憲法改正論議に思う
2013 MAY 21 1:01:26 am by 東 賢太郎
今日は法律家の旧友とよもやま話に花を咲かせました。やっぱり関心は憲法のことですね。
安倍政権が参院選の争点としようとしているのが憲法改正です。有識者、マスコミの間では9条改正と、(手続法である)96条改正とは性質が違うというのが大きな論点となっています。改正要件が国会の3分の2か過半数かというと、これは大きな差でしょう。両院過半数の与党であれば実質的に国民投票だけで改正でき、そのような安定多数の与党が選出されている状況下では国民の過半数というのも現実的なバーになります。同質的な意見が比較的甘いチェックで成文化され得る国家というのは歴史的に見てもある種の意思決定の誤謬を起こしやすい、つまり市民が安心して住めない国であるリスクを内包しています。そのリスクとは民事よりも、国家権力が市民の自由を抑制しえる刑事分野にあるのではないでしょうか。
周知のように我が国は法治国家であり現行憲法は罪刑法定主義をとっています
第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない
しかし、友人と別れてから思いついた素人考えですが、「法律の定める手続によるならば」それをしてもいい、しかも問題は手続であり実体法の有無には言及がないというのは96条改正の場合に上記のリスクをうかがわせるのではないでしょうか。例えば徴兵制(自衛隊か他の名称の軍隊かは問わず)となった場合、法律はなくとも兵役忌避者を軍法会議にかけるという手続きを踏んで刑罰を課すことは本当にできないのかということです。憲法学者、弁護士の方にぜひお聞きしたい点です。こういう重要な論点を国民に分かりやすく説明せずに96条改正が是か非かだけを選挙で問うというのは危険でしょう。
法律というのは読んだことのない人の常識とかい離していることも多く、仮に読んでも多くの人が良く理解できるものとは思いません。例えば「刑法」という何年も牢屋に入れられるかもしれない法律を知って生活している人は専門家を除けばごく少数でしょう。
刑法199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する
これが殺人罪というものだということは199条を知らなくても誰でもわかるでしょう。では、脅迫罪はご存知でしょうか。さらに進んで、脅迫罪と恐喝罪の違いがわかるでしょうか?
シンプルに言いますと、
刑法第222条 生命、身体、自由、名誉又は財産をおびやかすと言って脅すと2年以下の懲役又は30万円以下の罰金、となります(脅迫罪)。親族に対してそれをすると脅しても同じです(同2項)。
一方、
刑法第249条 人を恐喝して相手を恐れさせ金品を要求して交付させた者は10年以下の懲役になります(恐喝罪)。これは未遂でも犯罪になります(刑法第250条)
はて何が違うのか?恥ずかしながら僕も完全に忘れていて、友人の講義で知りました。脅迫は心への犯罪、恐喝は金品を脅し取る財産犯罪なのです。だから恐喝の方が罪が重い。罰金刑がなく確実に刑務所行きです。もちろんSMCに関わる皆さんがこんな卑劣な犯罪を犯すことはおろか被害にあうこともないでしょうが、仮にやってしまうと恐喝の場合は脅迫よりも5倍も長く刑務所に入る可能性がありますし、5年ですむこともある殺人罪の2倍も長いこともあり得る重罪であることがわかります。時効は7年です。そんなこととは知りませんでしたではすまされないのです。
恐喝というのはいわゆるカツアゲという恐ろしいものですから善良な市民である皆さんにはあまりに非現実的でしょう。でもこれはどうでしょう。ホームページ、ブログ、メールで他人の悪口を書くこと。
名誉毀損罪(刑法230条)
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず
3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
「公然と」というのは、ホームページ、ブログは当然ですが、メールであっても「数名に」発信すれば当たってしまいます。「事実を適示」とは、「具体的に人の社会的評価を低下させるに足りる事実を告げること」ですが、それが「事実」でなくウソでもいいのです。「人の名誉を毀損」。 これは現実に社会的評価が害されている証拠は不要で、「その危険」があれば当たってしまいます。これはけっこう身近に感じませんか?(SMCの皆さんにはもちろんあるまじきことですが)。これは親告罪ですから被害者が黙っていれば警察に呼ばれることはありませんが、一触即発という事例はたくさんあるそうで、これも「そうとは知りませんでした」ではすまないのです。時効は3年です。
