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ストラヴィンスキー「春の祭典」(マゼール追悼)

2014 JUL 21 13:13:17 pm by 東 賢太郎

rite写真のマゼール / ウィーン・フィル盤は僕が買った10枚目の春の祭典LP(英Decca盤)である。大学2年の1976年12月18日のことだった。その前の9枚はというと順番に、①ブーレーズ(CBS日本盤)②マルケヴィッチ③メータ(LAPO)④小澤⑤ショルティ⑥ブーレーズ(ORTF)⑦バーンスタイン⑧アバド⑨ブーレーズ(①の米国盤)であった。①購入は72年だからこの曲とは42年の付合いになる。

読者にはどうでもいいことで申しわけないが「自分史」として書いておくと、この後も⑪ドラティ(ミネアポリス)⑫ハイティンク⑬スヴェトラノフ⑭デイヴィス(カセット)⑮M.T.トーマス⑯カラヤン⑰グーセンス⑱ホーレンシュタイン⑲M.T.トーマス(pf連弾)⑳ムーティ㉑ラインスドルフと来て、アメリカでは㉒ストコフスキー、カセットで㉓メータ(NYPO)㉔スクロヴァチェフスキー、そしてロンドンで㉕デュトワ㉖アタミアン(pf)㉗マータ㉘フリッチャイ㉙オッテルロー㉚ドラティ(DSO)㉛アンセルメ㉜ストラヴィンスキー㉝モントゥー㉞コシュラー㉟スワロフスキーとなる。以下CD時代に入り、それを加えると87になる。いずれその各々につきコメントを試み、最近増えているらしい「祭典フリーク」の方々の一興と成そう。

こうして書いてみると、この異演盤購入記録は正に半世紀にわたる自分史であり、こういうことをすることもそのデータをいちいち微細に記録・分類・管理していることも、僕が何者かをこれ以上雄弁に物語るものはないという気がしてくる。しかし春の祭典だってもう最近の新譜を聞きまくる冒険心はない。異演盤収集は30歳代で「終わったこと」だ。だからこれは僕の若気の至りの記録でもある。恋愛やはしか・風疹のたぐいであって、還暦になって金も閑もあるぞさあという性質のものではない。

ワインのムートンなどを年代順に収集して、当たり年ではない故にレア物のカンチャン(足りない年)を何十万円も払って買う人がいるが、僕はそういう「コレクター」ではない。コレクターは収集が目的であってワインテースターとはちがう。僕はテースターであって、聴きたいから買った結果が積もり積もってこうなっただけである。また、テースターというと温度、湿度はもちろんグラスのまわし方の微細な角度と回数にまで凝りまくる人がいるが、音楽鑑賞ではそれがオーディオマニアである。僕はそれでもなく、あえていえばソムリエに近いと思う。

思えばこれは小学校時分に近所の子と勝負してメンコを大量に保有していたことの延長である。メンコは友達の持っていた伊賀の影丸の丸メンを狙って日夜投法を研究した。どうしてかというとメンコの絵はへたくそで影丸らしくない。ところがその丸メンだけは結構リアル感があり、どうしても欲しかったのだ。そうして遂に入手したそれを日夜眺めては勝利の余韻に浸った。①のブーレーズのCBS盤などは今やそれに近い。カセットまで入れて6種類持っており、どれも微妙に音が違っていてどれをかけてもワクワクする。宝物である。そうしてもうひとつぐらいこういうのがあるだろうと探して探して87になってしまった。結局、ひとつもないということがわかったが。

さて、そのマゼール盤だが、ウィーン・フィル(以下VPO)初の春の祭典ということで発売当時大いに話題になったのを昨日のように思い出す。75年録音、76年発売だから早々に買ったことになる。カネのなかった当時、あえて高額のイギリス盤に投資したのはVPOの音を入念に聴きたかったからだ。ところがVPOはオーボエ、トランペットがややたどたどしいものの充分うまく、「オボコさ」を期待したのに裏切られた気もした。それでも、第1部はこってりした木質の響きがソフィエンザールの残響に溶け込み、金ピカに飛び出さない金管、皮革で音程の明瞭なティンパニが実に奥ゆかしく、料理でいえば「いいダシが出ているぞ」とうれしくなった。

ところが「春のロンド」のブラスの咆哮のテンポがガクッと落ちてがっかりする。ダシがいいんだからこういう余計なアクを出さずにやれよと。そしてとうとう極めつけの第2部のティンパニ11連打だ。ここに至るともう許しがたい。これを褒めている評論家もいるが、こんなものは曲の本質に何の関係もない三文芝居である。何かデフォルメしないと個性の刻印ができないのは一流アーティストとはいえない。この頃から90年代にかけて、マゼールは才気が先走ってそう評されて仕方ない音楽をやっていたと思う。だから実演にもあまり感動しなかったのだろう。

しかし、シベリウス4番の稿の論旨に戻るが、細部に注意を払うとやはりVPOの奏者は祭典に慣れていない。「生贄の踊り」のトランペットなど音符をちゃんと吹けてすらいない。そういうオケなのに11連打以降の生気ある音楽、リズムのシャープさ、エッジの立て方、マスの質量感の出し方など凄いなあと思う。彼の棒がそうでなくてはこういう音は出ない。半端でない理性と運動神経がオケの「おぼこさ」を中和していることに気づく。全体にたちこめるピッと張りつめた緊張感はVPOを本気にさせている証拠だ。ネコにチンチンをさせている観なきにしもあらずだが、良くも悪くもこのオケにこういう芸をさせることができる米国人は彼以外に誰もいないし、今後も出ないのではないだろうか。

前回、ティンパニのミスの話を書いた。しかしあんなものは可愛いものであり、春の祭典の演奏がどれほど難しいかということまでを教えてくれる映像がある。ズビン・メータ指揮ローマ放送交響楽団の69年のライブである。

これだけいい加減な春の祭典というのも希少である。笑ってはいけない。前半だけでも、トランペットが一音符遅れて入りちゃんと吹ききる、フルートが一小節ずれてちゃんと吹ききる、クラのトリルが抜ける、ティンパニが一拍早い、オーボエが一小節早い・・・少なくとも5か所の尋常でない「事故」がある。後半もペットが落っこち、ティンパニはズレまくる。圧巻はコーダに入る所でティンパニが一小節飛ばして入り、気がついて立て直したつもりがひきつづき間違った音をバンバン叩き続けるためついにアンサンブルが崩壊。止まりかけの緊急事態となるがホルンと木管が何とかつないでティンパニは落ちたまま終わる。歌劇場ではミスに情け容赦のないローマの聴衆がブーのひとつもなく大喝采、スタンディング・オベーション。なんとも微笑ましい。

若きメータは格好はいいが、まるでダンサーが指揮しているようだ。これと同じ69年に①を録音したブーレーズとはまったく別な人というしかない。このローマのオケは決して二流というわけではないが、イタリアオペラにこんな変拍子は出てこないのだからもっと練習で鍛えて緻密な指揮をするべきだった。同じくピットのオケで変拍子に慣れていないVPOを完ぺきに調教したマゼールは、やはりすごいと思う。

