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カテゴリー: 政治に思うこと

権力は金なりである国家の品格

2014 JUL 2 1:01:11 am by 東 賢太郎

すごく若いころ、メキシコのテオティワカンという古代遺跡に行った。入り口の通路は10mぐらいのトンネル状のものが2本並んでいる。どっちが進入路、退出路ということもなく人が行き来していて何の気なく左側へ入って歩いて行った。すると急に真ん中あたりにいた警備員風の男がピピーと笛を吹いて通せんぼをし、何か不明の言葉でここはだめだあっち側へ回れ(たぶん)と指をさした。仕方なく入り口まで戻って、右側のトンネルを抜けて外に出た。ふりかえると、だめといわれた左側を人が平然と歩いてくる。

「おい、なんだ、あの野郎、日本人だと思ってなめてんじゃねえか」             「東、ちがうんだ。あいつな、要はやることないんだ。仕事のふりだよ。」          「うそつけ、やけに偉そうじゃないか」                               「あのな、こういう国はな、わけもなく権力をふるいたいんだよ。賄賂もらえるから。」

なるほど。そういえばインドネシアやベトナムでも同じようなことをいわれた。何事も賄賂次第だ。ODAなんかも半分は軍や役人の懐に入ってしまうんだと。公権力、イコール、お金なんだ。権力を持つと賄賂を取って財力がつく、するとその金で権力を買えるようになってますます財力がつく。中国の高官が何兆円(!)も貯めるのは、そういう加速度的な増殖原理でも利用しないと物理的に一代でできる金額ではない。あの警備員もそのうちトンネル通行税でも取って太ろうとしていたのかもしれない。メキシコの名誉のため、これは四半世紀も前の話だということは記しておかねばならないが。

先進法治国家では賄賂は収賄、贈賄として法によって処罰される。だから口利き料、キックバックなどに形を変える。裏金になってしまうが表に出す方法はある。マカオのカジノはそういう連中を客にするためジャンケットと呼ばれる営業マンを置いている。負けた金の4割ほどをスイス口座等に振り込むサービスがあるらしい。裏の10より表の4の方が価値があるという所で料率の相場が決まってくる。宝飾品で渡すという手もあるが指輪等は税関でひっかかるから時計を使う。ダイヤのついた5千万円のロレックスなんかを誰が買うのかと思ったら、賄賂でもらっておいてそれを何気なくはめて海外で6-7掛けで業者に売ると表になるそうだ。パチンコの景品交換みたいなものだ。

権力者がいちいち「場代」を取っては著しい不公平と非効率を生む。この場代と税金がどう違うかは非常に深い問題である。もちろん役人の懐に入るか国庫に入るかは決定的に違う。しかし国庫に入ったところで自分のして欲しいサービスにそれが使われる保証なんてない。そもそも歴史的には払う側にとっては、それがどっちであれ身と生活の安全が保障されるなら同じという時代も長くあった。公共サービスが身の安全保障だけではなくなった現代になって、サービスを行う行政府が配分を予算化して国会で国民の承認を得るというシステムは、それでも一応は民主的であり合理的でもあろう。

しかし最近いろいろな事件を見るにつけて、行政府に対する国民の目というのが予算承認までしか届かないのはどうかと思うようになってきた。予算さえ通ってしまえば役所のやり放題ということにならないかどうかだ。国家安全保障と外交。これは国家にしかできない専管事項だから政権のジャッジに従うしかない。民主党の事業仕分けのように予算の入口から断とうとしても何が不要不急かの判断は難しい。それよりも予算執行にあたっての監視機能を強化する方が現実的だと思う。例えば私見だが東アジア情勢からしてこれから防衛予算が増えるならそれはそれで仕方がないだろう。だからそれを監視する機能も必要だ。集団的自衛権は安保条約あっての概念で、独立国家に当然存在するものをなぜ容認するのか先日イギリス人に説明するのに苦労した。そういう性質のものであり、安倍政権には毀誉褒貶あることは承知の上で僕は現在のところまで特に大きな違和感を抱いていない。逆にあのまま野田政権が続いていたらと思うと、消去法的にではあるが是とする部分も多い。

安倍政権が信任を得たのはアベノミクスの第一の矢が成功を収めたからだ。アベノミクスというのは金融政策で始まった。それは自殺行為だという指摘は、それが財政均衡と経済成長に帰着しなければ通貨価値を犠牲にするだけだという意味においてなら正しいが、金融政策は所詮問題の先送りで無意味だという批判は理論的には一理あるが政策論としてはそう言い切れるものではないと思う。しかしその僕でもやや危険と感じるのは、政権(日銀ではなく)の量的緩和政策(QE)へのこだわりである。これはサブプライム問題を発端とする米国の金融危機への対症療法の劇薬であって(だから米国だって終焉させようとしている)、その傷が相対的に浅かった日本で別な目的で利用して副作用のない療法かどうか歴史的に検証を経たものではない。基軸通貨特権で通貨価値をマニピュレートできる米国だから許されるものであって、そうでない円がそれに耐えられるかどうか、米国のご指導で危険な実験をさせられているようにも見える。株式市場でも似たことをする目の粗い神経の人たちが本当にリスクをわかっているのかどうか不安になってきていることを指摘したい。

安倍政権の政策が米国型バイアスのあるものであることはQE以外にも散見される。生命科学、高度先端医療など科学技術イノベーション戦略へ予算投下して知的財産を輸出財としてゆく、またそこに女性登用を図るというのも米国的だ。第三の矢を従来型産業が牽引する時代でない以上そちらは法人減税で対処して、新成長分野に重点的に予算配分すること自体は正論だと思う。しかしそれが米国のようにうまくいくというのは文科省の予算取りのペーパー上の話だ。米国では産学共同研究等に資本投下するエンジェル投資家やベンチャーキャピタリストの資金が潤沢という土壌があるが我が国のそれは比較にもならないほど貧弱である。問題はお金の有無ではない。投資家は自分の出した資金の使途を厳しく監視するということが重要なポイントだ。一方、我が国は中小企業基盤整備機構が税金を赤字のバイオベンチャーに救済投資したりしている。間にファンドを噛ませているが、監視が米国並みに厳しいかどうか、それを監視するのは役人である。