ことほど左様に、法律と市民生活というのは現実論としては遠い存在なのかもしれませんが日本国民である以上私だけは関係ないということはないのです。冒頭の話題に戻れば、僕自身は9条改正(自民党案)に大きな違和感はありません。しかし、96条改正においては、政治家を縛るべき存在の憲法が容易に改正される、つまり市民生活を国家権力が冒しやすくなるわけですから、選挙の時点でこの問題も「そうとは知りませんでした」という有権者が過半数という事態は避けなくてはなりません。殺人犯や恐喝犯をかばう必要などまったくありませんが、善良な市民のあらぬ行為が新しい法律で取り締まられるという土壌が形成されやすくなるというリスクは、あくまで一般論ではありますが、個別に慎重に検討を重ねる必要性が大であると考えております。
天才vsコンピューター
2013 APR 27 14:14:28 pm by 東 賢太郎
才能というのは、実績に先立って「ある」のではなく、実績をあげたから「あった」ということになる。「あの子は才能あるのに辞めちゃって惜しいわね」なんてことは断じて、ない。その子には才能なんてはじめからないのである。努力も才能のうちと言う。そんなことはない。努力はプロセスだ。実績が出たからプロセスにもスポットライトが当たったのだ。
どんな世界であれ、自力で長いこと飯を食ったら、それは実績だ。この「食える」というのが、重い。サラリーマン時代はわからなかったが、自営業者になって3年目の今、ずっしりと重たい。寄らば大樹、親方日の丸ではないところで「食う」。隙があれば「食われる」。病気になれば終わり。職業は何であれこれを10年やったら、できたら、本人がそう思おうがどうだろうが、客観的に「何かの才能があった」と認めるのになんらやぶさかではない。
この原則は、もちろんサラリーマンという職業にもあてはまる。長くできる人は宮仕えの才能があるのだ。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズにはたぶんない才能だ。日本人は、江戸時代268年に形成された遺伝子だろうか、その才に長けた人が圧倒的に多い。そういう人生が楽しいかどうかは人生観の問題だ。そういう人が多いことがトータルで見た日本経済の底力となっていることが近年明らかになってきている。
さて、最近のことでいえば、ゴルフではジャンボ尾崎の66歳でのエージシュート、野球では広瀬の15打席連続出塁。尾崎は「努力」と言うが、同じものを世間は才能と言う。いや、このレベルの才能になると、「天才」という称号が与えられる。この天才と、非常に近似的な水準で本来使われるべき称号が「プロ」というものである。練習場のコーチはプロテスト合格者でもレッスンプロという。レッスンという形容詞がついてしまう。「プロ」とは、そのぐらい厳しい選別をくぐった者だけの呼称だ。
その「プロ」である棋士がコンピューターに1勝3敗1分けという衝撃的な事件がついに起きた。ドワンゴが主催する第2回電脳戦でのこと。4月20日、羽生九段と並び現在最強棋士と言われる三浦弘行 八段がソフト「GPS将棋」相手に投了。1997年5月、IBMのスーパーコンピューター「ディープブルー」が、当時チェスの世界王者だったゲイリー・カスパロフを破ったが、それと同じことが将棋界でもおきたと言われている。
コンピューターという怪物が進化して人間を脅かしていると見る人もいる。「2001年宇宙の旅」が予言した世界へ向かっているのだろうか。コンピューターはこの20年、すでに多くの領域でヒトに置き換わっている。これを便利な世の中になったと考えるか、失業が増えると憂慮するか。将棋界はこの負けで、ソフトから学び新しい棋風を自ら生み出す方向に進むと言われている。それが望ましい。「プロ」になるのにこんなに苦労した、コストがかかった、生活がかかっている、などという声が出るとしたら、そんなものはもともと「プロ」ではない。
日本という国は、例えばプロ野球の外国人枠や、最近ではTPPへの保護政策的な反対論など、そういう声が出やすい体質にある。外人が増えると日本人が締め出されるなら、日本人だけの野球のどこが「プロ」野球なのだろう。これも「江戸時代268年に形成された遺伝子」のなせる業であるなら、日本のプロはすべからくサラリーマンと同義語になる。ニッポン野球興業(株)にでもして野球少年の安定的就職先にしたらいい。
コンピューターの進化は、「環境変化」だと僕は思う。われわれ哺乳類は氷河期の飢餓、恐竜の興隆と死滅、ウイルスの攻撃など幾多の生死を決する環境と戦って今に至っている。樹上で捕食動物から逃れるだけの生活が、二足歩行と火の利用で地上生活に変わり、生態系ばかりか言葉や知能の進化も促したように、コンピューターはこれから人類の生態系と知能に100年単位で大きな影響を及ぼすに違いない。将棋界の「天才」の敗北は、歴史が今、その不断の過程にあるに違いないことを垣間見させてくれているに過ぎない。これに対して「鎖国」で逃げるようなら、日本国の未来は、ない。
体罰と愛のムチ
2013 FEB 10 17:17:01 pm by 東 賢太郎
「練習中は水を飲ませてくれないので我慢できず、便器の水を飲みました」
PL学園出身で元巨人の桑田真澄氏のことばに仰天しました。汚い話ですみませんが、便所(手洗い場)じゃありません。そっちはわざと使えなくしてあったそうです。便器です。3回流したそうですが・・・。僕が何に仰天したかおわかりですか?