 

 

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シベリウス 交響曲第4番イ短調作品63

2014 JUL 20 19:19:52 pm by 東 賢太郎

音楽は時としてすぐれた解釈者を必要とする。

シベリウスの4番という交響曲はもっとも聴き手にも時代にも妥協なく書かれた音楽だろう。1908年、喉に腫瘍ができたシベリウスは5月に手術を受けた。しかし医師はさらに専門医の診察を受けるよう勧め、再度6月に手術を行った。死を意識したであろう。 その時に書かれたのがこの4番である。

つい先日のブログで北ハイランドのBroraというシングルモルトをご紹介した。僕の中で、実はこのスコッチこそシベリウスの4番の味がするのだ。人の五感を慰撫する女性的なものとは隔絶した極北の孤独のあったかみである。シベリウスが愛してやまなかった酒と葉巻のにおいがする。女性には申しわけないがたぶん男、それも子供ではなく人生の酸いも甘いもかみ分けた熟年のおやじにしかわからないだろう「苦みと渋みの悦楽」なのである。

sibelius4子供であった僕にこの曲は難しすぎた。これの味を覚えたのはロンドン時代も末になった89年頃、やっと34、5歳の声をきいたあたりのことである。当時、LPからCDへのフォーマットの移行でOxford streetのレコード屋(HMV)がLPを投げ売りしていた。そこで3.99ポンド(当時千円ほど)で買ったのがこれで、この演奏が神の啓示のように4番のすべてに光を当てて見せてくれたのである。

非常に驚くべきことだが、この演奏は60年代のウィーン・フィルによるものである。これは今もってこの名門の唯一のシベリウス全集であり、この時点で4番を弾きなれていたとは到底思えない。ところがこの精緻な表情はどうだ。第1楽章のうねるような弦、第3楽章の木管のニュアンスの豊かなこと。終楽章の冒頭、弦のアンサンブルは磨き抜かれ、初めてこれがVPOであることを思い出させ、それが調性感豊かな曲想であることもわかる。慣れていないオケがここまで楽想を消化しきったフレージングとバランスで鳴るのは驚異といっていい。同じく若手でVPOを振ったケルテスやシャイーの新世界やチャイコフスキー5番とは次元の違った偉業というしかない。

オケに緊張感がみなぎり聴き手に安易な聞き流しを許容しないこの交響曲で、マゼール盤の終楽章に軽やかに響くグロッケンシュピール(鉄琴)の涼やかな銀色の音色は印象に残る。だからオーマンディ盤、デーヴィス盤で中間部の二分音符でチューブラーベルが鳴るのはびっくりした。2オクターヴ高い鉄琴とは似ても似つかない鐘(NHKのど自慢のあれ)である。ただシベリウスに会ったオーマンディーはベルだと言われたらしい。セルのライブは初めの音符から「ベル」を重ねている。さすがだ。

当時仕事でひどい苦難に見舞われていた僕は宇宙の全ての事物の中でこの音楽に唯一の安息の場を見つけることができ、暗がりの中でこのLPをかけて光明を見いだすという日々を送った。真剣に会社を去ることを考えた。音楽にも適材適所があるのであり、そんなときはモーツァルトもラヴェルも無力で邪魔なだけだという意外なことを知った。今でもこれを聴くと当時のロンドンの薄暗くて低い雲間の驟雨を思い出す。それはもはや嫌な記憶ではなく、傷だらけになりながらも何か絶壁のように切りたった崖を登り越えたという抽象的なメモリーに風化している。一音一音が脳裏に焼き付いているこのマゼールの4番は僕の精神史の巨大なモニュメントである。

(こちらへどうぞ)

シベリウス 交響曲第5番 変ホ長調 作品82

 

 

 

 

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ロリン・マゼールの訃報

2014 JUL 20 11:11:06 am by 東 賢太郎

ロリン・マゼールは82歳だった2年前の10月にN響を初めて振った。チャイコフスキー 組曲第3番、グラズノフ ヴァイオリン協奏曲イ短調Op82(ヴァイオリン、ライナー・キュッヒル)、スクリャービン交響曲第4番「法悦の詩」というAプロを聴いたが、まだまだお元気で「法悦」の磨かれたブリリアントな音響は見事であった。良くも悪くも、彼の棒は円熟も老化もしないものなのだというのがその時の率直な印象だ。84歳での急逝にはとても驚き、残念でならない。

僕の持っているLP,CDの中で彼の指揮のものはすぐに思い出せないぐらいある。欧米で聴いた実演だって全部を言えるかどうか。ひょっとして最も聴いた指揮者のひとりかもしれない。

フィラデルフィアにいた84年3月25日、フランス国立管弦楽団を率いてアカデミー・オブ・ミュージックで彼が振ったストラヴィンスキー「火の鳥」とラヴェル「ダフニスとクロエ」。両方とも大好き、しかもフランスのオケ(米国のに食傷気味)、それも2日にわけではない同日に、しかも両方とも全曲版(!)ときた。これは日本食に飢えた僕に「菊川のうな重の特上」と「今半の特上すき焼き御前」が同時に出てきてしまうようなものだった。狂喜なんてものではない。

あれはフィラデルフィアの2年間が終わるころであった。ムーティはあまりドイツロマン派、フランス印象派をやってくれず、しかもあの残響の極度に乏しいホールのせいだろうかばりばりと元気のよいマッチョな演奏ばかりでうんざりしていたところだ。だからそこにやってきてくれたマゼールとオイゲン・ヨッフム(バンベルグSO)は天使のごとくであり、フランスのオケのダフニス、ドイツのオケのベートーベンは砂漠の湧水のごとく五臓六腑にしみわたった。だからだろう、この84年にロンドンに赴任してからも僕はこの2人の指揮者をおっかけみたいによく聴いているのである。

まずこの2曲は火の鳥をウィーン・フィルとロンドンで妻と(翌年3月30日、1919年版)、ダフニスをザルツブルグ音楽祭でこれもウィーン・フィルで母と聴いた(96年8月18日)。だからこの2曲の印象がますます強い。そのロンドンでのブラームス交響曲1番は今一つだったが、ザルツブルグでF.Pツィマーマン独奏のベートーベンVn協奏曲は名演だった。このあとアンコールで小太鼓が出てきて最高のJ・シュトラウスに。母にあれを聴かせてあげられてよかった。

ベートーベンは、ロンドンでたしかオイゲン・ヨッフムのピンチヒッターで振った(これも2人の奇縁だ)ベートーベンの交響曲4番と9番(85年、フィルハーモニア)、これは第9でティンパニが第2楽章の入りを間違えたぐらいしか覚えていない。フランクフルトで7番(95年、バイエルン放送SO)は、全然記憶にない。どうも彼のテンポやあざといフレージングが鼻についてきていたと思われる。

