失われた20年とは何だったか(前途万里編・2)
2013 SEP 14 16:16:08 pm by 東 賢太郎
滝川クリステルの五輪招致スピーチ。あれは効いたんじゃないかと思う。「お・も・て・な・し」ではない。フランス語でやったことがだ。ギリシャ発祥の五輪というのは大英帝国にもパックスアメリカーナにも超然とした存在だ。内実が本当にそうかはどうかともかく、そうあるべしという委員会のツッパリだけは感じる。彼女の起用はそこを突いたうまい戦略だった。欧州大陸の国、フランス、ドイツ、イタリアなどは英語のヘゲモニーを快く思っていない。その3か国を英語だけで旅してみればそれはすぐわかる。特にフランス語文化圏は、はっきり言って英語が嫌いだ。
審査委員たちにとって日本語はスワヒリ語と変わらない。「おもてなし」は別に「ありがとさん」でも「おいでませ」でも良かったかもしれない。ポイントはあのルックスの彼女が母国語でやさしく親切に、それを腑に落としてあげますよという姿勢をアピールしたことだ。仮にあなたが責任ある五輪招致委員で、事情をよく知らないアフリカの国のプレゼンを聞いたとしたらどうか。「スワヒリ語でありがとうはアサンテです。ア・サ・ン・テ!」と日本人とのハーフの女性が流暢な日本語で 微笑みながら噛んで含めて説明してくれたら、安心するんじゃないかだろうか?
そう、その面倒見の良さそうな姿勢こそが「おもてなし」だったんだと僕は思う。「相手の腑に落としてあげる面倒見の良さ」、これは実は営業の極意でもある。僕は30年それだけで仕事をした。それはプレゼンの極意だと思っているし、なにかこみいったことを平明に説明する極意でもあるとも思っている。プレゼンの道具は言葉であるが、それは文学ではない。正確でわかりやすい言語だ。だから国語力こそ本質だ。国語が得意科目でなかった僕が言うのもおこがましいが、長年営業をやってわかった。国語ができないと英語も数学もできないしプレゼンもできない。なぜならそのどれもが言語を正確に駆使すべきものだからであり、相手に意味や論理を明快に伝えるべきものだからだ。言語は相手に伝わらないと意味がない。
田舎のゴルフ場にナビなしの車で行っていた頃、高速を下りるとだいたい地図がわからない。腑に落ちないこと甚だしい。正確に伝えようという意志が感じられない。まずほとんど例外なく、土地勘のないものが全体観を把握するのに大事な縮尺というものがいい加減だ。要所要所のターゲットとなる目印は見つけにくい。「乾物屋の路地左」などとあったりするが、その乾物屋が潰れていてお手上げのこともあった。「山田商店」なんてあるが、それが乾物屋と知ってるのは地元のおまえだけだろ?みたいなこともある。その隣に郵便局もあるのになぜ乾物屋のほうなんだキミは?と作成者に会って人生観を聞きただしてみたいという誘惑に駆られる場合すらあった。下手な営業、下手なプレゼンはほとんど例外なく、この同類だ。
僕は今回の五輪プレゼンを見て、とてもうまいと思った。やらせてほしいという意欲を伝える気がある。わかり易い。明るい。好感度が高い。それを自分の言葉、滝川以外は英語ではあったが、あたかもその場で自分の心から発したかのように見える口調でもってアピールし、腑に落とさせた。皆さん言語の立派な使い手であって、役者として名演技を披露した。聞く方もプロだから演技とわかっているが、ホスト、ホステス役というのも演技である。それをやらせてみっともないことにはなるまい、という安心感を与えたはずだ。日本人のスピーチというと原稿のお経読み、という不細工なイメージを覆した意外感もプラスだったろう。
もうひとつ。おもてなしという日本語、文化。それは理解されて当然、だってこんなにいいものなんですよと何のてらいもなくドーンと言ってしまう。ひょっとして理解されないんじゃ・・・なんてうじうじ考えない。この厚かましさはとてもグローバルだ。日本人は恥の民族だ。家の中やクニ(田舎)のアラをよそ者や外人に見せたくない。だから、いやーウチのド田舎の村祭りなんて・・・とかはにかんだりするが、いざそこへ行ってみると外人のお姉さんがハッピでサノヨイヨイと踊ってたりする。そんなことがいくらもある。
日本の良さは外人の方が自分の眼で発見してくれたりする。東京都の新島は昔はサーファーとナンパのメッカだった。ところが七島のなかではホテルや観光開発が遅れ、最近は若者が来なくなって釣り好きのおじさんしかいないらしい。しかし、東京に住んでいるドイツ人やフランス人にとってはその閑散が良いらしく、調布から飛行機で行かれることもあって、家族連れで海と新鮮な魚とひなびた自然を楽しむ東京近場の名所になっているそうだ。そういう埋もれた観光地はいくらもあるはずだ。
当の日本人が日本の良さに気づき、自ら堂々と海外に発信を始めるときがきている。それに呼応し、受け入れてくれる海外の需要は非常に大きいだろう。食べ物も温泉も映画もアニメも、自然も歴史も伝統文化も習慣もすべては世界に誇れる水準にあることは16年海外で過ごした目で自信を持っていえる。そこに強い発信力とおもてなし精神が加われば、日本は18,9世紀の英国にも似た世界が憧れる国になるだろう。
失われた20年はあったかもしれない。だが、もともと我々が得たものは焼け野原から20年で経済大国になったというプライドではなかったか。物質的なものは、20年で得て、20年で多くを剥奪されたと思う。富や影響力や注目は失うことがあっても、しかし、プライドは誰にも盗まれる心配はない。まして我々に続く期待のバブル後世代は、そもそもバブルからは何も得ていないのだから、何を失ってもいないわけだ。自信喪失した親や先輩世代など冷ややかに見下せばいい。少なくとも、一緒に元気をなくすいわれなど、さらさらないのである。
1964年東京五輪、大阪万博で海外の目を意識し、それを起爆剤に経済成長をなしとげた日本人。「世界の国からこんにちは」に沸き返った日本。外人から「こんにちは」を言われて感激していた国民が、今や泰然と「おもてなし」をしようとしている。卑屈なへりくだりではなく、これはいいものですと日本文化をもって客を饗応することを必然としてしまう自信こそ心強い。こういう尊厳や身のこなしというものは、成り上がり者や成り金にはできないものなのだ。以前僕はこういうブログを書いた。
安倍総裁の眼
彼の眼は成り上がり者のものではない。申し訳ないが橋下知事や石原慎太郎氏とはモノが違うと断言する。彼が首相になってアベノミクスに成功したからそう言うのではない。このブログを書いたのは彼が総理になる前だ。そういうものはわかる人にはわかってしまう。 巨人の阿部慎之介捕手が、1月に日本プロスポーツ大賞授賞式で安倍首相と握手した。その時の首相の印象を「目力が半端じゃなかった。今まで会った人の中で一番じゃないかな」と語っている。