和田秀樹氏の著書「医学部の大罪」によると、大学医学部は3つの機能である臨床、研究、教育のどれにおいても二流であり、それどころか、医学・医療の進歩の最大の抵抗勢力となっていることが書かれている。それは医局のボスである教授に権力と金が集まるシステムが原因だそうである。権力イコール金。何のことはない開発途上国なみの不公平と非効率がまかり通っているように見える。STAP問題は論文捏造問題と理研特定国立研究開発法人指定問題が合成された複合事件だと思っている。国家的やらせである。医局のボスの役割を理研で誰が占めるか、それに文科省の天下りポストをどうかぶせるか。CDB解体はそのプロセスの一環に吸収されれば痛くもかゆくもなく、国民にはいい目くらましだろう。ボス候補に都合のいい笹井氏が失脚すれば専門家でない天下りの居場所もなくなるから小保方再現実験が11月まで必要になる。彼女が望んでいるかどうかなどの問題ではない。秋の臨時国会まで彼を逃がす時間稼ぎとあわよくばの国民の同情票による目くらましのためである。安倍内閣はSTAP問題幕引きを間違うと政権ごとリスクを負うと指摘する外国の友人がいる。

同じ友人はこういうことが平気で行われてしまう国で米国型の外形を取った一見もっともらしい政策を導入するのは危険であるとも指摘する。ハーバードのバカンティのように日本人にリスクだけ取らせてゼロ・コスト・オプションをせしめようとする者も出てくる。米国のヘッジファンドは獲物を狙うワニのように冷静に日本国債の空売りタイミングを待っている。QEの度が過ぎて円が売られ国債が下がったら国民は大変な国難に巻き込まれるリスクがあるとも指摘している。こういうことをウォッチするのが国会だがだめだ。レンホーのSTAP問題追及などまったく見当はずれで彼女は汚名挽回を逸機した。国債のリスクを正確に理解、察知できるほど証券市場に精通した国会議員はほとんどいないだろう。

日本国民が総体としてこういうことを見過ごすほど鈍感だとは思わない。権力イコール金という図式を温存して利権取得を図る者は古代から世界のどこにでもいるのであって、今の日本だけが腐っているわけでもない。大事なのは、予算が通れば役所のやり放題という状態をチェックするのが役所であり、公務員は性善説なのか犯罪は贈収賄以外は想定されていないようにも見える現状である。しかし国民が市民オンブズマンを組織すれば済むかというと、その機能はあったほうが無難であるとは思うもののそれをまた悪用する者が出ることもある。つまるところ制度を制度で繕うパッチワークには限界があるということだろう。

最後によりどころになるのは国民の常識だと思う。世界40か国を訪問し5か国に赴任歴のある僕として、我が国は、少なくともある一定数の国民はそれができる国であると信じる。開発国並みの権力と金の構図や不届きな論文詐欺のようなものは、構図の利害関係者である行政府やマスコミがどうこうする前に国民が世論として断罪すべきなのであって、古代からのどの時代とも違って、ネット社会の住人である我々は行政でも司法でもなく何の権力もないにもかかわらずそれができるという強力な武器が与えられている。僕の投稿したあるタイトルのブログは今現在22,669人が読んでいる。これは権力ではないから金に結びつくこともない。結びつきたいのはただ一つ、品格だ。実名投稿だから間違えば自分も断罪される。そういう緊張感の中で微力でも国の品格に資するようなこと。ネット発信者に求められるのも品格なのだと思う。

 

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みっともなかった安倍プーチン会談

2014 FEB 9 20:20:16 pm by 東 賢太郎

冬季の競技というのは芸術点のようなものが多くてわけがわからない。速いほうが勝ち、遠くまで飛んだほうが勝ちだけだと大会にならないからだろうか。オリンピックというのはオリンピックでしか見ることのない競技の万国博覧会であると定義してもいい。

ギョーカイの人が見れば優劣があるのだろうが上村愛子のモーグルの順位などさっぱり理解できない。だいたい「見事なコサックです!」とか言われて意味がわかっている人が世界に何%いるのか統計を取ってみたくなる不思議な世界だ。

芸術点というなら、もしリヒテルとホロヴィッツがチャイコフスキーの1番でも続けて弾いたらどうだろう?「見事なテンポルバートです!」なんてアナウンサーが叫んで71.9点なんて出るんだろうか。実にあほらしい。

それはいいが安倍のプーチン会談、あれは国辱級にみっともなかった。「ウラジーミル」だけはやめてくれよ。しかもプーチンの返しは「総理大臣閣下」だ。そうしたらTVが2人の時はシンゾウと呼んでいるんですが、だ。マスコミもグルだったのだろうか。あれを見れば呼んでるわけねーだろうぐらいは白人とぎりぎりの価格交渉なんかをしてるビジネスマンなら誰でもわかる。彼の案か役人の台本か知らないが、ロンヤスがいかに民間で馬鹿にされていたか知らないお公家さんの浮世離れの猿芝居だ。それを世界中に見抜かれてしまった瞬間だった。

しかもさらにみっともないのは、これは女形の芝居だ。習近平に彼氏を取られそうになった容姿に自信のない女みたいだ。もう5回もカレとデートしてるのよ?2回は電話だけだろ。これを見るとおいそんなに中国に追い込まれてるのかよ、と不安になってきた。隣のおばさんは女だからわかりやすいのだ。その隣の方がよっぽど男らしい。軍がない国はここまで卑屈になってしまうものなのか。