ブラームスはヴィースバーデンで確か4番とドッペルを聴いたはずだが、ホールの音が聴きたかったという動機の方が強く、演奏は期待したほどではなかったのだろう、オケ(たしかユンゲ・ドイッチェ?)も日にちも記録すらしてない。非常に良かったのはR・シュトラウスで、85年ロンドンでブラ1の前にやった「ドン・ファン」、それと「ティル」(94年、バイエルン放送SO)は名演だったが、「ティル」でティンパニ奏者が撥を飛ばすアクシデントがあった。

打楽器奏者の失策なんて出会ったのは人生で3回しかないが、うち2回がマゼール指揮だ。特に世界のメジャー級オケでそんなことが起こることが信じ難い。彼の指揮はこれ以上ないほど明確、明晰であって不思議なことだが、ビデオの彼の指揮を見ると全部見抜かれているようで金縛りになりそうな眼だ。空想だがリハーサルでぎゅうぎゅう絞られたあげくちょっとでも乗り遅れるとすごく落っこちる感じになる棒なのかもしれない。

マゼールが天才だと思ったのは実演ではなくLPで聴いたウィーン・フィルとのシベリウス全集と、ベルリン・フィルとのメンデルスゾーンの「イタリア」だ(______メンデルスゾーン (2)  )。だからそのイタリア交響曲をウィーン・フィルとやるというので駆けつけた94年フランクフルトのアルテ・オーパーはちょっと期待があった。しかしだ。それも後半のマーラー「巨人」もいまひとつだった。ウィーン・フィルなのに・・・。どうもこの頃の彼の指揮はくどく感じられ、音楽にひたれなかったのである。

11歳でニューヨーク・フィルを振ってヴァイオリンと指揮の神童と騒がれた彼はピッツバーグ大学で哲学と語学を専攻し、5、6か国語を自在に操り、指揮は全て完全暗譜という超人的な記憶力で知られた。誰の本だったか、指揮者仲間でベートーベンの交響曲のスコアを空で書けるかと話題になったとき、自分は無理だがあいつなら・・・と皆の口から名前が挙がったのがマゼールだったという逸話があるそうだ。すごい。

カラヤン亡き後のベルリン・フィル音楽監督に当選確実と思われていたが、90年にそのポストに就いたのはクラウディオ・アバドだった。ショックをうけたマゼールの落胆ぶりは強烈で2度とBPOの指揮台には立たないと宣言した。サラリーマンとして生々しい共感をもって見ていた記憶がある。その宿敵アバドもこの1月に80歳で亡くなったが、思えばあの頃はクラシック界も熱かった。今はその座にラトルがあるんだったっけ?という感じだ。その次は?もう全然候補の名前が浮かんでこない。

マゼールの指揮が好きかどうかはともかく、彼は名門オーケストラを自在に操って好きなように指揮できたおそらく最後の人だ。彼はおそらくパワハラ型ではなく、尋常でない頭脳と記憶力に楽員が何も言えなくなって君臨というタイプだから同じタイプはまた出てくるのかもしれない。ただし、それが我々が生きているうちではないことだけはお墨付きである。

もう生で聴けないとなると、彼もフルトヴェングラーやワルターと同じくCD棚から時おり取り出すだけの人になったということだ。寂しい。しかし僕が好きな彼の録音はおおかた60年代のものだ。例えばシベリウス4番とタピオラの真価を教えてくれたのは彼だが、そのレコードは年代からしてワルターの米国録音と変わらないのだからもうすでに生で接することのないものであったのだ。

虫の知らせか何か、彼の健康のことなど何も知らず、6月9日に書いた「シューベルト交響曲第9番」の稿にマゼールの演奏を推薦した(______シューベルト (2) )。褒めた人がいるのかどうか知らないが、CDショップでは見かけない。しかしこの9番は素晴らしい。ビデオを見れば楽員の払う敬意と喜びがひしひしとわかる。おや、いよいよマゼールは大指揮者として円熟期に入っているんじゃないかと思って書いた。そうした矢先の訃報だった。

ご冥福をお祈りします。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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信長、曹操好き狩猟民のすすめ

2014 JUL 19 17:17:19 pm by 東 賢太郎

案件が出たので忙しく、外部に委託して少々調査を重ねています。僕の仕事はアドバイザー(顧問)ですが、ひとことで表せば各所からいただいた情報を積み上げたり一部を外部に請け負ってもらうなどして実行可能なプランというもの(諜報)を作りあげるのが役割です。ソナー・アドバイザーズ自らがその実行部隊になるものも、そうでないものもあります。

案件はご紹介、ご縁だけです。メニューの品数をそろえて不特定多数のお客様にアピールするのが企業の常道でしょうがそれは僕の哲学に合いません。最少人数の精鋭シェフ、少数お得意さん主義の料理屋に徹しようと思います。そうでなくては大きなお客様にご信頼いただけないし、本当に大事な案件は任せていただけないものなのです。

哲学というと、何よりポピュリズムには一切接近したくありません。ブログを書いていても、誰にもわかるものなど最初から書く気がありません。HPで宣伝するような仕事はしません。シャーロック・ホームズやブラック・ジャックがHPを作るとは思えないというイメージから、ソナー・アドバイザーズはHPがありません(検索して出てきたら確実に偽物ですからご注意ください)。

さて、そういう状況でしたので、先週残念ながら大学のクラス会を失礼してしまいました。このところクラスメートとの接点といえばO君にいろいろ相談をしてます。彼は斯界の大御所でありながら弁護士に向いてなかったと自ら言う理系的頭脳の持ち主で、性格もタイプも僕とぜんぜん違いますが気は合うのです。僕のアイデアを同方向のベクトルで見ている人の箴言は聞く気になります。方向がずれた人の言はダメだと思ってしまう性癖から、合うことこそ大事という長年の経験則なのです。

法学は社会的には大事だが神学的で耐えられないところもあるというのが彼の意見で、その神学に真っ先に辟易して脱落した僕はうなずくしかありません。もちろん同期の法曹の皆さん全員に敬意を持っていますが、関心のないものはだめでした。もしもう一度東大に入れていただけるなら僕に向いているのは教養学部だろうなと思います。

先日、故木村尚三郎先生の西洋史を放送大学アルヒーフで見て、こういう授業を受けたいと強く思ったこともあります。当時も駒場では村上陽一郎先生、小田島雄志先生などから生涯残る知的刺激を頂戴しましたが、何分こちらが未熟でした。ああいうものは人生経験の浅い子供には理解できず、もったいなかったなあと感じました。

その木村先生の著書では「都市文明の源流」(東京大学出版)を欧州赴任前に読んで影響を受けました。記憶がやや薄れましたがたしかゴシック教会は都市にある森であるという意味のことがあって、フランクフルトに住んでいる頃にブルックナーのシンフォニーを聴いて初めてそれを得心したのを覚えています。

狩猟は危険であり五感の研ぎ澄ましが必要、危険のない農耕は定点観測に秀でるという意味のこともあって、だから日本でなく狩猟民族の欧州から大発明が出たのだという。証明は難しいが直感的に説得力を感じますし、通信技術が戦争を契機に進歩したなどそれの例でしょう。こういう魅力的な説が出てくるというのは先生ご自身が五感にすぐれた狩猟民なのだと思います。

