が響きます(赤枠部分)。和声はレ・ファ#・ラ(ドミナント)に移行しますがバスはg(ソ)のまま(オスティナート)であるためです。
これは第2交響曲の冒頭、T-SD-Dと移行するDの部分の和声(A)とオスティナートバス(d)が衝突しておこる赤枠内のチェロパートのd-c#と同じものです。この長7度がどれほど自然の息吹と陰影を与えているかお分かりでしょうか。
第7交響曲終楽章の最後の感動的な和音はやはりドミナント(G)の和音にトニックのバス(c)が侵入してこの長7度を形成し、最後の最後に至ってソプラノ(h)がおごそかに半音上がってハ長調で曲を閉じます。シベリウスの作曲の奥義であり、Andante festivo が我々の心をゆさぶるにはわけがあるようです。
ただ、このスコアで僕が最も重要と思う部分はここです。2つ上の楽譜の青枠部分です。
これがモーツァルト「魔笛」の第2幕の僧侶たちの合唱「おお、イシスとオシリスの神よ」のコーダに出てくる特徴的な和声連結であることは魔笛を記憶されている方ならお気づきではないでしょうか。魔笛がフリーメイソンと関係があることは証明はできませんが可能性は高いと思われます。そしてシベリウスは確実にフリーメイソンであったのです。しかも入会日がわかっていて1922年8月18日、そして Andante festivo となった曲を注文されたのは同年のクリスマス前なのです。
しかもそれは25周年記念祝賀会のための「祝祭カンタータ」だった。モーツァルトが自作の作品目録に記した最後の作品がフリーメーソンのためのカンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」 (K.623)だったのにご注目ください。発注主のサイナトゥサロ製材所(Säynätsalo sawmills)がメイソンだったのではないかと想像したくなってしまいます。JS29という作品番号なしの作品に「The American Miller’s Song」(紛失)というのがあるのですが、ドヴォルザーク新世界を引用したのも気になります。
メイソンのメッセージが刻印された曲をニューヨーク万博に送ったとしたらシベリウスの意図は何だったのか?一篇のミステリーのようになってきました。この万博開催中の1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻、英仏がドイツに宣戦布告して第2次世界大戦が始まっているのもきな臭い。73才のシベリウス(写真)は39年のニューイヤーズ・イヴにこの曲を自ら指揮(フィンランド放送交響楽団)、1月1日に世界に向けてラジオ放送されました。それがこれであり、これはシベリウスが残した唯一の録音でもあります。
テンポはかなり遅めです。びっくりしたのはスコアによれば14小節目からクレッシェンドして f となり meno で弱くなると22小節目でもう一度 f になるのですが、シベリウスはこの2度目のフォルテを完全に無視してピアノのまま入っています。
ティンパニのトレモロに乗ってサブドミナントの光明をたたえたアーメン終止で終わるこの曲のもたらしてくれる安息感は忘れがたいのですが、僕には魔笛やアヴェ・ヴェルム・コルプスがかぶさって聞こえてくるのです。フリーメイソンが出てくるといかがわしく思われる方もおられるでしょうから書いておきますが、シベリウスの書いた117曲の作品の最後から5番目である作品113は「フリーメイソンのための典礼音楽 」です。
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マリナー/N響のブラームス4番を聴く
2015 NOV 26 0:00:30 am by 東 賢太郎
ベトナム出張まえからやや風邪ぎみで今朝はノドがガラガラで酷い声でした。帰国が火曜で一日つぶれたので仕事がたまってしまい、結局昼間は自宅で9時―15時は相場を見て、同時に電話とメールで大詰めに至って神経を使う案件を進めることに。
ところが気がつくとサントリーホールでN響の日でありました。迷いましたが、午後になって少しは体調も回復したしもったいなくもあり、出かけることになりました。そして着席してプログラムを見ると救われました。
指揮:ネヴィル・マリナー
ピアノ:ゲアハルト・オピッツ
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
ブラームス/交響曲 第4番 ホ短調 作品98