 

安倍首相の靖国参拝について

2014 JAN 13 16:16:20 pm by 東 賢太郎

TBSニュースによると1月の安倍内閣の支持率が前月比7.9ポイント上昇して62.5%になったようだ(JNN世論調査)。14.4%と日経ダウなみの急上昇といえる。発足以来、アベノミクス強行、憲法改正論議、消費税増税の履行と当座は国論を二分する政策を仕掛け、1年強を経て過半数の支持を得ているうえに上昇というのは注目される。

僕が重要と思うのは、特定秘密保護法案の衆院強行採決と国家安全保障会議設置法の成立だった。後者は首相と3閣僚(官房長官、外相、防衛大臣)の4名が日本の安全保障問題をめぐる決定を専管できるということだ。前者に対する野党の反抗が一蹴された如く、後者の決定に対する国会の監督もそうならないとの保証はない。

この緊急事態に内閣支持率は低下するとの予測が当時はあったが、現時点でそうはなっていないというのが今日のTBSニュースの重要な意味である。しかも、その事態には続編があった。首相の私人としての靖国参拝である。

一国の元首が自国の戦没者を慰霊するのはあまりに当然というのが僕の立場である。サンフランシスコ講和条約禁止事項ではなく戦勝国、敗戦国は関係ない。従って、政教分離さえ担保されておれば私人か公人かは関係なく、靖国がだめなら米国大統領のアーリントン墓地参拝もやめていただくしかない。他国の祭礼行為を公共のメディアで公然と非難しているのは国連加盟国193か国の約1%に当たる2か国のみである。

同調査によると日本国民の48%は靖国参拝に反対し、42%が賛成であった。反対者の70%、つまり全国民の33.6%が「外交的な配慮に欠けるから」と答えている。しかし彼らに聞いてみたい。「外交的な配慮」とはいったい何であるか?国家の外交とはフレンドシップの確立や維持ではない。国益を得る冷徹な打算以外の何ものでもないのである。その配慮が何の国益を生むのかという当然の問いである。

大方の穏健派は「経済関係」と答えるだろう。しかしそれとても冷徹な打算の関数でしかない。温情やフレンドシップで日本製品を買ってもらっているわけではないのである。個々の企業のミクロ的事情はあるが、国家レベルで見れば2か国の売上げが仮に低下しても日本経済が沈下するだろうとは誰も思っていないことは、世界の全ての意見の総和である株式市場がそれ以後も微動だにしていないことで証明される。

安倍首相は参拝を、二度と戦争を起こさないためと説明している。一部暴徒と化した日本軍の非人間的行為はあったのだろうし、戦時だったから、どこの国の軍もしたことだからと正当化できるものでもないことはその子孫である日本国民は認めねばならない。その犠牲になられた外国人の魂も尊ばねばならないし、そのための適切かつ客観的な近代、現代史教育は必須のものである。

それを棚上げして靖国だけという精神は21世紀において日本が世界のリーダーになる機会を阻害するだろう。なぜ地政学的にはアジアの辺境国にすぎない日本がそうなるかもしれない時勢にあり、1400年も一国を存続させた日本モデルが恒久的世界平和に資する可能性があるかという主張を自ら否定してしまうからだ。それは靖国参拝を拒む以上に非国民的行為だと言わざるを得ない。

安倍さんは「美しい国」ではなく「世界平和を望む国」をモットーとした方がいい。世界平和を望まない国が仮に出てきたとすれば、世界を敵に回すことになる。彼はそれを推進する政府である。その政府を規制する憲法を守り、それを監視する国会がその方針を国策として施行出来るよう導くのは我々国民以外の何ものでもない。2国がその国民が信用できないのだと主張するなら、残念ながら今の僕はそれに全面的に反論するすべがない。SMCにおける僕の主張は、全てがこの点に集約される。

日本国民が好戦的だという主張は科学的根拠がない。あるなら示してほしい。戦争warという単語はあっても防衛戦はdefensive warと形容詞をつけなくてはいけないのは西洋に防衛戦という概念がない証しである。つまり彼らにとって好戦的なのは自明であるのだ。その自国より強くて勇猛であった、したがって日本はもっと好戦的であるという三段論法は武士道をはじめとする日本文化や精神への侮辱であり、あからさまな無知に基づいていると僕は思う。

これからの日本人はそういう無知の不利益を自らグローバルに発信しなくてはいけない。政治家、官僚、民間人を問う話ではない。自らの立ち位置を歴史観に基づいて冷静に観察し、1400年というカネでも武力でも獲得することのできない文化の特殊性、有用性を世界にアピールしなくてはいけない。

そのためにも特定秘密保護法案と国家安全保障会議設置法の成立は、僕はことさらに反対するものではないことを明確にしておくが、当面は下火である憲法改正論議とともに運用をウォッチすべきであり、国民のコモンセンスこそが問われるべき重要なポイントである。国際常識ある国民の祭礼行事が他国に批判されることも、国際常識に照らしてあるはずのないことなのである。

 

 

 

 

中国はどこへ行くか(4)

2013 DEC 28 18:18:39 pm by 東 賢太郎

反日なのに「日本好き」と報じられる国がある。しかし日本国民なのに「反日」という人もいる。国というのはいったい何なのかという切り口から中国の未来を冷静に考え、予測してみたい。

自分や自分の家族が嫌いという人はそれよりずっと少ないだろう。家族が親戚になり知人になり、村落や町になり、さらに島や半島や地域になり国になる。個と集団の両極端が自分と国家だ。集団に近づくとだんだん嫌いな度合いも増すということだ。

民族や言葉や宗教が同じでもかならずしも集団は国にはならない。どちらも同じなのに旧東西ドイツは別な国だった。韓国、北朝鮮もだ。個の原理と集団の原理が一致するのは全体主義においてのみだ。そうでない国がほとんどだから、ほぼすべての国は違う原理で動く異分子を内包している。