僕が35年生きてきた株式市場というのは狩猟民ばかりのジャングルのようなもので、どこから猛獣が飛び出してくるかわかりません。昨日のウクライナ惨事による急落をそれにたとえるのは不謹慎ではありますが、こういう不測の事に大きく反応するのが株価です。上場企業の経営者は出資者(株主)に対して自社の株価に責任があります。株は門外漢ですというわけにはいかないという意味で狩猟民でなくてはなりません。

ブラック・ジャック、法学、ゴシック、森、ブルックナー、株式・・・無意識に書き連ねてきましたがこういう単語が農耕民の世界でつながることは想定しがたいのではないでしょうか。そして今の仕事はそういう一見バラバラな情報から「諜報」を生み出す、とても狩猟民的なものです。僕ごときが起業してそれで食えるのは、ほとんどの国民が農耕民的であるために「情報と諜報の区別を知らない日本人」に書いた状況、隙間が生じているからです。

起業家というのは100%狩猟民です。そうでなくてはできません。一方で銀行員は100%農耕民です(我が親父も典型的に)。少数民族の狩猟民をアブナイ人たちであると下に見ていますから新興起業家に融資したがりません。狩猟民の世界であるエクイティファイナンス(株式資金調達)も薦めません。そこで企業家は同じく狩猟民である証券会社に資金調達を頼ることになりました。銀行が系列証券を作って反攻しなくてはならなかった背景はここにあります。

しかし我が国に起業家が出にくいのは銀行が貸さずベンチャー投資家が足りないせいばかりではありません。そもそも狩猟民が少ないからなのです。だから政府が金を出してそれを育成するというのは強精剤を配れば人口が増えるだろうというようなものです。ひょっとして起業したい人は多くいるかもしれませんが、五感が鋭敏でなければ失敗する確率が高いでしょう。

狩猟民になれるかどうかは試しにNISA特典を利用して失敗しても良い程度の金額で株式をお買いになってみればわかります。成功するかどうかではなく、楽しいかどうかが分岐点です。苦痛であればおやめになった方がいい。楽しいと思った方も、それだけで狩猟向きというにはまだ早い。ここが大事なところです。

他人のチャットや掲示板のような皮相的、扇動的な情報に乗って売買して、結果に一喜一憂するような方は狩猟は無理です。木村先生の言う「五感の研ぎ澄まし」ではなく「定点観測型」ですからすぐれて農耕民的性向です。長くやっているといずれ虎に食われますからやめた方がいい。

「五感」というのは、例えば「この株は買いだ」という記事を読んだとして、その内容の信憑性を判定するためにそれを書いた人物が何者かを徹底的に調査するような行為が、また調べて信用して買おうと決めてたとしてもタイミングや売り時は自分の感覚だけを信頼するというメンタリティーが絶対に必要です。「この事業が伸びる」に置き換えれば起業にあてはまります。

例えば僕のあるブログがあちこちにコピペされて2万人以上に読まれました。それが誘発したと思われる雑誌記事まで現れました。僕の知り合いでそうしそうな人はいませんから彼らは筆者である僕をネット検索情報以上には知らないはずです。そういう人たちがそこで書いた株を高値でつかまされている可能性があるのです。それの警鐘のつもりで書いたのがひとつもそうなっていないというのは日本的だと思います。

狩猟民のほうが農耕民より大事だ、得だ、等々を言っているわけではありません。農耕民とは程遠い僕がそう言う資格もないし、日本の骨格は農耕民が作ってきたと考えるしかありません。しかし今の世界情勢は明治までの日本、明治維新以後の日本、どちらをとっても「それでは遅い」という速度で歴史が進展している感じがするのです。だからじっくり定点観測していては遅れてしまう。「五感の民」がたくさん出て政財官を引っぱらないと21世紀は苦しいと思うのです。

特に企業経営というのは本質的に狩猟民的な職域です。これまで我が国の重厚長大産業を占めてきた農耕民的アプローチは加速度的に時代遅れになりつつあります。ジャパンクールの浸透でドラえもんが米国で放映される時代ですが、一方では比較的に狩猟民的なカルチャーを有していて我が国のお家芸である「ものづくり」企業の代表格であるはずのシャープやソニーが円安でも赤字という時代でもあるのです。

僕は個人的に「狩猟民の若者」が日本にどんどん出て欲しい。それは勇気、胆力を要することではありますが、しかし、単なる元気や闇雲なチャレンジ精神を意味してはいません。むしろ逆であって、一歩ジャングルに入れば五感全てのセンサーを通した「判断力」「集中力」「繊細さ」を要するのです。まったくのイメージですが、三国志なら曹操、戦国史なら家康が農耕民、信長が狩猟民と思います。秀吉は狩猟民を真似た農耕民だったと僕は解しています。僕はもちろん信長、曹操が好きです。

今ざっと毎日500人ぐらいの方が拙文を読んでいただいており光栄に思っております。どれがそれということもないのですが、どれも根っからの狩猟民の見方を記したものであり、若い方になにかヒントをつかんでいただければ本当に嬉しいことです。

 

(補遺)ソーナー・アドバイザーズHPについて

本稿(2014年)の2年後にお客様よりのご意見が多くあったことから作成することに方針転換いたしました。http://sonaradvisers.co.jp/

 

(こちらへどうぞ)

戦争の謝罪をすべし、ただし日本史を広めるべし(追記あり)

織田信長の謎(1)

 

 

 

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山水電気の破産という警鐘

2014 JUL 18 1:01:59 am by 東 賢太郎

山水電気が7月9日に東京地方裁判所により破産手続きを開始決定したというニュースには寂しさを感じます。サンスイ(SANSUI)のアンプというと高校生のころ僕のあこがれで、雑誌の広告を見ていつかはあれで聞いてみたいという存在だったからです。

オーディオというのは大きく分類すれば①信号を読み取る部分②伝送・制御する部分③増幅する部分④空気振動に換える部分とありますが、聴感への影響度でいうと④(いわゆるスピーカー)の選択が大事だという人が日本には多いように思います。同感ではありますが、読み取り(ピックアップ、プレーヤー)、伝送・制御(ケーブル、プリアンプ)、増幅(パワーアンプ)もそれぞれの在り方で影響するので、どれか一つが特に重要というわけではありません。

オーディオ装置を選んで自分なりのシステムを作るというのは、算数的にいうと①~④の4つの変数がある関数の最大値を求める問題です。ところが困ったことに各変数は独立ではなく、a,b,cまでは良くてもdを入れると関数値が大幅に下がるなどします。変数間の相関性は未知数だからとにかく4つのどれかを固定して順次試行するしか手はなく、まずどれを固定するかがその実験の要諦になります。例えばスピーカー重視派は④を固定してから①②③を試して相性を確かめていくわけです。

