コピペという文化
2014 MAR 13 0:00:01 am by 東 賢太郎
なりすましの恒等式
それっぽく見えればいい=なりすまし
「それ=そこの色」 ⇒ カメレオン
「それ=女性」 ⇒ ニューハーフ
「それ=二重(ふたえ)」 ⇒ プチ整形
「それ=息子」 ⇒ 振り込め詐欺
「それ=伊勢えび」 ⇒ 食品偽装
「それ=ベートーベン」 ⇒ 佐村河内
「それ=自分の文」 ⇒ コピペ
・・・・
コピペは文化。どうせこの世はダマせば勝ちさ。盗みをはたらくわけじゃなし。だってWikiはみんなのものだ。切って貼るだけ子供もできる。誰でもやっててやらなきゃそんそん。見てくれなんか作ればいいさ。検事もやったし化粧もいっしょ。
みんなでやればコピペは文化。
(補遺、3月21日)
「それ=ハーバードMBA」 ⇒ ショーン・K・川上氏
という新種が登場した。氏の肉体改造術は秀逸であり、敵が来ると瞬時にウツボやウミヘビに擬態する蛸(たこ)を思いだす。しかし、蛸だとバレてしまったのに顔は死ぬまでウツボのまんまというのも気の毒なものがある。
彼のマーケティング・ストラテジーの失敗は、化けたものがなんぼなんでも強すぎたことだ。ダイオウイカぐらいにしておけば、まあ足の数は似たもんだし、面白くないから世間もこんなに騒がなかったろう。
MBAって一般の方はわからないだろうから野球に例えよう。これは草野球のオッチャンが「ワシ、若いころニューヨーク・ヤンキースにおったんやで」ってホラ吹いて子供野球教室やってたようなもんだ。MBAがその程度のもんだって思っちゃってる川上氏、野球の例えでいえばきっとグローブも持ってないレベルだろう。
そしてそれに野球教室やらせてたテレビ業界。これは佐村河内事件で実証済だが、結局、これを見ぬいた文芸春秋社が業界で最高学歴だったということだろう。
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電車で化粧する女
2014 FEB 19 1:01:05 am by 東 賢太郎
化粧の歴史は古いようで呪術や魔よけという意味では数万年前にさかのぼり、ツタンカーメンの黄金マスクもアイラインを引いている。ヨーロッパでは「白い肌は肉体労働をしていない証拠」として王族や特権階級が鉛白を塗る習慣は、それが毒と知られても18世紀まで残った。そして、フランス革命をもって特権階級が衰退するとともに男性の化粧は衰退していった。いよいよ、女性だけが化粧する時代の到来となったのである。
いま僕はある業務上の理由で女性の化粧道具に多大の関心をいだいている。今まで無縁なので何の知識もない。ということで日々の子細な観察こそ大事なのである。しかし女性にとって化粧は舞台裏だろうからそう簡単にのぞくことは許されないだろう。そう思っていたら見当違いも甚だしいことが分かった。先日地下鉄半蔵門線で渋谷へ向かうと、そこそこすいた車内なのに2人も「車中化粧」に余念のない若い女性を発見した。きっとこれからデートなんだろう。
僕の対面の座席に座った黄色いスカートの彼女は「眉毛書き」だ。雰囲気から20歳ぐらいだろうがちょっと老け顔で田舎のミセスっぽい。小さい手鏡を凝視しながら10分以上かけて細めの筆でエンドの方を何度も何度も入念に塗っている。フクロウみたいに首をひねってほぼ真横からのチェックも怠らない。車中のプロなのだろう、急ブレーキで揺れても手を止める気配すらない手腕は見事だ。真正面に座ってじっと見ている僕と目が合ったかという瞬間が何度かあって、悪いと思ってこっちが目をそらしたが、やがて観察されていることをまったく気づいていないのか気にしていないのか、とにかく見ていても全然問題ないということが分かった。
もう一人はなんとドアのわきに立ったまま始まった。ジーンズにごわごわの白熊みたいなコートをひっかけた子だ。17-8ぐらいにして化粧は濃いめだろう。鏡はケータイを使用している。最初は目にたらした前髪を右に左にいじっていたが、満足できないと見えバッグから何やら取り出した。クリームみたいである。濃紺のそれをまぶたにぼかしをいれるように指でのばしながらくねくねと塗る。ひと段落してクリームをしまうとまた前髪をいじってあちこちの角度から顔を眺める。すると満足できない角度が訪れたと見え、また同じクリームが登場する。この一連の作業は実に4回繰り返されたのである。
眉毛が終わったミセスの方は横長の黒いケースを取り出してていねいに筆をしまう。筆は各種用途に適した形状の4,5本が装備されているように見えた。すると驚いたことに別な入れ物から今度は床屋が髭剃りクリームを塗るみたいな太いモコモコのブラシが出てきたではないか。いったい何が始まるのかと思いきや、それでほっぺたを勢いよくシュッシュッと掃く作業工程が開始したのである。パクパク開いたり閉じたりの口は鮒か金魚を連想した。このブラシは僕がかつて電車という空間において目撃したことのある物体の内でも圧巻の存在感を誇る。どうも余分なフェースパウダーをはね飛ばそうとしているように見えたが、あまり勢いがいいので隣で居眠りしているおじさんが飛粉を吸い込んでくしゃみでもするのではないかと心配になってきた。