国家の3要素と言われる「領土、国民、主権」は統治する側、集団における権力者からの定義だ。人類史における力による支配の時代、支配される側にはその権力に統治されたい、されたくないという選択権はなかった。法による支配、法治国家というものが出現しそれを実現したのが民主主義、主権在民という新原理だ。

民主主義は99%を少数派、フォロワー、被支配民としてしまう独裁制よりはフェアだ。しかしその民主主義でも、少数派が2分の1未満なのか3分の1未満なのか絶対真理はない。要するにそれは次善策でありフィクションである。フィクションの強制なのだから、それに服することを強いられる少数派がその権力に「統治されたくない」と意志表示することを対価として許さなくてはいけない。

少数派の意思表示が支持され、やがて多数派になり政権を取る。その可能性が担保されていることと引き換えに少数派は支持しない支配者に税金を納め、フィクションを認容するのである。つまり「反日」の日本人がいても、現政権に支配されたくはないという意思が尊重されることが日本国が民主主義国家である証しであり、それを日本国憲法第19,21条は保障している。

民主主義はフィクションではない。つまり選挙したら全会一致で賛成だった、あるいは、一人でも反対者がいたらその意思表示を許すが、それがないのだから全会一致なのだと主張するなら、その支配者は人類史において全会一致というものが惑星直列よりも稀なる現象であることを無視しているだろう。

なぜなら食べ物、資源、サービス、不動産、株式ありとあらゆる「値段がつく物」は、売り手と買い手、すなわち意見が正反対の者がいないと値はつかない。人類のあらゆる活動に全会一致はないことを前提とし、それを活用しながら資本主義経済は時々刻々と動いている。だから資本主義の市場経済を導入しながら民主主義でたまたま全会一致であると主張するなら、その主張自体が張りぼてのフィクションだということになろう。

中華人民共和国は「社会主義」を明記する憲法を持つ立憲国家である。国民を代表するとされる「全人代」が最高国家権力機関かつ立法府であり、三権分立による権力の制限はなく、行政、司法、検察に優越する。国政選挙はなく国民が選ぶのは郷代表、それが県代表を選び、それが省代表を選び、それが全国人民代表(全人代)を選ぶ。全プロセスに共産党が深く関与し、国民の投票は信任投票に近いだろう。

現行憲法は、1949年に中華人民共和国の成立が宣告され「中国人民政治協商会議共同綱領」として成立した憲法が4回の改定を経たものである。国民の権利は保障され言論、出版、集会、結社、行進、示威の自由(第35条)、宗教信仰の自由(第36条)もある。しかし国民は「公民」と定義され、その権利は社会主義国家の構成員として義務と一体とされている。

つまり、国民の権利は、社会主義(プロレタリアート独裁)に服従することを前提としてのみ「在る」のであり、独裁を認めなければ「無い」。独裁に服従することと「在る」ことは定義矛盾である。「公民」の権利がちゃんと憲法に書いてあるという事実をもって、「国民」のは書いていないという事実に替えようというロジックは、それが市民革命を経て為政者を縛るための憲法と同質の憲法(constitution)を有する国家であるという主張を正当化するものではない。

資本主義と民主主義。両者は「対立の容認」という不可分の原理に立脚している、と筆者は理解する。前者を肯定し後者を否認すれば、一国家の政治と経済が別個の原理に立脚することになる。後者否認は憲法化されているわけだから前者は成立はせず、いずれ不安定なものに向かう。中国のWTO加盟が不可逆的経済開国であることを前提とした外資依存型経済成長は限界が来るだろうというのがその論理的帰結である。

 

中国はどこに行くか (上海にて思うこと)

 

 

 

中国はどこへ行くか(3)

2013 DEC 20 17:17:29 pm by 東 賢太郎

香港に赴任してすぐのこと、空気のいいスイスから来たせいか上の娘が肺炎になった。ハッピーバレーという競馬場の隣のY病院に緊急入院となり、心配なので三日ほど病院に泊まり込んだ。担当の女医さんはアグネス・チャン似で日本語がペラペラだ。きいてみるとお姉さんだった。名医で助かった。

この病院は競馬場の利益で建てられたそうだ。香港は所得税率が最高15%しかない。相続税、贈与税はない。そのかわり健康保険、失業保険もなく、病気になっても失業しても国はめんどう見ませんよということだ。しかしさすがに病院がないのは困る。だから競馬で負けた人からとるわけだ。一度は一攫千金の夢を見たわけだし、給料からいきなり巻き上げられる税金より納得がいくのではないだろうか。

「香港ジョッキー・クラブ」という競馬場のメンバーになった。なにせ英国流だ。スタンドの上の方にガラスで仕切られたメンバー用貴賓席があり、そこで食事とワインを楽しみながらレースを見る。もちろん静かに賭けながらだ。競馬場の喧騒とは別世界の空間だ。香港は金持ちは思いっきり金持ちあつかいして誰もはばからないし誰も文句を言ったりしない。僕等は接待で小銭をすってY病院に貢献して終わるのが常だったが、文句が出ないのはどうやらそういう理由からではないことが分かってきた。

ある日、夕刊フジのようなタブロイド新聞の一面に若い女性の写真がでかでかと出た。何かと思って読むと、富豪のダンナが死んで巨万の遺産をもらった人だった。ダンナは80ぐらい彼女は20代だ。悪い女だね、そんなの魂胆見え見えだろう、と思うのが日本人だ。記事は彼女をシンデレラガールと称賛してやまない。悪い女?じいさんの方が彼女を選んだんだ。競争相手はわんさといた。それを勝ち抜いたんだから立派じゃないか。まあ、こんなトーンである。