そこからは今度は「何を聞くか」によって①②③が変わってきて、ジャズ、ロック、クラシックetcでおのずと選択は変わるはずです。これがオーディオマニアの楽しみといわれ、もちろん正解はなく完全に趣味と主観の世界です。僕はトータルでたまたま気に入ればそれでよしというわけであんまり個々のパーツ入れ替えでぎりぎり「追い込む」ことに時間はかけたくありませんが、それでもドイツにいたころあれこれ「実験」はしてみて、それを趣味とされる方々のこだわりの気持ちは少しは理解できるようにはなりました。

そういう実験の失敗から学んだことなのですが、クラシックを想定した場合、昔のサンスイのような透明感のあるあまりスペック偏差のない優良アンプ固定でスタートするのがいいと思います。同じクラシックでもメインソースが歌か室内楽かオーケストラかで違ってきますが、室内楽中心に聞く人を除けば、アンプが大事と思います。いや、貧弱なアンプに何を組み合わせてもお話しにならないと言ってしまってよろしいのでそう結論します。これは西洋の石の家に長年住んで聴いているとわかります。逆に木造住宅の小さめの部屋ですと、それがスピーカーということになるのです。

サンスイのアンプは結局使うことがなかったですが、親父に買ってくれとせがむには高かったというのもありますが、当時の部屋が狭くて高級なセパレートシステムがいらなかったというのが正解だったでしょう。

いま聞いているシステムはスピーカーに先に惚れたというか、特定の色をつけないからむしろここ起点でいいというB&Wだったのでアンプ選択が後になりました。5,6回とっかえひっかえ自宅に運び込んでもらって試聴し、やっと行きついたのが米国ホヴランド社のストラトスでした。有名ではなかったですがウィーンフィルやコンセルトヘボウを僕のイメージ通りに鳴らしてくれる銘器であり、不合格にした方はどれも当時一世を風靡していた著名ブランド物ばかりでした。

ところが、このホヴランド社も数年前に倒産しているのです!

こういう目にあうとどうも世の中がわからなくなります。いいものを作っている、これは自信を持ってそういえるのですが、そういうメーカーである山水もホヴランドも時代についていけずに倒産。いったい何が起きてるのでしょう?

結局、需要が減ったということです。オンラインでヘッドホンで聞く。僕も時々使いますが、そこそこ音はいいと思います。日本の住宅事情の制約条件に合わせて低出力のアンプを鳴らすくらいならそっちのほうがコストはもちろんでも満足度だって上でしょう。デジタル時代のすう勢はソースの情報量を飛躍的に増大させ、直接PCで信号化して伝送・制御、増幅はミニマル化し、空気振動変換も最小限で関数値をそこそこ高くする方向に一気に進化しました。消費はいかなる場合でも、安くてかつ良いものの方に向かいます。オーディオにも「クラウド革命」が起きたわけです。

この流れに山水電気やホヴランドが追従する手がなかったということです。ついていかなければどんな名品を作ろうが老舗だろうが企業は簡単に倒産するということです。

そうしたら昨日、このニュースが入ってきました。

米電機大手ゼネラル・エレクトリック(GE)が創業事業である冷蔵庫や洗濯機などの家電事業を最大25億ドル(約2500億円)程度で売却することを検討していると報じた。発明王エジソンが研究した白熱電球に由来する照明部門も含まれるという(米、ブルームバーグ)。

創業事業を売ってしまうというのは大きな決断ですが、企業というのは生き残るためには何でもありです。しかし大事なことは、GEは事業を積極的に多角化してきたからこの手が残っていたということではないでしょうか。山水、ホヴランドはそれがなかったから本業と共に沈没するしかなかったのです。

ウォートン・スクールでは米国企業の栄枯盛衰の様々なケーススタディを学び、証券業という側面から多くの日本企業のそれも間近で見てきましたが、いま強く感じることはデジタル革命、ネット化がいよいよ本格的に進行した結果そのサイクルがここ数年で比較にならないほど短くなっていることです。携帯の覇者であったノキアがスマホの出現であっという間にモバイルとは無縁だったアップルにとって代わられたのがその例です。

この時代をチャンスと取るかピンチと取るかは業界によって様々でしょう。日本企業の典型的スタンスとして「様子見」があります。いきなり行動するとリスクがあるのでじっくり趨勢を見極めてからやる。しかしこういう時代は、何もしないで見ている方が知らず知らずにリスクを取っている可能性があります。それは趨勢が見えた時にはゲームオーバーというリスクです。

山水電気の社名は「山のごとき不動の理念と水の如き潜在の力」という創業理念から来ています。そして同社はその理念を寸分曲げることなく、不動の理念で優れた製品を生み出してきた立派な会社と思います。しかし、何かが足りなかったのです。

 

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世界のうまいもの(その9)-スコッチのブローラ21年と竹鶴35年-

2014 JUL 17 12:12:29 pm by 東 賢太郎

僕は酒の味について文章を書く資格がある人間ではありません。アルコールは弱くて、ビール一杯で赤くなります。よく経済的ですねといわれますが、赤くなっても人並み程度の量はいけますから、悲しいかな実はそうでもありません。

ボルドーでワインテースティングを初めてしたとき、どうしていちいち吐き出すのかな汚いなと思いました。酔うと味覚、嗅覚の感度、記憶が薄れるためだそうです。僕の場合、吐き出してるのにもう5種類目ぐらいで気持ち良くなってましたからソムリエは無理であります。テーブルで白が終わって赤にさしかかるころにはだいたいの場合もう終わってます。だから、機会が多かった割には経験値が少ない、要は酒の味はまだよくわかっていないのではないかと思うのです。

そんな程度でも、ロンドンに6年住んでいてシングルモルトを嗜んでいましたなどと書くといかにもわかった風にきこえてしまいますね。そういうことはまったくなく、生ぬるいビールはまずいし当時の安月給ではいいワインなんか高嶺の花だったので、消去法で地元のスコッチになっていただけであります。

broraここからの拙文は何卒お許しいただき、通の方にはそういう前提でご笑納いただきたいのですが、そんな僕のちょっと記憶に残っている酒がブローラ(Brora)なのです。酒精を愛でる語彙は小学生なみでお味はうまく書けませんが、ハイランド独特の枯草風くさみが強めで、鼻につんと広がって、とにかく個性のボルテージが高い・・・さっぱりわかりませんね、みっともないのでやめときましょう。僕は発酵食品好きで納豆から鮒ずしまで全部OKで、スコッチもこういう臭み(というのかどうか?)やアクが強い個性派が好みです。もう一つこれが気に入ったのが、当時吸っていた葉巻と臭いもん同志で合うんです。

この酒は北ハイランドにある醸造所が83年に閉鎖されていてもう市場在庫しかありません。2005年に投資家訪問でエジンバラに行ったおり、どうしても懐かしくて欲しくなって、店にあるだけくれといったら1982年の21年物が3本出てきたので全部買いました。これは証券マンの本能ではなく、思い出の酒を純粋に飲みたかっただけです。