我々がバブル期を経て身につけたプライド。経済でアメリカに追いついたという自信。それは「日本人の目力」になっているのだと確信する。一流の仕事をしてきたと自負する日本のシニア層、例えばSMCのメンバーリストに名を連ねておられるような方々すべてがそれを、自分でそう意識しようとしまいと、眼の光として湛えている。だから目力はこれからの日本の国力であり政治力であり経済力の礎でもある。目力はカネで買うことも詭弁でごまかすこともできない。にわかには具有することあたわざる尊厳なのであってわかる人にはわかってしまうもの、そうとしか言えない。
6稿にわたって「失われた20年とは何だったか」を論考し、いま僕が思うことはひとつだけである。
失ったのは日本だけではない
リーマンショックでは、金融においてすら米欧もすべて失ってしまった。いやリーマンショックで失ったのではない。あれはいわば星の一生でいえば断末魔の叫びである超新星爆発であって、そこにいたる産業革命以来の資本主義の歴史の摂理の中で起こるべくして起こったことだ。しかし宇宙の歴史はそれで終わりではない。我々人間の体を形成する鉄(Fe)などの金属類は、実はどこかの恒星が爆発してできたものだ。リーマンブラザースの粉々に砕けた破片は、21世紀のどこかの国で別な物の素材となって生き続けるにちがいない。
日本国というものが存続するとして、そこにどんな星の爆発物の一片が組み込まれようと、それは日本国の一部分にならなくてはいけない。それがダーウィンの言う「変化できる者」ということだからだ。バブル崩壊は大ショックではあったが、もはやその爆発片は日本人の目線に有用な組織として組み込まれているのを僕は見る。21世紀にここからの世界がどの方向に、どういう風に発展していくのかは誰も知らない。それを当てる預言者にも相場師にも僕はなる自信はない。しかし、日本がこれからのレースで偶然にも結構いい位置につけており、いかなる変化でも適応して最適解を生みだしていく要件を満たした国のひとつであろうと予言することには、幾分かの自信を持っている。
我が道を堂々と行くことである。ああせいこうせい、やれ反省がない、それはいかがなものか、いろんな批判を浴びせ、成功をねたみ、攻撃を仕掛け、足を引っ張る輩が現れるであろう。一国が自力で存続を保持するに足る国際法上の当然の武力は備えたうえで、一切の外野の声は無視して我が道をゆくことである。そうすれば勝つポジションにわが国は有る。本稿を締めくくる言葉を探すのはちょっと重たいが、平和を愛し音楽を愛する者として、フィンランドの大作曲家ジャン・シベリウスの名言をご紹介してPCを閉じよう。
批評家の言うことに決して耳を傾けてはいけない。これまでに批評家の銅像が建てられたためしはないのだから。
(失われた20年とは何だったか、了)
失われた20年とは何だったか(前途万里編・1)
2013 SEP 13 1:01:32 am by 東 賢太郎
読書のやり方というものにははいろいろな方法があると思います。若いころは1冊を集中して読みました。でも今は常時4~5冊を同時に読んでいます。多いときは7~8冊ぐらいです。浮気性になりましたね。例えば今は夏目漱石、カント、ダーウィン、松本清張、パウル・ベッカーをちょっとづつ読んでいます。そんなの無理だろうと思われるかもしれませんが、みなさんも学校時代は英数国理社5科目の教科書を同時に読んでいたのです。
僕の年になると一つのテーマを掘り下げるのはもう難しい。できないことはないでしょうが、そこは若い人の方がすぐれています。ただ、シニアは長い人生で広い範囲の経験を積んでいます。広く経験を積むことばかりはどんな天才でも時間がかかります。だから、異分野にまたがって共通する原理や底流にある相互に応用可能な考え方のようなものを見つけ出して、それを広く世にお伝えすることはむしろシニアの仕事なのではないかと思っています。それには自分の頭を常に多様な分野に晒しておくのが有益である、だから読書は同時進行こそ良し、というのが僕のささやかな結論なのです。
ダーウィンの「種の起源」にはこう書いてあります。
強い者、賢い者が生き残るのではない。変化する者が生き残るのだ。
これは21世紀の日本国が噛みしめるべき言葉でしょう。軍事においても経済においても、強いことを競う時代は20世紀をもって終わったと思います。核兵器は使った瞬間に全世界を敵に回します。核の抑止力というものはトートロジーのごとく、持った国をも抑止します。経済力を独占した国が出現したとして、世界の資源、食料を独占できるわけではありません。核の抑止力と同じ抑止がかかります。
世界中の人民が全員アメリカ人になることも中国人になることもありません。それは軍事力や政治力行使の限界があるためというよりも、ダーウィンが観察したフィンチという鳥が多様化の道を進んだ軌跡、生物としての自然の摂理が働くのと同じ原理があるからだという気がいたします。人間も動物だからです。だからどんなに知恵がついて生活が文明化しようとも、その摂理から逃れることはできません。万が一、人類の不幸が起きて、どこかの国がそれを実力行使で覆したなら、人類は動物であることをやめるということです。だから滅亡の危機に見舞われる。この本を読んで僕はそう確信しました。
日本は強くなることよりも、変化に適応できるようになることを重視すべきではないでしょうか。ひとつ例をあげましょう。家電といえば日本のお家芸です。みんなそう思っています。しかし今日本で売れている電気掃除機は米国アイロボット社製のルンバであり、英国ダイソン社製のDCシリーズであり、スウェーデンのエレクトロラックス社製のエルゴスリーだそうです。こんなことは10年前までは考えられませんでした。
なぜこうなったかというと、国内メーカーの製品は機能的にはすぐれているのですが、安全優先の制約にこだわるあまりロボット式など時代のニーズに対応が遅れ、デザインの革新性にも配慮が足りなかったからです。しかし時代は家電に対して、道具であると同時に遊びや面白みやおしゃれ感覚を求めていた。そういうものをテレビショッピングで求める消費者を重視していなかった。つまりスペックが良いものを安く作れば勝てるという時代ではなくなっているという時代の「変化」に対応できていなかったのです。しかしよく考えてみましょう。僕はここには逆に、これからの日本の製造業が進むべき道への重要なヒントが隠されているのではないかと思っています。
21世紀において、スペックとコストの競争で日本企業が中国やアジア諸国に勝つことは残念ながら困難でしょう。すでに半導体は完敗し、スマホ戦争では影も形もなく、有機ELのような数年前までの先進分野でも韓国の進出が顕著です。しかし日本文化、それは浮世絵でありアニメであり食文化であり実に幅広いものですが、それらが世界で注目され、若者の憧れの対象にすらなり始めています。パリの日本アニメのメッセに200万人のフランスの若者が押しかける時代ということを日本の大人は正視すべきです。
