クラシックは「する」ものである(2)ー放浪記ー
2014 AUG 3 1:01:15 am by 東 賢太郎
アメリカ留学中の楽しい思い出ですが、試験がすむと必ず「打ち上げパーティ」になります。普通はバーでやるんですが、ある時、なんとなく僕のアパートでやろうということになって日本人はもちろん、ケニア人、インド人、スイス人、メキシコ人、韓国人なんかが入り乱れてやってきました。うるさいことうるさいこと。我ながら、英語が下手くそで授業で疎外感を味わってる連中同志の憂さ晴らし大会でもありましたね。
家内が日本メシを振るまうわけですが、みんな独身でそれ目当てみたいなもんで、普段は犬のエサみたいなのしか食ってない連中だからそりゃあうまい。一気に平らげ、安バーボンが何本もころがってへべれけになってしまう。ケニア人は家内にカレーの作り方なんか教えてる。誰かがなんか歌いだすと僕は日本語でよーしやるぞーとどなっていきなりギター弾いてビートルズを歌う。そうするとくだ巻いてた奴らや半分寝てた奴らが寄ってきてレット・イット・ビーの大合唱になる。いっぱしのラ・ボエームでした。
大学時代はというと、六本木にニューヨーク・ニューヨークというディスコがあってよく出没してました。あのころは学校などご無沙汰で真正ヤンキー状態。ディスコから雀荘いってそのまま翌日も徹マンなんてのもざらでした。それで夏休みになると1か月ふらっとアメリカ行ってレンタカーで1800kmぐらいカリフォルニアを突っ走ったりで。ディスコというのはあれっきりですが昭和50年代が予感してたバブルの予兆みたいなもんで、夜中までへばるまで踊んですが、何であんなに夢中だったんでしょうね?とにかくあの腹に響く強烈なビートと耳をつんざく騒音みたいな音楽が良かった。若かったです。
ああいう歌って踊っては、音楽で人間と、じゃなく、音楽で音楽そのものとボディ・ランゲージしている感じですね。頭を迂回して体だけで音楽に反応してる。アフリカの原住民の太鼓がそんな感じじゃないでしょうか。理屈をこねる左脳はオフになってて、すっからかんになって感覚だけの右脳でやってる感じです。
面白いかどうかだけが音楽を音楽たらしめるエッセンスと前回書きました。そいつを決めるのは右脳です。それで終わってみて、今度は左脳がでてきて「右脳の奴、どうしてあんなに面白がったんだろう?」なんて理屈をこねだす。そこに「語る人」たちのウンチク話があると、なるほどと左脳は納得するんです。
そうか、そんな大天才の立派な曲なのか!ちょっと舟漕いだけどそれが理解できたオレもまんざらじゃない。そこで今度は自分がウンチクを友達に語ってみたりもする。そうやってウンチクは自己増殖していく。でもディスコの曲みたいに小難しいウンチクがないと、納得しないまま酔っぱらってそのまま忘れるんです。
ワインがそうですよね。82年はどういう気候でどうのこうので、だからボルドーは当たり年でその中でもペトリュスはもう何本も残ってなくって・・・はい、お客さん、だから100万円なんでございます。ウンチクの嵐です。それに値段がついてる。こんなの大学の時に渋谷でポン引きに騙されてボリまくられた暴力バーと変わらんじゃないか。ところがウンチクが乏しいワインはうまかったねえでおしまい。本当においしくてもすぐ忘れられちゃう。
だからウンチクは日々そこいら中で貯まってふくらんでいくし、ないものは永遠にない。その貯まりまくったほうを僕らはクラシック音楽って呼んでるんですよ、きっと。ワインだってイタリア(トスカーナ)のキャンティなんてたいしたことないけど伝統的に黒い鶏の紋章がついたのはキャンティ・クラシコなんて呼んで差別してる。クラシックになるとセレブ御用達感が出るんザーマスよ。
僕はワインだって「うまければいい」というリアリストです。ウンチクはどうでもいい。酒の値段というのはごまかしがないという定説がありますが、僕はちょっと異論がある。高い酒でまずいのはない、そういう意味なら(暴力バーの5000円のビールを除いて)ほぼ正しい。しかし、安くてもそこそこうまいものはあるのでそこは違う。
同じクラスの酒の値段は世界的にほぼ同じというなら、より正しい。その昔、英国の友人は世界最古の職業(**)と最古の酒(ワイン)にはその法則が当てはまると力説した。前者はちなみに世界どこでも200ドルというのが彼の豊富な知見から導かれた学説なのであった。まあどうでもいいが。
ウンチクが貯まった音楽はいい音楽だ。これはまあ正しいでしょう。しかし酒と一緒でリアリストの僕は、ウンチクなんかなくてもいい音楽はたくさんあるよと思ってます。「語る人」は得てして教養人である。教養人は左脳型が多く、歌って踊っての右脳型は少ない。よってディスコミュージックにはウンチクが貯まらない。明快ですな。
左脳型人種がウンチクで塗り固めてしまったクラシックには、実は右脳型、ディスコミュージック型の「歌って踊っての要素」というものが大いにあるのであって、それをそうやって楽しまなきゃもったいないですよ、というのが『クラシックは「する」ものである』シリーズのいいたいこと。同じなら阿呆なら踊らにゃソンソン、これです。
次回から、それの実践編をやります。皆様に「お歌」を歌って遊んでいただき、ちょっと楽譜も見ていただき、堂々たる本格的クラシックリスナーになっていただけることをお約束いたしましょう。
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クラシックは「する」ものである(1)
2014 AUG 2 2:02:05 am by 東 賢太郎
先日書いた クラシック音楽の虚構をぶち壊そう はずいぶんたくさんの方にお読みいただいているようでありがたく存じます。
音楽はもともと歌ったり踊ったりするものだったという考え方、いかがですか?ブログを書きながら自分のクラシック音楽50年史をふりかえる日々ですが、やっぱり音楽は聞くだけじゃもったいない。三島由紀夫にマゾって言われちまうし、そんならサドでいってやろう、こっちから能動的に音楽に作用してやろうと思うのです。
小さい頃だからまったく記憶がありませんが、ラジオドラマ「赤胴鈴之助」の歌が好きでおもちゃの刀を振りまわして踊っていたらそれが親戚に知れわたり、とうとう祖父のお通夜でリクエストが出て故人の枕元でやったそうです。このとき2歳でまだしゃべれません。どうも性根から歌ったり踊ったりが大好き人間だったようです。
歌って踊ってはそのまま鉄人28号、鉄腕アトム、スーパージェッタ―、宇宙少年ソラン、少年探偵団、エイトマンへと行って、どれもTVに合わせて歌ってました。そしてその流れでベンチャーズのテケテケに行きましたが最初は「口(くち)ギター」。体が小さいのでウクレレを与えられましたが、テケテケらしくないというのでさんざんねだってギターを買ってもらいました。もちろんそれを弾くのも歌って踊っての延長です。その先にクラシックがくるわけですが、では小学校の音楽の成績はどうだったかというと通信簿は堂々の「クラス最低」、要はビリでありました。
これはいいわけがあって、母は妹にピアノを僕にヴァイオリンを習わせたのですが、耳元でキーキーいうのが生理的にだめで鳥肌が立ってしまうのです。おけいこを泣いてボイコットしてついに野球小僧に転身が許されました。そのトラウマでしょう、学校の音楽も大嫌いになり、唱歌はいやだし笛のピーピーはこれまた鳥肌が立つしで先生がピアノに向かったすきについに窓から脱走までしました。当時の風潮ですが音楽は「女のやるもの」であり、そんなのが好きだなんて野球仲間に言おうもんならコケにされそうな空気もありました。
ということで、僕の「歌って踊って」は文部省指導要領と一度もクロスオーバーすることなくクラシックに突入していきます。そのへんのことはこのブログに書いてあります( ベンチャーズとクラシック)。「女の芸事」の世界に入るのかいやだなという羞恥心がありましたっけ。ビートルズ、ベンチャーズの曲はべつに卒業したという感じでもなく今でも聴きますし、2歳からそこまでの「歌って踊って」路線がクラシックで途切れたかというと、ぜんぜんそんなことはありません。だけどテケテケと女の芸事はあまりにちがう。俺のクラシックはきっと変なんだ、異端児なんだというコンプレックスがいつもありました。
ところが長いことヨーロッパに住んでいて、そこの文化にどっぷりつかり、現地のいろんな方々と飲んだり食べたり話したりしていると、キリスト教徒である彼らの人生には教会へ行って賛美歌を歌うというのが当たり前のように組み込まれていることがわかったのです。もう赤ちゃんのころからそうしてる。僕も何度も教会に行ったことがありますが、牧師がなんだか長々としゃべって眠たくなると、ちょうどいい頃合いにオルガンが鳴って歌になる。するとそのへんに讃美歌集の楽譜が置いてあって、それを順繰りに回してくれてみんな難なく上手に歌うんです。そういうことが学校で教わるんではなくて生活の一部になっているんですね。
ヨーゼフ・ハイドンやフランツ・シューベルトは子供のころ、ウィーンのシュテファン教会の合唱隊、今でいうウィーン少年合唱団で歌ってました。意外に思っていたのですが、あの文化を知ってみるとなんでもない自然なことですね。教会で歌い家庭で親に楽器を習いそういうプライベートな空間の中で空気を吸うみたいに音楽を「する」。才能があれば有名な先生の弟子になってその道で食っていく。でもそういう職業音楽家を聞くアマチュアも、楽譜を見て初見ですんなり歌えるぐらいの「する人」だったんですね。
そういう経験をしてみると、「赤胴鈴之助」にはじまる僕の音楽ヒストリーも意外にヨーロッパ的には普通なんじゃないかと思うようになりました。オギャーと生まれると僕らは僕らなりに讃美歌の代わりにそこらへんにある音楽を覚えます。それは面白いから自然に覚えるんで、誰かに言われてそうなるんじゃないわけです。この「面白い」というのが音楽を音楽たらしめているエッセンスだと思います。そして、子供は面白そうなことは自分でやりたくなる。そうやって自然に「する人」になるのです。
クラシックを「する」、これは楽器で弾くよりもっと簡単な方法があります。歌うのです。僕は家では大声で歌い、手はたぶん指揮者より動いてます。完全に音楽と一心同体というか、本当に入ってしまったときはトランス状態といいますか。何を歌うか?交響曲や協奏曲や室内楽をです。ベートーベンやらブラームスやらの。パートはその時の気分でチェロだったりヴィオラだったり、裏声でホルンなんかも。フルート、トランペットは口笛ですが僕のは隣りの部屋にいた人が今のモーツァルトのレコード、口笛入ってるんですかとまじめにきいたぐらい音程とリズムに細心の注意を払ってます。
コンサートホールではこれができないのでつまらない。じっと聴いてるのは苦手です。もうここまできたらいつかオーケストラ1日借り切って僕の趣味のとおり皆さんに弾いていただくぐらいしかないですね。魔笛なんかやりたいですね。あれは全曲オケパートを歌えるオペラです。ただ難点はパパゲーノの首つりのところ、それからパ・パ・パ・・・なんですね、あそこに来るとどうしても泣いてしまう。トシで涙腺がゆるんだわけではなく、若い頃からあそこに弱いのです。モーツァルトの音楽が強いんですね。
こうやって僕はクラシックを「して」います(そのレパートリーを順次ブログにしています)。オーケストラ曲を歌うなんて変だとお思いでしょうか。そうじゃないというのは、僕はチェロを習ってわかりました。あの楽器は僕のトラウマになったヴァイオリンのキーキーが出ません。だから弾きながら気持ち良くて一緒に歌う。すると男の声域ちょうどぐらいなんです。なるほどそれならオケのチェロパートを歌ってみよう。そうやってこの道にたどり着いたわけです。
嘘だと思われたら、男性のみなさんは「裏声」で、女性の方はそのままで、サン・サーンスの白鳥、これを一緒に歌ってみてください。
どうです、できましたか。けっこう気持ちよくありませんか?男の方、高いd(レ)がきれいに出ましたでしょうか(僕の声はそれがギリギリです)。この音域のチェロ、音質は男の裏声そのものということがわかりますね。しかも、天下の名チェリスト、ピエール・フルニエと合奏!彼の微妙なポルタメント、フレージングの秘密までよくわかってしまう。こうやって音楽の先生が教えてくれたら窓から逃げなくてもよかったなあ。