白熊の方はいよいよ細めの筆が登場していた。目が小さいのを大きく見せたいと明確に意図していると解釈される部分にラインを入れ始めている。ただ悲しいことに彼女はミセスほど車中化粧のプロではない様子だ。そもそも立ったままで、しかもわざわざ人目につく側を向いてやってしまおうというお行儀は、さすがの車中化粧族からもマナーに問題と指摘でもあって不思議ではないというものではないか。微細なお絵かき作業に夢中のあまり目は極限まで細めて鏡を凝視しながら口があんぐりと開いてしまっている。ものすごい形相に圧倒され、こちらも入魂の作品のご成功を一緒に祈願するしかない心境に至っていたのだ。
2人とも渋谷で降りて行った。始める前と後で何らかの顕著な変化があったかというとそうでもないようだ。塗った後の顔もいたって彼女たち自身であった。ただ健気な女心というものをわからんほど僕も無粋な男ではない。彼氏に会う前の気持ちはよくわかるのだ。女性も厳しい競争を生き抜いているのだから。
だからこそ本稿を読まれる賢明なうら若き女性に警告したい。化粧に没入している女の顔ほどみっともないものはない。トイレでふんばっている顔に比肩されると言われても過言ではないように思う。そして、それを誰が見ているいないが問題なのではない。そういう醜態を人前にさらすのが平気ということはきっと・・・・と男は必ずいろいろとあらぬことを想像するのである。その・・・・をいちいち書いたらあなたは卒倒するだろうし、彼氏に会うのがこわくなるだろう。
化粧というものは上手にやれば年齢にかかわらず女の魅力と品格をまちがいなく上げてくれるだろう。真近で見れば明らかに不自然である舞妓の白い顔だって、男はだまされてると知っていても綺麗と思うのである。それは化粧というものに一定の節度とルールが感じられるからだ。節度とルール、これは「化粧の礼儀作法」といってもいいだろう。大事なのは所詮「ウソ」である化粧の出来栄えではない。そんなウソで釣れる男は3級品だ。礼儀ある化粧は美しいし、良いメークというのはアートでもある。
自分に相応の品の良いアートを書けるならその能力もまたその女性の美となるだろう。その反対もある。スペインの教会でキリストの壁画の修復があまりにヘタで猿みたいになってしまった事件があった。塗ったおばさんは自称は「個展を開いたプロ」で大真面目にやったようだが、キリストの顔があまりに面白いのでジョークのポップアートとしてネットで有名になっている。
化粧も顔に絵の具で画を書くようなものだ。大事な聖人の顔を素人のおばさんに塗らせる教会もなかなかだが、大事な自分の顔に大道で絵が描けるというのも五十歩百歩だ。電車の中で食事や化粧をするというのは法律にもルールにも触れないから誰も咎めないだろう。しかしそれがオナラや排泄と同じぐらい礼儀を欠いた行為であると思う人かどうかであなたの化粧の礼儀作法は決まる。男はそういうことに敏感な動物なのである。
クラシック徒然草-「つぐない」はモーツァルトでもあった-
2014 JAN 17 15:15:50 pm by 東 賢太郎
ピアノ協奏曲20番のことを書こうと、第1楽章をおさらいした。
さていよいよピアノ様のご登場。
これだ。
あれ! 手が止まった
まど~ににし~びが~
ではないか・・・しかもニ短調(Dm)だし・・・
こう書いちゃったが・・・
おそれいりました
もういちど「つぐない」をプレイバックしてみる
すると、な、なんということだ・・・・またあったぞ
昨日のブログに書いた箇所だ。
最後の方に2度繰り返される、バスが「悪魔の音程」増4度の降下をするE♭、A、Dmの和声連結などは・・・・
これはベートーベンさんのカデンツァだと思ってたら
あすはた~にんどうしに~
の和音じゃないの
(推理)・・・・
オーグメントを導くcis(C#)が犯人でした
「つぐない」 おそるべしです。
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楽天イーグルスの嶋捕手に見るリーダーの条件
2014 JAN 12 22:22:39 pm by 東 賢太郎
きのうTVを見ていたら楽天イーグルスの嶋捕手が「将来は監督ですね」ときかれて「いえ、経営者になりたいです」と答えていた。彼は非常に印象的な男だ。
あの震災直後の有名なスピーチで「これを乗り越えたら明るい未来が待っているはずです」「見せましょう、東北の底力を!」と訴えた。誰も知らない未来を予見し、私もやるから皆さんも、ということだ。この言葉は流行語大賞にノミネートされた。感動はしても99%の日本人のあそこから出てきた反応は寂しいことにそれでおしまいだ。