若者の感性は時代を左右します。いま20代の彼らは2030年には世界を動かしています。和の心、美意識、感性、デザインが世界を席巻している可能性だってあります。スペックよりデザインという潮流が訪れているとすれば、それは日本のすべての製造業にとって大きなチャンスにほかなりません。どんなに中国がスペックが良くて安い製品を大量生産しても、勝つ余地は充分にあるのです。隕石が落ちて気候が急変し、恐竜は滅びました。弱肉強食の摂理においては弱者であった我々の祖先である哺乳類はその変化に適応して生きのび、今の世の興隆を築いたのです。
強い者、賢い者が生き残るのではない。変化する者が生き残るのだ。戦国時代、江戸時代、明治時代の大きな政体の変化を生き抜いた我が国庶民のしぶとさ、したたかさは、実は21世にこそ真価発揮となるのではないか。いま世界で起きている諸事は、何か万事がそのお膳立てになるのではないか。根拠をあげることは難しいが、そういう気がしてなりません。1964年の東京オリンピックが高度成長の契機になったように、公的支出で3兆円、民間投資効果総計は100兆円以上ともいわれる2020年は、そういう時代の流れと相乗効果になって、今の誰もが想像している以上の巨大なプラス効果をもたらすことになると考えております。
失われた20年とは何だったか(奪った者編・2)
2013 SEP 11 2:02:50 am by 東 賢太郎
西室兄はデフレに言及している。重要な論点である。
日本株の代表的株価指数であるTOPIXはデフレ期の2003年に770で底値を打っている。昨年の話だが、株がどこまで下がるかをこう判断した。2003年はそこから10年デフレが続くことになる年だった。10年後の今からまた10年連続デフレが続く確率は低いとみて「2003年を暗闇のピーク」と見る。そこから10年のデフレによる通貨価値の増大は約10%だった。だから現時点では770÷1.1=700が「暗闇ピーク相当」の株価だ。それを下回ったら強気で思い切り買おう。しかし、昨年、一番下がった時でも ぎりぎりの710ぐらいで止まってしまい、結局、年末からアベノミクスで急騰してとらぬ狸になってしまったのだが・・・。
この理屈には、「10年前の770=今の700」という前提がある。変に思わないだろうか?10年前に借りた770万円を今返すと700万円でいいということだ。カネを貸したあなたはこれを認めるだろうか?10年のデフレによる通貨価値の増大は約10%だったというのがポイントだ。これはGDPデフレーターでわかる。お金はモノの価値を計るモノサシだ。あるモノの長さをセルロイドのモノサシで計ったら7.7cmあったとする。猛暑でセルロイドが伸びてしまい、モノサシの長さが1.1倍になった。その伸びたモノサシで計ると、7.7cmのモノ(こっちは伸びてない)は何cmになっているだろうか? もちろん7cmだ。「通貨価値の増大は約10%だった」=「モノサシが10%伸びた」なのだ。
デフレはモノの値段が下がる「物価現象」だと理解している人が多い。それでも間違いではないが、その理解は人生において何か有益な判断を下す役にはあまり立たないだろう。デフレをモノサシの伸びと理解することは「金融現象」として理解することに他ならない。伸びの反対は縮みであり、それがインフレである。そう考えることで「負の金利」ということが理解できるようになる。それは銀行のパンフレットにはない。アリスの国では知らぬが現実世界では仮想のものだ。しかし算数的には厳然とあるのであり、それをあるとして思考すると便利なのは、昔に習った複素数(虚数、2乗するとマイナスになる数)をあると仮定するとある種の問題が解けて便利なのとよく似ている。
借金というのは契約書上の金額だ。インフレでもデフレでも増えも減りもしない。770は10年前の847に相当する。だから770返せば、当初に77も余計に借りていたことになる。こういうことを調節するために金利というものがある。上記の例が10%のインフレだったら、10年後に契約書上の金額は1.1倍に相当する。だから埋め合わせで77金利をあげる。逆にデフレだと70も返しすぎになる。だから同じ理屈で70金利を差っ引く。これが「負の金利」である。ところが現実社会はどうだ。 金利は正の値だと万人が思っている。あなたがどんなに善人でも「デフレだったから700返せばいいよ、70は負の金利ということでね」とは言わないだろう。銀行は絶対に言わない。770返せと言う。ゼロ金利だ。ゼロより小さい数字はないんだから感謝しろと恩まできせられる。
これは数学的に間違っている経済行為だ。やればやるほど、つまりデフレが長引けば長引くほど、経済合理性のない、したがって国民経済的にまったく生産性のない富の再分配を引き起こしてしまう。そしてその間違いが全国津々浦々で20年も半ば強制的に繰り返されると、人は感覚的にどうもおかしい、収奪されていると気がついて誰も借金をしなくなる。会社は資本に借入というテコをかけなくなる。借入しない(できない)国が20年も資本主義をやってこられただけで不思議である。それで国家ごと借金ずくめの米国と戦うなど笑止であったのだ。
ところがもっと悲惨なことに、借金を控えることはバブル時代に盛大に借金してしまっていた人にとってはもはや許される選択肢ではなかった。宴が終わってから気がついてももう遅かった。その時点で給料もボーナスも減っていただろう。彼らの中にはバブル紳士も不動産王もいかがわしい連中も大勢いただろう。あなたや官僚諸氏がそういう輩の出現を好ましいと思うかどうか、そういう主観的なことは経済政策や金融政策のかじ取りには関係ない。大事な事実は、マクロ経済学的にこの人々はリスクテーカーで消費性向の高い、つまり経済行動が米国人や中国人に近い、いわば経済のドライバーになる人たちであることだ。それを20年もの長きにわたって借金地獄に封じ込め、半ば抹殺してしまった。逆にデフレでも給料が減らない人は、国民が理屈で理解していない「負の金利」の恩恵をフルに享受し、収入に比してモノの値段がどんどん下がるデフレのうまみを満喫できた。公務員がその代表であるのは論を待たない。
企業セクターでは何がおきたか。会社はデフレだと売上げが増えにくくなる。100億の予算で99億売上げでも、モノサシ効果を勘案すればほぼ達成なのだが、インフレしか知らない経営者は数字をそう読むのに目が慣れていない。営業、企画系は総じて出世競争上不利である。かたや仕事の辞書に失敗という文字がない内務官僚系が、ガバナンスやコンプライアンスの強化など米国が押し付けてきたに等しい新潮流に乗って権力を握ったケースが多いという声を各社でよく聞く。彼らはブレーキを踏むのが得意な人たちである。1000ccの軽自動車にベンツの新型ブレーキを装備したような会社がたくさん誕生した。そんな会社の株を買う人は誰もいないのである。