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音楽人生に「足るを知る」
2014 JUL 1 11:11:48 am by 東 賢太郎
クラシック音楽とつきあって半世紀。ブログに書いているのは僕のそのつきあいの総集編みたいなものだ。音楽についてだけは僕は人生のまとめに入っている、と最近思うようになってきた。深い思い出があるのは100曲ぐらいのものだろうか。ちょっとつき合ったぐらいまで入れると200ぐらいか。あの時知り合って、あそこでああしてこうしてと、いずれそう遠くない将来にはすっかり忘れてしまっているに違いないことごとを、とにかく書いて記録しておきたい。
どうして「まとめ」と思うかというと、どうも最近新しい曲を覚えられなくなってきたからだ。新しい曲を知ろうという冒険心もちょっと薄れたような気がするが、覚えないのではなく覚えられない。昔は3回もレコードを聴けば1時間の曲がだいたいは頭に入った。音程が良く聞きとれない歌(オペラなど)は苦手だったが器楽曲は真綿にしみこませるがごとく、片っ端からものにした。そのかわり、最近は、もうこれで財産は充分、逆に、最高の音楽人生を歩ませていただいたという満足感にどっぷりと浸ることができるようになった。足るを知るとは、こういうことなのかなあと。
今なら、ベートーベン、シューマン、ブラームスの全交響曲、協奏曲の演奏間違い探しクイズをしたら僕はスコアを見ずにほぼ満点を取る自信がある。出題範囲にモーツァルトの主要オペラ、協奏曲、交響曲、室内楽を加えたっていい。それを覚える分、多くの時間を費やし、脳みそはきっと他のものをはじき出してきただろうから、単に生きていくということでいえば僕はずいぶんと無駄をしてきたものだ。そう、クラシック音楽を趣味とすることは、実は多大な犠牲を要するのだ。
そうやって僕がブラームスの第4交響曲をどんなに愛するようになり、どんなに身近に知っていても、それは他の人には関係がない。世の中に何の貢献も迷惑もない。では演奏したらどうだろうと考える。そうやって僕はシンセサイザーを買って勉強しピアノを練習し、自分で演奏した。しかし同じことだ。聴き手がいないからではない。仮に千人が褒めてくれたって、それはそれ。4番が僕のものになったという気持ちにはきっとならないだろう。音楽はつまり幻(まぼろし)か蜃気楼のようなものであって、近づけば近づくほど消えるか遠ざかるものなのだ。
音楽を聴いている脳で何が起きているのかは興味深い所だ。途中のある部分で鳴るハ長調の主和音は、それだけ切り取って鳴らせばただのドミソだ。曲の流れの中で鳴るからなにか意味があるのであって、どういうことかというと、その音楽の生々流転の脈絡の中でだけ湧き起る「ある感情」をもたらすから意味があるのだ。4番を聴くという事は、その部分部分で出会うある特定の感情、それを曲の進む順番に丁寧に陳列した展覧会に赴くようなものであって、曲が終わった瞬間に、胸に堆積していたそれの集大成がどっと押し寄せてくる。そういう顕著な効果をもたらすものだけを我々は名曲と認知していて、その効果のことを「感動」と呼んでいる。良かった演奏会で夢中で拍手している時、心を占めているのはそれだ。
それは映画や芝居を観た感動と似て非なるものだ。音楽には物語がない。映画館でみな一様に笑ったりため息をついたり、そういう、誰でもそう反応するだろうというものが明らかでない。ブラームスの第2交響曲で、第1楽章のあの平安とカタルシスに満ちた第2主題が鳴っている至福の時、隣の席の人がどう感じているのか知るすべはどこにもない。映画でデートはまず失敗がないが、クラシックコンサートはおすすめしかねる。いくら自分は感動していても、肝心の相手はさっぱりということがありえるからだ。
だからその感情の集大成とは、とてもプライベートなものだ。言葉や文字で伝えられるものではない。平安とカタルシスに満ちた、と形容を試みているそばから、ああやめとけやめとけという声がする。それでも勇気を出してブログにそれを打ちこんでみて、そして多くの方が読んでくださるのだということを知って、僕はなによりも安心していることを知る。そのために、僕は人生でそれが貴重な時間であろうことをうすうす知りながら、それを書いている。そういう行為が必要なほど、僕にとってブラームスの2番や4番の交響曲は人生で重たいものになっているのである。
4番において記憶にのこる演奏、フルトヴェングラーやクーベリックやジュリーニやヴァントの素晴らしい演奏は、最高の名画をそろえた展覧会のようなものである。それを1番目からお終いまでじっくり眺めれば望みうる、おそらくベストの4番体験が味わえる。僕はそれを知ってしまっているので、時間とコストの割にあまり確率の良くない、演奏会場で一期一会の名画にめぐり会おうという冒険を進んでしようと思わなくなっている。それよりもその4人の名演を、少々カネをかけてでもオーディオで理想的に再生した方がいいと思う。幸いクルマにとんと関心のない性分だから、そういうことで車1台分ぐらいはそっちに投資してしまっている。
フルトヴェングラーにしても、何度か録音した4番はどれもちがう。テンポも表情も。それは同じ人が同じコースを回っても同じゴルフにはならないのと同じだ。聴く方だってそうだ。その日その日で同じCDなのに聴こえ方が違うという事を経験している。こっちの脳みその状態は自分が思う以上に実は日々様々であって、それによって名画1枚1枚の喚起する感情は微妙に異なっているから最後の感動もちがってくる。年齢とともにそういうことがだんだんわかってくる。録音された音楽といえども、実は一期一会なのだ。おまけにこれから記憶力が減退を始めてくれる。いずれ僕の7千枚のCDは全部お初、おニューと等しくなる。老後に退屈する心配はなさそうだ。
音楽で新規開拓に関心がなくなってきたのは、だから、たぶんその他のことにもそうなってきていることへの穏やかな警鐘かもしれない。仕事はもう自分の事業を始めてしまっているから、これは出資していただいている株主のためにやめることはない。ぼける前の日までやるしかないしそれが本望だから始めたのだが、そういうことよりも、僕は信頼して下さった方を裏切ることが嫌なのだ。それは、社会正義に反することをした人間を断罪したいという、僕がたぶん人一倍強く持って生まれた心の動きと同じかもしれない。裏切り者の自分というものは蛇蝎のように嫌いだ。還暦とは節目としてちゃんとうまいタイミングに来るものだなあと感心する。仕事を採るならばその分ほかにしわ寄せがいくという事なのだ。
そうなれば音楽とのつき合いは現状維持がせいぜいだ。ということは自分にとって大事な曲と録音をもっと大事にしていくということだ。そこにはヨーロッパ生活での11年半の思い出以上の素晴らしいメモリーがある。それ以上にはもう望まないし、それを望まない方が今の僕には重要だ。第2の人生、まだ若い、もっと前進するぞというと威勢はいいのだが、虚勢でもあるように思う。そういう人生は歩みたくない。若いことと前進するかどうかは別だ。「足るを知る」ということばは含蓄が深い。お金でもなんでも、物的なものは結局は幸福をもたらさないのだろう。増やそうという欲は捨てて、在るものを大事にする。これだと思う。
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クラシック徒然草-音楽のマクドナルド化-
2014 MAY 7 12:12:15 pm by 東 賢太郎
斉藤さんからいただいたコメントをなつかしく拝見しました。ズビン・メータの「春の祭典」が我々が親しくなるきっかけだったというのは面白い。当時はクラシックでもポップスでも「新譜」の発売というものにイヴェント性があったんですね。メータがCBSに移籍して初録音は何になるかファンはやきもきして待っていた時代です。歌謡曲(死語になりましたが)にしてもビートルズやキャンディーズにしても次の新曲はアルバムは?というのでわくわくした経験のあるシニアは多いでしょう。クラシックにもそれがあったのです。
ネット時代になってyoutube等で音楽が電子情報としてばらまかれています。それを従来のオーディオ・フォーマットに落とそうとすればお金はかかりますが、パソコンのスピーカーやスマホのイヤホーンで満足なら全部無料です。タダは無敵です。音質ぐらい目をつぶってもいいやという人が増え、音楽の録音技術やオーディオ再生のマニアックな部分は売れずにどんどん淘汰されます。悪貨が良貨を駆逐して世の中悪貨だらけになる。マックが街のハンバーガー屋を淘汰したのと同じ。音楽のマクドナルド化です。ポップスはいいかもしれないが、クラシックでのそれは由々しき聴衆の劣化を招くと危惧しています。そういうことにこだわらないならクラシックを聴いても面白さ半減だからクラシックは死へ向かうといってもいいでしょう。ビッグマックモーツァルト風、ないんですそんなものは。
クラシックのマック化はライブ録音の増加という形に現れています。コストがかからないからです。たしかに一部の演奏家はライブの方が面白いということもあり、ライブを好む聴衆もいます。しかしそれはスタジオ録音というレファレンスがドンと真ん中にあったからでしょう。それと比べてどうかという楽しみがあったのです。それが昨今はスタジオ録音の新譜というと、オペラやオーケストラのように録音にお金がかかるものはほとんど見なくなりソロや室内楽ばかりで寂しいと感じるのは僕ばかりではないでしょう。
録音は写真のようなものだと思います。スタジオ録音というのは、成人式や結婚式で一生残すために着飾っておすましして撮るあれ。かたやライブ録音とはスナップ写真です。だから昔のアーティストは嫌う人もいました。カラヤンはライブの正規録音はほとんどありません。スタジオで撮影するというのは永遠の記録に残すのだから気合いの入り方も違います。写真がお遊びのプリクラにも芸術にもなり得るように、録音そのものが芸術であるということが稀にですがあります。
それの最たるものが、ピエール・ブーレーズがCBSに録音した春の祭典です。これがライブで収録できる可能性は確実にゼロです。写真芸術であり録音芸術なのです。それによって被写体に興味を持ち、クラシック探訪の道に入りこんだ方は数知れないと思いますし、僕本人がその一人です。そういう出会いがあるから、当時のクラシックリスナーは全神経を集中して音を聴き、新譜を待ち焦がれていたのでしょう。こういうことがプリクラやスナップ写真でおこるというのはちょっと想像しがたいのです。
僕のブログ「アビイロードB面の解題」は、ビートルズの後期のアルバムは写真芸術、録音芸術の領域の産物ではないかという僕なりの仮説であることをご理解いただけるでしょうか。ライブでそれができないからスタジオにこもった、そしてそれは最近書いたグレン・グールドの晩年の方向性とも合致していると思うのです。アーティストにこういう芸術領域が与えられないなら、音楽のマック化現象はやがて音楽芸術を滅ぼします。ライブの方が感動的だ云々の皮相的な話ではないのです。
僕は音楽ブログは演奏の観点ではなく作品の観点から書いております。それは被写体が良くないものをスナップ写真の加減で良く見せるのはそもそも芸術でないと思っているからです。そういうものは消費の対象にはなるかもしれませんが鑑賞するものではない。ポップスは普通は消費する物ですが、アビイロードみたいに鑑賞できるものもある。そういう例としてあれを書きました。だから逆にクラシックにおいて消費する物ばかりが市場にあふれるのはどうかという気がしてなりません。気合いを入れて造ったものを気合いを入れて味わう。その両方があって初めてアートはなりたつんですね。
斉藤さんと、あのころにお会いしてよかった。今だったらメータの春の祭典のライブ録音はどうですかなんてご質問はなかったろうし、僕はそんなものをまじめに聞いてもいなかっただろうからお友達になるきっかけもなかったですね。
クラシック徒然草-庄司紗矢香のヴァイオリン-