幸いでした、行って良かった。ピアノはもともとボザール・トリオのメナヘム・プレスラーがモーツァルトの17番を弾く予定だったようで、オピッツに替わって24番になったようです。結果的に短調のまま終わる2曲が、それも最も敬愛する2曲が並んでしまい、両曲とも終楽章が変奏曲というのも不思議なものでした。24番と4番、何か書きたいといつも思っているのですが、怖くてなかなか勇気が出ません。
オピッツはフランクフルト駐在時代にたくさん聴いたおなじみのピアニストです。ケンプの弟子で彼の美音とタッチは継いでますが、僕はベートーベンよりブラームスを評価しています。今日もアンコールに弾いた作品116の第4曲間奏曲は見事でした。
さて24番ですが、この曲はクラリネット入りでフルート以外の木管が2本、トランペットも2本という大編成ですが、旋律線を吹きそうなフルートだけ1本しかなくて副次的、装飾的な役しかなくモーツァルトの音色趣味を伺えます。第2楽章などこの「活躍しなささ」は例外的なほどと思います。
N響の木管は好演でした。大学時代からモーツァルトを教わったマリナーの指揮に注目しましたが、この曲にはややシンフォニックであり、CDになってるブレンデル盤もモラヴェッツ盤も終楽章が速めです。91才の彼がどうなっているか、興味があったのです。
第1,2変奏はCDよりやや遅い。これはいいぞと期待したら、なんとオピッツがオケよりもかなり速めのテンポで第3変奏を弾きはじめました。これはないだろう、びっくりだ。そこからはオピッツのテンポになり、この速度ではどうあがいてもモーツァルトがわざわざハ短調で曲を閉じてまでコーダに込めた重要なメッセージが言い切れません。マリナーが納得してたのか知りませんが、ただの快適なピアノコンチェルトになってしまいました。
オピッツがそう読んでいるということですが、この解釈には全く賛同できません。師匠のケンプはそういう妙なことはしていない。それどころかライトナーの指揮もピアノと波長が合っていて含蓄のある伴奏をしておりオケの音色もうまく録音されていて、ケンプ盤はお薦めできるもののひとつです。
最後のブラームス4番は名演でした。マリナーのブラームス、シューマンは時々家で聴きます。ことさらテンポを煽るでもなく、こってりと歌うでもなく、趣味の良い中庸の美に終始しますがブラームスのスコアはそれでうまく鳴るようにできていて、近頃はこういうのが好みです。第1楽章は全12音の長短調和音がちりばめられており、リズムは精巧に組み立てられており、終楽章冒頭の音を割るホルン、くぐもった低音部にまで下がるソロフルートなど音色の工夫にも満ちている。
つまり立派なスコアなんだから余計なことをしてくれなくてもいいよという気分です。もう40年もかけてなん百種類も聴いてきて、ごてごて意匠を尽くしたり張りきって悲劇性を盛り上げたりする演出には僕はあきあきしているのです。異様に頑張っていたブロムシュテットのように老境の情熱をブラームスの老いらくに託さない趣味が大変結構です。マリナーは昔からそういう誇張をしない傾向の人でしたが、ドイツものに本領発揮できる老い方をしましたね。彼のブラームス、ひょっとしてこれが最後かもしれないがいい4番を聴けて幸せでした。
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クラシック徒然草-僕の東欧好きについて-
2015 NOV 7 2:02:55 am by 東 賢太郎
美猫のコンテストをTVで娘が見ていてたしかに可愛いのですが、多少不細工でも自分の猫の方がもっと可愛いと思うのです(うちのは負けてませんが)。ところがライオンとなるとそうはいきません、どうしてもTVで見るしかない。これは音楽も同じでして、カラオケもピアノやチェロもへたでも自分でやった方が面白いが、オペラやオーケストラだとそうはいきません。どうしてもオーディオで聴くしかないのです。
音楽がネット配信で「コンテンツ化」して久しく、youtubeでは無料で聴けるようになりました。何物でも供給量が増えれば価値は希薄化(dilute)します。このような経済現象をコモディティー化(commoditization)といいます。そうなるとライブの価値は見直されますが、逆にHarry Saito氏が嘆くようにかつての名盤が13枚で3000円で売られたりもする。「バナナのたたき売り」なんていってました、こういうの。子供のころ台湾バナナは高級品だったので不思議でした。まあこれがコモディティー化ですね。