ところが今年、ジョニーウォーカーを有する世界最大のウイスキーメーカー、ディアジオ社が出した「ブローラ40」(40年物)の売値を見たら1本6,995ポンド(約122万円)で仰天してます。最も高いウイスキーだそうです。これは21年ですがそれでも調べると買値の10倍ぐらいになっていて、株よりいい投資でした。もちろん売る気など毛頭なく、飲みます(2本ある)。ただ、いずれ世から消えてなくなる味かと思うと切なくてどうも飲めません(貧乏性です)。一人じゃもったいないので、いずれ何かの機会にSMCメンバーで開けましょう。

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もうひとつ、これは国産。お客様からいただいたニッカ・ウィスキー「竹鶴35年」です。なかなかよろしくて、ちびちびやってました。ところが先日、最後の一献をかたむけようとふとラベルに目をやると、「ボトルナンバー0229」 とあって、なにやらただ者でない風情が・・・。調べると1000本限定リリースで、ウィスキー評論家の土屋守さん曰く 『これぞ僕が「もう一度飲みたい」と切に願うウィスキー』なるものだったという恥ずかしい事実が判明。お値段も仰天もので、最後の一献はやめて安物の方に変更・・・。猫に小判とは猫に失礼であり、下さった方には不明をお詫びするしかありません。これとブローラと、どっちが先になくなるんだろう?

(こちらへどうぞ)

世界のうまいもの(その8)-アスパラとラインガウのワイン-

 

 

 

 

 

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箱根吟遊と旧吉田茂邸にて

2014 JUL 16 14:14:31 pm by 東 賢太郎

先日は会議がこちらで行われ、箱根吟遊さんに泊まらせていただきました。ネットの評判を見ると「日本で一番予約が取りにくい名旅館」といわれたことがあるそうで、予約は1年先までとリピーター率は高そうです。清算の時に「次のご予約はいつにされますか?」と尋ねられますが、それだけの値打ちありでしょう。

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1階の「風雅」という部屋は内風呂と露天風呂があり、総面積はざっと100㎡はあるでしょうか。庭先は樹木で見えませんが眼下に早川を望む峡谷で、その奥は深々とした国有林です。大浴場もありますがここだけで充分でした。

 

 

 

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朝日と鳥の声で5時半に目が覚め、湯船につかるとこうです。澄んだ空気と木漏れ日と熱い湯、日ごろの憂さを忘れさせていただきました。

 

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1時間ほど仕事のメールに目を通したりなどしてすごすと、光の具合がすっかり変わります。ちなみに松本清張の推理小説「蒼い描点」に登場するケーブルカーの線路はこの写真の垣根のすぐ下です。

 

 

台風が良い塩梅にそれてくれたので、関所を経てからバスで大磯の旧吉田茂邸、旧安田善次郎邸を訪問することに。

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これが吉田邸の庭です。吉田茂はいうまでもなくサンフランシスコ講和条約、日米安保条約の締結、日本国憲法の可決をした首相で、また大平首相はここにカーター米大統領を招いて日米首脳会談を行いました。

 

邸宅は放火で焼失したのですが、『町民のみならず多くの人々に見学して頂く「博物館的機能をもった施設」が相応しいと考えます』という大磯町の再建プランを拝見しましたが、現代日本の起点を築いた要衝という歴史的意味合いを付加価値とされればさらによろしいかもしれません。このプランですと資金ファイナンスが寄付だけですから復興もその額に規定されてしまい、民間の視点ではありますが少々もったいない気も致します。例えば、海外の国賓宿泊用に復旧して、安保と現行憲法を持つに至った我が国の戦後史の理解者を増やす舞台として国に使ってもらったらどうでしょうか。敗戦の歴史は歴史として受容し、そういうポジティブな姿勢で情報発信してこそ、中韓のネガティブ・キャンペーンに世界が冷静な評価を下す素地ができると思います。そういう使い方が十分にできる史跡と思います。資金は寄付ではなくこれを法人化して民間企業に「限定的な社用迎賓館使用の特典」を条件に出資を募ればさらに充実した復興が可能でしょう。

旧安田善次郎邸は内部を見られませんでしたが、安田不動産(旧安田財閥)の所有です。調べてみると大正10年に安田はここで右翼に暗殺されています。日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は安田の寄贈であり、同じく匿名で寄贈した東京大学の講堂は死後に安田を偲び安田講堂と呼ばれるようになったそうですが、浅学にして知りませんでした。曾孫にジョン・レノンの妻ヨーコ・オノがいるのは有名ですね。「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は彼の言葉とされているそうです。これを肝に銘じたいものです。

(こちらへどうぞ)

箱根のおすすめカフェ(Garden Railway Cafe in Hakone!)

 

 

 

 

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「女性はブラームスを弾けない」という迷信

2014 JUL 15 19:19:26 pm by 東 賢太郎

ときどき音楽を聴く気がない、受けつけないような固まった精神状態になることがある。いわばアタマの肩凝りで、この週末までそうだった。日曜日にちょっと気分を変えようと、ショスタコーヴィチの交響曲第10番をかけたが、途中でうたた寝して終わった。寝不足でもないのに、どうしても頭に音楽が入ってこない。だからこちらも音楽に入っていけないという困った事態だ。

それがその次にかけたブラームスの第1ピアノ協奏曲でこうも変わるものか?眠気が吹っ飛び、すっきりと凝りがとれたものだから少し驚いてこれを書いている。いや、この稿よりも先に、そのブラームスに触発されてすぐに書いたものがある。昨日上梓した「シューマン交響曲第2番  ハ長調    作品61」の稿だ。それは2番について、書きたいと思っていたが凝りのせいでさぼっていた事々だ。

気分が沈んだ時はモーツァルトのピアノソナタ何番ですよなどと音楽をサプリメント化して効能分類する人がいる。それは多分に主観的であり、商売に過ぎないように思うが、だからといって効能を否定するにも及ばないだろう。僕には自分なりの音楽サプリメント集があるし、無意識にその時々に聴く音楽をそうやって選択しているように思う。今回そういうわけではなかったが、こうやって劇薬みたいに効いてしまうこともあるようだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番はLP時代から知ってはいたが特に好きでもなかった。僕にとって2番変ロ長調の存在が大きすぎたからだが、それを初めて知ることになったのはロンドンでのある演奏会でのことだ。スティーヴン・ビショップ・コヴァセヴィッチのピアノ、アンタール・ドラティの指揮で聴いたそれはブラームス観を変えるものだった。ひとことで言うなら、それまで女々しいと思っていた1番が男性的に聞こえたのである。

日曜日に僕に革命をもたらしたのは朝比奈隆と伊藤恵が新日本フィルとやったCDである。いうまでもなく伊藤さんは女性ピアニストだ。僕には女性はブラームスを弾けないという偏見があった。そうしたら解説に面白いことが書いてある。伊藤を高く評価する朝比奈が「伊藤さんは男ですから」とほめた?そうだ。すごい!どこかの議員と一緒でセクハラになりかねないが、僕のような者にはこれが最高級の讃辞であることがわかる。