2014 FEB 18 19:19:32 pm by 東 賢太郎
ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流 | Sonar Members Club No …
このブログにコメントをいくつか頂戴したのでどうしてかなと思って調べてみると、SMC経由ではなく直接インターネットからこのブログを検索された方だけで1750人おられました。「ユリア・フィッシャー」でググるとwikipediaの次、なんと2番目にそれが出てきて、原語の「Julia Fischer」で検索しても2番目です。こうなるとフィッシャーさん自身の目にもとまるかもしれないし、応援団長みたいな気分です。
彼女のヴァイオリンは大好きなのですが、ただし、あのブログはもともとそういう意図で書いたわけではなくyoutubeを聴いた感想を自分が忘れないようにという程度のものでした。まだ実演を聴いたわけでもないし・・・。そうしたら偶然にグリーグを見つけてしまい、がぜん彼女がもっと好きになってもう一度ヴァイオリンを聴いてしまい・・・という風に出来上がったことを覚えています。面白いことが起こる時代になったものです。
ところで、そこに「ミ」の音の話を書きました。僕のミとシのこだわりはアメリカで1年間チェロを習った時にできました。初めはどうにもうまく取れません。先生のは抜群にきれいなのにどうしてだろうと・・・。それはたぶん自分の楽器がピアノとギターという平均律で転調がお手軽にできる分だけ自然音階の本当の美しさを犠牲にしている楽器だったからだったと解釈しています。平均律は自由な転調を可能にするための人工的音階であり、ドラえもんなら「ラクラク転調マシーン!」なんて名前をつけそうです。本当はチカチカ点滅している蛍光灯が残像現象で目をごまかして「ずっと光っている」ように錯覚させているのと似ています。自然光の方が、当たり前ですが自然であり目に優しいのです。
音楽を「歌う」という表現がよくされますが、僕はピアノで「よく歌っている」という評論家のコメントがどうもピンと来ませんでした。ところがチェロを弾いてみて分かったのです。歌というのはヴィヴラートがかけられるかどうかというよりも、ミとシのようにそのメロディーの背景となっている和声の流れに沿って自在に自然に音のピッチ(高低)を変えられることで生まれるのではないかということを。
もう少し説明が必要でしょう。整数比から求めた自然な音程を純正音程と呼びますが、平均律のミとシは純正音程より高いのです。ところが、例えばですが和音がドミナント⇒トニックと行く場合のシ⇒ドというメロディのシはチェロならある場面では平均律より高めにとってその和音の流れをより強調したり感情をこめたり聴き手に予感させたりという高度な技が発揮できるのです。そうやって「旋律に感情を乗せる」、つまり歌うことができるのです。ここで書いている「歌う」とは、僕の感覚でいえば「和声に深く共感する」もっと露骨にいえば「それにエクスタシーを感じる」ぐらいに書いてしまっていいでしょう。
つまり、この2音を高くとったり低くとったりで、平均律楽器には真似のできない微妙な感情表現、こころの移ろい、切々と訴える人間らしさや恋心のようなものを表現できる。これが「歌」と言われているものの大きな要素となっている感じがするのです。それができるから弦楽器は熱く歌えます。そしてピアノはこの表現手段を決定的に欠いています。だから弦楽器ができる歌というものを単音楽器のピアノができるということはないのです。「良く歌っているピアノ」というのはあたかも奏者がそうしたいという気持ちが明白でそれが聴衆に伝播している状態を第3者が描写したということにすぎず、物理的にはそれがレガートであれ音の連鎖の漸強漸弱であれ、音高(ピッチ)のズレというものには到底かなわないものだと言うしかありません。そのためにピアノ音楽は「ピアニスティック」と後世に呼ばれることになる表現方法を獲得して進化しました。人工音階は人工なりに独自の美があるのであり、それに初めて気がついてそのエッセンス、結晶を抽出した人がショパンだったといっても大きくは間違っていないと思います。
もうひとつ加えますと、モーツァルトは自身がヴァイオリン、ヴィオラの名手でもあり、常に歌手の声を念頭に作曲していたと思われます。ピアニストでもあった彼はもちろん僕が気づいたようなピアノで書く平均律メロディの限界、調性や和声変化に則してメロディの構成音をズラすことができない限界を知っていたはずです。早くにピアノ協奏曲の筆を折ってオペラに集中した理由はここにある気がいたします。これは終生ピアノで思考していたベートーベンとは対照的であり、彼には管弦楽スコアですらピアノ的に発想して書いたような部分があります。ベートーベンがモーツァルトと違って旋律の美しさではなく音楽の構築性を主眼に作曲し、声楽には目立った成果がない理由はそこにあるかもしれません。彼の交響曲のピアノ版はそのままピアノソナタとして聴けますが、モーツァルトのそれは異質なものとして響くのです。
話が飛びましたが、その平均律でミとシを覚えていた僕がサンサーンスの「白鳥」を弾くと、このメロディーがト長調でドーシーミーラーソードー・・・でいきなりシとミがあって、それをちょっと高めにとってしまう感じ。ピアノとはそれで合うんですが、どうもチェロとしては違うんじゃないのという気がだんだんしてきて、これが何度弾いても気にいらないのです。美しくない。ユリア・フィッシャーの「音程の良さ」を上記のブログに書きましたが、彼女の耳の良さはあれだけピアノで平均律の音楽をしていながら、ヴァイオリンを持つと弦楽器世界の音階、音程で鳴らすことができる、そういうことへの賛辞のつもりでした。
そのブログを読み返していて思い出した演奏家がもう一人います。庄司紗矢香さんです。この人のヴァイオリンは非常に不思議で、音があるべき高さでピタッと収まるという意味では音程はあまり良くありません。ところが音楽には説得力があるのです。こういうミとシの取り方が僕はしたかったのかもしれないと思います。ヴァイオリンという楽器の世界の内部で音程、音階が自己完結していて、オーケストラの独奏部として溶け込むというよりも「別個の小宇宙」を作っている感じとでもいいますか、次の和音へ向けて音を取っているので鳴っている時点で合っていないというか・・・感覚の問題でうまい言葉が見つかりませんが。
論より証拠、youtubeで聴いてください。まずチャイコフスキーから。いかがでしょう?素晴らしい演奏です。
ユリアとは全く別の美点が彼女のこの演奏にはあるのです。それはソロ楽器としてのヴァイオリンという楽器がもっている他のどの楽器にもない特質、つまり聴き手の感情をばらばらにかき乱して熱く訴えかける力を強く感じさせる点です。それは例えばG線の激してねばりのある鳴らし方や高音部の陶酔感のある歌、そして汚い音になることに頓着もないボウイングは時に激してごしごしした感じなのですが、それらがぐいぐい心に入ってくる。テミルカーノフも彼女の「濃い演奏」にのせられています。
ユリアは器楽的であり彼女の弾き方で立派なカルテットや合奏団ができますが、庄司はプリマドンナの集まりが合唱団にはならないように、そういうイメージがもてません。この楽器のソロだけが発揮できて合奏にすると消えてしまうもの。そういう魔性があるのです。彼女が優勝したのがパガニーニ・コンクールというのもうなずけます。第2楽章のヴィヴラートのきいた中音部の歌など、けっして僕の好きなタイプではないのですが、ここまで思い切り歌われると魅力に押し切られますね。お茶漬け風味の多い日本人には非常に珍しい、こってり系の強い個性を持った人です。
今度はブラームスです。これもyoutubeにあります。こんなに歌いまくって熱くて骨太のブラームスも珍しい。ここでも音程をはじめとする細部のアーティスティック・インプレッションはユリアより落ちます。しかし彼女は軽率に弾き飛ばして音をはずしている凡庸の奏者と違い、強い共感とパッションが先に立って一音一音に魂がこもっているのが表情から見てとれます。第1楽章カデンツァから終結までの魂が天に上るような恍惚のドラマ!涙が出ました。重音でも歌って歌って粘り気のある音で押しまくります。こぎれいでピッチの合った音を出そうなどという策は一切なく体当たりの真剣勝負。実に見事です。アラン・ギルバートという指揮者もいいですね。北ドイツの頑固者の集まりみたいなオケが心服していい音楽をつけていることも注目です。日本の女の子が彼らを向こうに回して堂々の立ち回り。あっぱれです。何人が弾こうとこれは天下に誇れる最高のブラームスですね。
(こちらもどうぞ)
クラシック徒然草-ブルックナーを振れる指揮者は?-
2014 FEB 14 11:11:37 am by 東 賢太郎
前回ブルックナーについて書かせていただきました。後期ロマン派としてなぜかブルックナーとマーラーは対比されるのが常ですが、この2人に何か精神的な基盤となる共通項を見出すことは大変に困難です。僕にとってブルックナーは人生に不可欠ですが、マーラーはもう一生聞かせないと神様に取り上げられてもあまり悔いはございません。食わず嫌いではなく全曲を真剣に聴いてきた結果そういう結論に至っているのでご容赦いただくしかありません。マーラーファンの方は、きっとお怒りを感じると思われますので、以下はなにとぞお読みならないようお願いいたします。
また本稿が何らかの宗教的な意味合いやアンティ・セミティズムのようなものから発しているわけではなく、また他人様の趣味に意見しようというものでも毛頭ないことを最初にお断りしておきます。僕が「マーラーは嫌いです、まったく聞きません」というとたいがい「ではブルックナーも?」とくる、たぶん日本人だけが持っている大きな勘違い。それがテーマです。前稿に書きました「ちゃんとしたブルックナー」とは何か?「どの指揮者がそれを振れるのか」?という僕なりの見解を述べることです。
ですから、大変申し訳ないのですが、マーラーもブルックナーも同じだけ好きだという方が、マーラーはともかくブルックナーの方をどう聴いておられるのか僕にはちょっと想像がつきません。僕のイメージでは、ブルックナーは宗教画、風景画、静物画であるのに対し、マーラーは人物画、さらに言えば自画像、時にカリカチュアですらあります。同じ美術館の同じ時代の一画にはあっても、同じ部屋に並べられると違和感がぬぐえません。
鑑賞する方はさておきましょう。さらに申し訳ないのですが、本質的にマーラー指揮者である音楽家がブルックナーを振っていると、まがい物かレコード会社のイエスマンではないかという風に僕は見えてしまうのです。マーラーに徹していればよかったのに何の因縁か振ってしまったバーンスタイン、ショルティ。悪くないのもあるがワルター、マゼール、インバル、クーベリック、アバド、シノーポリ、ノイマン、テンシュテットもやめておいた方が評判を損ねなかったでしょう。ブーレーズにいたっては何を勘違いしたのか意味不明です。聴けるのはジュリーニ、クレンペラー、べイヌム、ハイティンク、シャイーですが後者3人はやはり ACOというオケの美質に多くを負っています。
ブルックナーの音楽は自然のアブストラクトな表現という最も核心となる一点においてマーラーとは遠くシベリウスによほど近いのであって、ブルックナーにあってシベリウスにないのは神という視点のみです。しかし、自然は神が造った万物であるというのがキリスト教ですから、そこに三位一体の中間に立つ人間という存在が介入しないのは同じことなのです。ところがマーラーというのは真逆であって、神と自然が欠落して人間のみが出てくる。しかも勘弁してほしいことにその人間は彼自身であるのです。ご異論があれば、上記の勘違い組の中でシベリウスをまともに振れる人を挙げられますか?バーンスタインはそこでも異質。唯一、若いころのマゼールが例外なだけです。