国民を感動させたのは、あのさなかに東北に不意に現れた「強いリーダー」の姿がそこにあったからであった。なぜリーダーかというと、下線部の2点にこそリーダーの必要十分条件であり、彼のスピーチはそれを完璧に満たしているからだ。彼から大事なことを教わることができるという事実こそ、これからリーダーになる若い方たちに学んでほしいと切に思うのだ。
ああいう言葉は左脳型の秀才からは絶対に出てこない。明るい未来が待っている?どこにその保証があるんだ?誰がそれをもたらすのだ?反論されたらどう答えるんだ?と思考するのが左脳だ。みんなそうありたいと思っているはずだから反論があるはずはないだろう、と直感に基づく仮説を立てるのが右脳だ。左脳型の人は、ここで左脳が勝ってその仮説を否定してしまう、だからああいうことは言えないのだ。
それが言えないということは、断言してもいいが、左脳型は強いリーダーに向いていないし、なりたくてもなれないという意味である。なれば組織を潰してしまうだけであり、その例は無数にある。では嶋捕手は右脳型で、直感と空気だけで動く人間だろうか。いや、そうではないと思う。右脳がたてた仮説を左脳が吟味して、よし大丈夫だ行け!と協調して判断している感じがする。つまり左脳型でもあるのであって、右も左もつよい、一言でいうならほんとうに頭がいいということである。
想像だが彼はそれを投手のリードから学んだのではないか。ミットをどこに構えるかは右脳の直観である。左脳が結果を吟味する。そのぐらいはどの捕手もやっているが彼は左脳が右脳の指示の成功確率まで学習して、その高さが信頼感にまでなっている感じがする。しかし、そこまでなら普通のプロの捕手だ。それを職業にして一流の人たちだから当たり前だろう。彼はそれをその道の師匠である野村監督から習ったはずだ。
普通でないのは、その左右脳の協調が一見関係のないスピーチという場面に応用できているかもしれないことである。「野球脳」が「社会脳」になっているかもしれない。そうならすごいことだ。彼のTV画面上での言動に対する僕の観察結果はイエスだ。こういうのを「思考回路」という。誰でも思考ぐらいはするが、野球という特殊な世界で得た思考回路そのものを正しいと仮定して、未知の社会というケースに当てはめて結果を検証していく行為は「帰納法」と呼ばれる。知識レベルでならそれができる人は多くいる。しかし回路でできる人は、日本人では僕の経験で100人のうち2、3人しかいないのだ。しかも面白いことに、高学歴だからそれができるわけではなく、むしろその逆かもしれないとすら思うことだ。
実はこれこそが数学能力のエッセンスである。数学のできない人は確実に、これに如実に弱い。例えば、それのきわめて初歩的なものが比喩である。AとBの関係を説明するのに、その人には専門的過ぎて難しいと思ってもっと簡単で似ている「CとDの関係みたいなものです」と示すのが比喩だ。ところが驚くことにそれすらすぐにわからない人がいて、たいていそういう人は比喩を言うとかえって混乱してしまう。こういう帰納能力を見ればその人の数学の偏差値がどのぐらいだったかまで僕はわかる。嶋君の場合おそらく自分で回路をどんどん応用進化させられるタイプであり、要は、非常に数学頭のいい人と見る。野球だけにとどまる師匠はとうに超えている。
くりかえすが、「誰も知らない未来を予見」し、「私もやるから皆さんも」と訴える、この2点こそリーダーになるための必要十分条件である。このどちらが欠けても絶対に人はついてこないし、両方そろえば99%はついてきてくれる。それは僕が25年も現場のリーダーとして試行錯誤し、失敗と成功の体験から抽出した結論である。リーダーになりたい人はその2つを咀嚼して、帰納法的に、同時に満たす自分なりの方法論をあみ出せばいいだけである。ハーバード流のスマートなリーダシップの理論など、はっきり言ってまったく不要である。
なぜか?理由はもう自明だろう。そういうものを書いたりしゃべったりする人は左脳型だからだ。従って、以上に述べた論拠によって、自分にそんな経験があるはずがない。経験もない者が人を導けるはずがないのだ。走り幅跳びをやったことのない人が「物理法則だから45度の角度でジャンプしろ」などというようなもので、物理の本を読んで金メダルを取った人がどこにいるだろう?そういう手合いのジャンクフードのようなノウハウ本が書店にあふれている。若い人はそんなものは読まないことだ、読めば頭が悪くなるだけである。著者に悪気はないだろう。なぜなら、そういうことが教えられるという勘違いを平気でできるのが左脳型の最大の特徴だからである。
この2つは誰でもできそうに聞こえるが実は非常にむずかしい。「私もやる」、これは当たり前である。「未来予見」が困難なのである。結果を当てることがではない。誰もが納得できることでないといけないからだ。左脳は計算はするが予見はしない。計算できる予見はすでに確定事象であって予見ではない。わかっていることを訴えてもリーダーの存在意味がない。予見は右脳の仕事なのである。しかし未来予見は他人が納得する以前に自分が納得していないといけない。そうでないと簡単に人は説得されないのだ。ここが大事である。つまり自分の右脳を信じる自分の左脳が優れていると信じてもらえないと、それは単なる「いけいけどんどん」であり「ホラ」になってしまうからだ。