上から下まで延べ棒みたいに金ピカのビルというのは僕は香港島とマンハッタン島でしか見たことがない。東京だったらまともな会社は入居をはばかるだろうというぐらいだ。マンハッタンにはゴールドマンという会社もあるが、香港には大富豪飯店なんてホテルもある。金持ち、大富豪、でっ何が悪いの?という屈託ないノリの命名には、シンデレラ姫の記事と似た精神がうかがえる。こういうところで茶の湯のわびさびやら枯山水をもちだしても難しいだろう。

ビジネスで海外に出るというのは、こういうカルチャーの人たちと競争するということ以外の何物でもない。しかしこういう国が米国だけだった時代はまだよかった。中国がどんどん海外進出してくる今、鉱工業はおろか漁業も農業も酪農でもこういうカルチャーの人がメインプレーヤーになりつつある。新たなカルチャーという黒船の来襲だ。食糧完全自給は不可能な我が国が鎖国を決め込むわけにはいかない。TPPはその踏み絵と理解すべきだろう。黒船はんた~いと叫んでも、来るものは来る。

我が国は大国になった。金持ちだ。成熟国家だ。だからゆとりとおもてなし精神で外国と付き合おう。そんなのんきなことを言っていると遺産狙いのシンデレラ姫の思うつぼだ。東京に金の延べ棒みたいな大富豪大飯店ビルが建つことになるだろう。

 

中国はどこへ行くか(4)

 

 

中国はどこへ行くか(2)

2013 DEC 19 0:00:05 am by 東 賢太郎

香港で僕のやる仕事は複雑だった。ノムラ・インターナショナル(香港)Ltd.の経営は当然だが、この会社にはアジアビジネスのまとめ役という期待もあり、アジア株式業務部門長という仕事も同時に負えということになった。要は世界中にアジア株を売り込めということだ。

株式を売れというアクセル役と、拠点長という時にはブレーキを踏む役を一人で兼務するのは、やってみてわかったが根本的に矛盾があった。アジア株といえば中国株だけではなく、北は韓国から南はインドネシアまであり、それをまとめて欧米や日本に売り込もうといういうことだ。しかし各国に拠点がある。そこには時にブレーキを踏む役目の拠点長がおり、その香港の長が自分でもあるということだ。結局あまりうまくいかなかった。

グローバルカンパニーでこういう人事をする会社はない。国家権力の三権分立と同じで、アクセル役とブレーキ役は別人なのが常識だ。なぜなら「突撃!」と命令しておいて「バカもん、やり過ぎだ!」と諌めるのが同じ将校というのでは、兵隊はバカはお前の方だろう!となるのだ。だから普通は、香港なら香港にローカルヘッドという拠点の長がおり、株式、債券、引受、富裕層営業など各業務部門のヘッドが一人ずつ香港拠点にいる「二権分立」にする。

おおまかにいえば、拠点長が大家で部門長はテナントという関係だ。大家はその国のルールで貸家を適法に管理してテナントをサポート、監督し、違反などあれば出て行けと言う(ブレーキ)のが仕事である。テナントはその部屋から自分の商品を世界中に輸出して稼ぐ(アクセル)ことだけが仕事のスペシャリストで、自分のボスは東京やニューヨークにいたりする。当然、なるべき人の資質も人事評価もぜんぜん別なものになるべきなのだ。

野村の国際部門は94年に大家とテナントの分離政策を始めた。97年からの僕の香港の仕事はそれに逆行しておりグローバルカンパニーになる過渡期だったということなのだろう。もちろん当時そうは思っておらず、与えられた2つの任務の間で試行錯誤を繰り返して悩みぬいた。アジア株を世界に売り込むアクセルの業務はゼロからスタートだったからどうしても強大な馬力が必要だが、それに慣れていない各所で予期せぬブレーキがかかる。結局どうやってもそこに正解はなく、せっかくの風水も万能ではなかった。

個人的にはそんな経験をさせていただいて感謝している。もう世界で2人と現れないはずだ。社内のことはともかく外部には新参者が殴り込みをかけたのだから色んなことがわかった。特に印象に残るのは欧米人のアジア、中国投資への熱い視線だ。まだ中国がWTO開国する前だ。それも友好的な視線ではない。オオカミが羊を狙う目だ。清朝末期、アヘン戦争のころの中国は草刈り場に見えていたのだろうという実感を持った。それに気づいた日本は維新を経て富国強兵に走った。明治の日本と同じ道を現代の中国が歩んでいると考えれば分かりやすい。その先に日本の選んだ戦争という道には決して行ってほしくないが。

今このオオカミの群れに日本人はいない。それを日本の会社が日本人を使ってやることに土台無理があるだろうと思う。そう思って外国人スペシャリストを雇ったが、それでも日本の会社という枠は力不足で外せなかった。もうみずほに移籍していた僕がコメントできることではないが、2008年に野村がリーマンを買う決断に出たのは、結果はともあれこういう試行錯誤を経てのことだったのではないかと複雑な気持ちがある。

グローバルという掛け声は威勢が良くてそこかしこで呪文のように唱えられるが、90%の日本企業でおそらく失敗に終わっている。できたのはほんの一部の製造業だけだ。それも競争力ある製品を海外で作って売るという意味でのグローバルであって、東インド会社の多国間貿易のような「仕組みの商売」はほとんどできていない。そういう仕掛けでやらないと大きな利益の出ない金融、証券では日本企業は全滅である。

こういう経験を経て、もう断言してもいい。日本は世界で最もグローバルでない先進国である。それも政治家、官僚、経営者、国立大学教授、医師など国のリーダーがどうしようもなくローカルだ。魚は頭から腐るというが、腐るわけではないにしろ明治時代からほぼ進化していないのだから腐ったも同然だろう。英語の問題ではなく、マインド、考え方の問題であり、米国でドクターやMBAを取った人ですらあれっと思う人もいるぐらいだ。逆に見ればそれほど日本的マインドは根強いということなのだから、これからの国づくりはむしろそのマインドの長所を前面に立ててグローバル競争した方が勝ち目があるとさえ思う。