「うーん、そこまでしていたのか、さすがPLだ!」
と仰天したのです。おそらく、「きたない!」と仰天された皆さんとは観点がぜんぜん違います。まず条件反射的にそう思ってしまう僕は、やはり旧世代体育会系野球人種なのでしょう。
練習中に水を絶対に飲ませないのはPL学園だけではありません。僕らのような都立高校でも同じで、「日本硬式野球部業界の間違った常識」だったのです。だから野球をやっていた人間は大なり小なり、桑田氏の話にはそこまでやるかとあきれながらも「わかるなあ」とも思うはずです。僕も監督、コーチの目を盗んでバケツの泥水を帽子ですくって飲みました。そうしないと本当に倒れて死ぬと思いましたから。死ぬと思えば人間何でもできます。要はそこまで追い込むこと、追い込まれたことが凄いと思ってしまいます。当時のPLは、強さで神のごとき存在でしたが、神になるのは伊達じゃないんだなあとしみじみ納得です。
PLはそこまでやってる。おそらく全国区の高校では既知の事実だったでしょう。そこまでしないで部活を辞めればいい?辞めないのです。野球が好きだから。僕ですら、仮にバケツの水飲みが見つかって殴られて熱射病で倒れていても絶対に野球を辞めなかったでしょう。まして、もともとずば抜けて体が大きくて上手くて野球が好きな子を集めている学校が、この理不尽なまでのしごきで鍛えているんだから弱いはずがない。相手はそう思って戦う前から神に威圧されるのです。もし水禁止令になにか合理性があるならこれぐらいでしょう。
この「好きだから辞めない」というのがポイントです。アマですからチームや指導者と選手の間に何の契約関係も権利義務関係もありません。「お前も俺も野球がしたい、じゃあやるか」というだけです。ということは体罰というのは、面識はあったとしても通行人を殴ったのと同じですから「暴行罪だ」と言われれば、おっしゃる通りでございますとしか言えないでしょう。暴行罪は親告罪ではないので殴られた方が「愛のムチ」と解釈して訴えないということが免罪符にはならないはずですが、それでも何となく身内の愛情と解釈して良しとしてきたのが体罰と呼ばれるものの実体だと思います。
それが愛のムチかどうかは、ぶたれた方が「野球が好きだから辞めない」と言わないと「身内」になりませんからはじまりません。しかし、ぶった監督が好きです、愛情を感じました、と言うことは要件でないような気がします。監督の方はうまくしてやろうと善意のつもりが「愛情を感じなかった」というぶたれた側の一言で断罪されるなら、リスクをとらない指導者が増えてしまうでしょう。満員電車で隣に女性がいるとあえて吊革につかまるようになってしまいます。だって痴漢と言われたら人生おしまいですから。
女子柔道界の告発問題で僕がどうもわからないのはその点です。15人の選手たちが、何かは知りませんが理不尽な仕打ちに合い、IJF(国際柔道連盟)の視点から見てパワハラの可能性があるのは事実なのでしょう。しかし15人が柔道がを辞めたいと言っているとはききません。となると「度を越した愛のムチ」が裁判所に家庭内暴力と認定された事件なのか、「普通の愛のムチ」だったが親父嫌いの娘が怒った事件なのか、はたまた実は本当に「愛のないムチ」だったから通行人として怒ったのか?