つまり、全国津々浦々にわたって、公務員と内務官僚系社員という、リスク回避的で消費性向を低めるばかりを得意技とする人たちに富と権力を再配分したのが、20年もデフレを放置した者たちが犯した国賊と呼ぶのもやぶさかではない大罪だったと僕は考えている。資本主義は停止していた。その間に米国にボロボロにやられ、収奪されたのは何も証券業界だけではない。国ごとだった。社会党政権になるなど政治の迷走があったことは看過できないが、何よりその責を負うべきは、デフレ対策の要である金融政策を専管事項と自ら謳う日銀であるのは当然である。デフレは「金融現象」だと書いたことを思い出していただきたい。それを退治できるのは金融の総元締めである中央銀行をおいてない。
「ゼロ金利政策」などというものは聞こえだけはいいが、要は「770返せ」ということにすぎない。そんなものが何の意味もないことは読者にはもはや自明であろう。実質的に返済700でいい、つまりモノサシを戻すための「マイナス金利対応政策」=「国債、債券、株式などの資産買入れによる通貨供給」というタイムリーな、マーケットインパクトのある政策が必須だったのである。それをいやいや小出しに行って効果を見事に減殺したあげく、必要な手は全部打ったなどと逃げ口上を吐く。国富を無駄に使いましたと言っているに過ぎないことが弁解になっていると思っている日銀総裁などというのは国益の観点から史上最低の存在であり、すべての結果責任を負わせるべきであった。いずれ、山川の日本史の教科書には史上最低の総理大臣とお似合いのペアであったという記述がなされ、そのような歴史の評価が形成されることは間違いないだろう。
プラザ合意による円高とBISで日本のバブルを潰したアメリカは、90年代にリスクテーカーで消費性向の高い人たちが経済を引っ張り、2000年までの10年でニューヨークダウは4倍になった。同じ10年に日経ダウは半分になった。投資も消費も控えめな草食系が牛耳っている国の株価など上がるはずはないのである。株価は企業価値の集大成であり、経済力、国力、資金調達力のバロメーターであることは既述の通りだ。株式交換で世界中のエネルギーでも軍事物資でも企業ごと買収してガバナンスを握ることができる。株は戦略物資なのである。我が国のように憲法上の正規軍すら有しない国家において、その国力のよりどころである経済成長に翳りをきたしめ、国家予算の何%を防衛費に充てるかはともかくその原資すらを心もとなくせしめるような金融政策を日銀が独立性などを盾に一人相撲で採用するようなことは、国防上の観点ひとつからもきわめて疑問であったのである。
安倍首相が真っ先に日銀総裁の首をすげ替え、デフレを止めることを政策のプライオリティとしたことは、国策としてきわめて正しい。アベノミクスの経済面での成果は今後の展開を待たねばならないが、20年もはびこってしまった国民のデフレマインドを根底から反転せしめるには少々時間を要するようには思う。マインドというのは理屈でも実体でもなくあくまで群衆の心理であり、政府が一元的に左右できるものではない。しかしそこで東京オリンピック招致に成功したというのは彼に運がある。リーダーに強運は必須である。この経済効果の予想数値はまだ知らないが小さくはないだろう。少なくともそれが2020年まで続くという心理効果は非常にポジティブなものと考える。
最後に、金融現象ではなく物価現象の側面からデフレ傾向に拍車をかけたものに言及しておく。2001年の中国のWTO加盟による安価な労働コストの輸出である。これに関するブログは以下のものを書いた。
中国が日本から「奪った者」であることは間違いない。しかし奪われた国は日本ばかりではない。全世界である。世界の富の争奪戦を自由に行うことは資本主義の大前提であり、それに勝ったということはWTO加盟という中国の国策が正しかったということに過ぎない。既述のように、勝てない方の国策がおかしかったのである。こういう無能無策な政権と日銀総裁が権力を握っている最中に中国が出現してしまったことは我が国にとって不幸ではあった。しかし、英国は米国に、米国は日本に同様に奪われてきたのが歴史であるが、英米とも経済的にも文化的にもそのことが原因で国家が衰退などしてはいない。中国の貿易国としての出現は新たな交易条件のパラダイム形成と捉えるべきであって、被害者意識などの感情を持ち込むべきではない。
失われた20年とは何だったか(奪った者編・1)
2013 SEP 9 21:21:59 pm by 東 賢太郎
僕が欧米、香港で働いた16年は、前半の1982-1990年が表題の「失われた20年」のすぐ前、後半の1992-2000年がその20年の入り口あたりにほぼ相当する。そして前半は「バブルの上り坂」。後半は「下り坂」であったことも見事なコントラストだ。野村證券は、80~90年代にアウエー(海外)で欧米のインベストメントバンクと真っ向から真剣勝負して勝った経験のある唯一の本邦金融機関である。不遜に聞こえて申し訳ないが、「唯一の」である。これは当の野村の国内部門上がりの役職員ですらよくは知らないはずだ。今の社長もおそらく知らないだろう。
この間に見聞きしたしたことで本が書ける。どうして野村がそのまま走れなかったかも理由がある。しかし、そこは仁義を守る。ゴールドマン・サックス(以下GS)について書く。同社の台頭は90年代にはじまる。80年代、日本株関連業務において米国はほとんどプレゼンスがなかった。我が野村ロンドンは、野村ニューヨークはおろかGSやモルガン・スタンレーなど米系証券会社を歯牙にもかけていなかったのである。それが変わりだしたのは、サッチャー政権の英国が官営企業を民営化しだしてからだ。
それは僕が日本にいた1990-92年の出来事だ。英国電力の民営化で野村は日本での引受主幹事となり、国際金融部コーポレートファイナンス課長だった僕の課が担当した。細かい話だが、日本で上場しない株を公募してはいけないというのが当時のルールだった。英国電力に東証上場の意思はない。英国のギネス民営化大臣は「それなら日本市場で販売してもらわなくて結構」と取りつく島もない。「日本が外されてもいいんですか?」、大蔵省を説得しルールを変えてもらった。これを適当に英語でPOWL(Public Offering Without Listing)と呼んだら、今はそれが立派な業界用語になっているらしい。世界の若手バンカーは知らないことだが、これは僕が作ったものだ。
この電力を含む英国の一連の民営化は、野村が国内で外国株を何百億円も売った初めての案件だった。ということは日本初だ。この直後91年にテルメックス(メキシコの国営通信業者)も民営化して僕はメキシコシティーにも行った。そうして雪崩のように世界の国営会社の民営化ブームとなったのだ。大英帝国の本丸がふみ切ったという影響は全ブリティッシュ・コモンウエルス諸国に波及した。87年の我が国のNTTのIPOはその先鞭だったわけで野村の主幹事としてのノウハウ蓄積は国際的にも評価されていた。しかし、外国株は野村も国内で売った実績がないですよ、日本の機関投資家は外国株を買わないですよ、と母国市場の弱みをうまくついたプレゼンをしてきたのがGSをはじめとする米系証券だった。