嶋君は左脳も優れているはずだ。リーダーである経営者に必要なのは学歴ではなくリーダーの資質である。彼は問題なく大企業のそれになれるだろう。学歴にこだわるのはその資質がないからで、学歴だけを見て頭の良し悪しを判断する人たちほど頭の悪い人種はない。嶋君の学校時代の成績は知らないがちょっとやれば東大に入るぐらいのレベルと見た。TVで最後に書いた色紙には「本質」とあった。普通の野球選手は根性やら信念とか一球入魂だろう。彼が10年後に経営者になれないなら僕は会社経営を辞める必要がある。たいへん楽しみな男である。
クラシック徒然草-どうして女性のオーディオマニアがいないのか?-
2014 JAN 8 1:01:10 am by 東 賢太郎
一昨日は仕事始め、昨日は弊社で日本料理「くろぎ」さんにて本年一番乗りのランチをさせていただきました。鯛めしがうまかったですが、これも縁起ものです。オーディオの話になり、いま持っている装置に落ち着くまでの長い道のりをいろいろ思い出しました。そこから一気に飛んで、どうして女性のオーディオマニアがいないか、という話になりました。いるんでしょうが、あまり聞いたことはないですね。
わが家でも、あんなものにあんなに使って・・・と白い目で見られており、スーパーで1円単位の値札を見ている主婦感覚では買わないでしょうと僕も納得なのです。でも、それだけなんだろうか。
自分の幼時を思うに、僕のおもちゃは鉄道模型、妹は着せ替え人形であって、一時たりともそれを交換してみたいと思ったことはありません(あったらこわいですが・・・)。いや、人形が陶器みたいに精巧にできていれば思ったかもしれませんが、リカちゃんはどう想像をたくましくしても人間と思い込むことはむりで、鉄道模型とそこがちがうのです。
電車であれ船であれ男の子はそれを「いかに本物っぽくするか」(というか、そう思い込むかですが)に興味の大半があると思います。女の子は人形のリアリティよりかわいさ、着せ替えた時のトータルなイメージチェンジが楽しんじゃないでしょうか(勝手な想像です。ちがってたらごめんなさい)。そう考えるとオーディオというのはまさに「本物っぽさ」の追求だから男の子的な部分が大きいオモチャなのだというすっきりしたお答えになるのですが・・・。
オーディオで追いかける本物らしさというのが「ハイファイ(High Fidelity)」というものです。高忠実度ですね。しかし僕の感覚ですと、マニアの追っているのは本当は本物じゃない気がします。なにか別の「ハイファイっぽい音」のような。これは盆栽に似ています。ああいう植物は自然界にはありません。あくまで盆栽の鉢の中だけの人工的な世界ですが、その限界の中でギリギリの本物っぽさを競っているように思えます。
ハイファイっぽい音がコンサートホールで鳴ることはありません。盆栽の木が庭に生えないのと同じです。嘘の美なんです。嘘の本物っぽさって、いったいなんでしょう?最初っから庭に木をなぜ植えないんでしょう?これはアニメの女の子の「星目」を連想します。とてもデフォルメされた、現実離れした日本独特の顔です。それを「かわいい」と愛でる感性は女の子っぽい、あのリカちゃん人形の世界につながります。めざすものが可愛さになると、もうぜんぜん別世界です。
ハイファイの本物っぽさ追求という男の子的世界に、実は女の子的世界が混ざっている。これは日本製のアンプやスピーカーにいつも感じる特徴です。きれいなんですが。
ところで話しても信じてもらえないのが、スピーカーケーブルを替える効用です。僕もドイツでそういわれて半信半疑で替え、初めて納得しました。システムが中級未満であればあるほど効きます。高価なものである必要はありません。アンプやスピーカーを替えるよりはるかに安価であり費用対効果は大であります。是非お試しください。
(こちらもどうぞ)
「女性はソクラテスより強いかもしれない」という一考察
夏目漱石の日本語
2013 OCT 5 20:20:59 pm by 東 賢太郎
日本語というのはむずかしい。社会人1年目のとき、同期入社3人で先輩の家で夕食をごちそうになった。奥様の手料理でシメは鍋だった。美味であって3人とも若気の至りで満腹を通りこすまでいただき、非常にノドが渇いてしまった。仕上げの水を飲みほして、そこでS君がひとこと、
「いやー、水がうまいですねー。」
そんなこといちいち言わなくてもいいのに、しかも「水が」というのがミスだった。なによ、料理はまずかったってこと?とはおっしゃらないもののお茶目な奥様がややふくれてしまったことはわかった。
「いやー、水__うまいですねー。」
下線部が問題だ。S君はどう言えば安全だったのか?