CDはもはやコモディティーであって、タダで配る販促ツールであって、ライブに来てもらって儲けるというのが音楽界の常識になったそうです。しかしクラシックの場合、演奏家は故人のことも多くそうもいきません。だからレーベルはどんどん経営破たんしてユニバーサル社に集約されてしまったのです。僕のように演奏はもちろんレーベルの音の差まで聴きたい(appreciateする)オタクは受難の時代を迎えています。世界中のハンバーガーが全部マックになったようなもので、さびしいものです。
この現象は実は1990年頃から始まっていて、CDがLPを駆逐したのとベルリンの壁崩壊でグローバリズムが蔓延したのとがダブルパンチで東欧を見舞い、ドレスデンやチェコの古雅なオーケストラの音がだんだん西欧化しはじめました。西側の聴衆の好み、つまりベルリン・フィルやシカゴ交響楽団のようなヴィルトゥオーゾ・オーケストラの音にだんだん似てきてしまったのです。市場は資本主義の西側にありますから、売るためにはそうすべきと指揮者も録音ディレクターも靡いて行ったのではないでしょうか。これはドレスデン・シュターツカペレのシューマン交響曲全集(サバリッシュ)、R・シュトラウス全集(ケンペ)、スイトナーのフィガロの結婚を聴けばわかります。このオケはもうこんな音はしません。
先日、ワルシャワ室内オペラのモーツァルトを僕が絶賛したのはこういう背景があるからです。旧西側にくらべ技術的にはやや劣るのですが、薄れたとはいえまだここのオケは東欧の古雅で素朴な味わいをほんのりと残しているのです。きっちり精巧に磨かれた、もぎたてのレモンみたいなモーツァルトが一流とされ、確かにそれは耳のご馳走であることに何ら異論はないのですが、屋久島の香りの強い野草をあえたフレンチみたいなワルシャワの素朴なモーツァルトは魅力があり、むしろそっちのほうが本家本元であるはずなのです。
10月7日にサントリーホールでウィーン・フィルをエッシェンバッハで聴いて、ブログにするのを忘れてましたが、しかしさすがにこのオーケストラはグローバリズムの洗礼をかいくぐって音を変えてません。元々チェコ、ハンガリー系の団員が多く東欧の色合いもありそれが残っている。奏法は全員が音楽院で直伝されており楽器もウィーン式のままです。40,41番の交響曲がモーツァルトの耳にああ聞こえたことはないだろうが(ピッチも高い)、カラヤンが振ってもベームが振っても変わらなかった伝統の音と流儀で今も弾いているというのは歌舞伎界で玉三郎が、人間は変わっても4代目、5代目と芸を引き継ぐのに似ていないでしょうか?
クラシック音楽にもそういう伝統芸能の側面は大いに在って、古楽では昔の楽器で演奏してみようという試みになったりもしています。しかし楽器の進化、変遷を遡って蘇生するという即物的な行為ではなく、求める音色や演奏流儀を保存するという行為はむしろ文化の領域に属します。興味本位の実験ではなく、趣味、テーストの持続です。僕にとって東欧の音というのは小肌や穴子にこだわった伝統の江戸前鮨のようなもので、売らんかなのチェーン店や回転すし屋になっては絶対に困るのです。
それもCDで聴くより(なるべくアナログ録音を)LPで聴く方がずっと良い。音響メディアの差というのも実に大きいのです。ワルターのモーツァルトやレヘル指揮のフンガロトン盤ブラームス交響曲全集のLPを見つけて狂喜してブログにしたのはそういうことです。最近SACDやブルースペックCDが高音質をはやしています。確かに細部はよく拾っていてアンビエンス (ambience、そこにいるかのような雰囲気、実在感、遠近感)は出ますがこれも音楽的価値とは必ずしも相関的とはいえなかったハイファイ、HiFi(High Fidelity)の一種であって、必ずしも楽音の音質に関わるものではなく、いろいろ買って比較しましたがCDよりむしろ僕の嫌いな音になっているものさえありました。
ライオンを家で飼えないように管弦楽はオーディオに頼るしかない。だから録音メディアのお世話になるしかないのです。メディアは資本家ですから利潤で動き、それが新たなテーストを醸成して文化を変えてしまう。人間もいずれ変わってPCのデジタル音が好き、駅の発車メロディーになったモーツァルトが好きという人が出てくるのかもしれません。それを僕に止める力はないのでせいぜいクラシック音楽の江戸前鮨をアピールして聴いていただくしかないですね。名演、爆演、奇演などというカテゴリーは僕には無縁であって、あくまで50余年聴いて醸成してきた自分の趣味とテーストに忠実に、徹底してこだわりたいと思います。
(追記)
スイトナー / ドレスデン・シュターツカペレの「フィガロの結婚」です。圧倒的に素晴らしい!なんじゃこれ、ドイツ語じゃんというなかれ、そんなことはすぐ忘れますよ。これ、きき始めると止まらない。モーツァルトはこうじゃなくっちゃ!