そういう中で海外での中国の資源や食糧の買い付け方法やソブリン・ウエルス・ファンドによる株式取得や要人外交先などを見ると、これはもう完全に羊がオオカミになっている。もはや西洋に追いつけではなく、世界のヘゲモニーを米国と争うことに目線が上がっており、科学技術も月面着陸にまで成功している。金持ちになったことも大きいが、トップの思考もグローバルでないとこうはならない。僕は別に中国共産党のリーダー層を礼賛する気などないが、江沢民が上海交通大学、胡錦濤と習近平が清華大学と国家主席が3代続いて理系であるなど、我が国とはエリート像が根本的に異なるような気がする。

(つづく)

 

中国はどこへ行くか(3)

 

 

 

 

中国はどこへ行くか(1)

2013 DEC 17 23:23:38 pm by 東 賢太郎

香港が中国に返還された歴史的な年である1997年末のこと、僕は野村證券香港現法であるノムラ・インターナショナル(香港)Ltd. の社長を拝命した。就任は12月のちょうど今頃だった。当時42歳。ロンドン、ニューヨークと並ぶ3大拠点であり、初めてのアジアでもあったから少し興奮気味だった。

寒いスイスからの外-外の異動だった。12月なのにほわっと暖かくて独特のにおいがする香港の湿っけた空気。どことなく未知の期待感を運んできて胸が騒いだ。今でも香港へ行ってあのにおいがすると、若気の至りだった42歳の気持ちがよみがえってどうにも血が騒いで止まらなくなる。当時の野村では社員130名のスイスもそこそこだったが、社員が450名もいる巨艦であった香港の重みはずっしりあった。

社員に顔見せのあいさつをしたのはおりしも行われていたクリスマス・パーティーの場である。シャングリラ・ホテルの会場は、ほとんどが香港人である450名の社員とその家族の計1000名ぐらいでたくさんの丸テーブルがびっしりと埋まっていた。スケジュール変更があったので、その日に僕が現れるのは予定外だったはずだ。だから今日はちょっと顔を出すだけで結構ですといわれ、そのつもりで後方のドアから会場へ入った。その瞬間だ。突然、司会者のアナウンスが轟くと全員が一斉に後ろをふりかえり、割れんばかりの大拍手となってしまった。おい、ドッキリカメラかよこれ、話しがぜんぜん違うじゃないの・・・。

ステージにひっぱりあげられる。みんな人事発令で僕の名前だけ知っている。今度のはどんな奴だろう?興味津々の視線が集中し、会場は一転シーンと静まりかえってしまった。まいったなあ、こりゃ何かのテストか陰謀か?即興で適当にジョークを入れてしゃべるのはドイツ、スイスで鍛えられていたが、やっつけのスピーチだしどう切り抜けたかは忘れた。よく見ると目の前にいる皆さんが髪の黒い人ばかりというのでなぜか無性に安心し、嬉しかったのだけ覚えている。

そうして始まった数日後のある日、部屋に香港人の人事担当役員が飛び込んできた。社員から苦情が出ているという。何だ?というとこの部屋の風水ですと答える。これは前任社長のためのものだ、どうして早くあなたのに変えないんだと多くの社員たちから人事部に文句が来ているというのだ。モーマンタイ(無問題)、俺はそんなの気にしないと言うと、とんでもない、あなたの問題じゃなく社員の問題だとくる。トップの風水が悪いと全員が不幸になるのだと食い下がられた。う~ん不思議な国だと思った。

翌日の朝、風水師はアポ通りの時間に現れた。あれこれ長々と質問され、生まれた正確な時刻まで親に電話で聞けという。それが終わると、社長室は全面的、根本的に模様替えしろと一方的に通告され、図面が描かれた。何と僕の座る後ろの壁のその裏側(!)に意味不明の細長い小部屋まで建造されることになった。そして数日後、出社すると驚いた。応接セットやソファや本棚は真赤に染まり、まばゆい金色の装飾が朝日に燦然と輝いていた。色弱でよかったと思った人生数少ない瞬間だ。しかし社員の評判は非常に良かった。

多くの中国人の方とおつきあいし笑い話のつもりでこの話をすると、口をそろえて真顔でそれは当たりまえですよ、長の務めですと言われてしまう。例えば高級マンションの建物のどてっ腹に何室分ものスペースの大きな空間(穴)がぽっかりとあいている。もったいないがそうやって風水を良くしないと部屋が売れないからだという。西洋流不動産投資では常識であるキャップレートという指標では計れない別個の経済学が成立している。これは日本でいう「縁起」の度をはるかに越したものだ。

風水はともかくも、日本の知識人で中国史にいささかの敬意も払わない人は少ないのではないか。敬意はともかく我々にとっての中国語(漢文)が、欧州語におけるラテン語の地位に相当することは否定しがたいだろう。三国志、水滸伝はマンガにまでなっているし杜甫、李白を吟じ論語を紐解きながら現在の中国を嫌うというのは、どうも一貫していないのではという気持ちになる。ちなみに僕個人は、いずれ史跡をめぐってみたいほど三国志好きである。

中国の明、清王朝の財宝のほとんどは、国民党が紫禁城から持ち出して、台北の故宮博物院にある。世界4大博物館のひとつであり、まさに天下の珍宝の宝庫である。丸一日かけたが、その日展示されたものだけでさえとても見切れる量ではなかった。行って実際にご覧になればお分かりいただけると思う。残念ながら、日本と比べてどうこうと言う気すら起きなくなり、そのことでお前は非国民だと批判されても事実の前には甘んじるしかない。

日本の文物で起源が中国と全く無縁なものは、なかなか探す方が困難だろう。西洋だってデルフト焼きもスパゲッティもヴァイオリンも、今の中国と特定できるかどうかはともかく東方起源だ。古代、中世において世界に冠たる先進文明が中国に在ったことは否定し難く、我々はその影響下で独自の島国進化を遂げた超先進国であることをむしろそういう形で誇りに思ってもいい。英国人には、自分たちの歴史はカエサルの上陸を持って始まったと言ったウィンストン・チャーチルのような人もいる。

(続く)

中国はどこへ行くか(2)

 

 

 

 

小学3年生から英語?