①は ②こそ ③も ④まで
①:どうしてその場面であえてそういう客観的な言葉が出るか奥様はあなたの真意と精神状態をうかがおうとするだろう。奥様の虫の居所次第で危険である。よって×。
②:あなたの顔にアザができずに帰宅できたらラッキーと思うべきだ。ちなみにS君の「が」は、これがアザ2つなら1つぐらいに値する。よって×。
③:一見正解に見えるが、水はどこで飲んでも同じだ。お宅は水もうまい?そんなはずないでしょ。それなら料理の方は何でほめないのよとなる。よって×。
④:正解。どこでも同じはずの水までうまく感じるほど今日のお料理は良かったです、というニュアンスになる。とりあえず安全である。
単なる「が」と「まで」の違いだ。こんな微細なニュアンスの使い分けで天国と地獄が分かれてしまうなんて、何ともおそろしい。外国人の方でこれがわかったら大変な日本語上級者だ。次はもっとシンプルな例だ。
「前田投手が先発です」 vs 「前田投手は先発です」
ぜんぜん違う意味になるが、これは中国人は苦手で韓国人は容易に理解する。「は」と「が」は助詞であり、中国語にはなく韓国語には同じものがあるそうだ。日韓語はどちらも助詞のあるウラル-アルタイ語起源という説もある。そのせいかどうか面白いのは、韓国語で
「目が高い」「鼻が高い」「口が悪い」「耳が痛い」「顔が広い」「腹が黒い」「胸が痛い」・・・
と言うと日本語とまったく同じ意味になるということだ。お目が高い英米人を Your eyes are high. と誉めてみよう。即座にあなたはアブナイ人になる。I have a pain in my ears. などと言おうものなら耳鼻科へ連れて行かれてしまうにちがいない。
逆もある。It rains cats and dogs. 土砂降りの雨だという意味だ。なんで猫と犬なんだろう?しかし日本語だって土と砂も降るわけではない。それよりもっと不思議なことがある。rainは自動詞だ。するとcats、dogsという目的語であるはずのない名詞がなぜ前置詞もコンマもなしに連結するんだろう?こういうのを気持ちが悪いと感じるようにならないといけません、ガチャンという衝突音が聞こえないといけません、と脳内現象を見事な即物的表現で教えてくれた駿台予備校の伊藤先生なら言うだろう。大変な名教師だった。ガチャンが聞こえるようになったら一気に英文法ができるようになった。
現国という科目で伊藤先生のようにロジカルに即物的にものを教わった記憶は皆無だ。日本語もロジカルな文章はいくらもあるが、それだと全員正解で入試問題にならないのだろう。やけに情緒的なのやひねくった表現のばかり出題文になる印象だった。その挙句「この時の『私』の気持ちを100字以内で述べよ」なんてくる。知らねえよ書いたやつにきいてくれよ、といつも思っていた。あるとき模試で梶井基次郎の冬の蠅というのが出題文で、その筋を知っていたものだから答えがすらすら書けた。そしたらそこだけは満点だった。文学同好会なんかにつき合ってられんという気分になった。
僕は自分に語学や文学の才を感じない。子どもの頃「埴生の宿」という歌の題の意味が分からず、歌になるほどハニワが出るのか、すごい宿屋があるもんだと思っていた。うさぎ追いし~でデパートの屋上のうさぎは食用と信じていた。夕焼け小焼けの赤とんぼのほうは「追われ~て」と、とんぼの気持ちをこめて歌っていた。三つ子の魂だろうか今もオペラは筋をほとんど気にかけない。音楽がまずいのに劇として立派というのは一抹の意味も感じない。魔笛は筋がまずいと言われるがぜんぜんどうでもいい。
ところがこの一年、こうして雑文をしたためる習慣ができてからまた読んでみた夏目漱石の「こころ」には大いにショックをうけた。ストーリーにではない、文章にだ。なんとも実に日本語がうまい。含意が深い。美しいというのとは違う。写実的なのに乾いておらず、スリムで無駄がない。一見のところ達人の一筆書きのようにスピード感とリズムがあるが、よく読むと隅々まで理性が吟味してすこぶる合理的である。視点はどこか外科医のように覚めていて、自殺した友人の描写まであるドロドロな素材なのにどこかクールである。「坊ちゃん」など読みようによってはジェームズ・M・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」なみのハードボイルドに見えてくる。
こういうことはただ漫然と読んでいた時分にはちっともわからなかった。書くというのも習うより慣れろなのかと思い知った次第。文学同好会に入れる自信はまだないが、今なら大嫌いだった現国の試験でもうちょっとはいい点が取れるというものなのかもかもしれない。
総閲覧数3万ありがとうございます
2013 JUL 26 2:02:41 am by 東 賢太郎
おかげ様をもちまして、本日ブログの総閲覧数が3万を超えました。今現在、総訪問者数は17548人ですので、おひとり様が1.7タイトルをお読みいただいています。タイトル別の訪問者数ランキング上位20は以下の通りです。メンバーリストの写真をクリックして「フロントページ」から入られた数字は別カウントなので、インターネットから直接そのタイトルで検索された数です。
- ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」 作品95 (その2) 1019
- マリア Maria, I’m still working on it! 994
- Penny Lane 959
- 神山道元先生セミナーのご案内 365
- – クラシック音楽 (カテゴリー) – 319
- 世にはゴルフという魔物が棲む(2) 267
- カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出 237
- 野球人類学 230
- ルロイ・アンダーソン 「そりすべり」 (Sleigh Ride) 229
- バーンスタイン”ウエストサイドストーリー(West Side Story)” (2) 207
- LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS 202
- モーツァルトの父親であるということ 190
- 世にはゴルフという魔物が棲む(3) 187
- ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流 178
- ゴッホと色弱 177
- カッコよかったレナード・バーンスタイン 152
- チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」 151
- Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band 148
- 発起人よりお知らせです 136
- 世界のうまいもの(5)-香港 天香楼- 125
内容は音楽、健康、スポーツ、食というところでしょうか。日本語にもかかわらず総訪問者の52%は海外となっており、国内よりも伸び率が大きいのが最近の特徴です。国別訪問者数は1位日本8369人に対し、2位アメリカ2675人、3位中国1907人となっており、中国が急速に伸びています。有難うございます。
SMCが置かれているのがそういう環境であるならばそれに適応しないと生き残れません。僕自身英訳付のものを試行しましたが、今後は世界の公用語として英語のブログもお書きいただけるようにしていこうと思います。SMCはあくまで日本のシニアクラブですが、今どきの時代にシニアとて鎖国するわけでもなく、音楽、健康、スポーツ、食はどれもがグローバルに語り合えるテーマでもあります。また、20位には入っていませんが、「はんなり、まったり京都」シリーズも海外アクセスが非常に多く、和の文化の紹介も大事なテーマだろうと思いました。
我々は気づいていない場合が多いのですが、こんなことが?と思う我国の文化や風物が海外では意外に高い関心を持たれ注目されることはままあります。クールジャパンの時代であり、日本にアクセスポイントの欲しい外国の方がメンバーの質の高いSMCをその窓口に選んでくださるなら大変よろしいのではないかと考える次第であります。
三十一文字の思い~中村雅俊と“震災の短歌”~
2013 JUL 7 14:14:26 pm by 東 賢太郎
じっとTVに見入っておりました。投稿者最年長の岩手県山田町の中村ときさんの歌。
「九十一の われ三度目の 大津波 ながらへて見し この世の無惨」
紹介されたどの歌もどこか澄みわたった静けさを湛えており、詠まれたおばあちゃんたちの胸の思いがかえって強く伝わります。歌を解する粋人でもないのに引きこまれるのは、詠まれているのが花鳥風月でも恋の想いでもなく、あの事だったから。
何年か前、沖縄はひめゆり平和祈念資料館でのこと。展示資料品を前に力のかぎり語りかけるおばあちゃんたち。「ここでこんなことがあったのよ。この事をみんな忘れないでね。」と見入る子供たちに訴えかけるかすれた声。忘れません。
生き抜いてこられた方々のこころははかり知ることができません。東北のあの事がほんの2年前ときいて、ふと、こころの風化は早いかもしれないと思いました。忘れなければ生きる力が出ない、でも忘れてはならない。じっと耳を澄まし、声を聴いて感じて、生きる喜びを一緒に味わうようなこと、なにかそのようなことができないか日本中が考えること。大事ではないでしょうか。
津坂さんの蛙鳴蝉噪(幸福度)を読んで
2013 JUL 2 19:19:17 pm by 東 賢太郎
大変興味深く拝読いたしました。幸福度を示す満足度「Life Satisfaction 」第一位は、スイス。津坂さんと同感で、納得です。ただ、おいしい甘エビはないし、そこそこチーズが好きでないと住みにくいかもしれません。僕の場合あそこに生まれれば、納得、と言い換えた方がいいかもしれません。スイス並みの美しい自然があって温泉、食事、文化、エンタメも・・・もう何でもある日本。ここに生まれた私たちのLife Satisfactionが36カ国中27位というのは何故なんでしょう?