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モーツァルト オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」(K.588)(Mozart: Cosi Fan Tutte)
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クラシック音楽はこういうもの
2015 OCT 19 2:02:43 am by 東 賢太郎
とてもヨーロッパらしいビデオです。ご紹介したポーランド国立ワルシャワ室歌劇場の歌手たちが大道で魔笛のアリアを歌っております。たぶんポーランド語と思われますが、モーツァルトが完全にオラが音楽になってますね。初めがパ・パ・パです。
次が夜の女王。
ドイツでこういうのは見ませんでしたが、ぜんぜん違和感ないですね、ヨーロッパはこんなもんです。男性がアンドレイ・クリムチャック、女性がタチアナ・ヘンペルで今回も来日してました。別に超人的な歌手たちではありませんがいかにも自然にモーツァルトになっていて、この人肌感がなんともいえません。クリムチャックは前回のドン・ジョヴァンニが素晴らしく今回なかったのは残念でしたが次のビデオでそれが聴くことができます。2人のヴァイオリンとヴィオラは今回の来日のオケメンバーに名前がある人です。特にうまくはないんですが、でも音楽になってしまう。
この室内楽編成のアリアというのがまたよろしいですね。モーツァルトの時代に貴族の館でやっていたのはどんなだったんだろうと思ってましたが、ついにそれらしいのを見つけました。きっとこうだったでしょう。これでもちゃんとしたオペラ空間になってるし、やる方も聞く方も楽しんじゃってますからね、もう部屋の空気が音楽の喜びに満ちてます。巨匠の名演がどうしたとか、そういうことはもうどうでもいいですね。やっぱり音楽は「するもの」であって、こうして身近に楽しむものだと思います。こういうのをどんどんきいて気軽に楽しめるマインドになってくると、モーツァルトはがぜん心に入るようになりますよ。これが蕎麦屋でいえば「もりそば」なんですから。これで覚えて気にいったらカラヤンやショルティの豪華キャストのCDで「天ぷらそば」食べてみて下さい。5万円も払っておすましして聴くなんてそんなアホなと思いますが、ふところに余裕がある方はウィーン国立歌劇場の来日公演なんかでも行ってみて下さい。とにかく、この歌劇団が来日してくれるのは天の恵みです。
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ワルシャワ室内歌劇場の「フィガロの結婚」への一考察
2015 OCT 18 1:01:30 am by 東 賢太郎
今日は先日の魔笛をきいたワルシャワ室内歌劇場の「フィガロの結婚」でした。場所はオーチャードホール、席は1回中央25列目でした。
魔笛もそうでしたが、ヨーロッパの地方オペラハウスの普段着の演奏という風情であり、コマーシャリズムの毒に染まってないモーツァルトを聴けるのは心からの喜びであります。クラシック音楽の本当の喜びは音楽、楽譜に詰まっているのであって、スター歌手やヴィルトゥオーゾ・ピアニストのお出ましを願わなくとも充分です。
妙な例えにはなりますが、蕎麦通によると蕎麦屋は「もり」で味がわかるそうです。もりがだめなら何を食べてもだめ。ところが蕎麦屋の経営側からすると、もりだけではやっていけず「天ぷらそば」や「なべやきうどん」を食べてもらいたい。つまりトッピングで利益が出るのです。これがクラシック音楽の現状をわかりやすく示唆しているということをご説明します。
現代の蕎麦屋は大変な矛盾をかかえています。
人口一人あたりでいうと、蕎麦屋の数は江戸時代の江戸には今の東京の10倍もありました。国民的ファストフードであって、安くておいしい「もり」と「かけ」を主食のように毎日食べる人が多くいたので薄利でも経営がなりたっていたと思われます。江戸前の鮨も当時は同じく安価なファストフードであったのですが、ネタに付加価値を見つけて現代では3万円も取ったりする。蕎麦はそれができないのです。