もともと米国製のベースボールが野球道になったのと、もともと柔道だったのがグローバル化したのでは違いがあるのでしょうが、その「道」の部分にご維新がおきているのだとすれば野球界も他人ごとではないでしょう。時代劇のつもりでちょんまげ姿でチャンバラをしていて、はっと気がついたら回り舞台で西部劇に変わっていたというのでは笑えません。千本ノックをしていたらパワハラだなどとハリウッドルールを押し付けられる前に、自らが意識して真の武士道の精神に帰った方がいいでしょう。やたらと殴ったりケツバットするのは武士道ではありません。言葉でねばり強く指導してあげられる監督がたくさん出てくることが必要だと思います。
天気予報はずるいのか
2013 FEB 9 13:13:54 pm by 東 賢太郎
6日の積雪予報がはずれたことで東京都の猪瀬知事が気象庁にクレームするなどちょっとした騒動になっています。
さて、ここで気になるのは降水確率という予報形式を「ずるい」と批判する声があることです。10%と言っておいて雨になっても「10回に1回は降ると言ったでしょ」と逃げるのはけしからんということのようです。
天気予報とはweather forecastのことですが、forecastの訳語に「予報」というのはなく「予想」「予測」です。予報の「報」という文字は「空襲警報」「地震警報」などのように公報(パブリック・アナウンスメント)という含意をもっていますから、ちょっとミスリーディングなのですね。
証券会社にいると市場の予測は避けて通れません。しかしそれが100%的中するなら会社勤めなどやめて自分で株を買えばいい。なぜそうしないかというと予測的中率が低いからです。気象現象は株式市場よりは近未来での予測的中率が高く、国民生活上の必要性も高いのでまずは御上である気象庁がやることになっているのです。
しかし高いといっても的中率は100%ではありません。午後5時に例えば10%と言った降水確率が10%ではなかったことが翌日判明する確率が18%もあるのです。雪が積もると言って翌日それがはずれた2月6日現象はけっこうあり得ます。あれはその前に積雪予報を出さずに交通マヒがおきた時の大批判から、失地挽回か、あるいは正反対に過剰防衛ぎみの「予報」を発してしまった可能性も指摘されています。
いずれにせよそれで飯を食う御上の使命感なのか生活防御本能なのか、単なる「確率」にすぎないものにバイアスを加えて「空襲警報」に寄ってしまい、御上に弱い国民がそれを鵜呑みして大慌てしたという人災の観があります。それを聞く国民も確率という考え方に慣れる必要があります。降水確率1%の予測で翌日雨に降られても、「ずるい」などいう甘ったれた反応が出るようではいけません。猪瀬知事の批判は、「緊急対応で都は迷惑をこうむった。気象庁はもっとしっかり予報しろ」ということです。しかし、株式市場ほどではないが、いくらしっかりやったところで外れる確率はゼロになるはずはなく、「ずるい」と言っている人たちと同じぐらい科学的視点が欠落しています。
気象庁は「空襲警報」はよほどの場合に限定して、確率提示に徹した方が良いと思います。そうなれば、すでに民営化されて183社も民間が参入している気象予測ビジネスはセカンドオピニオンとして需要が増え、設備投資が増えて、予想の精度はますます高まります。気象庁も競争にさらされて頑張るだろうし、不要なら閉鎖して税負担が減るだろうし、国民も「ずるい」と思う機会は減って受益者になるでしょう。
私が選ぶ今年の重大ニュース (東)
2012 DEC 30 17:17:27 pm by 東 賢太郎
① 欧州財政危機
欧州の金融界のど真ん中で11年半過ごしましたので他人事とは思えません。なぜこうなったのか理由は「中国ビッグバン仮説」「ラーメン・パリティ」「銀座が赤坂になる日」に書いてあります。スペインではカタルーニャ州がなんと国からの独立を過半数で可決しました。憲法上、州の決議では独立はできませんが、カタルーニャはGDPの20%あってポルトガルと同じぐらいの経済規模です。日本でいえば「九州国」「北海道国」をつくるような話です。ギリシャだけではありません。ユーロの団結がいかに危機的なことになっているかうかがい知れます。
② 株高(当面のところ)