つまりブルックナー、マーラーとは完全に補集合的存在であって、たまたま近い年代のウィーンで時を過ごしただけのこの両者が「同一の精神領域」に存在すると感じること、つまり両方を演奏したり共感を持って聴いたりすることは僕にはまったく考えられません。マーラーの2、6、7など私小説かつ自画像の陳列であって、彼という人間になんの共感も持てない僕には聴くのが苦痛でしかありません。その自画像がR・シュトラウスの英雄の生涯などという見るからにチープなフレームではなく一見立派な金縁の「交響曲」というフレームに収まっている、いや確信犯的にそこに収めている手管がまた嫌なのです。チャイコフスキーも悲愴という私小説を書きましたが、それは交響曲である前に強烈な自殺メッセージであり、彼の自慢の髭面を四六時中眺めさせられる拷問ではありません。個人の好き嫌いを書いて大変申し訳ありませんが。
上記のリストに挙げなかったのがカラヤンです。誰の何のウンチクだか知りませんが、
カラヤンをけなすのが通だと勘違いしている人が際立って多いのがわが国音楽界の顕著な特徴です。僕は彼の57年録音(EMI)のブルックナー8番(右が買ったLP)を高く評価しています。これはおそらく彼のBPOデビュー近辺の録音で、そんな大事な1枚に当時は欧米でも通しか聴かなかった売れそうもない8番を持ってくる指揮者がどこにいたでしょう。カラヤンけなし派の方々は彼のシベリウスの4、6番という大変な名演をどう評価しているのでしょうか。2番はフィルハーモニアOへのお義理で録音だけして実演ではやらなかった彼が4、6番をじっくり研究した、そういう趣味と耳と読譜力とオケを率いる技量を持った指揮者をけなすのが通という人たちが一体何の通なのかさっぱり理解できません。そして、述べたようにシベリウスとブルックナーは遠くないのです。
カラヤンはマーラーを4、5、6、9、大地と振っていますが4、9、大地の3つは音響プロデューサーではなく芸術家としての彼の資質をよく表わした選曲と思います。ブルックナーは全曲録音した彼が1~3、7、8をやらなかったのはそもそも作曲家に共感がなかったからでしょう。DGに進出して自分の縄張りであるベートーベン、ブラームスに侵食してきたバーンスタインを彼は意識していたそうで、その逆襲ぐらいのものだったのではないでしょうか。バーンスタインの手垢がついたショスタコーヴィチ5番を振らなかったのも意識があったのだと思います。
僕のブルックナーのレコードはそのカラヤンの8番をはじめ、コンヴィチュニーの7番、クナッパーツブッシュの5番(右)、ワルターの4番、マタチッチの9番、ヨッフムの6番が大学時代に買ったものです。このクナの5番はシャルク版というひどいカットがあるものなのでもう聴いていませんが、演奏は非常に良くていい入門になりました。
5番は最も好きで、前回書いたヨッフム盤に加えて、カール・シューリヒトが1963年2月24日にウィーン・フィルを振った楽友協会ライブ、ルドルフ・ケンぺがミュンヘン・フィルハーモニーを振ったもの、ギュンター・ヴァントがケルン放送交響楽団を振っ
たもの、エドゥアルド・ファン・べイヌムがコンセルトヘボウを振ったものが好きでよく取り出して聴いています。LPで非常に感心したのがハンス・ロスバウドが南西ドイツ放送交響楽団を振った7番(右)です。この物々しくなさ、軽さ、速さはユニークでこんなにどろどろしない7番も珍しい。しかし見事にツボをおさえていてちゃんとこの曲を聴いた満足感を与えてくれる、これぞ通好みの演奏でしょう。
これまた日本の「通」がほぼ無視しているのがバレンボイムです。彼はシカゴとベルリンで2度も全集を入れていますが僕は評価しています。フィラデルフィアで彼が僕の嫌いなリストのソナタを弾くのを聴いたことがあって、これが一生の記憶に残る名演でした。テクニックのひけらかしは皆無でテンポの遅い部分が語りかける。曲のイメージが一新しました。バッハの平均律(CD)も表面の美観ではなくあの時のリストに似た深い沈静感が彼の美質なのだとわかります。それはブルックナーに適合した美質でもあります。彼はユダヤ人ですが、ユダヤ人が振るマーラーをステレオタイプ思考で誉める傾向にあるお国もの好きの日本の評論家からすると、その彼が振るブルックナーというのは収まりどころがないのかなと見えます。そういう御仁たちのつまらないウンチクなどお忘れになった方がいい。ちなみにバレンボイムは日本人にはブルックナーはわからないという意味の発言をしたそうですが、これはメニューインの田園交響曲発言と同じで、そうかもしれないと思ってしまいます。
こうして書き出すときりがありません。日本で神格化され「ブルックナー大権現」と化しているクナやシューリヒトや朝比奈を今さら論じるのも時間の無駄ですから、ここでは評価していない指揮者、評価されてもいい指揮者だけにしました。僕が「ちゃんとしたブルックナー」として聴いているものがどういうものか片鱗だけでもご理解いただければ幸いです。各曲ごとの「各論」はいずれ書いて行こうと思います。
最後にブルックナーの版の問題について一言。これは曲によりますが非常に差が大きく、原典版の場合別の曲というほど違うこともざらにあります。しかし僕は前回書きましたが、作曲者自身がそれに寛容だった背景と思想から、ベートーベンのベーレンライター版の是非論とは全く反対にあまり版にはこだわらず聴くことをお薦めします。せっかく良い雰囲気を体感させてくれている指揮者に対して、シンバルの一打ちがあったかなかったかのような些末なことで評価を変えてしまうようなことはブルックナー鑑賞の本筋を大きくはずれています。別に「正しい版」があるわけではないのです。そういうウンチク好きのマニア向けマーケットはクラシックでは大事ですが、古楽器演奏がはやったのと同じ商業的動機を強く感じてしまいます。どの版を選んだかとか、誰も演奏したことのない版を探してきてやってみせるみたいなことよりも、「ちゃんとした演奏をできるかどうか」の一点の方がよほど大事で、ブルックナー演奏の本質探究はそこだけでよろしいかと僕は思います。
(追記、2月3日)
その問題はオリジナル楽器で春の祭典をやりましたのようなものにまで波及していて、いくつかそういう「祭典」を買って聴きましたが実に本質を外れたつまらない演奏であって、原節子や吉永小百合の「そっくりさん」が往時の彼女らの映画の役を演じたリメイク画像のようなもん。アホらしくてすぐ捨ててしまった。音楽の王道ど真ん中のブーレーズ盤に正面から対抗できないことを自ら告白するようなものだ。アーチストとして二流ですね。
(追記、2月24日)
ブルックナー交響曲第8番について
8番を書かずに終わってしまったのでやや悔いがあり、演奏のことだけでも書いておきたい。8番はフィラデルフィア管弦楽団定期演奏会でスクロヴァチェフスキー指揮の強烈な洗礼を受け(1983年10月28日だった)、まったく特別な曲となった。ずっとのちに東京でMr.S指揮/読響(02年)も聴いたがあれと比べてしまうので感銘は大したことはなく、これより尾高忠明/N響(07年)が良かった。フランクフルトのアルテオーパーで聴いたギュンター・ヴァント/NDR響も印象に残っている。曲を知ったのは大学時代に買った上記カラヤン盤。CDで感銘を受けた筆頭はシューリヒト/VPO盤だが、この語り尽くされた名演に僕が加えることは何もないだろう。90年にニューヨークで買ったクナッパーツブッシュ盤はよくきいたが録音に深みがなくもったいない。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(49年3月15日、ベルリン、ティタニア・パラストでのライブ)
僕はフルトヴェングラーのブルックナーは好きでない。この演奏もコーダのアッチェレランド、ティンパニの不可解な爆発、ハース版とあるが一概にいいきれないなど認容しがたいもの続出なのだが、それでも彼が聴衆の心をわしづかみにしたのはこういうことだと示す好例がこのライブなのだ。この前日(14日)に放送用録音がありEMIから出ているが、圧倒的にこれだ。僕は彼がピアニストだったらといつも思う。ハンマークラヴィールソナタやさすらい人幻想曲や交響的練習曲などぜひ聴いてみたいし、そう思わせる指揮者は他に浮かばない。彼の視座は常にマクロにあって帰納的で、ミクロから演繹する人と対極にあるのが最大の特徴であり、それが彼を今に至るまでオンリーワンにしている。凄いことだ。大発明は帰納法的に発想され演繹的に証明されるのだ。この終楽章の加速は何だ?といぶかるのはミクロの次元の話で、8番の鳥瞰図ではそれでピタリとはまるのかもしれないと思わされてしまう。スコアを広げてそれを眼から俯瞰できるのは天賦の才であって凡人は知ってから気づく。現にこれを知ってしまった凡人の僕にはスコアの方が違うとみえてしまう(そんな筈ないだろ・・・)。ブラームス1番と並んでそうなってしまった罪作りな演奏であり、嫌いだと言っているそばから自分も信者なのではと不安になってくる。写真のSACDも買ってみたが、もともとフルトヴェングラーのライブではトップクラスの良い録音であり僕の装置ではそうご利益も感じない、好き好きだろう。
カルロ・マリア・ジュリーニ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ジュリーニの残した数々の名盤の中でも1,2を争うものと思う。ノヴァーク版はあまり好きでないし、第1楽章の金管は音程がずれたりVPOならではのアバウトさがあるが、この極上・究極の管弦のブレンドとジュリーニの打ち立てる盤石のフォルムの前にはどうでもよくなってしまう。押しても引いてもびくともしないとはこのことだ。ホルンとチェロの合奏の綾など音楽演奏の媚薬とすら感じる。ワインでいうならペトリュスの82年がこうだった。美味だけでない、美に梃子でも動かぬフォルムがあるのだ。ムジークフェラインで正月に聴いた実物のVPOもここまででなかったのだから録音の美なのか?それを用いて一切あわてず騒がずのテンポとバランスで建築していくのだが、こんなに綺麗でいいのということにならないのがジュリーニなのだ。何度も書く「フォルム」、構造でもカタチでも形式でもない、うまい日本語がないこの言葉、彼の指揮芸術の根幹をなすそれをお感じになって欲しい。こんな指揮者もいなくなってしまった。
(補遺、3月14日)
エドゥアルド・ファン・べイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
こういう8番を好まない人は多いかもしれない。長大な8番というとやたらと意味深げに構えて、偉大なるスピリチュアル・イベントでございといった雰囲気の演奏が横行するが、そういう皮相な解釈をあざ笑うかのようにこれはスコア(ハース版と思われる)を直截的に音楽的に鳴らすだけの直球勝負だ。実に小気味よい。スケルツォはきっぷの良い江戸っ子の啖呵のようで豪快、全体にさっぱり系でメリハリあるリズムと推進力に圧倒され、アダージョは辛気臭さが皆無で純音楽美をひたすら追求。僕の最も好きな演奏の一つ。
ヨゼフ/カイルベルト / ケルン放送交響楽団
1966年11月4日、カイルベルトが最後に振った8番の記録。彼ほど音楽を巨視的視点からとらえ、聴き手を納得させられた人は少ない。それはブラームス2番の稿に書いたことだ。20世紀初頭のオーケストラはこう響いていたのかという音。フルトヴェングラーのように異形を演じることなく自然な造りでそれを成し遂げるのは伝統という言葉の真の意味を開陳する。8番としてはずいぶんあっさり聞こえるが、要所を知り尽くし、十分なクラリティのステレオ録音で内声まで浮き彫りにするそれは、ドイツ人のブルックナーの良識と感じる。
(こちらもどうぞ)
ブルックナー交響曲第9番ニ短調
ブルックナーとオランダとの不思議な縁
2014 FEB 13 1:01:10 am by 東 賢太郎
11日時点でのソチのメダル数はノルウエーが11個で1位、日本は2個の17位であります。ノルウエーの人口は500万人で世界の114位であり、北海道の550万人より少ない。考えさせられます。山と雪があればいいというものでもないようです。これも驚いているのがオランダの3位です。スケートはできてもオランダは山がないです。一番高い山でも322.5mしかありません。考えさせられます。
今回はそのオランダにまつわる思い出です。