「男らしいブラームス」という評価は西洋にはない。たぶん。感覚的に共有する男はいそうだが、ある指揮者が女性の多いオケは台所に見えると言い放って無事に仕事ができた時代は遠い昔だ。しかし、誤解のないことを祈るが、僕にはブラームスは男らしく響いて欲しい。それは奏者の性別のことではなく、鳴っている音楽がそういう風であって欲しいということで、男とはマッチョのことではなく、剛毅を装って生きてきたが本当は弱くてシャイである、しかしまだ枯れてはいない初老の男のイメージである。

このCDでの伊藤さんのピアノは、そういう男の味そのものである朝比奈の棒に寄り添って剛毅にも響くが、とてもナイーヴなものを秘めている。クララ・シューマンへのラブレターである第2楽章は、あんまりそういういい男でもない僕のハートにも熱く熱く届く。ラブレターに聞こえるのだ。いや、あまりあれこれ書くのはひかえよう。こういう演奏を言葉は壊してしまうかもしれないから。

朝比奈隆のブラームスはいいと思う。彼がそういう男だったかもしれない。伊藤さんは男?いや、指揮者の意をくんで男らしくもふるまえる腕前をもった類まれな女性でしょう。ジャン・フルネのラストコンサートで弾いたモーツァルトの24番。老体の遅いテンポに夫唱婦随で懸命に合わせる伊藤さんを見たのはサントリーホールだったか。大和撫子でした。そしてやはりフルネと共演したブラームスの2番で、女性は弾けないという偏見を打ち砕いて下さいました。この1番は日本人が世界に誇ってよいものではないでしょうか。

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ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

 

 

 

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シューマン交響曲第2番ハ長調 作品61

2014 JUL 14 20:20:20 pm by 東 賢太郎

ウィーンのシューベルト宅で遺稿の中からハ長調交響曲(第9番、ザ・グレート)を発見したのはシューマンである。執拗なリズムの繰り返しによる長大な終楽章をもつこの交響曲の質感は、同じハ長調で書かれたシューマンの2番と近親性のある音楽であると感じる。ザ・グレートは得体のしれない病魔(梅毒だった)から逃れようとしたシューベルトが、ある束の間に得た小康状態に精神が飛翔したことを記す作品だと僕は解釈しているが、シューマンもそれと似た境遇でこれを書いた。2番はメンデルスゾーン指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演された。1839年のことである。

そのメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」は1843年に作曲され、その第9曲(結婚行進曲)がハ長調のトランペットで開始するのはあまりにも有名だ。そして、シューマンは交響曲第2番を「ハ長調のトランペットが頭に響いている。」と手紙に書き、1845年に着手している。そうして産声を上げた2番は、その翌年、手紙の相手であったメンデルスゾーンの指揮で同じオーケストラによって初演された。

シューマンの頭に響いていたのはこれだ。schumann sym2

 

 

第1楽章の序奏部の頭にいきなり出てくるが、シューベルトでもメンデルスゾーンでもなく、ハイドンの交響曲第104番冒頭をより直截的に連想させる。

シューマンがトランペットの幻聴を聞いたのは精神を病んでいたからとされる。「この交響曲を私は1845年12月に半ば病気のまま書きました。それは、聴けばわかるような気がします。終楽章で初めて気分が良くなりました。 本当に気分が治ったのは全曲が完成してからです。それでも全体は、私に暗い時期を思い出させます。」と彼はハンブルグの指揮者D.G.オッテンに書き送っている(スイトナー盤、前田昭雄氏解説より)。

しかし、それにもかかわらず、この曲は名曲である。3番を最も愛する僕であるが、交響曲としての完成度なら迷わずこの2番をシューマンの最高峰としたい。この曲を「楽想の深さ、形式の美しさ、遠大な構想と造形性は驚くべきものがある」と絶賛したチャイコフスキーは、やはり金管によるモットー主題が全曲にわたって要所要所に再現する構造をもった交響曲第4番を1878年に書いた。そのように「一日中頭にこびりついて離れない観念」を表すモットー主題を「イデー・フィックス」と呼ぶが、その元祖はベルリオーズが1830年に書いた「幻想交響曲」である。

交響曲第4番ヘ短調はホモ・セクシャルのチャイコフスキーが意図せぬ結婚で悩み、内から突き上げる衝動におののいていた時期の作品である。第1楽章にその「おののき」の痕跡がある、と僕は考えている。例えば、3拍子で頭を欠くきわめて不安定な第1主題「ンッパーパ、ンッパーパ」の律動の繰り返しがそれだ。それは展開部に至って崩壊寸前の狂気となる。それはシューマン2番の第1楽章「ンッパパーパ、ンッパパーパ」の際限なき繰り返しがインスパイアしたかのようだ。止めどもないパルスのような狂気リズム。第2主題の影が薄いほど強く衝動的なそれは、シューマンの「病気」をクリアに刻印していると思う。コーダでは狂気リズムの饗宴の中からモットー主題が頭をもたげる。

第2楽章にスケルツォが来てしまうのはベートーベンの9番の再来だが、僕はベルリオーズの幻想交響曲の第2楽章「舞踏会(Un bal)」(allegro non troppo)をより強くイメージする。踊っている恋人の姿に嫉妬の炎が燃え、優雅なはずのワルツの旋律が妙にざわざわした、台風が来る前の森の中のような雰囲気になる。同時代音楽の評論活動も盛んにしていたシューマンが雑誌『音楽新報』において「幻想交響曲」を詳細に解説し、激賞する文章を書いている(1835-36年)のは有名である。第2トリオからコーダにかけては狂気のような疾走となり、そこにモットー主題が頭をもたげる。両者ともに、文字で書くとそういうことになる。

第3楽章は第9のアダージョでも幻想交響曲の「野の風景」でもない、赤く血のにじむ音楽である。ヴィオラがひっそりと刻む「ンッパーパ」は不穏な第1楽章の頭欠けリズムの余韻である。それにに乗ってヴァイオリンがどこか無理のある、苦しみから逃れようとするかのような6度の跳躍を2度するが、どちらもバスを2度通り越した9度の音程まで飛んで悲痛な軋りをたてる。しかもシューマンはその軋りをfpで強調する。

中間部はモーツァルトの歌劇「魔笛」第1幕で大蛇をやっつけた三人の侍女が「勝利!」と歌う部分のアルトの主題であることにお気づきだろうか?それがカノン風の展開を見せて一時の平静が訪れる。やがてアダージョ主題が戻り、ppからpoco a poco cresc.(徐々に増音しろ)とあるが、最強音の指定がスコアにない。クーベリックやバーンスタインはffまで弦をあおって悲痛なピークを作るが、ここが指揮者の主張のしどころだろう。

僕がいつ聴いても感服するのは終楽章の入りだ。ハ長調の音階をドからドへかけ上がって半音を c#、d と2回登り、Dを経てGに。これが短い導入部に聞こえ、それに続くト長調主題が第1主題と誰もが思う(ピアノ譜のオレンジ部分)。ところがこれがなりすましの偽主題で、すぐに主調であるハ長調で同じ主題が堂々と鳴る(こういうトリックはベートーベンの交響曲第1番譲りだ)。この4度上への突然の移調、僕が以前より主張している「サブドミナントへの移行(ド→ファ)は明るい未来、希望を表す」という音楽法則に従っている。シューマンはここで回復への確信を高らかに宣言しているのだ。