現代の蕎麦は主食でも国民食でもなく、好きなほうである僕も週に1,2度蕎麦屋ののれんをくぐるかどうか、そして注文はもりと玉子と冷酒ぐらいでせいぜい単価は2千円です。これだけ客数が減って単価を上げないと経営にはならないにもかかわらず。つまり蕎麦通はちっとも儲けさせてくれず、蕎麦の味のわからない人をトッピングでたくさん呼び込まないとつぶれてしまうのです。しかし肝心の蕎麦に舌鼓を打たない客はリピーターにはなりにくい。そうして、その結果として蕎麦屋が減って困っているのは蕎麦好きの人たちなのです。
クラシックの世界でいいますと、カラヤン、バーンスタイン、カラス、ドミンゴ、ホロヴィッツらの巨匠たちは申し分ないトッピングとしてレコード産業が演出した「名演奏家の時代」を飾ったのであり、フルトヴェングラーはその時代には間に合わなかったが、時がたつほど味がでる(とされる)ヴィンテージワインなのだとしてトッピング(いや天ぷら)の付加価値を高めることに使われたのでした。
クラシック音楽産業はいま完全に蕎麦屋のジレンマに瀕しています。ワルシャワ歌劇場のモーツァルトは通に本源的な音楽の喜びを与えてくれるに不足はありません。立派な老舗の蕎麦屋なのですが天ぷらやなべやきは供さない。素人にはそっけないもりそばだけと思われてしまう。誰もそう宣伝しないからです。
メットやスカラ座が引っ越し公演で来日すると豪華で著名なキャストにゴージャスな舞台と演出、そして御用評論家の美辞麗句でハレの華やぎが演出されます。同じフィガロなのに、ワルシャワのS席1万5千円がメットなら5万円で売れる。差額の3万5千円で食ってる人がたくさんいるということです。喜びの源はモーツァルトのスコアなのに!
この関係がもりそばと天ぷらそばの関係でなくてなんでしょう?ワルシャワの歌手たちは確かに技術も華も超一流ではないが、なんら不足のない演奏を聴かせてくれる。それがどうしたというんだろう?天ぷらが食いたいならミュージカルや宝塚など、いくらもある天ぷら屋に行けばいいのです。
どうしてそうなるかというと、旧東欧圏はペレストロイカ後も西欧の生活水準には追いつけていません。ベルリンの壁がなくなったといっても西の人間が特に東に住みたいということはない。ポーランドがGDPで欧州上位に登るということはなく、たぶん今後もないでしょう。
だから東欧の音楽家やオペラハウスはコストをかけずに呼べるという構図が背景にあります。トッピングにカネをかけないもりそばだから舞台は簡素だしスター歌手もいない。しかし、そんなものはなくともモーツァルトの音楽は光り輝くのです。
その良さを愛でられる人が「通」だというのも妙なことで、それがなければ音楽の喜びなどそもそもないのであって、妙な権威主義的音楽教育と、トッピングに利益を見出した英米の音楽産業マフィアの戦略で作曲家の偉業をだしに金儲けする輩が音楽鑑賞の本質をゆがめてしまった。音楽好きには由々しきことが起きているのです。
NAXOSという香港のレーベルが廉価で比較的良質なCDを販売し始めたのが90年代前半で、トッピングの見せかけの付加価値で利益を食んでいたメジャーレーベルの売上が激減を始めました。これは当たり前に良い音楽を当たり前の価格で津々浦々に送り届けるという革命で、音楽にとってはプラスの事態でした。
ところがそのNAXOSもレアなレパートリー供給で企業として延命しましたが、すでに飽和感が出ている。なぜならネットの無料音源配信の勃興には勝ちようがないからです。それはそれで悪いことではなく、さらに音楽が広まって真の音楽好きが増えるはずなのですが、世の中は理屈通りに動きません。タダのものは所詮タダなりの価値しかなく、駅で流れる発車メロディ程度の扱いで馬耳東風に聞き流せばよいという位置づけになってきているのかもしれません。
ワルシャワ室内歌劇場は音楽好きにはこたえられない珠玉の存在であって、これの良さが値段が安いだけでは世も末です。このまま時代が進めば真の音楽好きは減っていくでしょう。これは日本だけではない。ドイツですら劇場は年寄りが目立ったし、若年層がどれだけクラシックに金を使ってくれるかという観点でいうなら日本と同じく危機的です。メジャーなレコードレーベルはみなユニバーサルに買われてしまったし、クラシック専門誌の経営は破たんしつつあり、とどのつまりは音楽家の生活にだってひびいてくる。演奏家のインセンティブやクオリティが下がれば、我々はいいモーツァルトが聴けなくなるのです。