日本株ファンドの運用アドヴァイスをする僕としてはお客様が儲かることこそ最大の幸せです。おかげで12月だけでファンド時価は7%もアップしました。安倍政権が財務省のかつぐ日銀・白川ポリシーを潰してくれたのは特筆すべき国益貢献になるでしょう。それで起きた円安に中国、韓国はビビっているはずです。公共投資という読める政策での消費喚起。これもオールドスタイルではありますが効き目は絶大です。これらを待っていた外人の資金が一気に流入している。だから株が高いのです。日本株は長年のデフレトンネルを抜けて歴史的転換点にはいる可能性すらあります。儲けた人を嫉妬さえしなければ、株が上がって困る人はまずいません。景気にプラスで雇用も増え、物価は上がってもそれ以上に収入を得る機会も増えます。株を上げる政権と下げる政権と、どっちが国民のためになるか自明のことです。
③ 松井秀喜の引退
今年もたくさんの引退がありましたが、才能も実績も人物もモノが違います。何であれ日本人がアメリカで生身で勝負するというのは並大抵のことではありません。ではやっぱり日本で、などど生き恥をさらさない生き方もサムライで好きです。しかし、ということは松井は出て行った時にすでに日本に戻る気はなかったということ。アメリカで松井は見ませんでしたが、2001年にイチローがヤンキースタジアムでロジャー・クレメンスと対戦したのをネット裏で見ました。3打席とも内野フライ。あんな凄い球、外野に飛ぶとは想像もできませんでした。あれを見ると天才たちは血が騒いでぬるま湯の日本野球では物足りなることも良くわかりました。
中村勘三郎さん追悼番組を見て
2012 DEC 11 9:09:29 am by 東 賢太郎
中村勘三郎さんの追悼番組にショックをうけました
申しわけなかったのですが、テレビも映画も歌舞伎も見ず、芸能にはとんと疎い僕が知っていたのは彼の名前ぐらいです。どんな人となりかを知ったのは、その追悼番組を見てのことでした。
57歳だから同い年です。昭和30年生まれの3か月違い。このころ生まれの人というのは同じ時代の空気を吸って生きてきたせいでしょうか、なんとなく同じにおいがするものです。カメラに向けてしゃべる5か月前の彼にふとそれを感じ、食い入るように画面を見ました。
7月の大手術の前日にゴルフコンペをやり、「80台だったら治ると信じてやりました。お陰様でなんとか89でした。最後のパット緊張したなー。」と笑う顔。性格も、どういうゴルフをやる人かまでなんとなくわかります。もちろん、気持ちも。
「型破りは型が身についているからできる。ないのに破るのはカタナシなんです(笑い)。いいでしょう?これどこで知ったと思います。子ども電話相談室なんですよ、ハハハ」
20年代生まれとも40年代生まれとも違って30年生まれは、言ってる型破りの重みを自覚しつつこれが言えてしまう世代です。しかし、歌舞伎というそば型社会からこれを平然と言える人が出たのは奇跡に近かったでしょう。
勘三郎さん、すばらしく魅力的な男です。
こころよりご冥福をお祈りします。
マクドナルドォーーー
2012 OCT 14 18:18:01 pm by 東 賢太郎
だいぶ前、韓国はソウルに出張した時のことです。同僚に連れて行かれたパブのお姉さま方が 「日本人は英語が下手くそだ」 と一方的に盛り上がりだしました。
「マックのこと、日本人はマクドナルドっていうのよ。面白いでしょ。マ・ク・ド・ナ・ル・ドォーーーー」(一同、爆笑)
「えっ、韓国はなんていうの?」
「きまってるじゃない。マクダァーナルドゥでしょ。わかる?マクダァーナルドゥーよ。」
うーん、大同小異だと思うが・・・まあダァーの部分にアクセントおいているのは原語の特性をよく把握してはいるが、ドゥーはドォーと同じぐらいおかしいと思うのだが。
まあ、君たちだって魚はピッシでしょ、ホテルのプロントなんでしょ、なんてはしたないことは日本人の大人としては、いわない。すると、オンニとよばれる姉御が、
「まだあるよ。日本人は香港っていえない。ホンコンになっちゃう。」 とのたまう。
「えっ、なにがおかしいの?」
「Hong Kong がホンコンなら King Kong はキンコン? あんたらキングコングでいってない?」
なるほど!オンニはインテリだ。韓国語はngが発音できるらしい。一本取られた。