僕の母方の祖母は長崎人です。いうまでもなく開国前の長崎というのは西洋への窓口でしたし、明治になっても中国(上海)への窓口でした。彼女が嫁いだ家は横浜の生糸貿易商、天下の糸平こと田中平八の傍系でした。長崎、横浜とくれば神戸ですが、僕の家内はその神戸人です。そしてソナーの取締役である僕のパートナーは英国人です。そしてもう畏友と呼ばしていただく神山先生は上海人です。長崎、横浜、神戸、英国、上海。そうしようと意図したわけでない、成り行きにまかせての結果なのですがそれが僕の人生をとりまく諸都市でありなにか強い運命の糸を感じます。
長崎とくれば出島のオランダでもありますが、僕は野村ロンドン時代に2年ほど「オランダ担当」をやらせていただき、この国には数々のかけがえのない思い出があります。そのひとつ、僕の16年の海外生活でも最高に痛快だったエピソードがこのブログにありますのでよろしければお読みください( オリックスのロべコ買収)。
オランダは米国留学中1983年夏休みに家内と欧州旅行したとき、イギリスからホーヴァークラフトで人生初めて上陸した欧州大陸の国だったという意味でも僕にとっては特別です。あの時は28歳と25歳の夫婦でした。身なりは完全なバックパッカーで、安宿のトイレもない屋根裏部屋に泊まりました。アンネ・フランクの家、ゴッホ美術館、それからフォーレンダムというオランダ情緒ある港町へ行って食事したり、とにかく失礼ながらアメリカの文化と歴史の乏しさに辟易していた僕にとって心のオアシスみたいに感じたことを覚えています。
そしてここで文化といえばなんといっても世界に冠たる名ホールであるアムステルダム・コンセルトヘボウがあるのです。
レコードでここの音にぞっこん惚れこんでいた僕がわくわくして訪れたのは言うまでもありません。しかし残念ながらここのレジデント・オーケストラは海外演奏旅行中とのこと、コンサートにはありつけなかったのです。よく考えるとその数日前にロンドンのロイヤル・アルバート・ホール(プロムス)でハイティンク指揮の同オケの演奏会を聴いていたわけで、当然でした(それは僕がヨーロッパで聴いた初めてのコンサートであり、曲目はブルックナー交響曲第9番ニ短調、素晴らしい高貴な演奏でした)。
ホールの音が聴けないのが悔しくて、正面ゲートの扉を押すとスッと開きました。やったぞ、しめしめ、と中へ侵入してみると、もぬけの空で誰もいません。こんなチャンスは2度となし。家内の制止をふりほどいてスタスタと舞台へ登り、撮ったのがこれです。31年前のことゆえなにとぞ時効ということでお許しください(なお、良い子の皆さんはぜったいにまねしないでくださいね)。
ま、これで「コンセルトヘボウの指揮台に立つ」と履歴書に書けます。偽ハイティンクですが。それにしても28歳のわが身、細かったです。この翌年、84年にオランダ担当者になったのも運命の糸の続編という気がします。そしてその末に上記の拙稿に書いたことが起きたわけです。
ちなみにこのいたずら写真の貧乏旅行は、このアムスからベルギーの友人宅へ行って荷物を預けて、まずは鉄道で家内と2人で「シューマン交響曲第3番」の稿に書いたライン下りを経てザルツブルグで音楽祭(カラヤン、アバド)を聴き、あこがれのウィーンでパルシファルを聴き、ベルギーに戻って今度は友人一家と車でパリからフランスを南下してカンヌ、ニース、モナコを経てミラノはスカラ座で蝶々夫人を聴き、ベニス、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ポンペイまで行きました。都合1か月のことでした。
ずいぶん優雅ですが実は大変な「コスト」を払っていたわけで、この間に他のウォートンスクールの日本人留学生は皆さん真面目にサマーコースを受講して2~4単位の貯金をします。夏休みなし。それが日本人にとって過酷なMBA取得の「常道」でした。しかし若さとカネとヒマの3拍子そろうなんて人生2度とないと、僕は落第するリスクを取ってサマーコースは放棄して1か月「丸遊び」したわけです。会社人事部には国内旅行と届け出、学校の教務課にはそういう人間は後にも先にもいないといわれましたが無視。そのツケで2年目は9単位取ることが必須ですが物理的に9科目しか受講は無理なので「1科目も不可を取れない」つまりサドンデスの状態になり、1つでも落としたらMBAを取れずに帰国した留学生という恥ずかしい汚名を一生きせられるというのは覚悟の上の旅行だったわけです。
それでも僕はのんきに2年目は80万円ぐらいでチェロを買って、フィラデルフィア・オペラカンパニー管弦楽団で目立っていた美人でグラマーの首席チェリストのお姉さんに個人レッスンを1年間受けて音楽をみっちり教わりました。楽譜がよく読めるようになったのはこの時です。しかも最後のセメスターは日本人が怖がって避けて通るウォートン最難関科目である「中級会計学」に日本人ただひとり挑戦。自信満々だったところが、受講生50人中15人が米国公認会計士資格者だったことを知り愕然とし、10%つまり5人は必ず不可がつく仕組みなので、最後の3か月はそれこそ死ぬほど勉強しました。ラストスパートでなんとかゴールインできたのですが、ファイナル(期末試験)がおわって数日後のパスできたかどうかの発表は東大の合格発表より緊張しました。それでもあれから30年が経過して、鮮烈に記憶に残って人生の糧になっているのは会計学よりもヨーロッパ旅行の1か月なのです。リスクは取ったもん勝ちです。
さてその翌84年に晴れてMBA(経営学修士号)を取ってロンドン現法の一員となってからは、そのヨーロッパは音楽の都ではなく戦場と化しました。それでも息抜きにはよく遊びました。男は若い時分は仕事よりも遊びで育つと勝手解釈してましたっけ。思い起こせば、ロンドン-アムスのフライトは1時間ぐらいであっという間でした。午後おそい便でヒースローを発って夕方にスキポール空港に着くと、まずは定宿のホテル・オークラの「山里」で日本食を食べます。そこからやおら先輩といっしょにタクシーを1時間飛ばして海辺のザンフォードという街まで繰り出し、カジノでひと勝負というのが毎度のパターンでした。勝ったり負けたり、ほんとうに元気でした。ゴルフもずいぶんやりました。オランダにはスコットランドやアイルランドに劣らない素晴らしいコースがたくさんあるのです。我が国を代表する名指揮者、コバケンこと小林研一郎さんとも2~3回ほどやりましたか。マエストロは54歳から始めたのに腕前はシングル級で、強いはずのベットはコテンパンにやられました。
コンセルトヘボウの話に戻りましょう。このホールの音の美しさは何度も書きましたが、一度行って聴かれたら二度と忘れないでしょう。だから僕は自宅のオーディオルームの設計はここの音をレファレンスにして部屋の縦横比率を工夫して黄金分割にしましたし、さんざんとっかえひっかえ試聴したパワーアンプの音色の選択もそれを意識しました。写真撮影に来た「ステレオ」誌のインタビューでは「コンセルトヘボウで鳴ったウィーンフィルが僕の理想の音」と答えました。ただしそのコメントは「その方がより面白い」というだけで、ここのオーケストラも世界最高水準の音と腕前を誇ることは疑いありません。そういえばコバケンさんは僕らとヒルバーサム・ゴルフクラブで1ラウンド回ってから急ぎコンセルトヘボウに駆けつけて演奏会を振るなんていうこともありました。もちろんチケットをいただいていて、リストとチャイコフスキーの名演を堪能させていただいたものです。
この名ホールで聴いたたくさんの演奏会の中でも最も鮮烈な記憶として残っているものが、オイゲン・ヨッフムが亡くなる3か月前、人生最後に登場したものでした。曲目はこれまたブルックナーの交響曲第5番変ロ長調で、1986年12月4日のことでした。その日の演奏会の録音(左)が素晴らしい音でCD化されているのを見つけた時の喜びは大変なものでした。これは僕の人生の宝物であり、オランダ国との深いご縁からいただいた天の贈り物でもあると思っております。なぜこの日にアムスにいたかというと無粋な理由でして、僕の同期がロンドンに転勤でやってきたために、「東、お前はロンドンの大手顧客をやれ」という上司の命が下って彼への引き継ぎに来たのです。クラシックに無縁な彼は誘っても来なかったので、一人でこれを聴いたのでした。アムスは卒業という記念すべき日でもありました。これがその録音です。
この録音を5番の最高峰とされる方も多いので覚えていることを書きますと、僕の席は第1ヴァイオリンの横手で、ヨッフムさんの指揮姿を左斜め前やや上方から見る位置でした。出だしからオーケストラの馥郁たる音は神々しいばかり。指揮者と作品への楽員たちの敬意がオーラのようにひしひしと感じられて客席は息をのみ、一期一会でもあるかのような只事でない雰囲気にホールごと包まれました。あんな経験はありません。皆さん、これでヨッフムとはお別れということを悟っていたと思います。このホールは客席後方からの反響が僕の位置だと聴こえてきます。膨大な空間を感じるのです。信じていただけないでしょうが、そのエコーのために音響が広い宇宙に鳴りわたっているようで、ブルックナーの混淆がえもいえない効果を醸し出しました。まるでご高齢で動きが小さいヨッフムさんの後光か霊力のようなものがオーケストラを動かしているように感じていました。テンポが落ちた終楽章のコーダの大地の鳴動は一生忘れません。ヨッフムさんは足元があぶなくて舞台のそでで立ち止まって拍手をうけていて、鳴りやまぬ拍手にこたえて第4楽章をもういちど演奏しました。
この日のブルックナー体験から、音楽を非常に微視的に聴く傾向のあった僕は、
「体と精神で聴く」
という聴き方があるということを初めて教わりました。今でも近代音楽を聴くときはものすごく細部まで耳がいっているのですが、ことブルックナーだけはその対極に位置していて、全身で音の波長と振動を感じながら聴いているのです。ドイツの森のなかのようであり、母の胎内に感じたかもしれない波動みたいでもあります。楽典についても、スコアを見たりシンセで再現したりということもなく、7番の第2楽章をピアノで弾いてみるぐらいです。何番が特に好きということもなく、彼が書いた楽章はすべて一様に宇宙の森羅万象を感じ、それが味わいたければどれでもいいのです。とにかく、そんな付きあい方をしてきた作曲家は他に一人もいません。
ブルックナーは曲の完成後も弟子の進言によってスコアを改変しており、優柔不断で自信家ではなかったように言われていますが、僕はすこし違うイメージを持っています。彼にとって交響曲を書くことは「神と宇宙の体現」であり、そこに「一つだけの回答」というものはなかったのだと思います。書こうと思うたびに異なった世界が眼前に現れ、そのどれもが正解であり、どれもが正解ではなかった。だからそれは改変ではなくてもっと正解に近づこうとする「もがき」だったし、何度もがいても近づけずに9番まで書く途上で亡くなってしまった。僕はそう思っています。ブルックナーは何番がいいのですか、誰の演奏を聴いたらいいですかという質問を受けたことがありますが、「何番でもいいから、誰のでもいいから、ちゃんと演奏したのを聴きなさい」とお答えしました。その「ちゃんと演奏する」のは難しいのですが成功している指揮者はたくさんいます。それに身をひたしていればいい。ブルックナーは頭で聴くものではなく、「体験」するものだからです。そういう音楽を前にしてやれ何番のどこのテーマがどう、誰の指揮の何楽章がどうというようなことは皮相的でふさわしくなく、僕はあまりしたくありません。
ブルックナーというと思いだすことがあります。東京からフランクフルトに92年夏に転勤が決まった僕は、まず一人で赴任して近郊のケーニヒシュタインという高台の美しい街に新居を探しました。家族が来るまではさびしく、毎日が長く感じられ我慢の限界でした。やっと家内と2人の小さな娘が来てくれた時の嬉しさは忘れません。毎週末、4人で石畳のこじんまりした街を散歩して食事をし、森を歩いたりお城へ登ったり。ドイツ語はわかりませんでしたが今振り返ると夢のように幸せな日々でした。翌年にドイツ現法社長になってフランクフルトの大きな社長宅に引っ越す必要があり、そこで今年成人した長男が誕生することになるのですが、大好きなケーニヒシュタインを去るのにはとても後ろ髪をひかれたものです。