しかし米国の母国市場がそんなに立派だったわけではない。むしろ偉大な田舎だった。少なくとも当時は自国の株しか見ていない。しかし野球が自国だけでワールドシリーズになると平気でいう国だ。自国だけでワールドカップといわない英国人を信じたかったが、だめだった。米国市場なら外国株がたくさん売れますよ、というセールストークははっきり言うが嘘だ。それをGSはアナリストを集めてきれいにうまく売った。投資家も儲かった。だから二匹目のドジョウも売れる。結果オーライ、やったもん勝ちだ。これは我が業界においてはまぎれもない実力だから文句なし、あっぱれだ。
GSという名前がブランドになったのはこの一連の世界の民営化という1件で1000億円超の巨大株式引受案件を取りまくり、世界にそれを売りさばく「グローバル・オファリング」の実績をしたたかに積んだからである(ちなみに証券アナリストなる職業が生まれ、高額報酬を取ることが認知されたのはこのプロセスにおいてである)。そしてそれを各国にくまなく売るために、各国にリージョナル・リードという地元に強い支店長のような証券会社を置き、それを統括する社長に匹敵する「グローバル・コーディネーター」なるポストを自分で作った。もちろんそのポストこそ最も収益が得られるのであり、GSが常にそこに座ることを前提としている。そうやって未曾有の収益を上げる会社に成長したのだ。黒木亮の「トップレフト」という小説はロンドンでの銀行のシンジケート・ローンの争奪戦を描いているが、申し訳ないが、そんなものはエクイティの巨大ディールに比べれば収益は微々たるものだ。
この結果オーライは我が国までまきこんだ。NTT株式は6回に分けて放出されたが80年代の3回目までの主幹事は国内大手4社(野村、大和、日興、山一)だ。ところが99年の5回目はGS、ソロモン、ウォーバーグだけ。日系は全滅であった。この背景は前回の(2)に書いた「97年分岐点」にある。その年のダヴォス会議で「日本・猫マタギ」だったことを思い出していただきたい。元電電公社という日本の本丸企業を外資に奪われた衝撃は計り知れない。97年に震源地のスイスにおり、この99年には野村香港でアジア株ショックから立ち直りを図っていた僕にとって、これはいずれ来ると恐れていたミッドウェー敗戦の一報だった。日本国から「失われていたもの」はもう取り返しがつかないほど巨大だったのだ。
話はさかのぼるが、GSという会社には直に煮え湯を飲まされた経験がある。91年にあるアイルランドの会社のIPO引受主幹事になった。それもGSを蹴落としてグローバル・コーディネーターになってしまった。前述のように、これは社長ポストであってGSのためのものだ。それにとうとう黄色人種の野村がなってしまった。白人界には衝撃が走ったはずだ。90年に日本が時価総額世界一を奪ったことを思い出していただきたい。それ自体がすでに衝撃だった。そのうえにこの事件が起きたのである。日本人が日本株を売って外国株を買えば、野村の世界での引受パワーは最強になる。GSがそう考えなかったと信じるほうが難しいというのが現場感覚である。
この頃、銀行界ではBIS基準8%の締め付けで邦銀の資金供給力を削ぎ、株や不動産に回る資金を根絶やしにする作戦が米欧の金融当局によって展開されていた。不動産担保価値が下がれば逆スパイラルで貸出し余力が細る、株価も下がる、という計算だ。その流れが前述のような証券の世界の勝ち負けと無縁と思っているのは、証券業務は株屋の仕事だと能天気に思っている本邦当局と銀行関係者だけだ。このアイルランド事件の起きた91年において、GSの上席パートナー兼共同会長のポストにあったのは、95年に米国財務長官に就任することになるロバート・ルービンだったのである。
驚くべきことに、このアイルランド案件は発行決議の前日にGSに、きわめて汚い手で巧妙に潰された。前代未聞、空前絶後と言っていい。専門的な話になるので詳述しないが、詐欺にひっかかったという気持であった。そのため、資金さえ入れば成長軌道に乗ったはずだったこの会社は資金調達のサイクルが大きく狂ってしまい、やがて倒産に追い込まれた。忸怩たる思いである。国内で営業店にこの株式を300億円も予約させていた僕は大変な目にあった。しかし、悔しいが法律違反でもない。仁義にもとるだけだ。国際金融の戦争というのは小説家が空想できる範疇をはるかに超えているものである。騙されたほうがウブなのであり、我々は敗戦を認めるしかなかった。
これ以来GSは僕の不倶戴天の敵となった。誤解なきよう書いておくが、それはGSという会社やその社員に恨みを持ったということではまったくない。星野仙一がONに打たれて巨人戦で燃えたのと同じことである。なかなかご恩返しのチャンスがなかったが、それは野村からみずほに移籍した2006年にとうとうやってきた。日本航空の1500億円の株式グローバル・オファリングである。グローバル・コーディネーターをめぐって野村、GS、みずほの三つ巴の血みどろの戦いとなった。野村、GSはその常連のつわもの、片や新参者のみずほは初体験だ。僕がこれに全証券人生をかけて戦ったことは言うまでもない。そして勝った。思いを遂げるチャンスを与えてくださったみずほ証券には感謝の言葉も浮かばない。金メダルだからもうそれ以上の仕事はできない。インベストメント・バンキング業務から身を引こうという気持になった。
失われた20年とは何だったか(失ったもの編)
2013 SEP 9 0:00:07 am by 東 賢太郎
1997年にダヴォス会議に出席した。その年のテーマは「IT社会の出現」と「アジアの台頭」だった。忘れもしないが、会場で驚くべきことがあった。アジアの台頭ということで日本はジャパンナイトだったか名称は忘れたが、豪華な日本食をふるまって日本がアジアのリーダーであることを世界に誇示しようと大会場を設けていた。ホスト役は緒方貞子さんだ。ところが30~40はあった晩餐の丸テーブルは見事にがらがらで10テーブルぐらいにしか人がおらず、それも黒い髪の主催者と日本人ばかり。どうやら隣の部屋のタイだったかマレーシアだったかが大盛況で、こっちはいわゆる「猫マタギ」状態だったことがわかった。緒方さんが途中で憤然と席を立って帰ってしまったのをよく覚えている。
ダヴォス会議のテーマは時流をよくとらえている。この97年の「IT社会の出現」と「アジアの台頭」も見事に予言的中した。しかし、何より当たっていたのはその後に顕著になる「世界の政治経済界による日本・猫マタギ」(ジャパン・パッシング)ではなかったか。失われたのが西室兄による表題の「20年」というのは、非常に適確な期間設定ではないかと思う。なぜなら、そうするとそれは1993年ごろスタートしていたことになる。外国にいたおかげで僕はそれを十分に肌で感じていたが、93年ごろからというのはいい線だ。そこから4年を経て、日本国が失っていたのは「世界の注目」だったというわけだ。