日本の外来語発音はかなりアバウトです。ゴム、ガム、グミ、これはみんなGumだ。Simulation を 「シュミレーション」 という人がいる。TVのアナウンサーや高学歴な人でもかなりいる国民的な誤り。マクドナルドォーーーだ。
オンニが知らないことを祈るのみです。
フランクフルト空港の謎
2012 OCT 10 17:17:11 pm by 東 賢太郎
フランクフルト空港のパスポートコントロールでのことです。
何だったか聞かれてそれに英語で答えると 「あんたここで働いてるんでしょ?何でドイツ語で答えないのよ?」 と、ガラス越しにきつーいドイツ語が飛んできました。なるほどパスポートの労働ビザでわかるのか。ガラスの向こうを思わず見た僕は、年の頃は、非常にわかりにくいが、とにかく声色を聞く限りにおいては、女性と判断していいのだろう、というとりあえずの結論に達しました。
ドイツ語ができないと入国させないという法律は絶対にない。まずそう考えました。しかし僕は野村ドイツGmbhという、80人の社員を抱える、現地では銀行の社長でした。このポストに就くにはドイツ連邦銀行監督局において30分間のドイツ語の口頭諮問をパスしないといけません(当時は)。そんな所で改めて不合格になるはずないのに、試験官にさんざんいじめられた苦い記憶がふと頭をよぎって、ドイツ語で 「僕はあまりうまくないんだ。正確に答えないとダメなんでしょ?」 と返事しました。そうすると 「ウソつかないでよ、しゃべってるじゃないの!」 と吉田沙保里選手なみの上げ足技で攻め込んできます。その後のやりとりでウソではないということが十分に立証はされましたが、こういう方とはあまりかかわりたくないと思いました。
バイオリニストの堀米ゆず子さんとヤンケさんは、かかわらざるを得なくなったのですからお気の毒でした。しかし、ドイツという国は何事につけ四角四面の形式主義、書類審査万能主義であり、官吏は欧州の人としては職務遂行に熱心ではあるが、上司に言われたこと以外は絶対にやらない最右翼の国だということを忘れてはいけません。ソブリン危機なんだから徴税官吏に檄が飛んでいるぐらい推察しろとまで芸術家に言う気はありませんが、一応の世間一般常識はあったほうが余分な弁護士料はセーブできたでしょう。
皆さんが不幸にしてこういうことになってしまったら、何語をしゃべるおつもりにせよ、「前回までは大丈夫だったのになんで今回だけダメなのよ?」 などと言い返しては絶対にいけません。常習犯として逮捕されるか罰金が重くなるだけです。「音楽家にとって楽器は体の一部なんです」 などと涙目で訴えても効果は期待できません。へたすると体中のレントゲン証明写真を撮られて偽証罪に問われて無用に被曝しかねません。ともあれ、すぐに弁護士を呼ぶことです。
堀米さんのブログを読むと、バッハの3連符にとても心をくだいておられる、日本的な細やかな感性を持ったすぐれた音楽家です。ヤンケさんはドイツ人、しかも、ドイツの宝、世界最古を誇る名門オーケストラであるドレスデン・シュターツカペレのコンサート・ミストレスという 「やんごとなき」 お方です。もしN響のコンサートマスターのバイオリンを成田の税関が差し押さえて1億円払えと言ったらどうでしょう。すわ!暴力団の新手のみかじめ料かと警官隊が出動してしまいかねません。
ところがドイツではそいう次元のことが立て続けに2度も起こるばかりか、政府が楽器返還を認めると、それを不服として税関吏が財務大臣を告発までしてしまうのです。国庫を豊かにしようとこんな大手柄をあげたのに、ということなのでしょうか。それとも、彼らが財務大臣を上司と思っていないのか、民間企業の労使関係に相当するのか。とにかく異国情緒に満ち満ちた事件であり、かようなことは日本の役所では飛鳥時代以来一度として起きていないだろうということは木簡を発掘調査するまでもなく明白と思われます。
ご年配の日本人には、ドイツは元同盟国だ、むこうも同胞意識がある、日本人と似ている、と思っている方が多いようです。大きな勘違いです。今度はイタリア抜きでやろうぜと言われたなんていう話までおお真面目に流布しています。どこかであった話なのかもしれませんが、今やオクートーバーフェストでビールを10リットルぐらい飲んだ隣の席のオヤジぐらいです。そんなこと言うのは。税関吏の行動を一般化してはいけませんが、ドイツに住んだことのある方でそういう話をまだ信じている方はかなり少数派と思います。