これはトッピングに利益を見出した英米の音楽産業マフィアのまいた悪しき種であり、「名演奏家の演奏でなければ価値がない」と洗脳されてしまった聴衆が真の音楽を聴く耳を放棄してしまった結果なのです。「名演奏家の時代」を飾った名演奏家がみな死んでしまい、次世代を生み出そうにもネットの無料演奏でいいやという聴衆を洗脳して高い入場料やCDを買わせようという戦略がワークしなくなったのです。それを喜んで買ってくれるのはウィーンフィルやスカラ座を三ッ星のフレンチレストランと同じ基準で考える人たちばかりになりつつあります。
僕が音楽ブログを書く原動力は、何度も申しましたが、音楽の価値はトッピングにあるのではなく、作曲家の書いた楽譜にあるのだということを分かって下さる人を増やしたいから、それだけです。それは演奏家の才能や努力を軽視することではなく、そういう聴衆が増えてこそ演奏家の真の価値も正しく認識されるのです。そして、それこそ音楽産業も繁栄できる道なのです。聴衆こそが彼らの唯一の顧客なのですから。
ということでコンサート評からだいぶそれてしまいましたが、今日も充分に楽しませてもらいました。ちなみに今回の指揮者ルペン・シルヴァは06年来日時に後宮、魔笛、レクイエムを振って堪能させてくれたのは忘れません。帰りに上野駅でドン・ジョバンニを熱演してくれたクリムチャックら歌手の一行が山手線に乗ってきて、ひとしきりがやがやとやって池袋で降りていった。この庶民性もなんとも好きになりましたね。
これがご当地ワルシャワの劇場です。何千人も客を呼んで儲けようなどという商魂とは無縁なサイズの劇場。くだらない自己顕示に満ちた現代風演出など目もくれないオリジナルで古典的なステージ、ワーグナー時代のステージ下のオーケストラピット、心から楽曲を楽しんでいる聴衆。これぞヨーロッパのまことの音楽原風景であり、資本主義に芯までは毒されていない東欧にこそ古き良きものが残っているのです。
別に押し売りする気はありません。これは質素すぎてもの足りない、やっぱりメットやスカラのゴージャスさが好きという方もおられるでしょう。それは出し物にもよるし、僕がイタリア物を好まないのもあるでしょう。しかし、そうではあっても、モーツァルトの喜びを知らないで音楽を聴くというのも寂しいものだと思います。だから、本稿で縷々述べてきたことですが、現在の音楽界の危機的状況には自分なりに何かできないかと強く思っております。
僕にできることはブログで一切の虚飾なく、 クラシック音楽の虚構をぶち壊そう の精神で、自分の耳で聴いたものを忠実にわかりやすく文字にしてお伝えするのみです。音楽界の誰とも利害関係はありませんから、良い物は良い、だめなものはだめとストレートに書くのみです。僕が50年楽しんできてこういうものと思っているクラシック音楽がどういうものなのか自分では評価できませんが、少なくとも僕にとって良い音楽はどういうものであるか、それだけでもお伝えできれば何かしたことにはなろう、勝手ですがそう思っております。
(追記、16年1月23日)
ピアニストでもそういうことがあります。オルガ・ルシナ(Olga Rusina、1955—2013)という素晴らしいロシア-ポーランドの女流を僕はyoutubeで知ったのですが、なんと英語情報が皆無なのですね。彼女は教職にあったためメジャーレーベルのアンテナから漏れたのでしょうか、「西側」(もはや古語だが)に知られぬままでした。ワルシャワ室内歌劇場と似た立ち位置にあったわけですが、本当に上質の演奏家です。
誰でも知ってる「乙女の祈り」です。ポーランドの女流作曲家テクラ・バダジェフスカの作品ですが、このなんのことない旋律と左手のテンポ・ルバート!ショパンが右手は(ルバートしても)いいが左手はするなと言ったお手本がここにあります。
ショパンのアンダンテ・スピナート(作品22)です。澄んだ秋空のような右手が実に素晴らしい。彼女のショパンは座右に置きたいです。
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