日本人は総じて所得は高く、教育も行き届いているが、非常に長い時間「働かせられ」ており、健康状態も良くない
のだそうです。これを見せれば日本にはまだ奴隷制があるのかとスイス人はびっくりするでしょう。しかしなぜそれで教育が行き届いていて所得が高いんだろうと思考停止するでしょう。さらに健康状態も良くないのに世界一の長寿国民と聞くに至れば、ええかげんにせーやと怒り出すかもしれません。
日本はアリスのワンダーランドなんでしょうか?実は行ってみて僕がワンダーランドだと思った国がひとつだけあります。ブラジルです。1991年、野村證券国際金融部コーポレートファイナンス課長といういかめしい名刺を持っていた頃、突然ブラジル出張を命じられました。そこで国情を調べてみると、これがひどい。国家財政破たん状態でIMF支援を受け、失業率2ケタ、インフレ率は3ケタ(年300%!)という凄まじい数字が並んでいるではないですか。
こういう国は空港でいきなり置き引きや物乞いにあったり暴動があったりするんだ、気をつけろよと上司に送り出されました。ところが着いてみると・・・。どこへ行っても老若男女の皆さん実に明るく楽しくやっていて、貧しくても困っていないから貧困はない。リオのカーニバル前というのもあったのですが、そんなのやってる場合じゃないだろと思うのが日本人。「でもまさか」と思い、財務省の高級官僚に「IMF借款の2年後の完済」について聞くと「Who knows?」と即座に明快なお答えが返ってきて懐の深さに絶句したのを覚えています(これは現在のブラジルではありません。念のため)。
さて、所得は高くて教育もあって長生きである日本人。初めて成田空港におり立った外国人はおそらくポジティブに生きている国民というイメージを持っているのではないでしょうか。ところが実はあんまり活気がなくて自殺も多い。どうもブラジルとはベクトルが正反対のようですね。
総じて所得は低く、教育はあまり行き届いていないが、非常に長い時間「遊んで」おり、健康状態は良い
という当時のブラジルと今の日本。それでも日本がいいと思うのが大方の日本人なのではと思います。長い時間「働かせられ」ており、健康状態も良くないという自己診断ですが、人間嫌なことは長いことはしませんからそれでも仕方ない、嫌というほどではないという許容範囲なのではないでしょうか。いろと言われなくても会社にいた方がどこか安心、健康に人並みの不安があって毎年人間ドックに行くぐらいの方がどこか安心ということでしょうか。
16年も海外にいて日本に帰ってきますと「長いものに巻かれる」国民性を強く感じます。誰も満員電車など乗りたくはないのですが、肉体的苦痛のマイナスよりも乗ってしまった安心感のプラスの方が大きい社会かもしれません。これはブラジル人にもアメリカ人にも理解できないことでしょう。親、学校、会社に「巻かれて」生きてきていざ定年になると、その「長いもの」が初めて忽然と消え去ります。その人生初の喪失感。これは僕自身、似た心境を味わったのでよくわかります。
日本では高齢期の満足度が高くならない
これはその喪失感とうらはらなのではないでしょうか。そしてそれは自分で乗りこえないといけません。家でパートナーになぐさめてもらって解決する性質のものではありませんし(まっ、普通それすら期待できませんが・・・)。生涯学習、趣味、旅行、ペット・・・と方法は人それぞれですが、言われなくても皆さんやっている国民的自助努力の集大成としてなお満足度が高くならないという統計が出てしまうのが現実とすると、やはりLife Satisfactionが36カ国中27位ということなのかなと思ってしまいます。
喪失感を乗りこえる方法として、「いままでやろうと考えたこともないものリスト」を作って、第1位から順番にチャレンジするのがけっこう効果的だそうです。確かにいい方法です。しかし、「やろうと考えたことのないこと」の最上位が「長いものに巻かれないこと」というのが大方の日本人ですから、そうせよと命じてくれる強いリーダーが現れてぐるぐる巻いてくれないとそれもできないという、なんのこっちゃ?ということになりかねません。英会話やら男の料理教室やらに通っても、結局求めてるのは英語でも料理でもなく要するに長いものでしたとなると満足感はあまり高まらないでしょう。非常に長い時間「働かせられて」上司に巻かれ、健康状態が良くないと言って医者に巻かれてきた人生の延長戦だからです。