そのケーニヒシュタインから車でほんの5分ぐらい丘を下ると牧草地の中にバート・ゾーデンというかわいい村があります。フェリックス・メンデルスゾーンはそこに住んでいた姉ファニーの家に避暑にきて、あの天下の名曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を書いたのです!僕は毎朝そのバート・ゾーデンを車で通りぬけて出勤していましたが、メンデルスゾーンもケーニヒシュタインの森やお城を散策したに違いないでしょう。フランクフルトと反対方向に丘を下っていくとライン川のほとりにそってヴィースバーデンに着きます。ブラームスが交響曲第3番を書いた場所も思えばわが家のすぐそこでした。そんな聖地のような場所に4人で住んだ1年間は、もしかして僕の人生最高の幸福な年だったのかもしれないと思います。
あの家の近所の丘や森や高台や商店街を娘たちの手を引いて散策した風景、変わりやすいお天気、ぱらつく雨、霧に湿った空気、小川のせせらぎのかすかな音、森の木々の匂い、石畳の古びた細い路地、そういう懐かしいものが次々と、使い古された言葉ですが「走馬灯のように」フラッシュバックするのが僕にとってのブルックナーの音楽なのです。とても大切なものであり、他の作曲家の音楽を聴くときとは心の持ちようが明らかにちがっています。あえていいますと、僕は5番が大好きです。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で体感したブルックナーの真髄。それが5番と9番だったことは僕の音楽人生で大きな啓示となりました。これも僕とオランダ国との見えない糸の導きだったのかもしれません。
お知らせ
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ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/
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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を聴く
2014 FEB 8 22:22:39 pm by 東 賢太郎
2月2日に上海から帰ってくると、翌日は春めいて暖かかった。窓の外は霞がかかっていて多摩川方面はまるで上海のホテルから見た遠望の景色みたいだった。持って帰ってきちゃったねと言っていたら、翌4日、僕の誕生日には一転してみぞれがちらついた。そして日増しに寒さが増して、いよいよ今日は大雪だ。
明日は息子の成人祝賀会の予定だったが、我が家は国分寺崖線の斜面の中腹なので目の前の車道はけっこうな坂だ。もうスキー場の緩斜面になっているだろう。あした親父を迎えに行く車は出せそうにない。ホテルはキャンセルした。我が家の3人の子は生まれた年のシャトー・ムートン・ロートシルトを買ってあって、成人祝賀会で開けて「初飲み」させるしきたりになっている。それも今回で最後になる。
仕方ないので風呂に入った。僕は自宅では3階の天守閣みたいな狭い部屋に住んでいて、唯一のぜいたくが寝室の隣にある風呂だ。高台なので遮るものがなく、2面が窓で冨士山と森が見える。窓を開け放してCDをかけながら湯船で本を読む。これで露天風呂気分になれ、一日の疲れが一気に吹き飛ぶ。それが僕の健康法であり、激務とストレスから回復する漢方薬みたいなものだ。
しかし当初に想定していたのは、雪だ。これがなかなかチャンスがなかった。やっとそれがやって来た。犬みたいに喜び、正月でもないのに朝風呂となった。がんがんに熱くして窓から雪煙が舞い込んできて目が開けられず頭が凍りそうだ。ああロシアみたいだと思った。ロシアは行ったことがない。親父がロシア民謡が好きで赤子の頃から耳元で鳴っていたのが僕のロシアだ。ソチの開会式は思い出のボロディンで始まった。アルファベットの説明でチャイコフスキーは出てきたがストラヴィンスキーもラフマニノフもなし、それなのにディアギレフとバレエ・リュスが出た。へえ、これも縁だと思った。
雪が積もったら聴きたい音楽?それはチャイコフスキー以外にない。交響曲第1番「冬の日の幻想」。最高だ。そういえば「積んどく」だったCDを思い出した。ホロヴィッツがいろいろな指揮者とやったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のライブ集だ。セル、ワルター、バルビローリがニューヨーク・フィル、スタインバーグがハリウッド・ボウルOと。それを風呂で全部聴いた。ラジカセみたいな安物のシステムだが風呂なので意外にいい音がする。録音が古いし雑音も大きいのでそれでちょうどいい。
こういうコンセプトのアルバムは大量消費フォーマットであるCDでなければ想像もできなかった。指揮者が変わってもホロヴィッツという個性が些かも霞むわけでなく、どれを聴いても同じマジックショーを見て同じように感心するという体のものだ。僕は彼に向いているラフマニノフの3番を聴こうとこのCDセットを買ったわけだった。ところが雪になってしまうと、どうしてもチャイコフスキーだ。どうしても。
ホルンが導入するこの曲の冒頭はクラシックを知らない人でもCMなんかでたいてい知っている。全クラシック音楽中でも最も有名なテーマのひとつだ。しかしこれが「序奏部」であることは詳しい人しか知らないだろう。だから2度と出てこないのだ。第1主題はこれである。
第2主題はこれ。僕はこれを弾くのが大好きだ。
3部形式の第2の中間部にこれが弦に出る。
これが子供の頃きいていたロシア民謡の懐かしさいっぱいだ。このテーマは展開部以降で活躍する。
第1楽章は一応ソナタ形式になってはいるが序奏のインパクトが強すぎてどうも異形という感じが抜けきれない。最初に楽譜を見たニコライ・ルビンシテインが「不細工」と評したのは同感だ。この形、僕は妙な例えで恐縮だが子供のころ採った目ん玉だけでかいトンボ「オニヤンマ」を思い出す。この不格好な第1楽章の大きさは作品36である交響曲第4番と似ているのだ。そのことは同曲の稿で書きたい。
上掲CDのコメント:
ブルーノ・ワルター指揮
音は悪い。一部欠落有。指揮者がそれなりにじゃじゃ馬のピアニストを引っ張っていて実力を垣間見せる。それが叙情的な部分に活きているが、馬の方も黙っていない。聴衆はホロヴィッツ目当てでそれを知ってかワルターが最後は迎合してしまい疾走する。
ジョン・バルビローリ指揮
NYOのは全部同じカーネギーホールだがこれが音がいい。ピアノも弦も質感が出ている。しかし針の雑音が最悪で惜しい。弦にポルタメントがかかりロマンチックにやりたい指揮者と剛腕を鳴らしたいピアニストとがまったくの同床異夢なのが面白い。終楽章コーダはピアニストがテンパってしまい待ちきれない。
ウイリアム・スタインバーグ指揮
スタインバーグはマーラー1番をサンフランシスコで聴いたが、小さな動きで重くねばりのある音を引きだすのに長けていた。ここもそういう音でピアノのパワーに対抗している。野外のハリウッド・ボウルでホロヴィッツはショーマンシップ全開、コーダはもうスポーツマンシップの領域に達していてオケとともに燃えて頂点に上り詰める。
ジョージ・セル指揮
これは名演だ。冒頭から速めのインテンポである。トスカニーニ盤もそうだが、相手は義父でホロヴィッツが猫をかぶっている感じがする。ここでは、そう来るかい?そんならそのテンポでやったろーじゃねえかという感じだ。各所で明らかに性格が合わないお二人だが、だからこその火花散る凄まじい演奏。武蔵と小次郎、野球なら往年の名勝負、野茂vs清原である。終楽章コーダの凄まじさは実演なら失神者が出そうだ。音もしっかりしており、これは一聴の価値がある。
Youtubeから全曲を一つ。1987年生まれの中国人、ユジャ・ワンのフィンランドでのライブ。この子は若手で最も注目している一人だ。まずピアノを弾く姿勢が美しい。見ただけでこういう音が出るだろうという速さ、しなやかさ、切れ味。しかしそれだけが武器かと思うとそうではない。初めはエンジンがかかっていない第1楽章の第2主題から集中力が増してテンポがおちて瞑想ともいえる叙情性が発揮され、そこから彼女が舞台を支配し始める。第2楽章は幻想曲のよう。しかし中間部のとても難しいパッセージはお手の物という軽やかさで聴衆の息を飲ませる。指揮者は健闘しているが彼女の速いパッセージの切り方、語法にオケがついて行けない。終楽章コーダは彼女のギリギリの遅いテンポにオケが持ちきれず、あり得ない個所でアンサンブルが乱れてしまうほどピアノが歌う。クラシックの本場で東洋人がやりたい放題なのだ。あっぱれである。日本人もうまい人はいくらもいるが、こういう空気を読まない、いやむしろ空気を支配してしまう人はいない。だからドイツ・グラモフォンが契約しようという人がいないのだ。音楽だけの話ではない。なぜ日本人がグローバルになれないか、こんなところにも理由がくっきりと見て取れる。おもてなしも結構だが、これは民族性なのか。実演を聴いていないのでわからないが大きな音も出ていると思われ、もう少し構えの大きな音楽ができるようになればメジャー級だ。しかも「4番の打てるショート」の資質。間違いなく大器と思う。
以下、my favorite CDsである。
マルタ・アルゲリッチ / キリル・コンドラシン / バイエルン放送交響楽団
1980年ミュンヘンでのライブ録音。アルゲリッチはその10年前にデュトワと、後年にアバドとのスタジオ録音もあるがややおとなしい。彼女はライブで燃える人だ。ここでは彼女全盛期の技が冴えわたっているが、ホロヴィッツのように業師には聞こえず、若鮎のような生命力の魅力は抗しがたく、叙情的な部分への感情移入も表面的ではない。終楽章の入りのミスタッチを除けばほぼ完ぺきなピアノ演奏である。同じく特筆したいのがコンドラシンの指揮で、この曲の伴奏で一つ挙げろといわれれば僕はこれを採る。
デニス・マツエフ / リコ・サッカーニ / ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団
2003年に出たBPOのライブ録音シリーズで、チャイコフスキーPC全曲、ラフマニノフPC3番が入った2枚組CDである。これはi-tuneで購入できる。非常に素晴らしい演奏で音もよく、万人にお薦めできる。とにかくマツエフのピアノが鳴りきっていて豪快そのものだ。ホロヴィッツを聴いた後でも負けていない。この曲の第1楽章は譜面を見ただけで気が遠くなるほど難しいがどこ吹く風だ。サッカーニの伴奏も快演でツボを心得たプロの指揮だ。彼の指揮でこのCDを含むBPOライブシリーズが出ているが、僕はバラ売りで全部買った。それに値する。
スヴャトスラフ・リヒテル / ヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン交響楽団
重戦車のように重いオケと轟音を立てる重量級のピアノの対決だ。第1楽章第2主題以降のテンポを落としたオケの粘りのある表情はやや違和感があるが、リヒテルのピアノの弱音の美しさにそれを忘れる。技術は同等レベルだが彼とホロヴィッツがいかに違うテンペラメントの音楽家かよくわかる。ライブでは彼はロウソクの明かりで演奏した。プロコフィエフのソナタの青白い閃光が忘れられない。第2楽章中間部の軽くて速い音など名人芸の極致である。カラヤンの指揮はわざとらしくてまったく共感しないが、リヒテルの弱音と叙情を聴いていただきたいCDである。
ヴラディミール・アシュケナージ / ロリン・マゼール/ ロンドン交響楽団
若きアシュケナージが63年に録音。僕にとって高2の時に買って曲を覚えた懐かしの演奏(LP)である。学園祭でこの曲の冒頭を聴いて衝撃を受け、すぐそれを買ったのだった。本人は気に入っていないとどこかで読んだ気がするが、何の不足があるんだろう。特に第1楽章のリリカルな表情など若くないと出せない魅力で、これを書いたチャイコフスキーも若かったと感じさせてくれる。LPのB面にあったラフマニノフ(コンドラシン指揮)の方にだんだん気が行ってしまったのを覚えているが、この名曲の原体験の記憶は演奏の隅々まで残っていて、今もときどき引っぱり出して旧友と会う気持ちで聴いている。
ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」
2014 FEB 5 12:12:09 pm by 東 賢太郎
日露戦争終結(1905年9月5日)
ロシア第1次革命終結(1907年6月19日)
火の鳥(1910年6月25日、パリで初演)
ペトルーシュカ(1911年6月13日、パリで初演)
春の祭典(1913年5月29日、パリで初演)
第1次世界大戦勃発(1914年6月28日、サラエボ)
世界はロシアが大きく突き動かしていました。日露戦争敗戦により南下政策を断念して汎スラブ主義へ舵を切ったロシアの矛先がバルカンへ向かいます。それが汎ゲルマンのドイツや、やはりバルカン侵略をもくろむオーストリア・ハンガリー帝国との対立を生んで第1次世界大戦の引き金となったのは言うまでもありません。そんな激動の中で、当のロシアのバレエ団であるバレエ・リュスが夏季にパリ公演を行うために作曲依頼してできたのが上記の「ストラヴィンスキー3大バレエ」です。そしてこの3曲がその後の音楽史を大きく突き動かすことにもなったのです。
バレエ・リュス(1909-1929年)はマリンスキー劇場、ボリショイ劇場の夏季休暇中の海外引っ越し公演だけを主催する団体でロシアでの活動はありません。人類初の世界大戦勃発直前という緊迫した時勢なのに、ベル・エポックのパリにはそんな需要があったというのには驚きます。花のパリは伊達ではない。フランス人の異国好きもうかがえ、現在はそれがさらに東の日本のアニメに来ているという歴史的脈絡も透けて見えますね。バレエ・リュスはセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929、左)というロシア人の辣腕プロモーターの求心力でのみ成り立っていた「ツアー劇団」で彼の死とともに消えました。フォーキン、ニジンスキー、バランシンという伝説的ダンサーが舞い、ピカソ、ルオー、ブラック、ユトリロ、キリコ、マティス、ミロというキラ星のような画家が舞台や衣装を飾るという豪華さです。音楽はドビッシー、ラヴェル、サティ、プロコフィエフ、ファリャ、レスピーギ、グラズノフ、F・シュミットなどが担当し、ここに無名の若手ストラヴィンスキーも名を連ね、委嘱されてできたのが3大バレエです。ちなみにココ・シャネルも活躍した一人です。ディアギレフ自身もリムスキー・コルサコフに弟子入りして作曲家をめざしたのですが挫折して経営の道に入りました。彼に作曲の才能がなかったことを後世の我々は感謝しなくてはなりません。
「火の鳥」は19世紀ロシアのロマン主義を色濃く残した音楽で、革新的な音も聞こえますが大半がリムスキー・コルサコフの引力圏内に留まっています。それが1年後のペトルーシュカになるとドビッシーに近接し、オーケストレーションは「夜想曲」、管弦楽のための映像の「イベリア」など、ピアノは前奏曲第1、2集を思わせる書法を感じさせます。しかしそれでもメロディーに依存した音楽という性格は火の鳥をひきずっていて、リズムより和声と旋法で新奇さを出す方向性には19世紀の残像があります。
それがさらに1年後の「春の祭典」になると音楽の主要言語としてのメロディーはほぼ姿を消して無機的なイディオムと化し、それに代わってリズムとクラスター化した不協和音による新しい音楽言語によって前作までとは別世界の音楽へと進化します。ドビッシーがペトルーシュカに好意的で「パルシファル以来の作品」とまで持ち上げていながら、春の祭典にいたると一転して「非音楽的な手段によって音楽を作ろうとしている」と批判したのはその2曲の間に横たわる断層の大きさを物語ります。
昨日59歳になった僕が、41年前、18歳だった1973年に初めて買ったペトルーシュカのLPはピエール・モントゥー指揮ボス
トン交響楽団(右)でした。ブーレーズ盤は74年発売だからまだ出ていなかったのです。その時点でアンセルメの火の鳥、ブーレーズの春の祭典をすでに持っていて、この曲も何かで耳にはしていたと思いますがその2曲ほど魅かれていなかったかもしれません。人形とはいえペトルーシュカが殺される残酷なストーリー、耳をつんざくトランペット、無機的なドラム、あからさまな複調なんかがあまりピンとこなかったと記憶しています。
この曲の神髄に触れるにはやはり翌年にこれ(左)の洗礼を浴びる必要がありました。待ちに待ったブーレーズ盤。わくわくしながらこれに針を落とすといきなり光のシャワーのように部屋にあふれ出た「謝肉祭の市場」!直撃のKOパンチを食らい、一気にこの曲のとりこになるしかありませんでした。つやつやと磨き抜かれた完璧なピッチの音が見事な音響バランスと透明感で鳴る。広い音場にドーンと響く締まりある低音、虹の色が見えるような木管、金管の倍音。確信をこめた縁取りで躍動するリズム。祭典がクリーヴランドOだったのに対しこちらはニューヨーク・フィルで、禁欲的な凝縮感は一歩譲る感じがあるものの、これも歴史的名盤であることは間違いないでしょう。これを聴いて以来ペトルーシュカというとまずこれが頭に浮かんでしまい、以後は常にこれと比べて聴くという運命に陥ることになりました。
3管編成の1947年版と4管編成の1911年版がありますが、火の鳥ほど決定的な差はありません。オリジナルの11年版をお薦めしますが、演奏さえ良ければあまりこだわる必要はないと思います。バレエ音楽なのでストーリーがあり、それなりに有名ですが僕はあんまり興味も知識もありません。ネットで調べられればいくらも出てきますので悪しからず。今回、本稿を書くために35種類あるペトルーシュカから好きだったものを片端から聴きました。そして、今は3大バレエのうちでこのピアノ付ラプソディのような音楽が一番楽しめるかもしれないなと気がつきました。
若いころのクリストフ・フォン・ドホナーニがハンブルグ国立管弦楽団に稽古をつけてる録画がありました。これは面白い(ドイツ語ですが)。ストラヴィンスキーのスコアがよくわかります。初めての方も、指揮者がただ棒を振っているのではないことが分かりますよ。本番の全曲が続くのでぜひ全部お聴きください(1911年版ではなくコンサートバージョンですが)。79年当時はこの曲にドイツのオケがあまり慣れてない感じがするのが興味深いです。
ドホナーニはハンガリーの高名な作曲家兼ピアニスト兼教師であるエルンスト・フォン・ドホナーニの息子です。指揮者としては当たり前のことをしていますが彼なりの頭の切れ、記憶力、運動神経を感じますね。
しかしながら、この演奏は筋肉質で決して悪くはありませんが、ブーレーズほどの図抜けた煌めきはありません。このレベルの人であっても上には上があるということです。ブーレーズの耳の良さは常人の域でなく、練習は一切の妥協や手抜きなしでオケとは緊張関係に終始したそうです。来日してN響とトリスタンを練習した時には一触即発だったと伝えられます。そうでなければあんな音は出ないと思います。
僕のCD棚は7000枚ぐらいが作曲家別に整理されていて、作曲家は出身国別に分類されています。ドイツ人、ロシア人、チェコ人、フランス人…というように。出身国だからヘンデルはドイツ区画に在ります。決してそう意識したわけではないのですが、そのルールに一つだけ例外があって、ストラヴィンスキーはロシアではなくフランス区画の、ラヴェル、ドビッシーの下に位置していることを ”発見” しました。なんと、僕の潜在意識下ではフランス音楽だったわけです。
3大バレエの内で今の僕がフランス音楽的感性がいいなと思うのは断然ペトルーシュカです。冒頭にドビッシーの影響が濃いと書きましたが、ペトルーシュカの部屋、乳母の踊りのオーケストレーションのソノリティなどとてもフランス的であって、後者の木管の書法がラヴェルに影響してダフニスとクロエ(1912年6月8日、パリで初演)の「夜明け」になったのではと想像してしまうほどです。火の鳥では個々の音に旋律、和声として機能的な意味がありましたが、ここではそれを喪失してもはやコラージュの素材、部品という存在になっており、総体としてタペストリーになっているという性質の音に変容しているのです。
そういう音楽はワーグナーのトリスタン、パルシファルに発した書法をドビッシーが牧神午後への前奏曲にて試行し、夜想曲、海、遊戯へと至りますが、他人の手で顕著に記譜された例こそがこのペトルーシュカであり、フランスではフローラン・シュミット、オリヴィエ・メシアン、イタリアでオットリーノ・レスピーギ、アメリカでアーロン・コープランドに伝わっていきます。興味深いことにストラヴィンスキー自身は次作の春の祭典に一見コラージュ手法と見える楽譜を書きますが、それはタペストリーというよりは「和音とリズム」を複合単位としたクラスター手法において連続する和音の各音を別楽器に非連続的に分散した結果としてのコラージュという、上記の脈絡とは違った方向に進化しています。この方向の帰結に「三楽章の交響曲」、「結婚」という傑作が現れるのです。
3大バレエの中でも特にペトルーシュカという作品が音楽史に残したDNAがいかに独特で偉大なものであることがおわかりいただけるでしょうか。フランス系の大指揮者クリュイタンス、ミュンシュ、パレー、マルティノンに録音があるのかどうかよく知りませんがモントゥー、アンセルメ、ブーレーズがフランス的感性、知性にあふれる解釈を残してくれたのが幸いです。特に今回の聴きなおしでは初演者ピエール・モントゥーの3種類の演奏が印象に残りました。ファースト・チョイスとしては冒頭のボストンSO盤がオケの性能が高く録音も優秀でお薦めです。
ピエール・モントゥー / パリ音楽院管弦楽団
初演のときオケがこう鳴ったのではと想像させる音が聴けます。タペストリーでのフランス風木管の華奢でエッジのある音色は、作曲者がこれをイメージしたと思える色彩にあふれています。ロシア人によるロシア的な楽想の音楽なのにパリでフランス人によって演奏されることを予定していた音楽史上でも異色の作品が3部作であり、これらをロシアの無骨なオケでやるのはお門違いということもわかります。
ピエール・モントゥー / フランス国立管弦楽団
オケの勘違いミスもご愛嬌のライブ録音。「ペトルーシュカの亡霊」のホルンはよれよれでトランペットのソロも危なっかしく、春の祭典なら真っ先にボツの演奏なのですが、そういうことが許せてしまうのがペトルーシュカです。この曲が現代音楽であった息吹を感じることができるという意味でこれは時々じっくりと聴いています。
アンタール・ドラティ / ミネアポリス交響楽団
知的興奮をそそる名演です。並録の春の祭典を同曲の稿で絶賛しましたが、同じ路線の快速で音響の重心の高いハイドン的なストラヴィンスキーです。因習的な解釈は歯牙にもかけていませんが、なるほどそうも解釈できるのかと感服する説得力があり、ドラティの眼力の凄さに圧倒される思いです。オケは心服して自信を持ってついて行っている感じがスピーカーからうかがえます。こんな指揮者は絶えて久しいですね。
コリン・デイヴィス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
デイヴィスの同オケによる3部作はスタンダードとしてどなたにでもお薦めできる名演奏です。とにかくオケの技術、音色、ホール音響の3拍子が最高水準でそろっている上に指揮者の解釈もきわめて穏当で模範的であり、非難する部分が全く見当たりません。ブーレーズが冷たくて肌に合わない方でもこれは人肌を感じることができるでしょう。サー・コリンの最高傑作と思います。
追加いたします(16年1月13日~)
マウリツィオ・ポリーニ(p)
アルトゥール・ルービンシュタインの委嘱で書かれたピアノ版(ペトルーシュカより3章)です。
- 第1楽章:第1場より「ロシアの踊り」
- 第2楽章:第2場より「ペトルーシュカの部屋」
- 第3楽章:第3場より「謝肉祭」