2013 DEC 14 2:02:52 am by 東 賢太郎

「7年後に若者たちが日本を案内、説明できるよう小学校の英語教育を強化していく。海外留学生の増加計画も充実させたい。日本の良さである『おもてなしの心』を外国人に語れるようになってもらいたい」(「おもてなし」へ小学校で英語教育強化 義家文科政務官インタビュー」より)

去年こういうブログを書いた。 東大3割が辞退

「入学時期を秋にしてそれがグローバル化だと信じてるところがそもそもグローバルでないし。」 本件でもそのまま当てはまる。

①日本を案内、説明できるよう小学校の英語教育を強化していく

ツアーコンダクターの増員計画だろうか?

②海外留学生の増加計画も充実させたい

学びたいことがない者がどうして留学するのだろうか?

③日本の良さである『おもてなしの心』を外国人に語れるようになってもらいたい

『おもてなしの心』を語って説明できるものだろうか?

 

政務官のあげ足を取る気は毛頭ない。しかし根本的に考え方がおかしい。日本人は英語ができないわけではない。読める、書けるのに話せないだけだ。それは「自己主張が当たりまえ」の英語人に対し、「自己主張は控え目」の日本人は話す気概とコンテンツが乏しいからだ。

学ぶことがない者に留学させても意味ないように、伝えるコンテンツがない者に英語を教えても永遠に話せない。小学3年生から英語の歌を教えるのが有効な英語教育だと言うのは、英語でカラオケが歌えれば英語ペラペラで留学できるだろうということに等しい。

早期教育の有効性を否定するつもりはない。しかしやはり早期が重要なピアノ教育だって、指だけ訓練しても弾きたい曲がなければピアノは弾けないのである。

同じ非英語国のフランスやドイツが小学何年生からスタートしているから早めましたなどという小理屈はガラパゴス丸出しのグローバル音痴であって、彼らは強く自己主張する文化において英語人と何ら変わらないのである。

「自己主張が当たりまえ」の英語人は日本人と文化も思考回路も違うのだということをまず子供に教えないといけない。意見のない者、人前で意見を述べられない者は大人として相手にされないよと教えないといけない。だから相手と同じぐらい自己主張しなさいと教えないといけない。日本社会はそういう空気でないから若者は空気なんか読むなと教えないといけない。

それらはぜんぶ「日本語」で教えることができる。学校の先生に頼ってはいけない。英語の先生がそれを理解しているとは限らない。だからお父さんお母さんがしなくてはいけない。そして、もし子供が「よしやろう」となれば、相手は英語人なのだから、その瞬間に「英語を苦労してでも話している自分」に気づくのだ。はっきりした自己主張コンテンツがあってこそ、それを英語化してみて、通じない、理解されない、おかしい、くやしいという経験が生じ、身につく学習をすることになる。観光案内や歌ではだめだ。

それは必ず報われる。発音が悪くても少々文法がおかしくても、苦労してでも何かを伝えよう、主張しようとする者を英語人は軽視しないし、主張次第では興味を持ってくれる場合もあるし、少なくとも対等なパートナーと認めて初めて会話が成立する。それを繰り返しているうちに、通じる思考回路ができてきてさらにうまく英語が話せるようになるというのが大方のプロセスである。

コンテンツ(主張)のない者は英語人が本気で相手にしないから本質的な会話にならず、それが「英語が話せない」という自信喪失現象として記憶されて国民的に語られることになる。それを「ことば」の教育の問題として対処しようというのは、文科省の役人にとっては仕事だということはわかるにしても、あまりに皮相的な観察であり、それそのものがまったくグローバルでないという前回ブログでの主張を繰り返すしかない。

そもそも日本語ですら主張がないような場合は論外であって、中高年はともかくこれからの時代を担う子供や若者はそれではいけないだろう。日本語力を鍛えることは、言語でできている主張というものを頭の中に組み立てる最善の方法であり、そのためには「読むこと(読書)」と「書くこと(作文)」の千本ノックを毎日するのが近道である。そもそもどこの国であれ母国語がしっかりと正確に読み書きできない者が他国語でちゃんとした主張ができるとは信じ難い。つまり、

英語教育はちゃんとした日本語教育あってこそ

である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日中韓米の相克と歴史教育

2013 DEC 5 0:00:10 am by 東 賢太郎

4国とも独裁国家でも絶対王政国家でもない。実質的に中国はそれに近いように見える局面があるが、少なくとも、何らかの外部からは知り得ない意図によるものであるにせよ、政府が民意に敏感に反応することがあるという一点においてはそうではないと思われる。従って、4国とも国民の総意という、目には見えないが擬制として存在することになっている多数意見というものを採択または少なくとも忖度する方法で意思決定がなされているはずである。

国民の多数意見は、各人の自由な意思形成に起因するものと仮定されてはいるものの、実質的には各種のマクロ的要因の影響下で集合的に形成されることが多い(科学的証明は困難だが)。その要因の中でも決定力の大きいと推察されるものに歴史教育があろう。この推察が正しいことは中韓両国がそれを怠っていると我が国に対し強く主張してきている事実からも裏付けられる。筆者の受けた日本史教育においても、確かに大正時代以後の史観においては旗色の鮮明ならざる感を抱かざるを得なかったことは否定できない。