私事で恐縮ですが僕の場合やったことのなかった会社経営などやり、究極のIT音痴を棚上げしてこうしてブログなど書いているので、別に満足度はさして高くはありませんがまあいいかという感じはします。もともと長いものに巻かれたくない性質なので今こそが自然です。だから「やろうと考えたことのないこと」の最上位は、実は長いものに巻かれることという妙な日本人なのです。最近、どうしたことかちょっとそれに憧れますし、それが楽なんだろうなあ、満員電車に乗ってしまうのもいいかなあなどとときどき思っています。そう思ってしまう日本という国はほんとうにワンダーランドです。
国民栄誉賞の謎
2013 MAY 6 17:17:31 pm by 東 賢太郎
本賞は、1977年(昭和52年)8月30日に内閣総理大臣決定された国民栄誉賞表彰規程に基づいており、その目的は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」と規定されている。
福田首相(当時)がホームラン世界記録を達成した王貞治に与えるために作った賞らしい。公開されている授与基準の他に、「これまで功績を積み重ねてきた上に、さらに歴史を塗り替える、突き抜けるような功績をあげた」という「暗黙の了解」を満たしていることも必要だそうだ。
よくわからないのは、今回の長嶋、松井のダブル受賞ではない。なぜ長嶋が受賞していなかったか、である。王は世界記録だったから?では美空ひばりや渥美清は何の記録をうちたてたのか?スポーツは別なのだろうか。たしかに柔道の山下、高橋尚子、なでしこ、吉田沙保里は金メダリスト、衣笠は連続試合出場の世界新記録達成者だし、相撲の大鵬は大相撲史上最多となる32回の幕内優勝、千代の富士は通算勝ち星最高記録更新と業界最高記録更新者だ。しかし、だ。仮にそうであるなら、世界はおろか業界でも歴史を塗り替えるほどの記録がない長嶋が今回なぜ受賞したのだろう?
最初っから、政治家がその人気にあやかる目的は見え見えなのでいい。しかしこういうロジックが通らない解釈は法学部卒としては目覚めが悪い。何で長嶋じゃなくて王が・・・と長年やはり寝覚めが悪かった人たちが日・米MVP受賞で歴史を塗り替えた松井との師弟美談をネタに仕組み、安倍首相とナベツネ巨人軍がのっかったのかもしれない。いずれにせよ、この瞬間、ロジックはなくなったということだ。
ところが探してみると意外なことがわかる。長嶋の通算守備率.965は三塁手プロ野球歴代1位である。1000回球が飛んできてエラーは35回しかなかったということだ。これは4200守備機会以上という最もサンプル数の多いデータにおいて名手の誉れ高いヤクルトの宮本慎也より上ということなのだから、史上最高の三塁手は長嶋茂雄であるといって誰も文句はない。これでロジックは守られるのではないか。
いや、ちがう。
長嶋さんは始球式で松井の投げた内角高めのボールを「打ちに行った」。とても ”らしい”。あれを見て思い出したのは、大洋のエース平松の伝家の宝刀カミソリシュートがすっぽぬけて顔のあたりに行き、一瞬球場が凍りついたシーン。ところが彼はのけぞって倒れながらバットを振っていて、ボールを見るとレフトポール際へホームランだったあの仰天シーンだ。強烈な印象だった。あんなことをした、いやできたバッターは後にも先にも彼しかいない。歴史を塗り替えた人だ。
もうひとつ。いつだったか忘れたがTV番組でONが宮里藍ちゃんにゴルフでチャレンジというものだ。目の前の3メートルぐらいの高さの段の上にサンドウエッジでボールを打ち上げて止めるというもの。長嶋さんはまぐれでも一発で決め、藍ちゃんは数回やって失敗。そのあとのONメンコ対決もNの圧勝。TVで見る長嶋さんは本当に強かった。勝負というものは全部強い人。国民は強い英雄を求めている。敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績とはこのことだろう。
ロジックが通用しない人、長嶋茂雄の国民栄誉賞。納得です。