97年という年は世界の金融界が激変した年だ。ドイツ銀行の頭取が証券畑のブロイヤーさんになった。とてもいい方でフランクフルト時代に個人的にお世話になった。しかし頭取はないだろうという話だった。保守本流の商業銀行畑出身でないからだ。それがなった。僕がいたチューリッヒでも同様にUBS、クレディスイス、SBCの3大銀行で、それまでは亜流だったロンドン、ニューヨーク経験者が頭取になるという衝撃が走った。エリートコースだった商業銀行出身がアングロ・サクソン流の投資銀行出身に花道を譲ったわけだ。理由は簡単だ。世界の金融証券業はそうしなければ儲からない時流になっていたのである。
これと時を同じくして、欧州統一通貨「ユーロ」の準備は着々と進んでいた。欧州中央銀行がフランクフルトに設立され、翌年の98年12月31日に参加予定国の通貨はついにユーロとの為替レートが固定されたのである。中央銀行は全商業銀行の元締めである。それが結束した。このころ海の向こうで橋本内閣が日銀法を改正して中央銀行の独立性を謳ったのも偶然とは思えない。BIS基準による締付けに始まり日本の銀行は過大融資の息の根を止められたが、国内では住専問題に痛めつけられ、このころはジャパン・プレミアムという上乗せ金利でさらに海外で徹底的にいじめられていた。
すべては97年。アメリカが世界の金融市場に勝利をおさめ、ユダヤ資本でない世界で2つしかない金融市場、日本とスイスを叩き潰したのだ。その年、山一証券、三洋証券が消え、銀行も長銀、日債銀、拓銀が消え、残ったのも数年のうちに合従連衡が雪崩のように起こって、当時の名前のものは地銀を除いて見事になくなってしまった。金融に端を発した激震は2000年代に他の業界にも伝わる。エリートであるほどこういう激震には弱い。プライドは砕け、人生の目標も見えにくくなる。「喪失感」の一部はこういうキャリア問題からきているだろう。
しかしお金の問題に比べればプライド問題など小さいだろう。バブルは人間の将来予測を強気にする。よって消費は前倒し傾向になるが、人生最大の消費アイテムは家だ。勢いで建てた家のローンは大きいまま減らず、景気は後退して年収は減る。買った家の値段は下がり続ける。投資用マンションも同様だし、ゴルフ会員券は紙くず同然の値段だ。自分のバランスシートが不良債権だらけに見えてくるなど精神衛生上きわめてよろしくない。当然、可処分所得は激減してエンゲル係数は急増し、バブル期の消費生活が夢だった気がしてくる。「喪失感」の大部分はここからきているかもしれない。
失われた20年とは何だったか(得たもの編)
2013 SEP 8 18:18:56 pm by 東 賢太郎
西室兄による味のあるテーマだ。しばらくじっくり考えてみた。兄のご説の通り、SMCメンバーのほとんどはその20年の生き証人である。サラリーマンにせよ自由業にせよ学者であるにせよ、人生の最盛期がその20年にオーバーラップしており、直接にせよ間接にせよ何がしかの喪失感を共有していることに変わりはないのではないか。
我々は一体何を喪失したのだろうか。ないものは失うことがない。我々の子どもの頃は東京もこんなでなかった。成城学園のまわりなど一面の野っ原でトンボを取ったり池でザリガニを釣ったりしていたものだ。日本があのままだったとしたら、失われた50年なんてことを言う人もきっといなかったはずだ。
64年の東京オリンピックが大きかったことは異論がないだろう。あそこから東京の様相が変わる。日本は恥の文化だ。国際的イベントのホスト国になる、外国人に見られるということに国民的意識が高まった。自宅に賓客が来る。大掃除だ。飾り棚だ。そうして新幹線や東名ができ、熱は地方に伝播して70年の大阪万博にいたる。そこで三波春夫が歌ったテーマソングが「世界の国からこんにちは」だったのが象徴するように、目線はいつも世界のお客さんだった。
そこに乗っかったのが田名角栄の日本列島改造論(72年)など自民党による高度成長政策だ。ケインジアン政策などとお品良く評するなかれ、泥臭い土建屋、ブルドーザー型成長路線である。背景にあった政財官の癒着があの時ほどひどくて、あの時ほど叩かれなかったことは日本政治史において二度とない。その角栄を潰したのが民意ではなく、賓客のはずのアメリカだったことに、その後の日本の悲劇の予兆がある。
それでも日本は成長を続ける。どうしてか。ヒントは大阪万博にある。パビリオン入場者数でトップ10、1位・ソ連館、2位・カナダ館、3位・アメリカ館・・・・7位・日本館ときて、一つだけ国でないものが目に入る。8位・三菱未来館だ。日本企業なのに日本人が殺到したのだ。「未来館」、そう1970年にして三菱は世界の未来を担っていたのだ。
そこから10余年、1980年代に世界は日本株投資ブームへ突入していく。三菱が代表する日本企業が未来の最先端技術を担っていることを10余年かけて世界がやっと認めたからである。安かろう悪かろう。東洋人蔑視が当たり前だった時代にそのイメージを覆すのは容易ではなかった。当時、白人に日本株を買わせるという仕事がどんなに大変だったかは説明しきる自信がない。野村證券の若手社員は日立の中央研究所を見学し、記念にもらった「半導体入りネクタイピン」を国力のアピールの為に胸につけていたりした。そういう時代だったのだ。
僕がロンドンに着任した84年、営業トークに使う日本のデイリー情報は細々と東京からのファックスだけだった。東京本社への株の発注はテレックスだった。それが日本株の上昇とともに,2年後にはもう日経新聞早刷版が出るようになり、発注も原始的ながらオンライン化した。2,3件しかなかった日本食レストランが数十になり、ノムラにオックスフォード、ケンブリッジ卒がたくさん来るようになった。ロンドンの運用会社の日本株を組み入れたファンドが飛ぶように世界中で売れだし、運用会社が軒を並べるロンドンの金融街シティは日本ブームに突入していった。
その結果である。89~90年に日本株の時価総額がアメリカのそれを上回った。日本の全上場企業の株式を買う方がアメリカの全上場企業の株式を買うより高かったということだ。企業経営の究極の目的は自社の株価時価総額を増やすことである。アメリカではそう教える。神様ウォーレン・バフェットも人生をかけてそれを実践している。その戦いに日本の企業軍団が勝ったということだ。
ちなみに2012年末時点で世界の株式時価総額は55兆6600億ドルであり、1位アメリカがその35.9%を占める。中国が2位だった日本を抜いたと騒いでいるが、どちらも6.6%前後と目くそ鼻くそのレベルに過ぎない。そのアメリカを一瞬とはいえ抜いた、アメリカに勝った、というより、アメリカが一度とはいえ負けた屈辱の相手が日本だったということは、山川の世界史の教科書が特筆大書すべき大事件なのだ。
僕はいちプレーヤーとしてその歴史的天下取りの劇的なプロセスの中にいた。それもその日本株の雄であり、経常利益はトヨタを上回る5000億円、あらゆる国籍の泣く子を黙らせていたころの野村證券の、その狂気の社中で最多の発注量だったロンドン株式営業部隊のカブタン(株式担当)と呼ばれる司令長官だった。前線に出撃していた僕の「得たもの」はアメリカに勝ったこと。それだけで充分だ。