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青枠で囲った部分の和声変化は卓越しているとしか言いようがない。チェロの対旋律の軋みや重めのオーケストレーションが最高で、ホールの残響と次の和音が不協和になるのがまた刺激的で心地良い。この楽章にはシューマンの管弦楽曲を聴く喜びがぎっしりと詰まっており、あらゆるシンフォニックな音楽のエンディングとして最高の興奮と高揚感をもたらしてくれるもののひとつである。

終楽章はC→Fの高らかなファンファーレ風の「明るい未来コード」に続いてヒロイックな4度のティンパニ・ソロで閉じる。これは、やはりチャイコフスキーの4番、マーラーの1番(ともに弱音で)、そして強音でショスタコーヴィチの5番に、ヤナーチェックのシンフォニエッタに、また単音ソロでブラームスの4番にも伝わる。まさにシューマンが病苦に打ち勝った凱歌、号砲という感じがする。それはベートーベンが耳疾の苦難を克服してエロイカや5番の精神の高揚を響かせることができたのと同じく、一度奈落の底に沈んだ人間にしか許されない強烈な「倍返し」の歓喜だ。誰もが感銘を受けるだろうが、特に、落ち込んでうつ状態にある人をこそ絶大に鼓舞する効果があるのではないだろうか?

この曲に開眼したのは77年にNHK・FMをエアチェックしたゲルト・アルブレヒト指揮ウィーン・フィルのライブ(同年8月11日)を聴いてからだ。いまだもってこれを上回るものは聴いたことがない。最近亡くなったアルブレヒトのドイツものは良かった。読響でシューマンの1番を聴いたがこれも名演だった。その2番はカセットに録音して大学時代に擦り切れるほど聴いたのだが、度重なる海外引っ越しで紛失してしまった。お持ちの方がおられれば是非ダビングさせてください。

シューマンの4曲というのはドイツ人の名指揮者でも全曲を振っていない人が多い。抜けるのはたいがい2番と3番である。僕の記憶では、フルトヴェングラーが1,4番、ベームが4番、ケンペが1番、クナッパーツブッシュが4番、ワルターが3,4番しか振っていない(こういうことは疎いので間違っていたらご訂正いただきたい)。逆にシューリヒトのように2,3番だけという人もいるし、全集用に1度だけ2,3番を録音したカラヤンもいる。2番を特に好んだ人にはバーンスタイン、シノーポリ、カザルスなど非ドイツ人が多いのも面白い。ちなみに僕は2,3番派である。

 

ベルナルド・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

41pw3fRlPILこういう演奏が評価されないなら何か変だと思う。クラシックは古典だから何もかも保守的にという気はないが、こういうものを評価する趣味を持った聴衆が作ってきた共同体文化がクラシック音楽というものの実体であり、アバンギャルド的試みがアンチテーゼとして存立するのもその母体が盤石だからだ。それはオケの技量や楽譜の選択というレベルの話ではない。ハイティンクがスコアに読み取っているシューマンのドイツ語の発音、イントネーションの問題だろう。

3番で挙げたイェジー・セムコフ / セントルイス交響楽団ウォルフガング・サヴァリッシュ / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団ラファエル・クーベリック / ベルリンフィルの3つの全集の2番もお薦めできるが、ここでは別の人のものを挙げる。

 

ハンス・フォンク /  ケルン放送交響楽団

654EMIによるライブ録音の全集。ドイツに住んでいると日常的に聴ける演奏会がどんなものか知っていただくのに好適なCD。オケは相当弾きこんでいる様子で、メリハリ、抑揚がつき、弦の細かなニュアンス、刻みがはっきりと聞き取れる。管弦ともに音楽の句読点に一切の曖昧さもなく、子音の効いたドイツ語の語感をこれほど感じる演奏もない。終楽章の見事なアンサンブルによる熱い音楽は大変結構なもの。

 

アルミン・ジョルダン / スイスロマンド管弦楽団

zc1123163第1楽章冒頭から管楽器の透明な響きが個性的で、主部からも金管にフランスの色調があり面白い。第3楽章のトランペット、ホルン、クラリネットの入る夢の中にいるようなアンサンブルを聴いていただきたい。魔笛の部分はまるで幻想交響曲の第3楽章のようである。非常に気迫のこもった演奏が展開されるが造形は見事なバランスを保っており、シューマンを聴いたという究極の満足感にいささかも不足するものではない。オケの名前と曲がミスマッチ感があるためか廉価盤化しているがとんでもない。この2番は大変な名演である。

 

パブロ・カザルス /  マルボロ祝祭管弦楽団

SICC-954第1楽章の主部のティンパニを強打した気迫。荒々しい金管の強奏。ハイティンク、フォンクがドイツ語ならこれはラテン語系の母音を伸ばしてアクセントを置くシューマンである。カザルスはアンサンブルを整えるよりも曲のエッセンスを鷲づかみにしている。彼の言いたいことを奏者たちが全力で音にしている感動的な記録だ。ジョルダンもそうだが、彼はこの2番が好きなのだ。尋ねたわけではないがそう確信してしまう。音楽を作るというのはお仕事ではだめだ。我々は奏者の情熱に動かされるし、それを容易に見抜きもするものだ。

さきほど耳にしました。やや芝居がかってはいますが良い演奏だと思います。レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団、83年ライブをお借りします。

(こちらもどうぞ)

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

 

ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14

シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 作品44

 

 

 

 

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ヤクルトvsDeNA観戦記

2014 JUL 13 17:17:51 pm by 東 賢太郎

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昨日は某氏と仕事の打ち合わせを兼ねて神宮球場へ。カードはヤクルト・DeNAでした。去年の新人王小川が復活戦という事で注目でした。土曜という事もあり、横浜が好調という事もあってか外野は満員、内野も8-9割の大入りでした。今日の席は33段目でなくネット裏の前の方でした。ここだと投手の球質がよくわかります。

 

jingu2小川(写真・左)は怪我は治ったのでしょうが、高めに浮いた球を見てあれっと思いました。全然伸びがないのです。去年もここでロッテ戦を見ましたが、ストレートは重くて外野にほとんど飛びませんでした。昨日もスピードは同じぐらい出ていましたが凄味がなく、2回に点を取られたときに、「5回で4点は取られるでしょう」と予言したら、5点取られました。

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かたやDeNAのモスコーソ(写真・右)は球に伸びも威力もあり安定していました。打っても押本の高めカーブを左中間の中段に目の覚めるような本塁打でした。かつて見たホームランの中でベスト3に入る凄い当たりでした。

 

 

結局7-1でDeNAの圧勝。ここから居酒屋へ場所を変え、仕事の作戦会議と相成りました。自由業ですから土曜も日曜もなく、こういう事が日常茶飯事です。神宮球場は僕にとって野球接待付屋外会議室といったところです。

 

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