大学のころこれが出て、凄いピアニストが出てきたといささかびっくりしたものです。以来ポリーニというとこれとショパンのエチュードとブーレーズのソナタというイメージが定着しました。
ルドルフ・アルベルト / セント・ソリ管弦楽団
大変素晴らしい。聴くたびに興奮を禁じ得ない。このオケはパリ音楽院O、コンセールラムルーO等の楽員による録音用臨時編成らしいが技術は問題なく上級である。ピアノはイヴォンヌ・ロリオでこれもうまく、木管がこれほど細部までカラフルな音色をふりまく録音もそうはない。メシアンの「異国の鳥たち」の初演を指揮したアルベルトはフランクフルト生まれのドイツ人で指揮ぶりは明晰でリズムのエッジも立っているのがペトルーシュカにまことにふさわしい。録音がこれまた明晰で透明。楽器の質感、色彩感いっぱいにクリアに再現され、オーケストラピットを間近で覗き込みながら聴くような心ときめく音楽。i-tunesにあるのでお薦めしたい。
(こちらへどうぞ)
バルトーク「管弦楽のための協奏曲」Sz116
2014 JAN 29 20:20:39 pm by 東 賢太郎
この曲は17歳、高校2年の時にユージン・オーマンディーのLP(写真上)を買って以来だから42年のおつき合いになる。聴くたびに高校のクラス会気分だ。クラシック好きの間では略して「オケコン」と呼ばれるようで、そういう人たちはショスタコーヴィチの8番を「タコハチ」とも呼んでいるらしい。まあどうでもいいがあまりお品は良くない気がする。
このLPがあまりに素晴らしく、一気にこの曲にハマってしまった。すると違う演奏が聴きたくなる。そこでジョージ・セルのを買う。正確には、右の写真の「これがバルトークだ」なる2枚組のLPにセルのが入っていたわけだが。硬式野球部員のくせに家ではバルトークに熱中していた。もちろん部員にクラシックを聴く奴などいない。我ながらとても変な高校生だった。勉強は当然お留守だった。
これを聴いてひっくり返った。第5楽章の僕が最も好きな弦がゴワゴワやって盛り上がる部分がばっさりとカットされているではないか!これはいけない。作曲家ピューリタンである僕としては許し難い暴挙だ。ところが、この楽章、エンディングの部分はバルトーク自身が書き直したものだっということを知る。当時のアメリカの聴衆のレベルでは、ゴワゴワのまま唐突に終わってしまうオリジナルのエンディングはウケが悪かった。そこで仕方なく「あれ」を書いた。バルトークさんありがとう。断言しよう。そうやってできた「あれ」は古今東西、人類の書いたあらゆる音楽のエンディングの中で最高にカッコいいものであると僕は確信している。この曲をまだ知らないかた、「あれ」を聴くためだけにそこまでの40分をじっとガマンする価値すらある。
これが「あれ」のスコアだ。全曲の最終頁である。ファゴット、チューバを除く全ての楽器が頂点へ登りつめるのと逆行してファ・ド・ファと下るティンパニの打ち込み!何度聴いても興奮する。この前のページからをこれを僕がピアノで弾いてガン!と終ると、まだ言葉をしゃべる前の長女がキャッキャいって喜んでくれ、父娘のコミュニケーションツールにもなっていた。
バルトークは第2次大戦のため(というよりナチスを避け)アメリカに亡命を余儀なくされた。彼のような人があの国に住んでどんな思いがしたか、はるかに低次元だが似た思いをした僕には想像できる。その逆にアメリカ人にとっても、彼の音楽を理解するのはとうてい無理だった。「自分の音楽はここでは全く演奏されない。不幸なことだ。それは自分にではないが。」と彼はつぶやいた。
難民になった彼を救おうという人が現れる。そこがアメリカのいいところだ。ボストン交響楽団の音楽監督セルゲイ・クーセヴィツキーは当時は大枚の1000ドル小切手を用意してバルトークに自分のオーケストラのための新作を委嘱し、もう作曲の筆を折りかかっていたバルトークを奮い立たせた。そうしてできた曲がこの「管弦楽のための協奏曲」だ。
Concerto for X、とは「Xを独奏楽器として管弦楽が伴奏する音楽」の意味だ。従って、X=管弦楽とは「管弦楽を独奏楽器として管弦楽が伴奏する音楽」である。これは裏を返せば「ソリストのいない協奏曲」ということだ。オケ自身がソリスト級のうまさだ。具が乗ってない「かけそば」でもうまいですよねと蕎麦屋を持ち上げた、バルトーク一流の乾いたユーモアによるクーセヴィツキ―への謝辞ではないかと思う。
作曲者がエンディングを改訂するのも仕方ない。生活のための曲なのだ。アメリカ人に理解されなくては目的を達しない。故国ハンガリーの後輩であり、アメリカ移民としては先輩だったセルにとっても思いは同じだったろう。65年の録音だが彼の編曲したバージョンこそが「アメリカ大衆向け」であり、バルトーク作品の人気をあげてくれるだろうという彼なりの経験と信念があったと解釈したい。
ジョージ・セル(右)は僕の最も尊敬する指揮者のひとりだ。3歳!!でウィーン音楽院に入った人類史に残る神童であり、彼を尊敬するカラヤンが緊張のあまりに会っても口すらきけなかった人である。我々如き市井の凡人が彼の判断にどうのこうの言うのもおこがましいのだが、しかし、やっぱりだめだ。あそこは原曲どおりやるべきだ。皆さんにもそれを聴いて欲しい。今どきバルトークの人気取りなんかいるはずもない。「あれ」は本人の作だが他人の編曲は許されるべきでないのだ。ついでだが村上春樹の小説「1Q84」にこのセル盤が書かれていて、これが広く聴かれているらしい。村上氏にはセル盤が思い出なのだろうが、これで覚えてしまった人はオリジナルを聴いて僕のようにひっくり返るはずだ。小説に感動したからその思い出として聴きたいという、韓流ドラマのロケ地ツアー気分の人に何かいおうという気は毛頭ないが、真の音楽好きになる人たちに対しては実に罪作りなことである。
第5楽章のテーマは民族音楽っぽいが、ルーマニア系米国人の指揮者ローレンス・フォスターが「あれはキューバのダンス音楽だ。バルトークはキューバへ行って伝統音楽に夢中になったのだ。」と語っている。またピエール・ブーレーズも面白いことを言っている。第5楽章の弦のヴィルトゥオージティはアメリカのオーケストラ由来のものだということだ。当時の欧州のオケの弦はこれが弾けるほどうまくなかったという。アメリカの美点を探そうと努力したバルトークが見つけたのがそれだったとすると、オケにそれを仕込んだトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーたちに敬意を払ったということでもある。そう考えれば、その中にジョージ・セルがいても不思議ではなく、セルの編曲もそういうコンテクストのなかで了解されていたのかもしれない。
僕はこの曲の第5楽章を10年以上前にシンセサイザーと電子ピアノでMIDI録音した。スコアの全音符を鍵盤で弾くのは気が遠くなるぐらい大変であり、確かにその弦セクションの録音は至難の業だった。結局終楽章を完成するだけで3か月ぐらいはかかった。サラリーマンをしながらだから仕方ないが、そういう自分の手仕事感覚から推察して、バルトークが全曲を8週間で作曲したという事実の重みがずっしりと自覚できる。偉人の仕事とは自分の仕事の領域に落として比較して初めて正当に評価できるのだと思う。
大変悔しいのは、この曲のピアノソロ編曲があるのだがその楽譜が手に入らないことだ。オーケストラスコアをピアノで弾く訓練はしていない。だからピアノ譜が必要だ。右はそれをバルトークの弟子であるジョルジュ・シャンドールが弾いた録音である。面白い。第3楽章など是非弾いてみたいが能力のなさを嘆くのみである。
その第5楽章がこれだ。
実演では最も印象的だったのがチェリビダッケが1977年10月18日に初来日して読響を振ったものだ。東京文化会館は熱気に包まれ会場には武満徹さんや吉田秀和さんの顔も見えた。これについてはどこかで書く。もうひとつ、これも東京だ。2006年2月にヤン=パスカル・トルトゥリエが都響を振ったもの(サントリーホール)。これはかつてライブで聴いたこの曲の最高の演奏だった。
僕が好きなCDを挙げておく。初めての方、セル盤はやめたほうがいい。以下のどれかを探してまずオーソドックスに曲を覚えることをお薦めする。セルの名演はそれから味わうのが順路だろう。
ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団
旧盤(3回録音した2度目)のほうだ。新盤(RCA)は落ちる。60年ごろまで全米オケのトップはニューヨーク、ボストン、シカゴ、フィラデルフィアの4つだった。ニューヨークではバーンスタイン、シカゴではライナー、フィラではオーマンディーがこれを振った。肝心のボストンではモントゥー、ミュンシュのフランス系がこれを振らず小澤を待つことになる。やはり愛情を持って振ったのはライナー、オーマンディー、セル、ショルティというハンガリー移民たちだ。このオーマンディーはバルトークのスコアに最も忠実に、しかも最高度の名技で演奏した記念碑的録音である。「あれ」部分のスコアをよく見ていただきたいがテンポ変化は一切書かれていない。にもかかわらずドドドミ♭-ド-のファンファーレでまず減速し、最後の2小節でさらに減速する恣意的な演奏が非常に多い。オーマンディーはそれが全くないのが全曲にわたる作曲家への敬意と一貫したポリシーを象徴している。これが終楽章だ、記載がないがまぎれもなくこれぞ旧盤である。
ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団
オーマンディーと双璧の身の毛もよだつ快演である。録音の良さではこちらに分がある。ショルティはこの録音にあたって国会図書館で自筆スコアまで調べているように演奏に対するコミットメントが半端ではない。シカゴ響の威力は全開であり第1楽章の金管からして世界に冠たる響きを堪能することができる。第2楽章の対の遊びの見事な音程、第3楽章の暗く沈んだ弦の歌、第4楽章の不思議な和声の移ろい、そして終楽章の全員がソロイストであるような驚異的な合奏によるアレグロの疾走など、聴きどころを挙げたらきりがない。そして5楽章エンディングもオーマンディと同じくスコアのままだ。全曲にわたってティンパニの力量が実にモノを言っているのも特筆ものである。
これがショルティの全曲だ。
カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
見事な音程とアーティキュレーションの弦、決然と打ち込むティンパニ。第1楽章からいきなり筋肉質の音楽に圧倒される。これほどベートーベンの音楽のような彫りの深い造形で鳴らされるのはあまりない。第2楽章はセクションごとの名技をさっそうと披露して駈けぬける演奏がはやりだが、ここでは遅めのテンポでじっくりと合奏を味わわせる。第3楽章は不思議な緑の沼から霧が湧き立つ。黄泉の国の鳥たちが静かに飛び交う神秘の情景だ。シューマン3番の稿に書いた最後の不吉な2和音が重たい。第4楽章は木質の木管が活き、弦の望郷の旋律が美しい。ショスタコヴィッチ7番を揶揄した部分も羽目を外さない。終楽章。実に音楽的だ。腕と勢いで圧倒しようという安易な計略に流れない。エンディングはいったん減速するがそこから一切の安物風情なく、大人の風格で決然と終結する。実にすばらしい!
僕の持っている24種から追加で選ぶ。
フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団
ショルティ盤はこれがベースにあって成しえた。ちなみに天下の名演であるライナーの弦チェレはクーベリックがCSOを振った見事な演奏を聴けば技術的にはすでにモノラル期に完成していたことがわかる。このオケコン、アンサンブルの精度はショルティに一歩譲るが、高度な演奏技術とゆるぎない指揮者の解釈が確定した上での余裕からくるライブのような流動感はこっちのほうがある。選択は好みの問題だ。
ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ゲオルグ・ショルティ / ワールド・オーケストラ・フォア・ピース
もお薦めできる。
(こちらにどうぞ)