僕が敬愛するヨハン・セバスチャン・バッハも実はバイオリン差し押さえ派だったり、あのパスポートのおばはんとビール飲んでヤーヤー言って気が合ったりする人物だったりしたらがっかりですが、そういう国民でないとああいう音楽は書けないかなあという気もします。フーガというものは日本人的発想から最も遠い形式論的な作曲技法でしょう。平均律クラヴィール(現代ピアノのご先祖です)というものが発明されると、初めて作曲が可能になった24個の調性で、とても弾きにくいのにわざわざ24にこだわって曲を書いてみようなんて、とても形式主義ですね。やっぱり差し押さえ派かあ。
東大3割が辞退
2012 OCT 4 0:00:54 am by 東 賢太郎
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新設した東京大学秋期入学の、海外学生の話です。まあそうだろうなと思います。グローバル・ランキング30位程度の大学だし日本の教育そのものが人気なくなっているし。入学時期を秋にしてそれがグローバル化だと信じてるところがそもそもグローバルでないし。 あえて天に唾しますが、日本の大学というのは入ってしまえば楽勝です。アメリカは入ってからが修羅場です。しかも学期の最後に「学生による先生評価」がある。ただでさえPublish or perish(論文を書くかやめるか)と迫られているのに、学生に受けが悪くてもクビになる。人気の先生は高給で奪い合いになる。日本だと予備校のほうがずっとこれに近い。 だから米国は先生も必死です。学生は顧客です。TVで見る限りハーバードのサンデル先生は顧客のハートをとらえるのがうまい。マーケティングとして。それを白熱教室とかNHKが国を挙げて礼賛してくれるのだからさぞかしおいしいだろう。あんなのは全然フツーの授業です。安田講堂を使わせるのはみっともないからやめたほうがいい。野村証券が自社講堂をゴールドマンに貸しますか?だから顧客まで取られるんです。ビジネスの常識でしょう。申しわけないが東大の先生にはマーケティング感覚がない。学生評価をやった方がいいんじゃないか。それこそグローバル化です。
(補遺) 海外でThe University of Tokyoといってもだいたいがあっそうで終わりだ。日本居住歴があるか日本関係ビジネスが長い外人なら知ってるが、その場合は「トーダイ」と覚えてることが多い。
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男の引き際
2012 OCT 1 12:12:53 pm by 東 賢太郎
今年はソフトバンクの小久保、阪神の城島、金本、広島の石井琢朗が現役を引退するそうです。昨日はその4人ともヒットを打って大活躍で、小久保はなんと2打席連続ホームランをかっとばしました。まだできるのに。みんなそう思ったでしょう。
昨日が引退試合だった石井と城島は泣いていました。いわゆる男泣きです。男は人前で涙をみせるなということになってます。日本では一応。が、彼らにそれを言う人はいません。よくやった、ありがとう!の嵐です。金本などカープで育ってカープ戦によく打った不届きものなのですが、その僕も心の中で、心から彼に同じ言葉をおくっています。
こういう場面でアメリカやイギリスの男は泣かないでしょう。たぶん。老兵は消え去るのみと淡々と笑顔で手を振って、でしょう。わかりませんが、中国人は泣かない、韓国人は泣く組のような気がします。誰か教えてください。
日本には「桜散る」の美学があります。日本に詳しいイギリス人が旬(しゅん)という英語はない、訳せないと言っていました。あえて言えばin seasonだそうですが、彼はこれをきくと牡蠣を連想するそうです。Rのつく月というやつですね。「彼は今が旬だね」He is now in season. 人食い人種です。
旬じゃなくなったと思ったら身を引く。自分の意志で。悲しい、残念だ、まだできる、そう思いながらも。これは日本人の美学に添っています。その「思い」が涙にこもる。これは日本男児の掟の例外規定として欄外に小さく記されているのです。