しかし大本営や内地ではその余波で尋常でないことが起きていた。株だけでなく土地やマンションやゴルフ会員権まで高騰し、不動産王やバブル紳士なる奇怪な人種が跋扈した。「皇居の地価でカリフォルニア州が買える」とまことしやかに言われた。土地はそれ自体は何も生まない。未来を創る企業とはぜんぜん違う。株と土地の区別がついていない国がアメリカに勝った。そういうトリビアとして世界史の教科書に載せてもいいだろう。
社長が某高級料亭(そんなものがあった)で芸者をあげて外国の要人接待とあいなった。芸者を初めて真近に見る僕のまえに5,6人の着物のおばあさんが来て何やら芸をした。綺麗なおねえさん方の前座かと思っていたら、それで終わりだった。要人さんも同じく驚いたろう。しかし要人さんの知らない続きがあった。一番下っ端だった僕は清算係りだ。見ると請求書には堂々20万円とある。あれでこれか?ちょっと高いんじゃないの?そう思ってよく見ると、ゼロがもう一つ多かった。皇居の地価はこういうメカニズムで成り立っていたのである。
僕らの世代の「得たもの」とはそんなものかもしれない。うたかたの夢と呼ぶならロマンもあるが、司馬遼小説が往々にして陥っている「結論ありき型美点凝視」に似た壮大な国民的カン違いに過ぎなかったようにも思う。しかし、もし明治人が「坂の上の雲」を読んで浮かれていたら日露戦争には勝てなかっただろう。あのときの昭和人はその愚を犯して負けたのかもしれないと思っている。
バブルとは物質的なものばかりではない。世界一等国になった充実感など戦前派には格別なものだったはずだ。しかし、学生紛争世代よりちょっと下のノンポリである我が世代は物質的充足を期待していた。そして物質を得る前にバブルは終わってしまった(高級料亭事件と同じだ)。僕ら世代の喪失感なんてそんなものではないか。夢を見られたから良かったと思うか、実現しない夢は見ない方がいいと思うかは人生観である。
おめでとう富士山!
2013 JUN 26 13:13:38 pm by 東 賢太郎
ミクロネシアの大自然と文化に感銘を受け、再度その位置を世界地図で眺めていると、あのビキニ環礁がそう離れていないことを知った。1946年か58年にかけてアメリカが23回もの核実験を行い、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約1000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した地である。
このビキニ環礁が、2010年の第34回世界遺産委員会において、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたのをご記憶だろうか?6月23日、僕が帰国したその日、日本は富士山がそれとまったく同じユネスコの世界文化遺産に登録されたニュースで湧きかえっていた。自然遺産ではなく文化遺産である。
最初は自然遺産登録を目指したが、要件を満たさないことが分かった。スペックだけを見ると富士山は世界のなかで特別な山ではなく、多くの登山者やごみの不法投棄など人間の手で自然が浸食されている。そこで信仰と芸術という観点から文化的景観というアピールに切り替えた。それでも楽勝ではなかった。日本人にとっては特別で美しくても、世界標準では理解されないという示唆に富んだ事例と思う。
この世界標準とは、ユネスコのホームページによると「人類が共有すべき顕著な普遍的価値(outstanding universal value)を持つ物件」であることだ。このuniversalというのがポイントだ。この単語はラテン語語源でuni(単一の)+vertere(回すこと)から来ているuniverseの形容詞だ。回転して一点(一属性)に収束するということだろうか(そこは知らないが)、おそらく「同じ属性を有する物すべて」という含意であり、宇宙、世界、普遍・・・と訳されている(こう語源的に考えないと「普遍的」などの明治の造語の厳密な西洋的語感はわからない。つまり正確に理解できない)。
富士山を文化的に世界標準平面上にのせて「同じ属性だ」と主張するのはなかなか難しいと想像する。日本では英雄の長嶋茂雄を米国で殿堂入りさせようというのに似る。ビキニ環礁、アウシュビッツ(これも文化遺産だ)のような、負のベクトルではあっても人類が共有すべき強いストーリー性がない。神道という信仰は一神教の人にはわかりづらい。日本の心はもっとわかりづらい。浮世絵の画題という芸術的価値だけでは弱いのは三保の松原が一度落ちたことでわかる。
こう考えることで、今回の登録が相応の価値があることが推察できると思う。ユネスコという国際機関が日本国へ向ける、けっしてネガティブでない視線の質を感じる。関係者のご努力の成果であることは無論だし、グローバルな舞台での日本人の戦略性とプレゼン力はオリンピック誘致などでも一般に向上していると思う。これは銀座の寿司屋がミシュランで星をとったような次元のことではない。
消えゆく赤プリ
2013 JUN 8 9:09:16 am by 東 賢太郎
地下鉄南北線の永田町駅を出たところです。この位置からニュー・オータニが見えるようになってしまいました。この通りはその名も「プリンス通り」といいます。
下の写真で右に屋根だけ見えるのは旧李王家邸(いわゆる赤プリ旧館)です。これは残るそうです。このあたり、地名を「紀尾井町」といいますが、江戸時代に紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷があったことに由来しています。この赤プリ周辺が紀州藩、上智大学周辺が尾張藩、ニューオータニ周辺が彦根藩の敷地だったのです。わが社の位置はこの写真右手、文芸春秋社のやや手前ですから紀州藩の敷地内だったことになります。
時は流れ、歴史は刻まれるものではありますが、毎日見慣れたものがなくなるのはさびしく思います。
ブラピのカミングアウト
2013 MAY 31 2:02:55 am by 東 賢太郎
ブラッド・ピットが雑誌のインタビューで「人の顔が覚えられない」と発言して話題になっています。それを相貌失認ということを初めて知りました。
僕も50歳をこえてから覚えが悪くなったし、映画の登場人物が覚えづらくてストーリーがわかりにくい、これも洋ものの場合けっこうありますね。外国人の顔はちょっとわかりにくいことがあります。顔写真の65%以上の名前を言えないと相貌失認と判定するそうです。
そもそも僕が一部の色の見分けがつかないのと何が違うのかなという気もします。「分からない」というのは「見えない」のでなく「判らない」、つまり区別がつかないということです。相貌失認も顔だということはわかっても区別がつかないという点は似ています。俳優にとってそれは相当ハンディでしょうからゴッホの色弱説と同じようなインパクトがあったのかもしれませんね。