この1年にわかに高まる日中韓米の国益の複雑な相克は各々主権国家としての立ち位置を決めるパラメーターがこの10年で大きく変化した結末として、決して不測の事態ではなかったように思う。特に中国の経済力の急速な振興が最も決定的な要因のひとつであったことはブログで過去3度指摘した。国民の多数意見形成は経済力、つまり国民個々人の生活力と無縁ではない。明日の食費を心配する国民は海のかなたの領土の確保よりも自分の職の確保を優先して考えるからだ。職が足りなければ負の民意が蓄積して暴発するし、10億を超える民が明日を心配しなくなれば正の民意が海の彼方に向かいだすことは人間の集団の性向として時代、国籍を問う現象ではない。

この人間の集団の性向という厄介な相手は、どんな賢王、どんなに強力な軍事政権をもってしても長期にわたって制御できるものではないことは、世界史における枚挙にいとまがない政権交代が証明している。相手国の政権に求めうるコモンセンスというものは存在しない。なぜならその政権もコモンセンスでは自国を統治できないからだ。今のわが国政府は人間の集団の性向を歴史観を持って冷静に見据え、性急に行動することは控え、100年先を見た外交に徹するべきと思料する。そして100年先を見るためには100年前から学ばなくてはならない。

日中韓米は各々の軍事力と経済力という、「国力」というものを規定する2つの大きなパラメーターを国益拡大に少しでも有利に働かせることで競っている。世界史上、それを怠った国はないし、励行しても国は滅ぶものであった。「国力」を磨くのは主権国家として当然のことである。軍事力は経済力なくして成り立たず、経済力は人材確保すなわち国民の教育なくして成り立たない。ゆとり教育という文科省主導による人材劣化促進がどれほどの歴史的愚策であり、わが国の国益を損なったかは自明である。国益拡大にコモンセンスはない以上、国益は相手の行動からではなく自助努力によって得なくてはならない。

軍事力と経済力とを天秤にかけることは無益である。前者の規模は後者に依存するとしても、両者は国益を競う将棋盤においては独立した駒である。後者にリソースを傾斜配分したカルタゴは20万いた人口の15万人がローマ軍に殺され、生き残った5万人は全員が奴隷に売られて国が消滅した。前者をどう考えるか。どこまでの駒にするか。日米安保条約のもとでの米国とのバランスはどうするか。これは歴史教育を経て我々の次の世代が憲法問題として決めていくことだ。そして経済力。これがありすぎて困ることはないし、盤石であることは国益の大前提中の大前提である。それがバブルと呼ばれようがなんだろうが、1990年当時の、ロックフェラーセンターを買い、株式時価総額が世界一であった経済力が今あれば景色はまったく違っていたであろう。

歴史教育とはわが国と他国の関わりの事実を「冷徹な事実(Fact)]として徹底的に、いわば科学的に究明してその結果が心情に添わずとも尊重することである。コップに半分ある水を「もう」と見るか「まだ」と見るかは歴史解釈であってFactを究明する行為とは違う次元の行為である。究明とはその水位をミクロン単位まで正確に測定することである。そしてそれを国民に知らしめる、つまり教育を行うことである。それにより未来の日本国民は中韓の主張する通り「歴史認識をもった国民」として民意を形成し、適切なる国策を決定する準備ができるだろう。

21世紀、米とは継続強化された同盟関係、中韓とはFactを了解したうえで「未来志向」の関係を築くことになるのだろうか。

 

(こちらへどうぞ)

英霊の眠る地

ベトナム戦争という歴史について思う

 

 

自民党コールド勝ち

2013 JUL 23 0:00:58 am by 東 賢太郎

今回の選挙ほど投票日前から黒白がはっきり見えていたケースもあまりないかもしれません。甲子園常連校とノーシード校の地方予選1回戦というところでした。ブックメーカーも民主と共産の票数予想ぐらいしか売り物がなかったでしょう。アベノミクスに論点を絞った自民に対し野党、第三勢力がけちをつけるという陳腐な戦いになり、原発、TPP、消費税などの論点はピンボケに終わりました。自民を独走させてはいけない!でもなぜ?というと答えがない。ねじれたほうがいいともいえないのです。

「株が上がればいいというものではない」

こう言って民主は完敗しました。この発言は

「株は上がった方がいい」+「それだけではいけない」

という意味です。この前半を言った瞬間に完敗は決まりました。民主は「株は下がった方がいい」と主張すべきだったのです。なぜなら民主党政権だと株は絶対に上がらないからです。自分でできないことを自分で是と認めてしまっている。これに自分で気がついていないことこそ最大の敗因です。

何故上がらないか。政策のせいではありません。それに自分で気づいていない民主が政権の座にあるというだけで外人は株を売るからです。12月に野田氏がアベノミクスと全く同じノダノミクスを打ち出していたとしても、外人はそれをてんで信じなかったでしょう。なぜなら左翼系の民主の議員さんたちには株式市場や為替のメカニズムがわからないだろうし、仮に理解はしたとしても、役所がそれに本気でついて行くことはないからです。外人は口先では騙されません。

起承転結という言葉がありますが、「結」まで行ってナンボが政治というものです。「起」は威勢良かったが「承」であやしげになり「転」で文字通りころんで終わった3年3か月でした。なぜころんだか?役所を動かす能力がない、だから財務省のセールスマンに転身して消費税を言い出した。こういうのを卑屈(slavishness)というのです。要は政権担当能力が欠如しているわけです。こういうことを国民は見抜いてさらなる審判を下したというのが今回の結果でしょう。その他第三勢力とも五十歩百歩であり、比較的まともなみんな、毎度おなじみの出し物に一貫性がある共産にアンチ票が集まった。そういうことかと思います。10対0の5回コールドぐらい、ちょっとつまらない試合でした。

 

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