こういうことをカミングアウトするのは勇気がいります。ピット氏は周囲との関係が悪化するデメリットを考慮しての決断だったようですね。僕の場合、そう相手に伝えないとグラフやチャートが正確に読めないので仕方なかったのですが。ただ、そうして会社人生30年、僕は色が判りませんとお伝えして実は私もですと言われたのは2回しかありません。男子の5%はそのはずなので、そんなはずはありません。やはりなかなか言いづらいのかなと思います。
しかし、今けっこうはまっている哲学の認識論というものを知ると、所詮我々の知覚や認識というものは絶対的なものではなく相対的な現象に過ぎないとされているのです。難しい話は省きますが、要は脳内現象なので人それぞれといったところです。赤い色といってもそれがどう赤いかはその人しか知りません。隣の人が同じように赤いと見ているかどうかは誰にも判りません。
物の本によると、鳥類やは虫類はより色の識別ができたのが、ほ乳類になり猿に進化して夜行性の生活になると必要のない能力は捨てられました。当初の猿は赤緑色盲だったそうです。そこに突然変異で赤と緑を識別できる種が現れると、樹上生活で緑の葉の中から赤い木の実を探すのが速い彼らが繁殖において優勢になりました。その結果、彼らが人間に進化するまでの長い間に原種である赤緑色盲種は人口の5%まで淘汰されてしまったわけです。
ただなぜ全滅しなかったかというと、二足歩行、火の利用で樹上から地上に生活の本拠を変えたからです。地上では赤い木の実を速くさがすことだけでは生殖機会において優位には立てなくなったということでしょう。足が速かったり狩猟能力があったり、別な領域でより地上生活に適応していれば生存が可能になったと思われます。
こういう事実を知れば、僕のような5%の人は原種の子孫、95%の人は突然変異種の子孫に過ぎないことがわかります。5%は異常でも珍種でもない。肌の色が違うのと同じく、単に人種が違うだけです。人間界は95%種がインフラ構築しましたから,赤い実探しのような5%種に不利な部分ができてしまっているということです。その逆風をはねのけて生きてきた能力にむしろ自信を持ちなさい。僕は色弱の子たちにそう言ってあげたいと思います。ブラピが世界的俳優になれたのもそれかもしれないよと。
若者の欲望が日本を救う
2013 MAY 26 14:14:12 pm by 東 賢太郎
フランスのTV番組でタコの知能研究をするナポリの研究所の実験を見た。透明なボックスにカニを入れる。それを取るにはノウハウがいる。それを知っている先輩タコがボックス内のカニをうまく食べる。それをガラスで仕切った隣の水槽から新米タコに見せる。さて新米がそのノウハウを学ぶかどうか?答えはイエスだ。タコの知能は高い。こういう結論になる。確かにそうだが、そこには重要な仮定が見落とされている。新米もカニを食べたいという欲望があることだ。あれはまずそうだ、オレは食いたくない。だから学ばない。それも立派な知能だ。
若者は欲望がある。少なくとも年寄よりは。今の大学生の車の保有率は我々世代の3分の1だ。おカネの問題だろうか。いや我々もなかった。これは単なる嗜好の変化なのだろうか・・・。人生観、結婚観や金銭感覚など、どうも欲望が減っている気がしてならない。こうやってシニアが「今の若者は・・・」と揶揄する図式は古代からある人類の困った性癖だが、そこに時代の変化を見る鍵があると思う。同じカニをうまそうだと思わないタコが出現しているとしたら大きな、ある意味で決定的な時代の断絶を感じる。
安倍政権の批判勢力は第3の矢に焦点を移している。成長戦略がないじゃないか!これはおかしい。それは民間のやることだ。役人が考えた事業でうまくいったものを僕は知らない。そもそもそういう才のある人は役所に就職しない。政府の仕事は民間を邪魔しないことだ。しかしそう思って規制を緩和しても、いくら金融緩和しても、民間に「欲望」がなくなると何も起きないのだ。
領土にしてもお金にしても、欲望のかたまりのような連中は世界にうようよいる。日本に入れたら鶏小屋にキツネだ。だから守らなくてはいけない。しかしTPPは米国との取引材料だ。仕方ない。えい!攻めの農業だ。世界に通用する人材の育成だ。これは役人でなくては到達することの及びもつかない独創的短絡思考である。海外を攻めたい農家や若者に必要なのは欲望だ。それがないから引きこもりになっているのだ。やる気のない子供に参考書をたくさん買い与えればハーバードでMBAをとるはずだと言っているようなものだ。欲望と国家政策というのは最も遠い存在である。
非常に皮肉なことに、我が国では奨学金を学生が卒業後に返済できない債務問題が発生している。大学を出れば出世払い、奨学金制度はそういう思想を背景に存立している。出世どころか東大を出ても就職すらできないこともあるのを認める日本で最後の人たちが文科省の役人だ。冷たいかもしれないが、学生はそう思わなくてはいけない。就職を世話してくれない大学や役所が悪いのではない。自分で必要とされる人にならなくてはいけないのだ。欲を出さなければ生きていけないということだ。
これを福祉・年金問題と混同してはいけない。お年寄りや被災者、病人、障がい者ら社会的弱者の生活を守る。これは国家として当然である。しかし学生が中学、高校、大学と来てその先には就職先が予定調和的に用意されていると考えていて、それがないと親や左翼が出てきて悪いのは社会だ、政治だとなるとことは同質的になる。株が上がっても一般人に恩恵はない、と言う政党がある。金持ちだってリスクを取って株を買わなければ恩恵はない。一般人とは誰のことか。弱者だろうか。一般というのは一般に大多数を意味するので、だとすると日本中が弱者だらけだ。だから税収が減って国家財政が赤字なのではないか。
子ども手当が良い政策かどうかはともかく、日本国が長年にわたって何らかの形で身を切ってその弱者を養ってきたことがマクロ的に間違いないことはGDPの2倍もの大赤字を見ればわかる。需要創出という名目であったとしてもだ。弱者党の言うとおりにすると弱者が多数派になり、金持ちに「私を養いなさい」と命令する国家が出来上がる。元気だが何もしない私をだ。そして役人もその私の一部になる。そんな国に住みたい金持ちはいないから海外に逃げる。財政は破綻して全員がもっと貧しくなり、国際的に二等国扱いの屈辱を受ける。これがギリシャの姿だ。
円安でも日本国債が売られないのは国内保有率が高いからばかりではない。日本人には日本人なりの欲望がある。それがドライバーとなって必ず復活して成長する。世界がそう思っているからだ。アベノミクスの第3の矢に期待しているお人よしの外人投資家を探すのは株でもうけた共産党員を探すより難しいだろう。若者の経済的欲望が減ったのは長年のデフレのせいだという意見がある。あの野村証券の営業マンですら、下げ相場しか知らない平成入社はお客さんに株を薦められないというぐらいだからそうかもしれない。だとするとデフレを退治するアベノミクスは大変正しいということになる。健全な欲望を持った若者を国は必要としている。日本を救うのは安倍さんでも自民党でもないのだ。





